2015年 12月27日(日)降誕節第1主日礼拝
06:15では、どうなのか。わたしたちは、律法の下ではなく恵みの下にいるのだから、罪を犯してよいということでしょうか。決してそうではない。 06:16知らないのですか。あなたがたは、だれかに奴隷として従えば、その従っている人の奴隷となる。つまり、あなたがたは罪に仕える奴隷となって死に至るか、神に従順に仕える奴隷となって義に至るか、どちらかなのです。 06:17しかし、神に感謝します。あなたがたは、かつては罪の奴隷でしたが、今は伝えられた教えの規範を受け入れ、それに心から従うようになり、 06:18罪から解放され、義に仕えるようになりました。 06:19あなたがたの肉の弱さを考慮して、分かりやすく説明しているのです。かつて自分の五体を汚れと不法の奴隷として、不法の中に生きていたように、今これを義の奴隷として献げて、聖なる生活を送りなさい。 06:20あなたがたは、罪の奴隷であったときは、義に対しては自由の身でした。 06:21では、そのころ、どんな実りがありましたか。あなたがたが今では恥ずかしいと思うものです。それらの行き着くところは、死にほかならない。 06:22あなたがたは、今は罪から解放されて神の奴隷となり、聖なる生活の実を結んでいます。行き着くところは、永遠の命です。 06:23罪が支払う報酬は死です。しかし、神の賜物は、わたしたちの主キリスト・イエスによる永遠の命なのです。
1 パウロは「律法の行いによってではなく、ただイエス・キリストを信じる信仰によって神様から義としていただける(5章12節以下)」という福音の原理原則に付随して生じる様々な問題を取り上げて来た。6章1節以でもパウロが扱っている問題は、「そうであるならば、もはやどのような行いをしても神様から義としていただくことにおいてはどうでもよいのであり、何をしてもよいのだ、罪を犯しても何ら問題にはならないのだ」と主張する人々がローマ教会の中に出てきたということだった。具体的には、6章12節以下に「体の欲望に従う」とか「五体を不義のための道具として」とあるように、ローマ人やギリシャ人からクリスチャンになった人々のなかに、信仰者となった後も何らそれ以前の生活と変わりがないどころか、もっとひどく欲望のままに生きる人々が出てきたかららしい。
「そういう人々の存在は、律法の行いによらず、ただイエス・キリストを信じる信仰によってのみとの福音はおかしい、クリスチャンになってもなお律法の行いは不可欠だ」と教える人たちを、大いに勢いづかせることになった。22節に「実を結ぶ」という言葉がある。イエス様も「どういう実を結ぶかによって木の性質が分かる(たとえばマタイ7:16以下)」と言われた。パウロが教えた福音を信じている人々が、そういう悪い実をつけているということは、その福音そのものが間違っている証拠だと批判したに違いない。
これに対してパウロは、先例のことを引いて、この批判に応じようとしたのだった(6章1節以下)。また別の観点から、洗礼を受けるとは、しばしばイエス様という良い幹に私たちが接ぎ木をされることに譬えられる。受洗準備会で、この比喩を取り上げることがある。接ぎ木された私たちは、イエス様という良い幹から良い栄養を頂けるのだが、では、私たちはただ黙っていて良い実を結べるかと言うと、そうではない。接ぎ木された私たちも、葉を広げて十分に太陽光や空気中の様々な必須要素を取り入れる努力を、不断にしなければならないのである。イエス様を信じて神様に義とされ結びつけていただいたからと言って、ただ信仰によってイエス様・神様にむすびつけていただいたという福音がおかしい・間違っている、ということにはならないのである。
2 こういう流れにおいて、14節までの続きとして、15節以下でも同じことが言われている。当時の社会でごく普通に行われていた奴隷制度を比喩として・アナロジーとして取り上げて、問題を起こしている人々を説得し、また相手方からの批判に応じとしたのである。
パウロが何の疑問もなく、当然のものとして奴隷制度を取り上たのはなぜか。それは今から2000年ほど前の時代社会に生きていたパウロの制約や限界を表している。聖書といえども人間が書いたものである。だからそういう制約や限界を免れることはできないのである。ある人たちは、聖書にこういう形で奴隷制度のことが書かれているのだから、この制度はあって良いものだと主張した。そうやって、教会も奴隷制を長く支持してきてしまった歴史がある。しかし、それは、パウロが置かれていた時代社会の限界であって、決してそれを、聖書に何の批判もなく書かれているからという理由で正当化してはならないのである。
パウロはここで、奴隷制度のどういう点を一番アピールしていたか。奴隷はAという主人からBという主人に買われてゆくということが、しばしばなされた。買われてゆくときに、新しい主人から前の主人に支払われたのが『贖い金』であった。もし奴隷が借金を抱えていれば、奴隷としての代金に加えて、その借金も新しい主人が肩代わりして支払わねばならなかった。こうして、新しい主人の奴隷となったのである。そうすると当然、この奴隷は、もはや前の主人の考えやしきたりに従うのではなく、新しい主人のそれに従うことになった。前の主人はもはや、かつての僕に対して何らの支配権を持たない。もしも、奴隷が前の主人の考えやしきたりに従ったままで、新しい主人のそれに従わなければ、不服従の罪に問われ、重いペナルティを課されるか、或いは、また何処かへ売られてしまったであろう。当時の人々がとても良く知っていたこういう事実をパウロは引き合いに出したのだった。
そこでパウロが先ず語ろうとしたのは、前の主人とは誰であり、前の主人の奴隷であることは、どれほど私たちにとって悲惨なものであったかという点だと思う。前の主人とは「罪」だということである。そこでは「五体が汚れと不法の奴隷」であり「不法の中に生きていた」と19節に書かれており、「今では恥ずかしいものと思うもの(21節)」であり、「罪が支払う報酬は死です」と23節に書かれている。「罪が支払う・・」とは、「罪という主人がその奴隷に払う給料は死であった」「死に至るものでしかなかった」という意味である。
罪とは何かについて、私たちは5章後半で丁寧に、創世記3章を読みながら学んだ。それは私たちをして神様のごとくならせようとするものであった。神様の領域に足を踏み込ませようとするものであった。しかし、それは私たちにどんな報酬をもたらしたかと言えば、自分が丸裸でしかないことを知ったのみであった。余計に不安になり、そして神様を怖がり、木の間に隠れ、木の葉を身にまとうばかりであった。神様の領域に踏み込み、科学文明を発達させた私たちは、ますます不安にかられて、様々な世の物に隠れ、身にまとうばかりなのである。
3 パウロは、「前の主人とは誰であったかを語って、私たちは前の主人から新しい主人へと贖われて買っていただいた者ではないか」「それがどれ程素晴らしいことであったか」を今一度思い起こさせようとしたのである。新しい主人とは、言うまでもなく、イエス様であり、また神様であるその新しい主人は、僕である私たちに「聖なる生活を遅らせて下さいます」。旧い主人のくれる給料が死であるのに対し、新しい主人が下さる報酬・賜物は「わたしたちの主キリスト・イエスによる永遠の命」である。
パウロが奴隷制度の比喩を用いてここで何より言わんとしたのは、「こうして新しい主人の下で聖なる生活をするように召されている者が、どうして前の主人の下に尚いるかの様な生活、聖なる生活とは正反対の生活をしても良いのだなどと言えるか」ということである。それは、実際の奴隷の在り方を考えると、本当に良く分かる。とんでもない前の主人の所から、わざわざ借金をも肩代わりして貰って素晴らしい生活と給料を下さる新しい主人の僕へと買われたのである。そういう奴隷が、どうして前の主人の下で生活を続けることができようか。そのようなことは決してあり得ないのである。このように語って、パウロは神様の僕とされた以後もなお、かつての生活を続けようとすることのあり得なさを教えようとしたのである。
ここで私は、実際の私たちの信仰生活と奴隷の在り方との違いを考えさせられた。奴隷の売り買いにおいては、一旦、前の主人の下から新しい主人へと買われて行ったなら、前の主人とはきれいさっぱり縁が切れる。前の主人は、もはや何の影響力も行使することができなくなる。私たちが、イエス様を信じて洗礼を受けたなら、これと同じように、前の主人、つまり罪との関係がきれいさっぱり切れてしまうなら、どれほど幸いかと思うのである。しかし、私たちの信仰生活の現実はそうではない。ローマ教会の人々も、まさにそうであった。イエス様を信じ、せっかく洗礼を受けたのに、彼らの生活はなお前の主人に大いに影響されていたのである。これが、悲しいかな、私たちの信仰生活の現実でもある。
だとすれば、私たちがイエス様・神様・聖霊という新しい主人の下で、その僕とされたということは、何の意味も持たないことなのであろうか。そうではない、と私は思う。確かに、新しい主人の下でも、悲しいかな、前の主人の影響力を受けている。しかし、肝心なのは、私たちの心である。新しい主人の下でその僕とされた私たちは、どんな生活を願っているであろうか。相変わらず前の主人の奴隷として、汚れた不法の生活をすることを望んでいるであろうか。そうではない。私たちは聖なる生活をすることを望んでいるのである。クリスマス礼拝の説教題は「あなたの聖に拠り所を」であった。なお罪を抱える者ではあるが、だからこそ、神様の、イエス様の聖を拠り所にして生きたいと願っている。この世の物を隠れ家としたり、隠れ蓑とするのではなく、神様とイエス様を隠れ家とし拠り所としたいと私たちは願うのである。それこそは、私たちが神様の僕とされた故の効果ではなかろうか。前の主人から新しい主人の下へと贖われた故の確かな現れではなかろうか。そのように願うならば、必ずや良い実が実るはずである。神様の聖を拠り所とするが故の「聖なる生活の実を結ぶ」のである。
4 さて、贖いということについて、パウロは何も触れなかった。私たちが前の主人から新しい主人へと買われて行く時に、一体だれがこの『贖い金』を払ってくれたのかという点に、最後に言及したい。パウロの福音がおかしいと批判する人々は、「要は律法の行いが贖いなのだ」という。それは、前の主人の奴隷とされている私たち自身が、律法の行いという贖いを自分で払って自らを新しい主人の僕として買ってもらうということであろう。その時に、贖い金が足りないというのであれば、言わば、将来に向けて分割払いのような形として、律法の行いによってそれを払うということになるのであろう。
しかし、私たちはそうやって、罪という前の主人に支配されていた自分たちを、自ら解き放ち、神様・イエス様という新しい主人に買っていただいたのだと言えるであろうか。自分の意志や行いでそうできたと言える人は、ここにはおられないと思う。前の主人の奴隷であった私たちのところに、イエス様が不思議な形でおいでになって下さったのである。イエス様のほうから、私たちを捉えて下さったのである。そして、何の贖い金も払えない私たちを、イエス様が神様の下へと引っ張って行って下さり、神様の僕として生きられるようにしてくださったのである。このようなことを、私たちは『キリストの贖い・犠牲によって』と告白しているのである。イエス様がご自分自身の贖いによって私たちを神様の僕として下さったというのに、どうして私たちがそれを無にするような前の主人の下での生活ができるであろうか。次の一年も、罪の奴隷から聖なる神様・イエス様・聖霊の僕とされたことを、心から喜び感謝して、それに相応しい実を結ぶ一年でありたいと願う。
筑波学園教会牧師 福島 純雄
2015年 12月24日(日)クリスマスイヴ礼拝
14:03イエスがベタニアでらい病の人シモンの家にいて、食事の席に着いておられたとき、一人の女が、純粋で非常に高価なナルドの香油の入った石膏の壺を持って来て、それを壊し、香油をイエスの頭に注ぎかけた。 14:04そこにいた人の何人かが、憤慨して互いに言った。「なぜ、こんなに香油を無駄使いしたのか。 14:05この香油は三百デナリオン以上に売って、貧しい人々に施すことができたのに。」そして、彼女を厳しくとがめた。 14:06イエスは言われた。「するままにさせておきなさい。なぜ、この人を困らせるのか。わたしに良いことをしてくれたのだ。 14:07貧しい人々はいつもあなたがたと一緒にいるから、したいときに良いことをしてやれる。しかし、わたしはいつも一緒にいるわけではない。 14:08この人はできるかぎりのことをした。つまり、前もってわたしの体に香油を注ぎ、埋葬の準備をしてくれた。 14:09はっきり言っておく。世界中どこでも、福音が宣べ伝えられる所では、この人のしたことも記念として語り伝えられるだろう。」
1 今からおよそ2000年前に、イエス様が生まれ、聖書に書かれているような生涯を歩んで下さったことによって、それまで私たちには無かったような人間観や価値観がもたらされた。それこそが、イエス様の誕生によって、私たちがいただいたクリスマスプレゼントと言ってもよいと思う。
「世界中どこでも、福音が宣べ伝えられるところでは、この人のしたことも記念として語り伝えられるだろう」と、イエス様は言われた。細かな言葉の意味はともかくとして、イエス様がこの女性のしたことに最大限の賛辞を与えていることはお分かり頂けると思う。そのようにして、イエス様はこの女性の人間性を評価し、彼女のしたことに価値を見いだして下さった。これが、私たちに、それまでなかった新しい人間観や価値観を与えて下さった出来事に他ならない。もし、イエス様が生まれることがなく、聖書に書いてあるようなこの女性との出会いも無かったならば、彼女のしたことを良しとするような人間観や価値観は、決して私たちにもたらされることは無かったのである。
2 それでは、イエス様は、この女性のしたことの何処に価値があると言っているのか。まず、6節の最後に「わたしに良いことをしてくれたのだ」とある。それは、そこにいた多くの人々が、彼女に注いだ眼差しとは全く違うものだったと思う。
この女性がどういう素性の人だったかは何も書かれていないが、一つ推測できるのは、彼女は「重い皮膚病を患っていた人シモン」の家に出入りするような人だったということである。重い皮膚病というのは、いろんな理解があるが、今日ハンセン病という病気として知られているものではないかと言われている。伝染性があると恐れられ、また当時は、神様から何らかの罰を受けてそうなったと見られていた。だから、そのような人とは誰も付き合おうとなどしなかった。しかし、この女性はそういうシモンの家に出入りをしていたのである。そのことから、彼女も同じような見方をされていた人のではなかったか。似たようなレッテルを貼られていた人ではなかったかと想像できる。類似した場面が書かれているルカによる福音書には、「一人の罪深い女(ルカによる福音書7章37節)」とある。シモンにしても、この女性にしても、周囲の人々からは、「決して良いことなど出来得ない。何をしても、彼らのすることは良いことではあり得ない」と見なされていたと思う。
ところが、イエス様は「(彼女は)わたしに良いことをしてくれたのだ」と言ったのであった。いかなるレッテルを貼られた人間であろうとも、イエス様に対して良いことができる存在であり、ひいては神様に対して良いことができる者であり、そういうことを通して、人々に対しても良いことができる存在と見て下さったのである。私たち自身、自らに対して、いろいろなレッテルを貼ってしまう。また、周りからもそのようにされる者である。しかし、イエス様は、私たちを「良いことのできる存在」と見なして下さったのである。なんと素晴らしい人間観ではないか。
3 なぜ、この女性がイエス様に、このような振舞いをしたのか。8節には「前もってわたしの体に香油を注ぎ、埋葬の準備をしてくれた」とイエス様が言ったとある。「埋葬の準備」とはどういうことかというと、聖書のこのすぐ後に『最後の晩餐』の場面が書かれている。その翌日には、イエス様は十字架にかけられて殺されてしまうのである。イエス様にこのようなことが起きようとしていることに、何となくこの女性は感じて、当時、遺体に塗られることの多かった香油を予めイエス様に塗ったのだった。
彼女がイエス様に塗った香油は、もしもお金に替えたとすると、300デナリオン以上にもなるほど高価なものだったとのことである。1デナリオンとは、当時の労働者の1日分の賃金に相当する。今の価値にすれば、300万円前後にもなるであろう。それほど高価な香油を、すべてイエス様に注ぎ、香油の入っていた石膏の壺を壊してしまった。彼女のその心は、良く分かる気がする。この女性は、イエス様に対して特別な思いを抱いていたのであろう。どのようにした貯めたかは分からないが、とにかく彼女の全財産にも等しいほどの価値のある香油を注ぎ尽くし、それが入っていた器を壊してしまった。それはもう、他の誰のためにも香油は注がないし、香油を貯めることはないとの思いを示している。
こうやって、明日には死んで行くであろう人のために、高価なものを費やした。生き続けて、自分のために何かをしてくれるであろう人に費やすのではなく、死んでしまう者のために費やしたのである。周りにいた何人かの人々は「無駄遣いした」と、この人を責めた。「死んでいく人に、そんなことをするのは無駄ではないか。」「生きている貧しい人のためにこそ有効に使うべきではないか。」と責めたのだった。しかし、イエス様は、一見無駄かも知れないが、死んでいく者のために出来る限りのことをすることは良いことだという価値観を、お示し下さったのである。
4 こうして、イエス様は「無駄遣い」と非難されることにこそ貴さがあるという新しい価値観をもたらして下さったのだと思うのである。周りにいた人からの、この女性の振舞いへの批判には、死んでいく者に全てを注いでしまったという理由もあったが、もう一つには、たった一人のために、という非難もあったのである。香油を300デナリオン以上に売って、それを貧しい人たちに施したら、どれ程多くの人々が助かったであろうか。それなのに、彼女はそれをたった一人、それもこれから殺されるであろうたった一人のために、全部を注ぎ尽くしてしまったのである。しかし、良いことをする時には、必ずそこには無駄遣いに見える部分があるのではなかろうか。
私たち自身「自分の生涯は無駄ではなかったか。どういう意義があったのか」と自問自答する時がある。私たちは、300万円ものお金を使って沢山の人々に喜んでもらえるようなことができるわけではない。たった一人の伴侶や、子供たち、牧師である私の場合には、ごく少数の教会の人々のために働く。ローンを返し、家族のために身を費やして、それで生涯を終えるのである。そのような働きのために、私たちの「香油」は注ぎ尽くされるし、「石膏の壺」は壊されてしまう。しかし、イエス様は、それが「良いことだ」と教えて下さる。良いことには無駄遣いがつきものだと教えて下さるのである。
イエス様のこの言葉には、イエス様自身がご自分を無駄遣いされたという事実が深く横たわっていると思われてならない。イエス様によって選ばれた、わずか12人の弟子たちのなかから裏切り者が出て、12人の全てが十字架にかけられた師を見捨てて逃げ去ったと聖書は記している。イエス様の十字架を喜んだのは、たった一人、イエス様と並んではりつけにされた犯罪人のみであった。しかし、それが貴いと、自らの姿をもって教えて下さったのである。成功や繁栄とは正反対の人生であったが、それに価値があると教えて下さった。『無駄遣いではなかったのか』と自問自答するような生涯こそ貴いとの価値観・人生観が、クリスマスが私たちにもたらして下さったプレゼントなのだと思う。
筑波学園教会牧師 福島 純雄
2015年 12月20日(日)クリスマス礼拝
09:06祈り始めた。「わが神よ、御前に恥じ入るあまり、わたしは顔を上げることができません。わたしたちの罪悪は積み重なって身の丈を越え、罪科は大きく天にまで達しています。 09:07先祖の時代から今日まで、わたしたちは大きな罪科の中にあります。その罪悪のために、わたしたちは王も祭司もこの地の王の支配下に置かれ、剣にかけられ、捕らわれ人となり、略奪され、辱められてきました。今日、御覧のとおりです。 09:08ところが今、ほんの少し前から、わたしたちの神、主の憐れみにより、わたしたちの幾人かが捕囚を免れて生き残り、あなたの聖なる所によりどころを得るようにされました。こうして、わたしたちの神はわたしたちの目に光を与え、奴隷の身にありながらも、わずかに生きる力を授けてくださいました。 09:09まことに、わたしたちは奴隷にされています。しかし、わたしたちの神はわたしたちを奴隷のまま捨て去ることなく、ペルシアの諸王がわたしたちに対して好意を抱くようにし、生きる力を与えてくださいました。こうして、ユダとエルサレムでわたしたちの神の神殿を再建し、廃虚を復興し、城壁を得るようにしてくださいました。
1 8節後半「あなたの聖なる所に・・・生きる力を授けてくださいました」とある。紀元前586年にイスラエル人の国はバビロニアによって滅ぼされた。多くのイスラエル人が約50年間、捕虜としてバビロンに連れて行かれた。その後ペルシャによってバビロニアが滅ぼされ、イスラエル人は故郷へ帰還することが許された。戻ってみると故郷は荒れ果てたまま、財産や田畑は奪われたまま、そこに移り住んだ近隣の人々の妨害もあって、帰還が喜ばれなかったばかりか、生活の再建は遅々として進まなかった。帰還したイスラエル人は、文字通りの意味での「奴隷」ではなかったがが、このような苦境に置かれたという点では、奴隷と言ってもよい状態であった。
そのような境遇ににおいても「生きる力が授けられた」とエズラは言った。聖書の中には「生きる」や「力」という言葉が無数に使われている。「生きる力」という言葉は、もしかしたら、聖書のここだけに登場する言葉ではなかろうか。私は「奴隷の身でありながら生きる力を授かった」という言葉に、とても心を惹かれた。また、「わずかに」という言葉にも心を惹かれた。どうして「大きな」力ではなく、わざわざ「わずかに」とエズラが言ったかについても、心を惹かれた。
では、この「生きる力」は、何処から授かったのか。それは「あなたの聖なる所に、よりどころを得る」とのことである。「あなたの聖なるところ」とは、54年版の聖書では「聖所」と訳されている。具体的には、9節に言及されているところの神殿 - それは帰還した人々によって、幾多の苦労の末に紀元前515年頃に再建された - を指すと考えられる。しかし私は、もっと究極的に「神様の聖」と捉えたい。この神様の聖は、イエス様において目にみえるものとなり、そのことによってこそ、私たちが皆、神様の聖というものを拠り所に出来るようになったのではなかろうか。神様の聖を拠り所とできるようになって、私たちは、もの事や私たち自身の人生を、それまでにはなかった「光」から見られるようになったのであ。このことが、私たちに、奴隷の身ではあっても、わずかな生きる力を授けて下さる。何と恵み深い御言葉であろか。何とクリスマスに与えられるにふさわしい御言葉であろうか。
2.エズラは、自分たちが「奴隷の身」にされたことについて、その理由・原因を語っている(6~7節)。このことが、今の私たちに、どのように重なって来るのかを考えさせられるのである。「私たちの罪悪は積み重なって・・・今日、御覧のとおりであります」とある。その、天にまで積み重なった罪科こそが、イスラエル人をして奴隷の身にさせている原因なのだとエズラは告白している。
私たちも、今この告白をしなければならない者だと、一年の終りにあたり、しみじみ思うのである。この一年、私たちはISと呼ばれる組織の蛮行に心を痛め、そうした世界情勢の激変という理由から、専守防衛という長年の憲法理解が変えられて、集団的自衛権の行使へと足が踏み出されたことに、深い怒りを感じた。しかし、フランスで起きたテロの下、その恐怖の下では、あれほど自由を尊ぶフランス国民でさえも、やすやすと非常事態宣言を受け入れ、ごく僅かな嫌疑を理由として、つぎつぎと人が拘留されることを受け入れた。武器によってテロを起こす勢力を前にして、非武装などということは、世迷い言に過ぎないと、何処かに消し飛んでしまったようである。今日の私たちが奴隷にされている「この地の王の支配」とは、何よりも武力によるものを意味しているのではなかろうか。
一体、このような王の支配を、今日反映させたのは何なのか。何がこれだけの殺戮兵器を全世界へと行き渡らせ、私たちがその奴隷にされるようにしたのであろうか。私は、突き詰めれば、それはエズラが言うところの、私たちの罪科なのだと思うのである。この200年を、私たちはひたすら国家・領土を維持し・拡大し、いちど手に入れた富や豊かさを手放さないように、ひたすら武器を発明し、生産し、それを使用してきたのであった。武器を作りそれを使用することは、実は経済的な豊かさと深く睦び付いていると言われている。6人に1人の子供が貧困状態にあり、また一千万人の高齢者が『下流老人』になるだろうと言われるこの国において、豊かさを維持するためにますます武器の生産や使用に頼らざるを得なくなるような社会が必ずやって来る。それと同時に、ますます武力の脅威が私たちを脅かす時代になって行くであろう。だから、私たちがこの罪科から抜け出すことは容易なことではなく、私たちは当分、これによって奴隷の身にされることから逃れることはできないのではないかと私は思うのである。だからこそ、ここでエズラが「奴隷の身にある」「奴隷にされている」ということを繰り返して、自分たちの逃れることのできない現実であると、しっかりと語る点に、まず心を引き寄せられるのである。
そうであればこその「わずかな」生きる力なのではなかろうか。私たちが授かる力は、この奴隷状態を打ち破ることのできるようなものではないのである。それを一掃して、そこから全面的に解放されることによってもたらさせる力ではない。奴隷状態は長く続くのである。その下で、なお私たちが生き延びて行く力とは、どうしても、わずかなものにならざるを得ないのである。もし大きな力を得ようとするならば、私たちもまた、武器をとって「この地の王の支配」と同じ土俵の上で闘わねばならないであろう。しかし、それでは相手の思うつぼである。ますます武力に支配されることにしかならないのである。であるから、奴隷の身である私たちが、それにもかかわらず、神様からいただく生きて行く力は、わずかな力なのだと心に刻まねばならない。
3.このような生きる力は、神様の聖を拠り所とすることによって得られるとエズラは言う。「神様の聖を拠り所とする」とは、言葉としては簡単だが、実は非常に奥深いことなのだと改めて思わせられる。ヘブル語で「神様の聖」は「カドシュ」である。カドシュそのものを説明することはできない。神様の最も根源的なご性質なので、それを私たちが人間の言葉で解説することは出来ないのである。辞典的に言えば、とても特徴的な定義になってしまう。「触ることができない、近づくことができない、侵すことができない」と私たち人間の側からは「・・・できない」という定義によってしか、説明され得ないのが、このカドシュである。
このように、そもそも神様の聖とは、私たちが近寄ったり触れたりしてはいけないものである。そうしては私たちが滅ぼされてしまうものでしかないので、この神様の聖を拠り所にするなどと言うことは、本来は不可能なことなのである。預言者イザヤが預言者としての召しを受けた有名な場面がイザヤ書6章に書かれている。神様を象徴するセラフィムが神殿の中を飛び回り「聖なるかな・聖なるかな・聖なるかな」と叫ぶ場面である。これを見たイザヤは「災いだ。私は滅ぼされる。私は汚れた者。私の目が主を見た」と言うしかなかった。これこそが、伝統的なイスラエルの人々の神様の聖の受け止め方なのであった。ただただ滅ぼされるしかない、拠り所になどとは、とんでもないことであった。
ところが、イザヤがこう叫ぶと、セラフィムは祭壇から燃え盛る炭火をとってイザヤの口に触れ、こう告げたとある。「これがあなたの口に振れたので、あなたの咎は取り去られ、罪は赦された」と。この出来事こそが、イスラエルの人々にとっては、神様の聖が人に触れ、それを拠り所にして人が新しくされ、新しい使命に生かされて行くということの、決定的な始まりの一つではなかったか、と私は感じた。
4.こうした流れの延長上に、クリスマスの出来事がある。神様の聖が - 本来なら人間が触れることのできない、近付くこともできない神様の聖が -、イエス様において、人として現れたのであった。イエス様を見た者は神様を見たのだと、イエス様に触れた者は神様に触れたのだとヨハネは繰り返し言った。イエス様において、神様の聖が人に近づき人が触れ、人が拠り所とできるものとして現れて下さったのである。イザヤのような特別な人だけではなく、私たちが誰でも神様の聖に触れることができるようになったのである。
神様の聖は、イエス様においてどのように現れたのか。それは、イエス様の誕生 -マリヤの肉体に宿り、ヨセフとマリヤという夫婦の間に生まれた -においてなのである。二人は、聖書には何も書かれてはいないが、いろいろな事情を抱えていたのではなかったかと私は想像する。ローマ皇帝の統治の下、ヘロデ王の支配の下、二人は泊る宿屋もなく家畜小屋でイエス様を産まねばならなかった。これは、多くの事情を抱えて「奴隷」とされている私たちの状況そのものではなかろうか。しかし、神様の聖の現れである聖霊は、このような二人を、そしてマリヤの肉体をお選びになった。神様の聖は、本来ならば決して現れないであろうと考えられていたような境遇に現れたのであった。
「お言葉通りこの身になりますように」とは、マリヤだけではなく、私たち全てのものが口にして良い言葉である。神様の聖がこの身に成るのである。神様の聖がこの身を選んで現れて下さるのである。だとすれば、私たちは、どうしてこの身やこうした境遇を否定する必要があるであろうか。そういう新たな光・視点をもって、奴隷にされているこの身を見ることが出来るのである。それが、「わずか」ではあるが「生きる力」を与えてくれるのである。
イエス様において現れた神様の聖は、これだけに留まらなかった。サマリアで、過去に5人もの男性をとっかえひっかえし、今は6人目の男と一緒に暮らしている女性のところに、旅に疲れたイエス様がやってきて「わたしに水をくれないか」と頼んだ。このような女性たちこそ、到底、神様の聖とは接触できないと見なされていた人々である。その人々は、徴税人や性を売る女性たち、病人や死に行く人々であった。皆、汚れているとされていた人々、呪われているとされていた人々であった。神様の聖とは、最もかけ離れているとされた人々であった。しかし、イエス様はこのような人々と出会い、彼らがイエス様を拠り所として、生きる力を得るようにして下さった。そして、最後には、十字架の上で「わが神、わが神、なにゆえ私をお見捨てになったのですか」と叫ばれた。信仰すらも失ったのではないかと思われるような、最も呪われた人生の最後としての十字架を背負われた。このイエス様を聖なる神様は復活させたのである。十字架の上での死、悲惨さの奴隷とされたイエス様が、神様の聖の現れであることを私たちは知るのである。このような、イエス様に現れた神様の聖を、私たちは拠り所にすることができる。それは、私たちに「目の光」を与えるであろう。また、生きる力を、わずかではあるが、与えて下さるのである。
こうして神様の聖を拠り所として、奴隷の身でありながらも、わずかな生きる力を得たイスラエルの人々は、「神様の神殿を再建し・・・城壁を得るようにして下さい」とある。イエス様に現れた神様の聖を拠り所にする私たちも、二人または三人が集まってイエス様の体である教会を作るのである。教会は、人の集まりであるが故に問題もあり、躓きも生じる。しかし、教会は神様の聖が現れる場所なのである。私は、生まれたときから、父に連れられて教会へ通っていた。その田舎の小さな教会に問題がおこり、役員をしていた父が、長い間、礼拝から離れる姿も見て来た。それでも、教会は神様の聖が現れる場所なのである。本日洗礼を受けて、この教会の枝となられた皆さんも、イエス様と教会において現れる神様の聖を拠り所にして、ほんのわずかでよいから、生きる力を得て生きていって頂きたいと願う。
筑波学園教会牧師 福島 純雄
2015年 12月13日(日)待降節第3主日礼拝
18:09自分は正しい人間だとうぬぼれて、他人を見下している人々に対しても、イエスは次のたとえを話された。 18:10「二人の人が祈るために神殿に上った。一人はファリサイ派の人で、もう一人は徴税人だった。 18:11ファリサイ派の人は立って、心の中でこのように祈った。『神様、わたしはほかの人たちのように、奪い取る者、不正な者、姦通を犯す者でなく、また、この徴税人のような者でもないことを感謝します。 18:12わたしは週に二度断食し、全収入の十分の一を献げています。』 18:13ところが、徴税人は遠くに立って、目を天に上げようともせず、胸を打ちながら言った。『神様、罪人のわたしを憐れんでください。』 18:14言っておくが、義とされて家に帰ったのは、この人であって、あのファリサイ派の人ではない。だれでも高ぶる者は低くされ、へりくだる者は高められる。」
1 18章1節から8節で、イエス様は「やもめと裁判官のたとえ話」を通して、気を落とさずに祈るようにと教えてくださった。そして9節からは、「ファリサイ派の人と徴税人のたとえ」を通して、同じように祈りについて教てくださっている。いずれのたとえ話も、この福音書だけに書かれている。なぜイエス様が祈りについて、こうして重ねて教えたのかは、17章21節にあるイエス様の言葉と深く結びついていると思う。
17書21節でイエス様は、「神の国は、実にあなたがたの間にある、ただ中にある」と言われた。それは、どれほど私たちにとって慰め深い言葉であろうか。神様の支配は、私たちから遥か遠く、かけ離れたところにあるのではなく、私たちのただ中にあるのだと、イエス様は約束して下さったのである。
このような言葉の後に、イエス様は祈りについて教て下さっている。それは、神様の支配は、私たちの祈りにおいてやって来るというメッセージである。一人の未亡人が、人を人とも思わない裁判官に粘り強く働きかけて、その裁判を引き出すことに成功した。恐らくは当時のイスラエルで実際にあったエピソードであろう。そのような裁判官でさえ、この未亡人の訴えに動かされるのであれば、ましてや神様は私たちの祈りにおける訴えを速やかに聞き入れて下さる筈ではないかとイエス様は教えているのである。
祈りによって私たちのところに現れるのは、あくまでも神様の支配であるから、それは神様の御心に相応しいものである。17章21節にも「神の国は見える形では来ない。『ここにある』『あそこにある』と言えるものではない」というイエス様の言葉が書かれている。見える形とは、私たちにとって「あぁ、これが神様の支配の現れなのか」と、すぐに分かるものであろうか。しかし、そういう形では、私たちの祈りが聞かれることは無いのだという。
では、どういう形なのか。具体的な例として、パウロが、その肉体の棘を取り除いてほしいと何度も祈ったことをあげた(コリントの信徒への手紙Ⅱの12章)。その祈りは、パウロの願いどおりにはならなかった。その代わりに、「わたしの力は弱いあなたにこそ十分に現れる」とのイエス様の言葉を通して、パウロが伝道者として歩んでいくためには、弱さこそが不可欠だという御心を示されることによって、彼に対する神様の支配が現れたのである。このように、私たちの祈りや願いどおりに神様の支配が現れるということは無いのである。しかし、私たちの祈りは必ず聞き入れられ、神様の支配が私たちに訪れて来るのである。だから、「気を落とさずに絶えず祈りなさい」と、まずイエス様は教てくださったのである。
2 それは、どういうことなのか。それは私たちの祈りは必ず聞かれるということ、必ずや神様の支配がやってくるということである。それとは逆に、いかに熱心に捧げたとしても、決して聞き入れられることのない、本当に不幸な祈りというものもあるのだということである。そのような不幸は祈りを捧げてしまうことのないようにと、イエス様は教えて下さるのである。
その不幸な祈りとは、一体どのようなものか。9節、「自分は正しい人間だとうぬぼれて、他人を見下している人々」が捧げるところの、具体的には10節以下に書かれている一人のパリサイ派の人が捧げた祈りである。当時のユダヤ人の社会では、模範的な信仰者として、誰からもの尊敬を受けていたのがパリサイ派の人々であった。当然、彼らの捧げる祈りこそが手本となる祈りとして信じられていた。ところが、イエス様はそのようなパリサイ派の人々の祈りを、神様は全くお聞きにならないと言われたのである。
反対に、祈りが聞き入れられたのは、パリサイ派とは正反対の者と見なされていた徴税人の祈りであるとイエス様は言われた。ローマ帝国の手下になった人々から、規定以上の税金を巻きあげて私腹を肥やしていたあいつらの捧げる祈りなど、決して神様は聞き入れないと信じられていた。そういう徴税人の祈りを、神様は聞き入れられ、その祈りにおいて神様の支配は現れるのだとイエス様は言われたのだった。祈りの逆転というべきことが起きてていた。8節までのたとえ話でもそうであった。当時の社会で、誰からも顧みられることの無かった一人の未亡人の訴えを、なぜか傍若無人の裁判官が聞いてくれたように、忌み嫌われていた徴税人の祈りを、神様が聞いて下さるという驚くべき逆転現象をイエス様は話されたのだった。
3.なぜ、このような逆転が起きるのか。8節まで、自分ではもはやどうしようもないトラブルを抱えていた未亡人は、裁判官の裁きを必死になって求めたのだった。その裁きが得られなければどうにもならない困窮を抱えていたのだった。この徴税人も、同様だった。自分の仕事がユダヤ人として決して手を染めてはいけないものだとは分かっていたのであろう。しかし、生活のため、それをやめることはできなかったのである。そのような自分を、ただただ憐れんで欲しい、赦して欲しいと神様に祈るしかなかった。パリサイ派の人々から言わせれば、そんな祈りなど甘えに過ぎない、虫が良すぎる、というものであろう。どんなに辛くとも、きっぱりと徴税の仕事から手を引くべきだと、それが信仰者措置手の生き方だと非難したであろう。徴税人は分かっていたのである。分かってはいたけれども、しかしやめることはできなかった。自分ではどうしようもなかったのである。だから、人間ではなく、ただ神様に祈るしかなかったのである。
このような、自分としては如何ともし難い困窮や問題を抱えて捧げる祈りに対し、自分は正しいとうぬぼれ、他人を見下すパリサイ派の祈りには、何処にも自分自身のやりきれなさのようなものはなかった。おのれのやり切れなさを抱えている人々(奪い取る者、不正な者、姦通を犯す者、徴税人)を次々とやり玉に挙げて、「わたしは(このような)人たちのようなものでないことを感謝します」と祈った。同じ感謝であっても、たとえば「私も、この人たちと同じことをしてしまう、同じ思いを抱いてしまうものです。しかし、あなたのご加護によって、そういない者とされたことを感謝します」と祈るのであれば、まだ神様の支配を必要としている存在だということが分かる祈りであろう。しかし、そうではなかった。彼は、全くの健康人であり、何処にも医者の助けを必要としない強い人間であった。神様の支配などなくとも、十分に自分で自分を律することのできる人であった。残念ながら、このような人がどれほど熱烈に祈りを捧げても、神様はその祈りには応えることはないであろう。何故なら、応える余地が無いのである。神様の支配の必要が無いのである。そのような祈りに、どうして神様は応えることできようか。
4 さて、問題は、このような不幸な祈りを捧げるパリサイ派の人々と私たちが、どのような関係にあるかということである。清水恵三牧師が『イエス様のたとえ話』という本の中で、次のようなことを言っておられる。「このようなパリサイ人や徴税人について、私たちはどう考えるべきでしょうか。少なくとも、いい気になって、このパリサイ人を狂信者と見なしてはならないでしょう。まるで、自分とは似ても似つかない他人であるような言い方は、できないと思います。そればかりか、もっと礼拝を厳守しよう、生活を正くしよう、聖書を読もう、祈りをしよう、献金をしよう・・などと、修養努力するその先に、言わば理想的な人間として描いたものが、パリサイ人の姿に似ていることに気づかなければなりません・・・聖書が、パリサイ人とイエス様との闘いを、繰り返し、これほど記しているのは、それが事実であったというだけでなく、語り伝えていく教会の中に、同じ危険があり、闘いが必要だったからです。まさに、教会の中の、キリスト者の問題だったのです(154頁)」と。
私は、ある人のことを思い起こした。2回ほど礼拝に出席され、また、わたしと個別に何度か会話をなさった。最後は「牧師であるあなたも、教会員も偽善者だ」と言い残して、去っていかれた。偽善者とは、まさにイエス様がパリサイ派の人々に繰り返し浴びせかけた言葉である。そのように言われた部分が、私にあったのではないか、と考えさせられた。私自身は、決して神様の支配なくして、自分が今日あることを得ているとは思っていない。こうして説教を備えられるのも、私自身の祈りとこの教会に集う皆さんの祈りに、神様が応えて下さるが故だと心から思っている。しかし、牧師として、また、信仰者として、その人の前にいた私、あるいは私たちは、余りにも健康的過ぎたのではなかったか。プラスばかりで、少しもマイナスが無かったのではあるまいか。「信仰者として私はこう出来ている」「神様が私をこうあらしめて下さった」と余りにも胸を張って言い過ぎていたのではないか。それは信仰者としての私のよろこびであるのだから、仕方が無いではないかとも思う。しかし、長い間、ひきこもるしかなかったその人、余りにも深いマイナスを抱えたその人にとって、そのような私の姿は、自分は正しいとうぬぼれて、ひたすら自分のプラスの部分を神様に感謝している存在として映ったのではないかと思うのである。彼が私や私たちに望んでいたのは、同じように、どうしようもないマイナスを抱えて、如何なるプラスをも神様に感謝することなどできない、この徴税人のような存在であったのかも知れない。信仰者ゆえに、私たちは、しばしば、徴税人のようなものでなく、パリサイ人のようなものになってしまうということを、イエス様は告げて下さっているのだと思う。
そういうことから、教会の相応しい姿というのは、自分たちでは如何ともできない問題を抱えて、「私たちを憐れんで下さい」と祈るしかないような教会ではないかと思うのである。先日の地区役員研修会で、講師として奉仕下さったある近隣の、別の教派の先生の話には、とても教えられるところが多かった。その先生の話された教会の様子が、ため息が出るほど素晴らしかったので、ある人が少々意地悪な質問を投げかけた。「先生の教会には何か問題はないのですか」と。先生は「うーん、何もないですね」とお答えになった。改めて感じるのは、むしろ問題がある、病んでいて神様の支配を受けねばどうしようもない教会として、こんなことを祈っているのだと言えることこそが、教会として相応しいのかも知れないと深く教えられた。
筑波学園教会牧師 福島 純雄
2015年 12月6日(日)待降節第2主日礼拝
05:20彼らがファラオのもとから退出して来ると、待ち受けていたモーセとアロンに会った。 05:21彼らは、二人に抗議した。「どうか、主があなたたちに現れてお裁きになるように。あなたたちのお陰で、我々はファラオとその家来たちに嫌われてしまった。我々を殺す剣を彼らの手に渡したのと同じです。」 05:22モーセは主のもとに帰って、訴えた。「わが主よ。あなたはなぜ、この民に災いをくだされるのですか。わたしを遣わされたのは、一体なぜですか。 05:23わたしがあなたの御名によって語るため、ファラオのもとに行ってから、彼はますますこの民を苦しめています。それなのに、あなたは御自分の民を全く救い出そうとされません。」 06:01主はモーセに言われた。「今や、あなたは、わたしがファラオにすることを見るであろう。わたしの強い手によって、ファラオはついに彼らを去らせる。わたしの強い手によって、ついに彼らを国から追い出すようになる。」 06:02神はモーセに仰せになった。「わたしは主である。 06:03わたしは、アブラハム、イサク、ヤコブに全能の神として現れたが、主というわたしの名を知らせなかった。 06:04わたしはまた、彼らと契約を立て、彼らが寄留していた寄留地であるカナンの土地を与えると約束した。 06:05わたしはまた、エジプト人の奴隷となっているイスラエルの人々のうめき声を聞き、わたしの契約を思い起こした。 06:06それゆえ、イスラエルの人々に言いなさい。わたしは主である。わたしはエジプトの重労働の下からあなたたちを導き出し、奴隷の身分から救い出す。腕を伸ばし、大いなる審判によってあなたたちを贖う。 06:07そして、わたしはあなたたちをわたしの民とし、わたしはあなたたちの神となる。あなたたちはこうして、わたしがあなたたちの神、主であり、あなたたちをエジプトの重労働の下から導き出すことを知る。 06:08わたしは、アブラハム、イサク、ヤコブに与えると手を上げて誓った土地にあなたたちを導き入れ、その地をあなたたちの所有として与える。わたしは主である。」 06:09モーセは、そのとおりイスラエルの人々に語ったが、彼らは厳しい重労働のため意欲を失って、モーセの言うことを聞こうとはしなかった。 06:10主はモーセに仰せになった。 06:11「エジプトの王ファラオのもとに行って、イスラエルの人々を国から去らせるように説得しなさい。」 06:12モーセは主に訴えた。「御覧のとおり、イスラエルの人々でさえわたしに聞こうとしないのに、どうしてファラオが唇に割礼のないわたしの言うことを聞くでしょうか。」 06:13主はモーセとアロンに語って、イスラエルの人々とエジプトの王ファラオにかかわる命令を与えられた。それは、イスラエルの人々をエジプトの国から導き出せというものであった。
1.モーセとアロンは、エジプト王との謁見を許されて、いよいよイスラエル人についての神様の要求を突き付けた。その要求とは、一言でいえば、「イスラエル人を去らせて神様を礼拝させよ」というものであった。しかし、このような要求をエジプト王は受け入れるわけもなく、自分に対して、そのような大それたことを願った報復として、「これからは藁を自分たちで調達せよ。しかし、焼くレンガの量はこれまでと同じだ」と命令した。イスラエル人は、どうしても藁を調達することができず、命じられた量のレンガを焼くことができなかった。労働監督たちは、イスラエル人を鞭打った。とうとう耐えきれなくなったイスラエル人のリーダーたちは、何とエジプト王に直訴するという非常手段に訴えた。しかし、これもまた、王の聞きいれるところではなく、「この怠け者めが。お前たちは怠け者だから、主に犠牲をささげに行かせて下さいなどと言うのだ。藁はやらない、しかし、決められた量のレンガは焼け」と命じられるばかりであった(5章17節以下)。イスラエル人のリーダーたちは、ここに至って、自分たちがどれ程の苦境に立たされているかを、ひしひしと悟ったのだった。
直訴の成り行きがどうなるかと、固唾をのんでその結果を待っていたモーセとアロンに、彼らは抗議した。「あなたたちのお陰で、我々はファラオとその家来たちに嫌われた。我々を殺す剣を彼らの手に渡したようなものだ」と。これを聞いてたまらず、モーセもまた、神様に抗議するしかなかった。神様からの返事が6章1節以下に書かれている。モーセは、この神様の言葉を、そのままイスラエル人に語った。「厳しい重労働のため意欲を失って、モーセの言うことを聞こうとはしなかった(9節)」と。
2.さて以上から、私たちはどのような励ましや慰めをいただくことができるのか。まず私たちが受け取れるのは、励ましや慰めとは正反対の、私たちの信仰生活における非常に重苦しい現実ではないかと思う。
もしかすれば、モーセとアロン、またイスラエルの人々も、神様の要求をエジプト王がすんなりと呑んでくれるのではないかとの甘い期待を抱いていたのではないかと想像する。さしものエジプト王も、神様という存在からの要求にはあっさりと屈するのではないかと、楽観的な見方をしていたのではなかろうか。ところが事態は予期した方向とは正反対の悪い方向へと向かったのである。「あなたたちのお陰で・・・(5章21節)」と。つまりモーセとアロンを通して、神様などという存在に出会ったばかりに、これまでは苦しいながらも何とか関係を保ってきた王やその家来から、憎まれてしまったのであった。モーセは「一体自分の役割は何なのか」と分からなくなってしまった。王からの厳しい重荷は、イスラエルの人々をして神様の言葉など聞くことのできない状況に追い込んでしまったのである。
このようなことが、私たちの信仰生活にも起こるのではないかと私はしみじみ感じる。もしかすれば私たちも、信仰生活に対して、とても楽観的な甘い期待を抱いているのかも知れない。とくにクリスマスに洗礼を受けようとしている人々は、そうであるかも知れない。神様を信じて生きることは、エジプト王のように色々な重圧をかけて来る存在を、ものともしないで生きられるようになることだと思うも知れない。イエス様に結び付けられたものとは、どのような苦境にも遭わず、また、すぐさまそこから救い出されるのだと期待しているかも知れない。「その通りです」と言えたら、どんなにか楽かと思う。
しかし、残念ながら、信仰生活は、そのようなものではない。信仰生活・教会生活を続けることは本当に難しいものだと。「入るに難しく、出る(離れる)は易い」のが信仰の歩みなのである。そして、その決定的な原因がある。神様・イエス様を信じたお陰で重圧が増してしまうことがある。苦しみが無くならないどころか、ますますそれが強くなることがある。厳しい重労働のために、モーセの言うこと - すなわち、神様の言葉 - が聞けなくなり、礼拝に出席することもままならなくなることも起きるのである。
3.こういうことが信仰生活の現実として起きると聖書に記されているからこそ、それがまた、私たちに励ましを与え、私たちの支えにもなると言えるのではなかろうか。信仰生活は、バラ色だとしか聖書に書かれていないのであれば、私たちがこうした苦境に陥ることはおかしいと思えるし、そんな筈はないとしか言いようがない。しかし、聖書には、この世の王様が支配する世界を、私たちが神様を信じる者として生きるとき、私たちにはこのような苦境に立たされる者なのだと、それは当然のことなのだとはっきり書かれている。それはむしろ、私たちがここに書かれているような苦境に陥ることは信仰者であるが故に当然なのだと胸を張って言えるのではなかろうか。
どうして苦境に立たされることが避けられないのか。21節の「あなたたちのおかげで我々は・・・嫌われてしまった」と訳されている箇所は、原文通りの直訳は「あなたがたは、ファラオやその僕たちの目に、私たちの匂いを臭いものとさせ」となるという。目が匂いを感じるというのはとてもおかしな表現である。ここで言われていることは、モーセやアロンのお陰で、神様に出会ってしまい、エジプト王に「あなたの前を去らせ、神様を礼拝させよ」などと、とんでもない要求を突き付ける羽目に陥ってしまったイスラエル人というのは、エジプト王やその家来たちにとっては、本能的にその臭さが耐えられない、絶対に受け入れ難い臭いを発している存在ということである。ある臭いがどうしても嫌だというのは、本能的直感的なものであって、話し合いをしてお互いに受容できるというようなものではないのである。
エジプト王やその家来たちは、イスラエルの人々の価値を、いかに王や王国のためにどれだけ沢山のレンガを焼けるか、王やお国のために労働できるかで判断していた。しかし、神様は、そのような王の下にある人間を去らせて、神様を礼拝する者、神様に犠牲を捧げる者とさせようとなさった。神様がイスラエル人を見ておられた目は、全くエジプト王とは違っていたのである。これは、エジプト王にとっては許し難いことであった。だから、イスラエル人にこんなことをさせようとなさる神様に出会っているイスラエル人の臭いを、絶対にエジプト王は許さなかったのである。だから、苦しめて、神様から引き離そうとしたのである。「神様を信じて生きることには何の意味もないぞ、メリットなど何もないぞ」と思わせようとしたのであった。
私たちもまた、こうした臭いを発している存在なのではなかろうか。パウロは、私たちが放っている臭い・香りとは「キリストを知る香り」だと言っている(コリントの信徒への手紙Ⅱ 2章14節)。ここで「知る」とは、単に知的な認識を意味しているものではない。もっと深い、人格的なつながりや、夫婦のつながりのような間柄において知ることを意味している。私たちは、生涯の - いや永遠の伴侶として -、人として生まれ十字架の死に至るまで貧しくなって下さったイエス様を、必要だと思っている者である。そういう意味で、イエス様を知り、イエス様と結びつけられた存在として、私たちが放っているキリストの香りがある。その香りは、いかに沢山のレンガを焼き豊かさを手に入れるかを求めている、この世の王やその家来たちにとっては許し難いものである。だから、私たちは苦境に立たされるのである。
4.さて、こうした苦境に立たされたイスラエルの人々に対し、そして、嘆くモーセに対して、神様はどのように対応されたのか。
ここで注目したいのは、モーセは5章22節で「あなたは何故この民に災いを下されるのですか」と嘆いている点である。モーセは、神様がイスラエルの民や自分に対して災いを下されているとうめいた。しかし、これは決して正しい受け止め方ではないと私は思う。直接災いをもたらしているのは、決して神様ではなかった。それは、あくまでエジプト王であった。もちろん、それを良しとされた神様がおられた。しかし、災い自体を神様が下されていたわけではなかったし、神様が直接苦しみを増し加えておられたわけでもなかったのである。信仰者として、苦境に立たされるとき、また苦しみが無くならないとき、私たちは決して、神様がそうしておられるのだと受け取ってはならないのである。そうではなく、まず、それが信仰者として避けられないことであると受け止めることが大切なのである。そしてもう一点、苦しみに遭うことによってのみ成し遂げられていくことがあるという受け止めが必要なのである。だから神様は、すぐに苦しみを私たちから取り去ることをなさらないのである。
6章1節で、神様はモーセに「今や・・・」と告げられた。まだまだ、それが実際に成し遂げられるのは随分先のことである。当分は、苦境の中に置かれるしかない。しかし、苦境の中に置かれたことによって初めて、モーセが神様から与えられたことがある。それが、2節以下に書かれている。聖書学者たちのなかには、ここに書かれているのは、すでに3章・4章に書かれていたことの繰り返しに過ぎないと考える人々がいる。しかし、3章・4章を書いた人々と、6章2節以下を記した人々は、時代の違う著者だと理解する。6章3節に「わたしは・・・主という私の名(原文では、ヤハウエという名前です)を知らせなかった」とある。
私は、ここは単に3章・4章の蒸し返しなどではないと思っている。アブラハム・イサク・ヤコブも「主」と言う名前の神様のことは知っていた。しかし、彼らが決して知ることのできなかった「主」なる神様の姿が、そのときのイスラエル人の前に現れていたのである。また、モーセも、3章・4章では決してわからなかった「主」なる神様と、そのときまさに出会っていたのである。アブラハム・イサク・ヤコブたちも、それぞれ苦境のなかに置かれた。しかし、何百年も王様の下で奴隷として苦しめられたという苦境は体験していなかった。モーセも、まだ3章・4章では、実際に苦境の中に立たされてはいなかった。そういう彼らが、エジプト王という存在によって苦境の下に立たされたとき、「主」という神様がいて下さることの意味を初めて知ることになったのである。長く続く苦境の中に置かれたとき、私たちはそれまでは知らなかった神様に出会うことができるようになる。苦境から解放されることがたとえ実現しなくても、神様が主であって下さることの意味深さが解るようになる。
神様は、ここでは、自身をどういう主であると語られているのか。6節には「わたしは主である。わたしは・・・導き出し、救い出す。贖う」とある。神様が、イスラエル人に為そうとしたことと、エジプト王がイスラエル人に要求したことを較べてみると、王というこの世の主人は、ひたすら、その民に自分のためにレンガを焼き、労働することを求める存在でしかない。しかし、神様は、私たちにそのようなことを一切求めない。重労働を課せられ、奴隷として苦しめられている存在でしかないから、求められたとしても、何も出来ないのである。そのような彼らを、主である神様は、本当に一方的に導き出し、救い出し、あがなって下さる。モーセが語ったこの神様の言葉を、イスラエル人は聞くことができまなかった。では、それによって、この神様のお言葉・約束は無駄になったのか。そうではない。確かに実現していったのである。主なる神様の下に置かれるということは - それを素直に聞くことができないとしても -これほど恵み深いものなのである。
筑波学園教会牧師 福島 純雄
2015年 11月29日(日)待降節第1主日礼拝
06:01では、どういうことになるのか。恵みが増すようにと、罪の中にとどまるべきだろうか。 06:02決してそうではない。罪に対して死んだわたしたちが、どうして、なおも罪の中に生きることができるでしょう。 06:03それともあなたがたは知らないのですか。キリスト・イエスに結ばれるために洗礼を受けたわたしたちが皆、またその死にあずかるために洗礼を受けたことを。 06:04わたしたちは洗礼によってキリストと共に葬られ、その死にあずかるものとなりました。それは、キリストが御父の栄光によって死者の中から復活させられたように、わたしたちも新しい命に生きるためなのです。 06:05もし、わたしたちがキリストと一体になってその死の姿にあやかるならば、その復活の姿にもあやかれるでしょう。 06:06わたしたちの古い自分がキリストと共に十字架につけられたのは、罪に支配された体が滅ぼされ、もはや罪の奴隷にならないためであると知っています。 06:07死んだ者は、罪から解放されています。 06:08わたしたちは、キリストと共に死んだのなら、キリストと共に生きることにもなると信じます。 06:09そして、死者の中から復活させられたキリストはもはや死ぬことがない、と知っています。死は、もはやキリストを支配しません。 06:10キリストが死なれたのは、ただ一度罪に対して死なれたのであり、生きておられるのは、神に対して生きておられるのです。 06:11このように、あなたがたも自分は罪に対して死んでいるが、キリスト・イエスに結ばれて、神に対して生きているのだと考えなさい。 06:12従って、あなたがたの死ぬべき体を罪に支配させて、体の欲望に従うようなことがあってはなりません。 06:13また、あなたがたの五体を不義のための道具として罪に任せてはなりません。かえって、自分自身を死者の中から生き返った者として神に献げ、また、五体を義のための道具として神に献げなさい。 06:14なぜなら、罪は、もはや、あなたがたを支配することはないからです。あなたがたは律法の下ではなく、恵みの下にいるのです。
1.ローマ教会の中に、イエス様をキリストと信じてクリスチャンになった後も、なお律法の行いが不可欠だと主張する人々がいた。その人たちに対し、パウロは「神様に義としていただく(すなわち言い換えれば、神様の支配の下に置いていただく)ためには、律法の行いは不要で、ただイエス様を信じる信仰だけで良い。そのことを何とかして分かって貰いたい。」と、この手紙を書いたのだった。
5章から8章を読むと、パウロが様々な論点から、このことを語ろうとしたことがわかる。アダムとその妻が犯した罪により、私たち全てが汚染され、律法の行いでは罪からの解放にはならないのだと語ったのだった。罪とは何か。それは私たちが土の器であり丸裸であることにとらわれ、神様と等しいものになりあがろうとすることである。また、神様を恐れ、アダムとその妻がエデンの園の木の間に隠れ、また木の葉を腰に巻いたように、この世の様々なものを隠れ蓑としようとすることなのである。であるから、罪からの解放とは、神様によって義としていただくこととは、私たちがたとえ土の器であっても丸裸であっても、生死を神様にゆだね、神様ご自身を隠れ家や『防護服』のようにして生きられるようになることを指すのである。
「それが、律法の行いによって可能ですか」とパウロは問うたのである。「むしろ、律法の行いによっては、ますます神様を怖がるようになってしまうのではないか」とパウロは言うのだった。「律法の行いをパーフェクトに出来なければ、神様は私たちにペナルティを課すのではないか、罰をするのではないか。」それは、神様を、安心して隠れ家とする姿ではないのである。平安がないのである。であるから、神様が遣わして下さったイエス様を愛し、信じると言う間柄において、私たちは神様を安心して隠れ家とし『防護服』のようにでき、そこにこそ罪からの解放があり、神様から義とされる関係が成立するとパウロは教えるのであった。
2.そのように語って、6章1節の「では・・・」との言葉は、またしても、いつもパウロの文章がそうであるように、一読しただけでは、前からのつながりが良く解らないものとなっている。おそらく、パウロの頭の中では、前のところと、こんな風につながっているのだと推測して良いのではなかろうか。
神様に義としていただくには律法の行いは要らない、ただイエス様を信じるだけで良い、というのなら、ではクリスチャンはどんな行いをしても良いのか、問題はないのかという反論が、相手方から聞こえて来るように感じたのである。実際、そのような批判があったのかも知れない。それをほのめかしているのが12節から14節までの文章だと思う。「あなたがたの死ぬべき体を罪に支配させて、体の欲望に従うようなことがあってはなりません・・・」とある。パウロがこういうことをローマ教会の人々に言わねばならなかったというのは、実際にこういうことをしている人々がいたということであろう。
おそらくその人々というのは、ローマ教会の中の、ギリシャ人やローマ人からクリスチャンとなり、律法の行いなど最初から行おうとはまったく考えなかった人々であろう。彼らは、クリスチャンとなった後にも、何らそれ以前の生活と変わりなく、「体の欲望に従う」としか言いようのない、ふしだらな生活をしていたのであろう。そういう人たちは、イエス様を信じるだけでは足りない、なおも律法の行いが不可欠だと主張する人々の格好の批判材料となったのである。「あいつらを見ろよ、イエス様を信じただけでは何ら罪から解放などされていないじゃないか。どうして、あいつらの姿が、罪から解放された者の姿だと言えるのか。反対に、おれたちを見てみよ、律法の行いを真面目にすることで、実際に罪の支配から逃れて、神様の支配下にあるではないか。」こうした批判をする人々への、パウロからの反論の言葉だと考えられる。
同じような批判は、いまイスラムの人々から、とくにヨーロッパの、幼児洗礼だけを受けてはいるが、実際の生活では何ら神様に義とされている生活の有り様がないクリスチャンたちに向けられているのではないかと思うのである。そういう批判が根底にあって、クリスチャンからイスラム教徒になり、過激な思想に染まって行く人々を作り出す土壌に、ヨーロッパがなっているのではないかと思うのである。
先日、小雨が降る夜に、二人の若者が、一人は立って、もう一人は小さなライトを照らして、シルバーのシートを敷いてかがみ込んでいた。私はてっきり自転車の鍵でも倉庫の下に落としたので捜しているのかと思い、「お手伝いしましょうか」と声をかけた。すると立っている若者が「プレイ、プレイング」と言ったのである。とっさにイスラム教徒が祈っているのだと分かった。小雨の降る夜に、外でこうして祈っていた。本当に、それは生きている信仰だと思った。神様の支配の下に生かされている信仰の姿である。少しも現実の中で、クリスチャンになったことが現れていないローマ教会のある信徒たちに対して、律法の行いを日々為している自分たちこそが、本当に神様に義とされている者の姿ではないかという問いかけが、ここにも背後に横たわっているのである。
3. こういう批判に対して、パウロはどのように答えたのか。パウロは、そういう言い方をしているわけではないが、私なりの表現でいえば、彼が言わんとしたのは、こういうことではなかったか。「彼らがそういう生き方をしているのは、イエス様を信じて義とされるという福音が間違っているからではなく、彼らがその福音を、実生活の中にきちんと用いようとしないからなのだ。」と。イエス様を信じて、神様につなげられたということは、決定的に大きなことである。しかし、その事実が、オートマティカルに実生活のなかで、罪から解放され、神様に支配される在り方を生じさせるわけではないのである。イエス様を信じて、神様から義とされたという事実は、絶えず、実際の生活の中で、応用され用いられて行かねばならないものなのである。
では、どういうことを実生活で応用していくのか。パウロは、それを教えるために、3節以下、洗礼と言う事柄をもちだしたのである。6章3節の「あなたがたは知らないのですか」とは、「あなたがたは良く知っているでしょう。知らない人などいないでしょう」というニュアンスである。それは、当時の初代教会で既に、洗礼を受ける人は、必ず「キリスト・イエスに結ばれるために洗礼」という言葉を教えられ、また告白して受洗したからである。
最初には、イエス様に結び付きたいという思いと願いがなければならない。どういう思いかはともかくとして、イエス様に結び付きたいと言う思いがあれば受洗して良いと、私は考える。イエス様に結びつくことを通して、神様に結び付きたいと願うことなのである。この内面の思いがあって、それが外に見える印として、洗礼へと至るのである。内面の思いと外的な印や儀式としての洗礼がどういう関係にあるかは、なかなか難しい神学的な問題ではあるが、私は結婚との比喩が、このことを良く説明してくれると受け止めている。結婚に至るには、まず「この相手と一生と共にしたい、この人が不可欠だ」との思いが先行する。本当にその思いは、私たちがイエス様・神様と一生むすび付きたいと願うのと同じである。この人と一生を共にしたいという思いは、普通は結婚式をあげ、入籍をし、法律上も正式に夫婦として扱われる外的な形をとる。しかし、そういう形を取らない、内縁とか事実婚という形をとる場合もある。信仰も同じである。イエス様と一生を共にしたいと思いつつも、洗礼という外的な形を取らない教派というものも、歴史的に常にある。無教会とかクエーカーとかいう教派がそうである。
では、外的な形をとるメリットは何か。結婚した人に「どうして入籍と言う形をとったのですか」とお尋ねしたところ、「法律上の守りがある」との答えをいただいた。一つの正解である。内的なものは動揺することがある。果たして、自分はイエス様・神様に、これでもつながっているのだろうかと疑ってしまうことがある。夫婦関係も同じである。そのようなとき、外的な印は私たちを励ましてくれる。神様が洗礼ということにおいて、私たちを守ってくれるのである。たとえ自分は揺らいだとしても、神様は洗礼によって、しっかりと私をつなげて下さっていることを確認できるのである。
さて、結婚式をあげました。入籍しました。夫婦になりましたという事実が、だまっていてもオートマティカルに、その効果を生じさせるであろうか。もちろんそういう部分もあるだろうけれども、多くは結婚したというその事実を、いかに当事者が実生活の中で用いて行くかに懸かっているのである。結婚した後でさえ、ローマ教会のある人々がそうであったように、不倫を続け欲望のままに過ごし続けることも可能なのである。しかし、結婚したからには、そのことを実生活にあてはめて、もはや伴侶以外の人とは性的な交わりを持たないと心に決めねばならない。収入は自分のためでけではなく、夫婦・家族のために用いようとしなければならない。洗礼も同じである。信仰において、イエス様に結び付き、その印として洗礼を受けたということも、不断にこれを実生活で応用して行かねばならない。そうしなければ、具体的に罪から解放され、神様の支配の下にあるという生活は実現されて行かないのである。結婚にも契約という側面があり、それを破れば損害賠償しなければならないという側面がある。洗礼にも、同じ側面があることを忘れてはならない。
4.では私たちは、イエス様のどのような点に結びつけられたということを、実生活で応用して行けば良いのか。これまた、結婚のことから考えてみると、独身時代には、自分独りで生計をたてねばならなかった。夫婦となれば、たとえ自分が病気になっても、伴侶が支えてくれるようになる。相手が病気になれば、今度は自分が支える番になる。このように夫婦とされているということは、実生活において絶大な効果を生み出すのである。
パウロは繰り返しくりかえし、「私たちは十字架の上で死に、復活されたイエス様の、その死と生に結び付けられているのだ」と語っている。彼は「そのことを、私たちの実生活で応用しなさい、その効果を味わってみなさい」と言っているのである。
まず、イエス様が十字架の上で苦しみつつ死なれたということを、私たちの実生活にあてはめて行くと、自ずとそこからは、私たちもまた、苦しみつつ死ぬ存在なのだということが、はっきりとした事実として語りかけられていることに気付く。イエス様は、十字架の上で「我が神、わが神、なにゆえ私をお見捨てになったのですか」と叫んだ。しかし、福音書は、このようなイエス様だけを記してはいないのである。このようなイエス様と同時に、「成し遂げられた」姿も記している(ヨハネ19章20節)。十字架の苦しみは、イエス様の人格を破壊することはできなかったのである。神様が、イエス様に与えた使命を成し遂げさせたのである。
このようなイエス様に、私たちは信仰において、また洗礼において、結び付けられて行くのである。その効果は、しっかりとその事実を用いようとするならば絶大なものである。このイエス様が、死の中に置かれるわたしたちを養って下さるであろう。生計が立たなくなった私たちを、このイエス様の「収入」が支えて下さるであろう。夫の者は妻のもの、妻のものは夫のものである。イエス様のものは私たちのもの、私たちのものはイエス様のものなのである。
十字架の上で死んだイエス様に、神様は永遠の命を与えられた。十字架の上で「最後の者-最低の者」されたイエス様に、神様は復活という莫大な賃金を与えて下さったのである。私たちもそのようにされる。このように、イエス様に、結び付けられているという事実は、それを応用していく時に絶大な効果を生み出すのである。私たちを、罪の支配から解き放ち、神様の支配の下に置いて下さるのである。
筑波学園教会牧師 福島 純雄
2015年 11月22日(日)降誕前第5主日礼拝
20:01「天の国は次のようにたとえられる。ある家の主人が、ぶどう園で働く労働者を雇うために、夜明けに出かけて行った。 20:02主人は、一日につき一デナリオンの約束で、労働者をぶどう園に送った。 20:03また、九時ごろ行ってみると、何もしないで広場に立っている人々がいたので、 20:04『あなたたちもぶどう園に行きなさい。ふさわしい賃金を払ってやろう』と言った。 20:05それで、その人たちは出かけて行った。主人は、十二時ごろと三時ごろにまた出て行き、同じようにした。 20:06五時ごろにも行ってみると、ほかの人々が立っていたので、『なぜ、何もしないで一日中ここに立っているのか』と尋ねると、 20:07彼らは、『だれも雇ってくれないのです』と言った。主人は彼らに、『あなたたちもぶどう園に行きなさい』と言った。 20:08夕方になって、ぶどう園の主人は監督に、『労働者たちを呼んで、最後に来た者から始めて、最初に来た者まで順に賃金を払ってやりなさい』と言った。 20:09そこで、五時ごろに雇われた人たちが来て、一デナリオンずつ受け取った。 20:10最初に雇われた人たちが来て、もっと多くもらえるだろうと思っていた。しかし、彼らも一デナリオンずつであった。 20:11それで、受け取ると、主人に不平を言った。 20:12『最後に来たこの連中は、一時間しか働きませんでした。まる一日、暑い中を辛抱して働いたわたしたちと、この連中とを同じ扱いにするとは。』 20:13主人はその一人に答えた。『友よ、あなたに不当なことはしていない。あなたはわたしと一デナリオンの約束をしたではないか。 20:14自分の分を受け取って帰りなさい。わたしはこの最後の者にも、あなたと同じように支払ってやりたいのだ。 20:15自分のものを自分のしたいようにしては、いけないか。それとも、わたしの気前のよさをねたむのか。』 20:16このように、後にいる者が先になり、先にいる者が後になる。」
1.『ブドウ園の労働者のたとえ』というタイトルが付けられた箇所である。「天の国は」と始まっている。天の国とは、死んでから行くとされる、いわゆる天国のことではなくて、神様の支配のことを意味している。分かりやすく言えば、神様とつながって生きる信仰の世界のことである。イエス様は、神様とつながって生かさせていただくことは、あたかも、このたとえ話にあるような実に不思議な主人のいるブドウ園で働かせていただくようなものだと言っている。
さて、これはたとえ話とあるが、- それが何処までかは、人によって受け止め方が違うと思うが - ある程度のところは、当時のイスラエルでよく見られた光景がもとになった話だと考えられる。バークレーは、こんな風に書いている。『このたとえ話は、作り話のように聞こえるが、事実はその反対で、支払いの方法は別として、このようなことはパレスチナで、ある時期によく起こったものである。パレスチナでは、ぶどうが熟すのが9月で、その後ですぐ雨季が来た。雨が降る前にぶどうを採り入れないと、ぶどうは腐ってしまう。そこで一刻を争う収穫期は人手が必要で、一日に1時間しか働けない人でも大歓迎されたのである。(マタイ福音書注解(上)P244)』とある。
バークレーは、夕方5時頃から雇われたということも実際にあったと考えていたようだが、私としては、「それはどうなのか?」と感じる。その人々は、主人から「なぜ何もしないで、一日中ここで立っているのか」と尋ねられて、「だれも雇ってくれないのです」と答えたと6節と7節に書かれている。これは私の想像だが、彼らがなぜ猫の手も借りたいという時期に、誰からも雇ってもらえなかったかと言うと、それは彼らが収穫作業に従事するには適さない事情を抱えていたからではないかと思うのである。山谷や釜ヶ崎でもこういうことが良くあるそうである。若い頃にはバリバリ働くことができた人たちも、高齢になると、誰も雇ってくれなくなる。病気を抱えていたり、障碍を持っていたりということもある。それが、夕方5時になっても、誰も雇ってくれなかったという事情である。
ここまでが実際の光景であり、そこから先は、イエス様が付加された。こうして、誰にも雇ってもらえなかった人々に、この主人は「あなたたちもブドウ園に行きなさい」と言ったという。この主人とは、言うまでもなく神様のことを指している。神様という主人は、誰からも雇ってもらえなかった人々を雇ってくれるのである。そのような人々が働くことのできるブドウ園がある。もっと言えば、その人たちこそが必要とされ、収穫に携わることのできるブドウ園があるということなのである。
さて、一日の仕事が終わり、賃金が支払われる時が来る。これは勿論、到底現実には起こり得なかった奇妙な光景である。神様が主人のブドウ園だけで起こる光景なのである。5時からたった1時間しか働かなかった人々にも、当時の一日分の賃金1デナリが払われたという。それを見て、朝早くから働いた人々は大いに期待したであろう。実際にそのような光景があったとすれば、朝早くから働いた人々には、働いた時間の長さに応じて少しずつおまけが付けられて「また明日もよろしくね」といった感じでねぎらわれると思ったであろう。ところが、このたとえ話では、夕方から働いた者も朝早くから働いた者も、最初の約束通り、1デナリしか支払われなかった。主人は、「この最後の者にもあなたと同じように支払ってやりたい」と言ったのだった。
2.このたとえ話の中心は、神様という主人によって雇われる不思議さ・恵みというものが語られている点にある。他方では、この世の主人によってこの世のブドウ園で働かされている、私たちの様子というものも描かれているのだと感じる。そのこととの対照で、神様を主人とするブドウ園で雇ってもらえることの素晴らしさが際立たせられている。
この世の主人のもとで働かされている私たちの姿が何より象徴的に浮かび上がっているのは、やはり「誰も雇ってくれないのです」という言葉である。誰も雇ってくれないというのは、単に仕事がない、ゆえに収入を得られないというだけの問題ではなかったと思う。それは突き詰めれば、そういう主人が治めている社会においては、もうその人は必要ない、役に立たない存在だという烙印が押されていることを意味しているのではないだろうか。
『イスラム国』のメンバーであるだろう人々が引き起こしたテロが、日々報道されている。最後には自爆テロで自分の命を失わせてしまうような残虐な組織に、どうして若者が惹きつけられてしまうのか、いろいろな理由があるだろう。その一つは、その組織が彼らを『雇ってくれる』からなのだと思う。雇うとは、単に仕事やお金ということではなく、もっと突き詰めて、彼らを必要とし彼らに役割を与えてやれるということである。もちろん、その必要や役割とは、まったく間違ったものである。しかし、通常の世界では誰も雇ってくれず必要とはしてくれないなかで、少なくともあの組織は、彼らを必要とし、‐ たとえ間違っているとしても、- 無くてはならぬ役割を与えているのは、確かなのである。通常の世界では、誰からも必要とされない人々が、通常の世界とは真逆の価値観や目的を掲げる、いわゆる反社会的な組織によって『雇われ』、必要とされているということが良くあるのだ。
説教の準備をしていて、ふと思い出したことがあった。確か2年ほど前に、茨城地区の社会部でお呼びしたFVI - その団体の役員を私はしている - の方から聞いた話である。そのスタッフが、或る世界的な会合で聞いた講演の内容である。電話でその方に確認した。講演をなさったのは台湾におられる宣教師で、こんなお話をされたという。
「皆さん、私の国には実に素晴らしい団体があります。それは、親がなく、町中でうろついている子供たちを保護して、親に代って愛情をもって育て、彼らが必要で、無くてはならない存在だとの思いを、小さい頃から育みます。成長すれば、実際に彼らに無くてはならぬ役割を与えて、彼らは喜んでそれを果たすのです。素晴らしい組織でしょう。」と。聞いている人たちが「本当にそうだ。素晴らしい」と頷いたところで、講演者は「その組織とはヤクザです(台湾マフィアと言うのでしょうか)」と言った。その宣教師は教会に対する問いかけとして、このことを話したのだそうである。教会は果たしてそのような子供たちを『雇う』ことができているのかと。彼は2002年からそうした子供たちを引き取って、保護し始めて、子どもたちは、そろそろ大学生になり始めているとのことである。とにかく、いまの社会では、雇ってもらえず必要ともされない、そういう人々が本当に沢山いるのである。
もう一つ、この世の主人が治めているブドウ園の特色は、そこで支払われる報酬が働いた時間の長さ、或いは、生み出した成果・利益に比例するという点である。今や、教会にさえこの成果主義というものが入り込んでいる。先週、教団の教師委員として私の母校である東京神学大学と農村伝道神学校を訪問した。そこで先生たちが語っていたのは、異口同音に、牧師たちが疲弊していて、牧会を続けられない牧師たちがつぎからつぎへと出ているという問題であった。なぜ、そうなるのか。それは、牧師たちに与えられる評価の低さからなのである。もはや、教勢が右肩上がりの時代ではあり得ない。誠心誠意、牧会に取り組んでも、教勢は下がる一方である。そのような中で、牧師たちに向けられる評価の物差しは、ますます成果主義となっている。今の社会がそうなのだ。成果主義の社会の中で、自分たちも苦労しているのだから、牧師も同じように苦労するのは当然だとされるのである。
3.以上のような、この世の主人が治めるブドウ園の有り様に対して、神様が主人であって下さるブドウ園の対照的な様子が語られている。世のブドウ園では雇ってもらえず、必要ともされない人々に、神様は「あなたたちこそ働くことのできるブドウ園があるから、行きなさい」と言って下さるのである。もっと言えば、「あなたたちのような者こそが、収穫に携わることのできるブドウ園なのだ。あなたたちでなければ、そこにブドウがあると分かり、収穫することのできない不思議なブドウ園なのだ」とさえ言われていると私は示される。
その不思議なブドウ園とは一体何か、何処にあるものなのか。「わたしはブドウの木」とイエス様が言われたのを思い起こす。では、イエス様はどんなブドウの木であり、ブドウ園なのか。このたとえ話はマタイによる福音書だけに書かれたものであるが、直後に、マタイはわざわざ、イエス様が三度目に自分の受難と復活を予告された場面を置いた。21章からは、いよいよエルサレムに入るシーンが始まる。このような書き方をしたマタイは、明らかに、この不思議なブドウ園とはイエス様の受難と復活というブドウの木が茂っているところなのだと伝えようとしたと私は捉える。
そもそも『誰も雇ってくれない』人とは、この世の主人が治める世界では誰からも必要とされない人とは、他でもない十字架の上で殺されたイエス様のことをこそ指しているのだと思う。そうだとすれば、このイエス様というブドウの木から、美味しいブドウの実を収穫できるのは誰なのか。ブドウを収穫し、さらにそこからおいしいブドウ酒をつくることのできる職人は、誰なのか。それは、この世の主人から喜んで雇って貰えるところの、成果主義に応えられる人ではない。そういう人は、誰からも雇ってもらえず十字架の上で殺されたイエス様がブドウの木だとは分からないであろう。誰からも雇ってもらえないという、その辛さを抱えた人こそが、誰からも必要とされなかった十字架のイエス様がブドウの木だと分かるのである。そこから収穫できる人々なのである。収穫したイエス様を、美味しいブドウ酒に発酵させることのできる職人となれる。それが、この世では誰からも雇ってもらえない人に、神様が託した役割である。その人だけが果たすことのできる役割である。
いま、私たちの教会に、少しずつ、この世というブドウ園では雇ってもらえない人々 - そう言いきってしまっては語弊があるかも知ないが- 集うようになっていることは、本当に嬉しいことである。仕事を辞めることになって、今は年金をいただいて生計を立てておられる人が、先日の聖書研究祈祷会で証しをして下さった。ある少年がイエス様に5つのパンと2匹の魚を差し出して、イエス様がそれを喜んでお受け取りになって、祝福して豊かに用いられたことを引用されて、「わたしの差し出せるものも、そのように少ないけれども、イエス様は喜んで受け取って下さる。生きていることが、かつてのように、苦しみではなくなった。喜びとなった」と語って下さった。この人も、ある意味では、誰からも雇ってもらえない状態になって初めて、イエス様がブドウ園であることが解ったのである。そして、私たち以上に、イエス様から、素晴らしいブドウの実を収穫し、それを発酵させて、福音を伝えて下さっているのだと思うのである。
こうしてイエス様を収穫するブドウ園に雇われた人には、不思議な報酬が支払われることが書かれている。この世の雇い入れに於ける支払いの原則が成果主義であるのに対して、神様のブドウ園への雇い入れでは「この最後の者にも同じように支払ってやりたい」ということが原則なのである。「最後の者にも」が神様の支払いの原則なのである。「最後の者」とは、やはり十字架の上で殺されたイエス様のことを指していると思う。最低の存在、誰からも祝福されない存在、と言う意味である。しかし、そのイエス様に、神様は復活という素晴らしい報酬をお与えになった。私たちも、『最後の者』とされた時に、きっとイエス様というブドウ園に雇われたことにより、どれほど素晴らしい報酬が与えられているかが、ますます分かるようになるであろう。
筑波学園教会牧師 福島 純雄
2015年 11月15日(日)降誕前第6主日礼拝
18:01イエスは、気を落とさずに絶えず祈らなければならないことを教えるために、弟子たちにたとえを話された。 18:02「ある町に、神を畏れず人を人とも思わない裁判官がいた。 18:03ところが、その町に一人のやもめがいて、裁判官のところに来ては、『相手を裁いて、わたしを守ってください』と言っていた。 18:04裁判官は、しばらくの間は取り合おうとしなかった。しかし、その後に考えた。『自分は神など畏れないし、人を人とも思わない。 18:05しかし、あのやもめは、うるさくてかなわないから、彼女のために裁判をしてやろう。さもないと、ひっきりなしにやって来て、わたしをさんざんな目に遭わすにちがいない。』」 18:06それから、主は言われた。「この不正な裁判官の言いぐさを聞きなさい。 18:07まして神は、昼も夜も叫び求めている選ばれた人たちのために裁きを行わずに、彼らをいつまでもほうっておかれることがあろうか。 18:08言っておくが、神は速やかに裁いてくださる。しかし、人の子が来るとき、果たして地上に信仰を見いだすだろうか。」
1.ルカによる福音書17章21節のイエス様の言葉「実に、神の国はあなたがたの間にある(1954年版の新約聖書では『実にあなたがたのただ中にある』)」は、この福音書だけに記されている「神の国(それは神様の支配という意味)」に関するイエス様の独特な言葉である。
ファリサイ人をはじめとして、イエス様の弟子たちを含む当時の殆どのユダヤ人は、神の国というものを次のようなものとして捉えていた。すなわち、「自分たちに圧制を敷いているローマ帝国が蹴散らされて、かつてのダビデやソロモンが建てていたような王国が再び建てられることだ」と。それはまた、この福音書の書かれた時代の人々もまた同じだったのだと思われる。その年代は正確には分かっていないが、ローマ帝国によってエルサレムが破壊され、住んでいたユダヤ人があちこちに散らばることを余儀なくされた。そうした自分たちの置かれた辛い状況のこともあって、この福音書の著者ルカが記した使徒言行録に明らかなように、ユダヤ人は自らの内側に生まれた『分派・異端』とも言えるいクリスチャンに対して、厳しい態度をとるようになった。加えて、ローマ帝国からの迫害の兆しも見え始めていた頃なのであろう。そうした状況にあって、クリスチャンもまた、自ずから、「神の支配」というものを、そうした迫害がなくなるということの中に求めるようになっていたのも当然であろう。
17章20節の「神の国はいつ来るのか」というファリサイ派の人々からのイエス様への質問は、こうした人々の切なる気持ちと願いを代弁したものなのであった。それに対して、ルカはイエス様の言葉として「神の国はあなたがたのただ中にある」と言われたのである。「神様の支配は、あなたがたが願い求めているような形では来ないのだよ」「そこにある、あそこにあると客観的で大々的に目に見える形では到来しない」と。「あなたがたのただ中に」とは、神様を信じイエス様を信じる「信仰の中に」という意味である。また、イエス様を信じる者たちが、たった二人でも三人でも集まる「中に」という意味でもある。とにかく、イエス様は、他のどんなところでもなく、私たちとかけ離れた外や、はるか遠くではなく、目には見えないかも知れないが、私たちのただ中に神様の支配は生じると言ってくださった。これは、どれほど私たちにとって慰め深い御言葉であろうか。
2.こうしたイエス様の言葉の直ぐ後に続く、このたとえ話もまた、ルカだけが記したものである。このような配置の仕方には、ルカのイエス様の言葉の受け止め方、そして信仰が込められている。私は、それを理解するためには「神の国はあなたがたのただ中にある」というイエス様の言葉と切り離すことはできないと思う。
それでは、このようにエピソードを配置したルカの意図はどこにあったのか。彼が伝えたいと考えていたイエス様のメッセージとは如何なるものであったのか。それは、一言で言うならば、「神の国が私たちのただ中にあるとは、祈りにおいてである」ということである。それは「祈りにおいて、神様の支配は、私たちのただ中に到来するのだ」というメッセージである。「神の国が来るために、私たちには祈るという手段が与えられているという幸いを思いなさい」との語りかけである。
だから、まず「気を落とさずに」と語られている。この福音書が書かれた時代には、クリスチャンに対するユダヤ人からの迫害があり、またローマ帝国からの迫害が始まりつつあって、「どこに神の支配などあるのか」と気を落としてしまう多くのクリスチャンがいた。そのような仲間に対して、ルカはイエス様の言葉を語りかけたのだった。「気を落としてはならない。神の国は必ず私たちのもとに到来する。その手段として、神様は祈るということを、私たちにお与えになって下さったのだ」と。
3.さて、「祈りにおいて私たちに神様の支配がやって来るのだ」とイエス様は言われたのだが、その点について、改めて考えさせられたことがあった。
よく祈りについて次のような疑問が、それはひとことで言えば「祈りの空しさ」というようなことが言われる。祈っても、祈っても叶えられないことがしばしばである。「祈りとは、単に独りごとのようなものではないのか。いや、そもそも祈る相手としての神という存在も、人間が作り出した空想や幻想のようなものであって、そんな相手にどんなに祈ったとしても、それは聞かれない。所詮は独り言なのだから。だからこそ、祈りが聞かれるということはないし、神の確かな支配などというものが実現する筈もない。」このような非常に深刻な問いかけが為されるのである。
現在行っている受洗準備会でも、これに類した疑問を最初に取り上げた。「神は妄想ではないか」、「神とは、人間がその願望や欲望が作り出した幻想に過ぎない」ということは、本当に昔からある無神論である。「貧しい人は豊かになりたいという願望から、豊かさを与えてくれる存在を神として作り上げ信じるのだ。弱い人は強くなりたいとの欲望から、力をくれる存在を神にするのだ。信仰とは、人間がその欲望によって作り出した幻影を信じ、祈りとはその対象に向かって語りかけることに過ぎない。」と無神論者は主張する。
受洗準備会の初めに、私は「洗礼とは、イエス様に結びつくことであり、イエス様に結びつくことを通して神様に繋がりたい - それは言葉を変えたの神の支配を意味する - と願うなら、洗礼を受けてもよいのです」話した。しかし、もし私たちの抱く「神と結びつきたい」という願いが、私たちの抱く勝手な欲望や願望によって作り出した幻影に過ぎない存在に結び付きたいと思うものであり、祈りが、そのような幻への語りかけであるとするなら、これほど馬鹿げたことはないであろう。私たちは、このような無神論に対して、明確な反論が出来なければならない。
そこで、受洗準備会で私は、つぎのような話をした。「もし、私たちの信仰が、私たち自身の抱く欲望や願望が作り出した幻影に対するものだとすれば、信じれば信じるほど、私たちの欲望や願望はどんどん肥大化していくことになるでしょう。肥大化した欲望は、私たちをどんどん暴走させてしまうようになるでしょう。麻薬や覚せい剤は、まさしくそうした幻覚を作り出し、その人の内側から作り出された幻想がその人を支配してしまうようになります。その行き着くところは、人格の崩壊です。欲望に突き動かされて、どんな犯罪にも手を染めてしまうようになります。」と。
私たちの信仰とはそういうものであろうか。私たちが神様を信じ、その支配の下に生き、神様に結びついて生きたいと願うことは、私たちの人格を崩壊させてしまうのであろうか。もちろん、そのような結果を生み出す間違った信仰も残念ながらある。しかし、真の神とは、そうではない。イエス様は繰り返し「神は私たちを裁いて下さる」と言って下さっている。裁くとは、神様が神様だけの持っておられるその聖なる性質によって、私たちを支配し導いて下さるという意味である。だとすれば、その支配は、私たちを聖なるものとして下さるであろう。私たちを、神様に似た者としてくださる。信仰生活や祈りの歩みは、私たちをそのような者としてくださる。そのことは、私たちが信じ祈る相手は幻想ではないということの証拠ではなかろうか。私たちが、私たちの外側に確かに存在される神様の支配に導かれて生かされているということの現れではなかろうか。祈りとは、私たちを、この神様の支配の下に置いてくださる手段なのである。無くてはならぬよすがなのである。
4.神様の支配を導く手段として、私たちには祈りが与えられているという喜びを教えてくださるために、イエス様は2節以下のたとえ話を語ったのである。これは、たとえ話というよりも、もしかすれば、当時実際に起きたエピソードであったかも知れないと私は想像するのである。
注意しなければならないのは、この「神をおそれず、人を人とも思わない裁判官」が「うるさくてかなわない」からと、この一人のやもめの要望を聞いてやったというたとえ話を、そのまま神様や祈りについて重ねてはいけないということである。そこにポイントを置いてはいけないのである。それでは、祈りとは神様を「うるさくてかなわない」と思わせて、神様を根負けさせて、私たちの願望を神様にかなえさえる手段ということになってしまう。イエス様の意図は、決してそのようなことではない。
ポイントは何処にあるのか。徐々に見えてきた。それは、何よりも、たった一人のやもめが、この裁判官に立ち向かい、おそらく何らかの不正を働いている「相手」への裁判を引き出したという点にあるのだと思う。イエス様は、私たちにこう語りかけている。「彼女のような者でも、置かれた状況をただ黙って受け入れるのではなく、果敢に立ち向かい、それを変えて行くことができたではないか。あなたがたも、彼女を見習いなさい」とイエス様は言われているのである。イエス様は、そのことによって、人々を励まそうとされたのである。「困難な境遇に置かれているあなたがたも、まさにこのたった一人のやもめと同じだ。迫害するユダヤ人やローマ帝国に立ち向かわなければならない。そして、彼女がしたようにに、あなたがたも同じことが出来るのだ。その手段こそ祈りなのだ。神様は、決してこの裁判官のようではない。しかし、この裁判官でさえ、このやもめの願いを聞いてやったのだから『まして神は・・・彼らをいつまでも放っておかれる筈があろうか。神は速やかにさばいて下さる』のだ。気落ちしてしまうような状況に立ち向かい、神様がそこに介入して下さるようになる。それを来たらすことのできるものが祷りなのだ。」と。
5.それでは、祈りにおいて、どのように神様の裁きが速やかに現れるというのであろうか。17章20節以下の言葉から言えば、その速やかな裁きとは「ここにある。あそこにあると言えるものではない。」である。私たちが願うような目に見える方で、「ほら、そこに神様のお裁きがある」と言えるような形で現れるものではないのである。しかし、祈りにおいて、祈りに応えて、神様はその裁きを速やかにしてくださる。その裁きの速やかな現れは何かということを深く考えたいと思う。
祈りは、どうしても、先ず、私たちの内側の願いを、神様に訴えることから始まる。ゲッセマネのイエス様の祈りでさえも、「この杯 - 十字架の苦難 -を取りのけてください(ルカによる福音書22章42節)」から始まった。肉体の棘を与えられたパウロの祈りも「それを取り去って下さい(コリントの信徒への手紙Ⅱ12章8節)」と何度も何度も祈ることから始まった。だから私たちの祈りも、そのようなものであってよいのである。
しかし、絶えず祈る中で、その祈りは、おのずから変化をして行かざるを得ない。祈りは、神様の御心であり支配であると同時に、私たちの願いと支配との相互作用である。相互作用であるから、その中で、おのずと、私たちの祈りも変わって行かざるを得ないのである。その変化こそが、まず「速やかな神の裁きの現れ」なのだと私は思う。神様の裁きは、私たちの願いに介入する。その結果として、パウロは取り除いてほしいと願った弱さを誇ると言えるようになったのである。肉体の棘を取り去って欲しいとの最初の願いはかなえられなかった。そういう形で神様の支配、すなわち裁きは現れないのである。しかし、肉体の棘という弱さの見方、その受け止め方は、絶えず祈って行く途中で確実に変えられて行くのである。ここにこそ、神様の速やかな裁きというものがある。このようにして、私たちは祈りによって、このやもめのように、困難な状況を諦めず立ち向かっていけるのである。神様の裁きを観ることができるのである。
筑波学園教会牧師 福島 純雄
2015年 11月8日(日)降誕前第7主日礼拝
05:01その後、モーセとアロンはファラオのもとに出かけて行き、言った。「イスラエルの神、主がこう言われました。『わたしの民を去らせて、荒れ野でわたしのために祭りを行わせなさい』と。」 05:02ファラオは、「主とは一体何者なのか。どうして、その言うことをわたしが聞いて、イスラエルを去らせねばならないのか。わたしは主など知らないし、イスラエルを去らせはしない」と答えた。 05:03二人は言った。「ヘブライ人の神がわたしたちに出現されました。どうか、三日の道のりを荒れ野に行かせて、わたしたちの神、主に犠牲をささげさせてください。そうしないと、神はきっと疫病か剣でわたしたちを滅ぼされるでしょう。」 05:04エジプト王は彼らに命じた。「モーセとアロン、お前たちはなぜ彼らを仕事から引き離そうとするのだ。お前たちも自分の労働に戻るがよい。」 05:05ファラオは更に、言った。「この国にいる者の数が増えているのに、お前たちは彼らに労働をやめさせようとするのか。」 05:06ファラオはその日、民を追い使う者と下役の者に命じた。 05:07「これからは、今までのように、彼らにれんがを作るためのわらを与えるな。わらは自分たちで集めさせよ。 05:08しかも、今まで彼らが作ってきた同じれんがの数量を課し、減らしてはならない。彼らは怠け者なのだ。だから、自分たちの神に犠牲をささげに行かせてくれなどと叫ぶのだ。 05:09この者たちは、仕事をきつくすれば、偽りの言葉に心を寄せることはなくなるだろう。」
1.この箇所は、長い神様との対話(3章と4章)を終えたモーセが、兄アロンと共に、いよいよエジプトの王様と初めて対峙をする場面が記されたところである。いつの時代の何という王様なのかは定かでないが、おおよそ今から3500年前、紀元前の1500年前後のこととされている。その時代の世界がどうであったかといことも定かではない。このエジプトの国が当時の世界では最も強力な力を持った王国であり、その王は絶大な権力を持っていた人物であったことは間違いないであろう。こうした王に、80歳を越えた2人の老人が、奴隷でしかなかったイスラエル人を代表して対峙した場面である。40年前、モーセはエジプト人を殺したお尋ね者となった。普通なら到底、王に謁見などできない立場、会おうとした瞬間に捕まってしまうような立場だったはずである。そのようなモーセが王との謁見を許されたのは、かつてモーセが王女の子供として育てられたということが、この王の耳に入り、興味を抱いた王が、話のついでに会ってみようと思った程度のことだったのかもしれない。
こうして王と奴隷の代表である2人の老人の対面が実現した。この対峙のシーンは、いつの時代社会でも、私たち信仰者が体験をしなければならない場面を表していると思うのである。ここには、決して交じり合うことのない、また決して理解し合うことのない対照的な二者がぶつかりあっているのである。「たとえ王様であっても、そのように私たち信仰者が対決しなければならない相手として見るのは良くない、もう少し穏便に穏やかに見なければ・・・」という方もいるかも知れません。しかし、そのような穏やかな受け止め方は、事の本質を見誤っていると私は思う。ローマの信徒への手紙の12章2節に「あなたがたは、この世と妥協してはならない(54年訳)」とある。私たち信仰者が決して妥協してはならないし、交り合うことのできない相手が、この世には居るのである。それを、このエジプト王が象徴的に表している。
2.いま私たちは、毎週水曜日の聖書研究祈祷会で、旧約聖書のネヘミヤ記を学んでいる。イスラエルの国が紀元前の586年にバビロニアによって滅ぼされて以来、その首都であったエルサレムは、なかなか再建がかなわず、瓦礫の山になっていたようである。それに心を痛めたネヘミヤ(彼は、バビロニアを滅ぼしたペルシャの王の毒見役側近だった)は、紀元前の450年頃に、育ったことも暮らしたこともないエルサレムの城壁の再建に乗り出した。ところが、それが始まると、近隣の諸民族は、こぞって城壁再建を妨害し始めた。ネヘミヤたちは、片手に作業道具、もう一方には武器を持って、昼夜警戒態勢を捕らえざるを得なかった。
城壁再建とは言っても、わずか周囲5キロくらいの小さな砦の周囲である。それが再建されたからと言って、かつてのダビデ王やソロモン王の王国が再建されるわけではない。パレスチナを治める支配権は、なおペルシャ王から選ばれた近隣の総督たちが握っていた。何故そのように妨害する必要があったのか。何を怖がって、そうしたのか。
それは、どんな小さな領域であっても、自分たちが支配する中に、イスラエル人が神様を礼拝するエリアができるということを許せなかったからである。この地域は、もちろんエジプトに近く、その価値観や生活スタイルを共有していたはずである。エジプト王が持っていて、モーセとアロンに押しつけた価値観を、近隣の諸民族もまた、共通して持っていた筈なのである。そういう中に、城壁に囲まれた「主なる神」を信じる礼拝共同体が建てられることは、全く違う価値観を持った人々が暮らす、全く異質なエリアができるということなのである。それは、近隣の人々にとって放置できないことであった。だから、たかが5キロ四方の領域であろうとも、しゃかりきになって潰そうとしたのだった。これが、いつの時代社会でも、私たち信仰者に、周囲の人々が為そうとすることの本質なのである。これを見誤ってはならない。
イスラエルの人々が、エルサレムの城壁を再建しようとしたということは、私たちにとっては礼拝共同体を建てて、このつくばに、そういう意味でも聖なる領域を建てることを意味している。人口の割合からすれば僅か1%にもならない私たちクリスチャンが、礼拝共同体を建てることなど、周囲の人々にとっては、何程のものでもないであろう。しかし、それは、或る者たちにとっては、許し難いことなのである。私たちは、エジプト王にモーセとアロンが対峙したのと同じように、こうした或る者たちに対峙しているのである。彼らは常に、私たちが礼拝共同体を建てることへの妨害を計画している。私たち信仰者は、それに対し常に警戒を怠ってはならないのである。
3.それでは、まず、一体エジプト王とは、どのような存在なのか。如何なる価値観を抱き、それをモーセとアロンに押し付けて来たのか。それが如実に表れているのは4節以下である。奴隷であったイスラエル民族を自分のもとから去らせよと言ったとある。王がこのように言ったのは当たり前のことであろう。「お前たちはなぜ・・・自分の労働にもどるがよい」と言った。生意気な要求をして来る奴らには、レンガを作る時に無くてはならない材料であるワラを与えず、それでもレンガの生産量は減らすなと言った。それに不満を言って来る奴らには、単に怠け者なのだと言ったのである。
王が如何なる価値観を抱いていたかは、くどくどと言う必要はないであろう。王の言葉には、何度も何度も、「労働・仕事・レンガを作れ」という言葉が出て来る。王の抱いていた価値観とは、要は、王のために、また王国のためにレンガを焼け、働け、労働せよということに他ならなかったのである。奴隷だから当然と言えば当然だが、王はイスラエル人という存在を、そういう存在としてしか見ていなかったのである。人間の価値は、王のため国家のためにレンガを焼く労働がどれ位できるのかによってのみ計っていたのである。
いつの時代社会においても、突き詰めれば、このような王が私たちを支配しようとしているのだと思う。そういう見方は大げさであろうか。私たちはもはや、そのような王には支配されてはいないと言えようか。違う価値観のもとに生きることができているであろうか。2週間ほど前、いま働く人が二極化しているとの特集番組があった。正確な記憶ではないかも知れないが、かたや働く人の三人に一人が非正規雇用であり、その年収はせいぜい300万円にも満たない程度だと報じられていた。仕事を2つも3つも掛け持ちして、それでもまともな生活ができないという。こなた、正規雇用の人々には過労死するほどの長時間労働が課されているのである。労働の形態は全く違うが、ここには、レンガを焼く(働く)ということにしか生きる価値を見いださせようとしない、見えざる王の支配というものがあるように私は思う。
先々週の月曜日に横浜で、土曜日には上尾で行われた会議に出席した。行き帰りの駅の電光掲示板には、一度ならず「人身事故」のニュースが当たり前のように流れていた。どうして、これほどの人が、なお自ら命を断たねばならないのか。それは、レンガを焼くことのみが、人間の価値を計る単位地の物差しになっていることが決定的に大きいと私は思うのである。「働けないのは怠け者だ。この国にとって役に立たない存在だ。王や国家のため(あなたに対して力を持っている家族や職場の上司や雇用主のため)、出来るだけ多くのレンガを焼ける者が価値の高い人間だ。」という価値観のもとに、生きることが、いつの間にか「労働=苦役」となるのである。生きることが苦役なら、そんな人生など一刻も早く終止符を打った方がよいのではないか。
4.このようなエジプト王に、モーセとアロンは対峙したのであった。それは、私たちに、どのようにしてこのような王に、また社会に対決したら良いかを教えて下さるものである。
3章と4章で、神様がモーセに、王の前に立ったら開口一番こう言えと告げられたことを、2人は忠実に告げた。この言葉は本当に驚きである。何が私たちを、このような王に対して立ち向かわせてくれる原点なのかを、教えてくれている。神様は2人に、王に対して、たとえば「労働条件を緩くしてくれ」とか、「報酬をあげてくれ」などと、労働組合の交渉のようなことを言わしめたのではなかった。
そうではなく、まず2人は、「イスラエルの神、主がこう言われました(1節)」と言い、「ヘブライ人の神が私たちに出現(してこう言われ)ました(3節)」と言ったのだった。この世の王に対して、先ずはっきりと、この世の王ではなく「神」に出会い、その神に促され背中を押された者として、私はあなたに対峙していることを告げたのである。これこそが、私たちをして、エジプト王のような存在に立ち向かわせる原点となる。これ以外の拠り所はないのである。
では、神様は、エジプト王に対して何を突き付けよ要求せよと言われたのか。1節に「わたしの民を去らせて、荒れ野でわたしのために祭りを行わせなさい」とある。私はヘブル語については全く素人だが、原文通りには「わたしの民を去らせて、荒れ野でわたしに向かっての巡礼をさせよ」と訳すことができるそうである。3節にも共通するのは、とにかく荒れ野へ行かせよと神様は要求さたのである。荒れ野、それはレンガを焼く材料も何もない、労働など全く不可能な場所である。王や国家のために労働するという価値観が全く存在しない場所が荒れ野なのである。
私たち一人ひとりにとって、こういう荒れ野があることに思い当たるのではなかろうか。たとえば、病気になり事故に遭い、入院を余儀なくされたということ。或いは、震災や豪雨被害にあったということ。そこでは、もはや誰も私たちに仕事を求める者はいないのである。仕事のできなくなったお前にはもう価値がないとの声は、なお聞こえて来るかもしれない。しかし、少なくとも、あからさまではないであろう。そこには王はいない。神様は私たちを、そういう形で荒れ野へと導いて、違う価値観を抱けるようにして下さるのだと思う。
荒れ野で巡礼をするとはどういうことか。今でも、イスラエルの人々は聖地への巡礼を欠かすことがないそうである。お金もかかるであろうし、事故にも遭うかもしれない。それでも彼らが巡礼をするのは何故なのか。正確な書名は忘れてしまったが、ある本に、巡礼では、たとえ王侯貴族であっても、特別扱いはされないと書かれていた。誰もが平等になる。神様の前に等しい者とされて、巡礼の旅すがら助け合うのである。レンガを焼くことだけが人間の価値だという王の前を去って、神様へと向かう荒れ野の旅の中で助け合う。毎週毎週こうして礼拝をささげることもまた、荒れ野への巡礼である。そこで、私たちは助け合うことを体験するのである。助け助けられる関係の中で、レンガを焼く以外の価値が自分にはあるのだ、と分かるのである。
3節に、「わたしたちの神、主に犠牲をささげさせてください」とある。王や国のためにレンガを焼くことから離れて、神様に犠牲をささげる者となるのである。神様が私たちに求めるものは、小さいもの、ささやかなものである。また、神様を礼拝する心である。もちろん、王のためでも誰のためでもなく、ただ神様のために、神様だけがお喜びになりお受け取りになる捧げ物なのである。
神様が私たちに「このようにしなさい。このような在り方を以って王に対峙しなさい」と語って下さることは、何と私たちにとって力強いことであろうか。
筑波学園教会牧師 福島 純雄
2015年 11月1日(日)降誕前第8主日礼拝(召天者記念礼拝)
11:13この人たちは皆、信仰を抱いて死にました。約束されたものを手に入れませんでしたが、はるかにそれを見て喜びの声をあげ、自分たちが地上ではよそ者であり、仮住まいの者であることを公に言い表したのです。 11:14このように言う人たちは、自分が故郷を探し求めていることを明らかに表しているのです。 11:15もし出て来た土地のことを思っていたのなら、戻るのに良い機会もあったかもしれません。 11:16ところが実際は、彼らは更にまさった故郷、すなわち天の故郷を熱望していたのです。だから、神は彼らの神と呼ばれることを恥となさいません。神は、彼らのために都を準備されていたからです。
1.この礼拝説教の準備で、はたと気づいた。それは、昨年のこの礼拝での聖書箇所も、ヘブライ書11章の11節から13節だった。説教題も全く同じだったと思う。しかし、説教の内容は、昨年の原稿を使用していないことをお断りしておきたい。
さて・・・、まず13節に「この人たちは皆、信仰を抱いて死にました」とある。この言葉を何度も反芻し味わうことによって、私自身、この御言葉がどれほど慰め深いものかと、改めて感じさせられた。深い考えもなく、ぱっとこの御言葉を選んだのも、今、私たちの教会の教会員のお一人が、病院で、予断を許さない病状におられるということも関係しているのかも知れない。先日、聖書研究祈祷会が終わってから、彼女のお孫さんを預かっておられる人から、彼女が賛美歌を口ずさんでおられたことを伝えられた。付き添っている娘さんから聞いたとのことだった。それは、重篤な病状にあっても、信仰を抱いておられるということの表れだと思わざるを得ない。
そのような病状におられる人々が、一体どんな思いを抱いておられるかということは、傍らにいる者には何も分からないことのほうが多い。目に見えることからすれば、信仰を抱いているとは到底思えず、ただただ痛みや苦しみを抱いているとしか思えないことが、しばしばである。皆さんにとっても、召されていった肉親の、最期の姿として記憶に刻まれているのは、しっかりと信仰を抱いた姿というよりは、痛みや苦しみに喘いでいる姿であったというのが多いのではないかと思うのである。
そのような私たちに、この御言葉は語りかけている。「この人たちは皆、信仰を抱いて死んだ者なのだ」と。「この人たち」とは、もちろん直接的には、このヘブライ書の11章4節から12節まで列記されている人々のことを指している。私には、死んでいったすべての人々、また、これから死んでいこうとしている私たちすべての者のことを指しているのだと受け止められる。私たちは、ただただ悲痛な思いを抱いて死んでいく者ではないのである。そうではなく、信仰を抱いて死んでいける者なのである。この世の歩みの最期の時に、ただ「死にたくない」、「生きていたい」、「辛い」、「苦しい」という思いのみを抱いているのではなく、信仰を抱いて死んでいけるとしたら、それは私たちにとってどれ程の慰めとなるであろうか。
2.しかし、そこには当然、ある疑問がわき上がって来る。傍らにいる私たちには、死んでいった人々が、はたして信仰を抱いて召されて行ったのか、そのようには、どうしても見えない場合が多い。私の父も、2年ほど前までは、食事の前には必ず長い祈りを欠かすことが無かった。しかし今は、随分と認知症が進んでしまって、祈ることを忘れてしまっている。そのような父が信仰を抱いて召されてゆくというのは、本当なのであろうか。また、この疑問は、召天者記念礼拝の時には、必ず抱くものであるが、名前をあげ、写真を飾って覚える召天者の中には、クリスチャンとしてではなく召された人も少なくない。そういう人々も皆、信仰を抱いて死んでいったと言うことができるのであろうか。
そこで、やはり大切なポイントとなるのは、「信仰を抱いて」とは、随分な意訳であり、原文はもっとシンプルに「信仰の下に」「信仰のもとに」と書かれているだけだということである。信仰を抱いてと言うと、召されて行った人自身が信仰を抱くという意味に、当然なる。しかし、「信仰の下に」となると、召されて行く人自身の「信仰の下に」という意味も当然ではあるが、それだけではなく、その人以外の人々の「信仰の下に」という意味も出て来ると私は思うのである。死んでいく人自身は、はっきりとした信仰を抱くということがなくとも、それに代って、誰かの信仰がその人を抱き支え、導くと言うこともあるのではなかろうか。
先週の礼拝が終わったのち、最近になって礼拝にこられるようになったある人に呼び止められ、話しをする機会があった。それ以前にも、何度もそのようなことがあり、私としては、随分と間柄が深まったように思っていた。しかし結果的には、その日の会話は残念な会話になってしまった。その人は、先週の礼拝の説教で、とくにイエス様が十字架の上で「我が神、我が神、なぜ私をお見捨てになったのですか」と叫ばれたのを「敗北したのだ、信仰を失ったのだ」と言われた。私は否定はしなかった。そういう捉え方も、勿論あるだろう。もしかしたら、敗北したかもしれないようなイエス様を、私たちは救い主として信じているのだとしたら、そんなものは説得力がないと、その人は冷笑された。もしかしたら、イエス様も「信仰を抱いて」とは言えない在り方で死んで行ったのかも知れない。しかし、「信仰の下に」はあったのだと私は受け止めている。その信仰とは、死の時にも何ら心配なく痛みなく死んでいけるというような信仰ではなく、神様に向かって「どうして私を見捨てられるのですか」と叫ぶ信仰である。神様に問いかける信仰である。なぜ神様に問いかけるのかと言えば、神様の存在との関係があるからである。神様によって捉えられているからである。
高名な神学者であるティリッヒは、信仰を以下のように定義していたと記憶している。「ある究極的な存在に捕らえられている状態」と。私たちの側が捉えているというのでなく、捉えられている状態なのである。「信仰の下に」という言葉の中に、私が感じるものも、そういうことなのである。死にゆく人間の一人としての私自身の信仰は、神様をしっかりと信じているとは言えないかも知れない。しかし、神様によって捉えられていることは、しっかりと信じているのである。「我が神・・・」と叫びつつ死んで復活されたイエス様に捉えられているのである。その関係という意味での、信仰の下に置かれているのである。私は、こういう信仰の下に死んでいける者なのである。
3.さらに「信仰の下に」ということから示される点がある。召されて行った人々を、その下に置く信仰、彼らの抱く信仰とは、こうして、その人々を礼拝の中で記念する私たちの信仰でもあると思うのである。だから、たとえクリスチャンとしてではなく死んでいった人々も、私たちの信仰の下に死んでいったと言えるのである。私たちの信仰に抱かれた者として記念して良いのである。
私は先週の月曜日に、自身が理事のような役割を負っている『FVI(「声なき者の友」の輪)という、吹けば飛ぶような小さな団体の、年に一度の総会に出席した。その席に、2年ほど鬱病に苦しみ、スタッフとしての仕事を休んでいた人が出席されていた。なんとか病気が落ち着いた状態になったので、12月から復職をするということで、闘病中の証しを、お話された。病気がひどい時には、聖書を読むことも祈ることもできなかったそうである。信仰の「し」の字も考えられないという状態に陥ったそうである。そういう状態をくぐり抜けて回復した今になって、「信仰とは何か」ということで思うのは、「それは自分自身の信仰ではなく、神様やイエス様が私を信じ助け、また、そばにいる奥さんやスタッフ仲間の信仰なのだ」と言われていた。自分の信仰の下にあるのではなく、誰かの信仰の下にあるのだと分かったと証しされた。
召されて行く時の私たちは、本当に誰よりも、どんな時よりも、悲痛の中にあるかも知れない。信仰の「し」の字も言えない状況に置かれるのかも知れない。しかし、そのような人々を信仰の下に置くことのできるのは、こうして礼拝を捧げている私たちなのである。私たちの信仰なのである。召された人々を、神様とイエス様と聖霊とのつながりの中にしっかりと置き、抱かれている存在として、支えてあげなければならない。
11月号の『信徒の友』には『家族に信仰を与える キリスト教葬儀を通して』との特集があった。冒頭の『戦国時代 キリシタンの葬儀が与えた衝撃』という、編集部がまとめた特集記事は心に残るものだった。古来「死体は汚れそのものであり、人々は死者の祟りをおそれて、生前使っていたものを焼き捨て、骨を折り、刀で刺して死人が起きあがって来ないようにし、大きな墓石を置いて、死者の怨念を封じ込めたそうである(これは日本だけのことではないと思う)。新約聖書にも、イエス様の遺体を納めた墓の入り口には、大きな石が置かれたとあった。何処でもそうだったのである。
このような思想的背景と慣習があった日本の戦国時代に、キリスト教が伝えられた。キリスト信者の葬儀には、沢山の見物人が集まったという。その人々を驚かせたのは、葬儀で歌を歌ったことだったそうである。キリシタン大名だった高山右近が、領内の貧しい領民が亡くなったとき、領主自らが亡くなったその人のために柩をつくり、自らが担ぎ、葬儀を執り行ったそうである。「死を汚れたものと見ず、どのような人も分け隔てなく弔い、天国へと旅立った魂を、讃美を以って見送る」という葬儀の様子が、多くの人々をとらえて、キリシタンとなる者を増やしていったという。目に見える有り様としては、信仰など抱けず、悲痛だけを抱いて死んでいったように見える人々を、信仰の下に置くのは、残された私たち、残された者の務めである。「この人たちは皆、信仰を抱いて死にました」という13節の御言葉に励まされ、そうするのである。
4.さて、それでは、召された人々がその下に置かれる「信仰」とは何であろうか。先ほどティリッヒの「ある究極的な存在に捕らえられている状態」という信仰の定義を紹介した。ヘブライ書11章の初めには、この信仰の定義と同じような言葉が書かれているのである。最も有名な1節、2節ではなく、3節「信仰によって、わたしたちは、この世界が神の御言葉によって創造され、従って見えるものは、目に見えているものからできたのではないことが分かるのです」とある。
信仰とは、私たちが目に見る有り様が、目に見えない神様の創造の言葉によって生じていると分かるものだというのである。死んでいく人々の姿は、悲痛にがんじがらめにされているようにしか見えない。しかし、信仰の下に、私たちは、それが神様の創造の御業によって生じているものと理解するのである。そのように受け止めることができるようになるのである。
大切なものが壊され、奪われて行くところの、「死」にいたるプロセスが、どうして神様の創造の御業の現れなのであろうか。神様は、私たちを、やはりその創造の御業として、まずは目に見える肉体の中に生まれさせ、目に見える両親との絆に育まれるようにし、様々な目に見える糧や依り頼むものを以って生きる存在とされたのである。ある時期までは、目に見えるものを頼りとして生きることを、神様もまた、とても大事なこととして考えて下さっているのは確かなのである。ところが、私たちは、いつまでも、どこまでも、その目に見える体や絆、糧を頼って生きてしまおうとする者なのである。そのことは、私たちを、根源的なところで、『創造』するのではなく、『破壊』への方向へと進ませてしまっているように、強く感じるのである。
13節以下には、信仰の下に生きる者の有り様が描かれている。「手に入れませんでしたが、喜びの叫びをあげ」「地上では余所者であり、仮住まいの者であることを公に言い表し(胸を張って公言するとか証しするという意味)」、「天の故郷を目指す」とある。私たちは、ここに書かれているのとは、まるで正反対のものではなかろうか。ひたすら、この世において手に入れ、握り続けることを喜びとしている。地上にがっちりとした根拠を築き、旅人や寄留者とは正反対の者であろうとしている。天の故郷などではなく、ひたすら地上に留まろうとしているのである。そのことが、私たちから喜びを奪っているのである。私たちを、土の器たる体の弱さや、地上の狭さや小ささにしがみつかせて、思い煩う者とさせているのである。だから、創造の神の御業は、然るべき時が来れば、私たちをここから解き放とうとされるのである。
死にゆくなかにも、神様の創造の良い御業がある。その証拠がイエス様の復活である。そう信じて、その信仰の下に、召された人々の死を、また私たち自身の死を「分かる」者でありたいと願う。
筑波学園教会牧師 福島 純雄
2015年 10月25日(日)聖霊降臨節第23主日礼拝
03:04蛇は女に言った。「決して死ぬことはない。 03:05それを食べると、目が開け、神のように善悪を知るものとなることを神はご存じなのだ。」 03:06女が見ると、その木はいかにもおいしそうで、目を引き付け、賢くなるように唆していた。女は実を取って食べ、一緒にいた男にも渡したので、彼も食べた。 03:07二人の目は開け、自分たちが裸であることを知り、二人はいちじくの葉をつづり合わせ、腰を覆うものとした。 03:08その日、風の吹くころ、主なる神が園の中を歩く音が聞こえてきた。アダムと女が、主なる神の顔を避けて、園の木の間に隠れると、 03:09主なる神はアダムを呼ばれた。「どこにいるのか。」 03:10彼は答えた。「あなたの足音が園の中に聞こえたので、恐ろしくなり、隠れております。わたしは裸ですから。」
05:12このようなわけで、一人の人によって罪が世に入り、罪によって死が入り込んだように、死はすべての人に及んだのです。すべての人が罪を犯したからです。 05:13律法が与えられる前にも罪は世にあったが、律法がなければ、罪は罪と認められないわけです。 05:14しかし、アダムからモーセまでの間にも、アダムの違犯と同じような罪を犯さなかった人の上にさえ、死は支配しました。実にアダムは、来るべき方を前もって表す者だったのです。 05:15しかし、恵みの賜物は罪とは比較になりません。一人の罪によって多くの人が死ぬことになったとすれば、なおさら、神の恵みと一人の人イエス・キリストの恵みの賜物とは、多くの人に豊かに注がれるのです。 05:16この賜物は、罪を犯した一人によってもたらされたようなものではありません。裁きの場合は、一つの罪でも有罪の判決が下されますが、恵みが働くときには、いかに多くの罪があっても、無罪の判決が下されるからです。 05:17一人の罪によって、その一人を通して死が支配するようになったとすれば、なおさら、神の恵みと義の賜物とを豊かに受けている人は、一人のイエス・キリストを通して生き、支配するようになるのです。 05:18そこで、一人の罪によってすべての人に有罪の判決が下されたように、一人の正しい行為によって、すべての人が義とされて命を得ることになったのです。 05:19一人の人の不従順によって多くの人が罪人とされたように、一人の従順によって多くの人が正しい者とされるのです。 05:20律法が入り込んで来たのは、罪が増し加わるためでありました。しかし、罪が増したところには、恵みはなおいっそう満ちあふれました。 05:21こうして、罪が死によって支配していたように、恵みも義によって支配しつつ、わたしたちの主イエス・キリストを通して永遠の命に導くのです。
1.10月31日は、私たちプロテスタント教会の始まるきっかけとなった宗教改革と呼ばれる出来事の記念日である。
さて、ローマ書の5章12~21節については、サスペンスドラマであれば、前回は『事件編』あるいは『問題発生編』とでも言うべきものであった。今回はいよいよ『解決編』である。そこで、こうしたサスペンスドラマの通例に従い、まず前編の粗筋のごく簡単なダイジェストから始めたい。
そもそも、どういう事件、どういう問題が起きたのか。パウロが何度もなんども繰り返して言っていたように、「一人の人によって罪が世に入り、罪によって死が入り込ん」で「死はすべての人に及び」「すべての人が罪を犯した」という状態に陥ってしまったというのである(12節)。一人の人とは、アダムあるいはアダムとその妻のことを指しているのだが、彼らから入ってきた罪、また死とは何かについて、創世記3章が私たちに教えてくれる。
罪とは、端的に言えば、人間が神様の如くになろうとすることを指している。出来もしないのに、神様の手の中にある生死を自分の手でコントロールしようとすることである。それは、根本的に私たち人間だけが神様に似た者として創造され、助け助けられる存在として生きようとするから、誰かと一体となることに喜びを見いだす存在だからということを学んだ。
こうして、食べてはいけないと神様に言われていた木の実を食べたのである。その結果として、人は生死を手中に収めることなどできず、手に入れたのは、自分が丸裸であることを知っただけであった。そして神様を恐れ、避けて、木の陰に身を隠すようになった。ここに、罪のゆえに入り込んできた死がある。それは、文字通りの死ではなくて、肉体的に生きてはいても丸裸である自分を恐れ、神様を隠れ家とするのではなく、木やその他の物を隠れ家としてしまう私たちの在り方を示しているのである。恐れに取り付かれ、この世の物を隠れ家とし、そのことによって誰かを助けたり、助を求めたりしようとするからこそ、流血が起こるのである。
私の家族の飼っているヒナという雌犬が、2年前に大きな手術をした。以来、ヒナを家の中で飼うようになってしまった。私は幼少時からずっと犬を飼い続けてきた。犬のそばにいると、その平安というものに改めて本当に癒されるものである。犬は己の生死を、全くもって飼い主に、そして自然に任せきっている。不必要な争いごとをしたり、無駄な血を流したりすることは全くない。しかし、私たち人間はそのように生きることはできない。それは、私たち人間だけが神様に似せて創造されているからである。そのことが私たちに罪と死をもたらすのである。私たちを根源的に病ませているものなのである。
2.以上が前回の復習である。私たち人間に起きている事件・問題なのである。医学上のたとえで言えば、『病状』と言えよう。だから、この事件・病状の解決とは、私たちがこの罪・死から解き放たれるということに、この病状を癒されるということと言える。罪や死が、私たちをして神様の如くにならせようとし、丸裸であるのを恐れて、神様ではなく、この世の物を隠れ家として生きようとするものなら、事件・病状の解決・癒しとは、私たちが丸裸であることを恐れずに、生死をただ神様にゆだね、神様ご自身を隠れ家として生きて、平安になり、よって神様に似せて創造された者としての喜び・役割をまっとうできるようになることを指すのである。
では、一体どのようにして問題の解決・病状の治療は為されるのであろうか。ローマ教会のある人々、ユダヤ人からクリスチャンになった人々は、それはイエス様をキリストとして信じるだけでは足りず、なお律法を守る行い、すなわち割礼を受けることが不可欠だと言っていた。それに対する反論・説得の手紙として、このローマ書は書かれたと言えるのである。
そのような人々に対しての、律法の行いは事件・病状の解決・治療とはならないという論点として、パウロは、おもに二つの点を語っている。まず第一点は、かなりわかりにくい文章であるが13節、「律法が与えられる前にも・・・認められないわけです」とある。パウロがここで何を言わんとしているのか諸説ある。しかし、私なりに理解すれば、こういうことだと思う。罪や死は、そもそもモーセを通して律法が与えられる以前に、すでに私たちに入り込んできた事件・病状である。だとすれば、この事件後に与えられた律法によって、どうして罪や死を解決できるのかとパウロは言っているのである。
殺人罪という罪は、刑法という法律ができて初めて、そういう犯罪として認められ、刑罰が定められたものである。しかし、人が人を殺すという罪そのものは、刑法ができる以前から存在していたのである。だから、刑法でどんなに殺人罪への刑罰を厳しくしても、人が人を殺すことそれ自体を根絶することは出来ないのである。律法によっては、律法ができる以前の人の罪をどうすることもできないのではないかとパウロは言っているのである。
もう一つ20節の「律法が・・・罪が増し加わるためでありました」というパウロの主張である。律法をこのようなものとして語ることは、当時のユダヤ人にも今のユダヤ人にとっても、非常に心外な怒りを買う表現ではないかと思う。神様は、モーセを通して律法を、罪を増し加えるためにお与えになったのであろうか。決してそうではないと私は思う。エジプトを脱出して砂漠をさすらったイスラエルの人々に、何とかして罪を犯さないように、神様の導きの下に生きられるようにとの配慮から、神様は律法をお与えになったのだと私は信じている。
しかし、熱心なファリサイ派として律法の行いをしていたパウロにとっては、この20節で語ることが実感だったのではなかったか。律法を守ることによって罪や死からの救いが与えられたであろうか。神様を避けることなく、神様を隠れ家として平安に生きられたであろうか。生死をすべて神様にゆだね、神様に似た者として造られたように生きられたであろうか。そうではなかったのである。クリスチャンになる前、また伝道者になる前、パウロがどんな生き方をしていたか。パウロはクリスチャンを迫害することに喜びを見いだしていた。ステパノに石を投げつけるその場に、パウロはいたのである。律法を行うことは、彼に、罪赦された者とはまるで正反対の生き方をさせていたのである。
3.これが、宗教改革の引き金を作り出したルターの実感そのものだったのである。ルターは、アウグスチヌス派(Augustinian)の修道士であった。もちろん、ユダヤ教徒ではないから、律法の行いをしていたわけではないが、日々の戒律に従った生活は、ユダヤ教徒と同じようなものだったと考えて良いと思う。このときの葛藤を、ルター自身が晩年に次のように書いているそうである。「いかに欠点のない修道士として生きていたとしても、私は神の前でまったく不安な良心をもった罪人であると感じ、私の償いを以って神が満足されるという確信を持つことができなかった(岩波新書『マルティン・ルター -ことばに生きた改革者 -』徳善義和著 23ページ)」と。
ルターは、修道院を離れて、ヴィッテンベルク(Wittenberg)にある大学、またその修道院で神学を教える先生になっても、煩悶は止むことがなかった。再び、晩年の回想には「(わたしはこのようにつぶやいて)神に対して怒っていた。『あわれな、永遠に失われた罪人を、原罪のゆえに十戒によって、あらゆる種類の災いで圧迫するだけでは、神は満足なさらないのだろうか。神は福音を以って苦痛に苦痛を加え、福音によって、その義と怒りを以って、私たちをさらに脅かされるのだから』と(同書 35ページ)」。どうしても、行いによって、自分自身が修行によって作り出す、自分の義・正しさによっては、神様に平安に向かい合うことはできなかったのである。神様を、安心して隠れ家とすることは到底できなかったのである。
このような病状が如何にして癒されたのであろうか。それは、ルターにおける解決・治療ということになるが、彼が聖書の講義をする中においてだったのである。転機になったのは、彼が詩編の31編2節の「あなたの義によって私を解放してください」という御言葉に向かい合った時だったそうである。彼は、この言葉に、はたと行き詰りまった。何故なら、この御言葉によれば、神様の義とは、私たちに解放をもたらすものとされているのに、ルターにとって神の義とは解放ではなく、怒りや裁きや罰をもたらすものでしかなかったからである。疑問を持ちながらも、さらに詩編講義を続けて、それが「71編にまで進むに及んで、ルターは神の『義』について、まったく新しい認識に到達する。この節には、再び『あなたの義で私を解放してください』という言葉が現れる。ルターはそれを『詩編の記者は、ここでキリストを明瞭に言い表している』と捉えた。神の『義』とは、これまで考えられてきたように、人間の行いや努力が神に受け入れられるか否かで明らかになるものではない。神の『義』とは、神からの『恵み』であって、それはイエス・キリストという『贈り物』として人間に与えられるものである(同書 38ページ)」。このように神様の義を、イエス・キリストにおいて発見することによって、ルターは神様を安心して隠れ家とできるようになったのである。
以上は、宗教改革者ルターにおける事件解決であるが、パウロもまた当然、同じ解決を語っているのである。「一人の罪によって多くの人が死ぬことになったとすれば、なおさら神の恵みと一人の人イエス・キリストの恵みの賜物とは、多くの人に豊かに注がれるのです(15節)」。「一人の罪によって・・・一人のイエス・キリストを通して・・・」。18節「一人の罪によって・・・一人の正しい行為によって・・・(17節)」。パウロは何度も何度も、私たちの罪また死は、私たち自身の正しさや従順によってではなく、たった一人のイエス・キリストの正しさ・従順・恵みと義の賜物によって、問題が解決され病状が癒されるのだと言っているのである(19節、21節)。
イエス様の正しさ・従順・恵み・義とは、どういうことであろうか。イエス様は私たちと全く同じ丸裸・土の器として十字架の上で殺されてしまわれた。十字架の上で「我が神、我が神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」と叫ばれた。これは、十字架の上でイエス様が神様を隠れ家とすることが出来なかったことの現れであろうか。これについては、いろいろな受け止め方がある。私は、もしイエス様が十字架に向う途中で、神様を隠れ家となさろうとされなかったのならば、十字架を避ける方法はいくらでもあったと思う。その生死を、ご自分の手に握る機会はたくさんあった。しかし、イエス様は神様にその生死をすべて委ねられたのである。全面的な平安があったとは言えない。しかし、叫びつつも、神様を信頼し、神様ご自身を隠れ家となさって死んでいかれた。だからこそ、神様が隠れ家であることの最大の現れとして、イエス様に三日目の復活という出来事が起きたのである。これが、私たちの罪・死とは正反対の、イエス様の正しさ・従順・恵み・義・罪の無さということなのである。
このイエス様の義が、私たちに与えられるのである。どうやってかというと、それは信仰によってである。もっと具体的な手段・処方箋としては、6章から、洗礼のことが語られている。信仰により洗礼により、私たちは、言わば、イエス様と一体になれるのである。アダムと妻が一体となり、その直後に罪を犯したのと正反対の営みが、ここから始まって行くのだと私は信じている。罪を最初に犯した妻が、アダムから造られたのに対応して、私たちはイエス様を信じて、イエス様において新しく創造され、一体とされるのである。私は、イエス・キリストによって、神様を心から信頼して、隠れ家とできるようになったと思っている。たとえ、洗礼を受けても、信仰者になっても、なおなお、罪はあるのだから、全面的に生死を神様にゆだね、平安に生き切れるということは不可能であろう。でも、イエス様と一体とされ、罪や死に支配されることからは解放され、神様の似姿として創造された本来の務めを為すことができるようになったと信じている。
筑波学園教会牧師 福島 純雄
2015年 10月18日(日)聖霊降臨節第22主日礼拝
03:04蛇は女に言った。「決して死ぬことはない。 03:05それを食べると、目が開け、神のように善悪を知るものとなることを神はご存じなのだ。」 03:06女が見ると、その木はいかにもおいしそうで、目を引き付け、賢くなるように唆していた。女は実を取って食べ、一緒にいた男にも渡したので、彼も食べた。 03:07二人の目は開け、自分たちが裸であることを知り、二人はいちじくの葉をつづり合わせ、腰を覆うものとした。 03:08その日、風の吹くころ、主なる神が園の中を歩く音が聞こえてきた。アダムと女が、主なる神の顔を避けて、園の木の間に隠れると、 03:09主なる神はアダムを呼ばれた。「どこにいるのか。」 03:10彼は答えた。「あなたの足音が園の中に聞こえたので、恐ろしくなり、隠れております。わたしは裸ですから。」
05:12このようなわけで、一人の人によって罪が世に入り、罪によって死が入り込んだように、死はすべての人に及んだのです。すべての人が罪を犯したからです。 05:13律法が与えられる前にも罪は世にあったが、律法がなければ、罪は罪と認められないわけです。 05:14しかし、アダムからモーセまでの間にも、アダムの違犯と同じような罪を犯さなかった人の上にさえ、死は支配しました。実にアダムは、来るべき方を前もって表す者だったのです。 05:15しかし、恵みの賜物は罪とは比較になりません。一人の罪によって多くの人が死ぬことになったとすれば、なおさら、神の恵みと一人の人イエス・キリストの恵みの賜物とは、多くの人に豊かに注がれるのです。 05:16この賜物は、罪を犯した一人によってもたらされたようなものではありません。裁きの場合は、一つの罪でも有罪の判決が下されますが、恵みが働くときには、いかに多くの罪があっても、無罪の判決が下されるからです。 05:17一人の罪によって、その一人を通して死が支配するようになったとすれば、なおさら、神の恵みと義の賜物とを豊かに受けている人は、一人のイエス・キリストを通して生き、支配するようになるのです。 05:18そこで、一人の罪によってすべての人に有罪の判決が下されたように、一人の正しい行為によって、すべての人が義とされて命を得ることになったのです。 05:19一人の人の不従順によって多くの人が罪人とされたように、一人の従順によって多くの人が正しい者とされるのです。 05:20律法が入り込んで来たのは、罪が増し加わるためでありました。しかし、罪が増したところには、恵みはなおいっそう満ちあふれました。 05:21こうして、罪が死によって支配していたように、恵みも義によって支配しつつ、わたしたちの主イエス・キリストを通して永遠の命に導くのです。
1.改革派の牧師である榊原康夫先生は、説教でつぎのように言われた。「12節以下は、キリスト教の歴史のうえで、最も沢山の複雑な議論を生み出した難しい聖書の御言葉でございます」と。バークレーは、「新約聖書のなかで、この御言葉ほど神学に大きな影響を及ぼした箇所はなく、また現代人の心にとって、理解することの難しい箇所はない(私の英訳)。」と書いている。さらに、ロイドジョンズ牧師の講解説教の308ページから最後までが、この5章にあてられている。
5章6節から11節で、パウロが5章から8章の本論第3部で何を語ろうとしていたのか、また、どうしてそういうことを書かざるを得なかったのかが、腑に落ちた部分があった。それを手掛かりとして、聖書の険しい頂きへ『登って』行きたいと思う。
パウロがこの手紙を書く上で、常に念頭に置いていたのは、ローマ教会の中に広がりつつあったユダヤ人クリスチャンと異邦人クリスチャンとの溝だった。パウロは、言うまでもなく、異邦人クリスチャンの側に身を置いていたが、ユダヤ人からクリスチャンになった人々は、なお律法の行いや割礼を受けることによって神様から義として頂かなくてはならないと主張していた。そういう人々に、パウロは神様から義としていただくには、イエス様を信じる信仰が必要にして充分であることを何とかして訴えたかったのである。そこで、イエス様を信じて義としていただくこの原理・原則の必要性、また素晴らしさというものを、5章から8章で丁寧に論じようとしていたのである。
2.12節以下では、ユダヤ人であれば誰でも知っているアダムという存在を取り上げて、そのアダムとイエス様とを対比することによって、なぜイエス様によって義とされることが不可欠なのか、また、どこにその素晴らしさがあるのかを解き明かそうとしている。
まず、パウロがアダムについて、ざっと数えて5回も繰り返して語っていることは、次のような点である。12節に最もはっきり書いてある。「一人の人によって罪が世に入り・・すべての人が罪を犯したからです」と。15節には「一人の罪によって多くの人が死ぬことになった」と、17節には「一人の罪によって・・」と、18節には「一人の・・下された」と、19節には「一人の不従順・・とされた」と。ここでパウロは、一人の人 - つまりアダム - がしたことだけでなく、それによって全ての人に及んだことを語っているのだが、ここではまず、アダムがしたこと、彼に生じた出来事がどのようなものであったかを、丁寧に学んでゆきたい。
「一人の人によって罪が世に入り、罪によって死が入り込んだ」とは、言うまでもなく、創世記3章に書かれている出来事が想起できる。そこで、もう一ヶ所、創世記3章4節から10節までを参照した。パウロは「一人の人」つまりアダムによって罪が世に入ったと言っているが、創世記では - 2章でアダムの体をとって造られ「一体」となった - アダムの妻を通して、最初に入り込んだと書かれている。
では、入り込んだ罪とは何であろうか。それは4節以下で、蛇が妻に語った言葉にある。「それを食べると、目が開け、神のように善悪を知るものとなる」と蛇は言った。罪とは、突き詰めれば、私たちが神様のようになろうとすることを指している。善悪を知るとは、なによりの善である「生きる」ということと、何よりの悪である「死ぬ」ということを「知る」ことを意味していると思う。どうしてアダムの妻が、生きることと死ぬことを知ろうととしたのか。彼女がどんなに、人間がどんなに生死をわが手に治めようとしたとしても、それは出来ないことなのである。それなのに、人間はそれを手中に収めようとするのである。そうやって、神様のようにになろうとする。それが、まず罪の第一の姿なのである。
その罪から、言わば、第二の罪というべきものが派生するのである。それが、8節以下に書かれていることである。神様が近づいてくる音を聞いて、アダムと妻は「神の顔を避けて園の木の間に隠れる」のであった。「どこにいるのか」との神様の呼びかけに、アダムは「あなたの足音が園の中に聞こえたので、恐ろしくなり隠れております。わたしは裸ですから」と言った。神様を避け、神様を恐れることもまた、根源的な罪なのだと思う。アダムとその妻は、神様を避けて神様の被造物である園の木に身を隠した。裸であると知った人間が、神様の中に隠れるのでなく、この世の被造物を隠れ家とすること。ここに罪がある。
3.さて、ここから生じて来る神学的な難問は - これはパウロの文章それ自体からは離れるが - どうして神様は、最初の人(厳密にはパウロの言うように、一人の人ではなく、一体となった夫婦であるが)に、罪が入るのを阻止為さらなかったのかという問いである。もう一つの問いは、- これはパウロが書いていることへの疑問でもあるが - この罪によって死が入り込んできたとは、どういう意味なのかという点である。
まず、最初の問いは、非常に深い疑問である。私は、神様が私たち人間だけを自分に似せた者として創造されたことに、答えがあると考えている。神様が私たち人間だけに刻んで下さった似姿とは創造性であることを学んできた。神様はアダムに対して「人がひとりでいるのは良くない。彼に合う助けるものを送ろう」と妻を与えたということから示される点である。妻は助けるものとなり、アダムは助けられるものとなった - 勿論、この立場は相互的なものでもある - 点にこそ、私たち人間だけが神様に似ている部分があると思うのである。人を自分に似た者とされようとしたからこそ、神様はアダムに「独りでいるのは良くない」と言って、妻を造り与え、彼らを助け合う者として一体とされたのではないであろうか。
こうして二人が助け助けられる者同士に、一体になったということにこそ、その直後の3章で、この一体となった夫婦に罪が入り込まざるを得ない必然性が出て来るのである。助けるものであろうとするからこそ、神様のように生死を司りたいのである。一体となった相手が心配なのである。教会の歴史では、こういったことを全く踏まえずに、ただ女性は罪深い、女が男を罪に誘ったと、女性を非難するが、しかし、なぜ女性が最初に蛇の誘惑にさらされたのかと、深く考えなければならないと私は思うのである。そこには、助けるものとして創造された故の理由がある。このように、神様によって創造されたからこそ、神様もまた、罪が二人に入り込むことを阻止為さることは出来なかったのである。
このように、神様が私たちをご自分の姿に似せて創造されたことにこそ、罪が入って来る根源的な理由があるとすれば、そこに罪を犯す私たちの有責性が果たして有るのかどうかという、これまた、深刻な問いが生じてくるが、責任があるかどうかにかかわらず、罪が入り込んできたという事実は、はっきりとあるわけである。
もう一つの問いは、罪により死が入り込んだとは、いったいどういうことかという点である。創世記を素直に読む限り、二人が、禁じられた木の実を食べた結果として、すぐに死んだとは書かれていない。そもそも、二人が不死なる存在として造られたとも書かれてはいない。土の塵から形づくられたアダムは、神様に命の息を吹きいれられて生きる者となったが、それは不死ということを意味していたであろうか。確かに、罪を犯さなければ永遠に神様の命の息が引き上げられることはなかったと理解するのも可能である。しかし、これは何とも言えないのである。私としては、罪によって入り込んだ死とは、肉体的な死というよりも、創世記3章8節以下に書かれていたような生き方を指しているのだと理解する。つまり、丸裸であることを知りながら、神様を頼らずして、その接近を恐れ、姿を隠してしまうような生き方、神様を恐れ離れてしまうような生き方、己が生死を手中に治めようとしてもできない、丸裸でいてなおかつ助ける者として生きようとする私たちの、惨めさ、どうしようもない不安や矛盾というものを指しているように思うのである。
4.このように、先ず一人の人、アダムあるいは「一人の人」と形容しても良い一組の夫婦によって罪が入り込み、死が入り込んだことによって、すべての人が罪を犯し、死はすべての人に及んだとパウロは言っている。なぜ一人の人もしくは一組の夫婦が罪を犯し、死が入り込んできたことによって、すべての人が罪を犯したと言えるのか。死が全ての人に及ぶのか。普通に考えれば、自分たちが犯していないことについて、それを問われたり累が及んだりということは、おかしいわけである。これを説明しようとして、多くの神学的な議論が組み立てられてきた。この議論について、いちいち触れることはしない。榊原牧師の説教、またロイドジョンズの説教には、丁寧にこの学説が紹介されているが、私としては、それを読んでも正直、あまりピンと来るものはない。そんな議論など無くとも、そもそも最初の人が、或いは、最初の夫婦が、神様の姿に似せて創造された故に、罪が不可避であり、死が避けられないということがあるなれば、どういう説を採ったとしても、私たちすべてが、どうしても罪を避けられず、死を免れないのは、よく解ることではなかろうか。
問題は、むしろ、私たち人間がそのような罪の惨めさや死の悲惨さにあるということを、我が事として受けとめ切ることができるかどうかではないかと思う。ロイドジョンズの説教のなかに、次のような文章がある。「その見解はこう言うのです。この世には、罪などと言うものは存在していません。人間は、これまで常に、今のようなものだったからです。人は、決して、かつて完璧に創造された者が誘惑に陥り、それによって罪責を負うようになったわけではありません。(と彼らは言う)」「この人々は、私たちに向かって、こう説いてやまないのです。罪だの罪責だのと言った聖書的な観念は一掃してしまいなさい。・・・やがて来るべき日には、より高等で善良な資質を十分に進化させた者になるでしょう。」「この人々は、罪と言う概念を全く一掃したいのです。」と。
おそらく、ロイドジョンズと論争した相手は、ヒューマニズムという立場に立つ人々なのではなかったか。そうした人々は、人間を神様の前に立つ必要のある存在とは考えなかった。神様の前で罪や死というような病気を抱えている存在などではないと見なしていた。だから、神様という存在によって癒され、治療される必要などなかった。人間は、人間だけで癒され、救われ、進歩できる、と考えていた。しかし、私たちは、人間の状況を深刻な病の中に置かれている者と受け止めている。それは、神様によって癒されなければならず、放置されてはならない者と捉えている。このような私たちであればこそ、イエス様が不可欠なのだとパウロは語ろうとしたのである。アダムが創造された遥か後に与えられた律法による行いなどによって、この人間の惨めな状態は決して救われはしない。イエス様を信じる信仰によって、言わば、イエス様において第二の創造が為されることによってこそ救われるのだとパウロは奨めたのである。
筑波学園教会牧師 福島 純雄
2015年 10月11日(日)聖霊降臨節第21主日礼拝
17:20ファリサイ派の人々が、神の国はいつ来るのかと尋ねたので、イエスは答えて言われた。「神の国は、見える形では来ない。 17:21『ここにある』『あそこにある』と言えるものでもない。実に、神の国はあなたがたの間にあるのだ。」 17:22それから、イエスは弟子たちに言われた。「あなたがたが、人の子の日を一日だけでも見たいと望む時が来る。しかし、見ることはできないだろう。 17:23『見よ、あそこだ』『見よ、ここだ』と人々は言うだろうが、出て行ってはならない。また、その人々の後を追いかけてもいけない。 17:24稲妻がひらめいて、大空の端から端へと輝くように、人の子もその日に現れるからである。 17:25しかし、人の子はまず必ず、多くの苦しみを受け、今の時代の者たちから排斥されることになっている。 17:26ノアの時代にあったようなことが、人の子が現れるときにも起こるだろう。 17:27ノアが箱舟に入るその日まで、人々は食べたり飲んだり、めとったり嫁いだりしていたが、洪水が襲って来て、一人残らず滅ぼしてしまった。 17:28ロトの時代にも同じようなことが起こった。人々は食べたり飲んだり、買ったり売ったり、植えたり建てたりしていたが、 17:29ロトがソドムから出て行ったその日に、火と硫黄が天から降ってきて、一人残らず滅ぼしてしまった。 17:30人の子が現れる日にも、同じことが起こる。 17:31その日には、屋上にいる者は、家の中に家財道具があっても、それを取り出そうとして下に降りてはならない。同じように、畑にいる者も帰ってはならない。 17:32ロトの妻のことを思い出しなさい。 17:33自分の命を生かそうと努める者は、それを失い、それを失う者は、かえって保つのである。 17:34言っておくが、その夜一つの寝室に二人の男が寝ていれば、一人は連れて行かれ、他の一人は残される。 17:35二人の女が一緒に臼をひいていれば、一人は連れて行かれ、他の一人は残される。」 17:36*畑に二人の男がいれば、一人は連れて行かれ、他の一人は残される。 17:37そこで弟子たちが、「主よ、それはどこで起こるのですか」と言った。イエスは言われた。「死体のある所には、はげ鷹も集まるものだ。」
1.21節最後の「実に神の国はあなたがたの間にあるのだ」というイエス様の言葉から説教題をいただいた。以前に、礼拝で用いていた聖書では、「神の国は実にあなたがたのただ中にあるのだ」という訳であった。神の国とは、いわゆる天国と呼ばれるようなものではなく『神様の支配』という意味だが、神の国についての沢山のイエス様の言葉の中で、この言葉はルカだけが記している。
『放蕩息子のたとえ話』のあたりから、他の福音書に記されていないたとえ話や出来事が、このルカによる福音書には書かれている。17章11節から19節も同様である。ルカは、彼だけに伝えられた神の国についてのイエス様の言葉を記したのである。そこには、はっきりとルカ独自の神の国についての信仰というものが現れている。さらに言えば、22節以下には、当時の人々がイエス様が再臨なさり終末が訪れる際の前兆として受けとめていたイエス様の言葉を記している。わざわざ神の国についての、とても独特なイエス様の言葉にくっつけて、このイエス様の言葉を記すという点に、ルカの独自な信仰、独特な視点が浮かび上がって来る。このイエス様の言葉は一般的に『小黙示録』と呼ばれている。
初代教会では、イエス様がこの地上に再臨なさり、この世界に終末が訪れるとき、その前兆として起きるだろう出来事について、イエス様の教えとして読まれていた。マタイやマルコによる福音書では、確かにそういうイエス様の言葉として書かれていた。ところが、この福音書を書いたルカは、神の国への彼独特の信仰において、おそらくそうした当時の人々の終末観に異議を唱えていたのだと私は感じるのである。「神の国はあなたがたのただ中にあるのだ」というイエス様の言葉は、神様の支配が、終末が訪れてそこで初めて始まるものではなくて、いま既に「あなたがたの間で」始っているということを言わんとするものである。そのように神の国を受け止める信仰によって、ルカは、当時の一般的な終末信仰に異議を表明していたのだと私は感じる。
2.まず、「神の国はあなたがたの間にある」とのイエス様の言葉が、どういう場面で語られたものかと言うと、20節に、ファリサイ派の人々がイエス様に「神の国はいつ来るのか」と尋ねたことへの答えとして出されたと記されている。そして、このファリサイ派のイエス様への問いの呼び水になったのが、17章11節から19節までに書かれていた出来事である。こういう記述の配置をしたのは、ルカ本人であるが、彼の意図には11節から19節に記された出来事においてこそ、神の国が来ているのだとのメッセージがあるのだと私は思う。当時の人々が、またファリサイ派の人々が、一般的に終末とか神の国の到来とかを考えている状況など何処にもなかったが、ルカにとっては、ここにこそ神の国が来ているという、神様の支配が現れているとの信仰なのであった。
それは、どういう神の国かと言うと、たった10人ではあったが、重い皮膚病(共同訳では、らい病との言い方を避けている)で苦しんでいた人々が、イエス様を歓呼して出迎え、イエス様を通してその病気を癒していただいた。それこそが神様の支配の現れに他ならないと、ルカはとらえていたのである。その10人のうちのたった一人がイエス様のもとに戻って来て、イエス様の足もとにひれ伏し、感謝し、神様を讃美した。イエス様から「立ち上がっていきなさい。あなたの信仰があなたを救った。」との言葉をいただいた。ただ病気が癒されて良かったと去ってしまう信仰ではなく、イエス様のもとに戻って来る信仰、イエス様のもとにひれ伏して神様に感謝することのできる信仰、イエス様から言葉をいただける信仰、そして、またこの世へと歩んでいく信仰・・・。そういう信仰の歩みへ、世界の中のたった一人の人でも進んでいけるようになったというところに、神の国が来ている。イエス様との「間に」信仰が存在していれば、そこにもう神様の素晴らしいご支配が訪れているのだとのルカからの強いメッセージがある。
3.ファリサイ派による問いとは、― おそらく実際には、このような場面があったわけではなく、ルカがフィクションを設定したものだと想像するが ― このようなルカのメッセージへの反論に他ならなかったわけである。「この全世界のなかのたった10人が、或いは、たった一人が、イエス様を信じて歩むようになったということが、果たして何になるのか。そんなものは自分たちの求め願っている神の国などではない。」という反論である。
シュラッターという新約聖書の著名な学者が、その注解書で、ファリサイ派が求めていた「神の王国」とはつぎのようなものだったと語っている。「神の王国が突然、外から、見える形で全てを新しくする神の力強い行為によって、自然の異変を通して、一撃のもとに、世界全体を打ち砕いてしまうような力をもって、人類の頭上に現れる、ということであった(新約聖書講解3 ルカによる福音書 210ページ)」と。このような形での神の国を求めていたのは、ファリサイ派の人々だけではなかった。紀元前6世紀にバビロニアによって祖国を滅ぼされてからというもの、イスラエルの人々は、ずっと独立した国を建てることができず、何らかの自治は認められていたものの、他国の王の支配下に置かれ続けてきた。イエス様の時代にも、ローマの支配下に置かれていた。神の国とか終末とは、他でもなく、そうした王様からの解放、言わば第二の出エジプトのようなものとして求められていたのである。そういう期待を、一般的にはすべてのイスラエル人が抱いていたと言っても間違いはなかろう。だから、たった10人の人々が癒されたことが何なのか、たった一人がイエス様を感謝し、信仰によって救われて行ったことなど何になるのか、と問うのだった。
初代教会の人々が終末の到来に期待したのも、まさにこのような神の国が到来することに他ならなかった。ほんの少しずつではあったが、ローマ帝国による迫害の兆しが現れつつあったのである。ファリサイ派はイスラエルの人々のように、新しい政治的な王国が建てられるというようなことは望んではいなかったが、一撃のもとに悪をなす人々が滅ぼされ、大々的にこの世界が変わることこそ、「神の国」として初代教会の人々も待ち望んでいたのではなかろうか。
そうした同時代の人々へのメッセージをルカは語っていたのだった。そのような終末の到来が、神の国がやってくるということなのか。そうではない。そういう終末がやって来なければ、私たちは神の支配の中に生きることができないのか。そうではない。イエス様が再臨され、あのたった一人の重い皮膚病を抱えたサマリア人のように生きることができるなら、神の国は来ているのだ。あなたがたは神の国のただ中に生きることができているのだ。そのように、ルカは語りかけたのであった。そこは、いま言ったような意図をもってルカが記した箇所として理解していただけたら良い。
4.こうして、当時のファリサイ派をはじめとした多くの人々が広く抱いていた神の国への信仰、また神の支配をもたらす終末の到来への信仰との違いを浮き立たせるかのうように、ルカは神の国についてのイエス様の教えを記した。「神の国は見える形ではこない。『ここにある』『あそこにある』と言えるものでもない」と教えた。23節には「『見よ、あそこだ』『見よ、ここだ』と人々は言うだろうが、出て行ってはならない」とも書かれている。そして、「神の国は、実にあなたがたの間に ― ただ中に ― ある」と言っているのである。
改めて、イエス様の言葉による神の国の到来と、当時の人々が信じていたそれとの、決定的な違いに惹かれる。それは、たった一人と大々的に誰もが見える形で現れるという違いである。イエス様の教えられた神の国は、たった一人の人がイエス様を信じて歩んでいく、そのことにおいて現れているものである。であるから、それは、誰もが見えるのもでもなく、そこにあると言えるものでもなく、まさにその人とイエス様との信仰の「間」柄に到来しているものなのである。
このような神の国は、ひとことで言って本当に小さいものだと思う。そして、それは神の国について私たちがすぐに思いだすことのできるイエス様の言葉と合致している。17章6節に「からし種一粒ほどの信仰があれば」とある。また、多くの箇所に「神の国はからし種に似ている」とイエス様の言葉として記されている(たとえばルカによる福音書の13章18節)。信仰は私たちの「ただ中に」ある。だから、それは本当にからし種のように小さいのである。私たち人間のなかに生じるものの中に、小さくないものなど無い。「これが私の信仰です。大きいでしょう」とひけらかすことなど出来ないのである。しかし、神様はそのからし種のような信仰をもって、私たちを御手の支配へ導きの中に置いて下さるのである。その信仰は、からし種が成長して大木になり、鳥たちを宿すように、私たちの中で大きくなり、誰かを宿すことができるようになるのである。神様は、このような形での支配を、この世に及ぼすことを望んでおられる。大々的に、誰もが見ることができるような形ではない。
「見える形では来ない」「見える有り様について行ってはいけない」との言葉に、さらに私が教えられることがある。見える形では来ないということは、言い方を変えれば、見える形 ― それは私たちが見たいと望む形を意味している。私たちが、ここにこそ神の支配があると分かる有り様を示している ― に神の国を求めてはいけないということである。その反対に、見えない形 ― 私たちがそこには神の支配などないと見てしまう ― そのような形にこそ、神の国は来ているとの語りかけでもある。神の国がそこにあるとは、見えない形・有り様とは、私たち一人びとりが抱えている困難である。病いがあり、またこの世界の言い知れない病状がある。これが「私たちの間」にある状況である。到底、ここに神の国があるとは言えない。しかし、イエス様は、そのような見えない形において、あなたがたのただ中に、病いや難儀や災いが絶えないそのただ中に、神の支配があると言って下さる。これは本当に慰め深い御言葉である。「あなたがたの外に」とは、イエス様は言われなかった。あなたがたの現実の外に、その悲惨な現実が排除されたところに、神の国があるとは言われなかったのである。そうではなく、そうした現実があるそのただ中に、神の国があるとイエス様は言われたのである。
10人の人々は、重い皮膚病を癒された。私たちも、もしそうした奇跡が起きるなら、神様の支配を喜んで見ると誰もが言うであろう。しかし、残念ながら、私たちは、そういう奇跡を、見たいと思うものを、見える形では見せていただけないのである。しかし、そのようにはっきりと見える形に代って、徐々に、私たちのなかで生じている神の支配による変化というものがあると私は思う。奇跡は生じないかも知れない。しかし、その代わりに、神様を信じたからし種のような信仰による変化・成長というものがある。必ずや、信仰による神の支配の現れが「あなたがたのただ中に」生じて来るのである。こうした語りかけの後に、当時の人々が終末の前兆として信じていたイエス様の言葉を記すことで、その災いの向うに神の国が到来するのではなく、その災いのただ中にも神の国があるとルカは語っているのである。
筑波学園教会牧師 福島 純雄
2015年 10月4日(日)聖霊降臨節第20主日礼拝
04:18モーセがしゅうとのエトロのもとに帰って、「エジプトにいる親族のもとへ帰らせてください。まだ元気でいるかどうか見届けたいのです」と言うと、エトロは言った。「無事で行きなさい。」 04:19主はミディアンでモーセに言われた。「さあ、エジプトに帰るがよい、あなたの命をねらっていた者は皆、死んでしまった。」 04:20モーセは、妻子をろばに乗せ、手には神の杖を携えて、エジプトの国を指して帰って行った。 04:21主はモーセに言われた。「エジプトに帰ったら、わたしがあなたの手に授けたすべての奇跡を、心してファラオの前で行うがよい。しかし、わたしが彼の心をかたくなにするので、王は民を去らせないであろう。 04:22あなたはファラオに言うがよい。主はこう言われた。『イスラエルはわたしの子、わたしの長子である。 04:23わたしの子を去らせてわたしに仕えさせよと命じたのに、お前はそれを断った。それゆえ、わたしはお前の子、お前の長子を殺すであろう』と。」 04:24途中、ある所に泊まったとき、主はモーセと出会い、彼を殺そうとされた。 04:25ツィポラは、とっさに石刀を手にして息子の包皮を切り取り、それをモーセの両足に付け、「わたしにとって、あなたは血の花婿です」と叫んだので、 04:26主は彼を放された。彼女は、そのとき、割礼のゆえに「血の花婿」と言ったのである。 04:27主はアロンに向かって、「さあ、荒れ野へ行って、モーセに会いなさい」と命じられたので、彼は出かけて行き、神の山でモーセと会い、口づけした。 04:28モーセは自分を遣わされた主の言葉と、命じられたしるしをすべてアロンに告げた。 04:29モーセはアロンを伴って出かけ、イスラエルの人々の長老を全員集めた。 04:30アロンは主がモーセに語られた言葉をことごとく語り、民の面前でしるしを行ったので、 04:31民は信じた。また、主が親しくイスラエルの人々を顧み、彼らの苦しみを御覧になったということを聞き、ひれ伏して礼拝した。
1.モーセがおよそ40年ぶりにエジプトへ戻ろうとしたときの出来事である。とくに24節から26節は、非常に難解な箇所であり、昔から読む者を当惑させてきた。神様は、モーセを召し出そうとした。しかしモーセは、自分には困難な使命と考え、何度もしり込みをし、様々な理由をつけて辞退しようとしたのだった。そんなモーセがやっとのことで神様のこn使命を受け入れ、妻の父エテロに別れを告げて家族とともにエジプトへ向かおうとしていた最中に、なぜか神様がモーセを殺そうとされたというのである。25節に、妻のツィポラが「とっさに息子の包皮を切り取り、それをモーセの両足に付け、『わたしにとってあなたは血の花婿です』と叫んだとある。すると「主は彼を離された」。一体なぜ、せっかく難儀な使命へとお選びになったモーセを、神様は殺そうとなさったのか。妻のしたことは、具体的にはどういうことであり、どんな意味があったのか。それにより、神様のなさった「モーセを離された」というのは、どういう意味であったのか。次からつぎへと疑問がわきあがってくる。しかし、確かな答えというものは、いまもって、見出されてはいない。
注解書にも触れられている事柄であるが、この箇所読んですぐ、これと似たように難解なことが聖書の別の場所にも書かれていることに気づく。旧約聖書の民数記22章以下に、これまた実に不思議な物語が書かれている。エジプトを脱出したイスラエル人が、徐々にパレスチナに定住を始め、それまで長くそこに住んでいた人々との間に軋轢が生じ始めた頃、モアブという民族にバラクという王様がいて、彼は当時の中近東世界でとても有名であったらしいバラムという占い師を招いて、イスラエル人を呪ってもらおうとしたというのである。そこで、バラムのもとに使いを送って招こうとすしたのだが、神様がバラムに現れて決して行ってはならないとストップをかけられたのだった。バラムは神様の命令を守り、行くことを断った。しかしあるとき神様はこう言われたのである。「これらの者があなたを呼びに来たのなら、立って彼らとともに行くがよい。しかし、わたしがあなたに告げることだけを行わなければならない(民数記22章20節)」と。そう神様から言われたので、バラムはバラク王と共にでかけて行った。「ところが、彼が出発すると、神の怒りが燃え上がった」のだった。何と、神様の使いが刀を持って道に立ち塞がっていたのである。バラムが乗っていたロバがこれを見て立ち止まり、不思議なことにこのロバが口をきいたという有名な場面が続く。
「行け」と神様から言われたので出発した。しかしそれに怒って、神様が殺そうとなさった。何とも理不尽で、理解不能な神様の為さり方と思える。同じように理不尽で理解不能な神様の為さり方が書かれている。しかし、そこに深い意味があるのではないかと気づかされるのである。
2.さて、神様がモーセになさったことの発端をなしていると感じさせられるのは、18節から20節までに書かれているエジプトに向かおうとするモーセ一家の姿である。21節から26節までの非常に緊張感にあふれた場面とは対照的に、あたかも一家でのんびりと懐かしいモーセの故郷に向かって、楽しい里帰りをしているような雰囲気が感じられる。
18節には、妻の父エテロに「エジプトにいる・・・見届けたい」と言ったとある。注解者たちは、モーセは敢えてエジプトに行く本当の理由を告げなかったのだと解説している。真相を告げたら、娘や孫のことを心配したエテロは、モーセがエジプトに帰ることに強く反対したに違いないと考えることもできる。しかし、私は、このモーセの言葉は、この時のモーセの気持ちを素直に表現している言葉ではないかと思うのである。確かに、何度も何度もためらってやっとのことで受け入れた困難な使命であったことを忘れてはいなかったはずである。しかし、一旦、帰ると決めたら、与えられた使命が持っている根本的な困難さを忘れてしまう。或いは、オブラートに包んでしまう。大変さを直視しようとしないで、家族にもそれを告げることなく、あたかも懐かしい故郷への里帰りのように振舞ってしまう。19節、神様が「あなたの命を狙って・・」と告げられたことも、こうしたモーセの楽観的な態度に拍車をかけたのかも知れない。
このような楽観的な態度で、エジプトに帰ることは、実は非常にモーセたちにとって危険であると神様はご覧になったのではないかと思う。エジプトに帰って、エジプト王の前に立ち、同胞を脱出させよという神様の使命を行うということは、まさに命懸けの使命といえよう。エジプト王と命のやりとりをすることにもなりかねない。その危険さを忘れてはならない、家族がそれを知らずにエジプトに赴いてはならないと、そうであればこそ、つぎの21節から、神様は改めてこの使命に含まれている困難さを、エジプト王との命のやりとりになるような難義さを、はっきり告げようとなさったのである。そのことが、結果的には、モーセを何らかの意味で死に瀕するところに陥らせたのであった。神様が直接手を下して殺そうとしたのではなく、たとえば、死に至るような病気になったとか、そういうことを意味していると理解する。
さきほど触れた民数記に「見よ、あなたは私に向かって道を進み、危険だったから、わたしは妨げる者として出てきた(22章32節)」と神様が言われたことが記されている。「危険」とは何か、それは事柄の重大さをわきまえず、バラムやモーセが道を進もうとすることを意味している。
3.そこで、神様はモーセを待ち受けている困難さを、つぎのように語られた。22節以下に「エジプトに帰ったら・・・しかし、わたしが彼の心をかたくなにするので・・殺すであろう」とある。神様がモーセの手に授けた奇跡を行ったら、すぐさまファラオがイスラエル人を自由の身にするとしたら、どんなにかモーセの働きは楽であったであろうか。しかし、驚くなかれ、神様はみずからがファラオの心をかたくなにすると言われた。神様自身で選ばれたモーセのために、できるだけその務めが軽くなるように、たやすいようにさせて下さるのが、私たちとっては、神様にして欲しいと思うことである。神様は、わざとモーセを苦しめようとなさったのであろうか。
そうではないと思う。「神がかたくなにされる」とは、エジプト王の心がかたくなになってしまうのが、どうしても避けられない必然であるということを意味している。神学用語に『神的必然』というのがある。なぜ避けることができない必然なことなのか。22節と23節が、それを教えてくれている。神様はモーセを通してファラオに、自分の大切な子供であるイスラエル人を去らせて、神様に仕えることを要求された。それは3章18節、神様がモーセをして、エジプト王に開口一番言わしめようと命じられた言葉でいえば、「三日の道のりを荒れ野に行かせて、私たちの神・主に犠牲をささげさせてください」である。5章1節で言えば、「わたしの民を去らせて、わたしのために祭りを行わせなさい」である。この要求は、つぎに述べるような理由から、どうしてもエジプト王にとっては、受け入れ難いものであった。神様の要求は、どうして必然的にファラオにとっては拒むしかない、心をかたくなにするしかないものなのであった。そこに神的必然があったのである。
なぜ、モーセを通しての神様の要求は、ファラオをして拒ませるしかないものなのか。神様の要求は、イスラエル人を「わたしの子」として扱うことを求めるものだからである。エジプト王はイスラエル人を奴隷として扱っていた。5章4節、神様の要求にファラオは「お前たちはなぜ彼らを仕事から引き離そうとするのか。労働に戻るがよい」と言ったとある。これこそが、すべからくこの世の王様が私たちを扱う根本である。王のために利益をもたらす労働・仕事をする存在に留まらせようとするのが、王の思いなのであった。これに真っ向から立ち向かい対峙して、神様は、私たちを「わたしの子」として扱ってくださる。神様の子である私たちが為すべきことは、まず祭りである。それは、喜んで、楽しんで生きることではなかろうか。また、神様に犠牲を捧げることだとある。この世の王は大きいもの、多いものを求めるが、神様が求めるのは常に小さいものである。
4.私たち信仰者の歩みとは、すべからく、このような神様の御心のもと、それぞれにとってのエジプト王に対峙していくという、実に難儀なものなのではないかと思う。決してたやすいものではない。のんびりと故郷目指して旅をするようなものではないのである。私たちに、常に労働と仕事、この世の利益を生み出させようとさせるエジプト王が、私たち一人ひとりのなかにいて、この王に対して、私たちは神様の子供として荒れ野へ行き、祭りをし、神様に捧げる者として、対峙しなければならない。それは、危険な使命である。しかし、このことこそが、私たちに生きる喜びを与えるのである。小さな事でも、神様にお献げして使っていただける喜びを感じさせてくれるのである。
先週の聖書研究祈祷会で、ある人が証しをしてくれた。その人は、ずっと死ぬことに引き寄せられ、こころの病気のために、とうとう日本でも有数の研究機関を退職せざるを得なくなったのだそうである。いまもその人の病気は治ってはいないし、生活の大変さも加わった。しかし、イエス様に出会って信仰生活・礼拝生活をするようになって、死に誘われ、まさに死んでいたような自分が、生きる者へと変えられたと証しして下さった。そのように彼を変えたのは何であったか。その人の姿は、学生時代においても、また職場においても、エジプト王の奴隷とされているイスラエル人そのものではなかったかと感じた。その人自身に、また職場に利益をもたらす業績が求められ、それが得られないことに悩まされ、死に向かわせていた。そんな中で、神様に出会った。証しのなかで、5000人の供食の出来事を引用された。少年が持っていたわずか5つのパンと2匹の魚をイエス様が祝福して用いて下さったことに喜びを感じたという。自分が持っていたほんのわずかなものが、そのようにイエス様に、神様に祝福され用いていただけるということ以上の喜びはない。神様が、その子供である私たちに求めておられるのは、このようにささやかな献げものなのである。そのささやかな捧げものが、困っている多くの人々の必要を満たすのである。何とエジプト王が求めるものとは異なっているであろうか。
5.神様から、自分が為さねばならぬ務めの根源的な難義さと危険さを改めて突き付けられたモーセは、ある意味、死に瀕したといえる。このモーセを回復させ、再び神様からの使命を担う者として立ち上がらせたのは、妻ツィポラであった。また27節以下に記されている兄アロンとの出会いであった。
ツィポラがしたこと、また口にした言葉の正確な意味は定かではない。なぜ、とっさに彼女のしたことが、他の行為でなく、息子の包皮を切り取り、夫モーセの両足につけることだったのかは、よく分かっていない。一説によれば、妻が切り取ったのは息子の包皮ではなく、夫モーセのそれではないかとも言われている。そのほうが「わたしにとってあなたは血の花婿です」と叫んだことが、より解りやすくなるからである。細かな点はよく解らないのである。しかし、総じて言えるのは、妻は、夫が神様から授かった使命を果たすことにおいて血を流さねばならないということを受け入れたということである。だからこそ「あなたは血の花婿だ」と叫んだのだった。あなたは私の夫として、花婿として、最初から血を流すべき存在として、神的必然の只中に置かれているのだと妻は悟り、それを息子の包皮を切り取る - それは当然、息子やその母の痛みをも伴なう - ことを通して、共有し、共に担おうとしたのではなかろうか。
夫として、また父としてモーセが神様から授かった使命の困難さを、妻や家族が共有してくれたことが、モーセを回復させたのだと思う。それが「主は彼を離れた」との意味である。彼は再びその困難な使命を果たそうとするのであった。そこに、もう一人の助け手である兄弟アロンが遣わされた。モーセは、アロンに全てのことを告げた。アロンもまた、その困難な使命を理解して、共に歩んでくれることになったのである。私たちの信仰生活には、このような家族や兄弟姉妹が不可欠だということを教えてくれるように思うのである。
筑波学園教会牧師 福島 純雄
2015年 9月27日(日)聖霊降臨節第19主日礼拝
05:06実にキリストは、わたしたちがまだ弱かったころ、定められた時に、不信心な者のために死んでくださった。 05:07正しい人のために死ぬ者はほとんどいません。善い人のために命を惜しまない者ならいるかもしれません。 05:08しかし、わたしたちがまだ罪人であったとき、キリストがわたしたちのために死んでくださったことにより、神はわたしたちに対する愛を示されました。 05:09それで今や、わたしたちはキリストの血によって義とされたのですから、キリストによって神の怒りから救われるのは、なおさらのことです。 05:10敵であったときでさえ、御子の死によって神と和解させていただいたのであれば、和解させていただいた今は、御子の命によって救われるのはなおさらです。 05:11それだけでなく、わたしたちの主イエス・キリストによって、わたしたちは神を誇りとしています。今やこのキリストを通して和解させていただいたからです。
1.この手紙(ローマの信徒への手紙)は、私たちにとっては、とても読み解くことが難しい。しばしば、日本語で書かれた文章の意味さえ、よく解らないことがある。前後の流れが全くつかめないことも少なくない。説教は、まず、書かれている文章の意味が解り(第一段階)さらに、どうして著者のパウロが、そういうことを書き残さざるを得なかったのかが腑に落ちて(第二段階)、そこから初めて、読者である私たちに語りかけられているメッセージは何だろうかという所に(第三段階)至らねばならない。しかし私のこのローマ書の説教は、しばしば、第二の段階で止まってしまうのである。申し訳なく思う。本日与えられた箇所についても、まず書かれている文章の意味を知り、なぜパウロがそういう言葉を語らねばならなかったのかを理解することに精力を傾けざるを得ない。
5章から8章までは、ローマ書本論の第三部として区切られていた。ここでパウロが、どういうことを書こうとしたかについては、実は専門家の間でも意見が分かれているようである。一般的には、5章1節の書き始めが「このように、わたしたちは信仰によって義とされているのだから」とあるところから、この第三部では、信仰によって義とされた者の新しい生き方が勧められているのだと理解されているようだ。確かに、5節までは、義とされた者には苦難から希望が生じ、その希望は失望に終わることがないとの有り様が、先ず書かれていた。
けれども、今日の箇所には、そういう新しい生き方の様子が描かれているかというと、全くそういう記述はない。5章12節以下は、「アダムとキリスト」というタイトルで始まる。6章の15節以下は、本論の第一部や第二部で取り上げられた律法の問題が再び取り上げられている。ずっと読み進んでいっても、信仰によって義とされた者の新しい生き方を描くという文章は書かれていないのである。9章から11章までの本論第四部もそうである。信仰によって義とされた者の新しい生き方が具体的に勧められてゆくのは、本論第五部というべき12章からであると言って良いように思う。
そこで、私としては次のように想像をたくましくしてしまう。確かにパウロは、この5章から、信仰によって義とされた者の新しい生き方を書こうとしたけれども、どうしても、未だ信仰によって義とされるという原理について言い足りないものを感じたのではなかろうか。その言い足りなさというのが、何処から生じたものかと言えば、パウロが常に念頭においているローマ教会にあった対立であろう。異邦人からクリスチャンになった人々とユダヤ人からそうなった人々との間に、深刻な溝が広がりつつあったのである。パウロは、言うまでもなく、異邦人クリスチャンの側に立場を置いていた。だから、信仰によって義とされることについて、ユダヤ教の強い影響を受けていたユダヤ人クリスチャンのことを想定すると、未だまだ言い足りないと思うとことがどんどん出てきてしまったのではないかと想像してしまうのである。そういう背景があって、この第三部は、イエス様をキリストとして信じて、神様から義とされるという原理について、ユダヤ人クリスチャンを念頭において、さらに深く解き明かそうとしているところなのである。
とりわけ、ユダヤ人クリスチャンが長い間考えてきた神様の義との違いを、とくに「神の愛」というキーワードから勧めようとしている箇所ではないかと思うのである。5章5節に「神の愛がわたしたちの心に注がれている」とあり、8節最後にも、神の愛への言及ある。因みに、第三部の終りの8章最後の言葉は「わたしたちの主イエス・キリストによって示された神の愛からわたしたちを引き離すことはできない」である。この第三部は、「神の愛」というキーワードによって囲まれた部分なのである。「神の義」を「神の愛」から解き明かそうとしたのが、この第三部の主題だと言ってよいかも知れない。
2.そこで、果たして、ユダヤの人々は、神の義というものを、ひいては、それとの関係で神の愛ということを、どのようなものとして受けとめてきたのであろうか。一言で言えば、それは義なる者のみを義とする、愛されるにふさわしいものだけを愛する、そういう神の義であり神の愛と言ってもよいかもしれない。
旧約聖書に書かれていた神の義・神の愛が、義なる者だけとつながりを持ち、愛されるにふさわしいものだけを愛するのではないということは、もう解っていただけていると思う。アダムやアブラハム・イサク・ヨセフまたモーセが義なる者といえる存在であったであろうか。むしろ、不義としかいいようのない部分があった。しかし、神様は彼らとつながりを持ち、引っ張って下さったのである。けれども、段々と時代が下るにつれて、不義なるものを義として、愛されるにふさわしくないものをも愛される神様の姿が消えて行ってしまったのである。義なる者のみを義とし、愛されるにふさわしいものだけを愛する。不義なる者を罰し切り捨ててしまうという神様の姿だけが顕著になっていったのである。
ルカ福音書のなかだけに書かれているエピソード、放蕩息子のたとえ話を思い起す。放蕩三昧をして身を持ち崩し、帰ってきた弟息子を、宴会をして出迎えた父とは、不義なるものを、愛するにふさわしくない者を義とし愛して下さる神様の姿である。しかし、そのような父を、そのような神様の姿を、カンカンになって怒る兄がいた。兄にとっては、そのような神は、神ではなかった。兄には、そのような弟など、決して家に入れず、叩きだし、死ぬのは自業自得だと言い放って、見捨ててしまう父こそが、神なのであった。父に気にいられようとして、懸命に働いてきた兄であった。そのように、ユダヤ人も割礼を受け、律法の行いをし、安息日を守ってきたのだった。神様の前に、必死になって義なるものになろうとしてきたのだった。彼らにとって、神の義とは、義なる人間だけを義とされるものであった。神の愛とは、愛されるにふさわしい義なる者のみが愛されることであった。不義なる者は切り捨て、追い出し怒りを下されるのが神の義・神の愛だったのである。
3.このような神の義に対して、イエス様は、放蕩息子のたとえ話を通して、そして、自分自身の生涯を以って明らかにし、また与えて下さった神の義とは、不義なる者を義とし、愛されるにふさわしくない者を愛される「神の愛」なのだと、パウロは、何よりも伝えようとしていたのである。そして、不義なる者を義とし、愛される神の義、神の愛とは、とりわけても、イエス様の死において、イエス様が不義なる者のために血を流して下さったことにおいて示されていると、パウロは何度も何度も、繰り返しているのである。
ここでパウロは、たたみかけるように、私たちは弱かった、不信心な者だった、罪人であった、敵でさえあったと語っている。放蕩息子のたとえ話では、弟息子は父から財産を譲り受け、欲のままにこれを使い果たし、結果としてブタの餌ささえも貰えない境遇に落ちたと書かれていた。豚以下の存在になったのだと私は受け取るのである。ここには、神様から離れてしまった私たち人間の悲惨さが書かれている。私たち人間だけに与えられた財産がある。それは、創造し、目の前にあるものを支配する能力である。
その能力を、一体、人間は何のために使っているか。この20世紀~21世紀において、途方もない人々が人間の創り出した武器によって殺されていった。神様の預けて下さった大地を囲い込んで、領土だ国家だと言って殺し合って来た。何十万という人々が、いま中東からヨーロッパへと逃げざるを得なくなっている。元はと言えば、ヨーロッパ諸国が勝手に線引きをした領土が問題の起源であろう。直接的には、イラクが大量破壊兵器を持っているとの嘘の理由で、強制的に滅ぼされたことが原因なのである。神様から離れて、勝手に欲望のままに財産を用い、結果として、人間は、きれい好きと言われる豚には失礼なほどはるかに劣った存在として、自分の創り出した汚辱と混乱に苛まれているのである。
もし神の義が、義なる人間だけを義とされるものであるならば、このような私たちは決して神様と結び付けていただく可能性などない。そのまま、この汚辱の中に苛まれるだけである。自分自身が作りだした惨めさに、自業自得に滅んでいくしかないのである。しかし、そこで放蕩息子はどうしたのか。我に返り、父の家に帰る道を見出したのだった。父が自分のようなものをも - もはや息子としては無理かも知れないが、雇い人の一人として - 一家に迎え入れてくれると信じたのだった。父の言葉や思いが、彼に聞こえるはずはない。しかし、何処かでは届いていたのだった。そのような父がいるということが彼の救いとなったのであった。帰ってきた息子を父は受け入れた。そこに愛がある。愛とは無条件なものである。無条件な神の愛こそが、神の義なのである。
4.どうして、この神の義・神の愛が、私たちに与えられるために、イエス様の死・血・命の犠牲が不可欠だったのか。放蕩息子が父の家に帰るためには「道」が不可欠であった。父の家へと彼を至らせる道が必要だった。イエス様は「私は道であり」と言われた。十字架の上で死んで下さったイエス様こそが、この道に他ならないのである。不義なる私たちを義なる神様へと至らせて下さる道、よすがに他ならないのである。放蕩三昧に身を持ち崩した彼を、父の家に至らせる道は、ただの道ではいけないのである。それは、放蕩に身を持ち崩し、豚以下の存在になった、そういう彼の生き方と正反対のものでなければならないと私は思う。だからイエス様は、ただ人として生まれて天寿を全うしたのではダメだったのである。十字架の死に至るまで、汚れのない清いものでなくてはならなかった。それが命の犠牲であり、血を流して下さったことの意味である。
さて、過日の常総市の水害において、水海道教会ボランティアセンターには、毎日何十人もの人々が集まり、汚泥で汚れた礼拝堂や牧師館や信者の家をひとつひとつ、きれいにしていってくださった。洪水がもたらした汚れというものに打ち勝つことができるのは、ボランティアの人々が一生懸命に、身を粉にして働き、そこに生じさせて下さった「清さ」なのであった。それは、ある意味では、犠牲と言えよう。血が通っている命が注がれたということである。実際には、住まいそのものが、元通りに住めるようにはならなかったとしても、ボランティアの人々が、それほどまでに清いエネルギーを注いで下さったということが、洪水がまき散らした汚れ、すなわち負の力に対抗して、被災した人々に復興する元気を与えたのであった。それが生きる道になって行ったのである。イエス様が十字架に架かり、欲望とは正反対の清い姿として生き抜かれたことによって、私たちを清めて下さったのである。この汚れなき命の犠牲が、私たちの神様に戻る道を備えて下さっているのである。それが復興となって行くのである。
筑波学園教会牧師 福島 純雄
2015年 9月20日(日)聖霊降臨節第18主日礼拝
03:01モーセは、しゅうとでありミディアンの祭司であるエトロの羊の群れを飼っていたが、あるとき、その群れを荒れ野の奥へ追って行き、神の山ホレブに来た。 03:02そのとき、柴の間に燃え上がっている炎の中に主の御使いが現れた。彼が見ると、見よ、柴は火に燃えているのに、柴は燃え尽きない。 03:03モーセは言った。「道をそれて、この不思議な光景を見届けよう。どうしてあの柴は燃え尽きないのだろう。」 03:04主は、モーセが道をそれて見に来るのを御覧になった。神は柴の間から声をかけられ、「モーセよ、モーセよ」と言われた。彼が、「はい」と答えると、 03:05神が言われた。「ここに近づいてはならない。足から履物を脱ぎなさい。あなたの立っている場所は聖なる土地だから。」
1.本日は、敬老祝福礼拝である。この聖書個所は、年齢を重ねた人々に対して、神様がいかに豊かな祝福を与えて下さるかを、ものの見事に描いていると感じる。ここには、モーセが何歳であったかについては何も書かれていないが、7章7節に「(エジプトの王である)ファラオに語ったとき、モーセは80歳であった」とある。モーセがエジプト王の前に立つに至るまで、それほどの時間が経っていたとは考えらないので、この頃モーセはほぼ80歳になっていたと想定できる。80歳の老人を、神様は、奴隷として苦しめられているイスラエルをエジプトから脱出させるためのリーダーに選んだのである。このとき、もっとふさわしい人物がいたのではないか、80歳の老人でなく、もっと若く元気のよい者の方がふさわしいのではと、誰もが思うであろう。しかし神様は、この80歳のモーセをお選びになった。先ずそこに、私は、老いた者への祝福と言うことを感じる。
多くの80歳は、「強大な力を持ったエジプト王の前に立ち、少なくとも何万人かはいたであろう同胞を束ねてパレスチナへと導くという重い責任を、80歳になってまで背負いたくはない、そのようなことが祝福だとは思えない」と思うのではないか。確かにそうである。しかし、それを背負うことが、モーセにとっての祝福だったと私は思うのである。
2.モーセは、この先40年間、120歳になるまで苦心惨憺、同胞を導いて荒れ野を歩むことになる。そして、いざ約束された地が目の前に示された途端に、突如として天に召されてしまうのである。そのときの様子が、申命記の最後、34章7節に次のように書かれています。「モーセは死んだとき120歳であったが、目はかずまず活力も失せてはいなかった」と。120歳になった彼をして、目もかすまず活力を失わせていない原動力は何であったのか。それは、神様からの重い責任ではあった、それを背負わされていたということなのである。神様が与え下さった務めに生きていたことなのである。そういう務めを、80歳になったものにこそ、神様はお与えになったのである。老いを重ねた者こそが相応しいのである。それを担うことによってこそ、- これは礼拝で口にする言葉としてはふさわしくないかも知れないが、- ご高齢の皆さんが、願いとしてよく口にされる『ピンピンコロリ』が、成し得るのである。
関東教区に5つの地区があり、5人の地区長のなかで、私はちょうど中間の年齢にあたっている。埼玉地区の地区長をしておられる鴻巣教会の牧師は70歳をはるかに越えておられる。もう隠退を考えておられたのに、おそらくは牧師招聘に困難を抱えていた教会に懇願され招かれて、誰も引き受け手がいないということ地区長にも推挙されてしまったのだった。ちなみに、埼玉地区の副地区長をされているのも、同じように東松山に赴任された、やはり70歳を越えた牧師先生である。先日、常置委員会の昼食を取りながら、その埼玉地区の地区長が教区の主事に「先生、お疲れになられるでしょう」と尋ねられたとき、彼は「いや、ちっとも疲れない。道楽でやっているのだから」と、笑って答えておられた。「道楽で」などと、決して言葉通りではない。75歳を越た年齢で牧師をされ、さらに地区長まで背負われるのは、決して楽ではないはずなのである。しかし、愉しみ - 楽と書くほうでない - ではあられると思うのである。親しくしていただいている副地区長をされておられる先生は「この年齢になると、もうどんなことでも伝道としてやれるんだよ」と語っておられた。信仰生活、また教会生活をつづけていると、老いを重ねてこそ素晴らしい使命を - それは、とても重いことでもあるのだが - 神様から授かるのである。
3.さて、モーセがどのようにして神様と出会い、このような指名を与えられて行ったのだろうか。まず、1節には「モーセは・・・ホレブに来た」とある。ここにもまた、老いたる者にこそ授かる祝福というものを強く感じる。
モーセが生活をしていたのは、ミディアンという場所であった。聖書巻末の『2、出エジプトの道』を見ると、ミディアンとは、今のサウジアラビアがあるシナイ半島の、東アカバ湾を渡って対岸にある地域であることがわかる。ホレブ山とは、正確に何処にあるか定かではないが、シナイ半島にあるシナイ山だ、とされている。ミディアンからホレブ山までは、陸路ではアカバ湾を迂回しなくてはならない。距離にして、短くとも200キロはあろうか。そういう道程を、モーセは、羊を連れて進んでいったということになる。神の山に行きたいという、はっきりとした思いがあったのではないかと想像できる。そういう内なる思いがなければ、羊を飼いつつ、わざわざ200キロもの道程を行くことはしないのではなかろうか。「荒れ野の奥へ」ともある。それは、羊を飼うのにはふさわしくない歩みのように思える。それでもなお、モーセは内なる何かに導かれて、せっつかれて、神の山を目指したのであろう。
私はここに、老いたものゆえの姿、祝福された姿というものを見るように思う。なぜ神様が、青壮年ではなく、80歳の老人を選ばれたのか、その理由がここにある。それは、モーセがこの年齢になってこそ、羊を飼いながら荒れ野の奥へ進み、神の山に向かう歩みを、ごく自然にするようになっていたからなのである。羊を飼うというのは、世俗の仕事の歩みである。それは、おのずと肥沃な場所に向かうものである。しかし、80歳のモーセは、羊を飼いつつ荒れ野へ向かい、神の山に至った。老いるとは、荒れ野の奥へ進んで行かざるを得ない歩みであろう。だからこそ、その歩みは世俗の歩みをしつつも、おのずと神の山に向かわざるを得ない。神様を求めざるを得ないのである。老いの祝福とは、そのようなものである。
4.こうして、神様を求めてやってきたモーセに、神様はその姿を現された。しかし、その姿を現される前に、また、直接お言葉をかけられる前に、モーセを捉え、彼を惹きつけるある光景を見せられたのである。それを見て彼は、「道をそれて・・・どうして」と言ったのだった。神様を求めてやって来た。言わば、求道の歩みをして来た。折角そんな歩みをしてきた彼を、神様は、はぐらかすことはなさらなかった。老いて荒れ野の奥で神様を求める私たちを、神様は手放すことはなさらない。老いの身であるからこそ、神様はしっかりとモーセをとらえて下さった。老いの求道は、このように祝されるのである。必ずや、神様との出会いがある。
神様がモーセに見せた光景は、彼の求めていたものにピッタリと沿うものであったに違いない。モーセは、燃えても燃えても尽きない柴の木を見せられた。火に燃やされる柴の木とは、老いによって焼かれ、また、エジプト王に苦しめられていた同胞を心配しつつ、しかし、何もできないでいた焦燥感によって40年間焼かれてきたモーセを、シンボリックに現している。モーセは、焼かれて、もう灰になりかかっていたのだった。だから、神様を求めてきたのであろう。それに神様は答えて下さった。「今のあなたを、燃えても尽きない存在にするものがあるのだ。あなたを灰にするように焼くのではなく、尽きないように燃やす火があるのだ。その火を受けなさい。神の火によって、燃え尽きない者となりなさい」と神様は語りかけられたのである。
それを見てモーセは、「道をそれて・・・どうして」と言ったのだった。この光景を見せられて、彼は道をそれることができた。今までの道とは違う道があることに気づいた。モーセは、時間と共に老い、肉体がその時間によって焼かれ、また社会的・経済的に焼かれてしまうような道とは違う道があることに気づいたのだった。通常、私たちは、そのような道しか知らない。しかし、神様を求める私たちに、神様は違う道があることを示して下さる。青壮年期にある人々は、このような光景になど、何ら魅力は感じないのではなかろうか。青壮年期にある人々には、自分自身のなかに、燃やすエネルギーがあるからである。いろいろなものに焼かれて、灰になりかかっている自分など、感じないからである。しかし、老いた者は違いう。焼かれて燃え尽きてしまう自分を、ひしひしと感じている。だからこそ、神様が見せて下さるものに惹きつけられ、神様としっかりと出会うようにさせられるのである。
5.私は、私たちがこうして礼拝に集うことが「神の山に来る」ことだと思う。神の山に来て、私たちは何を見るのであろうか。残念ながら、私たちは、モーセが見たような劇的な光景を見ることはできない。こんな不思議な現象を見せられたら、私たちだって、難なく道をそれて、その後の神様との出会いに導かれて行くであろうに。
確かに、そうではあるが、私たちは聖書を読むことで、そして聖書に記された信仰の先人たち、そしてイエス様を通して、燃えても、燃えても無くならない柴の木というものを見せていただけるのではないかと思う。むしろ、私たちが旧・新約聖書を通して見るのは、たった一本の柴の木ではなく、数えきれない先人と十字架の死に焼かれたイエス様が、しかし燃え尽きないという姿なのである。神様を信じて生きた人々が、様々な困難に焼かれても尽きなかった。そういう数多くの有り様を見せていただいて、しっかりと別の道があると悟るのである。これまでの道から逸れるのである。「彼らが、こうして生きられたのはどうしてなのだろうか」と心を惹きつけられるのである。
このように、聖書に記されたことを通して、私たちも神様に出会うことができる。要は、神様に出会うということが、神様からの火をいただくことなのだと思う。神様と出会うことが、私たちを内的に燃やして、尽きないものとさせて下さるのである。6節には、神様がモーセこう言われたとある。「私はあなたの父の神である。・・・ヤコブの神である。」アブラハム・イサク・ヤコブとは、モーセよりもはるか以前に死んでしまった先祖である。しかし、神様はあたかも彼らがなお生きているかのように、神様の目の前にいる存在であるかのように、彼らを呼び、また、自身を「彼らの神」であると言われた。神様とのつながりにおいては、彼らはしっかりと存在していることを読みとることができる。自身を「だれそれの神」と言ってはばからない神様とつながっているなら、私たちも尽きない存在となれるのである。その神様と結びついていることにおいて、私たちは燃え尽きずに生きていけるのである。
また神様は「足から履物を・・・聖なる場所だから」と言われた。この言葉もまた、老いた人々にこそ本当に慰め深いものだということが、その意味が分かるものではないかと感じる。59歳の私には、まだまだくみ尽くせないものがあるが、いま分かるのは、こういうことである。80歳になったモーセにとっては、すべてが慣れ切ったことというか、履き慣れた汚い履物をはいて歩んできた場所なのであった。何一つ心をとらえられることなどない、こうなって行くのか、衰え死んでいくのかと言うしかない、既定の道なのであった。それが「履物をはいている」という言葉から、私が感じる意味である。しかし、神様は言われた。「私と出会ったからには、私とのつながりにおいて歩むこれからの道は、一歩一歩が新しい道、聖なる道、私が用意する貴い道なのだ。」と。神様からの何らかの使命をいただいて、聖なる道を、履物を脱ぐという感覚で、一歩一歩を歩んでいくのである。この語りかけの貴さ・祝福は、老いたる者こそが分かるものではないだろうか。
筑波学園教会牧師 福島 純雄
2015年 9月13日(日)聖霊降臨節第17主日礼拝
17:11イエスはエルサレムへ上る途中、サマリアとガリラヤの間を通られた。 17:12ある村に入ると、らい病を患っている十人の人が出迎え、遠くの方に立ち止まったまま、 17:13声を張り上げて、「イエスさま、先生、どうか、わたしたちを憐れんでください」と言った。 17:14イエスはらい病を患っている人たちを見て、「祭司たちのところに行って、体を見せなさい」と言われた。彼らは、そこへ行く途中で清くされた。 17:15その中の一人は、自分がいやされたのを知って、大声で神を賛美しながら戻って来た。 17:16そして、イエスの足もとにひれ伏して感謝した。この人はサマリア人だった。 17:17そこで、イエスは言われた。「清くされたのは十人ではなかったか。ほかの九人はどこにいるのか。 17:18この外国人のほかに、神を賛美するために戻って来た者はいないのか。」 17:19それから、イエスはその人に言われた。「立ち上がって、行きなさい。あなたの信仰があなたを救った。」
1.ルカによるこの福音書だけに書かれたエピソードである。10人の重い皮膚病を患っている人々がイエス様を出迎え「私たちを憐れんで下さい」と叫んだ。すると、不思議にもその病気が癒された。その10人の中の1人(サマリア
私がまず感じさせられたのは、重い皮膚病を患っていたことが、逆説的に、とても幸いなものとして描かれているのではないかという点である。私はかつて、仙台YMCAに勤め、その後、神学校に入る前に、所沢にあった秩父学園という国立の専門学校で1年間学んだ。その学校は、障碍を持つ人たちをケアする仕事について学ぶ学校であった。当時、聖公会信者の学友に連れられて、ハンセン病療養所(国立ハンセン病療養所多摩全生園)に行った。療養所内にある聖公会の教会で礼拝を守った後、その教会の信者で、ずっと療養所で生活をしてこられたご夫妻のお宅に招かれた。ご夫婦ともに、顔が崩れておられ、手指も変形しておられた。そうした変形をおこさないハンセン氏病もあると聞いたことがあるが、それにしても、つい数十年前の日本でさえ、その病気とわかれば強制的に隔離され、一生涯そこから出ることが許されなかった。イエス様の時代もそうであった。その病気とわかると、健康な者の住む城壁の中に入ることは許されず、風上の数十メートルの範囲にもいることが許されなかった。そういう病気にかかることが「幸い」とは、どういうことか。しかし、ルカは、そのように捉えていたと、この一連の文脈において、私は感じるのである。
ルカは、当時のイスラエルで、社会的にも信仰のうえでも主流だったファリサイ人や律法学者たちが語った神様に、真っ向から反するような神様を語ったイエス様を、ずっと描いてきた。ファリサイ人や律法学者たちは、当然それに反発していた。イエス様の弟子の中にも、つまずく者が出てきたと想像する。だから、イエス様は「つまずきは避けられない(17章1節)」と言われたのだった。そのようにイエス様につまずき、またイエス様の語る神様につまずく人々が徐々に多くなって行くなかで、11節にあるように、イエス様は自身の受難を予想しつつ、エルサレムに上ろうとしていた。ルカは、このようなイエス様につまずかず、むしろ大いに歓迎した10人がいたことを記したのであった。書かれてはいないが、そのような時に、こんなにも熱烈に自分を迎えてくれたことへのイエス様の喜びが、ここから伝わって来るように思う。
2.では、この10人は、どうしてイエス様につまずかず、イエス様を歓迎したのか。それは、ひとえに、思い皮膚病を抱えた人々だったからである。ファリサイ派の人々がつまずいたイエス様の語る神様に、彼らの心はとられたに違いない。100匹の羊の群れの中から迷い出てしまった迷惑な1匹の羊、また10枚の銀貨が揃っていてこそ価値のあるネックレスから落ちてしまった1枚の銀貨、さらには放蕩三昧をして身を持ち崩してしまった息子、それらは皆、重い皮膚病を抱えたこの10人に重なる。イスラエルの共同体にとって迷惑な人たち、神様によって何らかの罰を受けたからこうなったと思われていた人たち、もう決して自分たちの群れや交わりのなかに入って来て欲しくない存在として見なされていた人たちであった。そういう存在をこそ、神様は捜し求め、復帰を求め、喜ばれるのだとイエス様は語られたのだった。その言葉に、重い皮膚病の10人は引き寄せられた。「イエス様なら、自分たちのために何かをして下さるかも知れない。他に、もうどんな頼る手段もないのだから。」彼らは、藁にもすがる思いであった。共同体の主流をなす者たちは出迎えず、よって神様からの素晴らしい賜物をいただくことができなかった。その一方で、共同体から締め出された者たちこそが、賜物をいただくことができたのである。ここに、重い皮膚病を患うことそれ自体は幸いとは言えないが、イエス様を出迎え、神様から善きものをいただける機会となる故の幸いと言うものが語られている。
重い皮膚病を患った人々が、逆説的に、幸いな者として描かれている聖書のエピソードを、もう一つ思い起こす。旧約聖書列王記(下)7章に書かれている預言者エリシャ物語の中の出来事である。サマリアに首都を置く北イスラエルの国が、隣のアラム(現在のシリア)から攻撃を受け、大軍によって首都を包囲され、兵糧攻めを受けた。城壁の中にいた人々は諦め、町は飢饉に襲われた。このような町に、思いもかけない救いをもたらしたのが、4人の病の人々であった。彼らは、城壁の中に入ることは、勿論許されずにいた。城壁の入り口で、彼らはこう言った。「どうして、私たちは死ぬまでここに座っておられようか。町に入ろうと行ってみたところで、町は飢饉に見舞われていて私たちはそこで死ぬだけだし、ここに座っていても死ぬだけだ。そうなら、アラムの陣営に投降しよう。もし彼らが生かしてくれるなら、私たちは生き延びることができる。もし私たちを殺すなら、死ぬまでのことだ。」こういって、彼らはアラムに投降した。すると何と、都を包囲していたと思っていた大軍は、もぬけの空だったのである。神様が大きな音を響かせてアラム軍を逃げ去らせたのだった。それを発見したのが、この4人だった。彼らはアラムの陣営でたらふく飲み食いした後で、この善き報せを城壁の中にいる人々にも知らせたのだった。こうして、北イスラエルは危機を脱したのだった。
私たち自身のなかに、私たちによって締め出され忌み嫌われている障碍や病いや、様々なマイナスというものがある。私たちは、それを城壁の外に締め出してしまう。あってはいけないものとして、排除してしまう。けれども、そうした部分こそが ―それは一人ひとりにとっても、家庭においても、国家においても、そうであるのだが― 実は、私たちにイエス様を出迎えさせているし、神様からの素晴らしい善きものをいただく機会となるのだとのメッセージではなかろうか。
3.先日、書店で何気なく手に取った本は、東京大学の福島智先生が書かれた『ぼくの命は言葉と共にある』というタイトルだった。私は以前にも朝日新聞で、この福島智先生の記事を読んだことがあった。本の帯には、9歳で失明、18歳で聴力を失い、その後、東京都立大学に入学し(盲聾者として初の大学進学)、世界で初めての盲聾者としての常勤の大学教授(2008年から東大の教授)と書かれていた。
著者自身はクリスチャンではないが、彼の友人のなかには、何故かクリスチャンが多いというのである。彼の友人に限らず、障碍者のなかにはクリスチャンが多いとも書かれていた。著者が盲学校に入りたての頃、彼の掌に指文字で「思索は君のためにある」と書いてくれた友人も、カトリックの信者だったそうである。なぜ障碍者のなかにクリスチャンが多いかについて、著者は以下のように書いておられる。「日本の伝統的な宗教では、どうしても、こうした障碍は『因果応報』というところから説明されてしまう。しかし、キリスト教では(ヨハネ福音書9章を引用し)、障碍というものに、とても明るい光を投げかけてくれるというのを聞いて、とても救われたような明るい気持ちがした」と。また、「聖書の記述は、現実の人生を切り拓くうえで、建設的な力を与えるメッセージだと思う。障害者にキリスト教の信仰者が少なくないのは、おそらくこうした点にも関係がある」とも書かれていた。
たとえクリスチャンになったとしても、ほとんどの人は病気そのものが奇跡的に癒されるということはない。私がハンセン病療養所で出会った夫婦もそうである。それでも多くの人々が、決して失望することなくイエス様を迎えるのである。それは、福島教授が言われるように、聖書のメッセージが障碍や病いを抱えた人々に、生きるうえでの建設的な力を与えるからだと思う。
4.さて、14節以下に書かれていることこそ、病にあった10人がイエス様との出会いから(福島先生が言われるように)生きるうえでの建設的な力を与えられていった有り様ではないかと感じるのである。イエス様は彼らに「祭司たちの・・」と言われた。「彼らはその途中で清くされた」とある。
イエス様が彼らに言われたことは、よくよく考えると、不思議な言葉だと、私は感じる。病気を癒すには、まず患部に触れることが不可欠ではなかろうか。しかし、イエス様はそんなことを全くなさらずに、この病気が治ったかどうかを判定する祭司のところに行けと言われただけであった。この不可解なイエス様の言葉に黙って従った10人は、「その途中で清くされた」のだった。
ここでまた、列王記(下)の、先ほど触れた7章より少し前の5章に書かれていた出来事を思い出す。北イスラエルと争っていたアラムの国に、ナアマンという将軍がいた。彼は重い皮膚病に罹ってしまった。イスラエルから捕えてきた捕虜の少女が「自分たちの国にはすぐれた預言者(エリシャ)がいる」と言ったので、ナアマン将軍は、預言者エリシャのもとにやってきた。ところが、エリシャは、彼に直接会おうともせず、使いのものを通して、こう言っただけであった。「ヨルダン川に行って7度、身を洗え」と。将軍はカンカンに怒ったが、部下がなだめたので、彼は預言者の言葉に従った。そして、癒されていったのだった。この出来事から教えられるのは、エリシャを通して神様の言葉に従うことの大切さである。ヨルダン川で体を洗うことなど、実はどうでもよいことであった。エリシャという預言者を通して、神様の言葉に促され、新しい歩みができたかどうかが大事だったのである。
重い皮膚病の10人も、イエス様の言葉に従ったのだった。祭司たちのところに行くことは、単に病気が治ったかどうかの判定をしてもらうということだけではなかったように思う。祭司たちが、実際にどこにいたのかは分からない。しかし、恐らくは神殿であったであろう。城壁をくぐり抜けて入らねばならなかったかもしれない。最もこの10人が「入ってはいけない」とされていた場所であろう。聖なる領域であろう。イエス様は「そこに入って行け」と言われたのだった。「あなたがたはそこに入って行けるのだ。堂々と胸を張って、今まで締め出されていた場所に入って行け」と言われたのだと思う。
イエス様のその言葉に従って彼らは「行く途中で清められた」のである。もちろん、意味としては、重い皮膚病が治ったということなのだが、聖書に「病気が癒された」ではなく、わざわざ「清められた」と書かれていることに、私は心を引き寄せられる。体の病気そのものが治ることが大事なのではなく、イエス様の言葉すなわち神様の言葉に従って新しい歩みをはじめ、そのプロセスのなかで「清められる」ということが起きるのである。神様だけが持っておられる聖なるものに触れて清くされるのである。それは、必ずしも、病気そのものが治るということとして現れるとは限らない。寿命によって、また先天的に体に埋め込まれたメカニズムによって、病気も障碍も、避けることはできない。治らないこともある。しかし、神様によって清められるということは、イエス様を出迎え、イエス様の言葉に従った者には、必ず与えられるのである。そして、それは必ずや、私たちにそれまでとは違った何かを与えてくれるのである。だからこそ、多くのの障碍を持った人たちが、たとえ、それが癒されなくとも、イエス様を出迎えて、そこで示された神様の言葉に従ったのである。
さて、戻って来なかった9人については、私の手許にあるほとんどすべての注解書や説教は、手厳しいものである。貰うものだけを貰って、さっさと去ってしまった恩知らずという非難である。しかし私は、そのようには捉えていない。戻って来きたということを一言で言えば、礼拝ということだと思う。病気が治ってしまえばイエス様すなわち神様とのつながりが終わりというのではなく、讃美し、感謝をする者として、なおも清められて生きることができるということだと思う。
筑波学園教会牧師 福島 純雄
2015年 9月6日(日)聖霊降臨節第16主日礼拝
08:23イエスが舟に乗り込まれると、弟子たちも従った。 08:24そのとき、湖に激しい嵐が起こり、舟は波にのまれそうになった。イエスは眠っておられた。 08:25弟子たちは近寄って起こし、「主よ、助けてください。おぼれそうです」と言った。 08:26イエスは言われた。「なぜ怖がるのか。信仰の薄い者たちよ。」そして、起き上がって風と湖とをお叱りになると、すっかり凪になった。 08:27人々は驚いて、「いったい、この方はどういう方なのだろう。風や湖さえも従うではないか」と言った。
1.教会学校の子供たちとの合同礼拝に与えられたこの聖書個所は、もっとも有名なエピソードのひとつを記した箇所である。福音書を書いた人たちにとっても、また、初代教会の人々にとっても、忘れ難い出来事だったようである。イエス様の12人の弟子たちのうちの4人は、ガリラヤ湖で漁師をしていた人たちであった。そんな彼らが、勝手知った湖の上でパニックになり、イエス様によって助けていただいたという出来事は、とても忘れられないものだったであろう。信仰生活の根本をシンボリックに教えてくれるような出来事だったであろう。だから、弟子たちによって、繰り返し繰り返し人々に語り伝えられてきたに違いない。そんなところから、いつの間にか、信仰生活そのものが、イエス様と一緒に舟に乗ることとして考えられるようになり、また、ときに礼拝堂が舟を模して作られるようになったのではないかと想像するのである。
加藤常明先生の説教によれば、古い教会では、教会の中に舟の模型がつるされていたり、説教壇が舟の形をしていたりすることがあるという。また、会衆席の入口から主祭壇に向かう中央通路のうちのある部分の身廊(しんろう)は英語ではNaveと言うが、ドイツ語ではKirchenschiffと言い、これはそのまま舟のことを指すのだそうである。因みに、旧約聖書にノアの箱舟の物語があるくらいであるから、ユダヤ人の会堂も舟にちなんで呼ばれてもよさそうであるが、そういう例を私は聞いたことがない。信仰生活や、それが営まれる会堂を舟に重ね合わせるのは、私たちクリスチャン独特のものなのではなかろうか。そして、それは、イエス様とその弟子たちとの出来事に由来するのではないかと想像する。
2. さて、信仰生活とは、突き詰めれば、イエス様と一緒に舟に乗るようなものだというが、先ずそれは、陸の上での生活とは非常に異なった特徴をもつものではなかろうか。そのことが、前の段落からつなげて読むと伝わって来るように思う。この出来事の直前には、18節から22節までのところで、『弟子の覚悟』というタイトルがつけられたエピソードが書かれている。このような流れは、実は、平行箇所(マルコによる福音書とルカによる福音書の同じようなエピソードが書かれた箇所)のうちでも、マタイ福音書だけのものである。直前になにが書かれているかというと、一人の弟子がイエス様に「まず父を葬りに行かせてください」と頼んだとある。これに対して、イエス様は「わたしに従いなさい。死んでいる者たちに、自分の死者を葬らせなさい」と言うと、舟に乗りこまれ、弟子たちがそれに従ったという流れになっている。つまり、ある弟子が「イエス様に従って行きたいと思っているけれども、先ずは死んだ父のお葬式をしてから、そうさせて欲しい」と言ったということである。
ここに、非常に象徴的に、陸の上での私たちの有り様というものが如実に描かれていると思える。まず、父を葬らねばならないというのは、ごく当たり前のことではあるが、しかし、そうやって「まず・・・ねばならない」と私たちは言って、段々と多くのことに縛られて行くようになるのである。そうやって、多くのことに縛られて行くと、私たちの有り様は、いつの間にか、あたかも死んだ者に縛られた者のようになってしまう。死んだ者に縛られて、生きるということの大切な部分が失われてしまう。「死んでいる者たちに死者を葬らせよ」とのイエス様の言葉は、そういったことをシンボリックに語りかけようとしているのである。
この一人の弟子も含めて、陸の上での私たちの有り様がこのようなものになってしまうからこそ、陸の上の生活から私たちを一旦断ち、切り離させるために、イエス様は、まず自らが舟に乗りこんで、弟子たちを同行させようとなさったのである。陸の上で、ごく当たり前に行われていることさえも、舟の上では全く違うようになされる事は沢山ある。映画でよく、航海中に死人がでたときに、ごくごく簡単な葬儀をして、遺体は海に・・・といったシーンが見うけられる。舟の上には、言うまでもなく、陸上での財産を持ちこむことなどできず、医療なども本当に不十分なものでしかないのである。舟の上に持ち込めるごく僅かな水と食料と身の回りのものだけで、あとは船長や乗組員に頼り、お互いに助け合って生きるのが、舟の上での有り様なのである。舟の上の生活と陸上のそれとでは、何と違うことか。
陸の上で「まず・・・ねばならぬ」と言っている私たちに、イエス様は、「そういうものを捨てても、そんなものなど無くても生きられる場所があるだろう」と語りかけて下さる。「陸の上を離れての舟の上での生活があるだろう」と語りかけて下さる。もちろん、この弟子たちも、ずっと小さな舟の上で生活するというわけではない。いずれ数時間もたてば、陸の上での生活に戻ることになる。しかし、たとえ短時間ではあっても、陸の上での「まず・・・ねばならぬ」から離れて生きる舟の上での時間は、とても意味がある。生きるということについての根源的な何かを語りかけてくれる。私たちのとっての一週間に、たった数時間の礼拝生活、礼拝堂という舟に乗りこむ時間も、そういう意味をもっているのだと思う。生きるということについての根源的な何かを教え、取り戻させてくれる時間なのである。
3.さて、そこで、弟子たちが舟に乗り込むと、「激しい嵐が起こり、舟は波に飲み込まれそうになった」のであった。最初に起きた出来事がこれであったとは、とても意味深いのではなかろうか。順風満帆とは、すべてが順調という意味だが、舟の中で弟子たちが飲めや歌えの大騒ぎをしていたというのではないのであった。イエス様と一緒に舟に乗りこんだ信仰の生活というものが、もはや如何なる嵐も起きない歩みが保証されたのだと誤解してはならない。苦難に遭うと、「こんな筈ではなかった」と言って、信仰の生活を止めてしまうような人々にとくに、イエス様が語り掛けているように思う。
信仰の生活、すなわちイエス様と一緒に舟に乗りこんだ歩みは、不可避的に嵐に遭い、波に飲み込まれそうになる歩みだということを、語りかけてくれている。何故そうなのか。先日、対馬沖で突風か竜巻にあって、何隻かの漁船が転覆して、何人かの方が亡くなられたことがニュースで報じられた。陸の上では余程の竜巻や台風でも直撃しない限り、これほどの事故になることはないように思う。陸上では逃げ場もある。嵐をさけるための様々な手段がある。しかし、湖上や海上では逃げ場はない。嵐を避けるための手段が、そんなには多くないのである。だから、陸の上では何でもない風が、湖上では嵐になる。私たちを呑み込む波を生じさせるものとなりる。舟の上で生活をするからこそ、陸上では遭わない嵐や苦難に遭遇することがある。別の言い方をすれば、陸上の生活では、いろんな隠れ場や手段があるために、私たちの生きることが抱えている脆さが隠されてしまっているということなのである。その弱さが、湖上や海上では露わになるのである。信仰生活を営むからこそ、余計に露わになる私たちの脆さがあり、それを明らかにするために嵐がある。
「そんなことになるのなら、何も舟などに乗らない方が賢明ではないか。」その通りである。陸上の生活の方がはるかに安全である。しかし、陸上の生活には、「まず・・・ねばならぬ」がある。死者を葬って自分も同じ死人になってしまう営みがある。そのような生活からの解放が、信仰生活にはある。
4.ずっとガリラヤ湖で漁師をしてきたペトロたちが、湖上で嵐に遭ってパニックになってしまった。どうにもならなくなってしまった。そこで、嵐にもかかわらず、やすやすと眠っておられたイエス様に近寄り、起こし、「主よ、助けてください。おぼれそうです」とSOSを出したというのである。何故、信仰生活を営む者に嵐が襲うのか。その最大の理由がここに明らかにされている。それは、ペトロたちが、もはや自分たちの技術や能力ではどうしようもなくなり、そうなって初めて、自分たちとは決定的に違うイエス様を発見するためなのである。そして、この方にSOSを出すようになるためなのである。この方が風と湖を静かにさせる、ということを発見するためなのである。
これもまた、皆さんがよく抱かれる誤解だと思う。「信仰生活とは、嵐に遭っても動じない者になれること」と。だとすれば、イエス様と一緒の舟に乗っていながら、このようにパニックに陥ってしまった弟子たちは、まさに不信仰そのものであろう。だからこそ、イエス様も彼らを「なぜ怖がるのか。信仰の薄い者たちよ」とお叱りになったのだと、その不信仰を責められたのだと昔から理解されてきた。そして、多くの人々は、イエス様を起こすことなく、SOSを出すことなく、ひたすら自分たちが培ってきた経験と技術を用いて乗り切れば良かったのか。イエス様と同じように、安心して眠っていれば良かったのか。
しかし、私には、それこそが不信仰だと思うのである。信仰とは、私たちが自分を頼ることに敗れて、イエス様に「主よ、助けてください」と頼ることなのである。私たちをそのようにするためにこそ、神様は嵐を起こされるのである。舟に乗った私たちには、嵐を避けることができない。嵐に遭っても、なおイエス様にSOSを出さなければ、神様はさらにもっと凄い嵐を起こされるであろう。私たちの安心を打ち破り、私たちをしてイエス様の許へ近寄らせるであろう。この不信仰が信仰を呼び起こすのである。怖がるところにこそ、信仰がある。
では、イエス様の言葉の真意は何処にあったのか。弟子たちが怖がったことを叱り、その信仰の薄さと小ささを責めたところにはなかったと私は思う。そうではなく、漁師として昔からガリラヤ湖を怖がったことなどなかった彼らが、初めて怖がったことを、イエス様は確認しておられたのである。彼らの信仰がごく薄いものでしかなかったことに、念を押されたのである。しかし、それで良いとイエス様は言っておられるのだと私は思う。私たちと一緒に舟に乗っているということは、それが良しとされることなのである。恐れることや信仰の薄いことが、イエス様からの助けを引き出すのである。
イエス様と一緒に舟に乗ることができるということは、何と素晴らしいことであろうか。陸上の様々な「ねばならぬ」から離れて、嵐に遭うこともあるかもしれないが、イエス様を頼り、助けていただける幸いを味わえるのである。信仰の薄い私たちが、一つ舟におられるイエス様によって助けていただけるのである。そんな励ましを語りかけて下さるからこそ、このエピソードは読み継がれ、そして教会や信仰生活が舟にたとえられてきたのだと思うのである。
筑波学園教会牧師 福島 純雄
2015年 8月30日(日)聖霊降臨節第15主日礼拝
04:01モーセは逆らって、「それでも彼らは、『主がお前などに現れるはずがない』と言って、信用せず、わたしの言うことを聞かないでしょう」と言うと、 04:02主は彼に、「あなたが手に持っているものは何か」と言われた。彼が、「杖です」と答えると、 04:03主は、「それを地面に投げよ」と言われた。彼が杖を地面に投げると、それが蛇になったのでモーセは飛びのいた。 04:04主はモーセに、「手を伸ばして、尾をつかめ」と言われた。モーセが手を伸ばしてつかむと、それは手の中で杖に戻った。 04:05「こうすれば、彼らは先祖の神、アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神、主があなたに現れたことを信じる。」 04:06主は更に、「あなたの手をふところに入れなさい」と言われた。モーセは手をふところに入れ、それから出してみると、驚いたことには、手は重い皮膚病にかかり、雪のように白くなっていた。 04:07主が、「手をふところに戻すがよい」と言われたので、ふところに戻し、それから出してみると、元の肌になっていた。 04:08「たとえ、彼らがあなたを信用せず、最初のしるしが告げることを聞かないとしても、後のしるしが告げることは信じる。 04:09しかし、この二つのしるしのどちらも信ぜず、またあなたの言うことも聞かないならば、ナイル川の水をくんできて乾いた地面にまくがよい。川からくんできた水は地面で血に変わるであろう。」 04:10それでもなお、モーセは主に言った。「ああ、主よ。わたしはもともと弁が立つ方ではありません。あなたが僕にお言葉をかけてくださった今でもやはりそうです。全くわたしは口が重く、舌の重い者なのです。」 04:11主は彼に言われた。「一体、誰が人間に口を与えたのか。一体、誰が口を利けないようにし、耳を聞こえないようにし、目を見えるようにし、また見えなくするのか。主なるわたしではないか。 04:12さあ、行くがよい。このわたしがあなたの口と共にあって、あなたが語るべきことを教えよう。」 04:13モーセは、なおも言った。「ああ主よ。どうぞ、だれかほかの人を見つけてお遣わしください。」 04:14主はついに、モーセに向かって怒りを発して言われた。「あなたにはレビ人アロンという兄弟がいるではないか。わたしは彼が雄弁なことを知っている。その彼が今、あなたに会おうとして、こちらに向かっている。あなたに会ったら、心から喜ぶであろう。 04:15彼によく話し、語るべき言葉を彼の口に託すがよい。わたしはあなたの口と共にあり、また彼の口と共にあって、あなたたちのなすべきことを教えよう。 04:16彼はあなたに代わって民に語る。彼はあなたの口となり、あなたは彼に対して神の代わりとなる。 04:17あなたはこの杖を手に取って、しるしを行うがよい。」
1.舞台となったのは、正確な年代は定かではないが、今から3500年ほど前のエジプトである。エジプトとは、あの巨大なピラミッドを幾つも作ることのできたほどの強大な力を持った王が君臨していた国である。この王の奴隷として、イスラエルの人々は苦しめられていた。モーセは、このイスラエル民族に属していたが、不思議ないきさつにより、このエジプト王の王女にナイル川で拾われ、王宮で成長したのだった。モーセは、40歳くらいの時に、苦しむ同胞を救おうと決起したが、敢え無く失敗してしまった。彼は、同胞を救うためにエジプト人を殺害してしまった。しかし、その同胞からの支持さえ得られず、王から追われる身となってしまったのである。そこで彼は、エジプトから遠く離れた(現在のサウジアラビア)ミディアンというところで羊を飼いながら、80歳になるまでひっそりと生活していたのだった。
ある日モーセは、柴の木が燃えても灰になるどころか、燃え尽きないという不思議な現象を目にした。そして神様と出会い、その語りかけを聞くこととなったのである。モーセが80歳になるまで、果たして彼が神様を信じていたのか、神様と出合っていたのかについては、何も書かれてはいない。しかし、おそらくは、これほど不思議な現象を伴なって、直接的にその言葉を聞くというような形で神様と出会うということはなかったに違いない。神様はモーセに「わたしはあなたを(エジプトの王であるところの)ファラオのもとに遣わす。わが民イスラエルの人々をエジプトから連れ出すのだ(3章10節)」と告げたのだった。
その時から40年ほど前にモーセは、同胞を救おうと一人決起したことはあった。しかし決起は失敗し、それからの40年は、一介の羊飼いの老人になってしまっていたのだった。そのような者がどうして、巨大な力を持ったエジプト王の前に立って、彼によって苦役をさせられている何万人もの同胞を連れだすことなどできるのか。3章11節でモーセは「わたしは一体何ものでしょうか」と言っている。4章1節でも「モーセは逆らって・・・聞かないでしょう」と言ったのだった。2節以下に書かれているような不思議な現象を見せられてもなお、10節でモーセは「わたしは口が重く・・・」と言い、「語る言葉は、あなたではなく私が授ける」と神様から言われても、彼は「誰かほかの人を」と抗弁し、とうとう神様は彼に怒りを発したことが書かれている。
2.このようなモーセの姿を、多くの人々は不信仰だと言って非難する。私たちが同じ立場に置かれたなら、どうであろうか。神様が直接現れて下さったのである。燃えても灰にならない柴の木や、蛇に変わった杖、重い皮膚病になり治ってしまった手、そのような不思議な現象を見せていただいたのである。80歳になった老人に、こんなにも光栄なる使命を与えられたのであるから、私たちが同じ立場に置かれたら、「もう、たとえ火の中、水の中、どんな事でもやるぞ」という気持ちになるかもしれない。
しかし、私はモーセの気持ちがよく分かる。彼に与えられた使命とは、もちろん苦しむ同胞をエジプトから連れ出すということであった。しかしその前に、モーセに現れた神様を語るということが、大前提なのだと思うのである。モーセも、自分に託された使命の本質を良く悟っていた。だからモーセは4章1節で「それでも彼ら(同胞のこと)は、『主がお前などに現れるはずがない』と言って信用せず、わたしのいうことを聞かないでしょう」と言っている。また10節で、「口が重い。舌が重い」とモーセが言っているのは、自分の使命が何よりも神様を人々に語ることにあると、彼が知っていたからなのである。
つくづく思うのは、なぜ神様は、このようなことをわざわざモーセにさせようとしたのかということである。「口が重い。舌が重い」というのは、吃音のことだと言われている。2章11節以下に、モーセがかつて40年前に、同胞を救おうとしたときの様子が書かれている。喧嘩する同胞をたしなめたモーセの口調は、少しもたどたどしくはなかった。これは、わたしの勝手な想像だが、殺人犯となって以後40年間、逃亡生活をするなかで、彼は吃音になってしまったのではないかと思う。そんなモーセを、どうして神様はわざわざ選び出して、神様を語るという使命を託されたのか。もっと、他に相応しい人物がいたのではなかったか。
さらに言うなら、そもそも神様が自ら、イスラエル人やエジプト王の前に現れて、いろんな奇跡をなさって信じさせ、連れ出したらよかったのではなかったか。なぜ、わざわざ口も舌も重くなってしまった80歳の老人を使おうとされたのか。聖書が記すのは、神様が敢えてモーセのような人間を選び、彼に神様を語らせようとされ、彼の証しを通して人々に神様を信じさせようとされ、よって同胞をエジプト王の前から救い出そうとされたということである。
私自身、日々、この自分自身の口の重さを感じ、「誰かほかの人を」と思う者である。妻に「夏休み明けの礼拝説教はだれか他の人を・・・」と(私は説教題のことを)言ったところ、妻に「あなたではないの?」と言われ、二人で大笑いをしてしまった。2週続けての日曜日、私はこの教会の講壇から離れさせていただいた。16日は郡山教会で説教をしたので、実際には1週だけ、説教の備えをする労苦から解き放たれた。12節、神様はモーセに「このわたしがあなたの口と共にあって、あなたが語るできことを教えよう」と言われた。だからと言って、モーセが語るべき言葉というものが、たとえば全て口移しのように、すらすらと授かるというのではない。確かに、語るべき根源的な事柄は、モーセの中からではなく、神様から授かるものである。私にあっても、説教する事柄の根本は聖書に記されていることである。毎週、毎週、備えられる聖書の御言葉から語ればよいのであるが、書かれている聖書の言葉を、そのまま読んでも説教にはならないのである。それでは、神様のことは伝わらない。どんなに口が重くても、80歳の老人になっても、吃音という障碍を抱えていても、その人が自分の出会いの体験を語ることによってのみ、神様を伝えることができるのである。その言葉は本当に足りないものなのである。
モーセが1節で「彼らは『主がお前・・・聞かないでしょう』」と言っているように、私たちも、私たちの言葉を聞く者がまさにこのように私たちに対して言う場面にさらされ続ける。私自身、過去にそのように面と向かって非難されたことが二度ほどある。根本的に、どうして私たち人間が神様の言葉を語ることができようか。神様の前では、人間は必然的に、どうしても「口が重い」者であらざるを得ないのである。それ以外の者ではあり得ない。喜んで軽々しく「ハイハイ、私があなたのことを語ります」などとは決して言えない。むしろ、そんな人がいたら、それこそ怪しい。それこそ、神様の言葉ではなく、自分の言葉を語っているに過ぎない。神様と出会い、何らかの使命を神様から授かるうえでは、必ず私たちは「だれか他の人を」と、うめくしかないのである。
3.さて、そこで考えさせられるのは、我々一人ひとりに与えられている使命とは何かということである。これまでずっと、モーセには「神を語る」という使命が与えられたということ学んできた。それは牧師にとっては、ぴったりと重なる使命だと思う。では、牧師ではない皆さんにとって、使命とは何であろうか。皆さんは「言葉を以って、自らの口を以って神様を語るというようなことは、私たちとは無関係だ」と言われるかも知れない。しかし、そうではないということを申し上げたい。
モーセには、燃えても燃え尽きない不思議な柴の木を見たことをはじめとする神様との出会いの体験を、自分だけのものとして胸に留め、一人で悦に入るというようなことは許されなかったのである。そうできたなら、どんなに平安だったであろうか。もしかしたら、モーセはそれを願っていたのかも知れない。しかし、そうすることは許されなかったのである。14節に記された神様のモーセへの怒りの理由は、そこにあるのだと思う。神様が彼に与えた使命とは、彼が神様と出会ったことを同胞に伝え、神様の存在を以ってエジプト王に対峙し、また同胞の苦しみを直視することなのであった。それが、結果的には、社会的な出来事として苦役に悩む同胞を、エジプト王のもとから連れ出すということとして現れるということなのである。
同じような使命を、私たち信仰者も授かっていると強く思う。私たちは、相変わらず『隠れキリシタン』のようである。私たちに出会って下さった神様を語ることが、私たちには少ない。私たちは、ただ自分のうちに留めて置くのみである。家族にさえ、それを語ることをしない。姿形を変えて、エジプト王は今なお、私たちを苦役に苦しめているのではないだろうか。そんなエジプト王に、私たちは、神様に出会った者として、対峙することを求められているのである。同胞に神様を語ることを求められているのである。私たちはやはり「そんな大それたことはできない。口が重い。」であろうか。
エジプト王に対峙し神様を語るとは、どういうことであろう。3章18節、神様がモーセに開口一番、エジプト王に言え、と命じられたのは「どうか、三日の道のりを荒れ野に行かせて、・・・ささげさせてください」だったことを思い起こす。皆さんが雄弁に神様を語るとは、まず何よりも、礼拝を捧げることに他ならないのである。世俗の王がこの世を支配する中、私たちは7日目ごとの歩みを守って、荒れ野の中の教会にやってくるのである。この世が、様々な楽しみに満ちているのに対し、教会はまさに荒れ野に建っているようなものである。教会に行くのにはお金もかかる。教会には煩わしいことも本当に多い。世の人々は「毎週教会に行くことの何がそんなに嬉しいのか」といぶかしく思うであろう。しかし、それが「主に犠牲をささげる」ということなのである。私たちはそれを喜びとするのである。私たちのような姿こそが、エジプト王のもとで苦しむ人々を、そこから解き放つきっかけとなりうるのである。エジプト王とういう支配者だけがいるのではなく、神様がいることを語るのである。それが、具体的な解放へとつながるのである。
4.このように神様からの使命を知るということが、どれほど私たちをどれほど励まし、力づけるか。神様は、わざわざ80歳になり、吃音という障碍を抱えたモーセに、神様を語る使命をお授けになった。使命を授かったことでモーセは、ますます口の重さや自分自身がその使命に相応しくないということを悩んだ。「どうか他の人を・・・」と抗弁した。しかし、神様は口の重さや舌の重さという障碍を抱えた彼こそが、この使命に相応しいとされたのである。他の人では駄目だと言われたのである。
エジプト王というこの世の王が支配する世界では、障碍やハンディキャップを抱えることはマイナスでしかない。しかし神様は、障碍を持った者にこそ、使命を託されるのである。ある重さを抱えた人こそ、他の誰にも代え難い使命を果たす者とされるのである。神様からの使命を知ると、私たちが抱えている重さや障碍こそが、その使命に用いられると知ることになるのである。
また、使命を果たそうとするときには、神様がどのような助けを下さるかが、2節以下に書かれている。逆らうモーセに、神様は「あなたが手に持っているものは何か」と問われた。「手に持っている」ものであって、どこか遠くにあるもの、彼の手が決して届かないところにあるものではなかった。モーセにとって「杖」とは、彼が40年間、羊を飼うために普段使ってきた、ごくありふれた生活道具であった。神様から与えられた使命を果たそうとするときには、私たちのごく身近にあるものが、不思議な働きをするものとして用いられる。手が重い皮膚病になり元通りになることも、私たちの身体すなわち器が不思議な働きをすることを現している。また、14節以下には、アロンという兄弟がモーセの救援者として与えられたことが書かれている。これも、神様を語るという使命を果たそうとするときには、これまで知らなかった救援者、仲間、援助者が見つかるということを示しているのである。
筑波学園教会牧師 福島 純雄
2015年 8月23日(日)聖霊降臨節第14主日礼拝
07:36さて、あるファリサイ派の人が、一緒に食事をしてほしいと願ったので、イエスはその家に入って食事の席に着かれた。 07:37この町に一人の罪深い女がいた。イエスがファリサイ派の人の家に入って食事の席に着いておられるのを知り、香油の入った石膏の壺を持って来て、 07:38後ろからイエスの足もとに近寄り、泣きながらその足を涙でぬらし始め、自分の髪の毛でぬぐい、イエスの足に接吻して香油を塗った。 07:39イエスを招待したファリサイ派の人はこれを見て、「この人がもし預言者なら、自分に触れている女がだれで、どんな人か分かるはずだ。罪深い女なのに」と思った。 07:40そこで、イエスがその人に向かって、「シモン、あなたに言いたいことがある」と言われると、シモンは、「先生、おっしゃってください」と言った。 07:41イエスはお話しになった。「ある金貸しから、二人の人が金を借りていた。一人は五百デナリオン、もう一人は五十デナリオンである。 07:42二人には返す金がなかったので、金貸しは両方の借金を帳消しにしてやった。二人のうち、どちらが多くその金貸しを愛するだろうか。」 07:43シモンは、「帳消しにしてもらった額の多い方だと思います」と答えた。イエスは、「そのとおりだ」と言われた。 07:44そして、女の方を振り向いて、シモンに言われた。「この人を見ないか。わたしがあなたの家に入ったとき、あなたは足を洗う水もくれなかったが、この人は涙でわたしの足をぬらし、髪の毛でぬぐってくれた。 07:45あなたはわたしに接吻の挨拶もしなかったが、この人はわたしが入って来てから、わたしの足に接吻してやまなかった。 07:46あなたは頭にオリーブ油を塗ってくれなかったが、この人は足に香油を塗ってくれた。 07:47だから、言っておく。この人が多くの罪を赦されたことは、わたしに示した愛の大きさで分かる。赦されることの少ない者は、愛することも少ない。」 07:48そして、イエスは女に、「あなたの罪は赦された」と言われた。 07:49同席の人たちは、「罪まで赦すこの人は、いったい何者だろう」と考え始めた。 07:50イエスは女に、「あなたの信仰があなたを救った。安心して行きなさい」と言われた。
(説教要旨の掲載は未定です)
水戸自由が丘教会牧師 西上 信義
2015年 8月16日(日)聖霊降臨節第13主日礼拝
01:19わたしの愛する兄弟たち、よくわきまえていなさい。だれでも、聞くのに早く、話すのに遅く、また怒るのに遅いようにしなさい。 01:20人の怒りは神の義を実現しないからです。 01:21だから、あらゆる汚れやあふれるほどの悪を素直に捨て去り、心に植え付けられた御言葉を受け入れなさい。この御言葉は、あなたがたの魂を救うことができます。 01:22御言葉を行う人になりなさい。自分を欺いて、聞くだけで終わる者になってはいけません。 01:23御言葉を聞くだけで行わない者がいれば、その人は生まれつきの顔を鏡に映して眺める人に似ています。 01:24鏡に映った自分の姿を眺めても、立ち去ると、それがどのようであったか、すぐに忘れてしまいます。 01:25しかし、自由をもたらす完全な律法を一心に見つめ、これを守る人は、聞いて忘れてしまう人ではなく、行う人です。このような人は、その行いによって幸せになります。 01:26自分は信心深い者だと思っても、舌を制することができず、自分の心を欺くならば、そのような人の信心は無意味です。 01:27みなしごや、やもめが困っているときに世話をし、世の汚れに染まらないように自分を守ること、これこそ父である神の御前に清く汚れのない信心です。
『走れメロス』という小説は、太宰治の有名な短編小説である。羊飼いの青年メロスは、妹の結婚の準備のためにシラクスの町を訪れた。そこで、人間不信のために多くの人を処刑していた暴君ディオニス王の話を聞き、王の暗殺を謀ったが、捕えられ、処刑されることになってしまった。メロスは、親友のセリヌンティウスを人質とするのを条件に、妹の結婚式のため、3日後の日没までの猶予を願った。メロスは急いで村に帰り、結婚式を終えると、3日目の朝、走りだした。村から王宮のある町までは10里、約39キロメートル、徒歩なら10時間程かかる距離であった。走れば、夕刻までに到着するはずだったが、メロスは、川の氾濫による橋の流失や山賊の襲来など、度重なる不運に出遭い、心身ともに疲労困憊して倒れ込んでしまった。しかし、湧水を飲んで再び走りだし、日没直前、今まさにセリヌンティウスが磔にされようとするところに到着し、親友との約束を果たした。そして、それを見た王が改心したというのが、この小説のあらすじである。人を信じることの尊さが感動的に描かれている。しかし、少し視点を変えて見てみると、「自分の言葉に責任を持つことの難しさ」についても教えられる。メロスは「想定外」の困難が起こったことにより、危うく親友との約束を破ってしまいそうになった。私たちも、自分の言葉に責任を持つことの重みを覚えなければならない。
ヤコブの手紙1章19節~27節から、一緒に学んでいきたいと思う。19節「私の愛する兄弟たち、よくわきまえていなさい。だれでも、聞くのに早く、話すのに遅く、また怒るのに遅いようにしなさい。」20節「人の怒りは神の義を実現しないからです。」ヤコブの手紙において繰り返し述べられている教えの一つは「言葉」に関するものである。その言葉は「神の御言葉」と「人間の話す言葉」の両方である。19節には「言葉を聞くのには早く、話すのには遅くしなさい」という勧めがある。人間関係において、人の話をよく聞き、自分が話すときは慎重にするならば、良好な人間関係を保つことができる。そうすれば、感情的な怒りを爆発させてしまうようなことを避けられよう。とかく、人が怒るとき、それは神の義を表す正しい怒りではなく、自分中心の怒りになりやすい。あるクリスチャンの人が「人の話を10聞いてから、自分は1を話すくらいが丁度よい」と言っていた。それを聞いて、私は「なるほど」と思ったものである。しかし、ここで教えられているのは、このような人間関係のノウハウだけではない。聞くというのは、人の言葉をよく聞くだけでなく、神の御言葉、つまり「聖書に対して、よく聞く態度を持ちなさい」という意味なのである。それは、続く21節以下を見るとよくわかる。21節「だから、あらゆる汚れやあふれるほどの悪を素直に捨て去り、心に植え付けられた御言葉を受け入れなさい。この御言葉は、あなたがたの魂を救うことができます。」ここでは、先ず「あらゆる汚れやあふれるほどの悪を素直に捨て去りなさい」と勧めている。私たちは、クリスチャンになっても、未だ肉の性質が残っており、汚れや悪が内側からあふれている。そして、そういったものが、私たちに罪を犯させ、怒りを引き起こしているのである。「捨て去る」という言葉には「脱ぎ捨てる」、つまり服を脱ぐという意味がある。古い肉の性質を脱ぎ捨て、新しい霊の性質を着るようにと、勧められているのである。
つぎに、「心に植え付けられた御言葉を受け入れなさい」と勧めている。ここには、すでに「植え付けられている」と書かれているが、その御言葉をさらに受け入れる必要がある。せっかく、御言葉の種がまかれても、もし私たちの心が汚れや悪に満ちていたら、御言葉は芽を出し、実を結ぶことは到底できないであろう。イエス様の「種まきのたとえ(マタイによる福音書13章1~13節)」からも教えられるように、蒔かれた御言葉の種が私たちの心にしっかりと根を張り、育つように心がけていく必要がある。この御言葉こそ、私たちの魂の救いをもたらすものだからである。22節「御言葉を行う人になりなさい。自分を欺いて、聞くだけで終わる者になってはいけません。」23節「御言葉聞くだけで行わない者がいれば、その人は生まれつきの顔を鏡に映して眺める人に似ています。」24節「鏡に映った自分の姿を眺めても、立ち去ると、それがどのようであったか、すぐに忘れてしまいます。」25節「しかし、自由をもたらす完全な律法を一心に見つめ、これを守る人は、聞いて忘れてしまう人ではなく、行う人です。このような人は、その行いによって幸せになります。」御言葉の種が私たちの心で実を結ぶまで成長するための秘訣は、御言葉を行うことであると教えている。もし、御言葉を聞くだけで行わないなら、それは空しいことである。それは、まるで鏡に映る自分を見て、その自分の生まれつきの顔をすぐに忘れてしまうおろかな人の様だと記されている。
コリントの信徒への手紙Ⅰ 13章12節に「わたしたちは、今は、鏡におぼろに映ったものを見ている」と書かれているところから推察すると、当時使われていた鏡は、現在ほどには、はっきりと映らなかったのかも知れない。しかし、いくら鏡が不鮮明でも、今みたばかりの自分の顔をすぐに忘れてしまうというようなことは無かった筈である。もし、御言葉を聞くだけで行わないならば、聞いたはずの御言葉をすぐに忘れてしまうのである。神の御言葉は鏡にたとえられることがある。私たちのありのままの姿を、聖書は映し出す。しかし、そこで示された罪や汚れを取り除こうとしないならば、せっかく聖書に映し出された自分自身の本当の姿を忘れてしまうのである。「忘れる」という言葉には、「なおざりにして放っておく、おろそかにする」という意味が含まれている。せっかく御言葉にしめされたことを疎かにするとは、何ともったいないことであろうか。それに対して、神の御言葉を一心にみつめ、これを守る、つまり行う人は、幸せになると語られている。「一心に見つめる」とは、対象を見ようとして身をかがめて覗き込むという意味が含まれている。御言葉の真理を知りたいという真剣な姿勢が感じられる言葉である。そして、悟った御言葉を守り、行う人は、聞くだけで忘れてしまうことはない。
イエス様も御言葉を聞くだけでなく行うことの大切さを、たとえ話でお教えになった。それは、「岩の上に建てた家と砂の上に建てた家」(マタイによる福音書7章24~27節)のたとえである。岩の上に建てた家も、砂の上に建てた家も、外見は同じように立派に見えたが、嵐が起こると、砂の上に建てた家はあっけなく倒れてしまう。私たちの人生において、危機的な状況が起こっても、私たちがゆるがないでいられる秘訣は、やはり御言葉に良く聞き、それを日々行なうことにある。26節「自分は信心深い者だと思っても、舌を制することができず、自分の心を欺くならば、そのような人の信心は無意味です。」人間がいかに自分の舌、つまり言葉を制御することが難しいかを、ヤコブは繰り返し教えている(ヤコブの手紙3章:1~12節)。「・・舌を制御できる人は一人もいません。舌は、疲れを知らない悪で、死をもたらす毒に満ちています。(ヤコブの手紙3章8節)」という箇所を読むと、言葉を正しく使うことが人間には不可能に近いことが分かる。日本の諺にもあるが、「口は災いの門」。うかつに喋ったことが、とんでもない災いを招くことがあるので、口は慎むのが良いという。それでも、私たちはついつい「同じ口から神への賛美と人への呪い(ヤコブの手紙3章10節)」を出してしまう。私たちは自分の話した言葉に対して責任を問われるのだから、「聞くに早く、語るには遅く」という態度を身に着けていく必要がある。27節「みなしごや、やもめが困っているときに世話をし、世の汚れに染まらないように自分を守ること、これこそ父である神の御前に貴良く汚れのない信心です。」ヤコブの手紙は、信仰の実践である行いを強調してる。あまりに行いを強調しているため、「信仰義人を否定しているのではないか」と誤解されたほどである。かのマルチン・ルターも、ヤコブの手紙を「藁の書簡」と低く評価していた。しかし、ヤコブは「信じている」と言葉では言っていても、行いが伴なわないならば、それは正しい信仰ではないということを教えている。当時、みなしごややもめなど、社会的・経済的に弱い立場の人々を助けることは律法にも規定され、人々が当然なすべきこと、と考えられていた(ヤコブの手紙2章14~17節)。私たちが困っている人に優しい言葉をかけても、実際に助けの手を述べないならば、それは困っている人たちにとっては「絵に描いた餅」で、何の役にも立たない。行いが伴なってこそ、初めて愛の実を結ぶことになる。私たちは、この世の汚れに染まらないように、自分自身を守る必要がある。それは、注意して見守るということである。そのための秘訣は、やはり神の御言葉にある。私たちは何故そんなに真剣に御言葉に取り組む必要があるのか。それは、もちろん聖書が私たちの魂を救う神の約束の言葉だからである。しかし、私たちは、私たちの手許にある聖書に、どれほど日々、真剣に向き合っているだろうか。
今から200年ほど前、イギリスのウェールズ地方の田舎の小さな家に、メリー・ジョーンズという女の子が暮らしていた。毎日曜日、メリーは両親と共に、4キロほど離れた小さな村の教会に出かけ、聖書の話を熱心に聞いていた。しかし、教会にいかないと聖書が読めなかったので、もっともっと聖書を読みたいと思ったメリーは、自分の聖書が欲しいと願うようになっていった。しかし、当時、聖書はとても高価で貴重なものだった。メリーの家は貧しく、靴も買えないような暮らしぶりだったが、彼女は聖書を買うために、懸命にお金を貯めた。そうして6年が過ぎ、メリーは16歳になっていた。ようやく聖書が買えるほどのお金が貯まった。40キロ離れたバラという町で聖書が買えると聞いたメリーは、長い道のりを裸足で、たった一人で歩いて出かけた。ようやく、その町で牧師をしているチャールズという人を捜しあて、玄関のドアをたたいた。しかし、「聖書が欲しい」とのメリーの話を聞いて、牧師は困った顔をした。届いた聖書は3冊を除いて全て売れてしまい、残りもすでに売約済みだという。これを聞いたメリーは全身の力が抜け、泣きだしてしまった。そのメリーの姿を見て暫く考え込んでいた牧師は、残っていた聖書3冊全部を手渡して、こう言った。「メリー、君の聖書だよ。君の町に住む人たちにもわけてあげるといい。」牧師は、メリーが貯めた聖書一冊分のお金しか受け取らなかった。メリーは真新しい聖書を手にすると、飛び上がって喜び、こころから感謝した。「イエス様、チャールズさん、ありがとう!」チャールズ牧師は、この経験の後、より多くの人々に聖書を届けるため、世界で最初の聖書協会の設立に携わることとなった。私たちも、このメリーのように、日々、真剣に聖書の御言葉を求めていきたい。
水戸中央教会牧師 山本 英美子
2015年 8月9日(日)聖霊降臨節第12主日礼拝
12:09愛には偽りがあってはなりません。悪を憎み、善から離れず、 12:10兄弟愛をもって互いに愛し、尊敬をもって互いに相手を優れた者と思いなさい。 12:11怠らず励み、霊に燃えて、主に仕えなさい。 12:12希望をもって喜び、苦難を耐え忍び、たゆまず祈りなさい。 12:13聖なる者たちの貧しさを自分のものとして彼らを助け、旅人をもてなすよう努めなさい。 12:14あなたがたを迫害する者のために祝福を祈りなさい。祝福を祈るのであって、呪ってはなりません。 12:15喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣きなさい。 12:16互いに思いを一つにし、高ぶらず、身分の低い人々と交わりなさい。自分を賢い者とうぬぼれてはなりません。 12:17だれに対しても悪に悪を返さず、すべての人の前で善を行うように心がけなさい。 12:18できれば、せめてあなたがたは、すべての人と平和に暮らしなさい。 12:19愛する人たち、自分で復讐せず、神の怒りに任せなさい。「『復讐はわたしのすること、わたしが報復する』と主は言われる」と書いてあります。 12:20「あなたの敵が飢えていたら食べさせ、渇いていたら飲ませよ。そうすれば、燃える炭火を彼の頭に積むことになる。」 12:21悪に負けることなく、善をもって悪に勝ちなさい。
1.日本キリスト教団の暦では、毎年8月第一の主日は「平和聖日」とされている。今年は戦後70年の節目にあたる。過日、教団の常議員会で定められた『戦後70年にあたって平和を求める祈り』が、教団の各教会に送られた。戦後、長きにわたって堅持されてきた憲法解釈が今、180度変えられようとされている。教団の暦の一週遅れとなってしまったが、本日は平和聖日として礼拝を守りたい。
与えられた御言葉を読むと、この言葉は手紙のあて先であるローマ教会の信徒の人々が、迫害や復讐心をかき立てられるような状況に現実に直面しているなかで書き送られたことがわかる。少し前の14節には「あなたがたを迫害する者のために祝福を祈れ」とある。また19節には「自分で復讐せず」とある。これは、ローマ教会の人々が、迫害する人々に直面し、どうしても彼らに復讐をしようとする心を抱かざるを得ない境遇に置かれていたことを物語っている。そして18節には「できれば・・・平和に過ごしなさい」とある。このような状況において平和に過ごすことが、とても難しかったことをも物語っている。
具体的に、どのような状況が考えられるであろうか。この頃はまだ、ローマ帝国によるキリスト教徒への大規模な迫害は始まってはいなかった。この手紙がかかれた背景については、この手紙の初めのほうに書かれている。西暦49年に、時の皇帝クラウディオウスによって、ローマからユダヤ人が追放された。その原因は、当時の歴史家だったスエトニウスによれば「クレストスの扇動によって」ユダヤ人が騒動を起こしたからだという。この「クレストス」とは、クリスチャンのことだと思われる。時の皇帝は、ユダヤ人とクリスチャンとの間に起きた騒動を嫌って、ユダヤ人全体をローマから追放してしまったのであろう。クラウディオが死んだ54年に、ユダヤ人はローマにかえることを許されたが、追放の原因を作ったクリスチャンを、ユダヤ人たちは憎み怨んで迫害しただろうことは、想像するに難くない。追放されていた5年間に、家屋敷を取られてしまったことにおいても、憎しみや復讐心があったに違いない。この手紙の言葉は、そうした状況のなかに置かれたローマ教会のクリスチャンたちへの、実際的なアドバイスとして書き送られたものである。書き送られた言葉は、彼らを支え励ますものとして彼らに読まれたに違いない。
それだけではなく、このパウロの言葉は、その後200年以上にわたって続いた帝国による大規模な迫害下に置かれたクリスチャンたちをも支え励ますものとなっていったのである。しかし「このようなパウロの言葉など、どうして実践できようか。迫害する人たちと平和に暮らすことなど、どうしてできようか。」と人々が思ったならば、おそらく、この言葉は聖書として読まれることはなく、無視されてきたはずである。しかし、300年近く続いた迫害下にも、この言葉は読まれ続け、聖書として確立された。それは、この言葉が神様の言葉として、人々を支える力があったことを、雄弁に物語っている。
2.もしも人々が、自分たちを迫害した人々に対して復讐心を燃やし、テロのような活動に駆り立てられていたら、どうだったであろうか。キリスト教という宗教や信仰は、今ではまったく無くなってしまっていたのではないかと思う。「敵を愛せよ」とのイエス様のお言葉から教えられたように、敵を憎むとき、その憎しみはそれを抱く者自身を滅ぼす。仮にもし、何らかの形で、キリスト教が残っていたとしても、それは「敵を憎め」とか「復讐せよ」というような言葉や精神で満たされたものになっていたのではないだろうか。
20節に「あなたの敵が・・・」とあるのは、旧約聖書の箴言25章21節と22節からの引用である。「燃える炭火を彼の頭に積む」という言葉の解釈については、いろんな理解があるようだが、私は次のようにに受け止めた。迫害する人々に対して復讐心を燃やし、テロのようなことに身を染めるなら、それは自分自身の上に燃え盛る炭火を積むことになる。いつかは、積もり積もった炭火が崩れて、その人自身を焼き殺すことになる。普通なら、迫害する者に対して復讐する以外のどんな闘いの方法があるのか、平和に過ごす術など決してあり得ないではないか、と誰もが思う。しかし、御言葉は告げている。それ以外の方法がないと言われても、燃え盛る炭火をあなたの頭から移す方法があるのだと、復讐心を燃え立たせる以外の方法があるのだと、平和に過ごし得る手段があるのだと。その言葉によって、ローマ教会の信者たちも、迫害にさらされた多くのクリスチャンたちも、励まされて生きることができたのである。
3.それでは具体的に、迫害する人々と平和に過ごすために、パウロがローマ教会の信徒たちに書き送ったアドバイスは、どのようなものだったのか。
17節の始めに「だれに対しても悪に悪を返さず・・善を行うように」とある。最後の21節にも「悪に負けることなく・・」とある。私がここで何よりも心をとらえられたのは、パウロが「悪」ということを語っている点である。「罪を憎んで、人を憎まず」という格言を思い浮かべて頂いても良いかも知れない。悪という普遍的根源的なものがあって、それが人間に入り込みその人を悪人にするのである。悪いのは「悪」なのである。憎むべきであり、戦うべきなのはこの「悪」であって、その人ではないのだ。先ずこのように語ることで、ある特定の人を憎んだり、その人に報復することから解放しようとしているのである。
では、「悪」とは何か。16節には「自分を賢い者とうぬぼれてはなりません」とある。悪とは、うぬぼれること、つまり自分を大きくするということと関係している。エフェソの信徒への手紙の6章10節以下に、つぎのような御言葉が書かれている。「最後に言う。主により頼み、その偉大な力によって強くなりなさい。悪魔の策略に対抗して立つことができるように、神の武具を身につけなさい。私たちのたたかいは、血肉を相手にするものではなく、支配と権威、暗闇の世界の支配者、天にいる悪の諸霊を相手にするものなのです」と。悪とは悪魔と言ってもよい。そして、悪や悪魔が私たちをとりこにする手段は、常に「支配」であり「権威」だという。
悪や悪魔が支配や権威で、私たちをうぬぼれさせ自分を大きくさせるという手段をもって、私たちを悪人にするというこの真理を、心に刻みたいと思う。「悪」とは、たとえば、ある国家の領土を侵し、また、私たちの生命や財産を侵害することを言う。反対に、それらが守られることは「善」とされる。そこには、突き詰めると、「支配」ということがあるのではないだろうか。私たちが国家の領土を持ち、また自分の生命や財産を保持しつづけることが善であり、それが侵害されることは悪だと、この世的には、言われるであろう。しかし、聖書から言えば、すべては神様のものなのである。国家もこの生命も、ただ神様から貸し与えられたものにすぎない。本来は、国境などという線が引かれた場所などないはずなのである。自分の命や財産というものもないのである。そもそもは、神様のものを、あたかも人間のものであるかのように考えることこそが、悪の仕業なのである。神様から単に貸し与えられているものを、悪や悪魔は、「それはお前のものだから、その支配を死守せよ」「それを攻撃するものに対しては反撃せよ、それが善だ」というのである。それによって平和が作られるというのである。
4.エレミヤ書に書かれていたことを思い起こす。エレミヤから、偽りの預言者と非難された人々がいた。彼らは、自分たちの国や領土は絶対であり、決して神様はそれを滅ぼされることはないと言っていた。それを平和と言っていた。これにて対してエレミヤは、それは神様のものであって、神様の御心は、今はそれをバビロニアに渡すことだと語った。だから、祖国が失われ、バビロニアに捕虜として連れて行かれることになった。その神様の御心に委ねよ、バビロニアでその血の人々と結婚し、子や孫をもうけて暮せ、それが平和だと語った。何が平和なのか、何が善であり悪なのか、偽りの預言者とエレミヤとの間には、決定的な違いがあったのである。偽りの預言者は、支配し続けることが善であり平和だと言っていた。しかしエレミヤは、支配を失うことの中にも善があり、平和があると言ったのだった。
いま国会で審議されている法案を、提案者は「平和安全法制」だと言っている。そして、その根底にある平和観には、ますます国家や領土というものを固く支配したいという方向性が横たわっている。そうした思潮に、多くの国民も魅了され、あっという間に、自国を防衛し、国民の生命や財産を守るという名目のために自衛隊が外国に闘いに行くという事態が起ころうとするところまできてしまっているのである。支配を固くするところに平和を見出すということに決して誰も異論をさしはさまない。全く自明のことのように見えてしまっている。しかし、それは、悪の仕業なのである。それが善だ平和だと思わせて、実は私たちの頭の上に燃える炭火を積ませようとしているのである。このような考え方をする私たちは、まさしく非国民と言われる存在であろう。しかし、これが聖書の教えるところなのである。
5.私たちは、この悪に対して、悪によってではなく、善によって立ち向かい、打ち勝ち、平和に暮らさなければならない。善によってとは、エレミヤが教えたことから言えば、失うことも神様の御心として受け入れるということである。そして、そのような事態においても、20節にあるように「(たとえ敵であっても)飢えていたなら食べさせ、渇いていたら飲ませ」ることによってなのである。神様が私たちに地上の世界を貸し与えられたのは、私たちに、勝手にそこに線を引いて領土や国家として支配させるためではない。そうではなく、私たちすべてが、神様の世界の上に生きる者として、飢えているなら食べさせ、渇いているなら飲ませ、互いに助け合って生きるために他ならない。エレミヤを通して神様がバビロニアでの生き方として教えて下さったのも、まさにこのことだと思うのである。祖国を滅ぼし、家族を殺した憎き相手ではあったが、彼らの中にも、きっとあなたが飢えているなら食べさせ、渇いているなら飲ませてくれる人がいるはずだと、そうした人々の間につながりを作っていきなさいと。国や領土というものを越えた、人間のつながりのあるところ、支配とか権威というものが介在しないところで、助け合って生きるところにこそ平和がある。
さらに、パウロは「自分で復讐せず、神の怒りに任せなさい」と語っている。パウロは、復讐という言葉を語らざるを得なかった。復讐そのものを否定することができなかった点に、ローマ教会の人々の置かれていた境遇の困難さが浮かび上がってくる。しかし、人間の善悪の判断によって復讐することは、悪に悪を返すような、悪を勢いづかせるようなことでしかない。復習したいという思いを否定することは出来ないが、しかし、復讐は神様に任せなさいと言うのである。原文を文字通りにすると「神の怒りに場所を譲りなさい」である。
ルカによる福音書には、真なる神様は7の70倍までも赦して下さると書かれている。では、この神様の赦しと神様の怒りとは、どのような関係にあるのか。神様の赦しを語らずに神様の怒りを語るのは、パウロでさえも嘘の神様にひっかかっていたのかも知れない。「あってある神」が、7の70倍までも私たちを許して下さる御業のなかに、怒りというものも含まれているのだと私は受け止めている。神様の無限の赦しのなかにこそ、怒りもあると。私たちが復習したいと思う状況のなかにも神様の怒りが働きたもう場所がちゃんとある。そういう場所がちゃんとあるのだから、そこに足を置くならば、平和に暮らすことができる、と励まして下さるのである。
筑波学園教会牧師 福島 純雄
2015年 8月2日(日)聖霊降臨節第11主日礼拝
17:01イエスは弟子たちに言われた。「つまずきは避けられない。だが、それをもたらす者は不幸である。 17:02そのような者は、これらの小さい者の一人をつまずかせるよりも、首にひき臼を懸けられて、海に投げ込まれてしまう方がましである。 17:03あなたがたも気をつけなさい。もし兄弟が罪を犯したら、戒めなさい。そして、悔い改めれば、赦してやりなさい。 17:04一日に七回あなたに対して罪を犯しても、七回、『悔い改めます』と言ってあなたのところに来るなら、赦してやりなさい。」 17:05使徒たちが、「わたしどもの信仰を増してください」と言ったとき、 17:06主は言われた。「もしあなたがたにからし種一粒ほどの信仰があれば、この桑の木に、『抜け出して海に根を下ろせ』と言っても、言うことを聞くであろう。 17:07あなたがたのうちだれかに、畑を耕すか羊を飼うかする僕がいる場合、その僕が畑から帰って来たとき、『すぐ来て食事の席に着きなさい』と言う者がいるだろうか。 17:08むしろ、『夕食の用意をしてくれ。腰に帯を締め、わたしが食事を済ますまで給仕してくれ。お前はその後で食事をしなさい』と言うのではなかろうか。 17:09命じられたことを果たしたからといって、主人は僕に感謝するだろうか。 17:10あなたがたも同じことだ。自分に命じられたことをみな果たしたら、『わたしどもは取るに足りない僕です。しなければならないことをしただけです』と言いなさい。」
1.イエス様が「つまずきは避けられない」と弟子たちに語ったことから始まっている。このイエス様の言葉にこそ、16章と17章をつなぐ鍵のようなものが込められていると感じる。なぜ、イエス様はこのようなことを言われたのか。それは、16章までのたとえ話を聞いてつまずく者が出てきたからである。弟子たちの中にも、そういう者が出てきたからであろう。
イエス様が、一連のたとえ話を語ったのは、当時のユダヤ教で主流となっていた ― ファリサイ人や律法学者たちが信じ教えていた ― 神様の姿とはまるで対照的な神様の有り様だった。ファリサイ人や律法学者たちが教えていた神様とは、当時の人々には分かりやすく、信じることがたやすいような神様だったと思う。典型的なのは、放蕩息子のたとえ話であろう。せっかく財産の生前贈与を受けたのに、その大切な財産を放蕩三昧のすえ使い果たし、食べる物にも困ると、おめおめと帰ってきた弟を、父は何のペナルティも科さず、しばらく様子を見るとの条件もつけず、大喜びで出迎え、大宴会まで始める始末だった。イエス様が語られたのは、その父のような神様だった。しかし、兄 ―これがファリサイ派や律法学者を現しています ― は、そのような父につまづいたのだった。当時の人々にとって分かりやすかったのは、そんな放蕩息子を叩きだして、決して家になど入れない父のような神様である。そういう神様を人々は信じていた。だから、イエス様の語った神様の姿につまづいたのである。
ファリサイ派や律法学者たちは、当時のユダヤ教のなかで、誰よりも熱心に神様を信じ、信仰生活をしようとした人々であった。しかし、そのような人々が、誰よりもイエス様の語った神様に、まことなる神様を受け入れることが出来ずに、つまずいた。つまずくという言葉のもともとの意味は「罠にかかる」ということだそうである。真の神様ではなく、偽りの神様に、人間にとって分かりやすく、とっつきやすいウソの神様にひっかかってしまうのである。「(つまずきを)もたらす者は不幸だ。・・・」と、まことに厳しい言葉をイエス様は口にした。それは、ファリサイ人や律法学者たちを指しての言葉ではなかったと思う。彼らがつまずかせるのではなく、突き詰めれば、私たち自身の中に、つまずかせる者がいるのである。ウソの神様の方が、分かりやすいので、せっかく、神様を信じたいと思いながら、偽りの神様にひっかかってしまうのである。何とそれは残念なことかと、イエス様は言われたのである。イエス様が「弟子たち」にこのように言われたということは、私たちもまた「つまずきは避けられない」ということを意味している。私たち信仰者こそが、誰よりもつまずくものなのである。本当の神様ではなく、ウソの神様にひっかかってしまう者なのである。
2.そうであればこそ、3節以下の言葉というのは、本当の神様とウソの神様を、私たちに見分けさせるようにするために語られたものと理解できるのではなかろうか。この三つのパラグラフを通して、私たちは、真の神様とは、その反対に、嘘の神様とはいかなる存在かを教えられるのである。イエス様は、真なる神様を信じる私たちが、どのような態度をとることができるかを、教えて下さろうとしているのである。
3節と4節では、「赦し」ということが語られている。ここでは、人間同士での赦しのことが語られているが、大切な点は、その前提には、まず神様が、真なる神様が私たちを何度も何度も赦して下さるということがあるのだと思う。神様がこのように私たちを赦して下さるが故に、私たちも相互に赦すことが出来るのである。マタイ福音書の18章22節には、「7回どころか7の70倍までも赦しなさい」とのイエス様の言葉が記されている。途方もない数の無限大とも言って良い回数の赦しである。前提には、それほどまでに私たちを赦して下さる神様がおられるのである。真なる神様とは、これほどまでに私たちを赦して下さるのだと、イエス様は先ず言われたのである。そして、神様を信じたとき ― その信仰とは、「からし種一粒ほどの」ものでしかないとしても、― まことに大きな効果を私たちに生じさせないわけにはいかない。それが、本当の神様に捕らえられた者の姿なのである。反対に、ウソの神様にひっかかったなら、私たちにそのような姿は生まれない。ウソの神様とは、突き詰めれば、赦して下さらない神様である。ウソの神様にひっかかったなら、私たちもまた、赦すことができない者なのである。
さて、私たちは、このような真なる神様に、つまずいてしまう。放蕩息子のたとえ話での兄のように、神様がこのように赦すというのはおかしい、それは甘やかしだ、罪を犯した人間への処罰というものをどのように考えているのかと、すぐさま思うのである。
「主の祈り」でも「赦し」とは、罪がなかった状態にされること、帳消しにされることと私は理解している。分かりやすい例は、ダビデである。彼は、バテシバやその夫ウリヤに対してしたことについての罪を許された。しかし、それは彼のなしたことが帳消しにされたり、不問にされたり、罪から何のマイナスも生じなかったということではなかった。罪が赦されたというのに、バテシバとの間に授かった子は死に、ダビデの家には次々と災いが訪れた。彼の犯した罪は厳然として消えることはなかったのである。そこからのマイナスが生じたのである。たとえ、赦されたとしても、罪ゆえのペナルティと言いうか、その不利益というものは背負って行かざるを得ないのであった。
では、神様による赦しとは何であろうか。それは、そのような彼であっても、なお神様と結びついて、神様の影響下、神様の引力下に新しく生きていけるということである。赦しとは、何よりも神様と結びついての新たな可能性が開けて行くことである。故に、人々との間にも、新しい関係が生じてくる。罪を犯したという過去に閉じ込められることなく、また罪に支配されることなく、神様また人と未来が造られて行くことなのである。出エジプト記3章にあったように、神様とは「あってある神」である。その神様が自身を「アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神」と自己紹介してくださった。罪を犯した私たち「の」神様であって下さる。永遠の神様が、私たちの神様なのである。だからこそ、私たちは、7の70倍も新しくされていくのである。何度でも新しく創造されてゆく。それが、神様の赦しの本質である。これに反して、ウソの神々は、このように私たちを許しては下さらず、反対に、因果応報や信賞必罰といった、私たちには分かりやすい原理の中に、私たちを閉じ込めるのである。
3.次に、5節と6節、使徒たち(弟子また私たち信仰者)が「信仰を増して下さい」と願ったのに対し、イエス様は「もし、あなたがたに(山を動かす?)・・・」とお答えになった。弟子たちが「信仰を増して下さい」と願ったことこそが、ウソの神様にひっかかっている姿の現れとして取り上げられているのである。何がポイントかと言うと、「わたしどもの」と言った点だと思うのである。ウソの神様は私たちに、信仰にせよ、或いは、身体の健康だとか財産だとか、とにかく「私たちの」何かを問題にさせるのである。それが多ければ多いほど、大きければ大きいほど、豊かであれば幸いだと思わせるのである。どれほど私たちは、このウソの神様に、今もなお、ひっかかってしまうのであろうか。
こういう私たちに、イエス様は「からし種一粒ほどの信仰があれば」と言われるのである。イエス様の真意は「お前たちにはからし種一粒ほどの信仰もないではないか。だからこそ、こんな奇跡もできないのだ」と責めるところにあるわけではないのです。そうではなく、「私ども、私どもといつも口にして、自分たちの多さや大きさにのみ目を向ける必要などないのだ。そもそも、あなたがたの信仰とは、からし種一粒ほどのものでしかないではないか。常に、真なる私につまずき続けるような、小さな信仰ではないか。つまずきが避けられない信仰は、そもそも小さなものではないか。どうして、それを増して下さいというのか。信仰に限らず大きなこと、多いことを求める必要はない。大切なのは、あなたがたの多さや大きさではなく、あなたがたの神様であって下さる神様ご自身の大きさや多さだ。無限大の神様とつながっているなら、あなたがたの小ささも、また即ち無限大ではないか。神様と繋がっていることは、きっとあなたがたに偉大なことをなさしめる。赦しということも偉大ではないか。真なる私と繋がっていなければ、不可能なことであった。」と言われるのである。ウソの神様は、常に「わたしども」の大きさや多さに目を向けさせますが、真なる神様は、私たちが「からし種一粒ほど」の者であってもよいと言って下さるのである。
4.最後に、7節以下。このたとえ話は、やはりルカだけが記したものである。ここでイエス様が語られた主人の姿に対しては、誰もがつまずくのではなかろうか。この主人は、非情にも、畑仕事から疲れて帰ってきた僕に「夕食の用意をせよ、給仕せよ、私が食事を終えた後で自分の食事をせよ」と言い、命じた通りにことをなした僕に対し、主人は感謝などしないと言われた。真なる神様とは、この主人のようだとイエス様は教えた。敢えて、わざと、私たちをつまずかせるような神様の姿を語ったようにさえ感じる。私たちをつまずかせるような神様こそが、真の神様なのだと言えるかもしれない。私たちが大いに喜んで歓迎するような、分かりやすい神様こそ、ウソの神々といえるのかも知れない。
「からし種一粒」と共通しているが、この非情な主人にたとえられた真なる神様は、徹底的に神様であるご自分を優先させる。僕である私たちを優先させることはなさらない。私たちの利益とか、私たちの事情とか、それを重んじ、それを第一にされることはないのである。反対に、ウソの神々は「わたしども」を優先させるのである。「わたしども」に目をむけさせるのである。いつも「わたしども」を先にさせる。そして、私たちを罠にかけるのである。真なる神様を信じられるからこそ、私たちは自分を問題にせずに「取るに足らない僕です」と言えるようになる。どんなに価値のないと思われることでも、「しなければならないことをした」点に喜びを見出せるのである。
筑波学園教会牧師 福島 純雄
2015年 7月26日(日)聖霊降臨節第10主日礼拝
03:15神は、更に続けてモーセに命じられた。「イスラエルの人々にこう言うがよい。あなたたちの先祖の神、アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である主がわたしをあなたたちのもとに遣わされた。これこそ、とこしえにわたしの名これこそ、世々にわたしの呼び名。 03:16さあ、行って、イスラエルの長老たちを集め、言うがよい。『あなたたちの先祖の神、アブラハム、イサク、ヤコブの神である主がわたしに現れて、こう言われた。わたしはあなたたちを顧み、あなたたちがエジプトで受けてきた仕打ちをつぶさに見た。 03:17あなたたちを苦しみのエジプトから、カナン人、ヘト人、アモリ人、ペリジ人、ヒビ人、エブス人の住む乳と蜜の流れる土地へ導き上ろうと決心した』と。 03:18彼らはあなたの言葉に従うであろう。あなたはイスラエルの長老たちを伴い、エジプト王のもとに行って彼に言いなさい。『ヘブライ人の神、主がわたしたちに出現されました。どうか、今、三日の道のりを荒れ野に行かせて、わたしたちの神、主に犠牲をささげさせてください。』 03:19しかしわたしは、強い手を用いなければ、エジプト王が行かせないことを知っている。 03:20わたしは自ら手を下しあらゆる驚くべき業をエジプトの中で行い、これを打つ。その後初めて、王はあなたたちを去らせるであろう。 03:21そのとき、わたしは、この民にエジプト人の好意を得させるようにしよう。出国に際して、あなたたちは何も持たずに出ることはない。 03:22女は皆、隣近所や同居の女たちに金銀の装身具や外套を求め、それを自分の息子、娘の身に着けさせ、エジプト人からの分捕り物としなさい。」
1.出エジプト記を貫くテーマ、とりわけイスラエル人がエジプトと脱出するまでが書かれている15章あたりまでを貫く主題とは、強大な力を持ちイスラエル人を根絶やしにしようとする邪悪なエジプト王に対して、イスラエル人がどのように立ち向かい自由になれるかということであった。この主題こそが、時代を越えて読者であるイスラエル人をとらえ、また今も私たちを強く惹き付けるテーマであるように思わされる。それぞれに、エジプト王のような存在があるのではないか。そのような存在に対し、私たちは如何に立ち向かい自由を勝ち得るのか。
さて、モーセを、その同胞と共にエジプト王に立ち向かわせた原動力は、他でもなく3章で記されているところの、神様との出会いであった。かつて、40歳のときのモーセは、神様との出会いに促されて、この事を為そうとしたのではなく、エジプト王女の養子として成長したことによって得た、なにがしかの権力、自分の力そして自分の意思によってだった。その結果として、同胞からの支持を得ることはできず、はからずも殺人者となり、王に対峙するどころか、王からの逃亡者となって、40年間エジプトからはるか遠く離れたミディアンで過ごさざるを得なかったのだった。
しかし、この挫折と40年間こそが、無くてはならない時間であり経験だったのである。40年を経て、モーセは80歳になり老人になった。枯れたみすぼらしい柴のようになっていた。けれども、そうであればこそ、40歳の時には与えられなかった神様との深い出会いの時を授かったのである。神様に対して「わたしは何者でしょうか」と謙遜に言えるようになったのである。「俺こそが」から「わたしなど」と言えるようになるためには、40年の歳月が不可欠だったのである。枯れ果てた柴の木のような自分を、燃えても燃えても無くならない存在として下さる神様との出会いを体験して、モーセは同胞と共にエジプトに立ち向かい、自由を勝ち取る者とされて行ったのである。
2.神様は、自身が如何なる存在であるか、どのような名前を持っているのかを、モーセに教えた。それは「あなたの先祖の神、アブラハムの神・・わたしをあなたのもとに遣わされた。これこそ・・わたしの呼び名」というものだった。モーセがこの神様の自己紹介から何を感じとったか、神様をどのように感じたかは、何も書かれてはいないが、私は次のように感じた。
モーセも、アブラハムやイサクやヤコブが自分の遠い先祖であるということは、当然に知っていたことであろう。しかし、それははるか遠い昔のことでしかなかったのである。モーセにとっては、アブラハムもイサクもヤコブも、消えてなくなっている人々に過ぎなかった。ところが神様は、あたかも彼らが現存しているかのうように、そして、「彼らと」という言葉を以って、今なお関係しているかのように自己紹介されたのだった。14節で神様が自身を「わたしは『ある』という者だ」と名乗ったのは、存在し続けるという意味であった。神様がそういう存在であることにおいて、神様と関係する者をも存在させることができる。まさに、アブラハムたちは遠の昔に消えてしまった過去の存在だが、この神様とのつながりによって、今なお生かされているのだった。燃え尽きることのない者として在り続けていたのである。
また、「あってある神」が、一介の卑小な存在に過ぎないアブラハムやイサクやヤコブと、このように密接に結びついて下さるということをも現している。そのアブラハムたちとは、一体どのような人間であったか。神様が結びつけて下さるのにふさわしい存在であろうか。全くそうではなかった。にもかかわらず、神様は、自身があたかも彼らのものであるかのように、自己紹介して下さった。
そうして、このような神様が、16節から17節では、もう一度「先祖の神、アブラハム・・」と自己紹介を繰り返して、「あなたたちを顧み・・導き上ろうと決心した」と言われた。今なおアブラハムたちとつながりを持っておられる神様が、なぜ今、エジプト王のもとで苦しむイスラエル人を顧み、苦しみのないところへと導き上って下さるのか。それは、ただイスラエル人がアブラハムたちの子孫であるが故であった。それ以外には、何もなかった。イスラエルの側では、もうこの神様のことなど遠の昔に忘れてしまっていたのだった。その関係など、過去のものになっていた。しかし、神様は、アブラハムたちとの関係において、今なおイスラエル人のことを顧みてくださるのだった。この神様の言葉に、モーセはどれほどの喜びを感じたであろうか。エジプト王は、その強大な力を以って、自分たちを苦しめ根絶やしにしようとしていた。しかし、その王様の力がどんなに強くとも、アブラハム以来、私たちを顧み存在させ続けようとして下さっている「あってある神」に勝ることはできない。エジプト王の力は、長くとも、たかだか数十年。しかし、神様と私たちとの関係は、それをはるかに凌ぐものである。
3.さて、神様はこのようなモーセとの出会いを、イスラエルの長老たちを集めて伝えよ、そうすれば、「彼らはあなたの言葉に従うであろう」、「あなたはイスラエルの長老たちを伴い、エジプト王のもとに行って、彼に言え」と告げた。
神様は、モーセと神様とのこのような出会いの体験を、その体験をしたわけではない長老たちも理解してくれる、共有してくれる、と語って下さった。これは、今の私たちにとっても、とても励ましになる言葉と言える。私たちも、この長老たちと同様に、モーセが体験した神様との出会いを体験したわけではない。ただ、この聖書の御言葉を通して、モーセの体験を知ったのみである。しかし、それでも、共有はできるのである。このモーセの言葉は、私たちをも納得させる。影響力を持ち得ている。私たちをも、モーセと共に、それぞれのエジプト王のもとに行かせる力をもっている。
神様は、アブラハムたちの神様だが、私たちにとっては、何よりもイエス様の神様なのである。十字架の上で殺されたイエス様を復活させて、今なお、在らしめて下さるのである。この神様が、私たちを顧み、乳と蜜の流れる地へ導き上ろうと決心して下さっている。それは、ただひとえに、私たちがイエス様を信じる故である。信仰においてイエス様とつなげて頂いている故である。神様は、アブラハム・・・の神であり、またイエス様の神であるが故に、「私たち一人一人の神」であって下さる。この報せは私たちを力づける。私たちをも、エジプト王に向かわせる。エジプト王に勝る神様の善き力のもとに、私たちを置くのである。
もう一点、神様がモーセに「長老たちを集め」と言われたことから感じさせられる点がある。神様は、モーセがその神様との出会いの体験を、長老たちと共有するように求められた。それは、モーセの体験が彼ひとりだけのものではなく、長老たちとも共有するものであることが、エジプト王と対峙するにあたって不可欠だということである。私たちにも、同様のことが勧められているのではなかろうか。エジプト王と向かい合うにあたって、ひとりでそれを為してはならない。このような神様がおられると信じ、信仰の友と共に、王の前に立たねばならない。モーセが長老たちに語ったのは、たとえば、エジプト王に対する自分の考えとか、開放計画のようなものではなかったのである。そうではなく、ひたすら神様との出会いの体験であった。このような神様がおられ、私たちを顧みて下さるということであった。同じ神様を信じる信仰の仲間、このことが私たちをエジプト王の前に共に立たせる力なのである。
4.最後に、神様がモーセにエジプト王の前に立って何を語れと言われたのかという点である。18節の最後、「(ヘブライ人の神・主がわたしに出現して)三日の道のりを荒れ野に行かせて、私たちの神・主に犠牲をささげさせて下さい(とエジプト王に言え)」とある。注解書には、神様がモーセをして、王にこのように言わせたのは、王の抵抗を少なくさせるための方便だ、と言うような解説が書かれている。国を去らせて自由の身にさせて下さいなどと最初から言うと、王が到底、許可する筈がないから、まずは許してくれそうな願い事を口にするということである。確かに、そういうこともあろう。しかし、私としては、エジプト王の前に立ったときの、最初の言葉の大切さということを感じる。最初に何を言うのかは、事柄の本質を現している。イスラエル人がエジプト王に対峙して自由を勝ち取ることは、突き詰めれば、信仰の自由なのである。神様に犠牲を捧げるところの礼拝を守ろうとする者として、私たちはそれぞれにとってのエジプト王に対峙するのである。礼拝を捧げようとする者であることにおいて、自由を勝ち得るのである。三日の道のりを荒れ野に行くとは、何よりも、エジプト的な生活からの離脱を示していると思う。肥沃な土地での豊かさを手に入れる生活が、その生活である。しかし、三日の道のりを行っての、荒れ野の生活とは、その歩みの困難さも含めて、神様に犠牲をささげる生活なのである。
旧約聖書のエズラ記に、紀元前の539年に、イスラエル人がバビロン捕囚から解放されて、ふるさとに帰ることができたことが記されている。帰った早々、祭壇を築き礼拝をささげ、翌年、廃墟となっていた神殿の基礎を作った。しかし、近隣の人々からの妨害などがあり、また物資の乏しさもあって、中産してしまったのである。問題は、神殿再建工事の中断が、同時に、礼拝そのものの中断ともなったという点である。この神殿再建工事、また礼拝が再開したきっかけは、預言者ハガイが神様の言葉を告げたことによると、エズラ書5章はじめにあった。そこで、ハガイ書1章を読むと、次のような御言葉が記されている。「今、お前たちは、この神殿を廃墟のままにしておきながら、自分たちは板ではった家に住んでいて良いのか。」また、9節最後にも、「わたしの神殿が廃墟のままであるのに、お前たちがそれぞれ自分の家のために走り回っている」とある。文字通り、自分たちの家を建てておきながら、神殿を廃墟のままにしていることへの批判でもあるのだが、突き詰めれば、世俗の生活を優先させて、礼拝を捧げない有り様への批判なのである。皆さんにとっては、厳しい神様の言葉だが、礼拝生活が廃墟になっていると、どういうことが起きるかが、ここには如実に記されている。6節に、「食べても満足することなく、飲んでも酔うことがない。衣服を重ねても温まることなく、金をかせぐ者がいても穴のあいた袋にいれるようなものだ」とある。今日の御言葉で言えば、三日の道のりを行って荒れ野で神様に礼拝を捧げるという生活がなければ、この世の力ある王様の奴隷になるしかないということである。どんなに働いても、忙しくしていても、思い煩いや心配で一杯になってしまう。それは、穴のあいた袋に、収穫やお金を入れているようなものである。
8節はじめには「山に登り、木を切り出して神殿を建てよ。わたしはそれを喜び、栄光を受けると主は言われる」とある。礼拝を捧げるとは、あたかも苦労して山に登り、木を切り出すようなものである。周りの人々は、誰もそんなことをしない。私たちはわざわざ苦労してそんなことをするのである。しかし、神様はそれを喜んで下さる。そして、神様の喜ぶことを為すのが、私たちの力となるのである。礼拝を捧げることが、どれほど私たちの力となるか。それぞれにとってのエジプト王に対して、同じ信仰の友と共に対峙させる支えになるか。私たちに自由を勝ち取らせる源となるのか。何千年もはるか昔の人々が、こうしたことによって、エジプト王に立ち向かい自由を勝ち得ようとしたことを、心に刻みたい。
筑波学園教会牧師 福島 純雄
2015年 7月19日(日)聖霊降臨節第9主日礼拝
05:01このように、わたしたちは信仰によって義とされたのだから、わたしたちの主イエス・キリストによって神との間に平和を得ており、 05:02このキリストのお陰で、今の恵みに信仰によって導き入れられ、神の栄光にあずかる希望を誇りにしています。 05:03そればかりでなく、苦難をも誇りとします。わたしたちは知っているのです、苦難は忍耐を、 05:04忍耐は練達を、練達は希望を生むということを。 05:05希望はわたしたちを欺くことがありません。わたしたちに与えられた聖霊によって、神の愛がわたしたちの心に注がれているからです。
1.この5章から8章最後までを、ローマ書本論の第三部として区切る研究者も多い。パウロがまず、第一部で語ったのは、私たちがもし神様によって義としていただくことがなければ、どれほど悲惨な存在であるかという点であり、第二部で語ってきたのは、その悲惨な私たちがイエス様をキリストとして信じる信仰によって義としていただけるということであった。
1節にあるように「このように信仰によって義とされた」ことによって、私たちに生じる効果というものが、ここから語られて行くと考えて良いと思う。そして、いわば、この第三部の総論のようなところであって、私たちに与えられている効果として最も大切なものは、3節はじめにあるように「苦難をも誇る」ことができる点であろう。
この3節から5節の御言葉を愛誦の聖句として心に刻んでいる人も多いのではなかろうか。私たちクリスチャンがそうでない人々から「クリスチャンになって最大のメリットは何ですか」と尋ねられた時、私たちが、それこそ胸を張って、それを誇りとして語ることのできるものは、3節から5節に書かれていることではないかと思う。そして、私たちがそのように誇り得ることは、きっと苦難の中におられる多くの人々を惹き付け、イエス様を信じる信仰へと誘うものとなるに違いない。
通常、私たちが苦難の中に置かれたときには、3節から5節に書かれているのとは正反対のことが生じて行くと思う。苦難から希望が生じて行くというプロセスは、いわば正のスパイラルと言ってよいが、通常、私たちに起きてくるのは、それとは正反対の、負のスパイラル・負の連鎖のようなものなのである。苦難は忍耐を生じさせるのではなく、自暴自棄のような状態を生じさせる。忍耐は練達を - 練達とは、金属がるつぼと呼ばれる容れ物の中で溶かされ、徐々に純度を増していくこと、或いは、鉄が焼かれ叩かれてより硬度の高い鋼に変って行くことを意味している― 生むのではなく、却って、ボロボロにされてしまうことを生じさせる。そして、最後には、希望とは反対の絶望を生じさせるのである。今、どれほど多くの人々が、苦難に置かれることによって、このような負のスパイラルの只中に投げ込まれていることであろうか。苦難に置かれることによって、このような負のスパイラルへのスタートとなって行くのではなく、それとは正反対の希望へとつながる正のスパイラルへの出発点となるためには、イエス様をキリストと信じる信仰によって義としていただくことが不可欠なのである。私たちクリスチャンはその証し人となれるのだと思う。
2.しかし、では、私たちが、クリスチャンとして与えられた最大のメリットとして、苦難を誇るというようなことを、胸を張って語れるであろうか。3節から5節に書かれた正のスパイラルが、私たち自身に起きてくると胸を張って語れるであろうか。そう問われると、それはパウロや、ごく特別な人だけができるものであって、到底、私たちには無理と言われる人も多いのではないかと感じる。そんな皆さんが、今日の礼拝に出席されて、「私のような者でも、苦難を誇ることができるのだ」と言っていただけるようになって欲しいと私は願っている。
さて、3節の「苦難をも誇りとします」という御言葉は、以前礼拝で用いられていた『口語訳』と呼ばれる聖書では「苦難をも喜んでいる」となっていた。原文のカウコーマイというギリシャ語は、普通は「誇る」と訳されるようです。喜ぶという意味も勿論あるが、「喜ぶ」と訳してしまうと、或る誤解が生じやすいのではないかと思う。その誤解というのは、クリスチャンであるならば胸を張って苦難をも喜ばなければならないと受け取ってしまうことである。苦難の中でも喜ぶことが、神様によって義とされている私たちに生じる効果だと理解してしまうのである。これは本当に不幸な誤解だと思う。
このローマ書の5章について、まことに分厚い講解説教が出版され、私は今回、それを参考にさせていただきつつ説教の準備をした。その説教をされたのは、もともとは医者で、そこから牧師になられて、ロンドンのウェストミンスターにある教会で長く牧会をされたロイド・ジョンズである。私は折に触れて、ジョンズの他の著作を読むが、医師としても多くの信徒の肉体的また信仰上の病気を見てきた牧師故の、非常に示唆に富んだ導きが、そこにある。
そのジョンズが、この「誇る」あるいは喜ぶと訳された点について、こんなことを書いている。「実際には、どのように事が運ぶのだろうか。勿論、これは、こうしたことを受けるとき、私たちが常に現実に喜びを感じるべきだ、ということではない。こうした事柄を身に受けるや否や、何の考えもなしに神を賛美し、感謝し始めるということではないし、いわんや、自動的にそうすることではない。使徒が教えているのは、被虐的性向めいたものではないし、そうしたことがここで言われているのではない。現在、ある人々は、また、過去の教会にいた一部の人々は、そのように考えてそうしてきた。(ロイド・ジョンズ『ローマ書講解5章』いのちのことば社 128~129頁)」。しかし、パウロが教えているのは、決してそのようなことではないと、ジョンズは言っているのである。苦難にあったとき、私たちクリスチャンも当然に、それを悲しみ嘆いて良いのである。それは、人間の素直な感情として当然のものである。それを無理やり押し殺し否定して、喜ぶとか誇るということが、神様に義とされている私たちに生じる効果ではないのである。
パウロの肉体に、トゲが与えられた。彼はそれをサタンから送られてきた使いとさえ呼び、これを離れ去らせて下さるようにと、三度(何度もという意味)主に(イエス様に)願ったとある。ということは、最初はパウロも決して喜ぶことなどできなかったということであろう。悲しみ、悲嘆にくれたということであろう。それで良いのである。それが当然なのである。
3.しかし、こうして悲しみ嘆いて、ここから神様に義とされている者と、そうでない者との違いが分かれて行くのである。イエス様をキリストと信じる信仰によって神様に義とされた効果というものが生じて行くのである。それが、3節の「わたしたちは知っているのです」というところに込められている。神様に義とされたクリスチャンは、そうでない人と全く同じように、苦難に際して悲しみ嘆く者である。しかし、たとえそうであっても、クリスチャンである私たちは、あることを「知っている」ものなのである。このあることとは、その後に書かれている事柄である。苦難から希望が生じて行くという正のスパイラルが起きることを、クリスチャンは知っているのである。
このことを知っているのと、知らないのとでは、全く違うのである。たとえば、ある病気を宣告された人が、その病気を治療できる素晴らしい医師や治療法があることを知っているのと、知らないのとでは、決定的な違いがある。生活に破綻した人が、それに対処する生活保護やその他の様々な制度があると知っているのとそうでないのとは決定的な違いがある。知っているとは、これほど大きな違いをもたらすのである。
では、どんなことを知ればよいのか。それは、まず「苦難は忍耐を(生む)」ということである。忍耐と言うと、苦難に負けないように歯を食いしばってそれに耐えるという感じを抱く。それゆえに「そんなことは私にはできない」と思ってしまうかも知れない。しかし、私がここで忍耐ということから示されるのは、そういうことではない。歯を食いしばって無理してすることではなく、私たちがクリスチャンであるが故に、ごく自然におのずから、そういう意味では、クリスチャンであれば、誰でも当然にすることなのである。それは、苦難に遭い、そうであればこそ、私たちはイエス様を頼るということである。イエス様に助けを求めることこそが、神様に義とされることが「主イエス・キリストによって」「キリストのお陰で」起きている故に、ごく自然に起きることなのである。
神様に義としていただくとは、私たちが神様によって引っ張っていただくようになることである。神様の引力によって導いていただくことだと、私は受け取っている。それにより、苦難の中に置かれている私たちは、負のスパイラルに呑み込まれるのではなく、正のスパイラルに引っ張っていただけるのである。そして、このことは、私たちクリスチャンにおいては、何よりもイエス様を信じる信仰によって、私たちがイエス様につなげていただけているからこそ可能になるのである。私たちはイエス様という宇宙船にのせていただくことで、神様の引力に引っ張っていただき、その世界にナビゲートしていただけるようになっているのである。だから当然に、私たちは、嵐に遭遇したら、イエス様という宇宙船のナビゲーターに助力をお願いするであろう。イエス様に頼るであろう。
先ほど紹介したロイド・ジョンズ牧師は、次のように言われている。「試練や艱難のお陰でキリスト者は、再び主イエス・キリストのことを考えさせられるのである。自分がえてして忘れがちなこの《お方》のことを。それだけではない。試練や艱難によってキリスト者は、キリストのもとに向かわされ、キリストに向かって祈らされ、キリストとともに遥かに多くの時を過ごすようにさせられ、より大きな力と理解を求めて哀願させられる(前掲書131~132頁)」と。先ほど触れた第二コリント12章でのパウロが、まさにそうであった。「主に三度願いました」とある。このように、苦難はそれまでには全く無かったほどに、私たちをごく自然に歯を食いしばってではなく、当たり前に、イエス様に向かわせてくだる。そういうことが、イエス様をキリストとして信じている者には起きるのである。
このことが忍耐を自然に生むのだと思う。歯を食いしばっての我慢ではなく、イエス様に寄りすがるところの、もがきであり、あがきです。しかし、それがいつの間にか、忍耐というものになるのである。忍耐とは、その苦難の時を過ごしていくということに他ならない。十字架にかけられたイエス様が、一緒になって下さることが、何とか私たちをして、その時を、やりすごさせて下さるのである。
4.そうしているうちに、そこから練達が生じて来るのである。イエス様に必死に寄りすがるうちに、何が私たちに起きて来るであろうか。第二コリント12章のパウロにおいては、イエス様から「わたしの恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ」とのお言葉をいただいたとあった。ここで起きているのが練達だと、私は思う。何よりも、それは要らない不純物が取り去られて行くことである。苦難において、私たちがイエス様に寄りすがるとき、苦難そのもの、肉体のトゲそのものは取り去られることはないかも知れない。そういう意味での希望はかなえられないかもしれない。しかし、不純物が取り除かれるのである。
パウロにとっての不純物とは、強さによって伝道しようとする思いであった。私たち皆が抱えている不純物とは、伝道者でなくとも、突き詰めれば、強さによって生きよう、人生を築いていこうというものである。本当に、この不純物が消えて無くならないということに、私はどれほど悩んでいることか。牧師になって、もう30年も経とうとしているのに、未だに、この不純物が消えない。しかし、これを苦難が取り除いて下さるのである。苦難の中でイエス様にすがることが、それを可能にして下さる。弱さのなかでこそ、伝道をしなさい。弱さの中でこそ、あなた自身の強さによるのではなく、神とイエス様とご聖霊と周りにいる人々に頼って生きていきなさい。それが、あなたの強さになるのだ、と言ってくださるのである。
こうして、決して欺かれることのない希望が生じてくる。その希望とは、苦難そのものがなくなる希望ではない。そうではなく、たとえ私たち自身の希望は適わずとも、神様のご希望に ― 神様の御心というものに ― 私たちが添わせていただいているという希望なのである。それを2節では「神の栄光にあずかる希望」と言っている。苦難に遭うことが、私たちをして不純物を取り除かせ、わたしの栄光ではなく、神様の栄光を現す者とさせて下さるのである。苦難の中にある私たちが、このように希望を抱くことができる者となるためには、他のどんな手段によってではなく、イエス様と人格的に出会い、頼り、すがることにおいて、神様に義としていただくことが不可欠なのである。十字架の上で苦しまれたイエス様に繋がっていれば、私たちは必ず、苦難を誇ることができるようになるのである。
筑波学園教会牧師 福島 純雄
2015年 7月12日(日)聖霊降臨節第8主日礼拝
16:19「ある金持ちがいた。いつも紫の衣や柔らかい麻布を着て、毎日ぜいたくに遊び暮らしていた。 16:20この金持ちの門前に、ラザロというできものだらけの貧しい人が横たわり、 16:21その食卓から落ちる物で腹を満たしたいものだと思っていた。犬もやって来ては、そのできものをなめた。 16:22やがて、この貧しい人は死んで、天使たちによって宴席にいるアブラハムのすぐそばに連れて行かれた。金持ちも死んで葬られた。 16:23そして、金持ちは陰府でさいなまれながら目を上げると、宴席でアブラハムとそのすぐそばにいるラザロとが、はるかかなたに見えた。 16:24そこで、大声で言った。『父アブラハムよ、わたしを憐れんでください。ラザロをよこして、指先を水に浸し、わたしの舌を冷やさせてください。わたしはこの炎の中でもだえ苦しんでいます。』 16:25しかし、アブラハムは言った。『子よ、思い出してみるがよい。お前は生きている間に良いものをもらっていたが、ラザロは反対に悪いものをもらっていた。今は、ここで彼は慰められ、お前はもだえ苦しむのだ。 16:26そればかりか、わたしたちとお前たちの間には大きな淵があって、ここからお前たちの方へ渡ろうとしてもできないし、そこからわたしたちの方に越えて来ることもできない。』 16:27金持ちは言った。『父よ、ではお願いです。わたしの父親の家にラザロを遣わしてください。 16:28わたしには兄弟が五人います。あの者たちまで、こんな苦しい場所に来ることのないように、よく言い聞かせてください。』 16:29しかし、アブラハムは言った。『お前の兄弟たちにはモーセと預言者がいる。彼らに耳を傾けるがよい。』 16:30金持ちは言った。『いいえ、父アブラハムよ、もし、死んだ者の中からだれかが兄弟のところに行ってやれば、悔い改めるでしょう。』 16:31アブラハムは言った。『もし、モーセと預言者に耳を傾けないのなら、たとえ死者の中から生き返る者があっても、その言うことを聞き入れはしないだろう。』」
1.ルカ福音書だけに書かれたたとえ話である。書かれている内容それ自体は、一読してすぐにわかる。しかし、このたとえ話を通してイエス様が言わんとされたことの核心は、何かという点になると、実に様々な解釈となる。
前任地の郡山教会において、新しい会堂を立てた後4年ほど、設立されたばかりの在日大韓キリスト教会に、礼拝場所として日曜日の午後、会堂をお貸ししていた。ある年のクリスマスに、午後の祝会を合同でやろうということになった。メッセージは、在日大韓教会の韓国人牧師が行った。その際、紙芝居を使ってなされたのが、同じ聖書箇所だった。説教は、絵も内容もまことにおどろおどろしいものであった。昔、寺では天井などに描かれた地獄絵を見せて、地獄に落とされるとはこんなに苦しいのだからと、人々に信仰を勧めていたと聞いたことがある。多分そのような寺での説法は、こんなかんじだったろうと想像されるような内容だった。説教に対して真に不遇であるが、果たしてイエス様の言われたことはこういうことであったろうか?という疑問を私は抱いた。
26節、アブラハムは金持ちに「わたしたちとお前たちとの間には・・・」と語っている。この言葉は、伝統的に次のように理解されてきたようである。「私たち」とは、イエス様を信じ洗礼を受けて召された者、「お前たち」とはそうでない者たちであり、その両者の間には、永遠に越えることのできない溝があると。洗礼を受けずに死んでいった者たちは、永遠にこの金持ちのように苦しめられるとは、私には、大いに疑問を抱かざるを得ない理解である。また、いつも参考にさせていただくバークレーの注解書では、この箇所の解説のタイトルは『無視した者への刑罰』である。尊敬するバークレイーではあるが、私はこのタイトルは、到底承服できない。貧しいラザロを無視した金持ちに永遠に与えられる刑罰を教えようとしたのだろうか。それがイエス様の本意であったろうか。
2.イエス様の心を知る上で大事なことは、文脈や流れである。このたとえ話は、ルカだけが記したものである。そこには、明らかにルカの編集の意図があるように思う。彼だけに伝わった幾つかのたとえ話を連続して記すことによって、彼なりに理解していたところのイエス様の思いを伝えようとしたのであろう。そのイエス様の思い出とは、次のようなものである。すなわち、当時のユダヤ教で主流となっていたパリサイ人や律法学者と呼ばれた人々が信じ教えていた神様の姿に対して、イエス様は全く違う神様を教えようとされたのである。それを教えようとして、イエス様は幾つかの、まことにユニークなたとえ話を語られたたのである。
そこで、例えば16章1節以下では、当時の人々だれもが知っている有名な事件を取り上げられたのではないか。今で言えば、業務上の背任を犯した不正な管理人の事件を取り上げ、しかし、イエス様は誰もが知っていたこの犯人に下された処罰とは全く違う評価・処遇をなされるであろう神様をお教えになったのである。この世の処罰は、当然に、厳しいものが下されたであろう。そして、ファリサイ派や律法学者たちは、さらに追い打ちをかけるように、神様はそれ以上の処罰を下されると教えていたのではないかと思う。ところが何と、イエス様はこの不正な管理人を神様はお誉めになると言われた。
直前に書かれた14節から18節でも、「金に執着するファリサイ派の人々」に対して、イエス様は「人ぶ尊ばれる者は神に忌み嫌われる」と言われたとある。人からの、また、この世における処遇と全く違う処遇というものを、特に、それが典型的に現れるのは、死んでからの神様の御許での世界の様子であることを語ることを通して、イエス様は神様の御心をお教えになろうとされたのである。
3.このような流れから、これは私の勝手な想像ではあるが、16章1節以下に書かれているのと同じ手法を、イエス様はおとりになったのではないかとも感じるのである。このたとえ話のもととなった昔からの逸話のようなものがあったに違いない。ファリサイ派の人々や律法学者たちは、それを用いて、人々に神様の永遠の扱いというものを教えようとしたのではなかったか。その逸話とは、一言で言えば、この世での人からの扱いと、かの世での神様の扱いというものが、全く同じであり、連続していると教えていたのであろう。この世で貧しい者はかの世でも貧しい。神様や天使や信仰の父であるアブラハムから、粗末に扱われるしかない。反対に、この世で豊かな者はかの世でも豊かなのである。厚遇を受ける。15節の言葉で言えば、「人に尊ばれるものは紙にも尊ばれる」ということである。この世で人から尊ばれ、金持ちであるとは、律法の行いを忠実に守り、神殿への多額の献金ができるということである。そういう人は、当然、神様の御許に召されてからも神様に尊ばれるというのである。しかし、ラザロのような者はそうはいかない。彼のようなものが、神様のもとで尊ばれることはあり得ないし、そうであってはいけない。これが、当時主流の信仰であったに違いない。
このような逸話を、イエス様は、ものの見事に逆転されたのではなかろうか。このたとえ話の核心とは、皆が慣れ親しんでいたこの話を逆転することにこそあったのではなかろうか。ファリサイ派や律法学者の教えに真っ向から反して、かの世でも神様に尊ばれて当然の金持ちが「陰府」とうところに落とされ、苛まれるのである。あれほど蔑んでいたラザロに助けを求め、父の家に彼を遣わして欲しいとさえ願う。アブラハムやラザロのいるところ、神様の世界と彼の間には、越えることのできない淵が広がるというのである。
明らかに、ファリサイ人や律法学者たちへの痛烈な皮肉だとわかるのは、29節以下の「お前の兄弟たちにはモーセの預言者がいる。」との言葉である。旧約聖書の専門家でありモーセの立法を忠実に守っていた彼らには、それ以外のどんな助けも必要などなかろう。それだけで十分であろうとアブラハムは言うのだった。こうした金持ちとは対照的に、貧しいラザロは厚遇を受けるのだった。陰府に落ちた金持ちから助けの使者としてさえ見られるようになるのである。このように、昔から人々が慣れ親しんでいた説話を、イエス様は驚くべき逆転をさせて語ったのであろう。
4.さて、そこで、大切な問いとして抱くのは、では、この両者への神様からの処遇を分けたものは何であったかということである。この世での人からの扱いとは全く対照的な神様、また天使やアブラハムからの扱いを生じさせたのは何だったのかという疑問である。
その点について聖書には、詳しいことは何も書かれていない。言うまでもないことだが、単純に、ただこの世で人に尊ばれる金持ちであったから、かの世では忌み嫌われるとか、この世で貧しい者はオートマティカルに神様のもとでは尊ばれるというように理解してはいけない。そういうことであれば、それは、また別の意味で、ファリサイ人や律法学者たちの教えとは反対の意味で、因果応報でしかない。この世と神様の世界での扱いが確かに逆転するとしても、この世での貧富や人に尊ばれるか否かが、自動的に神様からの扱いを決定することになってしまっているからである。それは、イエス様の言われようとしたことではないのである。
では、なぜ、神様は、彼らをそのように扱われたのか。その理由については推測することしか出来ない。まずラザロについては、その名前は正式には「エリエゼル」であり、その意味は「神の助けたもう者」であるという。一説には、ヨハネ福音書に登場するマルタとマリヤの兄弟であったラザロ - 病気で死んで、イエス様によって蘇らせていただいた - と同じ人物ではないかとも言われている。数あるイエス様のたとえ話の中で、ただ一人、実名で登場する人物だという。ということは、やはり、その名前には、意味があるのではなかろうか。彼は、ただ社会的に経済的に貧しい者であったのではなく、神様に対して貧しい者だったのであろう。死んだラザロがまさしくそうであったように、神様からの助けを切望していた人であったということである。そのような人は、必ず神様から厚遇を受けるのである。神様は、その願いを放置されるようなことはなさらないのである。
であるから、この金持ちが、かの世において厚遇されなかった理由も、ここにある。彼は金持ちであったが、その経済的社会的な豊かさが、彼の神様の御許での扱いを決めたのではない。そうではなく、彼は神様に対してこそ富んでいたからなのである。神様に対して富んでいるとは、典型的には、ファリサイ人や律法学者たちのような人々のことである。彼らは、自分たちは神様に対して富んでいると信じていた。自分たちこそが、神様からの厚遇を誰よりも受けることができると確信し、自分たちと神様との間には何の隔てもないと信じていた。そうであればこそ、神様は、彼らを厚遇されないのである。神様と彼らとの間には、深い深い溝があるのである。
5.このように、死んでからさいなまれている金持ちについても、ある光のようにものが差し込んでいるということを、私は感じずには居られない。伝統的な理解としては、この金持ちは、永遠にこの苦しみの中に置かれるのだと解釈されてきたのである。しかし、そうではないと私は思う。死んだ後ではあるが、今こそ、この金持ちは、神様に対する己の貧しさ、神様との間に存在する深い深い溝というものに、目を開かされているのである。今こそ、神様に対する貧しさというものが分かったのである。神様のもとにいるラザロ、アブラハムに、必死になって助力を請うのである。このように、神様に対して本当に貧しくなることができた彼に対して、神様が何もなさらないとは考えられない。永遠に彼をこの苦しみの中に放置されるとは、私は信じられないのである。
確かにアブラハムならば、「渡ろうとしてもできない。越えて来ることができない」というかも知れない。しかし、私たちの救い主であるイエス様は、そのようには言われないはずである。私たちが毎週告白する使徒信条でも「十字架に付けられ、死にて葬られ、読みに下り」と告白する。イエス様がここに降って下さるのは、過去・現在・そして未来において、陰府に降った者をそこから救い出し、神様の御許に連れて行くために他ならない。多くの人が、この世においては金持ちのようであろう。自分が神様という存在に対して抱えている貧しさを自覚することなどなく、ただ人の世での豊かさと貧しさにしか関心がない。しかし、人の世を去って召されたときにこそ、自分が抱えている神様に対しての貧しさや隔てに苦しむようになるのである。そのとき、この世では見向きもしなかったラザロに助力を求めるのである。ラザロとは、突き詰めれば、イエス様のことではなかろうか。たとえ死んでからであっても、私たちが神様との隔てに気づき、イエス様の助けを請い願い、イエス様によって神様に結び付けていただける機会は与えられているのだと私は信じている。
このたとえ話は、私たちの人の世における貧しさ、また、豊かさが、神様の目から見れば、全く違うものとして映っていることを語りかけて下さっているように感じる。人には蔑まれ、犬にしか相手にされなかったラザロが、実は神様の目には尊ばれる存在であり、人に尊ばれている豊かな金持ちが、実は神様との間に深い深い溝を抱えて、いずれ大きな苦しみの中にさいなまれる者として見られているのである。また、この世においては見向きもされなかったラザロが、かの世においては苦しむ金持ちにとって無くてはならない存在になると見られているのである。人の世における貧しさや豊かさに一喜一憂するのではなく、そこに秘められている逆の意味での豊かさと貧しさに気づかされる者でありたいと願う。
筑波学園教会牧師 福島 純雄
2015年 7月5日(日)聖霊降臨節第7主日礼拝
03:07主は言われた。「わたしは、エジプトにいるわたしの民の苦しみをつぶさに見、追い使う者のゆえに叫ぶ彼らの叫び声を聞き、その痛みを知った。 03:08それゆえ、わたしは降って行き、エジプト人の手から彼らを救い出し、この国から、広々としたすばらしい土地、乳と蜜の流れる土地、カナン人、ヘト人、アモリ人、ペリジ人、ヒビ人、エブス人の住む所へ彼らを導き上る。 03:09見よ、イスラエルの人々の叫び声が、今、わたしのもとに届いた。また、エジプト人が彼らを圧迫する有様を見た。 03:10今、行きなさい。わたしはあなたをファラオのもとに遣わす。わが民イスラエルの人々をエジプトから連れ出すのだ。」 03:11モーセは神に言った。「わたしは何者でしょう。どうして、ファラオのもとに行き、しかもイスラエルの人々をエジプトから導き出さねばならないのですか。」 03:12神は言われた。「わたしは必ずあなたと共にいる。このことこそ、わたしがあなたを遣わすしるしである。あなたが民をエジプトから導き出したとき、あなたたちはこの山で神に仕える。」 03:13モーセは神に尋ねた。「わたしは、今、イスラエルの人々のところへ参ります。彼らに、『あなたたちの先祖の神が、わたしをここに遣わされたのです』と言えば、彼らは、『その名は一体何か』と問うにちがいありません。彼らに何と答えるべきでしょうか。」 03:14神はモーセに、「わたしはある。わたしはあるという者だ」と言われ、また、「イスラエルの人々にこう言うがよい。『わたしはある』という方がわたしをあなたたちに遣わされたのだと。」 03:15神は、更に続けてモーセに命じられた。「イスラエルの人々にこう言うがよい。あなたたちの先祖の神、アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である主がわたしをあなたたちのもとに遣わされた。これこそ、とこしえにわたしの名これこそ、世々にわたしの呼び名。 03:16さあ、行って、イスラエルの長老たちを集め、言うがよい。『あなたたちの先祖の神、アブラハム、イサク、ヤコブの神である主がわたしに現れて、こう言われた。わたしはあなたたちを顧み、あなたたちがエジプトで受けてきた仕打ちをつぶさに見た。 03:17あなたたちを苦しみのエジプトから、カナン人、ヘト人、アモリ人、ペリジ人、ヒビ人、エブス人の住む乳と蜜の流れる土地へ導き上ろうと決心した』と。 03:18彼らはあなたの言葉に従うであろう。あなたはイスラエルの長老たちを伴い、エジプト王のもとに行って彼に言いなさい。『ヘブライ人の神、主がわたしたちに出現されました。どうか、今、三日の道のりを荒れ野に行かせて、わたしたちの神、主に犠牲をささげさせてください。』 03:19しかしわたしは、強い手を用いなければ、エジプト王が行かせないことを知っている。 03:20わたしは自ら手を下しあらゆる驚くべき業をエジプトの中で行い、これを打つ。その後初めて、王はあなたたちを去らせるであろう。 03:21そのとき、わたしは、この民にエジプト人の好意を得させるようにしよう。出国に際して、あなたたちは何も持たずに出ることはない。 03:22女は皆、隣近所や同居の女たちに金銀の装身具や外套を求め、それを自分の息子、娘の身に着けさせ、エジプト人からの分捕り物としなさい。」
1.御言葉は、出エジプト記3章節までの、大事なポイントだけを少し振り返ってみたい。
3章1節から6節までのところに記されているのは、80歳くらいになっていたモーセと神様との出会いの場面である。聖書の中には、神様と人間との様々な出会いのシーンが書かれているが、一つとして同じものはない。神様は、ひとりひとりにふさわしい出会いの場面を用意して下さって、その人をぐっと自分のもとへと引き付けようとなさるのである。
ここで神様がモーセのために用意された場面は、2節にあるように、「柴は火に燃えているのに柴は燃え尽きない」という不思議な現象であった。なぜこの現象がモーセを引き付けるのにふさわしいものだったかと言うと、火で焼かれている柴の木とは、そのときのモーセやエジプトで苦しむイスラエルの人々の有り様と重なるものがあったからだと私は感じる。80歳になって、肉体的にも精神的にも衰えを感じつつあったモーセが、まずそうである。彼は、時間や体の衰えによって焼かれ燃え尽きようとしている柴なのであった。かつて40歳のときに、苦しむ同胞を助けようと決起しながら、同胞の理解を得られず、殺人を犯してエジプト王のお尋ね者となってしまい、以来40年、妻の父のもとで羊を飼いながら焦燥感にさいなまれて過ごし、80歳になってしまったのだった。相も変わらず同胞を救う手立ては見つかりようがなかった。この状況は、火で焼かれ普通なら灰になりかかってしまう、柴の木そのものである。そして、少なくともモーセが誕生してからの80年、それ以前から数えれば100年以上かも知れないが、エジプトにおけるイスラエル人を根絶やしにしたいと願うエジプト王の悪意に燃やされてきた同胞が、その柴の木なのであった。
そういう境遇にあるモーセに、神様がお見せになったのが、普通なら燃え尽きて灰になって当然の柴の木が、なぜか燃え尽きないという現象であった。この光景が、モーセをとらえて離さなかった。その現象に近づいてきた彼に、神様は言われた。「あなたの立っている場所は聖なる土地だ」と。それは、「もし燃え尽きたくないという思いを抱いているなら、神様と出会い、あなたの立っている場所、すなわち生きている人生において聖なる何かが秘められているということに気づきなさい」という神様のお言葉なのであった。80歳になり肉体的にも経済的にも社会的にも、焼かれ灰になろうとしている境遇にあっても、必ずやそこに「聖なる」ものがあるのだと、燃やし尽くされない何かがあるのだと、神様に出会うことによって私たちは気づかせていただけるのである。
先週の特別集会での樋野先生からのお言葉に大いに触発されて、私は今週の説教の準備に向かうことがでた。説教題として記した「わたしはあなたを遣わす」とは、10節の御言葉から採ったものである。先週の礼拝においても樋野先生は、イザヤ書6章8節の「わたしを遣わして下さい」という御言葉に触れていた。いろいろな点で、奇しくも、今日の御言葉は先週の礼拝とつながる部分がある。
樋野先生のお話の中で、私の深く心に残っていることの一つに、「ゴミのなかにこそ宝がある」との言葉がある。樋野先生は、尊敬される先達の言葉に従って、それこそガンによってゴミのようになってしまった患者さんや、そのご家族の背後にこそ宝があると思って関わっていると言われた。ゴミのなかにこそある宝、それが出エジプト記3章における「聖なるもの」ではないかと思うのである。挫折を40年間かかえたまま80歳になってしまった人生、また王の悪意に苛まれてきた歳月であったが、そこにこそ、聖なる宝があった。モーセは、それに気づかなくてはならなかった。私たちも、それに気づかなければ、焼かれ燃え尽きてしまうのである。灰になってしまうのである。神様との出会いこそが、聖なる者に気づかせて下さるのである。
2.そのときのモーセに、また、苦難の中にあったイスラエル人に、どのような聖なるものがあったのか。それを具体的に教えて下さったのが、7節以下の御言葉だと思う。
まず、7節から9節で、神様は次のように言われた。「わたしは・・・見た」と。神様は、イスラエル人の苦しみや痛みを見て、聞いて、知っていると力強く語った。また、そのようなイスラエル人ゆえに、彼らのもとに「降って行き」、彼らをそこに放置しないで「乳と蜜の流れるすばらしい土地」へと、彼らを導くと言わた。
モーセにしてもイスラエル人にしても、「なぜ自分たちはこのように苦しめられるのか」という問いが、ずっとあったと思う。それに対する答えは、これまでのところには、はっきりと記されていなかった。しかしここには、それに対する神様ご自身からのお答えが記されている。それは、その苦しみにおいて、神様がイスラエル人を「わたしの民」として感じ、その痛みをご自分のものとしてお感じになり、知られるためだったのである。神様が彼らのところまで降りて下さり、彼らを苦しみや痛みのない、すばらしいとことへと導くためだったのである。
神様は、痛みや苦しみががないところへと、イスラエル人を導くと言ってくださった。だから、痛みや苦しみそのものが幸いなのではない。しかし、痛みや苦しみしか果たせない「聖なる」役割がある。それは、痛むことにおいて神様が私たちを知り、苦しむ私たちを見られ、私たちのところに神様は降りてきて下さる、という役割である。自分から痛みや苦しみを進んで求めようとは、もちろん私たちはしない。そんなことは、自虐的な行為でしかない。しかし、痛み苦しんだときにのみ、私たちが神様によって聞かれ、見られ、知っていただいているのだと、経験できるのである。痛みや苦しみだけが担っている聖なる何ものかがある。
3.続いて、神様がモーセに示された「聖なる」ものとは、10節で「今、行きなさい。わたしはあなたを・・・」と言われることを通してのものであった。それは、80歳になったモーセに、神様が使命を与えられたということであった。神様の御業に参画させるということであった。
11節、モーセは「わたしは何者でしょうか」と言った。40年前のモーセと比較して、何と対照的であろうか。40歳のときに同胞を救おうと決起した彼は、「俺こそが」という思いだった。しかし、それから40年経って80歳になった彼は、「わたしなど何者でしょうか」と言える者になっていた。そのことが、神様から託された使命を果たすのにはふさわしい姿だったのである。神様は、モーセがこのようになるのを40年間、じっと待っておられたのかも知れない。
「私など何者なのか。自分ができることは本当に小さい」と痛切に思うからこそ、「では、私は一体、何のために遣わされるのか」「私のなすべき使命は何か」「神様が私にせよ、と言われるのは何か」ということを、よくよく考えるようになるのである。確かに、エジプト王ファラオのもとに行き、イスラエル人をそこから連れ出すというのは大変なことである。しかし、もう一度、7節以下で、神様がご自分をどういう存在かとお語りになったかを振り返ると、苦しむイスラエル人の苦しみを知り、叫びを聞き、痛みを知ったと先ず言われたのであった。だから、モーセが先ず果たす役割、神様の御業への参画とは、80歳になった彼が、このような神様の振舞いに倣って、人々の苦しみを見、痛みを知ることなのであった。その延長線上に、「乳と蜜の流れる地に導き上がる」ということがあったのである。
12節には、「わたしは必ずあなたと共にいる。・・・この山で神に仕える」とある。要は、モーセの使命とは、彼が人々と共に神様に仕え、礼拝することに尽きるのである。ファラオのもとから同胞を連れだすということにのみ心を向けると、それはとても大変な働きのように思える。しかし、根幹は、彼らの苦しみや痛みを聞き、知るということだったのである。そして、一緒に、礼拝をすることができるということだったのである。
牧師として、このことが私に与えられている使命なのだと今日はしみじみ教えられた。信者数が減少しているとのプレシャーから、私たち牧師も会員の皆さんの、何か「大きなこと」を願ってしまっている。今日の御言葉において、神様がモーセに果たさせようとしたことは、大きなことであっただろうか。それとも、小さなことであっただろうか。私は何よりも、苦しみ痛む人々の叫びに耳を傾け、それを知り、そして一緒に礼拝をできるということだと思うのである。「私は何者か」と謙遜に思いつつ、だからこそ、この使命を果たせばそれで良い、と思えるのである。神様の使命のために遣わされること、これが私たちを燃え尽きないものとすることである。
先週の礼拝や午後の講演会で、樋野先生が何よりも言われたのも、「遣わされる」ということであった。がん患者やその家族の方々だからこそ、苦しむ人や痛む人の声を聞き、それをわが痛みとして知ることができる。なぜ、そういう病気を与えられたのかというと、そのような使命を果たすべく遣わされて行くためなのである。病む者となったことに秘められている、聖なるものがここにこそ存在しているのである。
4.さらに、モーセと神様との対話が書かれている。11節で「私は何者でしょうか」と問い、さらに13節以下で、神様の名を問うモーセを、しつこいとか、神様に対して不従順だと批判する人がいる。しかし、私は決してそうは思わない。自らに託された使命は、誰に与えられたのでもなく、神様によって託されたものなのである。だとすれば、その神様をより深く知ることは極めて大事なことである。だとすれば、人々に、端的な言葉で、その神様とは如何なるお方かを語ることができるのは、極めて肝要なことであろう。自分を遣わしているのは、どのような神様なのかを端的に語れるのは大切なことであろう。それが、何よりも大事だと思うからこそ、神様の名を問うのである。
神様は、ご自分を「わたしはある。わたしは『ある』という者だ」と自己紹介された。この神様の名前については、数多の論文が書かれてきたので、到底、私には汲み尽くすことのできない奥深いものが、ここには秘められている。私が言えることは、つぎのようなことのみである。名を知りたいとのモーセの願いを、神様は撥ねつけることもお出来になったであろう。いろいろな昔話には、相手の名前を知ることはその者を我がものとして手中に治めるとのモチーフがある。だから、そんなことはお前の知ったことではないと、拒むこともお出来になったのである。しかし、神様はそのようなお方ではない。神様は、人々の苦しみを見て、痛みを知って、私たちのところに降りてこようとなさるお方なのである。そうであれば、ご自分がどのようなお方なのか、如何なる存在として苦む私たちを見て、痛みを知るのかを、私たちに喜んで告げられるのである。それは「ある」という状態をしてである。存在し続けるお方という意味にとっても良いかも知れない。また、「ない」というネガティブな存在としてではなく、「ある」という存在として、ポジティブなお方として、否定ではなく、すべてを肯定されるようなお方という意味にとっても良いであろう。
このような神様と出会い、深い対話ができたということこそが、モーセにとって、何よりも聖なるものを授かった体験であった。これが、80歳になったモーセが燃え尽き得ない者とされた出来事である。
筑波学園教会牧師 福島 純雄
2015年 6月28日(日)特別伝道(聖霊降臨節第6主日)礼拝
03:01主なる神が造られた野の生き物のうちで、最も賢いのは蛇であった。蛇は女に言った。「園のどの木からも食べてはいけない、などと神は言われたのか。」 03:02女は蛇に答えた。「わたしたちは園の木の果実を食べてもよいのです。 03:03でも、園の中央に生えている木の果実だけは、食べてはいけない、触れてもいけない、死んではいけないから、と神様はおっしゃいました。」 03:04蛇は女に言った。「決して死ぬことはない。 03:05それを食べると、目が開け、神のように善悪を知るものとなることを神はご存じなのだ。」 03:06女が見ると、その木はいかにもおいしそうで、目を引き付け、賢くなるように唆していた。女は実を取って食べ、一緒にいた男にも渡したので、彼も食べた。 03:07二人の目は開け、自分たちが裸であることを知り、二人はいちじくの葉をつづり合わせ、腰を覆うものとした。 03:08その日、風の吹くころ、主なる神が園の中を歩く音が聞こえてきた。アダムと女が、主なる神の顔を避けて、園の木の間に隠れると、 03:09主なる神はアダムを呼ばれた。「どこにいるのか。」 03:10彼は答えた。「あなたの足音が園の中に聞こえたので、恐ろしくなり、隠れております。わたしは裸ですから。」
06:08そのとき、わたしは主の御声を聞いた。「誰を遣わすべきか。誰が我々に代わって行くだろうか。」わたしは言った。「わたしがここにおります。わたしを遣わしてください。」
音声配信は終了しました(要旨の掲載予定はありません)。
順天堂大学医学部教授 樋野興夫先生
2015年 6月21日(日)聖霊降臨節第5主日礼拝
04:16従って、信仰によってこそ世界を受け継ぐ者となるのです。恵みによって、アブラハムのすべての子孫、つまり、単に律法に頼る者だけでなく、彼の信仰に従う者も、確実に約束にあずかれるのです。彼はわたしたちすべての父です。 04:17「わたしはあなたを多くの民の父と定めた」と書いてあるとおりです。死者に命を与え、存在していないものを呼び出して存在させる神を、アブラハムは信じ、その御前でわたしたちの父となったのです。 04:18彼は希望するすべもなかったときに、なおも望みを抱いて、信じ、「あなたの子孫はこのようになる」と言われていたとおりに、多くの民の父となりました。 04:19そのころ彼は、およそ百歳になっていて、既に自分の体が衰えており、そして妻サラの体も子を宿せないと知りながらも、その信仰が弱まりはしませんでした。 04:20彼は不信仰に陥って神の約束を疑うようなことはなく、むしろ信仰によって強められ、神を賛美しました。 04:21神は約束したことを実現させる力も、お持ちの方だと、確信していたのです。 04:22だからまた、それが彼の義と認められたわけです。 04:23しかし、「それが彼の義と認められた」という言葉は、アブラハムのためだけに記されているのでなく、 04:24わたしたちのためにも記されているのです。わたしたちの主イエスを死者の中から復活させた方を信じれば、わたしたちも義と認められます。 04:25イエスは、わたしたちの罪のために死に渡され、わたしたちが義とされるために復活させられたのです。
1.このローマの信徒への手紙で、パウロがいつも第一に語ってきたのは、もし私たちが神様によって義とされなければ、私たちはどれほど悲惨な存在であるか、ということだった。神様に義として頂くとは、私なりの表現で言えば、神様につなげられ神様に引っ張っていただけるということである。私たちが人間の世界の中にあって、そこでの様々な力に引っ張り回されながらも、神様による引力に引っ張っていただけるようになるということである。神様を中心とする軌道を描く世界に招きいれていただくということである。神様に引っ張っていただかなければ、私たちはただ人間の世界の中に縛り付けられた状態にあるのみである。『味方だけを愛し、敵を憎む』という生き方に縛られ、憎しみによって心も体もボロボロになってしまうしかないのである。
そのような私たちが、どうすれば神様によって引っ張っていただけるようになれるのであろうか。イスラエルの人々は、それは律法の行いによって、また割礼を受けることによって、そして安息日を守ることによってであると信じて来たわけである。引力といえば、地球の引力圏を脱して、まず地球を回る衛星となり、そこから更に月や火星に向かう宇宙船となるには、力が要るのだと聞いたことがある。月着陸を果たしたアポロ11号を打ちあげたロケットは、全長が100何十メートルもあり、何十階建てかのビルに相当するような高さであったとのことである。それだけの高さのロケットを、3段階くらいに分けて、次々と噴射して、力を足していって、強大な地球の引力に逆らって、やっと先ず地球をまわる衛星となったのだった。さらに、それから宇宙へと進んで、月の引力圏に入って、安全に月面に着陸をするということには、どれだけの技術が要ったであろうか。
なぜこのようなことを申し上げたかというと、私たちが人間の世界に働く引力圏から脱して、神様の引力圏に入らせていただくということは、これと同じくらい難しいのではないか、とてつもないエネルギーが必要なことなのではないかと感じたからである。だとすれば、イスラエルの人々が長く信じて来たように、律法の行いを不断に行い、少々痛い思いをしても割礼をうけ、安息日を守るといったことなど当たり前ではなかったか。そういうエネルギーを、私たちが噴射し、努力をするのは当然のことではなかろうか。しかしパウロは「いやそうではない。そんなことは必要ない。ただ神様を信じ、イエス様を信じる信仰によって義としていただけるのだ」と語ったのであった。それを論証するために、この4章で、パウロはアブラハムを引き合いに出したのである。
2.さて、神様に義としていただくのに律法の行いや割礼が不可欠なのか。それとも信仰だけで良いのか。その議論は、正直言って、今の私たちには余りピンとくるものではないかも知れない。しかし、この御言葉を読んで、改めて私が強く感じさせられたのは、パウロにしても、その論争の相手方にしても、とにかく神様によって義としていただくということを、絶対に不可欠なものとして、切実に求めていたのだという点である。神様によって引っ張っていただくのでなければ、人間は悲惨だということを、よくよく分かっていたのである。だからこそ「ではどうすれば?」という議論を真剣に戦わせざるを得なかったのである。「如何にして」という点では、大きな溝があった。しかし、神様に義としていただくことを切々と求めるという点では、何の違いもなかったのである。だから、いつぞや『キリスト教とローマ帝国(ロドニー・スターク)』という本からご紹介したように、私たちが新約聖書から印象を抱くほど、クリスチャンやユダヤ教徒の間に、敵対関係はなかったのである。むしろ、キリスト教がローマ帝国において、あれほど広まったのは、ユダヤ教の人々がクリスチャンになったことが、その大きな理由の一つとして在ったのである。
このことは、今日でも何ら変わってはいないと思うのである。つまり、私たちは神様によって義としていただかなければならない者であること、それは如何にしてなのかということ、これが死活問題なのだということなのである。私たちの日本キリスト教団では、現在陪餐会員がここ10年くらいの間に3000人も減っているということが指摘されている。単に名簿に載っている会員だけではなく、礼拝に出席し献金もして下さっている方々が、10年の間に3000人も減っているというのである。それは、私たちの教会とほぼ同じ100人規模の教会が30も消滅してしまったというような驚くべき数字である。そんな情勢の中、教師たちは、ますます教勢を増やさねばというプレシャーに押しつぶされ、どんどん精神的に追い詰められているという。そうであればこそと、ある講演会の講師の方が話しておられた。「教会だけが語ることのできる言葉を語ろう」と。
それは私たちが神様によって義としていただかなくては悲惨な存在なのだということであり、如何にしてそれは為されるのかということなのである。私たちの世界がどれほど豊かになったとしても、神様に引っ張っていただくことがなければ悲惨な世界なのである。反対に、この世界がどのように惨めなものであったとしても、神様の引力圏で生きることができるなら、私たちは希望を抱くことができる。このことを語ろうというのである。このことを語って、それでも信者が減るのであれば、これはもう、神様の御心であろうから仕方がない。
3.さて、そこで今日の御言葉においても、4章前半に続いてアブラハムが引き合いに出されているのである。まず語られているのは、アブラハムが神様に義とされることがなかったら、どれほど惨めであったかという姿である。18節はじめには「彼は希望するすべもなかった」とある。それは、具体的に19節にあるように「そのころ彼は・・・妻サラも・・・」ということ故であった。私たちから希望を奪うことが、ここには端的に描かれている。何よりも、それは体の衰えである。体の衰えによって、私たちは新しいものを生み出せなくなってしまう。
しかし、これは私たち一人ひとりにのみ起こっていることではない。この人間の世界全体に起こっていることのように、私は感じる。20世紀にあれほどの悲惨な世界大戦を二度も体験したというのに、未だに私たちは領土とか民族とか、そういう古いものによって縛られ、敵意や憎しみを駆り立てられているのである。世界は衰えていく。新しいものや良いものを生み出すことができないようになってきている。だから、このままでは、私たちに希望はない。
このような私たちのありさまに対し、神様のことが、本当に素晴らしい言葉で語られている。17節「死者に命を与え、存在していないものを呼び出して存在させる神」だという。神様にとっては、アブラハムやサラが100歳90歳になって衰えていることなどは、何ほどのものでもなかった。まだ、影も形もないイサクという存在から、星の数ほどの子孫が生み出されるのを、神様はあたかも現実のように語られたのである。
そうであるならば、どうしてアブラハムやサラが神様につながり、引っ張っていただき、神様の引力圏内に招き入れていただきたいと願わないことがあろうか。そうやって、希望するすべもないものから、希望を抱く者になりたいと願わないことがあろうか。
4.そこで死活問題となるのは、では、死んだようなアブラハムやサラが、如何にして彼らとは正反対の神様につなげていただけるのか、その引力圏内に招き入れていただけるのかということなのである。それは非常に難しいことではなかろうか。何十階建のビル全体をロケットとして打ち上げるような、途方もないエネルギーを噴射しなければ適わないようなことではなかろうか。そのようなことを求められたなら、それは私たちには不可能なことである。そして、それはまた、アブラハムにもサラにも不可能だったのである。
どのような信仰であろうか。私は、アブラハムやサラの信仰についてのパウロの言葉を読むたびに、これは創世記に書かれていたこととはかなり違っているのではないかと感じる。余りにも、彼らの信仰を持ち上げ過ぎているのではないかと感じるのである。神様から実子の誕生を告げられた二人は、そろって「笑う」のであった(創世記17:17、18:12)。その消すことのできない証拠として、生まれた息子はイサク(「笑う」との意味)と名付けられたのであった。笑ったというのは、今日の御言葉の19節から21節までに、パウロが語っていることと反しているのではなかろうか。
私たちは、このパウロの言葉を文字通りに読んで「私たちにはこんな信仰は抱けない」と思ってしまうのである。どうして、望みえないのに尚も望むというような信仰を抱けるだろうかと思うのである。一片の疑いもない信仰を抱けるだろうかと思うのである。そのような信仰を抱くことが、私たちと神様とを結びつけるよすがであるならば、自分は駄目だと感じてしまうのである。しかし、アブラハムもサラも笑ったということを、その消すことのできない証拠として、生まれた子供がイサクと名付けられたことを、心に刻みたい。それは、彼ら自身が抱いていた信仰においては、疑いも迷いもあったということを示しているのである。弱ったことを指し示しているのである。しかし、信仰というのは、突き詰めれば神様が与えられたものなのである。神様に由来しているのである。神様が途方もない約束を彼らに示し、彼らの心を動かした。彼らに信仰を授けた。この神様が与えて下さった信仰の根源、それは弱りもしないし、無くなることもないのである。嘲笑った彼らをも神様につなげ、神様の引力圏に招き入れ、神様の約束をその身に成就させたのであった。
矛盾するような言い方かも知れないが、私たち自身が抱く信仰は弱るものなのである。しかし、神様が授けて下さった信仰という側面においては、それは弱まることはないのである。必ずや、それを与えられた私たちを、神様の約束の実現の中に置くのである。
5.アブラハムやサラを、神様の引力圏に招き入れるよすがとして与えて下さった約束の言葉は、「来年の今頃、サラに子供が生まれる」というものであった。この言葉によって、彼らに信仰が生じたのである。希望が生まれたのである。神様の世界に引きいれられたのである。義とされたのである。
では、私たちに与えられた言葉とは何であろうか。私たちに信仰を授け、神様の引力圏に私たちを招き入れて下さる約束とは何であろうか。それは、イエス様が人としてお生まれになり、十字架にかかり、復活なさったという出来事である。このことに心動かされ、イエス様の生涯や出来事に結び付けることができるなら、それはしっかりと神様につなげられることなのである。
先ほどの宇宙船の話から言うと、イエス様が人となり、十字架にかかり、復活してくださったということは、途方もないエネルギーを噴射して、すでにイエス様が神様の引力圏内に宇宙船としておいでになるということを表しているのである。私たちは、このイエス様という宇宙船に、信仰を持って乗り込むのである。イエス様という宇宙船に乗りこめるということが、どれほどに大きなことであるか。決して小さいことではない。それを、神様は良しとされるのである。私たちを義として下さるのである。
筑波学園教会牧師 福島 純雄
2015年 6月14日(日)聖霊降臨節第4主日礼拝
05:43「あなたがたも聞いているとおり、『隣人を愛し、敵を憎め』と命じられている。 05:44しかし、わたしは言っておく。敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい。 05:45あなたがたの天の父の子となるためである。父は悪人にも善人にも太陽を昇らせ、正しい者にも正しくない者にも雨を降らせてくださるからである。 05:46自分を愛してくれる人を愛したところで、あなたがたにどんな報いがあろうか。徴税人でも、同じことをしているではないか。 05:47自分の兄弟にだけ挨拶したところで、どんな優れたことをしたことになろうか。異邦人でさえ、同じことをしているではないか。 05:48だから、あなたがたの天の父が完全であられるように、あなたがたも完全な者となりなさい。」
1.本日は、教会学校(CS)の子どもたちとの合同礼拝である。CS教師用テキストに従って、マタイによる福音書の5章43節から48節を、本日の聖書箇所とさせていただいた。CS教師用テキストでは、6月と7月は、ずっと「イエス様の教え」という主題で、『山上の説教』と呼ばれる箇所を学ぶことになっている。
さて、この山上の説教をどのように読んだらよいかについては、昔から多くの人々が深く悩んできたのである。ある人々は、ここに書かれたイエス様の命令を、文字通りのものとして受け取った。そこからは、たとえば絶対的平和論とか非暴力抵抗主義とか、そのような考え方も生まれてきたと言えるが、一般的には、多くの人々が、到底このイエス様の命令は実行できないと感じて、クリスチャンたることから遠ざかってしまうのであった。他方で、このイエス様の言葉は、最初から実行不可能なものとして語られたのであり、実行できない私たちの罪を知らしめるためにこそ語られたのだと解釈した人もいたのである。
私自身は、どのように読んできたであろうか。私は幸いにも、このイエス様の言葉を、私たちが無理矢理実行しなければならない命令としては受け止めては来なかった。それは、強制ではなく、恵みや喜びに満ちた励ましとしてとらえた。「あなたがたの天の父が・・・・」とは、決して私たちが、天の神様と同じように完全になれとのことではないのである。そのようなことは言うまでもなく不可能である。イエス様が言われたことの意味は、私たちが天の神様の完全さに、信仰においてつなげていただき、それに影響され、引っ張っていただいて生きる者となることができるという幸いなのである。「・・・ように」という言葉によって、不完全でしかない私たちが、それにもかかわらず完全な神様につなげていただけるという慰めなのである。
2.私は、私たちがこうして神様に引っ張っていただけるありかたを、しばしば『楕円』のアナロジー(類推、類比)で、またベクトルという数学の世界の考え方を例えとしたとがあった。記憶があやふやなであるが、過日誰であったか、恐らくは有名な神様学者の著作だったと思うが、読んでいて、この楕円のアナロジーが用いられていたことに驚いた。自分だけが使っているものと思っていたが、実は昔から使われていたとても有益なアナロジーだったのである。
楕円という図形は、その中に、二つの円が含まれている。楕円の中には、二つの円の中心があるわけである。一つの円の中心しかない状態というのは、「隣人を愛し敵を憎め」と命じられているような──そういう命令や原理原則によってのみ縛られ引っ張られている──世界のことである。ところが、そういう世界の中に、信仰によって天の父なる神様によって引っ張られている引力の世界というものが入り込んでくると、二つの中心を持つ世界が、あたかも楕円のような世界が生じるのである。私たちは、なおこの世の命令や原理原則に影響され引っ張られている者ではあるが、もう一つ神様の引力によって動かされている世界の中にもいさせていただける者にもなり得たのである。楕円の世界の中で生きられるようになったことと、たった一つの円の世界、すなわち一つの中心しかない世界とは、それは決定的に違って来るのである。
また、数学のベクトルという概念では、次のようなアナロジーである。たとえば縦軸に「隣人を愛する」ということを、横軸に「敵を憎む」という方向性を置いた世界がまず考えられる。私たちは、その縦軸と横軸の相関関係のなかでのみ生きざるを得ない者とされている。しかしそこに、天の父なる神様を信じる信仰において、天の神様とつながるという空間軸が入り込んで来ると、二次元から三次元の世界が始まってゆくのである。二次元だけの世界でしか生きられなかった私たちが、三次元の世界を知って生きられるようになるのである。これが、どれほどの違いを生じさせるかは言うまでもないであろう。イエス様は、このように、天に父なる神様の完全さに引っ張られ影響されて生きられることのすばらしさを告げておられるのである。それは、おのずから私たちの生き方を変えずには置かないのである。変化しないということはありえないのである。
3.そこで次に考えたいのは、「隣人を愛し敵を憎む」という世界のなかでしか生きられないとしたら、そのような私たちの歩みはどれほど惨めなものであるかということである。
今、世界はどんどん、あるものを守ることのみを絶対的善とし、それを侵害し脅かすものを悪や敵と決めつける傾向が強まっていると感じる。新大久保で繰り返されている「ヘイトスピーチ」の様子を見せていただく機会があった。ヘイトスピーチをする人々にとっては、日本という国だけ、あるいは領土と純粋な血筋をもった者だけ、またそれに賛成する者だけが味方であり、それ以外は、いわゆる非国民であり裏切り者の敵だというのであろう。こうした思潮がじわじわと浸透しているのを感じないわけにはゆかない。昨年の7月1日に閣議決定され、今まさにその行使を現実的に可能とする11の法案が審議されている集団的自衛権も、領土や国家を守ることを絶対的な善とし、それを侵害しようとする者を悪や敵と決めつけて、国民の憎しみや不安をあおることから生じた事柄ではないかと私は思っている。
しかし、こうした敵と味方をわけ、絶対的な善と悪とを分けるというありかたは、決して国際関係や国というところだけに起きているわけではないのではないかと、私は感じている。それは、私たち一人一人のなかで起きている。6月28日(日)に、当教会の特別伝道集会の講師として奉仕いただく樋野先生の文章を読んでも、やはり、そういうことを感じざるを得なかった。樋野先生は、ガンをも不肖の息子ではないか、自分自身の体のなかで何年もかけて育ってきた身内ではないかと言われる。それは、ガンに生命を脅かされる思いをされた方々にとっては、とうてい許し難い暴論のようなことかもしれない。私たちもまた、健康で完全な、どこにも欠けるもののない者として生きることだけを絶対的な善とし、それを侵害しようとするものを悪であったり敵であると決めつけ、憎み排除しようとするのである。樋野先生は、そこに問題意識を感じておられるのだと、私は受け止めた。世界全体のありかたと、私たち一人ひとりのあり方とは、深く連動しているのではないだろうか。
4.このような私たちのありかたが何をもたらすかを思わずにはいられない。先日の朝日新の聞国際欄で『アンネの影の70年』という記事が目に留まった。エバ・シュロスという86歳の女性のことが書かれていた。エバは、『アンネの日記』を書いたアンネ・フランクがオランダで過ごした時代に、アンネの住居のすぐ近所に住んでいたそうである。その後、アンネは強制収容所の中で亡くなってしまったのだが、収容所を生き延びたアンネの父オットーとエバの母親が戦後再婚したことから、エバとアンネは義理の姉妹の間柄になったという。しかしエバは、アンネが「人間の本性を善だと信じている」と書いていることについて、「それは強制収容所での人間の姿をアンネが見ていなかったからゆえの文章だ」と言い、また、エバの憎しみは、ナチスの残虐行為を止められなかった全世界にも向けられていったのだそうである。このようなエバを絶えず諭し続けたのは義父、すなわちアンネの父オットーであった。オットーはエバに、「人を憎めば自分が惨めになるだけだ」と言い続けたそうである。その甲斐あって、エバの心は徐々に温もりを取り戻してゆき、やがて人々からの求めに応じ、アンネの日記の続編を書き、今では講演活動のため世界中をまわっているとのことである。
人を憎むことは、当のその人自身を惨めにするだけとは、まさに本当のことだと思う。キング牧師も同じことを言っておられた。敵を作りそれを憎むということは、何と言いえばよいか、私たちの生き方をひどく狭め、固く小さいものとしてしまうように感じるのである。過日の聖書研究祈祷会では、エレミヤ書の42章を学んだ。バビロニアによって祖国を滅ぼされ、捕囚を免れたイスラエルの人々は、バビロニアを恐れ、エジプトへ逃げて行こうとしていたのだった。その気持ちはよくわかる。恐ろしいという気持ちもそうであるが、祖国を滅ぼした憎き相手に支配されて、どうしておめおめとそこで生きてゆけるであろうか。何よりも、そこには憎しみがあったであろう。祖国を滅ぼしたバビロニアは絶対的な悪だとの思いがあったであろう。しかし、このようなイスラエルの人々に、預言者エレミヤを通して、神様は繰り返し言われた。「バビロニア人に仕えよ」と。それはつまり、次のような語りかけだと思う。憎んでも憎んでもバビロニアの支配の現実はある。どんなに敵と決めつけ憎んでも、病はあるし、不如意な現実は切除できない。にもかかわらず憎むことは、生きる場所を狭めてしまう。エジプトに行くしかなかったのである。しかし神様が言われたのは、エジプトに逃げていっても、そこまで嫌なものが追いかけてくるという言葉でした。憎み恐れ排除しようとすればするほど、それは追いかけてくる。排除することなどできないのだという現実である。だとすれば、それをも受け入れて仕えるしかないではないか。とにかく、敵を作って憎むことは、憎む者自身をだめにし、その生き方を狭めてしまうのである。
5.そうであればこそ、私たちは天の父なる神様につながって、敵を憎む生き方とは違った引力が私たちを引っ張って下さる世界へ、二次元から三次元の世界へと導かれてゆかなければならないのである。
さて、私たちを引っ張って下さる神様の性質については、端的に45節の「父は悪人にも・・・降らせて下さる」との言葉で言い表されている。天の父なる神様が、悪人にも善人にも太陽を昇らせ雨を降らせて下さるとは、つまり善人だけではなく悪人にも存在意義を認めてそうして下さるということではないだろうか(しかし、それは、つきつめれば、ヒトラーやナチスのようなものにも、神様は存在意義を認めておられるということにもなる。)
この神様の性質が、48節では完全と言われている。『完全』と訳されたギリシャ語の言葉は、テレイオス(Τ?λειο?)という言葉であるが、これはテロスという言葉から派生した言葉である。テロスとは、目標とかゴールといった意味を持つ語である。神様がテレイオスであるとは、神様だけが、すべてのものをゴールへと至らせることのできるという意味であろう。そして、そこに至る上での必要悪と言えるのかもしれないが、悪なる存在も、その存在意義を持たされているのである。そのために、暫定的ではあるが、悪人にも太陽は昇り雨は注がれるのである。神様が定めておられるテロスに向かう上で、私たちにとって悪と思えるものがどういう存在意義を与えられているかは、到底知ることはできない。ヒトラーやナチスのようなものに、どんな存在意義が与えられているのかはわかりえないが、確かに存在意義を与えられているのである。
こういう存在として敵をも見る。これが敵を愛し祈るということだと示されるのである。聖書のこの言葉についての注解で、必ず書かれていることであるが、敵を愛するの「愛する」とは、恋人を愛し家族を愛し友人を愛するときの愛とは全く異なったものなのである。それは自然な感情として沸いて出てくるものではなく、むしろ意志的な行為としての認識だとされている。敵を愛するとは、自分にとって敵と思われる存在をも、神様のテロスの御業のなかに置くことなのである。そのようにとらえることなのである。それが祈りである。それによって必ずや、神様の引力のなかに置かれるがゆえの違いが生じて来る。二次元から三次元の世界へ招かれたがゆえの効果が生じて来るのである。敵がおり、苦しめる存在がある現実から逃れることはできないが、それをも神様がもたらして下さるテロスへと向かう途上の中にあることなのである。このように敵をとらえることは、必ずや私たちの生き方を変えるものとなるであろう。神様の引力圏に置かれた者として、私たちの生き方の軌道を確かに変えるようになるのである。
筑波学園教会牧師 福島 純雄
2015年 6月7日(日)聖霊降臨節第3主日礼拝
16:01イエスは、弟子たちにも次のように言われた。「ある金持ちに一人の管理人がいた。この男が主人の財産を無駄使いしていると、告げ口をする者があった。 16:02そこで、主人は彼を呼びつけて言った。『お前について聞いていることがあるが、どうなのか。会計の報告を出しなさい。もう管理を任せておくわけにはいかない。』 16:03管理人は考えた。『どうしようか。主人はわたしから管理の仕事を取り上げようとしている。土を掘る力もないし、物乞いをするのも恥ずかしい。 16:04そうだ。こうしよう。管理の仕事をやめさせられても、自分を家に迎えてくれるような者たちを作ればいいのだ。』 16:05そこで、管理人は主人に借りのある者を一人一人呼んで、まず最初の人に、『わたしの主人にいくら借りがあるのか』と言った。 16:06『油百バトス』と言うと、管理人は言った。『これがあなたの証文だ。急いで、腰を掛けて、五十バトスと書き直しなさい。』 16:07また別の人には、『あなたは、いくら借りがあるのか』と言った。『小麦百コロス』と言うと、管理人は言った。『これがあなたの証文だ。八十コロスと書き直しなさい。』 16:08主人は、この不正な管理人の抜け目のないやり方をほめた。この世の子らは、自分の仲間に対して、光の子らよりも賢くふるまっている。 16:09そこで、わたしは言っておくが、不正にまみれた富で友達を作りなさい。そうしておけば、金がなくなったとき、あなたがたは永遠の住まいに迎え入れてもらえる。 16:10ごく小さな事に忠実な者は、大きな事にも忠実である。ごく小さな事に不忠実な者は、大きな事にも不忠実である。 16:11だから、不正にまみれた富について忠実でなければ、だれがあなたがたに本当に価値あるものを任せるだろうか。 16:12また、他人のものについて忠実でなければ、だれがあなたがたのものを与えてくれるだろうか。 16:13どんな召し使いも二人の主人に仕えることはできない。一方を憎んで他方を愛するか、一方に親しんで他方を軽んじるか、どちらかである。あなたがたは、神と富とに仕えることはできない。」
1.この例え話は、ルカによる福音書にだけに記されている。ここでイエス様が言わんとされている真意を理解するのはなかなか難しい。この例え話を読んで、私がまず感じさせられたのは、これは何の根拠もない憶測に過ぎないが、この例え話には、元となる事実が、実際の事件があったのではないかということである。イエス様の弟子たちや、聞くものが聞いたなら、すぐにでも「ああ、あの事件だ」とわかるような、当時の社会では有名だった事件を、イエス様は、わざわざ取り上げられ、そして誰もが知っていた結末とは全く違う、聞く者があっと驚くような、どんでん返しの結末を、イエス様は付け加えられたのであろう。
その事件とは恐らく、不在地主であったある人に農園やその他の財産の管理を任せられていた者(管理人)が、不正を働いていたことが発覚したという事件であった。その管理人は、彼の不正がばれそうになったので一計を案じた。普通ならば、こうしたケースで管理人がする行動は、金に換えられるものはできるだけ換金して、一刻も早く逃亡することではないかと思うのだが、なぜか彼はそうはしなかった。その行動も、もしかすると実際のものではなかったかと想像するのだが、彼は主人に借財を抱えていた者たちを次々に呼び出して、証文を書き換えてその借財を減らしてやった。それは、4節にあるように「自分を家に迎えてくれるような者たちを作る」ということである。主人に借財を抱えた者たちも、もうその管理人には、そんな権限はなくなっていたし、主人はそれを承諾していないということも、重々承知だったはずである。しかし、証文さえ書き換えられてしまえば、もうこっちのものだと、それに応じたのである。
管理人のしたことは、それまでの不正に加えて、さらに彼が主人の承諾のないことを勝手にやり、主人の財産を不当に減らすものであったから、今流に言えば、業務上背任と呼ばれるものであっただろう。だから、現実の事件では、この管理人は相当厳しい処罰を受けたに違いないと思う。誰もが、その結末を知っていたはずである。さっさと金を持って逃げてしまえばよかったのに、馬鹿な奴だと言っていたはずである。
ところがイエス様は、驚くようなことをおっしゃったのであった。「主人はこの不正な管理人の抜け目のないやり方をほめた」と。イエス様が、なぜこのようなことを言われたのかは、恐らく時代を下るに連れて、よくわからなくなっていったのであろう。10節から13節まで、イエス様のおっしゃった様々な格言が付加されているが、これは、イエス様の真意があまりよくわからない中で、人々が「イエス様の言われたのはこういう事ではないか」と思って、この例え話の解説や説明として考えることができたイエス様の言葉を、幾つも集めたものではないかと感じるのである。イエス様の言われた結末が余にもびっくりするようなものだったので、躓きを恐れて、新約聖書ではルカだけが記したのだと考えられる。
2.さて、イエス様はどういう意図をもってこの不正な管理人のやり方をほめたかが、核心になるわけであるが、そのことに触れる前に、私は、この例え話の全体から、まず語りかけられるものがある。
この例え話において、「主人」とは、言うまでもなく神様の事を指しているのだが、イエス様の真意は、神様という主人がこの世の主人とはどれほど違っているか、私たちが考えるようなこの世の主人とは全く違う対応をされるかを教えるために語ったところにある。それは、15章からずっと語られてきた一連の例え話で一貫して語られてきた。当時のイスラエルの信仰世界の主流を占めていたパリサイ人や律法学者が信じ、人々に教えていたところの主人また父、羊飼いといった人のイメージがあった。それは、羊飼いや牧用犬の命令を聞かずに、勝手に群れを離れて、群れ全体を危険に陥れるような1匹の羊など放っておけばよい、そのまま狼にでも食われた方がよいという考えの延長線上にある神様であり、あるいは、放蕩三昧に身を持ち崩してしまうような、ふらちな息子など帰って来ない方が良いし、家に迎え入れてやるなどとんでもないと考える兄とイコールのような神様のイメージなのである。元となった事件で言えば、こんな不正を繰り返す管理人のようなものは、この世の裁きを受ける以上に、さらに神様から重い報いを受けて当然と、パリサイ人や律法学者たちは教えていたのであろう。
こうした当時の主流をなす神様像に真っ向から反旗をひるがえして、イエス様は、思いもかけない驚くべき神様像を教て下さったのである。神様は、たった1匹の勝手な羊を捜しだし、見つけることをとても喜ばれる。放蕩息子が帰ってくることを大いに喜ばれる。重い処罰を受けて当然な不正を働いた管理人をほめられる。神様は、私たちが「当然」と考えるようなことをなさらない。私たちが当然と考えるようなことを覆し、私たちが驚くようなことをなさるとイエス様は言われたのである。
私たちは神様を、私たちの抱く価値観や尺度、またルールといったところから思い描き、勝手にその像を作り上げる。私たちが作り出した神様像は、私たちを縛る。イエス様を通して神様を知り、信じる事ができるようになったことは、本当に幸なことと思うのである。
3.そこで、いよいよこの例え話の核心、イエス様がなぜ、この管理人のやり方をほめたのかというポイントはこうである。ピンチに立たされたこの管理人が取った行動には、二つのポイントがあると言っていいと思う。
第一のポイントは、それが不正に不正を重ねることとなったわけだが、この管理人は、あくまでも自分が主人から任せられていた権限を使って、立つ瀬を確保しようとしたということである。普通ならば、換金できるものはできるだけそうして、一刻も早く逃げることがベストなやり方だったに違いない。しかしなぜか彼は、そのようにはしなかった。なおも管理人としての立場で、主人から委ねられていた権限-具体的には信用証書であるが-を不正に使って窮地を逃れようとしたのだった。
イエス様が感服したのは、この管理人が、どこまでも主人から委ねられたものを用いようとしたところではなかったかと思うのである。それは、11節にあるように「不正にまみれた富」であろう。それは、主人から委ねられた富を、不正に使うことであった。しかし、たとえ不正にであっても、主人から委ねられた立場や権限、その富を使うことによって、この管理人が窮地を逃れようとしたように、私たちにも、イエス様は、神様から委ねられた富を大いに用いてピンチを脱しなさいと、勧めておられるのである。神様から委ねられた富を用いようとするなら、必ずや神様は私たちを窮地から逃れさせて下さると言われるのである。
放蕩息子の例え話でも、同じことが言われていたと感じる。父からせっかく贈与を受けた財産を放蕩三昧で使いはたした点において、弟息子は不正を働いていた。そして彼は豚の餌さえも、貰えない窮地に陥った。そこで彼がしたことは、どうであったか。彼はもはや息子と呼ばれる資格はなくなってしまい、雇い人でもかまわないと思った。それでも父の家に帰ろうと思い立ったのだった。つまり、父の子であるという関係、その立場に立ったのだった。彼は、父から与えられた立場、どんなことをしても失われないその関係を用いようとしたのだった。そのことこそ、神様はほめてくださったのだとイエス様は言われたのである。
4.では、私たちが神様から委ねられている権限とは何であろうか。それが管理人のとった行動の第二のポイントである。管理人が主人から委ねられた権限とは、いろいろあったのではないかと想像できる。借金の管理だけではなく、例えば雇い人を農園で無理やり働かせる権限もあったであろう。苦痛を増し加えるようなことを強制することだってできたであろう。あるいは、強制的に金品ををむしり取るようなこともできたであろう。しかし彼は、そういうことはしなかった。彼がしたのは、4節の言葉で言えば「自分を家に迎えてくれるような者たちを作る」ことであり、9節のイエス様の言葉で言えば「友を作る」ということであった。人々の苦痛や負担を増すようなことで自分の権限を使うのではなく、負担を軽減してやり感謝をされるような、その後の彼の味方になってくれるような友を作る、そういったことで自分の権限を用いようとしたということである。このことこそが、イエス様を感服させたのではないであろうか。
私たち人間が、神様から預っている権限には様々なものがあると思う。その最たるものが創造する力だと教えられているが、創造すると言っても、私たちはいろいろなものを創り出すことができるのである。人や、この世界を苦しめ痛みを与えるものも創造することができるのである。それも確かに想像力と言えるであろう。しかし、窮地に置かれたときに私たちを救うのは、負担を軽減し痛みを減らしてくれる友や仲間を創り出すような創造だと、イエス様は私たちに教えて下さっておられるのである。
それは、普通の尺度では「小さな事」と見られがちである。友を作ったり仲間を作るといったことは、人生においては小事でありメインではないこととして見なされ、もっともっと大きな、目的とすべき大事があるのではないかと見られがちである。しかしイエス様は、神様から委ねられている権限とは、小事に忠実であることだ、友を創造することだ、感謝をされることだ、自分に味方してくれるような者を作ることだ、これこそが大事なのだと言われているのである。このことのために神様から委ねられている権限を使いなさいとイエス様は私たちに語りかけられているのである。
結局のところ、私たちの働きとは、小事の連続であり積み重ねだと思うのである。世間が「大きい」と言っていただけるようなことはほとんどないのである。そして、その小さなことの中心には、出合った人々の重荷を少しでも軽くし、友を作り仲間となる人を作ることだと思うのである。人生の先において、信仰の友として支えあってゆけるような人を作ることこそ、私たちの大事ではないかと思うのである。
それは、13節の「富に仕えない」という言葉に込められているように思う。富に仕えるとは、世間的な尺度で大事に忠実なことであり、それによって自分を豊かにすることである。しかしそれは、神様に仕えることとはならない。神様から委ねられた権限と立場に生きることにはなり得ない。私たちは、誰かの負担を減らし助けるようなことに忠実な者でありたいと思う。
筑波学園教会牧師 福島 純雄
2015年 5月31日(日) 聖霊降臨節第2礼拝
03:01モーセは、しゅうとでありミディアンの祭司であるエトロの羊の群れを飼っていたが、あるとき、その群れを荒れ野の奥へ追って行き、神の山ホレブに来た。 03:02そのとき、柴の間に燃え上がっている炎の中に主の御使いが現れた。彼が見ると、見よ、柴は火に燃えているのに、柴は燃え尽きない。 03:03モーセは言った。「道をそれて、この不思議な光景を見届けよう。どうしてあの柴は燃え尽きないのだろう。」 03:04主は、モーセが道をそれて見に来るのを御覧になった。神は柴の間から声をかけられ、「モーセよ、モーセよ」と言われた。彼が、「はい」と答えると、 03:05神が言われた。「ここに近づいてはならない。足から履物を脱ぎなさい。あなたの立っている場所は聖なる土地だから。」 03:06神は続けて言われた。「わたしはあなたの父の神である。アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である。」モーセは、神を見ることを恐れて顔を覆った。 03:07主は言われた。「わたしは、エジプトにいるわたしの民の苦しみをつぶさに見、追い使う者のゆえに叫ぶ彼らの叫び声を聞き、その痛みを知った。 03:08それゆえ、わたしは降って行き、エジプト人の手から彼らを救い出し、この国から、広々としたすばらしい土地、乳と蜜の流れる土地、カナン人、ヘト人、アモリ人、ペリジ人、ヒビ人、エブス人の住む所へ彼らを導き上る。 03:09見よ、イスラエルの人々の叫び声が、今、わたしのもとに届いた。また、エジプト人が彼らを圧迫する有様を見た。 03:10今、行きなさい。わたしはあなたをファラオのもとに遣わす。わが民イスラエルの人々をエジプトから連れ出すのだ。」
1.出エジプト記2章11~22節には、このようなことが書かれていた。エジプト王女の子供として成長したモーセは、壮年期になってエジプト王に苦しめられている同胞を救おうと思い立った(使途言行録7章23に記されたステパノという人の説教によると、それはモーセが40歳のときのことだったとされている)。しかし、それはものの見事に失敗に終わり、彼はエジプト王のお尋ね者となってエジプトから遠く離れたミディアンという所に逃亡者として寄留せざるを得なくなった。彼の決起が失敗した根本的原因は、この大事業を彼自身の力や志によって成し遂げようとした事にあった。モーセによって喧嘩をたしなめられたイスラエル人の同胞の一人が彼に「誰がお前を我々の監督や裁判官にしたのか」と問うたのは、とても象徴的だったが、要は彼をエジプトへの決起行動のリーダーに立てているのは自分自身でしかなく、神様ではなかったということこそが失敗の原因だった。そのようなモーセが、神様との不思議な出会いを体験させられ、それによって今度は神様によって立てられた者として、この大事業に向かうとことなったのである。
2.まず、2章23節から3章1節までに書かれているのは、モーセが神様との出会いを与えられるにあたって、どのような準備が備えられたかということである。
それはまず、何よりも、2章3節に「それから長い年月がたち」とあるように、時間であった。やはり使徒言行録7章のステパノの説教によれば、モーセが神様との出会いを体験したのは「先ほど述べた彼が40歳のときから」40年経ったとき(7章30節)」だったとあり、また出エジプト7章7節に「(モーセが)ファラオに語ったときモーセは80歳」とあることから、この長い年月というのは40年であろう。神様がまず備えられたのは、40年の歳月であった。
2章3節から25章までに書かれているのは、この40年間に、まずイスラエルの人々においてどのような変化が生じたかということである。「エジプト王が死んだ」とあるが、40年もイスラエル人に課せられた苦役は、王の死によってなくなりはしなかったようで、むしろ「その間イスラエルの人々は労苦のゆえにうめき、叫んだ」とあるように、-これは私の勝手な想像だが-この40年の間に、ますます苦役はひどくなり、しかしモーセが決起したようなエジプト王への抵抗運動はすべて根絶やしにされていったのではなかろうか。挫折したのはモーセの運動だけではなく、もろもろのそうした活動は失敗してしまったのであった。そうした40年間であった。
しかしそれは決して無駄な40年ではなかった。ただ苦しみが増すだけの歳月ではなかったのである。「労働のゆえに・・・神の届いた。神はその嘆きを聞き・・・・御心に留められた」とあある。はっきりとは書かれてはないが、自分たちの力や志しに頼る抵抗運動がすべてだめになってしまったがゆえに、イスラエルの人々は神という存在に向かって助けを求め叫ばざるを得なくなったのではなかったか。それまでは頼ろうとすることのなかった神様を人々は思い起こし、はるか遠い先祖であるアブラハム・ヤコブ・イサクと神様が結ばれた約束を思い起こし、そこに望みを託すようになったのである。それゆえにこそ神様もまたイスラエルの人々に向かうようになって下さった。まず40年の歳月がこのようなイスラエル人と神様との間柄に大きな変化をもたらしたのである。
3.このような変化と呼応して、ミディアンにいるモーセもまた変化を遂げた。言うまでもなく、かつて40歳だったモーセは、このとき80歳になっていたのである。壮年期から老年期へと移り変わっていた。3章1節に描かれた彼の姿は、この40年という歳月が、またその40年におけるエジプトにおける同胞の変化が、モーセにもたらした変化が何であったかがありありと記されている事に気づかされる。
彼は、しゅうとであるミディアンの祭司であるエテロの羊の群れとともに、荒れ野の奥へと進み、神の山ホレブに来たとある。ホレブ山は正確にどこかという定説はないが、一般的にはシナイ山と同じだとされている。普段モーセが居住していたミディアンがどこかということともからむが、もし聖書巻末の地図2にあるようにミディアンが紅海の先端であるアカバ湾を渡った東側にあったならば、シナイ半島にあるホレブ山とは相当の距離があったことにある。ちょっと羊を追ったついでにいける距離ではない。つまりモーセは意図的に神の山に向かったのである。神の山に行かざるを得ない心を抱えていたということを示しているのだと思う。その心とは、エジプトにいる同胞と呼応するものであったろう。同胞が40年間のなかで神様に叫び祈らざるを得なくなっていたように、80歳になったモーセもまたそうせざるを得ない者とされていたのである。40歳のモーセには、決して神の山に行こうなどという思いが生じることはなかった。しかし80歳になった彼はそうではなくなっていた。
私が心をとらえられた点は、モーセが羊を飼いつつ、つまり世俗の仕事をしつつも同時に、おのずから神の山へと入っていったということである。80歳になったモーセには、もはや世俗の仕事と神の山に行くこととを分離してはいなかったのである。ごく自然にこの二つの事が一緒になされるようになっていた。私は、これが40歳から40年経って、壮年期から老年期に入った者ゆえの姿であるととしみじみ思うのである。壮年期のばりばりの働き盛りにある人にはこれはできない。どうしても羊を飼う事の方が優先されてしまう。それは仕方のない事であろう。また神の山に行かざるを得ない心の強さもない。神を頼らずともできてしまう強さと若さがまだあるからである。教会には若い人がいない少ないとよく言われる。しかし、神の山におのずから行くようになるのは、どうしたって80歳からなのかもしれない。壮年期が終わってからこそなのかもしれない。
4.このような40年経ったイスラエル人、また80歳になったモーセの姿を象徴的に示しているのが、2節以降に書かれている『柴』だと思う。神様は、モーセをとらえて彼と出会おうとされるにあたって、他のシーンではなく、わざわざ柴が火に燃えているのにそれが燃え尽きないという場面を見せるのをお選びになったのか。それは、この場面こそがモーセをとらえたイスラエル人をとらえるのに最もふさわしいからに他ならなかったのである。
火に燃やされている柴の木、それはエジプト王の長い長い憎しみに苦しめられて灰になりかかっていたようなイスラエル人を表していた。また、40年間おそらく片時も忘れる事なく、そうした同胞への思いに心を焦がされてきたモーセを示していた。シナイ山とは2000メートル級の山のようである。そこに生えている木は背が低いみすぼらしいものであろう。もしこの山が火山ならば余計に熱のために枯れかかっていたようなものもあったはずである。そんな柴を神様は燃え尽きないものとしてくださるのだ、このような神がおられるのだと、モーセの心はとらえられたのだった。80歳の彼が求め悩んでいたことへの答えが示されたのである。
私は、この「燃え尽きない」という言葉に改めて、とても心を打たれる。『燃え尽き症候群』という言葉がある。なぜそうなってしまうのか、それは、自分自身のなかに燃えるものや燃やすことのできるものがあるから、かえって燃え尽きてしまうのである。40歳のモーセがまさにそうであった。王女の息子としての能力と権力、また同胞を苦しめたエジプト王への激しい憎悪。青年・壮年期にある私たちには、自分自身のなかに燃やすものがある。だからこそ自分が燃えることによって燃え尽きてしまうのである。
しかし、80歳になったモーセのようになった者は、燃この柴のように、え尽きることがない。自分自身にはもう燃やせるものはないからである。私ももう少しで60歳になろうとする今になって、ようやくこんな事がわかるようになった。59歳には、燃やそうとしても燃え得ない部分が厳然としてあるわけである。だからおのずとブレーキが働く。そしてやれることをやればよいという気持ちになる。後は少し若い方々にお願いをしようという気持ちになれる。枯れた柴のようになるということの、逆説的な恵みというものがここにある。そうなればこそ、枯れた私たちを燃え尽きない形で燃やして下さるのは神様しかおられないということがわかってくるのである。それをこそ求めるようになるのである。それを求めて神の山におのずと上ってゆけるようになるのである。
v
5.この不思議な現象にとらえられて、モーセはどのような神様に出会うこととなったのか。枯れた柴のようになった彼を燃え尽きない形で燃えさせて下さる神様とは、どのようなお方なのか。
彼はこの不思議な現象を見届けようとしたが、神様の彼への最初の言葉は「モーセよ。ここに近づいてはならない。足から履物を脱ぎなさい。あなたの立っている場所は聖なる土地だから」と言うものであった。神様からのモーセへの最初の言葉が「近づくな」であったことに、とても心を寄せられる。モーセが不思議な柴の木の現象に近づき、それを見届けようとしたことを、なぜ神様はストップされたのか。近づくなと静止されたのか。
見届け近づくというのは、対象となっている事柄、また自分の置かれている状況を分析し理解して、それを自分のなかに取り込もうとする態度のように思う。80歳になったモーセにも、言わばまだまだ『若い』と言っていいような、こういう態度があったのである。かつて40歳までエジプト王女の子供として、最高の教育を受けたと言われるモーセの片鱗がここに表れている。
しかし、そのようにしても、枯れた柴のようになっている私たちを燃え尽きないものとはしないということだと思う。燃え尽きない者とされるとは、様々な苦難に焼かれて枯れた柴のようになっている私たちが、生きる希望を失わずに生きてゆけるということだと思うが、そのためには「あなたの立っているその場所が聖なるところなのだ。あなたにとって大事な無くてはならぬ場所として神様から与えられたものだ」との言葉を聞いて、履物を脱いで、そこを聖なる場所として受け取ることなのである。なぜと問い求め近づこうとしても、はかり知ることのできない私たちの状況がある。しかしそれは、神様が私たちに特別な聖なるものとして与えて下さったものにほかならない。分析し理解して自分のなかに取り込むのではなく、ありのままの全体を神様からの聖なるものとして受け取ること、そこに立っていることが貴いものなのだと受容すること。このような態度こそ80歳になってはじめて私たちに可能となる生きざまなのかもしれない。
さらに神様は「わたしはあなたの父の神・・ヤコブの神である」と言われた。パスカルは、その著書パンセのなかで、この神の言葉をもって回心したというのは有名な話である。自分一人あるいは今という時間をはるかに越えた神様と人間との長い長いつながりがある。こういうなかに自分は置かれているのだという語りかけである。そこに自分を置けるときに、枯れた柴のような状態から、燃え尽きない存在とさせていただけるのである。
筑波学園教会牧師 福島 純雄
2015年 5月24日(日) ペンテコステ(聖霊降臨日)礼拝
14:16わたしは父にお願いしよう。父は別の弁護者を遣わして、永遠にあなたがたと一緒にいるようにしてくださる。 14:17この方は、真理の霊である。世は、この霊を見ようとも知ろうともしないので、受け入れることができない。しかし、あなたがたはこの霊を知っている。この霊があなたがたと共におり、これからも、あなたがたの内にいるからである。 14:18わたしは、あなたがたをみなしごにはしておかない。あなたがたのところに戻って来る。 14:19しばらくすると、世はもうわたしを見なくなるが、あなたがたはわたしを見る。わたしが生きているので、あなたがたも生きることになる。
1.ペンテコステは聖霊降臨日と呼ばれる特別な礼拝の日である。ルカによる福音書の著者は、使徒言行録も書いたが、その1章の記述によれば、復活されたイエス様は40日間にわたって弟子たちに度々現れ、さまざまなことを教えたり、一緒に食事をしたりなさったそうである。もし、このような関わりが、その後もずっと続いていたとすれば、聖霊が注がれる必要性はなかったのである。しかし、イエス様は40日後に天に昇り、弟子たちの目に見えなくなってしまわれた。それから10日後、時は丁度ユダヤ人にとっての小麦の収穫の祭りであったペンテコステ(ギリシャ語の50番目という意味で、過ぎ越しの祭りから数えて50日目に行われた)を祝おうと、弟子たちもまた、エルサレムのとある家に集まっていたとき、使徒言行録の2章のはじめに書かれているような、不思議な現象を伴なって聖霊が弟子たちに注がれ、それを機に、彼らは恐れず大胆にイエス様を宣べ伝え、そこから教会が誕生していったということで、世々の教会は、この日を特別な礼拝の日として守ってきたのである。
ただ、過ぎ越しの祭りから数えて50日目のペンテコステに、このようにして聖霊が注がれたというのは、あくまで使徒言行録を書いたルカの理解であり、ヨハネは、そのようには受け止めてはいなかったようである。イースター礼拝でよく用いられるヨハネによる福音書の20章22節には「そう言ってから、彼らに息を吹きかけて言われた。『聖霊を受けなさい・・・』」とある。弟子たちが大胆にイエス様のことを宣べ伝えていくのは、おそらく、それからさらに先のことであったろうが、ヨハネはイースターの最初の夜に、復活されたイエス様が弟子たちに聖霊を与えてくださったと理解していたのだった。
このように、聖霊が、いつどのような形で弟子たちに与えられたかについての理解は様々であるが、復活なさったイエス様が、弟子たち、また私たちに無くてはならぬ存在として聖霊を注いで下さったということは、共通しているわけである。そこから、聖霊も、イエス様も、神様として信じる信仰、すなわち父なる神・子なるイエス・聖霊なる神を、三つにして一つなる神として信じる、三位一体の信仰が生まれて来たのである。聖霊なる神が、なぜ私たちにとって無くてはならないかを、より深く知ることができればと願う。
2.イエス様は、先ず聖霊を「弁護者」と読んでおられた。聖霊を、このように呼んだのは、ヨハネによる福音書の独特の表現である。弁護者と訳されているギリシャ語の原語は、パラクレートスという言葉である。もちろん、イエス様ご自身はギリシャ語をお話になっていたわけではないので、これはイエス様の言葉を記憶していたヨハネが、イエス様が聖霊について語った表現を、彼なりに理解してギリシャ語に翻訳した言葉であろう。
このパラクレートスが、どのような存在かについて、バークレーは、その注解書で、次のように説明している。「パラクレートスは、法廷で誰かのために証言するために招き入れられた人である。重い刑罰が予想される場合、その人の言い分を弁護するために招き入れられた弁護人である。・・・彼は、たとえば軍隊が意気消沈し、落胆しているときに、彼等の胸に新しい勇気を湧き立たせるために招き入れられた人である。パラクレートスは常に、困難や苦悩や疑惑や、或いは、当惑のもとにある人々を助けるために招き入れられるものである。(バークレー『ヨハネ福音書』223ページ、ヨルダン社)」。
なるほど、このようなパラクレートスが、私たちには不可欠となる時がある。私自身は、いわゆる「弁護士のお世話になった」というようなことは今までにないが、忘れられない出来事がある。前任地の郡山で、アキレス腱を切って入院してたときに、同じ病室にいた、当時60代くらいの男性と知り合いになった。彼はその後、教会の礼拝に出席するようになった。彼が経済的にかなり困難な様子だったことは、うすうす感じていたが、ある日の午後に、突然彼から電話があって、これから家を出る、借金でどうしようもない、死ぬしかないと泣きながら言われた。すぐさま、知り合いの弁護士に、彼を伴なって相談に行った。すると、彼のところに1日に何本もかかってきていた借金の返済を催促する電話がぴたりとやみ、結果的には、彼は自己破産という手段を取ることになったが、彼は救われたのであった。私たちには、一人では、もうどうしようもない時がある。そのようなときに、私たちの側にいて、励まし助け、時には、専門的な知識や技術をもって再起させて下さるのが、パラクレートスなのである。その存在を知っているのと、そうでないのとでは、かなり大きな違いがある。
3.ここで、少しまわりくどいが、イエス様がこのパラクレートスのことを、わざわざ『別の』と言われている点に触れたい。『別の』というのは、肉体をもったイエス様が弟子たちのパラクレートスであり、また復活なさったイエス様が、使徒言行録の記すところによれば、40日間にわたってパラクレートスであったとも言えるのであるが、そういうイエス様とは『別の』という意味である。もしも復活なさったイエス様が40日間だけでなく、その後もずっと今日に至るまで、パラクレートスであって下ったなら、別のパラクレートスは必要ないわけである。しかし、御心によって神様イエス様は、そのような在り方になることはなかったのである。復活のイエス様がパラクレートスであったのは40日で、50日目からは別の、聖霊という、パラクレートスが、その働きを務められることとなったのである。
その御心は何かということを考えさせられるのである。やはりこのヨハネによる福音書だけに書かれているエピソードであるが、復活のイエス様がマグダラのマリヤという女性に現われたとき、彼女にイエス様が「わたしにすがりつくのはよしなさい。まだ父のもとへ昇っていないのだから」と言われた場面が書かれている。イエス様が天に昇られるその目的は、私たちをしてイエス様にすがりつかせないという意味がある。もし、復活されたイエス様が、その後もずっと弟子たちや私たちが目で見て、お会いでき、この耳でその言葉を聞くことができ、物質としての食事を共にするような間柄であったならば、それはイエス様にそういった姿ですがりつくことになるのである。「それは、私たちのためにはならない」ということではないであろうか。だから、『別の』パラクレートスが遣わされることになったのである。
17節に、「世はこの霊を見ようとも知ろうともしないので、受け入れることができない。しかし、あなたがたは・・・」とイエス様の言葉が記されている。パラクレートスが、誰もがそういう存在であると見え、知り、受け入れられる存在ではないのだと、イエス様は言われたのである。そういうパラクレートスであることを良しとされる。それは、私たちがやはり信仰によって、目には見えないパラクレートスを受け入れるのを、神様は良しとされているからである。
4.では、パラクレートスは、私たちを何をもって助け、励まして下さるのであろうか。弁護者として、私たちが持っていない、いかなる専門的な知識や技術によって、私たちを再起させて下さるのであろうか。
それが、17節初めの「真理の霊である」という御言葉に記されている。パラクレートスなる聖霊は、私たちに真理を教えてくださる。真理を伝えることで、私たちを励まし、希望を与えて下さるのである。それはどのような真理であろうか。様々な種類の真理がある。たとえば、1+1=2であるという数学的な真理があり、水は酸素と水素の結合からなっているとの化学的な真理もある。しかし、イエス様がここで言われた真理とは、19節に「わたしが生きているので、あなたがたも生きる」とあり、また見開きの前のページの14章6節に、「私は道であり真理であり命である」とあるように、パラクレートスなる聖霊が与えてくださる真理とは、何よりも生きる道に関するもの、命の真理なのである。
その真理の第一は、16節に「父」とあり、18節に「みなしごにはしない」とあることから、私たちには天に父がおられ、その天の父が決して私たちを孤児にはしないという真理なのである。真理があれば、反対に嘘があり、偽りがあるであろう。「お前たちには父などいない」「お前たちは、この世に生きるにあたって、天涯孤独の孤児でしかない」と私たちにささやき怯えさせる偽りの霊がいるのである。孤児であるとは、生きるについて誰にも頼らず、たった一人で、それを為して行かねばならない存在を意味している。確かに、天涯孤独で、誰にも頼ることができずに生きて行かねばならない状況にある人も少なからずおられる。その生きる大変さに打ちひしがれ、もう死んだ方がましだと思うこともあるかも知れない。しかし、それこそまさに、偽りの霊が吹き込む思いなのである。天の父がいたとしても、確かに、この世を生きるうえで不可欠なお金や食べ物が天から降って来るということはない。しかし、天の父がおられ、その父が私たちを決して孤児にはしないのであるから、私たちに、天からの不思議な食べ物が降って来るということがないとは言えない。イエス様は「空の鳥を見よ、野の花を見よ」と言われたが、空の鳥や野の花は、蒔かずとも紡がずとも、天の父は生かして下さっている。そこに目を注ぐとき、私たちはパラクレートスからの真理を頂くことができるのではないであろうか。蒔かない、また、紡がない私たちを生かして下さる、目に見えない糧がそこにはある。天からのパンがある。
5.第二の真理は、19節の「私が生きるのであなたがたも生きることになる」という御言葉に込められている。ここには、私たちが生きることについての、本当の真理が示されていると、ひしひしと感じられる。イエス様は、私たちの「生きる」ということが、イエス様が生きておられるということに分かち難く結びついていると言われているのである。私たちの生きる糧とは、イエス様が生きているということにある。だから、私たちはもう、自分が生きることについて、あれこれを心配する必要はないわけなのである。イエス様が生きておられるが故に、私たちは生きるのだから、何の心配も要らないのである。
もう一つ、このイエス様の言葉から示された真理がある。そのように、私たちの生きることが、イエス様のそれと結びついているなら、同様に、私たちの生きることも、また誰かの生きることと結びついているのではないかという真理である。
私たちは、「このような自分など、もう生きている価値はない」と思ってしまうことがある。しかし、生きていることはイエス様とつながっているのならば、そのように悩みつつ生きていることもまた、別の誰かを生かすことにつながっているのではなかろうか。苦悩しつつ生きている姿は、きっと同じように苦しんでいる誰かの励ましとなる。迷惑をかけるだけの存在に、いつか私たちはなってしまう。しかし、そのような私たちが、そのようになってもなお、生きるということが、誰かの生きる活力を生じさせることもあるのである。それもまた、天の父なる神様が、私たちに天から与えてくださった不思議な糧なのかも知れない。
そういうことが、最初の15節にある「掟を守る」という言葉につながってくるのを感じる。どうして、ここに「掟を守る」という言葉があるのか、15節にも21節にもあるのだが、それがなぜなのか、これまでは良く分からなかった。しかし、掟を守ることと、パラクレートスの助けをいただき真理を教えられることとは、どう繋がるのか。それが今、少しわかったように思える。掟を守るとは、真理の掟、つまり真理が示すところの原理原則法則にのっとって生きるということなのである。偽りの霊を吹き込まれて、自分勝手な考えに従って生きるのではなく、真理が示す掟、すなわち原理原則にのっとって生きるのである。偽りではなく、真理の霊が示して下さる原理原則の枠組みの中で生きていきなさいとの語りかけなのである。
筑波学園教会牧師 福島 純雄
2015年 5月17日(日) 復活節第7主日礼拝
04:01では、肉によるわたしたちの先祖アブラハムは何を得たと言うべきでしょうか。 04:02もし、彼が行いによって義とされたのであれば、誇ってもよいが、神の前ではそれはできません。 04:03聖書には何と書いてありますか。「アブラハムは神を信じた。それが、彼の義と認められた」とあります。 04:04ところで、働く者に対する報酬は恵みではなく、当然支払われるべきものと見なされています。 04:05しかし、不信心な者を義とされる方を信じる人は、働きがなくても、その信仰が義と認められます。 04:06同じようにダビデも、行いによらずに神から義と認められた人の幸いを、次のようにたたえています。 04:07「不法が赦され、罪を覆い隠された人々は、幸いである。 04:08主から罪があると見なされない人は、幸いである。」 04:09では、この幸いは、割礼を受けた者だけに与えられるのですか。それとも、割礼のない者にも及びますか。わたしたちは言います。「アブラハムの信仰が義と認められた」のです。 04:10どのようにしてそう認められたのでしょうか。割礼を受けてからですか。それとも、割礼を受ける前ですか。割礼を受けてからではなく、割礼を受ける前のことです。 04:11アブラハムは、割礼を受ける前に信仰によって義とされた証しとして、割礼の印を受けたのです。こうして彼は、割礼のないままに信じるすべての人の父となり、彼らも義と認められました。 04:12更にまた、彼は割礼を受けた者の父、すなわち、単に割礼を受けているだけでなく、わたしたちの父アブラハムが割礼以前に持っていた信仰の模範に従う人々の父ともなったのです。
1.ローマの信徒への手紙3章21節からは、本論の第二部である。8章最後まで、パウロがずっと語っているのは、神様によって義とされなければどうしようもない悲惨さの中にある私たち人間が、ただイエス様をキリストとして信じる信仰によって義としていただくということであった。ユダヤ人が神様に義としていただくためには絶対不可欠だとしてきた律法の行いや割礼を受けることは必要ないということであった。
このことは、ユダヤ人のある者たちにとっては、到底受け容れることのできないことであった。ローマ教会には、大きく分ければユダヤ人からクリスチャンになった人々と - そして、その背後には、当時ローマに、数万人はいたというユダヤ人社会があった - ユダヤ人とは何のかかわりもないところからクリスチャンになった、いわゆる異邦人クリスチャンがいた。ユダヤ人クリスチャンのなかにも律法の行いや割礼を受けることに、それほど固執しない人々もいたが、背後にいるユダヤ人社会の圧力で、それらの行いをなお不可欠と主張する人々もいた。ユダヤ人クリスチャンと異邦人クリスチャンとの間に、徐々に大きな溝が広がって行きそうな状況だったので、パウロはこの手紙を書かざるを得なくなったのである。
パウロが、神様に義とされるには、律法の行いや割礼が不可欠だと主張する人々の言葉を引用しているのではないかと思われるのが、4節の言葉である。原文の直訳なので、とても分かりにくい文章になっている。言わんとするところは、働き人に支払われる報酬は、当然にその者が報酬に見合う働きをしたことに対してのものだということである。これが世の普遍的なルールであり、神様もまた、この原理原則に従われるだろう。であるなら、私たちは、神様に義とされるという報酬をいただくために相応しい働きをするのは当然であり、それが律法の行いであり割礼なのだ。ユダヤ人クリスチャンのある人々はそう主張するのだった。
2.これに対して、まずパウロが、自らの宣べ伝えの根拠として持ち出すのは、アブラハムのことであった。1節に、アブラハムは「血によるわたしたちの先祖」とあった。アブラハムはユダヤ人にとって肉、つまり血筋による先祖であるだけでなく、それ以上に、むしろ信仰の先祖でもあった。信仰においてアブラハムがどうであったかは、彼らにとって決定的な重要性をもっていた。だから、アブラハムを取り上げたのであった。
そのアブラハムについて、パウロは2節以下で「もし、彼が行いによって・・とあります」と語っている。パウロによれば、アブラハムは行いによって義とされた人ではないのである。そして、その証拠である聖書の御言葉としてパウロが引用すした、創世記15章7節であった。
さて、私がローマ書の説教の準備をする際に大いに参考とさせていただくものとして、改革派の牧師である榊原康夫の説教がある。榊原先生によれば、当時のユダヤ人が「アブラハムの信仰」として真っ先に考えたのは、創世記22章に書かれていることなのだそうれある。ここに記されているのは、アブラハムがやっとやっと授かった独り息子のイサクを、神様の命令に従って、いけにえとして捧げようとしたことである。彼はイサクを縛って、薪の上に乗せた。この「縛る」はヘブル語で「アケーダー」と言って、このアケーダーがそのまま、このアブラハムの出来事を指す言葉になったのだそうである。だから、ユダヤ人にとってアブラハムの信仰とは、このようにその独り子を惜しまずに捧げるほどの行いをする信仰ということになるのだという。
榊原先生はさらに、旧約聖書の「外典」のひとつである第二マカベア書から、つぎのような言葉も引用されている。「われらの先祖がそれぞれの時代に為した業を思い起こせ。そうすれば、お前たちは大いなる栄光と永遠の名を受け継ぐことになる。アブラハムは試練を通して信仰を証しし、それが彼の義とみなされたのではなかったか(ローマ人へ手紙の講解2の12ページから、第二マカベア書2章51-52節)」と。当時のユダヤ人にとって、このようにアブラハムとは、その行いや業によって義と認められた人であったのである。
3.以上のような伝統的な、正統的なアブラハム観に対して、パウロは真っ向から反対のことを語ったのである。そして、その根拠とするのは、同じ創世記の15章の出来事である。
実子がいなかったアブラハムは、故郷を一緒に出て来て以来、ずっと行動を共にしてきた甥のロトを跡継ぎにしようと思ってきたのだった。ところが、創世記13章で、彼と袂を分かたねばならなくなった。とても肥沃だったヨルダン川沿いの低地を住む場所として選んだがために、ロトは現地の王たちの戦いに巻き込まれ、捕虜にされてしまったのであった。それをアブラハムは、果敢にも助け出した。それでも、トロがアブラハムのもとに戻って来てくれたとの記述はない。だから、15書のはじめで、アブラハムは将来に対してとても不安を抱いていたのである。ロトが戻って来てくれなかったことへの寂しさを抱いていたのだった。何とも言えない、自分自身の小さな貧しさに打ちひしがれていたのである。
そういうときに、神様は彼に声をかけて「あなたの受ける報いは非常に大きい」と言われたのである。ここに、キーワードになっていた「報い」「報酬」という言葉がいみじくもでてきている。こう言われても、アブラハムは何のことか分からなかった。子供はなく、ロトは失い、とうとう召し使いを跡継ぎにするかもしれないと思っていることを語った。すると神様は「あなたから生まれる者が後を継ぐ」と言われ、5節「主は彼を外に連れ出して言われた。『天を仰いで星を数えることができるなら、数えて見るがよい。あなたの子孫はこのようになる』と語られたのである。その後に「アブラハムは主を信じた。主はそれを彼の義と認めた」とある。
最も大事なポイントは、ここでアブラハムが神様から義と認められたことについて、アブラハムは、いかなる行いをしたかという点である。この時点では、未だ報いや報酬は将来のものであった。それを約束されることについて、彼はそれに相応しい働きをできていたであろうか。何もできていなかったのである。いや、信じるという行いも働きもしていたではないか、と言われるかも知れない。しかし、ここでの「信じる」とは、天の星の数ほどに子孫がされるとの報酬をいただくのに相応しい、確信に満ちた確固としたものでは到底なかったのである。
アブラハムにあったのは、跡継ぎもなく、甥も失ってしまったという、己の小さな乏しさのみであった。そうであればこそ、数えきれない天の星に象徴的に表れている神という存在の無尽蔵の豊かさに期待するしかなかったのである。その神の豊かさにあやかりたい。自分とは正反対の神の豊かさがこれからの自分たち夫婦の生涯を包みこみ、引っ張っていただくものとなっていただきたい。人間の抱えているどうしようもない貧しさや小ささに支配されるのではなく、神様の豊かさが支配してくださる生涯でありたい。この切実な願いと祈りこそが「信じる」ということなのであった。これを以って、神様は私たちを義と認め、私たちの願いを聞き届けて、私たちをご自分に結び付けてくださるのである。
信じるということを、伝統的なキリスト教の教義内容すべて納得がいったり、聖書に書かれていることがすべて合点のいくようになることと受け止めておられる方が居る。そうなるのは、まことに素晴らしいことですある。しかし、それは信仰の核心ではない。信仰の核心にあるのは、自分自身や、また人間存在というものの、どうしようもない貧しさや小ささや、そして、惨めさや、病んでいる状態に気づいて、それとは正反対の神様を、ただただ慕い求めることである。それが、私たちのなかに現れ、反映され、移植され、私たちがそれによって具体的に動かされて生きるのを望むことなのである。その信仰をもって、神様は私たちを義として下さるのである。
4.このような信仰によって義とされた者として、アブラハムについで、もう一人、パウロがあげるのが、これまた、ユダヤ人にとってはとても影響力がおおきかったダビデであった。
7節と8節に引用されているのは、詩編32篇1節2節に記されているダビデの言葉である。ダビデがどのような状況において、この言葉を語ったかは記されていない。内容から言って、彼の生涯の決定的な汚点が絡んでいると理解できる。彼は、部下ウリヤの妻バテシバを我がものとし、それがばれそうになって、わざとウリヤを戦闘の激しい前線に取り残させて、間接的にだが、殺人を犯したのである。
そんなダビデが、神様から義としていただくについて、それに相応しい対価となるような行いや働きを払うことができたであろうか。私は幸いにも、人を殺したこともなく、妻を裏切ったこともなかったが、もしそれをしたとしたら、- しかし、誤って、例えば車で人をはねて死に至らしめてしまうことは起り得る事である - 私は、もうどんなことをしても、神様に義としていただくに相応しい支払いはできないと思う。私自身の根源は全体が汚れているのである。言わば、私の全体がマイナスなのである。ナイマスである者がプラスである神様に、そのプラスをいただくための対価を払うことはできない。けれども、また、汚れてしまった私が、以後ずっと、ただその汚れに支配され、引きずりまわされてしまうのは、本当に辛いのである。やりきれないのである。
だから、そういう自分とは正反対である神様につながり、神様に包まれ、神様の性質が、汚れた私に移されるのを望むしかないのである。それを、神様は喜んで下さる。汚れて罪ある者が、そのように神様によって清められ、罪に支配されない者とされるとは、何と言う幸いであろうか。マイナスでしかない者が、神様のプラスによって満たされるとは、何と言う幸いであろうか。神様によって義とされるとはこういうことだと、ダビデも言っているのである。
5.最後に、9節以下、ここでパウロは再びアブラハムの例について取り上げている。「アブラハムの信仰が義と認められた」出来事が書かれていたのは、創世記15章である。では、彼が割礼を受けたことが記されているのは何処であろうか。創世記の17章だという点を、パウロは持ちだしたのである。時間的な順序として、彼が割礼を受けたのは、信仰によって義と認められた15章の後なのだから、割礼は義と認められることについて不可欠ではないというのがパウロの主張である。では、割礼は何かと言えば、それは信仰によって義とされた証しとしての印だと11節に、ある。
聖書の中に書かれている前後関係、時間的な順序をもちだして、割礼や律法の行いが、神様によって義とされるにおいて不可欠なものではないとするのは、分かりやすいと言えば分かりやすい論拠である。しかし、反論もあり得る。時間的に一番先に来る者が一番大事だというのならば、私たちがイエス様を信じて義とされるというのは、最も後にくることであるから、それは最も劣っていることだということもできる。時間的な前後ということを言うのであれば、パウロの主張とは全く逆に、後に来るものほど有効ではないか(たとえば遺言書はそうである)とも言えるのである。
こういうわけで、パウロの言うことに逆らうようだすが、時間的な順序で事柄の優劣や要不要を論じるのではなく、どれもが皆、神様が与えてくださったものなのであるから、そのすべてに共通して存在する原理原則のようなものを見出すことが大事なのではないかと私は感じるのである。そして、私たちが神様によって義とされるときの原理原則こそが、創世記15書6節に記されているところの、「信じて義とされる」ということではないかと示されるのである。私たちは、神様に義とされるのに、それをあたかも報酬として買い取るような形で、行いや働きを『払う』ことはできないのである。割礼にしても、十戒の行いにしても、十戒を基に造られた律法の行いにしても、あくまで『信じる』ためのよすがなのである。信じることと対抗し、それと優劣や要不要を競い合うような、私たちが義を神様から買い入れるための支払いはできないのである。私たちは、神様に対して、そのような対価を払うことはできない。ただ、信仰によって、恵みによって義としていただくだけなのである。その完成形として、イエス様を信じる信仰があるのである。
筑波学園教会牧師 福島 純雄
2015年 5月10日 復活節第6主日礼拝
15:11また、イエスは言われた。「ある人に息子が二人いた。 15:12弟の方が父親に、『お父さん、わたしが頂くことになっている財産の分け前をください』と言った。それで、父親は財産を二人に分けてやった。 15:13何日もたたないうちに、下の息子は全部を金に換えて、遠い国に旅立ち、そこで放蕩の限りを尽くして、財産を無駄使いしてしまった。 15:14何もかも使い果たしたとき、その地方にひどい飢饉が起こって、彼は食べるにも困り始めた。 15:15それで、その地方に住むある人のところに身を寄せたところ、その人は彼を畑にやって豚の世話をさせた。 15:16彼は豚の食べるいなご豆を食べてでも腹を満たしたかったが、食べ物をくれる人はだれもいなかった。 15:17そこで、彼は我に返って言った。『父のところでは、あんなに大勢の雇い人に、有り余るほどパンがあるのに、わたしはここで飢え死にしそうだ。 15:18ここをたち、父のところに行って言おう。「お父さん、わたしは天に対しても、またお父さんに対しても罪を犯しました。 15:19もう息子と呼ばれる資格はありません。雇い人の一人にしてください」と。』 15:20そして、彼はそこをたち、父親のもとに行った。ところが、まだ遠く離れていたのに、父親は息子を見つけて、憐れに思い、走り寄って首を抱き、接吻した。 15:21息子は言った。『お父さん、わたしは天に対しても、またお父さんに対しても罪を犯しました。もう息子と呼ばれる資格はありません。』 15:22しかし、父親は僕たちに言った。『急いでいちばん良い服を持って来て、この子に着せ、手に指輪をはめてやり、足に履物を履かせなさい。 15:23それから、肥えた子牛を連れて来て屠りなさい。食べて祝おう。 15:24この息子は、死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに見つかったからだ。』そして、祝宴を始めた。 15:25ところで、兄の方は畑にいたが、家の近くに来ると、音楽や踊りのざわめきが聞こえてきた。 15:26そこで、僕の一人を呼んで、これはいったい何事かと尋ねた。 15:27僕は言った。『弟さんが帰って来られました。無事な姿で迎えたというので、お父上が肥えた子牛を屠られたのです。』 15:28兄は怒って家に入ろうとはせず、父親が出て来てなだめた。 15:29しかし、兄は父親に言った。『このとおり、わたしは何年もお父さんに仕えています。言いつけに背いたことは一度もありません。それなのに、わたしが友達と宴会をするために、子山羊一匹すらくれなかったではありませんか。 15:30ところが、あなたのあの息子が、娼婦どもと一緒にあなたの身上を食いつぶして帰って来ると、肥えた子牛を屠っておやりになる。』 15:31すると、父親は言った。『子よ、お前はいつもわたしと一緒にいる。わたしのものは全部お前のものだ。 15:32だが、お前のあの弟は死んでいたのに生き返った。いなくなっていたのに見つかったのだ。祝宴を開いて楽しみ喜ぶのは当たり前ではないか。』」
1.この福音書だけに記された、とても有名なたとえ話である。この福音書だけでなく、4つの福音書に書かれた多くのたとえ話のなかでも、最もよく知られたものの一つではなかろうか。たとえ話はあくまでたとえであるから、細部にわたって何らかの意味を見いだそうとすると、時にこじつけのような解釈となることがある。そうならないように留意しつつ、私なりに、このたとえ話が私たちに、語りかけられたメッセージを、お伝えしたいと思う。
まず16節まで、ある人に二人の息子があったという言葉から、話は始まっている。全体を通して、『父』が神様を指しているのは、言わずもがなこのことであろう。二人の息子のうち、弟の方が、財産の生前贈与を申し出た。父はこれを何も言わずに受け入れ、財産を兄弟二人に分けてやった。弟はこれを全部お金に換え、父のもとを離れて遠い国に旅立ち、そこで放蕩の限りを尽くして、財産を使い果たしてしまったと書かれている。弟が父の家を出るというのは、私たち人間が神様という存在と無関係なところで生きようとする姿を表しているのだと思う。神様は私たちがそうしようと望むとき、それを黙ってお許しになる。強制的に留めることはなさらない。私たちの自由を奪わない神様のお姿がここに、まず記されている。
そこで、私たちが神様との関係を断って生きようとしたとき、私たちの生き方がどういうものになってしまうか、何を中心にし、何を一番大事にして生きるようになるのかを、この御言葉は如実に示していると思う。ここで何よりも私の心を捉えたのは、「財産全部を金に換え」という箇所である。それは、すべてをお金に換える生き方を象徴的に表しているのではないだろうか。人生の価値をお金に換算しようとする態度を表している。お金に換えてどうするのかというと、放蕩の限りを尽くすのである。放蕩とは、自分の欲望を満たすためにひたすら生きることである。お金が第一になった人生の主たる目的、主たる意義は、自分にせよ、身近な人にせよ、欲望をどれほど満たして楽しめるかになるのである。どれほどのお金を稼げるか、また、どれほど放蕩を尽くせるかに、人生が縛られてしまうようになるのである。
2.続いて、15節と16節で語られているのは、神様を遠く離れてこうなった人生がどういう状態に至るかである。何もかも使い果たしたときに、飢饉が彼を襲った。食べるにも事欠いた彼は、知り合いに身を寄せたが、その知り合いは、彼に豚の世話をさせることにした。ユダヤ人は、決して豚には触れないそうである。彼はその豚のエサさえ貰うことができなかった。そういう状態にまで堕ちてしまったというのである。
私はここに、神様を離れた人生の価値を、お金と欲望を満たすことにおいてしまった人間の行き着く惨めさをみるように思う。飢饉がやってくるとは、私たちがそうやって生きることでは決して生きる糧を見出し得ないときが来るという意味である。職を失い、病気になり、介護を受け、召されて行くときがやってくるのである。もはや、お金を稼ぐことはできないし、誰彼の欲望を満たし楽しませることのできない時がやってくるのである。お金に換算したら、そのような私たちは一体いくらになるであろう。誰の欲望を満たし楽しませることができるであろうか。豚は死んでも食肉になる。一頭が幾らするかは分からないが、豚は、無駄になる部分がない。頭も足も、尻尾の毛さえ役に立つのである。人間はどうであろう。死んだら、ただお金がかかるだけである。マイナスである。だから、豚には餌が与えられるが、人間には与えられない。もう、この弟には、豚の価値さえなくなってしまったということである。
私たち人間の惨めさ、神様から離れた私たちの惨めさが、ここにありる。私たち人間だけが、父なる神様から授かった財産がある。それは、私たち人間だけが神様の似姿を刻まれたことである。けれども、この神様の似姿は、豚や他の動植物と同じ土の器に刻まれたものである。だから、もし私たちがこの神様の似姿として生きるという財産を見失ってしまったら、私たちは、豚以下の存在になるしかない。
私たちが土の器のうえに神様からいただいた財産とは、イエス様が最後の晩餐で遺言として残された言葉 - 「これはあなたがたのための私の体・血潮」 - に表れているように、土の器だからこそ、それを誰かのために与え、裂き、血を流して、私たち独自の人生を創造するところにこそある。それは、神様とつながり、神様を信じてこそ、分かる財産ではなかろうか。
それなのに、私たちは、人間としての価値や意義を、ただお金で考えてしまう。放蕩をすることに用いようとするのである。そうだとすれば、神様が下さった財産を失って、単に土の器そのものの価値しかなくなるであろう。人間以外の動植物は、お金に縛られることもなく、放蕩のために生きようとはしない。常に神様と一体で、神様から与えられた家のなかに忠実に生きている。人間だけが、神様から離れて、神様から授かった貴い財産をお金に換算し、欲望を満たすことに使うのである。そうやって、人間だけが惨めさの中に沈むのである。自分が必死に追求してきたお金に、逆に値踏みされるのである。そうして、豚以下の価値しかないと見なされてしまう。他の動植物よりも、遥かにみじめな状態に陥るのである。
3.このような彼に、転機が訪れるありさまが17節以下に書かれている。彼が、我に返ることができたのは、父の家を思い起こすことによってだった。父の家に帰って、雇い人の一人として雇って貰おうと思い立ったことによっだった。彼には、帰ることのできる父の家があった。彼はそれを忘れてはいなかった。そして、父の家に向かったのである。すると、父は、自分の息子の姿が、はるか遠く離れていたのに見つけて、走り寄り、抱き寄せ、接吻をしてくれた。放蕩三昧で身を持ち崩した息子を、叱ることなく、罰を課すこともなく、雇い人にして様子を見ようとするのでもなく、普通の親でも決して考えられないような喜びをもって息子の帰りを喜び、身分を示す服や指輪を与え、宴会を始めたのだった。そのような父の姿が描かれている。
このたとえ話を通して、イエス様が私たちに語りかけられていることは、神様なき世界で惨めな状態に陥っていると感じたら、神様のもとに帰りなさいということである。「あなたがたには必ず帰るべき父の家があるのだ。それが無くなっているということはない。」というメッセージなのである。
父の家がどれほど神無き世界と対照的かが、如実に描かれている。神無き世界では、彼はお金によって値踏みされ、豚よりも劣る者と見なされていたのだった。しかし、父のもとでは、彼は再び息子として扱われることになったのである。家出をしたことも、放蕩に身を持ち崩したことも、父の子であることを失わせるものとはならなかった。父は、ただ「死んでいたのに生き返り、居なくなっていなのに見つかった」ことを喜んだ。ただ、自分のそばに帰って来てくれたことを喜んでくれた。神様の喜びとは、このようなものである。神様は、決して、私たちをお金で値踏みすることはなさらない。ただただ、私たちが神様の近くにいることを喜ばれ、そのことに於いて私たちを祝してくださるのである。
今日は『母の日』である。幼少期の頃の私たちは、このように私たちを扱ってくれる父母のもとで育つことができたと、しみじみ思う。幼い私たちは、父母のためにお金を稼げる存在ではなかったし、父母の欲を満たすことに役立てるものでもなかった。その点では、かなり成長したとしてもマイナスといえる。それでも父母は、私たちの存在そのものを喜んでくれた。
成人した私たちは、もうそのような父母のもとにあることなど不必要であろうか。そうではないと思う。成人した私たちが、世俗の世界のなかで - その世界とは、まさに私たちをお金に換算する世界なのだが - 生きる糧を失う私たちであればこそ、私たちが帰ることのできる『父母の家』が不可欠なのではなかろうか。それが神様の御許なのである。最も具体的には、毎週毎週の礼拝において、神様の家に帰ってくることなのである。
牧師として、皆さんが礼拝に出席してくださることをを喜ぶのは、どこかで『教勢』ということを考えて喜んでいるのかと、何処かでやましい感じがしていた。しかし、この観言葉により、礼拝に出席することを喜ぶのは、神様の喜びを喜びとしているのだと教えられた。私たちは、お互いが礼拝に出席できていることをもっともっと喜びあって良いのである。それが、神様の喜びだからである。どうしても礼拝に出席できないときには、ベッドの上での祈りにおいてであっても、神様の家に帰るのである。そのことを、神様はとてもとても喜んで下さるのである。そして、良い服を着せ、指輪をはめ、履物をはかせて、おいしいご馳走を用意して下さるのである。神様の家に帰ること、神様の側にいることは、決して無駄にはならず、必ずや私たちにこのような祝福を伴うことを、心に留めておきたい。
4.さて、25節以下には、このような弟の帰りを異常なほどに喜ぶ父の様子を見聞きして、兄は怒って家に入ろうとしなかったとある。この兄とは、15章1節に登場するファリサイ人や律法学者を指していることは明らかである。ファリサイ人や律法学者は、イエス様が『汚れた者』と考えられていた徴税人や罪人たちと交際し、イエス様が、そのような人々を、神様が喜んで受け入れられるのだとおっしゃるのを聞いて怒るのであった。父なる神の家にいて良いのは、自分たちのように「言いつけに背いたことは一度もない」者だけと考えていたのだった。
そのような兄に対して、父は何と言ったのか。31節では、決して兄の言うことを否定していない。「子よ、お前はいつも・・・お前のものだ」と、イエス様は語ったとある。ファリサイ人や律法学者たちが言いつけに背かないという信仰に於いて、父なる神様の家にいることを、イエス様は決して否定はされなかった。彼らの信仰は、それはそれで貴いのだった。いつも父なる神と一緒にいる歩みであり、父のものは全て与えられていた。しかし、問題は、彼らが、自分たちの父との関係のみが、すべて父と子との間柄なのだと決めつけている点なのである。父と子の関係は、ひとつではない。確かに、父と兄の関係もあるが、しかし、また、父と弟との関係もある。父が弟に見せたのも、また父の姿なのである。
16節までに描かれていたのは、神様を離れて、神無き世界で生きてきた人間の惨めさであった。それとは対照的に、25節以下で語られているのは、神の家で信仰者として生きている私たちの問題点であると言って良いかも知れない。神様を信じる私たちは、そうであればこそ、自分が信じる神様の姿を絶対化して、それのみが神である、それのみが父の家だと断定してしまうところがある。故に、「本当の父の家に怒って入ろうとしない」ということが起きるのであるい。イエス様がこのたとえ話で語った父なる神様は、私たちの常識や固定観念を遥かに超えた姿である。放蕩三昧をして、行き詰ったような人間が帰ってくると、大喜びで出迎える神様の姿である。私たちの尺度には合わない。だからこそ、その神様の御許には、この世の尺度で計られて、生きる糧を失っている私たちを生き返らせる何かがあるのである。
筑波学園教会牧師 福島 純雄
2015年 5月3日 復活節第5主日礼拝
02:11モーセが成人したころのこと、彼は同胞のところへ出て行き、彼らが重労働に服しているのを見た。そして一人のエジプト人が、同胞であるヘブライ人の一人を打っているのを見た。 02:12モーセは辺りを見回し、だれもいないのを確かめると、そのエジプト人を打ち殺して死体を砂に埋めた。 02:13翌日、また出て行くと、今度はヘブライ人どうしが二人でけんかをしていた。モーセが、「どうして自分の仲間を殴るのか」と悪い方をたしなめると、 02:14「誰がお前を我々の監督や裁判官にしたのか。お前はあのエジプト人を殺したように、このわたしを殺すつもりか」と言い返したので、モーセは恐れ、さてはあの事が知れたのかと思った。 02:15ファラオはこの事を聞き、モーセを殺そうと尋ね求めたが、モーセはファラオの手を逃れてミディアン地方にたどりつき、とある井戸の傍らに腰を下ろした。 02:16さて、ミディアンの祭司に七人の娘がいた。彼女たちがそこへ来て水をくみ、水ぶねを満たし、父の羊の群れに飲ませようとしたところへ、 02:17羊飼いの男たちが来て、娘たちを追い払った。モーセは立ち上がって娘たちを救い、羊の群れに水を飲ませてやった。 02:18娘たちが父レウエルのところに帰ると、父は、「どうして今日はこんなに早く帰れたのか」と尋ねた。 02:19彼女たちは言った。「一人のエジプト人が羊飼いの男たちからわたしたちを助け出し、わたしたちのために水をくんで、羊に飲ませてくださいました。」 02:20父は娘たちに言った。「どこにおられるのだ、その方は。どうして、お前たちはその方をほうっておくのだ。呼びに行って、食事を差し上げなさい。」 02:21モーセがこの人のもとにとどまる決意をしたので、彼は自分の娘ツィポラをモーセと結婚させた。 02:22彼女は男の子を産み、モーセは彼をゲルショムと名付けた。彼が、「わたしは異国にいる寄留者(ゲール)だ」と言ったからである。 02:23それから長い年月がたち、エジプト王は死んだ。その間イスラエルの人々は労働のゆえにうめき、叫んだ。労働のゆえに助けを求める彼らの叫び声は神に届いた。 02:24神はその嘆きを聞き、アブラハム、イサク、ヤコブとの契約を思い起こされた。 02:25神はイスラエルの人々を顧み、御心に留められた。
1.出エジプト記には、全体を貫く主題があると思う。それは、強大な力をもってイスラエル人を根絶やしにしようとした残酷なエジプト王に対して、奴隷であったイスラエル人がどのように立ち向かったかということである。これは、この物語の読者であるイスラエル人にとって、時代や社会を越えた、もっとも切実な事柄であった。
1章22節から2章10節では、登場する3人の女性たちが、はっきりと王に背こうという意識から行ったわけではなかったが、結果的には王の命令をはねのけ、当の王の娘がイスラエルの男の子を助け、その子の実母を乳母として雇い、王の娘が養子にしたという出来事が書かれていた。王に背く力など何一つ持たなかった当時の女性たちが、こうして強大な力をもっていたエジプト王に立ち向かい、まことに小さな風穴を開けることができたことが記されていた。
とくに前半の15節あたりまでは、このような女性たちと対照的な、モーセの姿を描いたものとして理解することができる。成人したモーセが、同胞のところへ出掛けて行き、彼らが重労働に服してエジプト人によって打たれているのを見たということから、この物語は始まっている。文章としては、何となく王宮を出て散歩にでも出かけた途中で、このような光景を目の当たりにしたというように読むこともできるが、そのようなことではなかったであろう。使徒言行録7章23節に、ステパノという人のメッセージが記されている。「40歳になったとき、モーセは兄弟であるイスラエルの子らを助けようと思い立ちました」と。これはイスラエルの人々が、このモーセの出来事を、伝統的にどのように理解していたかを物語るものであろう。おそらくモーセは、エジプト王女の養子としての立場を捨てて、労役で苦しむ同胞の中に入り、何とかして彼らを救い、王に立ち向かおうとしたのであろう。
そう思い立ったモーセは、同胞を苦しめるエジプト人を殺すという、今日的に言えばテロ行為を行った。しかし翌日、ヘブライ人同士が喧嘩をしているのを仲裁しようとして、ヘブライ人に「だれがお前を・・・」と言い返されてしまう。モーセは、殺人が皆に知られたことに気づき、また、王にもそのことを知られたため、逃亡者になってしまったのである。ここでは、わずか2日間の出来事として書かれているが、実際にはもっと時間が経過していたであろう。王へのレジスタンス行為が、こうして挫折した様子を記しているのだと理解できる。
これが、1章27節から2章10節に記された3人の女性たちの様子と、とまことに対照的なモーセの姿として理解できる。端的に言えば、女性たちの行為が、思いもかけず成功して行いったのに対し、モーセの行為は失敗してしまったのである。なぜ、このような違いが生じたのか。両者の違いは一体何なのかということが、この聖書箇所が私たちに語りかけている最大のメッセージなのである。
2.両者の違いとして様々な点が考えさせられるが、何より大事な点として示されるのは、一体モーセは何をもって同胞を助け、エジプト王に立ち向かおうとしたのかという点である。彼はエジプト王女の養子として成人した。同胞を助けようとして、彼らは王宮を出て同胞のところへ行ったが、彼は王女の養子として、これまで手に入れたものを用いようとしていたからだと私は想像する。それは、おそらく王女の養子として40年間育ったことにより手に入れた『力』ではなかったか。14節の「だれが・・監督や裁判官に」という言葉は、レジスタンス運動の指導者としてモーセが、ある種の権力をもっていたことをほのめかしていると感じる。そのような力を用いてモーセは、エジプト王に歯向かおうとしたのであった。同胞を救おうとしたが、そのとき用いた力こそが、結果的に、一人のエジプト人を殺し、仲間からの反発を受ける原因になったのであった。
モーセの、同胞を助けたい、苦しむ彼らの助けになりたいという思いは、モーセの心からのものであったであろう。しかし、3人の女性たちが赤ん坊に抱いた「かわいい」「不憫だ」という思いと全く同じものであった。女性たちには、モーセが帯びていたような力はなかった。(いや、王女にはそれなりの力があったのではなかったかとの意見もあろうが、今から数千年前、たとえ王の娘といえども、そのような力は無かったのではなかろうか。ましてモーセの母や妹には何の力もなかったはずである。)しかし成人したモーセには、それがあった。そして、不幸にもそれを用いて事を為そうとしたとき、それは結果として、人を殺し、仲間から反発をうけ、逃亡者になるという結果を生んでしまった。女性たちが、モーセの命を守り育んだのとは正反対である。ここには、やはり男性的なものと女性的なものとの違いがあるのかも知れないが、性別の違いというよりは、「人間の力」を用いて事を為そうとするとき、往々にしてこのような結果を生じてしまうということではなかろうか。
3.モーセのこのような在り方は、突き詰めれば、彼がただ自分自身の意図により、己の力を用いて事を為そうとした姿なのである。つまり、どんなに貴い働きであっても、それは神様の支持を得ていなかったのである。そういう意味で、同胞からの「だれがお前を・・したのか」との非難は、真に的を射ていると感じる。誰がモーセを、この働き人に立てたのか。そこに神様がおられたのであろうか。
なぜ3人の女性たちの行為がうまくいき、モーセのそれが挫折したかの根本的な理由がここにあると思わざるを得ない。1章27節から2章10節までには、一言も神様のことが語られていない。女性たちは、はっきりと神様に導かれてそうしたのではなかった。1章15節以下で、エジプト王から「ヘブライ人に男子が生まれたらすぐに殺してしまえ」と命じられた二人のヘブライ人の助産婦が、「神を畏れて」それに従わなかったのとは対照的である。しかし神様が、はっきりとは彼女たちに臨んではおられなかったようにうかがえるが、彼女たちの行為が神様によって祝されていたものであったと、御心に適うものであったといえると思うのである。そうであったからこそ、残酷な命令を下した王の、実の娘がヘブライ人の男の子の赤ん坊を自分の養子として育てるという奇跡が起きたのである。そしてモーセの実母が乳母として雇われるという奇跡が為されたのである。そうやって、たった一つの生命であったが、王の命令に反して守られた命が育まれることになったのである。そういう驚くべき奇跡、命を守り育む奇跡が起きたという事実が、神様が彼女たちを支持し立てていたことの現れなのである。
モーセは、神様の関与によって生じた幾つもの奇跡によって、エジプト王女の養子として成長することができた。モーセ自身が、神様の祝福と幸運の満ち満ちた人であったと思う。けれども、残念なことに、成人したモーセは、自らの存在そのものに満ちている神様の関与や奇跡を忘れてしまい、ただ王女の養子として身に帯びた力と自らの意志によってのみ、事を為そうとしたのであった。神様の御業は、エジプト王の娘をして、ヘブライ人の男の子を水から引き揚げさせるという奇跡をなさしめた。今日的に言えば、パレスチナの人々がイスラエル人の赤ん坊を拾って育てるようなものである。そこには、敵同士が小さな生命を共に育てようとする和解があり平和がある。ところが成人したモーセは、ただ敵対関係だけを見ていた。自分はイスラエル人であったけれども、他でもなくエジプト王の娘によって育てられたことにより、半分はエジプト人となったという力のために、神様の御業を忘れ、ただ同胞とエジプト人との間の敵対関係しか見ることができなくなっていたのである。表面だけを見て、事を為そうとしたのである。同胞を助けようとしてエジプト人を殺し、互いの憎しみを増し加えるようなことしかできなかったのである。私たち一人ひとりのなかに秘められた神様の奇跡を忘れてしまっていたのである。ただ目の前の現実しか見ていなかった。自分の力だけで何とかしようとしてしまった。これこそが『成人した』私たちがしていることではないのかとの思いを深く抱くのである。
4.このようなモーセを、再び神様との深いつながりの中に「養育」して下さる期間として、15節後半からの出来事が備えられたのであろう。言わば、それが40歳になったモーセの「二度目の誕生」、ゆりかごの期間とでも言うべき期間ではなかったか。
それはどのようにしてモーセに訪れたのか。モーセは、エジプトから直線距離でも数百キロ離れたミディアンの地にたどりつき、ある井戸の傍らに腰を下ろしていた。ミディアンという場所については諸説あるようだが、紅海のアカバ湾東側を指す地域とされている。
旅人が見知らぬ土地で井戸端に腰を下ろしていた。そのような場所に劇的な出会いがあるとは、創世記で、何度か目にしたシーンと言える。創世記24章、アブラハムの命を受けた召使いが、息子イサクの嫁探しに出かけ、主人の願いに適う女性に出会えるようにといのりつつ向かったのは、一族の故郷ナホルの町であった。その町の井戸端で、召使いは見知らぬ旅人であったにもかかわらず、彼の連れていたラクダにさえ水を組んで飲ませてくれたリベカと出あった。また創世記29章、伯父ラバンを頼りとして家を出ていったヤコブが、偶然にもラバンの娘ラケルと出あったのも井戸端だった。
なぜ、大切な出会いの場所は井戸端なのか。井戸とは、砂漠の中に奇跡のように水を湛えたオアシスなのである。何千年も涸れることなく、砂漠のなかで人々の命を支え続けた神様の奇跡の現れの場所なのである。そのような場所に、アブラハムの召使いも、ヤコブも、モーセも座ったのだった。それは、自分自身では気が付いていなくても、「自分自身のうちには水はありません。神様から与えられる水、すなわち奇跡のみが私を生かして下さいます。」との飢え渇きの告白なのである。自分の力や意志によって事を為そうとして逃亡者となったモーセが、再び神様の下さる奇跡によって、この挫折状態から「引き出される(2章10節のエジプト王女の言葉)」二度目の誕生を、彼が切々として求める姿なのであった。
彼の求めに応えて、神様が彼に与えてくださった水は、どのようなものだったのか。ミディアンの祭司(18節ではレウレルであり、3章1節ではエテロとも。彼らがどのような神を信じていたのかは定かではないが、恐らくは、イスラエル人が信じて来た同じ神であろう)の7人の娘たちが、羊を連れて井戸に水を汲みに来ていた。あとから来た羊飼いたちが邪魔をした。モーセは羊飼いたちを追い払い、祭司の娘たちを救った。モーセのなした行為については、19節の娘たちの言葉が「一人のエジプト人が・・・飲ませてくださいました」と語っている。これを聞いた父レウレルは、モーセを呼んで来て食事を振舞うようにと言った。こうしてモーセは、レウレルの娘の一人、チィポラと結婚し、ここに留まることになったのである。神様がモーセに与えた水、彼の40歳にしての第二の誕生とは、祭司の娘たちとの出会いであった。そして、水を汲むのに難儀していた彼女たちを「助け出す」ことであった。また、招かれた者として食事を共にし、必要とされる者としてそこに留まることであった。苦しむ同胞を助け、エジプト王と対峙するという大きな働きからは、暫く遠ざかることになったが、身近で困っていた者を助け、また必要とされる者として、招かれる者として生きることになった。これが、神様によってモーセを立たしめることなのであった。挫折し逃亡者となった彼を、立ち直させる神様の御業なのであった。
筑波学園教会牧師 福島 純雄
2015年 4月26日 復活節第4主日礼拝
03:21ところが今や、律法とは関係なく、しかも律法と預言者によって立証されて、神の義が示されました。 03:22すなわち、イエス・キリストを信じることにより、信じる者すべてに与えられる神の義です。そこには何の差別もありません。 03:23人は皆、罪を犯して神の栄光を受けられなくなっていますが、 03:24ただキリスト・イエスによる贖いの業を通して、神の恵みにより無償で義とされるのです。 03:25神はこのキリストを立て、その血によって信じる者のために罪を償う供え物となさいました。それは、今まで人が犯した罪を見逃して、神の義をお示しになるためです。 03:26このように神は忍耐してこられたが、今この時に義を示されたのは、御自分が正しい方であることを明らかにし、イエスを信じる者を義となさるためです。 03:27では、人の誇りはどこにあるのか。それは取り除かれました。どんな法則によってか。行いの法則によるのか。そうではない。信仰の法則によってです。 03:28なぜなら、わたしたちは、人が義とされるのは律法の行いによるのではなく、信仰によると考えるからです。 03:29それとも、神はユダヤ人だけの神でしょうか。異邦人の神でもないのですか。そうです。異邦人の神でもあります。 03:30実に、神は唯一だからです。この神は、割礼のある者を信仰のゆえに義とし、割礼のない者をも信仰によって義としてくださるのです。 03:31それでは、わたしたちは信仰によって、律法を無にするのか。決してそうではない。むしろ、律法を確立するのです。
1.3章21節から、ローマの信徒への手紙の本論第2部が始まる。研究者によっていろいろな分け方があるようだが、私としては、8章最後までを第2部として考えたいと思う。さて、3章20節までの本論の第1部でパウロが述べてきたのは、私たちがもし神様によって義とされることがなければ、私たちはどれほど惨めな存在であるかということであった。第2部で語られるのは、そういう私たちが、ただイエス様をキリストとして信じる信仰によって義とされると言うことである。第2部全体の序論のような部分と言ってよいかも知れない。
まず23節、ここは内容としては3章20節までの第1部でずっと語られてきたことと重複する部分かも知れない。「人は皆、罪を犯して神の栄光を受けられなくなっている」とある。これが、神様に義とされない私たちの悲惨さの要約なのである。たとえて言えば、私たちの病気の有り様とその原因を明らかにする言葉と言ってよいであろう。それを先ず明らかにすることで、だから、なぜイエス様を信じる信仰による神様の義をいただくという治療、また薬が不可欠かを語ろうとしているのである。第1部と重複するが、なぜイエス様を信じる信仰によって義とされるかを語るためには、先ずどうしても、この点を語らざるを得ないのである。
2.さて、この「神の栄光を受けられなくなっている」ということの解釈は、本当に様々である。私としては、つぎのように理解したいと思う。私たち人間だけに与えられている神様からの栄光というものがある。それは、私たち人間だけに刻まれた、神様の似姿だと思う。具体的には、それは創造性というものであって、自然や環境に対して支配し、治める者として関わる力なのである。他の動植物は、自然と一体であり、受動的であり、自然を支配し治めることはできない。しかし、人間は違う。まさしく、支配し治める時には、自然を決定的に変えてしまう程の力をもっている。
問題は、私たちが神様から授かった「栄光」を、その本来の用途に用いることが出来ているかどうかである。創世記1章に書かれているように、神様は天地創造の6日間、人間を造るまでの日々を、毎日必ずではなかったが、「良かった」との言葉をもって見ておられた。だから、私たち人間が神様から授かった創造性を本来の用途に用いるとは、神が「良かった」と言われたものを維持し、さらに増進させることに他ならない。しかし、私たちはどうであろうか。そうしているであろうか。全く逆ではないのか。パウロが3章10節以下で語っていたように、私たちのやっていることは「血を流す」ことであり、「破壊の悲惨さ」を増し加えることであり、「平和の道を知らない」ことばかりである。これが、私たち人間の陥っている病気である。神様の栄光を、なお受けているが、受けているからこそ、それを本来の用途に用いることが出来ていない。それどころか、正反対の用途に用いてしまっている。これが、「受けられなくなっている」の意味だと私は思う。
3.では、この病の原因は何処にあるのか。「罪を犯して」とある。どのような罪であろうか。私は、それは私たちが「土の器」として創造された点にこそある、と捉えている。いつもいつも問いとして抱くのは、なぜ神様は私たちを自身の似姿として造られながら、それを土の塵からなされたのかということである。私たちは、土の器であるがゆえの不安、恐れ、思い煩いに捉えられている。私たちの創造性は、この不安に引きずられ、小さく弱い自分一人、広がってもせいぜい家族、そして民族国家、ただそれを守ることにのみ、創造性と支配性を現してしまうのである。ゆえの流血である。ゆえの破壊である。
生物には、自己治癒力が備わっているとよく言われる。しかし、この病については、残念ながら、この力はないのである。私たち人間だけが土の器のなかに神様の似姿を刻まれたという、人間存在の根源的な矛盾に、この病はある。だからこそ、この病気への治療は、私たちの外から、すなわち神様から与えられなければならないのである。それが、神様から与えられる義なのである。問題は、私たちが土の器である点に関わっている。私たちの治癒は、私たちが土の器であることに安んじて、そこに神様からの安心があることを信じて、土の器として生き切れるか否かにかかっているのである。
内村鑑三の『ロマ書の研究』を参考にさせていただいた。神様の義について、彼はすばらしい比喩を語っている。「空気や日光は人の生存に欠くべからざるものである。しかし、人力をもって造り出すを得ざるものである。されば、造物者より与えられて、それを我がものとするほかに道はない。神の義も、またこれに似たるものである。人の努力をもってこれを得ることはできない。神より与えられて人がこれを享受するのである。ゆえに、人はただ空気を十分に吸い、日光に十分その身をさらせばよい。清い空気と輝く日光ほど、人の肉体を健康ならしめるものはない。同様に、神の義の中におのれを投げ入れて豊かにこれを享受するほど、霊魂を健康ならしめるものはないのである。」と。
私たちの中から浮かび上がってくるのは、土の器ゆえの不安や恐れでしかない。そんな私たちを、平安のなかに置いて健やかにして下さるものが、日の光のごとき神様の義なのである。神様の義がなければ、あたかも日の光を知らない人間のごとき者である。暗く冷たい、カビ臭い地下に閉じ込められているような私たちである。どれほど私たちにとって神様の義が不可欠かが、よく分かるのである。
4.さて、この神様の義が21節には「ところが今や、律法とは関係なく、しかも律法と預言者によって立証されて、神の義が示されました。」とある。まず「律法と預言者」というのは、当時のユダヤ人が、今日私たちが旧約聖書と呼んでいる聖書全体を指す専門用語です。旧約聖書のなかに、そもそも神様が病んでいる私たちを義として下さることが証しされている、とパウロは先ず言います。
今日は、もうそのことについては、くどくどとお話は致しません。創世記をずっと読んできた私たちには、罪を犯したアブラハムやヤコブやその息子たちを、罪に引っ張られるのではなく、神様に導かれる者として、いかに義として下さったか、神様からの光の下に置いて下さったかを学んできた。それは、21節にあるように「律法とは関係なく」与えられたものなのである。アブラハムにせよヤコブにせよ、その時には律法は与えられていなかった。信仰によって、彼らは神様の義を授かったのである。それを、旧約聖書は良く証ししてくれている。そういうことがあって、いよいよ神様の義が、律法とは関係なく、 - モーセ以後、長く律法の行いによる義を与えられると信じられる時代が続いていたが - イエス様をキリストとして信じることにより与えられる時が、今やってきたのだと22節に語られている。
では、なぜ神様は、私たちを義とするのに、イエス・キリストを私たちが信じるという手段をお取りになったのか。なぜ、これを治療また薬として不可欠となさったかが、一番のポイントなのである。カギは、私たちが土の器である点にかかっている。この病を治療するためには、神様はイエス様をお与えになったのである。
24節と25節に、パウロがイエス様について語る点には、イエス様は「贖い」であり「その血によって信じる者のために罪を償う供え物」だという二つの核心がある。いずれにしても、言われているのは、イエス様の存在そのものが、私たちが神様によって治療され義とされるうえでの無くてはならない媒介者なのである。律法の行いによって義とされ、またイスラムの人々が『五行』と言われる行いによって義とされることとの、決定的な違いなのである。そこでは、第三者は必要とされない。アブラハム自身が信じ、その人自身が律法になり、『五行』なりの行いをすること、あくまで神様とその人のみの関係なのである。
しかし、私たちクリスチャンの信仰というのは、この神様と私たちとの間に、イエス様が介在することが不可欠なのである。おそらく、ユダヤ教やイスラムの人々にとって一番合点がいかない点は、ここであろう。どうして神様と私たちの二者の関係に、第三者である者が介在するのか。他人の存在によって、神様と私たちとの関係が左右されるのはおかしいではないか。あくまで私自身の信仰と行いが必要なのだ。神様との関係を結ぶのにふさわしい存在に私たち自身がなることが不可欠なのではないか。そのようにユダヤ教やイスラムの人々は、私たちを批判する。これに対して、私たちはこう答える。確かにその通り。しかし、残念ながら、私たちには、神様と関係を結ぶにふさわしい資格のようなものが無いのだ。それが、最初に示された、本論の第1部で、パウロがずっと語ってきた、罪を犯している私たちの病んでいる姿なのである。私たちはそれほど病んでいる。これがクリスチャンの人間観なのである。だから、イエス様の介在が不可欠だと信じるのである。
5.介添えであるイエス様について、パウロが語る第一は、「贖い」であるということである。贖いとは、ある人が借金のために奴隷にされたとき、その人とは別の第三者が、その奴隷に代って借金を払ってくれて、奴隷にされた人を自由にしてやることである。私たち自身には、この借金を自分で払って自分を自由にする力はない。だから、イエス様が代って払って下さることが不可欠なのである。どうやってイエス様はそれを払って下さるのか。それは、イエス様ご自身が土の器となり、その弱さと脆さに生き切られることである。十字架の上で殺されてしまうような生涯であっても、神様に祝され、神様の似姿としての栄光を現す人生だと、身をもってお示しになることなのである。
なぜ、神様は私たちを土の器にお造りになったのか。その答えがイエス様にある。最後の晩餐で、イエス様は弟子たちに「これがあなたがたの為に与える体、流す血」と言われた。土の器であればこそ、誰かのために与え、流すことができるものなのである。そこにこそ、神様が私たちに刻んだ創造性の発露がある。十字架の上で殺されるという時を、私たちのために血を流し、身体を与える時として創造されるというイエス様の姿。イエス様の、このような姿が私たちの借金を払ってくださる。私たちの病気を癒す薬となる。
私たちは、イエス様を薬として飲むのである。私が、しばしば用いるたとえで言えば、このイエス様を移植されるということである。それが、パウロが25節でいうところの「その血によって信じる者のために、罪を贖う供え物」との意味なのである。
「罪を償う供え物」とは、ギリシャ語原文では、ヒエラステーリオンという言葉にあたる。伝統的には「(神の怒りを)なだめるいけにえ」と捉えられてきた。私自身は、決してこの理解にアーメンということは出来ない。どうして神様が、その愛する独り子であるイエス様を、自身の怒りをなだめるいけにえとしてお求めになる筈があるであろうか。このような理解、このような信仰は、神様を己の子さえも殺すことを要求する、恐ろしい存在としてあらしめてしまうものである。それは、私の信仰ではない。私の信じる神様は、イエス様が十字架の上で「わが神わが神、なにゆえ私をお見捨てになったのですか」と叫ばれたとき、その叫びを自身の叫びとして叫ばれた方なのである。「わが子よ、わが子よ、なぜ私はお前を死に至らせなければならないのか」と叫ばれるお方なのである。それでも神様は、私たちを罪の病から解き放ち、私たちの病を治療するために、痛みをもって深い悲しみをもって、イエス様の生命を犠牲になさるしかなかった。土の器としてのイエス様の犠牲がなければ、十字架の死に至るまでのその創造性の現れがなければ、人間全体が陥っている罪という病と闘うことができないからである。このイエス様を、私たちは信じて、神様の義をいただくのである。
筑波学園教会牧師 福島 純雄
2015年 4月19日 復活節第3主日礼拝
15:01徴税人や罪人が皆、話を聞こうとしてイエスに近寄って来た。 15:02すると、ファリサイ派の人々や律法学者たちは、「この人は罪人たちを迎えて、食事まで一緒にしている」と不平を言いだした。 15:03そこで、イエスは次のたとえを話された。 15:04「あなたがたの中に、百匹の羊を持っている人がいて、その一匹を見失ったとすれば、九十九匹を野原に残して、見失った一匹を見つけ出すまで捜し回らないだろうか。 15:05そして、見つけたら、喜んでその羊を担いで、 15:06家に帰り、友達や近所の人々を呼び集めて、『見失った羊を見つけたので、一緒に喜んでください』と言うであろう。 15:07言っておくが、このように、悔い改める一人の罪人については、悔い改める必要のない九十九人の正しい人についてよりも大きな喜びが天にある。」 15:08「あるいは、ドラクメ銀貨を十枚持っている女がいて、その一枚を無くしたとすれば、ともし火をつけ、家を掃き、見つけるまで念を入れて捜さないだろうか。 15:09そして、見つけたら、友達や近所の女たちを呼び集めて、『無くした銀貨を見つけましたから、一緒に喜んでください』と言うであろう。 15:10言っておくが、このように、一人の罪人が悔い改めれば、神の天使たちの間に喜びがある。」
1.迷子になった1匹の羊を探し求め、見つかったら大いに喜んで担ぎながら連れ帰ってくる羊飼いの姿が活き活きと描かれている。言うまでもなく、イエス様はこの羊飼いのような方が神様なのだと教えられている。
2節まで読んでいくと、イエス様のもとに徴税人や罪人が話を聞こうとやってきていたとある。食事も振舞われていたようである。徴税人というのは、ルカ福音書に登場するザアカイがそうであるが、当時、イスラエルを占領していたローマ帝国が人々に課した税金を徴収する権限を請け負っていた人々のことである。たとえば、1000円を徴収すればよいところを、彼らはしばしば2000円、3000円を集めて、ローマに収めた以外の余分は自分の懐に入れて、私腹を肥やしていたのである。だから、人々からとても嫌われていたのである。
罪人とされていたのが、具体的にどういう人々だったかは何も書かれていないが、性を売って生業にしているような人や、生まれつきのなかなか治らない病気を抱えている人は、その人自身あるいは両親が罪を犯したゆえに、神様からその報いを受けて病気になった罪人だとのレッテルを貼られていた。そういう人々が、イエス様が語った神様に引き寄せられて、こうしてイエス様のもとに来ていたのだった。
それを見て、ファリサイ人や律法学者たちは、「この人(イエス様)は・・・」と不平を言いだしたとある。彼らは、徴税人や罪人を汚れている者と見なしていた。そして、そのような者たちとつきあってはならないと神様は命じておられると信じていた。それは、決して根拠がない見方ではない。その証拠に、かつてファリサイ人だったパウロが、いろいろと問題のあったコリント教会に送った第二の手紙のなかで、旧約聖書の御言葉から彼なりにパラフレーズした形で引用した言葉がある。「『だから、あの者どもの中から出て行き、遠ざかるように』と主は仰せになる。『そして汚れた者にふれるのをやめよ。そうすれば、わたしはあなたがたを受け入れ、父となり、あなたがたはわたしの息子・娘となる。』全能の主はこう仰せられる」と。当時のファリサイ人たちにはよく知られていた聖書の言葉であったと思う。イエス様も、よくご存知だったのではなかろうか。だからこそ、今日の聖書箇所の直後で、わざわざ放蕩息子のたとえ話が語られているのだと改めて合点がいく。
バークレーは、当時のファリサイ人たちがこんな事を言っていたと紹介している。ファリサイ人たちは、「
2.そこで、イエス様は4節以下で、また8節以下のたとえ話をお話になられたのである。一つ二つ、これまたバークレーが説明されている点を紹介したいと思う。まず、最初の迷子になった1匹の羊を捜す羊飼いのたとえである。あまり本筋とは関係しない疑問として、99人の羊を「野原に残して」というのはおかしいということである。これについて、バークレーの注解に、こんな解説がある。「当時は、羊の一団は個人のものではなく、村全体の持ち物だった。だから一人の羊飼いではなく、常に、二人・三人の羊飼いが共同で羊飼いをしていた。迷子の羊を一人の羊飼いが捜している間は、ちゃんと仲間が残りの羊の面倒を見ていた。そして、迷子の羊が見つかると村全体がそれを喜んだ。」
つぎの銀貨10枚のたとえについては、バークレーの説明には、「この10枚の銀貨は、ただのバラバラの10枚ではなく、10枚がひとまとまりになって結びあわされた髪飾りではなかったか」とある。パレスチナでは、既婚女性のしるしは、銀の鎖に10枚の銀貨を付けた髪飾りだったそうである。だからこそ、これほどまでに熱心に捜し、見つかったら大いに喜ぶというのである。
さて、私はこのたとえ話を読んで、以下のようなことを考えさせられた。100匹の羊の群れの99匹、また10枚の銀貨の9枚というのは、徴税人や罪人たちのことを汚れていると断じるファリサイ人や律法学者たちに重なっている。反対に、迷子になった1匹の羊、また、なくなった1枚の銀貨というのは、徴税人や罪人に相当するのだと読みとれる。そして、これはわたしの勝手な想像にすぎないが、ここには何と言うか、99対1、9対1の対立のようなものがあるように感じるのである。
99また9は、迷子になった1を、義人的に言えば、非難していると言って良いと思う。確かに、羊の一団では、たった1匹であっても迷い出てしまい、残りの集団がその後ろについて行ってしまったら、とんでもない危険にさらされるといったことがしばしばあったようである。また、髪飾りとして10枚がそろっていてこそ価値があるので、銀貨が一枚なくなってしまえば、その価値がなくなってしまいます。だから、99匹が、また9枚の銀貨が『怒る』というのは妙な言い方であるが、擬人化して言えば、確かに怒っていると言えるのである。99あるいは9は、1に対して「何と迷惑な、何と勝手な、お前みたいな奴はいないほうが良い。」と言っているように思えるのである。まさに、ファリサイ人や律法学者たちが徴税人や罪人に浴びせていた言葉そのものではないだろうか。「お前たちのような奴がいるから、神様の怒りを共同体全体が買うのだ。お前たちなどいない方が良い。」そう言って、99や9は、1を切り捨てるのである。切除しようとするのである。それがまた、神様のお考えだと信じていたのである。
もっと想像をたくましくして、こんなことも考えた。そもそも、何故1は、99や9と離れて、迷い出てしまい、また、落ちてしまったのか。それは、お前など要らない、迷惑だ、と言われたからかも知れない。自分など99や9には相応しくないと、いない方がいいと思ったからかも知れない。私は他の99匹のように、羊飼いや牧羊犬の言うことに素直に従うことができない。どうしても自分勝手に食べ物に引かれたり、きれいなものに引き寄せられたりしてしまう。また、1枚の銀貨は、もう自分は仲間の9枚のようにきれいではない、くすんでしまっているから相応しくない、そう思って、自分から迷い出、また、姿を消してしまったのではないか、とも想像するのである。
3.この御言葉が私に語りかけているメッセージの確信が、はっきりと聞こえて来るように思ったのである。私たち一人ひとりのなかに、このような99また9と、1との対立というものがあると感じるのである。それは、一つの家庭のなかにも、また教会の中にもあるのである。99また9とは、迷い出ることもなく、失われることもない99の正さや健やかさ、理想的な状態に満ちている在り方である。反対に1とは、それがあることが、私たちや家庭や教会にとっても迷惑で、私たちを危険に遭わせ、その価値を失わせてしまうゆえに、私たちが排除したい、切除してしまいたいと思うような存在である。
今年度の特別伝道集会は、例年よりも早い6月28日(日)に、昨年度『信徒の友』誌で1年間『シリーズ ガンとともに生きる』を連載されておられた樋野興夫医師をお招きして行われる。樋野先生は、『ガン哲学外来』という耳慣れない領域の働きを重ねて来られた。改めて1年分の連載を読み返して、つくづく感じたことがある。
ガンになられた患者さんは、またご家族は、当然のごとく、そのガンを切除してしまいたいと願われ、そうできるならば、多くの患者さんは、そうなさるのである。樋野先生も、勿論それを否定はなさらない。しかし、どうしても切除できないものもあるといわれる。そして、悲しいかな、その患者さんを死に至らしめるものもある。このようなガンこそが、99あるいは9に対する「1」なのだと思う。私の人生のすべて、その100がすべて正しく、健やかで、理想的であって欲しいのに、また10枚の銀貨がそろった美しい髪飾りであって欲しいと願っているのに、それを危険に陥らせ、価値を失わせてしまう、憎き「1」がガンなのである。
けれども、樋野先生が語りかけておられるのは、そのようなガンもまた、20年30年かけて私たちのなかで成長してきた存在だということである。「不良息子のような者」と言われる。だとすれば、それは切除できるものなのか。切り捨て排除して、それで良しと言えるものなのか。切除できないと分かったとき、その「1」を含みこみながら生きて行かざるを得ないのではないか、その「1」によってもたらされる悲しみや死を受け入れて進んで行かざるを得ないのではないか。なぜならば、それもまた、私の息子であるから。それもまた私の一部分でもあるのだから。それを切り捨ててしまったら、失われたままにしてしまったら、100また10の私ではない。大事な「1」が失われてしまう。それなのに、私たちは「1」を切り捨ててしまうのである。そんなものは汚れているから取り除いてしまえとしか言えない私たちなのである。
4.そうであればこそ、イエス様は、「神様が私たちが切り捨ててしまう、この「1」なるものを、捜し出し見つけ、喜んで99また9に戻して下さる。そこに神様の喜びがある」と言っている。何と私たちの喜びとは正反対の喜びであろうか。
神様の天における喜びは、私たちの100が、また10が全て正しく健やかで理想的な幸いで満ちていることではないのである。また、私たちの99や9が、「1」を切除してしまった状態でもない。そうではなく、この「1」こそが、私たちにとって大事であると知り、-それがイエス様の言われる「悔い改め」の意味であり、反省とか後悔という意味ではない-、この「1」が私たちのなかに戻ってくることなのである。それを教えて下さるために、このたとえ話が語られ、私たちが切り捨てた「1」なるものを、わざわざ捜し出し、見つけて喜ぶ神様の様子が語られているのである。
神様が、またイエス様が、この「1」なるものを捜し出し、喜んで下さるというのだから、私たちもこの「1」なるものを喜びとしたい。これが私たちの中に復帰することが、私たちにとって、とても大切なことであることを覚えたい。私たちにとっては、悲しみでしかなく、嫌なものでしかない状態を、神様は私たちにとって必要なものとして捜し出し見つけ、戻して下さるのである。それは、十字架の死を、復活という出来事のなかでイエス様に戻して下さった御業のようである。イエス様の生涯の「1」が、十字架の出来事であった。しかし、イエス様ご自身が、これを苦しみつつも、天の神様の喜びとした。その喜びの現れこそが、復活である。「1」なるものを喜びとして担うことは、必ずや、神様の喜びに連なるのである。
筑波学園教会牧師 福島 純雄
2015年 4月12日 復活節第2主日礼拝
01:22ファラオは全国民に命じた。「生まれた男の子は、一人残らずナイル川にほうり込め。女の子は皆、生かしておけ。」 02:01レビの家の出のある男が同じレビ人の娘をめとった。 02:02彼女は身ごもり、男の子を産んだが、その子がかわいかったのを見て、三か月の間隠しておいた。 02:03しかし、もはや隠しきれなくなったので、パピルスの籠を用意し、アスファルトとピッチで防水し、その中に男の子を入れ、ナイル河畔の葦の茂みの間に置いた。 02:04その子の姉が遠くに立って、どうなることかと様子を見ていると、 02:05そこへ、ファラオの王女が水浴びをしようと川に下りて来た。その間侍女たちは川岸を行き来していた。王女は、葦の茂みの間に籠を見つけたので、仕え女をやって取って来させた。 02:06開けてみると赤ん坊がおり、しかも男の子で、泣いていた。王女はふびんに思い、「これは、きっと、ヘブライ人の子です」と言った。 02:07そのとき、その子の姉がファラオの王女に申し出た。「この子に乳を飲ませるヘブライ人の乳母を呼んで参りましょうか。」 02:08「そうしておくれ」と、王女が頼んだので、娘は早速その子の母を連れて来た。 02:09王女が、「この子を連れて行って、わたしに代わって乳を飲ませておやり。手当てはわたしが出しますから」と言ったので、母親はその子を引き取って乳を飲ませ、 02:10その子が大きくなると、王女のもとへ連れて行った。その子はこうして、王女の子となった。王女は彼をモーセと名付けて言った。「水の中からわたしが引き上げた(マーシャー)のですから。」
1.出エジプト記の説教準備をする際に主に参考にさせていただく注解書で『現代聖書注解』というシリーズの著者フレットハイムは、出エジプト記の注解の最初で、次のように書いている。「モーセの誕生と子供時代の物語は、旧約聖書のなかで最も親しまれている物語の一つである。それは繰り返し語られ、老若を問わず人々を楽しませてきた。この物語には、秘密の企て、サスペンス、思いがけぬ幸福、アイロニィー、人間の同情、さらにハッピーエンドが含まれている。(Exodus Interpretation A Bible Commentary for Teaching and Preaching by Terence E. Fretheim 小友 聡訳、69ページ)」と。
くどくどとあらすじに触れる必要はないだろうが、イスラエルの人々(ヘブライ人とも呼ばれている)を根絶やしにしようとする企てがなかなか上手く行かないことに業を煮やしたエジプト王は、イスラエル人に産まれた男の子は一人残らずナイル川に放りこめとの命令を下した。時に、イスラエルでレビ族に属する一組の夫婦(出エジプト記6章20節によれば、夫はアムラム、妻はヨケベドとされている)に男の子が生まれたのだが、母はどうしても王の命令に従うことができず3ヶ月その子を隠して育てた。しかし、とうとう隠しきれなくなって、パピルスで編みアスファルトピッチで防水処置を施したかごに赤ん坊を入れて、ナイル川の葦の茂みに子を置いたのだった。
赤ん坊の姉(おそらくはミリアムであろうとされている)が、どうなることかと様子を窺っていたところ、ちょうどエジプト王の娘(王女)が水浴びにやってきて、赤ん坊を見つけたのだった。フレットハイムがサスペンスと語ったのはこの点で、よりにもよって、殺してしまえと命令した当の王の娘がヘブライ人の赤ん坊を見つけてしまったのであった。王女はどうしたのか。王の娘なのだから父と同じ思いを当然に持っていて、この子をナイル川に放り投げてしまったのだろうか。ところが、何と彼女はその赤ん坊がヘブライ人の男の子であることを承知しながら、それを育てようとしたのである。それどころか、突如現われた少女の申し出を受けて、― おそらく薄々はこの赤ん坊の実母であると知っていたのではなかったか、と私は想像する― 乳母にお金を払って赤ん坊を乳離れするまで養育させ、その後は自分のもとに引き取って、王女の子供として育てたと言うのである。自分の娘が命令に反してヘブライ人の男子を助け、養子にしたことは、すぐさま王の耳に入ったに違いない。王はこれに対して、どうしたか。実の娘の無言の抵抗を受けて、この残酷な命令は撤回したのではなかったかと考える人もいる。
長く人々に読み継がれてきたこの物語から、私は以下のような3つのポイントを示されるように思う。
2.第一には、イスラエルの人々は、このような命令を下す残酷なエジプト王に向かい合わなければならなかったという点である。出エジプト記のこれまでのいきさつから、この出エジプト記全体を、或いは、少なくともエジプトを脱出するところまでを貫くテーマとして、エジプト王と対峙しなければならかったイスラエル人ということがあったのではないか。それがいよいよ、はっきりと現われてきたのである。
ではイスラエルの人々は、強大な力をもち、このような残忍な命令を下すエジプト王に対して、一体、何をもって立ち向かうことができたのか。奴隷として苦しめられていた彼らには、何の力もなかったように見える。ただただ、王の命令に服するしかなかった。実際に、このレビ族の一組の夫婦以外の多くの夫婦は、身を裂かれるような思いで、生まれた男の子をナイル川に流すしかなかったのだった。
この物語において、ヘブライ人が置かれていた状況に、後代の読者は、自分の身の上を重ね合わせたに違いない。全世界に散らり流浪の民となったユダヤ人には、自分たちを根絶やしにしようとしたエジプト王に似た存在は、いつの時代にも何処の地域にもいたことであろう。私たちにはどうか。文字通りそういう王様はいないかも知れないが、様々な意味で、私たち自身を、また大切な何かを、「ナイル川に放りこめ」と命じるような残忍で邪悪な存在というものは、やはり私たちを取り囲んでいると私は思う。それに対峙するのに、私たちはまるで丸腰である。立ち向かう術など何もないと思われる状況がある。「しかし」というメッセージを、私たちはこの御言葉からいただくのである。
また、この御言葉に、ただの一言も『神』という言葉が出て来ないという点も心に留めたい。このような境遇に置かれたイスラエルの人々を、また私たちを、はっきりとそのお姿が現われる形で神様が助けられるということはないという、辛い現実を示しているように感じる。多くの男の子がナイル川に無残にも投げ込まれていった。一体、神様は何処におられるのか、何故このような残酷な出来事を放置されるのかとの嘆きが聞こえて来る。それでも、神様のはっきりとした関与はなかった。このような中で、一体、どこに私たちは神様の関与というものを見出すことができるのか、それもまた、この御言葉が、読者である私たちに語りかけようとしている点だと思うのである。
3.さて、第二のポイントは、このようなエジプト王に対して、ヘブライ人のある者たち、そして、思いもかけない人物が、あるものを拠り所にして立ち向かって行ったという点なのである。それが、まず、一組のレビ族の夫婦の母が、生まれた男の子をどうしても直ぐにナイル川に流すことができずに、3ヶ月ではあったが、隠して身許で養育したということであった。子の母に、それをさせた心とは何だったのか。それは決して、王の命令に刃向かってやろうというような大それた思いではなかったであろう。母である者に、ごく自然にわいてくる思い、それがわが子を「かわいい」と思う気持ちである。到底、川に流すことなどできないという思いである。その思いが、もし隠して育てていた子が見つかれば、自分たちの命も危うくなる危険を敢えて犯させたのであった。同じ思いこそが、おそらく男の子の姉を突き動かしたものであったろう。そして、思いもかけず、エジプト王の実の娘、王女をして、父の命令に反する行いをさせたのも、これであった。6節に「不憫に思い」とあるのがそれである。
強大な権力をもった王に立ち向かう術など何も持ちえなかったイスラエルの人々であり、私たちなのである。しかし、どんなに押し殺そうとしても湧き上がってくる自然な思い、「かわいい」「不憫」という思いは、私たちをして、結果的に王に刃向かわせるのである。はっきりと刃向かおうとか、抵抗しようとか、そういう意図によるものではない。その、どうしても湧き上がってくる自然な思いこそが、神様が私たちをして、強大で邪悪な王に対峙させて下さる武器というべきものかと示される。
ここで、母と姉、そして王女という3人の女性が、自然に抱いた思いと対照的だと感じさせられるのが、2章11節以下に書かれた、成人したモーセの抱いた思いである。成人したモーセは、イスラエル人の同胞がエジプト人によって打たれている場面に遭遇した。モーセはそのエジプト人を殺してしまった。何も書かれていないが、彼が抱いた思いのなかには、当然、打たれていた同胞を不憫だ、かわいそうだという思いはあったであろう。しかし、それ以上に勝っていた思いは、暴力をふるうエジプト人への怒りと憎しみではなかったかと感じる。それが、殺人という行為として現われてしまった。憎しみという自然な感情、そして、それによる暴力、殺人という行為は、神様が私たちに授けて下さった力ではない。王に立ち向かうことにはならない。その反対に、モーセを王から逃亡させるのみであった。自然な感情といっても、怒りや憎悪というネガティブな感情というものは、神様によって用いられる良き器とはならないのである
4.第三のポイントは、「不憫だ」「かわいい」という自然な感情は、ただ、それだけに留まらず、それを抱いた者たちに、生まれた赤ん坊、3カ月で捨てられてしまった男の子を何とか生かしたい、育てようとの具体的な行為へと向かわせたことである。
モーセの母と、他の親たちとの違いは、ここにあったのだと示される。他の親たちも、当然「かわいい」「不憫だ」との自然な感情は抱いたはずである。しかし「隠して育てる」との行為にまで及ぶ者はいなかったということである。「そんなことをしても無駄だ」と思ったかも知れない。モーセの母にしても、結局はたった3ヶ月だけではなかったか、3ヶ月たったら結局は隠しきれなくなって、葦の茂みにすてるしかなかったのではないか、と言う人もいるかも知れない。しかし、まさにこの点が重要だと思うのである。強大な力をもった何ものかが、私たちをナイル川に投げ込もうとする邪悪な企てをしようとしていたとき、私たちは、ただそれに服するしかなく、何をしても無力だ、無駄だと思わされるのである。しかし、抱いた自然の感情に従って私たちが、目の前にある小さな命を、不憫な生命を守り育てようとする精一杯の行為をすること、怒りや憎しみによって、結果的には、生命を傷つける行為ではなく、生命を守り育もうとすること、それこそが、いつの時代にも社会でも、私たちをこうしたエジプト王に立ち向かわせていくことになるのである。
『キリスト教とローマ帝国』という本でも取り上げられていた事柄であり、私が初めてこういうことがあったと知ったのは田川建造の『キリスト教思想への招待』という本によってであったが、キリスト教を公認したローマ皇帝として名高いコンスタンティヌス皇帝の甥にあたるユリアヌスという皇帝は、キリスト教を廃して、再び伝統的な神々を信じる宗教に復帰させようとした。しかい、どうしてもキリスト教の優れた点を否定することはできずに、属州だったガラテヤの宗教担当の最高責任者に、要はキリスト教を見習えという手紙を送ったそうである。キリスト教のどういうところを見習えと言ったかというと「他者に対する人間愛、死者の埋葬に関する丁寧さ、よく鍛錬された生き方の真面目さ」の3つを揚げていたという。このことを初めて知ったとき、いつの時代でも私たちクリスチャンが困難な状況を生き延びて行く秘訣は、ここにこそあると感動したものである。
ユリアヌスが見習えと最初に揚げている「他者に対する人間愛」こそが、この御言葉にいうところの、不憫だという思いから小さな生命を育もうとする行いをすることなのである。迫害の下にあって、そんなことをしても何になるのか、所詮は・・という思いがあったかも知れない。しかし、ローマ帝国への憎しみからの行為ではなく、弱い立場にある方々への、自然に湧き上がってくる思いからの、彼らを育もうとする行為が、迫害下にあるクリスチャンたちを支えて、皇帝に向かわしめたものだったのである。
それは『たった3ヶ月』であった。結局は、隠しきれなくなってナイル川に置くしかなかった。しかし、母は、出来る限りのことをした。たった3ヶ月、されど3ヶ月なのである。かごに、できる限りの防水処理をして、子を置いたのだった。この3ヶ月が、結果的には、王女が水浴びをする時期にタイミング良く巡り合わせたということも出来るのではないか。アスファルトピッチの嫌な匂いが、ナイル川のワニからかごを遠ざけたかも知れない。姉の、駄目で元々との精一杯の機転が、王女に実母を乳母として紹介させたのだった。
こうした懸命の精一杯の行為が、結果的には、王女の行為を引き出した(或いは、引上げた。10節にあるマーシャというヘブライ語。モーセという名前の由来)と言えるのである。突き詰めれば、それがまた、神様の関与でもある。王の娘であれば当然、私たちは王と心を同じくする王の側の人間だと色分けしてしまう。ところが、王の側どころか、王と最も近いところにいる者が、王の命令に反して、神様が授けた自然な感情に導かれて、モーセを死の川から助け出し、引上げる役割を果たしたのだった。私たちが、不憫だ、かわいいという自然な思いに導かれて精一杯の行為をするときに、思いもかけない助けが残酷な王の側から現われてくるのである。王の側にいるのは、ただ王だけではないのである。王女のような者もいるのである。そのことに希望を抱けとのメッセージでもあるのである。
筑波学園教会牧師 福島 純雄
2015年 4月5日 復活節第1主日礼拝
21:01その後、イエスはティベリアス湖畔で、また弟子たちに御自身を現された。その次第はこうである。 21:02シモン・ペトロ、ディディモと呼ばれるトマス、ガリラヤのカナ出身のナタナエル、ゼベダイの子たち、それに、ほかの二人の弟子が一緒にいた。 21:03シモン・ペトロが、「わたしは漁に行く」と言うと、彼らは、「わたしたちも一緒に行こう」と言った。彼らは出て行って、舟に乗り込んだ。しかし、その夜は何もとれなかった。 21:04既に夜が明けたころ、イエスが岸に立っておられた。だが、弟子たちは、それがイエスだとは分からなかった。 21:05イエスが、「子たちよ、何か食べる物があるか」と言われると、彼らは、「ありません」と答えた。 21:06イエスは言われた。「舟の右側に網を打ちなさい。そうすればとれるはずだ。」そこで、網を打ってみると、魚があまり多くて、もはや網を引き上げることができなかった。 21:07イエスの愛しておられたあの弟子がペトロに、「主だ」と言った。シモン・ペトロは「主だ」と聞くと、裸同然だったので、上着をまとって湖に飛び込んだ。 21:08ほかの弟子たちは魚のかかった網を引いて、舟で戻って来た。陸から二百ペキスばかりしか離れていなかったのである。 21:09さて、陸に上がってみると、炭火がおこしてあった。その上に魚がのせてあり、パンもあった。 21:10イエスが、「今とった魚を何匹か持って来なさい」と言われた。 21:11シモン・ペトロが舟に乗り込んで網を陸に引き上げると、百五十三匹もの大きな魚でいっぱいであった。それほど多くとれたのに、網は破れていなかった。 21:12イエスは、「さあ、来て、朝の食事をしなさい」と言われた。弟子たちはだれも、「あなたはどなたですか」と問いただそうとはしなかった。主であることを知っていたからである。 21:13イエスは来て、パンを取って弟子たちに与えられた。魚も同じようにされた。 21:14イエスが死者の中から復活した後、弟子たちに現れたのは、これでもう三度目である。
1.もともと、このヨハネ福音書は20章で終わっていただろうと考えられている。前のページに、20章最後の文章が書かれている。おそらくかつては、この福音書は、ここで閉じられていただろうことがわかる。ところが、何らかの理由や目的があって、著者が同じかは定かではないが、後日、この21章が書き加えられたと考えられる。その書かれた目的や理由こそが、このメッセージのポイントであることは言うまでもない。
その目的と理由とは、何であろうか。15節から19節までには、はっきりと伝わってくるものがあった。ここで、イエス様はペトロに3回にわたって「あなたは私を愛しているか」と尋ねられた。3回も同じ質問をなさったというのは、イエス様が裁判にかけられているとき、ペトロは、「おまえもイエスの仲間だろう」と指摘されて、「あんな奴は知らない」と3度否定したことをほのめかしているのである。そんなペトロがどうして使徒たちのリーダーになったのか。そして、19節にあるように、(殉教という)死に方で、栄光を現すようになったのか ― この付加部分が書かれたとき、ぺトロはすでに殉教の死を遂げていたこと示している ― を明らかにしようとしているのである。それは、復活のイエス様との出会いがあったからということである。
こうした事を記そうとした15節以下の前に置かれたため、同じような目的をもった部分と考えることもできよう。しかし物語は、ただ、ぺトロだけにスポットライトがあてられたものではない。むしろ、彼を含めた7人の弟子たちが、復活のイエス様からの導きによって、大きな変化を遂げることができた様子を記しているのである。
この『変化』について、20章で終わってしまっては、著者は、どうしても書ききれなかった思いがあったのではないかと感じるのである。「週の初めの日の夕方」と20章19節にある最初のイースターの日の夜における復活のイエス様との出会いを記した20章19節から23節、そして、それから8日目、即ち、つぎの週の初めの日の出会いを記した24節から29節まで、これはいずれも今の私たちのにすれば、主の日の礼拝での出来事、教会におけるイエス様との出会いの場面を記したものと考えることができる。そこには、その後における復活のイエス様と弟子たちとの出会いの場面は書かれていない。また、主の日の礼拝や教会以外での信仰生活における出会いの様子や、それによる彼らの変化の有り様も書かれてはいない。この点を描くことにこそ、21章が書かれた理由と目的があったのである。
2.さて、最初の2週間を過ぎた後の弟子たちの様子はどういうものだったのか。1節から3節までに、それはとても如実に、また象徴的に書かれている。ペトロをはじめとする7人の弟子たちが、ペトロの故郷であったガリラヤにいて、ディベリアス湖(ガリラヤ湖)で、昔の生業だった漁をしていた。このことの受け取り方は様々である。私自身、かつては、ペトロたちが弟子として伝送者としての歩みから離れて故郷に帰り、以前の仕事に戻ってしまったものと受け取っていた。しかし今は、そこまでうがった見方をしなくても良いのではないかと思っている。彼らは、はっきりとイエス様に「弟子たち」と呼ばれた。弟子であっても生計を立てるために、この世の生業をしなくてはならなかったのである。伝道者であることと世俗の仕事をすることは、決して相反するものではなかったのである。また、この様子は、この頃の弟子たちが、生計を立てるために、とても苦労していた有り様を描いているのかも知れない。
さて、ペトロは「わたしは漁に行く」と言った。他の弟子たちはそれに従って「わたしたちも一緒に行こう」と言って従った。ここには、弟子たちが、ペトロをリーダーとして、昔からこのガリラヤ湖で行われていたやり方、すなわち夜に漁をするというやり方で、生きるための糧を手に入れようとした有り様が書かれているように思う。彼らは弟子ではあったが、復活されたイエス様のことを自分たちとは関係がないと思っていたかも知れない。そして、イエス様とのかかわりのないところで漁をして、「その夜は何も取れなかった」のであった。そのような漁は、あくまで「夜」の闇の中での漁であり、それは不毛であることを意味している。それは弟子たちが伝道者をやめて、世俗の仕事に復帰したことの不毛さを描いているのではなくて、復活されたイエス様に導かれずには、生きる糧を得ようとすることの不漁を描こうとしていたのである。
3、そういう彼らの近くに、復活なさったイエス様が湖の岸に立っておられた。その時は既に世が明けていたことが4節に書かれている。「だが弟子たちにはそれがイエスだとは分からなかった。」なぜ分からなかったのか。それは当然ではなかったか。イエス様は、十字架の死を味わい、陰府に下られ、復活され、そして岸に立っておられた。それはまさに「彼岸」である。反対に、弟子たちは小さな舟のなかで湖の上にいたのである。それは、あたかも死や苦難といったゆらぐ水の上に、土の器という脆い舟に乗ってやっと存在している私たちの姿のように思える。私たちは、いつか必ず死に呑み込まれてしまう者である。死を乗り越えることができない存在である。そのような私たちには、彼岸のイエス様が分からないのは当たり前なのである。岸にいるイエス様と舟の弟子たちとの距離は「200ペギス」程だったと8節に書かれている。1ペギスとは約45センチとのことであるから、90メートルか100メートルほどの距離であった。それほど遠い距離ではなかったのである。しかし、決定的にかけ離れていたのである。
岸に立っておられたイエス様を、そうだとは分からなかった弟子たちに、イエス様は声をかけられた。その開口一番の言葉は「子たちよ、何か食べる物があるか」であった。世に留まって生計を立てて行かねばならない弟子たち、食べ物を得なければならない弟子たち、すなわち私たちのことを、復活されたイエス様は、まっ先に気にかけて下さっているのである。そして、イエス様は「あなたがたのやり方で、人間をリーダーにして、この世の習わしだけに従って、夜の間に食べ物を得ようとすることによって、生きるための糧を得られるのか」と問うておられるのである。「そのようなやり方では何も取れない。決してあなたがたを養うものは得られない。」こう言われるのである。
それは、私たちが得ようとする食べ物が、突き詰めれば、「夜」の闇のなかで得るものだからである。死に打ち勝つことのできるものではないからである。私たちを引っ張り込もうとする死の湖の上で、小舟にのって手に入れることのできる食べ物は、死を乗り越えられるものではない。私たちが求め、食べている糧は、確かにイエス様のおっしゃる通りに、死や、そこに向かう病や苦難や別離によって、生きるための糧であることを奪われてしまうのである。
4.イエス様は弟子たちに「舟の右に網を打て」と命じた。それは、復活なさって神様の『右』におられるイエス様の、目に見えるフィールドであった。そこは、弟子たちは「何も取れない」と、私たちにとっても「こんなところに私たちの生きる糧などない」と思われる場所である。それは、死であり苦難であり、悲しみであり別れの場所である。しかし、十字架の死から復活なさったイエス様には、そこが沢山の糧の備えられている『右』であると見えているのである。弟子たちが乗っていたのは、小さな舟であった。大きなタンカーのように、はっきりと、ここからが右だ左だと区分けできるフィールドではなかったであろう。何にも取れなかった場所と全く同じところだったかも知れない。しかし、復活されたイエス様の言葉に従って網を打つと、「生きる糧などない」と私たちの目には見える、死や病や苦難や悲しみに網を打つと、すると必ずや、生きるための糧が与えられるのである。
裸同然だったペトロは、上着をまとって湖に飛び込み、イエス様の立っておられた岸に向かって泳ごうとしたと書かれている。また、取れた魚を数えると153匹だったと書かれている。これはこの出来事が信憑性のある事実だったことを語るものかもしれない。ただ、153という数字については、様々な解釈がされてきている。私の心に残るのは、アウグスティヌスの解釈である。1から17までの数字を足していくと153になる。そして17は、10と7を合わせた数字であって、それぞれ聖書の上での完全数を示す数字であり、また、10は十戒を、7は律法によってではなく、イエス様を信じて救われた者の数を示す、と解釈されている。
私たちが生きる上では、辛いことや苦しいことが沢山ある。こんな所からは生きる糧など得られないと思うしかない人生のフィールドが、そこにはある。しかし、そこから私たちは、一つ、二つ、・・・と完全数である17までの糧を得られるのである。それは、とても幸運な数なのである。私たちを幸いにして下さる糧なのである。
5.こうして弟子たちは、イエス様と朝の食事を共にした。この食事は、私たちが神様の御許に召された折の食事の場面のように感じさせられる。私たちがとってきた魚も、その食事には供される。「こんなところでこんな魚を取りました。他の人には何も取れないと見える不毛の場所で、イエス様、私たちはあなたの呼びかけに従って網を打ち、こんな食べ物を与えられました」と私たちは言って、天におられるイエス様と朝の食事を共にするのであろう。そのような素晴らしい朝の食事のときを目指して、私たちは歩んで行きたい。病のとき、苦難のとき、そして死のただ中で、どのような食べ物が与えられるのか、大いに期待をして、舟の右に網を打つ者でありたいと願う。そこには必ず、舟の右があると信じて、網を打ちたいと思う。
筑波学園教会牧師 福島 純雄
2015年 3月29日 受難節第6主日礼拝
14:01さて、過越祭と除酵祭の二日前になった。祭司長たちや律法学者たちは、なんとか計略を用いてイエスを捕らえて殺そうと考えていた。 14:02彼らは、「民衆が騒ぎだすといけないから、祭りの間はやめておこう」と言っていた。 14:03イエスがベタニアでらい病の人シモンの家にいて、食事の席に着いておられたとき、一人の女が、純粋で非常に高価なナルドの香油の入った石膏の壺を持って来て、それを壊し、香油をイエスの頭に注ぎかけた。 14:04そこにいた人の何人かが、憤慨して互いに言った。「なぜ、こんなに香油を無駄使いしたのか。 14:05この香油は三百デナリオン以上に売って、貧しい人々に施すことができたのに。」そして、彼女を厳しくとがめた。 14:06イエスは言われた。「するままにさせておきなさい。なぜ、この人を困らせるのか。わたしに良いことをしてくれたのだ。 14:07貧しい人々はいつもあなたがたと一緒にいるから、したいときに良いことをしてやれる。しかし、わたしはいつも一緒にいるわけではない。 14:08この人はできるかぎりのことをした。つまり、前もってわたしの体に香油を注ぎ、埋葬の準備をしてくれた。 14:09はっきり言っておく。世界中どこでも、福音が宣べ伝えられる所では、この人のしたことも記念として語り伝えられるだろう。」
1.今週は受難週と呼ばれる一週間である。私たちの曜日でいうなら、今週の木曜日の夜に、最後の晩餐といわれる食事(これが聖餐式の起源となった)を、イエス様は弟子たちと守られ、その日の夜に弟子の一人であったイスカリオテのユダの手引きによって捕縛され、金曜日の昼頃に十字架にかけられて殺されてしまわれた。この受難週の始まりの本日を、昔から『棕櫚の主日』と呼んできた。折しも、イスラエルの人々にとっての新年のお祭りである過ぎ越しの祭りが近づいており、エルサレムは世界中からの巡礼者でごったがえしていたそうである。そのエルサレムに、イエス様が仔ロバの背中にまたがってやって来られた時、人々は棕櫚の葉を道に敷き、或いは、打ち振って、歓呼して迎えたというので、『棕櫚の主日』と呼ばれるようになったのである。
2.マタイ福音書の平行箇所は、ほぼマルコ福音書と同じである。いっぽう同じく並行箇所のヨハネ12章16節以下は、基本的な筋立ては同じであるものの、とても興味深い違いに気づく。まず、イエス様が食事をするために招かれた家は、ラザロ・マルタ・マリヤの家となっている。そして、イエス様に香油を注ぎかけたのはマリヤとなっている。また、これを非難したのはイスカリオテのユダとされている。3節に「マリヤが純粋で非常に高価なナルドの香油を1リトラ持って来て、イエスの足に塗り、自分の神でその足を拭った。家は香油の香りでいっぱいになった」とある。
さて、平行箇所として挙げられてはいないが、ルカ福音書7章36節以下にも、元来同じ出来事ではなかったのかと思われる場面が書かれている。興味深いことに、イエス様が食事に招かれている家は、マルコ福音書にあるのと同じシモンという名の人の家である。「思い皮膚病の人」は、ルカ福音書では「ファリサイ人」となっている。それから、イエス様に香油を注いだのは「一人の罪深い女」とある。38節には「後ろからイエスの足もとに近寄り、泣きながらその足を涙でぬらし始め、自分の髪の毛で拭い、イエスの足に香油を塗った」とある。ヨハネ福音書の記述にもよく似ていることがお分かりになろう。
4つの福音書の記述の関係は定かではない。もともと同じ出来事がこのように変わって伝えられたものか、それとも、それぞれが別の出来事なのかはわからない。私としては、何ら根拠はないが、直感的に同じ一人の女性の振舞いではないかと思う。この女性の素性は、おそらくルカ福音書が伝えるように、「罪の女」つまり性を生業にしているような女性だったのではないであろうか。だからこそ、高価な香油をこれほど沢山持っていたことも説明がつくのである。1デナリは、当時の労働者の一日分の賃金であったという。300デナリに売れるとは、今の金額にして300万円から400万円にも相当するほど高価なものなのである。これほどの香油をすべてイエス様に注ぎ、香油の入っていた壺を割ったということは、もうこれまでの生業はしないとの思いであろう。文字通りではないけれども、自分のすべてをイエス様に捧げるとの思いの現れに違いないと感じるのである。
もしかすれば、このように汚れたと言われざるを得ない生業から得られた香油を注がれたイエス様は、また、居合わせた人々からの「無駄使いではないか」との非難もお受けになりながら、9節で「世界中・・・語り伝えられるだろう」とイエス様は仰ったのであった。この言葉の意味は、福音というものと、この女性の振舞いとの間に、深く重なり合うものがあるということであろう。福音が宣べ伝えられるときには、必ず彼女のしたことが福音の根幹を指し示すものとして、一緒に語り伝えられるだろうという意味である。それはどういうことなのか。
3.さて、福音とは、「喜びの知らせ」である。何が喜びかというと、それは、ローマ書3章9節以下にあったように、「罪の下にある」私たち、罪に引っ張られて「その道には破壊と悲惨があり、平和の道を知らない(ローマ書3章16-17節)」私たちが、罪に引っ張られることから解放されて、神様に引っ張られ導かれ、支えられる者となることなのである。罪とは、私たち人間だけが神様に似た者として創造されたが故に、人間は他の動物とは違って、破壊と悲惨のなかに置かれ、平和の道を知ることができない存在となったのである。
先日にも、パイロットが自ら操縦している飛行機を、乗客もろとも墜落させてしまったという事件が起きたばかりである。このところの世界の有り様から、人間とは如何に悲惨であり、平和の道を知らないものかと強く思う。このような私たちが、罪の支配下ではなく、神様の導きの下に置かれるというのが福音なのである。
問題は、どうやって私たちが神様に引っ張られる者とされるのかということである。イエス様の時代に、当時のイスラエルの人々の信仰をリードし、宗教界だけではなく社会全体をリードしていた人々(ファリサイ人や律法学者、そして祭司たち、また彼らとつながっていたサンヘドリンと呼ばれる議会のメンバーたち)は、律法を守ることによってだとの教えを信じていたのであった。けれども、決定的な点は、では、それが-律法を守ることによって神様の導きの下にあることが-果たして、当時の人々の「喜び」になっていたかという点、「福音」になっていたかという点なのである。福音書を読む限り、それが喜びであったという印象は伝わって来ない。イエス様がファリサイ人や律法学者たちに浴びせかけた辛らつな言葉があった。「人には背負いきれない重荷を負わせ(ルカ11:46)」とある。
律法の大もとである十戒が「石の板」に書かれていたことを思う。石は、重く冷たく固い。そこに書かれた律法を守って神様の導きの下に置かれるとの信仰は、どうしても人々に重く冷たく固い重荷となってくるのである。重い皮膚病の人シモンにとっても、もしかすれば、罪の女であったこの女性にとっては、まさにそうであったろう。
シモンのような人は、どのような人間としてみられていたのであろうか。罪を犯した故の罰として、このような病気になったのだと見なされていた筈である。そのような病気にかかっていたことは、どうしても神様と結び付けていただき、神様の導きの下に生かされる可能性のあることとは見なされず、罪の支配下、重い皮膚病の支配下でしか生きられない者とされていたのである。ましてや、性を生業にしていたような「罪の女」であれば尚更であろう。それが公になれば、冗談ではなく、石で打ち殺されてしまったことであろう。律法の下では、そうなのであった。決して、神様の導きの下になど生き得ないと断じられて、重く冷たい石の重荷を背負わせられた人々が沢山いたのである。
そういう人々に、イエス様は福音を伝えてくださったのである。「あなたがたも罪に引っ張り回されて生きる者ではなく、神様に導かれ支えられて生きることのできる者とされるのだよ」と語って下さったのである。
4.それは如何にしてであったのだろうか。律法を守ることによってではなく、何によってであったのだろうか。それは、イエス様が「重い皮膚病の人シモンの家にいて、食事の席についておられた」ことによってなのである。そうであればこそ、もしかすれば、罪の女であったかも知れない、いつ人から石を投げつけられるかも知れないこの女性も、この場にやってきたのであった。彼女はイエス様のもとにやってきて、イエス様に、あのような振舞いをした。イエス様に出合ったことは、彼女の生き方を劇的に変えざるを得なかったのである。それこそが、罪のもとにではなく、神様の導きの下に生きる現われなのである。
つまりは、イエス様との出会いによって、イエス様と共に生きるようになることによって、私たちは神様の導きの下に置かれるようになるのである。イエス様と、こうやって共に生きるようになることが、すなわち、罪の影響下ではなく、神様の影響下に生き始めることなのである。ここに、9節の「福音が宣べ伝えられるところでは、この人のしたことも記念として語り伝えられる」との意味が明らかになる。福音とは、この女性のような人が、絶対に神様となどつながることは許されない、汚れた生涯の支配下にしか生きられないとレッテルを張られていた人が、イエス様との出会いにおいて、神様とつながるようにしていただいたことなのである。
イエス様は、この福音を宣べ伝えるために、罪人を神様へと招きつなげるために、私たちの罪のために、十字架へと進まねばならなかったのである。何故なら、このイエス様が宣べ伝えた福音こそ、当時のリーダーたちには許せないものはなかったからである。イエス様の福音は、突き詰めれば、「私が神だ」ということに至る。人間である私と出会いつながった者は、すなわち、神様と出会い、つながったものだという福音である。「人間が神である」ということは、当時の、そして、今日のユダヤ教の人々、そしてイスラムの人々にとって、キリスト教信仰との最大の溝なのである。絶対に許容できない部分なのである。しかし、私たちにとっては、そここそが福音なのである。
本当に人間であるが故に深い深い罪の支配下にある私たちが、一体どうすれば、神様に引っ張っていただける者になり得るのか。それは、人となられたイエス様と信仰において出合い、人格的につながり、このイエス様の影響下に置かれることによってなのである。罪が私たちからなくなることは、終生ありえない。しかし、イエス様と信仰においてつながっているならば、私たちは神様の導きのなかに置かれるのである。それは何と言う喜びであろうか。何と言う福音であろうか。
5.福音が宣べ伝えられるところでは、この女性のしたことが記念として語り伝えられるという、イエス様のお言葉が語ろうとする、さらに大事な部分は、彼女の生き方が福音によって、イエス様を通して神様につなげられることを通して、劇的に変わったという点である。彼女はもはや、性を生業とする生き方に戻ることはできない。何故なら、イエス様に出会ってしまったからである。それはある意味、イエス様にその全てを捧げ、イエス様の妻になったともいえるからである。そして、彼女は今日の金額で300万円以上もする香油を、たった一人のイエス様のために、これから殺されに行くかも知れない人間のために、イエス様のお言葉で言えば、「埋葬の準備」として、これを無駄に費やした。私は、これこそが福音によって罪の下から神様の影響下に生き始めた人の変化なのだと、しみじみ思うのである。
彼女は、私の勝手な想像であるが、性を生業とする女性たちの元締めのような人ではなかったのか。だからこそ、これだけの香油をその商売のためにも蓄えていた。元締めとして彼女が考えていたのは、無駄を省いて蓄財をすることではなかったか。そんな彼女が、たった一人の人のために、それもすぐにも殺されてしまうかも知れない人のために、これだけの無駄をしたのであった。これが、福音によって神様につなげられた私たちの生き方なのだと思う。人々が彼女を批判したごとく、多くの人々のためにではなく、たった一人のために、無駄をする生き方である。私たちが律法や、誰かに強いられてではなく、心からの喜びとして、イエス様に捧げ、神様に捧げる生き方として、だからこそ無駄とも思われる生き方ができるようになったことを、心からの喜びとしたい。
筑波学園教会牧師 福島 純雄
2015年 3月22日 受難節第5主日礼拝
54:02あなたの天幕に場所を広く取り あなたの住まいの幕を広げ 惜しまず綱を伸ばし、杭を堅く打て。54:03あなたは右に左に増え広がり あなたの子孫は諸国の民の土地を継ぎ 荒れ果てた町々には再び人が住む。54:04恐れるな、もはや恥を受けることはないから。うろたえるな、もはや辱められることはないから。若いときの恥を忘れよ。やもめのときの屈辱を再び思い出すな。54:05あなたの造り主があなたの夫となられる。その御名は万軍の主。あなたを贖う方、イスラエルの聖なる神 全地の神と呼ばれる方。54:06捨てられて、苦悩する妻を呼ぶように 主はあなたを呼ばれる。若いときの妻を見放せようかと あなたの神は言われる。54:07わずかの間、わたしはあなたを捨てたが 深い憐れみをもってわたしはあなたを引き寄せる。54:08ひととき、激しく怒って顔をあなたから隠したが とこしえの慈しみをもってあなたを憐れむと あなたを贖う主は言われる。54:09これは、わたしにとってノアの洪水に等しい。再び地上にノアの洪水を起こすことはないと あのとき誓い 今またわたしは誓う 再びあなたを怒り、責めることはない、と。54:10山が移り、丘が揺らぐこともあろう。しかし、わたしの慈しみはあなたから移らず わたしの結ぶ平和の契約が揺らぐことはないと あなたを憐れむ主は言われる。
1.私どもの筑波学園教会は、会堂が1977年の秋に建てられ、教会として正式に設立が認められたのは1978年の3月21日であった。21日で、ちょうど満37年が経ったこととなる。2014年度は、イザヤ書54章2節と3節の御言葉を年間の聖句として掲げて歩んできたので、本日の記念礼拝では、この御言葉に耳を傾けたいと思っている。
さて、預言者イザヤを通し、神様はイスラエルの人々に、次のように語りかけられた。「あなたの天幕に場所を広く取り・・・再び人が住む」と。最初のポイントは、この言葉が語りかけられたとき、イスラエルの人々はどのような境遇に置かれていたかという点である。
それをほのめかす言葉は今日のところで幾つも出てきます。4節では「恥」とか「辱められる」・「やもめのときの屈辱」という表現があり、6節では「捨てられて苦悩する妻」、また9節では「ノアの洪水に等しい」とあり、「山が移り丘が揺らぐ」と10節にあります。これらはすべて、この御言葉が語りかけられた時のイスラエルの人々が置かれていた境遇をほのめかすものです。
一言でいえば、それはバビロン捕囚と呼ばれるものである。紀元前の598年から7年にかけて、バビロンの王によって、まずユダの国の主だった人々が捕虜とされた第一次バビロン捕囚という出来事が起こり、それから10年後の587から6年にかけて、とうとうバビロニアによってユダ王国は滅亡に追い込まれ、祖国は瓦礫の山と化し、多くの人々がバビロンに捕虜として連れて行かれ、538年にバビロニアを滅ぼしたペルシャの王様によって故郷に帰って良いとの赦しが出るまで、およそ60年にわたって異国に奴隷状態として抑留されたのであった。この御言葉は、そうした状況にあるイスラエルの人々に語られたものであろうとされている。
イスラエルの人々は、サウルが王国を建てて以来、400年にわたって続いてきた祖国が滅亡させられ、こうして抑留されてきたことを、4節の言葉で言えば「恥」であり「屈辱」であると感じていたのであろう。自分たちのことを、あたかも「捨てられてしまった妻」のように感じていた。2節と3節の「天幕」という言葉を借りれば、捕囚のなかにあったイスラエル人は、もはや張ることができなくなり、潰れてしまった天幕のようであった。張るための綱も切れてしまい、地面に打つための杭もない状態であった。精神的にも経済的にも社会的にも、そういう状況においこまれてしまっていたのだった。
同じような状況に、私たちも置かれることがあるのではないか。今は時期的に、入学や入社といった時期である。首尾よく念願の学校や会社に進むことができた人もいる一方で、思い通りにはいかなかった人、長い間勤められた職場を止めなければならなかった人もあるだろうと思う。恥や挫折を感じ、「もう天幕など張れない、張るための綱も杭も私にはない」と思っておられる人々もあるのではなかろうか。そのような私たちに、神様が「再び天幕を張れ、綱を延ばし、杭を打て。そうすれば多くの人が集まる」と語って下さっているのである。そしてそのときのイスラエルの人々にもまた、神様はそのように語られたのである。
2.この神様の語りかけの中に、私は何よりも次のようなメッセージを聞くことができるように思う。それは、「もう天幕など張れない、綱も杭もないというような境遇に置かれている今だからこそ、逆に、新たに天幕を張れるのだ。新しい、それまでとは全く違う広い場所に天幕を張り、今まで使ったことのなかった綱や杭を遣って天幕を建てることができるのだ」と言うことである。そうした天幕を張るからこそ、そこに人々が集まってくるようになるのである。
イスラエルの人々は、捕囚とされるまでは、どんな場所に天幕を張っていたのであろうか。どんな綱や杭を使っていたのであろうか。それは、サウル王が初めに建て、ダビデやソロモンが大きくしたところの王国が400年続いてきた。そういう王国・領土・体制のうえに張られてきた天幕なのであった。今エレミヤ書を学んでいるが、イスラエルの人々は、第一次バビロン捕囚が起こった後もなお、「自分たちの国は安泰だ、400年間続いてきたこの生活は壊れることなど無い」と信じ込んでいたのであった。その生活とは、先祖代々受け継いできた田畑や家に依存しているものであった。それが無いところでは、到底張ることのできない天幕であった。
しかし、今やその天幕が張れなくなってしまったのである。イスラエルの人々は、それを恥と思っていた。それに囚われていた。その彼らに、神様が語りかけてくださった御言葉は何か。「そうであればこそ」という御言葉なのであった。いまこそ、かつての王国や領土や先祖代々続いた田畑や家に依存しない、全く新しい在り方のうえでの天幕を張ることができるようになったということなのである。今まで使ったことのない綱や杭を使って、天幕を張ることができるのである。その天幕にこそ、多くの人が訪れるようになる、との語りかけである。
過日、十数年お勤めになった職場を退職せざるを得なくなったある人のことを、この説教の準備をするなか、ずっとそのことを思っていた。退職をしたために、宿舎だったところを明け渡さざるを得なくなり、私たち夫婦は引っ越しを手伝った。先週の月曜日には、一緒に、心病む人たちをサポートする施設やグループホームの見学もさせていただいた。きっとその人は、バビロンに抑留されているイスラエルの人々と同じ思いを抱いておられることと想像する。けれども、だからこそ、新しいところで、これまでにはない広い場所で、新しい綱や杭を使って天幕を張れるのだと神様は語りかけて下さる。「荒れ果てた町々に再び人が住む」とは、まさに、この人にこれから起きて行くであろう人生の光景なのである。この人が礼拝に集い、同じような重荷を持っている人々と談笑している姿は、かつてのその人には考えられなかった有り様だと思う。これからサポートセンターでの新しい出会いも与えられることと思う。それまでの古い天幕の在り方がペシャンコになり、恥や屈辱を味わうことこそが、私たちをして新しい天幕を築かせる機会となるということは、その人の姿からも、神様に示された。
3.教会もまた、同じではないかと思う。未だ設立されて40年も経っていない私たちの教会が、これから50年、100年、200年と場所を広く取り、新しい綱を伸ばして沢山の人々が集う教会となってほしいと願う。しかし、そのためには、無くてはならぬことがある。避けては通れないことがある。それがバビロン捕囚である。それまでの天幕がペシャンコになり、新しい在り方で新しい綱や杭を使って教会を形成して行く機会がもたらされることである。この37年間のなかにも、それに類した出来事があったのではなかったか。今もあり、これからも避けることはできないのではないか。
先日、うつらうつらと昼寝をしている最中に聞いていたNHK教育テレビの宗教の時間というTV番組に、記憶が定かではないが、北九州で路上生活者の支援活動に邁進されてこられた奥田智志牧師が出演されていた。奥田牧師の活動が盛んになって行くにつれて、教会のなかに不協和音が聞こえてくるようになり、多くの人たちが教会を去っていくという悲しい出来事が起きたそうである。それは、言うまでもなく、牧師が牧会を疎かにして社会活動に邁進しているのについて行けないという批判だったのである。
奥田牧師は、これを、教会全体が大切な働きに携わる機会を、牧師が奪ってしまったとの捕らえ方で反省されていた。尊い働きを牧師だけのものにしてしまい、教会全体の働きとする努力を怠ってきたという反省である。そうした離反者がでる ― それは教会がそれまでの在り方において潰れてしまうことを意味している ― なか、牧師の働きを教会の働きとして担おうとする人々が出て来て、今日に至っているとのことであった。今や、教会の目の前に、ホームレスの人々の住まいや高齢者のホームもできているとのことである。
教会が、今までにはない場所で天幕を張ろうとし、また今までに使ったことのない綱や杭を使って教会を形成しようとするとき、そこには多かれ少なかれ、それまで張ってきた天幕が破れ、綱が切れ、杭が折れてしまうということが起こらざるを得ないのである。それは、とても辛いことである。あって欲しくないことである。しかし、それを避けていては、教会は決して新しく広い場所に天幕を張ることはできない。新しい綱を惜しまず伸ばすことはできない。多くの人々が集う場所にはなれないのである。
4.さて、それでは、イスラエルの人々は、バビロン捕囚のなかで、どのように「広い」新しい場所に天幕を建てることができたのであろうか。どのように新しい綱や杭を用いることができたのであろうか。
それは、目に見えた形や文字通りの「広い場所」ではなかったのである。現実としては、故郷への帰還は未だに見えてはこない時期であった。広い場所などとんでもなく、抑留された捕虜として、これまで通りの狭く小さな場所だけが用意されていただけの現実だった。どこに新しさがあったのであろうか。どこに広さがあっただろうか。それは、信仰に於いてのことだったのである。内的な意味での「広い」場所であり、新しい天幕だったのである。
その広さと新しさの一つとして挙げることができるのは、イザヤ書53章に記されている事柄である。そこには、昔から十字架のイエス様を預言する旧約聖書の言葉として読まれてきた『苦難のしもべの歌』と呼ばれる御言葉が記されている。たとえば5節から6節にかけては、「彼の受けた懲らしめによってわたしたちに平和が与えられ、彼の受けた傷によってわたしたちはいやされた」とある。この『苦難のしもべ』とは誰のことかと研究されてきた。イエス様を預言するものとの理解は、キリスト教の信仰からのものである。学問的には、これはバビロン捕囚にあったイスラエルの人々、この御言葉を聞いている先達たちを言うというのが定説ではないかと思う。
大切なことは、先達たちが受けた苦しみを、今のイスラエルの人々は、このように意義あるものとして受け取ることができたということである。国が滅ぼされ捕虜とされる恥や屈辱の出来事を「実り」あるものとして、誰かをそれによって癒し、平和を与えるものとして理解できたということである。これこそが、捕囚のなかに置かれたイスラエルの人々が、信仰に於いて全く新しく建てることができた天幕なのだ、と私は示されるのである。苦難をそのように受け止められるとは、何と「広い」場所であろうか。何と新しい綱であろうか。
この53章を受けて、54章が語られていく。捕囚のなかでこそ、新たに抱くことができた信仰の天幕は何であったか。それは、この御言葉に於いては、捨てられて苦悩する妻のような私たちの夫に、神様がなって下さるとの信仰の境地である。5節には「あなたの造り主があなたの夫」とある。
捕囚とされたイスラエルの人々にとってバビロニアの王をはじめとする支配者たちが「主人」であったろうと想像できる。しかし、それは本当に辛い現実であったろう。自分たちをこき使い、ただ労働力としてのみ見なす者が「主人」である状態とは耐えられない境遇であったろう。だから、彼らは誰がまことの主人であるか、あって欲しいかを切実に問い求めたに違いない。そして、その問いへの答えが、この御言葉なのである。造り主である神様が、あなたを贖い、聖なる者として下さる神様こそが、あなたの夫であり主人なのだとの答えをいただいた。この信仰こそが、新しい天幕であり、広い場所であり、新しい綱や杭である。その信仰に於いて、新しい人々との出会いやつながりがもたらされていくのである。
筑波学園教会牧師 福島 純雄
2015年 3月15日 受難節第4主日礼拝
03:09では、どうなのか。わたしたちには優れた点があるのでしょうか。全くありません。既に指摘したように、ユダヤ人もギリシア人も皆、罪の下にあるのです。 03:10次のように書いてあるとおりです。「正しい者はいない。一人もいない。 03:11悟る者もなく、神を探し求める者もいない。 03:12皆迷い、だれもかれも役に立たない者となった。善を行う者はいない。ただの一人もいない。 03:13彼らののどは開いた墓のようであり、彼らは舌で人を欺き、その唇には蝮の毒がある。 03:14口は、呪いと苦味で満ち、 03:15足は血を流すのに速く、 03:16その道には破壊と悲惨がある。 03:17彼らは平和の道を知らない。 03:18彼らの目には神への畏れがない。」 03:19さて、わたしたちが知っているように、すべて律法の言うところは、律法の下にいる人々に向けられています。それは、すべての人の口がふさがれて、全世界が神の裁きに服するようになるためなのです。 03:20なぜなら、律法を実行することによっては、だれ一人神の前で義とされないからです。律法によっては、罪の自覚しか生じないのです。
1.ローマの信徒への手紙の1章18節から3章20節までは、本論の第一部とされている。ここでパウロが、ずっと語ってきたことは、「もし私たちが神様によって義とされることがなければ、どれほど悲惨で惨めな存在か」ということだった。神様によって義とされるとは、神様と結ばれ、神様の導きとその影響下に生きることができるということである。その反対の状態が、9節最後の「罪の下にある」ということである。罪の下というニュアンスは、罪に引っ張り回され、その影響下に置かれるということである。その結果として、私たちは10節から18節に列挙されているような有り様に置かれてしまうのである。1章18節から3章20節までの第一部でこのことを明らかにして、ではどうすれば、このみじめな状態から解き放たれるのかを、次の3章21節からの第二部に語っている。
もう一点、パウロが第一部で特に強調して語ってきたことは、9節に「ユダヤ人もギリシャ人も皆」とあるが、律法の行いをし、割礼を受けているユダヤ人でさえも、神様によって義とされないのだという点であった。彼の信仰には、イエス様をキリストと信じる信仰によってイエス様と結ばれることが、即ち、神様に結ばれることなのだと、義とされることなのだという確信があった。だから、その信仰がないギリシャ人は勿論、たとえ律法の行いをするユダヤ人であっても、神様に義とされていないのだと語ったのだった。その点を、第一部の最後の19節と20節で、改めて念を押した。
2.先ず、19節と20節でパウロが断言している点について、私が感じることを率直にお話したいと思う。彼は「律法を実行することによっては、誰一人神の前で義とされない」と言い、「律法によっては罪の自覚しか生じない」と言いきった。私は、正直に言って、たとえパウロの言葉であっても、これについては心から「アーメン」とは言えない。
パウロの信仰の核心には、「イエス様を信じる信仰によらなければ人は義とされない」ということがあった。これを特にローマに住むユダヤ人に積極的に語ろうとしたのが、この手紙の執筆の目的であった。彼らは、律法の行いをしようとしなかった。自分たちの中から生じたマイナー集団であったクリスチャンに対し、律法の行いをしなければ駄目だと、メジャーな立場から言わざるを得ない状況だったのは分かる。しかし、だからと言って、この20節のように断言することについては、私は承服できない。
『季報つくば』の最新号のはじめに、『創世記の学びを終えて』という一文を書かせていただいた。アブラハム、イサク、ヤコブ、ヨセフという4代の人々に共通する要素を挙げて、彼らを導く神様の御業に触れた。彼らは、言うまでもなく、イエス様をキリストと信じる信仰を抱くことはできなかった。勿論、彼らは、律法の行いもしてはいなかったが、では、彼らは全く神様に義とされない、ただ罪の下に置かれ、神様との結び付きが一片も無かった人々だったのであったのか。そうではなかった。もし彼らが、ただ罪に引っ張られて生きただけの人々であったなら、4年もかけて彼らの姿を学ぶ意味は何処にもない。彼らは、イエス・キリストを信じる信仰など抱きようがなかったけれども、しかし、神様に義とされ、結ばれて生きた者たちではあった。
律法の根幹には十戒がある。その十戒が与えられたのは、出エジプト記20章に於いてである。十戒は、モーセが発明したのではなく、神様ご自身がお与えになったものだった。なぜ、お与えになったのか。罪の自覚を生じさせるためだったのか。断じて、そうではなかった。エジプトを難民状態で脱出したイスラエルの人々は、生き延びて行くためには、「何でもあり」の状態に置かれた。経済的にも文化的にも、はるかに強大で豊かなパレスチナの人々のなかに、入っていかなければならなかった。奪略もあり戦争もあり、邪魔者はなんでも(たとえ親でも)捨てねばならなかった。これが普通の、彼らがやろうとした歩みなのだった。それはまさに、今日の御言葉の15節から17節にあるような「地を流すのに速く」「その道には破壊と悲惨」だけがあるような歩みであった。だからこそ、神様は彼らのために十戒を授けて下さったのだと私は理解する。わずか10の行動規範である。それに則って生きることで、罪の下ではなく、神様の下で生きて行くことができるようになるのである。破壊と悲惨から逃れ、平和の道を進んでいけるようになるための、生きる指針であった。
おそらくバビロニアに捕虜として連れて行かれたなか、その抑留生活が50年、60年と続くなかで、彼らは律法を再発見していったのだろう。支配者のバビロニアへの憎しみが渦巻くなか、どうかすれば「その唇には蝮の毒」が「口は呪いと苦味で満ち」てしまう状況において、そこから解き放たれていく具体的な道筋として、律法の行いを発見したのだった。
3.こうしたイスラエルの人々の信仰の歴史を知るとき、決してパウロの言葉をそのまま受け入れることはできないし、してはならないと、私は思う。今日においてこそ、私たちはユダヤ教徒の方々にこのような言葉を語ってはならないし、またイスラムの人々にも―彼らは「律法の行い」とは言わないであろうが、基本的には、それと同じと考えられる幾つかの基本的な行いをしている― 言ってはならないのである。彼らは、律法の行いにおいて、また幾つかの行いによってこそ、神様に義とされると信じておられる。罪によって振り回されるのではなく、神様と結びついて生きる在り方を切実に求めておられる。その点において、私たちと何ら違いはないのである。同じ思いを抱いている方々なのである。
『キリスト教とローマ帝国』という本の中で、著者のロドニー・スタークは、最初はごくわずかな人数ではじまったキリスト教が、どうして苛酷な境遇にもかかわらず、ローマ帝国にひろまっていったかを、説き明かしてくださった。私自身、初めて教えられたことの一つであるが、実はユダヤ教こそがクリスチャンを生み出すのに大きな役割をはたしたのではないか、ユダヤ教徒からクリスチャンになっていった人々が実はとてもおおかったのではないかというスタークの言葉がある。
私たちは、どうしても、パウロの手紙や使徒言行録を通して、ユダヤ教徒キリスト教の関係は険悪だったとのみ、理解してしまう。確かに、そういう事情はあったのであろうが、むしろ、広く言えば、ユダヤ教とキリスト教の間には、共通する信仰の地盤があったために、ユダヤ教からキリスト教の信仰へと進んでいく人が多かったのではないだろうか。その共通する地盤こそが、今日の御言葉にある、罪の下にではなく、神様と結ばれて生きたいとの切なる願いだったのである。その切なる願いが実現するためには、どうすればよいのか。律法の行いなのか、イエス様をキリストとして信じる信仰によってなのか。それは、確かに、大きい違いかもしれないが、私たちがパウロの手紙から受ける印象ほどには決定的な違いや溝はないのである。
いまの世界の状況のなかで大事なことは、お互いの信仰に対して、駄目出しをすることではない。「あなたの信じている信仰によっては、神様に義とされることはない」そう駄目出しをするのは、対立のみを生み出す。信仰がかえって平和の道を壊してしまう。大事なことは、互いの信仰のなかに、精一杯、神様と結びついて生きようとする願いがあり、また、その術があることを認め合うことである。そして、そのうえで「私たちクリスチャンはなぜ律法の行いでも、幾つかの行いでもなく、イエス様を信じる信仰によって義とされると信じるのか」ということを静かに証しすればよいのである。
4.なぜ私たちは、イエス様をキリストとして信じる信仰によって、神様に義とされると信じるのか。そのことは、9節以下に記されている。「罪の下にある」私たちの状態を考えると分かってくるのである。
先週の礼拝でも、私たち人間だけが神様に似た者として創造されたとの創世記1章の御言葉を思い起こした。今日もまた、それを想起したい。聖書全体を貫く人間観の根幹にあることだから、創世記を開けていただいて、1章26節からの御言葉を読んでいただきたい。「神は言われた。我々にかたどり、我々に似せて人を造ろう。・・・そして支配させよう。・・・産めよ、増えよ、地に満ちて地を従わせよ。・・・すべて支配せよ」とある。
私たち人間だけが、神様に似たものとして創造されたのである。その「似た」部分とは何か。創世記1章1節で「はじめに神は天地を創造された」とあることから、創造性だと思うのである。そして、創造性というのは、目の前にある材料に対して、主人公として関わるのである。それが「支配せよ、従わせよ」という神様からの私たちへの祝福の言葉となるのである。支配せよ、従わせよ、とは、決して悪いことではなく、祝福のお言葉なのである。
しかし、こうした人間の行為というのは、すべて、最初の日から7日目まで繰り返される「神はこれを見て良しとされた」という枠組みのなかで為されてこそ、良い創造となる。神様から見て「良し」とされる視線から外れて、私たち人間が考える「良さ」、価値観・尺度から創造し始め、支配し従わせ、そういう在り方が増え地上に蔓延して行くとき、それは今日の御言葉に語られている「罪の下」の有り様になってしまうのである。前回の「畑を買った、牛を買った、妻を娶った。ねばならない。」この状態が増えて行く方向性のみを、私たちは追い求めるのである。
5.これが「罪の下にある」私たちであるから、こういう私たちが罪から移されて、神様に結ばれ、その影響下に生きることができるために、イエス様と信仰的に結びつくことが不可欠だと私たちは信じているのである。
イエス様と信仰的に結びつくということは、人格的な結びつきなのである。律法は、とても象徴的に「2枚の石の板」に書かれている。コーランは紙にかかれている。アラビア語で書かれており「一言たりとも違う言葉にしてはならない」とされているとのことである。パウロは第二コリント3章6節と7節で、「(石に刻まれた)文字は殺しますが、霊は生かします」と言った。石にせよ、紙にせよ、書かれた文字は突き詰めて信じる者を殺してしまうものになる危険性をはらんでいるのである。
これに対して、イエス様は人としてこの世にお生まれになった。イエス様は、生きた文字なのである。私たちはイエス様と共に生き、イエス様を伴侶とし、生涯の友とできるのである。石や紙に書かれた文字にしたがって生きることと、イエス様という生きたお方と人格的につながって生きることとの間には、どれだけの違いがあることか。人格的な結びつきであるから、そこにはペテロのような離反や裏切りがある。夫婦や友人の間にあるようなゆらぎがある。しかし、復活のイエス様との出会いが示して下さるのは、人格的なつながりは、そうしたものを越えるということである。こうしたイエス様との結び付きにおいて、私たちは罪をなお抱えてはいるが、しかし、罪にふり回されるのではなく、イエス様の影響下に置かれ、よって神様と結びつくものとされたのである。
もう一つ、イエス様との結びつきに於いて、決定的に含まれるのは、十字架の犠牲である。罪の下に置かれている私たちの汚れを、清め、癒して下さることとして、私はあたかもイエス様の清さ・罪のなさが、私たちに『移植』されたのだと信じている。移植されたイエス様の声明は、なお罪ある私たちのなかで、自立的に生きて行って下さる。常に、私たちが考える価値観の「良さ」を抱いて、それを増殖させ、支配しようとする私たちである。それとは正反対の道が、十字架にあるのです。十字架の生命を移植されることで、私たちは罪の下ではなく、神様の影響下に移されていることができるようになるのである。
筑波学園教会牧師 福島 純雄
2015年 3月8日 受難節第3主日礼拝
14:25大勢の群衆が一緒について来たが、イエスは振り向いて言われた。 14:26「もし、だれかがわたしのもとに来るとしても、父、母、妻、子供、兄弟、姉妹を、更に自分の命であろうとも、これを憎まないなら、わたしの弟子ではありえない。 14:27自分の十字架を背負ってついて来る者でなければ、だれであれ、わたしの弟子ではありえない。 14:28あなたがたのうち、塔を建てようとするとき、造り上げるのに十分な費用があるかどうか、まず腰をすえて計算しない者がいるだろうか。 14:29そうしないと、土台を築いただけで完成できず、見ていた人々は皆あざけって、 14:30『あの人は建て始めたが、完成することはできなかった』と言うだろう。 14:31また、どんな王でも、ほかの王と戦いに行こうとするときは、二万の兵を率いて進軍して来る敵を、自分の一万の兵で迎え撃つことができるかどうか、まず腰をすえて考えてみないだろうか。 14:32もしできないと分かれば、敵がまだ遠方にいる間に使節を送って、和を求めるだろう。 14:33だから、同じように、自分の持ち物を一切捨てないならば、あなたがたのだれ一人としてわたしの弟子ではありえない。」 14:34「確かに塩は良いものだ。だが、塩も塩気がなくなれば、その塩は何によって味が付けられようか。 14:35畑にも肥料にも、役立たず、外に投げ捨てられるだけだ。聞く耳のある者は聞きなさい。」
1.イエス様は「もし、だれかがわたしのもとに来るとしても、父、母、妻、子供、兄弟、姉妹を、更に自分の命であろうとも、これを憎まないなら、わたしの弟子ではありえない。(26節)」と言われた。ここでイエス様が「憎む」と言われていることは、決して文字どおりの意味に受け取ってはいけない。
先日、書斎で、ある本を探していて、ふと手に取った本は、『健全な信仰とカルト化した信仰』という、ごく薄い本であった。私は、その本をパラパラとめくってみた。著書はウィリアム・ウッドという宣教師で、彼はずっと「エホバの証人(ものみの塔)」という団体から、その信者を脱会させる運動に携わってきた人である。彼は、その運動をするなかで、いわゆるカルトと呼ばれる宗教団体だけではなく、伝統的なキリスト教会も、しばしばカルト化してしまうことがあるのに気づき『教会がカルト化するとき』という書物も出版している。
この『健全な信仰とカルト化した信仰』の中で、著者ウィリアム・ウッドは、『「自分を捨てる」とは』という一節に、今日の26節のイエス様の言葉と同じ趣旨の「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負い、そしてわたしについてきなさい(たとえばマルコ8:34。平行箇所はルカ9:23。マタイ10:38)」との御言葉を取り上げ、これがカルト化した教会において、しばしば「自分の思考力や判断力を捨てて無条件に指導者に服従すること、自分の夢や思いや主張や好みを押し殺して徹底的に指導者に仕えることを強要するために用いられる」と書いている。このようなイエス様のお言葉の理解は『曲解』だと言うのである。イエス様が言われたのは、突き詰めれば「わたしの願いではなく、みこころのとおりにしてください(ルカ22:42)」という霊的姿勢だと言うのである。
2.26節のイエス様のお言葉が、しばしばこのように文字通り「曲解」されてきたということなのだが、「憎む」というイエス様のお言葉が、決して文字通りのものではないということは、次のような点から言えると私は考えている。
26節に挙げられている「自分の命」をはじめとして、父母・伴侶・子供・兄弟姉妹というのは、創世記に書かれていた御言葉からすれば、すべて神様が私たちに授けて下さったものであり、間柄である。創世記2章7節では、神様は私たちを土の塵から形づくって、これにご自分の命の息を吹きいれて下さって、私たちを「生きる者」として下さったのであった。また、創世記1章26節以下では、「人が独りでいるのはよくない」とおっしゃって、最初の人アダムにイブという伴侶を与えて下さったのは、他の誰でもなく、神様ご自身だったことが書かれている。イブを与えられたアダムは「これこそ私の骨の骨」と喜びの声を挙げたと23節に記されている。
イエス様は、このような神様の御業を、当然、よくよくご存知だったであろう。神様が私たちに与えてくださった命、また夫婦をはじめとしてそこから作られる家族関係を、どうして私たちが文字どおりの意味で「憎む」ようにイエス様が命じられることがあるだろうか。それは、神様の創造の御業に反することである。イブを与えられて「これこそ」と喜びの声をあげた最初の人の喜びを否定することである。イエス様は、決してそのようなことを命じられる筈はない。
もう一点は、すぐ前に書かれていたことからのつながりから言えることである。14章7節から24節までの箇所で、イエス様は神の国に招かれることを―ちなみに神の国とは天国のことではなく、私たちが今の日常のなかで神様とつながって生きられることを言う―結婚式の披露宴や盛大な宴会に招かれること、つまり、とっても嬉しいときにたとえられた。神様とつながって生きるとは、即ち、イエス様の弟子になることである。それは、直前のイエス様のお言葉では、結婚式や披露宴や盛大な宴会に招かれるような喜びのときなのである。それが、どうして神様から授かった自分の命や夫婦をはじめとする家族関係を「憎む」ことと両立するのであろうか。喜ぶことと憎むことは、決して相並ぶことは不可能である。24節までの御言葉からの流れで言えば、この言葉を語るイエス様の心には、何よりも喜ぶということがあった筈である。神様から与えられた命や家族関係を喜ぶために何が大事かをお教えになろうとするお言葉である筈である。
3.では、それが何故「憎む」という正反対の表現になってしまったのか。十字架を背負うという教えになったのか。これもまた、前節とのつながりを見ると、よく分かってくると思う。
14章16節以下で、折角の宴会への招待を断ってしまった3人の人達のことが書かれていた。最初の人の言葉だけに「ねばならない」とあるが、3人に共通して、この「ねばならない」という気持ちがあるように感じる。畑を買ったから「ねばならない」。牛を買ったから、妻をめとったばかりだから「ねばならない」と、皆が言った。こう言って、折角の喜びの祝宴への招きを断った。つまり、それは喜びの喪失ということに他ならない。
私はここに、神様が折角私たちに生きることを喜ぶためにお与え下さった命や家族関係なのに、却ってそれゆえに喜びを喪失してしまっている私たち人間の有り様を見るように思った。私たちは、命を、また家族関係を、そしてそれによって営まれている社会的な関係に、「ねばならない」を課すのである。何ゆえの「ねばならない」かと言えば、「畑を買った・牛を買った・妻をめとった」に象徴的に示されているように、より多くを手に入れ、人生がプラスへと向かって行く方向への「ねばならぬ」である。私たちはこう言う。「自分の命はプラスを手に入れるためのものでなければならない。夫婦や家族関係、そして社会関係も、すべて右肩上がりに向かうものでなければならない」と。そういう「ねばならぬ」を課してしまうことで、どれほどの人々が生きる喜びを、折角の家族と共にある楽しみを、仕事ができる嬉しさを喪失してしまっているであろうか。喜びの祝宴への神様からのお招きを断ってしまっているであろうか。
だからである。自分の命・家族に対するこのような誤った態度から解き放たれる必要性を、イエス様は教えておられるのである。「ねばならぬ」を止めなければならない。それが「憎む」という言葉になった。この場合の「愛する」は、私たちが自分の願いから、命や家族に「ねばならない」を課する態度である。そして、私たちからの「ねばならない」ではなく、神様からの「ねばならない」を受け入れねばならない。ここに於いて、最初にご紹介したウッド宣教師の、イエス様の真意は「わたしの願いではなく、みこころのとおりにしてください」にあると言われたことと、私の理解は一致する。
4.それでは、何が神様からの「ねばならぬ」なのか。それは具体的にどのようなものとして理解できるでのか。イエス様はそれを根源的にお教えになるために「自分の十字架を背負って」と言われた。十字架とは、プラスの方向・右肩あがりの方向とは正反対のものである。すべてを失い、奪われ、喪失して行く方向を示している。これが、神様からの「ねばならぬ」である。しかし、これを背負うことにおいて、神様からのこの「ねばならない」を受け入れることにおいて、生きること・家族また社会との関係は喜びに満ちたものとなるのである。
聖書研究祈祷会で与えられたエレミヤ書の御言葉を、今日もまた、それに触れたいと思う。とくに心に刻まれたのは、23章23節と24節の御言葉であった。ぜひ、皆さんにもエレミヤ書のなかにこんな御言葉があったことを、心に刻んでいただきたいと思う。「わたしはただ近くにいる神なのか、と主は言われる。わたしは遠くからのかみではないのか。誰かが隠れ場に身を隠したなら、わたしは彼を見つけられないというのかと主は言われる。天をも地をも、私は満たしているではないかと主は言われる」とある。神様を「遠くからの神」と現すのは、おそらく全聖書のなかでも、ここだけではないかと思われる。
当時のイスラエルの人々にとって、神様は、ただ近くにいるお方であった。それは、彼らの望みの「近く」に、人間の願いにぴったりと寄り添うだけの神様であった。バビロニアによって祖国が滅ぼされることなどはない、災いが臨むことはないと人々は信じ切っていた。それこそ、今日の御言葉から言えば、自分たちの生きることに、また国家の行く末に、プラスの方向だけを「ねばならない」と言って課する態度なのであった。それは決してイスラエルの人々を幸いにはしなかった。喜びを喪失させたのだった。だから、エレミヤを通して神様は「私は遠くからの神だ」と告げられたのだった。それは、人々の「ねばならない」とは遠いということである。私たちが自分の命や家族や社会関係に対して願うこととは遠い、ということである。私たちはただ目先のことのみを願うが、神様はもっともっと長いスパンで、また「天や地を満たす」ような大きな尺度から、私たちに最も良い御業をなさる。そうであればこそ、私たちが「隠れ場に身を隠した」とき―これは、私なりの読み方では、私たちが進んで身を隠したのではなく、隠されたのである。ある状況に閉じ込められ、監禁されてしまったような状況である―神様は遠くからこそ私たちを捜し出し導いてくださることができるのである。
遠くからの神様の御業は、突き詰めれば、私たちに十字架を背負わせたもう御業である。私たちの願いを打ち砕き、苦難を背負わせ給う。しかし、そこにこそ喜びがある。土の塵から造られた私たちの命の有りのままの現実があり、家族の現実があり、社会的な関係の現実がある。それを受容するところにこそ、喜びがある。
私たちは、どうしても十字架を背負うことが難しいので、神様はイエス様を遣わして下さった。イエス様ご自身が、神様の「ねばならない」を背負って、十字架へと進まれた。そして、その向うに復活が起こった。遠くからの神様が、このイエス様の十字架において、また私たちに近くあって下さるのである。しかし、この神様の近さは、十字架における近さなのである。
5.最後に、28節以下の御言葉に短く言及したい。32節までのたとえは、ルカ福音書だけに記されたもので、もともと27節までのイエス様のお言葉に続けて語られたものなのか、よく分からない。もしかしたら、ルカだけがそのように伝え聞き、ここに記したものなのかも知れない。ルカの理解によれば、イエス様の弟子となり、信仰者として生きて行くことは、あたかも塔を建てるかのように、また、大変な戦いに臨むかのように、慎重な準備が不可欠なものであったろう。その言わんとするのは、こういうことではないか。信仰生活は、確かに喜びである。しかし、その喜びとは、塔を建てるかのように、大きな戦いに直面するかのように、月並みなものではない。私たちの抱く願いが「近い神」によって全て叶えられるというような安易なものではない。そうではなく、十字架を背負い、神様の「ねばならない」によって打ち砕かれてしまうような歩みなのである。信仰生活とは、このようなものであることを、私たちは予めそれをはっきりと知らなければならないのである。
それでもなお、信仰生活は喜びである。33節に「自分の持ち物を・・・ありえない」とイエス様が言っている。自分の持ち物がすべて失われたときとは、普通であれば、誰一人それを喜ぶことなどできない時なのである。しかし、私たちは、そのときをこそ、イエス様にしたがって行くことができる時として受けとめることができる。これこそが、私たちの喜びなのである。
筑波学園教会牧師 福島 純雄
2015年 3月1日 受難節第2主日礼拝
01:01ヤコブと共に一家を挙げてエジプトへ下ったイスラエルの子らの名前は次のとおりである。 01:02ルベン、シメオン、レビ、ユダ、 01:03イサカル、ゼブルン、ベニヤミン、 01:04ダン、ナフタリ、ガド、アシェル。 01:05ヤコブの腰から出た子、孫の数は全部で七十人であった。ヨセフは既にエジプトにいた。 01:06ヨセフもその兄弟たちも、その世代の人々も皆、死んだが、 01:07イスラエルの人々は子を産み、おびただしく数を増し、ますます強くなって国中に溢れた。 01:08そのころ、ヨセフのことを知らない新しい王が出てエジプトを支配し、 01:09国民に警告した。「イスラエル人という民は、今や、我々にとってあまりに数多く、強力になりすぎた。 01:10抜かりなく取り扱い、これ以上の増加を食い止めよう。一度戦争が起これば、敵側に付いて我々と戦い、この国を取るかもしれない。」 01:11エジプト人はそこで、イスラエルの人々の上に強制労働の監督を置き、重労働を課して虐待した。イスラエルの人々はファラオの物資貯蔵の町、ピトムとラメセスを建設した。 01:12しかし、虐待されればされるほど彼らは増え広がったので、エジプト人はますますイスラエルの人々を嫌悪し、 01:13イスラエルの人々を酷使し、 01:14粘土こね、れんが焼き、あらゆる農作業などの重労働によって彼らの生活を脅かした。彼らが従事した労働はいずれも過酷を極めた。 01:15エジプト王は二人のヘブライ人の助産婦に命じた。一人はシフラといい、もう一人はプアといった。 01:16「お前たちがヘブライ人の女の出産を助けるときには、子供の性別を確かめ、男の子ならば殺し、女の子ならば生かしておけ。」 01:17助産婦はいずれも神を畏れていたので、エジプト王が命じたとおりにはせず、男の子も生かしておいた。 01:18エジプト王は彼女たちを呼びつけて問いただした。「どうしてこのようなことをしたのだ。お前たちは男の子を生かしているではないか。」 01:19助産婦はファラオに答えた。「ヘブライ人の女はエジプト人の女性とは違います。彼女たちは丈夫で、助産婦が行く前に産んでしまうのです。」 01:20神はこの助産婦たちに恵みを与えられた。民は数を増し、甚だ強くなった。 01:21助産婦たちは神を畏れていたので、神は彼女たちにも子宝を恵まれた。
1. 出エジプト記を貫くテーマの一つに、エジプトの王と向かい合わなければならないイスラエルの民のことがあると思う。その主題が、この1章から非常にはっきりと表れているのではなかろうか。
創世記においても王は登場してきたが、イスラエルの人々と対峙し、この出エジプト記にあるように、彼らを苦しめ虐待するような存在としては出てくることはなかった。しかし、この出エジプト記は違う。8節以下ヨセフを知らないエジプトの王が登場し、イスラエルの民に対して苛酷な態度を取り、また15節以下にはイスラエルの民の新生児のうち男児を皆殺しにするよう助産士に命じる残忍な王の姿が記されている。このような王のもと、イスラエルの民はどうなって行ったのか。今日の御言葉で何度も繰り返されているのは、「数を増し」、「強くなった」といった言葉である。説教題に掲げたように、エジプト王の虐待にも関わらず、彼らは何故か数を増し強くなって行ったのである。ここにこそ、出エジプト記がその舞台である時代を越えて、いつの時代にもイスラエルの人々や私たちに語りかけている励ましのメッセージがあると示される。
8節に「そのころ、ヨセフのことを知らない新しい王がエジプトを支配し」とあり、昔からこの王とは誰のことかと研究されてきた。この王以前の、ヨセフのことを知っている王とは、イスラエルの人々と血筋を同じくするヒクソスと呼ばれる民族が立てた外来王朝だということが、ほぼ定説になっているようである。その後に起こったヨセフを知らない王とはどのような王朝かについては、今なお定説がない。ちなみに、列王記(上)の6章1節に、「ソロモン王が神殿の建築に着手したのは、イスラエル人がエジプトの地を出てから480年目」という記述があり、これをもとに計算すると、ほぼ紀元前1440年頃となるとのこと。これについては、私は次のように感じる。出エジプト記を書いた人(たち)は、この王の名前を書こうと思えば書けたはずであった。しかし、敢えて具体的な名前を書かなかったのは、そこに、或る意図があったからではなかろうか。それは、このような王は、出エジプトの時代だけではなく、いつの時代にも登場する普遍的な存在なのだと読者に告げたかったのであろう。いつの時代にも、イスラエルの民はこのような王に対峙しなければならなかった。しかし、王の虐待にも関わらず、彼らは数を増して強くなって行ける民なのであった。そこに読者である私たちは、大いなる励ましをいただくのである。
5節に、「ヤコブの腰から出た子、孫の数は全部で70人」とある。イスラエルの人々にとって70という数字は象徴的な数字である。完全数や全世界の人々を現す数字である。民族・血筋は違っても、信仰においてイスラエルにつながる者は皆、ヤコブの子孫・孫である。いつの時代、どこに於いてもエジプト王は登場し、ヤコブの孫たちである信仰者を苦しめるのである。それにも関わらず信仰者は数を増し強くなって行ける民なのである。このようなメッセージを、出エジプト記は読者に伝えようとしたのである。
2.さて、そこで、エジプトの王とはどのような存在かということを見て行きたい。8節で、その王は、まず「ヨセフを知らない王」として語られている。その文字通りの意味以外に、私はもっと深い意味があるように感じる。「ヨセフを知らない」とは、『ヨセフという存在が示す在り方』を知らないという意味だと思う。それはそういうものであろうか。創世記のヨセフ物語を思い起こしたい。端的には、創世記50章20節で、ヨセフが兄たちに語った言葉がいみじくも現している。ヨセフは言った。「あなたがたはわたしに悪を企みましたが、神はそれを善に変え、多くの民の命を救うために今日のようにして下さった」と。ヨセフの兄たちだけではなく、総じて私たち人間とは、悪を企む者なのである。悪を生じさせる者なのである。この世界には私たちが生み出した悪がどんどん増し加わってゆく。
しかし、この悪をも用いて善を、命の救いを生じさせることのできるのが神様なのである。ヨセフは、この神様に信頼を置いていた。「わたしが神に代ることができましょうか」と創世記50章19節で言っている。神様に代って、自分も含めて悪を為す人間に信頼を置くことはできないのである。私たちを救うのは、悪をなす人間ではなく、善を生み出して下さる神様なのである。ヨセフとは、人間ではなく神様を信頼する存在である。
新しく起こった王とは、このようなヨセフを知らないし、知ろうともしなかった。ヨセフのこのような在り方に関心を示さなかったし、むしろ嫌悪を抱いたのだった。なぜならば、王とは根源的にヨセフに示されている在り方と対立せざるを得ない存在だからである。ヨセフは、兄たちに「わたしが神に代ることができましょうか」と言ったが、王とは、言わば「私が神」という存在ではなかろうか。常に本質的に、神様になり代ろうとする者なのではないであろうか。そして自分以外のものが神様になろうとすることを嫌う存在ではなかろうか。
こうして、王は自分が支配する王国を作ろうとすした。王にとっては、国が一番大切である。国を維持するためには他のものは犠牲にする。そんな王の思いが、9節・10節の王の言葉によく現われている。「一度戦争が・・・取るかもしれない」と。彼にとっての最大の関心は「国」の維持なのである。国の維持のために常に考えるのは敵のことであり、戦争なのである。国の民には常に自分を頼らせ、神様だと思わせ、この国を維持するためには、常に敵のことを考え戦争を心配する。これが、いつの時代にも王・或いは、権力もった者の本質であることがよく現われているように思う。
3.これまでは王という存在をもっぱら私たち信仰者の外にいる、文字通りの意味での国を支配する存在として考えてきたが、実は私たち信仰者のなかにも王たる者がいるのではないかと感じさせられる。他の誰でもなく私たち自身が、自らに対して王であろうとしている。自分に対して王として振舞い、その人生を王国として守ろうとしている。だから常に、王国にとっての脅威となる敵が現われて来ないかと、戦々恐々としているのである。
先週の聖書研究祈祷会で、次のようなエレミヤ書の御言葉をいただいた。バビロニア王様ネブカデネザルがユダ王国を責めて、紀元前の598年に第一回目に捕虜とされる出来事が起きた。その直後にユダ王国の最後の王となったゼデキヤ王は、預言者エレミヤに使者を送って、神様の御心を聞いた。言うまでもなく、ゼデキヤ王は祖国がこのまま安泰で、ネブカデネザルが再び攻めて来ないことを願っていた。これに対して、エレミヤを通して神様は、その願いとは正反対の、真に厳しい祖国の未来を告げた。悲惨な戦争と王国の滅亡を告げた。しかし、告げたのはただそれだけではなかったのだった。このような未来が起きるけれども、そこに「命の道がある」と神様は言われた。死の道・滅びの道しかないように見える状況下、生きる道がちゃんと用意されていると言われた。では、その命の道とは何か、死の道と生きる道を分けるものは何か。それは驚くべきことに、都を(即ち王国を)死守しようとして留まる者は死に、バビロニアに降伏する者は生き残るという御言葉だったのである。
私たちにとって、王国やその都を守るとはどのようなことか、それぞれ思い当たることがある。突き詰めれば、先ほど示されたように、自分が主人公となって人生の王であり続けようとすることなのである。王国の維持を第一に考えると、いろいろな敵が気になり戦争が心配になる。そんな私たちには、神様は「滅ぼす方」としてのみ現われてくる。死の道しか見えてこない。だから、神様は「王であろうとしてはいけない」と言われるのである。「王国を捨てなさい、起ころうとしている出来事に降伏しなさい、身を委ねなさい。そうすれば、生きる道が見つかるのだ」と。王と信仰者の対峙という出エジプト記が指し示す主題は、文字通りの国家・王と私たちという関係だけではなく、実は私たち自身の内側にも当てはまることだと教えられる。
4.さて、王がこのようなものだからこそ、ヨセフの末裔であるイスラエル人を、また、信仰の上でヤコブの70人の孫である私たちを、「抜かりなく取り扱いこれ以上の増加を食い止め」、重労働を課して虐待し、生まれる子供を殺してまでも根絶やしにしたいと考えたのである。しかし、それにもかかわらず、イスラエルの民は数を増し強くなって行ったのであった。
なぜ、イスラエルの民は数を増し強くなっていったのか。それは、ヤコブの孫の70人であり、いま示されたようなヨセフ的な在り方を生きようとする信仰の民は、根源的に数を増し強い性質をもっているということなのである。何処が強かったのか。何が数を増すようにさせたのか。
それは、先ほど思い起こしたヨセフの在り方、また、エレミヤを通しての神様の言葉によくよく現われているのである。兄たちの悪に対してヨセフが自分を王として戦いを仕掛けたとすれば、どうであろうか。確かに、エジプトで大臣となっていたヨセフには、兄たちを容易く殺すことができたであろう。しかし、そこから生じるのは、長く続く戦いの連鎖である。長い目で見れば、恐らくそれは、エジプトの国にあってヨセフの子孫たちを衰退させていくこととして作用したであろう。バビロニアによって滅ぼされたイスラエル人が、何処までも王としての意識を引きずって行けば、どうなったであろうか。国を滅ぼした神様、またバビロニアへの憎しみが燃え盛り、祖国の滅亡という事態を受容できず、バビロニアへの恨みによって自滅していったに違いないのである。
私は2週間ほど前から『キリスト教とローマ帝国-小さなメシア運動が帝国に広がった理由(ロドニー・スターク著)』という本を読んでいる。この本を知ったのは、FVI『声なき者の友の輪』という団体の2年ほど前の総会で、主宰者である神田英輔先生から紹介をされたのがきっかけであった。昨年秋頃、日本語に翻訳されて出版されていたので、買い求めた読みはじめた。最初はわずかな運動としてはじまったキリスト教が、なぜローマ帝国内で古くからあった神々の宗教を根絶やしにしてしまう程に広がって行ったのか。多様な要因を著者は挙げているが、私の心に残るのは、キリスト教の信仰そのもの―ヤコブの孫として・ヨセフを知る者であること―に、その要因があるということである。ぜひ、皆さんにも一読を勧める。例えば、こんなことが書かれている。伝統的な神々を信じる宗教には、帝国内で度々起きた災害や伝染病といった『悪』を説明し、人々員それを受容して生き延びさせるものが何もなかった。神々は人間をもてあそび、邪悪に対させるとしか思わせることができなかった。しかし、キリスト教信仰は、こうした災いをも神の良き御心のなかで受け止めさせ、それを乗り越えて生きさせる希望を、信者に与えた。結果的には、それがクリスチャンの平均寿命を延ばし、徐々に多数を占めるようになった、と言うのである。
これはまさに、エジプト王の虐待にもかかわらず数を増し強くなって行ったイスラエル人そのものの姿ではないであろうか。突き詰めれば、それは人ではなく神様を信じるという信仰ゆえなのである。それが典型的に現われているのは、王の命令に反して、生まれたイスラエル人の男児を殺さなかった二人の助産士の姿である。彼女らは「神を畏れていた」とある。王ではなく神様を畏れていたのであった。そのことが、彼女たちをして、このような状況のなかで如何に生きるべきかを迷うことなく選択させたのだった。王を畏れるのではなく神様を畏れることが、彼女たちに命への道を選択させたのである。いつの時代にも、私たちを敵視する王がいるのであるが、神様を畏れる私たちは、それにもかかわらず、数を増し強くなっていけるのである。
筑波学園教会牧師 福島 純雄
2015年 2月22日 受難節第1主日礼拝
03:01では、ユダヤ人の優れた点は何か。割礼の利益は何か。 03:02それはあらゆる面からいろいろ指摘できます。まず、彼らは神の言葉をゆだねられたのです。 03:03それはいったいどういうことか。彼らの中に不誠実な者たちがいたにせよ、その不誠実のせいで、神の誠実が無にされるとでもいうのですか。 03:04決してそうではない。人はすべて偽り者であるとしても、神は真実な方であるとすべきです。「あなたは、言葉を述べるとき、正しいとされ、裁きを受けるとき、勝利を得られる」と書いてあるとおりです。 03:05しかし、わたしたちの不義が神の義を明らかにするとしたら、それに対して何と言うべきでしょう。人間の論法に従って言いますが、怒りを発する神は正しくないのですか。 03:06決してそうではない。もしそうだとしたら、どうして神は世をお裁きになることができましょう。 03:07またもし、わたしの偽りによって神の真実がいっそう明らかにされて、神の栄光となるのであれば、なぜ、わたしはなおも罪人として裁かれねばならないのでしょう。 03:08それに、もしそうであれば、「善が生じるために悪をしよう」とも言えるのではないでしょうか。わたしたちがこう主張していると中傷する人々がいますが、こういう者たちが罰を受けるのは当然です。
1.この聖書箇所は、これまでにも増して難解な御言葉と感じる。説教準備の際には必ず参考にさせていただくワルケンホーストの注解を読んでも、解説書であるというのに、書かれている内容が複雑でよく解からなかった。また、榊原康夫牧師の礼拝説教を読んでも、説教であるというのに、よく理解できなかった。そんな箇所なので、まずパウロがこの文章において何を言わんとしているのかを、私なりに読み解くことから始めたいと思う。
さて私は、自身のために、いつもローマ書全体の構成を俯瞰することから説教準備をはじめるのだが、1章18節から3章20節までの本論の第一部では、神様に義とされなければ私たち人間はどれほど惨めかということを、パウロは語ろうとしているのであった。神様に義とされるとは、分かりやすく言えば、私たちが神様とつながって生かさせていただくということである。パウロにとっては、それは彼自身の体験もあって、イエス・キリストと信仰的に結びつき、人格的につながることによってこそ与えられるものなのであった。だから、それがない(ギリシャ・ローマの人々を代表する)異邦人の惨めさを1章後半で語り、2章ではユダヤ人の惨めさを語ったのであった。
異邦人が神様に義とされていないとするのは良く分かるが、ユダヤ人がそうであるとするのは非常に問題のあることなのである。と言うのは、彼らには長い間、神様に義とされることとして、律法を守り割礼を受けてきた信仰の歴史があるからである。旧約聖書には、他の誰でもなく神様ご自身がイスラエルの人々に律法を与え、契約のしるしとしてアブラハム以来ずっと割礼を受けさせてきたと書かれている。そうだとすれば、その律法を守り割礼を受けることが、どうして神様によって義とされないことがあるのか。しかし、パウロは、たとえば2章24節では「あなたたちのせいで神の名は・・汚されている」とさえ、言いきるのだった。これを読んで、どれほどユダヤ人が深く傷ついたか、想像に難くない。
2.このように言いきった後で、パウロ自身にも、自問自答する声が聞こえてきたのではないかと思う。或いは、現実に目の前にそうした人がいたわけではないが、仮想の相手として反論する人が浮かんできたらしいのである。難解なのは、そうした相手の反論やそれに対するパウロからの答えという、仮想の想定問答が複雑に入り込んでいるからなのである。
まず、パウロに聞こえてきた仮想の反論は、「パウロさん、そんなふうにユダヤの人々の信仰の歴史をばっさりと切り捨てるのは、余りにも酷いのではないですか。彼らの信仰の歴史には何の意味もないのですか。彼らからクリスチャンである私たちが受けている恩恵は何もないのですか」との意見であった。また、このような声も聞こえてきたかも知れない。それは、当時のローマ教会のなかにあった『反ユダヤ主義者』というべき人々の声であった。彼らは教会の混乱を嫌う余りに、およそユダヤ的なものを自分たちの信仰からすべて排除してしまうべきだと、そんなものなど無くとも、自分たちの信仰はやっていけると主張していたらしいのである。そんな彼らにとっては、2章後半でパウロがユダヤ人をばっさりとやる姿は、我が意を得たり、拍手喝さいものであった。しかし、それはパウロの真意ではなかったのである。そこでパウロは、これまでの筆致に軌道修正を加えて、一転「ユダヤ人の優れた点」を書くこうとしたのだった。ユダヤ人の信仰の歩みがクリスチャンにもたらしている信仰の遺産について記そうとしたのだった。
3.では、そのユダヤ人の優れた点とは何であろうか。それは「あらゆる点からいろいろ指摘できる」が、まず挙げられるのは「彼らは神の言葉を委ねられた」点だと言うのである。神様の言葉を委ねられたとは、本当に色々なことが包含されている表現だと思う。旧約聖書に書かれたイスラエルの人々の信仰の歴史全体が言われているとも考えられる。私自身の心にもっとも響いたは、パウロがわざわざ「神の言葉をゆだねられた」と言っている点である。どうして彼は「神の言葉」と言ったのであろうか。
私たちがイスラエルの人々の信仰の歩みから何よりも与えられている資産とは、彼らが「言葉」において、言葉を媒介として、神という存在と出会い、それを信じ応答してきたということではないかと改めて思う。委ねられた神の言葉の核には、十戒があると言ってよいと思う。それは、とても象徴的に2枚の石の板に刻まれた『言葉』であった。十戒という言葉を授かったことで、いわゆる御利益というようなものが約束された訳ではない。そうした目に見える御利益を媒介として神様とつながったのではなく、また十戒にしたがったのではなく、根源には、ただ言葉のみがあった。言葉しか無かった。イスラエルの人々の信仰の歩みは、常に神様と言葉において結びつく信仰と、それとは反対に御利益によって結びつく信仰(たとえばバアルという神を信じる信仰)の格闘であった。
神様の言葉としての十戒を与えられるべくシナイ山に上ったモーセが、山から下りできて見ると、人々が金の子牛を神として作ってお祭りをしていたとは、本当に象徴的な場面である。金の子牛とは、言うまでもなく、豊穣の印である。言葉によって神様とつながることと正反対の信仰である。十戒という言葉によって神様と結びつく信仰をスタートさせた瞬間から、それとは正反対の御利益によって神様とつながる信仰との戦いが始まっていったのだった。
私たちクリスチャンが、こうして聖書という言葉を読み、それに耳を傾け、呼応して生きようとするのは、まさにユダヤ人の優れた点の遺産なのである。イスラムの人々も同様である。ただ一言、ここで言えば、決定的な違いもある。ユダヤ人は『石に書かれた』文字としての神の言葉に呼応する。イスラムの人々は、ムハンマドという預言者が聞いたというコーランに書かれた文字を絶対的なものとして、それに呼応する。預言者という人間なのに、彼を絶対化し、またまた、その伝えた言葉を絶対化する。そうしなかった時代もあったのだとの本を読んだこともある。しかし、今のイスラム教の趨勢は、ムハンマドやコーランを絶対的なものとみなしている。
私たちクリスチャンはどうか。私たちは神様の言葉が人となったイエス・キリストに人格的に呼応する。人格的な応答だから、そこには根源的に自由がある。人格的なつながりというものには、ペテロのような否認があり、ユダのような裏切りがある。しかし、それをも含んだつながりがある。それを、神様は良しとしてくださる。だから、クリスチャンの信仰には自由がある。自由など認められなかった時代も長くあった。しかし、長い間をかけて、自由というものを見出してきたのがクリスチャンの信仰なのである。なお、ユダヤ教やイスラム教との間に、深い溝があることは否めないが、しかし、神様と言葉によって結びつくという信仰は一緒である。ひとえにユダヤ人からいただいた遺産なのである。
4.このように語った後で、またまたパウロの心に仮想の相手からの反論が聞こえてきたらしい。それは『反ユダヤ主義者』と言うべき人々からのもので、「パウロ先生、あなたはユダヤ人をそうして持ちあげるけれども、彼らはそうやってゆだねられた神の言葉に常に刃向かったのではなかったのですか。そんな彼らを、どうして優れているなどと言えますか。また、彼らを優れているとするのは神を冒涜することではありませんか」というような反論であった。これに対するパウロからの答えが3節から4節あたりに書かれている。確かに、ユダヤ人は神様に対して不誠実であり、偽り者であった。しかし、そこから明らかになったのは、それにもかかわらず、神様は彼らに対して誠実であり真実で在られたということである。そこにもまた、ユダヤ人から私たちにもたらされた資産があるわけである。彼らの不誠実のせいで、神様の誠実さが浮き彫りになった。彼らの不義により神様の義が明らかにされた(5節前半)。
このように語って、すぐさま、またまた別の方面からの反論が聞こえてきたようなのだった。今度はユダヤ人側からの「パウロ先生、こんな風に私たちを正当に評価して下さって、まことに有難うございます。しかし、だとしたら、そのように優れているし、また神様の誠実さの相手方とされている私たちユダヤ人が、あなたの言うように、神様の怒りを買ったり、裁きを受けるというのは、おかしいではありませんか。私たちは、やはり、神様によって義とされている者なのであって、そういう私たちを異邦人と同列に扱うのは不当なのではありませんか」という反論であった。
これに対しては、パウロは、不誠実なユダヤ人に対して神様がお怒りになるのは正しいと言ったのだった。確かに、彼らの不誠実さや偽りが全く不問に附されるということはないわけだった。むしろ、神様が不誠実な彼らを、誠実に扱われるからこそ、その不誠実さの責任を問われ、真剣に怒られるということがあったのかもしれない。不誠実な相手方を、なおも関係を結ぶ相手方と扱い続けようとしたからこそ、怒りや裁きというものが生じてきた。
8節カギカッコに入れられた文章は、今日のところで唯一、明示されている仮想の相手方からの反論の言葉である。「善」とは神様の誠実さのこと、「悪」とはユダヤ人の不誠実さのことである。ユダヤ人の悪をきっかけにして、神様の善が引き出されてきた。そうであるなら、悪をすすんで行ってもいいじゃないか。自分たちが悪を続けることに何の問題もないとうそぶくユダヤ人がいたのだった。しかし、それは神様の粘り強い誠実さを悪用するものであり、居直りなのだとパウロは言っているのである。
5.以上で、パウロが言わんとしていることが、なんとか理解できたのではないかと思う。さて、私たちはこの御言葉から、どのようなメッセージを受け取ることができるであろうか。
神様に対して不誠実な私たちである。しかし、神様は、そのような私たちに、変わることなく誠実に真実に関わって、その言葉を委ねてくださっているのである。神様の言葉というのは、それが語られ私たちに委ねられるとき、決して無駄にはならない。イザヤ書55章10節以下につぎのような有名な御言葉がある。「雨も雪も、一度天から降れば、むなしく天に戻ることはない。それは大地を潤し、芽をださせ、生い茂らせ、種蒔く人には種を与え、食べる人には糧を与える。そのように、私の口から出るわたしの言葉も、むなしくはわたしのもとには戻らない。それは私ののぞむことを成し遂げ、わたしが与えた使命を必ず果たす」と。
委ねられた神様の言葉を聞き、応答して歩むとき、神様の真実な言葉は決して空しくはならない。応答する私たちにおいて、必ず私たちを潤し、芽をださせ、生い茂らせて下さる。ただの言葉だが、神様の言葉とは、そのような力を持っている。言葉を聞き、それに呼応して生きる私たちを、決して空しくはさせないのである。
筑波学園教会牧師 福島 純雄
2015年 2月15日 降誕節第8主日礼拝
14:07イエスは、招待を受けた客が上席を選ぶ様子に気づいて、彼らにたとえを話された。 14:08「婚宴に招待されたら、上席に着いてはならない。あなたよりも身分の高い人が招かれており、 14:09あなたやその人を招いた人が来て、『この方に席を譲ってください』と言うかもしれない。そのとき、あなたは恥をかいて末席に着くことになる。 14:10招待を受けたら、むしろ末席に行って座りなさい。そうすると、あなたを招いた人が来て、『さあ、もっと上席に進んでください』と言うだろう。そのときは、同席の人みんなの前で面目を施すことになる。 14:11だれでも高ぶる者は低くされ、へりくだる者は高められる。」 14:12また、イエスは招いてくれた人にも言われた。「昼食や夕食の会を催すときには、友人も、兄弟も、親類も、近所の金持ちも呼んではならない。その人たちも、あなたを招いてお返しをするかも知れないからである。 14:13宴会を催すときには、むしろ、貧しい人、体の不自由な人、足の不自由な人、目の見えない人を招きなさい。 14:14そうすれば、その人たちはお返しができないから、あなたは幸いだ。正しい者たちが復活するとき、あなたは報われる。」 14:15食事を共にしていた客の一人は、これを聞いてイエスに、「神の国で食事をする人は、なんと幸いなことでしょう」と言った。 14:16そこで、イエスは言われた。「ある人が盛大な宴会を催そうとして、大勢の人を招き、 14:17宴会の時刻になったので、僕を送り、招いておいた人々に、『もう用意ができましたから、おいでください』と言わせた。 14:18すると皆、次々に断った。最初の人は、『畑を買ったので、見に行かねばなりません。どうか、失礼させてください』と言った。 14:19ほかの人は、『牛を二頭ずつ五組買ったので、それを調べに行くところです。どうか、失礼させてください』と言った。 14:20また別の人は、『妻を迎えたばかりなので、行くことができません』と言った。 14:21僕は帰って、このことを主人に報告した。すると、家の主人は怒って、僕に言った。『急いで町の広場や路地へ出て行き、貧しい人、体の不自由な人、目の見えない人、足の不自由な人をここに連れて来なさい。』 14:22やがて、僕が、『御主人様、仰せのとおりにいたしましたが、まだ席があります』と言うと、 14:23主人は言った。『通りや小道に出て行き、無理にでも人々を連れて来て、この家をいっぱいにしてくれ。 14:24言っておくが、あの招かれた人たちの中で、わたしの食事を味わう者は一人もいない。』」
1.ルカによる福音書の13章22節から30節までには、特に有名な「狭き門から入りなさい」とのイエス様のお言葉があった。さて、私たちはこの狭き門をくぐって、一体どのようなところへ招き入れられていくのか。それは13章29節に「神の国で宴会の席に着く」とあるように、神の国へと招き入れられるのである。その神の国を、この29節でも、結婚式の披露宴や盛大な宴会にイエス様はたとえられた。ここでいう神の国とは、私たちが死んでから行くとされる、いわゆる『天国』のことではない。もともとの言葉の意味は『神の支配』ということで、私たちが日常の生活をしながらも神様と結びついて生きることができる状態を意味している。イエス様は神の国の様子を、あたかも結婚式の披露宴や盛大な宴会に招かれているときの様だと教えておられるのである。
死んでから行く天国ではなく、今この日常の生活の中に喜びが一杯の披露宴や宴会が備えられていて、私たちクリスチャンはそこに招きを受けている者なのである。私たちはそういう喜びを味わうことができているであろうか。私は、姉の一人娘(私の姪)が結婚することになり、その披露宴に家族そろって出席をしてきた。久しぶりの結婚式の披露宴、それも姪の披露宴ということで、出かける前からとても楽しみで、わくわくしていた。当日は病院に入院している父を介護タクシーを頼んで連れだして介護していた。久しぶりに家族皆がそろって、思い出深い一日を過ごし、このまま郡山に留まりたいとさえ思った。
特別な披露宴や宴会がこのように楽しいものであるのは、イエス様の時代にこそそうだったのであろう。厳しい日常のなかにやっと訪れた晴れの時、そういう時に、神様と結びついて生きる時を、イエス様はたとえられた。まず私が感じたことは、「私たちクリスチャンがそういう喜びの時を見出すことができている者なのか?」ということである。
今日の聖書箇所の注解として、バークレーがこんなことを書いている。「この箇所を終えるにあたって、次の点にご注目いただきたい。すなわち、(14章)1節から24節までは、すべて会食や祝宴に関するものである。イエスが神の国に関することを宴会という形で考えていたと言う事実は、すこぶる重要なことである。神の国の象徴は人間生活で一番楽しいことであった。自分自身を楽しませることを恐れているクリスチャンにとっては、確かにこれは、決定的なけん責である(その後、幾人かの人々があげられて、彼らがクリスチャンから喜び奪い、喜びを敵視したことが紹介されている)。・・・われわれは、イエスがクリスチャンから自分の王国を宴会に譬えて考えていたことなどを常に想起しなければならない。陰気なクリスチャンはその名に矛盾する。・・・けだし、 クリスチャンは永久に今年に坐している人に似ているからである」と。
先日、茨城地区の委員会が開催された。その席で信徒の委員―その方は教区内の様々な教会や集会に、立場上、出席されることがおおいようである―が、こんなことを言われた。「どこの教会に行っても、牧師先生とお会いしても、とにかく元気がない。聞くのは嫌な話ばかりである」と。このような私たちに、神の国に招かれる喜びを発見する秘訣のようなものを教えて下さるのが今日のイエス様のお言葉である。
2.さて、16節以下には、折角の盛大な宴会への招きを断ってしまった3人の人々が描かれている。私たちはそこに、クリスチャンでありながらも、神の国への招きを断り、喜びを失ってしまっている自分自身の姿を見ることができるのではないか。最初の人は「畑を買ったので見に行かねばならない」と言った。2番目の人は「牛を買ったので」、最後の人は「妻を迎えたばかりなので」と言った。皆に共通するのは、畑を「買い」、牛を「買い」、妻を「迎えに」と、いま以上のものを多く手に入れたことによる「ねばならぬ」に縛られていると言う点ではないだろうか。皆が、より多くを持とうとしているのである。それゆえの人間関係、また仕事上の間柄に縛られ、そこからの「ねばならぬ」という重圧に圧迫されているのである。
教会こそが神の国の祝宴が開かれているところであり、牧師こそ、その喜びに浸っている筈の存在である。しかし、より多くのものを手に入れようとしなければならないという思いからの『ねばならぬ』に、元気を失っているのである。私は来年で、牧師として30年になる。いま行ったような重圧からは随分と自由になっている筈だと思っている。しかし年度末になると、教勢のことや牧会上のことで、誰が言うのでもないのに、『ねばならぬ』という重圧を自分で自分に課してしまうことが、なおある。
皆さんがたをしても、神の国への招きを断らせ、その門をくぐることを出来なくさせているのも、同じ理由ではないのだろうか。とにかく、より多くのものを手に入れねばならない、との思いに駆られているのである。そこからの『ねばならぬ』にとわられているのである。今の時代社会に生きている限り、私たちはこうした家族関係・社会的な関係のなかに置かれざるを得ないのではないだろうか。こうした関係を断ち切って神の国への招きを受けるということは、残念ながら、私たちには不可能なのである。
3.それでは、このような私たちは、如何にして神の国への招きを受け容れることができるのか。その事の秘訣を教えて下さっているのが、今日の御言葉ではないだろうか。「貧しい人・・・招きなさい、連れて来なさい」とある。ここでイエス様が言われているのは、貧しい人・・・たちは、神の国への招きを受け容れた、ということである。私たちはこのことからとても大切な点を学ぶことができると感じる。
まず思うのは、貧しい人・・・たちと、神の国の祝宴への招きを断った人々との違いは何処にあるかと言う点である。今でこそ、こうした障害を抱えた人々であっても、普通に商売をし、結婚をされる。今から2000年前の時代には、ここにあげられた人々が畑や牛を買ったり結婚するというのは、とても困難なことではなかったか。そうであるがゆえに、彼らは、先ほど示されたような、『もっと多くを・・ねばならぬ』という重圧からは逆に自由だったであろう。また、たとえ畑や牛を買えたとしても、妻を迎えたとしても、彼らはそうした家族や商売上の間柄によってはどうしても満たされ得ない欠けや障害というものを抱えていた。だからこそ、神様からの招きを喜んで受けることができたのであろう。神様からの招きだけが、彼らに喜びを与えたのであろう。
私たちは今の時代社会に生きている者として、『もっと多くを・ねばならぬ』という関係から自由にはなれない存在かも知れない。しかし、そういう私たちに、この御言葉が語りかけているのは、「そのように『もっと多くを・ねばならぬ』との重圧を抱えて歩む向うに、一体、よろこびがあるのだろうか」ということである。むしろ、ここにあげられているような、貧しい人・・・になったときにこそ、逆説的であるが、私たちは初めてそうした重圧から解き放たれて、喜んで神の国の祝宴の招きを受け容れるのではないか、その喜びを見いだすことができる時がやってくるのではないか、ということである。私たちは、無理やり自分自身を、貧しい人・・・という境遇に追いやることはできない。意に反してそういう状態に置かれたときにこそ、神の国の祝宴へのお招きがはっきりと見えてくるのではないだろうか。
4.もう一点、感じさせられることがある。貧しい人・・・が、神の国への招きを受け容れた。神の国の祝宴は、このような人々が列席しているのであろう。だとすれば、このお招きをなかなか受けいれることのできない私たちは、この貧しい人・・・と友達になり、彼らとつながって、言わば、彼らの友人となることを通して、お招きを受け容れ、神の国にいたる狭き門を見出すことができるのではないか。
私は姪の結婚式で、ずっと車椅子に乗った父の世話を、たった一日しただけで格好の良いことを言うなとお叱りを受けるかも知れないが、何かそういうことが、とても名残惜しい気がした。離れ難い思いがした。それは、認知症がひどくなり、まさしくここにあげられているような状態になってしまった父と関わることのなかに、私は神の国の祝宴で過ごす喜びを見いだしたのではないかと思うのである。そういう父との関わりは、『もっと多くを』ということとは、まるで正反対の営みである。畑を買い、牛を買い、初々しい妻をめとることとは対照的である。しかし、父のような人こそが神の国へと迎え入れられているのであり、だからこそ、私たちはその人々と関わることでその喜びに招き入れられることができる。『もっと多くを・ねばならぬ』という社会のなかで、生きていかねばならない私たちが、神の国の祝宴に招かれる秘訣が、ここにある。
姪の結婚式の朝、父が、いまお世話になっている病院へ、母と一緒に行った。母には全く初めての病院なのに、私が場所も聞かずにどんどん進んでいけることを、母は不思議がっていた。なぜ、私は病院を良く知っていたか。そこには、私がずっと関わりを持ってきた今泉善吾という方が長く入院をしていて、私は月に一度必ずお見舞いに来ていたからであった。そんな病院に父がお世話になり、今こうしてやってきていることに、大切なものを感じた。長い間お見舞いをしてきた積み重ねが、今しっかりと神様によって支持されているのだとの感覚である。間違っていなかったのだ、との感覚であった。つくばにやってきて、郡山に居たときに与えられていた障害をもった方々とのつながりが無くなってしまったことが、とても寂しかった。しかし、丸4年経って、また徐々に、そうしたつながりが与えられてきたように思う。そうした方々とのつながりこそが、まさに神の国の祝宴への招きを受けることであり、その喜びなのである。
5.最後に、神の国の特徴についてイエス様が語られている言葉に触れて、説教を終わりたい。12節以下で、イエス様は、なぜ貧しい人・・・を招くかということについて、彼らはお返しができないからだと言っていた。また、7節以下のたとえ話の最後には、神の国では「高ぶる者は低くされ、へりくだる者は高められる」ところだと書かれている。神の国の喜びは、お返しを出来ない方々と関わる喜びなのではないか。お返しや報酬を求めるこの社会のなかにあって、お返しがない関わりで生かされる喜びなのである。また、神の国では一切自分を高ぶらせる必要がない。高ぶろうとする思いにいつも駆られている私たちが、そこから自由になれる素晴らしい国である。神の国に招かれている喜びを思う。
筑波学園教会牧師 福島 純雄
2015年 2月8日 降誕節第7主日礼拝
50:15ヨセフの兄弟たちは、父が死んでしまったので、ヨセフがことによると自分たちをまだ恨み、昔ヨセフにしたすべての悪に仕返しをするのではないかと思った。 50:16そこで、人を介してヨセフに言った。「お父さんは亡くなる前に、こう言っていました。 50:17『お前たちはヨセフにこう言いなさい。確かに、兄たちはお前に悪いことをしたが、どうか兄たちの咎と罪を赦してやってほしい。』お願いです。どうか、あなたの父の神に仕える僕たちの咎を赦してください。」これを聞いて、ヨセフは涙を流した。 50:18やがて、兄たち自身もやって来て、ヨセフの前にひれ伏して、「このとおり、私どもはあなたの僕です」と言うと、 50:19ヨセフは兄たちに言った。「恐れることはありません。わたしが神に代わることができましょうか。 50:20あなたがたはわたしに悪をたくらみましたが、神はそれを善に変え、多くの民の命を救うために、今日のようにしてくださったのです。 50:21どうか恐れないでください。このわたしが、あなたたちとあなたたちの子供を養いましょう。」ヨセフはこのように、兄たちを慰め、優しく語りかけた。
1.創世記も、いよいよ最後の章に入った。次回からは、出エジプト記へと読み進んでいきたいと考えている。
さて、個人的なことだが、私は今日与えられた御言葉について、深い思い出がある。2011年の3月11日(金)に大震災が起こり、二日後の主日礼拝で与えられたのは今日の御言葉ではなかったが、その後、つぎつぎと原発事故が起こり、長女と次女を新潟の長男のもとへと避難させ、襲い来る不安のなかで、住めなくなった牧師館の書斎の代りとして急遽しつらえた会堂の2階で、説教の準備をしたのが今日の御言葉だった。その3月20日の礼拝後には、私たちの送別会が行われ、また22日にはつくばへの引っ越しが何とかできることとなり、実質的に郡山で過ごす最後の主日に語ったのが、この箇所だった。
そのときに、何よりも私を励まし、また震災後の恐れの中にあった信徒の方々に届いたのが20節の御言葉だった。「あなたがたはわたしに・・・今日のようにして下さったのです。」私は、地震や津波に、被造物である自然が為した悪というものを見出した。神様がそれを為されたのではなく、あくまで被造物たる自然がその自律の活動として行った悪が、地震であり津波なのだと示された。そして、その後に続いた原発事故に、人間の悪を見出した。そのような悪が、まさに津波のように襲いかかって来た。しかし、神様はその悪を善に変え、いつか私達の命を救う者にしてくださると語りかけられたのである。
あれから丸4年が経って、私たちは今また、全世界で吹き出している残虐な人間の悪に直面している。私達は、この世界が一体どういう方向へ向かおうとしているのか、暗澹たる気持ちにさせられている。そのような私達に、今日の御言葉は、4年前と同じように、またヨセフが兄たちを慰め、優しく語りかけたように、励ましを語りかけて下さる。神様は、この人間の悪を善に変え、私たちの命を救うものとして下さるのだと。私たちの作り出す悪は神様の作られる善に勝つことはできず、私たちは救われていくのだと。「あなたがたは悪を企みましたが、神はそれを善に変え」とは、創世記だけではなく、旧約聖書と新約聖書全体を通しての、福音のエッセンスではないかと改めて思わされる。
けれども、私たちは問いを抱く。では、悪を善に変えて下さる神様の力はどこに現われているのかと。そのような神様の力は本当にあるのだろうかと。このような問いに少しでも答えることのできるメッセージであればと願いたい。
2.さて、読んでいただいた15節。48章では臨終に際して、ヤコブがヨセフと二人の子供たちを祝福したことを教えられた。そのヤコブが死んで、この50章の初めからは、その葬儀や埋葬の様子が記されている。父が死んで、兄たちは15節にあるような心配をした。弟ヨセフが自分たちを恨み、仕返しをするのではないかと。そこで先ず、使いを送り、父の残した言葉を伝え、どうか罪とがを赦して欲しいと懇願したのだった。
これを聞いて、ヨセフは涙を流したと、17節最後にある。なぜ彼は涙を流したのか。45章あったように、かつて兄たちに身分を明かして和解をしたときに、ヨセフは繰り返し「悔やんだり責め合ったりする必要はありません。命を救うために私をここに使わしたのは神なのです」と言って、兄たちと和解したのだった。それから兄たちと父をエジプトへ呼び寄せてから少なくとも17年、一度たりともヨセフが兄たちに仕返しをしようという素振りを見せたことなどなかった。それなのに、父が死ぬと、仕返しを恐れた兄たちを見て、何と情けないことかと思った涙なのかも知れない。しかし、私が思うのは、兄たちがこんなにも、かつて自分たちがしたことの悪・罪とがに苦しみ恐れている姿を、本当に不憫に思ったのではないかということである。兄たちがヨセフを殺そうとした17歳のときから正確に何年経っているのかはわからないが、少なくともヨセフは60歳を超えていた筈である(大臣になったのが30歳のとき、それから7年の豊作と7年の飢饉、そして父が呼び寄せられてからの17年を足すと61歳ということになる)。あれから50年近い年月が経っていた。それでも犯された悪は兄たちを悩まし続けていた。赦しを求めて呻いていた。私は、ここにこそ、私たち人間の姿があると感じるのである。
「私は、そのような悪や罪とがを犯したことなど無い」と言われるかも知れない。しかし、過去を振り返ったとき、今の自分であれば決してあんなことはしなかった、あんなことは言わなかったと後悔や自責の念にとらわれることがあるであろう。先日、当教会で茨城地区の教師会があり、わたしが発題者として、これまでの30年近い牧会生活についての証しをした。本当にそういう後悔や自責の念にとらわれることの多い歩みであった。それもまた、広い意味では、罪でありとがではないであろうか。負い目であり、過去の負債ではないであろうか。そして、私たちの現在は、その負い目や負債、罪とがによって縛られているのである。夫婦の間柄や子供との関係において、また仕事への取り組み方について、もう一度やり直すことができたらと誰もが思うのである。世界についても、たとえばパレスチナ問題の発端となったイスラエルの建国について、今日であれば絶対にあのようなやり方はしなかったであろう。『イスラム国』を生んだ元凶とされるフセイン政権を倒したイラク戦争も、今ならば、決してあのようなやり方はしなかったであろう。しかし、してしまったのである。そこには悪があり、罪とががある。そして、それが今の世界の悪の連鎖を生み出している。私たちは過去の悪に縛られる者なのである。それに苦しむ者なのである。
3.そこで、兄たちはヨセフに「赦し」を求めた。赦しというものが絶対に不可欠だと、心から思ったのであった。赦しがなければ、自分たちは安心してもう一歩も進んで行けないと思ったのだった。では、赦しとは何であろうか。主の祈りの学びで、罪の赦しとは「赦免」であり「解放」だと教えられた。私たちを縛る過去の罪とがの悪影響から私たちが解放されて、善き力の影響下に移されて、新しい歩みをして行けるようになることなのである。それは、神様だけが与えて下さることのできるものではないだろうか。人間では無理なのである。人間同士では、罪やとがに対して憎み合ったり、仕返しをし合う者なのである。善き力とは神様からのみ投入されるのである。
赦しを求めてヨセフにひれ伏し懇願する兄たちに、ヨセフははっきりと言った。「私が神に代ることはできない」と。私が赦しを投入することはできない。神がそれをなさる。私とあなたがたはとの間柄に赦しを授けることができるのは神様だと言ったのだった。
さて、この神様からの赦しの投入においてこそ、最初に掲げた問いへの答えがあると示される。神様はこうして悪を善に変える力を現される。悪が善に変わると言っても、文字通り悪が無くなる、悪そのものがいつの間にか善に代るというのではない。悪は悪のままである。地震や津波や原発事故の悪そのものが善になるのではない。殺人行為が善に変わることはできない。そうではなく、そうした悪がなされる中においても、善が神様から投入されるのである。悪の為されるところにも、必ず神様からの善きものが注がれているのである。
その有り様を私達は、ヨセフ物語でずっと読んできた。神様が悪のただ中に善を注がれる有り様は、まことにささやかなものだとしみじみ思う。悪が根絶されることはない。だから、私たちは何故と問う。いつも示されるように、それは、私たちに自由があるからなのである。突き詰めて言えば、私たちには悪を為す自由もある。神様はそれを決して奪うことはなさらない。ヨセフの兄たちがヨセフを憎み殺そうとし、奴隷として売ってしまう悪をストップされることをなさらなかった。ポティファルの妻が誘惑したためにヨセフが牢獄に繋がれたが、それもお止めにはならなかった。しかし、そのような悪のなかにも、神様の善き力の投入がある。それは、ヨセフが奴隷として売られた家で、彼の為す働きを祝福し、夢を解く力を用いて牢獄に捕らえられた者を助け、また不吉な夢を見て苦しむ王を助けることなのであった。そこにこそ、神様からの善き力の現れがあった。悪に対抗しようとなさる神様の力が現われていた。ただ、その現われはささやかである。大々的なものではない。誰の目にもぱっと見えるものではない。
4.だから、こうした神様の善き力を、悪の中に置かれても敏感に察知し、それを信じ、また応じようとしたヨセフという人間の存在が決定的に大切なのである。神様の善き力は、それを信じそれに応じようとする人間を通して、現実の中に出現してくる。これがローマ8章28節の「神は神を愛する者たち、すなわちご計画にしたがって召された者たちと共に働いて、万事を益となるようにしてくださる(54年訳)」という、有名な、また時に神学的な論争の的になった御言葉の意味するところなのである。第一に、神様の善き力、赦して下さる力がある。しかし、その力の現れは、本当にかすかである。『からし種』のようなものである。だから、それを察知し信じ応答する者を求める。共働しようとなさる。
私たちも、この神様の善き力を見出し、それに呼応して生きることが求められている。悪を善に変える神様の力は、そうした私たちの歩みを通して現われてくる。過去の様々な罪とが・負債に縛られている私たちではあるが、しかし、そこにもヨセフに現われていたような神様の善き力がなかったであろうか。善き力があってこそ、苦難はなお無くならないとしても、支えられてきたのではないだろうか。そして、与えられた苦難がこれからの救いや善きものを生み出す原動力となっているのではないであろうか。私は先日、ある方のお話をお聞きしていて、そういうことをまさに感じた。いろいろな後悔がある。家族としての罪とがのなかに縛られている。なおも困難がつきまとっている。しかし、神様の善き力の守りが確かにあった。そうでなければ、到底乗り越えて来られない困難があった。
いま与えられている光があるのだった。自分たちが為してきた悪ではなく、この神様の善き力を察知し、それに呼応して生きるのである。悪にのみ呼応すれば、余計に悪に縛られるだけなのである。そうではなく、かすかではあるけれども、善き力に気づくのである。それによって、悪を善に変える神様の力が現われてくる。このようなヨセフであったから、兄たちを慰め優しく語りかけることができた。飢饉に襲われた一家を救う者として用いられた。ここにこそ、神様のご計画があった。神様は、私達をも、このようなヨセフとして用いようとなさる。誰かを慰め励ますことのできる器として用いられる。ヨセフは辛い生涯を送って来た。兄たちの悪を身に受け苦しんできたのだった。神様と共働する者には苦難がつきものである。苦難は、しかし、いつの時にか、誰かを慰め励ますのもとなる。
筑波学園教会牧師 福島 純雄
2015年 2月1日 降誕節第6主日礼拝
14:22それからすぐ、イエスは弟子たちを強いて舟に乗せ、向こう岸へ先に行かせ、その間に群衆を解散させられた。 14:23群衆を解散させてから、祈るためにひとり山にお登りになった。夕方になっても、ただひとりそこにおられた。 14:24ところが、舟は既に陸から何スタディオンか離れており、逆風のために波に悩まされていた。 14:25夜が明けるころ、イエスは湖の上を歩いて弟子たちのところに行かれた。 14:26弟子たちは、イエスが湖上を歩いておられるのを見て、「幽霊だ」と言っておびえ、恐怖のあまり叫び声をあげた。 14:27イエスはすぐ彼らに話しかけられた。「安心しなさい。わたしだ。恐れることはない。」 14:28すると、ペトロが答えた。「主よ、あなたでしたら、わたしに命令して、水の上を歩いてそちらに行かせてください。」 14:29イエスが「来なさい」と言われたので、ペトロは舟から降りて水の上を歩き、イエスの方へ進んだ。 14:30しかし、強い風に気がついて怖くなり、沈みかけたので、「主よ、助けてください」と叫んだ。 14:31イエスはすぐに手を伸ばして捕まえ、「信仰の薄い者よ、なぜ疑ったのか」と言われた。 14:32そして、二人が舟に乗り込むと、風は静まった。 14:33舟の中にいた人たちは、「本当に、あなたは神の子です」と言ってイエスを拝んだ。
今、私たちは不安な時代に生きている。経済は低迷し、自然災害の恐れがあり、テロリズムの脅威にさらされている。世界中に原発を抱え、核の重荷に不安を覚えてもいる。鳥インフルエンザやエボラ出血熱のようなパンデミックの恐れも抱えている。世界も、また、その中の一人一人の人生も、逆境の中にいると言えるのではないかと思う。その中を人間はどう生きることができるのか。聖書はどう教えているのか。
お読みいただいた聖書個所は、主イエスの弟子たちが夜通し逆風のために舟の上で悩んだ様子を描いている。主イエスは、弟子たちを強いて舟に乗せ、向こう岸に先に行かせた。主イエスご自身は祈るためにひとり山にお登りになった。主イエスから離れた状態で、弟子たちは逆風に悩まされていた。私たちも、この主イエスの弟子たち同様、逆風に悩まされている。信仰生活は決して嵐のない生活ではない。私たちも嵐の中の弟子たちと同様なのである。弟子たちはどのようにして主イエスによる救いに入れられたのか。
「夜が明けるころ、イエスは湖の上を歩いて弟子たちのところに行かれた(25節)」とある。こういう聖書の記述を不合理として捨て去ってはならない。信仰者の生活は、試練の中にある。しかし、そこに助けに来られる主イエスと出会う生活だと語られているのである。そのとき弟子たちのところに来られたのは、主イエスの方からであることは重要である。聖書は、主イエスの方から逆境に悩む人々のところに来てくださると伝えている。主イエスとの出会いは、私たちが主のもとに赴くことではなく、主イエスが来てくださることなのである。そのように主イエスを信じることなのである。
弟子たちは、それが主イエスとは分からなかった。主イエスは私たちのところに来てくださり、嵐の中にも共にいてくださる。しかし、それが私たちには分からないのである。どうしたら分かるのであろうか。逆境に悩む私たち、不安の中にある私たち、まさに主イエスと出会わなければならないときに、主を見出せない私たちである。主イエスは「すぐ彼らに話しかけられた」とある。「安心しなさい。わたしだ。恐れることはない」。主のこの語りかけを私たちは、今朝も、聞かなくてはならないであろう。主イエスの方から私たちのところに来てくださっていることは、主の語りかける言葉によって分かるというのである。御言葉を聞くことである。御言葉を聞いて、主イエス・キリストが私たちのすぐ近くに来てくださり、私たちと共にいてくださることに気づかせていただくこと。それが信仰であり、教会の礼拝生活なのである。
主イエス・キリストが来られ、嵐の中に共にいて、助けてくださる。御言葉を聞いて、主イエスの臨在を信じ、主が共にいてくださるのを経験する。それが礼拝の恵みである。御言葉を聞くことが、重要な鍵である。御言葉を聞きながら、「現在のキリスト」を信じる。「安心しなさい。わたしだ。恐れることはない(27節)」。今朝も主イエスはこの言葉を語りかけてくださっている。この御言葉を聞いて、主イエスが来てくださり、いま共にいてくださると信じる。それが主イエスとの出会いである。主イエスとの出会いはどんな逆境の中でも起こる。主が共にいてくだされば、たとえ嵐が荒れ狂っていても、主に繋がる分だけ嵐から自由になることができる。それが教会の礼拝生活ではないだろうか。
今朝の聖書個所には後半がある。主イエスが来てくださったことで、ペトロは変えられた。逆風に荒れ狂う波間に足を踏み出す勇気を与えられた。聖書は、水の上を歩こうとするペトロを描いている。「主よ、あなたでしたら、わたしに命令して、水の上を歩いてそちらに行かせてください(28節)」。また不合理なことが記されていると思われるかもしれないが、聖書は主イエスが「来なさい」と言われたと伝えている。水の上を歩いていくという不可能を申し出たペトロを、主イエスはお止にならなかった。むしろ「来なさい」とお呼びになった。そしてペトロが溺れかけたのは「信仰が薄くて、疑ったからだ」と言うのである。
ここにはマタイ福音書が語る「猛烈な信仰」がある。マタイによる福音書は、他の箇所で「からし種一粒ほどの信仰があれば、この山に向かってここからあそこへ移れと命じても、そのとおりになる。あなたがたにできないことは何もない(17・20)」と記している。あるいは「この山に向かい、立ち上がって海に飛び込めと言っても、そのとおりになる。信じて祈るならば、求めるものは何でも得られる(21・21)」とも記している。「水の上をあるいてそちらに行かせてください。来なさい」。それは主イエスを信頼して歩むことで、主イエスと共に大きな経験をすると言うことであろう。「信仰者よ、水の上を歩め」と言うのである。
ペトロは自分の限界を越えて、水の上に踏み出した。しかし信仰が薄く、溺れかけた。ペトロは山をも動かし、できないことは何もないという猛烈な信仰を生きることはできなかった。「信仰の薄い者よ」と言われる通りである。
ペトロの信仰は、なぜ薄い信仰だったのか。「強い風に気がついて怖くなった」。薄い信仰は、主イエスを信頼しきれない。主イエス以外のものの怖さに怯えてしまう。「全能の神」(almighty God)を聖書は伝えている。神の偉大な力を破ることのできるものは何一つない。しかし、私たち自身はそのことを信じ抜けず、かえって自分自身の無力感に捉えられてしまう。信仰には、神の偉大な力を信じて自分を忘れるところがあって、ふと気がついてみたら深淵を越えていたということがある。弱い自分を忘れて、水の上に踏み出す。それは神の力をみくびらないことである。教会の伝道にもそういうところがある。後から振り返って、越えてきた深淵の大きさに驚かされる。それが教会の歩みではないだろうか。
しかし自分が無力であることをなかなか忘れられない。自分にできないことは、なんとしてもできないという思いが、身についている。それも私たちの現実である。私たちはおおよそ信仰の英雄とはいえない。「信仰の薄い者よ」と主から言われる者たちである。私たちはみな、このときのペトロと同じだと思う。「強い風に気がついて怖くなり、沈みかけ」てしまう。「主よ、助けてください」と叫ぶ者の一人である。それではいけないのか。いけないかもしれないが、それを主イエスは受け容れてくださっている。
「すぐ手を伸ばして捕まえて」とある。主イエスに躊躇はない。「すぐ手を伸ばして」と聖書が伝えている通りである。十字架に釘づけられたその手を、私たちに主は伸ばしてくださり、私たちを捕まえてくださる。そして捕まえながら、なぜ「疑ったのか」とたしなめて下さる。今朝も主イエスは、御手を伸ばして、私たちを捕まえてくださっておられる。捕まえてくださりながら、「なぜ、疑ったのか」とおっしゃっておられるのではないだろうか。
私たちは、マタイ福音書が言う「山をも移す信仰の人」ではないであろう。むしろ「信仰の薄い者たち」だと思う。しかし、そういう人が教会にいてはいけないだろうか。そうではない。マタイによる福音書が、一方で山をも移す信仰を語りながら、同時に弟子の代表であるペトロが信仰の薄い人、疑う人であったと記しているのである。誰もがこのときのペトロではないだろうか。疑うときがあり、溺れる時があり、助けてくださいと叫ぶときがある。それが赦されているのが、主イエスの群である。主イエスは信仰の薄い者を赦し、疑う者を受け容れ、すぐ手を伸ばして捕まえ、私たちが弱さや疑いに打ちのめされないように声をかけてくださるのである。主の「手」は主の力を意味している。疑う人、信仰の薄い人を、嵐の中で救い出し、信仰の人へと変えてくださる。この主イエスによって捕まえられている。それが逆境の中で主イエスに出会われた人の姿である。そういう人がいるのが教会である。
そのとき、教会の中に信仰告白が生まれる。「本当に、あなたは神の子です」。これが今朝の私たちの信仰告白でもありる。主よ、あなたは逆境の中にある私たちのもとに来てくださり、御手をもって私たちを捉えてくださり、いま大水の中から引き上げてくださった。私たちも心から信仰を言い表したい。「本当に、あなたは神の子です」。この信仰は感激の信仰である。この信仰を言い表しつつ、新しい一週間を生きていきたいと思う。
東京神学大学名誉教授 近藤 勝彦 牧師
2015年 1月25日 降誕節第5主日礼拝
13:22イエスは町や村を巡って教えながら、エルサレムへ向かって進んでおられた。 13:23すると、「主よ、救われる者は少ないのでしょうか」と言う人がいた。イエスは一同に言われた。 13:24「狭い戸口から入るように努めなさい。言っておくが、入ろうとしても入れない人が多いのだ。 13:25家の主人が立ち上がって、戸を閉めてしまってからでは、あなたがたが外に立って戸をたたき、『御主人様、開けてください』と言っても、『お前たちがどこの者か知らない』という答えが返ってくるだけである。 13:26そのとき、あなたがたは、『御一緒に食べたり飲んだりしましたし、また、わたしたちの広場でお教えを受けたのです』と言いだすだろう。 13:27しかし主人は、『お前たちがどこの者か知らない。不義を行う者ども、皆わたしから立ち去れ』と言うだろう。 13:28あなたがたは、アブラハム、イサク、ヤコブやすべての預言者たちが神の国に入っているのに、自分は外に投げ出されることになり、そこで泣きわめいて歯ぎしりする。 13:29そして人々は、東から西から、また南から北から来て、神の国で宴会の席に着く。 13:30そこでは、後の人で先になる者があり、先の人で後になる者もある。」
1.今日の説教題『狭き門から入れ』は、かつて読まれていた文語文の聖書からそのまま付けさせていただいた。『狭き門』とお聞きになって ― ちょうど今、そのシーズンです。 ― 入試や受験を思い起こされる方もあろう。私自身は、かつて高校生の頃、何度か読んだことのあるアンドレ・ジッドの同名の小説を思いだす。詳しい内容はもう忘れてしったが、主人公のアリサという女性が恋人への思いを断ち切って、修道院へと入って行くという結末が、何度読んでも不可解で理解できなかったとの記憶だけは鮮明に残っている。『狭き門から入れ』とのイエス様のお言葉は、伝統的に、ジッドの小説に代表されるように理解されてきたということなのであろう。
しかし、私としては決してあまのじゃくということではなくて、「果たしてそうなんだろうか」と思うのである。狭き門とは、私たちがアリサのように人間としての自然な感情を押し殺し、犠牲にして、ぎりぎりと歯を食いしばり、『努め』て入って行かなければならならないものなのであろうか。もしそうだとしたら、誰よりも先ず、私が真っ先に入って行くことができないだろうし、入りたいとも思わない。それが、若き頃にこの小説に抱いた疑問であり違和感に他ならなかったし、あれから40年経った今でも、その思いは何ら変わりがない。
2.少し前からの流れというものに着目をしてみたい。13章1節から9節までには、いわゆる平行箇所(他の福音書に書かれた同じような御言葉のこと)がない。ルカだけが伝え聞き、この福音書に書いた部分である。10節から17節までも同じものである。そうしたエピソードを記した後に、18節から21節までの有名な「からし種とパン種のたとえ」を、他の福音書とは全く違う文脈に置いて、さらに今日の御言葉 ― これは内容的にはかなり違うが、平行箇所としては、マタイ福音書のいわゆる山上の説教という大枠のなかに収められている ― を続けた。こうしたルカ独自の配置のなかに、彼が読者に伝えたいイエス様のお心というものが滲み出ていると感じる。
直前に置かれた10節以下、或いは、18節以下の御言葉を読んで、全体として、先ほどから言われているような『狭さ』といものが感じられるであろうか。10節以下では、18年間病の霊にとりつかれて腰が曲がったままで苦しんでいた女性が、イエス様によって癒していただいた出来事が書かれている。この人がイエス様によって癒されたことこそが、門から入って神の国に招き入れられたということであろう。23節の、或る人からのイエス様への質問の言葉からいえば、「救われる」ということであろう。では、この女性が神の国へと招きいれられることにおいて、イエス様は彼女に何か『狭さ』を課したであろうか。彼女にとって、救われることは文字どおりの意味での『狭き門』だっただろうか。私は、何らそうではなかったと思う。
18節以下のたとえ話では、門を通して招き入れる神の国とは、神様の支配は、からし種やパン種にたとええられている。それは、私たちの近くに蒔かれたら、知らず知らずのうちに大木になり、私たちをして、鳥が巣をつくるように、そこに宿らせて下さるとあります。鳥が巣を作って、神の国たるからしの木に安らぐのに、狭き門が設けられているであろうか。アリサがしたようなことが課されているであろうか。そうではない。文脈からすれば、神の国に招きいれられることには、むしろ狭さとは正反対の、広々としたものが伴なっていると感じられる。
3.こうした流れをわざわざ作って、ルカは23節で、或る人がイエス様に「救われる人は少ないのでしょうか」との問いを投げかける場面を記した。今までは、どうしてこのようなつながりになっているのか、良く解からなかった。唐突に、何処の誰とも解らない人から、どういう意図によるのかも定かではない質問が為されている。しかし、今回改めて、先ほど述べたような文脈から推察して、この質問がどういう立場の人からどういう思いでなされたのかが解ってきた。
10節以下のエピソードから伝わってくるのは、素直に読めば「救われる人(救われると言う事柄)の広さや多さ」である。安息日も守らないイエス様によって、おそらく周りの人々からは重い罪の結果として18年間も病気になったと見なされていた女性が癒されていく。そこには、この質問をした人 ― そして、その背後には17節にある『反対者』達がいた ― おそらくファリサイ人や律法学者と呼ばれる人々には、到底受け容れることのできない『広さ』や『多さ』が、それにはある。そんなことでは、救われる者が余りに多くなるだろう。自分たちのように律法を守る者だけが救われるという『少なさ』『狭さ』が、何処かに行ってしまうではないか。だから、この人は、イエス様に「救われる者はもっと限定されるべきではないですか」と聞いたのだと思う。
質問をした者は「狭さ」を主張してきた。だからイエス様もそれに応じるために「狭さ」を口にされた。そういう問答がこれまでにもあった。13章1節以下の御言葉もそうであった。イエス様がなぜ「滅びる」ことを口にされたか。それは、ある人たちがイエス様のもとにやってきて、事故や事件で死んだ人々は彼らが犯した罪への神様からの裁きとして滅ぼされたのかと聞いてきたから、それに応じるために、イエス様もまた「滅び」を口にされたのだった。
4.同じように、今日の御言葉でも、相手方との問答のなかで「狭い戸口から入れ」と言われたのである。「君たちは、神の国に入るのにそういう狭さが必要だと思っているのか。よろしい、それならば君たちの言う狭さから入るように努力したまえ。しかし、入ろうとしても入ることは難しいだろう。神があなたがたを入らせて下さるか、わからないのだ」。これが、イエス様の言わんとすることではなかったかと思う。
家の主人たる神様が、この質問をした人を含むイエス様の反対者たちに対し、どういう態度を取られたかが、25節以下に書かれている。主人が「お前たちなど知らない」と言ったのに対し、彼らが「ご一緒に・・・教えを受けた」と抗弁するというのは、明らかにパリサイ人や律法学者として、神殿で特別な儀式を守りそこで犠牲として捧げられた動物を食べたり、また、会堂で不断に神の言葉を学んでいた有り様を語るものであろう。それが、彼らの主張した『狭さ』であった。神様が、その国へと私たちを招き入れて下さるときに、神様が私たちに課されると彼らが信じていたところの『狭さ』である。
しかし、イエス様のお言葉によれば、神様はそんな狭さを一切お求めにはならなかった。むしろ逆に、それを為した者たちを「お前など知らない。不義を働く者ども」と言って、追い払われたのだった。彼らが主張した『狭さ』が、かえって彼らを門のなかへと入らせなかったことが活き活きと描かれている。特権だ、パスポートだと思っていたものが、かえって『狭さ』になったのだった。君たちが自分や他人に課す『狭さ』が、君たち自身が神の国に招きいれられる時の『狭さ』となるだろう。神様ご自身が決してお求めなどになっていない『狭さ』を、君たちが勝手に人に課したがゆえに、神はその『狭さ』を君たちに課されるだろうと。
5.このように、神様は私たちを神の国へとお招きになるとき『狭さ』というものを、一切課されることはない。しかし、である。今日の御言葉を読んで、そこには、逆説的な狭さというか、広いのではあるけれども、他方で何処か狭さをも持っているような不思議な『広さ・狭さ』があるのではないかと感じるのである。もしも、すべての人々にとって神様の国へ招きいれられることが魅力的に映るなら、その門は誰にでも開かれているわけであるから、「救われる人は多い」はずである。しかし、救われる人は、今の日本が典型だが、本当に少ない。なぜ少ないのかというと、パリサイ人や律法学者が言っていた狭さとは全く違うものだが、しかし、そこに根本的な狭さがある。それは、人間が勝手に作った狭さではなく、神様ご自身が設定された狭さである。救われることには、神様ご自身が設けられた、或る『狭さ』がやはりあると言わざるを得ない。
それはどのようなものか。そのことが18節から21節のたとえ話から感じさせられる。私たちを招き入れようとする神の国とは、からし種として始まる、とイエス様は言われた。からし種は本当に小さい。針の先ほどに小さい。神様は私たちをそんな風に小さい処へとお招きになる。いつかは大木になるとしても、私たちの現実の世界では、からし種ほどに小さく粗末で、かすかなものとして存在し、それが神の国への招きなのだということではなだろうか。だから、多くの人々にとっては、これは何の魅力にもならないのではないだろうか。こんな世界への招きが何になるのかと思う。そこにこそ『狭さ』がある。神様が設けられた狭さがある。躓きがあり、関門がある。
また、門の向うにある神の国では、最後の30節にあるように、「後の者が・・」という、この世の順番や価値観が逆転する門が設けられている。それもまた、招かれるときの「狭さ」になる。関門になり高い敷居になる。それを望む者には門戸は広く開けられているが、何処までもこの世の価値観が続くことを望む者には限りなく『狭い』。
先週の夜の聖書研究祈祷会で「あぁ、これが神の国なのだ、救われていることなのだなぁ」としみじみ感じた。時にしどろもどろになってしまう私のつたない聖書の話を、皆さんはよく聞いて下さり、祈りの柱にしたがってそれぞれ祈ってくださっている。その場に出席したからといって、現実の困難や問題は少しも無くならない。けれども、その小さな小さな一時のからし種のような時間は、神の国への招きなのである。『狭き門』とは、突き詰めれば、教会生活や礼拝生活への招きの門なのかも知れない。沢山の人がそこをくぐるが、なかなか続かず出ていってしまうのである。それは、教会生活や礼拝生活が『からし種』のようなものだからである。それの何処が神の国での生活なのかと思われるようなものだからである。けれども、これがいつかは必ず大木のようなものになって、私たちを憩わせて下さる時につながっているのである。
筑波学園教会牧師 福島 純雄
2015年 1月18日 降誕節第4主日礼拝
02:17ところで、あなたはユダヤ人と名乗り、律法に頼り、神を誇りとし、 02:18その御心を知り、律法によって教えられて何をなすべきかをわきまえています。 02:19-20 また、律法の中に、知識と真理が具体的に示されていると考え、盲人の案内者、闇の中にいる者の光、無知な者の導き手、未熟な者の教師であると自負しています。 02:20 02:21それならば、あなたは他人には教えながら、自分には教えないのですか。「盗むな」と説きながら、盗むのですか。 02:22「姦淫するな」と言いながら、姦淫を行うのですか。偶像を忌み嫌いながら、神殿を荒らすのですか。 02:23あなたは律法を誇りとしながら、律法を破って神を侮っている。 02:24「あなたたちのせいで、神の名は異邦人の中で汚されている」と書いてあるとおりです。 02:25あなたが受けた割礼も、律法を守ればこそ意味があり、律法を破れば、それは割礼を受けていないのと同じです。 02:26だから、割礼を受けていない者が、律法の要求を実行すれば、割礼を受けていなくても、受けた者と見なされるのではないですか。 02:27そして、体に割礼を受けていなくても律法を守る者が、あなたを裁くでしょう。あなたは律法の文字を所有し、割礼を受けていながら、律法を破っているのですから。 02:28外見上のユダヤ人がユダヤ人ではなく、また、肉に施された外見上の割礼が割礼ではありません。 02:29内面がユダヤ人である者こそユダヤ人であり、文字ではなく“霊”によって心に施された割礼こそ割礼なのです。その誉れは人からではなく、神から来るのです。
1.パリでのテロ以来、宗教的な寛容や不寛容ということが全世界の大きな関心事となっているように思う。パウロは非常に激しく、当時のユダヤ人とユダヤ教の在り方を非難していた。これを文字通りに、今日のユダヤ教の信者に浴びせかけたとしたら、それはまさにキリスト教からの宗教的な不寛容ということになるのではないか。24節で、パウロは「あなたたちのせいで神の名は汚されている」と言いきっている。また、後半の25節以下では、体に受けた割礼など何の意味もないというようなことを言っている。長い間、律法を誠実に守り、割礼を受けることの中に、真摯に神様とのきずな、すなわち義とされることを見出してきたユダヤ教の人々にとって、このパウロの言葉はどれほど心外で、心痛むものだったかと思う。
さらに、私が感じたのは、そもそも私たちキリスト教徒は、他の宗教の信者たちに対して、こんなことを言う資格があるのだろうかということだった。内村鑑三が『ロマ書の研究』という有名な講義録のなかで、こんなことを言っている。「『ユダヤ人』をキリスト信者と改め、『律法』を福音と改め、『異邦人』を不信者と改めて読む時は、大体において、それが今日のいわゆるキリスト信者を責むる語としてすこぶる適切なるを覚ゆるであろう」と。神様の名を汚し、未信者の人々を神様から遠ざけてしまってきたのは、むしろ、私たちクリスチャンの方ではなかったか。イスラム過激派もそうだが、およそ神様を信じると言う者たちこそが、神様を汚し、未信者の人々を躓かせてきたのであった。
2.そこで、次に学ぶのは、なぜパウロは、当時のユダヤ教の人々に、これほど激しい批判を投げかけなければならなかったのかという点である。背景にある事情から、パウロの激しい批判も、なるほどと理解できる部分が出てくる。
2章1節で、パウロは「すべての人を裁く人よ」と言った。1章最後までの異邦人と呼ばれる人々を想定した文章を終わって、ここからは、一体誰を相手方として手紙を書いているのかが、昔から取りざたされてきた。私は、未だはっきりとは名指しされていないが、ユダヤ教の人々を想定しているのだと考える。当時のユダヤ教の人たちが何よりも顕著に為していたのが「裁き」であった。
では、もっぱら誰を裁いていたかと言うと、長い歴史をもったユダヤ教から枝分かれしようとしていたキリスト教徒なのであった。ユダヤ教から派生したというのに、彼らは律法の行いも割礼も為そうとしなかった。西暦49年に、時の皇帝クラウディオがローマからユダヤ人を追放した出来事があった。その原因は恐らく、ローマにおけるユダヤ人と律法を守らず割礼を受けないキリスト教徒との対立と抗争なのであったろう。クラウディオが死んで、54年に、ユダヤ人たちがローマに戻ってきた。再び、対立が起こりそうになり、それが少なからぬ影響を、ローマ教会内にも及ぼしそうになった。それを悩んだローマ教会のユダヤ人たち(その代表が、プリスキラ・アキラ夫婦であった)から、相談を受けたのが、恐らく、この手紙が書かれた直接の理由だと私は捉えている。
当時のローマ教会における『宗教地図』で言えば、ユダヤ教こそがメジャーであり、ユダヤ教から枝分かれしようとしているキリスト教徒はマイノリティーなのであった。この両者の基本的立場を忘れてはいけないと思う。メジャーであるユダヤ教徒がマイノリティーであるクリスチャンに対して、「なぜ、お前たちは律法を守らないのか、割礼を受けないのか」と裁くのだった。律法を守ることや割礼を受けることのみが、神様と結びつき、神様に義とされる只一つの術だと強制してくるのである。メジャーなものが、マイノリティーに「これしかない、これが神の御心だ」と迫って行くことが宗教的不寛容なのである。これに対峙しようとするが故に、パウロの言葉も、また激しいものにならざるを得なかたのである。マイノリティーの側に立つ者ゆえの激しさである。大事なのは、メジャーの側にあるものとしての、パウロの言葉ではないと言う点である。あくまて、マイノリティーの側にある者ゆえの言葉として理解すると、許容できる部分が出てくるのである。
3.それでは、一体どういう根拠に立って、パウロは当時のユダヤ教を批判していたのか。その不寛容に対峙しようとしていたのか。そこには、かつては、誰よりも律法を守るファリサイ人であったパウロ自身の体験、神様との出合いというものが、しっかりと根底にあったのである。
神学生の時に買い求めて以来、ずっと折に触れて参考にさせていただき、今回も説教の準備の時には必ず読ませていただいているカトリック教徒ワルケンホーストという先生の『ロマ書の解釈』第1巻のあとがきに、次のような文章がある。「みことばを与えてくださる神を信じて生きることは、パリサイ人パウロの信仰生活でもあったが、ダマスコに近づいたとき、主イエズスに出合うことによって、パウロの信仰は全く新しい恵みを受けた。これは『心の割礼』と言い得るものである。パウロは、その時から、もはや律法による自分の義を立てようとはせず、キリストを信じる信仰による義を受け容れることなった、と告白している。(ピリピ3:9)・・・この体験がローマ1-4章の背景となっている」と。
パウロ自身が、かつてファリサイ人として、当時のユダヤ人の宗教世界ではメジャーな者として、マイナーな存在だったキリスト教徒に対して不寛容を振りかざし、律法の行いすなわち割礼のみが神に義とされる道だと強要し、実際に、暴力的なテロを仕掛けていた迫害者だったわけである。ダマスコという町にも、そのために行こうとしていた。その途上で、まばゆい光のなかで、イエス様に出合ったのであった。その出合いによって、神様と結びつき、義とされる上で、律法の行いや割礼はオンリーワンの道ではなく、それなくともイエス様を信じ、イエス様と言う方と人格的に結び付けていただく道があるのだと神様ご自身から示されたのである。
大切なのは、これは決して神様が律法や割礼を否定なさったということではないという点である。それまでのユダヤ人の長い信仰の歩みにおいて、律法を受け、それを守る行いをさせ、割礼を受けるという儀式を授けたのも、神様なのであった。その歩みを神様ご自身が否定なさったと理解してはならないのである。そういう誤解を避けるために、すぐ後の3章1節以下では、「割礼の利益は何か」と語っている。9章以下でも、長々と律法そのものの価値を語っている。ダマスコ途上で、これまでユダヤ人に律法の行いをさせてきた神様とは、何か『別物』の神様が、イエス様において現われたのではないのである。同じ神様が、現われたとパウロは確信していた。同じ神様が、律法の行いや割礼を否定するのではなく、しかし、それがなくとも、イエス様を信じる信仰によって、イエス様と結び付けられて義とされる術があると示して下さった。これがダマスコ途上でのパウロの、神様とイエス様との出会いの根源にあるものであった。この体験が、マイノリティーの側に立つパウロからの、メジャーなユダヤ教徒への激しい言葉の根源にある。
4.ここから、彼のユダヤ教徒への批判も、良く解るようになる。24節の「神の名は異邦人のなかで汚されている」とは、イエス様において出合った神様が、少なくとも異邦人に対しては律法の行いも割礼も強要されなかったということ、律法の行いや割礼を受けることがなくとも、神様に愛され聖なる者とされると示して下さったこと、その神様を否定し、押しのけているゆえに、「汚して」いるということなのであった。21節の「盗む」云々も、文字通り、ユダヤ教徒たちが盗みを犯しているということではなく、イエス様においてご自分を現された神様を『盗んでいる』のである。この神様を盗んで、自分たちが信じてきた神様(確かに、それもまた、神様ご自身に由来するものではあるのだが、その神様)のみを押し立てているのである。これが22節で言うところの『姦淫』である。このような神様が、お姿を現されたイエス様という『神殿を荒らし』ているのである。
29節最後の言葉は「人からではなく神から来るのです」とある。パウロが何よりもユダヤ教の人々を非難していたのは、彼らが、長い間、自分たちの行こなってきた律法の行いや割礼だけを「神からのもの」とする余りに、イエス様を通して与えられた「神からのもの」「心の割礼」を退け、否定してしまっていることなのである。その可能性を排除してしまっていることなのである。自分たちだけの信仰の在り方が絶対であり、唯一だと決めつけていることなのである。これは、神様を汚し盗むことに他ならない。
今日の御言葉を学んで、私自身が何よりも語りかけられたことは、私たち自身もまた、神様を『盗み』『汚して』いる者ではないかとの問いかけである。神様を信じている私たちこそが、実は、神様を汚し盗んでいるのではないかとの反省を迫られる。自分たちの信仰こそが、その信仰における神様への知識こそが、100%正しいとか、絶対だと思ってしまう。しかし、そうではない。神様ご自身は、ただお一人であり、絶対なるお方である。その方を信じるところの私たちの信仰や知識というものは、あくまで人間のものでしかなく、100%正しいとは言えないものである。不完全で、部分的なものなのである。反対から言えば、すべての信仰に部分的な正しさと言うものがあるのではないか。唯一、絶対なる神様を信じるがゆえに、人間の抱くすべての信仰は不完全で、また、それぞれに部分的な正しさがあることを認め合う、ここに宗教的な寛容が生まれるのであろう。
筑波学園教会牧師 福島 純雄
2015年 1月11日 降誕節第3主日礼拝
48:01これらのことの後で、ヨセフに、「お父上が御病気です」との知らせが入ったので、ヨセフは二人の息子マナセとエフライムを連れて行った。 48:02ある人がヤコブに、「御子息のヨセフさまが、ただいまお見えになりました」と知らせると、イスラエルは力を奮い起こして、寝台の上に座った。 48:03ヤコブはヨセフに言った。「全能の神がカナン地方のルズでわたしに現れて、わたしを祝福してくださったとき、 48:04こう言われた。『あなたの子孫を繁栄させ、数を増やしあなたを諸国民の群れとしよう。この土地をあなたに続く子孫に永遠の所有地として与えよう。』 48:05今、わたしがエジプトのお前のところに来る前に、エジプトの国で生まれたお前の二人の息子をわたしの子供にしたい。エフライムとマナセは、ルベンやシメオンと同じように、わたしの子となるが、 48:06その後に生まれる者はお前のものとしてよい。しかし、彼らの嗣業の土地は兄たちの名で呼ばれるであろう。 48:07わたしはパダンから帰る途中、ラケルに死なれてしまった。あれはカナン地方で、エフラトまで行くには、まだかなりの道のりがある途中でのことだった。わたしはラケルを、エフラト、つまり今のベツレヘムへ向かう道のほとりに葬った。」 48:08イスラエルは、ヨセフの息子たちを見ながら、「これは誰か」と尋ねた。 48:09ヨセフが父に、「神が、ここで授けてくださったわたしの息子です」と答えると、父は、「ここへ連れて来なさい。彼らを祝福しよう」と言った。 48:10イスラエルの目は老齢のためかすんでよく見えなかったので、ヨセフが二人の息子を父のもとに近寄らせると、父は彼らに口づけをして抱き締めた。 48:11イスラエルはヨセフに言った。「お前の顔さえ見ることができようとは思わなかったのに、なんと、神はお前の子供たちをも見させてくださった。」 48:12ヨセフは彼らを父の膝から離し、地にひれ伏して拝した。 48:13ヨセフは二人の息子のうち、エフライムを自分の右手でイスラエルの左手に向かわせ、マナセを自分の左手でイスラエルの右手に向かわせ、二人を近寄らせた。 48:14イスラエルは右手を伸ばして、弟であるエフライムの頭の上に置き、左手をマナセの頭の上に置いた。つまり、マナセが長男であるのに、彼は両手を交差して置いたのである。 48:15そして、ヨセフを祝福して言った。「わたしの先祖アブラハムとイサクがその御前に歩んだ神よ。わたしの生涯を今日まで導かれた牧者なる神よ。 48:16わたしをあらゆる苦しみから贖われた御使いよ。どうか、この子供たちの上に祝福をお与えください。どうか、わたしの名とわたしの先祖アブラハム、イサクの名が彼らによって覚えられますように。どうか、彼らがこの地上に数多く増え続けますように。」 48:17ヨセフは、父が右手をエフライムの頭の上に置いているのを見て、不満に思い、父の手を取ってエフライムの頭からマナセの頭へ移そうとした。 48:18ヨセフは父に言った。「父上、そうではありません。これが長男ですから、右手をこれの頭の上に置いてください。」 48:19ところが、父はそれを拒んで言った。「いや、分かっている。わたしの子よ、わたしには分かっている。この子も一つの民となり、大きくなるであろう。しかし、弟の方が彼よりも大きくなり、その子孫は国々に満ちるものとなる。」 48:20その日、父は彼らを祝福して言った。「あなたによってイスラエルは人を祝福して言うであろう。『どうか、神があなたをエフライムとマナセのようにしてくださるように。』」彼はこのように、エフライムをマナセの上に立てたのである。 48:21イスラエルはヨセフに言った。「間もなく、わたしは死ぬ。だが、神がお前たちと共にいてくださり、きっとお前たちを先祖の国に導き帰らせてくださる。 48:22わたしは、お前に兄弟たちよりも多く、わたしが剣と弓をもってアモリ人の手から取った一つの分け前(シェケム)を与えることにする。
1.45章には、ヨセフと兄弟たちが20数年ぶりに再開し、劇的な和解を遂げていった場面が書かれていた。その後、父ヤコブもエジプトへと呼び寄せられ、17年間をエジプトで過ごし、147歳で死期が迫って来たことが47章27-29節に記されている。そこでヤコブは、まず息子ヨセフとその二人の子供を呼び寄せて『祝福』を授けようとした。49章には、息子たち全員を祝福したことが記されている。
私がまず心を向けさせられるのは、死に臨んだヤコブが、ヨセフをはじめ息子たちや家族を祝福しようとしたことである。『祝福』とは、言わば、目には見えない遺産のようなものである。死ぬことは確かに悲しい出来事ではあるが、他方では遺産を子供や孫たちへ譲り渡していく時でもある。遺産相続と言うのは、実に不思議な制度だと思う。相続が終わるまでは、たとえ夫婦であっても親子であっても、その財産はあくまで死のうとする人だけの財産なのである。誰もそれに手をつけることは出来ない。しかし、相続が完了すると、譲り受けた人々は、財産を自分のものとして使うことでできるようになる。私は、『何でも鑑定団』というテレビ番組をよく観ている。鑑定をしてもらう対象物がその人の手に渡った理由には、『おじいちゃんが、まさかの時にはこれを売って役に立てなさいと言って譲ってくれた』というような話がしばしば出てくる。そのように、相続された財産は、譲られた人々の助けとなることがある。
ヤコブが譲り渡そうとした『祝福』は、目に見える財産ではなく、形のない財産である。しかし、目に見える財産以上に、息子たちを助けてくれる遺産なのであろう。臨終のときは、そうした財産を譲り渡していく大事なとき、言わば、晴れ舞台でもあった。私たちの死の時とは、そのような一面ももっていることを、まず覚えたい。
2.お葬式のときに司式者として何よりも心にかけることは、読まれた聖書の言葉や語られた式辞によって、愛する人を失ったご遺族に、少しでも慰めや励ましを得ていただきたいということである。そして、その慰めや励ましは、どうやって与えられるものかと言うと、死別という出来事が、残された方々に『祝福』を授けるという側面があるという点に、ご遺族の方々が気づくことによってだと改めて教えられる。死は、ただ悲しい出来事なのではなく『祝福』という遺産を相続させていただく時でもある。それを譲られることで、残された方々が、それまでは決して自分のものではなく、手をつけることができなかった財産を、我がものとし、まさかの時には、それを糧として利用できるようになるのである。そういう側面が、死にはある。
昨年12月30日に、木村真理子姉のご夫君で2008年12月に逝去された木村富三(とむぞう)さんの記念式を、墓前で行った。富三さんは、とても焼き物に造詣が深い方だった。葬儀の時には「土の器」という言葉の出てくる第2コリント4章7節の御言葉が読まれたと真理子姉からお聞きした。であるから、記念式の際にも同じ御言葉を読んで、式辞をお話した。この第2コリントの御言葉は、「私たちは土の器のなかに宝を納めている」と語っている。土の器の中にある宝とは、どのようなものか。先ほどの『何でも鑑定団』でも、鑑定家の先生がよく言われる。「土から練られた器であるがゆえに、窯の中で1000度以上の火に焼かれて、土の様々な成分が溶け出し、或いは、ひびが入ることもあり、それによって、一つとして同じ模様がない、土の器ゆえの美しさが醸し出される」と。それこそが、土の器の中にある宝ではないかと、今回、式辞の準備をしていて思った。土の器が火で焼かれるとは、肉体を持った私たちが病気で苦しみ死を迎えなければならないことを意味していると思う。でも、そのことこそが、私たちに宝を生じさせる。苦難は、決して、土の器である私たちを壊すことはできず、却って宝を生み出すのである。
富三さんのご生涯は、まさしくそのようなものだった。一人息子や真理子姉が、葬儀の時になさった挨拶文によると、富三さんは5年ほどのガンとの闘病のなかで、7クールも抗ガン治療をされ、その合間も、少しでも調子が良くなると、髪の毛がない状態をものともしないで、好きな古文書の集会に、いそいそと出かけられたとのことである。また、最期まで真理子姉を大事にされ、そういう「父の姿が良い思い出になって、母が生きていける。おやじありがとう」との挨拶を、長男がされた。ここに、富三さんの残された宝、遺産というものがあると、しみじみ思った。真理子姉やご子息を支えていく糧となる遺産が、そこにある。それは、ガンとの闘病にもかかわらず生きる喜びを失わず、真理子姉への愛を失わず、土の器たる存在がどんなに火で焼かれても決して破壊されなかったという、力強い事実である。そういう宝を富三さんは残された。死の時こそ、私たちがこのような目に見えない遺産を残せる、晴れの舞台との一面を持っていることを覚えたい。
3.さて、ヤコブはどのような遺産を『祝福』としてヨセフや孫達に残すことができたか。それが15節と16節に端的に書かれている。遺産は何よりも、神様に関することであった。人生の最期のときに、これまでの生涯を振り返って、「神様はこのようなお方であった。神様と言う方は私に対してこのようなことをして下さった」と確信をもって言えることが遺産であり、『祝福』となる。
第一に、それは神様が「わたしの生涯を今日まで導かれた牧者なる」方であられると言ったことである。これまでずっと、ヤコブの生涯を見つめてきたが、導きというか、彼を動かし引っ張ってきたものは何であったか。それは、双子の弟として、兄エサウのかかとをつかんで、やっと生まれ出てきた(そこから、かれのヤコブとの名前が付けられた。おそらく彼は、未熟児ではなかったかと想像する)ということに、先ず始まる。父イサクの目は、筋骨隆々で、すぐれた狩人として成長した兄エサウのみに注がれ、ゆえに、ヤコブはひがみ、ずる賢い人間として成長し、とうとう目の見えなくなった父を騙して、兄が父から譲られようとした『祝福』を奪ってしまった。兄から殺されるほどに憎まれたヤコブは、家を出ざるを得ず、伯父ラバンを頼った。ラバンは何度もヤコブを騙し、無報酬で20年働かせようとした。妻ラケル以外にも3人もの側女を持ち、それゆえの葛藤や争いがあった。また、ベテルに行けとの神様の言葉に従わず、故郷に帰った彼は、当時のパレスチナにおける一等地であったシュケムを、大枚をはたいて買い求め、そのために息子たちとシュケムの人々との戦いを呼びこんでしまった。最後は、年寄り子だったヨセフを溺愛して、またまた家族の間に葛藤をもたらしたのである。
ざっと思い返してみても、彼を導き引っ張っていたのは、人間の欲望であり、騙し合いの愚かしさであった。しかし、振り返ってみると、それにもかかわらず、神様が羊飼いのように彼の生涯を導いて下さったことが分かる。詩編23編にあったように、神様は私たちを正しい道へと導いて下さる。自分のような人間が、今こうしてあるのは、神様が正しい道へと導いて下さった以外に、どんな理由も考えられない。
改めで、神様の導きとは不思議なものだと思う。ヤコブや他の人間の自由を封殺されるようなことを為さらなかった。神様の導きは、何故か、人間の自由や愚かさを圧殺されない。むしろ、それをも用いて、正しい道へと導くことがお出来になる。また、この神様の導きは、一方的なものなのである。ヤコブの方から、それを求めたから与えられたというのではなかった。最初に、あのベテルで野宿していた彼に、天からのはしごをかけて言葉をかけて下さったとき(創世記28章10節以下)、ヤコブの方からは、ただの一言も神様に祈ったりしてはいなかった。では、なぜ神様は、彼に言葉をかけて下さったのか。15節はじめにあったが、突き詰めれば、彼のおじいさんが、或いは、父のイサクが、神様の御前を歩んだからである。祖父や父の信仰の遺産が、まさかのときの彼の助けに、まさしくなっていたのである。
私たちは幸いにも、ヤコブ以上の者である。ヤコブは自分からは神様を求めることはできなかったのに、神様がこうして導いて下さった。ましてや、私たちがどのようにささやかな信仰であっても、神様の御前を歩もうとして祈り求めるならば、神様はなおさら私たちを正しい道へと導いて下さる。私たちの自由を圧殺することなく、愚かさや欲望をも用いて、そうすることがお出来になる。このような神様の導きの素晴らしさを伝えられるのが、まず、第一の祝福である。
4.第二の祝福は、16節はじめに書かれている。「わたしをあらゆる苦しみから贖われた御使いよ」と語っている。神様が、不思議な使いを送って、苦しみから贖い出して下さったとヤコブは言っている。具体的にいつのことを言っているのかは定かではない。御使いとあることから、私が思い起こすのは、創世記32章23節以下に書かれた出来事である。20年ぶりに兄エサウと再会せねばならないとなったとき、ヤコブはどうしても地境となっているヤボク川にある渡しを、なかなか渡ることができずにいた。そのときに、不思議な神様の使いが現われて、ヤコブと一晩中格闘したのだった。一体ヤコブが勝ったのかどうなのか、良く解らないが、彼は腿を痛めて、足を引きずるようになった。「神と戦って勝った」と言われ、「イスラエル」という新しい名前を授かり、『祝福』を不思議な遣いから与えられたとあった。丸裸になって不思議な人と組合い格闘するなかで、ヤコブは「自分はやれるんだ。大丈夫なんだ。たとえ、腿の間接をはずされても、傷を負ったとしても、進んでいけるのだ」との勇気をいただいたのではないかと感る。
神様が御使いを送って苦しみから贖って下さるとは、ヤコブに苦しみが訪れなかったというのではない。そうではなく、苦しみは与えられる。だが、そのなかで不思議な助け人が現われ、その人との出会いや交わりを通して、不思議な力を授かって、困難な局面を進んで行けるようになるのである。それがまた、神様の導きの在り方なのである。私たち信仰者の喜びは、そうした体験を味わえることである。そして、それを死のときに遺産として残していけるのである。
5.最後に触れておきたいのは、ヨセフが二人の息子のうち、長男マナセにヤコブの右の手を置かせ、弟エフライムにヤコブの左手を置かせようと準備したのに対し、わざわざヤコブは腕を交差させて、弟の方に右手を置いて第一の祝福を授けようとした点についてである。父の振舞いを直そうとしたヨセフを制して、ヤコブは「いや分かっている。私にはわかっているのだ」と言って、「弟の方が兄より大きくなる」と言って、孫たちを祝福した。
ここに現われているのは、私たち人間の常識や思惑を越えて、象徴的には、兄よりも弟を大きくするという形で、私たちを祝福なさろうとする神様の御業である。私たちは、この神様の祝福をなきものにすることはできない。兄の方が、より大きなものとなる。それは私たちの価値観を現している。双子の兄弟のうち筋骨隆々とした兄エサウ、父イサクの愛顧を一身に受けたエサウが繁栄するだろう、と私たちは考える。そうした強さや豊かさを、私たちは求める。しかし、神様はひ弱で、ずる賢かったヤコブを祝福なさった。そういう神様の祝福が、この世界を貫いている。そのような独特な、神様ならではの祝福を、ヤコブは知っていたのである。私たちも、十字架のイエス様に現われた神様の祝福を知っている。それを体験して、私たちは、子供や孫たちに『祝福』としてバトンタッチしていけるのである。
筑波学園教会牧師 福島 純雄
2015年 1月4日 降誕節第2主日礼拝
13:01ちょうどそのとき、何人かの人が来て、ピラトがガリラヤ人の血を彼らのいけにえに混ぜたことをイエスに告げた。 13:02イエスはお答えになった。「そのガリラヤ人たちがそのような災難に遭ったのは、ほかのどのガリラヤ人よりも罪深い者だったからだと思うのか。 13:03決してそうではない。言っておくが、あなたがたも悔い改めなければ、皆同じように滅びる。 13:04また、シロアムの塔が倒れて死んだあの十八人は、エルサレムに住んでいたほかのどの人々よりも、罪深い者だったと思うのか。 13:05決してそうではない。言っておくが、あなたがたも悔い改めなければ、皆同じように滅びる。」 13:06そして、イエスは次のたとえを話された。「ある人がぶどう園にいちじくの木を植えておき、実を探しに来たが見つからなかった。 13:07そこで、園丁に言った。『もう三年もの間、このいちじくの木に実を探しに来ているのに、見つけたためしがない。だから切り倒せ。なぜ、土地をふさがせておくのか。』 13:08園丁は答えた。『御主人様、今年もこのままにしておいてください。木の周りを掘って、肥やしをやってみます。 13:09そうすれば、来年は実がなるかもしれません。もしそれでもだめなら、切り倒してください。』」
1.あと2年ほどで、牧師としての歩みを30年続けてきたことになる。連続してのルカによる福音書の説教は、今回で3回目である。ところが、過去2回は、13章1節から9節の御言葉に、意図的に触れて来なかった。なぜかというと、それは、説教することの難しさを直感的に感じたからである。その難しさというのは、何よりも先ず、イエス様が「悔い改めないと滅びる」と仰ったことにある。また、6節以下に記されたたとえ話で、- ブドウ園の主人というのは神様を指しているのは明らかだが - その主人が、実のならないイチジクの木を切り倒してしまえと言うところに、イエス様が滅びると言われたことと同様のものを、感じてしまうからである。そのような難しさを感じて、これまで避けてきた御言葉を、今年最初の礼拝で説教するように導かれてしまった。正月2日から夜中に、床のなかで目が覚めてしまい、うつらうつらしながら、この御言葉についてあれこれ思い廻らすという、辛い時を過ごしてしまった。これが今年の私の初夢ということになるのであろうか。
さて、ローマの信徒への手紙で、「目の前に与えられた御言葉は全体の流れの中で読むことが大切だ」と教えられた。それは、ルカによる福音書でも、全く同じことが言える。流れということから言うと、このところのルカ福音書の記述は、当時の人々、とくにその時代において人々の信仰生活を主導してきたパリサイ人や律法学者と呼ばれる人々が信じ、語っていた神様に対して、イエス様が信じておられるところの神様の姿に、大きな文脈の流れがあるのではないかと感じる。11章の初めで『主の祈り』を教えられ、11章37節から「わざわいなるかなパリサイ・律法の専門家たちよ」と言って、はっきり彼らとの論争モードに入られて以降は、益々、この流れが顕著になっているように思う。
そういう流れの中で、初めて、イエス様が「滅びる」と仰ったことも理解できると思うのである。それは、突き詰めれば、論争の相手方であるパリサイ・律法学者たちが「滅びる」ということを口にしていたからに他ならない。彼らこそが、神様のことを「滅ぼされる」存在として信じ語っていたので、彼らのそういう信仰・主張を引き受け、それに対抗するために、イエス様もまた、「滅ぼされる神」について言及せざるを得なかったのだと思う。しかし、実は、そこに本意はないのである。イエス様の語りたかった神様の姿は、滅ぼされるというところにはなく、むしろ、その反対にあるのだと思う。それが滲み出てくるのが6節以下のたとえ話なのである。
2.それでは先ず、パリサイ人や律法学者たち、また彼らに導かれた当時の人々は、どのような「神様による滅び」「滅ぼされる神」を語っていたのであろうか。それが、1節から5節で語られている二つのエピソードについて、イエス様が「罪深い者だったからだと思うのか」と問い返したところに言い表されている。
ここに語られているエピソードは、実際には、どういうものであったかは、何も資料がないので、よく解らないとのことである。最初の「ピラトが・・・」は、おそらくは、エルサレム神殿にガリラヤ人が犠牲を携えてやってきて、その折に、当時の総督だったピラト配下の兵士とトラブルになり殺されてしまい、その時に流された血が、何と彼らが捧げた犠牲の血と混じってしまったという事件なのであろうと言われている。当時のイスラエルでは、ガリラヤの人々というのは、辺境の者として蔑視されていたようである。ヨハネによる福音書の1章46節で、ナタナエルという預言者が「(ガリラヤの)ナザレから何か良いものが出るだろうか」と言っている場面がある。そういうガリラヤの連中が、よりにもよって犠牲を捧げる大切な儀式の最中に、ローマの兵士とトラブルを起こし、神聖なる場所を汚してしまったことを、パリサイ人たちは非難したのであろう。そして、「そのようなことが起きたのは、彼らの罪深さ故だ。罪深さへの神の報いだ」と言っているのである。二つ目の事件も良く解っていない。もしかすれば、シロアムの塔とは、ピラトが建てさせた何らかの施設なのかも知れない。「ローマ人の手下になってそんな不浄な仕事をするから、その塔が倒れるという事故にあって死ぬのだ。罪深さへの報いだ」と言われていたのかも知れない。
パリサイ人や律法学者というのは、日々の生活のなかで神様としっかりと結びついた歩みをしたいと真剣に願い実行していた人々であった。その始まりは、おそらくは、バビロン捕囚のなか、それまで、神様との結び付きのよすがだった祖国や神殿というものを、すべて失ったとき、何が自分たちを神様とつなぐよすがなのかを問い求めたイスラエルの人々が、それは日々のなかの律法の行いなのだと信じたこと、律法の行いをすることで神様と結びつけると信じたことに始まっているのである。ところが、イエス様の時代には、その律法の行いが、人々を裁く物差しになっていたのである。パリサイ人のように完全には律法の行いができないガリラヤ人や、生活のためにピラトから仕事を請け負わざるを得ない人々を、「罪深い」と断じ、罪深い者にはその報いとして滅びを与える神を語っていたのである。パリサイ人や律法学者によって主導されていた当時のイスラエルの宗教において、神様とは、突き詰めれれば、人の罪を常に捜し回り、罪が見つかればその報いとして罰を与え、その人を滅ぼしてしまわれるといった神様の姿ではなかったかと思う。とにかく、彼らの信仰は真面目ではあったが、人々の生活の中に生じる災いやマイナスにのみ目を向けていたのである。そして、それが罪の報いだと断じたのである。人の罪に目を向け、それを裁くのが神様であるとしてのみ、宣べ伝えていたのである。
当時の人々のこのような信仰に対して、決してそのような神様ではないのだと教えようとしていたのが、イエス様なのであった。「罪深い者だったからと思うのか」と、当時の人々の捉え方に言及し、その後に、2回繰り返して「決してそうではない。あなたがたも悔い改めなければ、皆同じように滅びる」とイエス様は言われた。滅びるとの言葉には、イエス様の本心はなく、パリサイ人や律法学者が、また当時の人々が、あまりにも、ただ神様の御業として滅びだけしか語らず、また自分たちは律法の行いをしており罪深い者ではないから滅びは無関係だと語るが故に、イエス様は先ずこのように切り返されたのである。もしも神様が、あなたがたの言うようにもっぱら滅ぼすことの神様であるなら、大事なのは「悔い改め」なのだとイエス様は言われた。「大事なのは、律法の行いではなく悔い改めなのだ。それをすることが出来なければ、すべての者が皆同じく滅ぼされるであろう」と。
イエス様が悔い改めということを、どういうものとして語っておられたのかは定かでない。ただ、その直後のたとえ話で「実がなる」ということをお話になっていることからすると、イエス様に洗礼を授けた洗礼者ヨハネが「悔い改めに相応しい実を結べ(ルカ3章8節)」と教えていたことが、イエス様の心にあったのかも知れない。悔い改めたからには、それに相応しい実がなる。その結実の様子は、この御言葉と密接なつながりのなかにあるだろう10節以下のエピソードが指し示しているのかも知れない。
イエス様は18年間も腰が曲がって苦しんでいた女性を癒された。それを、パリサイ人や律法学者の影響を受けている会堂長は「安息日にやった」と言って非難した。問われているのは、何が悔い改めの実なのかということだと思うのである。安息日を守りイエス様を非難するが18年間苦しみ続けた人をずっと放置してきた人々なのか、それとも、その人を癒したイエス様なのか。イエス様がこのような実を結ぶことができたのは、突き詰めれば、イエス様こそが「悔い改め」ておられたからである。「悔い改め」とは、反省や後悔というような意味ではなく、そもそもは、私たちが身を翻してユーターンしている状態を意味する言葉である。そのように、私たちが神様に向かい合い、神様と全身全霊がしっかりと結びついている有り様なのである。何よりも、霊においての一致なのである。全きつながりである。イエス様には、そのような状態があるからこそ、この女性を癒すことができたのである。
では一体、私たちにそのような全き神様との結び付きがあるであろうか。私たちは、霊において悔い改めた者として、イエス様のような実を結ぶことができている者であろうか。そうではない。誰一人、そうではない。だから、「もし神様が、あなたがたの言うように、ただ私たちの罪深さに報いて滅ぼす神様であるなら、私たちすべてが滅ぼされるしかないのではないか」と、イエス様はパリサイ人たちに切り返したのであった。「あなたたちに、悔い改めの現れとしての結実があるのか。洗礼者ヨハネが行っていた悔い改めに相応しい結実があるのか。周囲の人々を癒しているのか。そうでなければ、たとえ律法の行いをしていたとしても、あなたがたもまた、神様によって滅ぼされる者でしかない」と。
3.しかし、神様とはそのような神様ではないのだ、第一に私たちを滅ぼすことを考えてはおられない。そのことを教ようとしたのが、6節以下のたとえ話なのである。このたとえ話の言わんとする意味については、清水恵三牧師の『イエス様のたとえ話』という著書から、大いに教えを受けた。
ブドウ園にイチジクの木が植えられているとは、当時よく見られた風景であろう。当時は今のようにちゃんとブドウ棚を造るというようなことはせず、そのまま地面を這わせるか、或いは、イチジクのような木を利用して支えにするという栽培方法だったらしい。だから、本来イチジクの木というのは添え物ということである。イチジクは、「実がなったらラッキー」くらいの存在であった。実がならなかったら、さっさと伐採して、新しい添え木にしてしまう。その程度のものである。ところが、ブドウ園の主人は、3年もイチジクの実がなるのを待っていた。しかし、なかなか実がならないので切ろうとしたところ、園丁は「今年はこのままにして下さい。肥やしをやってみるから」と言った。清水牧師によれば、ここにこそ、このたとえ話の尋常でない部分があるのだと言われる。本来の園の主人公であるブドウの木にさえ、当時は肥やしをやることなどはなかったそうである。ましてや、添え物のイチジクの木に大事な肥やしをやることなどは、本来は決してあり得ない。ところが、園丁はそれをすると言った。主人がこの園丁の希望を受け容れたかどうかは、何も書かれてはいないが、園丁がそこまで言ったのだから、当然、了承したのであろう。
「このように」と、イエス様は言われた。神様は、なかなか実のならない、そして、添え物でしかない、脇役でしかないイチジクの木にさえ肥やしをやって、実を実らせようとするのだというメッセージなのである。
「悔い改め」がなければ滅びるという御言葉から、私は逆に「少しでも悔い改めるならば、私たちはいつでも実がなるものへと変えていただける」との励ましを聞くことができるように思う。もちろん、私たちは完全に悔い改めることはできない者である。しかし、私たちを実のなるものへと待っていて下さる神様に心を向けることはできるのである。イエス様という園丁の助けをいただきながら、イエス様からの肥やしを受け、神様から聖霊を受けて生きるならば、添え物に過ぎないような私たちでも、何らかの実がなるものとさせていただけるのではなかろうか。イエス様がこの女性になして下さったような働きを、今年もできるものとさせていただきたいと思う。
筑波学園教会牧師 福島 純雄
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