Tsukuba Gakuen Church, UCCJ

日本キリスト教団 筑波学園教会


これまでの礼拝から

2017年の礼拝説教 INDEX
1月 2月 3月
 1日「適切な評価の下で生きよ」
 8日「幕屋建設」
15日「私の霊を御手にゆだねます」
22日「クリスチャン生活の喜び」
29日「キリストに救われて」
 5日「捧げる喜び」
12日「墓に葬られる」
19日「上に立つ権威への対処」
26日「聖なる者」
 6日「はじめに言(ことば)あり」
12日「主イエスを身にまとう」
19日「共に行かせて欲しい」
26日「言(ことば)は肉となった」
4月 5月 6月
 2日「自分のために生きない」
 9日「エロイ・エロイ・レマ・サバクタニ」
16日「逃げ出した女性たちが祝福を」
23日「信仰共同体のあり方」
30日「祭司のなすべきこと」
 7日「わたしは違う」
14日「誇りに思う」
21日「ヨベルの年」
28日「見よ、神の小羊」
 4日「弁護者なる聖霊」
11日「空の鳥、野の花をみよ」
18日「願い敗れて夢かなう」
25日「民の不満とモーセの苦悩」
7月 8月 9月
 2日「説教題」
 9日「説教題」
16日「説教題」
23日「説教題」
30日「説教題」
 6日「説教題」
13日「説教題」
20日「説教題」
27日「説教題」
 3日「説教題」
10日「説教題」
17日「説教題」
24日「説教題」
10月 11月 12月
 1日「説教題」
 8日「説教題」
15日「説教題」
22日「説教題」
29日「説教題」
 5日「説教題」
12日「説教題」
19日「説教題」
26日「説教題」
 3日「説教題」
10日「説教題」
17日「説教題」
24日「説教題」
31日「説教題」

2016年の礼拝説教

2017年 6月25日(日)聖霊降臨節第4主日礼拝

『民数記 11章 1~17節』

11:01民は主の耳に達するほど、激しく不満を言った。主はそれを聞いて憤られ、主の火が彼らに対して燃え上がり、宿営を端から焼き尽くそうとした。 11:02民はモーセに助けを求めて叫びをあげた。モーセが主に祈ると、火は鎮まった。 11:03主の火が彼らに対して燃え上がったというので、人々はその場所をタブエラ(燃える)と呼んだ。 11:04民に加わっていた雑多な他国人は飢えと渇きを訴え、イスラエルの人々も再び泣き言を言った。「誰か肉を食べさせてくれないものか。 11:05エジプトでは魚をただで食べていたし、きゅうりやメロン、葱や玉葱やにんにくが忘れられない。 11:06今では、わたしたちの唾は干上がり、どこを見回してもマナばかりで、何もない。」 11:07マナは、コエンドロの種のようで、一見、琥珀の類のようであった。 11:08民は歩き回って拾い集め、臼で粉にひくか、鉢ですりつぶし、鍋で煮て、菓子にした。それは、こくのあるクリームのような味であった。 11:09夜、宿営に露が降りると、マナも降った。 11:10モーセは、民がどの家族もそれぞれの天幕の入り口で泣き言を言っているのを聞いた。主が激しく憤られたので、モーセは苦しんだ。 11:11モーセは主に言った。「あなたは、なぜ、僕を苦しめられるのですか。なぜわたしはあなたの恵みを得ることなく、この民すべてを重荷として負わされねばならないのですか。 11:12わたしがこの民すべてをはらみ、わたしが彼らを生んだのでしょうか。あなたはわたしに、乳母が乳飲み子を抱くように彼らを胸に抱き、あなたが先祖に誓われた土地に連れて行けと言われます。 11:13この民すべてに食べさせる肉をどこで見つければよいのでしょうか。彼らはわたしに泣き言を言い、肉を食べさせよと言うのです。 11:14わたし一人では、とてもこの民すべてを負うことはできません。わたしには重すぎます。 11:15どうしてもこのようになさりたいなら、どうかむしろ、殺してください。あなたの恵みを得ているのであれば、どうかわたしを苦しみに遭わせないでください。」 11:16主はモーセに言われた。「イスラエルの長老たちのうちから、あなたが、民の長老およびその役人として認めうる者を七十人集め、臨在の幕屋に連れて来てあなたの傍らに立たせなさい。 11:17わたしはそこに降って、あなたと語ろう。そして、あなたに授けてある霊の一部を取って、彼らに授ける。そうすれば、彼らは民の重荷をあなたと共に負うことができるようになり、あなたひとりで負うことはなくなる。

説教:『民の不満とモーセの苦悩』

 説教を聞く

 説教要旨 掲載準備中

筑波学園教会牧師 福島 純雄

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2017年 6月18日(日)聖霊降臨節第3主日礼拝

『ローマの信徒への手紙 15章 22~33節』

15:22こういうわけで、あなたがたのところに何度も行こうと思いながら、妨げられてきました。 15:23しかし今は、もうこの地方に働く場所がなく、その上、何年も前からあなたがたのところに行きたいと切望していたので、 15:24イスパニアに行くとき、訪ねたいと思います。途中であなたがたに会い、まず、しばらくの間でも、あなたがたと共にいる喜びを味わってから、イスパニアへ向けて送り出してもらいたいのです。 15:25しかし今は、聖なる者たちに仕えるためにエルサレムへ行きます。 15:26マケドニア州とアカイア州の人々が、エルサレムの聖なる者たちの中の貧しい人々を援助することに喜んで同意したからです。 15:27彼らは喜んで同意しましたが、実はそうする義務もあるのです。異邦人はその人たちの霊的なものにあずかったのですから、肉のもので彼らを助ける義務があります。 15:28それで、わたしはこのことを済ませてから、つまり、募金の成果を確実に手渡した後、あなたがたのところを経てイスパニアに行きます。 15:29そのときには、キリストの祝福をあふれるほど持って、あなたがたのところに行くことになると思っています。 15:30兄弟たち、わたしたちの主イエス・キリストによって、また、“霊”が与えてくださる愛によってお願いします。どうか、わたしのために、わたしと一緒に神に熱心に祈ってください、 15:31わたしがユダヤにいる不信の者たちから守られ、エルサレムに対するわたしの奉仕が聖なる者たちに歓迎されるように、 15:32こうして、神の御心によって喜びのうちにそちらへ行き、あなたがたのもとで憩うことができるように。 15:33平和の源である神があなたがた一同と共におられるように、アーメン。

説教:『願い敗れて夢かなう』

 説教要旨 掲載準備中

筑波学園教会牧師 福島 純雄

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2017年 6月11日(日)聖霊降臨節第2主日礼拝

『マタイによる福音書 6章 25~34節』

06:25「だから、言っておく。自分の命のことで何を食べようか何を飲もうかと、また自分の体のことで何を着ようかと思い悩むな。命は食べ物よりも大切であり、体は衣服よりも大切ではないか。 06:26空の鳥をよく見なさい。種も蒔かず、刈り入れもせず、倉に納めもしない。だが、あなたがたの天の父は鳥を養ってくださる。あなたがたは、鳥よりも価値あるものではないか。 06:27あなたがたのうちだれが、思い悩んだからといって、寿命をわずかでも延ばすことができようか。 06:28なぜ、衣服のことで思い悩むのか。野の花がどのように育つのか、注意して見なさい。働きもせず、紡ぎもしない。 06:29しかし、言っておく。栄華を極めたソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。 06:30今日は生えていて、明日は炉に投げ込まれる野の草でさえ、神はこのように装ってくださる。まして、あなたがたにはなおさらのことではないか、信仰の薄い者たちよ。 06:31だから、『何を食べようか』『何を飲もうか』『何を着ようか』と言って、思い悩むな。 06:32それはみな、異邦人が切に求めているものだ。あなたがたの天の父は、これらのものがみなあなたがたに必要なことをご存じである。 06:33何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる。 06:34だから、明日のことまで思い悩むな。明日のことは明日自らが思い悩む。その日の苦労は、その日だけで十分である。」

説教:『空の鳥、野の花をみよ』

 説教要旨 掲載準備中

筑波学園教会牧師 福島 純雄

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2017年 6月4日(日)ペンテコステ(聖霊降臨日)礼拝

『ヨハネによる福音書 14章 15~19節』

14:15「あなたがたは、わたしを愛しているならば、わたしの掟を守る。 14:16わたしは父にお願いしよう。父は別の弁護者を遣わして、永遠にあなたがたと一緒にいるようにしてくださる。 14:17この方は、真理の霊である。世は、この霊を見ようとも知ろうともしないので、受け入れることができない。しかし、あなたがたはこの霊を知っている。この霊があなたがたと共におり、これからも、あなたがたの内にいるからである。 14:18わたしは、あなたがたをみなしごにはしておかない。あなたがたのところに戻って来る。 14:19しばらくすると、世はもうわたしを見なくなるが、あなたがたはわたしを見る。わたしが生きているので、あなたがたも生きることになる。

説教:『弁護者なる聖霊』

1、今日は聖霊降臨日(ぺンテコステ)と呼ばれる特別な礼拝の日である。ルカによる福音書の著者ルカは、使徒言行録という書物も書いた、その1章に、十字架の死から復活したイエス様は、40日間にわたって、たびたび弟子たちに現れて、いろいろなことを教えたり、一緒に食事したりしたという。同じく使従言行録の1章の記述によれば、イエス様は40日目に天に昇り、弟子たちの目からは見えなくなってしまったとある。それから10日後、つまりイエス様が十字架につけられた過越の祭から数えてちょうど50日目に当たる日─これがぺンテコステというギリシャ語の言葉の意味で、古くからイスラエルの人々は小麦の収種祭としていた─に、弟子たちもエルサレムのとある家─おそらくは最後の晩餐の家─に集まっていたとき、使徒言行録の2章はじめに書かれているような不思議な現象を伴って聖霊が弟子たちに注がれたというのである。これを機に彼らは恐れずに大胆にイエス様が救い主であると宣べ伝えるようになり、信者が誕生し教会ができていったので、代々の教会はこの日を特別な礼拝の日としたのだった。

2、さて、聖霊が注がれたということと無関係ではないが、その前の段階の出来事の復活したイエス様が40日間復弟子たちに現れたという出来事から特に新たに示された点があった。
 5月21日の朝日新聞の書評欄に、『魂でもいいから、そばにいて─3.11後の霊体験を聞く─(奥野修司著、新潮社)』という本の紹介記事を見た。早速その本を買い求めた。著者の奥野氏は2006年に大宅壮一ノンフィクション賞を受賞したライターであり、この本のまえがきは、以下言葉で始まっていた。「死者・行方不明者を1万8千人余を出した束日本大震災。その被災地で、不思議な体験が語られていると聞いたのはいつのことだったのだろう。多くの人の胸に秘められながら、口から口へと伝えられてきたそれは、大切な『亡き人との再会』とも言える体験だった。同時にそれは亡き人から生者へのメッセージとも言えた。・・・これから僕が書こうとしているのは、こうした『不思議な』としか形容できない物語ばかりである。だれにでもわかるという普通性がないから、それを信じようと信じまいと僕はかまわない。再現性もないから、それが正しいかどうかを証明することもできない。ただ僕は僕なりに、その人の体験がたしかであろうと判断したものをここでご紹介するだけだ。」
 最初に紹介されていたエピソードに、夫人と娘を亡くした男性の「納骨しないと成仏しないと言われますが、成仏してどっかに行っちゃうんだったら、成仏しない方がいい。そばにいて、いつも出て来てほしいんです」との言葉があった。おそらく体験談のすべてがこのような遺族の思いで貫かれているのではないかと思う。
 この本の紹介記事を読んでどのようなことを直感的に感じたかというと、これまで思ったことがないほどに、復活したイエス様が40日間にわたって、とても不思議な形で弟子たちに姿を現したことの持つ深い意味を感じたのだった。これまで数え切れないほどの多くの遺族が体験したことが、馬鹿げたことだとか、遣族が生み出す幻に過ぎないとかいうことで、片隅に追いやられてきたのだった。しかし、復活したイエス様の出来事は、このような体験を決して馬鹿げたことでも幻でもないと認めていると、おおいに肯定しているのだと感じたのである。
 勿論、復活したイエス様が弟子たちに現れたことと、あまたの死者たちが残された者に現れたことを、全く同じだというのではない。例えば、ルカによる福音書の24章37節以下、復活したイエス様を見て弟子たちが何度も亡霊を見ているのかと恐れたとあるが、イエス様は、はっきりと「亡霊には肉も骨もないがわたしにはそれがある」と言って手と足を見せ、さらには一緒に食事までしたと書かれている。復活という出来事は、ただイエス様だけに起こったことなのであり、死者たちが亡霊としか言いようのない有り様でぼんやりと残された者たちに現れるのとは、どこかが決定的に違う。しかし、たとえそのような違いがあっても、イエス様が、どうかすると亡霊や幽霊と見誤られるような姿形で弟子たちに40日間も現れたのは確かなのだった。そのように現れて弟子たちのそばにいて弟子たちへのメッセージを残したということは、多くの遣族が体験したことと共通しているのである。復活したイエス様が弟子たちに対してそうしたということは、どれほどそういうことが、残された者たちにとって、また死んでいった人たちにとっても、無くてはならないことであるかを現しているのである。復活したイエス様の40日間の出来事は、これまで片隅に追いやられてきた遺族の不思議な体験を、正々堂々と白日の下に引き出してくれるものだと感じたのである。
 だからといって、愛する人を亡くした遣族の皆が、すぐにイエス様を救い主と信じるというわけではないであろう。しかし、その入り口にはなるだろうと思うのである。大切な人を亡くして、その上で、このような体験をした人々は、おそらく誰よりも、十字架の上で殺されたイエス様が復活し40日間にわたって弟子たちに姿を現したという出来事の意味を、我がこととして感得することができるはずである。なぜそのようなことが起きねばならなかったのかを、それが弟子たちにもたらした意味が、わかるはずなのである。イエス様と弟子たちのエピソードを、自分たちのそれと重ね合わせることができるはずである。それはその人々を、イエス様を信じる入り口に立たせるものではなかろうか。
 最初のエピソードを寄せた遣族男性の言葉は「もしかすると、こういう体験がなかったら生きられなかったかもしれません。妻と子ども特に家を根こそぎなくしたんです。なぜ生きているのか、ときどきわからなくなることがあります。」であった。この男性の気持ちは、19節「わたしが生きているので、あなたがたも生きることになる」との言葉に重なるものがあるとひしひし感じる。弟子たちは、まず40日間にわたってイエス様が姿を現し、「私は生きている」と示したことで、はじめて生きることができるようになったのだった。このようなイエス様と弟子たちの間に起きた出来事を、私達は、同じように悲しい体験かつ不思議な体験をした人々に、おおいに語ることができるのではなかろうか。私達の信仰は、誰よりもそのような体験をした人々のためのものなのだと思った。

3、こうしてまず40日間にわたって、復活したイエス様が、弟子たちに姿を現し「私は生きている」と示し、それによって弟子たちも生きることができるようになったのだから、それで十分ではなかったか。そういう関係がいつまでも続くように神様もイエス様もしてくれればよかったのではなかろうか。しかし、神様もイエス様もそうはしなかった。40日で、そのような現れにピリオドを打ち、復活したイエス様は天に昇り、弟子たちの目には見えない存在になってしまった。そして、それから10日目に、聖霊が与えられたのだった。それが「別の(イエス様とは別の、という意味で)弁護者(ギリシャ語の原文では「パラクレートス」)」と言われている。
 一体なぜ、復活したイエス様の弟子たちへの現れは、40日でピリオドを打たれねばならなかったのか。なぜ復活したイエス様ではなく「別の弁護者」が遺わされる必要があったのか。その真意は私達には知り尽くすことはできない。ただ、このヨハネによる福音書の20章の11節以下─それはこの福音書が最初に描いた復活のイエス様と残された者との出会のシーンだが─に、マグダラのマリアという女性とイエス様との出会いの場面が描かれている。目の前にいる人物がイエス様だとわかると彼女は「ラボニ」と言って、おそらくはイエス様に抱きつこうとでもしたのではなかろうか。これに対してイエス様は、「わたしにすがりつくのはよしなさい。まだ父のもとへ上っていないのだから」と言ったとある。先ほどの問いへの答えが、ここにあるといつも思うのである。いつまでもイエス様が目に見える姿で弟子たちの側に、この世の中にあれば、弟子たちは、そのイエス様に「すがりつく」ようになってしまうからである。それは弟子たちの、ひいてはその後に続く私達信仰者のためにならないとの神様の考えではなかろうか。
 最初のエピソードの男性は、夢の中で失くした妻から、以下ように言われたとある。「2016年の正月明けでした。これからどう生きてゆけばいいのか悩んでいたとき、これまでと違ってはっきりした像で、妻はこう言ったんです。『いまは何もしてあげられないよ』『でも信頼している』と言い、その後で『急がないから、待っている』」と。この夢の結果として彼が得たものは何かと言えば、「『待っている』というのは私にとっては究極の希望です。みなさんの希望は、この世の希望ですよね。私の希望は、自分が死んだときに最愛の妻と娘に遭えることなんです。死んだ先でも私を待っていてくれるという妻の言葉こそ、私には本当の希望なのです」というこのなのである。希望についての聖書の言葉を彷彿させるような言葉である。
 このような希望を抱かせるためには、亡くなった夫人は「今は何もしてあげられない」と、いつもよりはっきりと彼に告げねばならなかったのである。「わたしにしがみついてはいけない」と言ったイエス様と同じ心を感じる。この男性は「成仏なんかしなくてよいから、いつも出て来てほしい」と思っていた。しかし、そのように「成仏しないでいつも出てくる」ということは、亡きご夫人の夢の中の言葉でいえば「今何かをしてあげる」ことになるのだと思うのである。彼が願うような形で「今、この世の中で何かをして」もらうことを願わせるようになってしまうようになる。しかしそれは残された人々のためにはならないのだと思うのである。残された人々の思いや願いが、ただ今だけ、この世のみ、というものから離してあげて、未来へ、かの世へと向けさせることがふさわしいのである。勿論助けは必要である。みなしごにしてはいけないのである。何らかの形で「わたしは生きている」から「あなたも生きてゆける」と励ますことは不可欠である。しかし、それは残された者が、今・この世だけにしがみつくようになる助けであってはならないのである。

4、これが、復活のイエス様の弟子たちへの現れに40日でピリオドが打たれ、別の弁護者が遺わされなければならなかった理由だと思うのである。弁護者と訳されたパラクレートスという存在は、わかりやすく言えば弁護士である。弁護士は、勿論徹頭徹尾依頼者の側に立って依頼者の利益のために味方となってくれる存在だが、しかしあくまで法律の専門家として、依頼者の側に立つからこそ時には依頼者の希望や願いにノウと言うこともある。弁護士の持っている専門家としての知識、それがここで言うところの「真理」ということなのだと思う。復活したイエス様が、いつまでも弟子たちや私達と、目に見える形でいることは、どこか真理にたがうのである。「永遠にあなたがたと一緒に」とあるが、永違に私達がイエス様と共にいるというあり方は、復活のイエス様が弟子たちと共に40日間だけいたあり方とは違う。20節には「かの日には・・・」とあるが、生きていようと死んでいようと私達は等しく父なる神様の内にいるのである。これが究極の真理だと思うのである。この真理は、つまり弁護士としての専門的知識に則って聖霊が私達を支えるということなのである。私達をみなしごにはせず、イエス様が生きていることを示して、私達を生かして下さるのである。
 このことは、「成仏などしなくても出て来てほしい」と願う人々に、大切な何かを語りかけてくれるはずである。大切な人を失った人々には、真に弁護者が不可欠なのである。弁護者がいなければ、みなしごのような状態に置かれてしまう。死んでもなお「わたしは生きている」者であることを示されてはじめて、遺された者は生きてゆけるようになる。しかし死んだ者たちは、何らかの意味で天に昇っていなければならないのである。直接死んだ者たちが弁護者となるのではなく、聖霊なる存在が弁護者なることが不可欠だと思うのである。

筑波学園教会牧師 福島 純雄

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2017年 5月28日(日)復活節第7主日礼拝

『ヨハネによる福音書 1章 29~34節』

01:29その翌日、ヨハネは、自分の方へイエスが来られるのを見て言った。「見よ、世の罪を取り除く神の小羊だ。 01:30『わたしの後から一人の人が来られる。その方はわたしにまさる。わたしよりも先におられたからである』とわたしが言ったのは、この方のことである。 01:31わたしはこの方を知らなかった。しかし、この方がイスラエルに現れるために、わたしは、水で洗礼を授けに来た。」 01:32そしてヨハネは証しした。「わたしは、“霊”が鳩のように天から降って、この方の上にとどまるのを見た。 01:33わたしはこの方を知らなかった。しかし、水で洗礼を授けるためにわたしをお遣わしになった方が、『“霊”が降って、ある人にとどまるのを見たら、その人が、聖霊によって洗礼を授ける人である』とわたしに言われた。 01:34わたしはそれを見た。だから、この方こそ神の子であると証ししたのである。」

説教:『見よ、神の小羊』

1 ヨハネによる福音書は、西暦100年頃に、今のトルコに位置するエペソという町で書かれたとされている。エペソ周辺の人々に、イエス様が救い主であると宣べ伝えようとするときに、まず著者ヨハネが最初に登場させたのが洗礼者ヨハネという人だった。なぜ洗礼者ヨハネを最初に登場させて、洗礼者ヨハネによるイエス様への証言を記したかについては、今の私たちには、よくわからない。何か特別な当時の事情があったのではなかろうか。当時のエペソには、洗礼者ヨハネから洗礼を受け、彼を救い主として信じていたような人々のグループがいたのかも知れない。ちなみに、35節以下は、他の福音書には書かれておらず、ヨハネ福音書だけが記している、とても興味深い記述である。イエス様に従った最初の二人の弟子 ─その一人は、かのペトロの兄弟のアンデレであった─ は、何と、もともとは洗礼者ヨハネの弟子だったというのである。著者ヨハネは、イエス様が救い主であると宣べ伝える最初のターゲットとして、当時エペソ周辺にいた洗礼者ヨハネの弟子たちを考えていたのかもしれない。そのためにこそ、洗礼者ヨハネは、自分は救い主ではないと三度も否定した事実をまず掲げ、また、私の後に来る人こそが救い主だと語ったことを記して、満を持して、いよいよイエス様を登場させたのだった。そして洗礼者ヨハネがイエス様をどのように証言したかを語ったのだった。

2 そこで洗礼者ヨハネが、イエス様について最初になした証言は、「見よ、世の罪を取り除く神の小羊」というものであった。洗礼者ヨハネが、自分の弟子を連れてイエス様と会ったときに為したイエス様についての証言も「見よ、神の小羊だ」であり、それを聞いて二人の弟子はイエス様に従ったことが、先ほどの35節以下のところに書かれている。洗礼者ヨハネがイエス様のことを「神の小羊」と証言したのは、このヨハネによる福音書にしか書かれていないことなので、果たしてこれが事実だったのかどうかはわからない。少なくとも著者ヨハネとしては、洗礼者ヨハネの弟子たち、ひいてはエペソ周辺の人々に、イエス様が救い主であると宣べ伝えるにはこの証言で十分であると、それ以外の証言は不要なのだと考えていたのではなかろうか。他のいかなる証言でなく、「罪を取り除く神の小羊」という証言こそが、人々をしてイエス様に従わせる得るものなのだと著者ヨハネは考えていたのであろう。
 これは、西暦100年頃のエペソでなくとも、今日の時代社会にあっても、なお当てはまることではなかろうか。キリスト教会で、礼拝出席者や受洗者が減ってゆく中で、教会はどんどん先細りになってゆくのではとの危惧を、私たちは抱き、あの手この手を使って教会に人を呼び寄せようとの努力をしている。それは悪いことではないが、しかし、その核心には、イエス様が私たちの罪を取り除く神の小羊としての救い主なのだという、証言がなければならないと思うのである。もちろん、2000年前の人々と現代の私達とでは、「世の罪を取り除く神の小羊」という証言への理解度は全く違うであろう。今の人々は、罪と言われてもなんだかピンと来ないし、神の小羊といわれても、それはなおさらであろう。だから、それを今の人々にわかるように語る努力が不可欠なのである。しかし、罪という言葉を使ってしまうと、拒否反応を抱かれてしまうから、そのことを最初から語らないということであってはならないと思うのである。イエス様が「罪を取り除く神の小羊」である点に惹き寄せられていなければ、それはイエス様に従ったということにはならないのである。言い方を変えれば、イエス様が罪を取り除く神の小羊であるとの証言に惹き寄せられないのならば、それはそれで仕方がないということなのである。35節以下で、洗礼者ヨハネのもとから、二人の弟子がイエス様に従ったという。しかし、もしかすれば、洗礼者ヨハネが、数多くの人々にイ工ス様のことを宣べ伝えたのに、たった二人しかイエス様に従わなかったのかもしれないのである。しかし、その二人から今日の何十億のクリスチャンが始まったことはたしかなことなのである。たとえ、心惹き寄せられ信じる人は少なくとも、イエス様が罪を取り除く神の小羊だと宣べ伝えたことが、私たちの伝道にとって肝心なのではなかろうか。

3 では、「世の罪を取り除く神の小羊」という証言に、洗礼者ヨハネはどのような思いを込めたのか。まず、「罪」という語は、どうしても私たちは、何か悪いことをしたという意味に受け取ってしまう。だから、「自分にはそれを取り除いてもらうようなものは何もない」となってしまう。私は「罪」をしばしば病気にたとえる。イエス様も「医者を必要とするのは、丈夫な人ではなく病人である。・・・わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく罪人を招くためである(例えばマタイによる福音書9章12節以下)」と言って、罪を抱えている人を病人になぞらえた。だから罪を病気にたとえるのは、聖書にもかなっていると思う。病気であれば、決して当人が悪いことをしていなくとも、どんなに品行方正な人であっても、なってしまうのである。当人の行いや思いにかかわらず、心ならずも抱えてしまった心や体の障がいや欠けも同様なものなのである。
 私たち人間は、悪いことをしたからということではなくて、存在の奥深いところに、ある種の病や欠けを抱えている者ではなかろうか。日本では、相変わらず毎年2万人に近い人々が自ら命を絶っている。先日、教会正面の花壇の花を植え替えた。花は、どこにも移動できない不自由さにもかかわらず、精一杯置かれたところで美しさを放ってくれる。そのような動植物に比べたとき、何と私達人間は病んでいる存在であろうかと、しみじみ思う。生きていることへの平安がないのである。喜びがないのである。思い煩うばかりなのである。
 この病が一体どこから来るものなのか。創世記1章から2章にかけて、神様が私たち人間を創造されたところに書かれている。私たち人間だけが他の生き物とは違って、神様に似た者として造られたと創世記1章26節以下にある。ところが、創世記2章6節以下には、神様が私達を造るために用いられた材料は、他の生き物と全く同じ土の塵であったと書かれているのである。神様と似た者として造られたのであれば、私たち人間は、神様と同じように永違に生きたいと思ったり、全能でありたいと願ったり、創造的クリエイティブに生きようとする者であってもよいではないか。しかし、造られた材料は土の塵でしかなかったのである。土の塵から造られたことを記す言葉の直前には、「水が地下からわき出て土の表をすべて潤した」とあるが、土から造られたが故に、環境の影響をもろに受ける存在であることが見事に描かれていると改めて思う。そのような存在が、神と等しい者であろうとするのである。この根源的な矛盾こそが、私達を病ませる原因ではなかろうか。著者ヨハネは、そのような私たちのありさまを、1章14節に、「肉」というキーワードで表現したのだった。根源に矛盾を抱え、それゆえに病み苦しみ悩まねばならない私たちが、「肉」という言葉で語られている。「罪」がこのような意味でのものならば、何とかそれを取り除いていただきたいという思いは、私たちの切なる願いではなかろうか。罪が取り除かれるとは、何よりも私達が抱えているこの根源的な矛盾が受容されて、神の似姿でありながら肉なる者として生きる喜びや平安を回復できることなのである。

4 それを「神の小羊」であることによってかなえて下さるのがイエス様だと、洗礼者ヨハネは、そしてこの福音書の著者ヨハネは告げているのである。「神の小羊」という言葉の背後にある言葉として、二つの聖書箇所が引かれる。それは、出エジプト記の過ぎ越しの出来事とイザヤ書53章に記された「苦難の僕」と呼ばれる箇所である。2章13節に「ユダヤ人の過越祭が近づいた」とあり、洗礼者ヨハネあるいは著者ヨハネが、ここでイエス様を「神の小羊」と言っているのは、この時期にマッチしたゆえにこそのものだと考えられる。ただ、イザヤ書53章の4節には、「病気」という流れで「彼が担ったのはわたしたちの病」という言葉がある。
 出エジプト記の12章に書かれた過ぎ越しの出来事とは、エジプト王が何度頼んでも、また何度災いが起きても、イスラエル人を奴隷から自由にしなかったので、とうとう神様が最終手段を用いざるを得なくなったことであるが、どういうものだったかはわからないが、「滅ぼす者」がエジプト人の家に入って子どもたちを死に至らせるというものであった。ところが、小羊を犠牲にして、その血を鴨居と入り口の2本の柱に塗った家は、滅ぼす者が過ぎ越していったというのである。これが原型となって、イスラエル人の正月の行事の過越祭となった。イエス様はわざわざ、この祭りの食事を最後の晩餐とし、それがひいては私たちの聖餐式の源流にもなったのである。
 一体なぜ、犠牲となった小羊の血が、滅ぼす者から子ども達をガードし、過ぎ越させたのかは、神様の説明がないので定かではない。小羊の血を塗るということは、あくまで動物の命に過ぎなかったが、その犠牲となった存在の命をいただき、その命を家の入り口や鴨居に塗って「この家は小羊の犠牲をいただいて生きて行く家です」と表明することを意味していたと思うのである。「小羊の命という犠牲をいただかなくては、この家は生きてゆけない」というカミングアウトなのであった。はっきりと神様に対して白旗を掲げて、他者の命という救急物資をいただくということを意味していたのである。それをしないエジプト人の家というのは、自分の家だけで閉じ、満足していたのである。他者の命を必要としなかった家なのであった。そのような家には、なぜか逆に滅びる者が入り込んできたのだった。
 イエス様が神の小羊として、私たちの罪を取り除いて下さるというのは、まず何よりも、病んでいる私たちが、神様が与えて下さった神の小羊であるイエス様の犠牲の命をいただく、ということを意味しているのである。私は、しばしばそれを、臓器移植を受けることにたとえてきた。病気の私たちが神の小羊としてのイエス様の命の犠牲をいただくとは、まさにこのようなことなのである。イエス様の存在、その命、その存在の力が、私たちに移植されて、病気である私たちのただ中で生きはじめ、機能しはじめることを意味しているのである。
 イエス様が持つ存在の力とは何であったか。それは、肉なる者として生きるところに神の似姿としてのあり方を発揮されたということだと思うのである。イエス様にとって肉なる者であることと神の似姿であることとは矛盾することではない。むしろ、肉なる者であることこそが神の似姿を成就することなのである。そのピークに、十字架の出来事があったのである。肉なる者であるがゆえに、その血や体を犠牲として与えることができたのである。肉なる者でなければそうはできなかったのである。神に似た者であるということは、イエス様にとっては、決して全能であったり支配者であったりすることを意味してはいなかった。むしろ、様々な制約の中に置かれながらも、誰かを助け、誰かに大事なものを与え得ることが、神の似姿の現れなのであった。このようなイエス様の存在の力を、その命を、私たちは移植していただくのである。臓器移植を受けた人は、涯免疫抑制剤を一生飲み続けなければならないが、移植された臓器は、ずっと働き続け、その人を生かしてゆく。そのように、イエス様という神の小羊による罪の取り除きも、即座になされるものではないのである。

筑波学園教会牧師 福島 純雄

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2017年 5月21日(日)復活節第6主日礼拝

『レビ記 25章 1~17節』

25:01主はシナイ山でモーセに仰せになった。 25:02イスラエルの人々に告げてこう言いなさい。あなたたちがわたしの与える土地に入ったならば、主のための安息をその土地にも与えなさい。 25:03六年の間は畑に種を蒔き、ぶどう畑の手入れをし、収穫することができるが、 25:04七年目には全き安息を土地に与えねばならない。これは主のための安息である。畑に種を蒔いてはならない。ぶどう畑の手入れをしてはならない。 25:05休閑中の畑に生じた穀物を収穫したり、手入れせずにおいたぶどう畑の実を集めてはならない。土地に全き安息を与えねばならない。 25:06安息の年に畑に生じたものはあなたたちの食物となる。あなたをはじめ、あなたの男女の奴隷、雇い人やあなたのもとに宿っている滞在者、 25:07更にはあなたの家畜や野生の動物のために、地の産物はすべて食物となる。 25:08あなたは安息の年を七回、すなわち七年を七度数えなさい。七を七倍した年は四十九年である。 25:09その年の第七の月の十日の贖罪日に、雄羊の角笛を鳴り響かせる。あなたたちは国中に角笛を吹き鳴らして、 25:10この五十年目の年を聖別し、全住民に解放の宣言をする。それが、ヨベルの年である。あなたたちはおのおのその先祖伝来の所有地に帰り、家族のもとに帰る。 25:11五十年目はあなたたちのヨベルの年である。種蒔くことも、休閑中の畑に生じた穀物を収穫することも、手入れせずにおいたぶどう畑の実を集めることもしてはならない。 25:12この年は聖なるヨベルの年だからである。あなたたちは野に生じたものを食物とする。 25:13ヨベルの年には、おのおのその所有地の返却を受ける。 25:14あなたたちが人と土地を売買するときは、互いに損害を与えてはならない。 25:15あなたはヨベル以来の年数を数えて人から買う。すなわち、その人は残る収穫年数に従ってあなたに売る。 25:16その年数が多ければそれだけ価格は高くなり、少なければそれだけ安くなる。その人は収穫できる年数によってあなたに売るのである。 25:17相手に損害を与えてはならない。あなたの神を畏れなさい。わたしはあなたたちの神、主だからである。

説教:『ヨベルの年』

1 レビ記は、イスラエル人がエジプトを脱出した後に、神様が与えた十戒を補うものとして付与されたものではないかと、私は理解してきた。神様は、エジプトで奴隷だったイスラエル人を救い出した。十戒とは、彼らをもう2度とそのような境遇に置かしめないための10の処方義として与えられたものだった。神様の私たちに対する御心が、二度と私たちを奴隷的な状況に置かないことにこそあるというのは、旧約聖書だけではなく、聖書全体を貫くものだと言ってもよいのではなかろうか。ヨハネによる福音書8章32節には、「真理はあなたがたを自由にする」とある。パウロも、ガラテヤ書の5章1節に「自由を得させるためにキリストはわたしたちを自由の身にしてくださったのです。・・・だから奴隷の軛(くびき)に二度とつながれてはなりません」と語っている。
 私たちは、二度と奴隷の軛につながれないためにとのことから、十戒やレビ記といった処方箋が与えられた。「安息の年とヨベルの年」を守るということである。1節には「主はシナイ山でモーセに仰せになった」とある。この処方箋は十戒を補うというよりは、十戒と同時に並列するほどに大切なものとして付与されたものとの位置付けがなされている。神様は、どのような御心をもって、私たちにこのような年を守るようにと教えているのか。また、それがいかなる意味で、私たちを奴隷の軛につながないようにするための処方箋なのか。それを学んでゆく。

2 まず安息の年というのは、7年目ごとに、土地に安息を与えるというものであった。端的には、休耕するということである。安息とは、ヘブル語で「シャバス」という。以前に、束北教区でともに宣教したアメリカからの宣教師は、7年目ごとに日本での仕事をいったん離れて本国アメリカへ帰っていた。また、私の母校、東京神学大学の先生らも、やはり7年目ごとに、丸1年とか丸半年とか(記憶が定かでないが)、普段の教務から離れる期間を与えられていた。正式には「サバティカル イア(Sabbatical Year)」とか「サバティカル シーズン」と言うのかもしれない。省略して「サバティカル」と呼んでいた。私は、今年で、この教会に赴任して7年日を迎えている。宣教師や母校の先生方にならえば、今頃はサバティカルを与えられているはずだったのかもしれない。しかし、残念ながら日本の牧師で、このようなシーズンを与えられているというのを聞いたことがない。
 ヨベルの年というのは、8節にあるように、7年毎の安息の年の7回目の年、つまり49年目から50年目の1年間を指す。ヨベルとは、この年の始まりを告げる49年目の第7の月(私たちの暦ではだいたい9月から10月)の10日に吹き鳴らされた雄羊の角笛の「角(つの)」を意味するとのことである。この年にどのようなことが行われたかを、13節以下に詳しく記されている。「全住民に解放の宣言」がなされ、「おのおの先祖伝来の所有地に帰り家族のもとに帰る」ことのできる年だった(10節)。
 先ほど、日本の牧師でサバティカルをもらっている例は聞いたことがないと申し上げた。イスラエルの人々の実生活においては、安息の年やヨベルの年が、果たしてほんとうに実施されていたのかどうかについては、疑間視されているようだ。残念ながら、私の手元にある神学書や辞典を調べても、実際はどうであったのかは、よくわからなかった。ネへミヤ記10章32節に「わたしたちは7年ごとに耕作を休み、あらゆる負債を免除する」ようにネへミヤが人々に誓約させたという場面が書かれている。バビロン捕囚から帰還した人々が、帰還から100年近く経って、やっとのことで城壁を再建できた記念の日(紀元前445年頃とされている)に、わざわざそのように誓約させて、実施を促さねばならなかったということは、逆に言えば、安息の年やヨベルの年というのは、現実には実施されてはいなかったことを物語っているのかもしれない。
 けれども、実際に実施されてはいなかったとしても、この処方箋に何の意味もないということにはならない。医者は、専門家の立場から、様々な指導や処方箋を与えてくれる。それに従わなかったとしても、その処方箋に意味がないということにはならない。それに従わなければ重大な健康上の問題が出てくるであろうし、専門家からの処方箋は、おりおりに日々の生活を振り返る機会を与えてくれる。25章16節には「あなたたちはわたしの掟を行い、わたしの法を忠実に守りなさい。そうすれば、この国で平穏に暮らすことができる」との神様の言葉が書かれている。従わなければ、平穏に暮らすことができなくなる。重大な結果が生じる。再び奴隷に軛につながれるということが起きてしまう。たとえ従わなくても、厳然として存在し、私たちに対する強い影響力を持っているものなのである。

3 安息の年というしきたりは、私たちに何をなさしめようとするものなのか。神様のどのような御心から、私たちに与えられた処方箋なのかを改めて考えてみたい。
 私たち人間が農耕を始めるようになって、土地をある一定期間ごとに休ませてやらないと作物が採れなくなるということは、随分早くから見いだされた普遍的な事実なのではなかろうか。そうだとすれば、神様がここで言わんとしているのは、改めてそのようなアドバイスをイスラエル人に与えるためではなかったと思うのである。ここで注目すべきは、2節と4節にある「主のための安息」という神様の言葉である。休耕するのは、土地のための安息ではないのである。また、土地が再び地味を回復し人間に収穫を与えるための安息でもないのである。人間のための安息でもないのである。「主のための安息」には、どのような意味が込められているのか。つきつめれば、「あなたがたが耕している土地は主のものなのだ」ということだと思う。主のものなのだから、創世記1章で神様が、7日目には創造の御業を休んで安息されたように、7年日には主の土地にも安息を与えねばならないということなのである。安息が必要なのは、土地のためでもなく耕作をする人間のためでもなく、神様が安息を求めておられるからなのである。
 そうすることによって、どのようなことが生じるのか。そうすることによって土地が、一旦は人間の手から離されることになる。土地が、人間の利用や収奪の対象から切り離されるということが起こる。そこにこそ神様の御心がある。7年日ごとのこの年がなければ、私たち人間は、目の前の土地がいつまでもどこまでも自分たちのものだと思い込んで、好き勝手に使うであろう。思うがままに用い尽くすであろう。それこそ、骨の髄まで吸い尽くして、土地を荒廃させてしまうであろう。また、土地を自分だけのものとして囲い込んで、他の人を締め出してしまうであろう。だから7年目には、所有はそのままであるとしても、利用の形としては、主のものとするのである。それによって、その年には奴隷や雇い人もまた動物たちもその土地を利用することができ、そこで自然に実ったものはすべての人が食べることができるようになるのである(6節)。普段、豊かな実りを享受していた人々も、その年だけは自然に実ったものしか食べることができない。「法の下の平等」という法律の基本原則があるが、安息の年が守られることで「主の土地の前における平等」というものが出現するのである。
 こういうわけで、安息の年を守るという処方箋は、私たちをして二度と奴隷の軛につながないためのものになるのである。出エジプト記の20章1節の十戒の、はじめの言葉を思い起こす。神様がイエスラエル人をそこから導き出した「エジプトの国・奴隷の家」こそが、象徴的に私たちを奴隷とするものなのである。王こそが、土地は我がものと言って独占しょうとする存在なのである。あるいは、私たち自身が王となってしまいがちなのである。私たちを土地に縛りつける王がいるのである。また、家、つまり家族という血のつながりもまた、土地を先祖代々からのものだと思いがちなのである。それが私たちを土地の奴隷にするのである。領土や先祖代々の財産の奴隷となってしまおうとする私たちのために、神様は7年目ごとに戦って下さろうとしているのである。

4 以上のことから、私たちにとって安息の年が、何を意味するのかがわかってくる。レビ記19章にある「刈り尽くしてはならない」という処方箋と重なるところがある。私たちにとって「土地」とは、人生のフィールドのことなのである。これを自分だけのものと思ってわがままに用い尽くしてはならない、味わい尽くしてはならないのである。神様のものとして、7年目(7という象徴的な数字である)にはお返しし、神様が生じさせて下さった食べ物だけをいただく時とするのである。だから、それは文字通りの意味での休み期間を意味してはいないのである。たとえば、生涯には必ず何度か、人生というフィールドが思い通りにならない時がやってくる。病気になったり、自分の願いとは反した事を担わせられたりという時期が来る。毎年毎年あったのでは倒れてしまうが、7年に一度なのである。わたしの牧師としての歩みを振り返ってみると、不思議なことに7年位に一度、自分の思いに反したことを担わせられるように感じる。この地に赴任して今年で7年目なので、もしかすると、そのようなことが近々生じるかもしれない。
 もうひとつ、7日目ごとの安息日の意義としては、イスラエル人が荒れ野を彷徨ったときのことを思い起こす。5日目までは日々その日のマナを集めねばならず、次の日の分まで集めても腐ってしまった。しかし6日目だけは、次の日の分まで集めることができた(出エジプト記16章)。この出来事の意味は何か。自分が食べ物を集めねば生きて行けないという毎日の思い煩いや労苦から、7日目だけは切り離すことにこそ、その意味がある。安息日の最も深い意義は、私たちが生きることを私たち自身が働かねばならないということから切り離すところにこそある。安息の年にも、同じ意味があるのだと思う。25章21節に出エジプト記のマナの出来事とぴったり重なる事が書かれている。
 私たちにとって、これはどのようなことを意味しているのか。それはたとえば、年金を受給できる年齢になれば、自分が働いて自分の生活を支えねばならないということから解放されることを意味しているかもしれない。そのようになったときに神様が、私たちの人生というフィールドに実らせて下さる食べ物がある。その食べ物は、6節にあるように、奴隷や寄留者といった貧しい人々、また動物たちの食べ物ともなるのである。私に例えれば、60歳になって、30年間牧師として培ってきたことがあるので、その余裕でもって、後輩たちを支えたり無牧の教会を支えたり、地区や教区・教団での奉仕を担えるということでもあるかもしれないと思う。いずれは現役の牧師という立場を離れて、一層そういう奉仕ができる時が与えられるということかもしれないと思うのである。
 49年、50年というのは、まさに私たちの人生のフィールドの時間そのものだと思うのである。私たちは、その間に、様々な負い目・負債を重ねてきたのではなかろうか。その結果として手放してしまった「先祖伝来の所有地」があると思うのである。それは本来、私たちのあるべき姿なのである。神様に似た者として創造された私たち本来のあり方なのである。ヨベルの年に、負債を負っているあり方から私たちが解放され、帰るべきところに帰れる日とは何を意味しているのか。神様の似姿であり、私たちのように負債を抱えてしまう人間ではないイエス様を信じて歩む生括こそ、このヨベルの年へと向かう歩みなのかもしれない。地上の生涯を終えて神様の御許へ召される時こそが、ヨベルの年なのかもしれないのである。

筑波学園教会牧師 福島 純雄

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2017年 5月14日(日)復活節第5主日礼拝

『ローマの信徒への手紙 15章 14~21節』

15:14兄弟たち、あなたがた自身は善意に満ち、あらゆる知識で満たされ、互いに戒め合うことができると、このわたしは確信しています。 15:15記憶を新たにしてもらおうと、この手紙ではところどころかなり思い切って書きました。それは、わたしが神から恵みをいただいて、 15:16異邦人のためにキリスト・イエスに仕える者となり、神の福音のために祭司の役を務めているからです。そしてそれは、異邦人が、聖霊によって聖なるものとされた、神に喜ばれる供え物となるためにほかなりません。 15:17そこでわたしは、神のために働くことをキリスト・イエスによって誇りに思っています。 15:18キリストがわたしを通して働かれたこと以外は、あえて何も申しません。キリストは異邦人を神に従わせるために、わたしの言葉と行いを通して、 15:19また、しるしや奇跡の力、神の霊の力によって働かれました。こうしてわたしは、エルサレムからイリリコン州まで巡って、キリストの福音をあまねく宣べ伝えました。 15:20このようにキリストの名がまだ知られていない所で福音を告げ知らせようと、わたしは熱心に努めてきました。それは、他人の築いた土台の上に建てたりしないためです。 15:21「彼のことを告げられていなかった人々が見、 聞かなかった人々が悟るであろう」と書いてあるとおりです。

説教:『誇りに思う』

1 タイトルに「宣教者パウロの使命」とある。伝道者としてのパウロの基本的なスタンスのようなものが改めて述べられている箇所である。
 パウロは、伝道者としての基本的なスタンスを繰り返し語った。パウロは、自分の働きをもっぱら異邦人―もともとユダヤ教とのつながりを持たないギリシャ・ローマの人々―のためのものと考えていた。そのことを、16節では2度、18節でも「異邦人を神に従わせるためにわたしの言葉と行いを通して」とあり、3度にわたって繰り返した。何げなく読み過ごしてしまうところだが、わたしはここにまず心を引き寄せられる。
 しかしパウロが、はじめから自らの働きを、そのようなものとして納得して受け取っていたかと言えば、決してそうではなかったと思うのである。パウロがもともとどのような人物で、どのような経緯でイエス様を信じ、イエス様の伝道者になったのか。フィリピの信徒への手紙の3章5節以下で、彼自身が「律法に関してはファリサイ派の一員、熱心さの点では教会の迫害者、律法の義については非のうちどころのない者でした」と語っている。パウロはかつては、律法の行いをすることによって、自分たちは神様に義としていただける―神様に結び付けていただける―と誰よりも信じ、熱心に律法の行いに励み、だからこそ律法の行いなどしなくとも神様に義とされると教えたクリスチャンや教会を迫害していた人だったのである。その彼が、復活のイエス様に出会い、ただ信者になっただけではなく、自分が敵対していた教えを宣べ伝える伝道者として選ばれたのである。
 伝道者とされた時点で、最初にパウロが抱いていたのは、かつてファリサイ人であり、誰よりも律法の行いを熱心にしていた自分だからこそ、律法の行いなどなくとも神様に義としていただけるという福音をユダヤ人に宣べ伝えるのに誰よりも最適な人間であろうとの思いではなかったか。たとえて言うなら、もともと仏教の僧侶が、クリスチャンになり、牧師になっって、そのような経歴の自分だからこそ、仏教徒にキリスト教を宣べ伝えるのには自分が最適だと考えるようなものである。このようにパウロは考えて、使従言行録を読み進めると、必ずユダヤ人が集まっている会堂に行って伝道をしていた様子が書かれていることに気づく。ところがそれは、うまくゆくどころかかえってユダヤ人からの猛反発を招いたことがわかる。ひと言でいえば、パウロは裏切り者として見られていたということなのであろう。熱心なユダヤ人であればこそ、かつての熱心な仲間の裏切りは許せなかったに違いない。

2 こういう経緯があって、心ならずもパウロはその伝道の対象を、同胞ユダヤ人から異邦人へと変えなければならなくなったのだと思うのである。パウロがもっぱら異邦人のために働く伝道者となったのは、いわば不本意ながら、そのようになって行ったのだった。パウロ自身の望みではなかったのである。彼が自らの伝道者としての基本的スタンスをもっぱら異邦人のためのものと語る姿には、伝道者として最初に思い描いていたものがうまくいかなくなって挫折した苦い体験が込められていると思うのである。
 しかしここで何よりも大事なことは、伝道者パウロが、その挫折や自分の思い通りにはいかなかったということを乗り越えて、なおも伝道者として歩んできたという点にある。「わたしの伝道の対象は、かつての仲間である熱心に律法の行いをするユダヤ人にこそあるのだ」とあくまでそこにしがみついて伝道者としてのスタンスを変えなかったならば、後のパウロはなかったのである。そのような方向転換ができたのは、もちろん神様でありイエス様であり聖霊の導きであったのだが、しかしそれをパウロが受容できたということも大きなよういんではなかったか。
 パウロをして、このうまくゆかない状況を受け入れさせ、また神様・イエス様・聖霊からの導きを受容させたものは何であったか。私たちもしばしば、願い通りにゆかない状況にぶつかる。そのようなときに、私たちをして、それを乗り越えさせ、なおも私たちがなすべきことをなさしめるところの神様の導きがある。しかし、それをどうやって私たちはキャッチできるのであろうか。思い起こしたのは、使徒言行録16章6節に書かれていたことである。パウロは、アジア大陸で伝道をすることができなくなってしまった。その結果、アジアの西の端のトロアスという港町にゆかねばならなくなった。パウロは、自分の望みから考えれば、どんづまりの状況にまで追い込まれてしまっていた。パウロは神様に幻を見せらた。それは、海を渡ったヨーロッパのマケドニアに住む人が「わたしたちを助けて下さい」と願う幻だった。このことからパウロは、アジア大陸を離れて海を渡り、ヨーロッパへと伝道をすることになったのだった。
 福音がヨーロッパへ渡ることになったのは、パウロの挫折からのことだったのである。思い通りゆかないことからもたらされたのだった。もしかしたら、実際に当時、マケドニアの人からS0Sの声が届いていたのかもしれない。聞こえていたけれども、アジアを離れて海を渡ってヨーロッパに行くなどどいうことは、到底考えられなかったので、全く耳に入ってこなかったのかもしれない。しかし、この幻を見たことを機に、その声を聞くことができるようになったのである。その声に応じようという気持ちを抱かせてくれたのである。こうしてパウロは、伝道者としての働きを、もっぱら異邦人へと向けてゆくこととなったのだった。神様の導きを具体的に表してくれるのは、現実の中での、ある人からの具体的なS0Sだったり、願いだったりするのである。挫折や、自分の思い通りにはうまくいかないという現実にぶつかったとき、それを乗り越えさせて下さる神様からの導きは、しばしば具体的な出会いから与えられるのである。そのような歩みを重ねて、パウロのように「私の働きは専ら異邦人のためのものだった」と述懐できるようになるのである。

3 このような、もっぱら異邦人のためのパウロの働きの中で「キリストがわたしを通して働かれたこと以外はあえて何も語らなかった」とパウロは語った(18節はじめ)。またその後に続くところでも「キリストは異邦人を神に従わせるために、わたしの言葉を行いを通して・・・働かれました」と語っている。端的に言えばパウロは、自分を通し、自分の言葉と行いを通し、その働きを通して、それがイエス様の働きだと言っているのである。何と傲慢な、何と不遜な言葉かとも思える。自分という人間を通して、またその言葉や行いを通して、そこにどうしてイエス様の働きが現れるなどと言えたのであろうか。そのようなことは、パウロが特別な伝道者だったから言えるのであって、到底私たちのような者に言えることではないと思えるかもしれない。しかし、そうではないと私は思う。伝道者も信徒も、このパウロと同じ言葉を大胆に言える者なのであって、そうであればこそ、私たちは、それを誇りに思えるのである。
 パウロは「キリストがわたしを通して働かれたこと以外はあえて何も申しません」と語った。自分がこれまで異邦人たちに語ってきたことは、イエス様がわたしを通して働いたと、言い方を変えれば、パウロが実際に自分のこととして体験し、体得したイエス様の働き以外のものは何もなかったと言ったのだった。そこにはかつて、パウロが信仰者となり、伝道者として召された復活のイエス様との出会いの体験があった。迫害者であった者を信者とし伝道者として立てられる驚くべきイエス様の選びということが根っこにあったのである。それがあったからこそ、律法の行いはいらないのだと、このイエス様に出会い捕らえられることで十分なのだと異邦人に語ることができたのである。
 パウロは自分の伝道者としての働きを16節では次のように語っている。「異邦人のためにキリスト・イエスに仕える者となり・・・祭司の役を務めているからです。それは異邦人が・・・なるためにほかなりません」と。それは何よりも祭司という働きをさしている。異邦人を神様へと導き、彼らが異邦人であるにもかかわらず神様の聖をいただいて聖なる者とされ、神様に喜ばれる存在となる仲介役が祭司の働きである。それは大変に難しい務めだが、それをする上で、何も特別なことを語る必要はなかったとパウロは言ったのだった。このわたしを通してイエス様がなして下さったこと以外を語る必要はなかったというのである。そうすることによって、それまで異邦人の祭司としての働きを十分にやってこれたと、伝道者としてイエス様の働きを表すことができたと。これは、同じ伝道者である私たち牧師にとっては、本当に励ましとなる御言葉なのである。
 私は、30年前に伝道者になったとき、毎週毎週の説教の準備を前にして「一体自分には何を語ることができるのか」と気が遠くなるような思いを味わっていたことを思い出す。今でも月曜日に次の主日の説教の準備を始めるときには、そのような思いを抱くことがしばしばである。しかし、これまで一度でも語るに窮したことはなかった。それは、1週間の精一杯の準備を通して、イエス様が私を通して働いてくださるからなのである。誠実に準備をすれば必ずそれを通してイエス様は働いてくださる。だから、率直にありのままに語ればよいのである。背伸びして語る必要はないし、自分の中を「通っていない」ことを語る必要もない。その、まことに足りない私たちの言葉であっても、また行いであっても、それがおのずと人々を神様のもとに誘い導くところの祭司の働きになるとパウロは告げてくれたのである。

4 パウロも私たち牧師も、そのようにして祭司としての働きをしてきた。しかし信従もまた、その周囲の人々を神様へと導く仲介役としての働きを委ねられているのである。18節の後半では「(その祭司としての働きは)わたしの言葉と行いを通し、またしるしや奇跡の力、神の霊によって」なされたとパウロは語っている。「わたしは、到底周囲の人々を神様へと導くようなすばらしい言葉など言えないし行いもできない。」「まして奇跡などとんでもない。」「むしろ私の言葉や行いは、祭司とは反対に、伴侶や子どもたちを神様から違さけるものでしかない。」そう思う人も多いかもしれない。しかし、奇跡の力というのは、私たちがすばらしい言葉や行いをするということによってもたらされるものではない。パウロをして、誰よりも異邦人を神様へと導き、祭司としての役目を果たさせたのは、追害者であったパウロを伝道者へと選んだイエス様の驚くべき働きであったに違いないのである。「この私が義とされたのだから、異邦人であるあなたがたも義とされるのだ。」と何よりパウロは語ったのだった。私たちが語り、行い示す奇跡とは、そのようなものなのである。つまり「私のような者が」と思う者が信仰者とされており、「私のようなものが」と思う者が牧師として30年間奉仕し続け、「私のような者が」と思う者が毎週教会の礼拝へと出席していることこそが奇跡なのである。何よりも「私のような者が」と思う者が信従であり礼拝に通っているということが、どのような言葉や行いよりも雄弁にイエス様の働きを語り、祭司としての務めを私たちにさせているのである。
 私たちのような祭司がいなければ、そのそばにいる一人を神様へといざなうことはできないのである。ある人を神様へといざなうイエス様の働きは、その人のそばにいる私たちの言葉と行いによってこそ現れるのである。直接のイエス様の働きではなく、他でもない私たちの言葉と行いを通して働くのである。その私たちの働きは、パウロの働きがそうであったように、かつては迫害者でありユダヤ人からは受け入れられず、かえって騒動を引き起こしたように、すぐにはうまくゆかない働きなのである。パウロが、決して誰にでも受け入れられる伝道者ではなかったように、私たちもまた同じような者なのである。しかし私たちの言葉と行いを通してイエス様の働きが現れ、私たちは祭司として用いられるのである。それを私たちは、誇ろうではないか。

筑波学園教会牧師 福島 純雄

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2017年 5月7日(日)復活節第4主日礼拝

『ヨハネによる福音書 1章 19~28節』

01:19さて、ヨハネの証しはこうである。エルサレムのユダヤ人たちが、祭司やレビ人たちをヨハネのもとへ遣わして、「あなたは、どなたですか」と質問させたとき、 01:20彼は公言して隠さず、「わたしはメシアではない」と言い表した。 01:21彼らがまた、「では何ですか。あなたはエリヤですか」と尋ねると、ヨハネは、「違う」と言った。更に、「あなたは、あの預言者なのですか」と尋ねると、「そうではない」と答えた。 01:22そこで、彼らは言った。「それではいったい、だれなのです。わたしたちを遣わした人々に返事をしなければなりません。あなたは自分を何だと言うのですか。」 01:23ヨハネは、預言者イザヤの言葉を用いて言った。「わたしは荒れ野で叫ぶ声である。『主の道をまっすぐにせよ』と。」 01:24遣わされた人たちはファリサイ派に属していた。 01:25彼らがヨハネに尋ねて、「あなたはメシアでも、エリヤでも、またあの預言者でもないのに、なぜ、洗礼を授けるのですか」と言うと、 01:26ヨハネは答えた。「わたしは水で洗礼を授けるが、あなたがたの中には、あなたがたの知らない方がおられる。 01:27その人はわたしの後から来られる方で、わたしはその履物のひもを解く資格もない。」 01:28これは、ヨハネが洗礼を授けていたヨルダン川の向こう側、ベタニアでの出来事であった。

説教:『わたしは違う』

1 著者ヨハネは、1章1節から18節までのプロローグの部分で、私たちに命や光をもたらす神様の創造の御業の核には「ロゴス」というものがあると語った。ロゴスという言葉は、この福音書が書かれたとされるエフェソ周辺に暮らすギリシャ・ローマの人々にとっては、特にギリシャ語を話すユダヤ人にとっては、とても馴染み深い言葉だったようである。そして、このロゴスが、体となり肉となったのが救い主であるイエス様であるとヨハネは語った(14節)。「イエス様が肉となって、私たちの中に宿って下さったことを通して、神様はその創造の御業を私たちの肉においてなされるのである。それによって肉なる私たちに、命や光がもたらされるのである。だからこそ肉となられたイエス様が、私たちの救い主なのである。」とヨハネは語ったのだった。
 そして19節からが、いよいよ、イエス様が救い主であるとの本論なのである。その宣べ伝えの最初として、著者ヨハネが登場させたのが、洗礼者ヨハネであった。1節から18節までのプロローグの部分にも2度、この洗礼者ヨハネについて言及されていた。6節から8節と、15節である。著者ヨハネは、このプロローグ部分を書くのに、壮絶ともいえるような精力を傾けていた。その部分に洗礼者ヨハネを2度も登場させたということは、熟慮の末にロゴスという用語を用いたように、じっくり考えて洗礼者ヨハネの証言を用いたのだということが想像されるのである。エフェソ周辺で暮らす人々にイエス様のことを宣べ伝えようとしたとき、「まず洗礼者ヨハネの言葉を用いるのが有効であろう」との事情があったに違いない。
 その事情をうかがわせる指摘を注解者がしている。使徒言行録の18章24節から19章7節にかけて興味深い記事が書かれているとのことである。19章の記述を紹介したい。パウロが、この福音書が書かれたとされるエフェソに行ったときに「何人かの弟子に出会い」、彼らに「どんな洗礼を受けたか」と尋ねたところ「ヨハネの洗礼です」と答えたというのである。そこでパウロは「ヨハネは自分の後から来る方、つまりイエスを信じるようにと民に告げて、悔い改めの洗礼を授けたのです」と言って、主イエスの名によって洗礼を授けたと書かれている。これはヨハネの福音書が書かれたよりも、かなり前の出来事であるが、エフェソの町には洗礼者ヨハネから洗礼を受けた人々が多くいたことがうかがわれる。洗礼者ヨハネから洗礼を受けたけれども、まだイエス様を信じるには至っていなかった人々が、おそらくこの福音書が書かれた時代にも多くいたのではなかろうか。彼らは、洗礼者ヨハネが救い主なのだと信じていたのかもしれない。そういう人々に、洗礼者ヨハネが、イエス様こそが救い主だと証言したこと、そして自分は救い主ではないと強く語ったことを、ヨハネはこの福音書でまず描くことによって、─次の1章35節以下には、イエス様の最初の2人の弟子が何と、洗礼者ヨハネの弟子であったことが書かれているが―洗礼者ヨハネから洗礼を受け、またヨハネを信じていた人々の中からイエス様を信じる人々をまず、起こそうとしたのだと考えられる。
 この福音書での、他の3つの福音書と比べて洗礼者ヨハネの描き方の大きな違いは、他の3つの福音書がすべて記しているところ誰もが知っていた事実であるところの、イエス様が洗礼者ヨハネにより受洗されたことを著者のヨハネは、あえて書かなかったという点にある。その理由が、エフェソの町における特別な事情ということなのである。ヨハネは、もしそれを書いたならば、洗礼者ヨハネを信じて彼から受洗した人々に余計な混乱を与えるのではないかと危惧したのであろう。

2 さて、そこで著者のヨハネが描いた洗礼者ヨハネによる証言の第一は、自分はメシア(救い主という意味)ではなく、またメシアが来られる時の先触れとしてやってくると信じられていたエリヤでもなく、またそれ以外の預言者でもないとの三度の否定によるものであった。この三度の否定を記した意図は、洗礼者ヨハネをメシアと信じていた人々に「洗礼者ヨハネ自身が三度、はっきりと否定したではないか」ということをまず思い起こさせる点にあったのである。しかしそれ以上の意図も込められていたと感じられるのである。
 洗礼者ヨハネとは、エルサレムから当時の宗教的・政治的な指導者層であったユダヤ人が、わざわざ祭司やレビ人を遣わして、このような質問を何度もさせるほどの有名人であった。そこには、彼らの切実な期待も含まれていたのである。「あなたがメシアであって下されば、たとえそうでなくてもメシアの先触れとして到来するエリヤのような預言者であってくれたなら、どんなにかすばらしいだろうか」という願いが込められていた問いかけなのであった。指導者層の人々は、洗礼者ヨハネほどに人々への影響力を持つ有名な人であったならば、もしかすれば救い主ではないかと思ったのだった。人々への影響力や有名であることを救い主であるということの判断基準としたのだった。それは、指導者層だけではなく、当時の人々がみな、そのような見方をしていたと考えられる。しかし洗礼者ヨハネは、これを三度も否定したのだった。著者のヨハネは、ここに、どのような人を救い主とするかについての洗礼者ヨハネからの教えを語ろうと意図たのだった。
 紀元1世紀のパレスチナや小アジアには、自称メシアという者が幾人も登場したようである。たとえば使徒言行録の5章33節以下には、当時の有名な律法学者であったガマリエルの言葉として、「以前にもテウダが自分を何か偉い者のように言って立ち上がり、その数400人くらいが彼に従ったことがあったが、彼は殺され、従っていた者は皆散らされて跡形もなくなった。その後、ガリラヤのユダが立ち上がり・・・ちりぢりにさせられた」と書かれている。ヨハネによる福音書が書かれた西暦100年頃のエフェソでは、どのようだったのかは知る由もないが、要は、「影響力を持つ人や有名な人だからといって救い主だと信じてはならないのだよ」との語りかけを著者ヨハネはしたのである。26節には「あなたがたの中には、あなたがたの知らない方がおられる」との洗礼者ヨハネの言葉が書かれている。「十字架の上で殺されたような人が、どうして救い主なのかわからない」ということがあるかもしれない。しかし、「ただ有名だからという理由で、あるいは、救い主に違いないと目に見えてわかるからと言って信じてはいけない」と言っているのである。

3 この洗礼者ヨハネの三度の否定の箇所を読むたびに、考えさせられる点がある。人々への大きな影響力を持ち、当時の指導者層からも期待され注視されていた洗礼者ヨハネであった。彼が、使徒言行録に記されているテウダやガリラヤのユダのようになってしまう危険・誘惑が強くあったと思うのである。指導者層から何度も何度もこのような問いかけや期待が投げかけられたときに、否定せずに「私はそうだ」と言わせてしまう誘惑があったに違いないと思うのである。しかし、それを肯定してしまったなら、洗礼者ヨハネは、まさにテウダやユダのように跡形もなく消えてしまうしかなかったのである。洗礼者ヨハネは、滅びてしまうしかなかったのである。
 私たちも、このような危険や誘惑の中にしばしば置かれる者ではないかと感じる。勿論、私たちは、人々からメシアだとかエリヤだとかという期待をかけられる程の者ではないかもしれない。しかし、「あなたにはこうあってほしい」、「あなたはこうではないのか」と私たちのそれぞれが置かれたところで、様々な期待をかけられることがある。それに対して「わたしは違う」ときっぱりと言うことは本当に難しいことなのである。誰も期待などかけてもいないのに、勝手に自分でそういう期待を作り出して「わたしはそうならねばならない。そうならない自分には価値がない」などと思ってしまうことすらある。
 「メシアコンプレックス」という言葉を聞いたことがあるだろうか。医療従事者や福祉従事者、また宗教家に多い症状だという。自分がその場所においてメシアにならねば、つまり人々の期待に応えねばらないと張り切るあまりに燃え尽きてしまう症状を言う。洗礼者ヨハネは、今まさにこのメシアコンプレックスの中に呑み込まれようとしていたのであった。しかし彼は、それを脱したのだった。彼は三度も「私は違う」と言うことができたのだった。人々の期待をはっきりと拒むことによって、彼は飲み込まれる危険から脱したのだった。私たちが周囲の人々からの期待に対して、間違った応えをして滅びてしまうことに対して、洗礼者ヨハネの姿は、とても大事な示唆を与えてくれると思うのである。

4 このように洗礼者ヨハネが周囲からの期待をきっぱりとはねのけて「自分は違う」と言うことができたのはなぜかと言うと、それは洗礼者ヨハネには、神様が彼に与えた務め・使命は何かということが、しっかりとわかっていたからだと思うのである。
 祭司やレビ人からの質問に、23節で彼はイザヤ書の御言葉を引用しつつ、自分の務めは「主の道をまっすぐに」するものだと答えた。自分の後からやって来る救い主が行なうであろう道づくりの、自分はあくまでも準備のための道を作る務めに過ぎないと言ったのだった。洗礼者ヨハネは、自分が備えるのは、救い主が神様へと人々を至らせようとする同じ道ではないことを認識していたのである。洗礼者ヨハネは、自分の作る道と自分の後に来られる救い主が作る道が、どれほど違うかをしっかりと悟っていた。その思いが「その人はわたしの後に来られる方で、わたしはその履物のひもを解く資格もない」との言葉に現れていたのである。
 洗礼者ヨハネは、そのような道を備えるために、自分は水で洗礼を授けているのだと語った。彼が作る道とは、水で洗礼を授けることによって設けられる道なのであった。ユダヤ人は、昔から水で体を清め、汚れを洗い流すことをしていた。またユダヤ人ではない人々が改宗する際に、そのような儀式をしていたといわれている。洗礼者ヨハネが作った道の特徴は、この儀式、すなわち洗礼を、ユダヤ人すべてに施したことにあったのではないかと私は思うのである。ユダヤ人であっても水で洗い清めねばならない汚れを持っているとして、すべての人に等しく洗礼を授けたのだった。すべての人が汚れを持っているゆえに神様によって清めていただかなくてはならないとの宣べ伝えが、洗礼者ヨハネがイエス様の先駆者として備えた道ではなかったか。しかし、どうやって実際に人々が抱えていた汚れを洗い清めていただけるのか。それは洗礼者ヨハネには、本当のところはわからなかったのである。「自分の後にこられるメシアこそがそのことを成し遂げて下さる。自分がやれるのは、自分の後に来る方のなさることの先駆け、あるいは、それを模するだけのこととして水で洗礼を授けることしかできない」と考えていたのだった。
 洗礼者ヨハネは、人々に水で洗礼を授ければ授けるほど、その限界に気が付いたのではなかったか。それはあくまで水による洗い清めにすぎなかった。水による洗い清めがどうして私たちが根源から抱えている汚れを洗い流すことができるであろうか。その限界に気づいたからこそ、誰よりも強く、またはっきりと、それができるでろう自分の後から来る方を求めるようになっていったのであろう。
 こうして著者ヨハネは、罪を清められることを求めて洗礼者ヨハネから洗礼を受けた人々や、また洗礼者ヨハネを救い主として信じていた人々に、また広く自らの汚れというものをきれいにしていただきたいと願っていた人々に、それをして下さるのはイエス様だと語ろうとしたのだった。

筑波学園教会牧師 福島 純雄

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2017年 4月30日(日)復活節第3主日礼拝

『レビ記 10章 1~11節』

10:01アロンの子のナダブとアビフはそれぞれ香炉を取って炭火を入れ、その上に香をたいて主の御前にささげたが、それは、主の命じられたものではない、規定に反した炭火であった。 10:02すると、主の御前から火が出て二人を焼き、彼らは主の御前で死んだ。 10:03モーセがアロンに、「『わたしに近づく者たちに、わたしが聖なることを示し、すべての民の前に栄光を現そう』と主が言われたとおりだ」と言うと、アロンは黙した。 10:04モーセはアロンのおじウジエルの子、ミシャエルとエルツァファンを呼び寄せて、「進み出てきて、あなたのいとこたちを聖所から宿営の外に運び出せ」と命じた。 10:05彼らは進み出て、モーセの命令に従い、祭服を着たままの二人を宿営の外に運び出した。 10:06モーセは、アロンとその子エルアザルとイタマルに言った。髪をほどいたり、衣服を裂いたりするな。さもないと、あなたたちまでが死を招き、更に共同体全体に神の怒りが及ぶであろう。あなたたちの兄弟であるイスラエルの家はすべて、主の火によって焼き滅ぼされたことを悲しむがよい。 10:07しかし、あなたたちは決して臨在の幕屋の入り口から出てはならない。さもないと死を招くことになる。あなたたちは主の聖別の油を注がれた身だからである。彼らはモーセの命じたとおりにした。 10:08主はアロンに仰せになった。 10:09あなたであれ、あなたの子らであれ、臨在の幕屋に入るときは、ぶどう酒や強い酒を飲むな。死を招かないためである。これは代々守るべき不変の定めである。 10:10あなたたちのなすべきことは、聖と俗、清いものと汚れたものを区別すること、 10:11またモーセを通じて主が命じられたすべての掟をイスラエルの人々に教えることである。

説教:『祭司のなすべきこと』

1 私は、レビ記というのは、イスラエル人が出エジプト直後に神様から与えられた十戒を補うものではないかと理解してきた。神様は「エジプトの国」や「奴隷の家」といった言葉が象徴的に示している奴隷というようなものに、イスラエル人が二度とならないために、その具体的な処方箋として十戒を授けたのだった。そして十戒で示しきれなかったものが、このレビ記で補われていると受け止めてきた。
 このレビ記には、3つの柱がある。すでにその二つを学んできた。1つ目は神様に献げ物を献げるということであり、2つ目はあなたがたも聖なる神様のように聖なる者であれという教えであった。そして3つ目が祭司についての定めである。3つの柱の中で、中心的な柱と言ってよいのは「わたしは聖なる者であるからあなたたちも聖なる者となりなさい(レビ記11章45節)」という教えだと思う。イエス様が山上の説教の中で「あなたがたの天の父が完全であられるように、あなたがたも完全な者でありなさい(マタイによる福音書5章48節)」と言った。この言葉は、レビ記にあるものが言い換えられたものである。だから、この柱はレビ記だけ、また旧約聖書だけを貫いているものではなくて、聖書全体を貫いている大黒柱と言ってもよい教えなのである。レビ記における他の2本の柱も、この大黒柱を建てるためにこそ必要なものだと言ってよいであろうし、祭司という存在も、要は神様が聖であるように、わたしたちも聖なる者となるためにこそ必要なものなのである。

2 さて、そもそも聖なる神様と同様に私たちもまた聖なる者となるということはどういうことなのか。また、なぜそのことが私たちをして「エジプトの国」や「奴隷の家」といった言葉で象徴的に示されるところから導き出される処方箋となるのかということは、聖書全体を貫く大黒柱のようなものなので、何度学んでも学び過ぎるということはないのである。
 10節に「聖と俗、清いものと汚れたものを区別する」という文言があって、私たちはどうしても神様の聖ということを「清さ」と同義語だと考えてしまいがちである。また、1節以下に書かれているような出来事があり、その出来事を受けての3節には「わたしに近づく者たちにわたしが聖なる事を示そう」とあることから、どうしても私たちは、神様の聖とは恐ろしいこと、つまり不用意に私たちが神様の聖に触れると、それによって滅ぼされるようなこととして受け取ってしまうのである。「神聖にして犯すべからず」という言葉のように。しかし、神様の聖とはそもそもそういうものであろうかと、神様が聖なるお方だから私たちも聖なる者となれとは、そのような恐ろしい教えや処方箋なのだろうかと私はいつも思い、それを繰り返し申し上げているのである。
 エズラ記9章6節以下で、エズラは「(自分たちがバビロン捕囚を生き延びることができたのは)あなたの聖なるところによりどころを得るようにさせられ」たからだと語っている。「こうして、私たちの神はわたしたちの目に光を与え、奴隷の身にありながらも、わずかに生きる力を授けて下さいました」と彼は祈った。このエズラが祈ったことこそが、神様の聖をよりどころとして捕囚だったイスラエル人が聖なる者とされたゆえのことだと私は思うのである。では、それは捕囚だった彼らが、いわゆる清いとされる者となることだったのであろうか。神様の神聖さに近づかず犯さないということを意味していたのであろうか。いや、そうではなかったと私は思うのである。もし清さを保つというのであるならば、そもそもバビロニアで捕囚状態にあったことこそが、もはや汚れていたとしか言いようがないと私は思うのである。ローマの信徒への手紙には、汚れているとされる食べ物を食べてよいかどうかということが、教会の中で大きな問題となっていたと書かれていた。バビロニアで捕處状態にあったイスラエル人が汚れていない食べ物など手に入れることができただろうか。そのようなことにしがみついていたならば、50年以上続いた捕虜状態において、彼らは到底生き残ることなど決してできなかったと私は思うのである。

3 では、神様の聖をよりどころとし神様が聖であるように私たちも聖なる者となるとは、いったいどういうことなのだろうか。150ある詩編の中で、私自身が最も好きな103編の5節まででは、まず1~2節に「私の魂よ、わたしの内にあるものよ、こぞって聖なる御名をたたえよ。主の御計らいを何ひとつ忘れてはならない」と書かれている。「聖なる神様を忘れるな、その御計らい・御業を忘れるな、ひとつ残らず数え上げよ」というのである。では、聖なる神様の御業とは何かというと、3節以下にそれが数え上げられている。「主はお前の罪をことごとく赦し、病をすべて癒し、命を墓から贖い出して下さる。慈しみと憐れみの冠を授け、長らえる限り良いものに満ち足らせ、鷲のような若さを新たにして下さる」と。
 ここには、私たちが「清さ」ということで理解しているようなことは書かれてはいない。私たちが不用意にそれに近づくと滅ぼされるような恐ろしい神様の御業が、神の聖として数え上げられてはいないのである。むしろ私たちを滅ぼすのとは正反対の神様の御業が数え上げられているのである。ここでの私たち人間の有り様は、普通に考えられている神様の聖によって拒まれ遠さけられ近づくのを許されないようなものばかりである。汚れ・破れ・病・老いをかかえて死んで墓に行くしかない状態である。神様はそのような私たちを決して滅ぼすことをしないのである。その反対に、神様だけが持つ良いもので赦し、癒し、繕い、覆い、くるんで下さるのが聖なる神様の御計らいだと語っているのである。これこそが神様の聖なのである。神様の良いものをいただくということ、それに包まれくるまれることが、私たちも聖なる者となるということに他ならないのである。それは、私たち自身が、いわゆる清いものになることなどは、決して意味してはいないのである。私たち自身が神様と同じょうな性質を持つようなことなど意味してはいない。ただただ神様のすばらしい御計らいをいただくことなのである。
 このことが私たちをして、「エジプトの国」とか「奴隷の家」とかの言葉で象徴的に示されている状態から解放して下さるのである。「家」というものは、つまり血のつながりをさしているが、国や血のつながりが、ここにあるような神様の聖なる御業というものをしてくれるであろうか。国や血のつながりをよりところにして生きることが、わたしたちを長らえる限り良いものに満ち足らせてくれるであろうか。血のつながりであっても、そうなった私たちをいかんともできないのである。ましてや国はそうなった私たちを切り捨てるしかしないであろう。もちろん国も大事である。血のつながりも不可欠である。しかし国も家もどうしようもできないことを、聖なる神様だけがして下さるのである。そのように国や家を見ることができるということが、私たちをそこから自由にするのである。

4 このようなことから神様は、祭司という存在が不可欠だと言っているのである。祭司のなすべきこととは、10節と11節に「あなたたちのなすべきことは、聖と俗、清いものと汚れたものを区別すること、また・・・教えることである」とある。
 一体何が神様の聖なのか、そして日々の生活の中でその神様の聖にあずかって生きるとは具体的にどういうことなのかを、祭司は教えてくれるのである。私たちだけでは、それがどういうことなのか、わからないからである。しばしば私たちは「神様が聖であるように私たちも聖である」ことを全く間違って受け取ってしまう。私たちは、聖などではないことを聖なることと受け取ってしまう。国や血のつながりに縛られて、いつのまにか国や家が聖なることだと思ってしまう。逆に、神様がその聖によって与えて下さったことがわからず、それを俗なることだとか汚れとして受け取ってしまうのである。だから、それを祭司から教わる必要があるのである。ではそれができる真の祭司は誰なのか。牧師であろうか。いや、そうではないのである。イエス様だけが本当の祭司なのである。
 1節以下に書かれている出来事は、人間の祭司がしばしば神の聖を間違って作り出してしまうことを象徴的に描いていると思う。アロンの二人の息子のやったことのどこが、「主の命じられたものではない、規定に反した炭火」であったかは定かではない。1節のはじめに「それぞれ香炉を取って」とあるので、祭壇に置かれていた香炉からではなく、私物の香炉から炭火を取って香をたいたということなのかもしれない。このように、いかに正式な祭司と言えども、神の聖を間違ってしまうのである。「それぞれ」の自分勝手な神様の聖を作り出してしまい、それを人々に示してしまうのである。
 レビ記の多くの部分は、出エジプト直後に語られたというよりは、ずっと時代が下った、祭司が中心になって神様の聖とは何か汚れとは何かをかなり強固なものとして定着させた時代に書かれたものである。けれども、その祭司の教えが、果たして神様の御心にかなっていたのか、神様の聖を正しく教えていたと言えるのかは、はなはだ疑間なのである。1節以下の出来事というのは、このようなレビ記の文脈においては、祭司による正しい聖と汚れの教えこそが大切との教訓を引き出すためのエピソードとして語られているのだろうと思う。しかし私には、もっと根源的に、おおよそ人間でしかない祭司の教えには間違いが潜むということ、本当の神様の聖を必ず踏みにじる危険性を持っていることこそを示唆する出来事として理解したいのである。
 であるから、私たちにとっての本当の祭司はイエス様ただお一人なのである。イエス様が十字架の上で「わが神・・・見捨てられたのですか」と叫んで息を引き取られたとき、神殿の垂れ幕が真っ二つに裂けたことを思い起こす。イエス様の十字架の出来事こそが、何が神様の聖であり何が汚れであるかを明らかにして下さったのである。それまでの聖と汚れの間違った区別が破棄されたのである。間違った区別を教えられて神様の聖さが怖くて近づけなかった私たちを、そのようにできるようにして下さったのである。それまでは、苦しむこと、十字架の上で殺されること、また神様が自分を見捨てられたのではないかなどと口にすることは汚れでしかなかったのである。しかしイエス様は、それが聖なる神のひとり子の有り様であり、故に聖なる出来事なのだと教えて下さったのでる。復活の出来事によって、死んでしまうことや、遺体となって墓に葬られてしまうこともまた、聖なるものだと教えて下さったのである。
 私たちは、イエス様というただ一人の真実な祭司によって立てられた祭司なのである。牧師は何よりもそういう存在であるが、しかし信従であっても、それぞれのところで祭司として遺わされているのである。モーセが神様から最初に言われた言葉は「あなたの立っている場所は聖なる土地だ」であった。しかし、それを告げるのが祭司たる私の務めです。「あなたの立っている場所は聖なるところなのだよ、すばらしい場所なのだよ」と告げることのできる祭司でありたいと思う。

筑波学園教会牧師 福島 純雄

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2017年 4月23日(日)復活節第2主日礼拝

『ローマの信徒への手紙 14章 13~23節』

14:13従って、もう互いに裁き合わないようにしよう。むしろ、つまずきとなるものや、妨げとなるものを、兄弟の前に置かないように決心しなさい。 14:14それ自体で汚れたものは何もないと、わたしは主イエスによって知り、そして確信しています。汚れたものだと思うならば、それは、その人にだけ汚れたものです。 14:15あなたの食べ物について兄弟が心を痛めるならば、あなたはもはや愛に従って歩んでいません。食べ物のことで兄弟を滅ぼしてはなりません。キリストはその兄弟のために死んでくださったのです。 14:16ですから、あなたがたにとって善いことがそしりの種にならないようにしなさい。 14:17神の国は、飲み食いではなく、聖霊によって与えられる義と平和と喜びなのです。 14:18このようにしてキリストに仕える人は、神に喜ばれ、人々に信頼されます。 14:19だから、平和や互いの向上に役立つことを追い求めようではありませんか。 14:20食べ物のために神の働きを無にしてはなりません。すべては清いのですが、食べて人を罪に誘う者には悪い物となります。 14:21肉も食べなければぶどう酒も飲まず、そのほか兄弟を罪に誘うようなことをしないのが望ましい。 14:22あなたは自分が抱いている確信を、神の御前で心の内に持っていなさい。自分の決心にやましさを感じない人は幸いです。 14:23疑いながら食べる人は、確信に基づいて行動していないので、罪に定められます。確信に基づいていないことは、すべて罪なのです。

説教:『信仰共同体のあり方』

1 信仰共同体のあり方について、大切なアドバイスが与えられている。14章1節以下から、ローマ教会の中に対立が起きていたことがわかった。13節に「もうお互いに裁き合わないようにしましよう」とある。14節と15節には、食べ物が汚(けが)れているとか汚れていないという文章が書かれている。ある食べ物を巡って、それを「汚れたもの」として食べなかった人々と、「いやそれは汚れている食べ物などはない」と言って何でも食べていた人々との対立があったことがうかがえる。その対立の根っこには、この福音書がずっと扱ってきたところのローマ教会の根深い問題、即ちギリシャ・ローマ人からクリスチャンになったいわゆる異邦人クリスチャンと、先祖伝来のユダヤ人からクリスチャンになった人々との対立が関係していただろうと思わざるを得ないのである。そういう背景があったがゆえに、この問題を扱った最後のまとめというべき15章7節以下のところで「福音はユダヤ人と異邦人のためにある」とのタイトルがつけられたのであろう。
 このような対立は、世俗の人間の集まりでも起こることであろう。しかしそれが13節にあるように「お互いを裁く」というところまでは発展しないだろうと、私は思うのである。「裁く」という言葉は、もともとの意味は「裁断する」「切る」という非常に強い言葉で、相手の人格をばっさりと否定するというような意味を持った言葉である。「何でも食べてよい」という人と、「野菜しか食べない」という人との間で、お互いを揶揄しあうというようなことはあるかもしれない。しかし、相手の人格を否定するというところまで発展することはないだろう。ところが、信仰共同体では、往々にしてそうなってしまうのである。それが信仰共同体ならではの難しいところかもしれない。
 なぜそうなってしまうのか。要は、その食べる食べないという判断について、それぞれの信仰がからんでくるからなのである。それぞれの信仰において、食べること、また食べないことが、あたかも神様からの絶対的な指示・命令・物差しのようになってしまっているのである。本当はそうではないのに、そうなってしまい、お互いにその絶対的と信じる物差しを当てあって、お前は神様が示した基準に合わないと言って「裁く」の言葉通りに相手をばっさりと切り捨てるのである。

2 このようなローマ教会の対立に対して、パウロが語ったアドバイスは、信仰共同体において「神様が与えて下さった本当に絶対的な物差しは何か」ということだった。それがクリアされれば、逆に相対的であってよいこと、つまり各人がそれぞれの信仰において多様でありバラバラであり自由であってよい部分がはっきりしてくるのである。そのようなバラバラであってよい部分については、多様性を認めて、たとえ違っていても裁くことはせずともよいのだということがわかってくるのである。
 では、信仰共同体において神様が与えて下さっている絶対的な物差しは何なのか。14章の前半に、ずっと繰り返されていることだが、神様がイエス様が主人であり私たちはその召し使いなのだということがそれである。そして私たちが召使いとして生きる具体的なあり方は、11節で引用されている旧約聖書の箇所(これはイザヤ45章と49章からの引用)に、「すべての舌が神をほめたたえる」とあるように、要は礼拝を献げる姿なのである。礼拝を献げることが唯一の神様からの物差しであり、それ以外は、どうでもよい事柄だということである。神様をイエス様を主人として礼拝を捧げているのなら、日々の生活において何を食べるとか食べないとかはどうでもよい問題なのである。
 しかし、信仰共同体としての教会は、ただ礼拝に関する事柄だけを扱っているというわけにはゆかない現実がある。本日のこの礼拝後の教会総会では、いつもの議題に加えて2年ほど前に召天された姉妹が教会に遺贈して下さった家と土地を、現在管理人としてお住まいになって下さっている兄弟に買っていただくという特別の事柄を議さなくてはならない。教会は、この世にあっては、信仰共同体・礼拝共同体であるだけではなく、財産を持ったりお金を扱ったりしなければならない組織でもある。それもまた教会にとって無視できない大事な事柄であることは確かなのである。そこでしばしば意見の対立が起こるのである。私の父は、教会の移転問題を巡って牧師や他の役員たちと対立して、教会を離れてしまった。このよう私たちに、聖書が語りかけているのである。そのような事柄を巡って、どうしても意見のぶつかりあいは避けられず、批判の応酬もあるかもしれない。しかし、それは信仰共同体にとっての根幹の事柄ではない。神様から与えられた絶対的な物差しを当てて裁き合うべき事柄ではないのである。神様をイエス様を主人として礼拝を献げるということだけが根幹なのであるから、これ以外の点では、意見の一致をみることがなくてもよいのである。同じにならなくてもよい。それがないからと言って信仰共同体に失望し、私の父のように礼拝共同体から離れてしまうということではいけない。礼拝を共にしていれば、あとはバラバラであってよいしバラバラでしかありえない事柄がある。
 こういう事柄について教会が事を決しなければならないからこそ、総会という会議を開くのである。そこでは、誰かが主人にならないため、神様が主人であることが目に見えて現れるため、多数によって決するのである。また普段の意志決定は、この総会の場で選挙によって選んだ役員・長老・執事たちに委ねるのである。その決定は、それぞれの思いとは違うかもしれない。しかし、それが、信仰共同体にとっては、いわばどうでもよい事柄であれば、安々と受け入れればよいのである。自分と違う判断であってもよいのである。大事なことは、礼拝を献げることなのだから。信仰共同体が礼拝共同体であるかいなかこそが、その共同体を計る唯一の絶対的な神様からの物差しなのである。

3 パウロは、このようにローマ教会において生じていた間題へのアドバイスを語ってきたが、なお足りないものを感じ、さらに書き加えたのだった。一緒に礼拝を守っているのだから、ある者が肉を食べようとも、別のある者が食べないことがあったも、そのようなことなどどうでもいいことじゃないかとパウロは勧めたのだったが、それだけでは対立が解消しないだろうと感じたのであろう。
 ローマ教会で起きていた対立が典型的に生じていたある具体的な場面として、私はこんなシーンを想像してしまう。私たちも月に一度、愛餐会を行なっている。初代の教会では、礼拝の中で愛餐会をよく行なっていたようである。聖餐式と愛餐会の区別ができないほどであった様子が、コリント人への手紙に描かれている。そこであるとき、先祖伝来ユダヤ人が食べてはいけないとされてきた食べ物が出された。もしかしたら、ある者たちが、わざと出したのかもしれない。食べようとしない人々―おそらくはユダヤ人からクリスチャンになった人々―に対して、わざとそういう食材を出した人たちは、14節にほのめかされているように、イエス様の言葉を持ち出したのであろう。たとえばマルコによる福音書7章15節には「外から人の体に入るもので人を汚すことができるものはない」とあある。また、ペトロが異邦人に伝道するきっかけになった使徒言行録10章に書かれている出来事もそれである。「神様は、どのような食べ物も汚れてなどいないと言っているのに、どうしてあなたたちはいつまでもユダヤ人の枠を出られずにタブーにとらわれているのか」と責めたのだった。確かに一理ある主張である。だからこそ、こう言われて食べざるを得ない心境に追い込まれた人も出てきたであろう。そのような様子が22節以下に書かれている。自分の決心にやましさを抱き、疑いを持ちながらも食べてしまったが、それが苦になって、結局は教会から離れてしまった。そのような人が続出して、礼拝共同体が、何か冷え冷えとしたものになっていってしまっていた。そのような様子が想像できるのである。
 ローマ教会における異邦人クリスチャンとユダヤ人クリスチャンとの間には根深い溝があって、多様性を受け入れ合うことができなくなっていたのだった。そのような彼らに対して、さらにパウロが語ったアドバイスの中心が、この17節から19節ではないかと感じた。まずパウロはここで「神の国は飲食ではない」と語った。「神の国」とは、ここではそれを先取りして幾分なりとも地上で味わうところとしての教会や信仰共同体と言い換えてもよいのである。信仰共同体において根幹となるものは飲食ではないとパウロは明言した。確かにイエス様の言葉、また使徒言行録10章に書かれた出来事から言えば、いまだに食べ物のタブーに縛られているのはおかしいと言うことはできる。しかし、それをこのローマ教会で取り上げること、それも、わざわざ相手をやり込めるため、無理やり自分たちの主張を受け入れさせるために、あえて取り上げるようなことではないのである。
 では、信仰共同体における根幹は何か。それは飲み食いの問題ではなく「聖霊によって与えられる義と平和と喜びなのです」と言うのである。イエス様を信じる信仰によって、聖霊を通して与えられる義、つまり神様に受け入れられ、つなげていただいたことによる平安と安心と喜びを味わうということなのである。それを礼拝でいただくのである。その同じ食べ物を礼拝で神様からいただけているなら、この世の食べ物を食べるか食べないかといった問題は、全くどうでもよいではないかとパウロは言うのである。まして、それをわざわざ問題にして、せっかく神様から義と平和と喜びという糧を礼拝で共にいただいている兄弟姉妹をやり込めて、礼拝共同体から離れさせてしまうなど、全くの本末転倒だと言っているのである。
 さらに、「キリストに仕える人は・・・追い求めようではありません」とある。ここでもまた「キリストを主人として仕える」ということが語られている。そして、その後に描かれている事柄というのは、イエス様に仕えている信仰共同体におのずと現れてくるありさまではないかと感じるのである。それが現れていれば、その信仰共同体がちゃんとイエス様を主として仕えている指標のようなものというわけである。いわば信仰共同体の健康診断の数値基準のようなものである。それは、その共同体が神様に喜ばれて人々に信頼されていることだとある。信仰共同体が神様に喜ばれているか否かは、私たちにはわからないが、教会が周囲の人々によって信頼されていれば、それをもって神様に喜ばれていると言ってよいのである。私が赴任して早くも7年目に入るが、着任以来ずっと教会がこの地域にあってなくてならない存在となることを目標として掲げてきた。この教会がこの地域の人々に信頼されるようになったといってよいのである。それが神様からこの信仰共同体が喜ばれているという証拠となるのである。
 また、その共同体が平和であり、「互いの向上に役立つことを追い求め」ているかどうかも、その証拠といえよう。「互いの向上に役立つ」とは、原文では経済・エコノミクスという言葉の語源となったオイコノメーという言葉が使われている。もともとは建築用語で、建て上げられてゆくという意味である。信仰共同体が何よりも平和なところ、安心があふれているところとして建て上げられているかどうかが大事だとパウロは言っているのである。信仰共同体がこのようになるためには、この共同体の根幹にあるべきことが何か、絶対的な物差しが何かを見失わないことなのである。信仰共同体は「飲食ではない」とはっきりと言い切れることなのである。この飲食にあらずという言葉には、様々な事柄をあてはめることができる。私たちは一昨年、会堂改修を行った。それでも「会堂にあらず」と言うことができる。本日この礼拝後の総会で、この教会が財政的に、なかなか大変である事実にも日を向けなければならないが、それでも「お金にあらず」とも言えるのである。「根幹にあらず」ということについては、あえて大きな問題とはせず、対立があっても裁き合わず、根幹であるところの礼拝共同体として神様に仕え、ひたすら義と平和と喜びを大事とする信仰共同体でありたいものである。

筑波学園教会牧師 福島 純雄

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2017年 4月16日(日)イースター(聖霊降臨日)礼拝

『マルコによる福音書 16章 1~8節』

16:01安息日が終わると、マグダラのマリア、ヤコブの母マリア、サロメは、イエスに油を塗りに行くために香料を買った。 16:02そして、週の初めの日の朝ごく早く、日が出るとすぐ墓に行った。 16:03彼女たちは、「だれが墓の入り口からあの石を転がしてくれるでしょうか」と話し合っていた。 16:04ところが、目を上げて見ると、石は既にわきへ転がしてあった。石は非常に大きかったのである。 16:05墓の中に入ると、白い長い衣を着た若者が右手に座っているのが見えたので、婦人たちはひどく驚いた。 16:06若者は言った。「驚くことはない。あなたがたは十字架につけられたナザレのイエスを捜しているが、あの方は復活なさって、ここにはおられない。御覧なさい。お納めした場所である。 16:07さあ、行って、弟子たちとペトロに告げなさい。『あの方は、あなたがたより先にガリラヤへ行かれる。かねて言われたとおり、そこでお目にかかれる』と。」 16:08婦人たちは墓を出て逃げ去った。震え上がり、正気を失っていた。そして、だれにも何も言わなかった。恐ろしかったからである。

説教:『逃げ出した女性たちが祝福を』

1 イエス様が十字架の上で、神様が自分を見捨てたのではないかと口にしたのは、他でもないイエス様の弱さの現れだったのである。しかし、イエス様が弱さを担って下さったからこそ、私たちも弱くてもよいのだと言っていただけるのである。イエス様のこの弱さは、多くの人の躓きの石となり、嘲りの対象となったのである。しかし、最初に福音書を書いたマルコは、たとえどれほど多くの人が躓き嘲ったとしても、イエス様が十字架の上でこのような弱い者になって下さったことが、それ以前には、私たちと神様とを隔てていた壁を崩し、私たちをして「この人こそ神の子であった(15章39節)」と言ったローマの百人隊長のように信じさせて下さる姿なのだと確信を持っているのである。私たちも、神様と特別な間柄にある神の子どもとして、ひとりひとり十字架を背負わざるを得ずに「神様は私を見捨てられたのか」と言ってしまうことがある。それを抜きにしての信仰生活はあり得ないのである。その中で、私たちが「神様は私を見捨てられたのか」と叫ぶことは、決して私たちが神の子ではないということの現れなどではない。むしろ、百人隊長が言ったように、本当に神様の子どもであればこそ、このように呻(うめ)くのである。

2 このような弱さの肯定とでも言ってよいこのマルコの福音書の結び部分が、他の3つの福音書の結びと比べていかに異なっているか、独特なものであるか。この福音書の最後の言葉として「婦人たちは・・・恐ろしかったからである(8節)」と書かれている。他の3つの福音書は、復活したイエス様と女性たち、また弟子たちとの再会の場面が書かれ、彼らが福音を信じそれを宣べ伝える者とされてゆくシーンが描かれている。他の3つの福音書が、喜びの知らせである福音の結びとしていかにもふさわしい、いわばハッピーエンドで終わっているのに対して、マルコはそのようには書き記さなかったのである。
 16章9節には、[ ]の印が付けられている。この部分は、定説として-もともとあったのに紛失してしまった部分だとの異論もある-後の人々が書き加えた箇所であり、もともとマルコが書かなかった部分であるとの考えが一般的である。よりにもよって福音書の結びがこのようなものではあってはならないと考えた人々が、他の福音書を参考にして書き加えた部分なのである。
 では、なぜマルコがあえてこのような終わり方でこの福音書を閉じたのか。勿論イエス様の復活はなかったとか、復活のイエス様と女性たちや弟子たちとの再会がなかったなどと主張しようとしたのではなかった。マルコは、逃げていった女性たちが最初の復活の証人となり、最も初期の教会において、なくてはならぬ役割を果たしていたことをよく知っていたのであった。この福音書を読んだ当時の人々も、当然によくわかっていた。マルコは、このような人々が最初は、恐れ逃げてしまうような人たちだったと言っているのである。「そのような人々が、最初の復活の証人となり、教会の重要な指導者になっていったのだから、あなたがたも安心しなさい。」というメッセージなのである。つまりは、弱さの肯定なのである。十字架上でイエス様が「わが神・・・」と叫ばれた弱さが、なくてはならない意味を持っていたように、女性たちが逃げてしまったように、弱さを持っていたこと、ひいては私たちも同じような弱さを持っていることに意味を見いださせ肯定しているのである。
 マルコはおそらく、多くの人々が復活したイエス様に、もはや会うことができず、ただ自分の記す福音書を通して、それを知るしかないという状況をおもんばかったのだった。そういう中で、愛する人の死、その遺体、墓に行かねばならないこと、また自分自身の死に向かい合わねばならない人々のことを考えていたのである。この女性たちが一体何を恐れ震え上がっていたのかは、はっきりとは書かれていないので、想像するしかないが、最愛の人が十字架の上で殺され、よくわからないがその遺体もなくなってしまうという、とんでもない状況に恐れを抱いたのではなかろうか。不思議な若者から、イエス様の復活のことを聞いても、そのようなことは到底受け入れがたく、十字架の死と、その遺体がなくなってしまった事実に自分たちだけでは立ち向かうことなどできない弱さが、彼女たちをそうさせてしまったのだった。私たちも、みなそうであろう。イエス様の復活に、また、死んだ人がよみがえるという出来事に、だれひとり出会えない。私たちは、ただ福音書を通してそれを知るだけなのである。それなのに、愛する人の死、また自分自身の死に向かい合わねばならない。それは、いろいろな意味で震え上がるほど恐ろしいのである。逃げ去りたいのである。

3 しかしマルコは、このような女性たちだからこそ、最初の復活の知らせがもたらされたと暗に語り、彼女たち、ひいては私たちの弱さを肯定しているのである。別の言い方をすれば、悲しみを抱えて墓に行き、そして悲しみにさらに恐れを加えられ、逃げ帰るしかなかった女性たちがいなければ、復活の証言はもたらされることはなかったのである。墓に赴くこと、そもそも私たちが死人を抱えること、死について様々な恐れを抱き震えあがり正気を失い逃げてしまうしかないこと、それは普通の見方からすれば、とてもネガティブなことである。しかし、マルコはそのことこそが、そこに置かれた女性たちに最初の復活の知らせがもたらされ-当初は受け入れることができなかったとしても-福音が宣べ伝えられてゆく場所・機会になったのだと肯定したのだった。
 愛する人の葬儀をきっかけに教会に足を運ぶようになり、受洗にまでいたったという人は、多くおられる。私の前任地でも、当時、礼拝出席者が40名弱の会員の内の5名ほどがそういう人たちであった。それはなぜか。ひとことで言えばキリスト教という宗教が、キリスト教の信仰が、死を、また墓を肯定するものだからと言えるのである。残された人々の悲しみや辛さを肯定するからなのである。死や墓が否定されては、残された者はいたたまれない。仏教という宗教が根源的に持っている制約がここにあると私は考えている。「仏ほっとけ」という言葉がある。仏教という宗教は根源的には生老病死という私たちのありさまを、否定的にしか捉え得ないのである。そもそも死に価値を置かないのである。仏教には根源的に、死に対して語る言葉がない。しかし、キリスト教にはある。死は否定されるべきものではないし、墓もなくてならないものである。それは、イエス様が、そこから復活したということがあるからなのである。イエス様の死を悲しみ、悲しみを抱えて墓に赴いた女性たちが福音を宣べ伝える者とされたからなのである。
 大切な人をなくし、その墓に赴き、また悲しみを深くするという歩みを続けている人々が、そういう歩みの中で教会の礼拝においでになった。本日、転入会なさるご夫妻は、2年ほど前に、与えられたばかりのお子さんを召されるという悲しみを体験された。お子さんが召されたその日の夕拝においでになったことを覚えている。それ以後、ご夫妻はしばらく私たちの教会の礼拝にはおいでにならなかった。今こうしてイースターの日に転入会されるのを不思議な導きと感じている。このマルコ福音書のこの箇所を読んで、悲しみに留まり震え恐れるということに、ある逆説的な貴さのようなものを深く感じるのである。神様は、女性たちのそのような悲しみを、大切な器として用いらられたのだった。悲しみや恐れに留まっていてもよいのである。それを神様は用いて下さるのだから。

4 さて、墓に赴いた女性たちが見聞きした事柄はどういうものだったのか。女性たちが最初に見たのは、墓の入り口に置かれていた大きな石が転がされていたということだった。おそらくは盗掘のようなことを防ぐために、また死人が墓から彷徨い出て悪事をしないようにとの理由から、大きな石が置かれて墓の入り口を塞いでいたのだろうと思う。私は、この石がとても象徴的な存在だと感じる。死んだ人は、死の世界、地下の世界、ただ腐ってゆき骨になり何の希望もない世界に閉じ込められてしまうのだという、生きている者がどうしても抱いてしまう見方というものを表している。イエス様こそ、十字架の上で殺された者であったから、死人の中でも一番呪われ、それこそたたりを起こすのではないかと考えられるような存在として、何よりも誰よりも閉じ込めておかねばならないと思うのである。しかし、そのような石はすでに転がされてしまっていたのだった。これは、死んだ人をそういう地下の希望のない世界に閉じ込めておける石などどこにもないということの現れなのである。イエス様は、そのような世界に閉じ込められてしまうとされる死人の先駆者として、この石をはねのけて復活されたのである。
 第二には、女性たちが、十字架に付けられたイエス様は、復活し、ここにはもうおられないと聞かされたことである。「十字架に付けられたイエス」とは、人間の悪しき力によって、生命をはじめ様々なものを剥ぎ取られ奪われた存在としてのイエス様のことを指している。女性たちは、イエス様を墓の中に、そのような存在としてしか探すことができなかった。私たちも同じである。残された者たちは、死んでいった人を、いつまでもどこまでも、病気や突然の事故や災害によって生命を剥ぎ取られた存在としてしか探すことができないのである。しかし、神様の使者は、「あの方は復活してここにはおられない」と告げたのだった。イエス様はもはや、人間の悪しき力によって剥ぎ取られた者として墓に留まっているのではなく、神様の良き力によって永違の生命を与えられた者となっておられるとのメッセージなのであった。
 そして第三は、女性たちが、復活したイエス様がペトロたちよりも先にガリラヤに行って、そこで彼らと再会することを告げられたことである。ペトロたちが赴くガリラヤとは何を意味していたか。それは、彼らがイエス様の弟子であることをやめて、昔のガリラヤの漁師に戻ろうとしていたことを表している。これまた弟子たちの弱さと言える。しかし、その弱さの典型であったような場所に、イエス様はわざわざ先に行ったのだった。弟子たちの強さが至らせた場所で待つというのではなく、弱さが至らせた所で待っていて下さるというのである。
 私たちは、以上のような出来事やメッセージを、不思議な若者からも、ましてや復活されたイエス様からも直接聞くことはできない。知ることができるのは、この福音書からのみである。これだけでは、愛する人の死や、その墓や、また自分自身の死に向かいあうという恐れを克服することはできないかもしれない。しかし、それでもよいのである。この女性たちもそうだった。そこにいたからこそこの知らせを聞き、最初は逃げ帰ってしまったけれども、そこから変えられてゆき、復活の証言者となったのだから。

筑波学園教会牧師 福島 純雄

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2017年 4月9日(日)棕櫚の主日礼拝

『マルコによる福音書 15章 33~41節』

 15:33昼の十二時になると、全地は暗くなり、それが三時まで続いた。 15:34三時にイエスは大声で叫ばれた。「エロイ、エロイ、レマ、サバクタニ。」これは、「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」という意味である。 15:35そばに居合わせた人々のうちには、これを聞いて、「そら、エリヤを呼んでいる」と言う者がいた。 15:36ある者が走り寄り、海綿に酸いぶどう酒を含ませて葦の棒に付け、「待て、エリヤが彼を降ろしに来るかどうか、見ていよう」と言いながら、イエスに飲ませようとした。 15:37しかし、イエスは大声を出して息を引き取られた。 15:38すると、神殿の垂れ幕が上から下まで真っ二つに裂けた。 15:39百人隊長がイエスの方を向いて、そばに立っていた。そして、イエスがこのように息を引き取られたのを見て、「本当に、この人は神の子だった」と言った。 15:40また、婦人たちも遠くから見守っていた。その中には、マグダラのマリア、小ヤコブとヨセの母マリア、そしてサロメがいた。 15:41この婦人たちは、イエスがガリラヤにおられたとき、イエスに従って来て世話をしていた人々である。なおそのほかにも、イエスと共にエルサレムへ上って来た婦人たちが大勢いた。

説教:『エロイ・エロイ・レマ・サバクタニ』

1 受難週が始まる主日を特別に「棕潤の主日」と呼んでいる。この呼び方の由来は、「子どものロバの背中にまたがってエルサレムに入ってこられたイエス様を、人々がなつめやしの枝を持って迎えた」とヨハネによる福音書の12章13節に書かれているからである。十字架の上でイエス様が口にした7つの言葉のうち、ルカによる福音書には3つが記されていた。
 それは、「エロイ・エロイ・レマ・サバクタニ」という言葉だった。この言葉は、旧約聖書の詩編22編の冒頭に書かれている。マタイによる福音書の27章46節には、1文字だけ違う「エリ・エリ・レマ・サバクタニ」という言葉が記されている。、注解書では、マルコによる福音書のものは、当時のイスラエルの人々が普段、話し言葉として使っていたアラム語によるものであり、マタイによる福音書のものは、当時もっぱら礼拝や儀式などでしか使われなくなっていたヘブル語によるものだと解説されている。この言葉の意味は、34節に書かれている通り「わが神・わが神・なぜ・私を・お見捨てになったのですか」である。イエス様が、十字架の上で、このような言葉を口にしたということは、多くの人々の躓(つまづ)きになってきた。
 10代の頃の私は、このイエス様の言葉を読むのが怖かった。神様の計画における受難の必然というものを何度も何度も語り、迷うことなく十字架へと進んだはずのイエス様が、ここに至って、神様が自分を見捨てたのかと問うたということは、あたかもイエス様が信仰を失ってしまったかのように思えた。イエス様でさえそうであったのならば、いわんや私たちはと、恐れを抱くのである。「このような言葉を口にする者が、どうして救い主でありえようか」と人々は嘲(あざけ)ったのだった。

2 このような躓(つまづ)きを回避するために、様々な手段が取られ、解釈がなされてきた。ルカによる福音書とヨハネによる福音書では、当然、最初に書かれたマルコによる福音書のこの記述や、それを下敷きにして書かれたマタイによる福音書の記述を知っていたはずである。それでも彼らが、そのことを記さなかったのは、この躓きを避けようとした意図からであっただろうと思う。聖書は、写本として後代に伝えられてきた。写本が作られてゆく途中で、様々な異読、すなわち違う読み方が、あえてなされてきたのである。たとえば、「わが神・・・なぜわたしを嘲るのですか」とか「わたしの力は私を見捨てた」とかである。詳しくはわからないが、「エリ・・・」の言葉のどこかの文字を違う文字に置き換えると、おそらくこういった意味の文章になるのだろうと思う。そのようにしてイエス様は、神様に、なぜ自分を見捨てたのかと問うたということの躓きを避けようとしたのだった。
 また、イエス様は、ただ詩編22編の最初の言葉を口にしただけだったのであって、その本心は詩編22編の全体で語られていることを語ろうとしたところにあったのだと解釈されることも、しばしばであった。しかし、これには無理があると私は思うのである。詩編22編の最後には「わたしの魂は必ず命を得・・恵みの御業を民の末に告げ知らせるでしょう」とある。今まさに死の際にある人が、どうしてもこのことを言いたかったとしたら、わざわざ詩編の冒頭の言葉を口にするよりも、この最後の言葉を言ったであろう。そもそも神様を讃えるのならば、もっとふさわしい言葉が詩編の他の箇所に沢山あり、あえて詩編22編の最初の言葉を口にする理由がない。やはり、この詩編22編の最初の言葉をロにしたというところに、大きな意味があったのである。

3 福音書を最初に記したマルコは勿論、隠しようのない事実だったから、このことを書いたのであろう。それ以上に、たとえこれを書くことによって、多くの人がイエス様が救い主であるということに躓き、イエス様をあざ笑うことになったとしても、ここになくてはならぬ意味があるという明確な意図をもって、この事実を記したに違いないのである。
 その意図は、38節に記されている「神殿の垂れ幕が上から下まで真っ二つに裂けた」と、39節にあるローマ軍の隊長である百人隊長が「イエスがこのように・・・『神の子だった』」と告白したことが記された点に如実に現れていると思う。「神殿の垂れ幕」が、どこの垂れ幕だったかは定かではないが、要は神殿の聖なる場所とそうでないところを隔てている幕であった。特定の人々だけが神様に近づけるようにし、そうでない人々を神様から隔(へだ)てるための幕だった。この隔ての幕が真っ二つに裂けたということは、それまで人々を神様から隔てていたものがなくなったということを意味している。だからこそ、それまで神様から隔てられていた最たる者であったローマ軍の隊長が「この人は神の子だった」と言えるようになったのだった。
 パウロが第1のコリントの信徒への手紙の1章23節で「(十字架につけられたキリストは)ユダヤ人には躓かせるもの、異邦人には愚かなもの」だと言ったが、十字架につけられたイエス様が「エロイ・・」と口にしたことこそが、躓きや愚かさの最たるものなのである。しかし神様は、ある人には躓きであり、また、ある人には愚かな事実を示して、これを信じる者を救おうと考えたのだとパウロは、この第1のコリントの信徒への手紙の1章21節で言ったのだった。イエス様が十字架の上で「エロイ・・・」と叫んだことは、確かに多くの人を躓かせたに違いない。しかし他方では、それまで神様と私たちの間にあった隔てを切り裂くものでもあったのである。それまでは到底、神様に近づくことができず隔てられていた人々を、この百人隊長のように、神様を信じることのできる者へと変え得る出来事となったのである。それは、躓きや愚かさを信じる者を救おうとした神様の御業なのである。

4 それでは、イエス様が十字架の上で「我が神・・・」と叫んだことによって、それまで私たちと神様との間にあった、どのような隔ての幕が取り除かれることとなったのか。
 この幕とは、神様を信じる者は決して「神様は私を見捨てたのではないか」などど思ってはいけないのだと、決して口にしてはいけないことばだと思い込んでいる私たち自身の中にあるということである。そのような者は、神様に近づくことはできないと、神様を信じる者とは言えないと、そして神様から隔てられていると私たちは思っている。信じるということと「神がわたしをお見捨てになったのではないか」と疑うこととは、決して相容れない事柄だと思い込んでいる。疑う者は、神様から隔てられ、聖なる領域に入ってはいけない者として排除されると思っている。これが私たちと神様とを隔てている幕なのである。
 このような私たちに対して、マルコは驚くべきメッセージをもたらすのである。他でもないイエス様が十字架の上で「なぜ私をお見捨てになったのか」と口にしたではないか。このイエス様を見て、異邦人のローマ軍の隊長は「本当にこの人は神の子だ」と告白したではないか。イエス様がこのように口にしたことは、神様を疑うことや信仰が揺らいでしまうことと、神様の子であることとは、決して矛盾しないということの現れなのだ。むしろ、神様の子だからこそ疑うしかないこともある。神様を信じることの中には、疑ってしまうことも含まれているのだ。そういうメッセージなのである。
 なぜ、神の子、つまり神様との深い間柄を生きる者の歩みの中に、疑いや動揺も含まれているのであろうか。私たちの親子関係においても、子どもは親の心がすべてわかるわけではない。親がなぜこのことを許してくれないのか、なぜこのように厳しいことをやらせるのか、わからないのである。親子であるからこそ嘆くし、ぶつかりあうこともしばしばなのである。しかし、それが親子の間柄なのである。神様と誰よりも深い間柄にあったイエス様は、受難の必然性をよく分かっていたであろう。だからこそ、最後の晩餐で、自分自身の与える命の犠牲が、人々の救いにとって不可欠だとの遣言を残したのだった。
 しかし、そのイエス様でさえも、十字架上のあまりの苦しみの中では、その必然性を見失なってしまった。なぜ、この苦しみなのかと呻(うめ)いたのだった。イエス様でさえ、父なる神様の御心のすべてをわかっていたのではないと言わざるを得ないのである。ましていわんや、私たちは、なのである。
 神様は、私たちを苦しみになど合わせることはなさらないと信じて、そういう神様に近づこうとするなら、十字架上のイエス様の姿は、新たな隔ての幕となる。また、神様のなさることの意味がすべてわかるのだと信じて神様に近づこうとしても、そうなるのである。しかし、イエス様のこの姿は、私たちに、父である神様のすることが、私たちにはわかり得ないものなのだと語りかけているのである。なぜこれほどの苦しみをと呻くしかなく、なぜ私を見捨てたのかと叫ばざるを得ないこともあるのだと教えて下さる。それでも、父として、それがどうしても必要だから、子である私たちにその苦しみを与えるのである。父だからこそ、それは辛(つら)いのである。親として子の苦しみを見るのは、自分の苦しみ以上に辛いことなのである。代わってやりたいと思うほどなのである。しかし、どうしても必要なことなのである。イエス様の十字架の姿は、それまでの神様と私たちとの浅はかな間柄という隔ての幕を打ち破って、本当に深い深い間柄へと導き入れて下さるものなのである。

5 神様を疑ったかもしれないイエス様を、神様はどのように扱ったか。私たちの固定観念は、なぜと問うような者は、まず神様から遠ざけられ、そしてそのまま捨てられてしまうと思ってしまう。それこそが、神様と私たちとを隔てる幕なのである。しかし、「エロイ・・・」と叫んだイエス様を、神様は見捨てたか。けしからん子どもだと言って捨てたか。そうではなかった。復活こそ、その証(あか)しである。「もしかしたら、神様は私を見捨てられたのだろうか」と問うたイエス様を、神様は見捨てることはなかったのである。その間柄は決して断絶することなく、しっかりとつながっていたのである。これも、私たちを神様との間を隔てていた、これまでの幕を切り裂くものであった。たとえ私たちは神様を見失っても、神様は私たちを見捨てることはない。私たちが神様を疑ってしまう時は、いつまでも続くものではない。神様と私たちとの関係は、疑って終わりという間柄ではなく、その向こうにまた新しい間柄が待っているのである。イエス様と神様との間柄は、それは、決して一定不変のものではないということがわかる。何の疑いもなく十字架へと向かう時もあれば、「エロイ・・」と口にする時もある。それが私たち肉なる者の信仰のありさまなのである。しかし、その私たちをしっかりと、子どもとしてつかまえていて下さる神様の愛は、決して変わることがないのである。
 十字架の上で死んでゆかれたイエス様を、遠くから、何人もの女性たちが見守っていたことが書かれている。ここには、12弟子や男性への言及がひとこともないことに心引かれる。「エロイ・・・」と叫んで死んだイエス様を、ローマの隊長以外の男たちは、だれひとりとして見守ることができなかったのである。私は、またここに、マルコの思いを感じるのである。男性は、「なぜ私を見捨てるのか」などと、弱い言葉を吐く者への拒否感を持つ。十字架の上で「わが神・・・」と叫んでしまったイエス様は、(もしかしたら差別用語かもしれないが)女々しい存在として映ったのである。そのようなイエス様が神の子であるとは、常に強さを求める男性たちに対しては、ますます高い隔てを作るものであった。しかし、女性たち -それまでのユダヤ人社会では、まさしく女性たちは、隔ての幕によって聖所に近づくのを許されていなかった- は、このイエス様によって神様に近づく者とされたのだった。このような女性たちだったからこそ、復活の報せがもたらされ、そこからキリスト教が始まっていったのである。

筑波学園教会牧師 福島 純雄

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2017年 4月2日(日)受難節第5主日礼拝

『ローマの信徒への手紙 14章 1~10節』

14:01信仰の弱い人を受け入れなさい。その考えを批判してはなりません。 14:02何を食べてもよいと信じている人もいますが、弱い人は野菜だけを食べているのです。 14:03食べる人は、食べない人を軽蔑してはならないし、また、食べない人は、食べる人を裁いてはなりません。神はこのような人をも受け入れられたからです。 14:04他人の召し使いを裁くとは、いったいあなたは何者ですか。召し使いが立つのも倒れるのも、その主人によるのです。しかし、召し使いは立ちます。主は、その人を立たせることがおできになるからです。 14:05ある日を他の日よりも尊ぶ人もいれば、すべての日を同じように考える人もいます。それは、各自が自分の心の確信に基づいて決めるべきことです。 14:06特定の日を重んじる人は主のために重んじる。食べる人は主のために食べる。神に感謝しているからです。また、食べない人も、主のために食べない。そして、神に感謝しているのです。 14:07わたしたちの中には、だれ一人自分のために生きる人はなく、だれ一人自分のために死ぬ人もいません。 14:08わたしたちは、生きるとすれば主のために生き、死ぬとすれば主のために死ぬのです。従って、生きるにしても、死ぬにしても、わたしたちは主のものです。 14:09キリストが死に、そして生きたのは、死んだ人にも生きている人にも主となられるためです。 14:10それなのに、なぜあなたは、自分の兄弟を裁くのですか。また、なぜ兄弟を侮るのですか。わたしたちは皆、神の裁きの座の前に立つのです。

説教:『自分のために生きない』

1 ローマの信徒への手紙の12章と13章には、ローマ教会の信徒が抱えていた悩み、とくに奴隷階級だった人々が抱えていた切実な悩みに対し、パウロが語りかけた懇切丁寧なアドバイスが記されていた。14章1節から15章13節までには、ローマ教会の中で生じていた対立への助言が語られている。
 その対立とはどのようなものであったか。まず2節・3節には、「何を食べてもよいと・・・食べない人は食べる人を裁いてはなりません」とあり、また5節には「ある日を他の日よりも・・・人もいます」とある。何を食べてもよいと考える人と、野菜しか食べない人がいて、何を食べてもよいと考える人々は、あるものを食べない人を軽蔑し、その反対に野菜しか食べない人は、何でも食べる人を裁いていたというのである。また、ある特定の日を重んじるか否かで、考え方の対立もあったようである。
 背景に、どのような事情があるのかは、わかっていない。14節に「汚(けが)れたもの」という言葉がある。ユダヤ教における食べ物の「汚(けが)れ」ということが影響しているのかも知れない。あるいは、コリントの信徒への第1の手紙の8章に「偶像に供えられた肉」というタイトルが付けられた文章があるが、当時は、ギリシャ・ローマの神々に犠牲として献げられた動物の肉が市中に出回っていて、そのような肉を食べることについてのためらいが、ある人々には、強くあった。同じようなためらいが、ローマ教会の人々の中にもあったのかも知れない。また、「ある日を他の日よりも尊ぶ」ということについては、たとえば、ガラテヤの信徒への手紙の4章9節10節に、「なぜ、あの無力で頼りにならない支配する諸力の下に逆戻り」することとして、「あなたがたは、いろいろな日、月、時節、年などを守っています」とある。これも、ユダヤ教の影響を受けてのことかも知れない。

2 このような対立があったということから、まず考えさせられるのは、通常の人の集まりであれば、このような事柄というのは、単なる好みや趣向、また習慣の違いで終わってしまうようなものであったであろうということである。野菜しか食べないベジタリアンもいれば、何でも食べるという人もいたはずである。1年の中で、特別な日を重んじるか否かも、単なる習慣の違いで終わった事柄であろう。世俗の人の集まりでは、お互いが、好みや習慣の違う相手を「批判」したり「軽蔑」したり、ましてや「裁く」などといったことには決してならない。ところが、信仰共同体では、往々にして、このようなことが起きた。なぜ信仰共同体ではこのようなことが起きるかというと、それは、その好みや習慣が、それぞれの信仰において絶対的な確信になっているからなのである。神様から与えられたと信じられる絶対的な基準が、「ねばならない」という物差しになっているのである。その物差しを相手にあてて「あなたのやっていることは間違いだ。神様が与えて下さった基準に当てはめると、それは間違っている」とやり合ってしまうのである。
 5節の最後に、パウロは「それは、各自が自分の心の確信に基づいて決めるべきことです」と書いている。この言葉の意味は、何を食べてよいかとか、ある日を重んじるべきか否かとかは、各自がその信仰において決めてよいということである。すなわち、一人ひとりが、めいめいの物差しをもって計ってよい相対的な事柄なのだということである。神様からの絶対的な物差しで計らなければならない事柄ではないということである。めいめいが各自の物差しで計ってよい事柄と、そうではなく神様からの絶対的な物差しをもって計らなければならない事柄を、この二つの事柄をきちんと区分けすることが、ごちゃまぜにしないということが、信仰共同体においては何よりも大事なのである。この二つの事柄がまぜこぜになり、曖昧にされときには、ひっくりかえされてしまうことが、信仰共同体ならではの問題なのである。ローマ教会においては、この二つの事柄があいまいになり、ゆえに、このような対立が生じていたのであった。これは常に、代々の教会でも生じてきたことなのである。この筑波学園教会においても、そのようなことがまったくなかったとはいえないように思う。

3、では、一体、信仰共同体において、何が「各自がその確信において」めいめいに計ってよい事柄であり、反対に神様によって絶対的に「こうあらねばならぬ」と決められた事柄なのであろうか。信仰共同体たる教会において、神様が私たちを計る絶対的な物差しとして与えて下さっているものとは何か。それをパウロは、3節の最後から4節で、そして7節以下で語っている。
 ここには、召使いと主人という言葉が繰り返されいる。つきつめれば、信仰共同体においては、神様・イエス様・聖霊が主人であり、私たちはその召し使いであるということこそが、神様から与えられた絶対的な物差しだといえよう。そして、召し使いたる者が、主人に対して取るべきただ一つの「ねばならぬ」態度とは、6節から8節に何度も繰り返し出てくる言葉「主のため・主人のために」生きるということなのである。主人のために生きるということが果たされているなら、その召し使いが野菜だけを食べようと、肉でも何でも食べようと、それは、どうでもよい枝葉末節の事柄なのである。
 ただ、ある人が「主のために生きようとしているか否か」を他人が、外見から判断するというのは、なかなか難しいことだと思う。そこで、6節に書かれている「食べる人は主のために食べる。神に感謝しているからです。食べない人も主のために食べない。そして神に感謝しているのです。」が、そのことの一つのヒントとなる。これには、私たちが「主のために生きる」姿と、「神様に感謝している」有り様とが、密接に結び付けられている。主人である神様に感謝を捧げている姿こそが、召し使いとして主人のために仕え生きている有り様だというのである。
 では、神様に感謝を献げる姿とは何か。150ある詩編の中で、おそらくただ一つ、92編だけがタイトルに「安息日に」とあり、「いかに楽しいことでしよう。主に感謝をささげることは」と歌い始めている。この詩編の言葉から言えば、神様に感謝をささげるとは他のどんなことでもなく、私たちが安息日に礼拝をささげることなのである。礼拝をささげて、神様を喜び歌うことなのである。7日ごとに礼拝に時間と身体を献げ、そこで神様に感謝することは、この世の他の人々からすれば、信仰者たる私たちがなしている最大の無駄だと見えるものであろう。その時間に休息し、その時間に働けば、どれほど有益か。それなのに、愚かにも教会に出かける私たちである。讚美歌を歌い、献金を献げ、牧師の話を聞くために礼拝に出かける。「それが一体、何になるのだ」と。しかし、世の他の人々が何と言おうとも、私たちは礼拝を献げるのである。それこそが、私たちが神様の召し使いであるとの、最もはっきりとした現れなのである。神様という主人のために生きる姿なのである。

4 信仰共同体において、私たちが、主人である神様・イエス様・聖霊の召し使いとして生きるということは、端的には、礼拝を献げる者として生きるという絶対的な基準がはっきりと立てられるときに、4節の後半に語られていることが、教会の中に現れてくる。「召し使いは立ちます。主は、その人を立たせることがおできになるからです」とある。
 私たちが信仰共同体において立つか倒れるかは、ひたすら、神様が主人であり、私たちはその召し使いとして礼拝を献げるということが、この共同体における唯一の絶対的物差しになる点にかかっているのである。このことが暖味にされ、それ以外の枝葉末節的な事柄が絶対的物差しになるとき、召し使いたる私たちは倒れてしまうのである。
 郷里の湯沢教会で、その創立から深くかかわり、熱心に礼拝に集っていた私の父が、あるときから、ぷっつりと礼拝に出席しなくなった。そのきっかけは、市の道路拡張工事計画を巡って、私の父が、牧師や他の役員と対立したことだった。まさに父は、倒れてしまったのである。私の前任地の郡山教会でも、会堂新築をきっかけにして、何人かの信徒が教会を離れて行った。それもまた、倒れてしまったということになる。どこの教会でも、このようなことが起きるのである。どれだけ立場や意見の違いがあったとしても、信仰共同体における唯一つの絶対的な物差しは、神様が主人であり、私たちは、たとえ牧師であっても、役員であっても、長老であっても、神様の召し使いにすぎないという絶対的な基準である。そして、礼拝を献げることこそが、召し使いとして、主のために生きる姿なのである。このことが、しばしば、会堂建築という事業がなされることの中では、暖昧になってしまう。いつの間にか、神様ではなく、別の誰かが主人になってしまう。それは、牧師であったり、有力な役員であったり、一部の信徒であったりするのである。それに連動して、礼拝生活が乱れてしまうのである。
 そうであるから、こうしたこととは反対に、神様を主人とするところの礼拝生活がきちんと貫かれていれば、どんなことがあっても、召し使いたる私たちは立つことができる。神様によって立たせていただけるのである。この世の中の様々な物差しによって計られ、倒れていた人も、信仰共同体においては、神様を主人とし、自身を召し使いとして生きるならば、立たせていただけるのである。私たちが、その信仰共同体において立たせていただいているか、倒れていないかというところに、その共同体が神様を主人として生きているかということが現れてくるのである。

5、どうして、神様を主人として、私たちがその召し使いとして生きるときに、私たちは立たせていただけるのか。その理由が7節以下に書かれている。ここにあるような素晴しさを味わうからこそ、神様を主人とできた私たちは立つことができるのである。
 7節に「だれ一人自分のために生きる人はなく」とある。「ために」という言葉は、いろいろな意味に解釈される。「自分のために生きない」とは、これまでの流れからは、自分が自分の主人になって自分自身を支え養い守る必要がないという意味に取れる。神様が私の良き主人なのである。召し使いである私を、すべて心配し、取り計らって下さる。だから、召し使いである私は、身体のことも、老後の住まいのことも、お金のことも、衣食住一切を思い煩う必要がないのである。私は家族から、特に妻からは、健康診断に行くようにと言われるが、もう20年以上も、健康診断を受けていない。私は病院で、精神的な緊張をほぐす薬をいただいている。先日読んだ週刊誌では、この薬は、飲まない方がよいという薬のナンバー2とされていた。私は持病の頭痛のため。頭痛薬もよく飲む。
 しかし、牧師という仕事をするためにはどうしても必要な薬なのである。飲まない方がいいと言われても、飲まさるを得ない。それでどうかなっても、私には後悔はない。不養生をしたわけではないし、精一杯、召し使いとして主に仕える生き方をしようとした結果としてどうにかなってしまうのなら、何の後悔もない。そう思えるのである。だから、立たせていただけるのである。
 8節に「生きるとすれば主のために生き、死ぬとすれば主のために死ぬのです」とある。召使である私たちは、ひたすら主人である神様のために小さな働きをする者である。だから、その評価は、神様がしてくださる。だから私たちは、この世的な評価は、全く意に介する必要がないのである。私が牧師として、これまで果たし得たことは、まことに小さい。しかし、精一杯、主のためにと思ってなしてきたのである。だから、それを主人たる神様は評価して下さるにちがいない。そのように思えることこそが、どれほど私たちを力強く立たせて下さることか。この言葉によれば、死ぬことさえも、主のためになるのである。死ぬことも決して無駄ではなく、主人である神様・イエス様・聖霊のすばらしさを表す機会になるのである。きらきらとして、死の時にも、力強く立つことのできる私たちである。

筑波学園教会牧師 福島 純雄

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2017年 3月26日(日)受難節第4主日礼拝

『ヨハネによる福音書 1章 9~14節』

01:09その光は、まことの光で、世に来てすべての人を照らすのである。 01:10言は世にあった。世は言によって成ったが、世は言を認めなかった。 01:11言は、自分の民のところへ来たが、民は受け入れなかった。 01:12しかし、言は、自分を受け入れた人、その名を信じる人々には神の子となる資格を与えた。 01:13この人々は、血によってではなく、肉の欲によってではなく、人の欲によってでもなく、神によって生まれたのである。 01:14言は肉となって、わたしたちの間に宿られた。わたしたちはその栄光を見た。それは父の独り子としての栄光であって、恵みと真理とに満ちていた。

説教:『言(ことば)は肉となった』

1 ヨハネによる福音書が書かれたのは西暦100年頃、今のトルコにあるエペソという町とされている。著者は、イエス様の12人の弟子の一人であったゼベダイの子ヤコブの兄弟だったヨハネが、彼の弟子であった長老ヨハネと呼ばれた人と共に、またそのまわりにいた弟子たちも加わって、言わば、彼らの共同作業で書かれたものである。
 5節までに、この福音書のキーワード「言」・「命」・「光」が出てきた。さらに14節には、「肉」というキーワードが書かれている。著者は、なぜこのようなキーワードを用いて、この福音書の冒頭部分を書いたのか。また、このキーワードにどのような思いを込めていたのか。

2 ヨハネたちは、エペソ周辺の人々に、イエス様が救い主であることを教え宣べ伝えるためには、どのような用語を使うことが、最も効果的であるかを考えた。イエス様のことを宣べ伝えようとしていた人々とは、まず、ギリシャ・ローマの人々であった。特にエペソという町は、紀元前6世紀には、ギリシャ哲学の祖ともいわれるヘラクレイトスという学者を輩出した町であり、それから700年位経った紀元100年頃にも、おそらくは哲学の香り・伝統が色濃く残っていた地ではなかったかと想像する。そういう人たちが、まず一方にいて、もう片方には、ギリシャ語しか話せないユダヤ人もいた。この両方の人々に、イエス様が救い主であることを説き明かすのに最も有効な手法は何かと捜し求めたときに、見いだしたのが「言」であった。それは、ギリシャ語の「ロゴス」であった。
 まずギリシャの人々は、ヘラクレイトス以来、このロゴスという概念にずっと引き付けられてきたのだった。バークレーの解説によれば「ギリシャ思想はロゴスの中に、創造的・支配的・指示的な神の力、また宇宙をつくり、宇宙を保持している力をみた」とのことである。ギリシャの人々が何百年間も魅了され続けてきたこのロゴスという概念は、同様に、ギリシャ語を話すユダヤ人にとっても不可欠なものであった。ユダヤ人にとって、十戒は、何より大事なものであった。出エジプト記20章1節を見ると、ギリシャ語に訳された聖書では、必ずそこにロゴスという言葉が入ってくる。
 さらに、創世記1章にも、このロゴスが深くかかわっていることを、ヨハネは見いだしていた。「はじめにロゴスがあった」とは、創世記1章1節の「はじめに神は天地を創造された」とぴったりと重なる。具体的に、神様がはじめに創造されたのは光であったが、それは「神は言われた。光あれ」と創世記1章2節にあるように、他でもなく神のロゴス・言葉によって創造されたものなのであった。ロゴスとは、神様の創造的・支配的・指示的な力であると、バークレーの解説にもあったが、その創造的・支配的な力の根源にあるのは何よりも創造であり、それも第一に光が創造されたというこtなのであった。だからこそ、このロゴスには、命があり光があるとヨハネは1章4節で言っているのである。創造の中には、破壊や死もあろう。しかし、それは命を生み出すがゆえの死であり破壊である。春に新しい芽がふきでてくるためには、冬に枯れがなければならない。神様による創造も同じである。どんなに闇、すなわち破壊や死が覆う世界があっても、それを貫いているのは、命を創造する神様のロゴスであり、それこそが闇を生きざるを得ない私たちにとっての光明なのである。

3 さて、この「『ロゴス』が肉となって、わたしたちの間に宿られた(14節)」とは、バークレーによれば、この一文を言いたいがために、ヨハネはこの福音書を書いたとさえ述べている。では、どうしてヨハネは、これを言いたかったのであろうか。それが当時の人々にとって、どのようなメッセージだったのであろうか。
 「肉」とは、原文のギリシャ語では、サルクスと言う。「肉体」とは、ギリシャ語でソーマと言う。これらは同義語のように使われることもあるが、全く同じではない。14節の直前、13節に「肉の欲・人の欲」という言葉がある。ソーマ(肉体)をもった私たちに、様々な欲を抱かせ、いろいろな悪を行わせてしまう部分を特にサルクス(肉)と言うのである。ギリシャの人々は、サルクスや、そのサルクスに動かされてしまうソーマを毛嫌いしていたのだった。彼らの古くからの諺「ソーマ・セーマ(ギリシャ語の辞書に載っている有名な諺)」は、「肉体は墓場である」という意味で使われるという。
 このような長い闇の思想の積み重ねがあって、この福音書が書かれた一つの大きな理由ともなったグノーシス主義という思想が生まれ、当時の教会に入り込んできていたのである。「イエス様は、墓場であるソーマ(肉体)をまとって生まれた。それが救い主であるなどとは、とんでもない。」と考える人々が、教会に大きな影響を及ぼすようになっていた。教会の中で、大きな影響を及ぼしていた人々に対して、また、ソーマ(肉体)やサルクス(肉)を毛嫌いしていた多くのギリシャの人々に対して、ヨハネは真っ向から「ロゴス(言)がサルクス(肉)となって、イエスというサルクス(肉)となって私たちの間に宿られた」と大胆に語ったのだった。
 そこに込められたメッセージは、つきつめれば、セーマ(墓場)と言われたソーマ(肉体)の肯定なのだと私は思う。確かに、ソーマ(肉体)は、サルクス(肉)の欲を抱かせて私たちに悪しきことをさせる。怪我や病気や加齢とともに墓場へと私たちを追いやるものである。しかし、だからといって、ソーマ(肉体)を毛嫌いし、全否定してしまったなら、人として生きることに何の意味があり喜びがあろうか。イエス様がサルクス(肉)となった必然は、私たちがソーマ(肉体)をもって生きることに喜びや意義を見いだすためなのである。ソーマ(肉体)として生きることに光を見いださせるためなのである。ソーマ(肉体)がサルクス(肉)において欲を抱き、悪しきことをさせるところから、私たちを解き放つためなのである。イエス様がサルクス(肉)になることを通して、私たちのソーマ(肉体)が、全く新しい働きをするように再創造されようとなさったと言えよう。そこに、神様のロゴスがあるのだと語りかけているのである。

4 14節の最初に「わたしたちの間に宿られた」とある。「宿られた」とは、単に人としてイエス様が私たちのところに来られたとか、生まれられたとかいうだけの意味ではないと私は思うのである。「宿る」とは、子どもが母の胎に宿るということと同じで、イエス様が私たちと切っても切れない間柄になることである。もしも無理やりそれを引きはがしたりしたら、大出血を引き起こすほどに密接なつながりを持つことを意味していると感じるのである。母にとって、子を宿すとは、どれほどの喜びであろうか。それと同じように、イエス様が、ソーマ(肉体)となりサルクス(肉)として生まれてくださったのは、それほどに私たちと切っても切れない間柄になって、イエス様を宿した私たちに深い喜びを与えるためなのであった。胎内に子を宿した母は、宿した子から様々なホルモンの影響を受けるとも言われる。そのように、私たちの中に宿って下さったイエス様から、私たちは決定的な影響を受けているのである。
 このようなイエス様と私たちの間柄こそが、12節と13節で語られていることではなかろうか。「ロゴス(私たちの間に宿って下さったイエス様のこと)とは、自分を受け入れた人、その名を信じる人々には神の子となる資格を与えた。この人々は・・・神によって生まれたのである」と。それは、ヨハネの思いの中にもあったことだとわかる。私たちの間に宿って下さったイエス様を信じた私たちは、イエス様と、切っても切れない間柄になり、それは、あたかも私たちが神様の胎内に宿された者のようになることであり、神様の子どもとして新たに生まれる者とされたとヨハネは訴えているのである。墓場に向かうソーマ(肉体)を抱え、欲に引っぱられるサルクス(肉)を持つ者であることには何ら変わりはないが、それでも宿って下さったイエス様からの多大な影響を受けて、私たちのソーマ(肉体)やサルクス(肉)は、全く違うものとなれるのである。そして、墓場の向こうにはすばらしい神様の世界が待っているのである。
 ローマの信徒への手紙の6章3節に「洗礼とはイエス様に結び付けられることである」と書かれている。イエス様に結び付けていただくことこそ、「イエス様を宿す」ことに他ならない。そうして私たちのサルクス(肉)、ソーマ(肉体)は、イエス様のすばらしいサルクス(肉)、ソーマ(肉体)と切っても切れない間柄とさせていただき、新たなものへと変えられてゆくのである。

筑波学園教会牧師 福島 純雄

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2017年 3月19日(日)受難節第3主日礼拝

『ゼカリヤ書 8章 20~23節』

08:20万軍の主はこう言われる。
    更に多くの民、多くの町の住民が到着する。
08:21一つの町の住民は他の町に行って言う。
    『さあ、共に行って、主の恵みを求め
    万軍の主を尋ね求めよう。』
    『わたしも喜んで行きます。』
08:22多くの民、強い国々の民も来て
    エルサレムにいます万軍の主を尋ね求め
    主の恵みを求める。
08:23万軍の主はこう言われる。その日、あらゆる言葉の国々の中から、十人の男が一人のユダの人の裾をつかんで言う。『あなたたちと共に行かせてほしい。我々は、神があなたたちと共におられると聞いたからだ。』」

説教:『共に行かせて欲しい』

1、筑波学園教会は、来年の3月21日に、ちょうど創立40周年の日を迎える。本日は、39回目の創立記念礼拝である。創立記念礼拝における聖書箇所はいつも、その年度に主題聖句として掲げた聖書箇所である。
 この、ゼカリヤ書8章23節は、私にとっては、愛誦聖句のひとつと言ってよい。この教会がここにあるように「あなたと一緒に行かせてほしい」と言っていただけるようになれたらと心から願って、改修工事が終わった今年度は、この聖書箇所を掲げさせていただいた。しかし現実は、その願いとははるかに遠く、わが子たちには「お父さんと一緒に礼拝に行きたい」とは言ってもらえずに、正反対のありさまである。
 今は、来年度の教会定期総会の準備の時期である。その備えの大事なもののひとつに、定期総会に出席する資格を持つ「現住陪餐会員の範囲を定める」ということがある。私たちの教会では、会員のうち、過去2年の間に一度でも礼拝出席があったか、礼拝出席がなくても何らかの献金を献げて下さったかどうかを現住陪餐会員の基準としている。今年度は、残念ながら7、8名を現住陪餐会員から不在会員へと異動させなければならない。
 「10人の人が1人のユダの人に対して『あなたたちと共に行かせてほしい』と願ったのは、神があなたたちと共におられると聞いたから」とあった。そうだとすれば、家族や会員が教会に来てくれなくなり離れてしまうのは、神様の「わたしたちと共にいる」ということが、その人たちにわからないからだとも言えるのである。その理由を、私たちがいけないからだと思ってしまうのである。けれども、この言葉が書かれた背景を知ると、そう語られた意味が分かってくる。

2、まず、このゼカリヤ書のこの言葉が、どのような歴史的な背景のもとに語られたものかを学びたい。ゼカリヤ書が書かれた年代については、1章1節に、はっきりと「ダレイオスの第2年」とあり、7章1節には「ダレイオス王の第4年」とも書かれている。ダレイオスの第2年というのは、紀元前の520年である。この年代がイスラエルの人々にとってどのようなときであったかと言えば、おおよそ以下のような状況が考えられるのである。
 イスラエルの人々の祖国は、紀元前の586年にバビロニアによって滅ぼされ、多くの人々は、バビロニアに捕虜として連れて行かれ抑留された。その期間は約50年、半世紀も続いたのだった。世界史においては、このように祖国を滅ぼされ、征服者のもとに捕らえられ、移動させられ、その期間が長く続けば、その民族の固有の歴史は終わってしまい、その民族が抱いていた信仰も消滅し、征服された国の中に呑み込まれてしまうのが常である。ところがイスラエルの人々 -ここでは象徴的に「一人のユダの人」と言われている- は、このような中にあっても、その固有の歴史も信仰も失わなかったのである。むしろその困難な境遇の中で、かえって民族としての固有な性格を確かにし、その信仰を新たなものとしたのである。  そして、紀元前538年にバビロニアを滅ぼしたペルシャのクロス王によって、イスラエル人は思いがけず故郷への帰還の許しが与えられ、それどころか瓦礫の山になっていたエルサレム神殿の再建への援助もいただけるようになったのだった。その様子は、エズラ記に詳しく書かれている。抑留生活が50年も続くと、人々はその場所の生活に根を張って、わざわざ帰還しなかった人々も多くいた。いっぽう抑留生活から帰還した人々の生活は、困難なものとなったはずである。そういう中で、帰還した人々が、まず何をしたかというと、自分たちの住む家を建てるよりも先に、エルサレム神殿の再建に着手したのだった。イスラエル人が帰ってきたことを喜ばない人々がいた。イスラエル人が50年間、バビロニアに抑留されていた間に、彼らの家や田畑を自分たちのものにしてしまった近隣の人々がいた。そうした人々のいやがらせもあり、とうとう神殿の再建工事は中断してしまったのだった。20年弱の中断が続いた。そして神殿再建工事が再開された時期こそが、このゼカリヤ書が書かれたときだったのである。だから、23節にある「その日」というのは、端的には、幾多の困難を克服してエルサレム神殿が再建された時を指しているのである。さらには、神殿を中心にして祖国が再建され、続々と人々が帰還してきただろう時をも指しているのである。

3、以上のような事情を知ると、10人の男が1人のユダの人に、なぜ「あなたたちと共に行かせてほしい。神があなたたちと共におられると聞いたから」と言ったかの理由がよくわかってくる。
 「1人のユダの人」と「10人の男」というのは、祖国を滅亡させられたあとのイスラエル人とそれを取り巻く諸国の人々とを、見事に象徴的に表している表現だと思う。10とは完全数である。それは祖国を滅ぼされない立場にあって、捕虜として抑留されていったイスラエル人をながめてあざ笑っていた周囲の人々を指しているのである。また、帰還したイスラエル人をいじめた近隣の人々をも指している。これに対して「1人のユダ」とは、祖国を滅ぼされバビロニアに50年以上も抑留され、やっとのことで故郷に帰ってきたのに、さらに難儀な生活を余儀なくされていた孤立無援の圧倒的少数者を表しているのである。いつの時代社会にも、このような「10人の男」と「1人のユダ」の対比があるのではなかろうか。  この「一人のユダ」という言葉に、私は原発事故以後に、避難や離散を余儀なくされてしまった人々を重ね合わせてしまう。1人のユダは、10人の男に取り囲まれ呑み込まれ消えてしまうのが通例である。なぜ消えてしまうのか。それは自分たちの存在の存在意義を、すなわちその固有性を見失ってしまうからだと改めて思うのである。福島の人々もそうである。どこか肩身の狭い思いを抱え、自分たちは今の時代社会のやっかいもの余計者であるかのように感じてしまっているのである。何不自由なく、豊かな生活をしている人々にとっては、見たくない汚点のような存在だろうと、自分たちのことを感じているのである。今の日本の中で、自分たちの存在意義を見失ってしまっている。それが「1人のユダ」が置かれている立場である。
 このような境遇に置かれながら、イスラエル人という「一人のユダ」は消えることがなかったのである。それどころか、半世紀の抑留時代に、自分たちがなぜこのような苦難に合ったのかの意味を見いだし、信仰を新たにしたのだった。信仰を失うどころか、信仰のよりどころとして礼拝を献げる場所をまず作ろうとしたのだった。困難にあって20年近く中断したにもかかわらず、またそれをはじめようとしたのだった。そのことに驚かされ、そこに神が共にいると感じさせられるのである。だから、あなたがたと共にいかせてほしい、一緒にあなたがたを支えてきた神という存在に私たちも出会わせてほしいと願うのである。

4、「1人のユダ」であるイスラエル人に、その存在意義を見いださせ、その信仰を深め、新たにさせたものは何であったのか。勿論それは神様が共にいて下さったからなのだが、具体的には、どういうことだったのであろうか。
 まず決定的だったのは、自分たちの先祖が、はるか昔に、エジプトを脱出して難民状態として荒れ野を40年間も彷徨ったということがある。王国があり、立派な神殿が信仰生活のよりどころとしてあった時代には、遠い昔の荒れ野の出来事など、何の意味も持たなかった。しかし、祖国を失い、神殿もなくし、バビロニアという荒れ野で難民のように過ごさざるを得なくなったとき、このはるか昔の出エジプト以後の歴史が、意味のあるものとなってきた。その境遇の中で、先祖をして生き延びさせたものが何であったのか。そこで見いだしたものこそが律法であり、その核にあったのが十戒だったのである。十戒の最初には、ロゴスつまり神様の言葉があった。たとえ祖国がなくなり神殿がなくなっても、神様のロゴスは変わることなく自分たちに与えられているということがわかったのである。たとえ捕虜として抑留されていても、現実には、バビロニアの王様をはじめとした支配者のロゴスが自分たちを支配していたとしても、それでも神様のロゴスに導かれて生き得る生活があるとわかったのであった。それが、安息日を守り、十戒に従った日々の生活を営むことに他ならなかった。これを発見した故に、抑留生活の中でも、信仰を深め、新たにすることができたのだった。
 苦難の意義の発見について、捕囚の時代に語られたイザヤ書53章に記された『苦難の僕の歌』が、如実に語ってくれている。古くからイエス様の苦難の意義を預言したものとして読まれてきたが、53章5節にはこのように書かれている。「彼の受けた懲らしめによって、私たちに平和が与えられ、彼の受けた傷によって私たちはいやされた」と。「1人のユダ」であったイスラエル人は、10人の男たちからどれほどあざ笑われても、自分たちの受けた苦難こそが人々の平和やいやしになるとわかったのだった。いま福島の人々が、自分たちが受けている苦難を、このような意義を持つものとしてとらえることができたならば・・・と思うのである。イスラエル人とは、「1人のユダ」としての先駆者なのである。後の時代に「1人のユダ」的な立場に置かれた人々に励ましを与える先駆者なのである。

5、私たちクリスチャンは、この「1人のユダ」につながるものだと、改めて思わされた。私たちを見て、身近にいる子どもたちや家人は「神がこの人と共にいる」とは思ってはくれない。だから今は、一緒に礼拝に連れていって欲しいとは言わないかもしれない。しかし、「神があなたたちと共にいる」ことが、必ず見えてくるのである。それは私たちが「1人のユダ」のような者とされ、それが何十年も長く続き、その中で、かえって信仰を深め、苦しみの意義を悟り、神様を礼拝する場所を何よりも第一に建てようとしたときなのである。
 それからすれば、今はまだ順境の時にすぎないのである。私たちは「1人のユダ」たる存在には、まだなっていないのである。私たちが「1人のユダ」となり「神が共にいる」ことが10人の男たちに見えるようになるのは、逆境の時、それも何十年もの年月を経ることが不可欠なのである。もしかすれば、そういう中でも、神様への信仰を深め、苦難の意義を知り、神殿を再建しようとする人は、文字通り「たった1人」しか残らないのかもしれない。このたった1人のユダとは、つきつめればイエス様なのかもしれない。しかし、イエス様がたったひとりおられれば、必ず10人は与えられるのである。私たちがたったひとりのユダになれれば、そこから「一緒に行かせてほしい」という10人が起こされるのである。たったひとりのユダから教会ははじまってゆくのである。ひとりのユダがいるかぎり、信仰共同体はなくならない。つきつめれば、やはり教会は数ではないのである。数ではなく、ひとりのユダがいるかどうかなのである。そのひとりのユダとして、イエス様がおられるのだから、教会は決して滅びることはないのである。

筑波学園教会牧師 福島 純雄

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2017年 3月12日(日)受難節第2主日礼拝

『ローマの信徒への手紙 13章 8~14節』

13:08互いに愛し合うことのほかは、だれに対しても借りがあってはなりません。人を愛する者は、律法を全うしているのです。 13:09「姦淫するな、殺すな、盗むな、むさぼるな」、そのほかどんな掟があっても、「隣人を自分のように愛しなさい」という言葉に要約されます。 13:10愛は隣人に悪を行いません。だから、愛は律法を全うするものです。 13:11更に、あなたがたは今がどんな時であるかを知っています。あなたがたが眠りから覚めるべき時が既に来ています。今や、わたしたちが信仰に入ったころよりも、救いは近づいているからです。 13:12夜は更け、日は近づいた。だから、闇の行いを脱ぎ捨てて光の武具を身に着けましょう。 13:13日中を歩むように、品位をもって歩もうではありませんか。酒宴と酩酊、淫乱と好色、争いとねたみを捨て、 13:14主イエス・キリストを身にまといなさい。欲望を満足させようとして、肉に心を用いてはなりません。

説教:『主イエスを身にまとう』

1、8節の書き出しに「互いに・・・借りがあってはならない」とある。ここを読んだだけでは、どのように前の段落とつながっているのかが、よくわからない。しかし、ギリシャ語の原文では分かるように書かれている。7節に「自分の義務を果たしなさい」とある。「義務」と訳されたギリシャ語は「オフェイラス」という言葉であり、8節の「借りがある」と訳されているのは、このオフェイラスが動詞に変化した「オフェイロー」という言葉である。この言葉が使われていることから、7節と8節がつながっていることがわかるのである。
 内容的には、どうつながっているのか。ローマ教会の信徒、とくにギリシャ・ローマ人からクリスチャンになった人々の中には、奴隷階級の人が多かった。彼らにとっては、この世の主人や自分たちが奴隷となる原因を作ったローマ帝国(奴隷にされる一番の大きな原因は、ローマ帝国による征服であり、征服された地域の人々が奴隷にされた)に対して、どういう態度を取ったらよいのかが、とても切実な問題であった。ギリシャ語のオフェイラスという言葉は、他でもなく、彼らがこの世の主人や皇帝に対して背負っていた義務や負担を意味していた。12章の最後に「悪に負けることなく」とあった。しばしば悪をなす皇帝や主人がおり、彼らにいやがおうでも仕えねばならなかった。憎いと思う心、こんな奴らにどうしてオフェイラスを抱けるのかとの、やり切れない怒りが心を占めていたであろう。もしも怒りや憎しみのままに動かされるのであれば、文字通り身も心も彼らの奴隷になってしまったはずである。だから、たとえ身は奴隷であったとしても、心は自由でなければならないとパウロは語ってきたのであった。心までも奴隷になってはならない。パウロが伝えたかったのは、そのための秘訣というべき事柄だったと思うのである。
 13章1節から7節には、「このような悪をなすことのある皇帝や上に立つ者の権威ではあっても、何らかの理由で神様によって立てられたものであり、その恩恵をあなたがたも受けているのだから、その思意に対しては納めるべきものを納めたらよいではないか」とのパウロの勧めが書かれている。「上に立つ者の権威を、神様からのものとして受け止め、オフェイラスを果たして行きなさい」とパウロは語ったのだった。パウロは、オフェイラスを納めることに意義を見いださせることで、内的な自由を得させようとしたのであった。
 パウロがずっと語ってきたのは、単にこの世の主人や皇帝に対しての義務を果たせということではなくて、おおよそ私たちが制約の下に置かれ不如意で思い通りにならない境遇に置かれたときに、どうしたら内的な自由を持って生きられるかということであったように思う。これは私たちにとっても、とても切実なことかも知れない。現在の私たちは、奴隷ではない。皇帝に仕えさせられている者でもない。しかし、私たちは、それぞれ、多くの制約の下に置かれ、思い通りにならない不如意な状況に置かれている。それが私たちの抱えているオフェイラスなのである。
 7節までの、上に立つ者の権威に対し税金や貢ぎ物を納めるという直接的な問題から離れ、もっと広く私たちがオフェイラスを支払わねばならない状況へとパウロは思いを向けさせているのである。そこから8節の「互いに・・・借りがあってはならない」という勧めが語られたのではなかろうか。

2、では、パウロは一体どういうことをここで勧めているのか。「互いに愛し合うことのほかは、だれに対しても借りがあってはならない」という文章は、その意味を理解しにくいものに感じる。これを文字通り解釈すれば、「愛し合うことが最大の借金だ、オフェイラスだから、それを支払え」というような意味になってしまう気がする。しかし、愛することがオフェイラスであり、負債や義務として、あたかもお互いに払い合わねばならない借金のように受け取られてしまうのは、決してパウロの本意ではないと感じるのである。
 私たちはそれぞれ、健康が思い通りにならないことや、家族の不如意さ等のオフェイラスを抱えている者である。その負債に苦しんでいる者である。パウロが何よりも言いたかったのは、そういうオフェイラスに苦しむ者であっても、互いに愛し合えるということだと思う。そして、そのように互いに愛し合って生きることが、私たちをして、この様々なオフェイラスを抱えて苦しんでいる境遇の中から内的な自由を与えてくれるということではないかと思うのである。互いに愛し合って生きることが、オフェイラスを抱える難儀さを減らすとパウロは勧めているのだと思うのである。
 なぜここでパウロが、律法のことに言及しているのかは定かではない。ユダヤ教の背景を持った信者が、皇帝や主人へのオフェイラスを納めることと律法を守ることの板狭みになっていると聞いたからかもしれない。だから、たとえ律法を守ることをしなくとも、愛することをするならば、律法を果たすことと等しいのだと慰めたのかもしれない。また、十戒の意味のように、それが私たちをして再び奴隷の状況に置かせないための処方義だとパウロが考えたのかもしれな。愛することこそが、私たちをしてオフェイラスを抱えた奴隷的な状態から自由にしてくれる神様からの処方箋だと語ろうとしたのかもしれない。

3、愛することが、どのようにしてオフェイラスを抱えた私たちに内的な自由を与えてくれるのか。先日私は、改めて教えられた。私は先週、東北大震災後、はじめて仙台を訪れた。教区センターエマオに寄り、手に入れたいと思っていた本を買い求め、帰りの新幹線の車内で読んでいた。『ロゴセラピーのエッセンス ―18の基本概念― 』というタイトルの本であった。著者は、フランクルである。この本は『夜と霧』という有名な著作の英語版に付録として付けられた論文をの初訳とのことである。強制収容所に収容されるという状況ほど、オフェイラスを背負う境遇の極致はないかもしれない。そこをどう生き延びてきたかを、フランクルは、ずっと語り続けてきたと言ってもよいと思う。
 確か『夜と霧』の中にも書かれていたエピソードであるが、紹介してみたい。あるとき重いうつ病で悩んでいた同僚の医師が、フランクルのもとにやってきた。彼は深く愛していた妻を2年前になくし、その喪失感を克服できずにいた。フランクルは、この同僚医師にこう尋ねた。「先生、もしもあなたが先に亡くなり、奥様があなたなしで生きていかなければならなかったとしたらどうだったでしょう」と。すると彼はこう答えた。「そのようなことになっていたら、妻はどれほど苦しまねばならなかったことか」と。そこでフランクルは、「そうです。その苦しみを奥様は経験せずにすんだのです。奥様が苦しまずにすむようにしてあげたのはあなたなのです。しかし、その代償として、あなたは奥様より長生きし、その死を悼み悲しまなければならなくなりましたが・・・」と言った。すると彼は何も言わず、フランクルと握手して静かに診察室から出て行った。
 フランクルが同僚の医師に語ったアドバイスは、いつの時代でも、大切な人に先立たれて残された人にとって、本当にふさわしい慰めの言葉であると感じた。私たちは、いつか愛する人を失う。その悲しみを味わわざるを得ない。それがオフェイラスなのである。私たちは、悲しみや嘆きという負債を無理やり払わされている。しかし、その状況が、残された者から愛するということを奪っているかというと、決してそうではないのである。むしろその反対なのである。残された者が、そもそもなぜそのように嘆き悲しむかと言えば、それは愛するからこそのことなのである。大切な人に先立たれるというオフェイラスは、愛するという心までを奪うことはできないのである。むしろ愛するからこそ嘆き悲しむのである。
 そして、フランクルが問いかけたように、その残された者が先に召されていった者に抱く愛は、先立っていった者が、もしも逆に残された者となった時の悲しみを肩代わりしているのである。愛には、そのような意味がある。残された者として背負わされている嘆きや悲しみというオフェイラスに意味がある。私たちは、どんなに体が不如意な状況に置かれても、死の際にあっても、だれかを愛することを妨げるものは何もない。その心の働きを奪うものは何もないのである。そして、その愛には必ず意味がある。愛することがオフェイラスを背負うことに意味を与えてくれるのである。そこに内的な自由が生じるのである。
 パウロは12章の9節以降に、愛することの具体的な姿を記している。ここには愛する姿として、特別に立派なことは書かれていない。貧しい人の貧しさをわがものとして助け、旅人をもてなし、喜ぶ人と共に喜び、泣く者と共に泣けばよいと。私たちは、日々の生活の中で、このような機会にこと欠くことはない。残された者は、その愛を、死んでいった者に注いでいる。だからこそ、その愛は、死んでいった人のみならず、この世で出会うところの、嘆く人々や苦しむ人々にも注げるようになるのではなかろうか。悲しむ者であるからこそ、悲しむ人と共に悲しめるようになるのである。オフェイラスを背負うことは、私たちをして愛に豊かな者とするのである。愛は、オフェイラスを抱えることに意味を与え、内的自由をもたらすのである。

4、11節から14節までの箇所は、一読した印象としては、これまた前節までと全く無関係のように見える。どのようにつながっているのか。13節の最後には「酒宴と・・・捨て」とあり、14節最後には「欲望を満足させようとして・・・用いてはなりません」とある。ここには、おそらくは、ローマ皇帝の支配の下で生きていた人々の姿が、とくにクリスチャンではなかった奴隷であった人達の日常の生きざまが描かれている。12節には「夜は更け」とある。しばしば悪をなす皇帝が支配した世界は、ますます闇が深まって行くように感じられたであろう。そのような時代社会において、皇帝や、この世の主人へのオフェイラスを背負って生きる辛さに、人々はあえいでいたのだと思う。だから人々は、どうしてもここに描かれているような生き方になってしまっていたのではなかろうか。欲望を満たし「肉」と呼ばれる自分を喜ばせる生き方しか思い浮かばなかったのであろう。しかし、そうすることによってオフェイラスを背負う辛さから逃れることができたかというと、そうではなかったに違いないのである。
 フランクルも、「自分自身に関心を持っているかぎり悪循環は断ち切れません(同書、67ページ)」と言っている。だからこそ、自分から関心を離して、他の人に注意を向けることが大事なのである。自分から関心を離して他人に注意を払うこと、これがすなわち愛なのである。9節の「隣人を自分のように愛する」とは、まさにそのことではなかろうか。オフェイラスを課される社会にあっては、自分自身に関心を抱き、おのれの欲望を満たそうとして生きるのでは、決して内的自由を得ることはできないのである。それとは正反対の方向性を持って生きなくてはならないのである。そのための支えとして「主イエス・キリストを身にまとえ」とパウロは勧めたのである。
 十字架の上で「わが神、わが神、なぜ私をお見捨てになったのですか」と叫んだとき、もしかすればイエス様でさえも、自身のみに目を向ける危機に置かれていたのかもしれない。そのイエス様の目を自分から他者へと転換させたのは、イエス様と一緒にはりつけにされた一人の犯罪人からの願いだったのかもしれない。彼の願いに耳を傾け、それをかなえようとする中で、イエス様は十字架というオフェイラスを背負う意味を見いだされたのかもしれない。私たちは、このイエス様を身にまとい、励まされて、さまざまなオフェイラスを課される中を喜んで生きてゆけるのである。

筑波学園教会牧師 福島 純雄

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2017年 3月5日(日)受難節第1主日礼拝

『ヨハネによる福音書 1章 1~5節』

 01:01初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。 01:02この言は、初めに神と共にあった。 01:03万物は言によって成った。成ったもので、言によらずに成ったものは何一つなかった。 01:04言の内に命があった。命は人間を照らす光であった。 01:05光は暗闇の中で輝いている。暗闇は光を理解しなかった。

説教:『はじめに言(ことば)あり』

1 ヨハネによる福音書が書かれた執筆事情として様々な説があるが、ほぼ定説となっているのは、この福音書が西暦90年から100年頃に、今のトルコにあったエフェソという地で書かれたということである。著者については大きく二つの説がある。ひとつは12弟子の一人であるゼベダイの子ヤコブの兄弟のヨハネだとする説。もう一つは、「長老ヨハネ」だとする説である。長老ヨハネとは、第2・第3のヨハネの手紙の冒頭に出てくる人物である。この福音書に私は、哲学的・思索的な感じが強いという印象を受ける。もし著者が12弟子のヨハネだとしたら、執筆当時、すでに100歳位にはなっていただろうとされる。彼がイエス様の昇天以後、様々な経験や学びを積んだとしても、はたしてガリラヤの漁師だった彼に、このような文章が書けただろうかという率直な疑問がわく。
 このあたりの事情を説明する有力な資料が幾つかある。その一つ・・・これはしばしば紹介することの多い、バークレーの注解書から得た知識だが、西暦180年頃に編纂された新約聖書の簡単な目録のようなものが見つかった。これは、発見した人の名前にちなんで『ムラトリ経典表』と呼ばれているのだが、この中でこの福音書については、次のような文章が添えられている。「弟子仲間と監督の依頼によって、弟子の一人のヨハネはいった。『今から三日間、私と断食をして下さい。そして、わたしの執筆に賛成のものであろうとなかろうと、私たちひとりひとりに示されたものは何でも、お互いに語り合いましょう。』皆の者に直してもらいながら、ヨハネがすべてのことを口述する・・・」と。
 この場面についてバークレーは、「紀元100年頃のエフェソには、ヨハネを指導者とする一群の人々がいた。彼らは彼を聖人として尊び、また父として愛した。彼は100歳になっていたに違いない。この年老いた聖なる使徒が、イエスと一緒にいた頃の記憶を、死ぬ前に書き留めておいてくれるならすばらしいことだと、彼らは賢明にも考えた。・・・一人が『イエス様がどのように言われたか、覚えていらっしゃいますか』と言うと、ヨハネは「覚えている。それに、今になってイエス様の言葉の真意が理解できる・・・」と書いている。
 ヨハネによる福音書は、12弟子の一人のヨハネが直接書いたものというよりは、その弟子団が皆で書いたものといってよい。話し合いながら疑問を出し合って、これがイエス様の言葉の真意であろうと皆が納得できるものを記していったのだった。この福音書を読んで、しばしば、まわりくどいような、冗長な印象を受けるのは、このためなのである。

2 この福音書が書かれた動機となった事情はどういうものだったのか。バークレーによれば、大きくは二つの事柄が作用しているとのことである。
 まずひとつ目として、紀元100年頃のキリスト教会が、圧倒的に異邦人とよばれた人々が中心をなす教会となっていたことを挙げている。たとえば、純粋にユダヤ人の人々を相手にイエス様が救い主であると宣べ伝えるならば、マタイによる福音書のように、最初にイエス様の系図を掲げるということが有効だった。しかし、ヘレニズムと呼ばれるギリシャ・ローマ文化の中で育った人々には、もはやそれは何の意味も持たないものとなっていたのである。勿論エフェソを中心とした小アジアの諸教会には、ヘレニズムの中で育ったユダヤ人もいた。彼らにとっても、もう既に、最初に系図が掲げられても、それは意味がなかったのである。そこで、この福音書を書いた人々は、その両方の人々にイエス様が救い主であると宣べ伝えるために最適なキーワードは何であるかを捜し求めたのだった。やっと探しあてたのが「言」、すなわち原文で「ロゴス」という言葉だったのである。
 二つ目は、当時の教会の中に、ヘレニズムの強い影響を受けてグノーシス主義という思想が入り込んでいたことを挙げている。グノーシスとは「知識」という意味である。ひとことで言えば、物質を非常に毛嫌いする考え方である。3節に「万物は・・成った。成ったもので・・・」とあるが、成った万物とはこの物質世界を言い表しているのである。また4節に「言は肉となって」とあるが、この肉も物質を表している。グノーシス主義者は、神様が物質からなるこの世界を創造し、そこにイエス様が肉を持った存在として生まれたことを毛嫌いしたのだった。このようなグノーシス主義に対して戦わなければならないという動機が、ヨハネ一群に、このような福音書を書かせた理由だったのである。そこで有効だと考えられたキーワードも、また「ロゴス」という言葉だったのである。

3 執筆側の事情をこのように考えると、この福音書の書き出しが、なぜこのような独特な文章になっているかが理解できるのである。さらに、なぜロゴスなのか、なぜロゴスという言葉がキーワードとなったのかが分かってくる。
 バークレーの説明によれば、この福音書が書かれたであろうエフェソに、紀元前6世紀にギリシャ哲学の祖とも言われるヘラクレイトスという哲学者がいたことが重要だという。ヘラクレイトスの言葉としては「万物は流転する」というのが有名であるが、バークレーによれば、「(万物はかくのごとく絶えず流転する状態にあるのならば)人生はなぜ完全なる混沌ではないのか。不断の絶え間ない継続的な流転と変化がある世界に、どうして何か意味がありえようか。ヘラクレイトスの答えはこうであった。このすべての偶然と流転はでたらめではなく、支配され、秩序だてられたものである。それは常に継続的なパターンに従っている。パターンを支配しているものは、ロゴスである。」とのことである。このロゴスが、すべての出来事に目的や計画を与えるのだと、また、私たち人間に善悪の判断や正しい選択を行わせる基となるのもこのロゴスなのだと、ヘラクレイトスは考えたというのである。
 ヘラクレイトスが発見したこのロゴスを、ギリシャの人々は決して手放そうとはしなかった。ヘラクレイトスから700年も経った紀元100年のヘレニズム社会に生きる人々にとっても、ロゴスは、もう決して手放せない大切なものとなっていた。混沌や無秩序が支配するかのように見える世界にあって、それにもかかわらず生きてゆく勇気や希望を与えるものであったに違いないのである。5節でいわれている暗闇とは、このような混沌や無秩序を指すものであろう。その中に光が輝いているとは、まさにロゴスのことを指しているのである。だからこそ、このロゴスというキーワードを使ってヨハネの弟子たちは、イエス様が救い主であることを宣べ伝えようとしたのだった。

4 さらに、このロゴスなる言葉は、異邦人にとって、よくわかるキーワードであっただけではなく、ユダヤ人にとっても同じように大事なものだったのである。
 イスラエルの人々が、言葉を、それも神様の御言葉というものを、どれほど大事にしてきたかは、言うまでもないことである。十戒を人々に与えるにあたって、まず書かれていたのは「神はこれらすべての言葉を告げられた(出エジプト記20章1節)」であった。この「言葉」とは、ギリシャ語にすると、ロゴスになる。ヘレニズム社会に育ったユダヤ人であっても、十戒を聞くときに必ず耳にしたのがこの「ロゴス」という言葉だったのである。神様は、人々が再び奴隷とならないための具体的な生き方の処方箋を、他のどんな手段でもなく、ロゴスによって与えたのだった。それは人々が聞いてわかる媒介であった。パウロは、神様がこうした処方箋を、聞いてわかる言葉によって与えて下さったことを喜び、ローマの信徒への手紙の10章8節において、申命記の30章14節を引用して「御言葉はあなたの近くにあり、あなたの口、心にある」と語ったのだった。十戒という神様の言葉こそが、混沌や無秩序の中に生きざるを得なかったイスラエル人に、神様の御心という秩序・原理・光を与え、人々がそれに導かれて生きられるようにしたのだった。それはまさにロゴスそのものの働きなのであった。
 このようにイスラエル人にとってなじみ深いロゴスを、さらにヨハネの弟子たちは、ひと工夫をして、この福音書の書き出しに使ったのだった。書き出しの「初めに言があった」を読んで誰もが思い起こすのは、創世記1章1節の書き出しであろう。明らかにヨハネたちは、創世記の書き出しとオーバーラップさせようとして、わざわざこのような書き出しにしたのである。その心は、異邦人にとってもユダヤ人にとっても大事なキーワードであるロゴスということばが、はじめに天地を創造された神と共にあったものだという、天地を創造された神の本質はロゴスなのだという思いなのであった。「ロゴスは神であった」とは、よく誤解されるのだが、「ロゴス=(イコール)神」という意味ではない。神様にはロゴス以外の性質もある。ロゴスが神様のすべてではない。しかし、少なくとも神様が天地を創造されたとき、その神と共にあり、その神を何よりも満たしていた性質は、まさしくこのロゴスなのであった。
 このように創世記1章1節に重ねあわせてロゴスという言葉が理解されるとき、ロゴスの本質は何かということも、さらによくわかってくる。原理や秩序と言っても様々な原理原則がある。しかし、それが天地を創造された神様と共にあり、その神の本質であったとされるとき、ロゴスの原理とは創造にほかならないということがわかるのである。創造こそが、ロゴスに込められている原理原則なのである。
 創造の中には、破壊も含まれている。いみじくも創世記1章2節には「地は混沌であって闇が深淵の面にあり」とあった。創造と混沌が切っても切り離せない関係にあることが、ここにほのめかされている。しかし、なぜ破壊や混沌や闇があるかと言えば、そこには創造があるからなのである。創造と混沌、創造と闇は別物ではないし、混沌や闇を貫くのは、あくまで創造なのである。それが創造であるから、ここに何よりもあるのは、命ということになる。命の営みには、常に新たな命が創造されるプロセスにおいては、破壊や混沌も生じるのである。しかし、創造を貫くのは命なのである。
 「万物はロゴスによって成った。成ったものでロゴスによらずに成ったものは何一つなかった」との文章に込められている思いがよくわかってくる。何より、戦うべき相手はグノーシス主義ということになる。物質を悪いもの・汚れたものと毛嫌いする考え方に対して、ヨハネたちは「いやそうではない、物質は神のロゴスによって成ったものだ。そこには命がある。」と言っているのである。「創世記の1章に繰り返されているように、神は創造されたものを見て良しと言われたではないか。その神のロゴスが響き渡っているのがこの世界ではないか。そのような世界としてこの世を生きてゆこうではないか。神様の創造のロゴスが響き渡っている世界であるならば、どんなに闇が深くてもそこに私たち人間を照らす光があるではないか」と。そのロゴスが、目に見える存在として私たちのところに来て下さったのがイエス様だと語るところに、この福音書の主眼があったのである。

筑波学園教会牧師 福島 純雄

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2017年 2月26日(日)降誕節第10主日礼拝

『レビ記 11章 44~45節』

11:44わたしはあなたたちの神、主である。あなたたちは自分自身を聖別して、聖なる者となれ。わたしが聖なる者だからである。地上を這う爬虫類によって自分を汚してはならない。 11:45わたしはあなたたちの神になるために、エジプトの国からあなたたちを導き上った主である。わたしは聖なる者であるから、あなたたちも聖なる者となりなさい。

『使徒言行録 10章 9~16節』

10:09翌日、この三人が旅をしてヤッファの町に近づいたころ、ペトロは祈るため屋上に上がった。昼の十二時ごろである。 10:10彼は空腹を覚え、何か食べたいと思った。人々が食事の準備をしているうちに、ペトロは我を忘れたようになり、 10:11天が開き、大きな布のような入れ物が、四隅でつるされて、地上に下りて来るのを見た。 10:12その中には、あらゆる獣、地を這うもの、空の鳥が入っていた。 10:13そして、「ペトロよ、身を起こし、屠って食べなさい」と言う声がした。 10:14しかし、ペトロは言った。「主よ、とんでもないことです。清くない物、汚れた物は何一つ食べたことがありません。」 10:15すると、また声が聞こえてきた。「神が清めた物を、清くないなどと、あなたは言ってはならない。」 10:16こういうことが三度あり、その入れ物は急に天に引き上げられた。

説教:『聖なる者』

1 レビ記は、出エジプト記で与えられた十戒を補うという性格を持っていて、3つの柱がある。レビ記が十戒と密接なつながりがあるということは、45節に如実に現れている。「わたしはあなたたちの神になるために、エジプトの国からあなたたちを導いた神である」とあるが、これは十戒の最初の神様の言葉とほぼ同じである。十戒は、「エジプトの国」という言葉が象徴的に表している奴隷的な状態から、私たちを常に導く神であろうとして与えてくださった処方箋というべきものであり、そこで語りきれなかったことを教えているのがレビ記なのである。
 その3つの柱の第一は、神様に献げるというである。第2の柱が、8章から10章までに書かれている祭司についてであり、第3の柱が、「わたしは聖なる者であるから、あなたがたも聖なる者であれ」という処方箋である。「わたしが聖なる者であるからあなたがたも聖なる者であれ」という処方箋が、なぜわたしたちをして「エジプトの国」という言葉が象徴的に示しているところの奴隷的な状態から私たちを導き出すものとなるのであろうか。そこにはどのような意義が込められているのであろうか。

2 「わたしが聖なる者であるから・・・」とは、このレビ記ではおよそ6回にもわたって、21章まで何度も何度も繰り返されている。新約聖書においても、たとえばぺトロの手紙(一)の1章15節には、レビ記のこの言葉がそのまま引用されているし、それ以外の箇所でも、「聖なる者となりなさい」と、何度も語りかけられている。また、「聖なる」という言葉が「完全」という言葉に置き換えられてはいるが、イエス様が山上の説教の中で「あなたがたの天の父が完全であられるように、あなたがたも完全な者となりなさい(マタイ5、45)」との言葉の元にあるのも、レビ記のこの言葉である。このように、「わたしが聖なる者であるから・・・」という柱は、聖書全体を貫いている太い大黒柱のようなものであると言ってよいと思いう。しかし、この言葉ほど誤解され、本来の意味とは全く違ったものとして読まれてきたものはないだろうと私は感じている。
 11章以降を読むと、よくその捉え方がわかってくる。11章では、汚れているとされる食べ物のリストがずらりとあげられている。それは今日でも、ユダヤ人やイスラムの人々に受け継がれている。12章では、そのタイトルにもあるように、出産した女性についての汚れについてが、13章から14章の中ほどまでには、皮膚に生じた汚れについてが、最後の21章17節以下では、障碍のある人々が汚れているものとして列挙されている。ここに上げられたリストに該当するとされた人々は、ユダヤ人社会において長く、汚れていると見なされて隔離され差別されてきた。障碍ある人やハンセン病の患者が、この聖書の言葉を読んだなら、どれほど傷つくかは、言うまでもない。レビ記の記述は、たとえ聖書の言葉ではあっても、今日では明らかに差別的であると認定されるであろう。
 このようなレビ記の記述は、出エジプト直後に神様自身が語ったものというよりは、時代がかなり後になってから、聖と汚れの捉え方がしっかりと定着した時代の考え方が、出エジプトの時代にはめ込まれたものと理解されていたのだが、ここでは、神の聖について、また「わたしが聖なる者であるから・・・」との言葉についてどう理解されていたかと言うと、概観したところからも明らかなように、人間のある状態を汚れているかそうではないかを選別し、差別し、排除し隔離するような働きをなすものとして理解していたのである。神の聖とは、つきつめれば、人間の側の聖と汚れを差別し区別する隔ての壁を作るための働きをしていたのである。そして、44節に「あなたたちは自分自身を聖別して聖なるものとなれ」とあるように、人間の側がひたすら自分たちの状況を常にチェックして、聖なる状態を獲得しなければならないと理解されていたのである。私たちが聖であるとは、要は清さと同じものである。それは私たちの清めの努力によって手に入れられる状態だと受け止められているのである。今に至るまで、神の聖と人間の聖とは、このようなレビ記の線に沿って理解されてきたのではなかろうか。神の聖は、差別や排除を作り出すためのものとして理解されてきたのである。私は、「わたしは聖なる者であるから・・・」という神様の言葉に対する本当に悲しい誤解としか言いようがないと思うのである。

3 それでは、神の聖とは、そもそもいかなるものなのか。「私が聖であるから、あながたも聖なる者であれ」とは、どのような神様の御心を言い表す言葉なのか。
 使徒言行録10章9節から16節に、そのヒントがある。ぺトロも、ユダヤ人として、このレビ記に表されているような汚れ意識を持っていた。そのために異邦人とよばれていたユダヤ人以外の人々と接触することができず、伝道が妨げられていたのだった。しかし、あるとき彼は、幻を見た。天から吊り下げられた入れ物には、レビ記で汚れているとされていたものが入っていた。それを食べよと言われて、ぺトロは「とんでもない。それはできない。」と断った。それに対して神様は「神が清めたものを、清くないと言ってはならない」と言ったのだった。
 ここにこそ、神の聖とはそもそも何なのかが明らかにされていると私は思うのである。神の聖とは、人間が汚れていると考えているものを神様が清いものとして下さることなのである。人間の側が勝手にその価値観や様々な尺度から区別し差別し排除し隔離しているものを、神様が「清い」として下さることなのである。天から吊り下げられた入れ物が、神の聖を象徴的に見事に表していた。人間が区別し差別してきたものが、このかごにはごっちゃに入っていた。神の聖・清めとは、私たち人間がする区別や差別とはまさに正反対の御業を意味している。一緒にし、壁を壊し、人間が排除してきた状態を肯定し、食べ・受け入れるに良き物として下さるものなのである。
 イザヤ書の6章に、イザヤが預言者として選ばれてゆく場面が記されている。神殿じゅうに「聖なるかな、聖なるかな、聖なるかな」という声が響いていて、それを聞いたイザヤは、普通のユダヤ人祭司(イザヤはレビ人の子孫の祭司だった)としてごく当たり前の反応をした。「災いだ、わたしは滅ぼされる。わたしは汚れた唇の者、汚れた唇の民の中に住む者」と言った。神の聖はイザヤに、まず汚れた者としての自分の否定、汚れた自分の排除という応答を引き起こしたのでした。
 これに対して神様は、そのイザヤの応答を、よしとはしなかった。神様がなさったのは、神殿の祭壇から燃える炭火を取って、それをイザヤのロに触れさせたのだった。「見よ、これがあなたの口に触れたので、あなたのとがは取り去られ、罪は赦された」と言った。そして「誰を遣わすべきか」と言った。「わたしがここにおります。わたしを遺わしてください」というイザヤの言葉を引き出したのだった。神の聖がなさったことは、自分を汚れた者と断じたそのイザヤを清くすることであった。そして、神様の言葉を語るにふさわしい者だと自らを肯定してゆく姿勢をイザヤに授けたのだった。
 神が聖であるからあなたも聖であれとは、神の聖が私たちにふれて下さることで、汚れたところをもっている私たちであっても、そのすべてが肯定されることにほかならない。弱くとも、汚れていても、死にゆく存在であっても、貴く聖なる存在であると肯定していただけることなのである。神の聖とは決して私たち人間の側の、ある状態を選別したり差別したり隔離したりすることを意味しない。むしろ、それとは全く逆の方向性の働きなのである。神の聖に触れて、私たちが聖なる者とされるとは、決して清さは何の関係もないのである。たとえ清くはなくとも、汚れたものを持ったままでも、私たちは神の聖によって聖なる者としていただき、その存在を肯定していただけるのである。

4 「わたしは聖なる者であるから、あなたがたも聖なる者となれ」という神様の言葉は、このような意義があるからこそ、「エジプトの国」から、つまり私たちを奴隷的な状態に縛る様々な存在から、私たちを導き出して下さる神様の働きをなす大切な処方箋となる。
 私たちが、その時々の価値観や尺度で自分自身や周囲の人々を汚れているとか、好ましくないとか、幸いではないといって区別し差別し排除することこそが、私たち自身を縛る「エジプトの国」なのである。このような私たちに、神様はぺトロに語りかけたように「神が聖としたものをあなたがたが汚れているなどと言ってはならない」と力強く語りかけるのである。自分は汚れていると自分自身を排除したイザヤに、燃える炭火を触れさせて「あなたは聖なる者とされた」と言って下さる。そうやって私たちを肯定して大切な働きへと遺わして下さるのである。
 私たちに触れる神の聖とは、私たちを聖とする神の炭火とは、イエス様、それも十字架の上で死なれたイエス様に他ならない。十字架の上で殺されたイエス様こそ、最も汚れているとされた存在であった。事実、ユダヤ人は木の上で殺された者を最も呪われた存在として忌み嫌った。ユダヤ人だけではなく、ローマやギリシャの人々も、十字架の上で死刑にされたイエス様を、そのように見たに違いない。しかし、ルカが自身の福音書の中で、ずっと目をこらしてきたように、この最も汚れたイエス様が、たった一人の、誰も共にいない絶望の中で死んでゆくしかなかった死刑囚に、「自分のような者もこの方と共に神のみもとに行けるのだ」という希望を抱かせて下さった。イエス様の十字架は、この一人の犯罪人の人生を肯定して下さったと私は感じる。このような聖なる働きをなすものとして、神様は十字架のイエス様を肯定しておられるのである。聖なるものとされているのである。だからこそ私たちも、十字架のイエス様を信じ、信仰においてイエス様に触れることで、私たちが差別し排除し汚れていると切り捨ててしまいたいような人生をも、肯定できるようになるのである。聖なるものとして受容できるようになるのである。
 このレビ記の記述は、神の聖への根源的な無理解と誤解に満ちいている。しかし私は、このレビ記には、これほどまでして神の聖に触れたいと願ったイスラエル人の熱い心があると感じる。そのことは認めてゆきたいとと思う。彼らには一体どうすれば神の聖が自分たちのようなものに触れて下さるかがわからなかったのである。だから、精一杯の努力をして神の聖に触れていただくにふさわしい者となろうとしたのだった。それほどまでに神の聖に触れていただいて聖なる者になるということがイスラエル人には不可欠だったのである。しかしその努力は、いつのまにか神の聖の最も大事な根源的な性格を見失わせてしまった。汚れた者をも聖なる者とし肯定して下さる神の聖が、いつのまにかそれとは全く反対に、汚れのない者をも汚れていると断じ、人間を差別し排除する恐ろしい働きをするものに変わってしまったのだった。だからこそ、イエス様は、命をかけて私たちに神の聖を、今一度示す必然性があったのである。イエス様は、自身の十字架の死を通して、私たちが神の聖に触れる道を開いて下さった。イエス様を通して神様から聖としていただけるようになった私たちは、何と幸いであろうか。

筑波学園教会牧師 福島 純雄

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2017年 2月19日(日)降誕節第9主日礼拝

『ローマの信徒への手紙 13章 1~7節』

 13:01人は皆、上に立つ権威に従うべきです。神に由来しない権威はなく、今ある権威はすべて神によって立てられたものだからです。 13:02従って、権威に逆らう者は、神の定めに背くことになり、背く者は自分の身に裁きを招くでしょう。 13:03実際、支配者は、善を行う者にはそうではないが、悪を行う者には恐ろしい存在です。あなたは権威者を恐れないことを願っている。それなら、善を行いなさい。そうすれば、権威者からほめられるでしょう。 13:04権威者は、あなたに善を行わせるために、神に仕える者なのです。しかし、もし悪を行えば、恐れなければなりません。権威者はいたずらに剣を帯びているのではなく、神に仕える者として、悪を行う者に怒りをもって報いるのです。 13:05だから、怒りを逃れるためだけでなく、良心のためにも、これに従うべきです。 13:06あなたがたが貢を納めているのもそのためです。権威者は神に仕える者であり、そのことに励んでいるのです。 13:07すべての人々に対して自分の義務を果たしなさい。貢を納めるべき人には貢を納め、税を納めるべき人には税を納め、恐るべき人は恐れ、敬うべき人は敬いなさい。

説教:『上に立つ権威への対処』

1 新約聖書の信徒向け注解書全集を書いたバークレーは、この箇所の解説の冒頭で「初めて読むと、これは非常に驚く箇所である。すなわちキリスト者の側に、公的権力に対して絶対的服従を助言しているように思われるからである。」と書いている。さらに、これを肯定する立場に立って「しかし事実これは新約聖書全体を通して流れている戒めである」とも書いている(バークレー著、聖書注解シリーズ8『ローマ』P220)。ただ、このようなバークレーの見解がすべての研究者や専門家と同じかと言うと、そうとも言えない。そもそも、この文章を記したパウロの本意が、公的な権力への絶対的な服従を助言するものかどうかは意見が分かれるところである。さらにそれが新約聖書全体を貫く戒めかというと、これまたそうとは言えないと思うのである。
 公的権力と信仰者との関係を考えるとき、私たちが一番のより所としてよいのは、イエス様の「皇帝のものは皇帝に、神のものは神に」との有名な言葉だと思う。イエス様の時代のパレスチナにおいては、占領者として上に立つ権威であったローマ帝国に税金を納めてよいかどうかは、本当に切実な問題であった。これに対してイエス様は、「皇帝に納めるべきものならば納めたらよかろう」と、まず言った。上に立つ者に権威があることで、それによって下の者が受ける恩恵があり、それに対しては納めるべきであるということである。しかし、「神様に納めるべきものは神様に納めよ」ともイエス様は言った。皇帝ではなく、ただ神様だけが私たちに下さるものがあり、それへの感謝を献げるとは、神様を礼拝することであろう。イエス様の言葉は当然、もしも私たちが神様だけに納めるべきものまでも皇帝が私たちに要求することがあれば、それには従ってはならないということに、おのずからなるわけである。イエス様のこの言葉は、公的権力への絶対的な服従を勧めているとは決して言えないのである。

2 まずは、パウロがこの箇所で、そもそも何を本心として言いたかったのかを、できる限り読み取ることからはじめたい。この手紙の12章以降は、パウロがローマ教会の信者たちに、クリスチャンとしての具体的な生き方を教えてゆくところだが、それを語った理由は、ローマ教会の人々が抱いていた切実な間題というものがあったからであった。そういう問題が背景にあって語られたのである。
 では、彼らが抱えていた切実な間題は何であったのか。それをほのめかしているのが、3節の中ほどの「あなたは権威者を恐れないことを願っている」との言葉だと思う。ローマ教会の人々は総じて、権成者つまりローマ皇帝やその下にあった権力を持つ人々を恐れていたということがある。なぜ恐れていたのかと言えば、いろいろな理由が想像できるが、その一つには、ローマにいたユダヤ人たち(クリスチャンとなったユダヤ人も含む、そこには有名なプリスキラとアキラという夫婦もいた)が、紀元49年に、時の皇帝クラウディオによってローマから強制的に退去させられたという事件があったことである。クラウディオが死んだ54年には、帰還が許されたが、いつまた皇帝の命令によって立ち退きを余儀なくされるかを恐れざるを得なかった。恐れだけではなく、皇帝への恨みや憎しみもあっただろうと私は想像する。ローマ教会には、奴隷階級の人が多かった。奴隷となった原因は様々だったが、最も大きな原因は、ローマ帝国が征服した地域の人々を強制的に奴隷にしたことであろう。その子孫は、奴隷として留まらざるを得なかった。親や自分たちを奴隷とした帝国への憎しみは消えることはなかったであろう。
 こういった恐れや憎しみを抱きつつ、しかし現実としては、ローマ皇帝の下で生活してゆかざるを得なかった。奴隷から解放されるのはなかなか難しかったであろうし、皇帝の権威の及ばないところで生活することも非現実的であった。恐れや憎しみを抱きながら、その下で生きざるを得なかった彼らは、本当に難儀であったろう。辛かったであろう。だから、このような中で、どのように生きたらよいかということが、切実な問題だったのである。

3 こういう状況の下で、どうやって生きたらよいか。恐れを抱きつつ、また憎しみや恨みの感情を抱きつつ、上に立つ権威のもとで生きるということは、恐れや憎しみや恨みといった感情を長く抱いて、そこに留まるという生き方は、決して健やかにはしない。長く抱いた恐れや憎しみの感情は、それを抱く者をボロボロにするのである。だから、そうした境遇の下にありながらもなお、そこから逃れられないからこそ、恐れや憎しみという感情に支配されて生きることから解放される必要があったのである。それは内面的な自由を持つことである。強制収容所を生き延びた精神科医であるV.フランクルの著書『それでも人生にYesという』を思い起こす。まさにそのタイトルが言うところである。あるいは、渡辺和子シスターの著書『置かれた場所で咲きなさい』を思い起こす。
 どのようにしたら、この状況にYesといい、そこでも咲けるのか。それが13章の書き出しでパウロが語るところだと思うのである。その根本には、その状況にも神様の御旨があるのだと受け止めることがある。「神に由来しない権威はなく・・・すべて神から立てられたも」との言葉の本意は、その権成の存在にも神様の御心があり神様が与えた何かしらの存在理由があって立てられたものだという思いである。だから、その権威の下で生きることにYesと言うことができるのである。そこでも花を咲かせることができるのである。その状況でも神様が、天から降らせて下さる雨も光もあると知ることなのである。
 詩編57編には、ダビデがサウルに追われて洞窟に逃げ込んでいたときに作られたものとのただし書きが付けられている。どれだけの年月であったかは、正確にはわからないが、サウル王の後に王となるべき者として選ばれたはずのダビデは、先に王となったサウルから執拗に命を狙われ逃げ続けなければならなかった。長い間ダビデは、サウルからの憎しみと敵意にさらされたのだった。そのような状況で、私たちであればどうであろうか。どのような洞窟に逃げ込むであろうか。とにかくサウルを恐れるか、あるいはひたすら憎み返し、機会をみつけてサウルを殺そうとするかであろう。しかし、ダビデがそのような洞窟へ逃げ込んでいたとしたら、おそらくダビデは、長く抱いた恐怖や憎しみゆえに、心も体もボロボロになっていたのではなかろうか。また憎しみにまかせて反撃し、サウルを殺してしまったとしたら、決して王になることはなく、ましてや詩編の中に、彼の詩が幾つも載るようなことにはならなかったと思うのである。
 ダビデが逃げ込んだ洞窟は、神様を避け所とすることであった。それはどういうことであったか。ダビデが隠れていた洞窟に、偶然サウルが用を足しに入ってきた。ダビデの部下は、今こそサウルを殺すチャンスだと言った。ダビデもそれに心を動かされてサウルの衣服の端をちょっと切り取つてしまった。しかしすぐさまダビデはこれを後悔したのだった。ダビデは「主が油を注がれた方(サウル)に、わたしが手をかけ、このようなことをするのを主は決して許されない。彼は主が油を注がれた者なのだ(サムエル上24、7)」と言った。これこそ、ダビデが神様を避け所としていた有り様なのである。自分を殺そうとしていたサウルさえ、神様が選んだ者だと受け止めて、ダビデはサウルの敵意や憎しみに、同じものを返すことはしなかったのである。ダビデは、サウルへの恐れや憎しみに支配されることがなかったのである。この状況にも神様の御心があると受け止めて、この状況でも自らのなすべき事を果たしてゆこうとしたのだった
 ダビデのサウルへのこの態度は、バークレーが言うような絶対的服従と言えるものであろうか。絶対的服従というなら、それはサウルの命じる通りにサウルのもとに投降し命を取られてしまうことである。しかしダビデはそうはしなかった。サウルの命令に反して逃げ回り、隠れ続け、不服従を続けたのだった。そしてダビデは、サウルが神様から選ばれた者であることを認め、自から剣を振るうことをしなかった。服の端を切り取ったことさえ後悔した。パウロが勧めるところの「従う」とは、このようなダビデの態度を言うものではなかろうか。

4 それでは、パウロは上に立つ者の権威、具体的にはローマ帝国にどのような神様の御心というものを見ていたのであろうか。3節には「悪を行う者には恐ろしい存在です」とあり、4節には「権威者はいたずらに剣を帯びているのではなく・・・怒りをもって報いる」とあり、6節には「あなたがたが貢を納めるのも・・・そのことに励んでいるのです」とある。パウロが言わんとしたのは、要するに、上に立つ権威は特に悪を行う者を恐れさせ、それを抑止し、時には剣の力をもって悪に報いるために、神様から立てられ仕えているということだと思うのである。上に立つ者の権威が、そのような働きをしてくれているからこそ、税金を払うのだと、パウロは勧めたのだった。
 これは、冒頭に書いたイエス様の言葉とも相通じるものがある。イエス様は皇帝に税金を納めることは是か非かと質問した人に対して、『デナリ銀貨を見せなさい』と言った。ローマからはるか遠くに離れたパレスチナにさえローマ皇帝の像が刻まれた貨幣が流通していた。それは曲がりなりにもローマの権威によって貨幣が信用をもって流通している社会が成り立っていたということである。『パックス・ロマーナ(ローマによる平和)』という有名な言葉がある。時には悪しきことも為し、そのために剣をふるうこともあった権成だが、社会の秩序を法によって保ってくれていたのである。そうであるならば、その恩恵に対して納めるべきものは納めたらよいではないかとのイエス様の言葉なのであった。パウロが言うのも同じである。上に立つ者の権威としての帝国は、何よりも悪を抑え、悪に報いたのであった。人間の持つ権威であるから、悪を抑え悪に報いるはずの剣が、時には自ら悪しきことに手を染めるために使われたであろう。これが人間の権威の限界といえる。しかし、そこにも神様の御心を認めてYesといって生きる。
 しばしば悪しきことを為す権威や権力にも存在理由があるのだと私は改めて教えられた気がした。アメリカをはじめとする国々の攻撃によってイラクのフセイン政権が無理やり崩壊させられたがために、ISというそれ以上の悪が生まれてしまった。専制的な政治を崩壊させた「アラブの春」が、嵐のように起きた後、かえってシリアの内乱が生じてしまった。私自身、とにかく上に立つ者の権威を嫌い敵視してしまうが、しかしそこにも人間が持っているどうしようもない悪を抑えるという神様の御心がある。勿論、上に立つ者の権成がそうした神様から与えられた役割を逸脱して、常に悪をなし、また、私たちが神様にのみ献げる感謝や礼拝をも自分たちに向けるよう要求するようになるなら、私たちはそれに対して不服従の態度を取るしかないのである。それはダビデがサウルに対して取ったような態度であろう。私たちに難儀を強いるような上に立つ者の権威に事欠かないこの社会である。その社会から離れて生きることなどできない私たちである。そのような社会を、ただ嘆き敵視するだけでは、私たちに生きるすべはない。そのような権成にも神様に由来する何かがあることを認め、納めるべきものは納め、しかし神様に献げるべきものは献げて生きることは、私たちにもできるのである。

筑波学園教会牧師 福島 純雄

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2017年 2月12日(日)降誕節第8主日礼拝

『ルカによる福音書 23章 50~56節』

23:50さて、ヨセフという議員がいたが、善良な正しい人で、 23:51同僚の決議や行動には同意しなかった。ユダヤ人の町アリマタヤの出身で、神の国を待ち望んでいたのである。 23:52この人がピラトのところに行き、イエスの遺体を渡してくれるようにと願い出て、 23:53遺体を十字架から降ろして亜麻布で包み、まだだれも葬られたことのない、岩に掘った墓の中に納めた。 23:54その日は準備の日であり、安息日が始まろうとしていた。 23:55イエスと一緒にガリラヤから来た婦人たちは、ヨセフの後について行き、墓と、イエスの遺体が納められている有様とを見届け、 23:56家に帰って、香料と香油を準備した。婦人たちは、安息日には掟に従って休んだ。

説教:『墓に葬られる』

1 十字架の上で息を引き取ったイエス様の遺体を、アリマタヤのヨセフが丁重に葬ったという出来事が記された箇所である。使徒信条の「死にて葬られ」の「葬られ」の部分に相当する出来事である。この使徒信条という信仰告白はとても簡潔な信条で、特に福音書に書かれているイエス様の生涯については何も語られていない。「おとめマリヤより生まれ」の後は、一気に「ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け」と受難の出来事へ飛んでいる。それなのになぜわざわざ「死にて葬られ」と葬られたことに言及するのか。これについて、宗教改革が生み出した有名な信仰問答(受洗志願者が学ぶ信仰に関する問答集)であるハイデルべルグ信仰問答の第41問は、「なぜ彼は葬られたのですか」という問いに対し「それによって、彼が本当に死んだことが証言されたのです」と短く答えている(『ハイデルべルグ教理問答講解』登家勝也著による)。なぜイエス様の葬りの出来事を告白するかというと、それはイエス様が確かに死んで遣体となって葬られたことを証言するためだと言うのである。使徒信条ができた時代には、神であるイエス様が人となり十字架の上で殺され遺体となって墓に葬られたのは幻に過ぎないという教えが広まりつつあり、これをはっきりと退けるために「死にて葬られ」という告白がなされたとよく言われる。ハイデルベルグ信仰問答も、この線に立った理解であろう。
 しかし、私としては、他の3つの福音書も含め、イエス様の葬りの出来事が記されたのは、単にイエス様の死が確かなことであり、イエス様が確かに遺体となって墓に葬られたことを記すためだけのものではなかったと思うのである。また、単にアリマタヤのヨセフが、イエス様の葬りをしたことが事実だったから書かざるを得なかったという理由からでもないと感じるのである。そこにはもっと何か深い意味が込められているような気がしてならないのである。

2 イエス様が死に向かい合い、また十字架の上でつらい死を味わわれたからこそ、そこから、私たちに語りかけられ、与えられたものがあった。最後の晩餐での言葉は、死を直後にひかえた遣言だからこそ、真実味をもって私たちに迫るのである。イエス様を殺そうとした者への赦しの言葉は、殺される立場にあった十字架の上からのものであるからこそ、真実味があり、十字架の上におられた故に同じように十字架につけられた一人の犯罪人に「私はあなたと共にいる。あなたを楽園へと連れて行く」との言葉をかけることができ、十字架の上の姿がローマ軍の100人隊長をして「この人は正しい人だった」と神様を賛美せしめたのだった。総じて言うならば、イエス様の十字架の死がたたえている何とも言い難い意味深さ、思いがけない働きというものを感じるのである。十字架の上で殺されるということは、むごたらしい、呪われたとされる死であった。何の価値もないと見られる非業の死にすぎなかった。しかし、イエス様の十字架の死は、何とも言えない意味を持ち、驚くべき働きをしたのだった。
 十字架の上で殺された犯罪人の遺体は、大抵は、だれも引き取る者などなく、そのまま野さらしにされ鳥や獸の餌食になるばかりだったと言われている。それらは、だれもかかわりを持ちたくなかった遺体であった。ところが、このときばかりはその遺体は、アリマタヤのヨセフに、驚くべき行動を取らせたのであった。51節には「同僚の決議や行動には同意しなかった」とあるが、しかし、はっきりとした反対を表明することは、とうとうできなかったのであろう。だから、同じ場面を記したヨハネは、19章38節で「イエスの弟子でありながら、ユダヤ人たちを恐れて、そのことを隠していた」と随分厳しい書き方をしている。そのようなヨセフが、勇気を出してピラトのもとに行き、イエス様の遣体の引き取りを申し出たのであった(マルコによる福音書15章43節)。イエス様が存命中の時には決してできなかった、いわゆるカミングアウトといえるかもしれない。ヨセフは、自分がイエス様に心を寄せた者であったことを公にしたのであった。それは、70人議会の一員としては、仲間たちを真っ向から敵に回してしまうことだったであろう。一挙にこれまで築いてきた立場や地位を失わせることになったであろう。イエス様の遣体を葬るということは、このような大それたことだったのである。惨めなむごたらしい遺体が、ヨセフに、そのような行動をさせる力を持つていたのである。その遺体には、そのような力があったのである。

3 こうした一連の、イエス様の十字架の死の出来事、またその遺体の葬りが持っていた深い意義と働きが記されたことは、私たちにも次のようなことを語りかけてくれている。それは、私たちの死にも、また葬りにも、そのような意味があり働きをすることがあるということである。勿論イエス様の死は、特別の死であって、私たちの死とは全く別のものであった。私たちの死が、イエス様のそれと同じような意味を持つとか働きをするなどとは、到底言えないことはわかっている。しかし、イエス様の死や、その葬りが、そのようなものであるならば、私たちの死やその葬りにも、何かしら同じような意義があり、同じような働きをすることがあるのではなかろうか。死は、人生の終わりであり、もはや何の意味も持ち得ない状態ということはないのである。生きておられたイエス様が、隠れキリシ夕ンのような者だったヨセフを、その状態から前へ進み出させることができなかったのに、イエス様の遺体がそうさせたように、私たちの死が、またその葬りが、残された人々に大きな一歩を進み出させることがある。
 イエス様の遺体を葬ることの何が、ヨセフをしてこのようにさせたのか。イエス様が命をかけて、「わが神、わが神何ゆえ私をお見捨てになったのですか」と叫びつつも、最後まで神様を信じて生きたその姿に、心を動かされたということもあったであろう。しかし、私が感じる理由は、もっとシンプルなものである。十字架にかけられた犯罪人の遣体は、だれも引き取り手などなく、野ざらしにされていた。ヨセフには、このことが、到底受け入れがたかったのだと思うのである。自分が心を捕らえられたイエス様の遺体が、墓にも納められず野ざらしにされて鳥や獸の餌食にされるなど、彼には我慢がならなかったのであろう。だから、後先も考えず、自分でも思いがけず取った行動がここに書かれたのであろう。勇気というよりは、いたたまれずに取った行動なのではなかったか。私にはそのように感じられる。

4 だからこそ、私たちの死が、またその葬りが、残された者たちに思いがけない大きな一歩を踏み出させることがあると言えるのである。また逆に、こういうことも言える。私たちがだれかの死に直面し、その遣体を葬る中で、私たちがそれまではどうしても越えることのできなかった一線を越えて、ある重大な一歩を歩み出すことがあるのではなかろうか。その機会は、文字通りの死や遺体を葬ることでないかもしれない。誰かが死に瀕するような、あるいは遺体と同じように布にくるみ手厚く介抱してあげねばならないような状態になること、それは、たとえば現在ヨーロッパに押し寄せている難民たちがそうであるかもしれない。私たちが身近に出会うところの何らかの助けを必要としている人々かもしれない。そういう存在に出会うことが、私たちをして思いがけない一歩を踏み出させることとなるのだと語りかけられているように思うのである。このことから言えば、死人になること、葬られる者となること、また逆に、死人を葬り、それと等しい状態になった人と出会うことは、どれほど私たちにとって、幸いであろうかと思うのである。
 昨年の暮れ近くに、これまで私たちの教会員の葬儀の際には専属の係のようにお手伝いして下さった葬儀社のFさんが牧師館を訪ねてこられ、今度その葬儀社を退職するのだと言われた。理由を尋ねると、ひとつには介護が必要な障がいを持った夫人のためには24時間態勢の仕事は無理とのことであった。しかし、それだけではないと言われた。葬儀の手助けをする意義を感じなくなったというのである。最近では、病院で人が亡くなると、すぐに火葬場へ直行し、あっという間に納骨が済んでしまう。あたかも死が、その遺体が、さっさと片付けてしまいたいもののように扱われてしまうのである。その手伝いを、たとえお金をもらってでも、つらい気持ちになってしまったのかもしれない。この時代の中にあって、勿論事情があって一日で葬儀を終えたいということもあろうが、しかし、私たちは何日何日もかけて、納棺・出棺・前夜式・葬儀・火葬・埋葬としてゆきたい。なぜそうするかと言えば、その源にはヨセフがイエス様を葬ったということがあるのではなかろうか。
 田川健三の『キリスト教思想への招待』という本に、このようなことが書かれている。キリスト教を国教としたコンスタンティヌス大帝の甥に、背教者ユリアヌスという皇帝がいて、彼はキリスト教が大嫌いで、何とかして再び帝国を昔ながらの神々を信じる国に戻そうとした。しかし、なかなかそれがうまくゆかなかった。そこで、何を思ったか大嫌いなキリスト教を見習えと地方の役人たちにおふれを出した。キリスト教が大嫌いな皇帝が見習えと言っていることなので、信憑性が極めて高い。ユリアヌスが見習えといったことは3つあった。その中に「死者の埋葬に関する丁寧さ」があった。なぜ私たちの先達たちは、死者を丁寧に埋葬したのか。そこにはイエス様がヨセフによって丁寧に理葬されたという事実が横たわっていると思うのである。あくまで伝説ではあるが、このできごとの後、アリマタヤのヨセフは、今のイギリスに渡って伝道をしたと言われている。その際、イエス様の十字架の血を入れた最後の晩餐の時に用いられた杯を携えていたといわれ、それが有名な『聖杯伝説』の基となっているという。

5 こうしてイエス様の埋葬が終わって安息日が始まっていった。イエス様の遺体には、安息日などに何のかかわりもなくなってしまった。死んだ者には、安息などもはや必要ではないのは、確かにその通りである。しかし私は、イエス様がヨセフの用意した墓に葬られた後に安息日がやってきたということから、死んだイエス様にも安息は必要だったのだと感ぜずにはおられない。ヨセフがいてもたってもいられずに、多くのものをを失ってまでなした行動、それによって墓に葬られて、イエス様はやっと安息を迎えられたのではなかろうか。
 そして、このヨセフの備えた墓が、やがて空の墓となり、イエス様がそこから復活をなさったところの、いわば卵の殼のような存在となったのである。神様がなさしめたイエス様の復活と、ヨセフがイエス様のために墓を備えたこととは、何の因果関係もないように思える。ヨセフの行為がなくとも、神様はイエス様を復活させたであろう。しかし、ヨセフが備えた墓であったればこそ、神様もそれを器として、イエス様の復活の場所として用いたのではなかろうか。死んでしまった者を丁寧に葬ること、十字架から降ろして亜麻布で包み、まだだれも葬られたことのない新しい墓に納めたこと、死んだ者にも安息をとの思い、それらすべては無駄と言われることかもしれない。しかし、このような関わり方こそが、生きている者にそれまで踏み出せなかった新しい歩みを始めさせるものとなるのである。私たちクリスチャンの生き方の根源的な特徴が、このヨセフの姿に現れているように思うのである。

筑波学園教会牧師 福島 純雄

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2017年 2月5日(日)降誕節第7主日礼拝

『レビ記 7章 37~38節』

07:37以上は焼き尽くす献げ物、穀物の献げ物、贖罪の献げ物、賠償の献げ物、任職の献げ物、和解の献げ物についての指示であって、 07:38主がシナイ山においてモーセに命じられたものである。主はこの日、シナイの荒れ野において、イスラエルの人々に以上の献げ物を主にささげよと命じられたのである。 08:01主はモーセに仰せになった。

説教:『捧げる喜び』

1 レビ記には3本の柱があると思う。1本目の柱は7章まで。2本目の柱は、祭司のあり方。3本目の柱は犠牲を献げるイスフ工ル人のあり方である。
 1番目の柱である献げ物について。38節の最後、これは「主はこの日、シナイの荒れ野において、イスラエルの人々に以上の献げ物を主にささげよと命じられた」とある。出エジプト記と同様、果たしてここに書かれている通りのことを荒れ野において実行すべきこととして神様が命たかということがある。エジプトを脱出して荒れ野をさまよう難民状態にあった人々が、ここに書かれている通り実行できたとは、到底考えられない。多くの学者たちも、そのように考えており、献げ物だけでなく、このレビ記全体は、実際にイスラエル人において定着して行われるようになったよりもだいぶ後の時代にまとめられたものだというのが定説である。
 しかし、レビ記に書かれていることがすべて後代のものかと言うと、そうとは言えないと思う。幕屋が建てられたことも、その基本的な部分については、出エジプト時代になされたものであるように、その幕屋において何らかの献げ物が捧げられ、儀式を司る役割の者が立てられたということはあったのではなかろうか。出エジプト記の3章18節、モーセがはじめてエジプト王に面会して語るべき言葉として神様から託されたのは、「荒れ野に行かせて、私たちの神、主に犠牲をささげさせてください」との言葉であった。出エジプト記の5章には、その指示通り、モーセはエジプト王に語っている。エジプトを脱出して荒れ野を歩むこと犠牲を献げることは、密接不可分なものとして結び付いていることが感じ取れる。レビ記に書かれていることは、実際には行われなかったとしても、犠牲を献げるという神様から示された大切なものとして行われていたのではなかろうか。

2 エジプトを脱出し、荒れ野をさまよったイスラエル人にとって、なぜ献げ物を献げることが大事だったのか。献げ物を献げることの意義はどういうものだったのか。それは、十戒を振り返ることで、よくわかる。
 神様は、エジプトで奴隷だったイスラエル人を救い出し、もはや2度と奴隷となってはいけないと十戒を与えたと言ってよいと思う。だから、十戒の扇の要は、「わたしは主、あなたの神、あなたをエジプトの国、奴隷の家から導き出した神である」との言葉であった。これは過去形で訳されているが、そもそもの意味は、未来永劫、繰り返し、神様は私たちをエジプトの国や奴隷の家から導き出し続けるというニュアンスなのである。神様が私たちに与えて下さった具体的生活の指針、いわば処方箋のようなものが十戒なのである。そして、レビ記というのは、この十戒という処方義をさらに具体的に実行してゆくための細則のようなものだと理解してよいのである。
 いつの時代でも、私たちを奴隷のような状態に置くエジプトの国のようなもの、また家がある。わたしは、この十戒の最初の「奴隷の家から」という言葉に強く心を惹かれる。私たちを縛り拘束するのは、決して国とか権力とか言われるものだけではなくて、むしろ家とか家族関係こそが、しばしば私たちを拘束する。家や家族が、私たちを縛るという。私はこの「エジプトの国、奴隷の家から」という言葉にそういう意味を感じ取る。神様の私たちに対する御心・かかわりの根源には、私たちを奴隷状態から導き出すということがある。そのための根本的な十の処方箋が十戒だとすれば、レビ記で記されているのは、その細則だと言ってよい。そして、その細則たるレビ記で、最初に教えられているのが献げ物を献げるということなのである。神様に献げ物を献げることによって、私たちはエジプト王や家の奴隷となることから導き出される。

3 では、なぜ献げることが、国や家やこの世の関係の中でしばしば奴隷にされる私たちを、導き出して下さることになるのか。その献げ物の最初にあげられているのが、「焼き尽くす献げ物」である。それは文字通り、献げられた動物が、だれのものともならずに煙となって焼き尽くされてしまうものである。つまりは無駄に浪費されるのである。この献げ物と、イスラエル人が、エジプト王の下で献げさせられていたであろう献げ物を想像し較べてみて欲しい。エジプト王のもとで献げさせられていた献げ物とは、具体的に言えばレンガであった。レンガを生産する労働であった。出エジプト記の5章で、モーセから「荒れ野で犠牲を献げさせて下さい」と言われたエジプト王は、「お前達はなぜ彼らを仕事から引き離そうとするのか。お前達も自分の労働に戻れ」と言った。神様に犠牲を献げることと、王のためのレンガを焼く労働が鋭く対立していたのがわかる。イスラエル人にしても私たちにしても、要は、どれだけレンガを焼き、どれだけ王や国に貢献したかで、その価値を計られる。雇用関係の中でも、そして家族関係の中でも、突き詰めればそうであろう。目に見えて会社や家族に貢献するものをどれだけ生み出したかで、私たちの価値は決まる。そして、それこそが私たちを奴隷にしてしまう根本的な価値観なのである。
 ところが、焼き尽くす犠牲を献げるとは、どうであろうか。それは、文字通り燒き尽くして煙りにしてしまう。全くの無駄であり浪費である。それを評価するのは誰か。それを喜ぶのは誰か。それこそが神様のみなのである。37節にあげられている6つの献げ物のうち、焼き尽くす献げ物と穀物の献げ物と任職の献げ物と和解の献げ物の4つについて、次のような注目すべき言葉が語られている。焼き尽くす献げ物については、1章で3回(9、13、17節)、穀物の献げ物については2章で9回、和解の献げ物については3章で7回、任職の献げ物については6章で14回、「なだめの香り」という言葉が出てきている。
 これは非常に誤解を招きやすい表現であるが、決して神様が献げ物によってなだめすかされて、ご機嫌を良くするというような意味ではない。残念ながら、周囲の国々の影響なども受け、しばしば献げ物がそのような意味を持つものとして受け取られてしまうようになった。詩編50編13節では「わたしが雄牛の肉を食べ、雄山羊の血を飲むとでも言うのか」と神様からの痛烈な皮肉が語られた。「なだめの香り」とは、ただただ神様が私たちの献げる献げ物を大いに喜んで下さることを言わんとするものである。この世の王様のためでなく、国家のためでもなく、会社や家族のためでもなく、ただただ神様のためにのみ、それもこの世的には全く無駄になってしまうような形で献げられるからこそ、神様は大いにこれを喜ぶのである。この神様だけが下さる評価、神様の眼差しこそが、私たちをエジプトの国から、奴隷の家から導きき出すものなのである。
 ローマの信徒への手紙の12章のはじめで、パウロが「自分の体を神に喜ばれる聖なる生けるいけにえとして神に献げなさい。これこそあなたがたのなすべき礼拝です」と語っていた心は、まさにレビ記が勧めるものと一緒なのである。この世の主人の文字通りの奴隷として、主人からの評価に悩み苦しんでいた信徒たちに、パウロは「あなたがたには自分の体を神様に献げる領域があるではないか」、「あなたがたの献げるものを神様は喜んで下さるではないか」、「そこに、たとえ奴隷であっても、自由でありうるあなたがたの生き方があるのだ」と勧めていた。そして、パウロは「献げる」ということは、礼拝にほかならないと言っていた。
 本当にそうだと思う。私たちが献げる礼拝こそが、焼き尽くす献げ物にほかならない。礼拝で棒げられるものの中で、唯一形として残り、この世的にも貢献する献げ物としては、献金があるかもしれない。教会を支え牧師を支えるものとなりる。しかし参席者が日曜日の大切な時間の半分近くを献げること、牧師が1週間精一杯備えてする説教、奏楽者の奏楽、参席者の賛美、そうしたものは本当に煙のように消えてしまう。目に見える形ではどこにも残らない。モーセに対し「労働に戻れ」と言ったエジプト王と同じように、この世の王たちも家族さえも、私たちを見ているであろう。「あなたがたは、何と無駄なことをしているのか」と。「あなたがたは、日曜日の折角の時間を浪費しているのか」と。しかし、私たちは神様が喜んで下さる献げ物を捧げているのである。それによって、エジプト王や家に対峙しているのである。彼らとは全く違う価値観の下で生かされているのである。神様に喜んでいただける者として、私たちの意義を肯定していただいているのである。これこそが、私たちを奴隷の家から導き出して下さるものなのである。

4 さて、37節にあげられた6つの献げ物の中で、先ほどあげた4つのものとは性格の違う献げ物がある。前の4つには「なだめの香り」が付随していたのに対して、贖罪の献げ物と賠償の献げ物には、その言葉がない。この2つは、他の4つとは明らかに性格が違うことが示されている。
 どうも贖罪の献げ物と賠償の献げ物との違いが今一つよくわからないが、要はどちらも神様との間柄においてふさわしくないことをイスラエル人がしてしまったとき、そのふさわしくなさを動物の命をもって償う、理め合わせをするというものなのだと思う。なぜ動物の命なのか。犠牲として殺される動物の身としては、たまったものではないが、本来ならふさわしくないことをした当人が償い理め合わせをしなければならない。
 しかし、それができない。なぜかと言えば、病気でたとえるなら、その人自身が病んでいるからである。ふさわしくないことをしてしまったその人自身が健やかではない。だから健やかな存在の命-それは動物に過ぎないのだけれども-の犠牲をいただいて、病いを埋め合わせしてもらう。健やかさと病いとが、交換され移植されると言ってもよい。
 なぜ神様はエジプトを脱出し荒れ野を歩むイスラエル人に、奴隷にならないための処方箋として、このような処方箋を与えたのか。なかなかうまい説明が見つからないが、それは、この世の王様や家の奴隷として生きるのではなく、神様との間柄に生きる者であるがゆえの独特の倫理観のような感覚を身につけて生きることが大事だからだと思う。そういう独特の備理観を身につけて生きることが、王や家の奴隷にならないように私たちをさせてくださるのである。
 王や家の奴隷であるならば、その利益になるのであれば、何をしても構わない。たとえ人を殺しても奪っても、それが王の利益になるのであれば許され、むしろ大いに評価される。しかし、神様との間柄に生きる者としては、そうではない。たとえ王の利益になろうとも、家の為になろうとも、してはいけないことがある。それをすることがふさわしくなく、私たちを根源から汚すことがある。神様との間では汚れてしまっているとの感覚の大事さがある。そして、その汚れを、汚れてしまった自分ではなく、他の汚れていない生き物の命によって清めていただくことの不可欠さ。これが、贖罪の献げ物と賠償の献げ物の意味するところなのである。私たちは、この感覚を受け継いでいる。動物の命ではなく、イエス様の命によって、汚れたところを清めていただこうとする存在が私たちなのである。

筑波学園教会牧師 福島 純雄

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2017年 1月29日(日)降誕節第6主日礼拝

『ローマの信徒への手紙 5章 1~11節』

05:01このように、わたしたちは信仰によって義とされたのだから、わたしたちの主イエス・キリストによって神との間に平和を得ており、 05:02このキリストのお陰で、今の恵みに信仰によって導き入れられ、神の栄光にあずかる希望を誇りにしています。 05:03そればかりでなく、苦難をも誇りとします。わたしたちは知っているのです、苦難は忍耐を、 05:04忍耐は練達を、練達は希望を生むということを。 05:05希望はわたしたちを欺くことがありません。わたしたちに与えられた聖霊によって、神の愛がわたしたちの心に注がれているからです。 05:06実にキリストは、わたしたちがまだ弱かったころ、定められた時に、不信心な者のために死んでくださった。 05:07正しい人のために死ぬ者はほとんどいません。善い人のために命を惜しまない者ならいるかもしれません。 05:08しかし、わたしたちがまだ罪人であったとき、キリストがわたしたちのために死んでくださったことにより、神はわたしたちに対する愛を示されました。 05:09それで今や、わたしたちはキリストの血によって義とされたのですから、キリストによって神の怒りから救われるのは、なおさらのことです。 05:10敵であったときでさえ、御子の死によって神と和解させていただいたのであれば、和解させていただいた今は、御子の命によって救われるのはなおさらです。 05:11それだけでなく、わたしたちの主イエス・キリストによって、わたしたちは神を誇りとしています。今やこのキリストを通して和解させていただいたからです。

説教:『キリストに救われて』

 説教の音声配信はありません

 説教要旨の掲載はありません

シャローム伝道所 牧師 小形 泰代

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2017年 1月22日(日)降誕節第5主日礼拝

『ローマの信徒への手紙 12章 9~21節』

12:09愛には偽りがあってはなりません。悪を憎み、善から離れず、 12:10兄弟愛をもって互いに愛し、尊敬をもって互いに相手を優れた者と思いなさい。 12:11怠らず励み、霊に燃えて、主に仕えなさい。 12:12希望をもって喜び、苦難を耐え忍び、たゆまず祈りなさい。 12:13聖なる者たちの貧しさを自分のものとして彼らを助け、旅人をもてなすよう努めなさい。 12:14あなたがたを迫害する者のために祝福を祈りなさい。祝福を祈るのであって、呪ってはなりません。 12:15喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣きなさい。 12:16互いに思いを一つにし、高ぶらず、身分の低い人々と交わりなさい。自分を賢い者とうぬぼれてはなりません。 12:17だれに対しても悪に悪を返さず、すべての人の前で善を行うように心がけなさい。 12:18できれば、せめてあなたがたは、すべての人と平和に暮らしなさい。 12:19愛する人たち、自分で復讐せず、神の怒りに任せなさい。「『復讐はわたしのすること、わたしが報復する』と主は言われる」と書いてあります。 12:20「あなたの敵が飢えていたら食べさせ、渇いていたら飲ませよ。そうすれば、燃える炭火を彼の頭に積むことになる。」 12:21悪に負けることなく、善をもって悪に勝ちなさい。

説教:『クリスチャン生活の喜び』

1 この聖書箇所のタイトルには「基督教的生活の模範」とある。「愛には偽りがあってはならない」に始まり「善をもって悪に勝ちなさい」に至るまで、ざっと数えても25ほどの「・・・しなさい」「・・・してはならない」という模範が、これでもかこれでもかと畳み掛けられている。ここから私たちは、喜びとは正反対の「クリスチャンとはこうあらねばならない」という義務感や重圧を感じてしまうかもしれない。しかし私たちが、そのような思いを抱いてしまうとしたら、それは、この文章を書いたパウロの本来の意図ではなかったであろうと思うのである。
 パウロがローマ教会に、このように書き送るに至った当時のローマ教会の事情として、異邦人から信者になった人たちの中に奴隷階級の人が多かったのではなかろうかということがあった。12章1節の最後に「自分の体を神に喜ばれる聖なる生けるいけにえとして神に献げなさい」と書かれている。パウロはなぜ、こういうことを書かざるをえなかったのか。それは奴隷だった人々が、文字通り主人に喜ばれるいけにえのようなものとして自分を献げなければならない境遇に置かれていたからなのである。このような境遇に置かれていた彼らは、日々悩んでいたに違いない。「このような境遇にある自分たちが、はたして神様に喜んでいただけるのだろうか」と。そのような信者の悩みを知ったからこそ、パウロは「たとえこの世の主人の奴隷であったとしても、神様に喜んでいただける生き方ができるのだよ」と彼らに伝えたかったのである。神様に喜んでいただける生き方は、おのずとクリスチャンに喜びをもたらす生き方といえる。その具体的な生き方を教えようとしたのが12章以降である。パウロの本来の意図は、奴隷として主人から数多くの強制や重圧を科せられていた信者たちに、さらにそれを上乗せするよなこと科すようなものでは決してなかったはずなのである。そうではなく、たとえ奴隷の境遇であっても、神様に喜んでいただける生活ができることを具体的に示し、それがクリスチャンとして生きる喜びになるということを語る点にこそ、パウロの本意があったのである。

2 パウロのこの語りかけ全体の扇の要として書かれたのが、9節最初の「愛には偽りがあってはならない」という一文であった。日本語に翻訳されたものはこのように長い文になっているが、ギリシャ語の原文では、わずか2語で書かれている。ギリシャ語で「愛」は「アガペー」という語である。「偽りがあってはならない」は「アンヒュポクリトス」という語である。アンヒュポクリトスという言葉は、もともとは演劇の舞台などで、役者が仮面をつけて演技をする様子をさす「ヒュポクリトス」という語に「アン」という否定の言葉が付いたもので、「仮面をかぶっていない状態」、すなわち「偽善ではない状態」を意味している。
 「私たちの愛が、いかに仮面をかぶった偽善的なものであるか」 私の手元にある何冊かの注解書のどれにも(しばしば紹介する内村鑑三の『ローマ書の研究』にも)、そのことが延々と書かれ、パウロの意図を、そのようであってはならないと勧めるものだと書かれている。これらの解説書の批判をしては申し訳ないとは思うが、そのような解説をいくら読んでも、私はどうしても喜ぶことができない。クリスチャンである私たちの抱く愛が、とうていアンヒュポクリトスではありえないとするのならば、一体どうすればよいのかとこれら解説書の著者らにお聞きしたくなる。私には、パウロの本意は、決して私たちの愛が仮面をかぶったものだと暴き立てて批判をするところにはないと思えるのである。普段この世の主人から様々な要求を科されて苦しんでいる信者たちを「私たちの愛が、いかに仮面をかぶった偽善的なものであるか」と責めたてて、「アンヒュポクリトスな愛を抱け」と、到底不可能と思えるようなことを要求するのでは、さらに無理難題を押し付けることになる。
 そもそもパウロは、なぜここでアンヒュポクリトスという独特な言葉を使ったのか。想像してみると、当時、主人の下で奴隷であった信者らが、どうしても仮面をかぶって生きざるを得ない生活を送っていたからではないかと私は思うのである。だからこそ、クリスチャンになったからには、もはや仮面をかぶった生き方はせずともよくなるのだとパウロは励ましたのであった。本音で、心底から、晴れた思いで生きることができるようになる。それが神様に喜ばれ、私たち自身の喜びにもなる。だからこそパウロは、わざわざ「アンヒュポクリトス」という独特な言葉をここで使ったに違いないのである。

3 では何が、私たちをしてアンヒュポクリトスにさせるのか。何が、アンヒュポクリトスな愛を抱かせ、それに基づいた生き方をさせてくれるのか。そのすべての要は「愛」にある。そして、その愛とは、新約聖書が書かれたギリシャ語ではアガペーという語である。新約聖書においては、アガペーという語は、もっぱら神様の愛・イエス様の愛を語る言葉だというのは基本中の基本である。注解書には、ほとんど言及がない(そこが私には大きな不満なのだが・・・)。その基本中の基本にじっくりと足場を置いて捉えずに、なぜこのアガぺーをすぐに私たち人間の愛と同じものとしてとらえ、それがアンヒュポクリトスでないと指摘するのか。愛がアンヒュポクリトスであるとは、ただただ神の愛・イエス様の愛についてだけ言えることなのである。そして、そのようなアガペーに心を動かされてはじめて私たちは、周囲の人々とアンヒュポクリトスな関係を作り、アンヒュポクリトスな行いをすることができるようになるのである。神様の愛・イエス様の愛に動かされて、この世の主人の下では否応にもかぶらざるを得ない仮面を脱ぎ捨てて、心底から出てくる思いで生きることができるようになる。これこそが、クリスチャン生活の喜びなのだと、パウロは語っているのである。
 この神の愛は、イエス様において現れたものだと、パウロは繰り返し語ってきた。イエス様の姿こそが、アンヒュポクリトスであり、9節後半にあるように「悪を憎み善から離れない」ものなのである。本当に苦しんでおられたイエス様の姿に、仮面をかぶった存在を感じ取ることなど、到底私にはできない。自ら弟子として選んだわずか12人の者の中から裏切る者が出てしまったこと、ぺトロが3度も否んだこと、そして何よりも十字架の死を背負わねばならなかったこと、「できることならこの杯を取りのけてほしい」と祈られたこと、「わが神わが神、何ゆえ私をお見捨てになるのですか」と十字架の上で叫ばれたこと、そこに仮面はなかった。そこにあったのは、悩みつつ苦しみつつも、弟子の裏切りも否認も十字架もすべて神様の御心と受け止め、それを背負われたイエス様の真実の姿のみなのであった。
 パウロは、このイエス様を貫いていたものこそが、「悪を憎み、善から離れない」という強い御心だったと言わんとしたのではなかろうか。イエス様にとっての悪とは何であり、善とは何だったのか。最後の晩餐での弟子たちへの遺言の中で、イエス様は「異邦人の間では王が民を支配し、民の上に権力を振るう者が守護者と呼ばれている。しかし、あなたがたはそれではいけない。私がそうであったように、あなたがたは仕える者・給仕する者でありなさい」という言葉を残した。イエス様が十字架にかかってまで憎んだ悪とは、突き詰めれば王のように力を振るって人々を支配することや、剣を振るうことではなかった。誰もそのことを悪などとは思わず、当然にそうしていた時代にあって、イエス様はそれに悪を感じたのである。だからイエス様は、自らは決して剣をふるわず、その反対に剣を自らの身に受けた。自らの身を剣を振るわれる側に置いたのだった。「悪を憎む」の「憎む」とは、ギリシャ語では「忌み嫌う・ぞっとする」という意味の言葉なのだという。人はいろいろな理由を付けて「剣を振るわざるを得ないときもあるではないか」と言う。剣を振るって誰かを傷つけたり殺したりするときの感覚はまさしく「ぞっとする」ものである。どうしても受け入れることができない感覚、それが悪というものなのである。イエス様にとっては、王のように権力を振るい、剣の力に頼って人々を支配することは、自分の命を失ってでも遠ざけたい悪だったのである。
 そしてその一方には、命を失っても離れることのできない善があった。それが、神様に仕え、人に給仕する者のごとく自分の大切なものを与えてゆくことだったのである。それは最後の晩餐に如実に現れていた。イエス様が、給仕する者として私たちに与えて下さったものは、イエス様の体であり血であった。必要とした者には、イエス様は自分そのものを与えた。イエス様は、自分と一緒に十字架に付けられた一人の犯罪人を一緒に神のみもとへ連れていった。このことこそ、イエス様が最後の最後になした善ではなかったか。それをしてしまえば自分の命を失ってしまうことをわかっていても、決して離れることのできない善が、イエス様の中にたしかにあったのである。

4 パウロは、このようなイエス様の姿に心揺さぶられて、「私たちも仮面をかぶった姿ではなく、偽善でなく、心底から悪を憎み、善から離れない生き方ができるのだよ」と勧めるのである。その具体的なあり様を10節以下に書いている。まず、善から離れないあり方としてあげている事柄から気づかせられるのは、奴隷であった人々でも実行可能なことを教えたという点である。善から離れず善い事を行うと言っても、何か特別に立派なことをせよとは、パウロは語ってはいなかったのである。「主に仕え祈る」とは、礼拝を献げ、祈りの時を持つことである。「聖なる者たち」というのは、特に福音を宣べ伝える伝道者をさしているが、その人たちを覚えて支えることだと言っている。また旅人・寄留者・よるべなき人々をもてなすこと、喜ぶ人と共に喜び泣く人と共に泣くこと、また身分の低い人たちつまり奴隷だった彼ら以上に貧しく困窮していた人々にかかわっていくことだと言っている。信者たちが奴隷として生きる日常の中で当たり前にできること、それが善から離れず善を行うことだとパウロは勧めたのだった。イエス様に現れたアガペーに心動かされた私たちが心底からなすことであれば、それはみなアンヒュポクリトスなのである。私たち自身、それをなすことにおいて、少ししんどいとか辛いとか思いながらやるときも、そうしたいと思うからやるのである。イエス様もまた、悩みつつ苦しみつつなさったのだから、私たちもそれでよいのである。悩みながら善をなすのを、ヒュポクリトスだ偽善だとして責められることなどないのである。
 10節から16節までには、おもに「善から離れないありかた」が列記されていた。いっぽう、17節以降には、悪から離れるあり方が書かれている。当時の世界では、悪に悪を返し、復響し報復することは、ごく当たり前のことであった。それが善であり正義であると疑いなく思われていたのである。奴隷だった信者たちは、自分たちをいじめた主人や周囲の人々への憎しみや復響心を当然に抱いていたであろう。さから、チャンスがあれば、いつかそれを実行したいと思っていたであろう。そのようなことが悪だとは、誰も考えない時代だったのである。そのような時代のただ中でパウロは「悪に悪を返すな、悪を憎み悪から離れよ」と勧めたのだった。
 パウロは、なぜそのように語ったのか。勿論、そこにはイエス様の姿があった。いかに正義であり当然であり正当な行為であったとしても、復警し報復をすれば、またそれに対して報復がなされ、繰り返されてゆくことになる。そこには何か「ぞっとするもの」が感じられる。パウロは「復讐・報復」という言葉を、申命記を引用しつつ用いた。迫害し悪をなす者がいる現実の中で、信者たちが復警心や報復したいと思う心をなくすことはとても難しいことであると、パウロはよく知っていた。それを受け入れた上で、それでもなお、復讐は神様にゆだねなさいと勧めたのであった。私たちがそれをしてしまったなら、私たちは身も心も魂も、ぞっとするような悪に染まってしまうのである。憎む心や復響心は、私たちにとって、恐ろしいほどに破壊的なのである。だからパウロは「善をなす機会が日常の中で沢山与えられているのだから、それをしてゆきなさい」とローマの人々に、そして私たちに勧めているのである。

筑波学園教会牧師 福島 純雄

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2017年 1月15日(日)降誕節第4主日礼拝

『ルカによる福音書 23章 44~49節』

23:44既に昼の十二時ごろであった。全地は暗くなり、それが三時まで続いた。 23:45太陽は光を失っていた。神殿の垂れ幕が真ん中から裂けた。 23:46イエスは大声で叫ばれた。「父よ、わたしの霊を御手にゆだねます。」こう言って息を引き取られた。 23:47百人隊長はこの出来事を見て、「本当に、この人は正しい人だった」と言って、神を賛美した。 23:48見物に集まっていた群衆も皆、これらの出来事を見て、胸を打ちながら帰って行った。 23:49イエスを知っていたすべての人たちと、ガリラヤから従って来た婦人たちとは遠くに立って、これらのことを見ていた。

説教:『私の霊を御手にゆだねます』

1 イエス様の死に際して「太陽は光を失い」「神殿の垂れ幕が真ん中から裂けた」と45節に書かれている。同じ場面を記したマタイによる福音書の27章51節以下には、「神殿の垂れ幕が上から下まで真っ二つに裂け、地震が起こり、岩が裂け、墓が開いて眠りについていた多くの聖なる者たちの体が生き返った」と書かれている。ル力は、マタイのような大袈裟な書き方はせずに、ただ「神殿の垂れ幕が裂けた」とだけ記した。私は、イエス様の十字架の死に際して、このようなことが起きたと書かれている点に、深い意義を感じる。
 真ん中から裂けたと言われている垂れ幕は、おそらくは神殿の中に作られていた幕屋の、聖なる領域を覆っていた幕のことだろうと思う。この垂れ幕が裂けたという記述には、とても深い象徴的な意味が込められている。かつて神様は、荒れ野を歩んでいたイスラエル人のためには聖なる場所が必要だとして「人々の手によって、彼らが喜んで捧げる物をもって聖なる所を造らせなさい」と言われた。そこに行けば神様に会える場所、あたかも神様がそこに住んでいると信じてもよい場所、そういう聖なる場所が必要だということから、それを人間の手で、またこの世の材料で造ることを許したのだった。
 聖なる場所を人間が造るということには、大きな矛盾を感じてしまう。本来ならば、聖なる場所なのであるからから、神様自身の手で造られるのが、道理ではないかと思う。しかし、もし神様が自身が造ったならば、それは私たちの目に見えないものとなったか、あるいはごくごく特別な者だけが入ることのできるような場所になったのではなかろうか。現に、シナイ山はそうであった。モーセしか登ることを許されなかった。そうであればこそ神様は、人の手によって、この世の材料で、私たちの目に見えるものとして、聖なる場所を造ることを許されたのだった。
 いかなる材料で、どのように聖なる場所を作るか、神様は詳細な指示を行った。それは、人間が勝手に聖なる場所を作って、そこに勝手に自分たちが神だと信じる存在を住まわせないためであった。器は中身を現す。だから器は大事である。重要なポイントがここにあった。イエス様の時代に、イスラエル人はいかなる幕屋を作り、そこにどのような神を住まわせていたか。それは、時のイスラエル人の指導者たち、また民衆がなぜイエス様を殺そうとしたのか、なぜバラバの釈放を望んだのか、十字架上のイエス様をどのようにあざけったかに、よく現れている。23章35節以下には、十字架上のイエス様を、人々が「もしメシア-救い主-なら、自分を十字架から降ろして自分を救うがよい」とあざけったと書かれている。人々にとって、イエス様が神様から遺わされたメシアであるか否かは、つきつめれば十字架からイエス様が自分を解放できるか否かにかかっていた。それが、ひいては、自分たちが科されていた十字架、すなわちローマ帝国の支配からの解放に結び付くからであった。それぞれに科された十字架から自分たちを降ろしてくれるのが神であり、そういう存在が神殿の中に作られた幕屋という聖所に住んでいると人々は信じていたのである。

2 だから、聖所の垂れ幕が上から下まで真つ二つに裂けたということは、イエス様の十字架の出来事が、その聖なる場所を壊したという意味だったのである。それはもはや聖なる場所をなしていないという意味なのである。このとき聖なる場所は、イエス様の十字架によって取って代わられたのである。人間が勝手に作り出した聖所を神様が破棄し、十字架のイエス様を神様自身の手による幕屋として、私たちの目に見えないものとしてではなく、私たちの目に見える聖所として建てたということなのである。
 神様が十字架のイエス様を以って建てた聖所とは、まことにまことに驚くぺきものといえよう。それは、私たち人間には、決して建て得ないもの、到底それが聖所などとは思えないものであった。いったい私たちの誰が、十字架の上で殺されてしまった存在に、たった12人の弟子からも裏切られ見捨てられた者に、何の成功も何の業績も残さずに無残にも殺されていった哀れな人間に、神様自身を現す聖なる場所があるなどと考えることがきるであろうか。人々の目には、イエス様の十字架の死は、神様の聖からは最も遠い出来事として見えた。人々に救いをもたらす神様がおられる場所とは真逆の場所と思えた。しかし神様は、この十字架のイエス様こそが、神様自身が私たちのために建てえる聖なる場所であると、そして「私は、そこにいるのだ」と神様は言うのである。この神様の御心は、到底私たちには知り尽くすことができない。私たちは、ただ十字架の周りをぐるぐると巡って、そこに満ちている神様の聖とはこのようなものではないかと、そのごく一部分だけを切り取るのみである。しかしたとえその一部分でも知ることができれば、それは幸いなのである。
 私たちにとっての神様の聖とは、つきつめれば罪の救しと同じなのである。私たちの人生を、本当に深い所から肯定して下さるものなのである。バテシバを我がものとし、その夫を死に至らしめたダビデを、神様の聖は肯定した。それは、ダビデのしたことが不問に付されるということではなかった。なかったことにされるというのでもなかった。責任は問われ、償いも求められたのである。神様はそのダビデを聖とし、その罪を赦して、そういうことをなしたダビデだからこそ、その人生は意義があるのだと肯定して下さったのであった。イエス様を3度も知らないと言ったぺトロもまた神様の聖によってその人生を肯定された。クリスチャンを迫害したパウロの人生もまたしかりであった。罪を犯し悪をなした人間の人生を、それにもかかわらず肯定して下さるというのは、神様の聖だけがなし得ることなのである。人間には決してできないことなのである。神様だけが、その聖をもって、なして下さるのである。
 イエス様と一緒にはりつけにされたひとりの犯罪人に対して、十字架の上のイエス様がなされたことが、まさにそのことではなかったか。その犯罪者は、イエス様が自分と共に十字架についてくれていたことに、一筋の光を見いだしたのであった。そして、その彼こそが、十字架上のイエス様を救い主として見いだすことのできた最初の人となったのである。そのことにおいて彼の人生は肯定されたのであった。意義のあるものとされたのだった。十字架の上のイエス様だからこそ、さまざまな十字架を科された私たちひとりひとりの人生を肯定して下さるのである。どうしても十字架から降りることのできない私たちの、この十字架を科された人生を、十字架によって肯定して下さる。それが神様の聖がなして下さることなのである。

3 46節に、「父よ、わたしの霊を御手にゆだねます」とイエス様が大声で叫び、そして息を引き取られたと書かれている。このイエス様の言葉が、十字架上で口にした7つの言葉の最後とされる。このイエス様の言葉は、詩編31編6節に記された言葉であった。イエス様の十字架上の7つの言葉の中で、息を引き取られる直前の言葉は4つと考えてよいと思うが、マタイとマルコは「わが神、我が神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」を最後の言葉としている。これも詩編22編の最初に記された言葉である。またヨハネは、2つの言葉を記している。1つ目は「掲く」である。これも詩編22編16節からのものと考えられている。もう1つは「成し遂げられた」である。これには、旧約聖書の参照箇所が示されていない。ということは、イエス様が最後に口にされたとされる言葉4つのうち3つが詩編からのものだったということになる。「成し遂げられた」も詳しく見ればどこか詩編に引用箇所と考えられるところがあるのかもしれない。
 十字架上でのイエス様の最後の言葉が何であったかについては、マタイが記したように、ただ大声をあげた叫びのみだったのか、それともルカやヨハネが記したようなものだったのかは定かではない。しかし私は、そのほとんどが詩編の言葉だったという点にとても心を引かれる。絶命するほどの苦しみの極みにおかれたイエス様が口にした言葉が、またその言葉をもってして何らかの支えが得られるような言葉が、詩編の言葉だったというのである。そのような聖書の言葉があるということを、イエス様は身をもって私たちに教えて下さったのではなかろうか。私たちは「聖書の言葉がいったい私たちの何の力になるのか」と疑ってしまうことがある。しかしもしも、ルカが記したように、イエス様が詩編31編の言葉を口にされたというのなら、イエス様はこの言葉をもって、苦しみの極みにあってばらばらに引き裂かれようとしていた霊を、神様にゆだねることができたことになる。聖書の言葉にはイエス様の時代から、そのような力があったのである。聖書の言葉こそが、十字架上のイエス様にとっての、いわば幕屋だったのではなかろうか。十字架の死を肯定してくださった神様の聖への入り口となる幕屋が、詩編の言葉だったのである。

4 さて47節にルカは、イエス様を十字架につけた実行部隊であったローマ兵士の百人隊長が、「この出来事を見て、『本当にこの人は正しい人だった』と言って神を讃美した」と書いた。同じ場面をマタイとマルコは「本当にこの人は神の子だった(マタイ27章54節、マルコ15章39節)」と記している。どちらが本当なのか、またそれがどのような気持ちからのものであったのか、それがどの程度の信仰といえるものだったのかは知ることは出来ない。しかし、幕屋の垂れ幕が裂けたということから言えば、ユダヤ人だけが入ることができた聖なる場所に、何と異邦人が、それもユダヤ人が忌み嫌っていたローマ帝国の兵士の隊長が招き入れられて、神様に会うことができていたというのは確かなことなのであった。彼は、十字架にかけられるまでのイエス様の姿をずっと見ていたのであろう。そしてそこから、神としか言い得ないものを感じ取ったのであろう。それまでの彼にとって神とは、ローマ皇帝に体現されていたような存在であった。「正しい人」と書かれているが、それまで彼が知っていた正しさとは、皇帝が現し、皇帝が実行していたような正しさ、つまり剣をふるい、結局のところ強いものイコール正しいとされるようなものであった。しかし彼は、十字架のイエス様を見たことで、そのような正しさとは全く違う正しさがあることを感じ取ったのだった。それは、剣をふるわず、力によらず、悪を引き受け、その犠牲となる正しさであった。彼は、自分たち人間には決して現し得ない神の正しさを、そこに見たのであった。この異邦人の兵士の隊長(伝承によれば、この百人隊長の名前はロンギヌス、後にカパドキアの司教となって最後は殉教の死を遂げたと言われている)もまた、イエス様と一緒にはりつけにされた犯罪人のひとりと同じく、十字架上のイエス様を通して神様に出会うことができた最初のひとりだったといえよう。
 イエス様を救い主と信じ、イエス様を通して神様を見る人々はこうして、ひとり、ひとりと起こされていったのである。それはあくまでも十字架のイエス様を見ることによってなのであった。たとえ数は少なくとも、このようにして、ひとり、ひとりと起こされてゆくのだから、私たちがなすぺきことは、ただただ十字架につけられたイエス様のことを忠実に語ることではなかろうか。

筑波学園教会牧師 福島 純雄

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2017年 1月8日(日)降誕節第3主日礼拝

『出エジプト記 25章 1~9節 』

25:01主はモーセに仰せになった。 25:02イスラエルの人々に命じて、わたしのもとに献納物を持って来させなさい。あなたたちは、彼らがおのおの進んで心からささげるわたしへの献納物を受け取りなさい。 25:03彼らから受け取るべき献納物は以下のとおりである。金、銀、青銅、 25:04青、紫、緋色の毛糸、亜麻糸、山羊の毛、 25:05赤く染めた雄羊の毛皮、じゅごんの皮、アカシヤ材、 25:06ともし火のための油、聖別の油と香草の香とに用いる種々の香料、 25:07エフォドや胸当てにはめ込むラピス・ラズリやその他の宝石類である。 25:08わたしのための聖なる所を彼らに造らせなさい。わたしは彼らの中に住むであろう。 25:09わたしが示す作り方に正しく従って、幕屋とそのすべての祭具を作りなさい。

『出エジプト記 40章34~38節 』

40:34雲は臨在の幕屋を覆い、主の栄光が幕屋に満ちた。 40:35モーセは臨在の幕屋に入ることができなかった。雲がその上にとどまり、主の栄光が幕屋に満ちていたからである。 40:36雲が幕屋を離れて昇ると、イスラエルの人々は出発した。旅路にあるときはいつもそうした。 40:37雲が離れて昇らないときは、離れて昇る日まで、彼らは出発しなかった。 40:38旅路にあるときはいつも、昼は主の雲が幕屋の上にあり、夜は雲の中に火が現れて、イスラエルの家のすべての人に見えたからである。

説教:『幕屋建設』

1 出エジプト記は40章あるが、その内の25章から31章まで、さらに35章から40章までの、あわせて13章が、幕屋建設についての記述である。全体の1/3ほどが、この記述に当てられたことが、どれほどエジプトを脱出したイスラエル人にとって、幕屋建設が重要であったかを物語っている。
 素朴な疑問が生じる。25章3節以下に、幕屋の材料となる献納物のリストが書かれているが、はたして政治的難民が着の身着のままで脱出してきて、食べ物にも事欠く状態で荒れ野をさまよっていたのに、これだけのものを捧げることができたであろうかという疑問である。幕屋建設についての詳細はわからない。たとえば材科として使われた金の総量は、38章24節に「29キカル730シュケル」だったと書かれている。度量衡表に1キカルが約34.2キロとある。、使われた金を約30キカルとすると、何と総量は1000kgにもなる。果たして1トンにも相当する金を、荒れ野をさまようイスラエル人が捧げることができたであろうか。注釈書でフレットハイムは、次のように述べている。「出エジプト記の幕屋に関するテキストは、イスラエルが中心聖所を失った時代に書き記された」と。つまりイスラエル人が、バビロニアによって祖国とエルサレム神殿を滅ぼされてバビロン捕囚とされた最中、幕屋建設の重要性を再発見したイスラエルの人々が、時代をさかのぼらせてこの出エジプト記の多くを書いたと考えられる。
 では、出エジプトにおいて慕屋が建てられたことは、全くのフィクションなのであろうか。やはり、何らかの史実がもとになったのではなかろうか。エジプトを脱出して荒れ野をさまよう中で幕屋を建てたという伝承は、イスラエル人の中にしっかりと根付いていたのである。たとえば、ダビデが契約の箱を置く神殿を建てようとした時に、預言者ナタンを通して神様がダビデにこう告げた。「あなたがわたしのために住むべき家を建てようというのか。わたしはイスラエルの子らをエジプトの家から導き上った日から今日に至るまで、家には住まず、天幕すなわち幕屋を住処として歩んできた。これはサムエル記(下)7章5節以下の記述である。金を1トンも使うような幕屋は建てられなかったかもしれないが、十戒を収めた箱を安置し、そこに人々が集まって礼拝を捧げた聖なる場所、神様があたかも住みたもう家として精一杯の捧げ物をして幕屋を建てたということは、十分に考えられると思うのである。そのことは、今日の私たちにとって、どのような意味を持つことなのか。私たちにとって幕屋を建てるとは、どういうことなのか。

2 さて、25章8節「わたしのために聖なる所を被らに造らせなさい。わたしは彼らの中に住むだろう」との幕屋建設について最初に神様が述べた言葉が書かれている。「わたしのために」とは、文字通りには神様の住むための場所という意味だが、言うまでもなく神様の住むための場所として幕屋が必要だということでは勿論ない。幕屋がなければ神様が私たち人間と同じように住む家がなくなるということはありえない。では、幕屋は誰のために必要かと言えば、それは他でもなくイスラエル人のためなのであった。荒れ野をさまよっていた彼らが、そこに神様がお住まいになり、そこに行けば神様にお会いすることができ、聖なる場所に身を置くと信じられた。そういう場所が、イスラエル人にとって不可欠だったのである。
エズラ記9章8節後半を、また思い起こす。そこには「わたしたちの幾人かが捕囚を免れて生き残り、あなたの聖なる所によりどころを得るようにされました。こうして、わたしたちの神はわたしたちの目に光を与え、奴隷の身にありながらもわずかに生きる力を授けて下さいました。」とある。「あなたの聖なる所」とは、捕囚から故郷にもどってやっとのことで再建できた神殿だった。そして、その中に幕屋があったのである。それをよりどころとすることによって、生きる力が与えられたと言うのである。このように、私たちには聖なる所が必要なのである。私たち人間の世界とは全く違う原理や法則がゆきわたり、そこに足を踏み入れることで、卑俗な世界で生きている私たちをもその聖なる神様の原理原則によって引っ張って下さる場所が必要なのである。
 よく、日本人は無宗教だと言われる。しかしクリスマスイブには、普段は全く教会に足を向けない多くの人が礼拝に集い、正月には初詣をする。それは、無節操というよりも、1年の終わりのクリスマスに、また1年のはじめの初詣に、聖なる存在に触れることが必要だとの思いが確かにあるのである。神様は、荒れ野を歩むイスラエルの人々のためにこそ聖なる場所が必要だと、それを造れと言われたのである。

3 そこに行けば神様にお会いできると信じることのできる場所を、「彼らに造らせなさい」と神様自身がおしゃって下さった。「私が住まう聖なる所を、どうして人間ごときがこの世の材料で造ることができようか。決して許さない。」その方が合理的である。しかし、神様は「聖なる所を人間の手で、この世の材料によって造らせよ」と言われた。
 もしも、神様自身が人間に手によらず、この世の材料によらずに、聖なるところを建てたとしたら、残念ながらそれは私たちの目には見えず、そこに聖なる場所があるとは、私たちにはわからないのではなかろうか。或いはそれは、モーセが十戒をいただくために上ったシナイ山のようなところで、ごくごく特別な者だけが足の踏み入れられる場所になってしまうであろう。それでは、誰もがそこに行って神様の聖を生きるよりどころとすることなどできない。だから、人の手で、この世の材料で造ることが肝要だと神様は言われたのである。
 私たちクリスチャンにとってはイエス様が、神様のこの世における住まいであり、私たちがその聖に触れさせていただける幕屋なのである。イエス様という幕屋は人の手によらないし、この世の材料によるものでもない。しかし、もしイエス様の存在が、それだけであれば、私たちにはイエス様を見ることはできないのである。イエス様という幕屋に具体的に足を踏み入れることができないのである。だから、イエス様という幕屋を見えるものとしてあらしめるため、神様は「人間の手で聖なる所を造らせなさい」と言って、教会を形作らせて下さっているのではなかろうか。それが「二人または三人がイエス様の名によって集まるところにわたしはいる(マタイによる福音書18章20節)」とのイエス様の言葉の意味である。ローマの信徒への手紙12章5節には、私たちはこのイエス様の体の一部であるとあった。私たちのような者の集まりである教会が、イエス樣という幕屋を具体的にこの世に現すための聖なる所とさせていただいているのは、この出エジプト記25章8節が根拠となっているのである。

4 しかし、神様がお住まいになる聖なる所を人間が造るというのには、大いなる矛盾がある。本来ならばありえない葛藤が含まれていよう。だからこそなのである。どのような材料によって建てるか、どのように建てるか、そして、そもそも根源的に、そこにお住まいになる神様を、どのように理解するのかということが何よりも肝要な点となる。
 どのような材料によって建てるかについては、25章1節以下が指示している。「あなたたちは、彼らがおのおの進んで心からささげるわたしへの献納物を受け取りなさい」とある。この「心から進んで捧げられ」という言葉は、材料だけでなく労働を捧げることにおいても慕屋建設を語る13の章に何度も何度も繰り返されている。人間が棒げるこの世の材料に過ぎない。しかし、心から進んで喜んで捧げるものならば、それがどんなに粗末でも、また汚れていても、神様はお住まいになる聖なる所を造る材料としてお喜びになって下さる。教会は本当に文字通りそのどれをとっても、決して強制された捧げものではなく、私たちが心から進んで棒げるものによって建てられている。それが、イエス様という聖なる幕屋を世に現すのにふさわしい材料だとされるのである。
 また、どのように作るかについては、25章9節に「わたしが示す作り方に正しく従って・・・すべてを作りなさい」とある。これもまた、13の章にわたる幕屋建設についての記述において、何度も何度も繰り返されるものなのである。最後の40章をざっと読んでいただいたでけでも、19、21、27、32節と4度も書かれている。なぜこれほどに、どのように作るかが大事なのか。それは、幕屋の形や姿、また使う材料というものが、おのずとそこにどのような存在がご臨在なさるのか、いかなる聖なるお方がおられるかを現すからなのである。器が中身を現すと言ってもよいのである。初詣にお参りする神社仏閣の建て方を見れば、参拝する人々が、そこにどのような神様を見ているかがわかる。その中心には、時に動物であったり、時に人間であったりしたものが神様として祭られており、その神様を祭るにふさわしい建物となっているのである。
 では、幕屋とはそもそもどのような建物であったのか。どのような建て方が命じられたのか。つきつめれば、それはまず何よりも、言葉の通り「幕屋」なのだという特微がある。幕屋とは、つまりテントのことである。いつでも移動可能な天幕である。日本の寺社仏閣、また私たちの会堂とも、それは対照的である。このような聖なる所の特徴こそが、そこにお住まいになる神様の本質と深くつながっているのである。この幕屋に臨在され、そこにお住まいになるという神様の姿、すなわちその本質が如実に描かれている。それは、ひとことで言えば「出発」である。旅路にあるということである。神様自身が、旅装を解かないのである。したがって、このような神様が、私たちに下さる恵みや祝福というものも、旅装を解かない旅の途上にあるということと切り離すことはできないのである。
 イエス様が人としてこの世に生まれ、十字架にかかられ、復活をなさって、また天に帰られたという歩みこそ、旅装を解かずひとつの所に留まらない幕屋そのものである神様の姿ではなかろうか。そのように改めて思うのである。イエス様がそのようであることにおいて、私たちのこの世における旅する歩みを支えて下さっているのである。旅する歩みをこそ祝し、この出エジプト記の最後に描かれているように、旅する歩みをこそ導き共にいて下さるのである。パウロもまた幕屋という言葉を使って、コリントの信徒への手紙(二)の5章1節以下に「私たちの歩みとは、地上の幕屋が滅びてゆき、天の幕屋を目指すものだ」と語っている。
 地上の幕屋が滅びてゆくということには、さらに加えて、この幕屋が粗末であり、みすぼらしく、旅路において段々と劣化してゆくということも含まれているように思う。そのような幕屋に、神様がお住まいになるとは、それが聖なる所であるとは、本当に意味深いものと感じる。神様自身が、そのような幕屋にお住まいになるからこそ、滅びて行く幕屋である私たちと共に、神様がいて下さると信じることができるのである。

筑波学園教会牧師 福島 純雄

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2017年 1月1日(日)降誕節第2主日礼拝

『ローマの信徒への手紙 12章 3~8節』

12:03わたしに与えられた恵みによって、あなたがた一人一人に言います。自分を過大に評価してはなりません。むしろ、神が各自に分け与えてくださった信仰の度合いに応じて慎み深く評価すべきです。 12:04というのは、わたしたちの一つの体は多くの部分から成り立っていても、すべての部分が同じ働きをしていないように、 12:05わたしたちも数は多いが、キリストに結ばれて一つの体を形づくっており、各自は互いに部分なのです。 12:06わたしたちは、与えられた恵みによって、それぞれ異なった賜物を持っていますから、預言の賜物を受けていれば、信仰に応じて預言し、 12:07奉仕の賜物を受けていれば、奉仕に専念しなさい。また、教える人は教えに、 12:08勧める人は勧めに精を出しなさい。施しをする人は惜しまず施し、指導する人は熱心に指導し、慈善を行う人は快く行いなさい。

説教:『適切な評価の下で生きよ』

1 この12章以降は、パウロがローマ教会の信徒たちに、世にあって、いかにクリスチャンとして生きたらよいかを教え勧めたところである。1~2節の部分は、12章以下全体の総論的な箇所といってよいと思うが、パウロはこの勧めを、決して一般的なものとして語ったのではなかった。パウロの手紙のすべてがそうであるが、そのような文章を書き送らざるを得ない事情があった。パウロは、信徒たちがその問題でとても悩んでいるのを知って、何とかしてそれを解決したいとの一心から手紙を書き送ったのだった。12章以下の部分もしかりである。
 では、この12章以下の部分を書き送るにあたって、パウロの念頭にあったローマ教会の信者たちの悩みとはいったい何であったのか。それは1節の最後の「自分の体を・・・献げなさい」という言葉に滲み出ている。バウロがこのように語りかけねばならなかったのは、ローマ教会の、特に異邦人からクリスチャンになった人々に、奴隷階級の人々が多かったことが背景にある。当時、奴隷というのは主人のまさしく所有物であった。売り買いも、殺すことさえも主人の意のままだったのである。言葉通り主人に喜ばれる「いけにえ」に他ならなかった。「私たちは奴隷の身分でありながら、一体どうやって神様に喜ばれる存在として生きていったらよいのか。」「そもそも神様に喜んでいただくことなど可能なのか。」これが、彼らが抱えていた切実な悩みだったに違いないのである。
 そのような彼らに対して、パウロは「いや、あなたがたは神様に喜んでいただける者として自分を献げることができる。それが礼拝なのだ。」とまず語ったのだった。そして、それに続き、キリストの体である教会に属して、6節以下にあげられているような、具体的な働きにおいて、奴隷のままであっても神様に喜んでいただけると励ましたのだった。神様に喜んでいただけるなら、それは私たちの喜びともなる。そのような生き方を喜びとして歩んでゆけるのだとパウロは励ましたのだった。
 このようなパウロの励ましは、現在の私たちにとっても、決して無関係なものではない。私たちは幸いにも、文字通りの意味での奴隷ではない。しかし、働く人々の4割が非正規労働者との状況下にあって、もしかしたら、2000年前の人々が今の私たちを見たら「あなたがたは奴隷ではないか」と言うのではないかと思えるような働き方を余儀なくされている人々が、どれほど多くいることか。また、自分ではいかんともしがたい身体的・精神的要因のために思うようにならない生活を強いられている人々も多いのである。

2 さて、このように、たとえ奴隷ではあっても教会の一員となって、6節以下にあげられている7つの具体的な働きをしてゆくことを語る前に、3節で「評価」という言葉を口にしている点に、私は心を引き寄せられた。なぜ評価ということを書いたのであろうか。それは、やはりローマ教会の信徒、特に奴隷であった人々が、そのことにとても心を悩まされていた事情があったからではなかろうか。奴隷とは、主人の所有物である。したがって、主人の評価次第では、他の主人に売り飛ばされてしまうこともあったはずである。プロ野球のトレードのように交換されたり、ある日突然、お払い箱にされる、すなわち殺されてしまうということもあったかもしれない。仲間の奴隷と比べての評価も、当然気になったはずである。
 そのような信者たちの事情を知っていたからこそ、パウロはクリスチャンとしての評価、すなわち教会という共同体で生きることの評価が、どれほど、この世の主人の下で奴隷として生きることとは違うかを語ったのだと思うのである。3節に、「自分を過大に評価してはなりません・・・慎み深く評価すべき」とある。字面だけを読めば、パウロが語ったのは、もっぱら自分を過大に評価しないようにとの勧めのように読める。しかし、原文のニュアンスには過大評価だけではなく、過小評価を慎む意味もある。
 内村鑑三の『ローマ書の研究』に、内村も同じことを書いている。内村は原文を「自己について正当に思い得る以上に思い過ごすなかれ」と訳している。正当に思い得る以上に思い過ごさないとは、一方では過大評価もあるが、他方では過小評価も戒めているのである。
 むしろローマ教会の信徒たちの悩みから言えば、過小評価こそがパウロの戒めようとしていることではなかったか。ローマ教会の信徒たちの多くは、主人からの評価に戦々恐々としていた。障害を抱えた人々は、常に周開の人々からの過小評価にさらされていたであろう。私たちは皆、周囲の人々からの評価を気にし、それを基準にして自らを過小評価している。このような悩みを知っていたからこそ、パウロは、クリスチャンとしての評価、教会に属する者としての評価はいかなるものかを勧めたのである。

3 では、その評価はいなかるものであったか。大事なのは評価の基準なのだと思う。それについて、パウロは3節はじめで「わたしに与えられた恵みによって」とまず語り、6節では「与えられた恵みによって、それぞれ異なった賜物を持っていますから」と語っている。また、3節後半には「神が各自に分け与えて下さった信仰の度合いに応じて」とも書かれている。この3節後半の理解は、なかなか難しいものがある。しかしこれも、字面だけを読むと、あたかも信仰が評価の基準であるかのように読めてしまう。神様がそれぞれにどれほどの信仰を与えて下さっているかで、クリスチャンの評価が決まる、すなわち信仰の強さや弱さが、そのままクリスチャンの評価基準であると言うのなら、信仰の世界の評価もこの世と変わりがないことになってしまう。
 パウロが言わんとしたのは、神様が私たちを信じて、信頼して、それぞれに預けて下さっている賜物を基準にして評価しなさいという意味だと思う。ここでの「信仰」とは、私たちが抱く信仰ではなく、神様の私たちへの信頼と理解すべきである。神様は、私たちを信頼し、ただ恵みにおける賜物として、具体的には6節以下に揚げられている7つの働きをするようにして下さるのである。神様が恵みによって賜物として授けて下さるものを以って、評価基準とするのである。
 では、神様が恵みによって賜物として与えて下さるとは、何を意味しているのか。コリントの信徒への手紙Ⅱの12章に、パウロはイエス様から「わたしの恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ」という言葉を与えられたと書いた。肉にトゲを、つまり障がいを与えられたその弱さゆえに、神様の賜物を十分に与えられたと。神様が私たちを信頼し、恵みにおいて与えて下さる賜物とは、弱さにおいて与えられる何かなのである。それが、クリスチャンが自分自身を評価する基準なのである。
 これは、この世の奴隷である人々が、世の主人のもとでなされる評価とは決定的に違っているのである。この世の評価基準は、強さにおいて私たち自身が発揮する能力におけるものである。しかし、クリスチャンにおいてのそれは、弱さにおいて神様が与えて下さるものなのである。恵みをギリシャ語では「カリス」と言い、賜物をこのカリスの複数形である「カリスマ」と言う。カトリック教会では、この「カリス」を杯や器を意味すると言うと聞いたように思う。器は凹でありくぼんでいる。だからこそ、そこに水を盛ることができる。そのように、神様が下さるカリスは、くぼんでいる私たちにこそ盛られるのである。マイナスを抱えていない者にはカリスマは与えられない。弱さを持った私たちにこそ与えられる賜物なのである。このことにおいてこそ私たちは、自分自身や周囲の人々を適切に評価できるのである。

4 こうして、神様が与えて下さった賜物を用いて、私たちは、具体的には6節以下に上げられている7つの働きをしてゆくのである。この働きについてパウロは、4節と5節でイエス・キリストの体の一部分をなしている働きなのだと教えている。わたしは、この「部分」という言葉に大きな慰めを受ける。パウロは、神様からの賜物をいただいた私たちの働きが、目立つものや大きなものである必要はないと語ってくれていると思うのである。
 この世の主人の奴隷として、信徒たちは、常に目立つ大きな役割を果たすことを求められている。ある若者が入社試験の面接で「あなたがこの会社に入ったら何ができますか? 何をしてくれますか?」と尋ねられ、絶句した場面を思い出す。牧師の場合、そのような面談で、このように尋ねられたら、私はどう答えることがでたであろうか。私たち牧師が会員の皆さんから常にこのような働きを求められたらどうか。そういうものを要求されている人がどれほど多いことかと思う。
 これに対してパウロが求めたのは、キリストの体のごく一部分である働きでよいということなのであった。復活されたキリストは、全世界にあまねく存在し、私たちは遣わされた所で、そのごく一部を構成し、キリストの働きのごくごく一部をさせていただくだけなのである。体の一部がすることなので、目が何をした、耳が何をした、手や足がなにをしたとは言われない。部分が何をしても、それが目立つことはなく、トータルな体としての働きとして現れるだけである。むしろ目が、耳が、手が、足が何をしたかと問われ、評価対象とされるなら、それはおかしいのである。
 「部分であってよい」ということは、慰めである。たとえば、夫婦という単位において、また家族という人間関係において、私たちは部分であることは許されない。だからこそ、お互いを責めてしまうのである。どうしてもっと働いてくれないのかと、もっと大きな役割を担わないのかと責め合うのである。麗しいと思われる夫婦や家族だからこそ、逆に病んでしまう側面がここにある。しかし、教会という共同体の中では、私たちは夫婦や家族という関係から一旦離れて、キリストの体の一つの小さな部分であってよい機会を得るのである。ある意味では、私が何の働きもしなくてもキリストは存在して下さる。私が怠けてもキリストは存在するのである。ただ黙って礼拝に出席することが奉仕となるのである。
 そのような余裕をもって、弱さにおいてこそ与えられた賜物を活用して、小さな働きをするのである。その働きが7つあげられているというのは、象徴的な意味を持つ。7という数は聖書において完全数である。それほどに多様であることを意味している。夫婦関係や家族においては、求められる働きは決まったものでしかない。その働きをしなければならないという限定があり、義務がある。それをせねば評価されない。奴隷も、社会人も同じである。しかし、教会という共同体では、キリストの体の構成部分としては、そうではない。一人として同じ働きはない。こうでなければという働きもない。キリストの体として生きることの多様性、そこには喜びがある。

筑波学園教会牧師 福島 純雄

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