2016年 12月25日(日)降誕節第1主日礼拝
23:32ほかにも、二人の犯罪人が、イエスと一緒に死刑にされるために、引かれて行った。 23:33「されこうべ」と呼ばれている所に来ると、そこで人々はイエスを十字架につけた。犯罪人も、一人は右に一人は左に、十字架につけた。 23:34〔そのとき、イエスは言われた。「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです。」〕人々はくじを引いて、イエスの服を分け合った。 23:35民衆は立って見つめていた。議員たちも、あざ笑って言った。「他人を救ったのだ。もし神からのメシアで、選ばれた者なら、自分を救うがよい。」 23:36兵士たちもイエスに近寄り、酸いぶどう酒を突きつけながら侮辱して、 23:37言った。「お前がユダヤ人の王なら、自分を救ってみろ。」 23:38イエスの頭の上には、「これはユダヤ人の王」と書いた札も掲げてあった。 23:39十字架にかけられていた犯罪人の一人が、イエスをののしった。「お前はメシアではないか。自分自身と我々を救ってみろ。」 23:40すると、もう一人の方がたしなめた。「お前は神をも恐れないのか、同じ刑罰を受けているのに。 23:41我々は、自分のやったことの報いを受けているのだから、当然だ。しかし、この方は何も悪いことをしていない。」 23:42そして、「イエスよ、あなたの御国においでになるときには、わたしを思い出してください」と言った。 23:43するとイエスは、「はっきり言っておくが、あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる」と言われた。
1 本日は、イエス様の誕生を祝うめでたいクリスマス礼拝であるが、それとは正反対に、イエス様が十字架に架けられて死んでゆく間際の姿を見つめることは、クリスマス礼拝にはふさわしくないだろうか。いや私は、十字架の上のイエス様の姿こそ、私たちの救い主であることの核心なのだと改めて思うのである。アドベントの季節にずっと、十字架へと向かうイエス様の姿を追いかけながら礼拝を守ったのは、私の30年の牧師生活の中でも、はじめての経験かもしれない。今年ほど救い主なるイエス様を迎る心の備えを、自然に、また深くさせていただいたことはなかったように感じている。
イヴ礼拝では、いかにもクリスマスらしい聖書の箇所が与えられた。天使は羊飼いたちに、飼い葉桶の中ですやすやと赤ん坊が眠っている姿は、あくまであなたがたに救い主が生まれ、大きな喜びが与えられたことの「しるし」だと言った。それは象徴である。飼い葉桶の中に寝るイエス様の姿からは、直接的には、その赤ん坊が救い主であることはわからない。では、十字架に架けられたイエス様から、そのことがわかるかと言えば、私たちにとってさえ、それは汲み尽くしえない部分があり、ましてや世の多くの人々にとっては、なおさらわからないことなのである。まだしも飼い葉桶の中にすやすやと眠る姿の方が、「しるし」としてはよくわかるのかもしれない。なぜ私たちの救い主が十字架の上で殺されたイエス様なのか、イエス様からどのような喜びが与えられるのか、世の多くの人々にとっては、言ってみれば笑止千万であろう。
2 このことを、イエス様が十字架の上で口にした二つの言葉から教え示されるように思う。4つの福音書によれば、イエス様は十字架の上で7つの言葉を口にしたことが記されており、ルカは、そのうちの3つを記した。十字架上のイエス様の言葉こそが、端的に、イエス様が私たちの救い主であることを指し示しているのではなかろうか。
最初の言葉。二人の犯罪人と共に十字架につけられたイエス様は、24節に「父よ、彼らをお赦し下さい。自分が何をしているのか知らないのです」と祈ったとある。十字架という処刑方法がどれほど残酷で長い痛みを被らせるものであったのかについては、詳しく語る必要はかろう。イエス様は、この十字架につけら、つまりは被害者として加害者に対して「赦し」ということを口にされたのだった。
私たちは赦しという言葉を、普通は口にできない(主の祈りでは、それを口にしているが)。私たちは、到底それを実行できない者であると思う。次から次へとテロが起きた。犯罪が続いた。私たち人間は憎しみがこの世界に増し加わってゆくのを終わらせることができない者だとしみじみ思う。
このことは、私たちの世界をどのような方向へと至らせるのか私たちには想像もできない。しかし、憎しみの連鎖、復讐の連鎖の応酬が何を生じさせるかということは、パレスチナでもアフリカでもシリアでもどこでも明らかである。最終的には人類すべてをこの地上から滅ぼしてしまうようなことになってしまうのではないかとさえ思われるのである。24節、イエス様の「自分が何をしているのか知らないのです」との言葉が書かれている。その言葉の直接的な意味は、自分を十字架に付けた人々が何をしているのか知らないということであろう。しかし、私にはそういう意味を越えて、こうして平気で誰かを傷つけ、加害者となってゆく私たち、また被害者となった人々は加害者に対する憎悪をつのらせ復讐を当然のごとく実行してゆく・・・そのような連鎖が、いったい私たち自身に何をもたらすかを私たちは知らないという意味ではないかと感じさせられた。
私たち人間では、どうしょうもできない憎しみの連鎖に対し、イエス様は自分自身を十字架の苦しみの被害者という立場に身を置いて、赦しという希有なものをもって、この人間同士の間柄に介入をされたのではなかろうか。もしも、イエス様がこの十字架上の死をもって、この世界から消えてしまったのなら、イエス様の赦しは、たった1回限りのものでしかなかったのである。イエス様を十字架に付けた人々に対してのみ意味を持つものでしかなかったことになる。だからこそ、神様はただ一人、この十字架にかけれたイエス様を復活させたのだと改めて思うのである。それによって、イエス様の赦しが、未来永劫繰り返し続くものだと宣言されているのである。増し加わってゆく憎しみ、このままゆけば憎悪が一杯になって、ダムが決壊してしまうような状況に対し、イエス様の赦しが働いているのである。私たち人間の生み出す憎悪に対し、イエス様による神の赦しの方が勝っているのである。
被害者となった人々の苦しみや憎しみは、なくなることはないであろう。その消えることのない思いを、イエス様はどのようにしてくださるのか。また加害者に対してはどのように償いをなさしめてくださるのであろうか。赦しとは、決して加害が不問に付されたり、帳消しにされることではないし、被害者の辛い気持ちを無理矢理もみ消してしまうことでもないと私は思う。ローマ12章19節でパウロは、申命記の言葉を引いて「復響はわたしのすること、わたしが報復する」と言っている。神様が復讐し報復してくださるとはっきりと語ってくれている。しかし、それは私たち人の復讐ではなく、あくまで神様の復讐なのである。十字架の上で「赦し」という言葉を口にしたイエス様の報復なのである。赦しが伴う神様の復讐や報復というものがどういうものかは、私たちにはわからない。しかし、それは、復讐であり報復であると、はっきりと神様が約束してくださっている。被害者と加害者しかいない人間のただ中に、身をもって赦しを口にされたイエス様が立っておられる。そこに私たちへの救いというものがあると私は信じるのである。このイエス様の赦しがあるからこそ、今日までこの世界は滅びていないのだと思うのである。
3 さて、十字架の上のイエス様に対して、人々また一緒にはりつけにされた二人の犯罪人の一人が執効に、「もしお前がメシア(救い主)なら自分自身を救ってみよ」と嘲ったと記されている。この犯罪人にとって、また人々にとって、ひいては私たちにとっても、救いとは自分自身を救うこと、つまり自分の思い通り苦しい十字架から自分を降ろしてやれることにほかならないのである。人々はこういう救済観をイエス様にぶつけ、それを実現できないお前など救い主でも何でもないとののしるのである。
本当に、このような救いがいただけたなら、どれほど幸いかと思う。しかし、残念ながらそれは不可能なのである。イエス様自身が十字架から降りることがなかったこと、神様がそうされなかったことがその現れなのである。私たちがそれぞれに与えられる十字架の苦しみから自分自身や大切な者を降ろしてもらいたいとどんなに願っても、それはできないことなのである。与えられない救いを、犯罪人のひとり、また人々のように私たちがどこまでも固執しつ続けるのならば、十字架につけられたイエス様は嘲りの対象でしかなくなる。救い主でも何でもないということになる。
ここにもうひとり、イエス様と共に十字架につけられたある犯罪人は、そうではなかったということが記されている。彼はイエス様に、自分を十字架から降ろしてくれることなど、もはや求めなかった。自分がこの状況にあることは「自分のやったことの報いを受けているのだから当然だ」と受容していた。また、42節でイエス様に「あなたの御国においでになるときには、わたしを思い出してください」と語っていることからすると、自分の至るところは「御国」とは正反対のところだと思っていたに違いないのである。
そのような自分が、こうしてイエス様と共に十字架につけられているということに、彼は救いを見いだしていたのであった。一緒にはりつけにされて、イエス様が何も悪いことをしていないことがよくわかった。だからこそ、死の向こうに至る日が必ずやってくることがわかった。こうして何かの理由で一緒にはりつけにされているならば、この私をも思いだして一緒に御国へ連れていってくれるのではないかと、かすかな望みを抱たのであった。そして、それをイエス様に願った。するとイエス様は「はっきり言っておくが、あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる」とおっしゃって、この犯罪人の願いをかなえて下さったのである。救いが与えられた。彼にとって十字架につけられたイエス様は、文字通り救い主になって下さったのだった。
こうして、イエス様と共にはりつけにされた一人の犯罪人が、十字架のイエス様を救い主として見いだし信じた最初のひとりとなったのである。ここに、言わば、最初の教会が生まれたのである。最初の教会は「されこうべ」と呼ばれている場所に、死臭ただよう3本の十字架が立てられた場所に生まれたのだった。それは本当に、私たちクリスチャンという存在の、またその集まりである教会の根源的な性格を表しているのである。イエス様が私たちの救い主であり、私たちに大きな喜びを与えて下さることは、私たち自身がそれぞれにとっての「十字架」につけられてはじめてわかることなのである。十字架の苦しみから降ろしてほしいとの願いは、もはやかなえられない。しかし、その時に、他のだれでもなく、イエス様がたった一人、自分と一緒に十字架の上にいて下さるということが見えてくるのである。イエス様が一緒にいて下さるただそれだけで、イエス様から自分に、何か善いものが、本来なら到底その時の自分には決して与えられないものが授けられるのである。イエス様が十字架の上にいてくださるがゆえに、私たちが立たされている十字架の場所が、神様の恵みを受ける聖なる喜びの場所となるのである。このような喜びが、いったい他にあるであろうか。他の誰が私たちに、このような恵みを与えてくださるであろうか。
4 こうしてイエス様は、たった12人のわずかな弟子にさえ見捨てられて、ただ一人十字架の上で死ぬこととなった。しかし、その生涯の終わりに、十字架の上で処刑されることとなったたった一人の犯罪人に救いをもたらし、喜びを与えたのであった。私はこのようなイエス様を救い主として信じるのである。
イエス様は、私たちに身をもって、「あなたがたの生涯もこのようなものであってよい」と語って下さるのである。イエス様の生涯は、悲惨な十字架で終わるものであった。イエス様が選択された何年も寝起きを共にし様々なことを教えてきたたった12人の弟子たちにさえ見捨てられてしまったのだった。しかし、だからこそ、たったひとりの人に、共にいてやることができたのだった。ここには、何か私たちの人生の逆説的な意義が浮かび上がってくる。多くの人々の生涯が挫折や失敗に満ち、最後には十字架を背負うものとなる。しかし、だからこそ、誰かたったひとりの人と共にいられるようになるのである。それがたったひとりのその人の慰めや励ましになれば、それでよいではないかとイエス様は身をもって語りかけて下さるのである。このイエス様を、私は救い主として信じるのである。
筑波学園教会牧師 福島 純雄
2016年 12月18日(日)待降節第4主日礼拝
23:13ピラトは、祭司長たちと議員たちと民衆とを呼び集めて、 23:14言った。「あなたたちは、この男を民衆を惑わす者としてわたしのところに連れて来た。わたしはあなたたちの前で取り調べたが、訴えているような犯罪はこの男には何も見つからなかった。 23:15ヘロデとても同じであった。それで、我々のもとに送り返してきたのだが、この男は死刑に当たるようなことは何もしていない。 23:16だから、鞭で懲らしめて釈放しよう。」 23:17*祭りの度ごとに、ピラトは、囚人を一人彼らに釈放してやらなければならなかった。 23:18しかし、人々は一斉に、「その男を殺せ。バラバを釈放しろ」と叫んだ。 23:19このバラバは、都に起こった暴動と殺人のかどで投獄されていたのである。 23:20ピラトはイエスを釈放しようと思って、改めて呼びかけた。 23:21しかし人々は、「十字架につけろ、十字架につけろ」と叫び続けた。 23:22ピラトは三度目に言った。「いったい、どんな悪事を働いたと言うのか。この男には死刑に当たる犯罪は何も見つからなかった。だから、鞭で懲らしめて釈放しよう。」 23:23ところが人々は、イエスを十字架につけるようにあくまでも大声で要求し続けた。その声はますます強くなった。 23:24そこで、ピラトは彼らの要求をいれる決定を下した。 23:25そして、暴動と殺人のかどで投獄されていたバラバを要求どおりに釈放し、イエスの方は彼らに引き渡して、好きなようにさせた。
1 イエス様の誕生を祝うクリスマスの時期であるが、私たちはずっとルカによる福音書に記された十字架の死へと向かうイエス様の姿を追ってきた。最期の晩餐を閉じるにあたってイエス様が弟子たちに残した遺言とも言える言葉、そしてゲッセマネの園での祈りとして知られているイエス様の祈りに続き、その後、12弟子の一人であったユダの手引きによる逮捕、そして、時の大祭司の家に連れて行かれ、そこでイエス様の予告通りぺトロが、鶏が鳴く前に3度もイエス様を知らないと言ってしまった様子が書かれている。
それに続くイエス様の裁判は、ユダヤ人の側とローマの総督ポンテオ・ピラトのもとでのそれに分けられる。当時のイスラエルは、ローマ帝国の占領下に置かれていた。ローマは比較的寛大に、占領された側の自治を認めていた。特にユダヤ人については、宗教的な事柄について干渉されることを極度に嫌い、度々トラブルが起きていたので、宗教的な領域については、広い範囲での自治が認められていたのだった。イエス様の裁判は、まず最高法院(サンヒドリン・70人議会とも呼ばれる)で行われた。そこで尋問されたのは、22章67~70節にあるように、イエス様がメシア(救い主)か、また神の子かという問いだった。メシアであるかとの質間に対しては、はっきりと答えず、神の子かとの問いに対しての答えは、「わたしがそうだとは、あなたたちが言っている」であった。これをもって最高法院での裁判は、神の冒流という理由で有罪、死刑に当たるという結論となったのだった。
2 しかし、宗教的な領域について大幅な自治を認められていたが、死刑の判決を出して処刑することについては認められてはいなかった。したがって、それ以後の裁判はローマ帝国から遺わされていた総督ピラトのもとに移ることとなったのだった。しばしばトラブルが起きていたため、ユダヤ人を治める総督になるのは誰もが嫌がったようである。ピラトがそれに任じられたというのは、彼が官吏として有能だったからであろう。しかし、そのような彼であっても、紀元26年にはじめてこの地方を治める役人になって以来(まだ総督としてではなかったが)、何度か宗教的な事柄を巡ってユダヤ人との間にトラプルを生じさせた過去があったようである。トラブルが発生すれば、それは当然総督の責任となり、更送されたり、場合によっては罪に間われて処刑されたこともあったようである。
そういう経緯が過去にあったので、イエス様の裁判でも、どうしてもピラト自身の判断よりも、ユダヤ人の意向を受け入れざるを得なかったのである。有能な役人だったピラトは、当然、事前にイエス様についての情報を手に入れていたであろうし、ユタヤ入がなぜイエス様を死刑にしようとしていたのかもわかっていたはずである。ピラトが、ただ1点イエス様に問いただしたのは、23章3節「お前がユダヤ人の王なのか」であった。「ユダヤ人の王となってローマ皇帝に反旗をひるがえそうとする意図があるのか」と聞いたのだった。これに対するイエス様の答えも「それはあなたが言っていることです」だった。要はノーということである。イエス様にそのような考えなどないことは、ピラトは百も承知なのであった。だから「わたしはこの男に何の罪も見いだせない」とピラトは言った。しかし、イエス様を彼のもとに連れてきた最高法院の人々は有罪にすることを執拗に求めた。困ったピラトは、折しもイエス様の出身地ガリラヤの領主だったへロデ・アンティパスが過越の祭で、丁度エルサレムに来ていたと知って、イエス様の処分を彼に丸投げにしてしまったのだった。しかし、へロデの許で、何も決することができず、再びピラトのもとにイエス様は送り返されて来たのだった。彼は何度もイエス様を釈放するように提案したが、人々は受け入れなかった。イエス様の代わりに「都に起こった暴動と殺人のかどで投獄されていた」バラバという男(興味深いことに、マ夕イによる福音書では、彼はイエス様と同じ名前だったと書かれている)を釈放せよと叫び続けたのだった。とうとうピラトも根負けし、イエス様への死刑判決を認め、処刑を承認したのだった。
3 以上のようなイエス様の一連の裁判について、最後の晩餐を閉じる場面でイエス様はその遺言の最後として、弟子たちに次のような事を言っていた。「その人は犯罪人の一人に数えられたというイザヤ書53章の言葉が、わたしの身に必ず実現する。あなたがたは、これからは犯罪入の一人に数えられた私の弟子として遺わされて行くことになる。あなたがたは、以前に遺わされた時とは違って、財布や袋を持とうとしたり、剣さえ備えねばと思うようになるだろう。しかし、あなたがたを不足させないことは何なのかを忘れてはいけない。それは財布や袋や剣を持つ事ではなく、あくまで犯罪人の一人に数えられ私によって遺わされた者であるということなのだ。私によって遺わされたときに、財布も袋も待たずとも何の不足もなかったのを忘れてはいけない」と。
このように、イエス様がどのように犯罪人の一人に数えられていったか、人々はなぜイエス様を犯罪人の一人に数えて処刑し、反対に犯罪人だったバラバを選んだかが描かれている。私たちは、このようなイエス様を信じる者であり、イエス様によって遣わされている者である。だから、私たちも、何時でもこの世において人々から犯罪人として数えられ、私たちではなくバラバが選ばれる可能性があるということも知っていなければならない。
さて、最高法院や民衆はなぜイエス様を犯罪人のひとりに数えようとしたのか。なぜイエス様ではなくバラバを選んだのか。23章2節に、彼らがイエス様をピラトに訴えた事由が三つほど上げられている。「この男はわが民衆を惑わし、皇帝に税を納めるのを禁じ、自分が王たるメシアだと言っている」と。彼らは、イエス様がこれらをしたと訴えているが、言うまでもなく、イエス様はこのどれも犯してはいなかったのである。彼らがイエス様を憎み、十字架へと至らせようとしたのは、むしろ反対に、イエス様がこのどれもしてくれなかったからなのであった。バラバは、少なくとも、失敗はしたけれども、それをしようとしたのだった。人々がイエス様に願っていたのは、イエス様が剣の力を振るって自分たちに重い税金を科すローマ皇帝に反旗をひるがえし、ユダヤ人の王となって自分たちを支配してくれることだったのである。できなくても良いから、一時でもそういう夢を見させて惑わせて欲しかったのである。
いつの時代でも、私たちが求めているのは、こういうことなのかもしれない。こういう願いを抱き、それに人々が迎合する様子は「ポピュリズム」呼ばれている。英国でのEU離脱を問うた国民投票でも、アメリカの大統領選挙でも、これが横行したのではなかろうか。トランプ候補が口にしていたのは、その半分以上がウソや出まかせであり、実現不可能な政策であった。しかし、人々が求めたのは、うそか本当かではなく、実現可能かどうかでもなかったのである。ほんの一時でも惑わせてくれることなのであった。自分たちを苦しめる皇帝の税金(それは不法難民の流入、工場の国外移転、安い製品が輪人されて自分たちの仕事が奪われる等々)が、なくなってくれることを夢見させてくれたのだった。人々は、敵はローマだと声高に叫んで、奴らに対して剣を振るおうという演説で熱狂させてくれる指事者を選ぶのである。
4 イエス様を犯罪人のひとりに追いやり、バラバを選んだ2000年前の世とまったく同じ世の中に、私たちは置かれている。どうやって私たちは生きてゆけばよいのか。それは、ひたすら「イエス様によって遣わされている者としてである」とイエス様は言っているのである。それが、あなたがたをして守り支えるだろうと、遺言して下さったのである。
イエス様が、それゆえに犯罪人の一人に数えられることとなったところの、人々の要求にノーを突き付けたポイントは、王になることではなかったかと改めて思う。22章25節以下で「異邦人の間では王が民を支配し、民の上に権力を振るう者が守護者と呼ばれている。しかし、あなたがたはそれではならない。(私がそうであるように)給仕する者、仕える者になりなさい。」と遺言して下さったのだった。今の時代に、このイエス様の言葉通り生きるということは、かえって悪い王様 -たとえば北朝鮮の支配者のような存在- の意のままにされ、支配されることになるのではないかと誰もが思うかもしれない。確かにその通りである。税金を科すローマ皇帝に反旗をひるがえさないということは、皇帝に仕えるのをよしとすることではないか。ヒトラーのような王に支配された時に、私たちが剣を持たずにどうやって生きてゆけるというのか。本当に難しい問題なのである。
しかし、イエス様の答えははっきりしているのである。剣を持って自分を逮捕しにやってきた兵士たちに弟子たちが剣を振るったとき、イエス様は「剣を取る者は皆剣で滅びる(マタイによる福音書26章52節)であった。これは、イエス様が自身の選捕と引き換えに、その命をかけて私たちに残された言葉であった。「剣を振るって王となる者は、いつかは必ず剣によって滅びる。そのときは遅かれ早かれ、いつかは必ずやってくる。だから、あなたがたは、私に遣わされた者として、どんな時代にあっても仕える者として生きなさい。給仕する者として生きなさい。私があなたがたに私の体や血液を与えたように、あなたがたの大事なものを与える者として生きなさい。それが、あなたがたを守るだろう。それがあなたがたの剣となるだろう。」とイエス様は言い残して下さったのである。
この言葉にイエス様は自分の命をかけて下さった。自分を王としようとした人々の願いにきっぱりと「否」を突き付けて、また剣を振るう人々に、決して剣を振るうことなく、十字架へと向かっていったのである。人々はこのイエス様を捨てて、代わってバラバ・イェスを選んだ。これが私たち人間の、いつの時代でもなす選択なのではなかろうか。この私たち人間の選択に真っ向から対峙して、このイエス様を断固として必要とする、それが天の神様である。私たちはイエス様を有罪としたが、イエス様に死刑判決を下した私たち人間に、神様はあなたがたこそ有罪だとの判決を宣告しておられるように思うのである。「このイエスを抹殺するあなたがたに未来はない。いつまでもどこまでも、剣を振るって王になることを求め続けるあなたがたに平和はない。」神様はそのように宣告しておられるように思うのである。私たちが十字架に追いやり、抹投したイエス様を、神様は復活させたのである。私たちがどんなに抹殺しようとしても、神樣は、十字架の上で殺されたイエス様を、永遠に存在させる。それは私たちの選択や私たちの死刑判決に対する神様の選択であり判決であり勝利なのである。それは決して剣の力によらない勝利である。「イエス様によって遣わされて生きるところにこそ、あなたがたの拠り所があり、剣がある」との語りかけなのである。
筑波学園教会牧師 福島 純雄
2016年 12月11日(日)待降節第3主日礼拝
22:35それから、イエスは使徒たちに言われた。「財布も袋も履物も持たせずにあなたがたを遣わしたとき、何か不足したものがあったか。」彼らが、「いいえ、何もありませんでした」と言うと、 22:36イエスは言われた。「しかし今は、財布のある者は、それを持って行きなさい。袋も同じようにしなさい。剣のない者は、服を売ってそれを買いなさい。 22:37言っておくが、『その人は犯罪人の一人に数えられた』と書かれていることは、わたしの身に必ず実現する。わたしにかかわることは実現するからである。」 22:38そこで彼らが、「主よ、剣なら、このとおりここに二振りあります」と言うと、イエスは、「それでよい」と言われた。 22:39イエスがそこを出て、いつものようにオリーブ山に行かれると、弟子たちも従った。 22:40いつもの場所に来ると、イエスは弟子たちに、「誘惑に陥らないように祈りなさい」と言われた。 22:41そして自分は、石を投げて届くほどの所に離れ、ひざまずいてこう祈られた。 22:42「父よ、御心なら、この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしの願いではなく、御心のままに行ってください。」〔 22:43すると、天使が天から現れて、イエスを力づけた。 22:44イエスは苦しみもだえ、いよいよ切に祈られた。汗が血の滴るように地面に落ちた。〕 22:45イエスが祈り終わって立ち上がり、弟子たちのところに戻って御覧になると、彼らは悲しみの果てに眠り込んでいた。 22:46イエスは言われた。「なぜ眠っているのか。誘惑に陥らぬよう、起きて祈っていなさい。
1 最後の晩餐を終えるにあたってイエス様と弟子たちとの間に交わされた会話、そしてタイトルに「オリープ山で祈る」とあるが、私たちには「ゲッセマネの園での祈り」として知られている場面である。まず35節から38節、ここは最後の晩餐を閉じる際にイエス様が弟子たちに言い残した言葉であるから、本来ならば、とても大事な言葉であったはずである。しかし、他の福音書には記されていない。他の福言書を書いた記者たちは、ここに記された場面を知っていたのであろうか。知っていたのにわざと省いたのかもしれない。それは、イエス様が言わんとされた真意がよくわからなかったからではなかろうか。ただ一人、この出来事を記したルカ自身も、はっきりと理解していたかどうかは疑問である。読む者は、果たしてイエス様の真意は何であったのかと、ずっと悩まされてきたのである。
イエス様は以下のようなことを言わんとされていたかのように受け取れる。すなわち、これまではイエス様に遣わされた者として、弟子たちは財布も袋も履物も持たずとも何の不足もなかったが、これからはそうはいかない。「犯罪人の一人に数えられたという言葉(旧約聖書イザヤ書53章12節)は、私の身に必ず実現する。だから、あなたがたは、これからは犯罪者の一人に数えられた私の弟子として遺わされてゆくことになる。ついては、財布や袋を携え、あまつさえ服を売ってでも剣を買いなさい。」と読める。
弟子たちが「主よ、剣ならこの通りここに二振りあります」と言ったのに対し「それでよい」と答えられたのは、剣の用意があったことを肯定的に「よくやった」とおっしゃったかのようにも読める。勿論「それでよい」との日本語は「もういい。いいかげんそれで終わりにしなさい」との意味にもとれるので、はっきりしないのである。最後の晩餐を終えるにあたって、このような意味でイエス様が弟子たちへの遺言として語ったであろうか。それは最後の晩餐でずっと語られてきたことと合致するものであろうか。
2 はっきり言えるのは、これまでの流れからみて、特に弟子たちが剣を用意していたことに対してイエス様が肯定的に認めたとは絶対に考えられないと思う。25節でイエス様は、この世の王たちは民の上に権力を振るい、それは「守護者」と呼ばれているけれども、あなたがたはそれではいけないとはっきりと言われたのだった。権力の根源には剣の力がある。「あなたがたはそれではいけない」と言ったイエス様が、たとえ自分が犯罪人の一人に数えられた後、弟子たちが剣に取り囲まれるような状況に追い込まれたとしても、それに対して剣によって立ち向かえと遺言として言い残したとは考えられないのである。
ではイエス様の真意はどういうことなのか。私は次のように捉える。「あなたがたは、これからは犯罪人の一人に数えられた私の弟子として、その私に遺わされた者として、困難な境遇に置かれるだろう。その境遇の中であなたがたは必ず、以前とは違って財布や袋を用意し、あまつさえ剣さえ持つようになるだろう。私の身に犯罪人の一人に数えられたということが必ず実現したように、あなたがたにも必ずこのことが起こるであろう。」と。イエス様が「こうしなさい」と命令したのは、もともとの意味は「必ずこういうことをあなたがたはする」という意図ではなかったかと理解できるのである。
ギリシャ語でもヘブル語でも、命令形という形は「必ず・・・するようになる」という意味を持つとしばしば教えられてきた。だから、イエス様の身に必ずこういうことが起きるのと同様、弟子たちにも必ずこういうことが起きるだろうとのイエス様の言葉が間違って「・・・しなさい」という意味に伝えられたのではなかろうか。
さて、弟子たちはそうやって困難な境遇に対処しようとしたが、それがイエス様の御心にかなっていたか、また、それが弟子たちをしてその状況に十分に対処させえたかと言えば、決してそうではなかったというのが、イエス様の真意なのだと思う。イエス様の真意は、あくまでも弟子たちがイエス様によって遣わされた者として、財布も袋も、いわんや剣など持たずに生きることなのであった。そのことが彼らをして不足しない状況に置くのである。あくまでそのことを思い出させ、その原点に立たせるためにこそ、35節で彼らが最初に派遺された時のことを思い起こさせたに違いないのである。
3 私はこのイエス様の言葉から、私たちもまた犯罪人の一人に数えられたイエス様から派遣されている存在だということを思い起こした。今はクリスマス一色の時期だが、そこでイエス様のことを、ほんの少しでも思い浮かべられるとしても、それはもっぱらマリヤさまに抱かれ、すやすやと眠る安らかな赤ちゃんとしてのイエス様であろう。到底、犯罪人の一人として当時のローマ帝国やユダヤ人社会から抹殺された死刑囚だったことを思い浮かべはしないであろう。私たちも、いつの間にかクリスチャンとは、犯罪人のひとりとして処刑されたイエス様信じる者であり、そういう者として、それぞれの場に遺わされた者であることを忘れてしまいがちなのである。しかし、イエス様は最後の晩餐の席で、改めてこのことを告げたのであった。「このことを忘れてはならない」と言われたのである。
なぜイエス様が犯罪人のひとりに数えられたのか。それは様々な理由があるが、最後の晩餐でイエス様が言い残したことによれば、この世のだれも-たとえ王候貴族であろうと聖人君子と言われるような者であろうと-イエス様、ひいては神様の生命の犠性をいただかなくては生きてゆけない病人だということである。戦前にホーリネス教会の人々が弾圧された根本的理由も、つきつめれば、たとえ天皇であってもこのような病人なのか罪人なのかという点に尽きるのである。ローマ皇帯によって追害されたのも、ここに尽きる。神さまの前に、すべての者は病人であり罪人なのだというイエス様の教えこそ、この世の支配者にとっては最も忌み嫌うべきものに他ならなかった。だから私たちクリスチャンも、このイエス様を信じ、イエス様によって遣わされている存在として、根源的にこの世の犯罪人のひとりに数えられ得る者であることを忘れてはならないのである。
しかし、私たちを不足させないのは、この点においてなのである。これが示される2点目。イエス様によって遣わされ、イエス様が教えて下さったこの福音を宣べ伝えて生きるという点において、私たちは不足しない者なのである。遣わされて生きるということの特徴が、特にこの福音書の9章や10章で、12弟子や72人の弟子たちを派遣された時にイエス様が与えた言葉によく表されている。「もしも歓迎してくれる家があれば、家から家へと渡り歩かずに出された物を食べ、その町で与えられた役割を果たし、時が来れば旅立つのです。もし迎えられなければ足についた塵を払って出て行けばよいのです。」と、イエス様は言われた。遣わされた者の特徴は、出会う者に決して迎合しないあり方なのである。いつでも旅人であり寄留者としての特質を失わないあり方なのである。言わばセールスマンとか訪間販売者とかそのような者として歩み、そこで何を売るかと言えば、ひたすらイエス様の託して下さった-この世の王様からは歓迎されない-福音という商品なのである。数は少ないかもしれないが、この商品を買ってくれる人は必ずいるのである。そこにおいて私たちは不足しないのである。不足することを恐れて、しばしば私たちひとりひとり、また教会は、できるだけ大きな財布や袋を備え、剣を用意しようとする。そうやって、結果的にはイエス様から遣わされている者、また集まりという特質を失ってしまうのである。犯罪人のひとりに数えられたイエス様から遺わされている者の集まりという特質を失って、それが逆に私たちをかえって不足させることになるのである。
4 39節以下に記されているオリープ山で祈るイエス様の姿は、35節から38節までからの流れから言えば、私たちがこのように祈るイエス様によって遣わされている者であることの、このイエス様の祈りのお姿が私たちの財布であり袋であり剣なのだという、ルカからのメッセージとして受け取ることができるのではなかろうか。イエス様は弟子たちとわざわざ「石を投げて届くほどの所に離れ」て祈りをささげたのだった。弟子たちは「悲しみの果てに眠り込んで」しまった。しかし、イエス様の祈りの様子、またその言葉を漏れ聞いて、こうして私たちに伝えてくれたのは他でもない弟子たちだったのである。
悲しみの果てに眠ってしまいイエス様と一緒に祈れなかった弟子たち(同じ場面で、マ夕イとマルコは「心は燃えても肉体は弱い」と記している。悲しみからではなく肉体の弱さからも眠ってしまったのだった)は、ここに記されたイエス様と同じようには祈れない私たちのありさまを象徴的に表している。しかし、私たちはあくまでイエス様の弟子として遣わされた者なのである。弟子は師以上の者である必要はない。私たちはこのような祈りをすることはできないが、しかし、イエス様は私たちを遺わされたのである。こういう祈りをイエス様がささげたということを証しし伝える者であればよいのである。またイエス様がこのような祈りをささげられたことの意義を深くかみしめる者であればよいのである。
さて、イエス様の祈りの姿、またその祈りの言葉から、私たちは様々なことを知らされる。ル力の書き方は、マ夕イやマルコと比べると簡潔すぎるほど簡深である。一番イエス様の祈りの姿を丁寧に書いたのはマタイであった。彼は、3度イエス様が祈ったことを記している。最初の祈りは、「父よ、できることなら、この杯をわたしから過ぎ去らせて下さい。しかし、わたしの願いどおりではなく御心のままに」だった。2度目の祈りは「父よ、わたしが飲まない限りこの杯が過ぎ去らないのでしたら、あなたの御心が行われますように」だった。3度目も同じ祈りだったと書いている。ルカはこうした何度も重ねられた祈りを、1度の祈りにまとめて記した。マタイが記した祈りの言葉を読んだとき、その変化というものに私たちは気づくのである。最初の祈りには、はっきりと「この杯(十字架の苦しみ)を私から過ぎさらせて下さい」と、自身の願いを口にしていた。しかし2度目と3度目の祈りにはそれはなかった。
こうしたことから教えられるのは、イエス様にとってさえ、神様の御心を受け入れるのは容易いなものではなかったということである。これまで何のためらいもないようにエルサレムへと進んでこられたイエス様であったが、いよいよ逮捕が目前に追ったこの時には、イエス様も苦しみもだえ、天使によって力付けられなければならなかったのである。イエス様においてさえ、人間的な願いと神様の御心との間には、深い深い溝があったのである。それを越えて、私たちが神様の御心を受け入れるのは、どれほど苦しいことかを、イエス様は身をもって教え示して下さったのである。
しかしまた、このイエス様の姿は、私たちの願いとはどんなに違うものであろうとも、神様の御心というものが厳然として存在していることをも伝えている。私たちがどんなにそれを拒んでも、神様の御心は過ぎ去ることはないのである。イエス様が十字架の上で、私たちのためにその生命を犠牲とされたことは、不可欠なことなのである。その必要性は、イエス様がどんなに願っても、なくなることはない。それと同じように、私たちにはわからなくとも、何らかの目的のために私たちの苦しみも不可欠なのである。私たちがどんなに願い祈りを重ねても、過ぎ去ることのない苦しみの杯はある。
そして、イエス様は祈りを重ねる中で、徐々に徐々に神様の御心を受け入れることができたのだった。私たちは最後まで受け入れることはできないかもしれない。しかし、弟子たちは師以上の者である必要はないのである。このイエス様によって遺わされているということで十分なのである。イエス様を天使が助けて下さったように、私たちをイエス様が助けて下さる。このようなイエス様によって、私たちは遺わされた者なのである。そのことが私たちを足らしめて下さるものとなる。
筑波学園教会牧師 福島 純雄
2016年 12月4日(日)待降節第2主日礼拝
22:31「シモン、シモン、サタンはあなたがたを、小麦のようにふるいにかけることを神に願って聞き入れられた。 22:32しかし、わたしはあなたのために、信仰が無くならないように祈った。だから、あなたは立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい。」 22:33するとシモンは、「主よ、御一緒になら、牢に入っても死んでもよいと覚悟しております」と言った。 22:34イエスは言われた。「ペトロ、言っておくが、あなたは今日、鶏が鳴くまでに、三度わたしを知らないと言うだろう。」
1 ペトロの3度の否認をイエス様が予告した有名な場面である。54節以下、イエス様の予告通りとなった。この場面は4つの福言書すべてに書かれている。しかし、このル力だけが記したイエス様の言葉が31節と32節にある。特に32節の「わたしはあなたのために・・・・力づけてやりなさい」というイエス様の言集は、読む度に私たちの心を打つ。
既に「最後の晩餐」と呼ばれる場面は終わっていた。同じ場所での出来事として描かれている。21節、イエス様は「誰かが私を裏切ろうとしている」と弟子たちに言った。「いったい誰がそんなことをしようとしているのか」との議論が起きた。24節の、「誰が一番偉いか」との言い争いにまでなっていった。文字通りの意味での序列争いをしたのではなく、自分たちの中で誰が一番イエス様を裏切ることから違いのか、裏切りに最も違いところの、強く大きな信仰を持っているのは私だ、というような胸の張り合いが起きたのだった。32節、ペトロが「主よ、ご一緒なら、牢に入っても死んでもよいと覚悟しております」と言ったのも、こういう流れで語られた言葉であった。しかし、このペトロの勇ましい覚悟は、イエス様の予告通り、その舌の根も乾かぬうちに粉々に砕かれてしまったのだった。
普通私たちは、ペトロのすばらしい覚悟が砕かれ、イエス様の悲しい予告がその通りに実現してしまったことを、私たちはネカティプなこととして読む。弟子が、その愛する師を3度も知らないと言ってしまったこと、しかも、その前日には、たとえ死んでもよいと言ったのに・・・と。ペトロ自身にとっても、初代教会の人々にとっても、おそらくそうであったに違いない。特にペトロは、一時期、生まれたばかりの教会のリーダーだった。カトリック教会の指導者であったローマ法王は、このぺトロの継承者だとして、今も教会のリーダーだとされている。そういう人が、このようなことをしてしまったとは、普通ならば不名誉な汚点として削除されるのではないかと思う。ところが、4つの福音書のすべてが、このことを記している。それは、この出来事が確かな事実であったゆえに削除できなかったという消極的な理由からではなく、ペトロがイエス様を否認し、そのペトロが、のちのイエス様の言葉で言えば、その祈りによって立ち直り、兄弟たちを力づけることのできる者となったということが、私たちのキリスト教という信仰にとって、決定的に重要な出来事だったからなのである。どのようなことがあっても、これは削除されてはいけないとされたのである。キリスト教という宗教を、他のすべての宗教と分ける決定的な点は、ここにこそあると言っても過言ではないと私は思うのである。
2 さて、もしもこのペトロの勇ましい覚悟がそのまま貫かれ、それゆえに彼がその後に生まれたキリスト教という宗教や、信者の集まりのリーダーとなっていったとしたら、-ただし、ペトロの勇ましい覚悟がそのまま貫かれ得てゆくような状況で、果たしてキリスト教と呼べる宗教や信仰が生まれたかと言えば、それは限りなくあり得ないと私は思うのだが-、もしもそのようにして生まれたならば、そのキリスト教は、何か全く別種の宗教になってしまったであろう。キリスト教という宗教、またその信者の集まりというのは、突き詰めれば「牢に入っても死んでもよい」と口にできるような覚悟を誰よりも強く持っている人が指導者となった宗教であり、信仰共同体だということになる。24節の言葉で言えば、-「偉い」と訳された原文のギリシャ語は、それがそのまま英語にも日本語にもなっている「メガ」という言葉が変化したものである-誰が一番メガな信仰を持つかによって、信者の序列が決まり、信仰の大小が値踏みされるような宗教だということである。もっと言えば、信仰とは覚悟と同じ類いのものと見なされるのである。
受洗の志願を執事会で承認する際には、必ず試問というものがなされる。受洗を志す思いが語られ、それを執事たちが聞いて、受洗を承認するのである。もし最後の晩餐の席におけるぺトロの言葉がそのまま貫かれ、そこに言い表された彼の『信仰』が今なお私たちの信仰のスタンダードとなっていたなら、試問は『覚悟』を問うものとなっていたであろう。どれほどの覚悟を持っているかが、受洗の是非を決するスタンダードとならざるを得なかったであろう。
しかし幸いにも、このような信仰は、最後の晩餐という場面においてイエス様が弟子たちに求めたものではなかったのである。最後の晩餐は、イエス様と弟子たちとの最後の食事の席であったがゆえに、イエス様が弟子たち、そして私たちに遺産として残そうとされたものの根源が明らかにされた場面であった。イエス様と私たちとの関係とはいかなるものか。何をイエス様からいただく関係なのか。それが明らかにされた場面なのであった。イエス様は、出エジプトの際に犠牲として屠られた子羊に自分を見立てて「私の生命の犠牲があなたがたをして『滅ぼす者』から救う」とおっしゃった。それは、私たちがイエス様の生命の犠牲をいただかなければ生きてゆけない者であることを意味している。私たちは、言わばイエス様の体を移植され、その清い血を輪血していただかなければ生きえない病人なのである。一体このイエス様と私たちとの間柄において、私たちのどこに「私は強い」とか「ぼくは大きい」とか「おれはメガだ」といった「覚悟」を口にできるものがあろうか。そのような偉そうなことを言える資格があろうか。最後の晩餐においてイエス様は、私たちに、「あなたがたはそのようなことを口にする資格はないのだ」とおっしゃったのである。別の言い方をすれば、「そのようなことで胸の張り合いをしなくともよいのだよ」と言い残して下さったのである。
私は、聖餐式の際に「ふさわしくないままでパンを食し主の杯を飲む者は・・・」という言葉を必ず読む。この「ふさわしくない」という言葉を、皆さんはどのような意味に受け取るであろうか。わたし自身、聞いたことがあるが、「今朝、夫婦ゲンカをしてきたので聖餐を受けるにはふさわしくない」とか、反対に「今日は聖餐を心から受けたいと思っているからふさわしい」とか、そういうことを耳にした。しかし、ここで言われる「ふさわしさ」とは、ただ「自分がイエス様の生命の犠牲を与えられなければ私は生きてゆけない病人なのだ」との自覚なのである。その自覚は、自ずと、たとえば自分からお医者さんにかかり人院し手術を受けるという現れを取るのである。洗礼とは、まさしくそういうことである。突き詰めれば、洗礼とは、私たちがイエス様と結び付けていただいて、イエス様を移植され輸血されるための手術を受けることである。ただし、一度それをしたら、その一生をイエス様を食べ続け輪血され続け透析され続ける者として生きることになる。それが聖餐であると私は思っている。さらに聖餐とは、たった1回の洗礼を何度も何度も繰り返すようなものである。だから世々の教会は、洗礼と聖餐を決して切り離すことなく行なってきたのである。洗礼と聖餐を切り離してしまうことが、私たちのその日の単なる気分やただその礼拝に出席していることをもって聖餐をいただくことが、どれほど「ふさわしくない」ことであるかが、おわかりいただけると思う。
3 こうして、信仰が『覚悟』と同じようなものになってしまうこと、信仰が私たち自身の強さや大きさに依拠してしまうものになることを砕くためにこそ、サタンは弟子たちを小麦のようにふるいにかけるのを神様に願って聞き入れられたとイエス様はおっしゃったのである。ふるいにかけるとは、言い得て妙なる比喩だと思う。ふるいにかけられて大きな石は撥ねられ、小さい粒だけが下に落ちてゆく。そのように、私たち自身の強さや大きさに根拠を置く信仰は撥ねられてゆくのである。そうしたものに全くよらない、小さな小さな信仰だけが良しとされてゆくのである。こうして、覚悟と同類のようなペトロの信仰は、ふるいにかけられて撥ねられたのだった。
ペトロは、イエス様の予告通り、3度もイエス様を知らないと言ってしまった。ペトロの人間的な強さや大きさに根拠を置いた信仰は砕かれてしまった。32節のイエス様の言葉通り、そのような信仰はなくなってしまったのである。しかし、そこでこそ「あなたのために信仰がなくならないように祈った」とのイエス様の言葉通り、イエス様の祈りによって、新しい信仰が生まれたのだった。それは、彼の覚悟や強さや大きさに拠り頼まない信仰であった。その信仰は、イエス様が3度もご自分を否んだようなペトロを、なおも信じて下さることに依って立つ信仰なのである。
このイエス様の祈りというものが、具体的にどういう形で現れたかと言えば、十字架の死から復活されたイエス様とペトロとの出会いにおいてなのである。特にヨハネによる福音書の21章15節以下、イエス様がペトロに3度「あなたはわたしを愛するか」と聞かれた上で「わたしの羊の世話をしなさい」とのイエス様の言葉に表れていると私は思うのである。イエス様がペトロに3度この質問して、こう言われたのは、言うまでもなく彼の3度の否認とつながっているが、それは、イエス様が3度の否認を責めるつもりで言ったのではなく、「わたしを3度否んだあなたをわたしは変わらず愛しており、そのあなたこそわたしが託す羊を養うにふさわしいのだ」というこのなのである。なぜふさわしいのか。それは、3度も否んだのに、なおもイエス様が愛して下さることを、自分自身の体験として知るがゆえなのである。イエス様によって世話をされ養われる喜びを知っているからなのである。そういう者こそが、イエス様が託す羊を養うのにふさわしいのである。自ら養われる喜びを知るものだけが、養う側に立てるのである。
私は東北教区の議長をしていたとき、牧師の就任式には、しばしばこのヨハネ福音書から式辞を語った。牧師が拠って立つところは、自らがイエス様によって養われるその喜びと不可欠さを知ることにおいてのみなのである。しかし、これ以外のところに立とうとする牧会者が多いように思う。自らが持ついろいろな意味での大きさや強さ、すなわちメガに立とうとするのである。わたし自身もそうあろうとしたときに、それを砕かれた。そして、その私こそが、イエス様から羊を託されるにふさわしい者だと言って私を信頼して下さるイエス様に出会ったのだった。
5 このように復活されたイエス様からの信頼をいただいて、ペトロは立ち直ることができたのだった。そして、自分自身が立ち直ったように、仲間たちをも同じように立ち直らせてゆくものとなったのである。それが兄弟たちを力づけるということに他ならない。私は、立ち直るということが仲間を力づけることと分かち難くつながっている点に、改めて心を打たれるのである。
立ち直るとは、復興という意味でもある。私たち一人ひとり、ペトロと同じように、様々な持ちものを打ち砕かれてしまった。それまで頼りにしていた健康のメガを、家族のメガを、仕事のメガを、経済的なメガを、みな失ってしまった。私たちの立ち直りは、私たちにとっての復興とは、しばしばその失ったものを再び取り戻すこととして理解される。しかし、失ったものを取り戻すことは、残念ながらできないのである。取り戻すことに復興を見いだすのでは、それは不可能でしかないのである。ペトロにとって、立ち直りとはそうではなかった。ペトロは立ち直った後も、自らが失ったメガは取り戻せなかった。福音書が今日まで彼が3度イエス様を否んだということを記し続けているように、彼はいつまでも弱い者や卑怯者のままであり続けているのである。しかし、だからこそ、その彼から、3度も否認した者を、かわらず愛し続けて下さるイエス様が、また、そういうペトロだからこそ、果たすことのできた務めを託されたイエス様が宣べ伝えられているのである。このイエス様を語って、自分と同じように仲間を力づけることに、ペトロの立ち直りがあったのである。私たちの立ち直りも、そこにこそある。
ふるいにかけられ、いろんな意味でのメガを失った私たちにこそ、イエス様が私たちに託し信頼して下さる何かがあるはずなのである。そういう私たちによってこそ、家族や仲間が力づけられることがあるはずである。そこに私たちの立ち直りがあり、また仲間への力づけがある。
筑波学園教会牧師 福島 純雄
2016年 11月27日(日)待降節第1主日礼拝
22:24また、使徒たちの間に、自分たちのうちでだれがいちばん偉いだろうか、という議論も起こった。 22:25そこで、イエスは言われた。「異邦人の間では、王が民を支配し、民の上に権力を振るう者が守護者と呼ばれている。 22:26しかし、あなたがたはそれではいけない。あなたがたの中でいちばん偉い人は、いちばん若い者のようになり、上に立つ人は、仕える者のようになりなさい。 22:27食事の席に着く人と給仕する者とは、どちらが偉いか。食事の席に着く人ではないか。しかし、わたしはあなたがたの中で、いわば給仕する者である。 22:28あなたがたは、わたしが種々の試練に遭ったとき、絶えずわたしと一緒に踏みとどまってくれた。 22:29だから、わたしの父がわたしに支配権をゆだねてくださったように、わたしもあなたがたにそれをゆだねる。 22:30あなたがたは、わたしの国でわたしの食事の席に着いて飲み食いを共にし、王座に座ってイスラエルの十二部族を治めることになる。」
1 24節に、「自分たちのうちでだれがいちばん偉いだろうか」という議論が弟子たちの間に起こったとある。よりにもよってイエス様といただく最後の食事という大切な席で、弟子たちが序列争いをしていたかのように読めるが、そういう類いの争いではなかったと私は思う。21節でイエス様が「わたしを裏切る者がわたしと一緒に手を食卓に置いている」と言われた。弟子たちの間に「いったいだれがそんなことをしようとしているのか」と議論が起きたと23節までのところで記されている。この議論の流れで24節の言い争いが起きたのだと考えてよい。それは、自分たちのうちでだれが一番裏切りから遠いか、つまりは信仰においてだれが一番強いかという胸の張り合いのようなものだったのであろう。「偉い」と訳された原文のギリシャ語は、それがそのまま英語にも日本語にもなっている「メガ」という言葉が変化したものである。直訳すれば、「大きい」という意味である。序列争いをしたわけではないが、誰の信仰が一番裏切りに対して最も強く、動じない大きさを持っているかを競い合ったことには違いないようである。
最後の晩餐の席でこのような争いが起きたというところにこそ、この言葉が私たちに告げようとしているメッセージの一つのポイントがあるように感じさせられる。参照箇所付きの聖書では、同じような場面を記した箇所が、マタイやマルコによる福音書にもあることがわかる。そのいずれの場面も、最後の晩餐の席の出来事として描かれていない。ルカだけがそういう描き方をしたのである。ルカだけが、よりにもよって最後の晩餐の席で、弟子たちの間に信仰をめぐっての強さや大きさの争いが起きたと記したのだった。そこに私たちへの大切な語りかけがあると感じる。
2 イエス様が最後の晩餐で何を弟子たちに言い残そうとされたかを、改めて思い起す。最後の晩餐だったのだから、当然イエス様は自分が弟子たちに残したかったもの、いわば遺産として彼らに与えようとしたものの根幹を教えようとされたのである。イエス様は、あえて最後の食事の時を過越の祭りの特別な食事の場面に設定した。そしてご自分を出エジプトの際に屠られた子羊に見立て、その子羊の血が『滅ぼす者』と言われる存在からイスラエル人をガードしたように、自分の命の犠牲こそが、弟子たちから『滅ぼす者』を過ぎ越させてゆくと考えたのだった。イエス様が弟子たち、そして私たちに残そうとされた遺産とは、「これはあなたがたのために与えられるわたしの体、あなたがたのために流されるわたしの血」という言葉に言われているように、イエス様の体や血、つまり生命に他ならないものであった。それが私たちを『滅ぼす者』からガードするのである。なぜ子羊の血が滅ぼす者を過ぎ越させてゆくのか、そのメ力ニズムのようなものを、神様はモーセには教えなかった。同じようにイエス様も、自分の生命の犠牲がなぜ私たちを滅ぼす者からガードするのか、私たちに教えることはなかった。それは私たちのイエス様への信仰の最も根源にあるべきものであるが、正解はないのである。ひとりひとりが自分なりの捉え方をしてよいのである。
子羊の血を塗るとは、「私たちの家族は、他者の生命の犠牲をいただくことによって生きる家族です」という表明なのだと思う。言わば、そういう表札を玄関先に掲げるようなものである。子羊は動物に過ぎないが、それは神様が下さった犠牲の生命、神様自身の生命の犠牲を象徴的に表していると私は受け止める。私たちの家族は、エジプトの王様でもこの世の誰でもなく、神様が犠牲となって与えて下さる生命を食べ、それを取り込んで生きる者だとの表明なのである。突き詰めれば、それは弱さの表明ではないだろうか。たとえて言えば、病気であることの表明なのである。「私は、イエス様の体を移植していただき、その血を輪血していただかねば生きてゆけない存在である」と表明することなのである。神様が営む病院に進んで入院することなのである。それが私たちをして滅ぼす者からガードするのである。
だから、「私は生きてゆく上で他者の生命の犠牲など要らない」「神様の生命の犠性などいらない」「私またこの家はただ自分の作りだすものだけで自給自足できる」「私には他者の生命の犠牲に頼る弱さなどない」といった思いにこそ、つまりは強いと思うところにこそ、滅ぼす者が入り込んでくるのである。
3 このようなことをイエス様が遺言としておっしゃったその直後、その席上で、弟子たちが「私の信仰こそが一番大きい強い」との言い争いを始めたとルカは描いている。これは、突き詰めれば、イエス様が最後の晩餐で弟子たちに与えようとされたものへの拒絶ではなかろうか。これは、弱さを認めるのではなく、強さや大きさに生きようとすることである。ルカは、最後の晩餐の席でイエス様の心に真っ向から刃向かうような弟子たちをありのままに描く事によって、私たちたちにも同じような思いが厳然としてあることを告げようとしていたと感じるのである。それが私たち信徒のありのままの姿なのである。イエス様の最後の晩餐でのすばらしい言葉を聞いて、それに心打たれてすっかり「自分は大きい」などとは、もう思わなくなるというような存在ではない。それが私たちの現実であり、信徒が作る教会の正直な姿なのである。私たち自身を、また教会を、余りにも理想的なものとして思い描いてはならないとの語りかけなのである。
このような弟子たちの姿を見て、イエス様は25節の言葉を言われた。「異邦人の間では・・・・呼ばれている」と。「どうしてあなたがたはそのように強さや大きさというものに寄り頼むようになってしまうのか。それはこの世がそうだからであり、あなたがたはこの世の中に生きざるを得ないからだ」とイエス様は言われているのだと思う。この世は、一番強い力を持った人が一番上のヒエラルキーにいて、その一番上にいる王様の力と強さと権力を、下の者は『食べて』生きている社会なのではなかろうか。「権力を振るう者が守護者と呼ばれている」とある。権力を持つこと、強さと大きさを持つことが「守護」、つまり安心や平安をいただく上で不可欠と考えられている社会なのである。だから私たちも、どうしても「メガ」を求めるのである。信徒も同じである。教会もそういう組織なのである。
4 これに対して、イエス様は「あなたがたはそれではいけない」と言われた。これは言葉としては命令形であるが、イエス様の心は「そうあらねばならない」との命令ではなかったと私は思うのである。そうではなく「あなたがたはそうありうるのだ。そうできるのだ。」との確信に満ちた促しだったはずである。このような世にあって、私たちも弟子たちと同じようにメガを求めてしまう。しかし、「あなたがたの中には決してそうでない部分もしっかりとあるのだ。世の人々に倣わず同じ色に染まることのない部分がしっかりとあるのだ。」とイエス様が保証しているのである。
31節からの、ペトロの3度の否認を予告した箇所においても、イエス様の弟子たちに対する態度は優しい。楽観的だとさえ感じる。イエス様を3度も否定してしまうぺト口に対しても、32節で「あなたは立ち直ったら」とイエス様は言われた。イエス様は、最後の晩餐の席で、最も大事なことを残そうとしていて、遺産を渡す場面において、それとはまるで正反対のものを求めてしまう弟子たちの姿を見せられたのである。「どうして私の心がわからないのか!」と、サジを投げてしまっても当然ではなかったか。しかし、イエス様は弟子たちを信頼しておられたのである。私たちがこの世にあってメガを求める者であったとしても、しかしなお「そうではない」部分がしっかりとあることを、イエス様は確信しておられたのである。
では、どういうあり方を弟子たち、また私たちは、できるのか。26節以下、仕え・給仕するような者として生きることがそれなのである。その核心は、何らメガというものを持たないという点にあるのだと私は思う。私たちは、様々なものに仕えさせられている。思い通りにいかない境遇に従わせられている。願っていた大きさ、それは健康上のメガであったり、仕事上のそれだったり、経済的ことであったり・・・は、どこにもない。世の人々はそういうあり方には「守護」を見いだすことができないのである。平安や安心を見いだせないのである。しかし、世の人々と違って、私たちには、そこにも守護を見いだせるとイエス様は保証しているのである。そこに生きる喜びや意義を見いだせると確約しているのである。
5 それは、いったいどのようになのか。それは、私たち自身の信仰や力によるのではない。28節に「あなたがたは・・・わたしと一緒に踏みとどまってくれた」とのイエス様の言葉がある。一体そんなことが何時あっただろうかと感じるが、イエス様の意図は、弟子たちや私たちが、イエス様が一緒にいて下さることにおいて踏みとどまれるということだと私は思うのである。イエス様が一緒にいて下さるのである。言わば、イエス様の方が、私たちに対して、どこまでも踏みとどまって下さるのである。それは、自分を裏切ろうとするユダにも、また、このような様子の弟子たちにも、イエス様が自分の体と血を与えたことにこそ現れているのである。そのような弟子たちでさえ、イエス様を食べさせていただいた。イエス様を食べた限り、食べられたイエス様は無駄になることはないのである。そのことにおいて、私たちはイエス様に動かされ、導かれ、守られてゆくのである。取り入れられたイエス様の生命は、私たちを突き動かさざるを得ないのである。
イエス様は私たちをどういう方向へ突き動かすのか。27節に「わたしはあなたがたの中で、いわば給仕する者であった」とある。イエス様を食べさせていただいた私たちは、イエス様と同じありさまにならざるを得なくなるのである。最後の晩餐の席で、イエス様は、まさに給仕役であった。給仕された食べ物や飲み物は、象徴的に自分の体であり血であり生命であった。そのようにして自分を与えること、給仕すること、大きさや強さを少しも持たないあり方に、イエス様はこよなき喜びを見いだしていたのだった。このイエス様の姿は、一旦は十字架の死によって否定されてしまう。まさに、メガに支配されているこの世によってあざ笑われ、打ち消されてしまったのであった。しかし、三日目にイエス様は復活された。十字架の傷をしっかりと手や脇腹に付けて復活された。それは、自分を与えること、給仕すること、仕えることが、決して世に負けないもの、否定されえないものであること、神様によって永遠に支持されるあり方であることの証明なのであった。
このイエス様が一緒にいて下さり、また私たちにその生命の犠牲が与えられているゆえに、私たちはこの世にあって、一方でメガを求めてしまうものではあっても、他方では仕えさせられていることにも喜びや意義を見いだし、誰かに給仕する喜びというものを味わうことができるのである。メガなどない生涯であったとしても、喜んで生きてゆけるのである。
筑波学園教会牧師 福島 純雄
2016年 11月20日(日)降誕前第5主日礼拝
19:09穀物を収穫するときは、畑の隅まで刈り尽くしてはならない。収穫後の落ち穂を拾い集めてはならない。 19:10ぶどうも、摘み尽くしてはならない。ぶどう畑の落ちた実を拾い集めてはならない。これらは貧しい者や寄留者のために残しておかねばならない。わたしはあなたたちの神、主である。
1 10節の最後に「わたしはあなたたちの神、主である」と書かれていた。これは十戒において、扇の要として語られた言葉である。出エジプト記の20章1節に「わたしは主、あなたの神、あなたをエジプトの国、奴隷の家から導き出した神である」とあった。この言葉が短く縮められたものと考えてよいだろう。神様がイスラエル人に与えてくださった生活上の実際的な処方箋が十戒であった。医者が病気を未然に予防するため、またこれ以上悪化しないために与える生活の具体的アドバイスや薬を、私は十戒のたとえとしてお話してきた。十戒を核にして与えられた多くの戒めも、目的はイスラエル人を神様以外のものの奴隷としないためのものなのであった。
そうした意味を持った処方箋が、「田畑の隅まで刈り尽くしてはならない」「落ち種を摘み尽くしてはならない」といった収穫に関するアドバイスとなっていたことは意味深いと思う。私は、このアドバイスが、この時代においてイスラエル人だけに神様から与えられたものであったのか、それともイスラエル人に限らず世界全体で普通的なものだったのか、知りたいと思ったが、残念ながら私の手許にある注解書では知ることができなかった。日本においても秋の収穫時に、果物を全部取らずに冬を越す鳥などの小動物のために残しておいてやる慣習があったと聞いたことがある。田畑で実ったものを刈り尽くさずに、貧しい人々のために残しておくという習慣は、この日本にはあっただろうか。
2 さて、最初に考えさせられたのは、この「刈り尽くさない」「摘み尽くさない」というアドバイスが、私達にとっては何を意味するのかということである。
コリントの信徒への手紙(一)の3章6節に「わたしは植え、アポロは水を注いだ。しかし成長させて下さるのは神である」とある。その次にパウロは「あなたがたは神の畑である」と語っていた(3章9節)のを思い起こした。私達は、神様から体という畑を70年80年貸していただいて、そこから様々な収穫を刈り取る者と言ってよいと思う。そう捉えれば、神様が「刈り尽くしてはならない」「摘み尽くしてはならない」と言った意味は、私たちの人生という畑における収穫を、ただ自分のため、また自分の延長線上にある家族のためだけに用い尽くしてはならないという、語りかけではなかろうか。貧しい者や寄留者のために残しておくというのは、要するに自分の利益にはならない事柄のために、体や人生を用いなさいとのアドバイスなのである。特にこれは、人生の秋、人生の晩年の収穫時期を迎えた人々のためにこそ与えられたアドバイスではないかと感じた。
私は、東北教区に24年間住んだが、その半分の12年間、東北教区執行部の務めを担った。つくばにやって来てからは、もうそういったことからは解放されるだろうと思っていた。しかし赴任5年目にして地区長を担うことになり、今年の7月からは無牧だった諸川伝道所の代務者を引き受けざるを得なくなった。浄化糟がだめになっているので下水管に付け替えする工事が、また礼拝堂の塗装工事が必要とわかり、60万円近くの工事費をどうやって捻出するかという課題を背負った。伝道所の土地は信徒からの借地だが、その地代もここ3年は未払いだとわかった。伝道所会計を引き継いだところ、20万円ほどしか貯金がなかった。常置委員会からのアドバイスを受け、教区より40万を借入れ、その返済のために関東教区と東京教区に募金を呼びかけることにした。先週は振替口座を開設し、関東教区と東京教区事務所に頼みこんで教会の住所ラベルを譲っていただいた。近々募金趣意書を印刷してその発送作業の手伝を皆さんにお願いしようと思っていたところだった。「なぜこんなことをしなければならなくなったのか」と嘆いていたところであった。
これがおそらく、召されるまでの私のあり方なのだろうと感じる。自分の蔵にはしまい込むことのないもののために、与えられた実りを、たとえば牧師がいない教会のために棒げゆく。これが私のこれからの生涯のあり方だと教えられているように感じる。
3 このように、人生の晩年において、それまでに与えられた収穫を自分のためだけに使わないという生き方が、私達をこの世の主人の奴隷となることから解放して下さる。それは言うまでもなく、自分自身の欲得の奴隷になることであり、さらには自分自身の思い通りに人生を終えたいとの私達の強い思いに支配されることからだと思う。
最近のTVでは『終活(人生の終わりを迎えるための活動)』というテーマがよく取り上げられている。葬儀や墓を生前によく考え準備して、残された子供たちになるべく迷惑をかけないようにして人生の終わりを迎えようという思いからなされるのが終活であるという。しかし私は、そこに違和感を感じてしまう。そこには、自分が死んでからの葬式や基のことまで自分の思い通りに仕切ろうとする思いが見え隠れするのである。死んでからのことまで自分の思い通りにしたいという、最後の最後まで自分の意志を貫きたいという思いを、現代の人々はとても強く持っているのではなかろうか。それは、人生を最後の最後まで己のものとして、どんなものも落とさず拾いあげ、刈り尽くそうとすることではないかと思う。それは突き詰めれば、自分の欲得の奴隷になることなのである。
作家の五木寛之は、インドの人々が人生を、学生期・家住期・林住期・遊行期という4つの段階に分け、林住期こそが終活のふさわしいあり方だというようなことを言っておられた。私はこの4つの時期というのは、いずれも自分、せいぜい家族のために生きるというあり方しかないのではないかと感じた。林に住むのもさすらいの内に暮らすのも、ひたすら自分のためでしかないのではないか。そこには本当の自由はない。どんなに林の中に隠遁し、林住しようとも自分の奴隷なのである。それでは終活にはならない。本当の終活とは、私達が少しずつ少しずつ自分というものから解き放たれて行く活動ではなかろうか。そのためにこそ神様は、晩年にあってこそ、それまで与えられた収穫を自分の蔵に納めることではない目的のために用いなさいとアドバイス下さるのである。
4 このようなあり方は、晩年における私達に豊かな生きがいも与えて下さるのである。畑に残った作物や畑に落ちた穂の特徴は、ごくわずかな劣ったものという性質である。これは人生の晩年における私達のあり様を象徴的に表していると感じる。青壮年期の収穫に比べれば、本当に畑の隅にわずかに残っているような、また地面に落ちてしまったわずかな穂のようである。これをただ自分のためだけに使おうと思えば、それは「これぽっちしか残っていない」「地面に落ちた役に立たないくず」としか見えない。自分の為に使うとなるとネガティブなものにしか見えないのである。ところが、これを貧しい人や寄留者に差し上げるとしたらどうか。全く違う様相を呈するのである。畑の隅にわずかに残り、地面に落ちてしまったような実りであっても、それらの人々は喜んで下さる。沢山のものを差し上げる必要はないし、また、それはできないのである。人生の晩年にさしかかっている私達に残っているものは、もうごくわずかだからである。しかし、それは地面に落ちたほんの少しだけの穂でよいのだと神様は言っておられるのである。残っているものがわずかしかないという否定的な思いから私達を解き放ち、晩年における豊かな生きがいを与えてくださるのである。
5 最後に、視点を変えて、残ったわずかな実りの落ち穂を拾わせていただく側に自分を置いてみたい。
私たちの身近に、実際に、貧しい状態や寄留者という境遇に置かれてい人々がいる。その状態を、どれほど辛く感じておられることかと思う。神様は、そのような人々を配慮して下さる。しかし、神様による配慮は、畑の隅に残っている実りが刈り尽くされないことにおいてであり、貧しさの中にある人々が落ち穗を拾うことによってなのである。それは惨めであるかもしれない。「なぜ自分たちも普通の人々と同じように田畑を持ち普通に収穫を得ることができないのか」「なぜ残されたものや地面に落ちたものによって養われるのか」「それは不公平ではないか」と。悲しいかな、そういう現実がある。けれども神様は、そのような人々をも養って下さる。畑の隅には残された収穫物があり落ち穂が落ちているのである。それを見失ってはならない。それを見失わず拾うことのできる者は幸いなのである。
旧約聖書のルツ記において、姑のナオミに従ったルツは、落ち穂拾いに出掛けねばならなかった。しかし、この落ち穂拾いに出掛けたことが、ルツの境遇に劇的な変化をもたらした。落ち穗を拾ったその畑の地主ボアズに見初められ、その妻となることができたのであった。ルツとボアズとの間に生まれたオべドとは、あのダビデの祖父である。神様が残しておいて下さった片隅のわずかな実りや落ち穂を拾うことによって、幸いなことが生じてゆくのである。すべてを刈り尽くさず収穫しないということの中に、深い神様の御心が込められているのである。収穫しないことにこそ大きな収穫がある。
筑波学園教会牧師 福島 純雄
2016年 11月13日(日)降誕前第6主日礼拝
12:01こういうわけで、兄弟たち、神の憐れみによってあなたがたに勧めます。自分の体を神に喜ばれる聖なる生けるいけにえとして献げなさい。これこそ、あなたがたのなすべき礼拝です。 12:02あなたがたはこの世に倣ってはなりません。むしろ、心を新たにして自分を変えていただき、何が神の御心であるか、何が善いことで、神に喜ばれ、また完全なことであるかをわきまえるようになりなさい。
1 パウロはずっと、キリスト教信仰の原理原則というべき事柄について語ってきた。ただイイエス様を信じる信仰によって神様に結び付けていただけることと、イスラエル人がずっと守ってきた律法の行いとの関係、またイエス様を信ぜず拒むユダヤ人の救いの問題などについてである。パウロはこれらの事柄を、ローマ教会の人々にただ神学的な論文を読ませるようなつもりで語ってきたのではなかった。これらの事柄を語ってきたのは、ローマ教会の中にユダヤ人クリスチャンと異邦人クリスチャンとの間に溝ができつつあるという深刻な問題が生じ、この問題を何とか解決したいとの一心からなのだった。
パウロは、この12章からは、これまでの信仰の原理原則を語る論調から一転してクリスチャン生活の実際的なありかたについて論じている。こうしたことを、ただ論文を読ませるがごとき目的で語ったのではなかったのである。そうではなく、ローマ教会の信徒たちにとって、とても深刻な悩みがあり、それを聞いたパウロは、何とかしてそれに対するアドパイスを送ろうとして、このようなことを書いたのだった。文面そのものには、直接ローマ教会の人々がどういう悩みを抱えていたかについては、何も書かれてはいない。しかし背後から滲み出るように彼らの悩みや呻きが聞こえてくるように感じる。そういう悩みというものがわかってくると、パウロがなぜこのようなアドバイスを書き送ったかも、またよくわかってくるのである。
2 では、ローマ教会の人々は、どのような悩みを抱えていたのか。1節の後半に「自分の体を神に喜ばれる聖なる生きるいけにえとして献げなさい」とある。
パウロがこのようなことをまず勧めたのは、その背後に、ローマ教会の信徒たちが自分の体を、この世の神々(具体的にはこの世の主人)に喜ばれるいけにえとしてささげねばならなかったという現実が横たわっていたと私は感じるのである。パウロはわざわざ「体」と言った。なぜ体かというと、体を維持し養うために私達はこの世の神々・主人・雇用主に、嫌が応でも仕え、奴隷だった人々は主人の喜ぶようないけにえとして24時間、すべてをささげねば、生きてゆけないという現実があったからである。
初代教会において、異邦人クリスチャンとなった人々の中には、かなりの割合でローマ帝国の奴隷が多かったようである。16章で、パウロはいろいろな人に挨拶を送っているが、専門家は、その名前から、その人が奴隷だったかどうかがわかるという。16章にあげられている名前の半分くらいは奴隷だったようである。そういう人々は、文字通り、その体を主人に喜ばれるいけにえとしてささげざるを得なかった。このようなありかたがクリスチャンとしてどうなのかと彼らは深刻に悩んでいたのだった。はたして信仰者としてふさわしいありかたなのかと葛藤していたのである。
これは今日でも全く同じではなかろうか。私達の現実ではなかろうか。過日、社員に違法な時間外労働をさせていたという嫌疑で、有名な大手広告代理店に捜査の手が入った。そのきっかけは、入社1年目の女性社員が過労のために自殺したと認定されたからであった。働いている人々の1/4は、自分の会社が、いわゆるプラック企業だと感じていると、ある新聞に書かれていた。私と同世代の50代、60代の人々は、そんな若い人々を「生ぬるい」「自分たちの頃はそんな事で音をあげはしなかった」と批判するという。しかし、私達の若い頃と、今の若い人々を取り巻く環境は全く違っている。私達が若かりし時代は、生涯雇用がまだ崩れてはいなかった。しかし、今は全労働者の1/3が非正規社員である。仕事のIT化、グローパル化で24時間、顧客の要求への対応を求められている。私達の若い時代には、24時間営業の店などほとんどなかった。今は、この教会のすぐ近くのドラッグストアでさえ24時間営業となっている。今や雇用者の喜ぶようないけにえとして自分をささげることができなければ、すぐに解雇されてしまうような時代社会のただ中に、若い人々は置かれているのである。このような時代において、クリスチャンとして私達はどのように生きることができるのか。その秘决を、ここでパウ口は語りかけてくれているのである。
3 パウロが語る第1のアドバイスは、「そのようなあなた方であっても、その体をこの世の神々にではなく、神様に喜ばれるものとしてささげることができる」ということである。それが「自分の体を・・・ささげなさい」という言葉に込められた思いである。日本語としては「ささげなさい」「なりません」と命令形で書かれているが、パウロの本意は決して命令や強制ではなかったのである。そうではなく、「こういう生き方ができるのだよ」との励ましであった。「この世の主人の喜ぶいけにえとして生きざるを得ない私達が、にもかからわず神様に喜んでいただける存在として自分を捧げることができるのだよ。それはどれほど嬉しいことだろうか」との語りかけなのである。
「聖なる生けるいけにえとして」とパウロは語っている。これは、私達が神様に喜ばれるいけにえとして自分をささげられるなら、それは私達を聖なる者として生きられるようにして下さるという意味ではないかと私は理解する。私達がこの世の主人でに彼らが喜ぶいけにえとして自分をささげると私達はどうなるのか。過労自殺ということがいみじくも物語るように、私達は「聖なる者として生きる」のとは正反対の存在にされてしまうのではなかろうか。自らの命を絶つという思いは、会見をした彼女の母親の悲しみの声が物語っていた。ああいう悲しみを、残された者に与えるほどに『汚れた者』が、私達に抱かせる最も汚れた思いなのである。その汚れた思いが、私達を操って、とうとう生き得なくさせてしまうのである。
なぜそうなるのか。それはこの世の主人が喜ぶいけにえとして自分をささげてしまうからであ。そういう風に自分をささげてしまう時間・機会しか持たないからである。この世の主人が喜ぶのは、彼ら自身の利益でしかない。新しくアメリカの大統領になる人は「これからはアメリカファーストだ」と言っていた。このような主張を正々堂々とする人が世界一の大国の指導者に選ばれるということは、私達の時代社会がこのような価値観を第一とするものになっていることの現れである。益々このような価値観が支配的になってゆくのではなかろうか。このような社会の中で私達が生きてゆくためには、このような指導者や支配者が喜ぶいけにえとして自分をささげることを求められていくのである。それは、生活を支えることはできるかもしれないが、私達を根底から汚してしまうのではないかと感じる。自分の利益をファーストにしようとする王様が喜ぶいけにえに私達がなるとき、私達は汚され死に瀕するのである。
4 このような現実の中で、一体どうやって私達は神様に喜ばれる存在として自分を捧げることができるのであろうか。神様に自分をささげて聖なる者として生きる機会など、奴隷として生きる当時の信者たち、また今日の私達の一体どこにありうるというのであろうか。その答えは、1節の最後に書かれている。「これこそ、あなたがたのなすべき礼拝です」と。
それは、礼拝を捧げることなのである。礼持において、文字通り、私達はこの世の主人に体を捧げることから少しだけ離れて神様に体と心を捧げることができるのである。礼拝を捧げる時間は、誰かがファーストになるのではなく、神様がファーストになる時間といえる。出エジプト記の3章18節で、神様がモーセをしてエジプト王に最初に言わせようとされた言葉が、「わたしたちの神、主に犠牲を捧げさせて下さい」であったことを思い起こす。主に犠牲を棒げるとは、礼拝を捧げることを意味している。モーセを通して神様がエジプト王と対決されたその決定的なポイントは、神様に礼拝をささげることか、それとも王のために労働をするかであった。神様にささげるか王にささげるかなのであった。3000年前から、この1点で、せめぎあってきた。そして、この世の王から私達を自由にするのは、神様にささげる者となることのみ、この一点にある。わずかな人間が集まって、つたない賛美をし、牧師がまた、つたないメッセージを語る。この世の主人が最も喜ばず、忌み嫌うのが礼拝ではなかろうか。しかし、これを神様は喜ばれるのである。神様が喜ばれるささげものができることが、私達を聖なる者として生かして下さるのではなかろうか。
5 「礼拝をささげる」という言葉の直後に、「あなたがたはこの世に倣ってはなりません」とのパウロの言葉がある。この世に倣うという言葉の意味は、周りの人々と同じ色に染まる・同調する・見分けがつかなくなる、という意味である。体を持つがゆえに、この世の主人に仕えて彼らが喜ぶようないけにえをささげなければならないという点において、ローマ教会の信者たちも、今日の私達も、周りの人々と何ら違う色をしているわけではないのである。同じ色に染まらざるを得ない存在なのである。しかしパウロは、そのような私達でも、唯一同じ色に染まらない領域があるのだと語っている。それが礼拝をささげることなのである。
「クリスチャンらしい生き方など何もできていない」、「すっかり周りの人々の色に染まりきっている」、「汚れてしまっている」と、自分を嘆いてはいけない。大切なことは礼拝をささげることなのだから。ローマ教会の奴隷であった人々も、どれ位の頻度で礼拝に出席することができたでしょうか。一年に数えるほどだったかもしれない。それでも、「そのことがあなたがたをして神様に喜ばれるいけにえとし、あなたがたを聖なる者・生きる者とするのだ」とパウロは言っているのである。あなたがたを周囲の人々とはっきりと区別し色分けすることなのだと。それを神様は、喜んで下さるのだと。
パウロは語っている。「このような私でも神様に喜んでいただいているのだ」との心の喜びが、「心を新たにし自分を変える」と。体のありかたは変わり得ないかもしれない。この世の主人に仕えねばならず、私達を支配し、動かす様々な主人のいけにえにならざるを得ないかもしれないん。体に生じる病気の支配も受けざるを得ないであろ。しかし、心は新しくされるのである。心はこの世の主人の支配を受けないのである。「何が神の御心であるか、何が善いことで、神に喜ばれ、また完全なことであるかを」常に探し求めて生きるならば、たとえ体はこの世の主人の奴隷であらざるを得なくとも、そのことにおいては汚れたものであってしまうとしても、なお聖なる者として神様に喜ばれている者として生きることができるのです。そこからいただける力は、きわめて大きいのである。
筑波学園教会牧師 福島 純雄
2016年 11月6日(日)降誕前第7主日礼拝
25:07アブラハムの生涯は百七十五年であった。 25:08アブラハムは長寿を全うして息を引き取り、満ち足りて死に、先祖の列に加えられた。 25:09息子イサクとイシュマエルは、マクペラの洞穴に彼を葬った。その洞穴はマムレの前の、ヘト人ツォハルの子エフロンの畑の中にあったが、 25:10その畑は、アブラハムがヘトの人々から買い取ったものである。そこに、アブラハムは妻サラと共に葬られた。 25:11アブラハムが死んだ後、神は息子のイサクを祝福された。イサクは、ベエル・ラハイ・ロイの近くに住んだ。
1 創世記25章7節から11節の、特に11節「アブラハムが・・・祝福された」は、読むたびに、とても心に響く。父が死んでから残された息子が神様からの祝福を受けるとは不思議なことだと、ずっと思ってきた。私自身が、まさにこのイサクの立場に置かれてみて、意味するところが、自分自身のこととしてわかった。
通常は、死と祝福とは全く正反対の事柄、すなわち決して結び付くことのない事柄として受け取られるだろう。しかしここで聖書は、イサクが神様からいただいた祝福が、父の死を通して授けられたものであると語っている。死と祝福とが結びついているのである。祝福は、父の死がなければいただくことのできないものであったと。愛する者の死を通して、その死の後にこそ神様からいただく祝福があると語っている。「そのような祝福などなかった。たとえあったとしてもそのようなものはいらない。どんな祝福よりも、愛する者が生きているほうがどれだけよいか」と思うのが遺族の普通の思いかもしれない。その気持ちは、本当にその通りで、私はそれを否定するつもりは全くない。しかし、そうした思いを抱きつつも、聖書が語りかけていることにも耳を傾けていただきたいのである。アブラハムが死んだ後で、神様が残された息子を祝福したというのは、私達にとっても耳を傾ける価値のあるものではなかろうか。私自身の感じたことも含めて、父が死んだあとで息子イサクが神様からいただいた祝福とはどのようなものであったかについて、3つのポイントをあげてみたい。
2 まず第1点は、8節の「アブラハムは長寿をまっとうして息を引き取り、満ち足りて死に、先祖の列に加えられた」という箇所に示される事柄である。イサクが見た父の死とは「満ち足りたものであったということが、ここに何よりも記されていることだと思う。死が満ち足りたものであったと身近な者の死を通して知ること、これがまず父の死を通してイサクが神様から与えられた祝福ではなかったかと示されるのである。
アブラハムの死が満ち足りたものであった理由は、文脈からすれば、その直前に「(175歳の)長寿をまっとうして息を引き取り」と書かれていることから、そのような長寿であったからだと、まず私達は考えるであろう。ひるがえって、私達が天におくった者たちの中には、そのように長生きなどできなかった者、まだまだ若くして召された者もあった。だから、その死は、とうてい満ち足りたものとは言えなかったと私達は思うのではなかろうか。しかし、ここでアブラハムが「満ち足りた」理由は、175歳の長寿だからだといえるであろうか。むしろ死そのものが満ち足りるものを彼の人生に与えたという意味が込められているのではないかと私は感じるのである。
私の父は98歳まで長生きをした。だから「満ち足りた」生涯であったかと言えるかというと、決してそうではない。晩年は、このようであった。私がこのつくばの地に来ることになった前の年の2月、礼拝に出席するためいつものようにバスに乗ってでかけたはずの父が、迷子になって行方不明になってしまった。その1年後に、頼りにしていたであろう私がこちらに来てしまったことも一因としてあるのかもしれないが、父の認知症はどんどん進んでいった。応召され戦争体験のある人々にはよくあると聞く幻覚・妄想のため、母や姉との同居は難しくなった。施設でも間題行動が出て、3カ月ほど精神病院に入院した。最期には、また施設に入ることができたけれども、話すこともできず、内側に引きこもるしかなくなって、笑顔を失ってしまった。そのような父の姿を見るのは、私としても、とてもつらいものであった。
長生きをすることがその人の人生を、またその死を必ずしも満ち足りたものとするのではないのである。私の父の場合は、むしろこうした認知症に苦しむことにピリオッドを打ってくれた死こそが、その生涯を満ち足らせ、円満なもの・安らかなものをもたらしてくださったと私は思わずにはいられないのである。父の死顔は、私がこれまで葬儀をさせていただいたどん死顔にも勝って、堂々とした素晴らしい死顔だったと思っている。認知症のために暗く引きこもった顔をするしなかった父に、死はあのような素晴らしい表情を与えてくださるものなのかと、私は感じ、知ることができた。以来、死ぬということは、決して怖いことではなくなったのである。父にあったような堂々とした安らかなものを私にも与えてくれるものなのだと思えるようになったのである。
さて、8節の最後に「先祖の列に加えられた」とある。死にゆくアブラハムを満ち足らせたと読むこともできる。もちろん、イサクはその有り様を見ることはできなかった。このように、残された者には見えないけれども、死者に起こる素晴らしい出来事があるのである。それが、地上の生涯では決して与えられないような満ち足りるものを、死者に与えてくれるのである。死が、どのように死んでゆく人々を満ち足らせてくれるのか、残された者にははっきりとはわからない。しかし、私達にはわからなくとも、死というものには死者を満ち足らせるものがある。「先祖の列に加えられる」という、その後の素晴らしい歩みが用意されている。そのことを父の死を通して知ったことが、神様からイサクがいただいた第一の祝福ではなかったかと思うのである。
3 第2に、9節に「息子イサクとイシュマエルは、 マクぺラの洞穴に彼を葬つた」とあり、イサクがいわゆる腹違いの兄であるイシュマエルと一緒に父の葬りをしたということである。イシュマエルとは、アブラハムとその妻サラとの間になかなか子供が授からなかったため、サラが白分付きの女奴隷ハガルと夫との間に生ませた子供であった。21章に書かれているように、夫との間に待望の実子イサクが生まれ成長するとサラは、夫に訴えてハガルとイシュマエルを追い出させてしまった。この21章を最後に、ハガルとイシュマエルは、ぶっつりと聖書から姿を消し、久方ぶりに登場した場面なのであった。おそらくハガルは死んでしまったのであろう。追い出されたイシュマエルは、どれほど自分たちを追い出した一家を恨んでいたことであろうか。アブラハムが存命なうちは、決して顔を会わせることなどできなかったであろう。アブラハムが死んで、その葬儀をきっかけにして、異母兄弟は、やっと顔を合わせることができたのだった。11節の最後に、葬儀が終わった後で、イサクは「ぺエル・ラハイ・ロイ」の近くに住んだとある。この場所は、創世記16章13節によれば、イシュマエルの母ハガルとの結び付きの深い場所なのであった。この記述は、父の死後、イサクがイシュマエルの近くに住んだことを示しているのではなかろうか。ただ父の葬儀を一緒にしただけではなく、近くに住むほどに和解をしたという現れではなかったかか。
ここに、アブラハムが死んだ後、神様がイサクを祝福された有り様が記されているのではないかと私は感じるのである。父が死んだことにより、その死の後にこそ、イサクは父が生きているときにはできなかった異母兄第との再会と和解という大きな務めを果たすことができたのであった。死は、それをきっかけにして、残された者たちに思いもかけない大きな仕事を果たさせるこがある。それは必ずしも、その家族にとって、長い間抱えていた確執の和解や円満な解決であるとは限らないかもしれない。その反対に、それまではぼんやりしていて、はっきりとは表明に現れてはいなかった家族間の確執や溝があらわになり、袂を分かたせるような方向へと促すこともあるかもしれない。しかし、それもまた、父が死んだ後に、神様がその息子や遺族を祝福してくださる有り様かもしれないのである。創世記12章はじめ、アブラハムが「生まれ故郷・父の家を離れてわたしの示す地に行きなさい」との神様の声を聞いて、それに従っていったのも、実は父テラがハランという場所で死んだ直後なのであった。
4 第3の、最後の祝福については、9節から10節に書かれている。イサクとイシュマエルが共に父を葬った墓地が、特別な経緯で、アブラハムが現地の人々から手に入れたものであったという点から示される。
この墓地が具体的にどのような経緯で取得されたかは、創世記23章に書かれているように、この墓地がアブラハムが75歳でこのパレスチナにやってきて175歳まで天に召されるまで、つまり丁度100年間のこの地における歩みにおいて唯一手に入れることのできた土地だったということなのである。墓地であるから、それは通常の用途には適さない。家を建てることも田畑を作ることも商売をすることもできない。父がその生涯において唯一、手に入れることができた土地は、そのような性質を持った土地であった。その土地に彼の遺体を葬るということは、何を意味しているのであろうか。その人が葬られた墓地や墓が象徴的にその人の生涯を現しているということである。ある地方では、その人のお墓や墓石を見ると、その人となりが分かるという。どんな仕事をして、何を大事にしていた人だったかが、すぐわかるという。私達の墓も、墓石に刻まれた言葉を読めば、ああこういうことを大事にした人だったのかとわかる場合がある。アブラハムが175年間の生涯において唯一手に入れた土地が墓地であり、そこに葬られたということは、彼の人生というものが、まさにそういうものだったことを現しているのである。家も田畑も作れない土地、商売もできない土地、墓地にしかならない土地、そのような土地しか取得できなかった人生だったのである。本質は常に旅人であり、寄留者だったということである。そういう生涯を象徴的に示すこの墓地に父を葬むることを通して、イサクは知ったのだった。そういう人生だったけれども、いやそういう生涯であったからこそ、満ち足りて死んでゆくことができたのだと。
それが彼にとっての大きな祝福になったのだった。自分も父と同じように生きてゆけばよいのだとの励ましとなったのである。そのように生きれば、満ち足りて死ぬことができるとの支えとなったのである。この地において家を建て田畑を作り財産など持つ必要はなく、神様を信じて旅人として寄留者として歩むのでよいのだと。実際に、この父の死から得た祝福が、その後のイサクを支えるものとなった。それは26章に記されている。住んでいた場所に飢饉がおきて、イサクは避難を余儀なくされることになる。そして次に奇留したところで、現地の人々からいやがらせを受けることになる。井戸を掘っても掘っても理められたり、分捕られたりするのである。しかし、イサクは喧嘩をしない。不思議にも掘るところ掘るところが、父アブラハムが旅人・寄留者として掘った井戸だったというのである。父の生き方を手本にして生きることで、具体的な支えを得ることになってゆくのである。
筑波学園教会牧師 福島 純雄
2016年 10月30日(日)降誕前第8主日礼拝
21:14だから、前もって弁明の準備をするまいと、心に決めなさい。 21:15どんな反対者でも、対抗も反論もできないような言葉と知恵を、わたしがあなたがたに授けるからである。 21:16あなたがたは親、兄弟、親族、友人にまで裏切られる。中には殺される者もいる。 21:17また、わたしの名のために、あなたがたはすべての人に憎まれる。 21:18しかし、あなたがたの髪の毛の一本も決してなくならない。 21:19忍耐によって、あなたがたは命をかち取りなさい。」 21:20「エルサレムが軍隊に囲まれるのを見たら、その滅亡が近づいたことを悟りなさい。 21:21そのとき、ユダヤにいる人々は山に逃げなさい。都の中にいる人々は、そこから立ち退きなさい。田舎にいる人々は都に入ってはならない。 21:22書かれていることがことごとく実現する報復の日だからである。 21:23それらの日には、身重の女と乳飲み子を持つ女は不幸だ。この地には大きな苦しみがあり、この民には神の怒りが下るからである。
1 最後の晩餐とは、イエス様が十字架にかけられる前の夜、イエス様と弟子たちとの最後の夕食を指す。これは弟子たちとの最後のタ食というだけではなく、ある特別な意味を持った晩餐であった。22章1節に「さて、過越祭と言われている除酵祭が近づいていた」とある。7節には「過越の子羊を屠るべき除酵祭の日が来た」とある。このタ食は「過越祭」あるいは「除酵祭」と呼ばれる祭の中で持たれた特別な食事であった。7節から13節までには、イエス様が、あらかじめそのための部屋を用意周到に準備していたことが書かれている。イエス様は、自身の受難に最もふさわしい時として、この過越の祭を選んだのである。
そのイエス様の心がどのようなものであったかは、過越の祭の中で屠られた子羊、また、そこで裂いて食べられた酵母を入れないパンに自身を見立てておられた。イエス様の受難は、この子羊や酵母を入れないパンのようなものだと、弟子たちの心に刻み付けようとされたのであった。
2 そこに、どのようなイエス様の心が込められていたかを知るには、そもそも、この過越の祭において屠られる子羊や酵母を入れないパンというものが、いかなる役割を果たしていたかを知らねばならない。過越の祭の由来は、はっきりとは年代は定まっていないが、おおよそ紀元前13世紀頃ではないかと言われている。それは「出エジプト」という出来事にある。この出エジプトにおいて、子羊が屠られたことや酵母を入れないパンが、非常に大事な役割を果たしていた。とくに、子羊が屠られるということは、決定的に重要であった。12章21節以下に「さあ、家族ごとに羊を取り、過越の犠牲を屠りなさい。そして、一束のヒソプを取り、鉢の中の血に浸し、鴨居と入り口の二本の柱に、鉢の中の血を塗りなさい。翌朝までだれも家の入り口から出てはならない。主がエジプト人を撃つために巡るとき、鴨居と二本の柱に塗られた血をご覧になって、その入り口を過ぎ起される。滅ぼす者が家に入って、あなたたちを撃つことがないためである」と書かれている。ちなみに、12章7節以下には、この屠られた子羊の肉はその夜の間に焼いて食べるようにと書かれている。しかし21節以下には、肉を食べることについては書かれてはいないので、果たして屠られた子羊の肉を食べたのかどうかは定かではない。
酵母を入れないパンについては、34節には「民はまだ酵母の入っていないパンの練り粉を、こね鉢ごと外套に包み、肩に担いだ」とあり、39節には「彼らはエジプトから持ち出した練り粉で、酵母を入れないパン菓子を焼いた」とある。このパンについても、8節には「また酵母を入れないパンを苦菜を添えて食べる」ともあり、酵母を入れないパンをエジプトを出る晩に食べたかどうかについても定かではない。
3 こうして出エジプト記12章を読んでわかるのは、出エジプトの際に最も大事な役割を果たしたのは、何よりも子羊が犠牲として殺されてその血が家の入り口の柱や鴨居に塗られたということであった。そして、その血がなぜか神様の遺わす滅ぼす者を過ぎ越させていったのであった。神様自身が滅ぼす者となられたのか、それとも滅ぼす者とは神様がその御業のために用いる使いのような存在だったのか、出エジプト記12章の記述は微妙である。私は、決して神様白身が滅ぼす者となられたということではなく、神様の御業をなすために用いられるサタンのような存在として滅ぼす者が遣わされたのだと考えている。
とにかく、イエス様は自身の受難を、かつてイスラエル人を滅ぼす者が過ぎ越していったときに、その家の入り口や鴨居に塗られた犠牲の子羊として考えておられたのである。
こうしてイスラエル人は奴隷だったエジプトから脱出することができた。人々に自由がもたらされた。また、その際に人々が携えていた酵母を入れないパンとしても見立てられたに違いない。
なぜ子羊の血が塗られた家を滅ぼす者が過ぎ越していったのか。その理由を神様が何も教えていない。私達自身がそれぞれ思い回らすしかない。正解のようなものはないので、それぞれがそれぞれの受け止め方をしてよいのである。
22章1節以下、ユダの裏切りとの対比において「無駄」・「浪費」がその根源にあるのではないかと考えられた。屠った子羊の肉を食べることができたのかどうか、定かではないが、「食べよ」とある12章10節にも「(肉を)翌朝まで残しておいてはならない。残った場合には焼却する」とある。奴隷だったイスラエル人が、子羊を用意することは大きな負担だったのではなかろうか。子羊を殺して血だけを用い、その肉を食することなくあわただしい状況で家を出たというのは、無駄であり浪費ではなかったかと私は思うのである。そういったこと自体が、エジプト的な生活への決別の象徴的なしるしなのではなかったか。酵母を入れないで粉を練るパンも、同じような意味で酵母を入れて十分に発酵させておいしいパンを焼くというエジプトでの豊かな生活への決別を意味していたのではなかろうか。滅ぼす者とは、エジプト的生活 -それはイスラエル人を奴隷としてこき使い、レンガをできるだけ沢山焼かせようとしたところに如実に現れている- にこそ入りこんでくる者なのであった。そうであればこそ、貴重な子羊を無駄に浪費して、その血を入り口に塗り、酵母を入れないパンを携えてエジプトへの決別の意思表示をした人々を過ぎ越して行ったのではなかろうか。
イエス様が、杯やパンを弟子たちに分け与えられた時に、これを私達は今なお聖餐式の『制定語』として必ず朗読するが、この浪費や無駄という性質が滲み出ていると私は改めて感ずる。20節の「この杯は、あなたがたのために流されるわたしの血による新しい契約である」との「流される」という言葉に、私は無駄ということを何よりも感じる。出エジプトの際に犠牲とされた子羊の血は、目に見える形で滅ぼす者を過ぎ越させた。目に見える効果が生じた。その肉は、あわただしい中で食べられ、人々の飢えを満たすことができたのかもしれない。しかし、十字架にかけられたイエス様の犠牲は、目に見える形では、弟子たちから何を過ぎ越させたのか。十字架の上で殺された不吉で惨めな体など、何の役にも立たなかった。このパンと杯を受けた弟子の一人のユダは、イエス様を裏切ろうとした。24節以下には、弟子たちが「誰が一番偉いか」と言い争いをはじめたことが書かれている。このような弟子たちのためにイエス様は自身の生命を犠牲にされたのであった。そこに示されているのは、無駄であり浪貴そのものなのである。しかし、この無駄や浪費こそが私達を滅ぼす者からガードする子羊の血なのだとイエス様はとらえておられたに違いないのである。
私達に入り込んで私達を滅ぼそうとする者とは、突き詰めれば浪費や無駄とは正反対にある生き方を私達にさせることで私達を滅ぼし、奴隷としてしまう存在なのである。イエス様が「この杯はあなたがたのために・・・」と言われた直後にユダの裏切りが言及され、また23節から弟子たちの言い争いが始まってゆくとは、とても象徴的だと感じる。彼らの姿にこそ、私達に入り込み私達を奴隷にしてしまう「滅ぼす者」が象徴的に描かれているのではなかろうか。ヨハネによる福音書には、イエス様に高価な香油をすべて注ぎ尽くしたマリヤの行為を「無駄だ」と批判したのがユダだったとあった。彼が、イエス様の受難のスタートボ夕ンを押すべき時に過越の祭りの時を選んだのも、イエス様の死が最大限の効果を生じさせる事を予期してのことからであった。彼が最も忌み嫌ったのは無駄であり、誰が偉いかとの弟子たちの言い争いも根っこは同じところにあったと感じる。2000年前のイエス様の時代から比べれば、今の時代はもっともっと効果や力やそれが発揮できる偉さを私達は追い求めている。それがどれほど私達を滅びへと至らせていることか。そういう私達を「滅びる者」からガードするために、イエス様の犠牲が必要だったのである。私達が信じる信仰において、イエス様の生命の犠牲を塗り、またパンとして食べるのである。それによって、私達は滅ぼす者の奴隷となることから守られ、「出エジプト」をさせていただいているのである。
5 なぜ子羊の血が滅ぼす者を過ぎ越させていったのか。子羊の血であり動物の生命ではあるが、他者からの血・生命・犠牲をもらって生きる者こそが滅ぼす者からガードされてゆくという深い意味が、ここには込められているのではなかろうか。私達に入りこんできて私達を滅ぼす者とは、また別のとらえ方をすれば、自分の生命だけで、だれの生命の恩恵も受けないで自分だけで生きられると、私達に思わせようとする存在なのではないかと感じる。自分だけで閉じている。家の入り口に他者の犠牲の命を塗るとは、この家は他者の命の犠牲を不可欠にしているとの表明なのである。ひいては、神様が下さる生命が不可欠との信仰告白なのである。そのような家だからこそ、滅ぼすものが過ぎ越してゆくのである。
だからこそイエス様は言われたのではなかろうか。「これは、あなたがたのために・・」と。私達には「あなたがたのために与えられ、流される」誰かの体や血が不可欠なのである。幼い時には、それは父母の体であり血であった。日常的には私達は他の生き物の体や血をいただいて生かされている。しかし、父母やこの世の生物の体や血をいただいているだけでは、私達は、滅ぼす者から守られるために不十分なのである。どれだけ父母やこの世の生き物から生命をいただいたとしても、私達はユダや弟子たちのように生きてしまう。そこから自由になることはできないのである。そこには、神様からの生命が不可欠だと私は思うのである。イエス様が繰り返し繰り返し「私は天からのパンだ、肉だ。私を食べよ」と言われたのも、おそらく、こういう心からであったに違いない。
さて最後にルターの宗教改革について触れたい。今から499年前の1517年の10月最後の日に、ルターが牧会をしていた教会の壁面に、95カ条からなる質問状を公にしたことから宗教改革が始まった。ル夕一が、何よりもがまんがならなかったことは、当時の教会で説かれていた信仰が、イエス様の「これはあなたがたのための」という言葉に背くものであった点にこそあったのではなかろうか。私達は、ただひとえにイエス様が私達に与えて下さる生命の犠牲によって滅ぼす者からガードされている。ところが当時の教会は、イエス様の体や血潮、その生命によってではなく、たとえば教会という組織やローマ法王・司教などといった教職者の権威、そしてお札を買うなどといった信仰者自身の極めて迷信的な行為によって、滅ぼす者からガードされるのだと教えられていた。そのような信仰が、かえって信者を自由にするのではなく、奴隷のような状態におとしめていたのである。ただイエス様の犠牲によって滅ぼす者から救われ自由をいただけるのだとの、宗教改革によって再発見された信仰の核心は、今なお私達にとって根源的な原理原則であり続けている。
筑波学園教会牧師 福島 純雄
2016年 10月23日(日)聖霊降臨節第24主日礼拝
34:29モーセがシナイ山を下ったとき、その手には二枚の掟の板があった。モーセは、山から下ったとき、自分が神と語っている間に、自分の顔の肌が光を放っているのを知らなかった。 34:30アロンとイスラエルの人々がすべてモーセを見ると、なんと、彼の顔の肌は光を放っていた。彼らは恐れて近づけなかったが、 34:31モーセが呼びかけると、アロンと共同体の代表者は全員彼のもとに戻って来たので、モーセは彼らに語った。 34:32その後、イスラエルの人々が皆、近づいて来たので、彼はシナイ山で主が彼に語られたことをことごとく彼らに命じた。 34:33モーセはそれを語り終わったとき、自分の顔に覆いを掛けた。 34:34モーセは、主の御前に行って主と語るときはいつでも、出て来るまで覆いをはずしていた。彼は出て来ると、命じられたことをイスラエルの人々に語った。 34:35イスラエルの人々がモーセの顔を見ると、モーセの顔の肌は光を放っていた。モーセは、再び御前に行って主と語るまで顔に覆いを掛けた。
1 私達は、モーセのように直接神様と語りあうことはできない。しかし、こうして礼拝において聖書を通して神様と出会い語らうことのできる者だと思う。そのことが私たちの顔を輝かせるのではなかろうか。
なぜモーセの顔が光を放つようになったのか。顔が光を放つたというのは単に神様の輝きのようなものをモ一セの顔が鏡のように映し反射して輝いていたということではない。モーセの内面に神様からの光が当てられたのだと思う。それによってモーセの内面の何かが照らされ暖められ熱せられて、それが喜びや励ましとなって自ずから外に現れてゆき、顔の輝きとなったのではなかろうか。私たちも礼拝において内面に神様の光をいただき、それによって顔を輝かさせていただきたいと願う。
2 さて30節、顔から光を放つモーセを見たアロンやイスラエル人は恐れて近づけなかったとある。また、モーセは神様と会い、また神様の言葉を人々に告げるときにのみ顔を見せ、それ以外は光を放っている顔を人々に見せないように顔に覆いをかけたと書かれている。モーセの顔が光を放っていたのは、どちらかというと否定的な事柄として扱われている印象を受ける。
こんな印象ゆえなのか、この出エジプト記の箇所を引用しているコリントの信徒への手紙3章と4章の記述には、パウロがモーセの顔が光を放っていたことをネガティプな印象で扱っている。たとえばこの手紙の3章7節には「石に刻まれた文字に基づいて死に仕える務めさえ栄光を帯びて、モーセの顔に輝いていたつかのまの栄光のために、イスラエルの子らが彼の顔を見つめえないほどであった」とあり、3章13節には「モーセが、消え去るべきものの最後をイスラエルの子らに見られまいとして、自分の顔に覆いをかけた」とある。モーセの顔が輝いていたのは、「石に刻まれた文字(すなわち十戒)に基づいて死に仕える務め」ゆえの栄光でしかないとパウ口は言ったのである。それは積極的にイスラエル人に見せるようなものではなく、覆いによって隠すべきものだったとパウロは語ったのであった。十戒や律法に対しての一貫した厳しいネガティプな主張がここにもあるのだが、私には、このようなパウロの理解は、納得できるものではない。
2枚の石の板に刻まれた十戒は決して私たちを死に仕えさせるようなものではなかった。反対に、私たちの内面に光をもたらして下さるものなのである。そうであればこそ、それを授けられたモーセの顔は光り輝いたのではなかろうか。イスラエル人は、モーセの顔の光の意味を悟ることができず恐ていた。モーセもそれに配慮して、普段は覆いをかけていた。しかし、神様と語らい、また石の板に書かれた神様から与えられた言葉を人々に伝えるときには、覆いを取り去った。十戒が刻まれた石の板を授かることは確かにモーセには喜びだったのであり、故に彼の内面を輝かせ、顔に光を与えたのだった。モーセはイスラエルの人々にもその喜びを伝え、彼らの顔も輝いてほしいと願っていたに違いない。
3 さて、それではなぜモーセの顔は光を放つようになったのか。神様がどのような光を彼の内面に当てて喜びを与えたのか。そのことを考える上で重要なヒントは、24章や、31章の最後から32章にかけて書かれている。モーセが1回目に十戒を与えられるためにシナイ山に40日間滞在して山を下りてきたときには、モーセの顔が光を放っていたとは書かれていない。2回目の十戒の付与においてだけ、彼の顔が光を放っていたとある。1回目と2回目とでは何が違っていたのか。そこがポイントなのである。
つきつめて言えば、1回目の十戒の付与の後に、32章に書かれていた金の牛を神として礼拝したイスラエル人の有り様があったことが核心なのだと思う。出エジプト記の20章に記されていた十戒(その第1戒また第2戒は「あなたはわたしをおいてほかに神があってはならない。いかなる像も造ってはならない」であった)に対し、イスラエル人は「主が語られた言葉をすべて行います」と何度も警った(24章)。モーセはイスラエル人のまさに優等生といえるような誓いをひっさげて、それこそ意気揚々と1回目のシナイ山滞在へと向かっていったのではなかろうか。指導者としてのモーセには、よもやこうした誓いをした人々がその舌の根も乾かないうちにそれを破るとは考えもしなかったのであろう。最初の十戒の付与・シナイ山滞在には、指導者として牧会者としての破れのようなものがなかったように感じられる。憂いや悩みが感じられない。内なる暗さがないように思えるのである。
ところが、1回目の十戒の付与の直後に、金の牛を礼拝するという事件が起こってしまった。モーセは怒って神様からいただいた十戒の刻まれた2枚の石の板を粉々に砕いてしまった。レビ人を招集して、偶像礼拝をした人々を捜し出して粛清という恐ろしいことまでさせてしまった。神様は、十戒を刻んだ板を砕けとも、人々を粛清せよとも言ってはいなかったのに、指導者であったモーセが、その怒りによりそうしてしまったのだった。石の板を砕いたことは「神様との契約関係が砕かれてしまった、おまえたちがだめにしてしまった、もはや神様との間柄は修復できないのだ」とのモーセの怒りを現していたのである。また、人々をそのようにしか導けなかった指導者としての自らへの情けなさの思いもあったのかもしれない。舌の根もかわかぬうちに契約を破ってしまった人々を、これからどうやって導いてゆけばよいのかという不安もあったのではなかろうか。1回目の十戒付与の後で、モーセの中に、どうしようもない怒りや不安や絶望といった闇が深まっていったのであろう。
4 そのようなモーセを神様は再びシナイ山に呼び、再度十戒を刻んだ石の板を授けた。28節には「十の戒めからなる契約の言葉を板に書き記した」とある。34章1節には「わたしは、あなたが砕いた前の板に書かれていた言集を、その板に記そう」とあり「あなたが砕いた」という部分にこそ深い意味が込められていたのではなかろうか。29節にも重ねて「モーセがシナイ山を下ったときに、その手には2枚の石の板があった」と記されている。モーセが怒りによって砕き、またイスラエル人がその偶像礼拝によって砕いてしまった十戒を再度神様は与えられたという点の、一度破られた契約を再度結んで下さったという点の強調を感じられる。
指導者として粉々にされてしまったモーセ、また神様の契約の相手方としての資格を砕かれてしまったイスラエル人を、モーセによって粉々に砕かれた1回目に付与された十戒の石の板は、象徴的に現しているように感じる。普通であれば、もはや二度と神様との契約など結んでいただけないイスラエル人であり、その指導者を現しているように思える。私たちも、象徴的に、そのような砕かれた石の板にされてしまう者である。神様と結びつけていただく者にはふさわしくない者である。母の逝去後、その相続をめぐって大変な状況におられる姉妹のことを思う。わたし自身も、父の死後、相続に関して嫌な思いを抱いてしまった自分への嫌悪感がある。また、ある人は「こんな嫌な思いを抱いている私ははたして礼拝堂に入っていいのだろうかといつも思う」と話してくれた。いろいろな力によって、粉々にされてしまう私たちである。
そのような私たちであるにもかかわらず、神様は再び私たちを契約の相手として選んで下さる。再び2枚の石を作って下さったということは、象徴的に、私たちを再度、神様との結び付きを許される存在として認めて下さったということの現れではなかろうか。私たちを、神様とのつながりの中に生きることのできる存在として再びあらしめて下さったのである。私たちがどのように粉々にされても、神様は何度もでも石の板を作り、私たちを契約の相手として選んで下さる。モーセは、ここにこそ、神様だけから差し込む光を見たのではなかったか。それば、これまでは全く知らなかった神様の光りであった。1回目に石の板を授けられた頃の指導者として順調にいっていた頃には知る由もなかった神の光であった。
2度目に石の板が与えられたことに込められた、以上のような深い意味を、もしもパウロが知っていたなら、コリントの信徒への第二の手紙に、あのような言葉を記すことはなかったであろう。ダマスコにクリスチャンを追害に行った途中に、パウロはまばゆい光の中でイエス様に出会い、一時的に視力を失ってしまった。その時にイエス様を通してパウロに差し込んだ光も、同じような神様の光であった。イエス様を見捨てて逃げ去り、恐れて閉じこもっていた第子たちが、復活されたイエス様と出会ったときに感じたであろう光も、同じような神様の光なのであった。人間の弱さ・欲望・恐れ、そういったもののために粉々にされる私たちを、あたかも石の板を作り直すかのように、神様は私たちを何度でも結び付きに生き得る者とされる。そこに神様だけが私たちを照らして下さる光がある。
5 先週の祈祷会では、詩編18篇の21節から31節を学んだ。28節「主よ、あなたはわたしの灯を輝かし、神よあなたはわたしの闇を照らしてくださる」は私の好きな言葉である。特に私が強く心引かれるのは2行目の「あなたはわたしの閣を照らして下さる」との言葉である。詩篇は、ダビデの最晩年の有り様を描いたサムエル記(下)の22章にもほぼ同じものが記されており、ダビデが自分の人生を振り返って歌ったものとも理解されている。生涯を振り返って、ダビデが思ったのは、「わたしは幾つもの闇を抱えていた」ということだった。サムエルによってサウルの次に王となるべきものとされながら、なかなかそれが実現せずに、サウルに追われ、あちこちを逃げ回り、時にはヤクザの用心棒のような境遇にまで身をやつして、保身の為に多くの血を流したダビデであった。やっと王になると、部下の妻を奪い、その夫を死に至らしめ、多くの妻との間になした子供たちは兄弟殺しや近親相姦まで行ってしまった。光が当てられることなどできないような深い深い闇であった。抱えた者を虜にしてしまうような幾重にも重なった重層的な闇であった。しかし神様は、そこに光を当てて下さったとダビデは証しているのである。
詩篇18篇の21節から25節までに、ダビデは繰り返し神様の報い・応報について語っている。「主はわたしの正しさ・手の清さに報いて下さる」と。しかし、ダビデの生涯に、正しさや手の清さは感じられないではないか。ダビデの言う正しさや手の清さとは、闇を抱える者であるからこそ神様の光を必要とする信仰の心を示しているのである。ダビデは、神様に向かおうとする心の清さに神様は必ず報いて良いものを下さると言っているのである。闇を抱えた者への悪しき応報ではなく、闇を抱えていても神様を信じる心に応じての良い応報なのである。汚れた手の業を重ねてきて、多くの闇を抱えている私たちを、信仰において正しいと、信仰において手が清いと神様は見て下さって、良い報いを下さるのである。それが、私たちの闇を照らして下さる神様の光ではなかろうか。この光に照らされて、私たちの顔もまた、光を放つのである。
筑波学園教会牧師 福島 純雄
2016年 10月16日(日)聖霊降臨節第23主日礼拝
11:25兄弟たち、自分を賢い者とうぬぼれないように、次のような秘められた計画をぜひ知ってもらいたい。すなわち、一部のイスラエル人がかたくなになったのは、異邦人全体が救いに達するまでであり、 11:26こうして全イスラエルが救われるということです。次のように書いてあるとおりです。「救う方がシオンから来て、 ヤコブから不信心を遠ざける。 11:27これこそ、わたしが、彼らの罪を取り除くときに、 彼らと結ぶわたしの契約である。」 11:28福音について言えば、イスラエル人は、あなたがたのために神に敵対していますが、神の選びについて言えば、先祖たちのお陰で神に愛されています。 11:29神の賜物と招きとは取り消されないものなのです。 11:30あなたがたは、かつては神に不従順でしたが、今は彼らの不従順によって憐れみを受けています。 11:31それと同じように、彼らも、今はあなたがたが受けた憐れみによって不従順になっていますが、それは、彼ら自身も今憐れみを受けるためなのです。 11:32神はすべての人を不従順の状態に閉じ込められましたが、それは、すべての人を憐れむためだったのです。 11:33ああ、神の富と知恵と知識のなんと深いことか。だれが、神の定めを究め尽くし、神の道を理解し尽くせよう。 11:34「いったいだれが主の心を知っていたであろうか。だれが主の相談相手であっただろうか。 11:35だれがまず主に与えて、 その報いを受けるであろうか。」 11:36すべてのものは、神から出て、神によって保たれ、神に向かっているのです。栄光が神に永遠にありますように、アーメン。
説教要旨 掲載準備中
筑波学園教会牧師 福島 純雄
2016年 10月9日(日)聖霊降臨節第22主日礼拝
22:01さて、過越祭と言われている除酵祭が近づいていた。 22:02祭司長たちや律法学者たちは、イエスを殺すにはどうしたらよいかと考えていた。彼らは民衆を恐れていたのである。 22:03しかし、十二人の中の一人で、イスカリオテと呼ばれるユダの中に、サタンが入った。 22:04ユダは祭司長たちや神殿守衛長たちのもとに行き、どのようにしてイエスを引き渡そうかと相談をもちかけた。 22:05彼らは喜び、ユダに金を与えることに決めた。
1 イエス様が、側近中の側近として選んだ者の中から裏切り者が出たことは、初代の信者たちにとって、また福音書を書いた人々にとって、そして、この福音書を2000年間読み続けてきた私達信者にとって、常に大きな躓きの石どころか、岩であり続けてきた。福音書を書いた人々にとっては、初代教会の指導者であったべトロが、イエス様を3度も否んだこと共に、イエス様の12第子のひとりであったユダの裏切りは、できるならば福音書の記述から削除し、覆い隠してしまいたかったに違いない。しかし、これは厳然とした事実であった。削除することはできなかったのである。そこで、福音書の記者たちは精一杯の努力を傾けて向かい合い、彼らなりにこれを解釈して記そうとした。福音書の記者たちが、包み隠さず精一杯の努力を傾けてこれを受け止め、記した聖書は、今の私たちにとって、大きな意義を持っているのだと、改めて思い知らされる。
竹下節子の『ユダ-烙印された負の符号の心性史-』という本のはじめに、以下のように書かれていた。「何よりも、イエスが神であるならば、何を好んで、後から自分を敵に売るような裏切り者を名指しで使徒として呼び出して、宣教までさせたのだろうか。神ならば誤った選択をするはずがないではないか。」と。12弟子のひとりのユダがイエス様を基切ったという事実は、最初からキリスト教、特にイエス様への痛烈な批判の源泉となっていたようで、当時のギリシャ世界に大きな影響力を持っていたエピクロス派の哲学者ケルソスは、キリスト教を、またイエス様を此判していた。ケルソスから、こういった批判がされたのは紀元2世紀のことであった。このような批判は、相当早い時期からあったのではなかろうか。4つの福音書、特に遅くに書かれたものであればあるほど、この批判に何とかして応じようとした努力が感じられるのである。
2 3節に「サタンが入つた」とあるのは、こうした努力の現れということができる。ルカが、ここには、もっと深い意味を込めていたもしれない。とりあえず、ここでルカが言わんとしたのは、極めて単純に、12人の弟子の中の1人であったユダがイエス様を裏切ったのは「サタンの仕業」ということであった。しかし、そのように片付けたからといって、果たしてこれがケルソスの批判に十分に応え得ていたかというと、決してそうではないと私は思う。むしろ、もっと深刻に、イエス様の神性に疑いを生じさせるようなことにもなるのではなかろうか。サタンの仕業であったとすれば、イエス様は愛する側近にサタンが入るのを妨ぐことができなかったということになる。イエス様自身は、洗礼者ヨハネから洗礼を受けた直後、荒野で40日間サタンの誘惑にあったが、それをことごとく退けらた。それなのに、どうして最愛の弟子がサタンの餌食になるのを妨なかったのか。見殺しにしたのであろうか。そうだとすれば、私達に対しても、私たちにサタンが入るのを防ぐことをして下さらないのではないか。イエス様に対するこのような不信までを、かえって生じさせてしまう。
福音書の中で、最後に記されたとされるヨハネによる福音書は、はっきりとユダの裏切りの原因を記している。ヨハネによる福音書の12章には、以下のようなことが書かれている。イエス様によって死から蘇ったラザロの姉妹マルタとマリヤの家にイエス様が滞在されたときのこと、マリヤがイエス様にとても高価なナルドの香油を注いだ。他の福音書にも、少しずつ記述は違うが、同じエピソードが書かれている。ヨハネによる福音書では、マリヤのしたことを批判したのがユダだったとなっている。「弟子の一人で、後にイエスを裏切るイスカリオテのユダが言った。『なぜ、この香油を300デナリオンで売って、貧しい人々に施さなかったのか。』」と。この後に、わざわざヨハネはこう付け加えている。「彼がこう言ったのは、貧しい人々のことを心にかけていたからではない。彼は盗人であって、金人れを預かっていながら、その中身をごまかしていたからである」と。ヨハネの理解によれば、ユダがイエス様を裏切った直接の理由は、預かっていたお金の不正にあったというのである。
しかし、このこともケルソスの批判に応えているとは言えないと思う。師であれば弟子の不正に気づくのは当然ではないか。気づいていながらそれを放置して、自分を裏切らざるを得ないところまで至らせるのは、師としては失格ではないか。とうてい神などとは言えない更なる証拠になってしまうのではなかろうか。
3 ルカやヨハネ以上のものではなかった。いずれもケルソスの批判に十分には応えられるようなものではないと私は思う。しかし、彼らの直接的な意図がどうであれ、福音書の記者の文章には、彼ら自身が意図していた以上の探い意味があった。3節に「サ夕ンが入った」とルカは記した。この記述には、ルカ自身の思いをはるかに越えて、実に深い意味が込められたと私は感じる。
旧約聖書においても新約聖書においても、サ夕ンという存在は、私達がいわゆる悪魔というものから想像するようなものとは程遠い働きを担わせられた存在である。新約聖書においてそれが端的に書かれているのは、第2コリント12章7節以下の箇所である。パウロには、ある肉体のトゲが与えられていた。パウロはこれを「サタンから送られた使い」だと言った(7節の最後)。パウロに苦しみを与え、牧会者としての働きを満足にできなくする存在として、それ自体は悪しきものでありサ夕ンの使いなのであった。しかし、パウロはこれを「(わたしが)思い上がることのないように」与えられたものだとも受け止めたのであった。明言はしていないが、明らかにそれは神様・イエス様の御心からのものだと彼は理解していた。このサタンの使いとしてのトゲを与えられたことで、パウロは「私の惠み・力は、弱いあなたにこそ十分だ」とのイエス様の言葉を聞けたのだった。サタンの働きは、それ自体としては悪しきものではあるが、大きくは、神様・イエス様の御心の中に置かれているものなのである。突き詰めれば、サタンとは神様の御心を実現する器なのである。必然であり必要悪なのである。旧約聖書においては、サタンがこのような役割を果たしているのは、ヨブ記である。
ルカがここで「サタンが入った」と書いたのは、彼自身の意図を越えて、こういう聖書全体におけるサタンの働きというものが含まれているのだと理解してよい。ここからケルソスの批判への答えが見えてくる。イエス様は、なぜサタンがユダに入るのを妨げなかったのか。その根底には、神様の御業があったからなのである。イエス様を十字架へと至らせた神様の必然的な御業があり、ユダはどうしてもそのスタートポタンを押す役割を果たさざるを得なかったのである。その行為自体は、悪しき行為であった。しかし、神様の聖なる、イエス様といえども妨げることのできなかった神様の御心に根差していた。そういう役割を果たす者としてユダは選ばれていたのである。イエス様が最初からそれを予見していたかどうかは、わからないが、自分の受難を覚悟してから、ユダがその受難のスタートポタンを押すように神様によって選ばれた者だとイエス様は分かっていたはずである。だからイエス様は、ユダの裏切りを知っていても、止めることをしなかったのである。
4 それにしても、なぜユダに受難へのスタートポタンを押す役割を、神様はお与えになったのであろうか。ユダがいなかったとしても、遅かれ早かれイエス様は十字架にかけられたのではなかろうか。わざわざ自分の弟子の一人に、そのような辛い役割を負わせる必要がどこにあったのか。これについては、ユダがイエス様に最も近い弟子であったからこそ、他の誰でもなくユダが、このスタートポタンを押す役割を担ったのだと私は思うのである。だれよりも近くにあった者だからこそ、イエス様のなさろうとしていたことが、神様がイエス樣になさしめようとされたことへの反発が生まれたのである。
ユダがイエス様の弟子の中で、誰よりもイエス様に願っていたこと、それはイエス様を通して神様になして欲しいと望んでいたことは、何だったであろうか。それは、ヨハネによる福音書の12章の出来事に如実に現れている。「イスカリオテ」とは、ローマ帝国へのテロ運動をしていた「シカリ党」から来た言葉ではないかとの説があり、そういう団体に属していたかも知れない者として、ユダは、常に費用対効果のようなものを考え-だからこそ会計係に任じられていた-、もしもイエス様の死が不可避だとしたら、その死の効果の最も大きいことを考えたのであろう。だから、自分こそが、そのスタートポタンを、最もふさわしい時に押そうとし、そのふさわしい時期とは、エルサレムが出エジプトの記憶で興奮のるつぼと化す、過越の祭の時期と考えたのであろう。ユダが最も忌み嫌ったのは、イエス様の死が、何の効果もなく無駄になってしまうことだったに違いない。
それこそが、十字架の死において神様・イエス様の考えと、最も鋭く対立した点ではなかったか。ユダが受難のスタートボタンを押すのは過越の祭の時だと考えたように、イエス様もまた、そう考えていた。なぜ他の時期ではなく、この時だったのか。それはイエス様自身が自分を、過越の祭で家の戸口にその血が塗られたところの犠牲の子羊とされたからであった。14節以下に記されている最後の晩餐の席で、イエス様が「これはあなたがたのために与えられるわたしの体。この杯は、あなたがたのために流されるわたしの血による新しい契約」と言っているのは、イエス様が自身を犠牲の子羊として捉えておられたことを現している。そして、この言葉の後の23節に、ユダの裏切りのことが語られている。ここには、ユダの裏切りとは、何よりも、イエス様が自身を犠牲の子羊として、血を流そうとされた点にこそかかっていることが、象徴的に現されているのではなかろうか。
出エジプト記で学んだ機牲として殺された子羊が果たした役割とは何だったか。それは、その血を入り口に塗った家を、神様が遣わした「減ぼすもの」が過ぎ越していったということであった。なぜ「滅ぼすもの」が過ぎ越していったのか。私は、そこには無駄があったからだと思う。翌朝にはエジプトを旅立とうとしていたのに、貴重な子羊を殺して、その血を塗るのは、大いなる無駄ではなかったか。私は、この無駄について、イスラェエル人を奴隷としていたエジプト的生活へ否を突きつけること、別れを告げる印なのだと感じた。無駄を象徴するものを戸口に塗ってエジプトに別れを告げようとしたからこそ、その家を滅びは過ぎ越してゆいったのである。イエス様の十字架が指し示すもの、それは無駄であり浪費ではなかろうか。イエス様を信じ、イエス様の犠牲をいただくとは、十字架に込められた無駄を塗るということなのである。それが、私達を「滅ぼす者」から救うのである。
こうして、自分とは対局にあったユダを、イエス様はわざわざ弟子の一人として選んだ。そして、案の定、ユダは、誰よりもイエス様の十字架に反発し、イエス様を十字架へと至らせるスタートポ夕ンを押す役割を果たした。私はそこに、イエス様における神の選びというものの、何とも言えない深さを感じるのである。対立し十字架へのスタートポタンを押すであろう者を選ばれたのであった。そういう者を自分の最も近いところへ置き、その者によって裏切られたのである。それこそ大きな無駄-浪費ではなかったか。昔から、ユダはどうなってしまったのか、彼に救いはあったのか、と問われ続けている。私は、ユダはペト口と同じように、私達の代表だと思う。十字梁のイエス様と根源的に対立せざるを得ない者としての私達の代表が、ユダなのである。このユダを最も近いところに置くことを選んだイエス様が、そして神様が、どうしてその彼を救うことをしないはずがあるだろうか。
筑波学園教会牧師 福島 純雄
2016年 10月2日(日)聖霊降臨節第21主日礼拝
34:01主はモーセに言われた。「前と同じ石の板を二枚切りなさい。わたしは、あなたが砕いた、前の板に書かれていた言葉を、その板に記そう。 34:02明日の朝までにそれを用意し、朝、シナイ山に登り、山の頂でわたしの前に立ちなさい。 34:03だれもあなたと一緒に登ってはならない。山のどこにも人の姿があってはならず、山のふもとで羊や牛の放牧もしてはならない。」 34:04モーセは前と同じ石の板を二枚切り、朝早く起きて、主が命じられたとおりシナイ山に登った。手には二枚の石の板を携えていた。 34:05主は雲のうちにあって降り、モーセと共にそこに立ち、主の御名を宣言された。 34:06主は彼の前を通り過ぎて宣言された。「主、主、憐れみ深く恵みに富む神、忍耐強く、慈しみとまことに満ち、 34:07幾千代にも及ぶ慈しみを守り、罪と背きと過ちを赦す。しかし罰すべき者を罰せずにはおかず、父祖の罪を、子、孫に三代、四代までも問う者。」 34:08モーセは急いで地にひざまずき、ひれ伏して、 34:09言った。「主よ、もし御好意を示してくださいますならば、主よ、わたしたちの中にあって進んでください。確かにかたくなな民ですが、わたしたちの罪と過ちを赦し、わたしたちをあなたの嗣業として受け入れてください。」 34:10主は言われた。「見よ、わたしは契約を結ぶ。わたしはあなたの民すべての前で驚くべき業を行う。それは全地のいかなる民にもいまだかつてなされたことのない業である。あなたと共にいるこの民は皆、主の業を見るであろう。わたしがあなたと共にあって行うことは恐るべきものである。 34:11わたしが、今日命じることを守りなさい。見よ、わたしはあなたの前から、アモリ人、カナン人、ヘト人、ペリジ人、ヒビ人、エブス人を追い出す。 34:12よく注意して、あなたがこれから入って行く土地の住民と契約を結ばないようにしなさい。それがあなたの間で罠とならないためである。 34:13あなたたちは、彼らの祭壇を引き倒し、石柱を打ち砕き、アシェラ像を切り倒しなさい。 34:14あなたはほかの神を拝んではならない。主はその名を熱情といい、熱情の神である。 34:15その土地の住民と契約を結ばないようにしなさい。彼らがその神々を求めて姦淫を行い、その神々にいけにえをささげるとき、あなたを招き、あなたはそのいけにえを食べるようになる。 34:16あなたが彼らの娘を自分の息子にめとると、彼女たちがその神々と姦淫を行い、あなたの息子たちを誘ってその神々と姦淫を行わせるようになる。
1.出エジプト記31章の最後から32章の前半には、次のような出来事が書かれていた。神様に十戒を授けてもらうためにシナイ山に登ったモーセが、40日間も山から降りて来なかった。不安を抱いたイスラエル人は、モーセの兄アロンに頼んで金の子牛を作り、これを神として仰いで礼拝を捧げたのだった。モーセは、シナイ山から降りてきて、この光景を見た。モーセは、かんかんに怒り、十戒が書かれた2收の石の板を粉々に砕いてしまった。それでもモーセの怒りは収まらず、偶像礼拝をした者を搜し出させて糾弾、いわゆる「粛清」という恐ろしいことをやらせてしまった。しかし神様はモーセに再び、十戒を記した2枚の石の板を与えたのであった。
さて、28節に「モーセは・・・十の戒めからなる契約の言葉を板に書き記した」とある。実際には単純ではなかったようである。十戒が再度2枚の石の板に書かれたというが、このとき十戒は、出エジプト記20章の十戒とは随分内容が違っていたのである。昔から研究者たちはこのことに頭を悩ましてきた。出エジプト記20章との関係はどうなっているのか。果たして十戒の再付与と言えるものだったのか。こういう疑問が、当然に浮かび上がってきたのである。注解書には、学者たちが無理やり十項目にして、それを出エジプト記20章の十戒と結び付けようとしてきたと書かれている。
2.私なりに、20章の十戒との関係を考えてみると、特に11節以下で「無理やり」な印象をいだいてしまう。イスラエル人が荒野からカナンと呼ばれるパレスチナに徐々に定着しはじめた後に、先住民との間で具体的な問題が起きはじめたために書かれたものではないかと感じるのである。深刻な問題が持ち上がっていてイスラエル人を悩ましていたからこそ、それを、少し時間をさかのぼって、まだ彼らが荒れ野にいたときの十戒の再付与という舞台に上らせたのではないかと理解するのである。そういう意味で言えば、この出来事は、書かれている内容としてはかなりフィクションの性格が強いのかもしれない。しかし根底には、十戒の再付与という実際にあった出来事が確かに横たわっているのだと思うのである。20章で授けられた十戒という土台の上に、後の時代に生じた貝体的な問題を投影させながら、十戒の再付与というフレームの中で神様がイスラエル人と、どのような関係を作ろうとされたかを描こうとしたのである。
だから、出エジプト記の20章は暗黙の前提、土台となっているのである。私たちが学んできたことは、ここでもなお有効といえるのである。「・・してはいけない」「・・せよ」というような命令や強制を伴った関係は、もはや私たちクリスチャンには関係ないものだと考えてしまう。しかし十戒とは、決してそのようなものではなかったのである。十戒には、神様が、神様であるがゆえに、何を最も大事になさり、そこから私たちとどのように接するかが記されているのである。神様があることがらを大事にされるがゆえに、それを軽んじ無視しようとした者に対して、神様は戦わざるを得ないのである。この神様のあり方が「・・・するな」 「・・せよ」という強い表現で訳される言葉となっているのである。
3.神様が何を大事になさり、故に私たちにどのように係わることができるかという点を念頭に、読み解いてゆかねばならない。1節に「わたしは、あなたが砕いた前の板に書かれていた言葉を、その板に記そう」と神様が言れたとある。「あなたが砕いた」というところに深い含蓄が感じられる。指導者モーセは、偶像礼拝をした人々に怒り、神様が下さった十戒を記した板を粉々に砕いてしまった。それは、「人間の側の犯したことによって、もう神様との間柄が砕かれたのだ。せっかく神様が築いて下さった関係が破れてしまったのだ。」という、指導者モーセの理解を象徴的に示しているのである。これに対して、神様が再び石の板をお作りになったということは、神様がこのモーセの理解に否を突き付けたということだと私はとらえるのである。「モーセよ、お前は人々の犯したことによって、私との間柄が砕かれてしまったと思って怒っているが、決してそうではないのだ。そもそも私とあなたがたとの間柄というものは、あなたがたの行為によってやすやすと砕かれるようなものなどではない。指導者であるあなたの理解は間違っている。わたしは何度でも十戒を記した板を授けるであろう。あなたがたが何度それを砕こうとも、私は何度でも石の板を授けよう。私とあなたがたとの結び付きとはそういうものなのだ。」と神様は宣言して下さったのである。
指導者としてのモーセがなしたことは、私たち教会の指導者たちが繰り返し行ってきたことに通じるものがある。ある人々を、そのなした行為、時には、ただ内面に抱かれた思想・信仰によって、「おまえは神様との関係が砕かれてしまった者だ」と断じ、切り捨ててしまってきたのである。しかし、この十戒の再付与の出来事が語りかけて下さるのは、そのような理解は、私たち人間の考えでしかないということなのである。神様は何度でも、私たちに十戒を記した石の板を授与して下さるのである。私たちとの関係が決して粉々にはされないものだと明言して下さっているのである。
4.さらに神様は、自身が何を大事になさり、それゆえに私たちに、どのようにかかわられるかを、その石の板に書きになられた。直接的には出エジプト記20章にある十戒のことは書かれてはいないが、当然に土台にはそれがあったのである。20章の十戒においても、まず神様が言われたのは、神様自身が、いかなる存在であるかを自已紹介された言葉であった。「わたしはあなたがたを、エジプトの国・奴隷の家から導き出した神・主である」と書かれている。神様は何を最も大事にされるか。それは私たちが奴隷あってはならないということなのである。それは「自由」ということである。だから、私たちを奴隷的な状態に閉じ込める国や家から、常に私たちを導き出そうとなさるのである。神様の私たちへのかかわりは、根源的に、このようなものなのである。
そのことが、神様自身によって語られたのであった。ここでも神様は自己紹介なさり「主の御名を宣言された」と5節に書かれている。「主、主、携れみ深く・・・問う者」と7節までに書かれている。出エジプト記の20章には、私たちを奴隷的な状態に縛るのはもっぱら国であり家であるとされていた。しかしここでは、私たちを奴隷とするのは国でも家ではなく、「罪と背きと過ち」だとされている。だから、神様は幾千代にも及ぶ慈しみ・憐れみ・惠みによって、私たちをそこから解き放とうとなさっているのである。ここでは、私たちを、罪や過ちから解き放つことが「赦し」という言葉で訳されている。
「赦し」と訳された言葉の本来の意味は「解き放ち・解放」である。「赦し」と「解き放ち」には、かなり意味の違いがあるように私には感じられる。ダビデは、バテシバを我がものにしようとした。しかし、それが明るみに出そうにになった途端、夫ウリヤを(間接的にではあったが)死に至らしめた。これはは、果たして赦されることであったであろうか。赦しとは、私の感じでは「あなたのしたことはOKです。もう責めませんよ。」とすることのように思う。では、ダビデのしたことは、「OKだよ」とされることであったのか。責められることのないものであったのか。決してそうはできないことだったと私は思う。けれども、そのようであったダビデを、神様は自身との結び付きの中で、なおも新しい歩みのできる者とされたのだった。ダビデが犯したこと自体は、OKとはされない。しかし神様との結び付きによって、なお新たな生き方ができるのである。過去の罪や過ちには閉じ込められないのである。奴隷にされないのである。事実ダビデは、ウリヤを殺してバテシバを奪ったた罪人として、どこまでも留まり続けながら、詩編にその言葉が残るような者として、その後を生きることができた。これが罪からの解き放ちなのである。
イエス様を裏切り見捨てた弟子たちの行為も、決してOKとはされ得ない。しかし、そうであった彼らを、そこから解き放ち、新たな使命を帯びたものとして出発させて下さったのが、復活されたイエス様の慈しみであり恵みなのである。「幾千代にも及ぶ」とは、まさに十字架の死を乗り越えて生きて、弟子たちに、そして私たちも、新しい歩みをさせて下さるイエス様の恵みを指している。幾千代にも及ぶと言われるほどの長い、また、はかりしれない探い神様の慈しみというものがあって、私たちは罪や背きや過ちから解放されてゆくのである。
7節には、「赦し」と並んで「罰する」ということが語られている。幾千代にも及ぶ慈しみと3代・4代までも罰することが、「しかし」という言葉でつなげられている。私はこれは、本当に不幸な翻訳だと思うのである。慈しみと罰することは、決して「しかし」という言素でつなげられるような、相反する神様の御業ではない。幾千代にも及ぶ慈しみ・私たちを罪から解放する慈しみの中に、この罰するということが含まれている。慈しみの一貫が罰するということなのである。
ダビデが息子のアプサロムから都を追われ苦難を受けたのも、そういう意味のぺナルティであった。3代・4代にわたって、ちゃんとべナルティを科される機会を与えて下さりつつ、幾千代にもわたる深い慈しみをもって、神様は私たちを罪・背き・過ちから解放しようとなさるのである。神様はそういうチャンスを下さるのです。
5.以上のように、私たちが罪や過ちの奴隷とならないことを、何よりも大事にされる神様と私たちとの係わりが、どのように生じてゆくのか。この神様と私たちの結び付きは何において生じてゆくのか。これが、10節で「わたしは契約を結ぶ」との神様の言葉で提示されている。このような神様がおられたとしても、私たちと関係を持ち得ないならば、神様の存在は何の意味もないのである。神様との結び付きを持ているということが決定的に大事なのである。では、どうすれば結び付きを持たせていただけるのか。それが契約を結ぶことによってだと神様は提示して下さる。
なぜ契約なのか。私たちがこうして読んでいる書物は「旧約聖書」「新約聖書」と呼ばれ、そこには「契約」ということが厳然と存在している。フリーゼンは、古代オリエントでは神々と人間の結び付きは自然的一体としてあったのに対し、イスラエル人と神様との結び付きは「契約」によったというようなことを言っている。古代オリエントでは、神々と人間のつながりは、主に地緑・血緑によっていた。神々が支配していた領土に住み、ある限定された血筋につながった者だけが神々とのつながり得ていた。出エジプトとは、つきつめれば、まさに、このような神々との結び付きからの脱出の意味があったのである。これに対して、神様と私たちとの結び付きは、それまでのような神様の存在を、その語られる言葉に心を動かされて、「ああ神様、あなたと結び付きたい。私にはあなたが必要だ。」と思うこと、つまり、ただ信仰において成立するのである。神様の言葉を聞き、それを信じることにおいて成立するのが「契約」関係なのである。なぜ11節以下で、カナンの先住民との契約行為がこれほど敵視されて書かれているのか、その理由がここにある。エジプトにいた時と同じような地縁・血緩の中に引き込まれれば、必ずや私たちは奴隷にされてしまう。神様の言葉を聞いて、それを信じて生きることこそが、私たちを自由にするのである。
筑波学園教会牧師 福島 純雄
2016年 9月25日(日)聖霊降臨節第20主日礼拝
11:11では、尋ねよう。ユダヤ人がつまずいたとは、倒れてしまったということなのか。決してそうではない。かえって、彼らの罪によって異邦人に救いがもたらされる結果になりましたが、それは、彼らにねたみを起こさせるためだったのです。 11:12彼らの罪が世の富となり、彼らの失敗が異邦人の富となるのであれば、まして彼らが皆救いにあずかるとすれば、どんなにかすばらしいことでしょう。 11:13では、あなたがた異邦人に言います。わたしは異邦人のための使徒であるので、自分の務めを光栄に思います。 11:14何とかして自分の同胞にねたみを起こさせ、その幾人かでも救いたいのです。 11:15もし彼らの捨てられることが、世界の和解となるならば、彼らが受け入れられることは、死者の中からの命でなくて何でしょう。 11:16麦の初穂が聖なるものであれば、練り粉全体もそうであり、根が聖なるものであれば、枝もそうです。 11:17しかし、ある枝が折り取られ、野生のオリーブであるあなたが、その代わりに接ぎ木され、根から豊かな養分を受けるようになったからといって、 11:18折り取られた枝に対して誇ってはなりません。誇ったところで、あなたが根を支えているのではなく、根があなたを支えているのです。 11:19すると、あなたは、「枝が折り取られたのは、わたしが接ぎ木されるためだった」と言うでしょう。 11:20そのとおりです。ユダヤ人は、不信仰のために折り取られましたが、あなたは信仰によって立っています。思い上がってはなりません。むしろ恐れなさい。 11:21神は、自然に生えた枝を容赦されなかったとすれば、恐らくあなたをも容赦されないでしょう。 11:22だから、神の慈しみと厳しさを考えなさい。倒れた者たちに対しては厳しさがあり、神の慈しみにとどまるかぎり、あなたに対しては慈しみがあるのです。もしとどまらないなら、あなたも切り取られるでしょう。 11:23彼らも、不信仰にとどまらないならば、接ぎ木されるでしょう。神は、彼らを再び接ぎ木することがおできになるのです。 11:24もしあなたが、もともと野生であるオリーブの木から切り取られ、元の性質に反して、栽培されているオリーブの木に接ぎ木されたとすれば、まして、元からこのオリーブの木に付いていた枝は、どれほどたやすく元の木に接ぎ木されることでしょう。
1.注解書によれば、当時ローマには4万人ものユダヤ人がいたという。当時のローマ教会は、おそらく、ユダヤ人からクリスチャンになった人々と、ユダヤ的な背景が全くなく、いわゆる異邦人からクリスチャンになった人々が混在する教会だったのではなかろうか。このようなローマ教会、またそれを取り巻くユダヤ人の多く住むローマに、激震が走る出来事が起きた。紀元49年に、時のローマ皇帝クラウディオが、ローマからユダヤ人を追放してしまった。それについて、歴史家スエトニウス(紀元70-150年)は「クレストスの扇動によって騒動を引き起こしたユダヤ人たちをローマから追放した」と書き残している。クレストスとは、イエス様と思われる。イエス様を信じることを巡って、ユダヤ人と、ユダヤ人クリスチャンとの間にトラブルが起きた。当時は、まだキリスト教はユダヤ教の一分派と見なされていた。この騷動はユダヤ人内部の騒動として、ユダヤ人全部がローマから追放されてしまったのであろう。追放されたユダヤ人クリスチャンの中に、プリスキラとアキラという夫婦がいた。ユダヤ人クリスチャンがいなくなって、ローマ教会には異邦人クリスチャンしかいなくなった。律法の行いを巡るトラブルがなくなったことで、すっきりした気分で信仰生活を送っていたに違いない。
紀元54年、皇帯クラウディオが亡くなると、ユダヤ人はローマへの帰還が許された。それから3年ほど経った頃に、この手紙は書かれたとされる。ユダヤ人やユダヤ人クリスチャンが帰還してから約3年の間にローマ教会内に起きた葛藤・対立は何となく想像できる。ユダヤ人たちは大いに反省をして、もう二度と騒動は起こすまいと思ったに違いない。そのためには、より律法の行いを強化する方向でユダヤ人がまとまらねばと思ったのではなかろうか。それがローマ教会内のユダヤ人クリスチャンや異邦人クリスチャンにも強い圧力となった。すると当然、それに異邦人クリスチャンは反発した。彼らが追放されていたときには、安心して信仰生活を送っていたのに、彼らが帰ってきたがために、また律法の行いを強制され窮屈な信仰生活を送らねばならなくなってしまった。もういっそのことユダヤ人やユダヤ教的なものと一切関係を断ってしまいたいとの思いがつのっていったのではなかろうか。パウロは、このようにして、どんどん深くなっていった両者の溝のことをプリスキラとアキラの夫妻などから聞き、いてもたってもいられなくなってこの手紙を書いたと思う。
2.パウロは、9章から11章までに、特にこの両者の溝について書いた。それ以前は、パウロの筆先は、異邦人クリスチャンに律法の行いを強制しようとするユダヤ人クリスチャンやその背後のユダヤ人たちに向かっていた。これに対して、13節以下から11章の最後までは、一転して異邦人クリスチャンに向けらている。13節のはじめに「では、あなたがた異邦人に言います」とある。
彼らが抱いていた一番の思いというのは、もうユダヤ教的なものと一切縁を切りたいというものであった。しかしパウロは、そのようなことをしてはいけない、そのようなことをしたらどうなるかということを、有名なオリープの木の接ぎ木の例を引いて語りかけた。17節に「ある枝が折り取られ、野生のオリープであるあなたが、その代わりに接ぎ木され、根から豊かな養分を受けるようになった」とある。切り取られた枝というのは、律法の行いを強制するユダヤ人やユダヤ人クリスチャンのことである。それは、元木であるオリープの木にふさわしくない性質を持つようになり、付けてはいけない果実を付け、あるいは病気になってしまったために、元木から切り取られてしまった。それに代わって接ぎ木された野生のオリープというのが異邦人クリスチャンのことである。彼らは元木に接ぎ木されたことによってはじめて豊かな栄養分を根から与えられるようになった。長い間に太い大木となり根を張っているイスラエル人と神様との信仰の歴史という元木につながれてこそ、異邦人クリスチャンは信仰者としての栄養をいただけるのである。だとすれば、彼らが考えていたように、もしイスラエル人の信仰の歴史との縁を切ってしまったら、元木からの栄養をいただくことができなくなる。野生のオリープからも切り離された、いわば根無しの枝のようなものとなり、たちまち枯れてしまう。だから、決してイスラエルの人々の信仰の元木から縁を切りたいなどと思ってはいけないとパウロは勧めたのだった。
接ぎ木というのは、たとえばカボチャの元木にキュウリの苗を接ぐにしても、普通は接がれた方の実がなる。カボチャの元木にキュウリを継ぐとキュウリがなる。ところが、ここでパウロが言っているオリープの接ぎ木の例は、元木に野生のオリープを接ぐと、接がれた方ではなく元木の方の性質が出てくるように書かれている。イスラエルの人々と神様との信仰の歴史という元木に込められている養分によって、野生のオリープから元木にあった実ができるというのである。パウロは、接ぎ木の性質をよく知らなかったのであろうか。しかし、オリープの場合は、パウロの言うような接ぎ木の性質だったのかもしれない。
3.私たちには、そもそもユダヤ教的なものと一切縁を切りたいなどという思いが出てくることはない。パウロが語ったことは、私たちには重なりはしないが、私たちにも、イスラエルの人々の長い間の信仰の元木を重要視しない、そこにつながることを大事に思わないというところはあるように思う。典型的な例としては、ナチスヒットラーがユダヤ人を蔑視して、キリスト教からおおよそユダヤ教的なものを排除しょうとしたことがあった。こうして現れたキリスト教は、まさしく野生のオリーブどころかキリスト教とは似ても似つかないような代物であった。元木につながらず元木からの栄養をいただかないと、私たちの信仰はキリスト教とは似ても似つかないものになってしまう。そういう点から言えば、私が少し胸を張れるのは、3週に一度のペースで私たちは旧約聖書の御言葉から説教を聞き、聖書研究祈祷会ではほほ一貫して旧約聖書を学んでいるということである。それによって、私たちは元木からの栄養をいただくことができる。イスラエルの人々と神様とのつながりの歴史という、この、元木の本質とは何かということがわかってくる。
パウロは、この元木に込められているものが何かという点については触れていないが、22節に「神の慈しみ」という言葉を書いている。「神の慈しみにとどまるかぎり、あなたに対しては慈しみがあるのです。もしとどまらないなら、あなたも切り取られる」とある。元木に込められた本質は、突き詰めれば神様の慈しみと言ってよいものなのであろう。接ぎ木された異邦人クリスチャンが、それにふさわしい実を結ぶなら、そのままつながることを許される。しかし、もしそうでないなら、律法の行いを強制する人々と同じように切り取られてしまうというのである。
この神様の慈しみについて、詩編第45編を思い起こす。古くからの伝統的な理解では、詩編全体はダビデが作ったものと考える。しかし、それは極端だとしても、ダビデの境遇と置かれた状況から理解すれば、詩編に書かれたことが木当によくわかってくる。
第3編にかかれているのと同じような境遇にダビデがあったときに作られたものと考えられてきた。どういう境遇だったかというと、詩編第3編のタイトルに「ダビデがその子アブサロムを逃れたとき」とある。ダビデは何人もの女性を妻とし、長男アムノンが母親を別にする妹タマルと無理やり関係を結んでしまい、欲望を果たすと、とたんに冷淡になり、事の経緯を知ったタマルと母を同じくするアブサロムは、母違いの兄アムノンを憎み、いつか殺そうと思っていた。事情を知っても父ダビデはアムノンに何の対応もしなかった。とうとうアブサロムは兄を殺し、殺したアブサロムをダビデはまたうやむやに許してしまった。父を甘く見たアブサロムは、とうとう自ら王になろうとして父を都から追い出したのである。
一連の出来事の根源には、ダビデが部下ウリヤの妻バテシバをわがものとして、事がばれそうになるとウリヤを間接的に死に追いやったことがあると、私は感じる。そこから派生して次から次へと事が起きていった。そのような状況の中で、この詩編は作られたとされる。3編3節には「多くの者がわたしに言います。『彼に神の救いなどあるものか』と」あり、4編7節にも「恵みを示す者(神様)があろうかと多くの人は問います」とあるのは、息子に追われて都落ちをする際に人々がダビデに投げかけた嘲りの言葉だと思われる。ダビデ自身、どれほどこの言葉が身に染みたであろうかと想像する。
しかし、このような境遇に置かれたからこそ、ダビデは思いもかけない神様の慈しみ・あわれみ・恵みというものを発見したのであった。だれも恵みをくれないだろう、神の救いなどおまえにはありえないだろうと自分自身も人々も当然に思う中で、それにもかかわらず自分を義とし、結び付きを解かず導き、見捨てないでいて下さる神様に出会ったのである。それが神様の慈しみである。4編2節の3行目には「苦難から解き放って下さい」とある。原文通りだと「苦難の中に余地を作って下さった」である。余地とは、私なりの言葉で言えば『立つ瀬』である。自分自身の犯してきた週去によって、にっちもさっちもいかなくなり窮地に追い込まれた彼を、神様はなおも導いて良い方向へと進ませて下さった。それが立つ瀬なのである。
ダビデが書いたとされる詩編だけではなく、旧約聖書全体に、神様の慈しみという栄養が満ちている。そして、その栄養によって、何よりも花咲き結実したのがイエス様だと言ってよい。過日ユダヤ人の社会心理学者のエーリッヒ・フロムの『旧約聖書の中心主題は、私たちを様々なものから解放して自由にすることにある』との言葉を紹介した。これは神様の慈しみと言い換えてもよい。私たちがにっちもさっちもならない所に閉じ込められても、神様は私たちを慈しみ導き、そこから私たちを自由にして立つ瀬を下さるのである。こういう元木に私たちは接ぎ木された存在なのである。
4.このように、異邦人クリスチャンもまた私たちも、自分たちがつなげられている元木がどのようなものかということがわかってくると、そこからユダヤ人やユダヤ人クリスチャンに対する接し方、今の私たちでいえば、イスラムの人々への対応も整理できる。異邦人クリスチャンたちは感情的にユダヤ人やユダヤ人クリスチャンたちを毛嫌いするところがあった。しかし、そもそもは同じ元木につながれた存在であった。同じ元木につながれて神様の慈しみという滋養をいただき、自由という実を付ける存在であった。律法の行いにしても、それが強制でないのなら問題はないと思う。元木につながれ、自由な存在として、私たちはなお律法の行いを大事なものとして続けてゆきたいというなら、それはそれでよいのではなかろうか。しかし、異邦人にそれを強制して、それをしなければ神様の慈しみをいただけないとなれば、それに対しては、はっきりと否と言わねばならない。神様も、「元木にあわないものとなれば切り落とす」とパウロも言っている。フランスで、イスラムの人々の水着のことが問題になっているとの報道がなされた。確かに原理主義者と呼ばれる人々はそれを強制する。しかし、一般の人々は、自分たちがスカーフをし、特別な水着を着ても、それを私たちに強制しているのではない。外に現れる葉の形・花・また実は少々違うかもしれないが、神様の慈しみという元木につながる点で同じなら、そこで一致できるのである。
筑波学園教会牧師 福島 純雄
2016年 9月18日(日)聖霊降臨節第19主日礼拝
55:08わたしの思いは、あなたたちの思いと異なり
わたしの道はあなたたちの道と異なると主は言われる。
55:09天が地を高く超えているように
わたしの道は、あなたたちの道を
わたしの思いは
あなたたちの思いを、高く超えている。
55:10雨も雪も、ひとたび天から降れば
むなしく天に戻ることはない。
それは大地を潤し、芽を出させ、生い茂らせ
種蒔く人には種を与え
食べる人には糧を与える。
55:11そのように、わたしの口から出るわたしの言葉も
むなしくは、わたしのもとに戻らない。
それはわたしの望むことを成し遂げ
わたしが与えた使命を必ず果たす。
説教要旨 掲載準備中
筑波学園教会牧師 福島 純雄
2016年 9月11日(日)聖霊降臨節第18主日礼拝
21:29それから、イエスはたとえを話された。「いちじくの木や、ほかのすべての木を見なさい。 21:30葉が出始めると、それを見て、既に夏の近づいたことがおのずと分かる。 21:31それと同じように、あなたがたは、これらのことが起こるのを見たら、神の国が近づいていると悟りなさい。 21:32はっきり言っておく。すべてのことが起こるまでは、この時代は決して滅びない。 21:33天地は滅びるが、わたしの言葉は決して滅びない。」 21:34「放縦や深酒や生活の煩いで、心が鈍くならないように注意しなさい。さもないと、その日が不意に罠のようにあなたがたを襲うことになる。 21:35その日は、地の表のあらゆる所に住む人々すべてに襲いかかるからである。 21:36しかし、あなたがたは、起ころうとしているこれらすべてのことから逃れて、人の子の前に立つことができるように、いつも目を覚まして祈りなさい。」
1.イエス様が、この世の終わりの兆しと思われるような出来事が次々と起こることを預言された箇所である。「小黙示録」と呼ばれており、神学的な難問が幾つも生じてくる箇所である。
その難問をあげていったら切りがないが、最大の難問は、27節以下「そのとき人の子が・・・というイエス様の言葉である。36節にも「人の子」とあるが、これはイエス様が自分をしばしばこの言葉で表現した。イスラエルの人々の信仰においては、長い歴史を持っている独特の呼び方である。ここは、イエス様がエルサレムの崩壊に始まり様々な出来事が起きた後で、再び地上にやってくる(再臨する)ことを預言したと取れる。ところが、それは文字通りには実現しなかった。エルサレム神殿の崩壊に始まり、その後のいろいろな災いは、確かに起きたが、イエス様の再臨は、起きてはいなかったのである。これをどうとらえたらよいのか。果たして、イエス様の預言が間違っていたのかという、非常に深刻な問題が生じてくるのである。
この離問を回避すべく、この「人の子」うんぬんの言葉だけではなく、この小黙示録と呼ばれる部分の多くは、そもそもイエス様自身が語られたものではなく、勿論根幹にはイエス様の言葉があるとしても、エルサレム崩壊以後の出来事に遭遇した人々が、もともとのイエス様の言葉に、多くを付加したものだとの解釈がある。人の子の再臨の預言も、当時の人々が早くイエス様に再臨してほしいとの願いのもとにフィクションでイエス様の口にのぼらせたものだと解釈されるのである。
2.このように、これまでの神学の歴史の中で提示された問題を一つ一つ取り上げていたら切りがない。しかし、どうしても私たちが真正面から直面せざるを得ない問いは、今の私たちに一体何を語りかけているのかということである。私自身の信仰にとっては、じつは、終末がやってくるという事柄はとても影が薄い。イエス様の再臨という希望が、大きな位置を占めているとは言いがたいのである。それは私だけではないだろうと思う。そういう私たちにとって、どんな励ましをいただくことができるのか。この問いに対しては、どうしても私たちなりの答えを出さなくてはならないと思うのである。
そこで、今の私たちにとって、どのように希望であり励ましであるのかを考えることを一旦脇に置いて、紀元1世紀の人々にとっていかなる希望が与えられたかという点に想像をはせたいと思う。それがわかれば、今の私たちに重なってくるところもあるかもしれない。
紀元1世紀の初代のクリスチャンたちが遭遇した決定的な出来事は、紀元70年に、エルサレムがローマ軍によって包囲され滅亡してしまったことである。その時代の歴史家であったヨセフスによれば、天然の要塞であったエルサレムに逃げ込んで、結果的に死んでしまったユダヤ人は、何と110万人にも及んだそうである。さらには、生き残った10万人近い人々が捕虜とされ、ローマの奴隷となったそうである。クリスチャンとなった人々のほとんどは、近親者や友人がこの戦争の犠牲者であり、また奴隷とされた者がいたに違いない。彼らが何よりも感じたことは、イエス様の言葉が、その通り実現したということだったと思う。この小黙示録の、どこまでがイエス様の言葉であったかは定かではないが、イエス様がエルサレムの崩壊を預言されたことは確かであろう。20節から24節までは、エルサレムの滅亡のありさまが語られたところであるが、ここに書かれていることの根幹を、イエス様の言葉は確かだと思う。そしてその後にも、天変地異が起こり(たとえば、ポンぺイがべスビオス火山の噴火によって廃墟と化したのは。確か紀元1世紀の出来事であった)、25節のように「諸国の民はなすすべもなく不安に陥る」ことが多発していったのである。そういう出来事を、紀元1世紀のクリスチャンたちは、イエス様の言葉を思い起こし、それによって受け止め、そこから励ましを受け、生きる支えを得たに違いないのである。34節にあるように、放蕩や深酒や生活の煩いにより生きる心がなえてゆくことから逃れたに違いない。
3.では、どういう励ましや支えを得たのか。イエス様の言葉を思い起こすことによって得たであろう第一の支えは、苦しみの向こうに何らかの喜びがあるということだと思う。この一連の言葉の根幹にイエス様自身が語った言葉があったのは否定はできないと思う。そして、このイエス様の言葉の全体を貫いているのは、苦しみであり、災いの向こうに何らかの喜びのときが待っているということだと私には読み取れ。そういうイエス様の言葉が全くないのに、紀元1世紀のクリスチャンたちが、自分たちの勝手な思いつきでこうした言葉を捏造したとは考えにくい。イエス様の言葉がなければ、励ましを得ることはできない。エルサレムの崩壊も、天変地異も、その言葉通りになったのである。そうであれば、再臨そのものは未だ実現はしていないとしても、苦しみの向こうに何らかの喜びが用意されているというイエス様の言葉もまた真実に違いないと思えたのであ。そこから生きる支えを得たのである。
私たちが、聖書の言葉からいただく励ましや支えもそこにある。私たちは、紀元1世紀の人々が味わったエルサレム崩壊や天変地異のようなことは、経験することはない。しかし、23節以下に「この地には大きな苦しみがあり、人々は剣の刃に倒れ捕虜となって・・・連れてゆかれる」とある。諸国の民は、なすすべもなく不安に陷ったのは同じである。このような私たちに、イエス様の言葉は語りかけて下さるのである。「苦しみは決して苦しみだけで終わるものではない」と。「神様は決して苦しみだけで終わりという御業をなさることはない」と。マタイによる福音書とマルコによる福音書には「産みの苦しみ」という言葉がある(マ夕イによる福音書24:8、マルコによる福音書13:8)。苦しみの向こうには新たな何かが産まれるという喜びがある。
33節の最後に「わたしの言葉は決して滅びない」というイエス様の言葉がある。イエス様の言葉に約束されている神様の御業は、決して滅びることがない。これは終末という事柄を抜きにしても、神様のなさる御業すべてにあてはまることとして私たちに語りかけられている言葉であり、私たちを励ます言葉なのである。
4.イエス様の言葉から紀元1世紀のクリスチャンたちが得たであろう第2の支えは、何が滅び何が滅びないものなのかを区別するものである。32節に記されたイエス様の言葉は、よくわからないところもあるが、突き詰めれば、いつかは滅びるものといつまでも滅びないものとが二分されているのだと思う。滅びないものは、「わたしの言葉」であ。それは、直接的にイエス様の言葉だけではなく、神様の御業や御心をも含んでいる。これに対して、天地は滅びるとされる。また「すべてのことが起きるまでは、この時代は決して滅びない」とあるが、滅びるか滅びないかで二分するなら、滅びないと言われているのはあくまで条件付きであって、すべてのことが起きる中では、この時代もいつかは滅びてゆくとされている。この時代とは、どういう時代かといえば、それは23節以下で語られていた苦しみに満ちた時代のことだと思う。神様によって造られた被造物の世界は、いつかは滅んでゆくのである。どんなに苦しみに満ちた時代であっても、いつかは過ぎ行くのである。しかしイエス様の言葉、また神様の御業は滅びることがないのである。こうしたイエス様の言葉によって、目の前の現実を滅びるもの過ぎ行くものと、そうでないものとに区別してゆくのである。それをきちんと賢く分別することから、放蕩や生活の煩いから解放され生きる心が鈍くなることから救われるのである。
エルサレムの崩壊から始まって、次々と起こった災いに直面したとき、人々はそれをどう受け止めたであろうか。ある人は「いつまでもこの苦しみの時代が続く」と思ってしまったかもしない。それによって良いものや意義あるものはすべて滅ぶ・終わりなのだと思ったに違いない。いつまでも苦しみだけが続き、それによって良いものや喜びがすべて破壊されてしまうなら、そういう時代の中で生きてゆく気力は失われてしまう。それが放蕩であり深酒として現れる。他方、ある人々は、「いやこんな時代はすぐに終わるんだ。すぐに解放の時が、イエス様の再臨の時が来るのだ。」と言って、現実から目をそむけ逃避した生括へと陥ってしまったのではないであろうか。
今日の私たちも同じだと思う。私たちの決定的な問題は滅びるべきものとそうでないものとを区別できない点にあると思う。天地にしてもこの時代にしても、また自分自身という存在も、どんなにいとおしいものであっても、それは突き詰めれば滅びるものに属する。それなのに、いつまでも滅んでほしくないと願う。いつまでも滅びないかのように考え生きようとし、そこに希望を置いてしまう。滅び、過ぎ行くものなのに、それが滅びないと願って偽りの希望を抱いているゆえに、希望を失うのである。そして自暴自棄になるのである。放蕩に陥り生きる心を失う。その反対に、滅びないものがあるということもわからない。そこに本当の希望を置くことができないのである。
そういう私たちに対して、イエス様はまずはっきりと、私たちは天地も含めてすべては滅んでゆくものなのだとはっきりと語って下さったのである。だとすれば、そのことにおいて、苦しみがなくなることはないのである。「この時代は決して滅びない」とは、改めて「この世で生きる限り、その時代・時においては苦しみがなくなることはない」との意味だと示される。しかし、いつかはこの時代は過ぎ去るのである。従って、苦しみもいつかはなくなるのである。いつまでも続くものではない。そして何よりも、苦しみの向こうには、何らかの喜びが待っているのである。産みの苦しみなのである。苦しみには意義がある。苦しみの時代がそうたやすくは終わらないのであれば、私たちのなすべきことは、助け合うことではなかろうか。産みの苦しみの中にある妊婦を、周囲の者が自ずと助けるように、お互いを産みの苦しみの中にある者同士として励ましあわねばならない。
詩編の最初の言葉は「いかに幸いなことか」と始まる。幸いなのは、神様の教えを愛しそれを昼も夜も口ずさむ人だというのである。主の教えとは、「決して滅びることのない神の御業」である。神様の御業に参与する人は、流れのほとりに植えられた木のように青々と茂っていると詩編は語っている。荒れ地の中で周りの木々はみんな枯れているのに、ある木だけは青々と茂っているイメージを抱く。なぜその木だけが青々と茂っているのか。それは、地表には見えないが、地下深くを際々と流れている水の流れに根を張っているからなのである。決して滅びない神様の御業に参与している者はこのように枯れることがない。決して滅びない神様の御業とは、苦しみはいつかは終わり、その向こうに喜びが待っているということである。そのような御業が脈々と流れている。私たちも、その流れに根を張って生きたい。
筑波学園教会牧師 福島 純雄
2016年 9月4日(日)聖霊降臨節第17主日礼拝
20:01神はこれらすべての言葉を告げられた。 20:02「わたしは主、あなたの神、あなたをエジプトの国、奴隷の家から導き出した神である。
1 筑波学園教会の教会学校では、夏休み後の9月最初の主日を「振起日」と呼んでいる。この日は、ここ数年、教会学校の子どもたちと大人が、一緒に礼拝を棒げる合同礼拝の日とさせていただいている。今、教会学校のテキストは、教会にとっての三要文(さんようもん:3つの重要な文章)と言われる「主の祈り」「使徒信条」「十戒」を学ぶカリキャラムである。
「主の祈り」「使徒信条」「十戒」は、三要文と呼ばれるが、私たちの信仰生活におけるこれらの位置づけは、随分違っている。最初の二つは、私たちの教会でも、礼拝の中に組み込まれていて、なじみ深いが、十戒はそうではない。十戒の、私たちの信仰生活における位置が低い理由というか、軽んじられている理由には、いろいろあろうかと思う。その理由は、その内容が「・・してはならない」という禁止命令で占められていることではなかろうか。安息日を守ることと父母を敬うことは、禁止命令として書かれていないが、命令・強制と取れる点は同じである。この禁止・命令・強制ということが、私たちの信仰になじまないと、私たちに感じさせるためではなかろうか。もう一点は、とくに私たちが日本人であることが要因かもしれない。「あなたはわたしをおいてほかに神があってはならない。いかなる像も造つてはならない」という戒めは、もちろん私たちキリスト教徒にとっては、何よりも大事な点であるとは分かっていても、八百(やお)万(よろず)の神々を像に刻んで拝んできた長い歴史を持つ私たち日本人にとっては、どこかで抵抗を覚える部分があるのではなかろうか。また、「ただひとりの神のみを信じ礼拝する」ということこそが、今日の宗教上の争いや、他宗教への不寛容を生じさせているのではないかという疑間もある。
2 さて、「十戒とは、突き詰めれば命令や強制ではないか」「それは私たちの信仰にはなじまないように感じる」に関して私たちは、「いや、そもそもそも十戒は、決して命令や強制ではないのだ」ということを、5月の礼拝で学んだ。伝統的に私たちのキリスト教では、十戒の第1の戒めは、3節からはじまると捉えている。しかしユダヤ教では、2節こそが十戒の始まりだと理解している。それは、本当にふさわしく、正しい理解だと私は思うのである。2節こそが、十戒の要であり、土台をなしている部分である。この土台の上にこそ、それにふさわしい10本の柱というものが建てられてゆくのである。
では、この2節で何が語られているかというと、そこには命令も強制もない。「わたしは・・神である」と。これは神様が一体どういう存在かについての神様自身による自己紹介である。「導き出した」と週去形で訳されているが、ここに込められたニュアンスは、決して出エジプトにおけるただ1回限りのことを言っているのではない。そうではなく、これからもずっと、なされ続ける行爲を意味しているのである。「もしも、あながたがエジプトの国のような場所で、またどこかの家で、奴隷とされてしまうような状態に陥ったならば、あなたがたの主であり神である私は、必ずそこから導き出し、救い出さずにはいない。そういう存在があなたがの主であり神なのだ。こういう存在がいることを、この言葉によって聞きなさい。そしてそれに応答しなさい」という語りかけなのである。
5月の礼拝で私はは、これは神様からの私たちへの熱烈なプロポーズのようなものだとお話しした。今日、改めて私は、これはおおよそ、私たちを奴隷にしようとする一切の存在への宣戦布告と言ってもよいと思ったのである。それほどに私たちを奴隷状態としようとしたエジプトの国は強かったのである。また家というものもしかりである。そうしたものたちへの宣戦布告なのだから、それは、どうしても強い口調にならざるを得ないと思うのである。
エーリッヒ・フロムという有名なユダヤ人の社会心理学者の書いた『ユダヤ教の人間観一旧約聖書を読む』という本を読み、また新たな発見があった。解説によれば、彼はユダヤ人として26歳頃までは熱心なユダヤ教徒として生活していたそうである。しかし「宗教的なものであれ政治的なものであれ、とにかく人間を分裂させるようなものには加担したくない」という理由から彼は、信仰生活そのものからは、離れてしまったという。しかし彼の著作から、人間を分断してしまう偽りの宗教や偽りの神は拒否したとしても、人間を分断することは決してない「真の神」によって、究極的で根源的な存在によって、深く捕らえられてしまった者ならではの思いがほとばしっているのを感じた。
彼は、旧約聖書を次の様に評した。彼は、「旧約聖書はまさに革命的な書物である。その中心主題は、血と地につながれた近親相姦的紐帯(ちゅうたい)から人間を解放し、また偶像礼拝、奴隷制、権力などからも人間を解放して、個人と民族とそして人類全体に自由を得させることにある。たぶん今日我々は、過去のどの時代にもまさってヘブライ聖書をよりよく理解できるであろう(11ページ)」と書いている。私は大学時代に彼の「自由からの逃走」という有名な本を授業で学んだ。フロムは、社会心理学者として、何よりも人間から自由を奪い不自由にする要因を研究した人だと思う。そして、それを彼に研究せしめた根源には、このような旧約望書の中心主題がある。そしてまた、この旧約聖書の中心主題は、何よりもこの十戒の最初で言われているものなのである。
3 私はこの2節の中に、おおよそ私たちを奴隷として、がんじがらめにしてしまうものが明らかにされていると改めて示された。フロムはそれを「血と地につながれた近親相姦的紐帯」と言った。それを「エジプトの国」「家」という言葉で言われているのではなかろうか。国はまさに民族的な血と領土という土地によって私たちを縛るものである。「家」も国よりは、ずっとエリアが小さいが、血のつながりとそのつながりの積み重ねが長い間保有してきた土地・財産によって、私たちを縛るものである。
なお、同じ血のつながりとして、「父母を敬え」と十戒は教えている。神様は、決してすべての血のつながりに対して宣戦布告しておられない。家という血のつながりは宣戦布告の対象だが、父母はそうではない。両者の違いは何か。2節に「導き出した」とあるが、私たちは父母を敬いつつも父母のもとを離れる。おのずから父母のもとを離れてゆくようになる。私たちをそのように離れさせてゆかせるもの・旅立たせるものは、導き出す神様の味方なのである。しかし、離れさせないもの・旅立たせないもの・自由にさせないもの・縛るものは、神様の宣戦布告の対象なのだと思う。長い間の血の積み重ねによって土地・財産を保有している家は、私たちをそこに縛り付ける。旅立たせない。私たちを家の存続のために利用するのである。もちろん父母もそういう存在になる場合もある。国も突き詰めればそうである。
しかし、それ以上に、実は私たちを搏るものがあると今回、改めて思った。それは、2節には、言葉としてははっきりとは書かれていないが、「わたしは主、あなたの神。・・・導き出した」という言葉から、その反対として示されるものである。神様は「わたしが主だ」と言われたが、それに反して私たちの主であろうとする存在がある。国も家もそういう意味では主になろうとする存在である。しかし、国や家以上に、しばしば主になろうとするのは、他でもない私たち自身である。私を誰よりも導き出させない存在・縛る存在は、私自身なのである。そして、私の周囲にいる人々も、しばしば主になろうとするのである。
いじめにあい、どうして自ら命を絶つのか。それは、いじめる者が主・神になっているからにほかならない。また、いじめられて、もうだめだと思う「わたし」が主になっているからである。いじめられ、どうしょうもない状態に陷っている若者を、そこから導き出してくれる存在がない。今の時代こそ、私たちを奴隷の状態に縛ろうとする主・神が多いと思わずにいられない。私たちは、そうしたものたちに取り囲まれているのである。
4 そうであればこそ、神様が私たちを奴隷とする存在に対して戦って下さる事が大きな励ましなのである。十戒は、「私はこうした存在に宣戦布告をして、あなたがたに自由を得させようとするのだから、あなたがたもこの戦いに参戦せよ」との呼びかけなのである。私たちが、血と地に留まり続け、自分自身や周囲の人々の奴隷として留まりたいのなら、別にこの戦いに加わる必要はない。しかし、もしも奴隷とされるのが嫌であるのなら、この神様の戦いに参戦しないわけにはゆかない。10の項目は、言葉としては禁止命令や強制の形で訳されているが、その意味するところの根本は、私たちがこの戦いに参戦する上での必須不可欠な武器なのだと言ってよいのである。参戦したのなら、どうして神様が供与してくださるこの10の武器を取らないはずがあろうか。必ず取るだろう。必然的にそうせざるを得ないだろうというニュアンスが、翻訳としては命令や強制の形を取るのである。
しばしば私が用いる比喩で言えば、医者に助けられて私たちが病いと戦うということを考えてもよい。医者の助けはあるが、病気と闘うのはそもそも私たちである。そのために医者が私たちに与えてくれる武器として、薬や生活の具体的な処方箋がある。十戒とは、薬であり生活の具体的な処方箋なのである。これを用いて、私たちを奴隷にしようとする諸力に立ち向かう。そして、その武器・薬として最初にあげられているものが「ただ私のみを神とせよ」との言葉である。
八百万(やおよろず)の神々を像に刻んで拝んできた私たちは、「『ただひとりの神のみを神とせよ』とは、何とふところが狭いではないか」ときっとどこかで感じてしまう。しかし、神様がこの武器・薬を下さるのには、それなりの理由がある。私たちは、いともたやすく何でも神々にしてしまう。そうすることで私たちは、本当にいろいろなものにあやつられてしまうのである。石でも木でも軍人でもすぐに神にしてしまうのは、一方では確かに信仰深いとも言えるが、他方では、だからこそたやすく神にしたものにあやつられ奴隷にされてしまうのである。いともたやすく人間が、障害が、病気が神になり主人になってしまう。だから、それと戦うために、神様は「わたしのみを神とする」という武器をお授けになるのである。「安息日を守って神様を札拝しなさい。父母を初めとする周囲の人々との関係をふさわしいものにしなさい。そうすればあなたがたが奴隷になることはない。」この言葉は、今の時代にこそ、最も大事な武器なのだと思う。
筑波学園教会牧師 福島 純雄
2016年 8月28日(日)聖霊降臨節第16主日礼拝
12:54イエスはまた群衆にも言われた。「あなたがたは、雲が西に出るのを見るとすぐに、『にわか雨になる』と言う。実際そのとおりになる。 12:55また、南風が吹いているのを見ると、『暑くなる』と言う。事実そうなる。 12:56偽善者よ、このように空や地の模様を見分けることは知っているのに、どうして今の時を見分けることを知らないのか。」 12:57「あなたがたは、何が正しいかを、どうして自分で判断しないのか。 12:58あなたを訴える人と一緒に役人のところに行くときには、途中でその人と仲直りするように努めなさい。さもないと、その人はあなたを裁判官のもとに連れて行き、裁判官は看守に引き渡し、看守は牢に投げ込む。 12:59言っておくが、最後の一レプトンを返すまで、決してそこから出ることはできない。」 13:01ちょうどそのとき、何人かの人が来て、ピラトがガリラヤ人の血を彼らのいけにえに混ぜたことをイエスに告げた。 13:02イエスはお答えになった。「そのガリラヤ人たちがそのような災難に遭ったのは、ほかのどのガリラヤ人よりも罪深い者だったからだと思うのか。 13:03決してそうではない。言っておくが、あなたがたも悔い改めなければ、皆同じように滅びる。 13:04また、シロアムの塔が倒れて死んだあの十八人は、エルサレムに住んでいたほかのどの人々よりも、罪深い者だったと思うのか。 13:05決してそうではない。言っておくが、あなたがたも悔い改めなければ、皆同じように滅びる。」 13:06そして、イエスは次のたとえを話された。「ある人がぶどう園にいちじくの木を植えておき、実を探しに来たが見つからなかった。 13:07そこで、園丁に言った。『もう三年もの間、このいちじくの木に実を探しに来ているのに、見つけたためしがない。だから切り倒せ。なぜ、土地をふさがせておくのか。』 13:08園丁は答えた。『御主人様、今年もこのままにしておいてください。木の周りを掘って、肥やしをやってみます。 13:09そうすれば、来年は実がなるかもしれません。もしそれでもだめなら、切り倒してください。』」
奨励要旨の掲載予定はありません
「声なき者の友」の輪 スタッフ 柳沢 美登里
2016年 8月21日(日)聖霊降臨節第15主日礼拝
06:09だから、こう祈りなさい。『天におられるわたしたちの父よ、御名が崇められますように。 06:10御国が来ますように。御心が行われますように、天におけるように地の上にも。 06:11わたしたちに必要な糧を今日与えてください。 06:12わたしたちの負い目を赦してください、わたしたちも自分に負い目のある人を赦しましたように。 06:13わたしたちを誘惑に遭わせず、悪い者から救ってください。』
イエス様が教えてくださった祈りである。ここで語られた「御国」とは、「神の御国」のことである。イエス様は、地の上でも「神の御国」が来るように祈るようにと教えたのであった。では「神の御国」とは何であろうか? この理解なしには、祈ることは不可能なのである。
「日本」とは何かを考え、それを「御国」と対比させると理解を助けてくれるかもしれない。多くの人は「日本」とは領土であると考え、北海道・本州・四国・九州・沖縄と定義する。しかし「日本」とは、地理的なものではなく、日本の主権が及ぶ範囲のことなのである。それと同様に、「神の御国」とは、神様の主権が及ぶ領域のことなのである。もし、あなたの住むところに100%神様の主権が及び、100%神様のみ心がなされるなら、あなたの住むところにに神様の御国は実現するのである。この筑波学園教会は、つくば市に「神の御国」をもたらすために立てられた「神の国」の大使館と言ってよい。そしてこの教会に集められている神の民ひとりひとりは「神の国の大使」なのである。キリストの大使たちの内に100%神様のみ心が実現され、「神の国」の大使館であるこの教会の内に100%神様の主権が及べば、それはなんと素晴らしいことであろうか。であるから、イエス様は、「御国が来ますように」と祈るようにと勧めているのである。
日本社会はどうであろうか? 残念ながら100%神様の主権が及び、神様のみ心が行われる状態から程遠い現実が、そこにはある。日本社会の“砂漠化”は、目に余るものがある。、ギャロップ調査が明らかにしているように、日本人の85%が「生きる意味が分からない」と答えている。15歳の30%が孤独であると答えており、それは2位のアイスランドの3倍でとのことである。100万人以上が引きこもり、15歳~29歳の82.9%が「将来に夢が持てない」と答えている。しかも長い間、自殺者の数は年間3万人という事態が続いてきている。
この砂漠のような日本社会ではあるが、このような日本においても「神の御国」が実現し、砂漠が森になることがあるのであろうか? イエス様が「御国が来ますように。御心が行われますように、天におけるように地の上にも」と祈るようにと言われたということは、神様は、この地上に神の御国が実現することを願っておられ、神の民がそのために用いられると、私は信じたい。
私たちの信じる主は、「わたしは不毛の高原に大河を開き、谷あいの野に泉を湧き出させる。荒れ野を湖とし、乾いた地を水の源とする。荒れ野に杉やアカシヤを、ミルトスやオリーブの木を植え、荒れ地に糸杉、樅、つげの木を共に茂らせる。(イザヤ書 41章18~19節)」と語られた。“砂漠を森に変える”のは、神様ご自身がなさることである。砂漠を森に変えるという、この主の働きに、神の民ひとりひとりが参加することを神様は願っておられる。
「もしわたしの名をもって呼ばれているわたしの民が、ひざまずいて祈り、わたしの顔を求め、 悪の道を捨てて立ち帰るなら、わたしは天から耳を傾け、罪を赦し、彼らの大地をいやす。(歴代誌下 7章14節)」ソロモン王が神殿を完成させた夜に、主がソロモンに語った言葉である。
このみ言葉に出会うまで、私は、大地が病んでいるのは政治家のせい、社会システムが悪いせいだと考えていたが、このみ言葉に出会った時、目が開かれる思いがした。病む大地をいやす責任と特権は「主の名をもって呼ばれている神の民」にあると気づかされた。現代社会において「主の名をもって呼ばれている神の民」とは、私たちキリスト者であり、教会である。神の民である私たちがひざまずいて祈り、主の顔を求め、悪の道を捨てて、立ちかえることが期待されている。神様は、私たちひとりひとりは、砂漠のような病む世界をいやすために、神様が蒔いたユニークな「小さな愛のからし種」なのである。
「砂漠は生きている」という映画は、今から60年以上も前に制作されたものである。初の総天然色映画ということで、私は、小学校時代に映画鑑賞に連れて行ってもらった。いまでも、この映画の最後のシーンが私の脳裏に焼きついている。滅多に雨の降らない砂漠に、大雨が降るシーンであった。すると数日後、砂漠一面に「花畑」が出現したのである。砂漠に起こる奇跡といえよう。なぜ、このようなことが起こるのであろうか? そう、種が地中で生きていたからなのである。種は、何ヶ月も、砂漠の土の下で、雨を待ち続けていたのだった。大雨がもたらした水を吸い込んだ種は、一斉に芽を出し、一斉に花を咲かせたのである。毎年砂漠で繰り返されている見事な光景とのことである。
「神の国(共に喜ぶ社会)」は「からし種」のようなものであるとイエスは言われた。直径が0.5ミリにもならない小さなからし種が、生長すると、どの野菜よりも大きくなり、空の鳥が来て、その枝に巣を作るほどの木になるという。実際にからし種を栽培しておられる方から、育つ様子の写真をいただいた。実際に、大きな樹になるのである。
“からし種”というのは、私たちひとりひとりなのである。「神の御国」を実現させるために神様ご自身が、家庭に、学校に、職場に蒔いてくださっている種である。エフェソの信徒への手紙の2章10節に記されているように、「わたしたちは神に造られたもの(神の作品)であり、しかも、神が前もって準備してくださった善い業のために、キリスト・イエスにおいて造られたからです。わたしたちは、その善い業を行って歩むのです。」「神の作品」としての私たちひとりひとりが“からし種”として善い業に生きるなら、神様が神様のタイミングで、砂漠を森になさるのである。
私たち神の民は、神様によって蒔かれた「からし種」として生きることが期待されている。「からし種」として生きるための、三つの秘訣がある。
1)砂漠は森になると信じること(信仰)
2) 土の下に蒔かれた種に徹する(隠れた善い業)
3)時間・才能・お金を人のために使い、主の証し人として生きる(犠牲)
神の民に期待されていることは、イエス様の心に生きることである。イエス様は、99匹の羊を残してでも1匹の失われた羊を探して助けるとおっしゃった。キリスト者ひとりひとりが、社会の片隅に置かれて、声に出したくても出せずに苦しんでいる方々の友になることが期待されている。
「声なき者の友」の輪(FVI)は、このような生き方をしようと決断したキリスト者を「からし種エイジェント」と呼び、日本中で、そして世界中で、「声なき者の友」となる人々のネットワークを築くことを目指している。皆さまも、個人として、また教会として、この砂漠を森に変える主の業に参加するネットワークに、ぜひ加わっていただきたいと願っている。
「声なき者の友」の輪 代表 神田 英輔 牧師
2016年 8月14日(日)聖霊降臨節第14主日礼拝
10:14ところで、信じたことのない方を、どうして呼び求められよう。聞いたことのない方を、どうして信じられよう。また、宣べ伝える人がなければ、どうして聞くことができよう。 10:15遣わされないで、どうして宣べ伝えることができよう。「良い知らせを伝える者の足は、なんと美しいことか」と書いてあるとおりです。 10:16しかし、すべての人が福音に従ったのではありません。イザヤは、「主よ、だれがわたしたちから聞いたことを信じましたか」と言っています。 10:17実に、信仰は聞くことにより、しかも、キリストの言葉を聞くことによって始まるのです。 10:18それでは、尋ねよう。彼らは聞いたことがなかったのだろうか。もちろん聞いたのです。「その声は全地に響き渡り、その言葉は世界の果てにまで及ぶ」のです。 10:19それでは、尋ねよう。イスラエルは分からなかったのだろうか。このことについては、まずモーセが、「わたしは、わたしの民でない者のことであなたがたにねたみを起こさせ、愚かな民のことであなたがたを怒らせよう」と言っています。 10:20イザヤも大胆に、「わたしは、わたしを探さなかった者たちに見いだされ、わたしを尋ねなかった者たちに自分を現した」と言っています。 10:21しかし、イスラエルについては、「わたしは、不従順で反抗する民に、一日中手を差し伸べた」と言っています。
1 英国の新約聖書の研究者バークレーによれば、「この箇所がローマ人への手紙の中でもっとも因難であいまいな箇所の一つであることは、すべての注解者の一致するところである」とのことである。この文章の後について、バークレーの解説を日本語で読んでも非常に離解でよくわからない。15節最後の「良い知らせを・・・なんと美しいことか」は、旧約聖書イザヤ書52章7節からの引用である。この聖書個所は、牧師の就任式の時に読まれることがある。では、一体どういう流れでパウロがこの言葉をここに引用しているかは、よくわからない。ローマの信徒への手紙の説教は、まず、パウロがどのような思いでこの言葉を語ったか、それが何を言わんとしていたのかを理解することからはじめたい。
パウロがこの手紙の9章から11章に、精魂込めて語ろうとしたのは、イエス様を信ぜず拒んでいた同胞ユダヤ人に対して、また、そうしたユダヤ人のことで、とても悩んでいたローマ教会の信者たちに対して、イエス様を信じることが、いかに神様の御心にかなっているかということであった。10章4節には、それについての結論としての言葉「キリストは律法の目標であります。信じる者すべてに義をもたらすために」が、書かれている。
神様の永通に変わることのない御心は、信じる者すべてに義をもたらす。パウロはまずこう語ったのだった。神様から義をもたらされるということは、神様との特別な結び付きの中に置かれ、神様に導いていただける者となることである。
私達は、この世に生きる者として、この世のいろいろな力あるものによって引っ張られている存在である。それは、イスラエス人のことで言えば、エジプトで、王様の奴隷として、そのまま理もれさせられてしまうような、またエジプトをせっかく脱出しても荒れ野をさまよって、その砂になってしまうような、あるいは祖国を滅ぼされてパビロニアの補虜とされてその状態に理もれてしまうような、そのような力に引っ張られて生きざるを得ないようなものである。私は、それはあたかも宇宙の中に、何も導くものがなく、あっと言う間に、真つ暗で冷たい宇中空間の迷子になって漂ってしまわなければならない、小さな宇宙船のようなものだと想像する。
勿論、宇宙船の中には操縦士もいるし、コンピュ一タも付いているであろう。しかしそれが、操縦士がパニックに陥ってとんでもない操作間違いをしたり、コンピュータ装置が故障したり、位置の誤認をしたり、誤ってエンジンをふかしてしまうようなこともあろうと思う。そのような時にNASAやJAXAの地上管制センターが、宇宙船を導いてくれるがゆえに、操縦士はパニックを乗り趣え、正しい軌道に戻り、目的地に向かうことができるのだと思う。
この世に生きる私達を取り卷くのは、宇宙空間に満ちているような、本当に暗い暗い力である。まかり間違えばとんでもない方向へ私達を引っ張り、私達はとんでもない形でエンジンをふかし、迷子になってしまう。この100年の間に、私達は、発展した科学技術を使って、2度もの世界大戦を引き起こし、何千万人という人々を死に至らせてしまった。また、この国では、毎日毎日70人近い人々が、間違つたエンジンをふかし自ら命を絶ってしまっている。私達にそのようなことをなさしめる悪しき力が働いていると私は思うのである。そうであればこそ、私達は、神様に導いていただくことが不可欠だと、いつも思うのである。
2 そこで、私達が神様に導いていただけるようになるための神様の御心は、「信じるものすべてに義をもたらす」ことだとパウロは示しているのである。信じることだけでよいのである。もし条件という言葉を使ってよいなら、私達が神様に導いていただくための条件は、私達がただ神様の導きというものを信じればよいだけである。信じなければ駄目なのだということである。
虫のいいことを言う人たちがいて、「そうであれば、別に信じる必要はないではないか。信じなくても、すべての人を導いてくれたらよいではないか」と。しかし、医者のところに行こうとしない人に、無理やり医者が押しかけていって、診察をするということは、まずないことである。道に迷い、ナビの案内が必要だと思えば、スイッチをいれなければならない。信じるとは、そういうことなのである。自分が病んでいると気づいて、医者のもとに行くのとおなじなのである。このままでは迷子になるとわかって、管制センターにSOSを出し、ナビのスイッチを入れるのである。そのように、神様・イエス様という医者のもとに行くこととは、ナビのスイッチを入れることなのである。
信じることは、難しいことであろうか。しかし、イエス様はよく「からし種のような信仰」とおっしゃって下さった。12年間も原因不明の出血に苦しみ、イエス様の衣の端っこに触れさえすれば治ると信じ、わらにもすがる思いでイエス様の後ろから近づいて触った女性に、イエス様は「あなたの信仰があなたを救った」と言葉をかけて下さった。信仰とは、からし種のように小さいものであってよいのである。わらにもすがる思いでイエス様に触れようとするものでよいのである。とにかく大事なことは、神様・イエス様に導いていただき、治していただこうとすることなのである。このような信仰を抱く人には、すぺて義をもたらそうとするのが神様の御心なのだとパウロはまず言うのである。
3 はるか昔にエジプトを出て荒れ野をさまよっていたイスラエス人に神様が律法をお与えになったのも、神様を信じて頼ってきた彼らに、律法の行いという、たった10の処方箋を与えて、荒れ野を行かねばならなかったにもかかわらず、神様に導かれる具体的な生活の指針が与えられたのだった。ところが、いつの間にか、これが、神様という医者のもとへ行く上での、とてつもないハードルとなってしまったのである。神様という医者のもとに行くと、律法の行いという処方箋すなわち義務を科される。それを果たさなければ、厳しいぺナルティを科されてしまう。これで人々は神様のもとに行くことができなくなってしまう。
だから神様は、イエス様を遣して下さったのである。それによって、私達が神様のもとに行き神様にSOSを出すとき、そこにハードルがないようにされたのである。イエス様を信じ、イエス様と人格的につながることそれ自体が、言わば、神様からいただく薬であり処方箋となったのである。こうしてパウロは、10章13節では「主の名を・・・だれでも救われる」と旧約聖書のある箇所を引用して結んだのである。イエス様の名前をただ呼ぶような信仰の持ち主であっても、神様はその人を救って下さると、神様の導きの下に置いて下さると締めくくったのであった。
4 このように、神様は律法の行いというハードルを撤廃して、誰でもイエス様を信じる者に義をもたらすとされたのに、一体どうして同胞ユダヤ人は、イエス様を信じなかったのか。一体どうしてその名を呼ばなかったのか。パウロは自問自答をしたのであった。14節のはじめに「ところで、信じたことのない方をどうして呼び求められよう」とあるのは、この間いに対するパウロ自身が出した答えなのだと私は思うのである。「なるほどそうか。呼び求めないのはそもそも信じることができないからなのだ」と。改めて、呼び求めない理由として「信じることができないからだ」という当然の答えに至ったのである。
ここから、パウロの思考は以下のように進んでいったのではないか、と私は推測するのである。同胞イスラエス人が、イエス様を信じるためには何が大事だったのか。いや、そもそも人がイエス様を信じるようになるためには、何が不可欠なのか。信じるということにある特徴とは、どういう点なのか。そのようなことを、パウロは考えるに至ったのではないかと推測するのである。17節までにパウロが考えていたことは、以下のようにまとめることができよう。1)人がイエス様を信じるようになるためにはまず、イエス様のこと、すなわち福音を宣べ伝える者がいなければならない。2)その人の語る言葉をもって、イエス様のこと、すなわち福音を聞かなければならない。3)その人が語り、ある人がそれを聞いたとしても、残念ながら、すぺての人が福音を受け入れ、聞き従うとは限らない。この3点である。
ここで大事なのは、イエス様のこと、すなわち福音を語るのは、神様やイエス様が直接語るのではなく、人が語るということである。イエス様を信じる人が、その人の信仰においてイエス様、すなわち福音を語り、これを人々は聞いて信じるようになる。それが神様のなさり方なのだという点である。
「牧師になって10年未満までの方々の継続研修会」という集会に教団の教師委員として陪席し、講演を聞き、また40名近い出席者の声を聞いた。私が講演で聞いたのは、私の卒業した神学校の先生の「いかにして人の語る言葉が神の言葉となるか」という主旨の話だった。講演者の先生自身が、ただの人間の語る言葉が神様の言葉として聞かれるという点に苦悩し悩んでおられたのがよくわかった。いつも思う。手っ取り早いのは、神様自身が、あるいはイエス様自身が言葉を語って、私達を信じさせることではなかろうかと。しかし、神様はそのようなやり方はなさらない。なぜなら、それでは「信じる」ことにならないからだと思うのである。イエス様は、トマスに「見ないのに信じる人は幸い」だと言われた(ヨハネによる福音書 20章29節)。信じるとは、つきつめれば、見ないのに神様を頼り、イエス様のもとに行くことなのである。
そこで、神様は、自身を語り、福言を語ることを、人にお任せになったのである。であるから必然的に、そこには、「すべての人が福音に従ったのではない」ということが起こってくる。「主よ、だれがわたしから聞いたことを信じましたか」とは、イザヤ書53章1節からの引用であるが、この言葉を引用しつつ、パウロは、人の語る言葉を聞いて信仰を抱くということが、いかに難しいことかを、難儀なことであるかを、改めて認識したのだった。そうであればこそ、語っても語っても、それを聞いて信じるに至る人が少ないという現実を受容できたのであった。それは神様の御心によるものなのであった。神様はそのようにして、「宣教という愚かな手段によって信じる者を教おうとお考えになった(コリントの信徒への手紙Ⅰ 1章21節)のである。私は、この言葉によって、大いに慰めと励ましをいただいた。皆さんも、この語りかけに励まされて、家族や友人に皆さんの言葉で、からし種のような小さな信仰ではあっても、神様のこと・イエス様のことを語ればよいのである。
いくつかの旧約聖書の言葉を引用しながら、パウロが何よりも言わんとしているのは、このようにして神様が、人の言葉を聞いて信仰を抱く者を救おうとされたことによって、思いもかけない人々が救われる者として起こされていったということを語ろうとしているのだと思う。「私の民ではない」「私を探してもいない」と思われていたような人々が、私達が語る言葉を聞いて信仰を抱くようになることがある。反対に、語っても語っても、そうならない人々もある。私達が語ることよって、だれが信仰を抱くようになるか、それは私たちの知るところではないのである。
筑波学園教会牧師 福島 純雄
2016年 8月7日(日)聖霊降臨節第13主日礼拝
21:07そこで、彼らはイエスに尋ねた。「先生、では、そのことはいつ起こるのですか。また、そのことが起こるときには、どんな徴があるのですか。」 21:08イエスは言われた。「惑わされないように気をつけなさい。わたしの名を名乗る者が大勢現れ、『わたしがそれだ』とか、『時が近づいた』とか言うが、ついて行ってはならない。 21:09戦争とか暴動のことを聞いても、おびえてはならない。こういうことがまず起こるに決まっているが、世の終わりはすぐには来ないからである。」 21:10そして更に、言われた。「民は民に、国は国に敵対して立ち上がる。 21:11そして、大きな地震があり、方々に飢饉や疫病が起こり、恐ろしい現象や著しい徴が天に現れる。 21:12しかし、これらのことがすべて起こる前に、人々はあなたがたに手を下して迫害し、会堂や牢に引き渡し、わたしの名のために王や総督の前に引っ張って行く。 21:13それはあなたがたにとって証しをする機会となる。 21:14だから、前もって弁明の準備をするまいと、心に決めなさい。 21:15どんな反対者でも、対抗も反論もできないような言葉と知恵を、わたしがあなたがたに授けるからである。 21:16あなたがたは親、兄弟、親族、友人にまで裏切られる。中には殺される者もいる。 21:17また、わたしの名のために、あなたがたはすべての人に憎まれる。 21:18しかし、あなたがたの髪の毛の一本も決してなくならない。 21:19忍耐によって、あなたがたは命をかち取りなさい。」
1 日本キリスト教団の暦では、8月の第1主日は「平和聖日」に定められている。この筑波学園教会でも、この日を平和聖日として、毎年礼拝を捧げている。
ルカによる福音書が書かれた当時の背景には、十字架に架けられる直前に、エルサレム神殿の崩壤や、様々なこの世の終わりとも感じられるような出来事が起きると預言したイエス様の言葉があった。学者たちの多くは、ルカによる福音書に書かれたすべてが、イエス様が語った言葉だとは考えてはいない。イエス様の言葉が土台にあって、それを様々な出来事をきっかけにして、後の人々が改めて思い起こし、それによって大きな励ましや支えをいただいた結果、もともとのイエス様の言葉に、人々の感想や理解が付加されて書かれたと考えられている。
では、これらを書いた人々が、改めてイエス様の言葉を思い起こすきっかけになった決定的な出来事とは何かというと、それは紀元70年に起きたローマ帝国によるエルサレム破壊だとされる。ローマによる攻撃を逃れるため、イスラエル人は、あちらこちらから不滅とされた聖都エルサレムにどんどん流入してきた。その結果、ローマ軍に包囲されたエルサレム城内で最後を遂げた人々の数は、当時のユダヤ人歴史家ヨセフスによれば、110万人にも及んだという。また、9万人を越える人々が捕虜とされたとも言われている。この凄惨な出来事の後に、このルカによる福音書が書かれたのだった。信者の中には、身内をこのエルサレム滅亡によって失った人々が多くいたに違いない。この出来事を契機として、人々はエルサレムの崩壊を預言したイエス様の言葉を思い起こしたのだった。神殿がイエス様の言葉通りに、がれきの山と化してしまった。だから、人々は「世の終わり」についての他の言葉もまた、実現するのだと受け止めたのだった。まだ、ローマ帝国全域でのクリスチャン迫害は始まってはいなかったが、ネロ皇帝による迫害、ユダヤ人によるいやがらせは数多く起きていた。戦争や疫病もくりかえし起きていた。そういう時代社会に生きていた初代のクリスチャンたちは、イエス様が語った言葉によってこそ、励まされ、支えをいただいたのであった。
今まさに世界は、「民は民に、国は国に敵対」する状況が多発している。戦争や騒乱が絶えない。そうした中で「わたしがそれだ(この世界・この国を救う指導者だ)」と豪語するリーダーが拍手喝来を受けている。2000年前の信仰者たちが置かれていた時代状況と比べれば、私たちは、ずっとずっと生きやすい状況に置かれている。しかし、当時と似通った有り様もある。こうした私達にも、2000年前の難儀な境遇に置かれた人々にイエス様が語られた言葉が語りかけられているのである。そしてその言葉は、私達にとって、大いに励ましとなるものに違いないのである。
2 さて、神殿の崩壊に始まるこうした離機な社会に置かれていた人々が、まず思い起こしたイエス様の言葉とは何であったか。それは9節後半に書かれている言葉ではないかと思う。「戦争とか暴動のことを聞いてもおびえてはならない。こういうことがまず起きるに決まっているが、世の終わりはすぐには来ないからである」とイエス様は言われたとある。
「決まっている」とはギリシャ語の原文では「デイ」という言葉である。これは専門的には「神的必然のデイ」と呼ばれる。神様の御心、神様の計画において、必然的に起こる出来事を指している。では、なぜこうしたことが神様の御心において必然的に起きねばならなかったかと言えば、「世の終わりが来る」ということと関係しているのだと、イエス様は語っているのである。これも、キリシャ語の原文から言うと「終わり」と訳されているのは「テロス」という言葉である。新約聖書には、たびたび出てくるキーワードと言える。「終わり」という意味もあるが、本来の意味は「目標」「ゴール」という意味である。なぜ神殿の崩壊に始まり、戦争や騒乱や疫病が神様の御心として必然的に起きねばならないのか。それは、神様がこの世を目標やゴールへと至らせるために、どうしても必要なことだからと考えられるのである。この世界が神様の至らせようとなさる目標やゴールへと至るためには、どうしても避けては通ることができない必然的なプロセスなのである。
これは、私達ひとりひとりのことを考えれば良くわかることである。私達が神様のみもとに召されて、復活にあずかる者となるというゴールに到達するためには、どうしてもこの世の身体や状態が、そういう意味では「崩壊」せざるを得ないのと同じことなのである。私達が願っている「平和・平安」な状態とは全く正反対に、精神的にも肉体的にも「戦争・騷乱」としか言えないプロセスを通らざるを得ないということと同じなのである。
イエス様は、現状が崩壊し、様々な意味での戦争状態が起きてゆくことを、ただ平和・平安が失われた悲惨な境遇としてではなく、神様が私達を本来の目標・ゴールに到達させて下さるために、どうしても通らなければならないプロセスとして受け止めるようにと話りかけられたのである。それは、紀元1世紀の信徒たちにとっても、私達にとっても、本当に支えとなり励ましとなる。平和や平安といったことは、私達にとっては、突き詰めれば、とにかく現状維持ということになろう。それなのに、神殿をはじめとして現状がどんどん崩れてゆき、戦争や疫病や地震などが続き、また私達ひとりひとりの身体や心においても現状がどんどん壊れてゆくということが起こってくると、私達はただただおびえるしかなく、世界にしてもまた自分自身にしても、「一体どうなってしまうのか、このまま終わりを迎えてしまうのではないか」と心配してしまうのである。
そこにこそイエス様の「まだ終わりではない」との言葉が響いてくるのである。この言葉には、二重の意味が込められていると感じる。「こうした難儀な状態によって世界は終わるのではない」、「こうした悲惨な状況がこの世界の終わりとなるのではないから安心しなさい」という意味がまずそこにはある。しかし、それだけではなく、テロスという原語の本来の意味から、こういう悲惨な状況が、神様のゴール・目標ではないのである。確かに様々なものが崩壊し、そういった意味では、終わってしまうのかもしれない。しかし、その終わりが本来の終わり・ゴール・目標ではなく、終わりの向こうに、すばらしいゴールが待っているのである。終わりの悲惨さは、その向こうにあるすばらしいゴールへとつながっているのだとイエス様は言っているのである。
3 さて、イエス様は、神殿の崩壊をはじめとする様々な事柄の終わりが、一体どのようなすばらしいゴールへとつながっているのかについては何も語っていない。しかし、目標へ到達するためのプロセスとして、こうしたものが崩壊し、終わってゆかざるを得ないということを、逆から言えば、その道筋の向こうにゴールとして用意されている状態が何かということもわかってくるのである。
イエス様は、まずエルサレム神殿が崩壊すると言われた。それには聖なる都とされたエルサレムの崩壊も含まれていたであろう。イスラエルの人々は、神様を礼拝し、神様とつながるには、見事な石や華麗な装飾物で飾られた神殿が不可欠であると信じていた。また、この世で生きてゆく上でのよりどころは、エルサレムという都をもった国家が不可欠だと信じていた。しかしイエス様は、こうしたものが崩壊すると言われたのだった。私達が本来のゴールに至るためには、神殿や都うあ国の崩壊が必然だということは、逆に言うと、私達が神様によって至らせていただくゴールには、もはやこのような神殿も都も国もないということになろう。
では、そのゴールの状態とは、具体的にはどういう状態なのか。それが示唆されているのが、直前の21章1~4節だと改めて思う。ある未亡人が、神様に対してほんのわずかなものを精一杯ささげた。それを豊かだとイエス様がほめて下さった。これは、私達が至るゴールの有り様を描いているように感じるのである。私達が目に見える豊かさや多さによって生きるのではなく、わずか銅貨2枚を神様に捧げることにおける豊かさによって生きるというあり方がゴールに至った私達のあり方、崩壊せずにいつまでも残るあり方だと言われているのである。
10節の最後には「民は民に、国は国に敵対し」とある。これは、神殿やエルサレムの崩壊ではないが、敵対が繰り返されてゆくことで、いずれはもはや敵対することなどできないほどに民や国が疲弊し崩壊するということが暗に言われているのではなかろうか。こうして民や国が、いずれ崩壊するものとしてあげられているということは、逆に言えば、ゴールにはもはや民族とか国家とか領土などどいうものではないということになる。
私達は、戦争が絶えない現実に嘆き、それはなぜかと問う。そして、いかにして戦争はなくなるのか、平和は来るかと問う。8節にあげられている指導者とは、いかにして平和をもたらすか、いかにして平和を維持するかという口実で、民族や国家こそが絶対的なものだと私達を煽って、ことさら戦争へと駆り立てる存在なのである。これに対してイエス様の言葉は、この世から私達の力で「民が民に、国が国に敵対する」といったことをなくすことはできないと言っている。私達は、この世において、どうしても民族や国家に頼ってしまう。それが平和だと思ってしまう。しかし、そこに頼る限り戦争は絶えないのである。したがって私達は、戦争をなくすことはできない。避けることができないのである。しかしその果てに、神様は私達を民族も国家も領土もない世界へ招き人れて下さる。たとえ戦争がいかなる災いを私達にもたらし、終わりをもたらしたとしても、それが本当の終わりではない。神様が来たらせて下さるテロスがある。そこに希望がある。
4 私達信仰者は、このようなイエス様の言葉によって、神殿の崩壊や民族や国家の敵対というものを、以上のように捉える。それは周囲の人々とは全く対照的な捉え方だろうと思う。人々は神殿や都や民族や国家というものを平和のために絶対的に必要なものと考える。しかし、それらが崩壊し、終わることは、悲惨でしかない。私達信仰者は、それらを自ずと崩壊するものとして、終わるものとして受け止めねばならない。その崩壊と終わりの向こうに神様が用意して下さるすばらしいゴールを望み見ることができる。私達と周囲の人々とでは、崩壊や戦争や終わりの出来事の理解が全く通うのである。
だからこそ私達には、12節以下に書かれているようなことが起こらざるを得ないのであろう。「これらのことがすべて起こる前に」の「前に」とは、文字通りの時間的な前ではなく、こうした出来事に対して「際して」という意味だと私は理解する。こういう出来事に際して、以上のような受け止め方をする私達信仰者は、迫害を受け、憎まれてしまう。特に、神殿や都や民族や国家を平和のために絶対なるものとして考え、人々をそれらを守る戦いへといざなおうとする指導者たちにとっては、私達の存在は本当に邪魔な存在となるのである。基本的に、私達信仰者とは、この世においては、このような存在であることを心に刻みたい。
筑波学園教会牧師 福島 純雄
2016年 7月31日(日)聖霊降臨節第12主日礼拝
20:45民衆が皆聞いているとき、イエスは弟子たちに言われた。 20:46「律法学者に気をつけなさい。彼らは長い衣をまとって歩き回りたがり、また、広場で挨拶されること、会堂では上席、宴会では上座に座ることを好む。 20:47そして、やもめの家を食い物にし、見せかけの長い祈りをする。このような者たちは、人一倍厳しい裁きを受けることになる。」 21:01イエスは目を上げて、金持ちたちが賽銭箱に献金を入れるのを見ておられた。 21:02そして、ある貧しいやもめがレプトン銅貨二枚を入れるのを見て、 21:03言われた。「確かに言っておくが、この貧しいやもめは、だれよりもたくさん入れた。 21:04あの金持ちたちは皆、有り余る中から献金したが、この人は、乏しい中から持っている生活費を全部入れたからである。」
1 21章1節以下は、ルカによる福音書とマルコによる福音書にしか書かれていない。福音書に記されたエピソードの中でも、最も私達の心に深く刻まれるものの一つではないかと感じる。他にも、イエス様の受難の直前の出来事として、女性が登場するエピソードに次のようなものがある。それは、なぜかこのルカによる福音書には書かれておらず、他の3つの福音書すべてには書かれている。一人の女性がとても高価な香油をすべてイエス様に注いでしまったとき、周囲にいた人々が「どうして無駄遣いするのか。なぜそれをお金に代えて貸しい人々に施さなかったのか」と非難すると、イエス様は「世界中どこでも福音が宣べ伝えられる所では、この人のしたことも記念として語り伝えられる」と言った箇所である(マタイによる福音書26章6節~、マルコによる福音書14章3節~ヨハネによる福音書12章1節~)。イエス様自身が、このエピソードはいつまでも語り継がれると言ったが、それと同じほどに、この「やもめの献金」という出来事も、私達の心にくっきりと刻み込まれる。
このエピソードのポイントは、たったレプトン鍋貨2枚しか献金できなかった一人の未亡人に対して、「だれよりも沢山入れた」と、イエス様が最大限の費辞を与えた点にある。聖書卷末の度量衡表によれば、1レプトンとは1デナリオンの1/128だったとある。1デナリオンは当時の労働者1日分の日当だとされる。たとえば、時給1000円で1日8時間働いたとすると日給は8000円、その1/128として1レプトンは、現在の貨幣価値では、ほぼ60円位になろうか。2枚でもせいぜい100円程の献金だったことになる。金持ちは、沢山の献金を捧げていた(1節)。また20章45節以下にあるように、律法学者がその豊かな学識や信仰において人々の称賛を得ていた(しかし、イエス様からはとても手厳しい批判を受けたのだったが)。それと対照的に、この未亡人の献金は誰からの称賛も受け得ないものであった。けれどもイエス様は、この未亡人を「誰よりも沢山入れた」と称賛した。原文のギリシャ語では「豊かさを入れた」というような意味である。イエス様は、金持ちや律法学者の豊かさにではなく、この貧しい未亡人の「量かさ」というものに目をとめたのだった。このイエス様のまなざしが私達にも注がれているように感じる。そこに大きな励ましをいただくのである。
2 まず感じさせられたのは、一体私達にとって、この未亡人と同じように「豊かさをささげる」とはどういう事を意味しているのかという点である。このすばらしいイエス様の言葉が、私達にとんでもない献金を要求するようなものとして読まれてしまう危険がある。イエス様が称賛されたのは「乏しい中から持っている生活費全部を」ささげる献金なのだから、私達も同じように献金をしなさいとの勧めになってしまう。しかし、イエス様言わんとされたのはそういう事ではなかったと思うのである。
「生活費」と訳されたギリシャ語はビオスという言葉である。この言葉からバイオという英語が生まれたように、もともとは「生命」という意味の言葉である。イエス様がこの女性の献金を称賛している理由は、その献金には彼女の生命が込められているということだと思う。生活費の全部がつぎ込まれているほどに彼女の生命が注がれた。そこには、彼女の血が捧げられていたのである。金持ちたちが、どんなに沢山の献金をしても、そこには彼らの生命は込められてはいなかったのである。それを棒げても何ら彼らの血は流れなかったからである。どこも痛くない献金なのであった。
私達は、生活費のすべてを献金することなど到底できない。しかし、それを棒げることにおいて生命の最も大事な部分を注ぎ込み、そこに私達が血を流しているというようなものは私達にもある。私にとっては、説教である。先日、久しぶりに「教会生活の処方箋」という辻宣道先生の本を読んだ。辻先生は教会にとって何よりも大事なものは説教だと、はっきりと書かれている。牧師に何よりも求められるものは説教だと。しかし辻先生は、説教に上手さや巧みさを求めてはいない。「真剣に御言葉にとりくみ、御言葉に生きているならそれでよいのです(同書144ページ)」と書かれている。
結果として見える形で外に現れるものが誰からも称賛されない「レプトン鋼貨2枚」のようなものでもよいということではなかろうか。何よりも大事なものは、そこに牧師の生命が込められているかどうかであろう。その準備において血を流しているかということであろう。牧節の命のすぺてとは言えないが、もっとも良い部分が注ぎ込まれているかどうかが問われるのである。私はこの30年間、そうやって歩んできた。生活のすべてとは言わないが、月曜日から過末までの午前中の最も良い時間を説教準備のために注ぎ尽くして来た。その結果として、目に見えて現れたものとして、本当にレプトン銅貨2枚のようだと思うときがある。礼拝を休み、遠ざかってしまう人がいると、私の説教が原因なのではないかと、いまだに落ち込むことがしばしばである。そういう私にとって、このイエス様の言葉は、どれほど慰めとなろうか。「たとえ目に見えるものがわずかであったとしても、そこにあなたの生命が注がれているのなら、それは豊かなのだ。あなたは豊かなものを献げているのだ。」というイエス様の言葉が聞こえるように思う。
3 さて、牧師の私にとっては、捧げるものは説教であるが、信徒の皆さんにとっては、それは礼拝生活だと思う。礼拝に出席するうえで、多くの皆さんは、いろんな意味で血を流している。家で静かにしていれば疲れもしないであろうが、礼拝に出ることでエネルギーも費やし、本当にお疲れになる。先過、本当に久しぶりに、骨折がやっと癒えた姉妹が、両手にステッキをついて礼拝にお見えになった。そこに、どれほどの血が流れたであろうか。それでも礼拝に出席するのである。そうすることが、目に見えることとして、礼拝に出席する皆さん自身にとって、また教会にとって、どんな寄与をもたらすであろうか。まさにレプトン銅貨2枚しかないのではなかろうか。しかし、それをイエス様は「豊かだ」と言って下さる。
私は改めて、教会とは、こうして豊かに捧げる者たちの作り上げる共同体だと思ったのである。イエス様が自身の生命を棒げて、この共同体の基礎を据えて下さった。その土台の上に、牧師もまた生命を棒げて礼拝の備えをなし、信徒の皆さんもまた血を流してそれに参加するのである。このように生命を棒げて血を流して礼拝を捧げようとする者が、2人でも3人でもいるなら、そこにイエス様のおられる教会は建てられるのである。目に見えて棒げられるものが、たとえ「レプトン銅貨2枚」のようなものであったとしても、出席者が少なく棒げられる献金は乏しくとも、そのような豊かな棒げ物をささげる牧師や信徒がいるならば、教会は存立できるのである。だから私は昨今、教団内で取り沙汰される「教団の将未が心配だ、信徒を增やすために伝道をしなければ」という主張には全く共感できないのである。いくら数が増えても、財政的に豊かになっても、生命を捧げてくれる牧師や信徒がいなければ、教会共同体は立たないのである。それとは反対に、どんなに教勢が落ちたとしても、2人でも3人でも、イエス様が言われたような意味で「豊かに棒げて下さる」者がいるならば、この共同体は安泰なのである。
4 さて次に特に感じさせられたのは、この未亡人にとって、こうして具体的に棒げる場所があったことの幸いである。次の箇所には、見事な石や奉納物で飾られた神段が、いつかその石の一つも残ることのない日がやってくるとイエス様が預言をされたことが書かれている。イエス様は、このように立派な石や、見事な装飾物で飾られた神殿を不可欠とはされておられなかった。神殿では、20章45節以下に書かれているように、律法学者が長い衣を着て闊歩し、見せかけの長い析りをしていたのである。このように、いつかはなくなり、また様々な欠陥や問題を抱えていた場所なのであった。しかし、イエス様はそのような神殿で、この貧しい女性が神樣に対して豊かなささげものができたことを否定されなかった。むしろ、そこでこそ、豊かな捧げ物ができることを肯定しておられたのである。
たとえ様々な間題があっても、そういう場所がこの地上になければ、神様に豊かな棒げ物をすることができない。私は、そういう場所こそが教会だと思う。教会もまた、様々な欠陥を抱えているところである。イエス様が言われた(5節以下)通り、教会のある部分は、人間が築き、飾り立てたがゆえに、いずれは崩れ果ててゆかざるを得ないものである。ある人はそのような教会に何かを捧げたところで、それが何になるのかと言う。この未亡人が棒げたレプトン銅貨2枚も、結局はいつかは崩れる神殿の維持に、またそこで仕える祭司たちの生活のために費やされることになる。そのどこが神様に棒げられるものといえるのか。同じように、教会に捧げた献金も礼拝に捧げられた皆さんの時間や身体も、神様に棒げられるのではなく、教会の維持や牧師の生活の推持のために使われてしまう。同じ費やすのなら、それだけのお金や時間をこの世の貧しい人々や困っている人々に捧げるべきではないか。しかし、イエス様はそのように見てはおられないのである。神殿を強盗の巣窟と厳しく批判され、それはいつかは崩れると言いながらも、この未亡人がその神殿に対して捧げたことを称賛されたのである。それが、この女性をして神様に向かって豊かに棒げることをなさしめるからであった。この場所がなくなってしまったなら、彼女が神様に対して豊かにささげることのできる所がなくなってしまう。教会もまた、このようなところなのだと思うのである。それだからこそ、様々な問題や欠陥を抱えつつ、今日まで2000年もの間、教会は存続し続けてきたのではなかろうか。
5 最後に、改めて考えさせられることがある。この未亡人にしても私たちにしても、なぜ捧げるのであろうか。何が私達をしてこのように棒げさせるのであろうか。何か御利益を願って賽銭を捧げるようなことではない。神様にわずかなものをギプして、それ以上のものをテイクしようとするからではない。そうではなく、神様に、たとえレプトン鋼貨2枚であっても捧げることが、私達に何らかの豊かさのようなものを抱かせてくれるからなのである。イエス様がおっしゃった通りに、神様にささげられることに、豊かさがある。それが、私達を様々な意味での貧しさから解き放ってくれるのである。
思い起こすエピソードがある。それは旧約聖書の列王記(上)17章8節以下に書かれた預言者エリヤと、サレプタに住んでいた一人の未亡人との出会いの物語である。旅人のエリヤは、はじめて会ったこの未亡人に、水をくれと言い、さらには厚かましくパンもくれと言ったとある。女性は憤慨して言い返した。「わが家の壷の中には一握りの小麦粉と瓶の中にわずかな油が残っているだけだ。今からそれで最後の食べ物を作り、息子と食べて、あとは死ぬのを待つばかりなのだ」と。これに対してエリヤは、「恐れてはならない。まずわたしのために小さなパンを作り、その後にあなたと息子の分を作れ。そうすれば壼の粉も瓶の油も尽きない」と語ったのである。女性がその通りにすると、エリヤの言葉通りになったという。預言者エリヤに棒げることはすなわち神様に棒げることであった。そして、そのことが、貧しさに打ちひしがれていた彼女に、ある豊かさを与えたのだと思う。それは、無尽蔵の豊かさを持っておられる神様とつながることでの豊かさである。どんなにわずかなものでも、そこに私達の生命が込められているものを神様に捧げることができるなら、それは私たちを豊かさの中に置くのである。その豊かさの中に置かれるのが嬉しくて、また「あなたは豊かなのだ」とのイエス様のまなざしが嬉しくて、私達はこうして、レプトン鋼貨2枚を捧げるような礼拝を捧げているのではないだろうか。
筑波学園教会牧師 福島 純雄
2016年 7月24日(日)聖霊降臨節第11主日礼拝
31:18主はシナイ山でモーセと語り終えられたとき、二枚の掟の板、すなわち、神の指で記された石の板をモーセにお授けになった。 32:01モーセが山からなかなか下りて来ないのを見て、民がアロンのもとに集まって来て、「さあ、我々に先立って進む神々を造ってください。エジプトの国から我々を導き上った人、あのモーセがどうなってしまったのか分からないからです」と言うと、 32:02アロンは彼らに言った。「あなたたちの妻、息子、娘らが着けている金の耳輪をはずし、わたしのところに持って来なさい。」 32:03民は全員、着けていた金の耳輪をはずし、アロンのところに持って来た。 32:04彼はそれを受け取ると、のみで型を作り、若い雄牛の鋳像を造った。すると彼らは、「イスラエルよ、これこそあなたをエジプトの国から導き上ったあなたの神々だ」と言った。 32:05アロンはこれを見て、その前に祭壇を築き、「明日、主の祭りを行う」と宣言した。 32:06彼らは次の朝早く起き、焼き尽くす献げ物をささげ、和解の献げ物を供えた。民は座って飲み食いし、立っては戯れた。
1 6節までのあらすじ。神様は、モーセをシナイ山の山頂に召して、この契約の土台となっていた十戒を記した2枚の石の板を授けた。ところが、なぜかこれに、40日40夜かかったという。出エジプト記24章18節に「モーセは雲の中に入ってゆき、山に登った。モーセは40日40夜、山にいた」とある。モーセが山からなかなか降りて来なかったので、イスラエルの人々はモーセと共にずっと民を導いてきたモーセの兄、指導者アロンに「我々に先立って進む神々を造って下さい」と迫った。指導者としてそのような事をすべきではないと、アロンは説得すべきだった。十戒の最初の言葉「あなたは、わたしをおいてほかに神があってはならない。いかなる像も造ってはならない」に対して、何度も「主が語られた言葉をすべて行います(24章3節)」と言ったばかりだったのだから。しかしアロンの方から「金の耳輪をはずして持って来なさい」と言い、それをもって若い雄牛の像を造り「これこそあなたの神々だ」と礼拝を棒げてしまったのだった。
2 その後、この偶像礼拝をする人々の様子はすぐに神様の知るところとなった。モーセに山を下るように命じた神様は、このイスラエル人の有り様に「私は彼らを滅ぼしつくす(10節)」と激怒した。しかし、モーセの懸命のとりなしにより「主はご自分の民にくだす、と告げられた災いを思い直された(14節)」のだった。
神様の怒りはおおさまったが、逆にモーセの怒りがおさまらなくなってしまった。モーセは、神様からいただいた十戒の書かれた2枚の石の板を粉々に砕き、アロンを詰問した。これに対する24節の最後に記されたアロンの言い訳は、全くのごまかしであった。自分で牛の鋳型を作ったのに「わたしがそれ(人々が差し出した金の耳節り)を火に投げ入れると、この若い雄牛が出てきた」と嘘をついたのだった。モーセは「誰でも主につく者はわたしのもとに集まれ」と呼びかけ、偶像礼拝に加わらなかった者たちを招集した。集まったのは、レビ人の一部であった。モーセは彼らに偶像礼拝に加わった家族を殺すように命じたのだった。想像してみると、まことに恐ろしい場面である。
モーセは「イスラエルの神、主がこう言われる。(27節)」と言ったとあるが、この32章には、そのような神様の言葉は書かれてはいない。確かに10節に「減ぼしつくす」との神様の言葉があるが、それは神様自身が行うことであって、イスラエル人同士が、お互いに偶像礼拝をした者を粛清しあうようにと命じたわけではなかった。私は、神様のなさる事として私達に対して怒り、滅ぼすということと、私達人間がその神様の怒りを我が事のようにして、人間の怒りとして滅ぼす業をするということとは、全く別だと思う。モーセは、自分の怒りをはらす口実として神様の怒りを利用したのではなかろうか。さらには、彼のとりなしに応じて神様はその怒りをおさめて下さったにもかかわらず、モーセが怒って、それをレビ人たちを使ってはらさせたのだった。もしこういう形で粛正をするなら、モーセ自らが、自らの手で兄アロンを真っ先に殺すべきではなかったか。張本人である兄を生かしておきながら、また自分の手を血に染めずにおきながら、他人の手を使って他人の家族を殺させたのである。私は、私達が繰り返し行ってきた、神様の怒りを勝手に使って自分の怒りをはらそうとする私達の間違った信仰の姿をまざまざと見せられる思いがした。
3 3つのポイントが示されている。まず第一のポイントは、神様が十戒を刻んだ2收の石の板をモーセに授けた事の意義についてである。どうして神様はわざわざ十戒を2枚の石の板に刻んで人々に授けようとしたのか。それは、ローマの信徒への手紙でパウロが引用した申命記30章11節から14節が、よく説明していると思う。「わたしが今日あなたに命じるこの戒めは難しすぎるものではなく、遠く及ばぬものでもない。天に昇ったり、海のかなたに行って取つて来なければならないものでもない。御言葉はあなたのごく近くにあり、あなたの口と心にあるのだから、それを行うことができる」とある。神様が、自身の指で書いたという石の板は、シナイ山のどこにでもころがっているようなありふれた石の板であった。どういう文字であったかはわからない。しかし、神様が書いたとしても、それは人間が読める文字であったに違いない。石に神様自身が自らの手で刻んだものであったのだから、それは消すことができず、どこまでも残り、人々が読み知ることができた事を意味している。
それは、私達にとって何を意味しているのであろうか。それは、私達が、こうしてごくありふれた紙に印刷された文字によって、神様の言葉を読み知ることができるという事を言っているのである。このような形で、神様は、私達を神様との特別な間柄へと招き入れる神様の言葉というものが、決して消えない形で私達の近くに、いつでも与えられている事を示されたのである。読もうとすれば、必ず読むことができ、知ることができる。それが神様の言葉なのである。
4 しかし、ここには、重要な意味が付随している。これが2番目のポイントである。この石の板を授けるために、なぜか40日もかかったのである。神様が自らの指で刻んだのであるから、文字通りの意味で、石に文字を彫るのに40日が必要だったというような理由ではないのである。そうではなく、40日を要されたのは、神様の深い御心ゆえだったという事である。その40日を、あえて設けることによって、イスラエル人が32章に書かれているような事をしでかしたことを、神様は、お見通しだったのであろう。それでも必要な時間だったのである。どういう御心から、それは必要だったのであろうか。
第一のポイントは、一言で言えば「御言葉における近さ」であった。しかし、この「近さ」が同時に、40日40夜の「遠さ」という意味も持つものである。「御言葉はごく近くに」という事と矛盾するように聞こえるかもしれない。しかし神様の言葉がごく近くにあって成立する神様との間柄には、また、だからこそ「遠さ」も存在するのではなかろうか。40日40夜、石に神様の言葉が刻まれるには時間がかかり、結果としてイスラエル人の側が不安に陥り、「モーセがどうなってしまったのかわからない」と言わざるを得なくなったような、そのような「遠さ」が含まれているのである。この「遠さ」に我慢がならなくて、私達はそれとは正反対の直接的な「近さ」を求めるようになってしまうのである。これが残念ながら、私逢の信仰の弱さだと感じるのである。
まさに、イエス・キリストにおいて刻まれた神様の言葉、また、こうして聖書という紙に刻まれた神様の言葉こそ、40日40夜という「遠さ」を持っているのではなかろうか。十字架の上で殺されてしまうような存在、聖書の中にのみ記され実際に会うことなどできないイエス様という存在、そのことを聖書の言葉を通して信じることが、果たして私達を神様との特別な関係に招き入れ、私達を神様との契約関係に生かしめて下さるようなものであろうか。イスラエル人が言ったように私達も、聖書を読むだけでは「イエス様がどうなってしまったのか。山からなかなか降りてきてくれない。私達を目に見える形で導き上ってくれる指導者がいない」と口にするのである。
5 だからこそ、人々は「我々に先立って進む神々を造って下さい」とアロンに望み、アロンは指導者としてこれを押し止めるのではなく、反対に彼の方から金の雄牛を造って、これを「導き上る神」として礼拝をさせてしまった理由なのである。神様との「近くて遠い」間柄に堪え切れず、目に見える具体的で直接的な「近さ」において神様の存在を認め従おうとする有り様なのである。
さて、第3のポイントは、どうしてアロンがこれを拒むことができなかったのかという点である。いろんな理由が考えられる。民の要求が到底拒むことのできないほど強かった。モーセが不在の間、民を何とかしてうまく導かねばならないとのプレッシャーに押し潰されたためかもしれない。しかし、一番の理由は、アロン自身の信仰が、このような信仰だったという事である。目に見えるところの直接的な「近い」神様の存在を彼自身が切実に必要としていたのである。
モーセは、妻チッポラの父で、ミディアンの祭司であったエテロのもとで、少なくとも目には見えない存在との関係を築くという信仰を40歳から80歳になるまで羊飼いをしながら育んできたという事があるのではなかろうか。
モーセが、はじめてはっきりと主なる神様 -アブラハム・イサク・ヤコブの神- に出会った場面をまた思い起こす。柴の木が燃えても燃えてもなくならないのを見て、モーセはそれを確かめに近づこうとした。すると神様は「ここに近づいてはならない。履物を脱ぎなさい。あなたの立っている場所は聖なる土地だから」と言った(出エジプト記3:5)。「近づこうとする」とは、神様を見たいと思い、神様との直接的な近さを求めたのであろう。しかし神様は、これを拒んだ。直接的に目に見えるような近さで私に出会う必要はないという事であろう。そうではなく、神様の言葉だけを聞いて、今まで歩んできて、今立っている俗なる場所が、履物を脱ぐべき聖なる場所だと知ればよい。これこそが、神様言葉による神様の世界への招き入れなのである。神様の言葉によって神様との特別な間柄に立たされた時の姿なのである。これが神様の導きの有り様なのである。
モーセはおそらく、エテロのもとで40年間こういう信仰を育んできたのであろう。しかしア口ンはそうではなかったのである。長らく音信不通だった弟と突然に出会い、不思議な奇跡をどんどん起こして自分たちをエジブト王のもとから脱出させた神様との関係しか知らなかったのである。どうしても、長く慣れ親しんできたエジプトの偶像に刻まれた神々と重なってしまったのであろう。強い力で目に見える姿、目に見える形で目的地に導いてくださる神様を求めざるを得なかったのである。
アロンから言われて、人々が差し出した金の耳輪とは(出エジプト記12章35節)、おそらくはエジプトを脱出した際に、エジプト人から奪ったものではなかろうか。神様の力を最も象徴するところの、また自分たちが捧げることのできる最も価値ある物をもって神様を造る。確かに、そのような神様は、帰依する者に、より一層の価値ある物を与えてくれるかもしれない。しかし、所詮それは金である。この世の価値あるものである。たかだか人間が自分の身からはずして差し出す事のできるものにすぎない。そのようなものによって導かれた結果として、私達が行き着くところは金なのである。人間が価値あると考える目的地にすぎない。それは悲修なゴールなのである。金や人間が価値あると考える物に支配され奪い合うようなゴールである。だからこそ、私達が差し出せるような、人間が価値あると考えるようなものから神様を造って信じてはならないのである。神様の言葉をひたすら聞き、それに応答し信じて導かれてゆくのでなければならない。
筑波学園教会牧師 福島 純雄
2016年 7月17日(日)聖霊降臨節第10主日礼拝
10:04キリストは律法の目標であります、信じる者すべてに義をもたらすために。 10:05モーセは、律法による義について、「掟を守る人は掟によって生きる」と記しています。 10:06しかし、信仰による義については、こう述べられています。「心の中で『だれが天に上るか』と言ってはならない。」これは、キリストを引き降ろすことにほかなりません。 10:07また、「『だれが底なしの淵に下るか』と言ってもならない。」これは、キリストを死者の中から引き上げることになります。 10:08では、何と言われているのだろうか。「御言葉はあなたの近くにあり、あなたの口、あなたの心にある。」これは、わたしたちが宣べ伝えている信仰の言葉なのです。 10:09口でイエスは主であると公に言い表し、心で神がイエスを死者の中から復活させられたと信じるなら、あなたは救われるからです。 10:10実に、人は心で信じて義とされ、口で公に言い表して救われるのです。 10:11聖書にも、「主を信じる者は、だれも失望することがない」と書いてあります。 10:12ユダヤ人とギリシア人の区別はなく、すべての人に同じ主がおられ、御自分を呼び求めるすべての人を豊かにお恵みになるからです。 10:13「主の名を呼び求める者はだれでも救われる」のです。
30:11わたしが今日あなたに命じるこの戒めは難しすぎるものでもなく、遠く及ばぬものでもない。 30:12それは天にあるものではないから、「だれかが天に昇り、わたしたちのためにそれを取って来て聞かせてくれれば、それを行うことができるのだが」と言うには及ばない。 30:13海のかなたにあるものでもないから、「だれかが海のかなたに渡り、わたしたちのためにそれを取って来て聞かせてくれれば、それを行うことができるのだが」と言うには及ばない。 30:14御言葉はあなたのごく近くにあり、あなたの口と心にあるのだから、それを行うことができる。
1 ローマの信徒への手紙の9章から11章は、イエス・キリストを拒んでいる同胞イスラエル人に、何とかしてイエス様を信じてほしいと願ってパウロが切々と書いた箇所である。また、おそらくこの文章には、もう一つの思いも込められていると感じる。それは、ユダヤ人からクリスチャンになったために、深刻な悩みを抱えていたローマ教会の人々を励ましたいというパウロの思いである。ローマは、当時のローマ帝国内にあって、最も多くのユダヤ人が暮らしていたところだったようである。そのようなユダヤ人からクリスチャンになった人たちが出たのであった。しかし、そのために伴侶・家族・親成・友人との間に深刻な溝が生じてしまったのだった。言うまでもなく、その溝の原因は律法の行いをめぐってである。クリスチャンには、もはや律法の行いはいらず、ただイエス様を信じる信仰によって神様に義としていただける-それは神様との特別な間柄にしていただくことを意味している-と信じていた。しかし、ユダヤ人は律法の行いが不可欠だと信じていたのである。
重要な点は、十戒を核としている律法が、そもそも神様自身から与えられた点にあった。律法に対してはかなりネガティブな主張を操り返してきたパウロも、「律法は聖なるもの・良いもの霊的なもの」と言っていた(7章12節、14節)。このように、「律法がそもそも神様自身が授けて下さったものならば、それを守って当然ではないか」、「それを行うことによって義としていただけるのが神様の御心ではないか」と当然に思われていたのである。かつてファリサイ派であったパウロも、そのように信じ、疑問を抱いてクリスチャンを迫害したのだった。神様自身が与えてくださった律法を、イエス様を信じたからといって、もはや守らなくても良いのかとクリスチャンとなった者たちは攻撃された。この攻撃に耐え切れなくなって、ある者は再び律法の行いをするようになった(そのような人々については、ガラテヤ書に書かれている。)中には、クリスチャンそのものをやめてしまった人々も出てきたのではなかったか。パウロは、そのようなローマ教会の状況を聞いて、何とかしてこのクリスチャンに突き付けられていた難間に、パウロなりの答えを書いて、悩む人々を励ましたいと思っていたのだった。
2 まず4節には「キリストは律法の目標であります。信じる者すべてに義をもたらすために」と書かれている。「目標」を「終わり」と訳すものもあるが、ここで使われているギリシャ語のテロスという言葉は、ゴールや目標といったことが本来の意味である。パウロは、神様が律法を与えて下さったその目的は、イエス・キリストによってこそ達成され成就されるのだと、まず語ったのであった。そして、その目標とは何かと言えば「信じる者すべてに義をもたらす」ということであった。
律法を与えるということに限らず、神様が私連に対して抱いておられる何よりもの目標は、私達すべてが信じるということにおいて神様から義とされる、つまり神様との特別な間柄へと招き入れられることにある。そして、律法の核となる十戒が与えられたのもこのためであった(出エジプト記)。
エジプトで奴隷とされていたイスラエル人、またエジプトを脱出したものの、すぐに目的地のパレスチナに入ることができないまま、荒れ野で40年間もさまよわねばならなかった彼らにとって、目の前の現実としては、自分たちを奴隷としてこき使うエジプト王との「特別な間柄」の中に、また荒れ野において飲み水にも食べ物にも事欠く難民という状態の中に置かれていた。そういう「間柄に」置かれていたイスラエル人を、神様は自身との特別な間柄へと招き入れようとなさった。それが十戒を与えることとして現れているのである。
神様は十戒を授けるに当たって、最初に「わたしは主、あなたの神、あなたをエジプトの国、奴隷の家から導き出した神である」と言われた。「導き出した」と過去形で訳されたのは、原文のニュアンスは「これからも常に導き出し続けるだろう」という意味からである。イスラエル人は、その後もパビロニアによって捕虜とされたり、バビ口ニアを滅ぼしたベルシャによって故郷への帰還を許されたものの、難民としての苦難はなかなか脱することができず、その後もシリアやローマ帝国によって支配される「特別な間柄」に置かれ続けたのだった。こういうイスラエル人を -また私達も基本的には全く同じであるが- この世の王様や様々な難儀な状態における奴報状態から導き出すということこそが、彼らを神様が自身との特別な間柄へと招き入れるということなのである。「このために、私は、この十戒を授けるのだ」と神様が言われたのだった。神様の御心の根源に、私達を義とする-神様自身との特別な間柄へ私達を入れる-ことがあるのがよくわかる。
3 では、 神様との特別な間柄へと招き入れていただくためには、何が必要なのであろうか。大層な犠牲を、大変なものを、私達の側から差し出さねばならないのか。しかし、そうではないとパウロはここで言うのだった。「信じる者すべてに義をもたらす」と。「それが神様の御心である。ただ信じるだけで良い」と。
確かに十戒が与えられた場面でもそうだった。神様は、自身がこのような存在であると言葉によって語った。だからこそ今日、「言葉」ということがポイントになっている。目に見える現実では、ただエジプト王やバビロニア王やローマ皇帝や、また、私達にとっての王である様々な難儀の支配下に置かれていても、私達をそこから救い出して下さる神様がいるとの言葉を聞いて、この言葉に心を動かされて「はい、私はあなたからのお招きを受けます。あなたとの間柄に入れて下さい」と応答する -それが信じるということである- なら、ただそれだけで私達は神様との特別な間柄に入れていただけるのである。
十戒とは、そのための具体的な生き方のよすがや指針として与えられたものなのであった。荒れ野で生きており、またこの世の王様によって支配されていた人々が、具体的に日々のその難儀な生活の中でどうやって生きていることが神様との特別な間柄に生かされていることとなるのか、奴隷の家から神様によって導き出されていると言えるのか。それが実体験としてわからなければ、励ましにはならないのである。実体験としてわかるためのよすがとしての10の項目が十戒なのであった。言わば、10の具体的な生きる道が与えられたようなものであった。この道を歩んで行くことが、神様に義とされて生きる者の姿なのである。しかし、すべての最初に来るのは、神様からの語りかけなのである。神様の言葉による招きなのである。それに応ずること、それを信じて応答すること。それによって神様との特別な間柄に入れていただけるのである。
聞いた言葉というものに動かされて、現実の極めて難儀な生活の奴隷的な支配から逃れられるということを、最近何度か実例として教えられた場面があった。ただの言葉であるが、しかし言葉によって、その言葉が意味するところの世界に招き入れられて、私達は奴隷的な状況を脱することのできる存在なのである。神様が語って下さる言葉は、どんな言葉にもまして、無駄には語られていないのである。言葉は、それを信じて応答する者を、必ずや神様の世界に招き入れて下さる力を持つているのである。
4 さて、十成を核とする律法がいつまでも今教えられたようなものであり続けたなら、イエス様が生まれる必要はなかった。しかし、そうではなくなってしまったのだった。それが5節でパウロ言わんとしている点である。「モーセは・・・記しています」。ここで引用されているのは、レビ記18章5節の御言葉であるが、もともと、これは神様自身の言葉である。しかし、パウロはあえてそれを神様自身の言葉というよりも、モーセの言葉として、またそれ以後の人間の言葉として理解し、引用したように感じる。パウロが言わんとしているポイントは、神様の言葉による招きであった十戒を核とする律法が -それは招きであるから本来は何ら高いハードルも関門もない-、 「掟を守る」という全く正反対な性格を持つものに、モーセやそれ以後の人間によって変えられてしまったということだと思う。掟を守るとは、一言で言えば「ねばならない」の道である。同じ10の道を歩むにしても、この道を「歩めば良い」というのと「歩まねばならない」とは全く違う。歩めば良いということには関門はないのである。ハードルはないのである。しかし、掟として歩まねばならないとなれば、それは途端に関門になってしまう。
6節から8節で、パウロが3度引用しているのは、申命記30章11節から14節だが、神様はそもそも律法をこのような掟として与えたのではないということが語られている。これを引用したパウロの文章は、分かりやすいものではないが、申命記を併せて読むとよくわかってくる。神様は決して、私達を自身との特別な間柄へとひき入れるための言集を、難しすぎるような、遠く及ばぬようなもの、つまりハードルや関門を設けるようなものとして語ったのではないということである。誰かが天に昇ったり海のかなたに行って取ってきて聞かせねばならないようなものではないのである。そうではなく、本当の招きの言葉は、私達のごく近くにあり、わたしたちの口と心にあるからこそ、私達はそれに応答し、またそれを行うことができるのである。具体的な行動指針として実際に歩む道として進んで行くことができるのである。
5 このように、律法が与えられた本来の目的を成し遂げ成就するものとして、イエス様が私達のもとに生まれて下さったのだとパウロは語っているのである。モーセ以後の人間によって、神様の招きの言葉は私達自身が天に昇り、また海のかなたまで行って聞いてこなければならないようなものになってしまった。しかし、神様はイエス様を天から降ろして下さった。そしてイエス様は、十字架の死に至るまでの苦しみを味わって下さった。そして神様は、イエス様を、その十字架の死から復活させて下さった。そのイエス様の存在によって、本当に神様の私達を招く言葉は生きた言葉となって、私達の近くに来て下さったのである。だからこそ、あのような弟子たちであっても、イエス様を信じ、神様との特別な間柄に招き入れられた者として具体的に生きることができるようになったのである。もしイエス様を信じることが、何らかのハードルや関門を弟子たちに科すものとなっていたらどうであったか。到底彼らにはそれをクリアすることはできなかったであろう。しかし、イエス様の方から操り返し彼らを招き、イエス様において生きている言葉となって、弟子たちの近くに到来し、彼らはこのイエス様への自然な素直な人格的な応答において -それが「あなたの口、あなたの心にある」との意味。申命記の成就- 神様との特別な間柄にある者として生きて行けるようにされたのであった。
イスラエル人がその信仰の歴史において、いつのまにか神様の招きの言葉である律法を掟としてしまって、ただ信じる者に義をもたらそうとする神様と人々との間に関門やハードルを置いてしまったように、私達クリスチャンもまた、同じことをしてしまう者だと思わせられた。神様がイエス様を通してその招きの言葉を、私達の近くに、口に心に置いて下さったというのに、私達の存在また教会の存在が「掟」のごとくなり、様々な「ねばならない」を押し立てて人々を神様から通ざけてしまっているかもしれない。しかし、イエス様という生きた神様の言葉は、常にそうした人間の作る掟や関門を打ち破ってて下さる。
筑波学園教会牧師 福島 純雄
2016年 7月10日(日)聖霊降臨節第9主日礼拝
25:31「人の子は、栄光に輝いて天使たちを皆従えて来るとき、その栄光の座に着く。 25:32そして、すべての国の民がその前に集められると、羊飼いが羊と山羊を分けるように、彼らをより分け、 25:33羊を右に、山羊を左に置く。 25:34そこで、王は右側にいる人たちに言う。『さあ、わたしの父に祝福された人たち、天地創造の時からお前たちのために用意されている国を受け継ぎなさい。 25:35お前たちは、わたしが飢えていたときに食べさせ、のどが渇いていたときに飲ませ、旅をしていたときに宿を貸し、 25:36裸のときに着せ、病気のときに見舞い、牢にいたときに訪ねてくれたからだ。』 25:37すると、正しい人たちが王に答える。『主よ、いつわたしたちは、飢えておられるのを見て食べ物を差し上げ、のどが渇いておられるのを見て飲み物を差し上げたでしょうか。 25:38いつ、旅をしておられるのを見てお宿を貸し、裸でおられるのを見てお着せしたでしょうか。 25:39いつ、病気をなさったり、牢におられたりするのを見て、お訪ねしたでしょうか。』 25:40そこで、王は答える。『はっきり言っておく。わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである。』
要旨の掲載予定はありません。
社会福祉法人 児童養護施設 光の子どもの家 理事長 菅原 哲男 氏
2016年 7月3日(日)聖霊降臨節第8主日礼拝
20:27さて、復活があることを否定するサドカイ派の人々が何人か近寄って来て、イエスに尋ねた。 20:28「先生、モーセはわたしたちのために書いています。『ある人の兄が妻をめとり、子がなくて死んだ場合、その弟は兄嫁と結婚して、兄の跡継ぎをもうけねばならない』と。 20:29ところで、七人の兄弟がいました。長男が妻を迎えましたが、子がないまま死にました。 20:30次男、 20:31三男と次々にこの女を妻にしましたが、七人とも同じように子供を残さないで死にました。 20:32最後にその女も死にました。 20:33すると復活の時、その女はだれの妻になるのでしょうか。七人ともその女を妻にしたのです。」 20:34イエスは言われた。「この世の子らはめとったり嫁いだりするが、 20:35次の世に入って死者の中から復活するのにふさわしいとされた人々は、めとることも嫁ぐこともない。 20:36この人たちは、もはや死ぬことがない。天使に等しい者であり、復活にあずかる者として、神の子だからである。 20:37死者が復活することは、モーセも『柴』の個所で、主をアブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神と呼んで、示している。 20:38神は死んだ者の神ではなく、生きている者の神なのだ。すべての人は、神によって生きているからである。」 20:39そこで、律法学者の中には、「先生、立派なお答えです」と言う者もいた。 20:40彼らは、もはや何もあえて尋ねようとはしなかった。
1 サドカイ派というのは、旧約聖書によくその名前が出てくる。ザドクという有名な祭司の家系に属する人々だと言われている。その一族から、祭司の指導者である大祭司が輩出された。彼らは、モーセ5書と呼ばれる創世記から申命記までの5つの書物しか聖書と認めなかったとのことである。この28節に引用されている言葉が、そのモーセ5書の申命記25章5節にあること(申命記25:05兄弟が共に暮らしていて、そのうちの一人が子供を残さずに死んだならば、死んだ者の妻は家族以外の他の者に嫁いではならない。亡夫の兄弟が彼女のところに入り、めとって妻として、兄弟の義務を果たし、 25:06彼女の産んだ長子に死んだ兄弟の名を継がせ、その名がイスラエルの中から絶えないようにしなければならない。)を根拠にして、彼らは29節から32節に書かれているような極端なケースを想定してイエス様に問うたのであった。復活がもしあるとすると、一体この女性は誰の妻になるのかと。だから復活などあるはずがないというのが彼らの主張だったのである。
イエス様は、彼らに対してまず「この世の子らは・・・」と答えたとある。しかし、同じ場面を記したマタイによる福音書とマルコによる福音書には、「あなたたちは、聖書も神の力も知らないから、思い違いをしている」とのイエス様の言葉が書かれている。ルカは書いていない言葉だが、まずこの言葉に、考えさせられる点があった。
サドカイ人というのは、有名な祭司の子孫でありその一族から祭司の指導者を輩出するような人々であった。イエス様の言葉を借りれば、誰よりも聖書をよく知り神様のことをよくわかっていた人々ではなかったか。しかし、皮肉にもそのような人々が、イエス様から「あなたたちは聖書も神の力も知らずに思い違いをしている」と言われてしまったのである。これは、私達にもあてはまることだと痛切に思う。私は牧師であるから、誰よりも聖書をよく知り神様のことをわかっていると、人々を思っているかもしれない。私達はクリスチャンとして、信仰を持たない人々と比べれば当然にそのように思われている。しかし、実はそのような私達こそが、イエス様からこの厳しい言葉を受けねばならない存在であるのではなかろうか。
2 サドカイ人がなぜ祭司として神様に仕える者でありながら、聖書も神様のこともよく知らないような者になってしまったのか。それは彼らが何を大事にし、根源的なよりどころにしていたかを考えるとよく分る。サドカイ派の人々が、なによりも大事にしていたのは、自分たちがザドクという祭司の子孫であるということであった。そうであればこそ、モーセ5書の中でも、申命記25章5節を大切なよりどころとしていたのだった。それを聖書全体を理解する力ギとし、またそこから神様を信じようとしたのではなかったか。「神様も、この世において連綿として跡継ぎが与えられ、家系が続いて行くのを大事にされる。聖書というのはそのような神様の御心を記した書物なのだ」と理解していたのであろう。「もしも復活があるならば、この世において跡継ぎを得、連綿と家系を維持してきたことはどうなるのか。何の意味も持たなくなってしまうではないか。神様はそんなことをされるはずはない。跡継ぎも家系も何の意味もなくなる世界がやってくるはずはない。」そのように強く思っていたのである。
私達も同じではないか。34節のはじめで、イエス様はこう言われた。「この世の子らはめとったり嫁いだりするが」と。サドカイ人が家系を重んじ跡継ぎを得るのを何よりも大切にしていたがゆえに、めとったり嫁いだりして子を授かろうとしたように、私達もまたこの世の子として、めとることや嫁ぐことや子を授かるのを何よりも大事なことと考えているのである。しかし、私達がこの世に生きる存在として、よりどころにしようとするのは、それだけではない。健康で長生きをする、病いなく元気でいる、それを私達は大事な必須のこととして考えている。ある人々は国家とか領土とかを、戦争をしてでも守り抜くほどに大事なものと考える。そして聖書に記された神様もまた、私達と同じように考えて下さると信じるのである。その結果として、イエス様から「あなたがたは聖書も神の力も知らない、思い違いをしている」と言われることとなるのである。
サドカイ人が持ち出したのは、ただの例に過ぎないかったのもしれないが、7人もの兄弟に有無を言わされずに次々と妻にされ、端的に言えば跡継ぎを生む道具のように扱われ、結局は子を授からないまま死んでしまったこの女性の人生の悲惨さを思わずにいられない。それはとても象徴的に、私達がこの世の子らとして、めとり、嫁ぎ、子をなさねばならない、健康でなければならない・・・と考え、そういう価値観や人生観を私達が抱いてしまっていることの悲惨さのようなものを示していると思うのである。めとり、嫁ぎ、健康でなければという思いは、私達をそういう人生観の道具としてしまうのである。しかし、どんなに願っても、めとれないし、嫁げないし、子を授かることができない、健康で生きることのできない私達の現実がある。
私達信仰者こそが、聖書を誤って読み、神様を本当には知らない者となってしまうということを、しみじみ考えさせられる。
3 そのような私達であればこそイエス様は語りかけて下さるのである。「この世の子らはめとったり嫁いだりするが、次の世に入って死者の中から復活するのにふさわしいとされた人々は、めとることも嫁ぐこともない。この人たちは、もはや死ぬことがない。・・・復活にあずかる者として神の子だからである」と。
次の世ではめとることも嫁ぐこともないと言われて、「復活のときには、もはやこの世での夫婦関係や親子関係、家族の関係は、完全に消滅させられてしまうのか、何の意味もないものとして扱われるのか」との疑間を抱く人もいるであろう。「もし復活にあずかる者とされることが、そういう状態にされることであるならば、そのようなものは望まない」と。しかし、イエス様が言わんとされた本意は、そういうことにはないと私は思うのである。
イエス様は、復活が書かれているモーセ5書の中で、出エジプト記の3章を引用している(34節)。ただ、これは厳密に言えば、直接的に復活があることを示したとは言えないと私は思う。これは、アブラハム・イサク・ヤコブが実際に復活して、その子孫であるモーセに姿をあらわしたということではないし、神様が彼らを具体的に復活させたことを記すものでもないからである。あたかも彼らが、自分の前にあるかのように、彼らと自分を「だれだれの神」と呼ぶことによって、間接的に彼らが、あたかも自分との関係においては生きているように扱っている言葉なのである。
しかし、神様自身がアブラハム・イサク・ヤコブという祖父-息子-孫という関係をしっかりと認めていることの証拠にはなると思う。
神様との間柄においては、彼らがこの世の生涯を終わって何百年が経った後でも、この3世代の関係は、決して消滅してはいない。また神様は、この3世代の者たちの神として、そのはるか数百年後の子孫にあたるモーセに姿を現されたのである。神様は決して家族関係や先祖-子孫という関係を全く無意味なものとして扱われないということが、ここから分かる。イエス様も、出エジプト記の引用を通して、次の世においても神様はこの世での家族関係を大切にして下さるということを、間接的にではあるが、明らかにして下さったのである。
では、「めとることも嫁ぐこともない、神の子なのだ」というイエス様の言葉の本意はどこにあるのか。それは、次の世において復活にあずかる者とされた私達は、この世の子として、どうしてもめとらねば、どうしても嫁がねば、どうしても子をなさねば、どうしても健康であらねば・・・というような価値観から解き放たれるというところにこそあるように思うのである。
38節最後のイエス様の言業に「すべての人は神によって生きているからである」とある。この世の子である限り私達は肉体をもってこの世の様々な勢力に支配されている。そうであればこそ、めとらねば、嫁がねば、子をなさねば、健康であらねば・・・という思いにとらわれてしまうのである。それは、一人の女性を、ただただ跡継ぎを生むための道具としてしまうような結果を生む。私達をそういう価値観の道具か奴隷のような状態にしてしまうのである。しかし、次の世においては、私達はひたすら神によって生かされる者とされるのである。神の子とされるのである。神の子の特微は、何よりも36節はじめに書かれているように「もはや死ぬことがない」点にこそある。この世の子である私達を最も強く支配するのが死である。しかし次の世においては、もはや死ぬことはないので、死の恐れにとりつかれることもない。健康で生きねばという思いから解き放たれ、ひたすら神様によって生かされる者となるのである。
4 イエス様が出エジプト記を引用したのは、アプラハム・イサク・ヤコブが、このように神様によって生かされている状態にある者なのだという意味においてであろう。直接に彼らが復活させられた者として子孫であるモーセに姿を現したわけではない。しかし、このように神様が、モーセに姿を現わすことを通して、アプラハムたちも姿を現したと言ってもよいのである。そこではもちろん、アプラハムたちはモーセに何かを語りかけなどはしなかった。しかし、彼らを今もなお生かして関係を持って下さっている神様を通して、何事かを子孫であるモーセたちに語りかけてくれたのだと私は思うのである。
それは、アプラハムたちがこの世にあって、めとらねば、嫁がねば、子をなさねば、生き抜かねばという強い思いに駆られていたときとは、全く通う語りかけだったに違いない。まさに彼らこそ、跡継ぎを得なければとの強い思いに始終とらえられていた。しかし、彼らが地上の生涯を終わって、もうすでに400年も経っていたのである。400年間、神のみもとにあって世界の変遷を見てきたのである。めとらねば、嫁がねば、子をなさねば、健康で長らえねばという価値観とは全く違う価値観を抱き、何が大事なのかを知る者として、何事かをモーセに語る者となったのである。
十字架に向うイエス様自身が出エジプト記を通して、このアプラハムたちから何事かを語りかけられ励ましを受けたのではなかろうか。この世の子どもから神様の子どもに生まれ変わってゆくことが、どれほどすばらしいことなのか。私達もまた、次の世で復活にあずかる者とされたときには、このように神様に生かされている者として大切な子孫に何事かを語る者とされるのである。
筑波学園教会牧師 福島 純雄
2016年 6月26日(日)聖霊降臨節第7主日礼拝
24:01主はモーセに言われた。「あなたは、アロン、ナダブ、アビフ、およびイスラエルの七十人の長老と一緒に主のもとに登りなさい。あなたたちは遠く離れて、ひれ伏さねばならない。 24:02しかし、モーセだけは主に近づくことができる。その他の者は近づいてはならない。民は彼と共に登ることはできない。」 24:03モーセは戻って、主のすべての言葉とすべての法を民に読み聞かせると、民は皆、声を一つにして答え、「わたしたちは、主が語られた言葉をすべて行います」と言った。 24:04モーセは主の言葉をすべて書き記し、朝早く起きて、山のふもとに祭壇を築き、十二の石の柱をイスラエルの十二部族のために建てた。 24:05彼はイスラエルの人々の若者を遣わし、焼き尽くす献げ物をささげさせ、更に和解の献げ物として主に雄牛をささげさせた。 24:06モーセは血の半分を取って鉢に入れて、残りの半分を祭壇に振りかけると、 24:07契約の書を取り、民に読んで聞かせた。彼らが、「わたしたちは主が語られたことをすべて行い、守ります」と言うと、 24:08モーセは血を取り、民に振りかけて言った。「見よ、これは主がこれらの言葉に基づいてあなたたちと結ばれた契約の血である。」 24:09モーセはアロン、ナダブ、アビフおよびイスラエルの七十人の長老と一緒に登って行った。 24:10彼らがイスラエルの神を見ると、その御足の下にはサファイアの敷石のような物があり、それはまさに大空のように澄んでいた。 24:11神はイスラエルの民の代表者たちに向かって手を伸ばされなかったので、彼らは神を見て、食べ、また飲んだ。 24:12主が、「わたしのもとに登りなさい。山に来て、そこにいなさい。わたしは、彼らを教えるために、教えと戒めを記した石の板をあなたに授ける」とモーセに言われると、 24:13モーセは従者ヨシュアと共に立ち上がった。モーセは、神の山へ登って行くとき、 24:14長老たちに言った。「わたしたちがあなたたちのもとに帰って来るまで、ここにとどまっていなさい。見よ、アロンとフルとがあなたたちと共にいる。何か訴えのある者は、彼らのところに行きなさい。」 24:15モーセが山に登って行くと、雲は山を覆った。 24:16主の栄光がシナイ山の上にとどまり、雲は六日の間、山を覆っていた。七日目に、主は雲の中からモーセに呼びかけられた。 24:17主の栄光はイスラエルの人々の目には、山の頂で燃える火のように見えた。 24:18モーセは雲の中に入って行き、山に登った。モーセは四十日四十夜山にいた。
1 神様とイスラエル人との間に契約が締結されたということが記された箇所である。この契約は、神学的には「シナイ契約」と呼ばれている。アラビア半島にあるシナイ山(ホレブ山と呼ばれることも)で交わされた契約ということである。
この「契約」が、私たちにとってとても大事なものであることは、私たちが聖書を契約の「約」の文字をとって「旧約聖書」「新約聖書」と呼ぶことに良く現れている。この「約」は、しばしば翻訳の「約」として誤解される場合がある。英語では「Testament」、契約を意味するが、遺言という意味もある。旧約聖書は総じて言えば、旧い契約を記している書物であり、新約聖書は新しい契約を記している書物ということになる。そして、その旧い契約のなかには、たとえば神様がノアと結んだ契約(創世記9章)もあり、アブラハムとの契約もあり(創世記17章)、またダビデとの契約(詩編89篇20節以下)もある。しかし何と言っても、その中心は、このシナイ契約である。
前回のローマの信徒への手紙における学びでは、ローマ教会のある人々が、自分たちの信仰をイスラエル人のそれとは全く別のものとして切り離してしまおうとした。それに対し、9章のはじめでは、「いや私たちクリスチャンの信仰は根本的にイスラエル人の信仰とは断絶してはいない、クリスチャンがイスラエル人の信仰から連綿として受け継いでいるものの中に「契約」がある」とパウロは強く語っていた。
その契約の中心に - もちろん、旧い契約の中に - このシナイ契約がある。旧い契約ではあるが、ローマの信徒への手紙でのパウロの語りかけからすれば、このシナイ契約から私たちクリスチャンへと脈々と受け継がれているものがあると気づく。しかし、他方、契約ではあっても、あくまで書かれているのは「旧い」契約なのである。旧いものであるからこそ、新しい契約がイエス様によって締結されねばならない必然性があったのである。シナイ契約には、どうしても、その「旧さ」というものがある。旧い契約であるが故の限界や制約というものがあったのである。
2 そこで先ず、この旧いシナイ契約から今の私たちの信仰に連綿として受け継がれているものについて考えていきたい。成立していた神様とイスラエル人との間柄が、なぜ他のどんな語でなく、「契約」という特別な言葉によって言い表されていたのであろうか。この神様との関係が、そもそも何に基づいて成立していたかと言えば、3節に「モーセは戻って・・・読み聞かせると、民は皆、声を一つにして・・・と言った」とあり、7節にも同じようなことが書かれている。8節には「主がこれらの言葉に基づいて、あなたたちと結ばれる契約」とある。神様との間柄が、まず何よりも、神様が語られた十戒を核とする言葉に基づき、その神様の言葉にイスラエル人が応答することによって成り立ったものだという点が、ポイントなのである。
十戒は「神はこれらすべての言葉を告げられた」という言葉で始まる点が重要である。神様は、ご自身との関係にイスラエル人を招き入れるにあたって、他のどんな手段でもなく、ただ言葉をかたりかけるという手段を取られた。このことは、今から3000年前の時代の神々と人々との関係の成立ということと較べた時に、決定的に違う点ではなかろうか。
他の神々と人々との関係で提示されるのは、おそらく実利なのであろう。「私と関係を持てば、五穀豊穣・国家安泰・商売繁盛・家内安全が与えられる。だから、私とつながりをもったらどうか」とのプロポーズなのであった。しかし、神様は、一切そうしたことを提示することはなかったのである。ただ言葉のみのプロポーズなのであった。十戒以後、23章の最後までの神様からの言葉には、実利の提示といったことが何処にもないことに気づくであろう。十戒の「父母を敬え」の後に「長く生きることができる」とあった。これは、あくまで結果である。実利が最初に提示されたのではない。何の実利もない神の言葉、それを聞き、それに応答し、それを受け入れて、神様との関係に招き入れられて行くのである。
これこそが、今もなお私たちに至るまで連綿として受け継がれている「シナイ契約」の本質的部分なのだと思う。私たちは今もなお、こうして聖書に書かれている神様の言葉を聞くことができるのである。聖書の言葉を説教する牧師の語る言葉を神様の言葉として聞くことができるのである。それを聞いたからといって、イスラエル人がエジプトを脱出できたような実利が与えられるわけではない。病が治るわけでもないし、実際的な解決が与えられるわけでもない。しかし、そうであっても、神様の声を聞くことができるのである。それに応答することができるのである。聞いた神様の言葉を信じて、神様との関係に招き入れられた者として生きることは、それによって五穀豊穣とか商売繁盛と言うような「実利」は与えられることはないが、私たちの生涯を深く励まし、生きる喜びを授けてくださるものなのである。
神様のなさることの中には、私たちにとっては避けたいこと、起きて欲しくないと思うことがある。けれども、それもまた、神様のなさることであるが故に、「時にかなって美しい」ものなのである。この神様の言葉は、苦難にさらされる私たちにとって、どれほど深い慰めになるであろうか。たとえ苦難そのものは無くならなくとも、生きる励ましになるのである。
3 もう一点、たとえ旧い契約であっても、このシナイ契約から今も私たちが受け継いでいる貴い財産が何かについては、なぜ神様の言葉に応答して成立するこの関係が、ことさらに「契約」とう語によって表現されているかを考えることから、良くわかってくる。契約などという語は、法律的なもので、とても冷たい感じを受ける言葉なのに、どうしてわざわざこのような言葉を、神様との関係を示す用語として用いたのであろうか。
今から3000年ほど前の中近東世界における神々と人間との関係を、「契約」という語を使うイスラエル人と神様との関係と対比して、フリーゼンは、「古代オリエントの宗教においては、神と民との関係は自然的な一体として存在している」と語っておられる(フリーゼン『旧約聖書神学概説』188ページ)。
これは私たち日本人にとっては、今なおとても身近なことである。郡山で私が住んでいた地域のすぐ近くに、奈良時代頃からある旧い神社があって、そこに住んでいた私は、フリーゼンの言葉のように、自然的な一体として自動的にその神社に奉られている神の「氏子」として扱われていた。何年かに一度、町内会の班長が回ってきた。たとえ牧師であっても氏子として定例際の寄付集めをしなければならなかったし、お札を配る務めまで担わされた。ひいては、私たち日本人すべては、日本という国に住む限りは、天皇という神様の氏子と言ってもよいかもしれない。そこには、そもそも「契約」ということは、入る余地がないのである。
これに対して、契約という関係の本質は、「契約自由の原則」というものがある。自由が奪われて、たとえば強制されたり騙されたり、誤解の上で結んだ契約は、そもそも無効と見なされる。契約の本質は、自由ということにある。イスラエル人は、神様の言葉への自由な応答から、その間柄に入ったのであった。自由に選択したのだった。その間柄に入らない自由もあったのである。ノアとの契約、アブラハムとの契約の根源にあったのも、自由であったと思う。これは、聖書に書かれているわけではなく、あくまで私の想像だが、神様はすべてのものに洪水が起きることを語りかけ、箱舟を作ることを呼びかけられたに違いない。また、すべてのものに、故郷・一族郎党を離れて行き先を知らずして出て行け、と語りかけられたに違いない。しかし、それに応答したのが、ノアのみであり、アブラハムだけだったのである。出エジプトも同じである。すべての者に、たとえエジプト人であろうとも「滅ぼすものがやってくるから、神様の言葉を聞け」とモーセは語りかけたに違いないのである。それに応じた者が、イスラエル人となったのである。神様と私たちの関係が、何よりも自由を根源にして結ばれるものであること、これもまた、私たちクリスチャンが、旧い契約から連綿として受け継いでいるのだと思う。
4 しかし、この契約には、どうしても「旧さ」が付きまとっている。そうであればこそ、私たちにはイエス様によって新しい契約関係が与えられねばならなかった。シナイ契約には「旧さ」の限界が伴っているのである。
感じられる雰囲気、トータルに受ける強い印象がある。モーセにシナイ山で契約の言葉が与えられたときの様子全体を述べる言葉だと思うが、1節後半から2節では「長老と一緒に主のもとに登りなさい」とありながらも、その長老たちは「遠く離れてひれ伏さねばならない」のであった。「モーセだけは主に近づくことができる。しかし、他の者は・・・」なのであった。12節以下で書かれているのも同じことである。確かに、すべての者が自由に神様との契約関係に入ることはできた。しかし、全体的に、ある特別の者だけが選ばれ、神様との特別な間柄になれるという、ある種の隔てがああったことに気づかされる。
この隔ては、根源的に何処から来るのか。11節に「神はイスラエルの民の代表者に向かって手を伸ばされなかったので・・・」とある。このシナイ契約では、神様は人々に手を伸ばして滅ぼしてしまう神として信じられていた。「神を見て、食べ、また飲んだ」とある。ここでイスラエル人が出会うことがてきた神様とは、つまり契約を結ぶ相手方である人間を滅ぼしてしまうかも知れない、恐ろしい存在として信じられていたのである。モーセだけが山頂に登って来て良いとの言葉は、神様自身の言葉として書かれてはいる。しかし、私には、それが本当に神様が語った言葉であったのか、神様がそもそも人に手をかけるような、そのような姿は本来の神様の姿とは言えないのではないかと思うのである。神様をそのような恐ろしい存在として信じてしまったことから、「モーセだけ」との隔てが生まれたのではなかろうか。
また、4節以下には、契約が締結されたことの、目に見えるきざしとして、12の石で祭壇が築かれ、また、その祭壇や人々に犠牲として捧げられた動物の血がふりかけられたことが書かれている。神様との契約関係に生きることが、こうして石で祭壇を作ったり、動物の血をふりかけたりするような儀式と切り離し難く結びついてしまっていたという、後のユダヤ教において、どんどん強くなって行った特徴が、この旧い契約締結時に、既に始まっていたのを見ることができるのである。
そして、最大の問題は、契約締結に際してのイスラエル人からの応答が、「すべて行います」というものだったことである。そこには、神様との特別な間柄というものは「すべて行います」と言える者だけが招き入れられるという固定観念があったのである。すべて行うことなど、出来ない者であっても、いや、そういう者であればこそ招き入れていただける間柄なのだとの恵みが無かったのである。このような旧さ故に、イエス様による新しい契約が不可欠だったのである。
筑波学園教会牧師 福島 純雄
2016年 6月19日(日)聖霊降臨節第6主日礼拝
09:01わたしはキリストに結ばれた者として真実を語り、偽りは言わない。わたしの良心も聖霊によって証ししていることですが、 09:02わたしには深い悲しみがあり、わたしの心には絶え間ない痛みがあります。 09:03わたし自身、兄弟たち、つまり肉による同胞のためならば、キリストから離され、神から見捨てられた者となってもよいとさえ思っています。 09:04彼らはイスラエルの民です。神の子としての身分、栄光、契約、律法、礼拝、約束は彼らのものです。 09:05先祖たちも彼らのものであり、肉によればキリストも彼らから出られたのです。キリストは、万物の上におられる、永遠にほめたたえられる神、アーメン。 09:06ところで、神の言葉は決して効力を失ったわけではありません。イスラエルから出た者が皆、イスラエル人ということにはならず、 09:07また、アブラハムの子孫だからといって、皆がその子供ということにはならない。かえって、「イサクから生まれる者が、あなたの子孫と呼ばれる。」 09:08すなわち、肉による子供が神の子供なのではなく、約束に従って生まれる子供が、子孫と見なされるのです。 09:09約束の言葉は、「来年の今ごろに、わたしは来る。そして、サラには男の子が生まれる」というものでした。 09:10それだけではなく、リベカが、一人の人、つまりわたしたちの父イサクによって身ごもった場合にも、同じことが言えます。 09:11-12 その子供たちがまだ生まれもせず、善いことも悪いこともしていないのに、「兄は弟に仕えるであろう」とリベカに告げられました。それは、自由な選びによる神の計画が人の行いにはよらず、お召しになる方によって進められるためでした。 09:12 09:13「わたしはヤコブを愛し、エサウを憎んだ」と書いてあるとおりです。 09:14では、どういうことになるのか。神に不義があるのか。決してそうではない。 09:15神はモーセに、「わたしは自分が憐れもうと思う者を憐れみ、慈しもうと思う者を慈しむ」と言っておられます。 09:16従って、これは、人の意志や努力ではなく、神の憐れみによるものです。 09:17聖書にはファラオについて、「わたしがあなたを立てたのは、あなたによってわたしの力を現し、わたしの名を全世界に告げ知らせるためである」と書いてあります。 09:18このように、神は御自分が憐れみたいと思う者を憐れみ、かたくなにしたいと思う者をかたくなにされるのです。
1 9章から11章までは、パウロが、同胞であるユダヤ人・イスラエル人の救いについて、真剣に悩み抜いた末に、神様から示された事柄を書いた箇所である。
最初に、どのような流れから、パウロがこのようなことを書くに至ったかを考えてみたい。8章では、イエス様を信じる信仰によって神様に結び付けていただいた私たちへの神様からのくプレゼントが聖霊であると書かれており、その最後には「(聖霊によっていただくところの)キリスト・イエスによって示された神様の愛から、私たちを引き離す者はない」と、高らかに語られていた。
このように8章を結んで、パウロは、心に強い悲しみ・痛みが浮かんできたのだと思う。それは、「素晴らしい神様の愛がイエス様を信じる信仰によって注がれているというのに、なぜ自分の同胞であるユダヤ人の多くは、そのイエス様を信じないのだろうか、拒むのだろうか」という疑問であり、嘆きであった。そもそもパウロの同胞が、神様の愛などというものを端から知らず、求めない人々であったならば、何の嘆きも痛みもなかったはずである。しかし、彼の同胞たちこそは、他のどんな民族とも違って、特別に神様に愛され、また神様を愛して、神様と結びあわされることを切実に求めてきた人々であった。
4節に「彼らは、イスラエルの民です。神の子としても身分・・約束は彼らのものです」とある。同胞こそ、長い間、神の子としての身分を与えられ、神様との契約関係に生き、それによって支えられてきた民族なのであった。そのような者たちが、何故、よりにもよって神様の愛を一層豊かに降り注がれるよすがであったイエス様を信じなかったのか、拒んだのか。もとより、かつてのパウロ自身がそうであったから、そうした同胞の心というものをパウロは良く分かっていたのだった。誰よりも、イエス様を拒む思いを分かるものとして、パウロはこの事を改めて問い、そこで示されたことを書かざるを得なかったのである。
2 このような嘆きを抱いていたのは、パウロだけではなかったと私は想像する。もともとユダヤ人からクリスチャンになった信者がローマ教会には多くいた。そのような彼らの周囲・背後には、いまなおユダヤ人であり続け、立法の行いこそを神様に結び付けていただく不可欠なよすがとして信じ続ける家族・親戚・友人・知人、幅広いユダヤ人コミュニティが、どれくらいの長きにわたってかは分からないが、彼らは律法の行いをすることにおいて、バビロン捕囚やペルシャ・シリアなどによる支配の難儀な時期を乗り越えてきたのであった。
「そのような先輩たちの信仰の伝道をかなぐり捨てて、ただイエスをキリストとして信じる信仰のみによって神様と結び付けていただけるなどと信じるのか。律法の行いをやめるのか。」と、クリスチャンになった者たちは攻めたれられたに違いない。イエス・キリストを信じる信仰によって、同胞との溝・対立が深まってしまう現実に、どれほど心を痛め悲しんだことであろう。「この溝・対立がなくなるなら、いっそのことキリストから離されてしまったほうがどんなに楽だろうか。」これが3節に込められたパウロやユダヤ人クリスチャンたちの思いなのであった。
溝を回避するために、なかにはクリスチャンでありながら律法の行いをする者へと戻って行った人々も出てきたに違いない。また、ある人々は、以下のような考えを抱くようにもなったのではないか、と想像する。それは、一言で言うなら、律法の行いによって私たちが神様に結び付けられるのだとする信仰と、ただイエス様を信じて神様とつなげられるという信仰とを、全く別物と考えるということである。同じ神様を信じる信仰とすると、どっちが正しいのかという対立が起きる。そうであるならば、いっそのこと、双方の信仰はそもそも別の神様を信じる信仰なのだと考えたら良いではないかと思ったのである。
「あなたがたユダヤ人は、律法の行いによって人間をつなげようとされる神様を信じるがよい。しかし、私たちクリスチャンは、ただイエス様を信じる信仰によって結び付けて下さるという神様を信じる。あなたがたの信じる神と私たちの信じるイエス・キリストの神とは別物の神なのだ。それぞれ、もう別の道を行こうではないか。」対立を回避しようとして、ユダヤ人クリスチャンのなかに、このような考え方が広まりつつあったのではなかろうか。
3 9章から11章の長きを使って、パウロが根本において「否」を突き付けたのは、何よりも今述べたような考え方であるように思う。沢山の旧約聖書の言葉を引用したパウロの心にあったのは、私たちクリスチャンの信じている神様は、旧約聖書が証しし、イスラエルの人々が信じてきた神様と、決して別ではないという確信であった。クリスチャンの信仰は、ユダヤ人の信仰と断絶などしていないとパウロは言いたかったのである。4節に記された「神の子としての身分・・・約束」を、クリスチャンは、イスラエル人からこそ受け継いでいるのだと、パウロは声を大にして言いたかったのである。
しかし、うわべだけを見てしまえば、律法の行いによって神につなげていただく信仰と、それによらずにイエス様を信じる信仰によってつなげていただくという信仰は、全く別物のように見える。深い溝が横たわっていたとしか見えない。その溝・違いを越えて、何処に根源的な共通点があるのか。同じ神様が同じ御心によって、私たちをご自分へと結びつけようとされている、それを論じようとしているのが、この9章から11省の部分だと言って良い。
そこで、6節から具体的な論証が始まる。全体を貫く命題が「神の言葉は決して効力を失ったわけではない」と、先ず語られている。「神の言葉」とは、11章まで数多く引用されている個々の旧約聖書の箇所として考えることもできる。しかし、もっと全体的に、そもそも私たちを結びつけようとなさる神様の御心を指していると私は理解する。それは、つぎの7節からの、アブラハムの時代から何らかわってはいないイエス様が生まれた後ではそれが変更されたとか、廃棄されたということはない、神様の御心は不変だとの命題が、まずバーンと示されるのである。そして、それが18節までに、主に2つの点で語られていると言って良いと思う。
4 その例証の第一は、6節後半から9節までに書かれている。神様の子としての身分を授かるイスラエル人がどうやって立てられたかを、アブラハムの世継ぎが立てられた聖書の出来事を通して教えようとしていたのである。
創世記の15章、また16章以下、妻サラとの間に跡継ぎが与えられなかったアブラハムが、どうやってそれを得ようとしたかを思い起こす。最初は僕エリエゼルを、次にはサラ付きの女奴隷であったハガルとの間にイシマエルを産ませることによって、アブラハムは跡継ぎを得ようとした。これは8節にいうところの「肉による子供」の意味するところである。
ところが、この2度にわたる企てを、神様は止めた。創世記15章4節では、「(エリエゼルが)あなたの後を継ぐのではなく、あなたから生まれる者が後を継ぐ」と言われ、その後で - 確かに、アブラハムの子供であるが - イシマエルを跡継ぎにしようとすると「いや、あなたの妻サラがあなたとの間に子を産む。わたしは彼と契約を立て、彼の子孫のために永遠の契約とする(創世記17章19節)」と言われた。これを聞いて、100歳になろうとしていた老夫婦は、唖然としてこの神様の言葉を嘲笑うしかなかった。イサクという名前は、この「笑う」から由来する言葉なのであった。さて、老夫婦はあざ笑ったが、神様の言葉によって揺り動かされ、応答した。イサクは聖霊によって宿ったのではなく、老夫婦の営みの結果生まれた子供であった。これが「約束によって生まれる子供」であった。
「このアブラハムの跡継ぎの事例を見なさい」とパウロは言ったのである。「どうやって神様はイスラエル人を立てられるだろうか。どんな子供をご自分の子供と見なされるだろうか。」アブラハムが自分の考えでエリエゼルやイシマエルの跡継ぎにしようとしたのを退けられたのである。私たちが私たちの考えで、神の子供になろうとするのを退けられるのである。律法の行いをして神に結び付けていただけるという信仰を退けられるのである。
反対に、私たちが嘲笑うしかないような、途方も無い神様の言葉、約束、その言葉に応答してそこから生まれる者を神様は子供として扱われるのである。普通の人間が嘲笑うしかない、十字架の上で殺された人間が救い主であること、この殺された人間が復活したということ。この出来事に示された神の言葉に応答し、それを信じるものをこそ、神様は自身の子供と見なして下さるのである。「アブラハムの昔からイエス・キリストに至るまで、何ら神の言葉は変わってはいないではないか。旧約聖書に証しされたこととクリスチャンの信仰に何の断絶もないではないか。」と。
5 第二の例証は、10節以下に語られてい。アブラハムの息子イサクに授かった双子のエサウとヤコブの例から、神様がどのような者を自身と結び付けられるか、選ばれるかを語ろうとしている。ここから、神様の選びについての様々な神学が生まれた。特にプロテスタント教会を幾つにも枝分かれさせる教理が生まれた曰くつきの箇所といえる。12節に「自由な選びにより・・・進められるためでした」とあり、それを聞く人々のなかには「神に不義があるのか」との反応が生じることを、パウロは予想していた。私たちも、神様は全く勝手気ままに私たちをお選びになり、そこには何の原理原則も無いかのような印象を抱いてしまう。
しかし、ここでパウロは決してそのようなことを言ってはいないと私は強く思う。神様がヤコブを選んだ自由さは、決して何の原理原則も無い勝手気まま、不義としか言えないような選びではなかった。神様の選びの本質を知るためには、それと対極にある人間の選びである双子の父イサクの選びを考えると、良く分かる。イサクは肉が好きで、そのために巧みな狩人で、自分に良く肉を運んでくれた長男エサウを跡継ぎとして選ぼうとした。これが人間の選びである。
これに、神様は否を突き付けたのであった。覆されたのである。神様はヤコブを選んだのである。ヤコブという名前の由来は、彼が母の胎から生まれ出たときに、先に出た兄の「かかと(あけぶ)を掴んでいたことに由来する(創世記25章26節)。ヤコブとは、そのような人間であった。かかとを掴まなければ生まれ出ることが出来なかったのである。究極的には、神様を掴んでいなければ生きることの出来ない存在なのであった。このような者を、神様はお選びになるのである。それが、神様の選びの原理原則なのである。決して、勝手気ままな自由さではないのである。ヤコブがかかとを掴んだように、イエス様を掴んで生きるしかない。人間的な選びでは、誰からも選ばれないような者を、神様はお選びになる。これが、旧約聖書の昔から途切れることなく続いている神様の選びなのである。
筑波学園教会牧師 福島 純雄
2016年 6月12日(日)聖霊降臨節第5主日礼拝
10:13イエスに触れていただくために、人々が子供たちを連れて来た。弟子たちはこの人々を叱った。 10:14しかし、イエスはこれを見て憤り、弟子たちに言われた。「子供たちをわたしのところに来させなさい。妨げてはならない。神の国はこのような者たちのものである。 10:15はっきり言っておく。子供のように神の国を受け入れる人でなければ、決してそこに入ることはできない。」 10:16そして、子供たちを抱き上げ、手を置いて祝福された。
1 ここでイエス様が、「神の国はこのような者たちのものである」と言われたとある。「このような者たち」とは子どもたちや幼子のことである。そして「子供のように神の国を受け入れる人でなければ、決してそこに入ることはできない」と言われたのであった。「神の国」とは、私たちが死んでから行くとされる「天国」のことではなく、文字通りには「神様の支配」を指している。私たちが慣れ親しんでいる言い方からすれば、神様との結び付きに招き入れていただくことを意味している。イエス様は、私たちと神様との結び付きがあたかも父母と幼子との間柄のようなものだと言ったのだった。神様との結び付きに招き入れられた私たちは、あたかも神様の幼子のように扱っていただけるのだと言うのである。
そうであるからこそ、神様との間柄を父母と幼子の関係のようなものとしてとらえることができなければ、残念ながら、そこに招き入れられることは出来ないとされるのである。それは決して、神様が私たちをシャットアウトするという意味ではない。神様はすべての者を、自身との間柄へと招き入れようとされておられる。しかし、その間柄を幼子と父母との関係として受け取ることができなければ、残念ながら、招かれる私たちの側で、それを拒んでしまわざるを得ないということなのである。神様との間柄の魅力が分からないのである。だから、折角の招きを拒んでしまうことになる。
2 そうやって神様からの招きを拒んでしまった一人の人の有り様が、17章からのエピソードに記されている。マタイ・マルコ・ルカによる福音書のすべてにおいて、このエピソードの直後に「金持ちの男」というタイトルが付けられた出来事が書かれている。新約聖書が書かれた頃の初代教会では、この二つのエピソードが常にワンセットのものとして語り伝えられていたことが、ここに現れている。
この金持ちの男は、ルカによる福音書では「議員」でもあったとされている。「永遠の生命を受け継ぐには何をすればよいか」とイエス様に尋ねてきた。「永遠の生命を受け継ぐ」とは、言葉は違うが、根本的な意味としては「神の国に入る」ことと同じである。永遠の生命を持っておられる神様と結び付けていただくことを、この人は切実に求めていた。それは確かであった。しかし問題は、その神様との結び付きを、どういうものとして彼はとらえていたかということである。「何をすれば」と彼は問うた。この人は今まで、お金も地位も、必ず「何かをすることで」手に入れてきた。そして、手に入れたものは、彼を大いに利するものであった。だから、神様とのつながり、また、それによって得られるものも、同じように手に入れられるものであり、同じような性質のものだと考えていたのだった。彼がそのように考えていたからこそ、イエス様は言われたのだった。「神様とのつながりが、それ程あなたを利するものであるならば、そして、それが何かをすることによって獲得され得るものであるならば、あなたが今持っているすべての財産を売り払い、貧しい人に施すがよい」と。それは決して、言葉通りの要求ではなかった筈である。神様との結び付きとは、私たちの側で何かをすることによって、その対価として獲得されるようなものではな。そのことに気づけとの語りかけなのであった。幼子が両親から愛され慈しまれることにおいて、幼子は両親に対して何かをするだろうか。何もできないではないか。それでも、両親は喜んで幼子を愛してくれるではないか。
また、両親から与えられるものも、確かに幼子を利するものではあろうが、しかし、金持ちになったり議員になったりというようなものとは、全く違う。乳をあげることも、抱っこすることも、皆、その時々に与えられては消えて行くものに過ぎない。親の幼子への慈しみは、幼子が大きくなっても、その跡が残っているようなものは何もないのである。むしろ、はっきりとその跡が残っているようなものは慈しみではないかもしれない。
3 さて、この金持ちの男は、神様との間柄に入れていただくことに失敗した。しかし、それを切実に求めることはしていた。それを求める限り、いつか必ず招き入れていただくことはできたのではないかと思う。それに反して、世の多くの人々は、神様との結び付きに招き入れられることなど、何ら求めていないという現実がある。クリスチャン人口が1%にも満たない日本だけでなく、欧米の人々でさえ、どんどん信仰から離れて行く現実がある。その理由は、もう大人なのだ、ということであろうか。目に見えない神様などという存在を、もはや親として頼る必要など感じない。自分はもう、そんな子供などではない。頼るとしても神様でなく、実の親や家族や友人やお金・財物を頼るから、神様との間柄など何ら必要が無いということなのであろうか。
しかし、本当にそうなのかと、私は声を大にして言いたいのである。私たちと神様とが幼子と親との関係に招き入れられるということは、もはや今日の社会にとっては何ら必要のないことであろうか。十戒とは、私たちを神様が、強制したり命令したりする間柄に置くものではなく、私たちを神様の伴侶の如き間柄に置いて、それによって私たちを奴隷的な状態から導き出すためのものである。私たちが神様と夫婦のような関係に置かれることは、この世の具体的な生き方において、私たちを隷属的な状態から解放する力を持っている。実際に十戒の力をいただいて、イスラエル人は解放され続けた。親と子の関係もまた、私たちを奴隷のような状態に置く様々な支配者・事柄から、私たちを導き出してくださるものではなかろうか。
大人になった私たち、頼るものが沢山ある私たちには、もはや私たちを奴隷のような状態に置くものなど何処にもいないと言えるであろうか。決してそうではない。ローマの信徒への手紙の8章31節以下には、私たちに敵対し、私たちを訴え、私たちを支配するものを、パウロが20近くも挙げていた。私たちが、どんなに大人になっても、頼るものが沢山あっても、私たちを奴隷として支配しようとする勢力は、なお数多くある。その力は大きいのである。そうした勢力の下に、私たちは寄るべなき幼子のような者とされるのではなかろうか。そうであればこそ、私たちをそこから導き出して下さる神様との間柄が不可欠なのではなかろうか。
4 では、この間柄において、神様は私たちをどのように具体的に扱ってくださるのか。その扱いが、私たちをして、どのように隷属的な状態から導き出して下さるか。まず、書き出しの13節と14節には、イエス様に触れて頂こうと子供を連れて来た人々を弟子たちが妨げ叱ったのに対し、イエス様は憤られたことが書かれている。注解書には、福音書の中でイエス様が憤られたと書かれている箇所は、ここだけとのことである。イエス様は、私たちが神様の子として神様に触れていただくことを妨げる勢力に、憤って下さったのである。とても象徴的な意味だが、私たちに神様が触れるのを妨げるのが、私たちを隷属させようとする存在なのだと思う。触れる価値のない存在として、私たちを扱うものがある。
最後の16節に、イエス様が「子供たちを抱き上げ、手を置いて祝福された」とある。神様が私たちにして下さることが描かれているのだと思う。両親や幼子を心から喜んで触り、抱き上げ祝福してくれる。命に溢れた存在として、将来に向かってすくすくと成長する存在として、慈しんでくれるのである。神様は私たちを慈しんでくださる。老いた私たちであっても、死んでしまった私たちであっても、誰からも触れられず抱かれず祝福されなくなった私たちを、神様・イエス様・聖霊は、そうして下さるのである。
筑波学園教会牧師 福島 純雄
2016年 6月5日(日)聖霊降臨節第4主日礼拝
20:20そこで、機会をねらっていた彼らは、正しい人を装う回し者を遣わし、イエスの言葉じりをとらえ、総督の支配と権力にイエスを渡そうとした。 20:21回し者らはイエスに尋ねた。「先生、わたしたちは、あなたがおっしゃることも、教えてくださることも正しく、また、えこひいきなしに、真理に基づいて神の道を教えておられることを知っています。 20:22ところで、わたしたちが皇帝に税金を納めるのは、律法に適っているでしょうか、適っていないでしょうか。」 20:23イエスは彼らのたくらみを見抜いて言われた。 20:24「デナリオン銀貨を見せなさい。そこには、だれの肖像と銘があるか。」彼らが「皇帝のものです」と言うと、 20:25イエスは言われた。「それならば、皇帝のものは皇帝に、神のものは神に返しなさい。」 20:26彼らは民衆の前でイエスの言葉じりをとらえることができず、その答えに驚いて黙ってしまった。
1 「皇帝に税金を納めるのは律法に適っているか、否か」という質問に、イエス様が見事に答えた有名なエピソードである。この質問は、20節と21節にあるように、「イエス様の言葉尻をとらえ、総督の支配と権威にイエスを渡そうとした」人々からの回し者によってなされたとある。確かに、直接的にはそのような意図からなされたに違いなかったであろうが、この問いは、当時のイスラエル人がとても真剣に悩んでいたものであった。決して単にイエス様を陥れるために無理やりにひねり出されたものではなかったと私は思う。
なぜこの問いに当時のイスラエル人が悩んでいたのか。総じて言えば、当時のイスラエルは、ローマ帝国の占領下にあったため、ローマがイスラエル人に課していた税金には、幾つかの種類があったようである。「デナリオン銀貨」に関して言えば、これは人頭税という税金に当るものであった。1年間に1デナリオン(当時の労働者1日分の日当に相当する)を納めねばならなかった。問題は、この貨幣には、24節にあるように、例えば「神の子、皇帝ティベリウス」というような銘と共に、皇帝の像が刻んであったことのようである。税金は、当然ローマの貨幣によって納めねばならないが、このことが律法に反しているのではないかと考えられたのである。十戒の最初に、「わたし以外の何ものも神としてはならない、たとえ神でさえ(その)像を作って礼拝してはならない」とあった。皇帝を神の子とする銘とその像を刻んだ貨幣を用いて、皇帝の命令に服して税金を納めることは、この十戒の最初の部分に反するのではないかとの疑問が当然浮かぶのである。そう考えた人々は、実際に暴動まで起こし、沢山の人々が処刑されたとのことである。他方、新ローマ派の人々は、税金を納めることを推奨していた。
このように、税金を納めることをめぐって、イスラエル人は二分されていたのである。答えがなかなか出せない難問だったのである。そこで、この難問をイエス様が、どのように答えるか聞いてみたいとの思いも、人々にはあったのではなかろうか。
2 私は、今から2000年前の人々が、皇帝に僅かな税金を納めるということについて、これほど真剣に悩んでいたという点に驚いた。あちこちに王様がいて、その力のままに、勝手気ままに人々に税金を課し、人々はそれを、仕方のないこととして諦め、何の疑問なども抱かずに納めていたのが、当時の時代社会であろう。今でも、そういう時代が続いていると言っても良いかも知れないが、そういう中にあって、このイスラエル人たちだけは、皇帝に税金を納めることを当然とは思わずに、疑問を抱いたのであった。律法を基準にして、相応しいことなのかどうかを問うたのであった。これは、本当に驚くべきことではなかろうか。
それをなさしめた原動力は何であったか。それが、律法の核であった十戒であった。
神様と一対一の間柄に入れていただいた私たちは、すべての事柄、また生き方を、その点から判断し、相応しいかどうかを吟味する。それは決して、強制や命令によってではなく、自発的な神様への応答としてそうするのである。皇帝に税金を納めることも、決して当たり前のことではない。神様とそのような間柄に入れていただいたものとして相応しいのかどうか、を問うのである。問うことによって、時には却ってトラブルが生じ、決して隷属させられている状態から文字通り自由になれないかも知れない。しかし、皇帝に対しても私たちを真正面から対峙させ、奴隷であったイスラエル人がモーセを代表としてエジプト王に立ち向かったように、ひいてはエジプトを出て行ったようにさせる原動力となるのである。
3 さて、突き付けられた難問に対して、イエス様は逃げることなく、イエス様なりに十戒に照らして、皇帝に税金を納めることの是非を答えたのではなかろうか。イエス様は、この問いをなした人に対して、最初に「デナリオン銀貨を見せなさい。そこに誰の肖像と銘があるか」と尋ねた。「皇帝のです」と答えると、「それならば、皇帝のものは皇帝に(返しなさい)」と、先ず答えた。結論的には、「税金を納めることを可とした」ということであろう。それは、どういう理由からなのであったか。
デナリオン銀貨を見せなさいと言われて、そう言われた人が直ぐにそれを手にできたということは、税金のことを質問しようとしてたので、予めデナリオン銀貨を準備していたとも考えらる。しかし、普通に日常的な買い物のために財布にそれが入っていたとも考えられる。そうであるならば、当時のイスラエル人であっても、そのように日常的に皇帝の肖像や銘がついた貨幣を使っていたのである。その貨幣を使うということは、自ずと皇帝の支配の下での生活を受け入れていたことを意味してはいないだろうか。もしも皇帝の肖像や銘が刻まれた貨幣を使うことが、神様を唯一の伴侶として結び付けられている存在としての自分を傷つけるようなこととして感じられたなら、そうは出来なかった筈である。しかし、そうではなかった。皇帝の権威の下で生きることに何の問題も感じていないのなら、「皇帝の支配の領域で皇帝が求める者を納めるくらい何程のこともないではないか」と、先ずイエス様が、答えたのではなかろうか。
もう一点、イエス様が考えておられた何かがあったように思う。「デナリオン銀貨を見せなさい」という言葉は、「あなたがたが皇帝に納めなければならないのは、1年間にたったそれだけなのだよ」ということを、改めて確認させようと意図していたように感じる。1デナリとは、当時の労働者の1日分の日当に相当する。「たとえ皇帝に税金を納めるとしても、それは、1年365日の中のたった1日分に相当する金額を納めるだけではないか。あとの364日分は、あなたがたのものではないか。残りの日々は神様との間柄に生きることができるではないか。」そういうイエス様の声が聞こえて来るような気がした。もちろん、皇帝に納めなければならないものは1日分の税金だけではなく - それは氷山の一角に過ぎなかった - 根本的には、生活全般にわたる支配への服従ではあったのである。しかし、イエス様は、たとえそうであったとしても、神様との関係に生きることと対比して - それが「神のものを神に返す」という在り方であるのだが - 皇帝の支配の下にあることの「わずかさ」というものを語りかけておられたのではなかろうか。「それほどわずかなものならば、納めてやるがよかろう」とイエス様は言われたのであろう。
エジプト王の下で苦しめられていたイスラエル人の姿が、私たちにとってはどんなことにあたるだろうかという点を、何度か考えさせられた。長く堅持してきた憲法解釈を、いともたやすく覆してしまい、福祉のためには消費税の増税が不可欠と言いながらも、何のことはなく先送りしてしまう政治体制も、それにあたるのかも知れない。また、私たちを苦しめる身体や心の弱さ、土の器であることによって受ける支配というものもそれに該当するように強く感じる。デナリオン銀貨に皇帝の肖像や銘が彫られ、それは、「この貨幣は私のもの」との宣言であるのと同じように、私たちの心や身体にも銘や像が彫られていて「この者は私が支配するものだ」との宣言が為されているようにも感じる。私たちは本当に、そのために苦しめられている。そのような私たちに対して、イエス様は「しかし、それは1デナリでしかない」と言われる。「彼らがあなたがたを支配できるのは、あくまで1デナリ分でしかないのだ。その支配を必要以上に重く考えてはいけない。あなたがたを全て支配できるなどと受け取ってはならない。」と、イエス様は励まして下さるのである。
4 こうして、皇帝に納めるものが僅か1デナリであったのに対し、「神様との間柄において、私たちがいただき、また捧げることのできるものは、本当に豊かであり、大きいのだ」との心が込められているのが「神のものは神に返しなさい」とのイエス様の言葉であったと思うのである。
いま、心や身体の不調から、とても苦しんでおられる方々のことを思わずにいられない。つまり、「皇帝」のようなものの支配下に置かれている方々のことを思うのである。
すぐ前には、家を建てるには役に立たないとして捨てられた石が、神様によって土台に不可欠の石とされると書かれていた。イエス様自身が、数日後には、まさにこのような役に立たない石として、十字架の上で殺されようとしていた。受難が数日後には待ち受けていたのである。その最中に、イエス様が語られたこの言葉の意義は深いと感じざるを得ない。この世の皇帝が私たちを支配する力は、実際にはとても大きい。イエス様を十字架にかけて殺してしまう程のものである。役に立たない石としてしまうのである。しかし、そのような石を、神様は用いてくださる。十字架の上で殺されたイエス様を、神様は救い主とされたのである。これが、皇帝に奪われ無理やり納めさせられるものよりも、神様との間柄において私たちが頂くものの方が遥かに大きいということの実証だと、私は思うのである。
イエス様が自身をもって実証して下さったことを信じて、皇帝の支配の下を生き、それを越える存在である神様に委ねるしかないのではなかろうか。神様に委ねるとは、どういうことであろうか。十戒において、「安息日を聖とせよ」「休め」と神様が言われたことを、改めて思い起こす。神様との間柄において、私たちに与えられ、また私たちが神様に捧げるものも、休むということに他ならない。「私がこれをしなければ」「私がやらねば」という思いから、7日目に休むことによって離れ安息するのである。
神様との間柄において、神様が与えて下さるものとして安息をすることが大事なのである。役に立たない石になることも大事なのである。それが、神様のものを神様にお返しすることなのではなかろうか。
筑波学園教会牧師 福島 純雄
2016年 5月29日(日)聖霊降臨節第3主日礼拝
20:01神はこれらすべての言葉を告げられた。 20:02「わたしは主、あなたの神、あなたをエジプトの国、奴隷の家から導き出した神である。 20:03あなたには、わたしをおいてほかに神があってはならない。 20:04あなたはいかなる像も造ってはならない。上は天にあり、下は地にあり、また地の下の水の中にある、いかなるものの形も造ってはならない。 20:05あなたはそれらに向かってひれ伏したり、それらに仕えたりしてはならない。わたしは主、あなたの神。わたしは熱情の神である。わたしを否む者には、父祖の罪を子孫に三代、四代までも問うが、 20:06わたしを愛し、わたしの戒めを守る者には、幾千代にも及ぶ慈しみを与える。 20:07あなたの神、主の名をみだりに唱えてはならない。みだりにその名を唱える者を主は罰せずにはおかれない。 20:08安息日を心に留め、これを聖別せよ。 20:09六日の間働いて、何であれあなたの仕事をし、 20:10七日目は、あなたの神、主の安息日であるから、いかなる仕事もしてはならない。あなたも、息子も、娘も、男女の奴隷も、家畜も、あなたの町の門の中に寄留する人々も同様である。 20:11六日の間に主は天と地と海とそこにあるすべてのものを造り、七日目に休まれたから、主は安息日を祝福して聖別されたのである。 20:12あなたの父母を敬え。そうすればあなたは、あなたの神、主が与えられる土地に長く生きることができる。 20:13殺してはならない。 20:14姦淫してはならない。 20:15盗んではならない。 20:16隣人に関して偽証してはならない。 20:17隣人の家を欲してはならない。隣人の妻、男女の奴隷、牛、ろばなど隣人のものを一切欲してはならない。
1 十戒というのは、その「戒」という言葉が示すように、私たちに戒めを与えるものである。これによって神様は、私たちに強制し、たがにはめようとしていると理解される。だから、そのようなものは、私たちの信仰とは無関係であり、これはユダヤ教の人々のみに有効なものだと考えられている。
2節に、十戒の根本的な性格がはっきりと現れている。私たちキリスト教会では、2節の言葉は十戒には含まれていないとしている。ユダヤ人は、2節こそが十戒の第一戒であり、扇の要のような部分だと理解している。私もそう思う。この2節こそが、3節以下に語られる具体的な10の条項の基礎部分をなしていると思うのである。この礎が、その上に建てられている十戒という構造体の性格を根本的に規定しているのである。
では、この2節で、何が語られているのか。神様はいかにして、どのようにして私たちに係わろうとする存在なのかが、神様の言葉によって明言されている。「わたしは・・・奴隷の家から導き出した神である」とある。この翻訳では「導き出した」と過去形になっている。注解書によれば、本来のニュアンスは、決して過去の一回だけの出来事ではなく、未来永劫繰り返され続けるとの意味だという。つまり神様は、この2節で、もしも私たちが奴隷のような状態に置かれたときには、そこから私たちを解放し自由にすると、神様自身が、その言葉によって明言しているのである。
ここには、命令や強制というものはない。お前たちはこういう風にせよ、こうでなければならない、とは一言もない。むしろ、そういう強制や命令によって形づくられる関係を、神様がきっぱりと拒絶しているとさえ、私には感じられる。奴隷の家から導き出すということは、たとえ神様との間柄であってさえも、私たちが神様の奴隷のようになるのは駄目なのだと、神様が言われていると、私には改めて思えてくる。
何故、神様がイエス様をお送り下さったのか、イエス様を信じる信仰、その信仰におけるイエス様との人格的な関係において、私たちを神様と結びつけようとなさったのかが、ここで本当によく分かってくる。イスラエル人の信仰生活において、残念ながら、十戒やそれを核として生じた律法が、人々を熱心な信仰者ではあっても奴隷にしてしまっていた現実があった。そこから神様は人々を導き出そうとして、イエス様をお遣わし下さったのである。神様との間柄が、イエス様を信じることによる自由で人格的なものとなるためだったのである。
神様がこのような存在であり、私たちとこのような関わり方をなさるものだということを、神様は、ただ言葉によってのみ語ったのである。これは、あたかも言葉によるプロポーズのように私には思える。誰も、プロポーズを強制や命令によってなす者はいない。そんな事をしたら、それはプロポーズでも何でもなく、セクハラでありパワハラであり、ストーカー犯罪者である。神様は、ただ言葉によって、神様がこのような存在であることを示し、「どうかこのような自分を選んで欲しい、関係をもって欲しい、結婚して欲しい」と熱烈にアタックしておられるのである。神様が提示しておられるのは、言葉による自由な人格的関係である。決して、私たちを支配し、無理強いする間柄ではない。
2 決して無理強いによってではなく、言葉によるプロポーズを受けて、私たちは神様との結び付きに招き入れられたとき、この神様との間柄が自ずと、私たちの信仰生活において、また他の神々と呼ばれる存在に対して、また対人関係や社会関係について、自ずと或る態度というものを取らざるを得なくなるのである。この「自ずと」「不可避的に」「必然的に」生じて来る有り様というものが、3節以下に上げられた10の条項に示されている。神様と、言わば、その言葉を聞いて結婚したということは、どうしたって人や事柄や生き方とは自ずと反発し、水と油のようなものにならざるを得ない。それが、翻訳の言葉としては「ならない」という禁止命令として訳されたのである。その本来のニュアンスは、神様と夫婦になったら、どうしたってこうなるしかないだろう、そうならない筈はないだろう、という意味である。他方では、その逆に、ある事柄と神話性を持たざるを得ないのである。磁石のプラスとマイナスが引き付け合うように、どんなに離そうとしてもくっついてしまう。それが、8節と12節で挙げられている - 十戒の中では、この2項目だけが、「ならない」ではなく「せよ」で終わっている - 安息日を生とすることと、父母を敬うことである。
そこで先ず、禁止命令として訳されているものに触れたい。3節の「わたしをおいて・・・」との要請は、これは神様と結婚したわけであるから、言わずもがなのことである。つぎに、4節5節の、なぜ、この神様であっても、像に刻んで礼拝してはならないのか、またこの神様の名であってもみだりに口にしてはならないのかが良く分かる。ただ、神様の語られる言葉によって形成されるところの、自由な人格的な関係だからこそ、私たち人間の側が像を刻み造ることからの関係とは、水と油に成らざるを得ない。それま、何よりも、言葉によるものではないからである。そして、更に、人間が作る像の中に神様を閉じ込めることになる。私たちが勝手に「これが神様だ」と信じて、その写真なり像なりの神様を口にして祈ったり願ったりすることであるから、これも神様との人格的な関係とは言えないのである。
3 13節以下の5つの項目は、対人関係・社会的な関係において、どうしても水と油に成らざるを得ない事柄のリストである。言葉によって神様と人格的な関係を築くことは、自ずと、殺すこと・姦淫すること・・・隣人の家を欲することについては、水と油でしかあり得ない。それは何故か。
ここで挙げられている5つの項目を共通したものとして捉えるとしたら、私には、最後の17節が「隣人の家を欲してはならないと(以前の聖書では「むざぼってはならない」とあった)まとめているように、要は、むさぼることを指しているのだと思う。これこそが、神様に結び付けていただくことによって、私たちに与えられる状態とは水と油なのである。私たちが神様と結び付けていただくとは、私たちが神様の持っておられるものによって満ち足りることを指している。夫婦となるということが、伴侶との間柄において、共通しお互いに与え合うものにおいて満ち足りることを意味しているのと同じである。確かに、他の人に較べると何故自分は?と思い、隣人を妬みむさぼる心が湧いてくる。しかし、神様とつながっているならば、それもまた、御心としてそうなっていると思えるのである。足りない点にも意味があると思えるのである。
夫婦という比喩だけではなく、神様とつながっている私たちを、神様はあたかも自分の子供として扱って下さる。奴隷ではなく、子供として、大切にして下さるのだから、むさぼる必要はないのである。また、私たちが神様と結び付けられて、そこからいただく良いものの中には「聖」がある。イエス様の命までも与えられている私たちが、むさぼることができるであろうか。汚れた生き方ができるであろうか。神様とつなげていただいたことには、このような力がある。私たちをして、決して強制や命令ではなく、自由な喜びとして、むさぼることから遠ざけさせる強い力がある。
4 最後に、撥ね退けあうものではなく、強烈な親和性をもっている2つの事柄について触れたい。まず、安息日を守ることである。なぜ、このことに神様と人格的につなげられた私たちが引き付けられることになるのか。11節には、神様ご自身が創造の御業において7日目には休まれたから、その神様につなげられている私たちもみずから、7日目には休むようになるのだとされている。神様ご自身が7日目に仕事をやめて休まれたということの意義を、改めて考えさせられる。
いつの時代にも、とくにこの現代においては、休むということは罪悪のように言われる。エジプトの王様が、まさにそうであった。私たちを奴隷として隷属させようとする勢力は、極力休むことをさせないようにする。アウシュビッツの強制収容所の入り口に「労働はお前を自由にする」と掲げられていたことは良く知られていることである。そこでは、働ける人間だけが有用だった。働けない者は容赦なく殺された。働くことのみに価値があるということが、私たちを奴隷にするこの世の価値観なのである。このように、私たちを奴隷にする勢力に神様が真っ向から立ち向かわれたのが、神様ご自身が7日目に休まれたということではないかと私は思うのである。
もちろん、仕事をすることは大事なことである。神様が6日間は仕事をされたように、「6日の間は、何であれあなたの仕事をし」とある。「何であれ」とあるように、仕事の優劣というものはない。しかし、7日目には休まれた。仕事をなさらない存在になられた。何の仕事もしない、生み出さないという、言わば、ゼロかマイナスの存在になられたのである。そのことこそを、他のどんな日にもまして、祝福して聖別された。プラスだけがあって良いのではなく、マイナスがなくてはならない。マイナスの存在こそが祝福され聖別される。これが神様が休まれたことの深い意味であるように思う。だから、この神様と結びつけられた私たちも、自ずと、マイナスを大切に出来るようになるのである。私たちにとって安息日を守るとは、7日目ごとに礼拝を守るだけでなく、すぐ後に述べる父母を敬うことと密接に繋がるのである。人生の7日目、つまり仕事が出来なくなった晩年を大事にするということでもあると思う。
つぎに、父母を敬うということである。これは安息日を聖とすることと密接に繋がっていると思う。父母を敬うとは、極端に言えば、その老いを大切にし、死を看取るということに他ならないと思う。それは、人生の7日目に差し掛かって仕事ができなくなり、周囲の人々にとってもマイナスである部分が多くなった、そういう父母を大事にし、その死を看取ることを意味している。
なぜ、神様と人格的に結ばれた私たちが、このことと親和性をもつのか。それもまた、神様ご自身が7日目に安息なさったことと深く繋がっている。他の9つの条項と較べて、この父母を敬えという項目だけに「そうすれば・・・長く生きることができる」との祝福の約束が付加されている。父母を敬うことが、私たちにどれほど祝福を与えるかが、約束されているのである。老いた父母を敬い、その死を看取ることからも、同じものをいただくことができる。父母を敬った者は「長くいきることができる」との約束をいただくのである。私たちが、私たちの父母が苦労して死んでいく姿を見るということは、私たちにも、それを許容させる力となるのである。
筑波学園教会牧師 福島 純雄
2016年 5月22日(日)聖霊降臨節第2主日礼拝
20:01神はこれらすべての言葉を告げられた。 20:02「わたしは主、あなたの神、あなたをエジプトの国、奴隷の家から導き出した神である。 20:03あなたには、わたしをおいてほかに神があってはならない。 20:04あなたはいかなる像も造ってはならない。上は天にあり、下は地にあり、また地の下の水の中にある、いかなるものの形も造ってはならない。 20:05あなたはそれらに向かってひれ伏したり、それらに仕えたりしてはならない。わたしは主、あなたの神。わたしは熱情の神である。わたしを否む者には、父祖の罪を子孫に三代、四代までも問うが、 20:06わたしを愛し、わたしの戒めを守る者には、幾千代にも及ぶ慈しみを与える。 20:07あなたの神、主の名をみだりに唱えてはならない。みだりにその名を唱える者を主は罰せずにはおかれない。
1 私たちにとって、イスラエル人がエジプトを出た後の荒れ野の歩みは、信仰生活の雛型のようなものである。 しかし、だからこそ、この世の食べ物や飲み水がなくなった時に、神様からの不思議な食べ物であるマナを授かり、また岩から水が与えられるという体験ができるのである。神様が火の柱・雲の柱をもって導いて下さるという体験もすることができるのである。
2 それでは、イスラエル人が十戒を授かったということは、今日の私たちの信仰生活にとってどのような雛型なのであろうか。主の祈りと使徒信条、そして十戒の3つは「三要文」と呼ばれている。「さんようもん」とは聞きなれない言葉かもしれない、それは、三つの重要な文章という意味である。
私たちの教会では、主の祈りと使徒信条を毎週の礼拝で唱和している。しかし十戒はそうではない。十戒を主の祈りや使徒信条と同じように、毎週の礼拝で唱和している教会は、おそらくきわめて少ない。そのように、私たちの信仰生活においては、三要文とは言われても、主の祈り・使徒信条が果たしている役割と、十戒のそれとは全く異なっているという現実がある。
どうして十戒がこのような位置にしか置かれていないかについては、様々な理由があろう。まず、最も影響が大きいのは、パウロの手紙である。パウロの書簡には、十戒を核として成立した立法への非常にネガティブな記述が多い。
もちろん、彼は、律法そのものは聖なるもの・善いものと言っている(ローマの信徒への手紙7章12節)。しかし、総じて立法に対しては否定的なのである。たとえば、コリントの信徒への手紙Ⅱの3章6~7節では「文字は殺しますがレは活かします。ところで、石に刻まれた文字に・・・」と言って、十戒そのものに対しても否定的なことを書いている。
こうしたパウロの記述と相まって、十戒が「ねばならない」と、あたかも私たちに強制するかのように読めるのも大きな理由だと思う。強制や強要を、私たちは嫌うものである。それは、信仰生活とは相容れないものと私たちが思うからである。
確かに、パウロの時代のユダヤ教では、十戒を核にした律法が、冷たい石に書かれた文字の如くに、人々に強制を課し、その信仰を「殺す」というような現実があったのだろうと思う。しかし、律法をそのようなものにしてしまったのは、あくまで人々の側であって、神様ではなかったのである。
律法の核をなす十戒は、その原型は、確かに、神様によって授けられた聖なるもの・善いものなのである。神様に由来する聖なるものが、私たちを殺すはずがない。私たちにとって単なる強制ではあるはずがない。神様が十戒を授けてくださったのは、今日の私たちにとっても、非常に重要な信仰生活の雛型なのである。原点を指示しているのである。
では、どのような点において、十戒は私たちの信仰生活の原点を指しているのであろうか。まず、十戒そのものではないが、その前段をなしている1節の「神はこれらすべての言葉を告げられた」である。十戒は、他のどんな手段によってではなく、言葉として語られ与えられたものであった。言葉として語られたので、それは二枚の石の板に、文字によって刻まれた。その二枚の石の板そのものは、残念ながら現在、行方はわかっていない。しかし、それはは、どうでも良いことである。
大事なのは、それが言葉として語られ、さらにそれが私たちが読むことができ、理解できる文字によって書かれたという点である。そうであるが故に、石の板が無くなったとしても、それが今日まで、聖書という紙の上に書かれて、だれにでも読めるものとして提示されているということなのである。
この点が、これまで荒れ野で授けられたマナや岩からの水や、火の柱・雲の柱による導きにはなかったものなのである。もし、今日でもそのようなものを媒介として成り立つのが私たちと神様との関係だとしたら、私たちの目の前に、今でもマナや、岩からの水や、火の柱・雲の柱が現れるはずである。
この20章にあたって、神様が言葉をもって十戒を授けたのは、これからの神様と私たちとの関係が、これまでのものとは決定的に異なったものであることを示すためだったのである。直接の不思議な体験として、もう、マナを食べる必要はなく、岩からの水を飲む必要もない。神様が語られた言葉が、文字として石にせよ紙の上にせよ書かれ、それを私たちが読み、応答するという、マナや岩からの水を飲むことと較べると、非常に間接的な関係において、私たちと神様との間柄・信仰生活が成立することを神様は告げておられるのである。
この原点があって、キリスト教徒である私たちと神様との関係、またイエス様とのつながりも、また言葉によって成り立つものとなっている。イエス様は神様の言葉が人となられたものだとヨハネは言った(ヨハネによる福音書1章14節)。しかし、人となられたイエス様は、十字架の上で殺され、復活した後、天に昇ってしまわれた。私たちは、人となられたイエス様に触れることも、この目で見ることもできなくなってしまった。
しかし神様は、このことこそを良しとされておられるのである。だからこそ、私たちは聖書の言葉・書かれた言葉によって、神様の言葉を聞くことができるのである。見ることもできず、触れることもできなくとも、私たちはただイエス様のことを聞くことによって、イエス様との結び付きを与えられるのである。それこそが、十戒に込められた神様の御心であったのだと、私には思えるのである。
3 なぜ神様が、私たちとの結び付きを、他のどんなよすがによってではなく、言葉によって成立するものとされたのか。それは、言葉こそが、時間や空間の隔てを越えて、私たちと神様・イエス様とのつながりを成立させるのに最もふさわしいからだと思う。よく「言葉など何になるか」と言われる。しかし、ある場合には、言葉こそが時間や空間の隔てを越えて、目に見えなくなった存在と私たちをつなぎ合わせる唯一のよすがとなるのである。
だからパウロは、ローマの信徒への手紙10章8節において、申命記30章14節を引用して「御言葉はあなたの近くにあり、あなたの口、あなたの心にある」と語っているのである。
こうして、言葉によって成り立つ神様との関係とは、何よりも「信じる」という間柄なのである。マナや岩からの水を与えられたのなら、信じる必要はない。イエス様が、もし今でも、目に見える姿で私たちの側におられ、奇跡を行っていて下さるのなら、信じる必要はないのである。神様が言葉を語られたのは、私たちとの間柄を、「信じる」ことによって成り立つことを善しとされたからなのである。ローマの信徒への手紙10章17節に「実に、信仰は聞くことによる」とある。言葉を聞くことによって生じる、言葉への応答としての信仰、これを神様は、私たちとの間柄の在り方として「善し」とされたのである。
4 それでは、十戒という言葉を授けて、そこに「信じる」という間柄を生じさせて、神様は私たちとの間に、そもそもどういう根源的な関係を成り立たせようとされたのであろうか。「戒め」という言葉が現しているように、また、十戒の全ての文言が「ならない」との禁止命令で終わっていることから、その関係は、要は強制・命令という特徴をもつものなのであろうか。いや、決してそのようなことはないということを私は強くい申し上げたい。
神様がまず言われたのは、2節の言葉であった。注解書によれば、伝統的に私たちキリスト教会では、カトリックもプロテスタントも、この2節は、未だ十戒には含まれないと考えている。ユダヤ教の人々は、この2節こそが十戒の第一戒と捉えていた。私もそのように思う。この2節こそが十戒の要である。これが無くては、十戒は成り立たないと思う。
この2節は、そもそも神様が如何なる存在であるかという、神様としての自己紹介と考えられる。それは、たとえば、天地を創ったとか、あなたがたを私に似た者として創造したというような自己紹介でも良かった。しかし、神様はわざわざ「あなたをエジプトの国、奴隷の家から導き出した神である」と特定されたのだった。「私が神であるのは、特別にこの事にかかっているのだ」と。「あなたがたに対して、他のどんな関わり方ではなく、こういう関わり方をするのが神である私だ」と言われるのである。
翻訳では「導き出した」と過去形になっているが、注解書によれば、その本来の意味は「導き出し続ける」とのニュアンスだという。つまり、たった一回きりのことではなく、未来永劫いつまでも、ということなのである。もし私たちがエジプトの国のようなところで奴隷のような状態にされることがあるなら、「何度でもそこから導き出してやるよ」という意味なのである。これが十戒の要の第一戒なのである。
強制や命令ではなく、もし私たちが奴隷のような状態にあるならば、「私は、どんな事をしても、そこから助け出す」という、一方的な恵みの提示である。「そういう関わり方をする私がいるのだ」、「この言葉を聞いて欲しい」、「応答して欲しい」、「そして、私との間柄に入って来て欲しい」と神様は熱烈に言われているのである。私には、これは神様からの私たちへの猛烈なプロポーズに他ならないと思う。「このプロポーズを受けて欲しい、受けて私たちとの関係に入って来て欲しい」と神様は言われるのである。「そうすれば、あなたがたは自由になれる、奴隷とされることはない」という約束の提示である。
「ならない」と訳されているその本来のニュアンスは、専門家によれば「(もし、あなたがたがこのような神がいると聞くならば)どうして、この私たち以外の他のものを神などとできるだろうか。そんなことが出来るはずなどないではないか」との意味であるという。十戒の戒めで、暗に神様が想定されているのは、すべて私たちを奴隷としてしまうような勢力や生き方である。この神様以外のものを神様とし、また被造物を像に刻んで神様とするならば、たちまち私たちは奴隷的な状態にされるのである。「休みも取らずに仕事をし続け、平気で他人のものを奪い、殺し合うようになる。だから、そういう存在や生き方から、私はあなたがたを導き出すのだ」と。導き出される手段は、ただ聞くことのみである。信じて応答すること、それ以外の何物も必要とはされないのである。
筑波学園教会牧師 福島 純雄
2016年 5月15日(日)聖霊降臨日(ペンテコステ)礼拝
08:31では、これらのことについて何と言ったらよいだろうか。もし神がわたしたちの味方であるならば、だれがわたしたちに敵対できますか。 08:32わたしたちすべてのために、その御子をさえ惜しまず死に渡された方は、御子と一緒にすべてのものをわたしたちに賜らないはずがありましょうか。 08:33だれが神に選ばれた者たちを訴えるでしょう。人を義としてくださるのは神なのです。 08:34だれがわたしたちを罪に定めることができましょう。死んだ方、否、むしろ、復活させられた方であるキリスト・イエスが、神の右に座っていて、わたしたちのために執り成してくださるのです。 08:35だれが、キリストの愛からわたしたちを引き離すことができましょう。艱難か。苦しみか。迫害か。飢えか。裸か。危険か。剣か。 08:36「わたしたちは、あなたのために一日中死にさらされ、屠られる羊のように見られている」と書いてあるとおりです。 08:37しかし、これらすべてのことにおいて、わたしたちは、わたしたちを愛してくださる方によって輝かしい勝利を収めています。 08:38わたしは確信しています。死も、命も、天使も、支配するものも、現在のものも、未来のものも、力あるものも、 08:39高い所にいるものも、低い所にいるものも、他のどんな被造物も、わたしたちの主キリスト・イエスによって示された神の愛から、わたしたちを引き離すことはできないのです。
1 ペンテコステとはギリシャ語で「50番目」という意味の言葉である。イスラエルの人々は過越しの祭から数えて50日目に、「五旬節」という祭を行っていた(この過越しの祭の最中に、イエス様は十字架に架けられた)。イエス様の弟子たちは、この祭を祝うために、一つの家に集まっていた。不思議な現象を伴なって聖霊が彼らに注がれたと使徒言行録2章に書かれている。それを機に、弟子たちはひるむことなくイエス様が救い主であると宣べ伝え始めた。そして、各地に教会が立てられてゆくこととなった。代々の教会は、この日を聖霊降臨日すなわち「ペンテコステの主日」として今日に至る。
この8章全体は、聖霊の賜物、聖霊の働きについて語られた箇所と言っても良い。イエス様を信じて神様につなげていただいた私たちには、聖霊が与えられる。8章15節には、私たちはこのご聖霊によって神様を「あば・父」と呼ぶことができるのだと書かれていた。神様をそのような言葉で呼べることが、私たちが神の子とされたことの現れだというのである。また、26節以下には、聖霊は、どう祈ったら良いか分からないような弱い私たちを助けて、とりなして下さるのだとも書かれていた。それを受けて、34節の最後にも「とりなし」という言葉がある。8章に聖霊という言葉は何処にもないが、8章全体には、聖霊の貴い働きが語られている。
2 8章全体を通して、神様について語られている。第一には「神が私たちの味方である」ということ(31節)、第二には神様は私たちを選び義として下さるということ(33節)、そして第三には神様はイエス・キリストにおいて私たちを愛してくださるという点(35節以下)である。ここでパウロの書き方として注目したいのは、彼はこのような神様の在り方について、それに対立する敵方のようなものを想定しつつ、このような神様を語っている点である。神様が私たちの味方である点については、「そうであるならば、だれがわたしたちに敵対できますか」との問いが投げかけられ、義として下さることに対しては「だれが訴えるでしょう。だれが罪に定めることができるでしょう」と、さらに神様が私たちを愛してくださる点については、「誰がキリストの愛・キリストによって示された愛から私たちを引き離すことができますか」と、まことに強い口調で反問がなされているのである。
このようなパウロの書き方が示しているのは、神様が3つの柱で言い表されることが決して自明のものではないということなのである。こういう反問や葛藤の中に置かれているものなのだということを指示しているのだと思う。私たちが神様を信じることが、たやすいものではないということを示しているのである。
では、私たちが神様を信じることを難しくさせている「敵」と何か。35節に「艱難」に始って7つのものが挙げられている。36節には、詩編44編23節からの引用があり、36節以下には、「死」に始まり、最後は「被造物」で終わる事柄が挙げられている。数えてみれば、全部で(詩編の引用を含めれば)18もの事柄が書かれている。これほど多くのものが、私たちをして、神様が3つの柱に示されるものと信じることを攻撃するのだと語っているのである。
改めてここに、私たち信仰者の歩みが、なかなか難儀なものであると思わせられるのである。まさに、出エジプト記で教えられたように、信仰生活は荒れ野である。クリスチャンになったなら、もはや何の難儀もない、苦しみもない神の子としてのバラ色の生活が保障されているかのような錯覚があるかもしれないが、決してそうではないのである。むしろ、信仰者だからこそ、私たちを攻撃し敵対してくるものがある。私たちをして、神様を、味方として下さり、義として下さり、愛して下さると信じさせまいとする勢力が挑みかかって来る存在がある。しかし逆に、このような敵が襲いかかって来るということは、私たちが信仰者として歩もうとしているからだとも言えるのである。
3 このような敵からの攻撃を、パウロは、この8章で、私たちがある種の裁判や訴訟に引っ張り出されているような有り様として考えていたのではなかろうか。「この霊こそは、わたしたちが神の子供であることを・・・証しして下さる」と16節に書かれていた。「証し」とは、おそらく裁判のプロセスの中での、証人による証言のことである。訴えられた者のために有利になるような証言なのである。36節に引用されている詩編44篇の場面も、裁判の場に引き出されて、今まさに死刑の判決を受けて刑場に引かれて行こうとする様子を想像することができる。
こういう裁判に引っ張り出された時に、私たちはどうしたらよいのか。少額の裁判やごく簡単なケースの場合には、訴えられた者自身が自分で弁護する場合もあるという。しかし多額の訴え、また難しいケースでは、弁護士を依頼する。神様が味方であると私たちが信じていることについて訴えられるのは、当然に弁護士をお願いするしかないケースである。敵が利用できるケースは、全部で18もある。それを用いて攻めて来る敵に対して、到底ひとりで戦うことはできない。だからこそ、34節の最後に「とりなし」という弁護士の弁護を想像させるような言葉が使われているのである。
私たちは、裁判に引きずりだされ敵の攻撃にさらされた時、聖霊なる弁護士をちゃんと頼むことができるであろうか。自分の力で、自分の信仰で立ち向かおうとしてはいないだろうか。ましてや、この世の人々の99%以上の人々は、こうした艱難に対して、聖霊の弁護なく、神様が味方であることも、義として下さることも、愛してくださることも全く知らずに立ち向かおうとしているのだとしみじみ思う。人々が助力として乞うのは、たとえば医学の力であり、お金や財産である。しかし、それらは突き詰めれば、39節にある「被造物」に過ぎないものなのである。敵が攻撃の武器として使うのは、18もの被造物における出来事や存在である。どうして、被造物による攻撃に、同じ被造物によって立ち向かうことができるであろうか。盾と矛の故事ではないが、被造物の矛による攻撃から、同じ被造物でしかない盾で立ち向かうことなどできない。立ち向かい打ち勝つことができるのは、ただ創造者のみなのである。神様が私たちの味方であり、義として下さり、愛してくださると信じることによってのみ打ち勝つことができるのである。聖霊なる神様によって弁護して頂くしかないのである。
4 父が天に召され、実体験としてわかったことがある。創世記の25章最後「アブラハムが死んだ後、神は息子のイサクを祝福された」の意味が良く分かって来た。信仰者として死んだ父が、神様を信じる信仰の素晴らしさを、あたかも遺産のように残してくれたと感じられるのである。それが、父が死んだ後で、その子が神様からの祝福を受けるという意味なのである。聖霊のとりなし、創造者である神様を信じることによらなければ、私たちは到底、苦しみに立ち向かうことはできないということなのである。
5 それでは、聖霊なる弁護士は、いかなるとりなしをして下さるのか。34節には「死んだ方、否、むしろ復活させられた方であるキリスト・イエスが、神の右に座って」とある。また、32節には「その御子をさえ惜しまずに死に渡された方は、御子と一緒にすべてのものを私たちに賜わらないはずがありましょうか」とある。
ここで、まず第一に、神様がその御子を惜しまず死に渡された、またイエス様が死んで下さったということをあげられる。この点をもって、聖霊は神様が私たちの味方であり、私たちを義とし、私たちを愛して下さっているのだと力強く弁護し、敵の攻撃を退けて下さるのである。神様の御子が十字架の上で死んで下さり、そのような苦しみを味わって下さったということは、神様がこの御子の苦しみにおいて、また死において、私たち被造物の苦しみや死を分かって下さり、しっかりとその側に立っていて下さることを示しているのである。これこそ、神様がイエス様の苦しみにおいて、死において、私たちの味方であって下さった現れなのである。「あなたがたの死は貴いものなのだ、価値のあるものなのだ」との語りかけを聞くように感じられる。
38節のリストの中に、「命」があるのが不思議だとよく言われる。しかし、命こそ、私たちがいつまでも生きたい、生きていて欲しいと思うことこそが、敵の格好の攻撃武器となる。これに対して、私たちは聖霊のとりなしによって、御子の死を見せられるのである。創造者なる神様が、被造物である私たちに与える命には死があると知るのである。だからこそ、死は貴いのである。
創造者なる神様は、なぜ私たちに死を与え賜うのか。それは、死が無ければ与えられないものがあるからである。いつまでもこの命に留まっていては、授けられないものがある。それが語られているのが、「否、むしろ復活させられた」との言葉に込められたものではなかろうか。パウロは、決して十字架の死の意義を否定しているのではなくて、神様はイエス様を決して十字架の死に閉じ込めておくことはなさらなかったということを言いたかったのである。このように、私たちの死の向うにも、素晴らしい未来がある。復活され、神様の右に座しておられるイエス様と一緒に、死んでいく私たちにも、すべてのものが与えられるのである。
筑波学園教会牧師 福島 純雄
2016年 5月8日(日)復活節第7主日礼拝
20:09イエスは民衆にこのたとえを話し始められた。「ある人がぶどう園を作り、これを農夫たちに貸して長い旅に出た。 20:10収穫の時になったので、ぶどう園の収穫を納めさせるために、僕を農夫たちのところへ送った。ところが、農夫たちはこの僕を袋だたきにして、何も持たせないで追い返した。 20:11そこでまた、ほかの僕を送ったが、農夫たちはこの僕をも袋だたきにし、侮辱して何も持たせないで追い返した。 20:12更に三人目の僕を送ったが、これにも傷を負わせてほうり出した。 20:13そこで、ぶどう園の主人は言った。『どうしようか。わたしの愛する息子を送ってみよう。この子ならたぶん敬ってくれるだろう。』 20:14農夫たちは息子を見て、互いに論じ合った。『これは跡取りだ。殺してしまおう。そうすれば、相続財産は我々のものになる。』 20:15そして、息子をぶどう園の外にほうり出して、殺してしまった。さて、ぶどう園の主人は農夫たちをどうするだろうか。 20:16戻って来て、この農夫たちを殺し、ぶどう園をほかの人たちに与えるにちがいない。」彼らはこれを聞いて、「そんなことがあってはなりません」と言った。 20:17イエスは彼らを見つめて言われた。「それでは、こう書いてあるのは、何の意味か。『家を建てる者の捨てた石、 これが隅の親石となった。』 20:18その石の上に落ちる者はだれでも打ち砕かれ、その石がだれかの上に落ちれば、その人は押しつぶされてしまう。」 20:19そのとき、律法学者たちや祭司長たちは、イエスが自分たちに当てつけてこのたとえを話されたと気づいたので、イエスに手を下そうとしたが、民衆を恐れた。
1 子ロバの背中にまたがってエルサレムに入ったイエス様は、「あなたがたは、祈りの家であるべきわたしの家を強盗の巣にしている」と言って、エルサレム神殿の境内で商売をしていた人々を蹴散した。これを見て、当時のイスラエルの宗教上の指導者であった祭司長・律法学者・民の指導者と呼ばれる人々は、イエス様を殺そうと謀った(19章47節)。そのような人々を尻目に、その後もイエス様は神殿の境内で堂々と神様のことを教えていた。彼らはイエス様に「何の権威であなたはこのようなことをしているのか」と詰問した。そして、イエス様は、このたとえ話をしたのだった。
このたとえ話を聞いた指導者たちは、それが自分たちへのあてつけとして語られたことに直ぐに気づいた。私たちも、これまでの流れから言って、このたとえ話の登場人物や設定が誰また何を指しているかが直ぐに分かる。ブドウ園の主人とは、言うまでもなく神様のことである。ブドウ園とは、神様がイスラエル人に特別に授けたところの信仰のことを指していると考えて良いと思う。だから、主人が農夫に求める収穫とは、神様を信じて生きる喜びのことである。ブドウ園を貸した農夫とは、広くイスラエルの人々全体、また私たち信仰者を指しており、イスラエル人のなかでも特にその指導者となっている人々を指しているのである。主人が次々と送った僕たちとは、神様がイスラエル人に遣わされた何人もの預言者を指している。その預言者たちは、このたとえ話にある通り、その時々の指導者によって迫害され、エレミヤのように殺されてしまった人さえいた。20章4節にある洗礼者ヨハネも、指導者たちの暗黙の了解のもと、時の領主だったヘロデ・アンティパスによって捕らえられ、首をはねられてしまったのだった(マタイによる福音書14章1節~、マルコによる福音書6章14節~)。
以上のように、このたとえ話で、誰また何を指しているかということは、直ぐに分かることなのだが、このたとえ話を通してイエス様が私たちにどのようなことを語っているのであろうか。
2 私の心に響くのは、神様はイスラエル人、また私たちに、素晴らしいブドウ園を貸し与えて下さっているということである。そのブドウ園は、どれほど素晴らしい収穫をイスラエル人にもたらしたかは、旧約聖書からよくわかることである。彼らは紀元前世紀にバビロニアによって祖国を滅ぼされ、およそ50年の長きにわたって捕虜として抑留されていた。この書物が書かれた紀元前2世紀頃には、今のシリアを本拠地に栄えていた王国のエピファネス王によって厳しい迫害を受けたのだった。
祖国が滅び、またこの世の王による圧政のもとに置かれたとき、イスラエル人を支えたのは何であったか。それは、この世の中にあるブドウ園がもたらす収穫ではなかったのである。この世に祖国というものがあって、そこに家や畑を持って、そこで生きているということではなかった。そうではなく、目には見えないけれども、神様が自分たちを支え導いて下さるという信仰というブドウ園なのであった。そのぶどう園は、どんなに迫害するこの世の王であっても、奪うことのできないブドウ園なのであった。
3日は憲法記念日であった。今年ほど「憲法が危うい」ということが取り上げられた年はなかったと感じる。安倍首相が、ある所で、こんなことを発言されたと新聞に紹介されていた。「人権・人権と言うけれども、それは国があって、国の存立が保たれて初めて言えるものだ。国がなくなったらおしまいだ。」と。自民党の改憲案の根底には、こういう考え方がある。まず、「国ありき」なのである。更には、その国を在らしめているのは天皇だという考えかもしれない。天皇という王様がこの国を在らしめて、そこで初めて人権が云々できると言っているような気がする。
こういう考え方をする人々にとって、今の憲法は、我慢がならないのであろう。自民党の改憲草案作成に関わったある議員が、「今の憲法にある天賦人権説(あるいは自然権)はやめようというのが、私たちの考えだ」と言ったという。今の憲法にせよ、キリスト教が土台にあって出来てきた憲法には、突き詰めれば、天、つまり神様が人間を自身に似たものとして造られたということから生まれる権利、という考えがある。それが天賦人権説である。それは、初めに国ありきの人権ではない。それは、神様から与えられたものだから、国なんぞなくたって存在しているし、どんな邪悪な王様がいても奪い取ることが出来ないものである。まさに、それが神様の私たちに貸し与えたブドウ園なのである。そのブドウ園によって、イスラエル人は文字通り祖国が滅ぼされた時代、また、ひどい王による圧政の時代を生き抜いてきたのである。
そのブドウ園によってこそ生き延びた人々がいたという歴史をちゃんと学ばずして、「国が亡くなったら人権なんて元も子もない」などと言ってはいけないはずである。国が亡くなったときにこそ、また、国がどうしようもなく邪悪な存在になってしまった時にこそ、それでも私たちを生かしてくれるもの、それが人権なのである。そして、その根本には、神様が私たちに貸し与えて下さった信仰というブドウ園がある。
3 神様は、私たちに貸し与えてたブドウ園から、然るべき収穫を納めさせようと僕を送ったのだが、とくに指導者たちからは不当な扱いを受け、最後には、神様の一人息子までも殺されてしまったというのである。これは一体、どういうことなか。何故、こういうことが起きるのか。
神様が私たちに求める然るべき収穫とは、神様を知り、神様を信じて生きる信仰生活がもたらす喜びに他ならない。この喜びとは、私たちが神様のものであるという、神様の支配・導きの下にある喜びである。だからこそ、たとえ祖国がなくなっても、どんなに邪悪な王様が支配しても、私たちはその支配下にはないと、彼らには縛られないと言えるのである。私たちは善き神様の支配の下にあるのだから大丈夫だと言えるのである。そういう喜びがある。神様が私たちに求める収穫とは、このようなことなのである。
ところが、ブドウ園を貸し与えられた私たちは、しばしば、そこから「神様のもの」である喜びではなく、「私のもの」である収穫を求め生み出そうとするように思う。14節にある農夫たちの言葉がとても象徴的である。「相続財産は我々のものとなる」と彼らは言った。神様を知り、信じる信仰において、神様とつながっているとの信仰において、とくにイスラエル人の指導者たちは、この国が我々のものだと言い、神殿が我々のものだと言ったのだった。
これに対して、例えば、預言者エレミヤは、国も神殿も神様のものであるが故に、国はバビロニアによって滅ぼされ、神殿は廃墟になると告げたのだった。故に、彼は殺されてしまったのだった。
イエス様の時代の指導者たちは、恐らくは、紀元前2世紀にエピファネス王の迫害に耐えて行きぬいた人々の末裔なのであろう。「私たちは神様のもの」という信仰のブドウ園からの収穫によって支えられた人々の子孫なのであろう。しかし、そのような人々であっても、いつの間にか、時代が下ると「この国は我々のもの、神殿は我々のもの」と思ってしまうようになってしまった。それは、私たちも全く同じである。いま私たちは、自分の手にしているものを守りたいと思っている。信仰生活というブドウ園に生きていることが、私たちをして「我々のもの」という言葉を口にさせる。この生活も身体も、また教会も、我々のものだと。しかし、決してそうではない。それは神様のものなのである。神様のものであると信じることができるが故に、それらが失われるという事態にあっても、私たちは安心していられるのである。
4 16節までのたとえ話の後にイエス様は、詩編118篇22節の言葉を付け加えた。これは、使徒言行録の4章11節や、ペトロの手紙Ⅰの2章7節にも引用されている。「たとえ農夫たちから拒まれ殺されても、イエス様は神様によって無くてはならない隅の親石として用られる」という意味で記されていると理解することもできる。
しかし、私は少し違った意味を、ここに感じとった。神様が私たちに求める収穫とは、私たちが神様のものとなるということであった。では、私たちが神様のものとされるとは、神様のものとして扱われる有り様とは、どういう形で現れるのであろうか、それを教えているのが、この詩編の引用ではないかと感じる。実際、詩編118篇の22節だけではなく、その後の23節に、もっとはっきりと、その意図がにじみ出ている。「これは主の御業。私たちの目には驚くべきこと」と。神様から貸し与えられたブドウ園という信仰の世界に生きる私たちを、神様は「家を建てる者が退ける石」のようにされるのである。それは、私たちが「我々のもの」とした自分ではない。私たち自身、放り投げてしまいたいと思う姿である。しかし、私たちが神様のものとなる時には、こういう有り様にされるのである。それは、私たちにとっては驚くべきことであるが、それが神様の御業なのである。そうして神様は、私たちを大切な建築物の隅の「親石」とされるのである。信仰というブドウ園を貸し与えられるということは、何と素晴らしい事であろうか。
最後に、たとえ話の最後に、「さて、ブドウ園の主人は農夫たちをどうするだろうか」という、イエス様の言葉が書かれている。「この農夫たちを殺し・・ほかの人に与えるに違いない」とある。これは、イエス様の真意であろうか。私は、そうではないと感じる。実際、こういうことが行われたならば、結果はこうならざるを得ないのである。しかしイエス様は、「神様ならばどうされるのか」と言っているのである。イスラエル人に対し、また私たちに対して、神様はどうされたのか。私たちから信仰というブドウ園を取り上げられたであろうか。そうされたとしても当然と言えるイスラエル人であり、私たちである。私たちをして神様を信じることを取り上げ、そう出来ないようにさせることもできたはずである。しかし、神様は、私たちに尚も信仰というブドウ園を貸し与えて下さるのである。それは、このブドウ園からの収穫がなければ、私たちが生き得ないことを、神様がご存知だからなのである。
筑波学園教会牧師 福島 純雄
2016年 5月1日(日)復活節第6主日礼拝
18:13翌日になって、モーセは座に着いて民を裁いたが、民は朝から晩までモーセの裁きを待って並んでいた。 18:14モーセのしゅうとは、彼が民のために行っているすべてのことを見て、「あなたが民のためにしているこのやり方はどうしたことか。なぜ、あなた一人だけが座に着いて、民は朝から晩まであなたの裁きを待って並んでいるのか」と尋ねた。 18:15モーセはしゅうとに、「民は、神に問うためにわたしのところに来るのです。 18:16彼らの間に何か事件が起こると、わたしのところに来ますので、わたしはそれぞれの間を裁き、また、神の掟と指示とを知らせるのです」と答えた。 18:17モーセのしゅうとは言った。「あなたのやり方は良くない。 18:18あなた自身も、あなたを訪ねて来る民も、きっと疲れ果ててしまうだろう。このやり方ではあなたの荷が重すぎて、一人では負いきれないからだ。 18:19わたしの言うことを聞きなさい。助言をしよう。神があなたと共におられるように。あなたが民に代わって神の前に立って事件について神に述べ、 18:20彼らに掟と指示を示して、彼らの歩むべき道となすべき事を教えなさい。 18:21あなたは、民全員の中から、神を畏れる有能な人で、不正な利得を憎み、信頼に値する人物を選び、千人隊長、百人隊長、五十人隊長、十人隊長として民の上に立てなさい。 18:22平素は彼らに民を裁かせ、大きな事件があったときだけ、あなたのもとに持って来させる。小さな事件は彼ら自身で裁かせ、あなたの負担を軽くし、あなたと共に彼らに分担させなさい。 18:23もし、あなたがこのやり方を実行し、神があなたに命令を与えてくださるならば、あなたは任に堪えることができ、この民も皆、安心して自分の所へ帰ることができよう。」 18:24モーセはしゅうとの言うことを聞き入れ、その勧めのとおりにし、 18:25全イスラエルの中から有能な人々を選び、彼らを民の長、すなわち、千人隊長、百人隊長、五十人隊長、十人隊長とした。 18:26こうして、平素は彼らが民を裁いた。難しい事件はモーセのもとに持って来たが、小さい事件はすべて、彼ら自身が裁いた。 18:27しゅうとはモーセに送られて、自分の国に帰って行った。
1 出エジプト記18章後半。注解書には、出エジプト記は18章で前半部分が終わり、19章からは後半部分に入るとあった。18章までの前半部分は、エジプトを脱出するまでと、脱出してからの二つの部分に分けられる。イスラエル人がエジプトを脱出してからの歩みは、私たちにとっては信仰生活・教会生活の雛型と言える。そして、その特徴は、荒れ野の歩み・回り道・遠回りであった。エジプトからパレスチナへの道は、普通に考えるなら、わずか10日もあればたどりつく地中海沿いの街道を選択するはずである。しかし神様は、わざわざ40年もかけて荒れ野を歩ませた。そのように、私たちの信仰生活・教会生活も、しばしば遠回である。当教会の会堂改修もそのようであった気がする。一般の住宅であれば、せいぜい半年もあれば計画が決まり、工事が始まれば、多くの場合、ほぼ予定通りの工期で実現するであろう。しかし当教会では、ざっと10年以上もかかってしまった。誰の言葉かは分からないが、「急ぐのは悪魔だけ」という言葉を、私は肝に銘じてきた。もちろん、命の危機に関することなどは緊急に対応する必要がある。しかし、信仰生活・教会にとっての大事な事柄は、急がずゆっくりと時間をかけてというのが、神様の御心ではなかろうか。
さて、イスラエル人の歩みが荒れ野の歩みであったが故に、イスラエル人は天からのマナを食べ、岩からほとばしる水を飲んだ。信仰生活には、信仰生活でなければ決して味わい得ない不思議な食べ物や水がある。それが、信仰生活の醍醐味ではなかろうか。そして、出エジプト記の前半の締め括りとして、信仰生活の素晴らしさが語られている。
2 久しぶりにモーセの妻チッポラの父エトロが登場している。どういう経緯かは何も書かれてはいないが、チッポラと子どもたちは、このエトロのもとに身を寄せていた。エトロはイスラエル人がエジプトを脱出したと聞き、チッポラやモーセの子どもたちを連れてやって来た。チッポラの父は、出エジプト記2章18節では「レウエル」となっていたが、3章1節では「ミディアンの祭司であるエトロ」と書かれている。どちらが本名なのかは定かでないが、エトロという名は、ミディアンの祭司が代々受け継いでいる職名のようなものだったのかも知れない。このエトロもまた、40歳でエジプト王のお尋ね者となってしまったモーセが80歳になるまで身を寄せていたレウエルのもとに身を寄せていた。エトロは、モーセのもとにやって来て、出エジプトを成し遂げて下さった神様を讃美した。12節には、捧げ物を奉げて神様を礼拝したと書かれている。
「翌日になって・・・モーセのしゅうとは・・・すべてのことを見て、『あなたが民のためにしているこのやり方はどうしたことか』と問いただした。これに対するモーセの答えに、更にたたみかけて「あなたのやり方はよくない」と、エトロは指摘した。信仰生活・教会生活の醍醐味とは、このような指摘を与えられるところにあろう。このときモーセが置かれていた立場を想像してみて欲しい。彼は80歳を越えていた。何よりもイスラエル人をエジプト王のもとから脱出させるという大事業を成し遂げた偉大な指導者であった。その大人物に対して「あなたのやり方は良くない」などと面と向かって、誰が指摘できようか。「妻の父だから」であろうか。そのことで、このような指摘を娘婿にできたということはあったかもしれない。しかし、その助言はあくまでミディアンの祭司であったからこそ、信仰者の先輩であったからこそできたのではないかとも思うのである。
私自身、そのような指摘を信仰者の先輩から多くいただいてきたことを思い起こす。そうした助言をして下さった先輩は、ほとんど天に召されてしまった。私も、今年60歳になり、もう自分が助言をすべき立場になっているのかも知れない。しかし、モーセが80歳になっても助言をいただいたように、私たちは叱っていただく必要のある者ではなかろうか。それが与えられるのが信仰生活であり、教会での歩みなのだと思う。
3 では、モーセはどのような点で「あなたのやり方はよくない」と指摘されたのか。15節に、モーセは「民は、神に・・・知らせるのです」と言ったと書かれている。このモーセの言葉に、私たちは直ぐに、「その何処々々が良くない」と指摘することができるであろうか。むしろ、彼のやっていたことは、指導者として当然なすべきことだったと考えるのではなかろうか。そこにポイントがある。良くないことは、一見してそうは見えないのである。一見して良くないと見えることは、誰もやらない。一見して「良くない」とは見えない、むしろ良いとさえ見えることに、実はそこにこそ「良くない」点がある。それを続けたならば、モーセや民をして疲れ果ててしまわせることになったであろう。一見すると、さも当然のことをさせて、信仰者を疲れ果ててしまわせるのが「敵」のやり方であると言っても良いのではなかろうか。
モーセの短い言葉の中には、3度も「わたし」という言葉が繰り返されていた。「民は私のところに来る」「私を求めて来る」「その民に、私が応じないわけにはいかない」という思いがあった。「私がやらねばならない」「私が応えねばならない」「私がやらなければ誰がやってくれるというのか」そこには、確かに気概もある。しかしそれは、傲慢でもある。自分のもとにやって来る人々に、私の「出来る」ところを示したいという思いもあったのではなかろうか。別の言い方をすれば、応えることのできない自分を示すのが苦痛だったのであろう。出来ない自分を見せたくはない。ここにこそ「良くない」点があったのだと思う。
エトロが何よりもモーセに指摘していたのは、「わたしが、わたしが」と言って、出来る自分だけを見せようとしていた点ではなかろうか。出来ない自分を見せられなくなっていた点にあったのではなかろうか。
4 さらに、モーセのやり方には「良くなさ」があった。これは、20節以下のエトロの助言に照らし合わせると、如実に浮かび上がって来る。エトロの助言のポイントは、先ず何よりも、モーセだけがなすべき事と、そうでなくても良いこと、つまり「他人に任せても良い事を仕分けしなさい」とアドバイスした点にあったのだと思う。モーセのやり方の良くない点は、何でも自分がやらねばならない事としてとらえてしまっていた点にこそあったと言える。15節のモーセの言葉から、「神に問うためにわたしのところに来る」ことも「何か事件が起こると・・。・。裁き」をなすことも、一緒くたであったことがわかる。つまり、信仰上の事柄と世俗の裁きが区別されていなかったのである。モーセが為すべきなのはどちらであったか。両方とも出来れば、それに越したことはない。しかし、それは出来ないのである。だとすれば、どうしても彼が、彼だけが為すべき事のみを担うべきであった。担わなくても良いものは、他に人に委ねれば良いのである。
では、モーセだけが為すべきこととは何であったか。エトロの助言から、それがもっとはっきりと浮かび上がってくる。19節の「神があなたと共におられるように」の後の言葉を、ヘブル語の原文通り訳すと「在れ あなたは 民のために 神の前に」となる。神様の前に在れということが、まず助言された。民のためにあることは、神様の前にあることだとの助言であった。「民のためにあなただけが為せるのは、彼らと会ってその相談を聞き、裁くことではない」と。「そうではなく、何よりも神様の前に在ることである」と。それは、自ずと、民とは距離を置くことを意味している。民が会いたい・相談したいと言ってきても、会わないことを意味する。具体的に、私たち牧師にとっては何を意味するであろうか。それは、聖書を前にして、説教の備えに静かに向かうことである。これを疎かにしてしまっては、民のためにあることは出来ない。四六時中、民と会っていては、疲れ果ててしまう。
これは、牧師ではなくても、信仰者にも当てはまる助言だと思う。エテロの助言を「家族のためにあろうとするなら、まず神様の前に在れ」と理解できる。色々なことを要求をする家族とは離れて、「神様の前に、独りでに静まるときを持て」との助言である。四六時中、家族と居ては疲れ果ててしまう。
先ず、そのような時間をしっかりと確保した上で、今度は人々の問題に向かえとエトロは助言したのであった。神様の前にだけいて、人々の問題を担わなくて良いと言う意味ではない。しかし、さらに、担う上での助言をエトロは与えた。「あなた一人でそれを負うのではなく、あなたと共に分担してくれる人を探しなさい」と。それが、21節以下に語られている。どれだけ貴い働きであっても、一人では負いきれないものがある。共に分担してくれる人がいなければ、成し遂げることはできない。言い方を換えれば、その働きが、たとえどんなに貴いものであったとしても、もしそれをあなたと共に担ってくれる人、つまりその働きを理解し一緒になって背負うと言ってくれる人がでてこないときには、それを負うべきではないという助言でもある。千人隊長・・・という言葉が意味しているのは、「それを共同体全体で担ってもらえ」ということである。「それを担うことを教会全体で理解してもらえますか?」ということである。教会全体で担うべき重荷として共有されないなら、それを担うことはあなたを疲れ果てさせてしまう。共同体全体の課題とするためにも、ゆっくりと時間をかけることが必要なのである。
筑波学園教会牧師 福島 純雄
2016年 4月24日(日)復活節第5主日礼拝
08:26同様に、“霊”も弱いわたしたちを助けてくださいます。わたしたちはどう祈るべきかを知りませんが、“霊”自らが、言葉に表せないうめきをもって執り成してくださるからです。 08:27人の心を見抜く方は、“霊”の思いが何であるかを知っておられます。“霊”は、神の御心に従って、聖なる者たちのために執り成してくださるからです。 08:28神を愛する者たち、つまり、御計画に従って召された者たちには、万事が益となるように共に働くということを、わたしたちは知っています。 08:29神は前もって知っておられた者たちを、御子の姿に似たものにしようとあらかじめ定められました。それは、御子が多くの兄弟の中で長子となられるためです。 08:30神はあらかじめ定められた者たちを召し出し、召し出した者たちを義とし、義とされた者たちに栄光をお与えになったのです。
1 28節の「万事が益となるように共に働く」を、パウロがどういうことを言わんとして書き記したかを知るために、まず26節の「同様に」という言葉の意味考えたい。
「同様に、霊も弱いわたしたちを助けて下さいます」とは、一体、前の段落に書かれていた事柄の何を受けて「同様に」なのか、一読しただけでは、それは直ぐには分からない。前の18節から25節までに「助けて下さる」と書いてあれば、それを受けて「同様に」という流れだと直ぐに分かるが、18節から25節には「助けて下さる」というような事柄は直接には何も書かれてはいない。
しかし、「神様が私たちを助けて下さる」ということは、やはり書かれていたのではないかと思う。18節から25節までに「肉なる私たちは苦しまねばならぬ存在だ」ということが書かれていた。そして、その苦しむ私たちを、神様は助けて下さるということが書かれていた。神様は、どうやって助けて下さるのか。パウロは「希望によって」と言っている。苦しむ私たちが抱くのは、大抵は目に見える希望である。私たちは、目に見えて良くなって行くことを希望として抱く。希望とは、どうしても、目に見える形を求めるものなのである。
しかし、病気が治るとか、潰れた家が再建されてゆくといった、目に見える形での希望はもう抱けないだろう、叶わないだろうという状況が、必ず私たちにはやって来る。何時までも何処までも目に見える希望を追い続けるのでは、却って希望を失い絶望へと落ち込んでしまうことがある。そのような私たちに、神様は目に見えない希望を抱かせて助けて下さるとパウロは語ってくれた。それはどのような希望か。その苦しみが、イエス様の苦しみと結びついているが故に、必ずやイエス様の復活ともつながっていると言う。私たちの現在の苦しみは、癒えることもなく再建することも叶わない。イエス様の十字架の苦しみが、その復活の身体で素晴らしい働きを示したように、私たちにとっても将来において素晴らしい働きをするものなのである。それは目には見えないが、決して裏切られることのない希望である。この希望を、神様は私たちに抱かせて、私たちを助けて下さるのである。苦しみを忍耐させて下さるのである。
2「同様に」とは、以上のような内容を受けてのものだと思う。パウロは「神様がこのように苦しむ私たちを助けて下さったように、聖霊も弱い私たちを助けて下さる」と言っているのである。弱い私たちとは、苦しむ私たちのことであろう。弱い私たちは「どう祈るべきかを知りません」とパウロは語っている。
どう祈るべきかを知らない私たちとは、苦しみの中に置かれてどうしても目に見える希望だけにしがみついて、それを執拗に祈ってしまうしかない私たちを指している。それゆえに、もう、それが希望にはなり得ない現実に絶望して、祈ることが出来なくなった私たちのことでもある。例えば災害で家を失った人が、もし何かを祈るとしたら何を祈ればよいのか。何としてでも家を再建することであろうか。しかし、それを祈り続けることは逆に、この人やその家族をさらなる絶望へと至らせてしまうことにならないだろうか。それでも、再建を祈るしかないかも知れない。それ以外の祈りを知らないのだから。それが、どう祈ったら良いか分からない、弱い私たちの姿なのである。
聖霊は、このような私たちを助けて下さる。それは如何なる助けであろうか。繰り返しパウロが語るのは「とりなし」ということである。霊が、言葉に表せないうめきを以って、執りなして下さると27節の最後に書かれている。
イエス様はヨハネによる福音書において、聖霊を「助け主」「弁護者」と読んでいた。だから、しばしば私は、聖霊をこの世の弁護士に喩えて考えることがある。苦しみの中に置かれた私たちは、しばしば混乱してしまい、本来自分が取るべき行動また進むべき方向が何処にあるかを見失いがちである。どんなに願い祈っても、誰から見ても実現不可能としか見えない方向を何時までも追い求めてしまうために、どんどんと悪い方向へ、悪い方向へと突き進んでしまうことが本当に多いのである。そのような私たちに弁護士は、専門家としての知恵や知識をもって、向かうべき方向性を指し示してくれる。状況を整理し、「こういう手段を取り得るから希望をもつように」と励ましてくれる。
3 聖霊のとりなしとは、まさにこのような弁護士の働きだと思う。さて、弁護士のとりなしにおいて、とても大切な点は、弁護士が法律に従って依頼者の苦しみや心配、問題といったものに寄り添ってくれるという点だと思う。依頼者の苦しみを解決しようとするのは勿論だが、その場合でも、法律家として法律に従うことが大前提としてある。時には、そのケースに適用すべく書かれた法律の文言を越えて、真理・真実・正義というものに従わねばならない。極端なケースでは、依頼者がどんなに、ある利益を望んだとしても、もしそれが法律に違い正義や真理に合致していなければ、依頼者の意にそわないこともあるだろう。
聖霊のとりなしも同様だと思う。どう祈ったら良いか分からない私たちを、聖霊は助けて下さるが、その助け・とりなしは、27節にあるように「神の御心に従って」のとりなしである。突き詰めれば、「私たちの願いに従って」ではない。「神の御心に従って」私たちをとりなすことこそが、本当に弱い私たちの助けとなる。私たちの進むべき方向性となる。26節後半にあるように、聖霊は、言葉にならない私たちの祈り、うめきとも言うしかない私たちの祈りを受け止めて、精霊自身もまたうめいて下さる。依頼者の私たちのうめきを自らののものとして下さる。しかし、そうしつつも、そのとりなしは、根本的に「御心に従って」のものなのである。苦しむ私たちと全く同じ次元に立ってのうめきではないし、同次元の助けではないのである。だからこそ、苦しむ私たちの本当の助けとなるのではなかろうか。
4 では、その神様の御心とは、どのようなものなのか。それが、28節以下に書かれている。神様の御心とは、神様を愛する者たち、つまり、神様の計画に従って召された者たち、すなわち、私たち信仰者には、「万事が益となるように共に働く」ようにさせて下さるというものである。弁護士が依頼者の益を第一に考えるように、神様の御心もまた、神様を信じる私たちの益を第一に考えて下さるものなのである。
問題は、何がこの「益」かということである。神様が私たちのために与えようとする「益」とは、私たちが考える「益」とは決定的に違っている部分もあるのではなかろうか。神様が私たちに与える「益」とは、29節の「前もって知っておられる者たちを、御子の姿に似たものにしようと、あらかじめ定められました」から明らかとなる。この言葉によれば、神様は、私たちが現在の姿に留まり続けることを私たちの「益」とはされない。私たちが現在の姿を失い、イエス様と同じ姿-それは、これまでの文脈から、とりわけても復活したイエス様の姿を指しているであろう-と似たものになることこそが私たちの益であるということである。
30節のパウロの言葉に、私は非常に力強く「動き」というものを感じる。「神は・・・召し出だし・・召し出した者を義とし」とある。神様の御心は、私たちを現状に留まらせることにはない。アブラハムが「生まれ故郷、父の家を離れ」たように(創世記12章1節)、イスラエル人が肉鍋が食べられ水がふんだんにあったエジプトを出たように、エズラやネヘミヤが捕囚の地を出たように、常に神様は私たちを召し出すのである。動きを与えられるのである。それは、あたかも芋虫がさなぎになり、やがて蝶々になるように、神様は私たちを現在の状態に留まらせることなく、復活のイエス様のようなものへと成長し、変化していくことを望んでおられるのである。このような神様の御心に対して、私たちはいつまでも芋虫のまま、さなぎのままで現状に留まることを益として考えているのではなかろうか。現状に留まれず変化してしまうことが、私たちにとっては苦しみの源である。そのためにどう祈ったら良いか分からない状態に陥るのである。聖霊のとりなしは、ここにこそ向けられるのである。助けて下さるのである。私たちが向かっているのは、私たちにとって益になる方向なのだから安心しなさいと弁護して下さるのである。
このような「益」に向かって、私たちの身に起こるすべてのこと、とくに苦しみが総動員されて行くのである。私たちが、似たものとされようとする「御子の姿」とは、根本的にどのような存在であろうか。イエス様の復活した身体には、十字架の傷跡があって、それが弟子たちに平安・喜び・信じる心を与えたと記されていた。地上における私たちの有り様は、傷つけられたことへの復讐心・憎しみ・恨みにひたすら囚われてしまう。しかし、復活のイエス様においては、その傷がまるで正反対の働きを為すものに変わっていた。それは、復活のイエス様の存在が、ひたすら弟子たちを愛し、平安や喜びや、良いものを与えるものとなっているからなのである。私たちがイエス様に似た者とされるとは、このようなことである。そのゴールへと向かう上で、現在の苦しみに意義がある。目に見える希望が叶えられないことにも意味がある。そうしたことが、すべて共に働いて、総動員されて、私たちが復活のイエス様と似た者とされた暁には、私たちにとって、最高の「益」なる状態へと至るのである。
筑波学園教会牧師 福島 純雄
2016年 4月17日(日)復活節第4主日礼拝
20:01ある日、イエスが神殿の境内で民衆に教え、福音を告げ知らせておられると、祭司長や律法学者たちが、長老たちと一緒に近づいて来て、 20:02言った。「我々に言いなさい。何の権威でこのようなことをしているのか。その権威を与えたのはだれか。」 20:03イエスはお答えになった。「では、わたしも一つ尋ねるから、それに答えなさい。 20:04ヨハネの洗礼は、天からのものだったか、それとも、人からのものだったか。」 20:05彼らは相談した。「『天からのものだ』と言えば、『では、なぜヨハネを信じなかったのか』と言うだろう。 20:06『人からのものだ』と言えば、民衆はこぞって我々を石で殺すだろう。ヨハネを預言者だと信じ込んでいるのだから。」 20:07そこで彼らは、「どこからか、分からない」と答えた。 20:08すると、イエスは言われた。「それなら、何の権威でこのようなことをするのか、わたしも言うまい。」
1 19章28節から46節、イスラエル人にとってのお正月にあたる過越しの祭りが近づく中、イエス様は子ロバの背中にまたがってエルサレムに入城し、その直後に神殿で商売をしていた人々を追い出した。それは「宮清め」と呼ばれている。それから日が変わり、イエス様は、神殿で人々に福音を告げておられた。祭司長や律法学者たちがやってきて「何の権威でこのようなことをしているのか。その権威を与えられたのは誰か」と詰問してきた。これに対してイエス様は、直接この問いには答えずに「ヨハネの洗礼は天からのものか、それとも人からのものか」と問い返された。
「権威についての問答」というタイトルがつけられている。一読しただけでは、ここに書かれていることは、今の私たちにとってそれほど身近なものとして受け取ることはできない。しかし、よく考えてみると、決してそうではないと思う。イエス様は神殿の境内で人々に神様のことを語っておられた。私たちも同じように、こうして毎週礼拝を捧げて、神様のことを教えられている。イエス様が、神殿のことを考えて、そこで商売をしていた人々を追い出されたように、私たちも教会の、あるべき姿を追い求めている。私たちがこのように毎週の礼拝において、神様のことを聞くことは、一体、誰の権威によるものであろうか。礼拝では、ただの人間でしかない牧師が、神様の言葉としてこうして説教している。これは誰の権威によるのであろうか。牧師の私が語る言葉は、本当に天からのものであろうか。それとも、単に私が考え出した、人間としての私の言葉に過ぎないのであろうか。毎年の教会総会で決定されたことに、皆さんが従うのは、誰の権威によるのであろうか。人からの権威によるものなのか、それとも神様によるものなのか、それは本当に切実な問題であるはずなのである。
2 もし、教会が建てられて、そこで礼拝が捧げられ、牧師がそこで説教することが人からのものであるなら、それが人からの権威によるものでしかないならば、本当に私たちは惨めで哀れな者たちではなかろうか。教会の周囲の人々からみれば、私たちがこうして毎週毎週礼拝を捧げているのは、訳の分からないことと見えるかもしれない。もし、私たちが毎週捧げる礼拝が、人からのもの人が考えたものであるならば、本当にその通りであろう。しかし、私たちは、これを天からのもの神様からの権威に基づき為していることと信じているのである。
エズラ記9章8節に「あなたの聖なる所によりどころを得て生きる力を授かった」と書かれている。天からのものとは、聖なるものということと同じ意味である。私たちは、天の神様が与えてくださる聖なるものを拠り所にして、生きる力を得ている。もちろん、人からのもの、すなわち食べ物や水などの生きる糧も、私たちに生きる力を与えれくれるものである。しかし、人からのものには、どうしても聖なるものとは反対の部分がある。出エジプト記に書かれていた天からのマナは、人々が毎日それを集め、貯めることや独占することが許されなかったが、人からのもの・この世からのものは貯めることができるのである。寡占・独占を許すのである。人が人を支配する道具となるのである。神様が下さる水は岩からほとばしるものだが、この世の飲み水は、決して岩からは出てはこない。しかし、私たちが天から頂く水は、岩からほとばしる水なのである。困難のただ中でも、流れ出てくるのである。このような天からの水を、私たちはいただかなくてはならない。
大切な問いは、私たちがこうして礼拝生活・信仰生活においていただいているものが、本当に天からのもの・神様の権威に基づいて与えられているものなのかどうかということなのである。このことを真剣に吟味して行かねばならない。しばしば天からのものが人からのものと混同され、人からのものに過ぎないのに、それが天からのものと見なされることがある。人からのものに過ぎないのに、それが天からのものだとされてしまったなら、これは本当に危ういこととなる。逆に、そこに天からのものが確かに存在しているのに、人からのものとしかみなされないということも起こるのである。信仰者である私たちの目の前にあるもの、いただいているものが、果たして天からのものなのか・ひとからのものなのか、どこからの権威によるものなのかを、私たちは見分ける賢さを持たねばならないのである。
3 イエス様に、この問いを投げかけた人たちも、イエス様の振舞いや言葉が何処からのものかを、真剣に見極めようとしていたのだと思う。問題は、彼らがどういう基準で、何に基づいてこの点を見分けようとしていたのかということである。
エルサレム神殿の境内で神様について自分の考えを披露したり教えたりすることはともかく、宮清めというのは、やはり特別なことであった。19章47節に「イエスを殺そうと謀った」とあるのは、このことが神殿の境内で教えるということとは別の次元の重大なものだったことを物語っている。もしも、神殿において公的な権威を持っていた祭司長が、そのような行為を行ったのであれば、許されたかもしれない。しかしイエス様は、そういう立場の人ではなかった。何らそういう立場になかったイエス様が、このような大それたことをし、その直ぐ後に神殿で悪びれることもなく、正々堂々と人々に神様のことを教えていた。
彼らは祭司長であるとか、律法学者として認められているとか、長老として選ばれているとか、そのような「人からの権威」「人から付与された権威」こそが、天からの者として認める根拠だと思っていた。自分たちこそ、人からから祭司長・律法学者・長老として認められているが故に、神様からの権威があるのだと考えていたのである。人から権威を与えられていることイコール神様からの権威を与えられていることの現れだと考えていた。突き詰めて言えば、天からのものと人からのものをイコールとしていたのである。人からのものと天からのものとが、もしかすれば、不一致であるかもしれないとの思いは、彼らにはなかったのである。
私たちも、しばしばこのような思いにとらわれる。内村鑑三の弟子だった無教会主義の矢内原忠雄によれば、内村自身は、若き日に洗礼を受けていたが、私たちのように牧師になるための試験を受けて合格し、洗礼を授け聖餐式を執行するにふさわしい按手礼という資格を公的に認められていたわけではなかった。その内村が、ごく限られたケースではあったが、乞われて洗礼を授けたことがあった。そのことを教会から激しく非難された。矢内原は、これに対して、「内村は確かに、人から認められるところの教師試験や按手礼というものを受けてはいなかった。しかし、だからと言って、彼の語る言葉や働きが、人からのものであったと言えるのか。反対に、単に試験を受けて人から公に牧師として認められたからといって、その全てが天からのものと言えるのか。」と痛烈に批判している。私は教団の牧師である。そして教団の教師委員をしている。こういう立場にある者が、こういうことを説教で語っても良いのかという思いがある。しかし、たとえ人からの権威というものに合致していなくとも、天からのものである場合があるのではないか、天からのものであるが故にこそ、それは人からの権威を越えている場合があるのではないか、その可能性を否定することは、私にはできない。
もちろん、だからと言って、人からの権威というものが全く必要の無いものだと言うのではない。大抵は、人からの権威・人からのものは、神様からのものと、全てではないにしろ合致しているのである。教師試験に合格し、様々な手続きを経て牧師になった者は、天からの権威も受けているとして良いのである。イエス様から「強盗の巣になっている」と批判された神殿も、もともとは神様がソロモン王に、神様の名前を置く場所として、つまりは神様と出会うことの出来るよすがとなる場として建てることを許した場所であった。祭司もまた然り。彼らの権威は、もともとは神様からのものであった。
しかし、見失ってはならないのは、人からのもの・人から付与された権威が全て、神様からのものとイコールではないということなのである。問題は、まさにそこにある。祭司長たちは、ユダヤ教の長い歴史の中で、人々が自分たちに与えた権威を、すべて神様からのものだと信じ切っていた。人からの権威がすべて天からのそれと等しいと思っていた。自分たちの権威が、よもや神様のそれと違っているとは思っていなかったのである。天からの権威であるが故に、時には自分たちの権威を越え、破るものであるとは思っていなかったのである。
4 それでは、具体的に、私たちはどういう判断基準をもって、私たちの目の前にある教会の事柄や私たち自身の有り様を、人からのものか天からのものかどうかを、見分けて行ったらよいのであろうか。それを教えるために、イエス様は「ヨハネの洗礼は天からのものか、人からのものか」という問いを提示して下さったのではないかと思うのである。その問いでイエス様は「洗礼者ヨハネと呼ばれていた人の行いとその言葉を良く思い起こしなさい。そこには、人からのものではなく、天からのものの特徴が現れている。」ということを示したのである。もちろん、ヨハネの行いや言葉がすべて神様からのものと言うことは出来ない。ヨハネ自信から出てきた部分があったことは否めない。しかし、「ヨハネの働きや教えの根源的なところは神様からのものだ」とイエス様は認めておられたのである。だから、イエス様自身が洗礼者ヨハネから受洗されたのであった。イエス様の福音宣教の第一声は、ヨハネのそれと全く同じであった(マタイによる福音書の3章2節と4章17節)。
では、ヨハネの活動や語った言葉のどこが、神様からのものであったのか。その特徴は何だといえるのか。4つの福音書に、洗礼者ヨハネの様々な言動が書かれている。私の心に深く刻まれているのはヨハネによる福音書3章30節の「あの方(イエス様のこと)は栄え、わたしは衰えねばならない」という言葉である。同じような意味の言葉は、このルカによる福音書の3章16節にも書かれている。「わたしよりも優れた方が来られる。わたしは、その方の履物のひもを解く値打もない」と。ヨハネの特徴、彼の言動が天からのものである何よりの特徴は、彼の徹底した謙虚さに現れていると思う。徹底的に自分を天から来られるお方に対して何の価値もない者であると、衰えても良い存在であると、天からのもののみが栄えるべきものなのだとの思いを持っていたことによるのである。
もう一つの特徴は、ヨハネが、ひたすら人々に洗礼を授けたということにある。おそらく洗礼という儀式そのものは、古くからイスラエル人において行われていたものであった。これを決定的に大事な儀式として行い始めたのはヨハネであった。その思いは、「人は汚れているが故に神様によって洗い清めていただかなくてはならない」というものであった。そのような思いを神様に抱くこと、これこそが神様からのものである特徴なのである。
教会の働きや教会による伝道、また牧師や、教会に集う私たちの働きや言葉が、天からのものなのか、それとも人からのものなのかを見分ける基準は、このヨハネに象徴される謙虚さと神様に対しての汚れの自覚ではなかろうか。
筑波学園教会牧師 福島 純雄
2016年 4月10日(日)復活節第3主日礼拝
17:01主の命令により、イスラエルの人々の共同体全体は、シンの荒れ野を出発し、旅程に従って進み、レフィディムに宿営したが、そこには民の飲み水がなかった。 17:02民がモーセと争い、「我々に飲み水を与えよ」と言うと、モーセは言った。「なぜ、わたしと争うのか。なぜ、主を試すのか。」 17:03しかし、民は喉が渇いてしかたないので、モーセに向かって不平を述べた。「なぜ、我々をエジプトから導き上ったのか。わたしも子供たちも、家畜までも渇きで殺すためなのか。」 17:04モーセは主に、「わたしはこの民をどうすればよいのですか。彼らは今にも、わたしを石で打ち殺そうとしています」と叫ぶと、 17:05主はモーセに言われた。「イスラエルの長老数名を伴い、民の前を進め。また、ナイル川を打った杖を持って行くがよい。 17:06見よ、わたしはホレブの岩の上であなたの前に立つ。あなたはその岩を打て。そこから水が出て、民は飲むことができる。」モーセは、イスラエルの長老たちの目の前でそのとおりにした。 17:07彼は、その場所をマサ(試し)とメリバ(争い)と名付けた。イスラエルの人々が、「果たして、主は我々の間におられるのかどうか」と言って、モーセと争い、主を試したからである。
1 エジプトで奴隷であったイスラエル人は、エジプト王のもとから脱出することができた。この出エジプトの歩みとは、私たちにとって、端的には、信仰の歩みである。では、その特徴は何であろうか。神様は信仰者である私たちに、どのような歩みを備えて下さるのか。
その特徴は何よりも「荒れ野を行く」ということである。当時も今も、エジプトとパレスチナを行き来する最も一般的で最短のルートは、地中海沿いの『ペリシテ街道』と呼ばれる道である。直線距離にして。せいぜい250キロほどである。歩いても10日ほどあれば到達できるであろう。イスラエル人も、おそらくエジプトを出た後、この道を行くものと思っていたに違いない。ところが、神様がモーセを通して導いたのは、何と荒れ野の道・回り道・迷い道であった。食べ物がなくなり、水がなくなり、結果的には、何と40年間も荒れ野をさまよう道だったのである。最初から分かっていたならば、おそらくイスラエル人はエジプトを出るという決断はしなかったのではなかろうか。エジプトに留まれば、奴隷ではあっても、肉鍋も水もふんだんにあった。神様はエジプトを出た後に、如何なる道が待ち受けているかを、正確にはイスラエル人に告げることをなさらなかったのである。今流に言えば、インフォームド・コンセントがなかった。そういう点から言えば、「こんな筈ではなかった」とイスラエル人が、たびたび不平を言ったのは、もっともなことである。
2 私たちの信仰の歩みも同じようなものだと思う。私が郡山教会で洗礼をさずけた女性が、伝送者になる志を与えられ、社会人から東京神学大学に編入学した。彼女は生まれつきのハンディキャップがあり、身長が幼稚園児くらいしかない。そんな彼女が、これから先4年間の学びをし、その後は難儀な伝道者としての歩みをして行くと決めた。両親も列席しておられたが、たった一人の娘をそのような歩みへと送り出す両親の思いは、いかばかりのものだったであろうか。私の父は長く教会の役員をしていたが、その父でさえ -いや、役員をしていたからこそ- 私が神学大学に入るとの思いを告げたときには、涙を流して猛反対をした。後にも先にも、父があれほど私のやることに反対をしたのは、その一度だけであった。私もこの30年の間に、「こんな筈ではなった」と思ったことが何度もあった。そういうことが起こると予め告げられていたなら、決して牧師にはならなかっただろうとも思う。これから彼女も、おそらく同じことを思うであろう。「どうして、こんな難儀な歩みへと進んでしまったのか」と。
しかし、そのように思うのは、牧師だけであろうか。いま聖書研究祈祷会では旧約聖書のダニエル書を学んでいる。ダニエルは祖国を失って捕虜とされた身の上ながら、ペルシャの王様に重用された。それを妬んだ家臣たちは、何とかしてダニエルを陥れようとしたが、その口実が見つからなかった。しかし、やっと一つ見つかった。それはダニエルが、王をはじめとしてペルシャの人々とは違う神様を熱心に信じていたという点であった。これを口実にしてダニエルを陥れようと思いついた彼らは、王に迫って次のような法律を発布させた。「これから30日間、王を指し置いて、他の神に願い事をする者は誰であれ、獅子の洞窟に投げ込まれる」と。これを知ったにも関わらず、いつものように自宅で神様に祈りと讃美を捧げていたダニエルは、直ぐに捕まえられライオンの穴に投げ込まれてしまったのだった。
聖書物語でもよく知られた話だが、ダニエルは他にどのような欠点も落ち度も無くとも、ただその信仰によって訴えられ、ライオンの穴に投げ込まれてしまったのである。これは、今日の私たちにとっても、決して他人事ではない。私たちの周囲にいる人々は、突き詰めれば、この世の王様を頼りにしている。王様を指し置いてはいけないと考えている人々なのである。夫婦において、家族において、職場において、それぞれの王様がいるのである。王様を指し置いてはいけないとの空気を読めとの圧力がある。私たちの国は、とくに、この『同調圧力』というものが強い国だと言われる。そのような国にあって、私たちは王様ではなく神様を頼み、十字架に架けられたイエス様を主人として従う存在なのである。他には何の問題が無くとも、ただこの点において嫌われ、裂け目が生じ、孤立してしまうことがある。信仰ゆえに難儀する。「こんな筈ではなかった」と思うような荒れ野の歩みが、私たちの歩みの特徴なのである。
3 なぜ神様は私たちをこのような道へと誘うのか。それは、そうでなければ味わえないマナという不思議な食べ物を食べさせるためである。そして、岩からの水を飲むという稀有な体験をさせるためなのである。
1節の最後に「そこには民の飲み水がなかった」とある。私たちにとって、この状況は一体どんな有り様を指しているのか。文字どおりの意味で、飲み水がなくなるということは、この日本ではあまり考えられない。では、どういう飲み水が無くなるというのか。
改めて、水というものが私たちにとって果たす役割を考えてみた。食べ物との決定的な働きの違いは、水の中に食べ物の栄養素が溶けて身体の隅々まで運ばれるということである。酸素なども取り込まれて運ばれる。また、老廃物や毒物も、水に溶けて尿や便として外に流し出される。
そういう点から、身体にとっての水の不可欠な働きとは、「流す」ということではなかろうか。言い方を変えれば、私たちを流れの中に置くこと、あるいは、流れを私たちの中に作り出すということではなかろうか。象徴的な言い方をすれば、私たちというのは、実は常に流れている存在だと言っても良いと思う。目に見える在り方では、固体として、固まった存在として存在している。しかし、本質は常に流れているものなのである。流れの中に置かれている存在なのである。流れの中に置かれていなければ、私たちは生きられない。この流れを作り出すものこそが水なのである。そして、その私たちを流れの中に置く水、私たちに流れを起こす水とは、何よりも清い水でなければならないのである。清流の中に置かれなくてはならないのである。
だから、飲み水がないとは、流れの中に、それも清い流れの中に私たちが置かれていないという状況ではなかろうか。具体的には、家に鍵をかけて閉じ籠っている弟子たちを思い浮かべてみて欲しい。彼らは流れの中に置かれていない。あるいは、彼らを閉じ込めてしまっている、洪水のような、渦巻のような流れがある。それは、この世の水の流れ、人間に由来する流れであって、それは、愛する師を見捨ててしまった自分たちは赦されない、生きている資格はないのだという考え方や価値観の流れである。ダニエル書のことから言えば、この世の王様から発する流れと言える。この世の水の流れ、普通の水の流れというのは上から下にのみ流れるが、この世の中にある流れというのは、要は、身分や地位の高い者から低い者へと向かう流れであり、力の強い者や健康な者から、そうではない者へと向かう流れなのである。決してこの方向は逆流することはない。王様や強い者・健康な者だけが幸いだという流れである。そういう流れの中に私たちが置かれるとき -とくに弱った者・病んだ者として置かれるとき- 私たちは渇くのである。飲み水がないという状況に陥るのである。
4 その時にどうするのか。「見よ、わたしはホレブの岩の上であなたの前に立つ。あなたはその岩を(杖で)打て。そこから水が出て、民は飲むことができる」と、神様は言われた。神様が立っておられたホレブの岩とは、どのようなものかは分からない。想像すれば、最も水が出ることとは正反対の場所だったのかもしれない。固い岩盤から、どうして水が得られるであろうか。大きくて固い岩盤は、地下の水の流れを堰き止めている。荒れ野にオアシスがあるのとは、正反対の場所なのだろうと思う。しかし、その岩の上に、神様は立ち、そこを、「杖をもって打て」と言われた。
岩とは、到底、そこからは水が得られないと私たちの目には見える場所である。この世の流れの中ではそのように見られている場所なのである。そのような状況なのである。しかし、そこに神様が立たれたのだから、そこを打たねばならない。ただし、素手で打ってはならないのである。「杖をもって」と神様は言われた。コリントの信徒への手紙1の10章5節に、パウロが「岩がキリストだ」との理解を示しているが、むしろ杖がキリストではないかと思える。イエス様は、十字架の死という岩から、復活という水をほとばしり出させ、その神様からの清い水の流れに弟子たちを浴びさせて下さった。このイエス様を杖として、私たちもまた、目の前にある岩を打つのである。立ち向かって行くのである。すると不思議にも、そこから水がほとばしり出るのである。
ダニエルも、、ライオンの穴に投げ込まれるという岩を、信仰という杖をもって打ったのであろう。すると、不思議にも、何の害も受けずそこから助け出された。私たちも岩を打つことになる。目の前にある困難、難儀な状況に関わることになる。頭を突っ込んで行くことになる。そのようにして、代々の信仰者は、水を得てきたのではなかろうか。岩からほとばしる水とは、神様からの流れである。人間の作り出した流れ、この世の王様から由来する流れではなく、天からの流れである。この水を飲むとは、天からの流れの中に身を置くことである。
8節以下に「アマレクとの戦い」ということが書かれている。なぜ、アマレクと戦うのか。14節の最後に、神様は「わたしはアマレクの記憶を天の下から完全にぬぐい去る」とまで言われたとある。これは、決して文字通りにとってはならない。アマレクとは何の象徴かと言えば、イスラエルが、ひたすらマナと岩からの水を飲んで生きねばならぬ荒れ野で、マナにもよらず、岩からの水にもよらず生きられる人々が彼らであった。私自身の中にも、このようなアマレク人がいる。天からの水を飲んで生きるのではなく、この世の水を飲んで満たされてしまう私たちがいる。このような自分を相手に、私たちは戦っていかなければならない。
筑波学園教会牧師 福島 純雄
2016年 4月3日(日)復活節第2主日礼拝
08:18現在の苦しみは、将来わたしたちに現されるはずの栄光に比べると、取るに足りないとわたしは思います。 08:19被造物は、神の子たちの現れるのを切に待ち望んでいます。 08:20被造物は虚無に服していますが、それは、自分の意志によるものではなく、服従させた方の意志によるものであり、同時に希望も持っています。 08:21つまり、被造物も、いつか滅びへの隷属から解放されて、神の子供たちの栄光に輝く自由にあずかれるからです。 08:22被造物がすべて今日まで、共にうめき、共に産みの苦しみを味わっていることを、わたしたちは知っています。 08:23被造物だけでなく、“霊”の初穂をいただいているわたしたちも、神の子とされること、つまり、体の贖われることを、心の中でうめきながら待ち望んでいます。 08:24わたしたちは、このような希望によって救われているのです。見えるものに対する希望は希望ではありません。現に見ているものをだれがなお望むでしょうか。 08:25わたしたちは、目に見えないものを望んでいるなら、忍耐して待ち望むのです。
1 「現在の苦しみは・・わたしは思います」と書かれている。パウロはここで、苦しみの問題を扱っている。なぜ「苦しむ」ということが扱われているのか。8章12~17節で語られていたことを思い起こす。とくに直前の17節の最後には「キリスト共に苦しむなら、共にその栄光をも受ける」とある。
12節から17節までを、少し振り返ってみたい。問題は、私たちが「肉」において生きざるを得ないということであった。「肉」とは「土の器」という言葉のように、私たちの肉体が弱く脆いために、精神も心もまた不安を抱えてしまい、15節にあるように「(苦しみによって)奴隷として恐れに陥れられる」ような状態になってしまう有様を言うのである。このような惨めさから、私たちを救い出して下さるために、イエス様は、私たちと同じ肉なるものとして生まれて下さったのであった。このイエス様を救い主と信じ、その信仰によって私たちはイエス様と結び付けていただき、神の霊・イエス様からの霊をいただいて、神様の子どもとして扱っていただけるのだとパウロは語った。私たちが神様の子どもとして扱っていただける証拠は、他でもなく、私たちが「主の祈り」のはじめで神様のことを「アッパ(父よ)」と口にできることだともパウロは語っていた。
しかし、問題はそれでもなお、私たちが「肉」なる者として苦しみの中に置かれているということなのである。神様の子どもとして扱われているとは言っても、苦しみが無くならないのなら、その奴隷となってしまうのではないか。一体、どうやって苦しむということを受け止めて行ったらよいのか。パウロは牧会者として、どうしてもこの問題に言及せざるを得なかったのだと思う。
17節の最後、私たちは単独に苦しむのではなく「キリストと共に苦しむ」のだとパウロは語った。イエス様を信じて結ばれたのだから、私たちの苦しみは、しっかりとイエス様のそれと結びつけられているのである。そうであればこそ、イエス様が十字架の上で苦しみ、復活し、素晴らしい神様の栄光に浴したように、苦しむ私たちも、復活のイエス様と同じような栄光をいただくようにされているのである。
2 この18節のパウロの言葉は素晴らしい言葉なのだが、しばしば曲解されてしまうのではないかと感じる。「取るに足りない」という言葉の印象が余りにも強すぎて、現在の苦しみ、肉における苦しみというものが非常に軽々しく扱われているように感じるのである。パウロは、決して将来の栄光と現在の苦しみを両天秤にかけて、将来の栄光から較べれば現在の苦しみなど、どうということもないものとして受けとめて、「苦しみをやり過ごせ、忍耐せよ」と言ったのではないと思う。パウロがわざわざ苦しみの問題を扱っているのも、彼がどれほど肉なる私たちにとって苦しみが重いか、私たちを奴隷として恐れに陥らせてしまう力を持っているかということを、よくよく知っていたからなのである。だから、単純に将来の栄光と現在の苦しみをバランスに欠けて、苦しみをやり過ごせるなどとは、到底、思ってはいなかったのである。
「較べる」という言葉があらわしているのは、現在の苦しみを将来の栄光とが「関係している」ということだと思う。パウロが、何よりも言いかったことは、現在の苦しみは将来の栄光 -素晴らしい栄光- と密接につながっているということだった思う。同じ天秤棒に懸かっていると言うが、両者を決して切り離すことはできないということである。
では、どのように両者は繋がっているのか。その答えは、具体的には、十字架の苦しみと復活のイエス様とのつながり方が提示してくれている。復活された栄光のイエス様には、十字架の傷跡があった。苦しみの跡があった。復活には似つかわしくないものではなかろうか。苦しみ・痛み・死が与えられた痕跡など、復活の体から綺麗さっぱりなくなったほうが良かったではないか。しかし、そうではなかった。復活の栄光の体には、苦しみの傷跡があったた。そして、この傷跡こそが、恐れて閉じ籠っていた弟子たちに平安を与え、喜びを与え、トマスを信じない者から信じる者へと変えしめたものだったのである。弟子たちをして、鍵をかけた扉を開けて、新しい歩みへと進みださせたものであった。ここに、現在の肉における苦しみが、どのように将来の栄光に結びついているかということへの明快な答えがある。
どうして復活のイエス様の体において、十字架の苦しみの傷跡が、このような働きをするものに変えられたのか。それは、復活されたイエス様の存在の目的、その目指す方向性が、ただひたすら弟子たち・私たちに平安や喜びや信じる心を与えるといった善いものを与えるというものになっていたからではないかと感じた。もちろん、イエス様の地上の生涯もまた、そういう方向性を持ったものであったが、復活以後は、ますますこのことが強くなっていったのである。復活したイエス様の喜びの源は、すべて弟子たちや私たちが善いものを得ることにかかっている。自分自身のための喜びを求めるという方向性は皆無で、この世における私たちの人生の方向性や目的とは、決定的に正反対なのだと思うのである。そうであればこそ、地上の体では苦しみであり嫌なものでしかない十字架の傷が、復活の体においては真逆の働きをするようになるのではなかろうか。イエス様と信仰において結び付けていただいた私たちにも、このような驚くべき変化が与えられるとしたら、何という喜びであろうか。
3 こうした現在の苦しみと将来の栄光との対比・関係・結び付きにおいて、現在の苦しみを捉えよ、受け止めよ、乗り越えよ、現在の苦しみが持っている意味を知って感謝せよ、というのがパウロの本意なのであった。
十字架の苦しみが復活の体において、驚くような働きをするということは、もしかすれば、イエス様自身にも予想もつかなかったことではなかったか。ましてや、私たちにとっては尚更である。私たちの現在の肉における苦しみが、将来、神様から何らかの栄光ある体をいただいたときに、一体、どのように善いものを与えられることとなるのか、それは、今は全く予想もつかないし、見えてはこないことなのである。だから、24節以下でパウロは、このような将来の希望は「目に見えない」と言っているのではないだろうか。イエス様が十字架の上で苦しみ、その苦しみが復活の体において、あのような働きをするとは、誰にも見えなかった。だから、いまは見えないけれども、現在の苦しみは確かに将来の栄光の体において貴い働きをするようになるのである。
こうして、現在の苦しみは、神様から与えられる将来における目には見えない希望を抱くことにおいてこそ、忍耐し背負うことができるというのがパウロのメッセージの重要なポイントである。反対に、苦しみを、現在の、目に見える希望においてのみ受け止め、意味を見いだし、背負うことは不可能なのである。そうできる段階は確かにある。たとえば、医者の治療によって苦しみが目に見えて軽減していくことがある。希望を持てる段階はある。しかし、いつかは、何をしても、目に見える形では、一切の希望を抱くことができない段階がやってくるのである。希望を抱くことが出来なくなると、それと同時に、苦しみを背負うことができなくなる。苦しみの奴隷となり、恐れに陥るのである。
しかし、私たちはキリストに結ばれた者として、私たちの現在の苦しみが神様から与えられる将来の栄光へとしっかりとつながっていると信じることができる。どのように現在の苦しみか、将来の体において貴い働きをするのかは分からない。現在の苦しみの有り様そのものからは、見えてこない。けれども、復活のイエス様がその体にあった十字架の傷跡に、トマスの指や手を入れさて平安や信仰を授けたように、現在の苦しみに由来するところの、将来の栄光の体についている傷跡は、愛する人々をそこに迎え入れる働きをし、そこから善いものが流れ出していくのである。どれほど、現在の苦しみは貴重であろうか。大切であろうか。無くてならないものであろか。肉における苦しみは、このように意味がある。将来の栄光の体においてこそ、意味を持つのである。
4 なぜパウロは、19節以下で、被造物の救いや希望というものを語ったのか。私の手許にある、それほど多くはない注解書のなかで、私をなるほどと思わせたのは、宗教改革者の一人、カルバンの解説であった。「我々に勧められたこの忍耐については、もの言わぬ被造物のうちにすら範例が見られる」・・・「この世界のうちには、現在の悲惨さの認識に打ちのめされず、復活の希望をいだかないような、いかなる要素も、いかなる部分も存在しない(カルバン「新約聖書注解Ⅶローマ書」のp215より)」と。また、実際、彼は二つのことを示している。第一は、すべての被造物が苦しんでおり・悲しみのうちにある、ということ。第二は、それにもかかわらず、これらは希望によって支えられ、慰められているということである。
カルバンが解説たとおり、パウロは、植物や動物といった被造物が「神の子たちの現れるのを(それは私たち人間が復活のイエス様のような存在に変えられることを意味しているのであろ)切に待ち望んでいる」と言い、「いつか滅びへの隷属から解放されて、神の子どもたちの栄光に輝く自由にあずかれる」という「希望を持っています」と言っている。しかし、それは余りにも動物や植物を擬人化しており、私たち人間の抱いている苦しみの思いを被造物に投影し過ぎているのではないか、という疑問を私は抱く。
けれども、もし被造物が自分たちの置かれた悲惨な状態、つまり「虚無に服している」こと -これは彼らがあっと言う間に殺されたり、踏みにじられたりという状態に置かれていることではなかろうか- をパウロが言うように、苦しんでいるなら、やはり希望が無くてはならないのであろう。その希望とは、全くもって見える希望・現在の苦しみから予想できるような希望ではない。でも、被造物でさえ、そういう希望を抱いて救われているとすれば、ましてや人間は、とパウロは言いたかったのである。希望を抱くことが出来なかったら、人間は被造物よりも、もっともっと悲惨ではないか。なぜなら、人間は動物や植物とは決定的に違って、もっともっとはっきりと己の現在の苦しみを自覚できるからである。苦しみの奴隷となってしまうからである。だからこそ、より一層、人間には希望がなければならないとパウロは言わんとしていると理解できる。
22節に「被造物がすべて・・・共に呻き、共に産みの苦しみを味わっていることを、私たちは知っています」とある。ここの「被造物」のなかには、もしかすれば人間も含まれているのかも知れない。人間だけが苦しみの中にあるのではなく、すべての被造物もまた、苦しんでいるのである。人間の苦しみだけが特別なのではないと慰めようとしているのであろう。私たちが復活したイエス様と同じような存在へと変えられ、ひたすら他者に善いものを与えようとする存在になったとき、そのように私たち人間の存在の方向性が180度転換したとき、それによって他の被造物たちも救われるという時がやってくるのかも知れない。
筑波学園教会牧師 福島 純雄
2016年 3月27日(日)イースター礼拝
20:24十二人の一人でディディモと呼ばれるトマスは、イエスが来られたとき、彼らと一緒にいなかった。 20:25そこで、ほかの弟子たちが、「わたしたちは主を見た」と言うと、トマスは言った。「あの方の手に釘の跡を見、この指を釘跡に入れてみなければ、また、この手をそのわき腹に入れてみなければ、わたしは決して信じない。」 20:26さて八日の後、弟子たちはまた家の中におり、トマスも一緒にいた。戸にはみな鍵がかけてあったのに、イエスが来て真ん中に立ち、「あなたがたに平和があるように」と言われた。 20:27それから、トマスに言われた。「あなたの指をここに当てて、わたしの手を見なさい。また、あなたの手を伸ばし、わたしのわき腹に入れなさい。信じない者ではなく、信じる者になりなさい。」 20:28トマスは答えて、「わたしの主、わたしの神よ」と言った。 20:29イエスはトマスに言われた。「わたしを見たから信じたのか。見ないのに信じる人は、幸いである。」
1.20章24節以下、最初のイースターの夜から数えて8日目、弟子たちは戸にみな鍵をかけていた。しかし、不思議にもそこに現れたイエス様は「あなたがたに平和があるように」と言ったとある。これは、19節から23節に書かれていたこととも同じである。このことから、復活したイエス様は、家に鍵をかけて閉じ籠るしかなかった弟子たちに、平和・平安・安心をもたらして下さったことが分る。20節には、さらに「弟子たちは主を見て喜んだ」とある。喜びをも与えたことが書かれている。そして24節以下に、信じることのできなかったトマスが、信じる者へと変えられたことが書かれている。このように、復活したイエス様は弟子たちに、平安や喜びや信じる心を与えて下さった。それらは、決して弟子たち自身のなかからは生まれ得ないものだったと思う。もしもイエス様が十字架の上で殺されて、そのままであったなら、弟子たちは恐れて閉じ籠ったままだったに違いないのである。
復活したイエス様に出会った弟子たちが、そのイエス様のことを、幽霊や亡霊の類ではないかと恐れる場面が書かれている(ルカによる福音書の24章37節など)。これは、実際に弟子たちが、そのように思ったという事実を反映しているのであろうし、また、当時の人々が復活という出来事を、どうしてもそのようにしか捉えられなかった事情をも反映しているのであろう。しかしもしも、イエス様が亡霊や幽霊の類として弟子たちに現れたのだとしたら、果たして彼らは平和や喜びや信仰をいただくということがあったであろうか。亡霊とか幽霊といった存在であったならば、決して弟子たちに、善いものや、ポジティブなものを授けることは出来なかったのではないかと思うのである。
2.私は、3・11の出来事を思い起こす。今年のイースターは、3・11から2週間ほどしか離れておらず、また、今年はとくに、震災から丸5年が過ぎた節目の年でもある。
津波の被災地で、タクシー運転手の中に、おそらくは死んでいるのだと思われる存在の人々を乗せた体験をしたという人が、かなりの割合でおられるそうである。亡霊とか幽霊をタクシーに乗せたのであれば、ぞっとするような感じを受けるのではないかと思う。しかし彼らは、そのような状況の中で、不思議なことに、そのような感覚はなかったと言っておられるのだそうである。そうは言っても、亡霊とか幽霊とかいうような存在は、何も語らないでしょうし、ましてや復活のイエス様が弟子たちに授けたような平和や喜び、鍵を開けて新しく生きて行けるようになることを与える力はないでしょう。もし、出来るとしたなら、津波で亡くなった人々が幽霊や亡霊となって、何も語り得ない存在として黙ってタクシーに乗っているのではなく、鍵をかけて閉じ籠るしかないようになって生き残った人々に、復活のイエス様のように善いものを授け、平和や喜びを与えることのできる存在になって欲しいものだと本当に強く思った。そしてそれは、死んでいった人々にしかできないのだと思う。しかし、ただ死人となり、亡霊や幽霊になってしまったのでは、そのようなことは出来ないのである。
ある人がこんなことを語っていたとの新聞記事を読んだ。震災で死んだ人々も、震災後の社会の在り方に対してもの言う権利があり、その責任があるというような内容だったと記憶している。死んでしまった人々が、どうやってその後の社会のあり方にものを申せるのか、文字どおりには全く変な主張なのであるが、しかし、その言わんとすることは、核心をついていると感じたのである。復活のイエス様が弟子たちに為して下さったのは、まさしく、閉じ籠ってしまっている弟子たちにもの申して下さったということではなかろうか。それは、しかし、死人としてではなく、また亡霊や幽霊としてではなく、復活した存在としてもの申し、弟子たちのその後の生き方に決定的な影響力を行使して下さったのであった。また、今も生きておられて、私たちにもの申し、私たちの社会の在り方に、決定的な影響を及ぼして下さっているのである。
津波で死んでいった2万人近い人々にも、そのような存在になって欲しいと思う。そうであって下さらなければ、生き残った者は、いつまで経っても、閉じ籠ることから解き放たれないからである。自分自身の中から、善いものを生み出す力は、持ちえないからである。生き残ったことは確かだが、しかし、それは本当に惨めで辛いのである。そうした人々に、平和や喜びや信じる心を与える義務や責任が、死んでいった人々にはあるのではなかろうか。もの言わぬ死人でいることは、許されないのではなかろうか。
しかし一体、どうしたら、死んでいった人々が、ただ死人のままではなく、また、亡霊や幽霊としてではなく、生きている私たちの社会に対してもの申し、その形成に参加をして行けるのであろうか。善いものを授けることのできる存在になれるのであろうか。それには、復活されたイエス様が鍵なのだと思うのである。生き残った者たちが、死んでいった人々を復活のイエス様とともにある存在として信じ、復活のイエス様が語った言葉を、死んでいった人々の言葉として聞き、平安や喜びを授かることなのである。コリントの信徒への手紙(1)の15章には「死者のためのバプテスマ」という不思議なことが書かれている。これは、恐らくは生き残った者がイエス様を信じることなく死んでいった死者を、何とかしてイエス様に結び付けようとして行った儀式ではなかったか。そのようにして、死んでいった人々を、復活したイエス様と共にあり、つなげていただいている存在として信じるのである。それによって、死人は、ただの死人ではなく、また亡霊や幽霊ではなく、生き残っている者に善いものを授けてくれる存在になるのではないだろうか。
3.さて、復活されたイエス様が、弟子たちに授けた善いものが、どういうものであったのか、どんな平安であり喜びだったのかを味わっていきたいと思う。
まず、24節から26節初めまでに書かれていることを通して示される点である。8日前の最初のイースターの夜には、トマスは仲間の弟子たちとは一緒にいなかったのに、8日目には、仲間と一緒にいたということが書かれている。最初のイースターの後、他の弟子から「わたしたちは主を見た」と聞いたが、トマスは「あの方の手に・・・入れてみなければ、決して信じない」と言ったとある。
トマスは、どうして最初のイースターの夜には、仲間と一緒にいなかったのであろうか。愛する師だけを、たった独り十字架のうえで死なせて、おめおめと生き残っている自分たちを許せなかったのだと私は思う。どういう顔をして一緒にいれば良いというのか。ヨハネによる福音書の11章16節、イエス様が死んだラザロのもとに行こうとしたとき、このトマスは「わたしたちも行って、一緒に死のうではないか」と仲間に呼びかけた場面が書かれている。彼は、ペトロ以上に情熱的な人だったのである。彼は、イエス様と最後まで生死を共にしたいと願っていた。そういう自分が、のうのうと生き残っていること、それが許せなかったのである。「あの方の手に・・・」という言葉も、実はトマスの疑いの言葉ではなく、どうしてこんな私が赦されて良いのかという思いなのであった。十字架の傷跡に指や手を入れるというのは、師を見捨てた私という罪深い存在を、果たして受け入れ受容してくれることなどあるのかという思いなのであった。
最初のイースターの夜、弟子たちも、まさに同じ思いを抱いていたに違いない。その思いこそが、生き残った彼らを閉じ籠らせているものなのである。津波で生き残った人々の思いも、恐らく同じであろう。「助けてやれなかった。」「手を離してしまった。」「自分だけが生き残ってしまった。」・・・突き詰めれば、生き残っていることへの申し訳なさなのである。そこに、イエス様が、不思議にも入って来て真ん中に立ち、「あなたがたに平安があるように」と言って下さったのである。「あなたがたが私を見捨てたことなど、こうして今、あなたがたの真ん中に立ち、あなたがたと、再びつながりを結ぼうとすることに、何の妨げにもならないのだよ」という平安なのである。「あなたがたは生きて行って良いのだ、わたしはこれからもあなたがたとつながりを持って生きて行くのだから。あなたがたと私とは、これからも共に生きて行くのだから、あなたがたが生き続けて行くことは、私にとって大切なことなのだ。」これが、イエス様の与えられた「平安」の根源にあるものなのだと、私は思うのである。
最初のイースターの夜に、このような平安を復活のイエス様から授かったので、弟子たちは、それを信じられなかったトマスにも、精一杯それを語った。イエス様から授かった平安がトマスにも、少しずつではあったが、日々伝播していったのだった。だから、「こんな自分など、どうして赦される筈があろうか」と思ったトマスも、その赦しを願い求めて、仲間と一緒にいるようになったのであった。恐れて閉じ籠っていた弟子たちは、8日目も、なお鍵をかけていた。しかし、最初のイースターの夜に授かった平安や喜びは、彼らをして、わずかに扉を開けさせしめ、トマスだけは中に入ることができるようになったのであった。閉じ籠っていた彼らが、そこに仲間を迎え入れることが出来るような者たちに、変えられて行ったのだった。
4.27節、イエス様は8日目に「平安があるように」と、特別にトマスに「あなたの指を・・・信じない者ではなく信じる者になりなさい」と言った。十字架につけられた傷に、見捨てた者の指や手を入れさせるという行為を、私は「赦し」の象徴だと思う。
どうして復活したイエス様の不思議な身体には、十字架の傷跡があったのかということを、是非、心に留めていただきたいのである。それは、イエス様に苦痛と死をもたらしたものであった。復活するときには、そういうネガティブなものは、むしろ完全に消え去り、無くなった方が良いように思う。しかし、神様は、これを残されたのである。残った傷跡は、20節で、弟子たちに喜びを与えるものとなった。トマスに指や手を入れさせて、彼を信じない者から信じる者へと変えさせたのである。
ここには、復活のイエス様だけが、私たちにもたらして下さる平安と喜びのメッセージがあると思う。この世において、肉体をもって生きている私たちには、この傷は苦痛となり死をもたらすものである。しかし、この世を離れたときに、私たちが神様から新たな命と身体をいただいたときには、その傷は本当に貴い働きをするのである。生き残った者は、死者の身体についた傷を忘れることが出来ない。「痛かったろう、苦しかったろう」としか思うことが出来ない。しかし、復活のイエス様においては、どうであろうか。この傷は、弟子に喜びを与えるものとなったのである。トマスの指や手を入れさせて、信じない者から信じる者へと変えさえるものとなったのである。この復活のイエス様において、震災で亡くなられた人々も、「私の傷にあなたの指や手を入れてみよ」と生き残った者に語りかけてくれているのである。
筑波学園教会牧師 福島 純雄
2016年 3月20日(日)受難節第6主日礼拝
19:28イエスはこのように話してから、先に立って進み、エルサレムに上って行かれた。 19:29そして、「オリーブ畑」と呼ばれる山のふもとにあるベトファゲとベタニアに近づいたとき、二人の弟子を使いに出そうとして、 19:30言われた。「向こうの村へ行きなさい。そこに入ると、まだだれも乗ったことのない子ろばのつないであるのが見つかる。それをほどいて、引いて来なさい。 19:31もし、だれかが、『なぜほどくのか』と尋ねたら、『主がお入り用なのです』と言いなさい。」 19:32使いに出された者たちが出かけて行くと、言われたとおりであった。 19:33ろばの子をほどいていると、その持ち主たちが、「なぜ、子ろばをほどくのか」と言った。 19:34二人は、「主がお入り用なのです」と言った。 19:35そして、子ろばをイエスのところに引いて来て、その上に自分の服をかけ、イエスをお乗せした。 19:36イエスが進んで行かれると、人々は自分の服を道に敷いた。 19:37イエスがオリーブ山の下り坂にさしかかられたとき、弟子の群れはこぞって、自分の見たあらゆる奇跡のことで喜び、声高らかに神を賛美し始めた。 19:38「主の名によって来られる方、王に、祝福があるように。天には平和、いと高きところには栄光。」 19:39すると、ファリサイ派のある人々が、群衆の中からイエスに向かって、「先生、お弟子たちを叱ってください」と言った。 19:40イエスはお答えになった。「言っておくが、もしこの人たちが黙れば、石が叫びだす。」 19:41エルサレムに近づき、都が見えたとき、イエスはその都のために泣いて、 19:42言われた。「もしこの日に、お前も平和への道をわきまえていたなら……。しかし今は、それがお前には見えない。 19:43やがて時が来て、敵が周りに堡塁を築き、お前を取り巻いて四方から攻め寄せ、 19:44お前とそこにいるお前の子らを地にたたきつけ、お前の中の石を残らず崩してしまうだろう。それは、神の訪れてくださる時をわきまえなかったからである。」 19:45それから、イエスは神殿の境内に入り、そこで商売をしていた人々を追い出し始めて、 19:46彼らに言われた。「こう書いてある。『わたしの家は、祈りの家でなければならない。』 ところが、あなたたちはそれを強盗の巣にした。」
09:09娘シオンよ、大いに踊れ。娘エルサレムよ、歓呼の声をあげよ。見よ、あなたの王が来る。彼は神に従い、勝利を与えられた者 高ぶることなく、ろばに乗って来る 雌ろばの子であるろばに乗って。 09:10わたしはエフライムから戦車を エルサレムから軍馬を絶つ。戦いの弓は絶たれ 諸国の民に平和が告げられる。彼の支配は海から海へ 大河から地の果てにまで及ぶ。
1 イエス様が仔ロバの背中にまたがってエルサレムに入り、エルサレムのために涙を流されたこと、神殿の境内で商売をしていた人々を追い出した様子が書かれている箇所である。
イエス様がエルサレムに入った日は、いま私たちが礼拝を守っている日曜日だったのかどうかは定かではない。この週の金曜日-ユダヤ人にとっての安息日の前の日-の午後に、イエス様は、十字架に架けられた。イエス様のエルサレム入城の日を、受難の一週間前として、教会はこの日を主日礼拝の日と定め、とくに『棕櫚の主日』としている。ルカによる福音書のこの個所には「棕櫚」という言葉は出てこないが、同じ場面を記したヨハネによる福音書の12章13節には「イエスがエルサレムに来られると聞き、なつめやしの枝を持って迎えに出た」と書かれている。なつめやしは、シュロ以外のヤシ科植物が一般的ではなかった日本で紹介されたときに「棕櫚」と翻訳されたため、棕櫚の主日と呼ばれるようになった。ちなみにイエス様が仔ロバの背中にまたがってエルサレムに入った様子は、十字架と復活とともに4つの福音書すべてに記されている数少ないエピソードの一つである。また、イエス様がエルサレムに入ったた後に神殿の境内で商売をしていた人々を追い出したエピソードは、ヨハネによる福音書では、書かれている場所が他の3つの福音書とは違ってはいるものの、出来事そのものが書かれているという点では、やはり4つの福音書すべてに記されている数少ないエピソードの一つである。
このように、これらの出来事は、はじめの頃の信徒たちにとっては、決して忘れることのできないものであった。イエス様のなさった事柄を言い伝え、それが福音書として編纂され、また印刷技術など発明されていなかった時代に、人々は決してこれらの出来事を、隠すことも省くこともせずに、語り伝えてきたのであった。
2 まず、イエス様はどんな心で、わざわざ仔ロバの背中にまたがってエルサレムに入ったのであろうか。それを知るためには、その時のエルサレムがどういう雰囲気の時だったのか、人々は何を熱望していたのかを知ることがとても大切である。
それは、間もなくユダヤ人にとってのお正月である過越しの祭りが始まろうとしていた時期であった。過越しの祭りとは、出エジプト記にあるように、エジプトで奴隷だったイスラエル人がエジプト王の下から解放されるきっかけとなったのが、この過越しと呼ばれる出来事であった。玄関先に子羊の血を塗ったイスラエル人の家だけは『滅ぼすもの』と呼ばれる災いが過ぎ越して行った。しるしをつけなかったエジプト王をはじめとした多くの人々の家には災いが入り込み、大切な長男を死に至らしめるということが起きた。これにより、やっとエジプト王は、イスラエル人を解放するにいたったのであった。この出来事を記念して、ユダヤ人はこの日を過越しの祭りとして守ってきた。
ちょうど、このお祭りが始まろうとする時期であった。全世界からエルサレムに200万人もの人々が巡礼に訪れていたと言われている。集まった人々が一心に期待していたこと、それは第二のモーセとでも言うべき救い主が現れて、第二の出エジプトが起こることであった。自分たちを支配するローマ帝国を滅ぼす何かが襲いかかることを期待していた。人々はそういうことを成し遂げてくれる第二のモーセや第二のダビデ王を切望していたのであった。
37節以下に、イエス様を迎えて歓呼の叫びをあげた弟子たちの様子が書かれている。おそらくは周囲にいた人々も声を合わせていたのであろう。何と叫んだかと言えば、「主の名によって来られた方、王に」とある。弟子たちをはじめ、人々はイエス様を王として迎えた。
3 このように盛り上がっていたエルサレムに、イエス様は仔ロバの背中にまたがって入城したのだった。どうして、仔ロバにまたがってなのか。ゼカリヤ書の9章9節と10節を読むと明らかになる。「娘シオンよ、大いに踊れ。娘エルサレムよ、歓呼の声をあげよ。見よ、あなたの王が来る。彼は神に従い、勝利を与えられた者。高ぶることなく、ろばに乗ってくる。雌ろばの子であるろばに乗って来る。わたしはエフライムから戦車をエルサレムから軍馬を絶つ。戦いの弓は絶たれ諸国の民に平和が告げられる」と書かれている。ある意味では、イエス様も、はっきりと「自分が王なのだ」と主張されて入城されたのである。しかし、その王とは、エルサレムの人々が熱狂的に切望していた王とは正反対の存在なのであった。人々が求めていたのは、戦車や軍馬を従え、ローマ帝国を滅ぼして、地上の王国を建ててくれる王であり、それによる平和であった。しかし、イエス様が王としてもたらされようとしていたのは、それとは似ても似つかぬ仔ロバの背中にまたがって、まるでピエロのような馬鹿げた振舞いの者を「王」として受け入れ、服したときの平和なのであった。
人々はこの時、イエス様の真意が分からないまま、弟子たちと一緒になって歓呼して出迎えた。しかし、すぐさま、イエス様の意図していた王の姿を知り、それまで期待が大きかっただけに、それを裏切られた憎しみが強くなり、数日後には「十字架につけよ」との叫びに変わっていったのだった。私たちも、私たちを苦しめる様々な圧迫や圧制を駆逐することなど何一つされることなく、仔ロバにまたがったイエス様が、どうして平和をもたらす王様なのか、というように思ってしまう時がある。今やこの世界では、テロが横行し、世界全体が「武力によって平和を」というところへ傾いていく時代となっている。アメリカの大統領選挙では、以前には到底考えられなかったような主張をする候補者が指名を勝ち取ろうとしている。まさに、どれだけ沢山の戦車や軍馬を従えて颯爽と舞台に登場したかが、拍手喝采を受けて王として迎え入れられる要件となろうとしているように思える。
しかし、どれほど私たちがそのような王を求め、そのような王による平和を求めたとしても、イエス様は私たちの求めに真っ向から反して、仔ロバの背中にまたがった王として入って来られるのである。それ以外の王ではあろうとされないのである。「このような私を王として受け入れ、服する人々にのみ、平和と平安がある」とはっきり告げているのである。それは、イエス様が、十字架にかかってまで貫き通した主張なのである。
4 それでは、このイエス様を王として受け入れ服するとは、どのようなことを意味するのであろうか。私たちがどのように生きることを意味しているのであろうか。それは先ず、仔ロバの背中にまたがったイエス様の後についていくことを意味している。仔ロバの背中に大人がまたがったのでは、その歩みは、より一層遅く、とぼとぼとしたものになる。よろけてしまう。イエス様という重さを背負わされて、その一歩一歩は、真に辛いものでもある。その歩みに「ついてきなさい」とイエス様は言っているのである。私たちも、それぞれに神様から背負わされた重荷を背負って、とぼとぼ、よろよろと歩いて行かねばならない。颯爽と軍馬にまたがり、敵を蹴散らして進む歩みとは程遠いものである。しかし、それがイエス様を王としていただいている者の歩みなのである。そういう歩みをしている私たち自身には、平和・平安は感じられないかも知れない。しかし、「実はそこにこそ平安があるのだよ」とイエス様は語って下さっているのである。
私自身、「主がお入り用です」と言われ、用いられていった仔ロバに、自らの姿を重ね合わせることがある。三浦綾子の小説に、日本におけるアシュラ運動のリーダーだった榎本保朗牧師の生涯を描いた『ちいろば物語』という作品があった。榎本牧師も、このロバに重ねて自分を「ちいろば」と呼んだということを思い起こした。30節に「まだだれも乗ったことのない子どものロバ」とあるのは、この仔ろばが、まだまだ人を乗せるにも、荷を運ぶにも、役に立たないような弱々しいろばだったことを指しているのだと思う。しかし、イエス様は、ゼカリヤ書の預言の成就のため、このような仔ロバこそを「お入り用」とされた。イエス様を王とするということは、私たちがこのようなロバとして神様・イエス様によって入り用とされて行くということを喜んで受け入れることなのである。
背が小さいというハンディを抱えていたザアカイもまた、この「ちいろば」に当るのであろう。「そのようなあなたの家にこそ泊りたい」とのイエス様の言葉を聞いて、それまで劣等感に打ちひしがれていたザアカイの心に平和が訪れた。常に人との戦い勝利しようとして戦車や軍馬を戦わせる場所に平和はない。そうではなく、こんな小さな私にも、イエス様をお乗せすることができるのだと、また、大切な務めを神様から委ねられているのだと感じるところに、平和がある。
5 さて、41節以下に書かれている二つの出来事、即ちイエス様がエルサレムのために涙をながされたことと、神殿の境内で商売をしていた人々を追い出した出来事とを、一緒に取り上げようと思う。私は、ここに、当時の人々とは全く違う視点でエルサレムや神殿を見ておられたイエス様のまなざしをひしひしと感じる。
まず、全世界から何百万もの人々を集めていたエルサレムこそ、世界の中心であり、いずれ建てられるであろう神の王国の首都なのだと人々は思っていたことであろう。「決して滅びることなど無い永遠の都、それがエルサレムだ」と。しかし実際に、西暦70年には、ローマ帝国によって粉々に破壊され、43節と44節に書かれている通りになってしまったのである。だからイエス様は、エルサレムのために涙を流されたのであった。イエス様が涙を流されたことを記している福音書は、この箇所とヨハネによる福音書のラザロ物語(ヨハネによる福音書の11章35節)の2ヶ所だけである。「もしもお前が平和への道をわきまえていたら」「神の訪れ(すなわちと子どもロバにまたがってエルサレムに入られたイエス様を、本当に王として受け入れること)をわきまえ」ていたなら、そうなることはなかったのに・・・とイエス様は嘆かれたのであった。
そして、エルサレム神殿に入り、そこで商売をしていた人々を蹴散したのであった。このように神殿の境内で盛んに商売が行われていたということは、とりもなおさず、神殿が繁栄し、そこに仕えていた人々の生活が潤っていたことを意味していた。しかし、イエス様の目には、それは「祈りの家」であるべき場所が、強盗の巣となり、エレミヤ書の7章に書かれているように、ここがいずれ廃墟になってしまう原因であると映っていた。そして、実際にそのとおりになって行ったのだった。
私は、確かなまなざして、私たちにとって事実上の神殿といって良い教会を見て下さるイエス様に、深い励ましをいただくのである。本日は、私たちの教会が1978年3月21日に創立されて満38歳を迎えようとする記念の礼拝の日でもある。私たちの国や生活の在り方に対して、また教会の在り方に対して、イエス様は私たちがみるのとは全く違うまなざしを向けて下さっている。私たちの国が、また教会が、どんなに栄えても、豊かであっても、存続し続けて行く土台にはならないと教えて下さるのである。教会はひたすら「祈りの家」であることによって、存続してゆくのである。どんなに集う者が少なくたったとしても、教会が「祈りの家」であろうとする限り、神様・イエス様は、これを廃墟にされることは決してないのである。都はいつか滅びる。世界国家も43節、44節に書かれている通りになってゆくであろう。しかし、仔ロバにまたがって来られたイエス様を王として受け入れる者には、平和が来るのである。
筑波学園教会牧師 福島 純雄
2016年 3月13日(日)受難節第5主日礼拝
19:11人々がこれらのことに聞き入っているとき、イエスは更に一つのたとえを話された。エルサレムに近づいておられ、それに、人々が神の国はすぐにも現れるものと思っていたからである。 19:12イエスは言われた。「ある立派な家柄の人が、王の位を受けて帰るために、遠い国へ旅立つことになった。 19:13そこで彼は、十人の僕を呼んで十ムナの金を渡し、『わたしが帰って来るまで、これで商売をしなさい』と言った。 19:14しかし、国民は彼を憎んでいたので、後から使者を送り、『我々はこの人を王にいただきたくない』と言わせた。 19:15さて、彼は王の位を受けて帰って来ると、金を渡しておいた僕を呼んで来させ、どれだけ利益を上げたかを知ろうとした。 19:16最初の者が進み出て、『御主人様、あなたの一ムナで十ムナもうけました』と言った。 19:17主人は言った。『良い僕だ。よくやった。お前はごく小さな事に忠実だったから、十の町の支配権を授けよう。』 19:18二番目の者が来て、『御主人様、あなたの一ムナで五ムナ稼ぎました』と言った。 19:19主人は、『お前は五つの町を治めよ』と言った。 19:20また、ほかの者が来て言った。『御主人様、これがあなたの一ムナです。布に包んでしまっておきました。 19:21あなたは預けないものも取り立て、蒔かないものも刈り取られる厳しい方なので、恐ろしかったのです。』 19:22主人は言った。『悪い僕だ。その言葉のゆえにお前を裁こう。わたしが預けなかったものも取り立て、蒔かなかったものも刈り取る厳しい人間だと知っていたのか。 19:23ではなぜ、わたしの金を銀行に預けなかったのか。そうしておけば、帰って来たとき、利息付きでそれを受け取れたのに。』 19:24そして、そばに立っていた人々に言った。『その一ムナをこの男から取り上げて、十ムナ持っている者に与えよ。』 19:25僕たちが、『御主人様、あの人は既に十ムナ持っています』と言うと、 19:26主人は言った。『言っておくが、だれでも持っている人は、更に与えられるが、持っていない人は、持っているものまでも取り上げられる。 19:27ところで、わたしが王になるのを望まなかったあの敵どもを、ここに引き出して、わたしの目の前で打ち殺せ。』」
1 タイトルの「『ムナ』のたとえ」の下に、括弧書きで、「マタ25、14-30」という表記がある。このエピソードの記載とと似たようなことが書かれている聖書個所を知らせている。読んでみると、似ている部分も多いが、違っている箇所も多い。確かに、もともとは同じエピソードだったのだろうか。言い伝えられている間に、少しずつ内容が違っていき、ルカの手許に届いたときには、随分マタイの内容とは異なったものとなっていたのかも知れない。こういう話をルカは、福音書の他の何処でもなく、わざわざこの位置に配置した。これまで何度も、そういうルカの意図を考えさせられてきた。このエピソードも、わざわざそのように配置したところに、ルカのメッセージが込められている。イエス様が話されたたとえ話に対する、彼なりの理解が現れている。
さて、それでは、ルカは、どういう意図を持っていたのか。それは、重要な流れの転換点となっている。ルカはこれまでの箇所で、ずっと神の国についてのイエス様のメッセージを取り上げてきた。当時のユダヤ教の指導者であったファリサイ派や律法学者と呼ばれていた人々が教えてきた神の国や神様の支配とは対照的な、イエス様独自の神の支配の有り様を、ルカだけが知っていたイエス様の言動をふんだんに用いながら描いてきたのであった。
その総まとめとも言うべきエピソードが、イエス様と徴税人の頭ザアカイとのエピソードなのである。直前の9節に、「今日、救いがこの家を訪れた」と記されている。「救いが訪れた」とは、神の国がやって来たということと同じである。ローマ帝国の手下になって、汚い金を集めてきたような人間は、決して神の国に入ることなどできないとされていた。しかし、ひたすらイエス様を見ようとして木に登り、イエス様に出会ったことで、ザアカイは、神の国に入れていただいたのであった。ここでは、神の国に入るとは何よりも、イエス様と出会い、イエス様との関係に生きることなのだとの総まとめのメッセージが語られているのである。
2 このように、イエス様との出会い、そしてイエス様との関係において、人々を神の支配の中に招き入れて来たイエス様が、いよいよ19章の28節に、エルサレムに入ろうとされている様子が描かれている。受難週と呼ばれる1週間が始まろうとしていたのである。これが、流れの大きな転換点なのである。イエス様がエルサレムに入り、受難されるとは、どういうことを意味しているのか。これまでのようには、イエス様と目に見える形で出会うことや、関係をつくるということが出来なくなるということを表していたのである。十字架の上で殺されて復活し天に帰り、これまでと同じような形では、もはや出会うことは出来なくなるのであった。そういう転換点に差し掛かっていたのである。だから、独特なたとえ話というのは、これまでの箇所と28節以下の出来事とをつなぐ、懸け橋のような意味合いを持っていると言って良いと思う。これ以降はもう、ザアカイのようにイエス様と出会い、イエス様から声を聞くことが出来なくなるのである。そういう私たちが、それにもかかわらず、イエス様との関係を保ちつつ生きるためには、何が大事なのかを問う語りかけなのである。
「懸け橋」という言葉の性格が、11節の書き始めのところに、良くにじみ出ていると感じる。どうして、イエス様がこのたとえ話を話したのかについて、「(イエス様が)エルサレムに近づいておられ、それに人々が神の国はすぐにも現れるものと思い込んでいたからである」と書かれている。このたとえ話は、これまでずっと語られてきた神の国に関することと、これからの流れであるイエス様がエルサレムに入ろうとされておられることとの、両方の事柄を結び付けて扱うためのものだと、書き初めの11節が、ちゃんと説明してくれているのである。「神の国は見える形では来ない、人々が期待するような形では来ないのだ」と、イエス様に教えていただいてきた。にもかかわらず、人々はイエス様のエルサレム入城と共に、『第二の出エジプト』の如く、「すぐさま、ローマ帝国からの解放が起きる」「そういう形で神の国が到来する」といった期待をしていたのである。しかし、神の国は、そのような形では決して来ないのである。では、どういう形でやって来るのか。どういう形で「あなたがたのただ中に(17章21節)」やって来るのであろうか。
そこで、たとえ話が語られたのである。「イエスは言われた。『ある立派な家柄の人が、王の位を受けて帰るために、遠い国へ旅立つことになった。』」とは、言うまでもなく、イエス様がエルサレムに入ってから起きてゆく状況なのである。イエス様の受難、復活、そして天に昇るを意味している。これまでのようにイエス様と会い、つながりを持って生きることは出来なくなるという状況なのであった。当然、人々が期待していたような神の支配が現れることはなかった。しかし、旅に出かけて不在となった主人との関係の中に生きることはできるのである。つまり、神様の支配の中に生きることは「できる」のである。そのよすがは何かというと、旅に出かけるにあたって、主人は10人の僕を呼んで「10ムナの金を渡し、『わたしが帰って来るまで、これで商売を・・・』・・・」と書かれている。1ムナとは、当時の労働者1日分の日当に相当する額であった。今日の貨幣価値で言えば、ほぼ100万円前後に当るであろう。因みに、平行箇所のマタイ福音書25章のたとえ話で託された金額は「タラントン」と書かれている。タラントンとは、ムナとは一ケタ違う大きさである。1タラントンが6000デナリ、つまり6000万円にもあたる金額であったのである。それと較べると、この箇所の「1ムナ」という貨幣価値は、なんらかの意味を含んでいるのであろうか。しかし、とにかく遠い国に旅立ってしまった主人、すなわちイエス様と残された私たちをつなぐよすがは、この預けられた「ムナ」であると言うのである。預けられた1ムナを元手に商売をすること、ここにイエス様と私たちとの関係がある。商売をすることにおいて、私たちは神の国に招き入れられているとのことなのである。この関係が、「神の国はあなたがたのただ中にある」という意味だとルカは私たちに伝えているのである。
3 このことから、私たちは色々のことを考えさせられる。商売というたとえではなく、もう少し他のたとえの方が相応しいのではないかとも思える。たとえば、ヨハネによる福音書でも、イエス様は最後の晩餐の後の、長い告別説教の場面で、自分が天に帰った後の弟子たちと自分との関係を、本当に深く配慮しておられた。「わたしはあなたがたをみなしごにはしておかない(ヨハネによる福音書14章15節~)」と。
20節以下にあるように、「預けられた元手を失くしてしまったらどうしようか」、「主人にきつく咎められるのではないか」といった恐れを抱いてしまった者がいた。主従の関係におけるマイナスがあった。しかし、そのように委縮してしまった僕がいたにもかかわらず、イエス様は敢えて、受難・復活・昇天の後の私たちとの間柄を、このような関係にたとえたのであった。ルカは、このエピソードを、大切な場面として、この箇所に置いたのだった。この間柄には、無くてはならぬ意味があるということを伝えたかったのである。このたとえによってしか語り得ない何かがあるということなのである。
それは何か。私は商売人の家に生まれた者ではないので、商売をする面白さは良く分からないが、商売の面白さとは、先ず何よりも、- この譬え話でも、最初の二人の僕が「一ムナで十ムナを儲けました」「一ムナで五ムナ稼ぎました」と口にしているように - 元手を上手く使って「儲ける・稼ぐ」ことができるということだと思う。
私たちは、イエス様から預けられた1ムナ - それは、お金そのものではなく、福音を意味している。とても価値のある宝物を意味している。しかし、この世では、誰にとっても、何千万円もするような価値ではない。 - を、自信をもって、胸を張って、嬉しそうに売れば良いのである。そうすれば、必ず儲かるのである。イエス様の僕としての私たちがやるべきことは、ただそれだけで良いのである。セールス以外のことは、あれこれ考える必要はないのである。この世界を回って、ただこれだけを売れば良いのである。1ムナを預かって、それを元手に商売をするとは、このような面白さを、また、ひたすらに、これに従事すれば良いとの生き方のシンプルさを、教えてくれているのではなかろうか。
4 胸を張ってあるものを宣伝するということで言えば、私は改修工事で新しくなった、この礼拝堂を、そのように、大いに宣伝したいという想いにかられている。2月に行った懇談会の『新しくなった礼拝堂で、こんなことをしてみたい』というテーマは、他でもない、私が考えて、伝道委員会や執事会に提案させていただいたのである。私自信が、この会堂で、色々なことをしたいと思っているのである。そうして、地域の多くの人々にこの礼拝堂を使っていただきたいのである。これだけ素晴らしい器を使っていただかない手はないと思っているのである。私自身が、歌声広場やミニコンサートを開いて人々を招きたいのである。この素晴らしい響きを与えられた会堂で、皆で声をそろえて歌うことができたら、それはどんなに楽しいことであろうか。
皆で歌声を合わせることは、私たちを健やかにする。私たちの身体は、目に見える形では周りの空気や他の物質から独立しているように見える。しかし実際は、常に流動し、交わりあっているのだと思う。そこに音楽が加わることで、皆の歌声が、私たちの身体と交りあう。それには主の日に礼拝を捧げる人々の思いも残っていて、それも、また交りあうのである。
このように、私たちが心の底からよいと思うものを宣伝し買ってもらいたいと思うことは、買った側の人を幸せにするだけでなく、売る側の私たちをも幸せにするのである。それが、
「1ムナを元手に10ムナを売上げ、5ムナを稼いだ」ということではないだろうか。
私たちがイエス様・神様からお預かりしている宝は、価値としては1ムナなのである。マタイのように莫大な価値のタラントンとは書き記さなかったところに、ルカの独自性がにじみでていると感じさせらるのである。私たちが預かっている福音は、神様そのものでもイエス様ではない。私たちが宣べ伝え、売ることのできる神様・イエス様は、ほんの小さい部分でしかない。だからこその1ムナなのである。ある意味微妙な金額なのである。しかし、それを、胸を張って私たち自身が喜んで売っていくならば、必ず儲けが出るのである。ザアカイがイエス様に出会い、イエス様に「降りてきなさい。今日あなたの家に泊るから」と言われて、自分のハンディの意味を知り、ガラリと生き方を変えることができたように、私たちも、つたない言葉で、また、つたない信仰で、稚拙な商売の仕方ではあっても、イエス様を宣べ伝えてゆけば、ザアカイに起きたようなことが私たちにも起こるのである。それこそが、神の国に生きる有り様なのだと、ルカは語っているのである。
筑波学園教会牧師 福島 純雄
2016年 3月6日(日)受難節第4主日礼拝
16:11主はモーセに仰せになった。 16:12「わたしは、イスラエルの人々の不平を聞いた。彼らに伝えるがよい。『あなたたちは夕暮れには肉を食べ、朝にはパンを食べて満腹する。あなたたちはこうして、わたしがあなたたちの神、主であることを知るようになる』と。」 16:13夕方になると、うずらが飛んで来て、宿営を覆い、朝には宿営の周りに露が降りた。 16:14この降りた露が蒸発すると、見よ、荒れ野の地表を覆って薄くて壊れやすいものが大地の霜のように薄く残っていた。 16:15イスラエルの人々はそれを見て、これは一体何だろうと、口々に言った。彼らはそれが何であるか知らなかったからである。モーセは彼らに言った。「これこそ、主があなたたちに食物として与えられたパンである。 16:16主が命じられたことは次のことである。『あなたたちはそれぞれ必要な分、つまり一人当たり一オメルを集めよ。それぞれ自分の天幕にいる家族の数に応じて取るがよい。』」 16:17イスラエルの人々はそのとおりにした。ある者は多く集め、ある者は少なく集めた。 16:18しかし、オメル升で量ってみると、多く集めた者も余ることなく、少なく集めた者も足りないことなく、それぞれが必要な分を集めた。 16:19モーセは彼らに、「だれもそれを、翌朝まで残しておいてはならない」と言ったが、 16:20彼らはモーセに聞き従わず、何人かはその一部を翌朝まで残しておいた。虫が付いて臭くなったので、モーセは彼らに向かって怒った。 16:21そこで、彼らは朝ごとにそれぞれ必要な分を集めた。日が高くなると、それは溶けてしまった。 16:22六日目になると、彼らは二倍の量、一人当たり二オメルのパンを集めた。共同体の代表者は皆でモーセのもとに来て、そのことを報告した。 16:23モーセは彼らに言った。「これは、主が仰せられたことである。明日は休息の日、主の聖なる安息日である。焼くものは焼き、煮るものは煮て、余った分は明日の朝まで蓄えておきなさい。」 16:24彼らはモーセの命じたとおり、朝まで残しておいたが、臭くならず、虫も付かなかった。 16:25モーセは言った。「今日はそれを食べなさい。今日は主の安息日である。今日は何も野に見つからないであろう。 16:26あなたたちは六日間集めた。七日目は安息日だから野には何もないであろう。」 16:27七日目になって、民のうちの何人かが集めに出て行ったが、何も見つからなかった。 16:28主はモーセに言われた。「あなたたちは、いつまでわたしの戒めと教えを拒み続けて、守らないのか。 16:29よくわきまえなさい、主があなたたちに安息日を与えたことを。そのために、六日目には、主はあなたたちに二日分のパンを与えている。七日目にはそれぞれ自分の所にとどまり、その場所から出てはならない。」 16:30民はこうして、七日目に休んだ。 16:31イスラエルの家では、それをマナと名付けた。それは、コエンドロの種に似て白く、蜜の入ったウェファースのような味がした。
1 今日の私たちにとって、かつてイスラエル人がエジプトを出たことがどういう意味を持つのかという問いが生じるのである。私たちそれぞれにとって、エジプト王のような存在というものがある。私たちを左右する社会的経済的な体制がそうであろうし、また、一人ひとりにとっての身体や経済的な問題も、私たちを大きく縛るものである。ローマの信徒へ向けたパウロの書簡の言葉には、私たちを奴隷として恐れに陥らせる「肉」という問題があることが書かれていた。追って来るエジプト王の軍隊が海に呑み込まれて、イスラエル人はエジプトを出ることができたが、私たちはそうはいかないのである。肉なる存在であることから解放されはしないし、世界的な社会経済の在り方からも抜け出すことは不可能なのである。だとすれば、一体、私たちにとって、この「エジプトを出る」との御言葉は何を意味しているのかと問わざるを得なかったのである。
私たちはなお、この世に肉なる者としてあり、エジプト王の影響下に生きざるを得ない者であるが、それでもエジプト王とは一線を画して、神様に導かれた者として生きられる領域が与えられているのではなかろうか。それが出エジプトなのではなかろうか。私たちにとっての出エジプトとは、要は、信仰生活、すなわち教会生活を指しているのではないかと。エジプトを出た後のイスラエル人の有り様は、この信仰生活が如何なる特色を持っていたものなのかを、どのように素晴らしいものであったかを、語ってくれている。13章17節から14章にかけて、私たちは「近道を行かない。荒れ野の道を、う回路を、迷い道を行く」ということの意味を教えられた。神様がなぜイスラエル人を、わざわざ荒れ野の道を進ませたのか、その目的が、いよいよはっきりと語られる箇所である。
2 荒れ野に導かれたが故に、イスラエル人にどのような事が起ったかが、16章に書かれている。12節に「イスラエルの人々の不平」とあった。どういう不平を彼らは口にしたかと言うと、16章の初めにこう書かれている。「・・・荒れ野に向かった。それはエジプトの国を出た年の第二の月の15日であった。荒れ野に入ると・・・不平を述べた。十五日であった。荒れ野に入ると、イスラエルの人々の共同体全体はモーセとアロンに向かって不平を述べ立てた。『我々はエジプトの国で・・肉のたくさん入った鍋の前に座り、パンを腹一杯たべられたのに・・・』」と。
イスラエル人がエジプトを出たのは、第一の月の、14か15日のことだった。それは丁度、私たちにとってのイースターの時期に当たる。それからほぼ一月が経っているときなのであった。エジプトを出るときに、携えてきた食料が底をついたということであろうか。もし、パレスチナへの近道の地中海沿いの街道『ペリシテ街道』を進んでいたら、- ペリシテ民族や他の先住民の攻撃を受けなければ - パレスチナまでは10日もあれば行ける距離であるから、食料が底をついて餓死寸前にまで至ることはなかったのである。荒れ野へと進ませられたが故に、こういう事態に陥ったのだった。
信仰生活、教会生活とは、まさにこのような事態に導かれざるを得ない歩みであると思う。エジプトに留まれば、奴隷ではあったが、王からあてがわれた生きるのに最小限の食べ物だけは約束されていた。信仰生活とは、この世で生きる労苦の上に、さらに信仰ゆえの苦労や教会生活の苦労が加わるのである。神様を信じて生きる私たちには、バラ色の歩みが約束されているなどということはないのである。むしろ、それとは反対に、ナビゲータである神様は、私たちを荒れ野へ導き、不平や嘆きを口にせざるを得ない道へと誘うのである。GPSカーナビゲータの設定には、たとえば距離優先とか時間優先とか高速道優先といったいくつかのモードがある。そこから希望のモードを選んで道案内をスタートさせるのだが、信仰者のナビで設定可能なのは神様優先モードのみである。そこには、距離優先モードも時間優先モードも、ましてや高速道優先モードなどはない。神様優先モードは、荒れ野モードや回り道モードとして機能するのみなのである。
3 けれども、このような状態に陥ったが故にこそ、イスラエル人は、ある不思議な食べ物を与えられたという。餓死寸前に陥った彼らを、神様は放ってはおかなかった。夕方には、うずらが飛んできた。そして「朝には宿営の・・・薄く残っていた(13節)」とある。31節には、改めて「イスラエルの家では、それをマナと名付けた。それは・・・味がした」とある。神様がなぜイスラエル人を荒れ野へと導かれたのか、その何よりもの目的は、このマナという不思議な食べ物を彼らに食べさせるためだったのである。32節以下には、神様がモーセに、このマナを壺に入れて代々にわたって蓄えよと命じられたとあるが、神様は、このマナによって40年の荒れ野の生活が支えられたとの体験を、代世にわたって後の人々に語り伝えさせようとしたのであった。
マナに込められた3つの特徴を心に留めたい。まず、第一の特徴は、イスラエル人は「それを見て、これは一体何だろう、と口々に言った。彼らはそれが何であるか知らなかったからである(15節)」とあるように、イスラエル人には、この食べ物は未知のものであった。「これは一体何だろう」とのヘブル語の言葉そのものが「マナ」の由来だと言われている。もしも、近道であるペリシテ街道を行っていたなら、エジプトから持ってきた食料が底をつくことがなかったら、或いは、そもそもエジプトに留まって、王にあてがわれた肉なべを食べていたら、このマナを食べることはなかったのである。マナを食べるとは、一言で言えば、これまで自分たちが食べ物であるとは解らなかったものを食べるということである。神様が下さる未知の食べ物によって養われるという体験である。
私たちは「これがないと生きていけない」と思っている。しかし、そう思っていたものが底をついてしまうという苦境に陥るのである。それを神様に訴えると、神様はマナを下さるのである。それは「えっ、こんなものが私を生かしてくれるのか。食べ物になるのか、生きる支えになるのか」と私たちを驚かすようなものである。私自身、このようなマナを授かる経験をさせていただいた。これからも、きっと一度や二度、そういう体験があるのだろうと思う。今年は、いよいよ牧師生活30年、60歳を迎える。今はこうして健康で生きていられるが、いつかそれを失う荒れ野がやってくるであろう。しかし、その時にこそ、今はまだわからないマナが、きっと天から与えられるのである。ヨハネによる福音書で、しばしばイエス様は、「私が天からのパンだ」と言われていた(とくに6章において)。それを聞いた人々には、その意味がまったく解らなかった。これから私も荒れ野に立たされ、それまで食べ物としていたものが底をついた時にこそ、ますますイエス様が無くてはならぬマナであることが解って来るのではないかと思う。或いは、それまで全く目もくれなかったものが、天与の食べ物だとその時分かるのだと思うのである。
先日、42歳で召天されたナオコさんの納骨式を致しました。出エジプト13章の箇所を読ませていただいた。その聖書箇所に決めた後で、いただいたナオコさんの資料を読んでいたところ、まだ洗礼を受けていなかったにもかかわらず、彼女が聖書からとって、生まれた我が子につけた名前が『マナ』であったと知った。彼女の納骨式で出エジプト記を読むように導かれたのも、偶然ではないと感じた。大切な娘を、妻を、母を亡くすということが、かの一家にとっては荒れ野なのである。それまで無くてはならぬと思っていた糧が底を突くという出来事なのである。しかし、ナオコさんは、マナという名を自分の子に付けていた。この荒れ野に放り込まれた一家に - 自分が天に召された後に - 天与の食べ物が授かるということを預言していたのだと思う。彼女の母は、二人の孫の世話で忙しくしておられるが、自分を慕ってくれる孫たちを見ながら、喜びを感じておられるという。このようにナオコさんが遺された子どもたちは、その名のとおりマナになっているのである。
4 マナの第二の特徴は、第一のことと深く絡んでいる。それは、イスラエル人の知らない天与のものとして、人の側が作り出したり、生産したりすることのできる食べ物ではないという点である。もちろん、7日目の安息の日以外は、マナを食べるためには、毎日集めるという作業をしなければならならなかった。しかし、突き詰めれば、この食べ物は、人間が作り出し生産できるものではなかったのである。エジプト王に与えられていたような食べ物ではななかったのである。この世の誰も、私たちに食べさせることのできない天与の食べ物であった。私たちの信仰生活とは、この神様から与えられる食べ物によって生かされるという喜びを味わう点に尽きるのである。
イエス様が洗礼を受けられた直後に、40日40夜、荒れ野で悪魔から誘惑された。その第一の誘惑は「石をパンに変えてみよ」というものであった。これにイエス様は、荒れ野の40年間、イスラエル人がマナによって生かされた歩みを総括してモーセが語った言葉(申命記8章3節)「人はパンだけで生きるのではなく、人は主の口から出るすべての言葉によって生きる」を以って応じたとある(たとえばマタイによる福音書4章1節~)。イエス様は、肉なる私たちが、この世の肉やパンという食べ物を必要としないと言われたのではないのである。たとえ、肉やパンがあったとしても、それらをエジプト王から腹一杯あてがわれたとしても、私たちが生きるためには、神様が下さる天与のマナ - 決して人の作り出すこのと出来ない食べ物 - が不可欠だ、と言っておられるのである。
正確な内容・出典を明らかにできないが、あるとき福岡伸一という正粒学者の本を読んでいて、「食べ物とは何か」ということについて、深い示唆をいただいたのを思い起す。人の食べ物とは、単に栄養素を取り入れられれば良いというものではないと彼は言う。食べる側が決して自分からは作り出すことができない食べられる側の生命、その他者の生命を自身の体に取り入れることによって、私たちは生きることが出来ていると。私たちが、ただこの世の肉やパンをのみ食べるということは、突き詰めれば、外からの生命を取り入れていないということだと思う。ただこの世の食べ物だけを食べていると、私たちの生命は枯渇してしまうのである。だから、天与のマナを食べねばならないのである。信仰生活の喜びや醍醐味というものは、この天与のマナによって生かされることを体験することなのである。
5 第三番目の、最後の特徴は、7日目の安息の日を除いて、マナは毎日々々集めねばならないという点である。明日を心配して、明日の分まで集めたとしても、それは次の日の朝には虫がついて臭くなったり、溶けてしまうのである。この性質は、この世の食べ物や生活の糧とは、何と対照的かを感じさせられる。それに反して、マナは一日たりとも、蓄えは効かないのである。
このような食べ物を日々集めて生きるという歩みを40年間続けさせることを通して、神様は私たちに、「一日々々を生きよ」と、言わば、「その日暮らしをせよ」と教えているのだと思うのである。それは、イエス様が山上の説教でいみじくも言われたとおりなのである。「明日のことまで思い煩うな。明日のことは明日自らが思い悩む。その日の苦労はその日だけで十分である(マタイによる福音書6章34節)」と。日々の信仰の歩みにおいて与えられるマナは、14節にある通り「薄くて壊れやすいも」でしかないように見える。しかし、それは、私たちを日々生かすのである。7日目には、安息を私たちに与えて下さる。イスラエルの人々は、このマナによって40年間も荒れ野を生き延びることができた。私たちも、そうやって生きていけるようにされているのである。
筑波学園教会牧師 福島 純雄
2016年 2月28日(日)受難節第3主日礼拝
08:12それで、兄弟たち、わたしたちには一つの義務がありますが、それは、肉に従って生きなければならないという、肉に対する義務ではありません。 08:13肉に従って生きるなら、あなたがたは死にます。しかし、霊によって体の仕業を絶つならば、あなたがたは生きます。 08:14神の霊によって導かれる者は皆、神の子なのです。 08:15あなたがたは、人を奴隷として再び恐れに陥れる霊ではなく、神の子とする霊を受けたのです。この霊によってわたしたちは、「アッバ、父よ」と呼ぶのです。 08:16この霊こそは、わたしたちが神の子供であることを、わたしたちの霊と一緒になって証ししてくださいます。 08:17もし子供であれば、相続人でもあります。神の相続人、しかもキリストと共同の相続人です。キリストと共に苦しむなら、共にその栄光をも受けるからです。
1 これまでパウロはずっと、「律法とは何か」「なぜ律法の行いによっては救われないのか」という問題を取り上げてきた。「なぜ律法の行いによっては救われないのか」その理由は、私たちが「肉」を抱えた存在であるためであった。肉とは、単に肉体を意味するのではなく、「土の器」という言葉があるように、肉体が脆く弱いものであるがゆえに、心配や不安や欲を抱えてしまう私たちのことをさし示している。そういう「肉」は、どんなに律法の行いをしても救われない。だからこそイエス様が、私たちと同じ「肉」の姿をもって生まれて下さったのである。私たちは、イエス様を救い主と信じることで、イエス様と結びつかせていただけるのである。それは、あたかも小さな枝葉である私たちが、太いぶどうの幹であるイエス様に接ぎ木をされた如く、またイエス様と夫婦のようにさせていただいたようなものである。そして、こうしてイエス様と結ばれた私たちには、特別に、そのことによって与えられた「栄養分」や「生活費」があるのだと、8章1節から11節までの、特に後半部分で、パウロが力説していた。それは神の霊、すなわち聖霊であった。12節からの御言葉は、さらにこの点を深めていこうとする箇所だといって良いのではなかろうか。
2 さて、そこでこの12節には、さっと読んだだけでは良く意味の解らないパウロ独特の文章で始っている。「わたしたちには一つの義務がありますが、それは、肉に従って生きなければならないという、肉に対する義務ではありません」と。「義務」云々と訳されているが、原文を直訳すると「負債を抱えている」「借金を追っている」という意味なのだそうである。
パウロが考えていたのは、私たちが「肉」ゆえに、あたかも大きな借金を抱えているような存在だということなのだと思う。この私は、幸いにも、これまでに大きな借金を抱えたことはなかった。しかし郡山で、ある人が、サラ金や闇金と言われるところからお金を借りたことで、毎日々々そこからの催促に怯えて、どこかへ姿を隠してしまいたいとか、自らの命を断ちたいとか、そう訴えてきたことがあった。「肉」ゆえの心配や不安は、あたかもこのような状態に私たちを陥らせるのである。15節に、「人を奴隷として再び恐れに陥れる」と書かれているのは、このような有り様のことである。文字通りに、誰かに対して借金をしているわけではないのだが、「肉」なる者であるがゆえに、たとえば病気への心配や将来への不安といったことから、それら「奴隷」となり、あたかも毎日々々借金取りの催促に怯えるように、恐れに陥れられてしまうのである。
ルカによる福音書に登場するザアカイも、まさにそのような人ではなかったか。彼が「肉」において抱えていた借金とは、単に背が低いというのではなく、尋常でないほど障碍とでもいうほどに背が低いというハンディキャップではなかったかと私は想像する。それによってザアカイは、自分が抱えさせられているこの自分ではどうしようもない劣等感を何とか撥ね退けようと木に登ったのであろう。懸命に徴税人の頭(かしら)にまで登りつめた彼であった。群衆に遮られ木に登った彼の姿は、そういう彼の置かれていた状況を象徴的に表していると思う。しかし、どのような木に登ったとしても、この「肉」において彼が抱えていた借金はなくならなかった。
同じように、私たちも肉なる者であるがゆえに、生まれつき何らかのハンディを抱えている者である。後天的にも病気や障碍を負う。「土の器」であることによる脆さは、決して私たちから無くなることはないのである。そのことは、私たちをあたかも負債を抱えた者のようにさせるのである。「借金が払えなくなって、奴隷として売り飛ばされてしまうのではないか」「貧しさや病気の意のままになってしまうのではないか」と、際限のない恐れに陥るのである。
3 だからこそ、「このような状態から私たちを救って下さるのがイエス様と結び付けていただくことだ」とパウロは言うのである。イエス様と結び付けていただいた私たちは、神様の霊という栄養分や生活費、或いは、資金をいただいて、「肉」による借金で恐れに陥っている状態から救われるのである。
パウロが特に力説しているのは、神様の霊がイエス様と結ばれた私たちへの栄養分や生活費や資金として与えてくれるのは、私たちが神の子であると分かること、信じられることだという点である。14節と15節に次のように書かれている。「神の霊によって導かれる者は皆、神の子なのです。あなたがたは、人を奴隷として再び恐れに陥れる霊ではなく、神の子とする霊を受けたのです」と。
では、私たちがなぜ「神の子」であると分かるのか。なぜそのように信じることができるのか。それは、15節後半に書かれている。「この霊によってわたしたちは『アッバ、父よ』と呼ぶのです。」と。私たちが神様を「アッバ・父よ」と呼べるようになっているのが証拠だとパウロは言うのである。面白いことに、私が生まれ育った秋田県の方言にも「アッバ」というのがある。「アッバ」という秋田方言は、「かあちゃん(母)」というニュアンスの言葉である。イエス様が話された言葉では「アッバ」とは、幼児がお父さんのことを「パパ」とか「おとうたん」と呼ぶような言葉なのだそうである。私たちが、一体どこで、神様のことを「アッバ」と呼んでいるだろうか。それは「主の祈り」の初めである。初代の教会では、イエス様を信じ洗礼を受けて、はじめて「主の祈り」を教わったと言われている。つまり、今日では礼拝に集っている人は誰でも主の祈りを祈ることが出来るが、最初の頃の教会では、そうではなかった。主の祈りは洗礼を受けた人だけに教えられた秘密の祈り、奥義だったというのである。その主の祈りの最初の言葉こそが、神様を「アッバ」と呼ぶ祈りだったのである。「神様をこう祈れるようになったのだから、あなたは神の子とされたのだと信じて良い」とパウロは言うのである。
4 さらに16節には、神の霊をいただいて、このように祈ることができるようになった者を、「この霊こそは、わたしたちが神の子供であることを、わたしたちの霊と一緒になって証ししてくださいます」というパウロの言葉が記されている。「証しする」という言葉は、恐らくは法廷でなされる証言を意味するような感じの言葉だと思う。パウロはここで、以下のようなことを考えているのではないかと想像する。─「肉」を抱えている私たちを、いつまでも奴隷のような存在・恐れへと陥っている存在にさせておきたいと思う勢力がある。彼らは私たちを、法廷で訴える。一体、彼らのどこが「神の子なのか」。あいつらは「肉」なる者であり、イエスなる者に結ばれたと言っているが、相変わらず「肉」ゆえの不安や思い煩を抱え続けているではないか。主の祈りを祈れることが何なのか。そのようなものは単なる口先のことではないか。あいつらは、なおも俺たちの奴隷なのだ。俺たちに支配されている者なのだ。神の子供でも何でもないではないか─と。本当に、そのように私たちに囁く声が聞こえる。クリスチャンになったとしも、「肉」を抱えた者であることには何も変わりがない。それによって恐れや不安を抱くということも変わっていない。そのような自分が、果たして神様の子供なのであろうか。神の子として扱われているのだろうかと思わざるを得ないのである。
こういう私たちを、神の霊、すなわち聖霊が、法廷での証言者として、或いは、弁護士として弁護証言して下さるとパウロは考えていたのである。「敵の訴えに動揺してはいけない。あなた自身でその訴えに対抗しようとしてはいけない」と。私たちが、もし誰かから訴えられたならば、おそらく専門家、すなわち弁護士に依頼するであろう。そのように専門の弁護士また証言者に戦ってもらいなさいと、「私たちの霊」ではなく、神様の霊をして「人を奴隷として再び恐れに陥れる霊」と戦ってもらいなさいと言うのである。イエス様と結ばれており、神様を「アッバ」と呼んで祈っているなら、あなたは、あなたの思うよりも遥かに「神の子」なのだから、神の子として扱われているのだから、決して「肉」の奴隷になどならないように、必要な栄養分や生活の糧や資金をいただいているのだから、神様は自分の子供を決して「肉」の奴隷になってしまうようには為されないのだから、安心しなさいと。それによって恐れから解放されなさいと語りかけているのである。
5 それでもなお、私たちには「肉」ゆえの恐れがあるではないか、不安があるではないかとの思いが、私たちにはあるかも知れない。特に「肉」ゆえの苦しみの問題がある。神の子ならば、とうして「肉」の苦しみから私たちは救われないのか。この苦しみがあるならば、私は神の子とは言えないではないか、やはり私を苦しめる者の奴隷になっているのではないかと感じてしまう私たちがいるのである。
このような私たちを、パウロはちゃんと考えてくれていると感じる。「肉」において苦しみを抱える私たちにパウロは、イエス様と結ばれた者は「キリストと共に苦しむ」者だと、そのことによってこそ「キリストと共同の相続人」であり「共にその栄光を受ける」のだと語っているのである。突き詰めれば、イエス様に結ばれた神の子であるからこそ苦しむのである。苦しみには神の子ゆえの意義があるのだと語っているのだと思うのである。
ザアカイも、イエス様と出会ったからといって、その背の低さはどうにもならなかったのである。背が低いという「肉」の苦しみは無くならなかった。しかし、その背の低さという生まれつきのハンディキャップの意味を、ザアカイはイエス様と出会うことで知ったのであった。「そういうハンディキャップを抱えたあなたこそが、今夜私が休息する場所として必要だ」とイエス様は言われたのである。次の日からエルサレムに入り、十字架へと進まねばならなかったイエス様にとって、ハンディキャップを抱えたザアカイこそが休息場所なのであった。
このように、神の子とされても「肉」による苦しみは無くなることはなかったのである。肉によるハンディキャップは、背負ったままなのであった。しかし、イエス様と結ばれ、神の霊を与えられた私たちは、この肉の苦しみ、すなわちハンディキャップが示す意味を知ったのである。イエス様と結ばれた神の子には苦しみは不可欠なのである。十字架の受難を味わうこととなったイエス様というぶどうの幹に接ぎ木された私たちに、苦しみという栄養分が流れてこないということはないのである。もしイエス様と夫婦にされたのなら、イエス様だけが苦しんで、私たちには苦しみがないということはあり得ないのである。イエス様は、十字架の苦難を背負って復活という栄光を受るに至ったのである。私たちも、神の子として、またイエス様に結ばれた者として、聖霊を注がれている者として、「肉」による苦しみを、無くてはならぬものとして授かっているのである。それが、イエス様と共に、素晴らしい何かを相続することに繋がっているのである。
筑波学園教会牧師 福島 純雄
2016年 2月21日(日)受難節第2主日礼拝
19:01イエスはエリコに入り、町を通っておられた。 19:02そこにザアカイという人がいた。この人は徴税人の頭で、金持ちであった。 19:03イエスがどんな人か見ようとしたが、背が低かったので、群衆に遮られて見ることができなかった。 19:04それで、イエスを見るために、走って先回りし、いちじく桑の木に登った。そこを通り過ぎようとしておられたからである。 19:05イエスはその場所に来ると、上を見上げて言われた。「ザアカイ、急いで降りて来なさい。今日は、ぜひあなたの家に泊まりたい。」 19:06ザアカイは急いで降りて来て、喜んでイエスを迎えた。 19:07これを見た人たちは皆つぶやいた。「あの人は罪深い男のところに行って宿をとった。」 19:08しかし、ザアカイは立ち上がって、主に言った。「主よ、わたしは財産の半分を貧しい人々に施します。また、だれかから何かだまし取っていたら、それを四倍にして返します。」 19:09イエスは言われた。「今日、救いがこの家を訪れた。この人もアブラハムの子なのだから。 19:10人の子は、失われたものを捜して救うために来たのである。」
1 これは、ルカだが聖書に記したエピソードである。徴税人の頭であったザアカイが登場する。18章35節以下の「物乞いの盲人の癒し」の出来事に続いて、やはり18章18節以下に書かれた金持ちの議員のエピソードと対をなしている物語だということである。18章24節以下に、イエス様が「財産のある者が神の国に入るのは何と難しいことか」と言われたとある。それは決して文字通りの意味ではない。その証拠に、金持ちであったと考えられるザアカイは、イエス様から「今日救いがこの家を訪れた」と言われた。「救いが訪れた」とは、「神の国に入れられた」ということと同じ意味である。「この世においての金持ちだから救われる」とか、「物乞いで盲人だから救われる」とか、そういったことではないのである。要は、「神様のもとで金持ちであるか貧しいか」、「神様のもとで物乞いであるか否か」、「神様のもとで盲人であるか否か」なのである。この世においては、どんなに金持ちであっても、神様に対して貧しく、見えるべきものが見えていないという欠けを抱えていることを自覚して、それを物乞いの如く必死に願い求める者は、必ず救っていただける、すなわち神の国に入れていただけるというのが、イエス様のメッセージなのである。
このザアカイという人物は「そのような者であった」ということなのである。
2 では、一体ザアカイは、どんなことを見たがっていたのか。何を見ようと望んで、イエス様を、これほどまでに見ようとしたのか。そのことがとても象徴的な形で言い表されているのが、3節の「背が低かったので、群衆に遮られて見ることができなかった」という言葉であろう。ここで直接的に言われているのは、「ザアカイは背が低かったため群衆に遮られて、イエス様を見ることができなかった」ということである。しかし、彼が群衆に遮られて見ることができなかったのは、もっともっと根源的なものではなかったかと思うのである。
ザアカイを、わざわざ「背が低かった」と聖書に記したのは、通常の背の低さではなく、常識的な背の低さを超えた障碍とも言うべき程度の背の低さではなかったかと考えられるのである。郡山教会で私が洗礼を授けた女性が、昨年の11月に東京神学大学に社会人からの編入試験を受けて合格した。4月からは、私の後輩になる。彼女は、このザアカイと同じような障碍を抱えている女性である。初めて教会で彼女に出会ったのは、高校卒業の間際だった。小学校の高学年から中学での歩みは並大抵のものではなかった。「群衆に遮られて見ることができなかった」ものとは、周囲の人々がその視線や尺度や価値観によって、こうした障害を持った人を取り囲んでいるという状態なのだと思う。「背の低い、哀れな障碍者」という視線に取り囲まれることによって、彼女自身も自分をそういう目でしか見ることができなくなっていた。この周囲からの視線を跳ね返そうと、ザアカイは懸命に努力して、徴税人の頭にまでなったのであろう。イエス様を見るためではあったが、いちじく桑の木に登ったのも、自分を蔑み差別していた人々を「越えてやろう、乗り越えてやろう」との思いの現れだったのではないかと思うのである。
しかし、そうやって木に登って、果たして見るべきものを見ることができたであろうか。ザアカイが見るべきものとは、何であったか。見なければならないものとは、何であったのか。それは、自分にそういうハンディが与えられたことへの深い意味に気が付くということだったのだと思う。生まれつき目の見えない人に、イエス様の弟子たちでさえ、「この人がこういう障碍を抱えているのは、この人が、或いは、彼の親が罪を犯したからですか」と尋ねた。これが、障碍を持った彼を取り囲み、彼が見るべきものを見えないように遮断していたものなのである。この問いに対して、イエス様は「彼がこうなっているのは、本人が罪を犯したからでも、両親が罪を犯したからでもない。神の業がこの人に現れるため」と答えた(ヨハネによる福音書9章)。神様が、どんな良い目的のために、このハンディをお与えになったのかが解ること、それを見えるようになることが、ザアカイが見なければならないものなのであった。周囲からの差別的な視点を跳ね除け、それを見返そう乗り越えてやろうと桑の木に登り、徴税人の頭になったとしても、それは、ますます群衆の視線や価値観に遮られている状態で、本当に見るべきものを見られるようになったことではないのである。
3 しかし幸いなことに、ザアカイはそうやってイエス様を見ようとした。彼はこれまでも、同じようなやり方で、色々なものを見てきたに違いない。彼はどんな気持ちで、これほどまでにイエス様を見ようとしたのであろうか。18章41節にも「主よ、見えるようになりたいのです」と叫んだ物乞いの盲人の同じ叫びがある。人々に遮られ、人々の視線によってではなく、「主よ、あなたの視線の下で、神様の眼差しの下で、私はこの自分が抱えているハンディを見るようになりたいのです。その意味を知りたいのです。」そんなザアカイの切なる叫びが聞こえてくるようである。
これに対して、イエス様はこう言われた。「ザアカイ、急いで降りてきなさい。」と。色々な意味でハンディを抱え、何とかしてそれを乗り越えようと必死になって高いところに登らなければならないと思っている私たちに、このイエス様の言葉は、何と慰めに満ちたものであろうか。「もう、そんな高い所に必死になって登る必要はないのだ」という、「降りて来なさい。低いままでいなさい。群衆に遮られたままでも良いではないか。背の小さいあなたのままで良いではないか」という、そんなイエス様の語りかけが聞こえて来るようである。
何故なら、「今日、私が是非とも泊る場所として必要としているのは、あなたの家なのだから」とイエス様は言われた。この言葉通り、イエス様がザアカイの家に、この夜、泊ったとすれば、いよいよエルサレムへ入って行かれた(19章28節から)のは、その翌日のことになる。イエス様が十字架にかけられることとなった決定的な原因は、「宮清め」と呼ばれる。それを、子ロバの背中にまたがってエルサレムに入られた直後に、イエス様がなさったからである。そうした厳しい歩みが、この翌日から始まろうとしていたのである。イエス様は、他の誰の家でもなく、人々から「罪深い男」と言われ、背が低いという大きなハンディを抱えていた男の家で、束の間の休息を取ろうとされたのであった。「今の私には、あなたこそが必要なのだ」「あなたこそが、私の休息のために必要なのだ」と。
4 このようにイエス様から言われたとき、ザアカイは一挙に悟ったに違いないのである。見ることができたに違いないと私は思う。つまり、「なぜ私は、このハンディを背負った者として生きているのか」ということを。その意味を、神様の視線でイエス様の言葉から知ることができたに違いない。「こういう私たちこそが、イエス様が休息のために必要な存在なのだ」と、「そのために私たちのハンディはあるのだ」と私たちも知ることができるのである。
私たちは必要以上に高い所に登らなければならないと思ってはいないだろうか。そのような私たちにイエス様は「降りて来なさい」と言っているのである。「在りのままのあなたの家でこそ、私は休息したいのだ。私が必要としているのは、ハンディを抱えた罪深いあなたなのだ。」と。そして、そういう私たちを必要としているのは、おそらくイエス様だけではなく、周囲の人々もそうなのである。私たちの周りの人々も、ハンディを抱えている私たちの家にこそ泊りたいと思っているのである。
イエス様に、このように語りかけられたザアカイは、自分のハンディの意味だけではなく、自分がこれまで得てきたお金の意味も悟ったに違いない。これまでは、ただ劣等感や自分を差別した人々を見返してやりたいとの一心で集めてきた、言わば「汚いお金」の新たな使い道を、ザアカイは見ることができるようになったのであろう。そのようになった彼であればこそ、貧しい人々から騙し取ってきたものを4倍にしてその人々に返してやることができるのである。自分が集めてきた汚いお金が新たな働きをするものに変わる。「このようなことのために、自分のような者が徴税人になったのか」と、ザアカイは深く悟ることができたのである。これこそが「救い」なのである。
筑波学園教会牧師 福島 純雄
2016年 2月14日(日)受難節第1主日礼拝
13:17さて、ファラオが民を去らせたとき、神は彼らをペリシテ街道には導かれなかった。それは近道であったが、民が戦わねばならぬことを知って後悔し、エジプトに帰ろうとするかもしれない、と思われたからである。 13:18神は民を、葦の海に通じる荒れ野の道に迂回させられた。イスラエルの人々は、隊伍を整えてエジプトの国から上った。 13:19モーセはヨセフの骨を携えていた。ヨセフが、「神は必ずあなたたちを顧みられる。そのとき、わたしの骨をここから一緒に携えて上るように」と言って、イスラエルの子らに固く誓わせたからである。 13:20一行はスコトから旅立って、荒れ野の端のエタムに宿営した。 13:21主は彼らに先立って進み、昼は雲の柱をもって導き、夜は火の柱をもって彼らを照らされたので、彼らは昼も夜も行進することができた。 13:22昼は雲の柱が、夜は火の柱が、民の先頭を離れることはなかった。 14:01主はモーセに仰せになった。 14:02「イスラエルの人々に、引き返してミグドルと海との間のピ・ハヒロトの手前で宿営するよう命じなさい。バアル・ツェフォンの前に、それに面して、海辺に宿営するのだ。 14:03するとファラオは、イスラエルの人々が慌ててあの地方で道に迷い、荒れ野が彼らの行く手をふさいだと思うであろう。 14:04わたしはファラオの心をかたくなにし、彼らの後を追わせる。しかし、わたしはファラオとその全軍を破って栄光を現すので、エジプト人は、わたしが主であることを知るようになる。」彼らは言われたとおりにした。 14:05民が逃亡したとの報告を受けると、エジプト王ファラオとその家臣は、民に対する考えを一変して言った。「ああ、我々は何ということをしたのだろう。イスラエル人を労役から解放して去らせてしまったとは。」 14:06ファラオは戦車に馬をつなぎ、自ら軍勢を率い、 14:07えり抜きの戦車六百をはじめ、エジプトの戦車すべてを動員し、それぞれに士官を乗り込ませた。 14:08主がエジプト王ファラオの心をかたくなにされたので、王はイスラエルの人々の後を追った。イスラエルの人々は、意気揚々と出て行ったが、 14:09エジプト軍は彼らの後を追い、ファラオの馬と戦車、騎兵と歩兵は、ピ・ハヒロトの傍らで、バアル・ツェフォンの前の海辺に宿営している彼らに追いついた。 14:10ファラオは既に間近に迫り、イスラエルの人々が目を上げて見ると、エジプト軍は既に背後に襲いかかろうとしていた。イスラエルの人々は非常に恐れて主に向かって叫び、 14:11また、モーセに言った。「我々を連れ出したのは、エジプトに墓がないからですか。荒れ野で死なせるためですか。一体、何をするためにエジプトから導き出したのですか。 14:12我々はエジプトで、『ほうっておいてください。自分たちはエジプト人に仕えます。荒れ野で死ぬよりエジプト人に仕える方がましです』と言ったではありませんか。」
1 イスラエル人がエジプト王のもとを出て故郷へと向かうこの歩みは、今の私たちにとって、どのような関りを持つものなのだろうか。第一部では、イスラエル人がエジプト王のもとで苦役を課されているという状況は、受けとめられる部分が多かった。社会的・経済的な点でも、ごく一部の人々だけがどんどん富を蓄積しているという体制が、全世界に広まっているのではないかと考えさせられた。また、一人ひとりにおいても、それぞれに苦役を課すところの『エジプト王』がいるのである。そういう存在に、私たちは対峙し、神様に後押しされて闘わずにはいられない現実がある。
では、イスラエル人がこうした状況を『出る』ということは、私たちにとって何を意味するだろうか。何故こういうことを問うのかと言うと、私たちは、文字通りには、こうした状況を『出る』ことは出来ないと思うからなのである。全世界を覆う社会的・経済的な体制から出ることは不可能であろう。私たち一人ひとりを苦しめる難儀な状況からも出ることは無理であろう。イエス様の時代には、ローマ帝国に苦しめられていたイスラエル人は、第二の出エジプトが起きることを切に望み、イエス様が第二のモーセであることを願った。けれども、それは起きなかった。いつの時代でも、出エジプトが、文字通り起きるということはあり得ないのである。では、私たちにとって、この出エジプトとは一体何を意味するのか。それを考えざるを得ないのである。
私たちは、なおもエジプト王のような存在のもとに置かれざるを得ない。けれども、そうした状況にありながらも、エジプト王を離れて、それとは全く違う生き方・歩みをすることができる環境の中に置かれている。言わば、二つの足場、二つの生き方の領域を与えられていると言っても良いと思う。エジプト王が、なお支配する世界と、神様が導いてくれる世界、それは具体的には、言うまでもなく、信仰の歩みであり教会での人生である。イスラエル人がエジプトを出て為した歩みとは、私たちにとっては、端的に、信仰生活・教会生活を象徴的に表していると言って良いのではなかろうか。或いは、この世の中における教会の在り方というものを指し示していると思うのである。
2 このことがクリアーされれば、信仰生活・教会生活の独特な特徴、或いは、教会という存在が持っている独特な性質のことなのだと腑に落ちると思えたのである。
その第一の特徴は、17節と18節に書かれている点から浮かび上がってくる。「ファラオが民を去らせたとき、神は彼らをペリシテ街道には導かれなかった。それは近道であったが、・・・荒れ野の道に迂回させられた」とある。「火の柱・雲の柱」をもって神様がイスラエル人を導かれたのは、ペリシテ(パレスチナという地名の語源)へと至る近道であった。地中海沿いを行く道ではなかった。注解書によれば、エジプトからパレスチナへ至る街道は、大きく3種類あったという。その最も効率的最短のルート、すなわち近道は、このペリシテ街道であった。地図を見ていただくとわかると思う。直線距離にすれば、長く見積もっても300キロ程度である。1週間か10日もあれば着ける道がであった。
しかし、神様はあえてこの近道を行かせなかったのである。14章1節以下にその理由が書かれている。13章では「民が戦わねばならないことを知って後悔し、エジプトに帰ろうとするかもしれない、と思われたから」とある。12章37節には、「エジプトを脱出したイスラエル人は壮年男子だけで60万人だった」と書かれている。実際にはそれほど多くはなかっただろうと言われている。100万人にもなる大集であれば、それがどういう隊列を作ったとしても、先頭がパレスチナに着いた時に、未だ最後尾はエジプト近くにいることになってしまうという。しかし、1万人程度の規模であったとしても、現在シリアからの難民がヨーロッパに逃れようとしているときに起きているのと同じような問題が起きたであろうと考えるのである。当然、先に住んでいた人々は、侵入者を防ごうとしたであろう。そこには、おそらく戦いが起きたであろう。だから、敢えて荒れ野への迂回なのであった。結果的には、それが40年間にもなってしまった。誰も住まず、何のメリットもない荒れ野であれば、迎え撃つ者はいない。難民だったイスラエル人の歩みが、それによってこそ守られたのである。
神様は私たちにも、このような特徴をもった信仰生活・教会生活というものを歩ましめることで、私たちをエジプト王のもとでの生活とは違う、もう一つの生きる領域を与えて下さるのである。つまり、端的に言えば、信仰生活とは『近道ではない』と言えるのである。う回路なのである。わざわざ遠回りをし、時間をかける。無駄を省くということとは正反対の生活をするという特徴を持っているのである。しかし、それこそが、私たちを『戦い』から守ってくれるのである。私たちがエジプト王に再び奴隷とされることから守られるのである。
7日目ごとに礼拝し、また教会を支え、会堂改修のために沢山の捧げものをしなければならなかったことは、まさに「近道ではない」う回路である。私は、わずか30年の牧師生活のなかで、2回も会堂建築を経験しなければならなかった。効率的に生きるのなら、常に近道を行くのなら、礼拝になど出席しないほうがよい。今やインターネットで、礼拝の様子を見ることができる。優れた牧師のメッセージを,幾らでも効率的に聞くことができる。しかし、そのような生き方は、必ず私たちをして『戦い』を生じさせると神様は言っているのである。エジプト王に支配される在り方に舞い戻らせてしまうのである。精神的にも肉体的にも奴隷とされ、戦いに倒れてしまうのである。
3 14章には、神様が、さらにイスラエル人に特徴的な歩みをさせたことが書かれている。1節、神様は「イスラエルの人々に、引き返して・・・」とモーセに命じらた。その意図は、3節以下に「するとファラオは、イスラエルの人々が道に迷い・・・荒れ野が彼らの行く手をふさいだと思うであろう。・・・彼らの後を追わせる」とある。エジプト王は、イスラエル人が荒れ野で迷走しているのを知って、チャンス到来とばかり追いかけて来ると言うのである。しかし、それは神様による罠なのであった。エジプト軍をそのようにして追いかけさせて海に呑み込ませ、決定的にエジプト王をしてイスラエル人への未練を断たせるためなのであった。
エジプト軍が海に呑み込まれたというのは、もちろん何らかの形で起きたことではあろうが、とても象徴的な事柄のように思う。エジプト王は、こうやって、折角、エジプトを脱出したというのに、ペリシテ街道も行かず、神様に導かれるまま荒れ野を迷走するイスラエル人を見て、もう呆れ果てたのではなかったかと思う。落語には、本当にばかばかしい人たちが出てくる。そそっかしい人たちばかりが暮らす『粗忽長屋』の話などは、何度聞いてもばからしく、それでいて心惹かれるものがある。エジプト王もイスラエル人の有り様を見て、もう、ばかばかしくなったのであろう。こんな奴らが再び、自分たちのところに戻って来て面倒を起こすのは、もうご免だと思ったのであろう。それだから、追いかけるのを止めたのであろう。
自分たちの財産になるのならお金を出すのも解るが、私たちは、こうして毎週毎週礼拝を捧げ、時には会堂を修理するのに何千万もかけるといったことをする。教会は誰の財産にもならない。それは、エジプト王から見れば、世の人々から見れば、「迷走」であろう。迷っているとしか言いようがない。けれども、それこそが私たちの特徴であり、それが私たちを守っているのである。エジプト王が追いかけてくるのを妨げるのである。彼らと私たちとの一線を画するところなのである。
私は、教会はこの『迷う』という特徴を失ってはならないと思うのである。イエス様は命をかけて、「私の家は祈りの家と呼ばれるべきなのに、あなたがたはこれを強盗の巣にしている」と言って、エルサレム神殿を清めることをされた。このイエス様の言葉の土台には、エレミヤという預言者が語った言葉がある。彼は、イスラエル人が、もし神殿を「正義を行い、寄留の外国人、孤児、寡婦を虐げず、無実の人の血を流さ」ないような場所としないなら、その反対に、自分たちの私利私欲のみを求めるような強盗の巣のような場所にするなら、そこを廃墟にするとの神様の言葉がある(エレミヤ7章1節以下)。今日の世界で、このようなことがなされるのは、まさしく「迷走」であろう。馬鹿馬鹿しくて、世の王様は相手になどしない存在ではなかろうか。
4 第三の特徴が19節にある。「モーセはヨセフの骨を携えていた」とある。400年も前に死んでしまった祖先の骨を持って歩むとは、何とも愚かしく、ばかばかしいイスラエル人の特徴ではないかと、ひしひし感じる。もっと他に携えるべきものがあったはずである。それはお金であったかもしれない。或いは、武器であったかもしれない。困難な旅のために、一体先祖の骨が何の役にたったであろか。誰もがそう思う。しかし、神様は、リーダーたるモーセに、何よりも第一にヨセフの骨を持たせたのであった。
私たちの歩みも同じようなものである。ヨセフの骨を携えるということの意味は何か。それは、ヨセフの言葉、すなわちヨセフがその生涯をかけて証しした神様の姿を携えることなのである。「神は必ずあなたたちを顧みられる」とヨセフは語ったとある。奴隷として売り飛ばされた彼は、エジプトで大臣にまでなった。そして故郷から飢饉に苦しむ家族を呼び寄せて助ける器とされた。神様を携えたのである。私たちは、イエス様の死を担ぐ共同体である。このばかばかしさを担ぐことが、私たちを守ってくれるのである。
筑波学園教会牧師 福島 純雄
2016年 2月7日(日)降誕節第7主日礼拝
08:01従って、今や、キリスト・イエスに結ばれている者は、罪に定められることはありません。 08:02キリスト・イエスによって命をもたらす霊の法則が、罪と死との法則からあなたを解放したからです。 08:03肉の弱さのために律法がなしえなかったことを、神はしてくださったのです。つまり、罪を取り除くために御子を罪深い肉と同じ姿でこの世に送り、その肉において罪を罪として処断されたのです。 08:04それは、肉ではなく霊に従って歩むわたしたちの内に、律法の要求が満たされるためでした。 08:05肉に従って歩む者は、肉に属することを考え、霊に従って歩む者は、霊に属することを考えます。 08:06肉の思いは死であり、霊の思いは命と平和であります。 08:07なぜなら、肉の思いに従う者は、神に敵対しており、神の律法に従っていないからです。従いえないのです。 08:08肉の支配下にある者は、神に喜ばれるはずがありません。 08:09神の霊があなたがたの内に宿っているかぎり、あなたがたは、肉ではなく霊の支配下にいます。キリストの霊を持たない者は、キリストに属していません。 08:10キリストがあなたがたの内におられるならば、体は罪によって死んでいても、“霊”は義によって命となっています。 08:11もし、イエスを死者の中から復活させた方の霊が、あなたがたの内に宿っているなら、キリストを死者の中から復活させた方は、あなたがたの内に宿っているその霊によって、あなたがたの死ぬはずの体をも生かしてくださるでしょう。
(説教要旨の掲載は2月15日頃を予定しています)-->
1 パウロは、「私たちが神様から義としていただくには、律法の行いは不要であり、ただイエス様を信じる信仰だけで良い」という福音の原理原則を語り、それに伴う幾つかの諸問題や疑問を取り上げてきた。だとすれば、そもそも律法とは何なのかという疑問が出てくる。この疑問にパウロは、きっぱりと言い切った。「律法は、人間が勝手に考え出したものではなく、神様に由来する聖なるもの・霊的なものである」と。律法とは、波間に呑み込まれそうになっている私たちを救うために、神様が天から吊下ろして下さる救命ロープのようなものに思える。それはまさに、神様に引っ張っていただいて、天へと救いあげていただくことに他ならない。義とされることではなかろうか。おそらく、ユダヤ教徒やイスラムの人々は、このように信じて、今でも律法の行いや『五行』を忠実になさっているのである。
2 ところがパウロは、「それでは救われない」と言ったのである。私たちクリスチャンも、そのように信じている。何故であろうか。7章7節以下に、パウロの「わたしの内には」という言葉が書かれている。救命ロープにつかまるという比喩で言えば、確かにそのロープに、しっかりつかまっている点において、神様に引っ張っていただいているのだが、パウロは、引っ張っていただけていない「内側」があると言うのである。取り残されたままの内面があると言うのである。
私たちは、律法の行いをしたことがないので、なかなかこの辺りを、実感として感じられないが、かつてファリサイ人として誰よりも熱心に律法の行いをしてきたパウロには、こういう実感があったのだと思う。7章7節には、律法の行いをすればするほど、むさぼる心が起こってきたとのパウロの言葉がある。ルカによる福音書に、ファリサイ派の人々と徴税人が神殿に祈りに行って、ファリサイ派はこう祈ったとイエス様が言われた。「神様、わたしは他の人たちのように、奪い取るもの、不正な者、姦通を犯す者でなく、また、この徴税人のようなものでもないことを感謝します。」と。「自分は正しい人間だと自惚れて、他人を見下している人々」への教えだったとルカは記していた(18章9節以下)。律法の行いをすればするほど、エゴが大きくなるというのである。自惚れて、他人を見下すようになるのである。そういう内側の汚れがある限り、どんなに律法の行いをして天から吊下ろされた救命ロープにつかまったとしても、内側はそのままなのである。
このようなことを、パウロは3節で、「肉の弱さのために律法がなしえなかったこと」と言っているのだと思う。「肉」とは、ただ肉体のことでけではなく、肉体の中にある心・精神をトータルに言う言葉である。端的には、私たちが肉体において生きているがために抱えている「エゴ」「思い煩い」「心配」といったものが「肉の弱さ」なのである。肉の弱さが何よりも抱えるのは罪である。創世記3章に、肉の弱さによって私たちは神の如くになろうとしたことが描かれていた。しかし結果的には、丸裸であると知ったのみで、後は神様を恐れ、エデンの木の間に隠れ、また木の葉で体を覆うだけであった。律法の行いによっては、この肉の弱さ、またそれによって抱える罪をどうしようも出来ない。これがかつてファリサイ派だったパウロの実感であろう。
3 そこで、3節にあるように、この「肉の弱さのために律法がなしえなかったことを、神はしてくださった」それは、「罪を取り除くために御子を、積み深い肉と同じ姿でこの世に送り」、さらに書き初めの1節にあるように、私たちを「キリスト・イエスに」結び付けて下さったのである。
波間に溺れる人を、あるいは、谷に落ちようとしている人を、救助隊の人は自分の体にしっかりとロープで結んで、助けあげる間も声をかけ励まし続けて、ヘリコプターに収容するといった場面を、皆さんも見たことがあるかもしれない。ただロープを垂らすだけではなく、救助する側が、助けられる人のところまで降りてきて、さらに自分の体に助けられる人をしっかりと結びつける。しかしパウロは、1節で「結ばれているというのは、これ以上のことなのだ」と言っていた。
肝心なのは内側の「肉の弱さ」なのである。外側の体をどんなに結びつけ一体にしても、内側が結ばれて上に引き上げられなければ、救いにはならないのである。それを為して下さるために神様がしてくださったのが、イエス様を私たちの罪を生じさせる弱い肉と「同じ姿でこの世に送る」ということだったのである。もちろん、それだけではなく、この肉なるイエス様と私たちが出会い、信仰において私たちと結ばれることが、その後に続くのである。それによって、イエス様の肉が私たちの肉と繋がるのである。一体となるのである。
イエス様が言われた「わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である」との言葉から理解してもよいかもしれない。パウロは、7章1節以下で、結婚の比喩を語っている。肉なる姿をもって生まれて下さったイエス様を、救い主として信じることで、そのイエス様の肉と私たちの肉とが結びつくというのは、あたかも、私たちの肉がイエス様の肉に接ぎ木されるようなことである。あるいはまた、イエス様の肉が私たちのそれに移植されるようなものでもあるかもしれない。また更に、私たちがイエス様と夫婦のようになって、その肉が一体となるようなものかもしれない。こうして、私たちの「肉の弱さ」が、イエス様の「肉の強さ」に同化されて行くのである。イエス様の「肉の強さ」は、十字架の死に至り復活するという「弱さ」をくぐって表されて行く「強さ」である。
ぶどうの幹に接ぎ木された枝葉はどうなるか。枝や葉の単体としては、なお「肉の弱さ」を抱えている。しかし、幹に接ぎ木されているので、その弱さは幹の強さに、幹が吸い上げて枝葉に送ってくれる栄養分に、ちゃんとつながっているのである。だから、枝葉としてのその弱さに悩む必要はない。たとえ、単体として枯れたとしても、幹につながっている限りは、再び芽を出すことが出来るのである。病気になって機能不全になった臓器に、健康な臓器を移植してやると、健康な臓器は増殖していって、働かなくなった臓器の肩代わりをするのである。もはや、旧い臓器の病気は問題でなくなるのである。夫婦の比喩からも、同じことが言える。夫婦となったからには、もはや自分だけで自分の生計を立てることを考える必要はないのである。たとえ、自分が無職になってしまったとしても、配偶者の収入に頼って生きて行っていいのである。
そのように、イエス様の肉と結ばれた私たちは、もはや自分の肉の弱さに縛られない。イエス様の肉に頼ってよいようになるのである。そのことが、私たちをして「肉の弱さ」から逃れさせるのである。救われるのである。アダムとエバがエデンの木の間に隠れ、木の葉を隠れ蓑としたのとは正反対に、私たちは結び付けていただいたイエス様を生きる糧とするのである。イエス様の肉の有り様を隠れ家とするのである。そのようにして、罪を産む肉の弱さを抱えつつ、救われて行くのである。引っ張り上げられて行くのである。
(音声カット:今月20日に、K姉の娘さんの納骨式を教会墓地で行う。昨年11月の召天者記念日の墓前礼拝からの帰りに、K姉が娘さんの最期の様子について、こんなことを話して下さった。私が礼拝説教のなかで、礼拝にお出でになるようになって間もないある男性がイエス様が十字架の上で「わが神、わが神。なにゆえ私をお見捨てになったのですか」と叫んだことを、「それは敗北したのだ、信仰を失くしたのだ、そんな人間がどうして救い主なのか」と嘲笑ったとの話をしたところ、それを聞いた娘さんは「イエス様がそんな風に叫んで下さったのだから、私も叫んで逝って良いんだね」とK姉に話されたという。これこそが、イエス様の肉に結ばれた私たちに起きる慰めであり、救いなのだと思った。:音声カット)私たちは、なお肉の弱さを抱えている。しかし、イエス様の肉の「弱さと強さ」に結ばれたなら、もう私たちの側のそれを問題とする必要な無くなるのである。どうでもよいことになるのである。
4 さて、イエス様の肉に結ばれた私たちの肉には、あるものが与えられるようになると、内住するようになると4節以下のところで繰り返し、パウロは語っている。そのあるものとは何か。それが「霊」である。パウロは、神の霊、またキリストの霊が宿るようになるということを繰り返しているのである。イエス様の肉に接ぎ木された枝葉である私たちに、幹であるイエス様から私たちに流れて来る栄養分が、この霊であると言って良いであろう。また、夫婦において、配偶者であるイエス様から私たちに渡される生計の糧と言うことができよう。結ばれた私たちには、神様・イエス様は、結ばれた者に相応しい栄養分や生活の糧を送って下さるのである。決して、ただ結ばれたのみで、「はい終わり、後は自分たちで生活の糧を稼ぎなさい」と放りだすことはされないのである。
神様の霊・イエス様の霊が与えられたことの効果とは、どのようなものであろうか。パウロが何よりも言わんとしたは、「この霊の力はとても大きい」ということだと思う。信仰においてイエス様に結ばれた私たちであるが、なお肉の弱さ故に、思い煩ったり不安を抱えているのである。信じてもなお、「肉に従って・・・肉に属することを考える」私たちがおり、「肉の思いは死であり」「肉の思いに従うものは神に敵対しており」と言われるような状態なのである。それが、信仰者である私たちの実感である。イエス様の肉に結ばれたことで与えられている生活の糧や栄養分のことをすっかり忘れて、思い煩っている私たちなのである。
そういう私たちに、パウロは次のように語りかける。「イエス様に結ばれた私たちには、聖霊が注がれている。イエス様の霊・神様の霊が私たちの内に住んで下さっているのだ。その霊の力・賜物がどれほど大きいかを忘れてはならない」と。それは、私たちの感じる実感よりも遥かに大きいのである。聖霊が注がれることで、「霊に従って歩む者は霊に属することを考え」「霊の思いは命と平和であり」とあるように、聖霊が私たちをして、それに相応しい考えや思いを抱かせて下さるということがある。私たちの内にある霊が、私たちを動かすということがある。私たちの内にある聖霊の力は、私たちの肉の弱さの力よりも、大きいのである。
さらに9節以下でパウロは、このように語りかける。「神の霊があなたがたの内に宿っているかぎり(たとえ、なお肉の弱さによる罪の影響下にあるとしても)、あなたがたは、肉ではなく、霊の支配下にいます。」「キリストがあなたがたの内におられるならば(なお肉の弱さが私たちの内にいるとしても)、体は罪によって死んでいても、霊が命となっています(その霊によって生かされる者となっているという意味)。」「イエスを死者のなかから復活させた方(つまり神様)の霊があなたがたの内に宿っているなら、・・・あなたがたの死ぬはずの体をも生かしてくださるでしょう。」と。
筑波学園教会牧師 福島 純雄
2016年 1月31日(日)降誕節第6主日礼拝
18:31イエスは、十二人を呼び寄せて言われた。「今、わたしたちはエルサレムへ上って行く。人の子について預言者が書いたことはみな実現する。 18:32人の子は異邦人に引き渡されて、侮辱され、乱暴な仕打ちを受け、唾をかけられる。 18:33彼らは人の子を、鞭打ってから殺す。そして、人の子は三日目に復活する。」 18:34十二人はこれらのことが何も分からなかった。彼らにはこの言葉の意味が隠されていて、イエスの言われたことが理解できなかったのである。 18:35イエスがエリコに近づかれたとき、ある盲人が道端に座って物乞いをしていた。 18:36群衆が通って行くのを耳にして、「これは、いったい何事ですか」と尋ねた。 18:37「ナザレのイエスのお通りだ」と知らせると、 18:38彼は、「ダビデの子イエスよ、わたしを憐れんでください」と叫んだ。 18:39先に行く人々が叱りつけて黙らせようとしたが、ますます、「ダビデの子よ、わたしを憐れんでください」と叫び続けた。 18:40イエスは立ち止まって、盲人をそばに連れて来るように命じられた。彼が近づくと、イエスはお尋ねになった。 18:41「何をしてほしいのか。」盲人は、「主よ、目が見えるようになりたいのです」と言った。 18:42そこで、イエスは言われた。「見えるようになれ。あなたの信仰があなたを救った。」 18:43盲人はたちまち見えるようになり、神をほめたたえながら、イエスに従った。これを見た民衆は、こぞって神を賛美した。
1 35節以下は、ルカによる福音書18章18節以下に書かれた出来事と対をなしている。
18節以下の段落のはじめに付けられたタイトルは「金持ちの議員」である。当時のイスラエルで、わずか70人位しかなれなかったとされる議員にまで登り詰めた一人の金持ちがいた。彼は「何をすれば永遠の命を受け継ぐことができますか」とイエス様に問い、様々な問答の末に「それからわたしに従いなさい」と言われて、「非常に悲しんだ」とある。ルカは書かなかったが、似たような場面を記したマタイとマルコは「悲しみながら立ち去った(たとえばマタイによる福音書19章22節)と書いた。
ルカによる福音書18章18節以下には、この金持ちの議員とは全く対照的な、道端に座って物乞いをしている一人の盲人が登場していた。この盲人は「永遠の命を受け継ぐためには何をすれば・・・」といった高尚な問いをイエス様に投げかけたりはしなかった。ただただ「わたしを憐れんで下さい」と叫び続けた。イエス様から「何をして欲しいのか」と尋ねられ「見えるようになりたい」と答えた。するとイエス様が「見えるようになれ。あなたの信仰があなたを救った」と言われ、盲人はたちまち見えるようになり、イエス様に従って行ったと書かれている。
これは、実に対照的な有り様を描いたまるで一対の絵のようである。「あなたの信仰があなたを救った」とイエス様から言われたの人物は、ルカによる福音書で4人目である。1人目は罪深い女。彼女はイエス様の足を髪の毛でぬぐい香油を塗った(7章36節以下)。2人目は12年間、長血を患っていた女(8章48節)。3人目は重い皮膚病を癒された10人の中でたった一人イエス様のもとに帰って来て感謝をした男(17章19節)。そして4人目が、この物乞いの盲人ある。「あなたの信仰が・・・」とイエス様は言われたが、どれほどの信仰がこの4人にあったであろうか。最初の女性を除けば、皆がいわゆる「御利益信仰」でしかなかったのではなかろうか。しかし、そんな信仰であっても、「あなたを救う」とイエス様は仰ってくださった。こうした4人と比較して、この金持ちの議員には信仰はなかったのであろうか。いや、永遠の命を受け継ぎたいと願う信仰はあったのである。小さい頃から十戒を守る信仰もあったのである。しかし彼は、信仰は確かにあったのに、イエス様に「あなたの信仰はあなたを救った」と仰っていただけなかった。むしろ、その信仰ゆえに悲しみを得ることとなってしまった。イエス様に従って行くことができなかった。彼の信仰が逆に、この人をしてイエス様から遠ざけてしまうこととなってしまったのである。
2 一体このような違いが何処から生ずるのかを考えさせられる。それは決して、金持ちの議員だったからだとか、物乞いをする盲人だったからだとか、そういう理由からではなかったのである。「財産のある人は如何なる信仰を抱いても救われない」ということではない。神様に対して「盲人」であり「物乞い」する者であるかどうか、そこからの信仰であるかどうかということなのであった。
金持ちの議員はイエス様に「何をすれば・・・」と質問した。永遠の命を受け継ぐことにおいて、この人は自分の側で何かができると、当然のこととして思っていた。金持ちになり、わずか70人位しかなれなかった議員にまでなれた人である。世俗の社会の中でも、人との関係においても、『できる人』だったはずである。それを、神様との間においても、なお持ち続けていた。この世においても、神様との間でも、いわば100点満点のうち既に99点を取っていて、後は「永遠の命を受け継げば100点になる」そのような信仰ではなかったか。
しかし、イエス様に「あなたの信仰があなたを救った」と言っていただいた4人、また18章1節以下のたとえ話であげられてきた人々は、そうではなかったのである。そしてこの盲人がその誰よりも、その実際の有り様において象徴的なのである。物乞いなのであった。神様に対して物乞いになるしかない、ただただマイナスを抱えた存在なのであった。そこからの信仰なのであった。そこからの叫びなのであった。そして、そこからの祈りなのであった。
私たちは、こうして礼拝に集っているのだから、当然に信仰はある者と言えるであろう。その信仰が、この金持ちの議員のように、私たちを悲しませ、私たちをしてイエス様から遠ざけるような信仰ではなく「あなたを救った」と言っていただけるような信仰でありたいとしみじみ思う。
そのために大切なのは、私たちが神様に対して「物乞い」であることである。私たちはそうあり得ているだろうか。私は生まれたときから、父に連れられて、秋田県の田舎の小さな教会に通っていた。そこに集まっていた人々には、何処かで「神様に対して物乞い」である」との香りというか匂いのようなものが漂っていたように思われる。それぞれが抱えていた欠けやマイナスは違っていたであろう。しかし、それを抱えていたからこそ教会に集うことや神様を信じるという姿が幼い私にも感じられた。多分、私の父こそが、そういうものを抱えていた人であったろうと思う。しかし、郷里の教会を離れて通った仙台の教会でも、また東京の杉並で通った教会でも、そういう「物乞い」であることを感じさせてくれるような人は少なかった感じがする。東京杉並の高井戸教会では、その地区の総会がもたれていた。そこで見かけた人々、特に牧師たちは、私が郷里で出会った牧師たちのようではなかった。私が親近感を覚えたのは、ごく僅かではあったが、何処かでそういう「物乞い」的雰囲気を感じさせてくれる人々だった。高井戸教会の夜の祈祷会に集う僅かな人々の中に、確かにそうだといえる人がいた。教会の幼稚園に通っていた子どもを交通事故で失い、それを機に信仰を抱かれた夫婦もそうであった。国際弁護士として活躍し、自宅は大邸宅であった。経済的には裕福ではあったが、神様への「物乞い」の部分を確かに持っていた。
彼らのように、神様への「物乞い」でありたいと思う。また、そういう部分を表し合い、そういう部分でこそ交わる、つながる信仰共同体でありたいと思うのである。持っている自分できる自分をひけらかし、また反対に、持たないところ出来ないところを批判し合うのではなく、皆が神様に対して等しく「物乞い」であるというところにおいてつながり、理解し合いたいと思うのである。
3 それでは一体私たちは、どういう点が神様に対して「物乞い」だと言えるのか。皆さんの中には「残念ながら、私は未だそういうマイナスや欠けを実感できていない」と思う人もおられよう。それを何処で感じることが出来るかを、私たちに語りかけてくれるのが、この「物乞い」が「盲人」であったという点なのである。盲人であったことが、この人をして物乞いにさせていた何よりもの理由だったのである。「あなたがたも、神様に対して目が見えない者なのではないか」とイエス様は語りかけて下さっている。そのことを知って「見えるようになりたい」と物乞いせよとの語りかけなのである。
ここで大切なのは、聖書原文のギリシャ語で、見えると言う意味の言葉として「アナブレポー」という言葉を使っている点である。ブレポーという言葉には「見える」という意味がある。ルカはあえて、イエス様の心を示すために「アナ」という接頭詞のついたギリシャ語を使ったのである。「アナ」という接頭詞には、「もう一度」「再び」という意味と、「上に向かって」「上から」という意味がある。したがって、ここでの「見える」は、「上から見る」という意味になる。上から、すなわち神様の視点から見るのでなければ、本当に見たとは言えない。私たちがただ肉眼の目で、この世の光の下で、この世の観点や尺度からのみ見たのでは、それはアナブレポーとは言えないのである。決定的に、大事なものを見ることができていない者であるとの語りかけなのである。
では、一体何を上から見ることが出来ていないのか。それを教えるために、直前の31節から34節が書かれたのだと分かった。次の章の28節から、いよいよイエス様が受難されるべくエルサレムへと入っていかれる場面が始まる。この31節からは、イエス様がその受難と復活の予告をされる場面である。これを聞いた12人の弟子たちには、「これらのことが何も分からなかった・・・理解できなかったのである」と書かれている。つまり、イエス様の言葉をアナブレポーすることができなかったということなのである。ただ「下」からの、つまり人間的な、この世的な観点からしか見ることができず、上から見る視点が無かったということを表している。
イエス様は、受難と復活を予告されるのに、いつも「人の子」という特別な言葉を使っておられた。この言葉は、神様が遣わされた特別な救い主を指すものでもある。しかし、もっと一般的な旧約聖書での用いられ方は、ごく普通に人間一般を指す言葉であった。イエス様はここで、自分だけの受難と復活を語ったのではなく、「およそ人の子である私たちすべてが、このような道をたどって行かなければならない」ということを予告されたのだと思うのである。その道のパイオニアとして、先駆者として、道案内人となるべく、「私はあなたがたに先駆けてこの道を歩んで行くのだ」と言われたのである。
イエス様が進まれた道は、確かに悲惨な道であった。しかし、それはしっかりと復活へとつながる道であった。また、その受難の苦しみは、後に続く私たちにとって、なくてはならぬ励ましや力づけになる道であった。出エジプト記の学びでは、イスラエル人が滅ぼす者から守られるために、その家の玄関先に塗った子羊の犠牲の血こそが、イエス様が十字架で流された犠牲なのだと教えられた。イエス様の受難の道は、私たちを滅ぼす者から守るのである。同じ意義が、人の子である私たちの苦難にもあるのだ。これがアナブレポーから与えられる視点なのである。
4 こうしたことを見ることができないとしたら、私たちもまた進んでいかなければならないこの道を、ただ下からしか見ることができないとしたら、それは私たちにとって、どれ程悲惨なことであろうか。
昨日は早く目が覚めてしまい、朝5時半頃からラジオをつけて聞いていた。「健康の時間」という番組で、すい臓がんのことを取り上げていた。こういう情報は、テレビでもラジオでも、出版物でも、溢れているが、本当にそこにある視点というのは、ただただ下からのものでしかない。どんな予防をしても、早期発見に努めても、人の子である私たちは、31節以下にあるプロセスを進んで行かざるを得ない。「みな実現する」しかないのである。「異邦人に引き渡され」の異邦人とは、健康であった時の私たちには「異邦」だった状態、という意味である。自分で歩くもともできず、排泄することもできず、よく眠ることも出来なくなる。屈辱的な状況に置かれ、乱暴な仕打ちを受け、厄介者として心のうちで唾を吐きかけられ、そして死に至るのである。どんなに惨めなことか、辛いことか。
ところが、これが上からの視点で見ると、どういうことなのか。それは、復活へと繋がる道なのだとイエス様は教えて下さるのである。29節と30節にある言葉も、本来はそういう意味である。文字だけを読むと、「神の国に入るためには、家や・・・子どもを捨てなければならない」という意味にしか受け取れない。しかし、決してそうではない。そんなことを誰がでようか。そうではなく、私たちがどうしても手放さざるを得ない、苦しい時が来るということなのである。しかし、それをくぐって行くことが、神の国へとつながっているのである。この世では、その苦しみの何倍もの報いを受けることにつながり、召された後の世では永遠の命をいただくことにつながっているという意味なのである。このように上から見ることのできる者になりたいと思う。その点において、神様・イエス様・聖霊に対して「物乞い」でありたいと思う。
筑波学園教会牧師 福島 純雄
2016年 1月24日(日)降誕節第5主日礼拝
12:21モーセは、イスラエルの長老をすべて呼び寄せ、彼らに命じた。「さあ、家族ごとに羊を取り、過越の犠牲を屠りなさい。 12:22そして、一束のヒソプを取り、鉢の中の血に浸し、鴨居と入り口の二本の柱に鉢の中の血を塗りなさい。翌朝までだれも家の入り口から出てはならない。 12:23主がエジプト人を撃つために巡るとき、鴨居と二本の柱に塗られた血を御覧になって、その入り口を過ぎ越される。滅ぼす者が家に入って、あなたたちを撃つことがないためである。 12:24あなたたちはこのことを、あなたと子孫のための定めとして、永遠に守らねばならない。 12:25また、主が約束されたとおりあなたたちに与えられる土地に入ったとき、この儀式を守らねばならない。 12:26また、あなたたちの子供が、『この儀式にはどういう意味があるのですか』と尋ねるときは、 12:27こう答えなさい。『これが主の過越の犠牲である。主がエジプト人を撃たれたとき、エジプトにいたイスラエルの人々の家を過ぎ越し、我々の家を救われたのである』と。」民はひれ伏して礼拝した。 12:28それから、イスラエルの人々は帰って行き、主がモーセとアロンに命じられたとおりに行った。 12:29真夜中になって、主はエジプトの国ですべての初子を撃たれた。王座に座しているファラオの初子から牢屋につながれている捕虜の初子まで、また家畜の初子もことごとく撃たれたので、 12:30ファラオと家臣、またすべてのエジプト人は夜中に起き上がった。死人が出なかった家は一軒もなかったので、大いなる叫びがエジプト中に起こった。 12:31ファラオは、モーセとアロンを夜のうちに呼び出して言った。「さあ、わたしの民の中から出て行くがよい、あなたたちもイスラエルの人々も。あなたたちが願っていたように、行って、主に仕えるがよい。 12:32羊の群れも牛の群れも、あなたたちが願っていたように、連れて行くがよい。そして、わたしをも祝福してもらいたい。」 12:33エジプト人は、民をせきたてて、急いで国から去らせようとした。そうしないと自分たちは皆、死んでしまうと思ったのである。 12:34民は、まだ酵母の入っていないパンの練り粉をこね鉢ごと外套に包み、肩に担いだ。 12:35イスラエルの人々は、モーセの言葉どおりに行い、エジプト人から金銀の装飾品や衣類を求めた。 12:36主は、この民にエジプト人の好意を得させるようにされたので、エジプト人は彼らの求めに応じた。彼らはこうして、エジプト人の物を分捕り物とした。 12:37イスラエルの人々はラメセスからスコトに向けて出発した。一行は、妻子を別にして、壮年男子だけでおよそ六十万人であった。 12:38そのほか、種々雑多な人々もこれに加わった。羊、牛など、家畜もおびただしい数であった。 12:39彼らはエジプトから持ち出した練り粉で、酵母を入れないパン菓子を焼いた。練り粉には酵母が入っていなかった。彼らがエジプトから追放されたとき、ぐずぐずしていることはできなかったし、道中の食糧を用意するいとまもなかったからである。 12:40イスラエルの人々が、エジプトに住んでいた期間は四百三十年であった。 12:41四百三十年を経たちょうどその日に、主の部隊は全軍、エジプトの国を出発した。 12:42その夜、主は、彼らをエジプトの国から導き出すために寝ずの番をされた。それゆえ、イスラエルの人々は代々にわたって、この夜、主のために寝ずの番をするのである。
1 モーセとアロンは、エジプト王に「わたしの民を去らせて荒野でわたしに仕えさせよ」という神様の命令を伝えた。それゆえにイスラエル人は、余計に過酷なレンガ焼き労働を課されることになってしまった。この状況から神様は、イスラエル人を解放するために、第1の「血の災い」からはじめて、10番目の「初子の死」という災いを起こさせた。10番目の災いが望むことで、やっとエジプト王は、イスラエル人を自分のもとから去らせることにした。
さて、この10番目の災いについて、21節以下に、「過ぎ越しの犠牲」を屠って、その血を家の鴨居と入り口の二本の柱に塗ったイスラエル人の家は「過ぎ越し」ていったとある。24節以下には、イスラエル人がこの出来事を記念し続けるために「過ぎ越しの祭り」を守ってきたことが書かれている。その祭りでは、26節にあるように、子どもたちは父親に「この儀式にはどういう意味があるのですか」と尋ね、聞かれた父親は「これが主の過越しの犠牲である。・・・」と答えるのだそうである。
私たちクリスチャンは、この「過越しの祭り」を守ることはしないが、実は私たちもこの祭りに由来する儀式を、今なお守っているのである。それが聖餐式なのである。イエス様が十字架にかけられた前夜、弟子たちとなされた最後の晩餐とは、過越しの祭りのなかでなされる特別の食事に他ならなかった。この最後の晩餐が聖餐式となったのである。聖餐式の際に、牧師が『制定語』として告げる「これはあなたがたのためのわたしのからだ・・・わたしの血による新しい契約・・・」とのイエス様の言葉は、最後の晩餐の時にイエス様が弟子たちに言い残された言葉に他ならない。そこには、次のようなイエス様の思いが込められている。すなわち「私がこれから十字架にかかって、そこで流される血は、3500年前ほどの過越しの出来事の中で屠られ、滅ぼす者からイスラエル人を守るべく、その家の入口に塗られた犠牲の子羊の血に他ならない。」との思いである。こうして、私たちも、姿形は変わっても、聖餐式を守ることで、25節で命じられているように「この儀式を守っている」のである。
2 神様がイスラエル人をエジプト王から去らせるために、10番目の災いとしてエジプト人の初めての子を殺したことについて言及したい。エジプト人がこのような目にあったことを当然と受け止める人もあろう。モーセが生まれたとき、エジプト王はイスラエル人に「男の子が生まれたらナイル川に流してしまえ」と命じた。どれほどの長い期間かはわからないが、王はイスラエル人に重い労働を課していた。そのようなエジプト王から、イスラエル人を解放するためには、また、かつてのことへの復讐として、神様がこのような災いをなさることは当たり前だと言ってよいであろうか。殺されてしまった赤ん坊に、いったいどのような責任があったであろうか。
この疑問に答えるのは簡単ではないが、幾つかのことが言える。まず、神様が為された10の災いについて、少なくともその9つは、エジプトで自然のサイクルに伴ってしばしば起こるものであった。たとえば、最初の「血の災い」とは、川が増水を始めるに伴なって、日本でもあちこちでみられる、いわゆる「赤水」という現象ではないかとされる。ナイル川では、それに始って、かえる・ぶよ・あぶ・・・といった災いが、しばしばあったそうである。だとすると、10番目の災いも、それまでの9つの災いによって随分、動物や昆虫が死んだことによって引き起こされたか、何らかの激甚な伝染病のようなものとしてとらえることもできる。27節には「主がエジプト人を撃たれた」とある。29節にも「主は・・撃たれた」とある。しかし、23節に「滅ぼす者が・・・撃つことがないようにするため」とも書かれている。確かに、根本においては、神様の御業であったろう。しかし、神様が直接これをなされたというよりは、自然の災害、滅ぼす者がこれをなしたと理解してよいと思う。
もう一点、もしもエジプト王が過去9回の災いによってイスラエル人を去らせたならば、10番目の災いは起きなかったということである。神様は、指導者であるエジプト王に、民がこの災いに遭わなくともよいチャンスを9回も与えておられたのである。決してエジプト人が当然のごとく受けなければならない報いとして、また逃れなれない罰として与えたものではないと思う。仮にエジプト人であっても、これまで神様が9度もなされたことに心を動かされて、神様がモーセに命じられた言葉を耳にして、過越しの犠牲を屠って、家の入口にその血を塗ることもできたはずである。「滅ぼす者」から逃れる手段を、神様はエジプト人にちゃんと用意されておられたと思うのである。
3 しかし、残念ながら、エジプト王はイスラエル人を去らせることはしなかった。王のもとにいた大多数のエジプト人も、王のやり方を否とした人はいなかった。9回も、そのチャンスがあったのに、逃してしまったのであった。そこから、エジプト王にとって、また大多数のエジプト人にとって、イスラエル人を奴隷として自分のもとに置いておくということが、どれほど手放すのに惜しく難しいものであったかが分かる。そして、いつの時代社会にも、このようなエジプト王が象徴的に示している存在、体制というものがあるのではないかと感じるのである。それは、ある人々を奴隷的に使って、彼らにレンガを焼かせて、そこから不当な富を得て、社会の豊かさを保つという体制である。
私は先日、本屋でふと目にした『ヒトラーに抵抗した人々(對馬達男著、中公新書)』という本を購入した。1930年代から敗戦の45年までドイツをヒトラーが支配して、どれほど酷いことを行ったかは、皆さんもよくご存知であろう。では、この体制を支えたのは誰だったのか。著者によれば、それは誰よりもドイツ国民であったというのである。最大の理由は経済的なことであった。第一次世界大戦の敗戦によって、ドイツには多額の賠償金を課され、失業率は50%にもなった。政党は乱立したが、この状況に何の手だても打てなかった。ドイツ人としての誇りも失ってしまっていた。そういうところに入り込んできたのが、ヒトラーであった。彼を強い指導者とすることによって、まず何よりも、経済的な点が好転した。高速道路を作る仕事を人々に与え、ワークシェアリングを行い、かの有名な自動車フォルクスワーゲンをして「一家に一台」という政策を掲げた。最終的には、後にドイツに敵対することとなるアメリカもイギリスも、当初はその多くの企業がドイツに工場を置き、その好景気にあやかったのだった。この本を読んで、しみじみ今の社会の在り方そのものだと感じた。
その一方で、ヒトラーは、ユダヤ人からどんどん富を奪っていった。仕事、財産、そして最後にはその生命を。ドイツの人々は、ユダヤ人から奪い取った物が売られたバザーに群がったそうである。何百万という人々が熱狂的にヒトラーを支持した。これこそ、誰かを奴隷的な状態におとしめ、その価値・財産・命を不当に奪い、それによって誰かが豊かさを得て、それを維持するという、3500年前のエジプト王が作り上げていた体制とまったく同じではないかと感じた。それを人々が手放すのは、本当に難しいことであった。そして、今はもっと難しくなっているのではなかろうか。全世界がそういう体制になだれ込んでいるのではないだろうか。3500年前に、イスラエル人を奴隷として酷使したエジプト王がいたということは、決して遠い昔の出来事ではない。今も、私たちにとって、本当に身近なものなのだと思う。
4 このような体制を神様はどのように扱われたのか、神様は何をされるのかということが、出エジプト記の出来事全体が私たちに告げている最大のメッセージなのだと思う。本当に今の時代に対してこそ、語りかけられているメッセージであるといえる。
神様は、エジプト王に、モーセとアロンを遣わして、イスラエル人を去らせよと告げさせた。それに従わず、いつまでもこうした理不尽な体制を維持しようとしたため、10もの災いを与えた。最後には「滅ぼす者」をして、この体制に神様からの否を突き付け、イスラエル人を解放しようとされたのであった。私はこのことに大きな励ましを感じる。そしてまた、クリスチャンとしての自覚が呼び起こされた。3500年後の今も、私たちクリスチャンが、姿形は変わっても、聖餐式を守ることを通して、過越しの出来事を覚え続けているということは、私たちも、モーセとアロンのように、この神様から遣わされた者として、エジプト王やその体制に「否」を突き付けるべき者とされているのだと思うのである。
先ほどご紹介した本の著書は、大多数の国民がヒトラー体制を支持するなか、本当に密かにこの体制に抵抗した人々の中心にいたのは、幸いにも教会であり信仰者だったことを明らかにしている。ちなみに福音主義に立つ教会の牧師総数が1万9000人いたなかで、3000人が投獄され、8000人が懲罰的な兵役につかせられて1858人もが戦死したと書かれていた(同書182ページ)。これからの日本にヒトラーのような指導者が現れたとしたら、私はこの牧師たちのようにできるだろうかと思ってしまった。
しかし、もし仮に、私たちがこのような体制に否を突き付けずにいたとしても、神様は必ずやそれを続ける者たちのところに災いを与え、「滅ぼす者」をつかわすということである。それは恵みである。私たちに、このような理不尽な体制を存続させないようにするための、神様からの恵みの御業なのである。たとえば今、働く人々の3割強が非正規の労働者であり、フルに働いても年収が200万円前後にしかならないというような社会は、決していつまでも続くことはないということである。そこには必ずや、神様からの滅ぼす者が入り込んでくるのである。
5 こうした目的で、神様がエジプト人につかわした「滅ぼす者」によって、イスラエル人を逃れさせ、エジプト王から彼らを解放させたのは、「過越しの犠牲」である子羊を屠り、その血を家の鴨居と入り口の二本の柱に塗ることによってであった。何故このことが、滅ぼす者を過ぎ越させるのか。それは、それをすることがエジプト王的体制に否を突き付けることを意味するからだと思う。はっきりとエジプト王と袂を分かち、それには与しないとの宣言だからだと思う。
12章8節以下には、屠った子羊は食べてもよいと書かれている。無駄に殺されるのではないのである。しかし、奴隷であった当時のイスラエル人にとって、子羊を買い求めるのはとても大変ではなかったかと想像する。しかし殺してしまうのである。飼い続けて子を産ませたなら、随分と価値が増したであろうに。そこには、何よりも無駄があると思う。荒野に出て行ったことも無駄なことであった。王様ではなく、神様を礼拝することも無駄である。そういう無駄をすることこそが、子羊を屠るということに込められている。エジプト王が象徴する在り方全てに否を突き付ける事なのである。だから、滅ぼす者が過ぎ越していくのである。
「この過越しの犠牲は私なのだ」とイエス様は言われた。イエス様がもし神様から授かった不思議な力を用いたなら、王様になることも不可能ではなかったであろう。どれだけの富や力を手に入れることができたであろうか。しかしイエス様は、そうした在り方に否を突き付けたのである。自分を無駄に屠ることをしたのである。私たちが、このイエス様を信じるとは、イエス様のこの犠牲の血を私たち自身に塗ることである。言わば、私たちの家の戸口に、犠牲となったイエス様を表札として掲げるようなものである。そして、イエス様を家の玄関先に表札として掲げた者に相応しく、私たち自身も、何処かで血を流すのだろうと思うのである。ヒトラー体制に密かに抵抗した多くの信仰者たちも、文字通り、血を流したのだった。そうせざるを得ない時が来るのである。何処かで血を流さなければ、私たちをがっちりと支配して離そうとしないエジプト王から去ることはできないのである。滅ぼす者が入ってくるのである。
筑波学園教会牧師 福島 純雄
2016年 1月17日(日)降誕節第4主日礼拝
07:07では、どういうことになるのか。律法は罪であろうか。決してそうではない。しかし、律法によらなければ、わたしは罪を知らなかったでしょう。たとえば、律法が「むさぼるな」と言わなかったら、わたしはむさぼりを知らなかったでしょう。 07:08ところが、罪は掟によって機会を得、あらゆる種類のむさぼりをわたしの内に起こしました。律法がなければ罪は死んでいるのです。 07:09わたしは、かつては律法とかかわりなく生きていました。しかし、掟が登場したとき、罪が生き返って、 07:10わたしは死にました。そして、命をもたらすはずの掟が、死に導くものであることが分かりました。 07:11罪は掟によって機会を得、わたしを欺き、そして、掟によってわたしを殺してしまったのです。 07:12こういうわけで、律法は聖なるものであり、掟も聖であり、正しく、そして善いものなのです。 07:13それでは、善いものがわたしにとって死をもたらすものとなったのだろうか。決してそうではない。実は、罪がその正体を現すために、善いものを通してわたしに死をもたらしたのです。このようにして、罪は限りなく邪悪なものであることが、掟を通して示されたのでした。 07:14わたしたちは、律法が霊的なものであると知っています。しかし、わたしは肉の人であり、罪に売り渡されています。 07:15わたしは、自分のしていることが分かりません。自分が望むことは実行せず、かえって憎んでいることをするからです。 07:16もし、望まないことを行っているとすれば、律法を善いものとして認めているわけになります。 07:17そして、そういうことを行っているのは、もはやわたしではなく、わたしの中に住んでいる罪なのです。 07:18わたしは、自分の内には、つまりわたしの肉には、善が住んでいないことを知っています。善をなそうという意志はありますが、それを実行できないからです。 07:19わたしは自分の望む善は行わず、望まない悪を行っている。 07:20もし、わたしが望まないことをしているとすれば、それをしているのは、もはやわたしではなく、わたしの中に住んでいる罪なのです。 07:21それで、善をなそうと思う自分には、いつも悪が付きまとっているという法則に気づきます。 07:22「内なる人」としては神の律法を喜んでいますが、 07:23わたしの五体にはもう一つの法則があって心の法則と戦い、わたしを、五体の内にある罪の法則のとりこにしているのが分かります。 07:24わたしはなんと惨めな人間なのでしょう。死に定められたこの体から、だれがわたしを救ってくれるでしょうか。 07:25わたしたちの主イエス・キリストを通して神に感謝いたします。このように、わたし自身は心では神の律法に仕えていますが、肉では罪の法則に仕えているのです。
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2016年 1月10日(日)降誕節第3主日礼拝
18:18ある議員がイエスに、「善い先生、何をすれば永遠の命を受け継ぐことができるでしょうか」と尋ねた。 18:19イエスは言われた。「なぜ、わたしを『善い』と言うのか。神おひとりのほかに、善い者はだれもいない。 18:20『姦淫するな、殺すな、盗むな、偽証するな、父母を敬え』という掟をあなたは知っているはずだ。」 18:21すると議員は、「そういうことはみな、子供の時から守ってきました」と言った。 18:22これを聞いて、イエスは言われた。「あなたに欠けているものがまだ一つある。持っている物をすべて売り払い、貧しい人々に分けてやりなさい。そうすれば、天に富を積むことになる。それから、わたしに従いなさい。」 18:23しかし、その人はこれを聞いて非常に悲しんだ。大変な金持ちだったからである。 18:24イエスは、議員が非常に悲しむのを見て、言われた。「財産のある者が神の国に入るのは、なんと難しいことか。 18:25金持ちが神の国に入るよりも、らくだが針の穴を通る方がまだ易しい。」 18:26これを聞いた人々が、「それでは、だれが救われるのだろうか」と言うと、 18:27イエスは、「人間にはできないことも、神にはできる」と言われた。 18:28するとペトロが、「このとおり、わたしたちは自分の物を捨ててあなたに従って参りました」と言った。 18:29イエスは言われた。「はっきり言っておく。神の国のために、家、妻、兄弟、両親、子供を捨てた者はだれでも、 18:30この世ではその何倍もの報いを受け、後の世では永遠の命を受ける。」
1 イエス様が、そしてルカが、私たちに伝えようとしたメッセージを、私たちは適切に受け止めることができてきたかというと、必ずしもそうではない部分があったであろう。
もし、ここの箇所のイエス様の言葉が、そのまま文字通りの意味に理解されてしまったのならば、神の国に入るということは本当に難しいものになってしまう。持っているものを全て売り払い貧しい人に施してはじめて入ることのできる所になってしまう。最後の言葉からすれば、家や妻・兄弟・両親・子どもを捨てなければ入ることのできないところだと言うことになるのである。そのように受け取って、その通りに実行しようとした人々がいた。また、多くの人々は、この金持ちの議員が「非常に悲しんだ」のと同じように、「自分には到底、神の国に入れていただく資格はない」と悲しみ、このイエス様の言葉に躓いてしまったのであった。
しかし、ここに書かれている文字通りのことを、イエス様が言われたのではないのは確かであろうと私は思うのである。それは、これまですっと神の国について、イエス様が仰ってきた流れから、確実に言えることなのである。同じ場面を記したマタイもマルコも、直前には「子どものように神の国を・・・」という言葉を記している。イエス様は、私たちが神様の支配のもとに置いていただくことを、幼子が両親に接している様子にたとえられたのである。幼子が両親に抱っこしてもらうときに、その条件として、何かを捨てなければならないことがあるであろうか。幼子にとって、両親に抱き上げて貰うことは、決して難しいことではなく、ごくごくく当たり前のこと、本当にたやすいことであろう。
もう少し遡って文脈をみたい。17章21節の「神の国はあなたがたの間にある」との言葉が、具体的にどのように私たちにおいて実現するかを伝えようとして、イエス様は、祈りについて二つのたとえ話を語られた。裁判官から裁きを引き出したとされた一人の未亡人も、神様に義とされて家に帰った徴税人も(『裁き』も『義とされる』も、神の国に入れられることと同義である)、決してそうされるための条件として、何かを捨てさせられたわけではなかった。ただ幼子のように、神様に対して、また裁判官に対して、祈りすがっただけなのであった。私なりの言葉で言えば、二人とも「自分自身ではどうしようも出来ないやり切れなさ」のようなものを抱えて、だからそれを何とかして頂きたいと神様や裁判官にすがるしかなかったのである。「人間にはできないこと(27節)」を抱えていればこそ、神様に何とかして頂くしかなかったのである。そのように神様に、幼子の如く接する者を、神様は必ずやその支配のもとに置いて下さると、神の国に招き入れて下さるとイエス様は言われたのである。自分ではできないことを抱えた私たちにとって、神の国に入れていただくことは、実はまことにたやすいことだったのである。
2 こういう流れから考えてみると、この金持ちの議員に、イエス様が何故このようなことをつきつけたのかが、よく分かってくる。それは、要するに、この人は神の国に入ること -この人自身の言葉で言えば「永遠の命を受け継ぐ」という言葉と同義である- を「人間にはできないこと」として受け取っていなかったからなのである。彼は「自分にはそれが出来る」と信じていた。そういう思いこそが、「何をすれば・・受け継ぐ」という彼の言葉に如実に表れている。神様の国に入れていただくについて、自分にはそれに相応しい何かができると信じていたのである。神の国とは、そうやって入るものだと受け取っていたのである。いかにも当時のユダヤ教世界で、たった70人ほどしかなることのできなかった議員にまで登りつめることのできた人らしい考え方だと言える。彼はすべてを自分で手に入れてきたのであった。そして、永遠の命を受け継ぎたいと願ったというのも、「もうこの世ではすべて手に入れてしまったから、残っているのは、後の世での永遠の命だけだ。それを得る確証が欲しい。どうしたら手に入れられるのだろうか」という思いでイエス様に質問したのであろう。そのような思いを感じとって、イエス様は、この人に19節以下に書かれているような過酷な要求を突き付けたのであった。その真意は、すべて彼の「自分にはできる」という思いを粉々に打ち砕くところにこそあったのである。「人には為し得ぬ」ということに直面させるためだったのである。
そこで、まずイエス様が言われたのは、「なぜわたしを『善い』というのか。・・・・」という言葉であった。これについてひとこと、このイエス様の言葉は、しばしば異端とされている人々から-キリスト教的異端の最大の特徴は、イエス様を神ではなく、単なる人間とするものであるが-、自分たちの主張を裏付けるイエス様ご自身の言葉としてよく引用されるものである。「イエス様自身が、自分を唯一の善である神と区別しているではないか。自分を神とはみなしていないではないか。だから、イエス様は只の人として扱って良いのだ。」と言う。おそらく、イエス様の言われんとされた最大のポイントは、この金持ちの議員が、神様ではなく人間という存在を「善い」としている点が間違っているということだろうと思うのである。人間ではなく、ただ神様にすがって「善い」何かを得たいとの切実さがない点を、指摘されたのだと思う。
「できる、できる」と彼が言ったので、「それでは律法の戒めをせよ」とイエス様は言われたのだった。しかし、彼はそれにも、「子どもの頃からできている」と答えたので、そこまで「できる、できる」と言い張るのであれば、「持っているものをすべて・・・」と、かなり意地の悪い言い方をされたのである。しかし、そう言われて彼は「非常に悲しんだ」とある。マタイとマルコでは、ここが違っていて、たとえばマルコによる福音書の10章22節には「この言葉に気を落とし、悲しみながら立ち去った」と書かれている。しかしルカは、立ち去ったとは書かなかったのである。それは、この人にこそ、「今まさに神の国に招き入れられる門が開かれている」との、ルカの意図があったのだろうと思うのである。
この金持ちの議員は、「できる、できる」という思いが打ち砕かれた。イエス様が言われたところによれば、彼は神の国に招き入れていただく条件が全く備えられないということが分かったということである。では、どうしたか。マタイやマルコが書いたように、そのまま立ち去ってしまったのか。それとも、それでもなお、神の国に入れていただきたいと切に願って、それこそ駄々っ子のようにでも「それでも入れていただきたいのです」と粘ったのか。イエス様は、「金持ちの議員としてのプライドも何もかも捨てて、自分では何もできないものとなって、ひたすら神様に招き入れていただくよう懇願する幼子になればよいのだ」ということを伝えたかったのである。これまでずっと、「できる」者すなわちエリートとされてきた人が、はじめて「出来ない」現実を突き付けられたのであった。しかし、「できない」者とされたそのときこそ、「神にはできる」 - 神様にこそ、していただく - という世界への門が開かれているのだというのが、ルカが受け止めたイエス様の御心ではなかったかと思うのである。
3 24節と25節で「財産のある者」「金持ち」とされているのは、文字どおりの意味ではなく、およそ「できる自分」というようなものを持っている私たちのことではないかと思うのである。「できる自分」をもって神様との関係を作り、神様との結び付きを得るのは何と難しいことか。それよりは「らくだが針の穴を通る方が未だやさしい」のである。
何を言いたいのかと言うと、どうしても私自身が、「牧師としてこれができた。これができる。」というところで歩もうとしていると感じるからである。「できる自分」というところで神様との関係を生きる自分が、牧師として歩む私がいるのである。しかし、そういう歩みはとても難しいし、いつかは破綻してしまうのではないかということである。私自身のこれまでの30年になろうとする牧師として歩みがそうである。前任地の郡山で、それまでの牧師生活の中で一番「できる、しなければならない」と思って、ある人達に係わった結果、その人たちは洗礼へと導かれはしましたけれども、結果的には、彼らを教会から去らせてしまうということになってしまった。このつくばでも、会堂の新築工事が始まり、教区の議長となって「自分はできる、しなければならない」と最も思っていた矢先に、やはり何人かの方々が教会を離れるということが起きてしまった。「できる、自分にはできる」と思っている歩みは、いつか必ず破綻せざるを得ないのである。
しかし、その時、できない自分というものを突き付けられて、相談した先輩牧師の前でも、また教会の皆さんの前でも、憚らず涙を流し、その時はじめて、神様との結び付きがそれまでとは違う新しいものに変わって行くという体験をしたのであった。本当に生きて私を引っ張って下さる神様の支配というものに招き入れていただいたのである。失敗したあなただからこそ、そのあなたに私たちの大切な羊を委ねるのだと囁いて下さったイエス様との不思議な出会いがあった。また、ある方からの手紙を通して、神様との深い出会いがあった。「人間にはできない、自分には為し得ない」という辛い現実に直面することこそが、「人にはできないが神にはできる」そういう神様に出会う時となるのである。そういう神様の支配へと招き入れられる時となるのである。「自分には為し得ぬ」という困難に直面することが如何に幸いかを知るのである。
4 さて、このようにイエス様が言われた後で、ペテロは真に彼らしいと言えば彼らしい、トンチンカンな応答をしたのであった。「このとおり・・・」と。できないということに直面してこそ「人には為し得ぬ」ことを為して下さる神様に出会う時だとイエス様が言われたのに、ペテロは「わたしたちは、捨てて・・従ってきました」と、できる自分を誇ったのだった。しかし、このような誇りが十字架の前で粉々に砕かれ、「できない」自分に直面し、そういう彼をこそできるものへと変えて下さった出来事が、イースターだったのである。そこからこそ、私たちのキリスト教は始ったのである。
29節と30節を、どのように受け止めれば良いか、もう良くお分かりだと思う。家・妻・・・を捨てることは、決して神の国に入るための条件としてイエス様が言われたのではないのである。「今、捨てることができる」という点にポイントがあるのではなく、どうしてもそれら大切な間柄を手放さざるを得ない時がやって来るということなのである。それは、手放したくなくともそうできない時、つまり「人には為し得ぬ」時としてやって来るのである。しかし、そのような時にこそ、私たちの前に「何かをできる」神様が現れて下さるのである。私たちには為し得ぬ時こそが、神の国に招き入れられるとき、そこで神様が与えて下さる報いや報酬と不思議なつながりが生じてくるとイエス様は教えられたのである。
筑波学園教会牧師 福島 純雄
2016年 1月3日(日)降誕節第2主日礼拝
07:08主はモーセとアロンに言われた。 07:09「もし、ファラオがあなたたちに向かって、『奇跡を行ってみよ』と求めるならば、あなたはアロンに、『杖を取って、ファラオの前に投げよ』と言うと、杖は蛇になる。」 07:10モーセとアロンはファラオのもとに行き、主の命じられたとおりに行った。アロンが自分の杖をファラオとその家臣たちの前に投げると、杖は蛇になった。 07:11そこでファラオも賢者や呪術師を召し出した。エジプトの魔術師もまた、秘術を用いて同じことを行った。 07:12それぞれ自分の杖を投げると、蛇になったが、アロンの杖は彼らの杖をのみ込んだ。 07:13しかし、ファラオの心はかたくなになり、彼らの言うことを聞かなかった。主が仰せになったとおりである。 07:14主はモーセに言われた。「ファラオの心は頑迷で、民を去らせない。 07:15明朝、ファラオのところへ行きなさい。彼は水辺に下りて来る。あなたは蛇になったあの杖を手に持ち、ナイル川の岸辺に立って、彼を待ち受け、 07:16彼に言いなさい。ヘブライ人の神、主がわたしをあなたのもとに遣わして、『わたしの民を去らせ、荒れ野でわたしに仕えさせよ』と命じられたのに、あなたは今に至るまで聞き入れない。 07:17主はこう言われた。『このことによって、あなたは、わたしが主であることを知る』と。見よ、わたしの手にある杖でナイル川の水を打つと、水は血に変わる。 07:18川の魚は死に、川は悪臭を放つ。エジプト人はナイル川の水を飲むのを嫌がるようになる。」 07:19主は更にモーセに言われた。「アロンに言いなさい。『杖を取り、エジプトの水という水の上、河川、水路、池、水たまりの上に手を伸ばし、血に変えなさい』と。エジプトの国中、木や石までも血に浸るであろう。」 07:20モーセとアロンは、主の命じられたとおりにした。彼は杖を振り上げて、ファラオとその家臣の前でナイル川の水を打った。川の水はことごとく血に変わり、 07:21川の魚は死に、川は悪臭を放ち、エジプト人はナイル川の水を飲めなくなった。こうして、エジプトの国中が血に浸った。 07:22ところが、エジプトの魔術師も秘術を用いて同じことを行ったのでファラオの心はかたくなになり、二人の言うことを聞かなかった。主が仰せになったとおりである。 07:23ファラオは王宮に引き返し、このことをも心に留めなかった。 07:24エジプト人は皆、飲み水を求めて、ナイル川の周りを掘った。ナイルの水が飲めなくなったからである。
1 モーセとアロンは、イスラエルの人々についての神様の要求をエジプト王に告げた。そのことによってイスラエル人は、とんでもない過酷な状況に陥ることになってしまった(5章1節から6章13節まで)。7章16節にも記されている。「わたしの民を去らせ、荒れ野でわたしに仕えさせよ」と。奴隷であった民がエジプトの王に大それた要求を突き付けたものだから、王はかんかんに怒り「レンガを焼くために不可欠な藁はもう提供しない。お前たち自身で調達せよ。しかし、焼くレンガの量は減らしてはならない」と命じたのだった。
このような状況に陥ったイスラエルの人々は、途方に暮れたであろう。神様は、彼らにどのような助けをお与えになったであろうか。もし私たちが同じ状況に追い込まれたならば、「神とやらの言葉を真に受けて、王様にとんでもないことを言ったのは、一時の迷いでした。もう決してそんなことは言いません」と平に謝って、何とか元の「平穏な奴隷」状態に戻してもらおうとするのではなかろうか。状況としては、もうそのようにするしか、この苦境を乗り切るすべは無かったように思える。
ところが「モーセとアロンは、主が命じられたとおりに行った」と書かれている。この御言葉は本当に心強く、励ましに満ちたものと感じられる。人々から「私たちがこんな苦境に陥ったのはあなたたちのせいだ(5章21節)」と言われたモーセは、神様に恨み言を言った。そんなモーセが、なおも神様の命じられたとおりにファラオの前に立ち続けて、神様の要求を語り続けたのであった。14節以下の「第一の災い」で、ファラオが渋々イスラエル人を去らせるまでに、何と10回も、二人は王の前に立つことになるのであった。それほどまでに、二人は粘り強く王に対峙し続けたのだった。
一体、この二人は、どういう存在だったのか。7節に象徴的に、また真に印象深く記しているのは、この二人が83歳と80歳の老人に過ぎなかったということである。二人は、エジプト王と10回も対峙するのに相応しい権力も強さも何も持ち合わせていなかった。けれども二人は、なおも「主が命じられたとおりを行う」ことができたのだった。ここに、この物語を読む後代のイスラエルの人々が大きな励ましを受けたポイントがあったのだと思う。私たちもまた、そこからこそ励ましをいただくのである。
2 どうして、モーセとアロンは、そのようにすることが出来たのか。私は、二人が83歳と80歳の老人だったからという点が決定的に大事であったと思わずにはいられない。そういう年齢の人たちこそが、私たちのリーダーとなって「主が命じられたとおり行い、ファラオ」の前に立つ者とされるのである。
もし私たちが同じ状況に置かれたなら、もう王に、神様の要求を突き付けることなどは止めて、奴隷ではあっても、もとの平安に状況に戻して欲しいと言ったかも知れない。青壮年のイスラエル人のリーダーたちは、そう言っていたかも知れない。しかし、二人の老人はそうはしなかった。あくまで主が命じたとおりに行おうとしたのだった。たとえ平穏であってもエジプト王の奴隷として生きるのではなく、「荒れ野で主に仕える」生き方を求めたのだった。それは、80歳と83歳の老人であればこそ「荒れ野で神という主人に仕える」人生というものの価値が分かったからではないかと思う。
エジプト王に仕えることと荒れ野で神様に仕えることとの決定的な違いは何か。エジプト王に仕えるとは、王のため国家のために役立つレンガを焼くということに象徴される。肥沃な地にあって、レンガをできるだけ多く焼くことが求められる。そうやって生きる糧を手に入れる生活であった。これに対して「荒れ野」では、レンガを焼くことはできない。荒れ野では、王も国家も成り立ち得ない。80歳と83歳の二人の老人とは、象徴的に「荒れ野」を表しているのである。
荒れ野では、もはやレンガを焼くことはできなかった。しかし、神様は彼らに「わたしに仕えよ」と言われた。「王や国家のために、もはやレンガを焼くことのできなくなったお前たちこそ、私に仕えることができるのだ。私に仕え、ひいては荒れ野で生きる者同士、お互いに助け合い支え合うのだ。高齢になったからこそ、王ではなく私に仕えて生きることの貴さが分かるはずだ。そういう存在として、青壮年を導き、その代表として王に立ち向かうのだ」と。
3 2週間ほど前の新聞に、原発事故で仮設住宅に避難している人々の自殺が止まないとの特集記事があった。福島県に長く住んでいた者として、心が痛んだ。彼らはなぜ自殺してしまうのであろうか。記事で取り上げられていた人々は皆、かつては福島県の浜通り(太平洋沿岸の地域)で、原発の仕事に就いていた人々であった。それはまさに、エジプト王に仕えて、レンガを焼いていた人々のようである。しかし、原発事故の後、彼らはまさに荒れ野に追いやられてしまった。荒れ野に追いやられたらどうやって生きていったらよいのか、この国の多くの人々は誰も知らない。それが、荒れ野で主に仕えるということなのである。神様を信じて教会に集えとは言わないが、荒れ野で辛い者同士、助け合い支え合う生活はできるはずである。彼らは、経済的な点では何とか支えられているのだから、たとえば子どもたちの貧困問題にかかわるとか、そういう働きはできるはずである。
元日の新聞には、現役時代の標準報酬月額が30万円くらいの人たちがもらえる年金は、月額13万円前後とあった。自宅のない人々は、それでは到底生活していけないと書かれていた。「もっと年金の充実を」と言いたくとも、借金が1千兆円もあるような国に頼ることなどできない時代になるであろう。まさに、荒れ野を生きる時代に入っているのだと思う。しかし神様は、荒れ野においてこそ、私たちが神様に仕えて生きるあり方があるのだと励まして下さるのである。そこでこそ、私たちの生きたかが大きく変わって、たとえば空き家になった家をシェアしながら皆で助け合って生きて行くとか、そういう荒れ野での生き方こそが、私たちを支えて行く時代になって行くのではなかろうか。
4 イスラエル人のリーダーとして、83歳と80歳の高齢のモーセとアロンが、エジプト王に向かい合ったのである。神様は「もし、ファラオがあなたたちに向かって、『奇跡を行ってみよ』と求めるならば、あなたはアロンに、『杖を取って、ファラオの前に投げよ』と言うと、杖は蛇になる。」と言われたとある(8節)。
神様に押し出されて王と対峙することになった老人二人に、エジプト王が「奇跡を行ってみよ」と要求するシーンは、とても示唆深いものだと思う。王様が求める奇跡とは、要はレンガを焼くということと共通する事柄なのであろう。私たちをエジプト王と同じ価値観の土俵に引きずりこんで、その結果として「お前たちには奇跡など出来ないだろう、神に仕えても何の利益にもならないだろう。そうであるなら、神ではなく、私たちに仕えよ」と囁くのである。
それに対して「杖を取れ」と神様は言われる。その杖をファラオの前に投げると蛇になるのである。11節以下には、王に仕える賢者や呪術者も杖を投げると、同じように蛇になったとある。ある種のコブラは、調教によって杖のように固くなることがあるらしい。しかし彼らの杖から変わった蛇を、アロンの杖から変わった蛇が呑み込んだと書かれている。アロンやモーセの杖と、賢者・呪術師・魔術師が持っていた杖との間に、私は対照的な何かを感じる。アロンやモーセが持っていた杖は、83歳や80歳の老人の杖であった。それは、体の弱さを補うための杖であろう。これに対して、賢者や魔術師たちが投げた杖は、エジプト王が持っていたような杖であろう。杖の先には、蛇の彫刻が施されていたかもしれない。それは、王の権力の象徴といえるであろう。エジプトの神々を表していたに違いない。
老人の使う杖から変わった蛇が、王を表す杖から変わった蛇を呑み込むとは、神様による皮肉でありユーモアであると感じる。神様は、「もしも、エジプト王から奇跡をしてみよと言われたなら、老人であるあなたがたが使う杖を使え。それが蛇になるであろう。そして、王の象徴である蛇を呑み込むであろう。弱さの象徴であり、あなたがたの弱さの支えである杖をもって、強さの象徴である杖に立ち向かえ。弱さの象徴である杖をとって、強さの象徴である王に対峙せよ。それが、あなたがたの生き方だ。そうすれば、王に打ち勝つことができる」と言われているのである。
私たちとって、アロンの杖とは、何を意味しているのであろうか。私にはイエス様であると、とくに十字架の上で死なれたイエス様に他ならないと思えるのである。実は、この場面を読んで、私はヨハネによる福音書を思い起こした。この福音書の3章14節には「モーセが荒れ野で蛇を上げたように、人の子もあげられねばならない」という謎めいた言葉が書かれている。この福音書に書かれている、イエス様の最初の奇跡は、カナの結婚式で水がブドウ酒に変わるというものであった。それは如何にも、モーセとアロンが第一の奇跡としてナイル川をはじめとするエジプト中の川の水を血に変えたことと重なる。アロンとモーセが、アロンの杖を使ってなした奇跡とは、水を血に変えるというものだった。しかし、十字架の上に上げられたイエス様が最初になさった奇跡は、ただの水を飲むことのできない血にではなく、最上のブドウ酒に変えるものだったのである。
注解書によれば、モーセとアロンによって行われた奇跡の一つひとつが、エジプトの神々の象徴を打ち破る出来事として理解できるのだという。奇跡とは言っても、それは普通の意味での奇跡ではなく、神様が83歳と80歳の老人を通して為されたところの、強さの象徴であるエジプト王を打破するための奇跡である。弱さが強さを打ち破る奇跡なのである。この1年も、弱い私たちにとっての無くてはならぬ杖であるイエス様を手に取って、この世の王様に立ち向かっていきたいと思う。
筑波学園教会牧師 福島 純雄
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