2014年 12月28日 降誕節第1主日礼拝
02:01だから、すべて人を裁く者よ、弁解の余地はない。あなたは、他人を裁きながら、実は自分自身を罪に定めている。あなたも人を裁いて、同じことをしているからです。 02:02神はこのようなことを行う者を正しくお裁きになると、わたしたちは知っています。 02:03このようなことをする者を裁きながら、自分でも同じことをしている者よ、あなたは、神の裁きを逃れられると思うのですか。 02:04あるいは、神の憐れみがあなたを悔い改めに導くことも知らないで、その豊かな慈愛と寛容と忍耐とを軽んじるのですか。 02:05あなたは、かたくなで心を改めようとせず、神の怒りを自分のために蓄えています。この怒りは、神が正しい裁きを行われる怒りの日に現れるでしょう。 02:06神はおのおのの行いに従ってお報いになります。 02:07すなわち、忍耐強く善を行い、栄光と誉れと不滅のものを求める者には、永遠の命をお与えになり、 02:08反抗心にかられ、真理ではなく不義に従う者には、怒りと憤りをお示しになります。 02:09すべて悪を行う者には、ユダヤ人はもとよりギリシア人にも、苦しみと悩みが下り、 02:10すべて善を行う者には、ユダヤ人はもとよりギリシア人にも、栄光と誉れと平和が与えられます。 02:11神は人を分け隔てなさいません。
1.特にこのローマ書のような長い手紙を読むときに大事だと感じるのは、常に手紙全体の構成を念頭において、目の前の記事がその構成のなかでどのような位置にあるかを俯瞰して理解することである。そうしないと、目の前の深い森の茂みのような記述に迷ってしまって、一体何が書かれているのかを読み取れなくなってしまう。そのようなわけで、私自身のためにも、改めてこのローマ書の全体的な構成を俯瞰して見ることから始めたいと思う。
パウロがこの手紙全体で語ろうとしているのは、1章1節の書き始めに「神の福音のために選び出され」とあるように、神様の福音を語ることにあった。神様の福音とは、1章7節の言葉で言えば「神に愛され・・聖なる者となった」ということであり、1章17節の言葉で言えば「神に義とされる」ことでもある。この神様の福音を、大きく二つのグループに分ければ、ギリシャ・ローマ人すなわち異邦人と呼ばれる人々と、ユダヤ人たちに宣べ伝えようとするのがこの手紙なのであった。
そこで、1章18節から3章20節まで続く第一部では、もしその人々が神様によって義とされなければ、どれほど惨めで悲惨であるかを語り、第二部では、その惨めなものがイエス・キリストを信じる信仰によって神に義とされることを語り、最後の第三部では、神様に義とされた者たちがこの世でどのような歩みができるのかを語る。そういう構成になっている。そういう全体的な構成から言うと、1章18節以下からは、神様によって義とされないなら、異邦人もユダヤ人もどれほど惨めかを語る部分に相当するわけである。そこで1章18節以下では、異邦人の人々の惨めさが、これでもかこれでもかと語られていたのである。
ギリシャ・ローマの人々はあちこちに神殿を作り、熱心に神々を信じ礼拝しているように見えていた。しかし、パウロに言わせれば、それはまことの神様を崇め感謝しているのではなかった。なぜなら、まことの神様とは天地自然を造り、それを正しく運行しておられる大いなるお方なのである。そのお方を、彼らは、まことに卑小な人間や獣・鳥の像に刻んで礼拝していたのである。どうして天地を造られた神を、そのような像に刻んで礼拝することなどできようか。ゆえに、彼らは「心の欲望によって・・辱め(1章24節)」と、その惨めさを明らかにしたのである。
2.そこで、さらに続けて、神様によって義とされない者の惨めさを描こうとしていたのが、今日の御言葉である。「だから・・・同じことをしている(2章1節)」とある。昔から疑問として出されているのは、ここで「すべて人を裁く人よ」と語りかけているのは誰なのかという疑問である。様々な考え方があるようである。私の理解としては、1章32節までで異邦人の惨めさを語るのを終えて、ここからはいよいよパウロの同胞であるユダヤ人の惨めさというものが語り始められると考える。具体的に、律法の行いをするユダヤ人のことが言及されているのは2章12節からだが、1節から11節までは、言わば、そのユダヤ人に関して述べて行く序論のような部分として理解して良いのではないだろうか。
しかし、ここで、そもそも大きな疑問がわいてくる。1章最後まで描かれていたように、偶像礼拝をしている異邦人が神様に義とされずに惨めだと言うのはよく解る。しかし、ユダヤ人が神様に義とされない者として惨めだというのは、おかしいではないか。パウロの記述では、ユダヤ人も異邦人も同じことをしている、神の怒りを受けるだろうと言っている。それはユダヤ人に対してあんまりではないか。彼らは偶像の神々も拝まず、割礼を受け、神殿での儀式を守り、安息日を守り、数多くの律法の行いを忠実に守ってきているわけである。もう何百年もそうした生活を忠実に守ってきた。そうした彼らを異邦人と同列に非難するとは何事かとパウロの文章を読んだユダヤ人の憤りが伝わってくるようだ。けれども、パウロは「そうなのだ」という。異邦人が、神々を熱心に崇めて、実はまことの神様を礼拝できていなかったように、ユダヤ人もまた同じなのだ、まことなる神様を礼拝できていない、真実の神様との義なる間柄を結び得ていない、ゆえに惨めであり、悲惨なのだ、とパウロは言いきったのである。
3.パウロがそうしたユダヤ人の問題ある姿として何よりも語っているのは、彼らが「裁く」という点である。裁いている対象は、勿論、異邦人であるが、ユダヤ人からクリスチャンになった人々、要は律法の行いをしない者たちすべてを裁いているのである。そうした人々を裁きながら、自分たちは律法の行いを忠実に守っているがゆえに「神の裁きを逃れられる」と思っていた。自分たちは神様の怒りに合わないと言っていたのだろうと思う。パウロには、そういう彼らの言葉が聞こえていた。彼らが実際に口にしていたであろう言葉を、ここで暗に引用しているのである。
しかし、彼らのその裁きこそが、彼らの信じている神様がまことの神様ではないことを如実に表しているとパウロは言っているのだと思う。パウロにとって、まことなる神様とは、4節に示されているお方なのである。「神の憐れみが・・・軽んじるのですか」とあった。ユダヤ人の裁きには、この神様の憐れみ・豊かな慈愛、寛容、忍耐がというものがない。まことなる神様とは、こうした性質を備えたお方である。パウロの言葉の根底には、突き詰めて言えば、イエス様というお方において現われた神様が居られるのである。弟子たちがあのイースターの夜に出会い、また、パウロがダマスコ途上において出合ったイエス様というお方において、お姿を示して下さった神様でなければ、まことの神様ではないのである。
パウロが同胞であるユダヤ人の信じていた神様に対して、このような非難を浴びせかける姿は、イエス様がご自分のお仲間であったファリサイ人・律法学者たちに浴びせかけた厳しい非難と重なるものがあると、しみじみ感じた。ルカ福音書の12節から13節の学びで、このことを教えられた。イエス様は「禍なるかな」と何度も彼らを非難なさった。その非難の根幹は、彼らが信じ宣べ伝えている神様が「偽善」、すなわち偽りの神様であり、偽物の神様であるという点にあった。
イエス様が教えられた真の神様とは、次のようなお方である。わずかなお金で5羽がセットになって売られていた雀、それは一羽では何の価値もない、売り物などにならないものであることを示している。或いは、何十万本もある髪の毛のたった一本、それもまた何の価値もないことを示している。しかし、神様はこれらの雀一羽、髪の毛一本を数えてくださる。また、体を失った魂を支配して下さるお方とも言われる。このように、イエス様の教えて下さる神様とは、人間の尺度や見方とは全く違った物差しを持っておられる方なのである。私たちには何の価値もなく、目にも見えないものをこそ、大切にされるお方なのである。そういうお方が私たちを裁くのである。それが神様の正しい裁きである。だからこそ、その裁きは憐れみに富み、豊かな寛容・慈愛・忍耐が伴なっているのである。もっと言えば、イエス様は姦淫を犯した女性に対して「わたしもあなたを罪に定めない(ヨハネ8章11節)」と言われた。神様は、私たちが裁くようには裁かれない。
4.このような、まことなる神様の裁きに対して、ユダヤ人がなす裁きは、何と言うか、徹底して外面的なものなのである。割礼を受けているかどうか、安息日を守っているかどうか、何百にも細かく規定されていた律法の行いに忠実であるかどうか、神殿で定められた犠牲を捧げているかどうか。彼らの信じる神様の裁きとは、外面に現われた行いによる裁きなのである。それに報いられる神だ、と信じられていたのである。
そのような彼らの主張をそのまま受けて、パウロは8節で「神は・・・お報いになります」と言っている。この御言葉などは、全体を俯瞰せずに、目の前の茂みだけに首を突っ込むと迷ってしまうパウロの言葉の典型である。昔から、行いによる神様の報いとは、パウロがこの手紙で語ろうとする福音に真っ向から反するものではないかとの疑問が呈されてきた。確かに、全体の文脈から離れてここだけを取り上げれば、そうした疑問が当然に湧いてこざるを得ない言葉である。しかし、いま言ったように、パウロはこの言葉を、ユダヤ人が口にしている主張から引っ張ってきた。「確かにあなたがたの言うように、神は私たちの行いに報いられるお方である。」けれども、一体その行いとは何か、とパウロは問うているのである。ユダヤ人にとってその行いとは、徹底的に外なる行いであった。儀式的なものであった。しかし、まことなる神様は、そこを見るのではないのである。一羽の雀、髪の毛一本、目に見えない魂に目を注がれるのである。私たちの魂が、たとえ外なる行いに現われることなどなくとも、誰の目にも見えずとも、7節にあるように、栄光と誉と不滅なるお方である神様を求めるならば、神様は内なる「行いに従って報い」たもう。
このように私たちを裁き、報いて下さる神様がおられるとは、私たちにとって何と幸いなことであろうか。今年も間もなく終わる。今年1年を振り返って、様々さばかれること、自分自身を裁かざるを得ないことが沢山ある。しかし、それはあくまで人間の裁きである。神様の裁きとは違うものである。私たちが精一杯、神様を信じてその御心に添うことを願って行ったことに対しては、それがどういう結果をもたらしたとしても、神様は正しく報いて下さるのである。結果責任ではない。動機や思い、人間の尺度とは違う物差しを以って神様は、はかって下さるのである。感謝。
筑波学園教会牧師 福島 純雄
2014年 12月24日 クリスマスイヴ礼拝
08:09あなたがたは、わたしたちの主イエス・キリストの恵みを知っています。すなわち、主は豊かであったのに、あなたがたのために貧しくなられた。それは、主の貧しさによって、あなたがたが豊かになるためだったのです。
1.この聖書箇所は、パウロがコリントという町にあった教会の信徒へ送った手紙の一部である。この文章は、パウロが自分で考え出したものではなくて、すでに当時の教会の多くの信徒が信じていたようなイエス様をたたえる讃美歌や詩歌のようなものだったとされている。イエス様がどのようなお方であり、イエス様が私たちにもたらして下さったものは何か、それを端的に言い現した言葉である。そのような理由から、よくクリスマスの時期に読まれる聖書箇所である。
さて、この言葉には、イエス様について、「主は・・・」とある。イエス様が貧しくなって下さったことにより、私たちが豊かになったという不思議な有り様を語っている。何故これが不思議なのかと言うと、たとえば、私たちがAさんという方のおこぼれにあずかって豊かになると言う場合には、そのAさんは貧しくなるのではなく、そのままずっと豊かであり続ける、或いは、もっと豊かになって行くということがあるのだろうと思う。
つい10日前に、アベノミクスへの賛否と銘打って、突然の衆議院議員選挙がおこなわれた。未だ全国津々浦々の人々はアベノミクスの恩恵にあずかっていないけれども、これから豊かな人々がもっともっと豊かになることによって、より沢山の人々がその恩恵にあずかれるのだから、という訴えがなされていた。結果としては、その訴えが支持されたということであろうか。
ところが、この聖書の言葉が語るのは、こうしたこととは全く逆のことなのである。私たちが豊かにされるのは、イエス様がますます豊かになることによってではなく、その反対に貧しくなることによってだという。イエス様が貧しくなって下さったとは、先ず、人としてお生まれになったことを意味している。また、その生涯が功なり名を遂げるというようなものではなく、ご自分が選んだわずかな弟子たちからさえも見限られて、十字架という当時の死刑方法としては最も残酷な処刑によって命を断たれてしまうものだったことを指している。そのようなイエス様の貧しさが私たちを豊かにすると、この言葉は語っている。ここに、この聖書の言葉の不思議さがある。それはどのような意味なのか。
2.イエス様の貧しさによって私たちが豊かにされるといことのなかには、その前提として、私たちがそもそも貧しい状態にあるということがある。私たちが貧しいので、その私たちを豊かにして下さるということである。貧しいとは、一般的には、何よりも経済的な貧しさというものが考えられる。そうした貧しさというものは、幸か不幸か、ここに集まっておられる大多数の方々には、自分自身の抱えている状態として実感はできないであろう。かく言うわたし自身もそうである。
他方、私自身が感じている貧しさというものがある。それは、ここに描かれたイエス様のお姿から触発されるものである。イエス様は豊かであられたのに貧しくなられたと、この聖書箇所には書かれているのである。イエス様が人として生まれる前、どのように豊かであられたかは、何もわからない。とにかく、そういう豊かさを手放されて、貧しさのなかにお生まれになったのである。その方向性は、上から下、豊かさから貧しさへ、プラスからマイナスというものであった。
こういう方向性をとることがお出来になったのがイエス様であるとすれば、私たちは、何とかそういう方向性を受け入れることができないものかと思う。アベノミクスを良しとし、何処までも右肩上がりの経済成長を望むこの国にあって、私たちもすべからく経済的なことだけではなく、肉体的精神的なプラスというものを手放したがらない者なのである。ダウンすることや弱くなることを受容できない者なのである。それこそが、今日の私たちが皆抱えている貧しさの根源にあるものと私は感じている。
私は就寝時に、ラジオをスリープモードにして、『ラジオ深夜便』という番組を聞きながら寝入る習慣がある。先週の何曜日であったか、僧侶であり宗教学者である釈さんという方が『ナイトエッセイ』というコーナーで、何夜か連続してお話になられていた。途中で寝入ってしまったので最後まで聞きとおすことはできなかったが、「今は自己決定ということが良しとされる時代だ」との言葉が記憶にある。
それは、私の言い方で言えば、「自分で決定できるところの自己というものが豊かである状態をこそ良しとする」ということだと思う。自分が自分の主人公であり王様であって、自由に思い通りに何かを決定できるということは、自己というものが豊かである状態なのである。私たちは、なかなかその豊かさを手放すことができない。そのことが私たちを逆に『貧しい』としか言い得ない状態にしてしまっているのではないかと強く感じるのである。僧侶であり宗教学者である釈さんも、おそらく、「自己決定というものが、果たして私たちを豊かにするものなのだろうか」と問いかけておられたのだと感じる。
3.このような私たちが、豊かさを手放して貧しさを受け入れるということは、本当に至難の業である。けれども、私たちには、いずれそうせざるを得ない時がやってくる。自己決定ができない時がやってくる。自己というものの豊かさを、もはや持ち得ない時がやってくる。その時に、それを受け入れることができるようにさせて下さるのがイエス様であると私は受け止めている。イエス様が豊かさを捨てて貧しくなって下さったという有り様が、私たちにそうさせて下さる励みとなる。それが、貧しい私たちが、イエス様の貧しさによって豊かになるということの意味ではないかと思う。
この教会の礼拝のなかで私は、何度か私の父母の話をした。先日のクリスマス礼拝では、母が初めて、この教会の礼拝に出席した。今年88歳になった母は、長年住み慣れた福島県郡山での生活を離れて、また、認知症のため施設でお世話になっている父とも離れて、阿見町にある介護付きの高齢者住宅に、この10月から住み始めた。
そういうことになった理由はいろいろあるのだが、いちばんの理由は、私の姉に当る彼女の娘とのぶつかりが激しくなったからだった。姉は、母のことを「もう88歳にもなったのだから娘の言うことを聞いてくれ」と思っている。母としては、そのような娘の物言いが、自分を何も出来なくなった人間として見下しているように感じる。母としては、いずれ自己決定がしたくともそうできない時がやってくるのだから、今の時を存分に、意のままに生きたいと言う。母は、いずれそういう時がやってくることを覚悟している。しかし、今はまだそうなっていない。そうなっていないのに、もはや自己決定など出来ない存在として娘から扱われるのは我慢がならないというのが母の気持ちである。こんな母の有り様を見ていて、これがいつか自分の進む道であろうと教えられている。父母のたどった道を私も歩んでゆくのである。
このように、イエス様のたどられた道を、私たちは歩んでいく。その道は険しいものである。しかし、イエス様をモデルとして、お手本として、先導者として仰ぐことによって、貧しくなることも大丈夫なのだと思えるようになるのである。
筑波学園教会牧師 福島 純雄
2014年 12月21日 クリスマス礼拝
45:01ヨセフは、そばで仕えている者の前で、もはや平静を装っていることができなくなり、「みんな、ここから出て行ってくれ」と叫んだ。だれもそばにいなくなってから、ヨセフは兄弟たちに自分の身を明かした。 45:02ヨセフは、声をあげて泣いたので、エジプト人はそれを聞き、ファラオの宮廷にも伝わった。 45:03ヨセフは、兄弟たちに言った。「わたしはヨセフです。お父さんはまだ生きておられますか。」兄弟たちはヨセフの前で驚きのあまり、答えることができなかった。 45:04ヨセフは兄弟たちに言った。「どうか、もっと近寄ってください。」兄弟たちがそばへ近づくと、ヨセフはまた言った。「わたしはあなたたちがエジプトへ売った弟のヨセフです。 45:05しかし、今は、わたしをここへ売ったことを悔やんだり、責め合ったりする必要はありません。命を救うために、神がわたしをあなたたちより先にお遣わしになったのです。 45:06この二年の間、世界中に飢饉が襲っていますが、まだこれから五年間は、耕すこともなく、収穫もないでしょう。 45:07神がわたしをあなたたちより先にお遣わしになったのは、この国にあなたたちの残りの者を与え、あなたたちを生き永らえさせて、大いなる救いに至らせるためです。 45:08わたしをここへ遣わしたのは、あなたたちではなく、神です。神がわたしをファラオの顧問、宮廷全体の主、エジプト全国を治める者としてくださったのです。 45:09急いで父上のもとへ帰って、伝えてください。『息子のヨセフがこう言っています。神が、わたしを全エジプトの主としてくださいました。ためらわずに、わたしのところへおいでください。 45:10そして、ゴシェンの地域に住んでください。そうすればあなたも、息子も孫も、羊や牛の群れも、そのほかすべてのものも、わたしの近くで暮らすことができます。 45:11そこでのお世話は、わたしがお引き受けいたします。まだ五年間は飢饉が続くのですから、父上も家族も、そのほかすべてのものも、困ることのないようになさらなければいけません。』 45:12さあ、お兄さんたちも、弟のベニヤミンも、自分の目で見てください。ほかならぬわたしがあなたたちに言っているのです。 45:13エジプトでわたしが受けているすべての栄誉と、あなたたちが見たすべてのことを父上に話してください。そして、急いで父上をここへ連れて来てください。」 45:14ヨセフは、弟ベニヤミンの首を抱いて泣いた。ベニヤミンもヨセフの首を抱いて泣いた。 45:15ヨセフは兄弟たち皆に口づけし、彼らを抱いて泣いた。その後、兄弟たちはヨセフと語り合った。
02:10天使は言った。「恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。 02:11今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。
1.ヨセフは、イエス様のひな型と受け取られてきた。だから、ヨセフが果たした役割は、イエス様が私たちになして下さった働きにも通じるものがある。
ヨセフは、父ヤコブが最愛の妻ラケルとの間にやっと授かった11番目の息子であった。ゆえに、父ヤコブはヨセフをえこひいきし、特別扱いした。それを、ヨセフは喜び、自惚れてしった。そんなヨセフを、兄たちは憎み、殺そうと謀り、穴に投げ入た。そして奴隷商人によって穴から引き出されたヨセフは、エジプト王の宰相ポティファルの奴隷として売られていった。ヨセフには、夢を読み解くという不思議な力があった。エジプト王が見た不吉な夢を解き明かし、飢饉が起ころうとしていることを言い当て、また、その対策をもアドバイスした。そこで、エジプト王は彼を食糧管理大臣のような立場に任命したのだった。飢饉はエジプトだけではなく、ヨセフの父や兄弟が住んでいるパレスチナにも及び、兄たちはエジプトに食料を買い求めにやってきた。20数年ぶりに兄弟が再会した。ヨセフはすぐに兄たちだとわかったが、兄たちの方は目の前にいるエジプトの偉い大臣が、弟のヨセフだとは気づかなかった。ヨセフは兄たちをスパイ呼ばわりしたり、牢屋につないだり、兄の一人を人質に取ったり、挙句の果てには、実の弟であるベニヤミンを泥棒に仕立てる仕業までしかけたのだった。そんな状況に、兄のユダは懸命にとりなしを願った。その有り様を見て、とうとうヨセフが素性を明かし、兄弟が20数年ぶりの再会と和解を果たしたのだった。目の前にいる大臣が「あなたたちがエジプトに売った弟ヨセフです」と言ったとき、兄たちはどれほど驚いたであろうか。3節にその驚きの様子が描かれている。兄たちは、ヨセフが自分達に大臣としての権力を用いて、きっと仕返しをしてくるに違いないと覚悟したであろうと思う。ところが、ヨセフは本当に思いがけない言葉を語ったのだった。「神が」と3回にわたって繰り返した。ヨセフを通して、この兄弟たちの間に、神様が入って来られた。それによって、もし、この兄弟たちだけの間柄でしかなかったら、決して生じ得なかったものが生まれたのだった。
2.つぎに考えさせられたのは、もしここに、ヨセフを通して神様が入って来られることなく、兄弟たちだけの間柄しかなかったら、一体彼らはどうなっていただろうかという点である。大臣となったヨセフから仕返しをされるのを覚悟をしていたのではないかと申し上げたが、食料を買い付けに来た兄弟たちに、なぜヨセフが先ほど紹介したような仕打ちを次々としたのかの理由も、ここにある。一言で言えば、それは大臣として権力を持ったヨセフによる兄たちへの復讐なのである。
その仕打ちを受けて、44章33節では、兄のユダが「この僕をご主君の奴隷としてここに残し」と言った。44章16節と17節にも「奴隷」という言葉がある。奴隷という言葉ほど、この兄弟たちがこのままだったなら陥っていたことであろう状態を物語るものはないと感じる。兄たちは、勿論、ヨセフもまた、20数年の出来事の奴隷になっていたのであった。
5節、ヨセフは兄たちに「今は、わたしをここへ売ったことを悔やんだり、責め合ったりする必要はありません」と語りかけた。兄たちはこの20年間、ずっと自分たちのしたことを悔やんだり責めたりしてきたのであろう。しかし、悔やんだり責めたりしていたのは、兄たちだけだったであろうか。そもそも、事の発端は、父ヤコブが年寄り子として最愛の妻との間にやっと授かったヨセフを溺愛したことが原因であった。それは、さらに、ヤコブの父イサクが、双子の兄弟だったヤコブとエサウのうち、兄のエサウだけを溺愛したことと無縁ではなかったのである。ヤコブ自身が父によって最も苦しめられたことを、自分の息子たちにしてしまったのである。ヤコブもまた、深く悔やんでいたに違いない。
父から溺愛されたヨセフは、鼻持ちならない少年となり、兄弟や父までも自分にひれ伏すという夢を、兄たちにとうとうと語ってしまった。その夢が、まさに今実現したわけだが、17歳のときのヨセフには、その出来事が、そもそも何を意味していたのか、なぜ兄や父が自分にひれ伏していたのかがわからず、ただ己の高慢からその夢を語ったのみなのであった。
何人もの夢を解き明かしたヨセフは、17歳の時の自分の浅はかな振舞いを後悔し責めていただろうと思う。すべからく、私たちの人生とは、そうした後悔や自分自身を含めて誰かを責めることの連続なのではないだろうか。しかし、悔いることや責めることからは、何も生じない。過去の奴隷となることばかりである。悔いれば悔いるほど、責めれば責めるほど、私たちは過去の出来事のマイナスの連鎖というか鎖につながれてしまう。
3.こうした兄弟だけの人間関係しかなかったところに、ヨセフを通して神様お姿を現された。ヨセフが、どうして、どういう経緯で、このような神様の存在やご計画というものを知ったのかは、何も書かれていない。ヨセフ自身、兄たちへの復讐心や後悔に揺れ動いていたのだから、決して、ヨセフ自ら考え出したこととか、彼の信仰が立派だったとかではない。あくまで、神様が、20数年来の一連の出来事に秘められている神様の導きというものをお告げになったのである。それをヨセフは兄たちに告げただった。
ヨセフは3度にわたって「神が」と繰り返した。命を救うため、この国にあなたたちの残りの者を与え、あなたたちを生きながらえさせて、大いなる救いに至らせるため、神様がわたしをあなたたちよりも先にお遣わしになった。わたしをここに遣わしたのはあなたたちではなく、神様なのだと語った。
ヤコブや兄たちやヨセフ自身の、後悔や責め合うしかない振舞いを、神様は、命を救うための大いなる救いへと至るためのプロセスのなかに含み込んで、用いたのである。私たち人間の、後悔したり責め合うことしかできない行いがある。その如何ともし難いマイナスを、悪を、神様はプラスへと、善なる方向へ、膳なる結果へと至らせて下さるのである。だからこそ、このような神様の介入は、私たち人間だけの間柄へのご臨在というものが、どれほど無くてはならぬものかと、強く思うのである。それが無ければ、私たちは後悔や責め合うことや復讐の繰り返しの奴隷なのである。
4.ここで、改めて大切だと感じるのは、兄弟たちにこの神様の存在を示すことが出来たのは、ヨセフによってであったという点である。神様が、ご自分のご計画を、この兄弟たちにお示しになったとき、ヨセフを通してではなく、直接神様ご自身の言葉によって、あるいは不思議な神様の使いや天使たちのお告げによって、それを知らせるということも可能だったと思う。しかし、神様はそういう手段をお採りにはならなかった。あくまで、ヨセフが「神が」という言葉を語ることによって、その場に介入をなさったのだった。
ヨセフは、この「神が」という言葉を、ただ簡単にたやすく語ることができたであろうか。そうではなかったと私はう。語ることにおいて、ある痛みというか犠牲を払っていると思う。それは、20数年前に、兄たちが自分にしたことを、もう責めないという痛みである。赦すという犠牲である。「神が」こうしたご計画のなかに、一連の事柄を置いて下さっている点に、自分の怒りや復讐心を委ねたのである。神様が私たちの間柄の中にお姿を現し、介入をなさる在り方とは、このような形を採るのではないだろうか。「神が」を口にする者には、ある痛みが伴なう。犠牲を伴う形でなければ、神様を語ることはできないのである。
イエス様が私たちに為して下さったことの根源を、ここに見る。ヨセフが兄たちに行った「悔やんだり責め合ったりすることはありません」との言葉は、十字架の死からよみがえったイエス様が真っ先に弟子たちに語ろうとしたお言葉ではなかったか。「安かれ」と言われたイエス様から、弟子たちが真っ先に聞いた言葉であり、その言葉の中に、弟子たちは「神が」という語りかけを聞いたのであった。神様のお姿を見たのであった。
兄たちがヨセフにしたように、弟子たちはイエス様を十字架へと投げ捨てたのだった。奴隷商人が銀貨20枚でヨセフを売り渡したことは、弟子のひとりであったイスカリオテのユダが銀貨30枚でイエス様を裏切ったことと重なる。そうやって十字架の上で殺されたイエス様は、神様によって死の穴から引き出された。そして弟子たちに現われて「安かれ」と言われたのだった。
こうして、弟子たちのなした悪が、神様によって善なる結果をもたらすものとして用いられたのだった。神様は、弟子たちの悪に介入されて、彼らの悪に打ち勝って下さったのである。兄たちがヨセフの「神が」というお言葉を聞いて、神様を見ることが出来たように、弟子たちも復活されたイエス様を見て、そのお言葉を聞いて、神様と出会うことができたのだった。
私たちが目に見えない神様を知り、神様が私たちの人生に関与して下さる在り方も、イエス様を通してなのである。イエス様の犠牲がともなっているものなのである。キリスト教という信仰は、イエス様を通して神様と出会い、神様の関与をいただくという特質をもっている信仰なのである。
5.こうして、この兄弟たちが「神が」という言葉を聞き、この方のご計画に心開かれることによって、兄弟たちは和解をなし、一家全体が飢饉を逃れてエジプトへやって来て、救われていった。兄弟だけの人間関係しか無かったら、決して生じ得ない和解や救いという出来事が、ここから生まれたのだった。
この一家の命を救ったのは、突き詰めれば、何であろうか。エジプトで、ヨセフが大臣にまで出世できたことであろうか。そのヨセフを頼って、食料の豊富なエジプトに来ることができたことであったであろうか。そうではないと私は思う。それは、ヨセフを通して、この一家が「神が」という言葉を聞いたことにこそあると思う。神様に出会ったことによってである。自分たちの悪を用いて、なお善なる結果を生じさせることのできる神様を、礼拝できたことである。
ヨセフが17歳のときに見た夢とは、根源的に、このことを意味していたのである。それは、一家が神様にひれ伏し、それによって救われていくことを示しているたのである。私たちも、イエス様を通して神様を知り、礼拝できるようになった。そこに、私たちの命があり、救いがある。
筑波学園教会牧師 福島 純雄
2014年 12月14日 待降節第3主日礼拝
12:49「わたしが来たのは、地上に火を投ずるためである。その火が既に燃えていたらと、どんなに願っていることか。 12:50しかし、わたしには受けねばならない洗礼がある。それが終わるまで、わたしはどんなに苦しむことだろう。 12:51あなたがたは、わたしが地上に平和をもたらすために来たと思うのか。そうではない。言っておくが、むしろ分裂だ。 12:52今から後、一つの家に五人いるならば、三人は二人と、二人は三人と対立して分かれるからである。 12:53父は子と、子は父と、母は娘と、娘は母と、しゅうとめは嫁と、嫁はしゅうとめと、対立して分かれる。」
1.イエス様は51節以下で、次のように語っている。「わたしが地上に平和をもたらすために来たと思うのか。そうではない。言っておくが、むしろ分裂だ・・対立して分かれる」と。
羊飼いたちに救い主の誕生を告げる天使たちは、この同じルカ福音書の2章14節で、次のように神様を賛美した。「いと高き所には栄光、神にあれ。地には平和、御心にかなう人にあれ」と。ヨハネ福音書14章27節では「わたしは平和をあなたがたに残し、わたしの平和を与える」と告別の辞を残された。十字架の死からよみがえったイエス様が弟子たちに最初に語った言葉は、「あなたがたに平和(平安)があるように」であった。イエス様が私たちに与えようとされたのは、何よりも平和と平安ではなかったか。51節以下のイエス様の言葉は、一体どういうものとして理解すればよいのだろうか。
それを端的にあらわす言葉が、ヨハネ福音書14章27節に記されている。口語訳では「わたしの平安をあなたがたにあたえる」の後で、「私が与えるのは、世が与えるようなものとは異なる」とある。イエス様は私たちに平安と平和を与えようとされた。しかし、それは人々の一般的な考えであり、イエス様が求めている平和と平安とは異なるものなのである。だからもし私たちがイエス様の与えようとされた平和を求め、それを受け入れると、どうしても周りの人々とは溝ができ、分裂や対立が生じてしまわざるを得ないということになる。
2.そこでまず、世の人々が普通に求めている平和とは、どのようなものか考えてみたい。ちょうど、先週の聖書研究祈祷会で読んだエレミヤ書に、この点について書かれていた。6章13節と14節の御言葉は、「身分の低い者から高い者に至るまで皆、利をむさぼり、預言者から司祭に至るまで皆、欺く。彼らは、我が民の破壊を手軽に治療して、平和がないのに『平和・平和』という。」であった。
平和がないのに平和を口にする預言者や祭司がいるというのは、エレミヤ書でたびたび語られるメッセージである。エレミヤが預言者としての活動を始めたのは、紀元前7世紀の後半ごろ、ヨシヤ王という有名な王が治世を敷いていた時代だった。このヨシヤ王は、ユダの国の歴代の王のなかでは、ヒゼキヤ王と並んで、とても信仰深い人として知られている。そのような王の時代であったから、人々は決して信仰に不熱心だったのではない。むしろ、14節に比喩として語られているように、人々は、とても評判の名医のもとに行くように、預言者や祭司のもとに熱心に出かけ、彼らの語る神様の言葉に喜んで耳を傾けていたのであった。そこで語らた神様の言葉が、「平和、平和」という言葉なのだった。
そこにどのような背景があったのか。紀元前721年に、かつて一つの国だった兄弟国の北イスラエルが、アッシリアによって滅亡させられてしまった。ユダの国は、大丈夫だった。紀元前701年には、センナゲリブというアッシリアの王によって、エルサレムが包囲されてしまった。この時も、アッシリアの大軍に疫病が蔓延し退却を余儀なくされた(51節)。以来、ユダの国のなかには「自分たちの国は安心だ、滅びることはない。平和だ。神様に守られているから」という信仰がどんどん強くなっていったのではないかと想像する。そういう「信仰」に、人々は熱心になっていき、そういう「信仰」を強める言葉を「神の言葉」として求めたのだった。
そのような中で、この国ではどういう様子になって行ったのか。それが「皆、利をむさぼる」ということなのであった。エレミヤ書の5章の最後には、つぎのように書かれている。「恐ろしいこと、おぞましいことがこの国に起こっている。預言者は偽りの預言をし、祭司はその手に富をかき集め、わたしの民はそれを喜んでいる」と。こういうことができる状態が「平和」なのだと言う。しかし、それは神様の目からは、偽りの平和でしかなかったのである。
エレミヤの言葉が語られたのは、今から2600年ほど前の時代である。今日の私たちの時代が、その時と較べると遥かに、より一層、利をむさぼる社会になっているのは、言うまでもない。折しも、今日は衆議院総選挙の日である。衆議院解散の理由は、消費税アップを見送るという重大な決定をするのだから、その信を国民に問うというものであった。争点は、あくまで、経済成長と景気回復にあるという。はっきり言えば、利をむさぼることのできる社会を、ますます築き上げて行こうというものである。それが出来ることが「平和」だとされるのだった。経済成長ができなくなれば原発も再び稼働するし、石油の輸入が止まってしまえば戦争さえも辞さないとされる時代、そのただなかに、私たちは置かれているのだと、しみじみ感じる。
3.このような私たちの「地上」に、イエス様が与えようとされる平和とは、どのようなものなのか。49節から50節までのところで、それは語られているように思う。「わたしが来たのは、地上に火を投ずるためである」と、まずイエス様は言われた。イエス様の与えて下さる平和は、あたかも火のようなものだと仰るのである。なぜ火のように投じられるものなのか。それは、何を言わんとしているのか。次に続く「わたしには受けねばならない洗礼がある。それが終わるまでわたしはどんなに苦しむことだろう。」との言葉が、それを物語っているように思う。
受けねばならない洗礼とは、それが神様からイエス様に与えられた定めであり使命として避けることができないということを言い表している。「それが終わるまで・・・」という言葉が続いている。だから神様から与えられた定めとしての洗礼とは「苦しむこと」を意味している。突き詰めれば、十字架の死を意味している。人々から嘲られ、弟子たちからも裏切られ見捨てられ、十字架の上で殺される苦しみを意味している。だから、火なのであ。神様からの定めによって、また人々からの憎しみによって、あたかも苦しみの中で火ダルマになって焼かれてしまうようなことだからである。
驚くことに、イエス様は、このようなご自分の有り様こそが、私たちに真の平安を与えるものだと言っている。どうして、これが私たちの平和になるのか。私たちの求め、願う平和とは利をむさぼることである。そのような私たちにとって、これは決して平和を与えるものなどではない。むしろ、それは私たちから平和を奪うものとして憎悪されるものである。しかし、これが平和を与える火なのである。火とは、燃やすものでもあるが、ともし火であり、光でもある。イエス様が、このように苦しみのなかで受けねばならない洗礼を受けて下さって燃やされたことは、私たちのともし火であり光である。そういう意味の平和なのである。
4.見知らぬ方から突然に電話をいただいた。ある先天的な障害を負っておられて、とても辛い思いをされておられるとのことであった。その方は、本日の礼拝に出席したいと言っておられた。その方と同じ障害を負った若い女性が、前任地の郡山にもおられた。洗礼を受けて、その後、元気に大学に通われ、今は信用金庫にお勤めであることなどを、お話した。電話を下さったその方のことをずっと思いながら、本日の説教の準備をしていた。その方が、ご自分の意志ではなく、生まれつきの障害を負っていることは、今日の御言葉で言えば、「受けねばならない苦しみの洗礼」なのである。イエス様が多くの人々から嘲られ十字架に付けられたように、その方も自分の十字架を背負わねばならない。しかし、その方にこそ、イエス様が与えて下さる平安がある。イエス様が十字架の上で火ダルマになって下さって、その方にともして下さった光がある。利をむさぼろうとする者には、イエス様の苦しみは平和ではありえない。しかし、どうしても利をむさぼることなど出来得ない者にとっては、十字架のイエス様は平和なのである。
そして、イエス様は十字架の苦しみを通って、復活をされた。人々の敵意も、弟子たちの裏切りも、十字架の死も、イエス様を灰にしてしまうことは出来なかった。亡き者にすることは出来なかった。神様の定めとしての、受けねばならぬ苦しみという洗礼を受ける者を、誰も、亡き者にすることはできない。神様からの火に燃やされることは、あの出エジプト記3章1節以下に書かれているできごとのように、燃えても燃えても燃え尽きない柴の木の如く、私たちをあらしめて下さる。イエス様は、このことを、身を以って語ってくださった。これを「わたしの平安」として授けて下さった。
私たちすべてに、いつかは受けねばならない神様の定めであり苦しみである洗礼がある。利をむさぼることなど到底できない、人生の時がある。そのときに、イエス様が苦しみという神様からの洗礼を受け、十字架の苦しみから復活なさったことが、私たちの平和となるのである。
世の大多数の人々は、クリスマスがこのような平和を与えるためのものとは知らない。知らないままクリスマスを祝っている。私は、それでも良いと思う。クリスマスを祝うのは、そこでどんな平和が与えられているかを知らずとも、利をむさぼる社会のただ中にいて富をかき集める生活をしているとしても、クリスマスのなかに何か平安がある、良いものがあることを直感的に感じるからこそ、世の多くの人々がこうして祝っているのであろう。そして、いつの時にか、利をむさぼることができない人生が与えられて、そのなかで苦しみもがくなかで、イエス様が与えようとされる平和に気づくときがやってくるのである。
筑波学園教会牧師 福島 純雄
2014年 12月7日 待降節第2主日礼拝
44:01ヨセフは執事に命じた。「あの人たちの袋を、運べるかぎり多くの食糧でいっぱいにし、めいめいの銀をそれぞれの袋の口のところへ入れておけ。 44:02それから、わたしの杯、あの銀の杯を、いちばん年下の者の袋の口に、穀物の代金の銀と一緒に入れておきなさい。」執事はヨセフが命じたとおりにした。 44:03次の朝、辺りが明るくなったころ、一行は見送りを受け、ろばと共に出発した。 44:04ところが、町を出て、まだ遠くへ行かないうちに、ヨセフは執事に命じた。「すぐに、あの人たちを追いかけ、追いついたら彼らに言いなさい。『どうして、お前たちは悪をもって善に報いるのだ。 44:05あの銀の杯は、わたしの主人が飲むときや占いのときに、お使いになるものではないか。よくもこんな悪いことができたものだ。』」 44:06執事は彼らに追いつくと、そのとおりに言った。 44:07すると、彼らは言った。「御主人様、どうしてそのようなことをおっしゃるのですか。僕どもがそんなことをするなどとは、とんでもないことです。 44:08袋の口で見つけた銀でさえ、わたしどもはカナンの地から持ち帰って、御主人様にお返ししたではありませんか。そのわたしどもがどうして、あなたの御主君のお屋敷から銀や金を盗んだりするでしょうか。 44:09僕どもの中のだれからでも杯が見つかれば、その者は死罪に、ほかのわたしどもも皆、御主人様の奴隷になります。」 44:10すると、執事は言った。「今度もお前たちが言うとおりならよいが。だれであっても、杯が見つかれば、その者はわたしの奴隷にならねばならない。ほかの者には罪は無い。」 44:11彼らは急いで自分の袋を地面に降ろし、めいめいで袋を開けた。 44:12執事が年上の者から念入りに調べ始め、いちばん最後に年下の者になったとき、ベニヤミンの袋の中から杯が見つかった。 44:13彼らは衣を引き裂き、めいめい自分のろばに荷を積むと、町へ引き返した。 44:14ユダと兄弟たちがヨセフの屋敷に入って行くと、ヨセフはまだそこにいた。一同は彼の前で地にひれ伏した。 44:15「お前たちのしたこの仕業は何事か。わたしのような者は占い当てることを知らないのか」とヨセフが言うと、 44:16ユダが答えた。「御主君に何と申し開きできましょう。今更どう言えば、わたしどもの身の証しを立てることができましょう。神が僕どもの罪を暴かれたのです。この上は、わたしどもも、杯が見つかった者と共に、御主君の奴隷になります。」 44:17ヨセフは言った。「そんなことは全く考えていない。ただ、杯を見つけられた者だけが、わたしの奴隷になればよい。ほかのお前たちは皆、安心して父親のもとへ帰るがよい。」
1.まず、ざっと44章までのあらすじから。ヨセフは、7年の豊作とその後の7年の飢饉を予知した。エジプト王は、ヨセフを食糧管理大臣のような立場に任命した。そのとき彼は30歳になっていたと、41章46節に記されている。彼が兄たちの憎しみを買って殺されそうになり、エジプトに奴隷として売り飛ばされたのが17歳のときだろうと思われるので(37章2節)、それからおよそ3年の歳月が経っていたことになる。
ヨセフが告げたとおり、7年の豊作の後にひどい飢饉が起こった。この飢饉は、エジプトだけではなく近隣の地域にも臨んだ。ヨセフの父や兄弟たちが住んでいたパレスチナにおいても食べ物が無くなった。しかし、エジプトには食料があるらしいとの評判が聞こえ、父ヤコブの命を受けて兄たちが食料を買い求めてエジプトに行くこととなった(計算をすると、大臣になったのが30歳であったから、7年の豊作と7年の飢饉を足して、ヨセフはこのとき凡そ45歳になっていたと考えられる)。
そして42章。偉い大臣になっていたヨセフが、兄弟らと面会をすることになった。ヨセフは、すぐさま兄たちだとわかった。しかし、兄たちの方は(およそ20数年ぶりに会った)目の前にいるエジプトの大臣が、よもや弟のヨセフであろうとは、想像だにできなかったヨセフは何を思ったか、兄たちをスパイ呼ばわりした。実の弟のベニヤミンを連れてこいという無理難題をふっかけて牢屋につないでしまった。そのとき、兄たちやベニヤミンが語った言葉が42章21節から22節に書かれている。
これをこっそり聞いていたヨセフは涙を流すのだった。しかし素性を明かすことはせずに、兄の一人のシメオンを人質にとって「つぎに来るときには必ずやベニヤミンを伴なえ」と言って、食料を与えて帰したのだった。その際、そっと食料袋に、ヨセフに払った銀をしのばせてやった。後に、ここには、兄たちに対するヨセフのアンビバレントな振れ動く気持ちが滲み出ていると感じさせられる。家に帰って、払ったお金が戻っていることに驚いた兄たち、また父ヤコブとの会話は省かせていただく。ここまでが42章である。
買い付けた食べ物が底をつき、再び兄たちはヨセフのもとへ。今度はベニヤミンを伴なった。一回目の買い付けで戻された銀の2倍のお金と贈り物とを用意した。今度は、スパイ呼ばわりすることもなく、ヨセフは密かに実の弟との再会を喜んだ。宴会が開かれ「酒宴を楽しんだ」と、43章は終わっている。
44章。ヨセフは執事に、兄たちの食料袋を一杯にし、また支払ったお金を返してやるように命じた。実の弟ベニヤミンの袋には、わざとエジプト王が儀式や占いに使う大切な銀の杯も入れておくようにと命じた。そして、帰途についた兄たちを執事に追わせ、銀の杯を盗んだろうとの疑いをかけ、調べてみたところ、ベニヤミンの袋からそれが出てきた。これを見た兄の一人のユダは、16節の言葉を語った。これに対して、ヨセフがベニヤミンだけが奴隷になればよいと言うと、ユダは18節以下で、自分一人が罪を負い奴隷となるから、残りの兄弟は父のもとへ返して欲しいと懇願したのだった。
2.もし、この物語がこの44章で終わっていたとしたらどうであったか。45章では、ヨセフを通して神様がこの兄弟たちの間柄に介入をなさるのであった。神様が直接介入をなさるのではなく、あくまで神様を信じているヨセフという人間を通し、その信仰を通して、御業をなさるのであった。それによって、この兄弟は20数年ぶりに再会をし、恩讐をこえて和解を遂げて行くこととなったのである。その45章がなく、物語が今日の44章で終わってしまっていたら、何らかの形で再会はあったとしても、和解は無かったということになる。ヨセフは、実の弟のベニヤミンを奴隷とし、兄たちはベニヤミンを失って故郷に帰るという形で終わってしまったということである。
16節と17節で、また44章最後の33節で、ユダやヨセフが「奴隷」という言葉を口にしているのは、とても象徴的で意味深い思うのである。もし、この物語が44章で終わっていたなら、この兄弟は、様々な意味において、「奴隷」とされていたのだということを端的に現しているように感じる。何の奴隷かというと、16節なかほどで、ユダが「神が僕どもの罪を暴かれた」と言い、32節では「私が父に対して生涯その罪を負い続けます」と言っている。突き詰めれば、「罪」の奴隷ということである。それは、何よりも、兄たちが20数年前に犯した罪であるが、しかし、それだけではないのである。それによって引き起こされたところのヨセフが犯した罪もあるのである。そうした罪が、この兄弟たちを、いろいろな意味で奴隷の状態におとしめようとしていたのである。
3.ヨセフが罪を犯しているとは意外だと思われるかもしれない。説教題には「兄たちにつらくあたるヨセフ」と付けた。なぜヨセフが兄たちにスパイ容疑をかけたり、牢屋に閉じ込めたり、人質にとったり、騙し討ちにしたりしたのか。これは人によって、いろいろな受け取り方があるようだ。ヨセフに同情的な理解もある。兄たちへの揺れ動く気持ちが、そこには滲み出ている。けれども、何よりも顔を出しているのは、やはり20数年前に自分を殺そうとした兄たちへの憎しみであり、復讐心だと思う。大臣の権力を使って、仕返しをしてやろうとの心である。
そうであるが故に、彼が為した振舞いは、決して神様に向かって胸を張って正々堂々申し開きができるものではないと私は思う。かって、主人ポティファルの妻からしつこく誘惑されたとき、ヨセフは「あなたは御主人の妻ですから、わたしは、どうしてそのような大きい悪を働いて、神に罪を犯すことができましょう(39章9節)」と言いった。これに対して42章から44章まで、彼が兄たちや弟ベニヤミンにしたことは、神様に胸を張れることであろうか。決してそうではないと思う。神様に対して顔向けができないことを罪と言う。罪は私たちを必ず支配する。奴隷にしてしまう。決して私たちを幸いに導びくことはない。
ヨセフは権力を用いて、最後にはベニヤミンを奴隷としたかもしれない。もちろん、最初から、文字通りの奴隷にするつもりなど毛頭なく、実の弟と仲睦まじく暮らしていったであろう。また、たとえベニヤミンが取られたとしても、兄たち自身が、神様が罪を暴き、その罪への報いなのだ罰なのだと口にしているのだから、納得してそれを引受けたとも言える。けれども、こうしたことは、この兄弟たちが20数年抱えてきた罪の解決であろうか。罪からの解放であろうか。和解なのであろうか。そうではないだろうと私は思う。ヨセフアはべニアミンを手許に置いたとしても、兄たちへの憎しみから解き放たれることはない。
かえって兄たちを騙しベニヤミンを取った行為に、後悔させられることになったであろう。神様に正々堂々と申し開きができない行いをしたことに、ずっと苛まれていったであろう。兄たちもまた、自分たちの罪の報いだと一旦は思ったとしても、弟を奪ったエジプトの大臣への憎しみも - もし、その素性が弟ヨセフだと知ったとすれば、ヨセフへの一層の恨みがつのって行ったことであろう。
44章で物語が終わっていたならば、罪への対処というものが、要は、人間が考えたやり方で為される、ということになってしまうのである。神様の介入がないままで終わってしまうのである。それは必ず誰かを奴隷にしてしまう。罪や憎しみの奴隷としてしまう。
4.17節で、ユダが「神が僕どもの罪を暴かれた」と言っている。42章21節と22節では、「神は」と言葉にはされていないが、「我々が弟のことで罰を受けている」「あの子の血の報いを受けている」とは、突き詰めれば、神様がそう為さっているということである。兄たちは神様を、そういうようにとらえた。もし、この物語が44章で終わっていたなら、兄たちは神様を、このようなお方として信じたままで終わったということである。
確かに、神様は兄弟の罪を暴かれる方である。また、一連のこういう出来事が起きたという点においては、罪への報いや罰ということもあるだろう。しかし、罪に対して神様が為さることは、決してそれに留まることはない。プライバシーにかかわることなので、一切具体的なことはお話出来ないが、先日、或る方が御相談にお見えになった。「最近、自分はずっと地下鉄の中にいるような状態だ」と、つまり神様に対して顔向けができない罪を感じていると言われた。私はその方に、「決して人間の愛の奴隷などになってはいけない、そんなことを口にしてはいけない」と言った。人間の愛がどんなに素晴らしいものであっても、それは人間のものでしかなく、文字通り、それは私たちを奴隷にしてしまうのだから、と言った。「あなたの今の状態に対して、神様の光が当ててもらえる時が来ているのだ。日の目を見せてあげなさい」と言った。その方が教会に来て牧師に打ち明けられるということ自体が、もう既に、神様の光が差し込んでいることの現れなのである。そして、神様は、その方の罪をただ暴露される方ではない。神様からの光が当てられるとき、必ずや、そこに神様からの介入がある。それは罪からの解放になって行く。
先日の収穫感謝日の合同礼拝で、十戒の最初の部分を学んだ。神様は、ご自分を次のように自己紹介なさった。「私は主、あなたをエジプトの国、奴隷の家から導きだした神である」と。神様は、私たちが罪を人間的に対処し、結果として、その奴隷になることをお許しにはならない。私たちが罪の奴隷となることから解放なさる。そこに、神様を信じている人間を通して介入なさって、罪の奴隷となっている人間を、そこから解放なさろうとされる。
先週の火曜日から二人が、受洗の準備を始められた。準備会では、私が用意したごく簡単な内容のプログラムを学ぶ。学びのはじめは常に「洗礼とは何か」である。必ず引用する聖書の言葉は、ローマの信徒への手紙6章3節の「キリスト・イエスに結ばれるために洗礼を受けたわたしたち」という御言葉である。これは、この手紙が書かれた紀元50年代後半に、既に洗礼式で教えられ読まれる式文として成立していた言葉ではないかと言われている。洗礼とは何か、それはイエス様を信じて、イエス様に結び付けていただくことなのだ、と教えられていたのである。準備会では、この御言葉に加えて、同じローマの信徒への手紙1章6節の「イエス・キリストのものとなるように召された」という言葉も付け加えた。イエス様に結びつけられた私たちは、それによって、イエス様のものとされるのである。それが、ひいては、神様に結ばれ、神様のものとなるということになる。罪のもの・罪の奴隷とされている私たちを、神様はイエス様に結びつけ、イエス様のものとすることで、そこに光を差し込み、私たちを徐々にではあるが、罪の奴隷になることから解放してくださるのである。
この物語が44章で終わらずに、45章へと続いていることを心から喜びたい。
筑波学園教会牧師 福島 純雄
2014年 11月30日 待降節第1主日礼拝
01:18不義によって真理の働きを妨げる人間のあらゆる不信心と不義に対して、神は天から怒りを現されます。 01:19なぜなら、神について知りうる事柄は、彼らにも明らかだからです。神がそれを示されたのです。 01:20世界が造られたときから、目に見えない神の性質、つまり神の永遠の力と神性は被造物に現れており、これを通して神を知ることができます。従って、彼らには弁解の余地がありません。 01:21なぜなら、神を知りながら、神としてあがめることも感謝することもせず、かえって、むなしい思いにふけり、心が鈍く暗くなったからです。 01:22自分では知恵があると吹聴しながら愚かになり、 01:23滅びることのない神の栄光を、滅び去る人間や鳥や獣や這うものなどに似せた像と取り替えたのです。 01:24そこで神は、彼らが心の欲望によって不潔なことをするにまかせられ、そのため、彼らは互いにその体を辱めました。 01:25神の真理を偽りに替え、造り主の代わりに造られた物を拝んでこれに仕えたのです。造り主こそ、永遠にほめたたえられるべき方です、アーメン。
1.「ローマの信徒への手紙」の1章18節から3章20節までは、この手紙の本論の第一部とも言うべき箇所だとされている。17節までの序論でパウロが繰り返し語っていたのは、「神の福音」ということであった。
「福音」とはグッドニュースであり、喜びの報せである。その中身は、1章7節の言葉から言えば、私たちが「神に愛され、召されて(神との絆を結んでいただいたこと)、聖なる者(神様にとっての特別な存在とされること、宝物となること)」とされることを意味している。それはまた、17節にある言葉で言えば「神の義」ということでもある。これを序論において繰り返し言及することで、パウロはこの手紙全体を貫く主題が「神の福音」にあることを、まず明らかにしている。
このように、神様によって私たちが愛され特別な存在としていただく喜びを語って来たパウロだが、この18節からは、突然語調を変えて「神の怒り」ということを語り始めるのだった。このようなことを語るのは、神様の福音の喜びを語るこの手紙にはふさわしくないのではないだろうか。神様の福音と神様の怒りということは、どのようにつながってくるものなのだろうか。
私たちは、ともすると、神様が私たちを愛して下さるということと、神様が私たちをお怒りになることとを、相容れないこと、正反対のこととして受け取ってしまいがちである。また、あたかも神様には、まるで正反対の二つのお顔があり、私たちに愛のお顔をお向けになるときと、怒りのお顔を向ける時とがあると受け取ることもある。このような理解は、私たちの信仰にとって重大な危険をもたらすものと私は思う。たとえば、子が親にそのような二つの顔があると思ってしまったとする。子は当然のこと、親の顔を伺うようになる。子は、親が自分に優しい顔だけを向けてくれるようにと振舞うようになる。親と子との間柄が、何と言うか、取引めいたものとなり、おどおどした、信頼を欠くものとなってしまうのである。もしも神様に相反する二つのお顔があるとなると、私たちと神様との間柄も、このようになってしまうのではないだろうか。
2.パウロは神様の怒りというものを、17節まで繰り返し語ってきた。それは神様の福音、神様の義と相反するものとして語ってきたのか。神様に二つの正反対のお顔があるように語ってきたのだろうか。私はそうではないと示された。
原文には、パウロの意図が滲み出ているように感じる。序論の最後、1章17節の「福音には神の義が啓示されています」という言葉と、18節の「神は天から怒りを現されます」という文章が、あたかも対句のようになっている。17節をギリシャ語で読むと「ディカイオスネー ガル セウー エン アウトイ アポカルブタイ」であり、18節は「アプカルプタイ ガル オルテー セウー アポ ウラヌー」である。この語感からも、対になっているのが感じとれる。パウロは、福音において神様が私たちを義として愛が現れることと、天から私たちに怒りを現されることとは並列され、互いに補完しあい、究極的には同じ事柄だと、神様は初めから終わりまで終始一貫して私たちを愛し、おそばへと召し、私たちを宝物として扱って下さるお方であると言っている。その神様の愛には、何の変化も移り変わりもない。だからこそ、神様は私たちの、とある在り方に対して、どうしてもお怒りにならざるを得ないのである。それもまた福音なのである。神様の義の現れこそが、また神様の怒りでもあるのだということである。
私たちも、子に対して、愛するがゆえに怒るということがあるだろう。私たちが親として子に抱く愛情は、しばしば、親の勝手な欲や価値観が含まれているが、それでも、怒るのは、子を愛しているからなのである。愛していなければ、怒ることはしない。愛することのなかにこそ、怒りや憤りが含まれるのである。ましてや、神様の怒りは、18節にあるように「天から」のものである。私たち人間の親の愛にある低さや醜さからではなく、天の広さや高さを以って、怒って下さるのである。そこには、私たちへの変わることのない愛がある。
3.それでは、神様は私たちのいかなる部分に対してお怒りになって下さるのか。18節では総括的に「不義によって・・不義に対して」とあり、それが具体的には19節以下で示されていく。なお、18節欄外のタイトルには「人類の罪:英語版では」とあり、ここで神様が怒りを向けられる対象は、すべての人類だとの理解がそこにはある。いろいろな考え方があるようだが、私としては、パウロがここで念頭に置いているのは、全人類というような漠然とした対象ではなく、特にローマに住んでいたギリシャローマの人々、全く旧約聖書を読んだことのない異邦人と呼ばれる人々のことを考えていたのだと理解する。
彼らに対して、なぜ神様はお怒りになったのか。まず、それは21節にあるように「なぜなら、(彼らは)神を知りながら・・心が鈍くなっているから」であった。パウロは、旧約聖書など読んだことのない、先輩たちを通して神様のことを聞いたこともない異邦人であっても、神様を知っているのであり弁解の余地はないとまで述べている。彼らがどういう形で神様を知っていたのかと言うと、20節「世界が造られたときから・・これを通して神を知ることができる」とのことである。
具体的にパウロがどういう事を考えていたかは定かではない。私が想像するのは、高校の倫理などの授業で習った程度の知識だが、ギリシャには幾人もの優れた哲学者がいたということである。また、偉大なる古代の数学者アルキメデスも、医学の父と言われるヒポクラテスの名前も思い起こす。彼らはこの世界の根源的な成り立ちを探求し、そこから被造物世界を貫く法則性や規則正しい秩序や原理などを発見したと言っても良いのではないか。パウロが20節で語っているのは、まさにそのような事柄なのであった。被造物を見れば、その被造物を規則正しく合理的に秩序良く創造した何ものかがおられるということがわかる。その方が、この宇宙や自然を規則正しく運行し、保ち支えている。それができるのは人間や被造物ではない。お造りになった方だけが、それを為し得るのである。そのように神様を認識すると、自ずから、その存在を崇め感謝することに向かわざるを得ないではないかとパウロは言っているのである。
しかし、ギリシャローマの人々は「むなしい思いにふけり心が鈍く暗くなっている」のだった。これまた、具体的にどういうギリシャローマの人々の姿が言われているのかわからないが、彼らと何ら変わっていないであろう今日の私たちから言えることは、お造りになった方を崇め感謝するのではなく、それとは反対に、自分たちが支配者のように振舞い、神様が創造された世界を我がもの顔に手中にし、収奪しているということである。どうしてこのことに、創造された神様がお怒りにならずにいられるであろうか。
パウロは、はっきりとは書いていないが、異邦人を含めすべての人間を、神様は、そもそも愛したからこそ、神様がお造りになった世界を人間に委ね、その管理を任されたのだった。人間を特別に愛し、召し、聖なる者とされた神様のお心が最初にあった。そうであればこそ、人間がこのように振舞う有り様に、神様はお怒りにならざるを得ないであろう。神様の愛ゆえに、私たちの振舞いを放置されることはお出来にならないであろう。
4.次にパウロが指摘した、特にギリシャローマの人々の不義が23節にある。「滅びることのない神の栄光を・・取り替えた」とある。使徒言行録17章16節に、パウロが初めてアテネに行ったとき「この町のいたるところに偶像があるのを見て憤慨した」とある。そして、アテネの人々に次のような言葉を語りかけたことが書かれている。「あなたがたが知らずに拝んでいるもの、それをわたしはお知らせしましょう。世界とそのなかの万物とを造られた神がその方です。この神は天地の主ですから、手で造った神殿などにはお住みになりません。また、何か足りないことでもあるかのように、人の手によって仕えてもらう必要もありません。すべての人に命と行きと、その他すべてのものを与えてくださるのは、この神だからです・・・(22節以下)」。
静かな言葉ではあるが、至る処に偶像の神々が祭られていることへのパウロの憤慨の思いがひしひしと伝わってくる言葉である。滅びることのない栄光を以って、神様は、被造物世界をお造りになり、それを秩序正しく保たれ、人間への特別の愛を以って、それを私たちに任されている。そのような大いなるお方、目に見えない高さ・大きさ・広さを持っておられる神様を、ギリシャローマの人々は(そして、今日の私たちも)、滅び去る人間や、よりにもよって鳥や獣や這うものなどに似せて像を刻んで、拝んでいるのである。人間が捧げる供物がなければ「何か足りない」ところでも抱えるような哀れな存在に貶めているのである。確かに、昔読んだギリシャ神話の神々は、人間が捧げる供物の少なさを嘆き、怒り、そのために人間に罰を下すような存在として描かれていた。これは、神様を、単に自分たち人間や鳥や獣などにダブらせていただけである。それによって神様の存在が目に見える身近なものになったかも知れないが、それは神様を冒涜するだけである。これに対して、どうして神様がお怒りにならない筈があるであろうか。
5.こうしたことの結果として、どのような悲惨さがギリシャローマの人々、引いては今日の私たちに生じてしまったのかが、24節以下に書かれている。「そこで神は・・・まかせられ」とある。この表現のニュアンスは、神様が私たちを、不潔なことをするに任せられたことが、神様のお怒りの表れなのだ、ということである。創造者なる神様を崇め感謝することができず、被造物世界を我がもの顔に収奪し、神様を人間や動物の姿に貶めた結果として、人間は「心の欲望によって不潔なことをするにまかせられた」と。人間は、その心の欲望を止めることが出来なくなってしまった。人間が神様となり王となってしまうと、その欲望には限りがなくなる。しかし、それによって、あのヨセフ物語にあったように、エジプトの王様の心は平安にはならなかった。むしろ心を騒がせることにしかならなかったのである。
そうして、互いにその体を辱めた。心の欲望が果てしなくなると、私たちは自分で自分の体を傷つける。また、誰かの体を傷つける。果てしない欲望を抱いて体を酷使し、過労死させるまで働かせる、人を追い込む社会がまさにそうである。すべての悲惨さは「神の真理を偽りに替え、造り主の代りに物を拝んでこれに仕えた」ことから生じた。だからこそ、「造り主こそ永遠にほめたたえられるべきお方です」とパウロは叫ばざるを得なかったのである。
この文章を書きながら、きっとパウロは願っていたのだと思う。ローマにいる異邦人たちが、「では、どうしたら私たちは神をあがめたたえることができるようになるのか。この神の怒りを受ける悲惨さから救われるのか」と、真剣に問うてきてくれるようになることを。私は今回、私たちが神様を崇め感謝することが、どれほど難しいかということを、改めて強く示された。私たちのなかには、神様を讃えることのできない何かが根深く存在しているのである。その答えこそが、既に序論の6節に明らかにされたことである。「この異邦人の中に、イエス・キリストのものとなるように召されたあなたがたもいるのです。」とある。イエス様と出会い、イエス様をキリスト(救い主)と頼り、そのような思いのなかでイエス様のものとされるなら、それが神様を讃えることとなると、そして神様の愛をうけ得る者とされることだとパウロは言いたかったのである。
筑波学園教会牧師 福島 純雄
2014年 11月23日 降誕前第5主日礼拝
20:01神はこれらすべての言葉を告げられた。 20:02「わたしは主、あなたの神、あなたをエジプトの国、奴隷の家から導き出した神である。 20:03あなたには、わたしをおいてほかに神があってはならない。
1.今日の収穫感謝日礼拝は、教会学校の生徒さんたちと一緒である。合同礼拝のときにはいつも、教会学校の先生方が使っておられるテキストに従って、説教の聖書箇所を選ばせていただいている。そのテキストでは、10月からモーセの律法を学んでる。今日の御言葉は、モーセがシナイ山で、神様から十戒を与えられた場面の初めの部分を記した箇所である。この物語は、『十戒』という有名な映画にもなった。
最初に少し、聖書の注解書のようなことを話したい。この「出エジプト記」に書かれている通りに、シナイ山で、モーセを通してイスラエルの人々に十戒が与えられたのかどうか、さらに遡れば、出エジプトという出来事自体があったのかどうか、モーセという人物がいたのか、荒野を40年さまよったのかどうか、というようなことは、そもそも全く定かではない。ラディカルな聖書批評をする学者のなかには、こうしたことは全て無かったと主張する人さえいるようである。私も、聖書に書かれている通りに、一連の出来事が起こったとは考えてはいない。たとえば、出エジプト記の12章37節では、エジプトを出た人々の数は、妻子を別にして、壮年男子だけでもおよそ60万人と書かれている。これだけの人々が一度に隊列を組んだとすると、それだけで約100km以上にもなるはずである。エジプトとパレスチナの距離は、直線距離にして150km程度である。もうそれだけで隊列の先頭はパレスチナに入っているということになる。また、これだけ沢山の人々が一度に難民状態になって、荒野のなかで40年間も生き延びられるとは到底考えられない。
では、歴史的な事実としてはまったく無かったことのか、後代の人々が捏造した想像の物語なのかというと、決して、そうとは言えないと思うのである。先週、聖書研究祈祷会でエレミヤ書の2章を学んだ。神様はエレミヤを通して「わたしは、あなたの花嫁のときの愛・・荒野での従順を思い起こす」と言われた。「あの荒野うんぬん」とは、「わたしたちをエジプトの地から上らせ、あなたの荒野。荒涼とした穴だらけの地、渇ききった暗黒の地、だれ一人そこを通らず、人の済まない地に導かれた(エレミヤ2章6節)」ときのことだったとおっしゃっているのである。出エジプトとその後の荒野のさまよい、その中を神様が導いて下さったという歴史的事実は、忘れ得ない出来事として、後代の多くの者の記憶にしっかりと刻みつけられており、こうした記憶が実際の事実としては無かった、想像の産物だとは、到底言い得ない。
2.だから、聖書が記す通りではなかったとしても、ある程度の数の人々がエジプトを脱出し、すぐにはパレスチナに入ることはできなくて、荒野を相当長い間、難民状態になって、さまよわねばならなかったという事実はあったのだと思う。そのなかで、神様から十戒に相当するような何かを授かったということもあったに違いない。難民状態にあったイスラエル人が、何十年も荒野をさまよい生き延びたという事実こそが、そこで神様と出会い、また十戒に相当するような決定的な何かを神様から授かったということを示していると私は思うのである。
荒野をさまようなかで、イスラエルの人々の命を支えたものが幾つかあった。たとえば、食べ物としては、『マナ』やうずらが神様から与えられ、水は岩からほとばしる形で与えられたと聖書のあちこちに書かれている。また、道案内としては「昼は雲の柱をもって導き、夜は火の柱をもって照らされた(出エジプト記13章21節)」ともある。けれども、荒野での難民状態が何十年も続くなか、それを生き延びて行くには、ただこれだけでは足りなかったのではないか、と思うのである。
イスラエルの人々の状態の方がもっともっと苛酷だったと思うが、原発のためにふるさとに帰還もままならず、仮住まいを余儀なくされている方々のことを想像してしまう。被災者の方々は、まさに原発難民と言うことができよう。「仮設住宅があるだろう」「お金も補償金がでているだろう」「住まいにも食べる物にもお金にも困らないだろう」「それで生き延びて行くことは何ら難しくないだろう」と言われがちであるが、皆さんご存知のように、福島県での自殺者数はどんどん増えており、様々な依存症やDVなどの問題も増えていると聞く。荒野をさまよっているのと同じような状態で、何よりも先が見えない、展望がない、将来への見通しがないのである。「これをすれば大丈夫だ」という、生きて行くための指針というか、道筋のようなものがないのである。
これを授けて下さったのが十戒だと、十戒を授かったからこそ、イスラエル人は荒野をサバイバルすることができたのである。食べ物や水だけではなく、内的な糧、精神的な支柱というようなものをいただいたのであろう。申命記8章3節に、イエス様が荒野での40日間の悪魔の誘惑を退けられた時に引用された御言葉が記されている。「人はパンだけで生きるのではなく、人は主の口から出るすべての言葉によって生きる」とある。この「言葉」とは、今日の御言葉の1節に「神は・・言葉を告げられた」とあるが、突き詰めれば、それは、十戒に行きつくだろうと思うのである。
3.さて、これまでずっと何の疑問もなく「十戒」と読んできた。「戒め」という言葉をもって、神様がイスラエル人に与えて下さったものを捉えてきた。確かに、出エジプト記において、再度十戒のことが記されている34章28節には「十の戒めからなる契約の言葉」とされている。しかし、私の感じでは、これはかなり後の時代の理解が入っていると思う。最初に聖書のなかで十戒のことが記された、今日の聖書箇所の何処にも、そもそもは「戒め」という言葉は出て来ない。もともとは、単なる「言葉」なのであった。
「戒め」と言う言葉から私たちが普通に抱くのは、強制や義務である。それを破った時には、ペナルティが科される。確かに、表現としては「・・・ならない」と繰り返されている。6節と7節には、ペナルティと理解できることも確かに書かれている。しかし、私がなによりも思うのは、荒野の難民だったイスラエルの人々にとって、十戒とは強制や義務だったのかと言うことである。それを守らなければ神様からペナルティを科されるという恐怖心を与えるものだったのかということである。もしも、被災者の方々がそういう強制や義務を科され、それが何十年も続くとすれば、それは生きる指針や内的な支えになっていくであろうか。イスラエルの人々は、荒野のなかで、ただでさえ様々な事柄を強制されていた。そういうなかで、さらに神様と言う存在から強制や恐怖を科されることが何十年と続いて行って、それが果たして、生きる支えになったであろうか。
たとえて言えば、十戒とは、荒野で溺れそうになっている、或いは、遭難しそうになっている人に、神様が差し出してくれた救命ボートのようなもの、救助用ヘリコプターから降ろされたロープのようなものだと思うのである。当然、救助する人からは「これにつかまれ」と強い口調で指示が出されたはずである。つかまらなければ助からない、死ぬのである。つかまらなかった結果、その人が死んでしまったとしても、それはペナルティではない。神様が十戒という救助道具に「つかまれ」「助かりたいなら、つかまらねばならない」と、強く語りかけて下さったのに対して、そうしなかったことの結果に過ぎない。私は、十戒というものを戒めとしてではなく、助けや救いの差し出しとして理解したいのである。
4.さて、この神様からの救命ボート・救助ロープを、神様はどういう形でイスラエルの人々に降ろして下さったか。1節に「神はこれらすべての言葉を告げられた」とあります。言葉によってそれを人々に聞かせ、聞いた言葉に人々が応答し、或る具体的な行動をとることによって為さったのです。
言葉以外に、どんな手段があり得ただろうかと想像してみたい。被災者の方々のところには、様々なボランティアが訪問して下さって、レクリエーションを提供したり、音楽を聞かせて下さったりということがある。神様は、難民状態にある人々に、内的な糧や生きる指針を授けられたであろうのに、ただ「言葉」をお用いになられた。これが、神様のなさるやり方なのである。ヨハネ福音書の書き出しに「はじめに言があった。言は神と共にあった。言は神であった」とある。これは、言葉そのものが神様であるという意味ではなく、神様がご自分を私たちにお示しになり、私たちを救い、私たちに生きる指針をお与えになるとき、言葉を用いられるという意味だと思う。そういう言葉が生きた人間となったのがイエス様だと、ヨハネは言っている。
言葉は、それを私たちが聞き、応答することを待っている。聞くも聞かぬのも、私たちの自由である。聞いて、ただ聞き流すのも自由である。応答するかしないか、私たちに任されている。神様はこういう手段をとられるのである。このことが、4節にある「いかなる像も造ってはならない」ということと深く結びついている。言葉を聞いて、私たちは、自由に神様のお姿を想像する。目に見える、刻んだ像においてではないのである。もちろん、だからこそ、直ぐその後の2つの節では、神様はご自分がどのような神なのかを、ちゃんと自己紹介している。この神様ご自身の自己紹介に則って、自由に想像して良いのである。そして、その神様に応答するのである。私たちクリスチャンが、イスラエルの人々から受け継いだ信仰は、このようなものだと、改めて強く示される。神様の言葉を聞いて、それに応答する信仰なのである。神様の言葉を聞くということのなかに、神様からの救い、すなわち救命ボートや救命ロープを見出す信仰なのである。
5.では、その言葉をもって、神様ご自身がどのように自己紹介をされているのか。2節「わたしは・・・エジプトの国、奴隷の家から導きだした神」と言われている。神様は、様々な意味で「エジプトの国、奴隷の家」から私たちを導きだす方なのだと言われている。
「エジプトの国、奴隷の家」とは、どんな状態を指すのか、先週・先々週と教えられた、創世記のヨセフ物語を再度、想起する。エジプトの国、それはナイル川から良いものだけを手に入れたいと願う王が支配する国であった。悪いものが上がってくるのを制御できないと知って、思い煩う王様の国であった。エジプトの国とは、このような国のことである。私たちがいるのは、このような王国なのだと示される。人生というナイル川から良いものだけを手に入れたいと願い、王として人生を治水しようとする者である。故に、思い煩いの奴隷となっている。
イスラエルの人々が、果たして、自分たちをエジプトの国での奴隷だと思っていたのかどうか。出エジプト記16章3節では、「(エジプトでは)肉の沢山入った鍋の前に座り、パンを腹一杯食べられた」と呟いている。確かに、重労働は科されていたであろう。しかし、彼らは自分たちを奴隷とは思っていなかったのではないか。今日の私たちもそうである。奴隷とは思っていない。けれどもエジプトの国で、肉鍋とパンを思う存分食べられるこの国で、思い煩いの奴隷になっていたのである。突然の総選挙だが、その理由は消費税延期の是非を問うことであり、今の経済政策を続行して良いかを問うためだそうである。そこにはお金のことしかない。国民を馬鹿にしているとしか、言いようがない。こういう国のなかで、私たちは知らずしらずのうちに、奴隷とされているのである。
神様は、このようなところから私たちを導きだすのだと自己紹介なさっている。導きだして下さるために、神様がなされることは何か。エジプトからイスラエル人を導きだすため、モーセを通して、先ず神様がなさったことは、ナイル川を血の川にすることであった。最後になさったのは、エジプト人の子供たちが突然に死んでしまうという出来事であった。これは、突き詰めれば、王が主人ではなく、神様が主なる方だということをお示しになったのである。私たちが主人だと思い、故に、思い煩いに支配されている私たちに、神様が主人であることをお示しになった。それに応答して生きるなら生き残れるのである。そして、応答してどう生きるかの指針が3節以下に記されている。指針はごくごくシンプルなものである。決して難しいものではない。荒野をさまよう人々にとっても実行可能なものである。これが開放になる、生き延びる指針なのである。
筑波学園教会牧師 福島 純雄
2014年 11月16日 降誕前第6主日礼拝
12:22それから、イエスは弟子たちに言われた。「だから、言っておく。命のことで何を食べようか、体のことで何を着ようかと思い悩むな。 12:23命は食べ物よりも大切であり、体は衣服よりも大切だ。 12:24烏のことを考えてみなさい。種も蒔かず、刈り入れもせず、納屋も倉も持たない。だが、神は烏を養ってくださる。あなたがたは、鳥よりもどれほど価値があることか。 12:25あなたがたのうちのだれが、思い悩んだからといって、寿命をわずかでも延ばすことができようか。 12:26こんなごく小さな事さえできないのに、なぜ、ほかの事まで思い悩むのか。 12:27野原の花がどのように育つかを考えてみなさい。働きもせず紡ぎもしない。しかし、言っておく。栄華を極めたソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。 12:28今日は野にあって、明日は炉に投げ込まれる草でさえ、神はこのように装ってくださる。まして、あなたがたにはなおさらのことである。信仰の薄い者たちよ。 12:29あなたがたも、何を食べようか、何を飲もうかと考えてはならない。また、思い悩むな。 12:30それはみな、世の異邦人が切に求めているものだ。あなたがたの父は、これらのものがあなたがたに必要なことをご存じである。 12:31ただ、神の国を求めなさい。そうすれば、これらのものは加えて与えられる。 12:32小さな群れよ、恐れるな。あなたがたの父は喜んで神の国をくださる。 12:33自分の持ち物を売り払って施しなさい。擦り切れることのない財布を作り、尽きることのない富を天に積みなさい。そこは、盗人も近寄らず、虫も食い荒らさない。 12:34あなたがたの富のあるところに、あなたがたの心もあるのだ。」
1.福音書に記された数多いイエス様の言葉の中でも、多くの人々に最も知られたものではないかと思う。山上の説教の呼ばれるマタイ福音書6章の最後には、「空の鳥・野の花を見よ」とあった。私の記憶には、「思い悩むな」ではなく、以前に用いられていた聖書の訳である「思い煩うな」が刻まれている。
多くの人々に記憶されているイエス様の言葉ではあるが、イエス様が本来言わんとしたことが理解されているかというと、はなはだ心もとないところもある。ある人が「ここでイエス様が言っているのは、単に自然に帰れということなのではない。単に空の鳥や野の花のようになれと言うことではないのである。人間はすでに人間以外の何者でもあり得ないのである」と言っておられた(谷口隆之助『聖書の人生論』12ページ)。これは、私たちがこのイエス様のお言葉を聞いて、「空の鳥・野の花を見よと言われても、そもそも私たちは人間なのであって、鳥や花にはなり得ないし・・・」と言うような感想を、まず抱いてしまうことを示している。
また、今回改めてこの聖書箇所読んでみて、わたし自身が抱いた疑問に突き当たった。「命のことで何を食べようか、体のことで何を着ようかと思い悩むな」とイエス様は言われる。しかし今、この日本においてさえ、その日一日を生きるために何を食べようかと悩まざるを得ない人々はとても多いと聞く。我が国の子供たちの貧困率(その国の国民一人当たりの平均所得の半分以下で生活している世帯で暮らす子供の割合)は、先進国のなかでも最悪の状態であり、6人に1人が貧困状態にあると報じられている。また、年金だけでは生活できない高齢者がどんどん増えているとも、度々報じられている。このような現実に対して、このイエス様のお言葉は、余りにも楽観的すぎるのではないか。このような人々にも、何ら思い悩む必要がないように神様は黙って食べ物を下さると告げている言葉なのか。命や体について、何ら配慮をすべきではないとの言葉なのか。
2.こんな疑問を抱きながら説教の準備をしていて、はっと示された御言葉があった。それはヨセフ物語の内容であった。
エジプトの王様がある夢を見て、とても心を騒がせてしまった。ヨセフは王様の見た夢を聞き、いずれこの国に7年間の豊作と、その後に7年間のひどい飢饉が訪れると王に告げた。7年間の豊作と、その後に来る7年間の飢饉は、神様がすでに為そうと決めていたことだった。では、それに対して王様やエジプトの人々は、思い煩うことをしない代わりに、何の対策も講じず、ただ黙ってやりすごすしかなかったのか。ヨセフは決してそんなアドバイスはしなかった。
ヨセフは、イエス様の象徴であり原型のような人物だと言われている。彼は王様に「聡明で知恵のある人物をお見つけになって、エジプトの国を治めさせ、国中に監督官をお立てになり、豊作の7年の間、産物の1/5を備蓄させなさい。そうすれば国が滅びることはないでしょう」とアドバイスした。飢饉があっても神様は食べ物を下さるから、そうすれば国が滅びることはないでしょう」とアドバイスした。「飢饉があっても、神様は食べ物を下さるから、何も心配しないで、空の鳥・野の花のように、倉に入れず蓄えずとも良い」とは言わなかった。むしろ、それとは反対に、「国の将来に対して必要な対策を講じて、飢饉に備えよ、知恵を働かせ、管理せよ」と教えたのだった。これがイエス様の原型たるヨセフが教えたことであった。
このことは、命や体について、私たちがしてはいけない思い煩いと、人間であるが故に当然にしても良いし、また、しなければならないところの、知恵を働かせて命や体を賢く管理することがあるのだということを意味している。その二つをちゃんと区別しなければならないということを教えている。
3.それでは、先ず、私たちがしてはいけない命や体についての思い悩みとは、どういうものなのか。イエス様が命や体について言われた一番大切なこととは、「あなたがたのうちだれが、思い悩んだからといって、寿命をわずかでものばすことができようか。こんなごく小さな事さえできない」という言葉である。イエス様が何よりも言わんとされるのは、命や体は神様の専権事項に属しているということではないか。だから、神様が支配されており、私たちの手中にはない命や体について、あたかもそれが自分の手中にあるかのように、どうにかできるものであるかのように考えて、そうしようとするのが、してはいけない思い煩いなのである。
エジプト王が夢に見て、心を騒がせたのはまさにこのことである。エジプト王は、ナイル川から最初に7頭の肥えた雌牛があがってきて、その後に痩せた醜い7頭の牛が同じナイル川からあがって来て、先のよく肥えた7頭の牛を食い尽くしてしまった夢をみた。それにひどく心を騒がせたのだった。思い悩んだのであった。なぜ、思い悩んだのか。エジプト王の一番の仕事は、ナイル川の治水だと世界史で習った。ナイル川から善いものだけを収穫するのが王の務めであった。ところが、王の夢が暗示したのは、ナイル川から善いものだけではなく、悪いものも上がってきて、それを王としてコントロールできないということなのであった。王はあたかも、ナイル川を自分の手中にあるもののように考えていた。王である故に、そうできて当たり前と考えていた。それは、エジプト王だけではなく、広く今日の時代の私たち皆が抱いている人生観である。人生を、命や体を、我がものとして考え、そこから善いものだけを収穫したいと願っている。
このようなエジプト王に、ヨセフは神様が為そうとしておられる事を告げたのだった。それは、7年の農作の後に、7年のひどい飢饉が起こるということであった。それは「神が既に決定しておられ、間もなく実行されようとしておられる」こと(創世記41章32節)であった。たとえ王様であっても、その神様の専権事項に対して口を挟むことはできない。神様が私たちの命について、また体について、間もなく実行されようとしておられることがあるのである。そこには7年の飢饉がある。それを、私たちは如何ともできない。しかし、神様の御業の根幹には、王に幸いを与えよういうことがあったのだった。豊作があり、また飢饉がある。そうした出来事を通して、神様は私たちに幸いを与えようとされる。この命や体に対する神様の御業について、私たちは口を挟むことはできない。それをやろうとすれば、そこからは思い煩いしか生じて来ないのである。
4.それでは、私たちが命や体について、人間であるが故に当然になすべきである管理者としての務め、また将来に対する賢い備えとは、どのようなものであろうか。その前に、命や体が神様の専権事項だということに加えて、もう一つ、イエス様が命や体について教えて下さることに触れておきたい。
「種もまかず・・鳥を神は養ってくださる。あなたがたは鳥よりもどれほど価値があることか」とあり、「草でさえ、神はこのように装ってくださる。まして、あなたがたは、なおさらのことである」と、イエス様は言われた。これは、神様が、私たち人間の命や体だけに、空の鳥や野の花以上に、ある価値を与え、着飾らせて下さる装いというものがあるということではなかろうか。それは、私たちが自分自身に与えようとする価値や、着せようとする装いよりも遥かに大きいものである。「命は食べ物よりも大切であり・・」の「大切」とは、本来こういう意味だと思う。神様が、もともと私たちの命や体に与え着せて下さる価値や装いがあるのだから、それを大切にすればよいではないか。その装いを輝かせればよいではないか。そういうお言葉なのである。
では、それはどのような価値であり、装いであろうか。神様はわざわざ私たちの体を「土の器」から造り、ご自分に似た姿を刻みこまれた。金やダイヤやプラチナからではなく、もろい材料からわざわざ造られたのだった。その御心は、土の器に造られたからこそ、私たちはお互いを助け合い、心配し合って生きるということだと思うのである。創世記1章26節には、「我々に似せて・かたどって」と、実に不思議な御言葉がある。神様は唯一であるのに、どうして「我々」なのだろうかとの疑問が起きる。それは、神様が私たちに刻んでくださったご自分の似姿が、根源的に「我々」ということに深くつながっていることを示している。だからこそ、神様はわざわざ私たちを、もろく弱い土の器から創造されたのである。私たちが「我々」として、お互いを配慮し合い、助け合うためである。それこそが、土の器たる私たちに刻まれた神様の似姿であり、だからこそ、それが、神様が私たち人間に、特に込め与えて下さった価値であり、装いではないだろうか。
こういう流れの中で、33節に「施しなさい」と言われている意味がわかってくる。これは、マタイ福音書の山上の説教にはない部分である。ルカは、彼独自の理解をもって、ここに、このイエス様のお言葉を置いた。施すことができる、これが、神様が私たちの命、すなわち土の器たる体に与えて下さった価値であり、装いなのである。「これを大切にしなさい。これを輝かせなさい」とイエス様は言っておられるのである。
5.このことが、私たちが命や体について為して良い管理、人間であるからこそ当然に為すべき配慮である。神様が私たちの命や体を、このようなものとして造られたということを知って、それに即して、命や体を賢く用いねばならない。神様の御心に従って、命や体を管理することなのである。それが「神の国を求める」ということに他ならない。私たちの命や体を、このようなものとして創造された神様の意思に従って、これを用いるなら、必要なものは与えられるのである。思い煩う必要はない。弱く脆い土の器たる体をもって、お互いに助け合い、配慮し合うなら、飢饉そのものがやってくることを防ぐことは出来ないが、備えができる。1/5の備蓄ができるのである。晩年になり、飢饉が襲いかかって来ても、青年期や壮年期、元気なときに互いに助け合い、施し合って、天に積んだ宝は、必ずやそれに対する備えとなる。このように生きることが、命や体について、私たちが人間として為すべき配慮であり、賢い管理なのである。
冒頭で、その日の食べ物にも事欠く人々がいる現実に、聖書は何を語るのかと、疑問を掲げた。それへの答えが、やっとここで、与えられたように感じる。「我々」である者として、私たちは土の器である周りの人々のそうした弱さに、当然ながら関与し、管理し、配慮せざるを得ないのである。私たちは施し合わねばならない。土の器たる私たち相互の、その命や体に関する配慮や管理のし合いは、私たちが人間として当然に為すべき事柄なのである。
筑波学園教会牧師 福島 純雄
2014年 11月9日 降誕前第7主日礼拝
40:21ファラオは給仕役の長を給仕の職に復帰させたので、彼はファラオに杯をささげる役目をするようになったが、 40:22料理役の長は、ヨセフが解き明かしたとおり木にかけられた。 40:23ところが、給仕役の長はヨセフのことを思い出さず、忘れてしまった。 41:01二年の後、ファラオは夢を見た。ナイル川のほとりに立っていると、 41:02突然、つややかな、よく肥えた七頭の雌牛が川から上がって来て、葦辺で草を食べ始めた。 41:03すると、その後から、今度は醜い、やせ細った七頭の雌牛が川から上がって来て、岸辺にいる雌牛のそばに立った。 41:04そして、醜い、やせ細った雌牛が、つややかな、よく肥えた七頭の雌牛を食い尽くした。ファラオは、そこで目が覚めた。 41:05ファラオがまた眠ると、再び夢を見た。今度は、太って、よく実った七つの穂が、一本の茎から出てきた。 41:06すると、その後から、実が入っていない、東風で干からびた七つの穂が生えてきて、 41:07実の入っていない穂が、太って、実の入った七つの穂をのみ込んでしまった。ファラオは、そこで目が覚めた。それは夢であった。 41:08朝になって、ファラオはひどく心が騒ぎ、エジプト中の魔術師と賢者をすべて呼び集めさせ、自分の見た夢を彼らに話した。しかし、ファラオに解き明かすことができる者はいなかった。 41:09そのとき、例の給仕役の長がファラオに申し出た。「わたしは、今日になって自分の過ちを思い出しました。 41:10かつてファラオが僕どもについて憤られて、侍従長の家にある牢獄にわたしと料理役の長を入れられたとき、 41:11同じ夜に、わたしたちはそれぞれ夢を見たのですが、そのどちらにも意味が隠されていました。 41:12そこには、侍従長に仕えていたヘブライ人の若者がおりまして、彼に話をしたところ、わたしたちの夢を解き明かし、それぞれ、その夢に応じて解き明かしたのです。 41:13そしてまさしく、解き明かしたとおりになって、わたしは元の職務に復帰することを許され、彼は木にかけられました。」 41:14そこで、ファラオはヨセフを呼びにやった。ヨセフは直ちに牢屋から連れ出され、散髪をし着物を着替えてから、ファラオの前に出た。 41:15ファラオはヨセフに言った。「わたしは夢を見たのだが、それを解き明かす者がいない。聞くところによれば、お前は夢の話を聞いて、解き明かすことができるそうだが。」 41:16ヨセフはファラオに答えた。「わたしではありません。神がファラオの幸いについて告げられるのです。」 41:17ファラオはヨセフに話した。「夢の中で、わたしがナイル川の岸に立っていると、 41:18突然、よく肥えて、つややかな七頭の雌牛が川から上がって来て、葦辺で草を食べ始めた。 41:19すると、その後から、今度は貧弱で、とても醜い、やせた七頭の雌牛が上がって来た。あれほどひどいのは、エジプトでは見たことがない。 41:20そして、そのやせた、醜い雌牛が、初めのよく肥えた七頭の雌牛を食い尽くしてしまった。 41:21ところが、確かに腹の中に入れたのに、腹の中に入れたことがまるで分からないほど、最初と同じように醜いままなのだ。わたしは、そこで目が覚めた。 41:22それからまた、夢の中でわたしは見たのだが、今度は、とてもよく実の入った七つの穂が一本の茎から出てきた。 41:23すると、その後から、やせ細り、実が入っておらず、東風で干からびた七つの穂が生えてきた。 41:24そして、実の入っていないその穂が、よく実った七つの穂をのみ込んでしまった。わたしは魔術師たちに話したが、その意味を告げうる者は一人もいなかった。」 41:25ヨセフはファラオに言った。「ファラオの夢は、どちらも同じ意味でございます。神がこれからなさろうとしていることを、ファラオにお告げになったのです。 41:26七頭のよく育った雌牛は七年のことです。七つのよく実った穂も七年のことです。どちらの夢も同じ意味でございます。 41:27その後から上がって来た七頭のやせた、醜い雌牛も七年のことです。また、やせて、東風で干からびた七つの穂も同じで、これらは七年の飢饉のことです。 41:28これは、先程ファラオに申し上げましたように、神がこれからなさろうとしていることを、ファラオにお示しになったのです。 41:29今から七年間、エジプトの国全体に大豊作が訪れます。 41:30しかし、その後に七年間、飢饉が続き、エジプトの国に豊作があったことなど、すっかり忘れられてしまうでしょう。飢饉が国を滅ぼしてしまうのです。 41:31この国に豊作があったことは、その後に続く飢饉のために全く忘れられてしまうでしょう。飢饉はそれほどひどいのです。 41:32ファラオが夢を二度も重ねて見られたのは、神がこのことを既に決定しておられ、神が間もなく実行されようとしておられるからです。 41:33このような次第ですから、ファラオは今すぐ、聡明で知恵のある人物をお見つけになって、エジプトの国を治めさせ、 41:34また、国中に監督官をお立てになり、豊作の七年の間、エジプトの国の産物の五分の一を徴収なさいますように。 41:35このようにして、これから訪れる豊年の間に食糧をできるかぎり集めさせ、町々の食糧となる穀物をファラオの管理の下に蓄え、保管させるのです。 41:36そうすれば、その食糧がエジプトの国を襲う七年の飢饉に対する国の備蓄となり、飢饉によって国が滅びることはないでしょう。」 41:37ファラオと家来たちは皆、ヨセフの言葉に感心した。
1.ヨセフは、主人ポティファルの妻からの執拗な誘惑を断ったために憎まれ、その妻に乱暴を働こうとしたとのあらぬ濡れ衣を着せられ、牢獄につながれてしまった。
それからどれ位の時が経ったかはわからないが、折しもエジプト王の側近であった給仕長と料理長が、王の怒りを買って、ヨセフのいた牢獄に入れられてきた。ある日、二人はそれぞれに夢をみたが、その夢の意味が解らず途方に暮れていた。牢獄の世話役を任されていたヨセフは、二人の夢を解いてやった。すると、その通りになり、料理長はエジプト王によって死刑にされ、給仕長は許されて元の職に復帰した。給仕長はヨセフに「夢の解き明かしどおりになったなら、私を牢から出られるようにして下さい」と頼まれていたが、そのことをすっかり忘れてしまっていた。これが40章のあらすじである。
それから2年経って、今度はエジプト王が二つの夢をみた。その夢の詳しい内容は、41章の1節から7節、また17節から24節に書かれている。とにかく、その夢は、何とも嫌な感じのするものだったので、8節にあるように「朝になってファラオをはひどく心が騒ぎ」国中から夢を解き明かすことのできる者をさがしたが、誰も解き明かすことができなかった。それを知った、かの給仕長が、ヨセフのことを思い出し、王に進言した。王は早速、牢屋からヨセフを呼び、夢の解き明かしをさせた。
ヨセフが開口一番、王に語った言葉が16節「神がファラオの幸いについて告げられるのです。」である。ヨセフの言葉に「幸い」とあることに、是非とも心を留めておいて欲しい。さて、ヨセフが解き明かした夢は、3度も繰り返したが、まず「神がこれから為そうとしていること」が告げられているものであり、その意味は、7年の豊作の後に、その豊作をすっかり飲み込むほどのひどい飢饉が7年続くということであった。夢そのものの意味はそういうことだったが、ヨセフが王に語ったのは、ただそれだけではなかった。その飢饉にどう対処したら良いか、ということもヨセフは語った。豊作の間に、収穫の1/5を備蓄すれば、かならずや飢饉を乗り越えることができるとのアドバイスをしたのだった。このヨセフのアドバイスに心を打たれた王は、彼を危機管理大臣のような立場に任命した。こうして、飢饉を逃れてエジプトにやってきた兄弟たちや父ヤコブとの何十年振りかの再会へと、舞台は移っていくこととなった。
2.以上の物語から、私はおよそ3つのポイントを教え示された。まず第一は、エジプト王のファラオが夢を見て、ひどく心を騒がせたこと。また、この夢をエジプト中の誰も解き明かすことができなかったということを通して、考えさせられた点である。
夢を解き明かすことのできる者が、エジプト中をさがしても、誰もいなかったというが、私は、これは文字通りの事実ではないと想像する。夢が暗示していた出来事そのものを察することができた人、そういった類の能力を持つ人は、エジプトには何人もいた筈だと思うのである。しかし、問題はその出来事の持っている意味というか、そのことが起きて、それがエジプトに何をもたらすのか、そして、王や国がどうなっていくかを、励ましや希望として語ることができた者が、ヨセフを置いていなかったということなのだと思うのである。単に起ころうとしている事実を告げるのなら簡単である。大切なのは、その出来事の意義や、それがもたらす希望を語るか否かである。それを語ることができなければ、起ころうとする出来事のみを告げても、何の意味もないのである。それはたとえば医師が、何の希望も対処するすべもないのに、ただ余名何ヶ月と、これからの悲惨さのみを告げるようなものである。それだけを告げられるのならば、何も告知されない方がましであろう。
王がこの夢を見て、何故これほどまでに心を騒がせたのかと言う点も、考えさせられる。とても不吉な、気味の悪い夢だから、当然だろうとは言える。しかし、それだけではないのではないか。夢の内容を注意深く読むと、2節と3節に、とてもはっきりと書かれている。まず、ナイル川から7頭のよく肥えた雌牛があがってきて、その同じナイル川から今度は醜い痩せた7頭があがってきて、最初の肥えた牛を食べつくしてしまうという夢であった。エジプトの国に豊かさをもたらしたナイル川、その同じナイル川が不吉な出来事をもたらす、という夢である。ナイル川というのは、エジプトにとってどれ程大事な川であったかは、世界史で習ったとおりである。ナイル川を治水することこそが、王の務めだとも教えられた。そこから、王権と言うものも生じたとされる。しかし、このナイル川が、ただ豊かさだけでなく、不吉なものをも生み出す。王が、ナイル川について起こることに対して、全くアンコントローラブルであった。王としての務めや権力を失墜させるようなことだからこそ、王はこれほど心騒がせたのであろう。
3.私は、このような王の姿に、今日の私たちの姿をみるように思う。7年の豊作をもたらすナイル川とは、私たちの人生に様々な豊かな実りをもたらして下さる青年期や壮年期の象徴である。しかし、この同じ人生が、老年期や晩年には、その豊かさを食い尽くしてしまい、忘れ去られてしまうような苦難や悲惨さをもたらすのである。私たちは、人生と言うナイル川から、豊かさのみを収穫したいと願っている。そういうものとして、コントロールしようとする。しかし、そうは出来ないのである。そんなことなどできないナイル川として、人生は私たちの前に現われる。そのことが、私たちの心を騒がせるのである。
先週の月曜日、地区社会部の研究会が開催された。その会の講師は、この教会の会員姉の次男兄であった。彼は、ずっと薬物依存に苦しんで刑務所にも入り、今は、仙台ダルクという施設の責任者をしておられる。薬物依存について、全国のいろいろな所を飛び回って、啓蒙活動をされておられる。薬物依存だけではなく、多くの依存症から抜け出すプログラムの基本は、まず自分が依存に対して無力であり、アンコントローラブルであると認めることから始まると、教えられた。しかし、このアンコントローラブルであると認めることが難しいと言うのである。それはプライドを傷つけられるからだという。自分が人生に対して、それこそ王様であることを失墜させるからである。私たちは、すべからく、自分に対してコントローラブルでありたいと考えている。王権を失うことを、とても恐れている。
4.第2のポイントは、このような心騒がせた王に、ヨセフは夢を解き明かし、それだけではなく、心を落ち着かせ、励ましや希望を与える言葉をかけることができたということである。
ヨセフは、繰り返し、この夢は「神がこれから為そうとしていることを、ファラオにお告げになったもの」と語った(25節、28節、32節)。それは神様が為そうとされ、既に決定なさり、間もなく実行されようとしておられたことであった。ですから、たとえ王であっても、これを押し止め、妨害し、コントロールすることは出来ないものなのであった。私たちに豊かさをもたらしたナイル川から、神様はまた、苦難をも、もたらすお方なのである。それを止めることは、私たちにはできない。豊かさばかりを手に入れることも、できないのである。
しかし、ヨセフが語ったのは、ただこれだけではなかった。神様が為さろうとしていることは、あなたに、また、この国に、幸いを与えようとすることだと、開口一番の言葉で告げた(16節)。ここが、何よりも大事な点である。福音とは、まさにこのことなのである。神様が私たちに為して下さるのは、それが神様の為さることであるゆえに、たとえ、どのように辛いことであっても、究極的には、私たちに幸いを下さるものなのである。それが福音である。その福音を、私たちに身をもって語ってくださるのが、イエス様なのである。
7年の豊作を食い尽くしてしまうような7年の飢饉が、どうして幸いを与えるものなのか、とファラオも思い、また私たちも問うことであろう。先週の聖書研究祈祷会で、すっと学んでまいりました列王記の学びを終えた。先週読んだのは、ダビデ以来、400年以上続いてきたイスラエルの人々の王国が、バビロニアによって滅ぼされ、沢山の人々がバビロニアに捕虜として抑留されてしまうという出来事であった。イスラエルの人々は、そんなことは自分たちには決して起こらない、神様はそんなことを自分たちに為さらない、と信じていた。それは信仰と言う名の幻想であり、イデオロギーのようなものであった。神様から、ただ豊かさのみを手に入れたいという信仰に過ぎなかった。しかし、神様は、バビロニアによって国を滅ぼしたのだった。
エレミヤという預言者は、「バビロニアに仕えよ、その地に行って現地の人々と結婚しろ、その町の平安を祈れ、それがあなた方の平安となるのだから」と語った(エレミヤ書29章4節以下)。このように語った彼は、殺されてしまったと伝えられている。どれほど人々が、祖国の安泰だけを求めていたか、ということである。しかし、神様は、その国を滅ぼされたのだった。
では、それがイスラエルの人々にどんな幸いを与えたのか。それは、神様とのつながりを、神様の与えて下さる幸いというものを、国や領土や神殿などの目に見えるものに求めない幸いなのである。苦難と言うものを担える信仰なのである。十字架を背負える幸いなのである。アンコントローラブルな人生を受け入れ、そこに異議を見出すことのできる幸いなのである。
5.第3のポイントは、ヨセフが何故、このようなことを王に語り得たかということである。それは、ただヨセフが夢を解き明かす不思議な力を持っていたからではない。そうした力を持っていた者は、エジプトに何人もいた筈である。しかし、夢を解き明かす能力が語り得るのは、単にどういう出来事が起ころうとしているかのみである。神様がそれを通して幸いを与えようとしているとは、決して、語ることはできない。ましてや、神様が起こそうとしている飢饉に、どう対処できるかまでも語ることはできないのです。
ヨセフがこうしたことを語り得た理由は、彼自身が、それまでの何年か、アンコントローラブルな境遇のなかに身を置かれ、それにもかかわらず、それを神様が共に居て下さる故の出来事として受けとめ、その境遇のなかで自分に委ねられた務めを精一杯果たしてきたという歩みがあったからだと示されるのである。彼自身が苦難を背負ってきたのである。そして、苦難を背負うことのなかでのみ与えられてきた幸があったのである。
神様が与える苦難を逃れることは出来ないのである。神様が、この国に起こそうとしている飢饉を逃れることはできない。ヨセフもエジプトに奴隷として売られ、牢獄に入れられることを逃れることはできなかった。しかし、その境遇においてもできることが、人間にはある。如何にその苦難に対処する、そして、その苦難への対処において得られる幸がある。それが、1/5を備蓄して備えるという対処だったのだと思う。
先週の何曜日であったか、NHKのプロフェッショナルという番組で、五嶋みどりというバイオリニストが取り上げられていた。10歳くらいの時から、既に世界的なバイオリニストとして脚光を浴びていた彼女が、20代のはじめに、重いうつ病になり、またアレルギーに悩まされるようになり、3ヶ月もの入院を余儀なくされたという。しかし、その苦難があって、彼女の音楽、彼女の音が変わったという。苦難があってのみ作り出される音がある。エジプトが苦難を背負い、それを乗り越えた国になるという幸がある。王に、そのような王になれるという幸がある。
筑波学園教会牧師 福島 純雄
2014年 11月2日 降誕前第8主日礼拝
11:12それで、死んだも同様の一人の人から空の星のように、また海辺の数えきれない砂のように、多くの子孫が生まれたのです。 11:13この人たちは皆、信仰を抱いて死にました。約束されたものを手に入れませんでしたが、はるかにそれを見て喜びの声をあげ、自分たちが地上ではよそ者であり、仮住まいの者であることを公に言い表したのです。
1.まず、13節のはじめに「この人たちは皆、信仰を抱いて死にました。」とある。当教会の召天者のなかには、クリスチャンとしてではなく召された方もあろうかと思うが、大多数の方々は信仰者として召された。その最期は果たして「信仰を抱いて死にました」と言えるものであったであろうか。私は牧師として、もう、数多くの方を見送ったが、その中には、果たして、この方は信仰を抱いて死んでいくことができなのだろうかと、疑問を抱かざるを得ない方もあった。私の父は、認知症が随分とひどくなり今年97歳になった父であるが、その父が、食事の前に祈ることができているのか定かではなくなってしまった。私たちの最期が、果たして、信仰を抱いて死んでいくことができるものであるのかどうか、とても案じている。
そのような私たちにとって、この13節書き出しの御言葉は、とても慰め深いものだと示される。「信仰を抱いて」とあるところは、ギリシャ語の原文の直訳では「信仰の下に」「信仰において」という意味である。「信仰を抱いて」との訳はかなりの意訳であるし、これから申し上げるような、信仰についての、ある先入観や固定観念のようなものが入り込んでしまっているのではないかと感じる。私たちはどうしても信仰というものを、抱くとか持つとかいうふうに考える。その、私たちが抱く信仰が、死に際しても、しっかりと揺るがないものとしてあって、それ故にその「信仰の下に」死んでいけるのだというような理解が、この翻訳の背後に横たわっているように感じる。とにかく、信仰を抱くのは私たちだとの固定観念が強くある。そう思うからこそ、果たして、死に際して私たちがなお信仰を確かに抱くことが出来るのだろうかとの不安を強く抱くのである。
しかし、このような私たちに対し、この御言葉のギリシャ語の原文は、私たちが「信仰の下に」あって死んでいけるのだと語りかけてくださる。「下に」という言葉を使って、例えば大きな木の下にあるというイメージを抱くことができる。木の「下に」いる私たちは、当たり前のことだが、この大木を抱くのでも持つのでもなく、このどっしりと揺らぐことなどない大木の下に、ただ居させていただいているのである。この木の下で死んでいくとすれば、私たちはごく自然のこの大きな木の生命の営みのなかに招きいれられてゆくのである。「抱く」という言葉を用いるなら、私たちが信仰を抱くのではなく、信仰が私たちを抱いてくださるというのが、本来のニュアンスであるように思う。死に際して大いに揺らいでしまっている私たちを、信仰において神様が抱いてくださっているということが、そもそも言われているのではないだろうか。
2.しかしなお、次のような疑問を抱くかもしれない。「信仰が、死にゆく私たちを抱いてくれるということは解ったけれども、死に際して私たちが抱く信仰が、果たして、そのような力を持ち得るものなのか」と。ここでもまた、私たちが信仰に対して抱く固定観念というものがしゃしゃり出てきている。「信仰は私が抱くものなのだ」と思うが故に、その私のなかにある信仰というものの小ささや貧しさやあやふやさに、どうしても目が行ってしまうのである。死に際しての私たちの内側にある信仰がどれほど小さなものであるか、からし種のようなものであろうかと思い、到底その時の私たちを抱いてくれるようなものではないと、誰もが思うのである。
確かに、私たちの目に映る、私たちが持っているところの信仰とは、そのようなものである。けれども、信仰とはそもそも神様が私たちにお与え下さったもの、神様に由来する宝物だということである。信仰は、この土の器である私たちに神様が納めてくださった宝なのである。だから、それが私たちの目にはどんなに小さなからし種のように見えても、山を移すほどの力というものを持っている。イエス様は、しばしばこのようなお言葉をお語りになった。だから、信仰は、死に際しての私たちを「抱く」力というものを、そもそも持っているのである。私たちが信仰に対して抱く不安にもかかわらず、そもそも信仰は死にゆく私たちを、その下に置く力を備えているのである。
11節では、アブラハムの妻であったサラのことに触れられている。彼女の信仰を学ぶことで、信仰についての固定観念を打ち破られるように思う。11節には「11:11信仰によって、不妊の女サラ自身も、年齢が盛りを過ぎていたのに子をもうける力を得ました。約束をなさった方は真実な方であると、信じていたからです。」とある。ここは、創世記の18章に書かれていた出来事が背景にある。そのときアブラハムは99歳、サラは89歳だったが、突然に不思議な神様の使い3人が彼らのもとにやってきて、来年の今頃に跡継ぎが生まれると告げたのだった。18章10節以降には次のように書かれている。「18:10彼らの一人が言った。『わたしは来年の今ごろ、必ずここにまた来ますが、そのころには、あなたの妻のサラに男の子が生まれているでしょう。』サラは、すぐ後ろの天幕の入り口で聞いていた。 18:11アブラハムもサラも多くの日を重ねて老人になっており、しかもサラは月のものがとうになくなっていた。 18:12サラはひそかに笑った。自分は年をとり、もはや楽しみがあるはずもなし、主人も年老いているのに、と思ったのである。 18:13主はアブラハムに言われた。『なぜサラは笑ったのか。なぜ年をとった自分に子供が生まれるはずがないと思ったのだ。 18:14主に不可能なことがあろうか。来年の今ごろ、わたしはここに戻ってくる。そのころ、サラには必ず男の子が生まれている。』 18:15サラは恐ろしくなり、打ち消して言った。『わたしは笑いませんでした。』主は言われた。『いや、あなたは確かに笑った。』」
ここを文字通り読むと、どう読んでも、このヘブライ人への手紙が言うようには、サラが「約束なさった方は真実な方であると信じていた」とは受け取れない。それとは反対に、サラはあざ笑ったのだった。不信仰でしかなかったのである。それなのにどうして、このヘブライ人への手紙は「信じていた」というのか。実は、昔からこのことは大きな疑問とされている。サラの信仰を美化していると理解した時期が、私自身あったが、今回改めて教え示された事柄がある。
3.確かに、サラがあざ笑ったということは、私たちが普通に抱く信仰理解とは矛盾するものである。このヘブライ書11章1節に「11:01信仰とは、望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認することです。」とあるが、「確信し」と訳してしまえば、確かにサラの姿は「確信し」とは言えないものであるから、彼女は信仰を抱いていたとは言い難い。しかし、信仰というものを、そもそも神様が私たちに与えてくださる神様からの宝物として捉えてみると、どうか。真実な約束をなさる神様が、突如として、この夫婦のもとに、不思議な旅人の姿をとって現れ、その約束を告げたのである。神様による、にわかには信じがたい真実な約束が、この夫婦に、突如として、介入してきたのである。アブラハムもサラもあざ笑ってしまったが、しかし、この夫婦は、あざ笑いつつ、この介入され約束に引っ張られ確実に影響され、何らかの応答をしていったのである。どんな応答をしたかは何も書かれてはいないが、もしかすれば、夫婦の営みをしたのかも知れない。ヘブライ書は、この神様の突然の約束が与えられたことによって生じた姿、それが、たとえ、あざ笑いを含んだものであっても、それを「信じた」と受け止めていると思うのである。
そもそも、真実な神様の途方もない約束を示されたとき、一体、私たち人間の取り得る応答があざ笑いや疑いや不信仰でないことがあろうか。それまで、私たちはこの神様の約束に動かされるのである。影響されざるを得ない。あざ笑いつつ不信仰でもありつつ、しかし、応答をする。これが神様によって授かる「信仰」の姿ではないだろうか。それは、到底「私が抱く」とか「持つ」といえるようなものではない。神様によってただ与えられたもの、生じさせられたものとしか言いようがない。そのような信仰こそが私たちを抱いてくださるのである。
12節は、創世記の15章に記された神様とアブラハムの対話をもとにしたものである。先日の聖書味読会で、この創世記15章を何人かで読み合った。ある人が、「空の星を数えてみなさい、あなたから生まれるものがこのようになる」と神様から言われて、すぐにこれを信じることができたアブラハムの姿について「自分にはこのような信仰は無い、自分には果たして信仰があるのかといつも思ってしまう」と感想を述べた。確かに、その方の信仰も、また私たちの信仰も、神様の約束をすぐに信じることが出来るようなものではない。アブラハムが「信じた」というのは、疑いなどない完璧に信じ得たということではなく、この神様の約束に動かされ、応答して生きたということであろう。
だとするなら、聖書味読会でそのような感想を述べた人にも、神様の言葉に動かされ応答して生きようとしている姿があると思う。それは、礼拝に出席し味読会にも参加するという姿である。それは、紛れもなく、神様によって動かされ引っ張られて生きている姿である。それは、信仰としか言いようのないものではないだろうか。あざ笑ってしまうことと信仰とは、決して、相反するものではないのである。むしろ、私たちがいただく信仰とは、それが真実なる神様からの約束に動かされたものであるが故に、あざ笑うしかないようなものを根源的に含まざるを得ないものなのである。逆に、そうしたものを含まないものならば、信仰とは言い得ないのであろう。
4.さて、信仰が私たちを抱いてくださることによって、そこにどんな「効果」が生じるかについて、御言葉は大きく二つのことを語っている。まず第一点は、サラとアブラハムに生じた効果であるが、11節と12節には「11:11信仰によって、不妊の女サラ自身も、年齢が盛りを過ぎていたのに子をもうける力を得ました。約束をなさった方は真実な方であると、信じていたからです。 11:12それで、死んだも同様の一人の人から空の星のように、また海辺の数えきれない砂のように、多くの子孫が生まれたのです。」とある。
ここに書かれていることは、アブラハムとサラというイスラエルの祖として選ばれたこの夫婦だけに成就したところの真実な神様の約束である。私たちすべてに、文字通り成就するものではないことは、言うまでもない。しかし、ここには、信仰によって私たちにも現れる普遍的な効果というものが示されているのではないかと思う。私たちもまた、様々な意味で「不妊」であり「年齢の盛りを過ぎている」との現実がある。「死んだも同様の、たった一人の」という事情を抱えている。一人ひとりではなく、家庭もそうであるし、エボラ出血熱の恐怖や耐えることのない戦火を抱えたこの世界全体がそうであると感じる。しかし、神様は、この死んだも同様の希望のない私たちや世界が、「子をもうけ」ることができると約束してくださるのである。99歳と89歳の夫婦から子供が生まれていったように、神様は敢えて私たちのこの肉体や世界を用いてくださり、この世界から、空の星のように、海辺の数えきれない砂のように、何らかの善いものが生まれてゆくとの約束を与えてくださるのである。この約束に動かされ引っ張られて、私たちは何らかの応答をしていくのである。それが、いつの時にか、私たちの未来を作り出すことへとつながってゆく。
5.信仰に抱かれて生じる効果の2番目は、13節後半に書かれている事柄である。「約束されたものを手に入れませんでしたが、はるかにそれを見て喜びの声をあげ、自分たちが地上ではよそ者であり、仮住まいの者であることを公に言い表したのです。」とある。それは、信仰に抱かれて死んでいった者たちが、約束されたものを手に入れることができなかったにもかかわらず、遥かにそれを見て喜びの声をあげることができたということである。ご遺族の皆さんには、召された方が喜びに声をあげていたことなど、見えなかっただろうと思う。だから、ご遺族の皆さんにとっては、死んでいった者たちはどれ程辛かったであろうか、悲しかったであろうかという思いばかりが残っているのである。しかし御言葉は、それは、あくまで残された者の思いなのであって、信仰に抱かれて死んでいった者の思いではないと語りかけてくれる。信仰に抱かれていった者は、約束されたものを見せられて、喜んで召されて行ったというのである。
彼らが遥かに見た約束されたものとは、文章の流れから言えば、直前の12節で語られているものである。アブラハムもサラも、この世で見ることのできたものは、ただ一人の息子、イサクだけであった。しかし、死にいく時に、そのイサクから数知れない多くの子孫が生まれている有り様を見させていただいたのであろう。私たちは、死んでいく時にこそ、神様がその真実なる約束によって成就してくださる世界の有り様を、初めてみることができるのだと思う。残念ながら、地上の歩みでは、私たちはそれを見ることができない。地上の歩み故の欲望や限界があるからである。死にいく時には、この限界や欲望が断たれる。一時は、それは辛いであろう。けれども、その時にこそ、信仰が私たちを抱いてくれるのである。この信仰が私たちに、この世で得られなかったものではなく、神様が与えてくださったものを見させてくださるのである。
筑波学園教会牧師 福島 純雄
2014年 10月26日 降誕前第9主日礼拝
01:16わたしは福音を恥としない。福音は、ユダヤ人をはじめ、ギリシア人にも、信じる者すべてに救いをもたらす神の力だからです。 01:17福音には、神の義が啓示されていますが、それは、初めから終わりまで信仰を通して実現されるのです。「正しい者は信仰によって生きる」と書いてあるとおりです。
1.16節はじめに「わたしは福音を恥としない」と書かれている。なぜパウロはこのような言い方をしたのか。もっとストレートに「わたしは福音を誇る」あるいは「喜ぶ」とは、なぜ言わなかったのか。それは、この手紙を宛てたローマ教会の信徒たちに、「福音によって恥とされる(福音を恥ずかしいと思ってしまう)」状況があったからだと思う。
では、それはどのような状況だったのか。16節の次の文章で、パウロは「福音は、ユダヤ人をはじめ、ギリシア人にも、信じる者すべてに救いをもたらす神の力だからです。」と続けている。パウロが福音を恥としなかったのは「それが福音を信じる者に救いの力をもたらす神様の力だからだ」と言っている。パウロがこのようにローマ教会の人々に語りかけたということは、ローマ教会の人々の恥が「神の力」という点に関係しているということを指し示しているように思う。問題は、ローマ教会の人々が信じている福音が、信じる者に救いをもたらす神様の力なのかどうかという点にある。ローマ教会の信徒の周囲にいるユダヤ人やギリシャ人やローマ人には、そうは見えなかったのである。だから、福音を信じている人々を馬鹿にしあざけっていたのである。それにさらされてしまうことによって、ローマ教会の信徒たち自身も「そうなのか」と思ってしまうようになったのである。
当時のユダヤ人やギリシャ人やローマの人々は、そもそも救いをもたらす力とは一体どのようなものだと考えていたのか。また、今日の私たちもどのようなものだと考えているのか。力と言えば、まず思い浮かぶのは、私たちを苦しめ不安に陥れ、私たちを縛る多くの力がある。先日の聖書味読会でエボラ出血熱の話になった。ある出席者の息子さんが医療従事者で、救急で搬送された人の検査をしようとしたところ、その人に使用した注射器の針をうっかり自分に刺してしまったことを聞き、とても心配したと言っておられた。私の長女も保健師として東京都特別区の感染症対策係をしている。この恐れは決して他人事ではないと感じた。また、先週の火曜日から、つくば市の隣接市町村にある施設で暮らし始めた母も、88歳になって、全く異なる環境で歩み始めねばならない生活の今後のことを、とても恐れている。
このように、私たちを恐れさせ、苦しめる多くの力がある。だから救いとは、端的に言って、このような力への勝利であり、苦しみや不安からの解き放ちではないだろうか。それを与えてくれるのが救いをもたらす神様の力だと、今日の私たちも思い、また当時のユダヤ人やギリシャ人やローマの人々も思っていたのであろう。
しかし、福音を信じている人々に、このような神様の力が現れているとは到底見えないのである。紀元49年に、時のローマ皇帝クラウディオによって、ローマにいたユダヤ人が追放されてしまったという出来事があった。福音を信じる者も、そうでない者も皆、何の違いもなく追放されてしまったのである。それから、福音を信じるクリスチャンたちは、どんどん厳しい迫害にさらされていくことになったであろう。ますます「福音によって恥とされる」状況がひどくなっていったのである。それゆえに、ローマ教会の信徒たちを取り巻くユダヤ人やギリシャ人やローマの人々は、彼らを見てあざけったのである。これから、もっともっとあざけっていくことになったのである。そんな彼らを励ますべく、パウロは「わたしは福音を恥としない。(なぜなら)福音は・・・神の力だからです」と語ったのだった。
2.パウロは、救いをもたらす神様の力というものを、どのようなものとして捉えていたのだろうか。これは私の想像だが、パウロ自身、神様の力というものを、当時のユダヤ人やギリシャ人やローマ人が考えていたように捉えていた時があったのではないかと思う。しかし、それが決定的に大きく転換をさせられた体験があったのではないかと思うのである。
それを指し示しているのは、しばしば礼拝のなかでも引用することのある第2コリント12章7節以下に書かれた出来事である。パウロには「わたしの身にひとつのとげ」があり、そのために伝道者として思うような働きができず、また信徒からさげずまれるような原因にもなったようである。それをパウロは「サタンから送られた使い」だと、第2コリント12章7節で語っている。彼は、このとげを離れ去らせてくださるようにと「三度(何度も、という意味)」主に願った。しかし、そのとげは取り去られることはなかった。それどころかイエス様は「わたしの恵みはあなたに十分である。力は弱さのなかでこそ十分に発揮される」と言われた。そこで、パウロは「キリストの力がわたしに宿るように、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう。・・・なぜなら私が弱いときにこそ強いからです」と言うことができるようになったのだった。
パウロもまた、神様の力というものを、肉体のとげを取り去ってくださり、彼をその苦しみから解き放ってくださるところに求めていた時があったのである。しかし、神様の力は、そのようなものとしては与えられなかった。そうではなく、彼を、その苦しみや弱さのなかに置き続けて、それを誇り喜ぶことができるようにするところにこそ、神様の力は現われたのだった。このような自己の体験をこそ、パウロは、ローマ教会の人々に語ろうとしていたのではないだろうか。このような体験から、パウロは、とくに十字架につけられたイエス様に込められた福音の力というものに出会い、そこにこそ救いをもたらす神様の力を悟って、それを宣べ伝えることができる伝道者へと変えられたのだと思う。
3.聖書を読んでいると、私たちを苦しみや困難から救い出してくださる神様の力の現れに、数多く出会う。列王記では、預言者エリヤ・エリシャを通して行われた数々の奇跡があった。エジプトで長く奴隷として苦しめられていたイスラエルの人々を、海を真っ二つに分けて、神様は救い出された。ユダヤ人の「神の力」への理解の根本には、いつもこの出来事がある。イエス様も福音書に記されているように、多くの奇跡を行った。しかし、このような神様の力の現れというものは、ごく稀なものなのだと思う。普通に起きることではない、特別なものである。特別な神様の力の現れを、通常のものとして、私たちに普通に与えられるものとして求めてはいけないと思う。普通に、一般的に私たちに示される神様の力とは、どういうものなのか。ヨセフのありさまを改めて思い起こした。
4度繰り返して「主がヨセフと共におられた」との御言葉があった。主が共におられるとは、言い換えれば、神様の力が彼に及んでいたということであろう。では、それは如何なる現れ方をしたのか。彼を主人ポティファルの奴隷である状態から救ったであろうか。そうではなかったのである。その状態は何ら変わらず、それどころか主人の妻を乱暴したという濡れ衣を着せられて、牢獄に入れられてしまったのであった(11-19節)。そんなヨセフと、神様が共にいてくださったとは、如何なるありさまであったかと言うと、それは彼がそのような境遇にあっても、任せられ委ねられた務めに誠実に仕えることが出来たということだったのである。また、結果はどうあろうとも、主人の妻からのしつこい誘惑を「神に罪を犯すことはできない」と、きっぱりと跳ね除けることができたことである。
4.注解者たちは、このヨセフはイエス様の象徴だとよく言う。改めて、そのように思った。イエス様、とくに十字架の上で殺されたイエス様を信じる私たちに救いをもたらす神様の力とは、神様がヨセフと共にいてくださったことで現してくださった力に他ならないと思う。もし、私たちから苦しみを取り除くことが神様の力の現れであるならば、神様はイエス様を十字架の上で死にいたらせることはされなかったであろう。イエス様を十字架から解き放ち、十字架にかけようとした悪しき力を打ち砕かれたことであろう。しかし、神様はそうされなかった。神様はイエス様に十字架を背負わせた。背負うことで全うされた務めがあった。十字架を担うことによってしか果たされ得ない何かがあったのである。背負わせ担うことができるようにすることに神様の力が現れている。ヨセフが主人に仕え、看守長に仕えたように、イエス様も十字架に仕えたのである。
そうであるから、私たちに対する神様の力も、一人ひとりにとっての十字架を取り除くことに現われるのではなく、十字架を背負わせ、その状況に仕え、それによってのみ全うされる務めを果たさせることに現われるのである。十字架のイエス様において、神様が弱いもの愚かな者になってくださった。弱いところに神様がイエス様においてご自分を置き、御手を伸ばしてくださった。だから、私たちも、弱さのなかにある時、それを受け入れることができる。パウロが言ったように「弱いときにこそ強い」と言い得るようになる。これが、信じる私たちに救いをもたらす神様の力の現れなのである。
5.さて、さらに17節を読むと、この福音に「神の義が啓示されています」とパウロは続けている。この語りかけもまた、福音によって恥を感じさせられていたローマ教会の、とくにユダヤ人から福音を信じて信徒となった人たちを思っての言葉だったと思う。神様の義というのは、生まれながらの異邦人であったローマ人やギリシャ人には、何の意味もない言葉なのだった。ユダヤ人にとってのみ、切実な意味があったのである。
「神の義」とは、1章7節の言葉で言いかえれば、「神に愛され召され聖なる者とされる」ということである。ガラテヤ書で言えば、ヤコブが神様からの梯子をかけてもらったように、神様と結びつけていただくことである。ユダヤ人は、神様によって愛され、召され、聖なる者とされ、つなげていただくのだから、人間の側も相応の義を積まねばならないと考えた。それは律法の行いであり、割礼を受けることであった。「人間の側の義など必要ない、ただイエス様を信じるだけで義とされる」と信じるクリスチャンたちをあざけったのだった。
いつの時代でも、神様によって義とされるには、人間の側でも相応の義を積まねばと思うものである。キリスト教の時代においても、様々な人間の側の義が考えられた。全世界のプロテスタント教会では、毎年10月31日は、宗教改革記念日とされている。1517年のその日に、ルターが、ヴィッテンベルグ城塞教会の扉に『95ヶ条の提題』を提示したことが契機になって、宗教改革が始まっていったからである。私たちの教会暦でも、次週は召天者記念礼拝である。当時も、その10月31日の翌日が『万聖節』と呼ばれる主日で、多くの遺族がこの城塞教会に訪れる日であった。
ルターが何故、この質問状を貼りだしたかというと、突き詰めれば、当時の教会が、もう随分長く、私たちが神様によって義とされることについて、それもパウロが言ったように、ただ福音を信じる信仰によってのみ義とされることについて、様々な人間による義を積むことを課していたことに我慢がならなくなったからであった。ルター自身がアウグスティヌス派の修道士として、神様によって義としていただくべく、懸命に自分の側からの義を積んでいた。しかし、積めども積めども、自分は到底、神様によって愛され、召され、聖なる者とされることができないという思いが強くなっていった。そんな悩みのなか、詩編やこのローマ書などを読み、また学生たちに講義することによって、神様の義が、ただイエス様を信じる者に、何の人間の側からの義などなく、与えられるものだとの信仰を深められていったという。
これこそが、どんなに周りからあざけられても、福音だったのである。十字架のイエス様を裏切り、見捨ててしまった弟子たちにとっては、もはやどんなことをしてもイエス様神様とのつながりを自分たちの側から作り出すことはできなかった。信仰すらも自分たちからは生み出すことは出来なかった。そんな弟子たちのところに、十字架の死から復活されたイエス様が現れて、再びつながりを与えてくださったのである。信仰を与えてくださったのである。「ただ信仰によって」と言うが、信仰すら、決して条件ではなく、私たちの側で積める義ではないのである。ただイエス様との出会いによって授けていただく賜物なのである。
筑波学園教会牧師 福島 純雄
2014年 10月19日 聖霊降節第20主日礼拝
12:13群衆の一人が言った。「先生、わたしにも遺産を分けてくれるように兄弟に言ってください。」 12:14イエスはその人に言われた。「だれがわたしを、あなたがたの裁判官や調停人に任命したのか。」 12:15そして、一同に言われた。「どんな貪欲にも注意を払い、用心しなさい。有り余るほど物を持っていても、人の命は財産によってどうすることもできないからである。」 12:16それから、イエスはたとえを話された。「ある金持ちの畑が豊作だった。 12:17金持ちは、『どうしよう。作物をしまっておく場所がない』と思い巡らしたが、 12:18やがて言った。『こうしよう。倉を壊して、もっと大きいのを建て、そこに穀物や財産をみなしまい、 12:19こう自分に言ってやるのだ。「さあ、これから先何年も生きて行くだけの蓄えができたぞ。ひと休みして、食べたり飲んだりして楽しめ」と。』 12:20しかし神は、『愚かな者よ、今夜、お前の命は取り上げられる。お前が用意した物は、いったいだれのものになるのか』と言われた。 12:21自分のために富を積んでも、神の前に豊かにならない者はこのとおりだ。」
1.まずこの箇所に置かれている文脈に触れたいと思う。この箇所は、ルカ福音書だけに書かれたものである。いわゆる平行箇所(他の福音書にも、同じような出来事・イエス様のお言葉が書かれた箇所のこと)があれば、タイトルの下にその箇所か書かれるが、それがない。ルカは、彼だけが伝え聞いたことを、他の何処でもなくここに書いたのだった。そこに、ルカが伝えたかったメッセージが込められているのだと思う。
11章37節以降、どのようなことが語られていたかを少し振り返ってみたい。突き詰めて言えば、私たち信仰者が、本当の神様の前に立つということがどれほど難しいかが教えられているのだと思う。11章37節以下で、イエス様が激しく非難なさったファリサイ人と律法学者と呼ばれる人たちは、誰よりも神様の前に真剣に生きようと願った人々だった。ところが、その結果として、彼らは人々の重荷になるような神様を語ってしまった。本当の神様へと人々が近づくことの妨害となるような信仰を宣べ伝えてしまった。これは、彼らが、残念ながら、本当の神様の前に生きることができなかった故の結果なのであった。
私たちが本当の神様の前に生きるなら、そこからは平安や慰めが生み出されるはずである。周りの人々に対しても、重荷になるのとは正反対の神様や信仰を語ることができるはずである。いま聖書研究祈祷会で列王記を学んでいる。先週、ユダの王様ヒゼキヤの生涯について学び終えた。ヒゼキヤは重い病気にかかり、死の床に伏せっていた。その場に、預言者イザヤがやってきて、死の床にある人にとっては辛い、容赦のない言葉を神様の言葉だとして伝えた。それは「あなたは死ぬことになっていて、命はない」という言葉であった。この厳しい言葉を聞いて、ヒゼキヤはただ涙を流し、泣くしかなかった。しかし、その涙を神様がご覧になって彼を癒されたと聖書は記している。どんなに辛い言葉であっても、それが本当の神様からのお言葉なら、それは私たちを癒してくださるのである。だから、イザヤが語った言葉は、真なる神様のお言葉であった。
しかし、残念ながら、私たち信仰者はしばしば自分勝手に神様をねつ造し、偽りの神の前に生きてしまう者なのである。そのことをイエス様は、「ファリサイ派の人々のパン種に注意しなさい(12章1節)」と言われたのだった。ファリサイ派だけではなく、およそすべて神を信じ、神を口にする私たちのなかに、このパン種は入り込むものなのである。だから、イエス様の、私たちが本当の神様の前に立つことができるようにとの言葉が、12章4節以下である。私たちが信じている神様が「ほんとうの」神であるかどうかということは、実に難しいことであるが、決定的に大事なことである。それ故に、イエス様は言葉を尽くして、真の神様とはいかなるお方かを教えて下さるのである。12章12節までの御言葉も、このことを示していた。そして、それに続く今日の御言葉も、要は、同じことを教えているのではないか。
2.このような流れを理解すると、まず13節14節で、なぜイエス様が群衆の一人からの願い求めを拒まれたのかが、よく解ってくる。当時のイスラエルでは、民事上のトラブルに際して、宗教家の裁定を求めることは、ごく普通に行われていたようである。このイエス様に願い求めをした人と遺産相続を争っていた家族は、もしかしたら、イエス様が厳しく非難されたファリサイ派や律法学者たちに相談し、彼らからの裁定を得て、この人(イエス様)に「従え」と言ったのかも知れない。そこで、この人は彼らを批判し、彼ら以上の「神の権威」を持っていると思われるイエス様の裁定を求め、それによって、争う相手からの申し出を拒むお墨付きを得ようとしたのではなかったか。
しかし、これこそがイエス様が「注意せよ」と教えておられた「パン種」に他ならない。この人、神様が遺産相続をめぐるトラブルに関わってくださるお方だと信じています。15節以下のイエス様のお言葉やたとえ話からすれば、この人には「貪欲」があったとわかる。その日の生活にも困り、わずかな生活費を誰かに奪われたので何とかして欲しいと、イエス様に訴えているのではない。既に有り余るほど持っていて、さらに、それ以上のものを手に入れようとして、その貪欲に神様とイエス様が関わって下さると信じていたのである。だから「だれがわたしを、また神を、あなたのそのようなトラブルに介入する裁判官や調停人に任命したのか」と、イエス様は言われた。「あなたは、神様を決定的に見間違っている。自分勝手なイメージのなかに作り上げている。神様はそのようなお方ではない」と、イエス様は言われたのである。
今日の御言葉について、宗教改革者カルバンの注解には、つぎのようなことが書かれていた。「この(イエス様の)答えから、キリスト者には遺産の分け前を受けたり、裁判の決定に関わったり、あるいは、他の公的な務めを果たすことは許されていないと、再洗礼派の人たちが推論するのは、非常に愚かなことである。」
宗教改革のなかから「再洗礼派」と呼ばれる人々が生まれた。幼児洗礼を拒み、それを受けた人々に「再洗礼」を施したので、このように揶揄され、激しい迫害を受けた。迫害を逃れ、生き延びて、いまもその流れを汲む人々が居られる。私の神学校の友人にも「メノナイト」と呼ばれる教派出身の人がいた。いまは北海道で、牧師をしつつ医師をしている。再洗礼ということだけがクローズアップされてしまうが、彼らは、当時の教会が国家やこの世の権力と結びついてしまうことが最大の関心事だった。
来週は、偶然にも10月31日の宗教改革記念日に最も近い主日である。宗教改革を生み出した基本的な御言葉と言っても良い、ローマ書1章17節の御言葉を学ぶ予定である。少し宗教改革という事柄に触れたいと思ってるが、長い間、教会は神様やイエス様の名によって、世俗の裁判や調停をしているという現実があった。イエス様の時代も同じように、宗教家が世俗の揉め事の調停や裁判にかかわり、その決定があたかも神様からのものであるかのように、裁定を下していたのであった。しかし、その判決は、しばしば教会や教職者の貪欲によってなされるものであった。再洗礼派と呼ばれる人々は、このことにこそノーを付きつけたかったのではないかと私は感じている。私たちも、世俗の事柄に関する裁定や決定があたかも神様の御心ように思ってしまうことがある。しかしそれは、しばしば私たちの貪欲から出た人間の決定に過ぎないものであることを、肝に銘じたいと思う。
3.このように、自分勝手に偽りの神を、その貪欲から作り上げてしまっているこの人に対し、また、その場に居合わせた人々に対し、イエス様は真なる神様がどのようなお方なのかを、お教えになったのである。イエス様は、あるたとえ話をした。19節までには「ある金持ちが、豊作でたくさんの作物をしまっておく倉がないと思い巡らし、いまある倉を壊して、もっと大きなものを建て、そこに収穫や財産をすべてしまい込み、そして、それから先は、何年も食べたり飲んだりして楽しもうと言った」と書かれている。
この聖書の翻訳には、残念ながら訳出されていないが、原文のギリシャ語には、この金持ちの言葉に何度も「私の」という言葉がでてきている。「私の作物、私の倉、私の財産」である。「こう自分に」と訳されたところは、「私のプシュケーに」としている。プシュケーとは、魂と訳されることもある言葉で、私たちの内奥のごくごく深い部分を指している。彼は、作物も財産も倉も自分のものであり、有り余るものが自分のものであることにおいて、プシュケーも自分のものであり、それを意のままにコントロールでき、休みや楽しみが与えられると考えていた。
しかし、本当にそうであろうか。ある心理学者が、幸せや安心感というのは、あたかも分数のようなものであるといっていた。分母である「わたし」が大きくなればなるほど、全体として小さな数になるように、幸福感は少なくなるのだという。そのように「わたし」が肥大化すればするほど、プシュケーにおける平安は小さくなってしまう。この金持ちが、もしその夜に命を取り上げられることがなかったとしても、泥棒が倉に忍び込まないかとか、天変地異が襲ってこないかとか、絶えざる心配によって、かえってそのプシュケーは、少しも休むことができなかったのではないか。
彼の口からは一言も「神」という言葉は出て来なかった。彼が頼りにしているものこそが、彼にとっての神なのだった。別の言い方をすれば、彼にとっての神とは、有り余る作物や財産によって、当分は彼を一休みさせて下さるであろうお方であった。しかし、彼が作り上げたこの神は、決して彼を期待通り休ませ、プシュケーを平安にさせてはくれないであろう。偽りの神は、かえって私たちを不安に陥れるのである。
そうであればこそ、たとえ話の続き(20節以下)において、イエス様は真の神様の姿を語られたのである。「愚かな者よ、今夜あなたの命は取り上げられる」と。私たちは、このイエス様の脅しともとれる言葉に、また神様を「取り上げられる」お方として語る言葉に、躓きを覚えてしまうかも知れない。しかし、イエス様の言葉の本意は、この金持ちが勝手に作り出した偽りの神を打ち砕くところにこそある。偽りの神は、決して、彼に休みや安心を与えることができず、むしろ、その逆であるからこそ、本当の神様をはっきりとお示しになるしかなかったのである。真の神様がなさることは、取り上げることよりも、私たちに真の休みや平安を与えようとする点にこそある。
4.最初に少し触れたヒゼキヤ王について紹介したい。アッシリアの攻撃にさらされていたヒゼキヤ王は、死の床に付していた。何故そうなったのか。いろいろな理由があったであろうが、その一つに「王であるわたしが、この国難を何とかしかければ」という「わたしが」あったからだと感じる。しかし、この思いは、決して、彼を強くはしなかったし、安らかにもしなかった。逆に、そのプレシャーから重い病気になってしまったのだと私は思う。イエス様のたとえ話における金持ちと同じように、ヒゼキヤもまた、「わたし」を頼りとし、偽りの神を作り上げていたのだった。それが、彼を重い病にさせたのであろう。
だからこそ、彼のところに預言者イザヤがやってきて、はじめに紹介したような、とんでもない言葉を神様の言葉として告げたのだった。「あなたは死ぬことになっている。」それは、この国難に際して、もはやあなたのできることは何もない、と言う意味であった。そのように神様が語ることで、ヒゼキヤの「わたしが」という思いを打ち砕いて下さったのである。王の肩から「わたしが」という重荷を下ろさせてくださったのである。頼りにならない偽りの神を打ち砕いた。しかし、そのためには「あなたは死ぬ」との、劇薬のような真なる神様の言葉を聞かねばならなかった。彼は、そうして、アッシリアの攻撃に晒されるようになってから初めて、弱々しい一人の人間となって、神様の前に立ち、ただ涙を流したのであった。その姿を神様はご覧になった。そうして、彼は癒され、平安をいただいたのであった。
イエス様は、「自分のために富を積まず、神の前に豊かになれ」と言われた。それが「財産によってではなく、私たちの命を生かすことになる」と言われた。このことばの神とは、真の神であり、「今夜お前の命は取り上げられる」と言われた神様なのである。このような神様の前に、私たちが豊かになるとは、どういうことなのか。そのようなことが、果たして可能なのか。普通の意味で豊かになることはできない。私たちの命さえも、この神様によって取り上げられてしまうのだから。しかし、イエス様は「この神の前で、あなたがたは豊かになれる」と約束して下さった。わたし自身や持ち物など、何の拠り所とはならないが、真なる神様を頼りに出来れば、私たちは安心なのである。
筑波学園教会牧師 福島 純雄
2014年 10月12日 聖霊降節第19主日礼拝
39:01ヨセフはエジプトに連れて来られた。ヨセフをエジプトへ連れて来たイシュマエル人の手から彼を買い取ったのは、ファラオの宮廷の役人で、侍従長のエジプト人ポティファルであった。 39:02主がヨセフと共におられたので、彼はうまく事を運んだ。彼はエジプト人の主人の家にいた。 39:03主が共におられ、主が彼のすることをすべてうまく計らわれるのを見た主人は、 39:04ヨセフに目をかけて身近に仕えさせ、家の管理をゆだね、財産をすべて彼の手に任せた。 39:05主人が家の管理やすべての財産をヨセフに任せてから、主はヨセフのゆえにそのエジプト人の家を祝福された。主の祝福は、家の中にも農地にも、すべての財産に及んだ。 39:06主人は全財産をヨセフの手にゆだねてしまい、自分が食べるもの以外は全く気を遣わなかった。ヨセフは顔も美しく、体つきも優れていた。 39:07これらのことの後で、主人の妻はヨセフに目を注ぎながら言った。「わたしの床に入りなさい。」 39:08しかし、ヨセフは拒んで、主人の妻に言った。「ご存じのように、御主人はわたしを側に置き、家の中のことには一切気をお遣いになりません。財産もすべてわたしの手にゆだねてくださいました。 39:09この家では、わたしの上に立つ者はいませんから、わたしの意のままにならないものもありません。ただ、あなたは別です。あなたは御主人の妻ですから。わたしは、どうしてそのように大きな悪を働いて、神に罪を犯すことができましょう。」 39:10彼女は毎日ヨセフに言い寄ったが、ヨセフは耳を貸さず、彼女の傍らに寝ることも、共にいることもしなかった。 39:11こうして、ある日、ヨセフが仕事をしようと家に入ると、家の者が一人も家の中にいなかったので、 39:12彼女はヨセフの着物をつかんで言った。「わたしの床に入りなさい。」ヨセフは着物を彼女の手に残し、逃げて外へ出た。 39:13着物を彼女の手に残したまま、ヨセフが外へ逃げたのを見ると、 39:14彼女は家の者たちを呼び寄せて言った。「見てごらん。ヘブライ人などをわたしたちの所に連れて来たから、わたしたちはいたずらをされる。彼がわたしの所に来て、わたしと寝ようとしたから、大声で叫びました。 39:15わたしが大声をあげて叫んだのを聞いて、わたしの傍らに着物を残したまま外へ逃げて行きました。」 39:16彼女は、主人が家に帰って来るまで、その着物を傍らに置いていた。 39:17そして、主人に同じことを語った。「あなたがわたしたちの所に連れて来た、あのヘブライ人の奴隷はわたしの所に来て、いたずらをしようとしたのです。 39:18わたしが大声をあげて叫んだものですから、着物をわたしの傍らに残したまま、外へ逃げて行きました。」 39:19「あなたの奴隷がわたしにこんなことをしたのです」と訴える妻の言葉を聞いて、主人は怒り、 39:20ヨセフを捕らえて、王の囚人をつなぐ監獄に入れた。ヨセフはこうして、監獄にいた。 39:21しかし、主がヨセフと共におられ、恵みを施し、監守長の目にかなうように導かれたので、 39:22監守長は監獄にいる囚人を皆、ヨセフの手にゆだね、獄中の人のすることはすべてヨセフが取りしきるようになった。 39:23監守長は、ヨセフの手にゆだねたことには、一切目を配らなくてもよかった。主がヨセフと共におられ、ヨセフがすることを主がうまく計らわれたからである。
1.創世記39章は、物語としても非常におもしろく、牢獄につながれたヨセフが、この後どうなるのだろうかと興味をいだかせる筋立てとなっている。私は、あるフレーズが何度か繰り返されていることに気づかれた。それは、「主がヨセフと共におられた」というフレーズである。まず、2節に「主がヨセフと共におられたので」とあり、つづく3節にもあり、そして21節と、この章の終りの23節に「主がヨセフと共におられ」と記されている。物語のはじめと終わりをサンドウィッチのように包みこんでいて、全体を貫くキーワードとなっているのがわかる。私たちに語りかけているメッセージの核心は、ヨセフが「主が共にいて下さる人物」であるということである。主なる神様が共にいて下さる人物としてヨセフを描くところに、何よりの主眼がある。
私たちは、このメッセージを素直に受け取ることができるだろうか。確かに主が共にいて下さったゆえに、ヨセフには何度も幸いなことが起きた。2節では、「主が、・・彼はうまく事を運んだ」とある。口語訳とよばれる聖書では、ここは「幸運なものとなり」と書かれていた。ヨセフゆえに、主人ポティファルの「家のなかにも農地にも全ての財産に及んだ」と5節にはある。しかし、どうか。かえって、それゆえにヨセフは主人の妻に執拗に誘惑されるようになった。それを断ったがために憎まれ、妻に乱暴を働こうとしたとの濡れ衣を着せられて、牢獄に閉じ込められてしまった。確かに、牢獄のなかでも主が共におられたので看守長の目にかなうように導かれ、囚人頭のような立場とされた。しかし、物語全体を通して言えば、奴隷としてエジプトに売られてしまったというヨセフの立場は何ら変わることはなく、却って牢獄につながれた者とされて、より苛酷な境遇に落されてしまったのである。
2.非常に象徴的な言葉は2節にある。「主が・・・うまく事を運んだ。(しかし)かれはエジプト人の主人の家にいた」と。神様と言う目に見えない主人が彼と共にいて下さった。しかし、ヨセフはあいも変わらず、ポテイファルというこの世の主人の家に奴隷としていなければならなかった。いろいろと幸運なことはあったが、主人の妻からの誘惑にさらされ、無実の罪を着せられ、牢屋につながれてしまった。主なる神様が共にいて下さるとは、何よりも、この世の主人の家で奴隷であることや牢獄につながれてしまうようなことから自由にされる者として現れてもよいではないか。それが、主が共にいて下さることの、目に見える現れではないか、と私たちは考えてしまう。しかしこの物語は、「そうではないのだよ」とはっきりと、私たちに語りかけでいる。
この2節の御言葉は本当に意味深いものだと思う。神様が私たちと共にいて下さるということと、私たちが「エジプト人の主人の家にいる」ということとは、決して矛盾しないと語りかけている。この二つの事柄が一つの出来事として綴り合わされるのが、主なる神様の為さり方である。これは、イスラエルの人々にとって、また、私たちにとって、どれほど意味深く(ときには躓きともなるが)、慰め深いメッセージであろうか。私たちが、様々な意味において、(この世の)主人の家に居なければならない者であることは明らかである。肉体を持ってこの世を生きねばならないものであることから、私たちは決して自由であることはできない。それゆえの誘惑にさらされ、牢獄に落されてしまうことがしばしばである。神様が私たちと共にあって下さることは、この私たちの根源的な不自由性といい得るかもしれないが、この世の主人の家にいなければならない奴隷性というものを、なくして下さるものではない。この制約はそのままで、神様は、これまでをも無くしてしまうことは為さらない。けれども、この制約のなかにあって、神様は私たちと共におられることがお出来になる。主人の家に置かれ牢獄につながれる私たちのなかに神様が現れ、「恵み、幸運さというものは必ずあるのだ。それに気づきなさい」語りかけられているのである。
3.それでは、その幸運さ・恵みというものは、私たちにおいてはどのように現われているのか。私たちは、自分自身のどんな現実に神様が共に居て下さるということを確かめたらよいのか。「主がヨセフと共におられたので彼はうまく事を運んだ(幸運なものとなった)。(2節)」、「主はヨセフのゆえにそのエジプト人の家を祝福された。その祝福は・・及んだ。(5節)」「主がヨセフと共におられ、恵みを施し、看守長の目にかなうように導かれたので・・取り仕切るようになった(22節)。私たちは、神様が共にいて下さるということの現れを、現実での実際的な幸運さとか、祝福というものに見てしまうのではか。「もし、神様が私たちと共にいて下さるなら、私たちは現実的に幸運な者となるはずだ」と受け取ってしまいがちだ。「私たちと共に居る家族は祝福されたものとなり、財産的にも恵まれるはずだ」と受け取るかもしれない。「うまく事が運び、置かれた所で取り仕切ることのできるようなものに出世できるはずだ」と受け取るのではないか。
しかし、このような理解に対して、真っ向から反証してくるのは、うまく事を運び幸運なはずのヨセフに、主人の妻から誘惑され濡れ衣を着せられて投獄されるという不運が襲いかかることである。主が共にいて下さるということの現実的な現れは、ただ単純に幸運であるとか、物質的に祝福されるとか、出世するとか、そういうものではないように思われる。もし、そうであるなら、主人の妻からの誘惑をうまく処理できなかったヨセフとは、神様は共にいて下さらなかったということになってしまう。人生を到底うまくなど運ぶことができず、幸運などとも到底言えず、家族が現実的に祝福されているとも言えない私たちには、「神様は共にいてくださらない」ということになる。このことについては、もっと深い理解が必要になる。
4.それでは、どのような理解が必要なのか。「主がヨセフと共におられたので、彼はうまく事を運んだ」というときの「うまく事を運んだ」という意味は、私は以下のようにとらえてみたいと思う。普通の人であれば、兄弟の憎しみを買って、奴隷として売り飛ばされ、折角、主人に目をかけてもらったのも束の間、あらぬ罪を着せられて牢獄につながれてしまうような人生に対して、自暴自棄になってしまうのではないか。或いは、主人の妻からの誘惑に対しては、相手から誘ってきているのだから、受け入れても構わないと思ってしまうのではないか。「わたしの意のままにならないものはありません」と、ヨセフ自身が9節で口にしているように、高慢な思いから、やすやすと誘惑を受けいれてしまうのではないかと思う。ところが、ヨセフはこのような人生に対して、誠実に対処し続けた。誠実に対処した結果、濡れ衣を着せられて、投獄されてしまったのである。しかし、たとえ結果はどうあれ、彼は目の前に与えられた人生に対して、誠実に対処したのである。シスターである渡辺和子さんの著書の題名にありますように、置かれた所で懸命に咲こうとしたのである。諦めず自暴自棄になることもなかった。それに伴なって、目に見える祝福が与えられることもあるであろう。しかし、反対に、不利益を被ることもある。いずれにせよ、置かれた所で与えられた人生に対して、自暴自棄にならず、精一杯のことを行った。これが「うまく事を運んだ」の意味ではないか。
5.大切な点は、ヨセフが目の前の状況に対して誠実に対処したということである。ここでは、神様が彼と共におられるということにおいて、ヨセフがどのように行動したかが、とても大切になっている。神様が私たちと共にいて下さるとは、神様が私たちの行動などとは全く無関係に、それこそオートマティカルに、どんどん事を進めて行かれるということではない。断じて、そうではない。そうではなく、主が私たちと共におられ、そのことが現実のなかに現われて行くについては、ヨセフがいかに行動したか、私たちがいかに振舞うかに、決定的に関係している。
このことは、御言葉にも現れている。3節に「主が・・共におられ、主が彼のすることをすべてうまく計らわれる」とあり、最後の23節にも「主が・・共におられ、ヨセフがすることを」とある。聖書の表現としても、神様が彼と共にあることとヨセフがなしたこととが、密接不可分の間柄にあるように書かれている。神様がヨセフと共にいて下ったことと、彼がすることとは車の両輪である。ヨセフがしたことのなかに、神様が共にいて下さったことが現れている。別の言い方をすれば、ヨセフがこうした行為を為し得た点にこそ、神様が共にいて下さったことの現れがあると言っても良い。結果として、現実的な祝福があるかどうか、目に見える幸運・不運が伴なうかは、無関係なのである。置かれた場面で、ある行いを為し得たことこそが、神様が共にいて下さったことの表れなのである。
6.では、ヨセフが為し得たこととは何か。4節に次のように書かれている。「(主人は)ヨセフに目をかけて仕えさえ、・・ゆだね・・任せた」と。22節でも「(看守長は)皆ゆだね」とある。神様が私たちと共にあって私たちに為さしめたもうことは、私たちが置かれた境遇のなかで「仕え、ゆだね、任せられる」ことなのである。それは、たとえ奴隷の状態にあっても、牢獄につながれる境遇にあっても、私たちが様々な思い通りに行かない場面にあっても、必ずや神様が私たちに為さしめてくださる行いなのである。自分が進んでそれをしたいとか、しようと思ったことではない。仕えるとは、しばしば、無理やり与えられた務めと解される。私たちの意思を越えて授かった務めなのである。
郡山にいる母 - 今月の18日で88歳になる - を、いろんな事情があって、こちらに呼び寄せて、近隣市町村にある施設にお世話になるだろうこととなった。私にとっても妻にとっても、突然のことであった。けれども、ここに「仕え、委ねられ・任せられる」という今日の御言葉が示されたのである。それを行えることが、私にとって「神様が共にいて下さる」ことなのである。そのことから、結果として、辛いことが生じるかも知れないが、根底には、神様が私たちと共にいて下さる幸運や祝福や恵みが、私たちに授けられると信じている。
もう一点、ヨセフが行った行為について。それは、主人の妻の誘惑に対して「わたしは、どうしてそのような大きな悪を働いて、神に罪を犯すことができましょう」と、きっぱりとはねのけたことである。神様がヨセフと共におられたということは、彼をして、目には見えない神様に対して誠実に振舞うことをさせることで現われたのである。それは結果として彼に、より一層の不幸を与えた。監獄に落ちる結果となった。うまく巧妙に振舞う結果とは逆になった。けれども、それヨセフをして幸運な者とならしめたものなのである。
筑波学園教会牧師 福島 純雄
2014年 10月5日 聖霊降節第18主日礼拝
01:08まず初めに、イエス・キリストを通して、あなたがた一同についてわたしの神に感謝します。あなたがたの信仰が全世界に言い伝えられているからです。 01:09わたしは、御子の福音を宣べ伝えながら心から神に仕えています。その神が証ししてくださることですが、わたしは、祈るときにはいつもあなたがたのことを思い起こし、 01:10何とかしていつかは神の御心によってあなたがたのところへ行ける機会があるように、願っています。 01:11あなたがたにぜひ会いたいのは、“霊”の賜物をいくらかでも分け与えて、力になりたいからです。 01:12あなたがたのところで、あなたがたとわたしが互いに持っている信仰によって、励まし合いたいのです。 01:13兄弟たち、ぜひ知ってもらいたい。ほかの異邦人のところと同じく、あなたがたのところでも何か実りを得たいと望んで、何回もそちらに行こうと企てながら、今日まで妨げられているのです。 01:14わたしは、ギリシア人にも未開の人にも、知恵のある人にもない人にも、果たすべき責任があります。 01:15それで、ローマにいるあなたがたにも、ぜひ福音を告げ知らせたいのです。
1.8節に「まず初めに・・・言い伝えられているからです」とある。パウロは、ローマ教会の人々の信仰が全世界に言い広められていることについて、神様に感謝していた。ここでの疑問は、ローマ教会の人々の信仰が全世界に言い広められているとは、どういうことかという点である。果たして、彼らの信仰とは、そのようなたいそうなものだったのか。これは単に彼らの信仰を持ちあげようとするパウロのお世辞ではなかったか。そういう見方もある。
私としては、次のように理解している。この手紙が書かれるようになった事情として、紀元49年にローマにいたユダヤ人(そのなかにはユダヤ人クリスチャンも含まれる)が、時のローマ皇帝クラウディオによってローマから追放されたということが決定的に大きい。追放されたユダヤ人クリスチャンであるローマ教会の信徒のなかには、プリスキラとアキラという夫婦もいた。パウロはコリントで彼らと会って、コリント教会を設立したのだった。こうしたことが示しているのは、追放されたユダヤ人クリスチャンは、そのことによって信仰を失うことはなく、プリスキラとアキラ夫婦のように、追放されたところで教会を新しく建てようとした。そのような信仰を抱いていたということである。追放によっても信仰が途絶えることがなく、逆に追放されたことが、追放されたローマ教会の人たちの信仰の素晴らしさを言い伝えることとなったのである。これが「あなたがたの信仰が・・言い伝えられている」ということの内容ではないか。
そのことについて、パウロは「神に感謝しています」と言った。追放されたローマ教会の信徒たちがこのような信仰を抱いていたことについて、ともすれば、彼らが立派だったと言われてしまいそうである。そういう信仰を抱くことが出来た彼らが称賛されてしまいがちである。しかしパウロは決して彼らを称えてはいなかった。そうではなくて、あくまで神様を称え、神様に感謝を捧げたのだった。それは、そのような信仰を授けて下さったのは神様だからということである。信仰は、あくまで神様からの賜物であって、私たち自身が獲得したものではない。信仰は、神様に由来するものであるからこそ、追放されたなかにあっても、彼らをこのようにあらしめる力を持つのである。
2.信仰の力という点について、先週の聖書研究祈祷会で学んだ聖書箇所について触れたい。聖書研究祈祷会では現在、列王記(下)を読んでいる。今、ユダという国の王様であったヒゼキヤについて学んでいる。ヒゼキヤは、かつてダビデが王をしていた王国がその子ソロモンの死後、北と南に分裂してしまった南の国の王様を紀元前715年から687年頃までしていた人であった。彼が王になった5年か6年前に、北の国の王国がアッシリアという大国(いまのイラク辺りにあった大国)によって滅亡させられた。彼はこの悲惨な現実を見聞きして、きっと心に誓うところがあったのだと思う。「北の王たちが、主なる神様から離れ、偶像の神々を信じたゆえに、こうなったのだから、自分は決してそうしたことはすまい」と。「主なる神様を堅く信じていれば、決してこのような災難は臨むことがない」と。列王記(下)の18章5節以下には、このヒゼキヤ王ほどに神様を堅く信じたものは、前にも後にもいなかったし、決してアッシリア王に屈服しなかったと絶賛されている。
ところが、このようなヒゼキヤが、まるで別人のようになってしまった。紀元前701年にアッシリアがいよいよユダの国にも攻め入ってきて、町々を占領してしまった。莫大な身代金を課されたヒゼキヤは、大切な神殿の柱や扉を切り取ってまで、それを支払ったと書かれている。そのように恭順の態度を示しながら、他方では、エジプトに援軍を求めたりもしたようである。ここに、彼の信仰が、まさにこのとき、柱や扉を切り取られた神殿のように、剥ぎ取られ、ぼろぼろになってしまった状況を、私たちは、見ることができる。アッシリア王からは、度々、脅迫の手紙が送りつけられてきた。このような、にっちもさっちも行かない状況のなかで、ヒゼキヤはどうしたのか。彼の信仰は、全くもって、何処かに行ってしまったのか。
そうではなかったと、聖書は告げている。19章の1節と2節、また14節に、彼は主の神殿に上がり、そこでアッシリア王からの手紙を主の前で読み上げ祈ったと書かれている。また、時の預言者イザヤに部下を派遣し「祈ってほしい」と願ったとある。「あなたの祈りは聞かれた」と神様からのことば書かれている。
ヒゼキヤは、もはや祈ることができなかった。「神殿などいっても空しいのではないか - その神殿もぼろぼろになっていた - 」という状況に置かれていた。しかし、信仰は彼を、それにもかかわらず神殿へと上らせ、祈らせた。それは信仰そのものの力であった。ヒゼキヤの信仰が立派だったからではなく、神様が授けて下さった信仰そのものに力があったのである。そして、その信仰による祈りは必ず御心にかなうのである。
3.さて、この信仰とは、9節はじめに「御子の福音(を信じる信仰)」とある。ヒゼキヤ王には、御子の福音を信じる信仰はなかった。しかし、それでも、神様を信じる信仰は、彼をこのようにさせる力があった。そうであれば、なおのこと、神様の御子を信じる信仰は、私たちのなかで絶大な力を発揮するはずなのである。
「御子の福音」については、1章3節と4節で、その核心が語られていた。また「福音」とは、突き詰めれば、1章6節と7節にあるように、私たちが神様に愛され・召され・聖なる者とされることである。このことを神様は、御子イエス・キリストの『もの』に、私たちがなるということにおいて、成し遂げて下さる。
神様は、御子イエス様を人として私たちのもとに生まれさせ、十字架につけられるまで、その命を私たちに注ぎ、また復活の永遠の命とのつながりのなかに、私たちを置いてくださる。私たちは、信仰によってこのかたの『もの』となるのである。この方に深く結び付けられ、愛着を抱き、この方から離れ難い存在とされる。それが「イエス・キリストのものとなる」ということである。ただそれによって、私たちは神様に愛され、召され、聖なる者とされる。この福音を信じる信仰は、私たちが自分で獲得したものではなく、神様からいただいたプレセントである。私たちは、信じることができるようにさせていただいた。信仰は、神様が私たちのなかに贈って下さった宝物である。この宝物は、私たちのなかで、絶大ない力を発揮する。それほどの力を、福音を信じる信仰は、持っているものなのである。
4.さらに9節には「御子の福音を宣べ伝えながら心から神に仕えています」とある。8節では、この福音を信じるローマ教会の人々の信仰は、彼らによって「全世界に言い伝えられ」とあり、この9節では御子の福音は心から神様に仕える伝道者であるパウロによって「宣べ伝え」られているとある。
ここでのポイントは、以下のことだと思う。御子の福音というものが人々に言い伝えられ、宣べ伝えられることを、神様は信じる者や伝道者たちにお任せになっておられる。伝道は、信者や伝道者たちの愚かでつたない言葉や証しによってではなく、神様ご自身が、そして天におられるイエス様が、そして聖霊が為さったほうが効果的なのではないかと私たちは思う。そのほうが、もっともっと大々的になされるのではないでか。しかし、神様は「宣教という愚かな手段によって信じる者を救おう、とお考えになったのです(第1コリント、1章21節)」その愚かな手段こそが、伝えられる内容である「御子の福音」にふさわしいからなのだと思う。
神様の御子が人となり、十字架の上で死なれ、復活為さったことが、私たちに対する神の福音であるとは、まことに愚かしく躓きである事柄である。だからこそ、神様は、これを信じ、信じた者がまた自分自身の言葉でこれを宣べ伝えるという手段にお委ねになる。愚かで躓きである福音は、それを信じ受け入れた者によってのみ伝えられてゆくのである。神様は、それを良しとなさる。
「なかなか伝道が進まない」と言われる。教勢を拡大したいとの思いに駆られて、それが進まないことに落ち込み、苛立ち、牧師たちが疲弊している。そうであればこそ、この愚かな宣べ伝えという手段に、安んじて仕えて行きたいと思う。たとえ、目に見える実りのようなものが現れなくとも、「神が(仕えていることについては)証しして下さる」ことなのだから、安心して任せられた務めを果たしていきたい。
5.9節後半からは、パウロがどれほど切にローマ教会を訪問したいと願っていたかが、また、その理由について、書かれている。パウロがその理由としてあげているのは3つのことである。第一は「霊の賜物を・・・」、第二は「信仰によって励まし合いたい」、第三は「あなたがたのところでも何か実りを得たい」から、ということである。ここでパウロがローマ教会の信徒たちを訪ねることで実現したいと望んでいることは、決して、彼とローマ教会の間だけに個別的に得られることではなく、凡そ全ての教会の信徒の交わりにおいて、与えられるものではないか。大切な点はここにある。
もちろん、福音という宝物を与えられたことによる効果・実りというものは、独りでいる時においても結実するものではあろう。しかし、ここにあげられているものは全て皆、一人では得られないものなのである。信徒の交わり・教会の集まりのなかでのみ得られるものなのである。そこに注目をしたい。
パウロは最初に「霊の賜物を分け与えて力になりたい」と言っていた。パウロの側から一方的にローマ教会の人々に与えるような書き方がされてるが、次には「信仰によって励まし合いたい」と言った。これはあくまで、双方向の出来事に違いない。お互いに賜物を分け合い、力になり合うことが、信仰によって励まし合うことなのである。それが、実りを得ることなのである。
「霊の賜物」とは何か。「霊」の字に、或る印がついている。これは、はっきりと「聖霊」とは書かれていないけれども、しかし、神様が下さる霊であることを意味している。また、「霊」とは「風」とも訳される。わざわざこのような印が付けられているのは、風という意味を含んでいるとのニュアンスかも知れない。風は、入れ物に入れておくことはできない。風を貯めておくことはできないのである。そのように、信徒がこうして礼拝で集まり、共に賛美を為し、祈り、御言葉を聞くことにおいて霊の風が吹くのは、その場だけの賜物なのである。御子の福音の信仰を同じくする者たちが集まり、共に礼拝を捧げるとき、その場だけに与えられる霊・風の賜物がある。
先週の夕拝に出席された女性は、この1月に夫が天に召され、さらに8月にお嬢さんを、また召された。どんなことがあっても、イエス様が、私たちの友であって下さることの励ましを祈ってくださった。また、礼拝が終わって、しばらくお話をした後、二人で祈りをささげた。そのお姿に、私はどんなに励まされたことか。信仰は神様が与えて下さった宝物であるがゆえに、どんな時にも、私たちの力となる。そして、その力は、とりわけても信徒の交わりのなかでこそ発揮されるものなのである。聖霊の風が、そこでこそ注がれるのである。
筑波学園教会牧師 福島 純雄
2014年 9月28日 聖霊降節第17主日礼拝
12:01とかくするうちに、数えきれないほどの群衆が集まって来て、足を踏み合うほどになった。イエスは、まず弟子たちに話し始められた。「ファリサイ派の人々のパン種に注意しなさい。それは偽善である。 12:02覆われているもので現されないものはなく、隠されているもので知られずに済むものはない。 12:03だから、あなたがたが暗闇で言ったことはみな、明るみで聞かれ、奥の間で耳にささやいたことは、屋根の上で言い広められる。」 12:04「友人であるあなたがたに言っておく。体を殺しても、その後、それ以上何もできない者どもを恐れてはならない。 12:05だれを恐れるべきか、教えよう。それは、殺した後で、地獄に投げ込む権威を持っている方だ。そうだ。言っておくが、この方を恐れなさい。 12:06五羽の雀が二アサリオンで売られているではないか。だが、その一羽さえ、神がお忘れになるようなことはない。 12:07それどころか、あなたがたの髪の毛までも一本残らず数えられている。恐れるな。あなたがたは、たくさんの雀よりもはるかにまさっている。」 12:08「言っておくが、だれでも人々の前で自分をわたしの仲間であると言い表す者は、人の子も神の天使たちの前で、その人を自分の仲間であると言い表す。 12:09しかし、人々の前でわたしを知らないと言う者は、神の天使たちの前で知らないと言われる。 12:10人の子の悪口を言う者は皆赦される。しかし、聖霊を冒涜する者は赦されない。 12:11会堂や役人、権力者のところに連れて行かれたときは、何をどう言い訳しようか、何を言おうかなどと心配してはならない。 12:12言うべきことは、聖霊がそのときに教えてくださる。」
1.1節から3節までは、『並行箇所(他の福音書の中で同じようなイエス様のお言葉や出来事が記された箇所のこと)』がなく、ルカだけが記している箇所である。4節から12節までの二つのまとまりの部分は、マタイ福音書の並行箇所には、12弟子の選任・派遣のすぐ後に置かれている。その流れの方が、確かにわかりやすい。ところが、このルカ福音書では、直前に記されているのは、ファリサイ派の人々や律法の専門家にイエス様が痛烈な非難を浴びせかけられた箇所である。いったいルカという人は、どういう流れとして11章からこの12章の御言葉を理解して、このような書き方をしたのか、最初はよくわからなかった。しかし、何度も何度も読み返す中で、段々と分かってきた。まず、その点についてお話ししたい。
11章37節以下を振り返るが、イエス様は何故それほどまでに、ファリサイ派や律法の専門家たちを非難されたのか。それは彼らを憎んでいたからとか、敵対していたからだとするのは、とても浅はかな理解である。そもそもイエス様と彼らとは「仲間」だったと言って良かった。イエス様の伝道の開口一番のお言葉は「神の国は近づいた」だった。神の国とは神様のご支配のことである。神様の御手の中で生きるということである。イエス様は、そのことをとても大事なこととして求め、またファリサイ人や律法学者も、同じことを誰よりも真剣に追い求めていた。
このように同じ願いを抱いていた人々であったのに、結果として現れたものは全く正反対の在り方だったのである。ファリサイ人や律法学者たちの生き方は、突き詰めれば、11章46節や52節で言われているように、重荷や妨げの壁を作るようなものであった。神様のご支配の中で生きるということが、そういうものを作り出す結果になってしまったのである。そうであるが故に、イエス様は彼らについて、何度も何度も「不幸だ」と言われたのだった。そこには、「残念でならない、哀れでならない」という、心からの嘆きが込められているように感じる。
まことの神様の御手の中で生きるなら、それは決して重荷や妨げの壁を作るようなことにはならないであろう。それは、喜びであり、平安なのではないか。ところが、誰よりも神様のご支配の中で生きることを求め、ご自分の仲間そのものであったファリサイ人や律法学者たちが、重荷や妨げの壁を作るような者たちになってしまったことを、イエス様は嘆いておられたのである。何故、そうなってしまったのかを、問われたのであった。また、そうならないようにと、今日の私たちに、御言葉で教えて下さっておられるのである。ルカは、このような流れとして、捉えていたのである。
2.であるから、ルカの書き出しは、「まず弟子たちに話し始められた。『ファリサイ派のパン種に注意しなさい』」とある。神様のご支配の中に生きようとしているのに、それが重荷やカベを作ることになってしまうということが『ファリサイ派のパン種』なのである。それは、ただ彼らだけにあるものではなく、弟子たちにも、ひいては私たちにも容易に入り込み、私たちを膨らませてしまうものなのである。だから、「注意しなさい」と、イエス様は言われたのである。
では、そのパン種のもとは何か。それは『偽善』なのである。偽善とは、普通の意味では、人前で本来の自分ではない偽りの仮面をかぶることだが、ここでは、まことの神様の前で、そのご支配の中で生きようと願いながら、いつの間にか、まことの神様ではないところの、偽りの神の前に、己をあらしめてしまうことを言っているように思う。その偽りの神とは、突き詰めれば、人間が作り出した神々なのである。だから、まことの神様の前で生きるのではなく、要は人間の前で生きることになる。それが、ここで言われている偽善だと思う。言葉のとおり、まことの善なるお方ではなく、偽りの善なる存在の前で生かされてしまうことなのである。
このようなパン種が入って来てしまうのが、宗教とか信仰と言われるものの恐ろしさだと、しみじみ思う。ファリサイ人も律法学者たちも、また代々のキリスト教会の先達者も、また今、大いに問題になっている『イスラム国』の指導者たちも、自分たちが神だと信じてその前で生きている存在が、このような『偽善』であるとは、誰も思っていないのである。誰もが、それこそまことの神であると信じて、結果的に、重荷や隔ての壁を高く築き、平気で数えきれない人々を殺してきたのである。私たちは、イスラム原理主義の人々が行っていることを残虐な行為として非難するが、歴史上、私たちキリスト教徒が行ってきた残虐行為は、もっともっと、それ以上のものであったと認めざるを得ない。
そうであるから、このパン種がはいってこないように、まことの神様の御手の中で生きることができるように、そのために大切なことは何かを、イエス様は教えて下さろうとしたのである。
3.順序が逆になるが、そこでまず、8節からの御言葉、この段落の10節には、昔から多くの人々を躓かせてきた「聖霊を冒涜する者は赦されない」との言葉がでくる。聖霊を冒涜してしまったのではないか、赦されない罪を犯してしまったのではないかと、恐れを抱いている方は多い。そのような方にとっては、これからお話しすることは慰めになるのではないかと思う。
ここでイエス様が仰っているのは、要は、イエス様の仲間であると言い表すことの決定的な大切さである。仲間であるということができれば、イエス様はその人のことを神様の天使たちの前で「私の仲間だ」と言って下さる。そして聖霊も、このように言う者を導き、味方にして下さるというのである。これは、どういうことか。イエス様の仲間だと自分を言うことが、突き詰めれば、まことなる神様の前に立つことだということではないか。それが聖霊の前に立つことだと仰って下さるのだ。
イエス様は私たちに、これこそファリサイ派や律法学者のように、人々の前で声高に確信をもって「この方が神だ、キリストだ、救い主だ」と言えるような態度を要求されない。10節では「人の子(これはイエス様のこと)の悪口を言う者は皆赦される」とさえ言われる。悪口というのは、「イエス様が神様であることがわからない、十字架に着けられて殺されてしまうような弱々しい方が、どうして救い主かわからない」というような疑問・疑いを口にしてしまうことである。それでも、私たちは、このイエス様から離れることはできない。イエス様に引きつけられてしまう。誰の仲間でありたいのか、誰の側に立って行きたいかと言えば、やはりイエス様の側に組みしたいと思うのである。私たちの信仰は、せいぜい、イエス様の仲間だと自分を言いあらわす程度のささやかな信仰なのであるから、到底この人を神・キリストなどとは信じられないからという人々を不信仰だと断じたり、迫害したりというようなことはできないのである。イエス様の仲間であろうとすることが、私たちをまことなる神様の前に立たせ、私たちをファリサイ派のパン種から守ることなのである。
自分は聖霊を冒涜してしまったのではないかと恐れを抱いているのなら、このようにイエス様のお言葉を聞いても、なおそのように思うだろう。あなたは、イエス様を知らないといって否定しているのか。それとも、イエス様の仲間でありたいと願っておられるのか。イエス様に引きつけられているからこそ神様であり、救い主であることに、いつも疑いや迷いを抱いているのではないのか。それは、イエス様を知ろうとしないからではなく、むしろ知ろうとするからである。知ろうとしても分かり得ないし、ファリサイ派や律法学者たちのように、自信満々に神様のことを口にし得ない私たちなのである。それでも、自分の仲間であろうとすることだけを良しとして下さるイエス様がいて下さる。
4.4節から7節までにも「地獄に投げ込む」という難しいイエス様の言葉が書かれていて、昔から私たちを悩ませてきた。イエス様もまた、神様をこのようなお方として信じておられたのだろうか。そもそも、地獄とはどういうところだろうかなど、非常に難しい問題がここには横たわっている。
イエス様がお教えになろうとされるのは、まことの神様とは如何なるお方なのか、ということである。私たちをファリサイ派のパン種から守るためには何が大切かということである。そういう点から、このイエス様のお言葉を理解するすると、まことなる神様とは、第一に、体を失った後にも何らかの在り方(どういう在り方かということは、イエス様も、何もお語りにはならなかった)で存続している私たちに対してこそ、権威を持っておられるお方なのだと言われる。地獄に投げ込まれるという言葉に、私たちはぎょっとさせられてしまうが、イエス様がそもそも言わんとされたのは、体がなくなった後でも、私たちは何らかの在り方で存続する存在なのであり、その存在こそが実は大切なものであり、そして神様はその存在に対してこそ、配慮をなし権威をもっていて下さる。その存在に対して力を揮える者は、神様しかおられない。この世のどんなものも - 体に対しては力を揮える者どもも - 体がなくなった私たちに対しては何の権威ももたないということである。
もう一つ、まことなる神様についてイエス様が言われるのは、5羽ひと束で2サリオン(おそらく今の価値にすれば、ひと束数十円程度、1羽では売り物にならないから束で)売られているような雀の1羽をさえ、お忘れにならないし、また何十万本もあると言われる髪の毛一本さえも数えて下さる。そういうお方なのだということである。
イエス様の教えておられる、まことなる神様とは、突き詰めれば、私たちが考えている神様とは全く異なった、私たちの考えもつかない仕方で私たちを配慮し、私たちと関わりを持って下さるお方なのである。私たちが、ひたすら、この世の体と思い煩い、ゆえに神様を勝手にねつ造しているのに対し、まことの神様は体がなくなった後の私たちの在り方にこそ配慮して下さっている。大きいことにのみ関心が行く私たちに対し、神様は本当に小さくて些細なところに目を留めて下さる。まことの神様がこのようなお方だと気づけば、私たちの生き方も、偽善や重荷や隔ての壁から解き放たれるのではないか。
5.最後に、以上のようなことから、2節・3節で語られている意味もわかってくる。以前は、単に私たちが秘密にしていることがいつかは必ず暴露されるというような意味に何となく受け取って来た。しかし、こうして学んでみて、イエス様の言わんとされたのは、随分違うということがわかる。
要は、まことなる神様は、私たちの隠れたところ、覆われたところ、私たち自身でさえ気づいていないところを大事にされるお方なのだといことなのである。普通では不信仰とかイエス様・神様の悪口を言っていると非難されるようなことであっても、それはイエス様の仲間であろうとする故だ、と隠れたところを喜んで受け入れて下さるのが神様なのである。この世では身体を失い死んでしまった存在、また5羽でしか売り物にならない1羽の雀、1本の髪の毛といった、まさに、この世のなかでは覆われ隠されている存在を大切にして下さるのが、まことなる神様なのである。イエス様を仲間とするならば、この神様の御子のもとで生きることが出来るのである。
筑波学園教会牧師 福島 純雄
2014年 9月21日 聖霊降節第16主日礼拝
37:01ヤコブは、父がかつて滞在していたカナン地方に住んでいた。 37:02ヤコブの家族の由来は次のとおりである。ヨセフは十七歳のとき、兄たちと羊の群れを飼っていた。まだ若く、父の側女ビルハやジルパの子供たちと一緒にいた。ヨセフは兄たちのことを父に告げ口した。 37:03イスラエルは、ヨセフが年寄り子であったので、どの息子よりもかわいがり、彼には裾の長い晴れ着を作ってやった。 37:04兄たちは、父がどの兄弟よりもヨセフをかわいがるのを見て、ヨセフを憎み、穏やかに話すこともできなかった。 37:05ヨセフは夢を見て、それを兄たちに語ったので、彼らはますます憎むようになった。 37:06ヨセフは言った。「聞いてください。わたしはこんな夢を見ました。 37:07畑でわたしたちが束を結わえていると、いきなりわたしの束が起き上がり、まっすぐに立ったのです。すると、兄さんたちの束が周りに集まって来て、わたしの束にひれ伏しました。」 37:08兄たちはヨセフに言った。「なに、お前が我々の王になるというのか。お前が我々を支配するというのか。」兄たちは夢とその言葉のために、ヨセフをますます憎んだ。 37:09ヨセフはまた別の夢を見て、それを兄たちに話した。「わたしはまた夢を見ました。太陽と月と十一の星がわたしにひれ伏しているのです。」 37:10今度は兄たちだけでなく、父にも話した。父はヨセフを叱って言った。「一体どういうことだ、お前が見たその夢は。わたしもお母さんも兄さんたちも、お前の前に行って、地面にひれ伏すというのか。」 37:11兄たちはヨセフをねたんだが、父はこのことを心に留めた。
1.創世記37章から50章までは(38章だけは、ヤコブの息子ユダ一家の出来事が挿入されているが)ヤコブの家族の物語である。特に、ヤコブの11番目の息子であったヨセフを中心とする物語が綴られている。まず37章全体のあらすじに、ごく簡単に触れる。
ヨセフは、ヤコブの11番目の息子であった。彼は、ヤコブと最愛の妻ラケル - 彼女はヨセフの弟ベニヤミンの出産において命を落とした - との間に、やっと授かった子供であった。ヤコブが何歳のときの子供であったかはわからないが、3節に「年寄り子であったので」と書かれている。そのため、このヨセフを、父ヤコブは「どの息子よりも可愛がり、袖の長い晴れ着を作ってやった(3節)」のだった。「ヨセフは兄たちのことを父に告げ口した」と2節の最後にあるが、これは、ヨセフにだけは野良仕事をさせず、ヨセフは普段から袖の長い服を着せられ、兄たちの仕事ぶりを監督し、父に報告するような役割を与えられていたことを表しているのではないかとも解釈できる。4節にあるように「兄たちは・・・話すこともできなかった」という状態になった。そんな兄たちの気持ちを平気で逆なでするかのように、ヨセフが得意げに自分の見た夢を兄たちや父に話して聞かせる場面が、5節以降に記されている。いずれの夢も、兄や父がヨセフにひれ伏す内容のものであった。兄たちはカンカンに怒り、父でさえヨセフを叱った。
ここまでが11節までの内容である。12節からは、父に命じられて兄たちの仕事場にやってきたヨセフを、兄たちが殺そうとしたが、さすがに殺すことは思い留まって穴に投げ込み、奴隷商人に売り飛ばそうとしたと書かれている。兄たちは父ヤコブに「ヨセフは野獣に食べられてしまった」とウソを言った。こうして、ヨセフはエジプトの王様の侍従長だったポティフィアルの奴隷として売られていったのだった。
2.以上のような物語を読んで、私たちはどのような感想を抱くだろうか。同じ感想を、ヤコブの祖父であったアブラハムや父イサクの出来事に際しても抱いたことを思い返した。ヤコブの一家に、このような出来事が起きて行ったことを、私たちはとても残念で情けない思いをもって受け止めるのではないか。普通の家族であれば、殺そうとしたり穴に投げ込んで奴隷として売り飛ばしてしまうことはともかくとして、ある子供だけを親がえこひいきしたり、そうされる兄弟を他の兄弟が憎んだりということは、当たり前に起きることではあるだろうと思う。しかし、このヤコブやその家族に、ここまでのことが起きてしまうのはおかしいではないか、あってはならないことではないか、と私はまず感じたのである。
どうして、そんな感じを抱くかと言えば、それは、何よりも一家の長であったヤコブという人が、これまで神様との深い出会いによって励まされ導かれてきた人だからである。この家族は、そうしたヤコブを、一家の長として歩んできた者たちだったからである。とにかく、2度にわたるベテルでの神様との出会いがあり、おじラバンのもとでの苦節20年間を神様によって支えられ、ヤボク川の渡しでの夜を徹しての神様の使いとの格闘があって、2節にわざわざヤコブではなくイスラエルと彼は呼ばれているが、このイスラエルという名前は、このヤボクの渡しでの格闘のときに授かった名前なのである。これほどに神様との深い出会いがあり、新しい名前まで授かるような信仰の歩みを重ねてきた者が、他の兄弟たちの思いに何ら配慮することもなく、「年寄り子」だからという自然の感情だけでヨセフを溺愛してしまったのである。双子の兄エサウを父イサクが溺愛し、反対に自分は母リベカから盲愛されることから、自分や家族がどれほど辛い体験をしたか、誰よりもヤコブが身に滲みて分かっていることではなかったのか。それなのに、よりにもよって、このヤコブが、父が兄にしたのと同じことを、ヨセフにしたのであった。父の愚かな愛情に乗せられて、ヨセフはうぬぼれ、高慢になり、兄たちは父ヤコブへの憎しみをかきたてられていった。そうしたヤコブ一家の愚かさ・傲慢・悪辣さに乗じて、人を奴隷として平気で売り買いする奴隷商人が入り込んできたのであった。
「一体、このような物語の何処に信仰があるのか」と思ってしまう。「これまで長い間、ヤコブが信仰の歩みを重ねてきたのは全く無駄であったのか」「このような人間の愚かさや高慢や悪さを押しとどめることに対して、何も力が無いのか」と愕然としてしまう。私たちの信仰も、このようなものでしかないのかも知れないと感じさせられる。
3.このように思ってしまうのは、信仰と、こうした愚かさや高慢さや悪さとは、並存しないものなのだという、信仰生活が長くなれば自ずとそうした愚かさの類は無くなっていくものだとの思い込みのようなものが、私たちの中にはあるからなのかも知れない。
先週から『人生の意味と神』という本を読み始めた。それは、ナチスの強制収容所を生き延びた精神科医師としてよく知られたフランクルと、ユダヤ人宗教哲学者であり、また新約聖書の学者でもあって、1951年から69年までイスラエルの外交官であったビンハス・ラビーデとの1984年の対談内容をそのまま本にしたものである。内容がとても難しく、理解できないままの部分も多いのだが、その最初にラビーデが、こんなことを語っている。そのまま、引用する。
『西洋世界の二つの偉大な思考法は、ギリシャ的思考とユダヤ的思考に還元できると思います。ギリシャ的思考法は〈あれか ― これか〉の思考法で、これが、― 遺憾なことに ― 全西洋へ伝播しました。新約聖書はそれを映す最良の鏡像です。救済される者か断罪されるものかのどちらか、光の子か闇の子かのどちらかが存在します。それは白黒の絵であり、その絵の空想力は十分ではなく灰色にさえ達しません。言葉を換えれば、わたしの言っていることは正しいのだから、あなたも他のすべてのひとも正しくない。あるいはその逆です。それしか存在しません。わたしが間違っているなんてあり得ない、とんでもないことだ、エゴイストは普通そう言うでしょう。
ユダヤ的思考法は、ヘブライ語聖書〔旧約聖書〕がそれを表す最良の文書ですが、典型的な〈あれも―これも〉なのです。ダビデはイスラエルの最も偉大な王ですが、彼はひとりの姦通者でもあります。コラ〔荒野でモーセに逆らったレビの孫〕は、神とモーセに対する最悪の反逆者ですが、彼の息子たちはいくつかのもっとも美しい詩編の作者と見なされています。ユダヤの聖書には白黒は存在しません。ただ三千もの多様なニュアンスの灰色しか存在しません。全面的な悪としての黒も存在しないし、全面的な善としての白も存在しません。人間存在は相対的で、多様な灰色の陰影の領域を動き、けっして〈あれか―これか〉ではありません。なぜなら、そのような〈あれか―これか〉は神のもとにしかないのですから。』
ラビーデの言葉から言えば、私が、信仰と愚かさ・高慢さ・悪さが並存し得ないと、当たり前のように考えてしまうことこそが、ギリシャ的な白か黒かの思考法に染まってしまっていることの現れなのかも知れない。このヤコブの一家は、ユダヤ人の祖先であり、イスラエルという名前を神様から貰った一家の有り様こそが、あれかこれか、信仰か愚かさの二者択一ではなく、あれもこれも、という有り様を示しているのかも知れない。これが、私たちの信仰の姿なのだと語りかけてくれている。
4.それでは、私たちは、たとえ信仰の歩みを重ねていても、ずっと、あれもこれもという迷いや混迷、私たちの愚かさや傲慢さ悪さに翻弄されたままで歩んでいかなければならないのかと思ってしまう。しかし、そうした中にも、私たちはある光明・励ましというものを、このヨセフの物語において見出すことができると思う。
一体このヤコブの家族がどうなってしまうのか、エジプトに奴隷として売られたヨセフはどうなってしまうのかの結末は、聖書をずっと後の方まで読まなければわからない。その結末は、ヨセフがその後の幾多の試練・苦難を経て、エジプト王の厚い信頼を得て危機管理大臣のような者となって、飢饉から逃れてやって来た兄たち・父を救う者とされたという結末である。ヨセフの見た夢は、事実としては確かに実現しているわけである。もちろんそれは、ヨセフの傲慢や高慢が満足されるという出来事としてではなく、この家族が救われるという幸いな出来事が成就するということにおいてなのであるが・・・。
それが何を指示しているかと言えば、この人間の愚かさや傲慢さや悪辣さや憎しみというものが、にもかかわらず、本人たちが全く意識しないところで、神様による幸いな結末を作り出すための配役を担っているということである。このところ、女性の会の皆さんが、バザーにむけてお仕事会を毎週しておられるが、よく比喩として言われることだが、詩集やパッチワークにおいて裏面に見えるのは、たどたどしい針跡に過ぎないが、しかし、表面に見えるものは ― よくよく目を凝らすと、たどたどしい針跡も見えてくるが―素晴らしく整えられた図柄であり、作品なのである。そのように、神様はヤコブやヨセフや兄たちや奴隷商人の醜い行いを用いて、最後の良い作品を仕上げることがお出来になる方なのである。そういう結末・善き結末へと私たちは向かっている。私たちの愚かさや罪深さが、そのように用いられていることに、大きな希望と慰めがある。だから、その途上における私たちの愚かさや傲慢さや悪さというものに、がっかりしてはいけないと語りかけられているのである。
もっと言えば、こうした人間の在り様・行いというものがなければ、神様の善き結末は生じないということにもなる。確かにそうである。ヨセフがエジプトの奴隷として売り飛ばされることがなければ、この一家は飢饉から救われることは無かったのだから。
信仰など何処にもないと感じさせられるこの物語の中で、唯一ヤコブの信仰を感じさせる記述がある。それは11節の「父はこのことを心にとどめた」という御言葉である。この言葉は、ルカによる福音書において二度ほど、イエス様の母マリアの態度を描くことばとしても用いられている。マリアは、イエス様について天使が告げたことや、これからイエス様の身の上に起きて行くことについてわからないことだらけではあるけれども、「お言葉がこの身になっていく」と信じて、その神様の御心にお任せしようとしていた。ヤコブには、自分自身の愚かさや息子たちの積み深い思いを払拭することができるような、そういう信仰はなかったかも知れない。しかし、こうした自分たちの信仰なき真に情けない有り様を通して、何かが起こって行くという思いはあった。12節以下で、兄たちのヨセフへの憎しみをわかっていたのに、敢えてヨセフを兄たちのもとに遣わしたのは、神様の御手にヨセフや事態を委ねるしかないとの信仰からだったのかも知れない。
5.さて、ヨセフの見た夢に象徴的に暗示されていた神様のよき御業とは何であったか。ヨセフが見た夢、彼が兄たちや父に話した夢の内容というのは、神様が最後に成し遂げようとされるよき結末の、外形のみを予知したものに過ぎなかった。なぜ、父や兄たちが自分にひれ伏しているのか、その意味するところは何かというようなことを、ヨセフは何ひとつ語ることはできなかった。よく、こうした不思議な能力をもっているとされる人々がおり、また、そうしたものをご覧になってその内容に不安を覚えたり不吉さを感じたりする方々もある。しかし、そうした夢は、ことがらのごく一端しか明らかにしていないものなのだと思う。神様がいつのときにか成し遂げて下さる救い・良き御業の全容を明らかにしてはいない。ヨセフの傲慢さに歪められ、ただ自分が家族によって崇め祭られていることしか、ヨセフは語ることができなかったのである。
しかし、そうしたヨセフの歪めた部分を除くなら、神様が成就して下さろうとしている救いの御業・良き結末は暗示されていると思う。この夢が指し示しているのは、人が人にひれ伏すとか、誰かを支配するとか、そういう結末ではないのだと思う。そうではなく、私たちが本当にひれ伏し崇めるべき存在を、主として仰ぐ時がやってくるとの夢なのである。今はただ、この世の王国の中で人間の身を主と仰ぎひれ伏してしまっている私たちである。しかし、神様がきたらせて下さる結末においては、そうではないのである。
そのときには、「太陽と月と11の星がわたしにひれ伏している(9節)」とヨセフは言った。太陽や月や星とは、この世において私たちが神様や主としてひれ伏しているものである。しかし、神様がきたらせて下さる結末においては、この態様や月や星が逆にひれ伏しているのである。この世において、私たちがひれ伏させられ、そうして私たちをがっちりと支配している存在が、結末においては逆にひれ伏させられるものになっているのである。すべての存在が、本当にひれ伏すべきものにのみひれ伏し崇めているのである。そのような結末へと、私たちはまことに愚かで悪しき存在としてではあるが、向かっているのである。そのようなものとしてではあるが、神様の御心に用いられているのである。その神様のご計画を心に留めたいと思う。
筑波学園教会牧師 福島 純雄
2014年 9月14日 聖霊降節第15主日礼拝
01:01キリスト・イエスの僕、神の福音のために選び出され、召されて使徒となったパウロから、―― 01:02この福音は、神が既に聖書の中で預言者を通して約束されたもので、 01:03御子に関するものです。御子は、肉によればダビデの子孫から生まれ、 01:04聖なる霊によれば、死者の中からの復活によって力ある神の子と定められたのです。この方が、わたしたちの主イエス・キリストです。 01:05わたしたちはこの方により、その御名を広めてすべての異邦人を信仰による従順へと導くために、恵みを受けて使徒とされました。 01:06この異邦人の中に、イエス・キリストのものとなるように召されたあなたがたもいるのです。―― 01:07神に愛され、召されて聖なる者となったローマの人たち一同へ。わたしたちの父である神と主イエス・キリストからの恵みと平和が、あなたがたにあるように。
(説教要旨の掲載は9月22日頃を予定しています)
筑波学園教会牧師 福島 純雄
2014年 9月7日 聖霊降節第14主日礼拝
16:01主はサムエルに言われた。「いつまであなたは、サウルのことを嘆くのか。わたしは、イスラエルを治める王位から彼を退けた。角に油を満たして出かけなさい。あなたをベツレヘムのエッサイのもとに遣わそう。わたしはその息子たちの中に、王となるべき者を見いだした。」 16:02サムエルは言った。「どうしてわたしが行けましょうか。サウルが聞けばわたしを殺すでしょう。」主は言われた。「若い雌牛を引いて行き、『主にいけにえをささげるために来ました』と言い、 16:03いけにえをささげるときになったら、エッサイを招きなさい。なすべきことは、そのときわたしが告げる。あなたは、わたしがそれと告げる者に油を注ぎなさい。」 16:04サムエルは主が命じられたとおりにした。彼がベツレヘムに着くと、町の長老は不安げに出迎えて、尋ねた。「おいでくださったのは、平和なことのためでしょうか。」 16:05「平和なことです。主にいけにえをささげに来ました。身を清めて、いけにえの会食に一緒に来てください。」サムエルはエッサイとその息子たちに身を清めさせ、いけにえの会食に彼らを招いた。 16:06彼らがやって来ると、サムエルはエリアブに目を留め、彼こそ主の前に油を注がれる者だ、と思った。 16:07しかし、主はサムエルに言われた。「容姿や背の高さに目を向けるな。わたしは彼を退ける。人間が見るようには見ない。人は目に映ることを見るが、主は心によって見る。」 16:08エッサイはアビナダブを呼び、サムエルの前を通らせた。サムエルは言った。「この者をも主はお選びにならない。」 16:09エッサイは次に、シャンマを通らせた。サムエルは言った。「この者をも主はお選びにならない。」 16:10エッサイは七人の息子にサムエルの前を通らせたが、サムエルは彼に言った。「主はこれらの者をお選びにならない。」 16:11サムエルはエッサイに尋ねた。「あなたの息子はこれだけですか。」「末の子が残っていますが、今、羊の番をしています」とエッサイが答えると、サムエルは言った。「人をやって、彼を連れて来させてください。その子がここに来ないうちは、食卓には着きません。」 16:12エッサイは人をやって、その子を連れて来させた。彼は血色が良く、目は美しく、姿も立派であった。主は言われた。「立って彼に油を注ぎなさい。これがその人だ。」 16:13サムエルは油の入った角を取り出し、兄弟たちの中で彼に油を注いだ。その日以来、主の霊が激しくダビデに降るようになった。サムエルは立ってラマに帰った。
1.今日の礼拝は「振起日」として、教会学校の子供たちとの合同礼拝である。いつも合同礼拝の聖書箇所は、教会学校の先生方が使っておられるテキストにもとづいた箇所である。教会学校のテキストでは、このところずっと『神に選ばれた人たち』というテーマで、今月はダビデにスポットライトが当てられている。今日は、少年ダビデが預言者サムエルから王となるべく油を注がれた有名な場面が記された聖書箇所が与えられた。まるでシンデレラ物語のように、長男から始まって7番目の息子まで、誰も神様の目に適ったものはなかった。このときの特別な食事に呼ばれず、羊の番をさせられていた末っ子の少年ダビデが、思いもかけず、兄たちを押しのけて油を注がれ、サウルの次の王として選ばれたという物語である。
2.さて、1節の前半「主はサムエルに言われた・・・退けた」とある。このことは15章に書かれている事柄なので、ポイントとなる部分に触れざるを得ないが、ダビデの前に、イスラエル最初の王として立てられていたサウル王に、サムエルを通して神様はつぎのように言われたと15章2~3節にある。「イスラエルがエジプトから上って来る道でアマレクが仕掛けて妨害した行為を、わたしは罰することにした。行け。アマレクを討ち、アマレクに属するものは一切、滅ぼし尽せ。男も女も、子供も乳飲み子も、牛も羊も、らくだもろばも打ち殺せ。容赦してはならない。」と。この神様の命令を「聖絶」命令という。この命令を聖なるものと受け取ることができるのか。本当に神様の御心として受け取ってよいものなのかどうか。それは、旧約聖書を読むうえでの一大問題である。
この夏に、マルチン・ブーバーを紹介した本を読んだ。ブーバーは『我と汝イッヒ・ウント・ドゥー』という本を書き、またファリサイ派の源流をなすとされるユダヤ教の『ハシディズム』という流れに立つユダヤ人思想家である。彼があるとき、この『聖絶命令』をどのように受け取るかと聞かれ『それは、それを聞いたモーセなりヨシュアなりサムエルが、神の言葉を聞き間違えたのだ』と答えたということが紹介されていた。とても心を打たれた。ファリサイ派の人々の中にも、このように聖書を読む人がおり、このような聖書の読み方を許す地盤のようなものが、今日まで脈々と流れているのだと知って、喜びを感じた。
さて、サウル王は、この命令に従わなかった。それは、先のブーバーのような受け止め方をしたからではなく、サムエル(上)15章7-9節によると、次のように書かれている。「サウルはハビラからエジプト国境のシュルに至る地域でアマレク人を討った。アマレクの王アガグを生け捕りにし、その民をことごとく剣にかけて滅ぼした。しかしサウルと兵士は、アガク、および羊と牛の最上のもの、初子ではない肥えた動物、小羊、その他何でも上等なものは惜しんで滅ぼし尽さず、つまらない、値打ちのないものだけを滅ぼし尽した。」つまり、彼は戦利品として価値あるものは残し、それ以外のものは滅ぼしたのである。これは、神様の御心に反することであった。ゆえに、サムエルは15章22~23節にある御言葉をはっきりとサウルに告げた。それが、1節において「わたしは・・彼を退けた」と言われている事柄なのである。
3.そうであるならば、なぜサムエルはサウルのことを、いつまでも嘆いていたのか。きっぱりと預言者として神様の御心を告げたのだから、嘆く必要などは一切なかったのではないか。しかし、そうではなかった。嘆いた理由には、様々な思いがあったのであろう。
サムエル(上)の9章に、サウルがサムエルを通して神様に選びだされ、王として油を注がれた時の様子が書かれている。ひとことで言えば、サウルは決して自分から望んで、そうなったのではないのである。彼は、ありふれた牧童だった。のんびりと父の家畜の世話をしていた。サムエルから「全イスラエルの期待はあなたにかかっている」と言われて、サウルは固く辞退した。それでも、無理やり油を注がれたのである。そこまでして油を注がれた者ならば、神様はすべてをお見通しのうえで、彼を選ばれたのではないのか。彼が、神様の御心に全く服することができると見込んだからこそ、私に油を注がせたのではないのか。彼が神様の命令に従うことができるように、過ちを犯すことが無いように、油を注いだ者として自分にはできることがあったのではないのか。
また、次のような問いも生じたのではないか。「そもそも人間は、どうしてあなたの命令に、ましてや『殺し尽せ』というような命令に、完全に服することなどできるでしょうか。その命令に服することができないと言って『王位から退けられる』というなら、一体誰があなたから退けられないでいることができるでしょうか。神様のなさりようは、余りにもサウルにとって苛酷すぎるのではないでしょうか。あなたは、私たちに余りにもむごい命令を課されるのではないでしょうか。」サムエルの嘆きとは、そのようなものではなかったかと想像する。
また、それは当然、私たちの嘆きや問いともなるものである。神様がこうして一度油を注いで王とした者を退けられるなら、私たちの信仰者としての選びも、同じように退けられるものなのか。
4.この嘆きに対し、神様は「わたしは・・退けた」と言われた。まず、事実として明らかなのは、「退けた」と神様は言われたが、実際にサウルが王から退けられたのは、彼が死んだときであった。油を注がれた少年ダビデが実際に王となれたのは、サウルが死んでからのことだったのである。そこに、ダビデの苦悶懊悩があった。ダビデは、サウルに追われる者となった。その途中で、何度かサウルを殺すチャンスがあったが、ダビデはそうはしなかった。「神様が油注いだ者に剣を振るってはならない」と彼は言った。その言葉が、神様のお言葉でもあると、私は感じる。だから、神様はサウルを、その御心に適う王としては退けられたけれども、現実には死ぬまで王として扱われたのだと思う。いわんや私は、彼を見限ったとか、一度彼に油を注いで彼を選んだという神様との関係は、決して反故にされることはなかったと感じている。退けられたのは、あくまで「王位」であった。神様の御心にふさわしい王としての役割を果たす者としてであった。しかし、一度選ばれたものとして、捨てられたのではなかったのである。
預言者であっても、サムエルは、この神様の深い御心を知ることはできなかったのであろう。6節以降に書かれているように、彼は預言者であっても、神様が選びたもうエッサイの息子について、正しく見て選ぶことができなかったのである。そこに、彼の嘆きの原因があった。神様の御心を知らず、うわべだけで、神様がサウルを退けたということを受け取ったのである。そして嘆いてしまったのである。
私たちの嘆きも同じようなものではないだろうか。神様の深い御心を知らずして、浅はかなところで判断して、嘆いてしまうのではないか。私たちは「なぜ神様は?」と問うてしまう者である。その場所に、いつまでも留まってしまう者である。しかし、私たちには解らない神様のサウルへの御心がある。決して、退けられていない部分がある。決して、反故にされない選びがある。「委ねよ、私の配慮に委ねて、嘆くのはやめなさい」と言われる。
5.さらに、神様は言われる。「角に油を・・・見出した」と。いつまでも、うじうじとサウルのことで嘆いていたサムエルを尻目に、神様は実にさばさばと次なる所へと進んでおられたのではないか。
それは、次のような語りかけであると私は感じる。「あなたの務めは、嘆くところにあるのではありません。そうではなく、私が新しい王として選んだ者に、油を注ぐところにあるのです。託された新しい務めに進んで行きなさい。嘆くことや後悔することがあなたの務めではなく、新しい出会いの中で油を注ぐことがあなたの務めなのです。」
この語りかけに、私自身が深い励ましをいただく。サムエルが嘆いたように、私たちも、「あの人についてこうすればよかった」、「あの事柄についてこうすべきであった」と悔やむものである。しかし、サムエルがサウルについてどんなに嘆き悔やんだとしても、彼がこうなったことは避けることのできなかったのではないか。サウルが退けられ、ダビデが立てられたことは、神様の御心から出たことなのであった。そうであるならば、サムエルはその神様の御心に沿って進んで行かねばならなかったのではないか。それに沿って、彼には新しい務めが託されたのではないか。
油を注ぐとは、誰かに火を灯し、また良い香りを放つ油を誰かに注ぎかける、ということである。新しい出会いの中で、私たちに「真摯に力を注ぎ、良き働きをして行きなさい」との励ましをいただくのである。
6.こうして、サムエルはエッサイの家に行った。ここには、まずエッサイの長男を、その容姿や背の高さによって、目の見えるところによって選ぼうとしたサムエルの選びをきっぱりと退け、その場に招かれもしなかった、まったく相手にもされなかった末っ子の少年を選ばれた神様の「選び」というものが際立って描かれている。
7節の「人は目に映ることを見るが、神は心によって見る」という言葉は、よく誤解されてしまう。「人は外見によって判断するが、神様はその内面を見られる」と理解すされてしまう。「神様は、少年ダビデの内面を見て彼を選ばれた」と捉えてしまう。では、ダビデの内面は、選ばれるにふさわしいものだったであろうか。決してそうではなかった。神様の目には、彼が王となって犯してしまう大きな罪がはっきりと写っていたはずである。しかし、神様は彼を選ばれた。それは、そのことが「神様の心に」適っていたからである。預言者サムエルでさえ、人を外見で見てしまった。選んでしまった。しかし、神様の選びは、あくまでご自身の御心にふさわしいかどうかであった。ご自身のご計画に合致しているかどうかであった。ゆえに、神様は、この大切な食事の場に招かれもしなかった末っ子であり少年だったダビデをお選びになった。そこに神様の御心のというものが現れている。
私たちはつねに外見から、また、その時代社会が評価する『容姿や背の高さ』によって選んでしまう。しかし、それをきっぱりと退けられる神様がいて下さる。神様は、私たちが選びもしない者から、場所から、お選びになる。私たちが、自分自身や人に向ける、また、人から私たちに向けられる見方・判断・評価とは全く違った目を、その御心によって向けて下さる神様が、厳然として居て下さる。最後には、私たちの選びは退けられ、神様の選びが実現するのである。人が退ける、用無しとする所から、神様は選ばれるのである。それは、十字架のイエス様の選びであろう。私たちの、人間によっては退けられ、用無しとされるところをこそ、神様は大切にされるとの御心であろう。
筑波学園教会牧師 福島 純雄
2014年 8月31日 聖霊降節第13主日礼拝
11:37イエスはこのように話しておられたとき、ファリサイ派の人から食事の招待を受けたので、その家に入って食事の席に着かれた。 11:38ところがその人は、イエスが食事の前にまず身を清められなかったのを見て、不審に思った。 11:39主は言われた。「実に、あなたたちファリサイ派の人々は、杯や皿の外側はきれいにするが、自分の内側は強欲と悪意に満ちている。 11:40愚かな者たち、外側を造られた神は、内側もお造りになったではないか。 11:41ただ、器の中にある物を人に施せ。そうすれば、あなたたちにはすべてのものが清くなる。 11:42それにしても、あなたたちファリサイ派の人々は不幸だ。薄荷や芸香やあらゆる野菜の十分の一は献げるが、正義の実行と神への愛はおろそかにしているからだ。これこそ行うべきことである。もとより、十分の一の献げ物もおろそかにしてはならないが。 11:43あなたたちファリサイ派の人々は不幸だ。会堂では上席に着くこと、広場では挨拶されることを好むからだ。 11:44あなたたちは不幸だ。人目につかない墓のようなものである。その上を歩く人は気づかない。」 11:45そこで、律法の専門家の一人が、「先生、そんなことをおっしゃれば、わたしたちをも侮辱することになります」と言った。 11:46イエスは言われた。「あなたたち律法の専門家も不幸だ。人には背負いきれない重荷を負わせながら、自分では指一本もその重荷に触れようとしないからだ。 11:47あなたたちは不幸だ。自分の先祖が殺した預言者たちの墓を建てているからだ。 11:48こうして、あなたたちは先祖の仕業の証人となり、それに賛成している。先祖は殺し、あなたたちは墓を建てているからである。 11:49だから、神の知恵もこう言っている。『わたしは預言者や使徒たちを遣わすが、人々はその中のある者を殺し、ある者を迫害する。』 11:50こうして、天地創造の時から流されたすべての預言者の血について、今の時代の者たちが責任を問われることになる。 11:51それは、アベルの血から、祭壇と聖所の間で殺されたゼカルヤの血にまで及ぶ。そうだ。言っておくが、今の時代の者たちはその責任を問われる。 11:52あなたたち律法の専門家は不幸だ。知識の鍵を取り上げ、自分が入らないばかりか、入ろうとする人々をも妨げてきたからだ。」 11:53イエスがそこを出て行かれると、律法学者やファリサイ派の人々は激しい敵意を抱き、いろいろの問題でイエスに質問を浴びせ始め、 11:54何か言葉じりをとらえようとねらっていた。
1.イエス様は、まずファリサイ派と呼ばれる人々に3度「あなたたちは不幸だ」と言い、さらに律法学者と呼ばれる人々にも同じように言った。この「あなたたちは不幸だ」のところは、古い聖書では「
こうしたことから私たちは、とても単純に、ファリサイ人や律法学者のことを、ひどい悪人のように思ってしまうのではないか。しかし決してそのように短絡的に受け取ってはならない。むしろ、まず私たちは、ファリサイ派や律法学者とイエス様との共通点にこそ、関心を向けたいと思う。この出来事の出発点は、イエス様がファリサイ派の人々から食事の招待を受けたことから始まっている。ファリサイ派の人々が、イエス様と食事を共にしようとしたのは、決してイエス様を批判する口実をさがし出すためではなかったと思う。むしろ端的に言えば、イエス様のことを仲間と見なしていたからだと思う。45節を読むと、そこには律法学者も同席しており、彼らのイエス様への言葉は、彼らがイエス様を仲間として見なしていた故のものだったことがうかがわれる。もともと仲間だったからこそ、イエス様からの「ウーアイ」という嫌悪感のあからさまな表明は、彼らには大いにショックであり、憎悪を生むもととなったのである。
2.それではイエス様とファリサイ派や律法学者の共通する部分とは何だったのであろうか。それは、日常の生活をこそ神様と結びついたものにしたいという切なる願いを抱いていたということである。別の言い方をすれば、日常の生活が神様以外の、この世の何ものにも支配されず影響されないものでありたいという願いである。神殿という特別の場所で、儀式や礼拝を奉げているときではなく、聖所と離れた日常の生活が如何にして神様と結ばれたものとなるか、神様以外の存在に影響されることから脱することができるか。これが、イエス様の、またファリサイ派の人々や律法学者たちの心を強く占めていた切なる思いではなかったかと思うのである。
38節には、この出来事の直接的な発端が、食事の前の清めの様々な儀式や定められた行為を、イエス様が行わなかったことだとわかる。単に食事をするときに手や口を清めるということではなく、日常の生活全体や世俗の歩み全体が神様とつながって清いものとされること、これがファリサイ派や律法学者の切なる願いであり、また同じく、イエス様の心にもあったのだと思う。そして、それは変わることなく、今日の私たちの日々の思いでもある。朝に祈るときには、私たちは必ず今日の一日が神様の御心に導かれ沿ったものであるように祈る。それは、清められたいという祈りである。日常の歩みが清められるためにはどうすればよいか、それを、ファリサイ派の人々や律法学者たちは、律法の行いに求めた。律法の行いを神様が与えて下さったものとして、受け止めていたのである。
このような彼らの思いが、いつ、どういう理由で生じたか、また、ファリサイ派や律法学者というような、あるはっきりとした組織や団体を作るような形としてどのように生じたかというと、発端は、ガラテヤ書に書かれているように、その源はバビロン捕囚の時代にあった。イスラエルの人々は、祖国をバビロニアによって滅ぼされ、バビロニアに捕虜として連れて来られた。その日常は、バビロニアの王をはじめとする支配者の言いなりにならざるを得なかった。そういう中で、イスラエルの人々は、どうすればこの生活が神様とつながり清められるかを、探し求めたのだった。そして、律法の行いを神様が与えて下さったものとして発見したのだった。決して強制ではなく、自発的に喜々として、彼らは律法の行いに励んだのだった。
そのような流れの中で、はっきりとファリサイ派というものの誕生が歴史的に明らかになるのは、紀元前2世紀の、今のシリアに、アンティオコス朝シリアとう王国が誕生したときだとされる。この国は、イスラエルを激しく弾圧した。旧約聖書のダニエル書が記しているような時代(その場面設定はバビロン捕囚の時代になっているが、実際にはシリアの時代)であった。そういう時代にあって、まさにダニエルのように生きようとしたのが、ファリサイ派だったと言える。王ではなく、神殿によって導かれ支配されて、生きるすべとして、律法の行いを見出したのだった。
イエス様の心にも、このような思いが強くあったのであろう。イエス様の宣教の開口一番のメッセージは「神の国は近づいた」であった。「神の国」とは神様の支配のことである。それは、神様に結ばれており、神様によって清められることだといえよう。この世のいろいろな力、様々な勢力に支配されている私たちであるが、それにもかかわらず、神様に結ばれ導びかれ、清められて生きることができることを「福音」としてイエス様は教えられた。それがイエス様の伝道の最初の言葉であったということは、まさしくイエス様もファリサイ派や律法学者の仲間であったことの現れである。同じことを切に求めておられたのだとわかる。
3.それでは、なぜイエス様は、同じ思いを持った彼らに「ウーアイ」という嫌悪の言葉を投げかけたのだろうか。以前の礼拝で私は、「彼らは『喜々として』律法の行いをした」と言った。神様ご自身が与えて下さったよすがとして、律法の行いをしたと言った。厳密に学問的かどうかはわからないが、私の直感としては、イスラム教の信仰は、まさにファリサイ派の流れの中にあるといって良いのではないかと感じるのである。彼らがあのように、日々の世俗の歩みのただ中でメッカを向いて何度も礼拝をする姿とは、ファリサイ人そのものではないかと感じるのである。私たちには、メッカを向いて何度も礼拝をすることは、どんなにか大変なことであろうと見えるが、イスラムの人々の日常を描いた本を読むと、決してそうではないことがわかる。それはまさに「喜々として」なのである。彼らは喜々として、それを行っているのである。その行いにより「世俗のただ中にあるけれども、自分たちは神様に導かれ、清められている」との安心感が、彼らにはあるのだと思う。
喜々として何かを行う上での何よりのポイントは、「強制がない」という点ではなかろうか。神様ご自身がこれを与えて下さったと一人ひとりがその信仰によって信じて、自由にそれをできるということだと思う。
イエス様の時代には、何よりもこの「自由」がなくなっていたという点こそが問題なのである。46節に「背負いきれない重荷」とある。まさに、そういうものに、律法の行いは、なっていた。一人ひとりが「神様ご自身が与えて下さったもの」として受けとめて、それを為すのではなく、伝統や制度から強制されるところの、人から課されるものになっていった。神様が与えて下さるものならば、それは決して強制や重荷ではなくなるのだと思う。しかし、そうではなかった。イエス様が、当時定められていた清めの行為をしなかった理由は、そこにあったのである。イエス様は清めの必要を誰よりも知っておられた。しかし、一連の行為は、イエス様にとっては、神様からのものとはとらえられなかった。ただ人からのものとしかとらえることができなかったのである。人が神様になり代わってしまうこと、人があたかも神様のようになること、そして、人が人に重荷を背負わせることが、イエス様には我慢がならなかったのである。
4.前回の創世記の箇所で、イスラエル民族の直接の祖であるヤコブが、どのような神様との結び付き方をしたかを、改めて思う。ヤコブが神様と初めて結ばれ、そういう意味でその歩みが『清められた』原点は、ベテル(Bethel)での出来事であった。神様が彼の夢の中に現われて、天から梯子をかけた。その梯子は、あくまでも天からヤコブに降ろされ、ヤコブとは直接つながってはいなかったということは、本当に意味深い。それは、ヤコブのほうから発し、伸ばされたものではなかった。いわんや、ヤコブが考え出したものではなかった。あくまで、神様から伸ばされ、ヤコブとは直接に接してもいなかったのである。ここが、イスラエルと神様、ひいては私たちと神様との結び付きというものを考えるうえで、本当に大切なポイントなのである。
神様は自由に、良しとされる為さり方で、私たちに懸け橋をおかけになる。だから、その梯子は私たちからは発せず、私たちとは離れている。神様は、そのときどきで、全く自由に梯子の態様や種類をお選びになる。それは、ときには律法の行いであり、私たちにとってはイエス・キリストという梯子なのである。しかし、神様がそのときどきで私たちに降ろして下さる梯子が、これまでも、これからも唯一絶対の梯子であるとは言えない。牧師である私が、イエス様が唯一絶対であるとは言えないなどと口にするのは、異端と批判されるかも知れない。昔であれば、即、異端裁判にかけられて死刑であろう。私は、イエス様が道であり真であり命であると信じている。イエス様の流して下さった血潮という犠牲によって清められていると信じている。しかし、それは私の信仰ゆえの判断であって、ある人にとっては、また別の梯子があるかも知れない。イエス様がまだ人としてお生まれになっていないとき、このヤコブのように、神様がかけて下さる梯子によって神様と結ばれ、清められた人がいたのである。そういう可能性が、神様の御業としてあり得ることを、私は否定することができない。ある梯子を、神様からのものであると信じて受け取るかどうかを、神様は決して強制されない。イエス様という梯子であっても、そうなのである。
そして、もっと言えば、それが神様からの梯子であるかどうかは、突き詰めれば、わからない、「不可知」なのである。確かな保証はないのである。一人ひとりがその信仰によってそうと信じ、受け入れるしかないのである。この保証のなさ、確証のなさ、そして神様の自由と私たちの側の自由、これを失ってしまったとき、どんな宗教も信仰も、強制になり重荷となり、「ウーアイ」といわれるものになってしまう。
5.さらに39節で、イエス様が「自分の内側は強欲と悪意に満ちている」と言われたことから示される点がある。これは決してファリサイ派だけに対する言葉ではなく、私たち人間すべてに対する言葉だと私は思う。そういう内側を抱えている人間が、どうして人間の内側からあみ出され、考え出されたような行為によって、自分自身を清めることなどできようか。イエス様の「ウーアイ」には、そういう人間であるにもかかわらず、それに気づくことなく、平気で神様になり代ろうとする人間の傲慢さへの思いが、込められているのである。こういう人間だからこそ、この私たちから「離れた」決して人間からは発していない、ただ神様からの梯子によってこそ、私たちは清めていただけるのだという、イエス様の思いがある。
2000年前のファリサイ派や律法学者だけではなく、代々の教会や私たち自身の信仰の有り様が、イエス様から「禍なるかな」と言われるものであったのだとしみじみ思う。だからこそ、そういう私たちの有り様を、イエス様が命をかけて批判し「ウーアイ」と言って下さったことが、何と素晴らしいことかと思うのである。それが、私たちの教会や信仰が常に新しくされ、改革されていく根源となっている。とくに、私たちプロテスタント教会のその『プロテスト(抗議)』とは、一体だれがなして下さっているのかと言えば、イエス様にほかならない。神様の降ろして下さる梯子の代りに、人間の作る梯子を打ち立ててしまう私たちの信仰や宗教の在り方に、イエス様がご自分の命をかけて「ウーアイ」と言って下さる。だからこそ、私たちは自由に、神様に結ばれることを良しとして、歩んでいけるのではないだろうか。
筑波学園教会牧師 福島 純雄
2014年 8月24日 聖霊降節第12主日礼拝
35:16一同がベテルを出発し、エフラタまで行くにはまだかなりの道のりがあるときに、ラケルが産気づいたが、難産であった。 35:17ラケルが産みの苦しみをしているとき、助産婦は彼女に、「心配ありません。今度も男の子ですよ」と言った。 35:18ラケルが最後の息を引き取ろうとするとき、その子をベン・オニ(わたしの苦しみの子)と名付けたが、父はこれをベニヤミン(幸いの子)と呼んだ。 35:19ラケルは死んで、エフラタ、すなわち今日のベツレヘムへ向かう道の傍らに葬られた。 35:20ヤコブは、彼女の葬られた所に記念碑を立てた。それは、ラケルの葬りの碑として今でも残っている。 35:21イスラエルは更に旅を続け、ミグダル・エデルを過ぎた所に天幕を張った。 35:22イスラエルがそこに滞在していたとき、ルベンは父の側女ビルハのところへ入って寝た。このことはイスラエルの耳にも入った。 35:23レアの息子がヤコブの長男ルベン、それからシメオン、レビ、ユダ、イサカル、ゼブルン、 35:24ラケルの息子がヨセフとベニヤミン、 35:25ラケルの召し使いビルハの息子がダンとナフタリ、 35:26レアの召し使いジルパの息子がガドとアシェルである。これらは、パダン・アラムで生まれたヤコブの息子たちである。 35:27ヤコブは、キルヤト・アルバ、すなわちヘブロンのマムレにいる父イサクのところへ行った。そこは、イサクだけでなく、アブラハムも滞在していた所である。 35:28イサクの生涯は百八十年であった。 35:29イサクは息を引き取り、高齢のうちに満ち足りて死に、先祖の列に加えられた。息子のエサウとヤコブが彼を葬った。
1.創世記36章、ヤコブの双子の兄であるエサウの子孫に関する記述の部分をはさんで、37章からは、ヤコブの家族の物語、ヤコブの11番目の息子ヨセフを中心にした物語へと移ってゆく。したがって、この35章16~29節は、ヤコブ物語のまとめのような箇所である。
注解書によれば、書かれた年代も著者たちも全く違う資料から一つにまとめられた箇所とのことである。だから、統一的なメッセージを読み取ることは、なかなか難しい。
まず私が心を引き寄せられたのは、書き始め16節の「一同がベテルを出発し」の箇所である。なぜ、ヤコブ一家はベテルを出発したのか。ベテルにこのままずっと留まり続けることはできなかったのか。そうすれば身重のラケルが、そのときまだ、かなりの道程があったとされるエフラタにまで旅をする必要がなくなり、出産によって命を落とすこともなかったのではないか。
ベテルとは、この一家にとって、掛け替えのない聖地であった。目の見えなくなった父イサクを騙して、兄エサウが父から譲り受けるはずだったものを奪って、兄から殺されそうになるほど憎まれ、家を出ざるを得なくなったとき、荒野の石を枕にして横たわっていたヤコブに、初めて神様からの語りかけがあり、その後の20年間の支えを与えられたのが、このベテルであった。伯父ラバンのもとでの苦節20年から故郷に帰って来て、本来、目指すべきだったのも、このベテルであった。しかし、ヤコブは当時のパレスチナにおいて一等地だったシケムに心を奪われ、そこに住もうとし、さらには土地の有力者と婚姻関係になることさえ望んだがために、一家は大変なトラブルに巻きこまれた。そんなヤコブに、神様はお言葉をかけて「ベテルに上れ」と言われたのだった。この御言葉に従って、ヤコブは一家を導き、危機を脱して、ベテルへとやってきたのだった。そこで、一家が一つになって神様を礼拝し、御言葉を聞くことが出来たのであった。
2.このような経緯を振り返ると、この一家は、ますます、ベテルから離れるべきではなかったのではないかと思うのである。ベテルを離れようとしたからこそ、ラケルが死んでしまい、また、22節に書かれているようなショッキングな出来事が起きたのではないかと言うこともできる。詳しいことは何も書かれてはいない。しかし、一家がベテルに留まることができなかった理由があったのだと思う。かつてヤコブが石を枕にして横たわっていた荒野がこのベテルであった。これは私の勝手な想像だが、ベテルという所は、聖地ではあっても、息子だけで12人もいる大家族が、この世の生活を営むに適した場所ではなかったのではないかと思う。留まって、そこで生活したくとも、それはできなかった事情があったのではないか。
もう一点は、直前の13節に「神はヤコブと語られた場所を離れて、上って行かれた」とある。それはむしろ神様の方から、最初にベテルから「出発」されたということではなかったか。「いつまでもこの場所に留まることはできないのだよ、この場所において私と直接言葉を交わし、身近な間柄に居続けることはできないのだよ」と、神様が言われているように思う。復活されたイエス様は40日、弟子たちと共におられたが、40日後には天に帰られて、そのお姿が見えなくなったとの使徒言行録1章の御言葉を思い出す。いつまでも復活したイエス様が側にいて、何でも尋ねることができ、教えていただける歩みであるならば、どれほど平安であったろうか。いつまでもベテルに留まって、神様と直接語り合うことができたなら、どんなにか心強いことであったか。しかし、神様の側から離れてしまったということは、神様の御心にかなっていなかったということであろう。ヤコブ一家にしても、私たちにしても、ベテルで直接神様と言葉を交わし、身近にいつも神様を感じられるような状態に留まり続けることはできないのである。直接的に神様とつながって生きられるような歩みは、不可能なのである。信仰の歩みとは、ベテルから出発せざるを得なかったような歩みであり、それゆえ「果たして神様と自分たちはつながっているのだろうか、神様は自分たちを導いて下さっているのだろうか」と問わざるを得ない状況のなかで、愛する人の死が起こり、また、22節に書かれているようなショッキングなことに遭遇せざるを得ないものなのである。しかし、その出来事を、私たち信仰者は、信仰のない人々とは違ったように受けとめることができる。ベテルからは離れているけれども、ベテルを知っている者として、信仰によって受けとめて行ける者なのである。
3.こうして、ベテルを出発して、まず最初に起きたことは、ヤコブの最愛の妻ラケルが、ヨセフの弟となる息子の出産の際に、命をおとしてしまうという出来事だった。死の間際にラケルは、産んだ子供に「ベン・オニ(わたしの苦しみの子)」と名付けた。これを聞いたヤコブは、とっさに(おそらくヘブル後の原語では、わずかな言葉の付け足しや読み方の変化だけで、このように変わるものだろうと思うが・・・)「ベニヤミン(幸いの子)」と変えた。古今東西、こうしたことは、まことによく見聞きすることである。小説の題材にも、出産を機に母が命を落とし、母の命と引き換えに生まれた子供が、残された家族や、とくに父から疎まれ、その子供自身が生涯、重荷を負うというストーリーがよくある。
最愛の妻に先立たれたヤコブにとって、これは「わたしの苦しみの子」であったろうと思う。けれども、彼はこの出来事を「幸いの子」と受け止めることができたのだった。この出来事から、生まれたのは、ただ苦しみや悲しみだけではなく、幸いや喜びもまた、生み出されたのだということであった。これは、信仰のない人々には、おそらく不可能な受け止め方だと思う。ベテルを知らない人には、できない呼び変えだと思う。
なぜ、ヤコブは、こうした受け止めができたのか。35章3節で、彼はベテルで礼拝した神様について、こう言っている。「さあ、これからベテルに上ろう。わたしはその地に、苦難のときに私に答え・・・て下さった神のために祭壇を造る」と。彼にとって、ベテルで出会った神様とは、苦難の中でこそその姿を現し、御言葉を語りかけて下さるお方であった。神様とは、自分に苦難を与えて、そのただ中で出会うことを良しとされるお方であった。苦難以外に神様と出会う機会はなかった。だから確かに、この出来事は「苦しみ」であったが、そこから「幸い」も与えられると受け止めることができたのである。
ラケルは「わたしの苦しみの子」とのみ言って死んでいった。これが、私たちが普通に苦しみについて言うことのできる言葉であろう。毎年8月には、多くの苦しみを思い起こす。先週、広島で多くの方々が亡くなった。それは「わたしの苦しみ」である。「わたし」や「私の家族」に生じた悲しみや苦しみ以外の何物でもない。それ以外の受け止め方はあり得ない。しかし、信仰者である私たちは、この「わたしの苦しみ」が、何処かで神様の苦しみというか、神様が深く深く関与して下さっているものであり、その苦しみを通してしか生み出し得ない幸いや喜びというものがあることを教えられるのである。
イエス様が十字架の上で苦しんでくださったということは、まさに、神様ご自身の「苦しみ」ではなかったか。イエス様の苦しみは、神様にとっての「ベン・オニ(わたしの苦しみの子)」以外の何物でもなかったのである。しかし、そうであるが故に、それは私たちにとって「幸いの子」となったのである。だから、私たちはまた、私たちの生む「苦しみの子」が「幸いの子」でもある、と信じることができるのである。
4.さて、ラケルの埋葬が済んで束の間、一家に驚くべきことが起きたと22節に記されている。何と、ヤコブの長男ルベンが、死んだラケル付きの召し使いであり、父ヤコブの側女であったビルハと関係を持ったという。注解書の多くが、果たしてこのようなことが、現実に、このような状況の中で起きたことなのか、と疑っている。また、このことを、どのように受け止めて良いのか困惑している。何もコメントを書くことが無いままで終わっている。
私が一つ感じさせられたことがある。ルベンが単なる静的な欲望の暴走から、このようなことをしでかしたのではないのは、言うまでもないことだと思う。ルベンではないが、母を同じくする兄弟であるシメオンとレビが、今日的に言えば、宗教的原理主義者として、同腹の妹ディナが、土地の有力者と結婚することを喜んで認める父に対して、シケムの人々へのテロ行為という形で半旗を翻したのと、この出来事が、何処かで共通していると感じる。「継母ではあったが、父の最愛の妻、自分たちの叔母でもあるラケルの死を、父ヤコブはあまりにも静かに淡々と受け入れ過ぎていたのではないか。生まれた子を「幸いの子」などと呼んでしまって良かったのか。もっと怒り、嘆き、このことに対して抵抗し、自分たちにできる精一杯の埋め合わせをすべきではなかったのか。一家の長である父がそれをしないのなら、長男である自分がしよう。母が奪われたことへの埋め合わせを、母の召し使いであるビルハと自分が関係することで、何かを生み出そう。神が奪うなら、自分たち人間がうみだしてやろうではないか。」文字通り、性的な関係をもつということよりも、むしろラケルの死を、こうして乗り越えようとした象徴的な意味をもった行為ではなかったかと、私は感じるのである。
このような受け止め方、死を乗り越えようとする受け止め方に対し、聖書は「このことはイスラエル(ヤコブ)の耳にも入った」とだけ記し、その直後に、ヤコブの12人の息子たちを列記することをもって、何かを語っているように感じる。ヤコブは、ただ黙って、長男のしたことを聞いた。そこには、ヤコブの信仰が込められているのだと思う。長男のしようとしたことの意味も良くわかる。しかし、それに同意したわけではない。神様がラケルをとりたもうことに対して、抵抗し、人間的な行為で埋め合わせをしようとしても、それが何になるのか。人間が出来るのは、父の側女と関係を持つとう理不尽なことでしかなかった。それでは、幸いを生み出すことはできない。神様が、死という出来事を、私たちから大切な人々を奪うことに対し、私たちが刃向かおうとしてやっているのは、突き詰めると、このようなことばかりではないか。このような私たちに対して、御言葉は、ヤコブの息子たちのリストを黙って記すことを通して、大切なことを告げているのではないか。確かに、ラケルは奪われた。しかし、神様が与えたもう子供たちを見よ。息子だけでも12人もいるではないか。これでも、なお足りないと言うのか。神様の与えたもうものこそが、死を乗り越えていくのである。
5.イサクの死と葬りについては、ごく短く触れることにする。注解書は、果たしてイサクがここで死んだというのは事実か、と疑問を呈している。確かに、彼の目が見えなくなって、エサウを祝福しようとしてヤコブに騙されたという出来事は、彼の臨終の場面に相応しいと思える。現に、それ以降、彼のことも、またリベカのことも、一言も言及されることはなかった。しかし、御言葉は、イサクの死を、ここで語っている。その死が、満ち足りたものであったと語っている。その死が満ち足りたものであったというのは、その年齢が180歳という長寿だったからだけではなく、むしろ、それ以上の理由を、私は感じとれた。27節を読むと、イサクはヘブロンのマムレにいたとある。そこはイサクの父、ヤコブの祖父アブラハムも滞在していた場所だったとある。ヘブロンのマムレという地名が何を意味しているかというと、礼拝する場所ということである。イサクは、その父アブラハムが、ずっと神様を礼拝していたように、神様を礼拝する者として死んだということである。その生涯の有り様を、イサクは双子の息子ヤコブとエサウにしっかりと伝えて死ぬことができた。死は、ここでも、幸いを生むこととされている。
筑波学園教会牧師 福島 純雄
2014年 8月17日 聖霊降節第11主日礼拝
05:01その後、ユダヤ人の祭りがあったので、イエスはエルサレムに上られた。 05:02エルサレムには羊の門の傍らに、ヘブライ語で「ベトザタ」と呼ばれる池があり、そこには五つの回廊があった。 05:03この回廊には、病気の人、目の見えない人、足の不自由な人、体の麻痺した人などが、大勢横たわっていた。* 05:05さて、そこに三十八年も病気で苦しんでいる人がいた。 05:06イエスは、その人が横たわっているのを見、また、もう長い間病気であるのを知って、「良くなりたいか」と言われた。 05:07病人は答えた。「主よ、水が動くとき、わたしを池の中に入れてくれる人がいないのです。わたしが行くうちに、ほかの人が先に降りて行くのです。」 05:08イエスは言われた。「起き上がりなさい。床を担いで歩きなさい。」 05:09すると、その人はすぐに良くなって、床を担いで歩きだした。その日は安息日であった。
*(底本に欠けている箇所の異本による訳文) 05:03b-5:04彼らは、水が動くのを待っていた。それは、主の使いがときどき池に降りて来て、水が動くことがあり、水が動いたとき、真っ先に水に入る者は、どんな病気にかかっていても、いやされたからである。
この日、エルサレムではユダヤ人の祭りが行われていた。その祭りがどんなお祭りだったのか、福音書は具体的には書き記していない。けれども、エルサレム、しかもその神殿を中心に人々が集まって祝われる祭りであったことは確かであろう。
ところがこのにぎやかさの片隅で、誰からも相手にされない場所が、人々から忘れられ去られた場所があった。それは「ベトザタの池」であった。おそらく、祭りの中心的な舞台であるエルサレム神殿の中、あるいはそのすぐ近くにありながら、人々が近寄りたがらない、できれば忘れてしまいたい、そういう場所であったのだろうと思う。なぜなら、この回廊に並ぶようにして、病気や障がいを負った多くの人々が横たわっていたからである。病気の人、目の見えない人、足の不自由な人、身体の麻痺した人などが大勢、横たわっていたからである。この場所には、祭りの喜びは訪れていなかった。あるのは痛みに堪えられずにもれてくるうめき声だけであった。それは、人々の世界から取り残された悲しみに打ちひしがれた者のすすり泣く声であった。
それでも彼らが最後の望みをつないで辿り着いた場所が、このベトザタの池なのであった。というのも、この池には、ある言い伝えがあった。新共同訳になってから、3節後半から4節までの部分が、本文から削除されている。これは聖書の翻訳をする時に、もとになった写本には無かった部分と考えられているためである。ただ、3節後半から4節までの部分を含んだ有力な写本もあるため、こういう説明を含んだ写本もあるという意味で、福音書の最後章の後に載せてある。そこには次のよう書かれている。「彼らは、水が動くのを待っていた。それは、主の使いがときどき池に降りて来て、水が動くことがあり、水が動いたとき、真っ先に水に入る者は、どんな病気にかかっていても、いやされたからである。」と。この、ほとんど迷信のような言い伝えだけが、この世から見捨てられた人々の望みを、かすかにつなぐものであった。発掘された池の跡には、どうも北の池の方が南の池よりも少し高い位置にあり、そのため北の池から南の池に向かって、水路を通って水が流れることがあったようである。そのため水に動きが生まれたのだろう。多くの人々が、望みをつなげようと、ここに辿り着いたり、家族から連れて来られたりしていたのだから、あるいはその清い水によって病が癒されるようなことも実際あったのかもしれない。しかし「水が動いたとき、真っ先に水に入る者」だけが癒されるというのが、この言い伝えのポイントである。「最初の人だけしか癒されない」という。だとしたら、そこには何が起きるか。激しい競争であったろう。夜もおちおち眠れない、神経をピリピリとがらせた、不機嫌な毎日であったろう。先に池に降りて行く者を憎み、呪い、妬む生活であったろう。水がチョロチョロと動き出す度に、この池はまさに修羅場と化したのであろう。
「ベトザタ」という言葉の本来の意味ははっきりとしていないが、一つの有力なものは「慈しみの家」という意味である。それゆえ、前の口語訳で使われていた「ベテスダ」という用語は、多くのキリスト教関連の社会福祉施設で用いられてきており、「ベテスダの家」といった名前のついた施設がたくさんある。そこは、人々が神様の慈しみに触れることのできる場所、神様の憐れみに包まれる場所である。ところがこの舞台、この池には、その名前がつけられている割には、実際はなんと悲惨な場所であろうか。この地上で許される最も希望のある場所として辿り着いた所でなお、憎しみや妬みにとらえられ、他人を蹴落とさなければ幸せを得ることができない、少なくとも多くの人々はそう考えてこの社会で生きているのではないだろうか。
人間関係が気まずくなって、新しい土地に引っ越していっても、その土地で長い間生活していれば、そこでもまた隣人と健やかな関係を築くことができず、苦しむことがある。「この職場は自分に合わなかった」あるいは「別の職場に変われば、今度はすべてがうまくいくはずだ」そう思って新しい職場を求めても、そこでも傷つけ、傷つけられる関係しか作れない。それでもなお、自分の中にある問題に気づくよりは、周囲のあの人・この人が、自分に悪意を抱き、自分を追い出そうとしているようにしか思えない。妬みや憎しみ、苦い思いを抱いて、人を裁きながら毎日を送っている。そうした人生模様が、実はこの池の光景に凝縮されているのではないだろうか。
さて先日観た映画は、タイのクワイ河で戦争中に日本軍の捕虜となる経験をしたイギリス人エリック・ロマックスさんの、その後の人生を描いたものであった。彼が受けた虐待や拷問は、その後もトラウマとなって残った。その経験は言葉で言い表すにはとても耐え難いものであり、彼は一人で悩み苦しんでいた。いつも心の中が鉛のように重かった。周囲の人たちや、自分を愛そうとしてくれる結婚相手とも、なかなかよい関係を築いていくことができずにいた。私たちの歩みの中にも、鉛のように重い心を持って沈んだ日々を送るということが起こるのではないだろうか。
そうした私たちの姿を映し出したような、一人の人物がそこに現れた。彼は、実に38年もの長きにわたって病気で苦しんでいた。おそらく若いころに、この病を患うようになり、治る見込みが無いものとみなされたのであろう。家族からも見捨てられ、財産など何もなかったであろう。伝染性の強い病気であったとすれば、隔離する意味でここにつれて来られていたのかもしれない。ここには多くの境遇を同じくする人々がいたはずである。しかしこの人は孤独であった。他の人もそうだったかもしれない。彼らは、ただ一人だけが癒される、あのいつ起こるとも知れない水の動きを巡って、ライバル関係にあったのである。互いの慰め合いや励ましあい、会話、笑い、楽しみ、喜びなど一切ない、そんなものは何十年も前に失ってしまった・・・そういう生活をしていたのである。
ところが、この魂の荒れ野に、一人のお方がやって来られた。祭りに興じる人々の誰もが避けて近寄ろうとしない場所、そこに来ると、自分の日常の、けがれた思いと行いを思い出させられるようで、早く忘れてしまいたいような場所、そういうところに、しかも祭りの最中に、わざわざ歩み入ってきてくださった方があった。それは、主イエス・キリストにほかならなかった。主イエスは、この人が横たわっているのを静かに見つめられ、そこですべてを知ってくださった。この人の四十年近くにわたる苦しみを、救いを求めてここに来ながらも、依然として憎しみと裁き合いに生きるしかなかった哀れな現実を、励ましや助け合い、慰め合いもない日々を、単調で同じ光景が繰り返される毎日を、それらすべてを深く理解されたのであった。
治りたいという思いさえも感じられなくなり、他人の非難ばかりしているこの人に、しかし主は、こう言われた。「起き上がりなさい。床を担いで歩きなさい(8節)」。これは、主イエスにしか言えない言葉であった。このように主がおっしゃることができたのは、主イエスが代わりにこの人の病を身に負われたからではなかろうか。「私が十字架の上であなたの惨めさ、あなたの苦しみ、あなたの苦い思いをすべて代わりに担うから、あなたは起き上がりなさい」そうおっしゃってくださったのである。聖書のもとの言葉では「復活する」という意味の言葉と同じ表現である。「私がすべての悩みと苦しみ、いや、死の力に打ち勝って復活するから、あなたは私の復活の光の中で立ち上がりなさい。そのようにして人生を建てなおしなさい。永遠の命を受け継ぐ者として歩みなさい。その光の中に留まり続けて歩みなさい」それが「起き上がりなさい」に込められた主イエスのメッセージなのであった。
私たちの人生も、たびたび倒れる。病気になる。仕事上で失敗をする。あるいは仕事を失う。結婚において危機を経験する。子育てに悩む。親戚との関係が難しくなる。自分の人生を、このままでよいのかと不安で絶えず悩んでいる。孤独で寂しい思いをする。眠れない夜を過ごす。けれども主イエスは、そんな私たちに近づいておっしゃるのである。「起き上がりなさい」と。御手を伸ばして、倒れかかっている私たちを助け起こしてくださる。肩をかして、私たちを支え、起こしてくださる。詩編の詩人が歌ったように、「主は倒れようとする人をひとりひとり支え うずくまっている人を起こしてくださ(詩編145:14)」る。
先ほどのイギリス人の元兵士エリック・ロマックスさんは、妻に支えられつつ、戦後およそ50年ぶりに、タイを訪れた。そこで自分が拷問された時に通訳をしていた元日本軍の長瀬さんと再会し、話をする中で、初めて、戦後ずっと持ち越しになっていた自分の中のわだかまりや苦しみが、少しずつ癒されていく体験をしたのだった。このイギリス人が2012年に亡くなるまで、二人は無二の友人であった。この映画では、妻のパティさんが、エリックさんの苦しみや混乱に愛想をつかせることなく、彼を理解しようとして旧友や、日本人の長瀬さんにも連絡を取り、エリックさんのそばに寄り添い、支え続けていた。そこに、神様の愛が表れているのを感じた。エリックさんはその愛に支えられて、自分を取り戻すことができたのだと思う。
安息日の主であるイエス・キリストに出会う時、私たちは知る。安息日は、うずくまり、倒れている私たちが、起き上がる日であること、起き上がって神様の前に立つ日、礼拝をする日であることを知るのである。もしかすると、鉛のような重い気分を背負い込みながら、このところの生活しているという方が、いらっしゃるかもしれない。主イエスは、そんな私たちのところに来てくださり、御手をのばしておっしゃってくださる。「起き上がりなさい」と。このベトザタの池が「羊の門」の傍らにあったのは、なんと意味深いことではなかろうか。「世の罪を取り除く神の小羊」である主イエスという門を通って、私たちは神様の庭である神殿に歩み行くことができるのである。主イエスを通って神様の庭に入っていける。そこで礼拝をするのである。本当の安息を味わい知るのである。その時、この世のどんな祭りも知らない、慰めと喜びに満ちた、本当の祭りが始まるのである。
矢澤 励太 教師
2014年 8月10日 聖霊降節第10主日礼拝
19:16さて、一人の男がイエスに近寄って来て言った。「先生、永遠の命を得るには、どんな善いことをすればよいのでしょうか。」 19:17イエスは言われた。「なぜ、善いことについて、わたしに尋ねるのか。善い方はおひとりである。もし命を得たいのなら、掟を守りなさい。」 19:18男が「どの掟ですか」と尋ねると、イエスは言われた。「『殺すな、姦淫するな、盗むな、偽証するな、 19:19父母を敬え、また、隣人を自分のように愛しなさい。』」 19:20そこで、この青年は言った。「そういうことはみな守ってきました。まだ何か欠けているでしょうか。」 19:21イエスは言われた。「もし完全になりたいのなら、行って持ち物を売り払い、貧しい人々に施しなさい。そうすれば、天に富を積むことになる。それから、わたしに従いなさい。」 19:22青年はこの言葉を聞き、悲しみながら立ち去った。たくさんの財産を持っていたからである。 19:23イエスは弟子たちに言われた。「はっきり言っておく。金持ちが天の国に入るのは難しい。 19:24重ねて言うが、金持ちが神の国に入るよりも、らくだが針の穴を通る方がまだ易しい。」 19:25弟子たちはこれを聞いて非常に驚き、「それでは、だれが救われるのだろうか」と言った。 19:26イエスは彼らを見つめて、「それは人間にできることではないが、神は何でもできる」と言われた。 19:27すると、ペトロがイエスに言った。「このとおり、わたしたちは何もかも捨ててあなたに従って参りました。では、わたしたちは何をいただけるのでしょうか。」 19:28イエスは一同に言われた。「はっきり言っておく。新しい世界になり、人の子が栄光の座に座るとき、あなたがたも、わたしに従って来たのだから、十二の座に座ってイスラエルの十二部族を治めることになる。 19:29わたしの名のために、家、兄弟、姉妹、父、母、子供、畑を捨てた者は皆、その百倍もの報いを受け、永遠の命を受け継ぐ。 19:30しかし、先にいる多くの者が後になり、後にいる多くの者が先になる。」
私達はそれぞれ、自分自身に対して理想の姿を描いて生きているのではないか。それは、若い時だけのことではなく、年老いても、「私は、このような自分でいたい」と思って生きているのではないかと思う。
今日の聖書箇所に登場してきた青年もまた、自分の理想の姿を描いて、努力していたのである。常に善い行いを目指し、さらには、完全な善いことを求めて、主イエスに近づいたのである。
この青年は、たくさんの財産を持っていた。これまで、こつこつ努力を積み重ね、財産を貯めた。それと共に、高い地位にも就いたのだった。さらに、きちんと神様に対する信仰もあり、戒めをみな守っていた。青年は、地上での生活で欲しいものは何でも持っていたばかりでなく、その生活を真面目に行っていたのだった。周りの人々は、この青年を「立派な信仰者だ」と見ていたことだろう。青年は、皆が認める模範的な信仰者だったのである。
けれども、周りの人々の思いとはうらはらに、この青年は、自分の人生に、満たされないものを感じていた。心の空洞を埋められずにいた。「自分には、まだ足りないものがある」そう思っていたのである。いくら努力を積み重ねて、たくさんの財産を持ち、皆から誉められるような信仰を持っていても、安らぐことができなかった。安心する事ができなかったのである。「この世では、じゅうぶんに暮らしていけるだけの蓄えはある。地上での生活の保証はもう十分に得ている。
しかし、どうだろう。この地上での命は、必ず終わりがくる。これまで、努力して積み重ねてきたものは、この地上での命が終わると共に、あっけなく、消え去るだけではないか」そのような空しい思いが、いつも脳裏をかすめ、青年を不安にさせていたのである。
私達もこの青年と同じ思いを抱くのではないだろうか。これまで、こつこつ積み上げてきたものがある。努力して守ってきたものがある。
しかし、この地上での命の終わりと共に、これまで積み上げてきたものを全て手放さなくてはならなくなる。その時には、この地上で拠り所としていたもの、生活の安らぎを得ていたものは、何の意味もなさなくなるのである。
青年は、いつまでたっても不安でたまらなかった。そこで、青年は、主イエスに近づき、必死の思いでこう質問をした。「先生、永遠の命を得るには、どんな善い事をすればよいでしょうか」
青年は、永遠の命が欲しかったのである。死によって滅びてしまう幸せではなく、永遠に続く幸せが欲しかった。神の国で永遠の命に生きる祝福を得なければ、本当の安らぎ、完全な幸せに至ってはいないと思ったのだった。
青年は、聖書をよく読み、戒めをきちんと守って来た人だった。だから、人間が必ず死ぬということを、自分自身もまた死ぬべき人間であることを知っていた。若くして、自分の終わりの時を見つめることができていたのである。
そこで、青年は、永遠の命について知っておられるであろう主イエスに近づき、永遠の命を得る方法を教えていただこうとした。そして、さらに努力を積み重ね、何とかして永遠の命を手に入れようと考えたのである。
主イエスはこうお答えになった。「なぜ、善いことについて、わたしに尋ねるのか。善い方はおひとりである。もし命を得たいのなら、掟を守りなさい。」青年は問い返した。「どの掟ですか」と。「どの掟を守ったら永遠の命がいただけるのですか」「どの掟ですか」と主イエス問うたのだった。
すると、主イエスは、こうお答えになった。「『殺すな、姦淫するな、盗むな、偽証するな、父母を敬え、また、隣人を自分のように愛しなさい』。」これは、十戒に言われている戒めです。当時のユダヤ人なら、子供でも良く知っています。もちろん、この青年も十分に知っていました。小さいころから、しっかりと守ってきた戒めである。だから青年は、「何を今さら」と思ったのであろう。こう主イエスに申し上げた。「そういうことはみな守ってきました。まだ何か欠けているでしょうか。」青年は、完全に戒めを守って来た。だから、主イエスに「そうか、では、永遠の命は、あなたのものだ」そう言って頂けると期待したかも知れない。しかし、主イエスは、青年にこう仰せになった。「もし完全になりたいのなら、行って持ちものを売り払い、貧しい人々に施しなさい。そうすれば、天に富を積むことになる。それから、わたしに従いなさい。」
「あなたは、まだ完全ではない」これを聞いて青年はどうしたかというと、悲しみながら立ち去ったのであった。何故か。たくさんの財産を全て手放すことはできなかったからである。だから、青年は、悲しみながら立ち去るしかなかったのである。
考えてみると、この青年は、戒めをきちんと守って来たのである。だから、貧しい人々にも施しをしてきたことであろう。特にユダヤ教では、貧しい人々に施しをすることが奨励されていたので、彼もそのような施しをしてきたのだった。
しかし、それはあくまでも、彼の生活が脅かされない限りにおいて、施しをしてきたのである。自分の生活の保証を犠牲にしてまでの施しは、してこなかった。これまで、こつこつ努力を積み重ねて得た数々の品物、大きな家、金銀、召使い、高い地位・・・。それらのものは、青年にとって、努力の結晶であり、命の保証であり、自分がこれから生きていく拠り所だったのである。それらのものを、みな手放すことはできなかった。
この青年の姿から、私達もまた、同じように、自分の持ちものを全て手放し、貧しい人に施すことのできない自分であることを発見するのではないだろうか。私達もまた、この主イエスの御言葉を、悲しみながら聞くのではないだろうか。この主イエスの御言葉に、驚き、悲しみ、嘆く者として、私達は、この御言葉を自分に語られている事として、真剣に聞かなければならないだろう。
主イエスは、この後すぐ、弟子達に向かってこう仰せになった。「金持ちが神の国に入るより、らくだが針の穴を通る方がまだ易しい。」それに対して、弟子達は、こう言ったのだった。「それでは、だれが救われるのだろうか」
私達も、この言葉にますます驚き、嘆くのである。私達は、金持ちの青年ほどではないけれど、生きていくために必要な蓄えを持っている。それを全て手放すことはできない。そういう私達である。そういう私達が、神の国に入ることは、らくだが針の穴を通るよりも難しいと主イエス言うのである。ほとんど無理ではないか。救われないのではないか。そう考えると、私達は不安でたまらない。私達は、一体どうすればよいのか。やはり、主イエスが青年に求められたように、私達は、永遠の命を得るためには、覚悟を決めて、全財産を手放なすしか方法はないのだろうか。
そこで考えたい。主イエスは、本当にここで、全財産を手放した者に永遠の命が与えられると、そう仰せになっているのか。永遠の命を得るには、財産を手放
さなくてはならないのか。
私達は、主イエスがここで、ほんとうに伝えたかったことを、きちんと聞き取りたいと思う。一体、主イエスは、私達に何を求めておられるのか。
そこで、もし、全財産を捨てることができた人がいたらどうであろうか。実際に「私は、本当に全財産を捨てて主イエスに従った」そういう人がいるかもしれない。
しかし、良く考えてみたい。もしそれができたとしても、私たちの目の前には、コリントの信徒への手紙の御言葉(Ⅰ.13:3)が立ちふさがるのである。そこにはこのように記されている。「全財産を貧しい人々のために使い尽くそうとも、誇ろうとしてわが身を死に引き渡そうとも、愛がなければ、わたしに何の益もない。」つまり、「あなたは、貧しい人を愛するという心から、それをしているのか」ということである。全財産を施したとしても、そこには自分を、神様に認めてもらおうとする思いがあるのではないか。結局、自分が救われるために、貧しい人を利用するということをしてしまっているのではないか。そのことを主イエスは、見つめておられる。
弟子達の態度で、そのことが良く分かる。弟子達は、青年が自分の財産を全て手放す事ができなかったのを見ていた。手放す事ができなかった青年を知っていて、主イエスにこのように言ったのだった。「このとおり、わたしたちは何もかも捨ててあなたに従って参りました。では、わたしたちは何をいただけるのでしょうか。」弟子達は、「何もかも捨てた」と言った。そう、ペトロは漁師だった。ペトロとアンデレの兄弟は漁師であることを捨てて、主イエスに従ってきた。ヤコブとヨハネの兄弟もそうであった。船と網と父とを置いたまま「私に従って来なさい」と言われるままに主イエスに従ったのだった。「何もかも捨てた」のだった。
そして、ついには「では、何をいただけるのでしょうか」と神様の前に手を出して、「私はあの青年とは違う。ほら、全てを捨てて、あなたに従っているではありませんか」そう言って、自分の行為を神様の前に見せびらかしたのだった。聖書は、とことん私達の姿を描いている。私達の罪深さを描ききろうとしていることがわかる。
弟子達は、全財産を捨て、何もかも捨てて従ってきたのである。けれども、そこには、どうしても自分の行いによって、自分の神様に対する敬虔な思いや善意によって、「よくやった、お前は正しい」と言っていただきたいという思いがあったのである。「自分は、神様に認めていただけた。だから、私の信仰は立派だ。」そういう思いから、どうしても抜け出すことができない。「自分の功績によって、神様にほめていただき、永遠の命をいただこう。」そういう思いがどうしても付きまとうのである。そこには、神様のため、貧しい人のためでなく、自分のためにしている自分自身がいるのである。
したがって、「わたしの行いは全て、完全に聖い心で行っており、自分の為でなく、貧しい人のため、神のためなのです。だから、永遠の命をください」などと言える人は、一人もいないのである。
だから、主イエスは、私達の力では、永遠の命を得ることは無理なのだと仰せになっておられる。らくだが針の穴を通る方がまだ易しいのである。
考えてみると、らくだが針の穴を通ることは、限りなく不可能に近いことである。不可能に近い。これは私達がやってやれない事ではないけれど、やるのが難しい、という意味で不可能に近いのではない。私達には不可能なのである。らくだが針の穴を通る方が易しい。これは私達には不可能であると、主イエスは仰せになっているのである。
そこで、弟子達はこう言った。「それでは、だれが救われるのだろうか」口語訳ではおもしろい言い方をしている。「では、だれが救われることができるのだろう」と。「救われることができる」と。
「救う」というのは、救って下さるお方がなさる事で、私達ができるとか、できない、ということではないはずである。けれども、ここでも弟子達は「救われることができるだろうか」と言うのである。私達は何とかして、自分たちが「できる」領域に引っ張り込みたいのである。
そうではない。私達の方からは、救われることはできないのである。それは、私達の側からできることではないのである。
そこで、主イエスは彼らを見つめてこう仰せになった。「それは人間にできることではないが、神は何でもできる」と。
そうなのである。私達には不可能なのである。しかし、神様には可能なのである。「神は何でもできる」のである。そして、「神は何でもできる」と言う御言葉が持っている言葉の意味は、大変なことなのである。「神は何でもできる」それは、自分の力で救われることのできない私達の為に、神様は御子イエス・キリストを私達にくださったということなのである。神様は、御子イエス・キリストを死に渡すことによって、私達に永遠の命を下さったのである。これは、徹底的に、神様の御業なのである。私達のどんなに多くの持ちものによっても、どんなに立派な功績によっても、とうてい手にすることが出来ないものを、神様は御子イエス・キリストの死によって、私達にお与え下さったのである。神様は、「愛する御子を死に渡し、その代りに私達を救う」というおそるべきことをも、おできになるお方なのである。「神は何でもできる」のである。
ここで、悲しみながら立ち去った青年のことを思う。彼は、欠けていたのである。何に欠けていたのか。青年は、完全な施しに欠けていた。だから、永遠の命が得られないということなのか。そうではない。完全でない自分は、永遠の命を自分で獲得することができない。このことに気付き、主に従うことに欠けていたのだった。完全であられるのは、ただ神様のみであることを知り、その神様に従うことに欠けていたのである。
青年は、「自分にはできない」ということに気付いたまでは良かった。しかし、自分にはできないことを受け入れらなかった。認められなかったのである。だから、主イエスに「私はできない」と、正直に打ち明けることができなかった。主イエスに自分自身を明け渡し、従うことができなかったのである。
主イエスは、この青年に、「主よ、罪人の私を憐れんで下さい。わたしにはできません」と答えることを求めておられたのである。彼は自分の力を信じ、自分の力にすがっていた。しかし、その手を離し、主が差し出して下さっている救いの御手に、その手を握り変えることを、主は、求めておられたのである。「あなたは私のものだ」と言って下さる主イエスに、すがりつくことを求めておられたのである。
私達は、青年と同じように「先生、どんな善いことをすれば良いのでしょうか」と、主イエスにお聞きしながら生きてしまう。良いことをして、主に認めてもらい、安心したくなる。
しかし、私達の人生は「どんな善いことをすれば良いでしょうか」と主に問う人生ではないのである。その問いは、「なぜ、善いことについて私に尋ねるのか。」と主イエスに言い返されるような、的外れな問いなのである。主イエスに「善い方はお一人である」と言い返されるような問いなのである。
だから、私達の人生は、救われるために「善いこと」について尋ね求めて生きていく人生であってはならない。そうではなく、私達のような罪人でも永遠の命が与えられ、神の国に生かして下さる「善い方」にすがって生きていくべきなのである。
完全でない。罪人の私達。欠けた所だらけの私達。そんな私達を、なお愛して下さり、私達が神様のものとして神の国に入るために、死んでくださった主イエスに、丸ごとゆだねて、ついて行くべきなのである。
弟子達は主イエスに従った。その本心は、「何かいただけるでしょうか?」と言ってしまうような不純な動機だったかもしれない。主イエスを信じていると言いながら、最後には主を見捨てて逃げてしまうような弟子達だったかもしれない。けれども、主イエスはそのような、弱い弟子達を、そして私達を、全て受け止めて下さり、「それでもいい、そんなあなたたちでもいい、私に従って来なさい。」と招き続けて下さっているのである。
そして、従う者達に向かって主イエスは、はっきりとこう仰せになった。「あなたがたも、わたしに従ってきたのだから、十二の座に座ってイスラエルの十二部族を治めることになる。」また、「百倍もの報いを受け、永遠の命を受け継ぐ」と。
主に従う者に、何の報いもない、というのではない。主を信じて従う者の歩みには、百倍の報いが与えられるのである。
いくら自分の力で努力しても得られなかったものを、今、主イエスに委ねて従う者に、与えられるのである。永遠の命の祝福が与えられるのである。私達がどんなに全力を込めて、神様に対して誠実になろうとしても、どこかで崩れてしまうような、そんな信仰でしかなくても、与えられるのである。神様の栄光を現し、神様の祝福をもたらす者として、私達を祝福して下さるのである。私達のどんなに愚かな言葉や、空しい信仰も、神様が祝福をもって受け止めて下さり、私達をイスラエル、神の国の民として、百倍の報いを与えて下さるのである。
そして、それは、もう既に始まっている。私達は、神の国の民とされ、神様のものとされ、神様の教会とされ、兄弟姉妹が与えられ、共に永遠の命に生きるという、ほんとうに豪華な報いが与えられているのである。私達の力では、決して得ることのできない、豪華な報いが、今、目の前に与えられているのである。私達は、今ここに、神様の家族と共に、主の食卓に共に座り、肉体の糧をも分け合って生き、悲しみも共に、喜びも共にすることのできる、祝福に満たされた豊かな人生が始まっているのである。これからも、私達は、永遠に続く、祝福に満たされた豪華な人生を、主イエス・キリストと共に歩んで行くのである
矢澤 美佐子 教師
2014年 8月3日 聖霊降節第9主日礼拝
06:11このとおり、わたしは今こんなに大きな字で、自分の手であなたがたに書いています。 06:12肉において人からよく思われたがっている者たちが、ただキリストの十字架のゆえに迫害されたくないばかりに、あなたがたに無理やり割礼を受けさせようとしています。 06:13割礼を受けている者自身、実は律法を守っていませんが、あなたがたの肉について誇りたいために、あなたがたにも割礼を望んでいます。 06:14しかし、このわたしには、わたしたちの主イエス・キリストの十字架のほかに、誇るものが決してあってはなりません。この十字架によって、世はわたしに対し、わたしは世に対してはりつけにされているのです。 06:15割礼の有無は問題ではなく、大切なのは、新しく創造されることです。 06:16このような原理に従って生きていく人の上に、つまり、神のイスラエルの上に平和と憐れみがあるように。 06:17これからは、だれもわたしを煩わさないでほしい。わたしは、イエスの焼き印を身に受けているのです。 06:18兄弟たち、わたしたちの主イエス・キリストの恵みが、あなたがたの霊と共にあるように、アーメン。
1.私たちクリスチャンとは、一言で言えば、イエス・キリストの十字架を誇ることができる者と言っても良いと思う。
ここでパウロは、あくまで自分だけのこととしてだが、「このわたしには・・誇るものが決してあってはなりません」と、とても強い言い方をしている。私たちは、とてもこのような断言はできないと思う。私は胸を張って、これがわたしの誇りだなどと言えるものは何もないが、「誇り」という言葉を「喜び」ということばに置き換えると、十字架を喜ぶ以外にも、様々な喜びがある。家族がいること、仕事があること、そこそこ健康で生かされていることなどを、喜びとしている。
先週の月曜日に、自宅を新築された教会員から、家に招かれた。素晴らしい新居であった。その方にとっても誇りであろうと思った。しかし、それ以上に私が心打たれたのは、そこで拝見した2冊の辞典であった。15年もかけてまとめあげられたという。その労作はまさしく生涯の誇りなのだろうと思う。パウロは「十字架のほかに誇るものが決してあってはなりません」と強く言った。しかしそれは文字通り、私たちに、いま言ったような誇りがあってはならない、喜びとするものがあってはならない、そういうものがあってはクリスチャンとはいえないということではないと思う。そうした誇りはあっても良いと思う。しかし、それでもなお、イエス様の十字架をこそ誇りにすることができるし、誇りとしたいと思うことができる。これが、クリスチャンの根幹だと思う。
また逆に、こういうことも言えるのではないか。先述した誇りを持てる人というのは、実は、それほど多くはなく、私もそうだが、多くの人は自分には胸を張って誇るものなど何もないかもしれない。生涯をかけた労作と言えるようなものは何もないと情けなく思うかもしれない。しかし、「十字架を誇る」というのなら、それこそが生涯をかけた労作であり結実だと言っても良いのではないだろうか。十字架を誇れるとは、それほど大仕事なのである。神様が私たちをして成し遂げさせて下さった最大の実りなのである。そのことを、大いに誇っても良いと思う。
2.それでは、何故、イエス様の十字架を誇れるようになったことは、これほど胸を張れることなのか。それは、十字架を誇ることは、普通は、非常に難しいことだからである。
パウロが、コリント教会に送った第一の手紙の1章22~23節に次のように書かれている。「ユダヤ人はしるしを求め、ギリシャ人は知恵をさがしますが、わたしたちは、十字架につけられたキリストを宣べ伝えています。すなわち、ユダヤ人にはつまずかせるもの、異邦人には愚かなものですが」と。
まず、異邦人の代表であるギリシャ人やローマの人々にとって、十字架の上でむごたらしい殺され方をしたイエスがキリスト・救い主であるというのは、愚かなことだったのである。これは私の勝手な想像だが、ギリシャ人というのは、外に現われた美しさというものをとても大事にする人々ではないかと感じる。そして、その美しい肉体が壮健さや強さを持つのを誇るのである。オリンピックがギリシャを発祥地とするのは、そういうことではないかと思うのである。また、ローマの人々は、実利・実効というものを非常に重んじたのではないかと感じる。彼らは皇帝を神とし、救い主として崇めていたが、それは皇帝が誰よりもその強い力をもって平和(パックス・ロマーナ)をもたらし、食料や娯楽などの実利を提供し得る限りにおいてであった。このような異邦人にとって、十字架の上で殺された者が神であり、救い主であるとは、笑止千万であるだけでなく、それはローマ帝国の犯罪人として処刑された者を、皇帝を差し置いて神とするのだから、赦し難い冒涜でもあったのである。12節に「十字架のゆえに迫害されたくないばかりに」とあるが、こうした背景や理由から、本質的にクリスチャンはギリシャ・ローマ世界で迫害される宿命にあったのである。
つぎに、ユダヤ人にとっては、十字架につけられたイエス様がキリスト・メシアであるとは、つまずきであった。彼らが求めていたメシアとは、十字架の上で殺されてしまうような存在とは正反対の者だったからである。これに加えて、クリスチャンがローマ帝国内で迫害されるようになっていったのは、ユダヤ人にとっては非常に危惧することであった。というのは、ユダヤ人は、当時ローマ帝国のなかで特別な恩恵を受けており、まだユダヤ教の一分派と見なされていたキリスト教が、どんどんと十字架を宣べ伝えてローマ帝国とトラブルを引き起こすようになると、ユダヤ教が帝国から受けていた恩恵を失ってしまうことになりかねなかったのである。そこで、ある人々は懸命にクリスチャンたちをユダヤ教の枠内に留まらせる努力をしようとしたのである。それが、割礼を受けさせ、律法を守らせることなのであった。
こうしたことを知ると、いかに当時の世界において、十字架につけられたイエス様がキリストであると信じ、十字架を誇れるようになるということが難しいことであったかが解る。
3.これは、現在の世界においても何ら変わらないし、いや、もっともっと困難になっているとさえ思う。2000年前の時代の、外形的な美しさを誇り、また肉体の壮健さや強さを誇り、実利を誇ることのみを価値観とする社会の傾向が、より一層強まり、先鋭化していたのではないかと私は強く感じる。そういう世界が一体、何処へ向かっていったのか。
説教の準備をしている最中に、ずっと心に響き続けていたことなので、口にせざるを得ない。先週の日曜日に私たちの耳に飛び込んできた長崎での陰惨な事件のことである。女子生徒は、小学生の時から既に動物を傷つけるような行為があったということである。心の病があったのだろうとは思う。しかし、報道から私が強く感じさせられるのは、この女子生徒がこの凶行に至った大きな一因として、母親をガンで亡くした後、あっと言う間に、優秀な弁護士である父親が再婚をしてしまったということがあったのは確かだと思うのである。父親によって、最愛の母の悲しい死が、あっという間に忘れ去られ、なかったことのようにされてしまったということに、彼女はいたたまれなかったのではないか。最愛の人の死を味わった者のなかに、異常な形で死に引き込まれ、死体から離れられなくなる人がでてくると聞いたことがある。それは、最愛の人を失って自分はこんなにつらく悲しいのに、周りの人々や世の中が、どんどんそれを忘れてしまっていくことへの、やりきれない気持ちの現れでもあると思う。自分はせめて、いつまでも死んでいった者の傍らに留まり続けていたいとの思いなのであろうと思う。
妻に先立たれたあるジャーナリストが、残された自分を取り巻く社会のありようを『生者中心主義』だと評した言葉が、ずっとこころに残っている。今の世界は、生きている者だけが中心であり、生きていること、それも強く壮健で実利を生み出せる者として生きていることだけが価値ありとされる社会だという。死んでしまうと、病むこと、弱いこと、苦しむこと、何らの実利も生み出し得ないこと、そんなことは、ただただマイナスであり、否定され、覆いをかけられ、蓋をされるしかないことだという。長崎の凶行を善しとするのでは決してない。しかし、死をあっという間に忘れ去り、外形的な美しさや強さや壮健さや功なり名を遂げることばかりを幸いとする家庭や国家や社会は、必ず、こうした災いを生み出すのだと思う。死を否定する社会は、必ず、莫大な死を以って、しっぺ返しを喰うことになる。病むことや弱さを否定する社会は、必ず、もっともっと大量の病や弱さをもって報いを受けることになる。
今日8月10日は、平和主日である。シリア・イラクでも、パレスチナでも、ウクライナでも、そして日本と中国においても、声高に主張されているのは実利であり、より多くを持とうとして武力という強さがぶつかり合っている。第一次世界大戦の前夜と似ているのではないかと危惧する声をかなりよく聞く。全世界のどこかで散発的に起こっている戦いが、あるとき、一挙に世界戦争に向かうことはないのか。こうした社会のありようが、そのしっぺ返しとして、爆発的な死や病や苦しみを来たらすことがあるのではないかと私は感じている。
4.十字架が誇りであるのは、これゆえなのである。第一コリント書の1章25節に「神の愚かさは人よりも賢く、神の弱さは人よりも強い」とある。十字架の出来事は、神様が十字架のイエス様において「愚かさ」や「弱さ」を身にまとって下さったことだと思う。ギリシャ人やローマ人にとって、またユダヤ人にとっても、神とは「愚かさ」や「弱さ」とは対極にある存在であったに違いない。しかし、十字架の出来事において、私たちの神様は、ご自分を「の」という言葉によって、愚かさや弱さと結び付けて下さったのである。愚かさや弱さ、何よりも死にいたる痛みや苦しみを、貴いものとして身に負って下さった。
それだけではない。神様は、この十字架の死から、イエス様を復活させて下さった。福音書がこぞって告げるのは、復活のイエス様の体には、十字架の傷痕がくっきりと残っていた事実である。その傷痕を見て、弟子たちは喜んだ。トマスには、イエス様は「この傷痕に指や手を入れてみよ」と言われた。このことが示しているのは、復活とは、あくまで十字架につけられたイエス様の復活だということなのである。十字架こそが永遠のものとして、決して滅びないものとして打ち立てられたのである。十字架が私たちに喜びをもたらし、その傷痕に私たちが手や指を入れることが、私たちを救うのである。私たちが、どんなに十字架を愚かだと、つまずきだと、むごたらしいと言っても、神様は十字架をこそ、永遠に立てるのである。十字架において、神様が弱さや愚かさや死の悲しさやむごたらしさを貴いものとされたことが、この世界のただ中に、永遠に滅びないものとしてあり続けるのである。
これが、14節後半の「十字架によって世が磔にされている」という御言葉の意味である。このまま行けば、必ずや滅びてしまうであろう私たちやこの社会を、神様は十字架の弱さと愚かさと死を大切にされることによって、救おうとされているのである。ギリシャ・ローマ以来の価値観がますます強くなって行く私たちやこの社会を、こうして磔にして下さっているのである。この世界を、そして私たち一人一人を十字架に結びつけ、磔にして、そこから弱さや愚かさや死によって新たに創造されようとしておられるのである。
だから私は、この愚かで弱い神様を誇るのである。死を大切に慈しんでくださった神様を誇るのである。イエス様を十字架の死から復活させて下さった神様を誇るのである。私たちは、なおこの世にあって生きねばならず、それ故に、この世の価値観を抱かざるを得ない。それに染まってしまう者ではあるが、私たちは、それを善しとはしない。それが、私たちを良い方向に導くとは思わない。だからこそ、十字架を誇り、神の愚かさと弱さに結び付けていただきたいと願うのである。洗礼とは、そういうことなのである。17節にあるイエス様の焼印、すなわち十字架の焼印は、この愚かで弱い神様のものとされる印なのである。
筑波学園教会牧師 福島 純雄
2014年 7月27日 聖霊降節第8主日礼拝
11:33「ともし火をともして、それを穴蔵の中や、升の下に置く者はいない。入って来る人に光が見えるように、燭台の上に置く。11:34あなたの体のともし火は目である。目が澄んでいれば、あなたの全身が明るいが、濁っていれば、体も暗い。11:35だから、あなたの中にある光が消えていないか調べなさい。11:36あなたの全身が明るく、少しも暗いところがなければ、ちょうど、ともし火がその輝きであなたを照らすときのように、全身は輝いている。」
1.キリスト教信徒向けの新約聖書全巻の注解書を記したバークレーは、「この箇所の意味を理解するのは、なかなか容易ではない」と書いている。イエス様の御言葉を伝え聞き、福音書として記した人々にとっても難解な箇所だったことがうかがわれる。マタイ福音書にも、このルカ福音書とほぼ同じ言葉が記された箇所(並行箇所)がある。マタイは、山上の説教と呼ばれた大枠のなかに、二つに分けて記している。マタイ福音書での前後の流れは、ルカ福音書のそれとは全く違っている。ルカ福音書での前後の流れは、一読した限りでは、ルカがどういう意図でここに置いたのかが、まったくわからない。前後の脈絡がなく、突如として、ここに置かれた印象を受ける。そうしたことから、マタイやルカにとっても、このイエス様のお言葉は、なかなか難解なものだったということがわかる。
2.さて、「目が澄んでいればあなたの全身が明るい」に、私は、かつて小学校や中学校で聞いた格言の『目は心の窓』という言葉を連想する。この格言は、目の状態がその人の内面を映す窓のようなものとの意味であろう。イエス様のこの言葉も、そのようなニュアンスとして理解されることが多いのではなかろうか。しかし、私の手許にあるいくつかの注解を読むと、イエス様がそもそも言わんとされたのは、そういうこととはずいぶん異なっていたことがわかる。
たとえば、井上良雄(信徒)の「山上の説教」についての講解では、つぎのように説明されている。「一般的には、目とからだの関係と言えば、目はその人のからだの状態がどのようであるかを外に現すものとして理解されているだろう。しかし、注解者のエドワルド・シュバイツアーによれば、ここでは目とからだの関係は、そのようなものとしては考えられずに、むしろ目を通して光がからだに達する、そのことがここでは、目とからだの関係として考えられている。」
井上先生はこの後で、非常に巧みなアナロジー(比喩)を述べている。「わたしたちは、ここに一つの巨大な倉庫のような建物を想像したいと思う。その倉庫には窓は一つもない。ただ天井に小さな明かり取りがあるだけで、光はそこからだけ射している。そして、その明かり取りがなければ真っ暗なはずの倉庫の中を明るくしている。しかし、その明かり取りから入る光が、倉庫の中を明るくするのは、その明かり取りに張られたガラスが透明な場合であって、もしそのガラスがすすで汚れて黒くなっていれば、たとえ明かり取りがあっても、光はそこから入って来られない。(『山上の説教-終末時を生きる-』p173より)」なるほどと思った。倉庫でなくとも、地下室や洞穴のような場所を想像して下さっても良い。とにかく、明かり取りの窓さえあれば、そこから光が入って来て暗い場所を明るくしてくれる。目とは、光を取り込む明かり取りの窓のようなものだ、ということであろう。
さて、ここで大事なことは、この窓から取り込まれる光とは何を指しているのかであろう。それは言うまでもなく、神様からの光、天からの光を意味しているわけである。それは普通の光すなわち太陽からの光ではない。そして、イエス様のお言葉では、その光を取り込むのは、もっぱら目であるとされているわけだが、神様からの光、天からの光を取り込んで内奥を照らす窓の役割を果たすのは、目よりも、むしろ福音の言葉を聞く耳であると言って良いだろう。また、その言葉を聞いて受け入れる信仰と言っても良いかもしれない。そのようにイエス様の御心を受け取ったので、ルカは27節からの段落や29節からのところにつなげたのだということが、ここにきてやっと解ってくる。28節では「幸いなのは神の言葉を聞き、それを守る人である」とあり、直前の32節でも「ニネベの人々は、ヨナの説教を聞いて悔い改めた」とあり、耳という窓を通して、神様の言葉を聞き、それを光として取り込んだ人々の幸を教ている。
3.以上のように、イエス様の言われようとしたことを理解したうえで、まず私が強く言及したいのは、もし私たちが目であろうと、耳であろうと、とにかくこの「窓」から神様の光を取り入れることがなかったならば、私たちの内側は地下室のように暗いということである。
「いや、そんなことはない」と思う人も多いかもしれない。神様という存在を知らず、神様からの光など取り込むことがなくとも、昼は太陽の光があり、夜になれば電灯があり、また(文字通りの光ではなく)家族との絆や仕事の喜びや健康に生きていることが光としてあり、それで内側はじゅうぶんに明るいという人は多いのである。確かにそうであろう。そうい人々の首根っこをつかまえて、無理やり『おまえは暗いのだ』と押し付けることはできない。
しかし、そういう明るさは、自ずと失われるものだと言わざるを得ない。太陽の光や人工の光の特徴として、それはある大きなものによって遮蔽され、必ず陰ができる。宇宙的な大きさのレベルで言っても、夜が来るのは、地球そのものが太陽の光を遮るので、太陽の光が当たる側の反対にいる者には、夜が訪れるのである。家族に先立たれ、仕事を失い、健康を失うという苦難に遭遇すると、それによってこの世の光は奪われ、光はさえぎられ、病が訪れざるを得ない。しかし大切なのはその時なのである。私たちが生きていくためには、光は絶対に不可欠である。そうなったときに、私たちは光を何処から得るのか。何がそのときの光なのか。それは、神様からの光、天からの光であり、それを取り入れることのできる窓が目であり、耳であり、信仰なのだとイエス様はおっしゃっているのである。
4.自然の光、この世の光の限界と較べると、神様からの光には、正反対の特徴があると思う。それは、遮るものが無いということである。その光には陰ができないのである。ヤコブの手紙1章17節に「良い贈り物、完全な賜物はみな、上から、光の源である御父~くるのです。御父には、移り変わりも、天体の動きにつれて生ずる陰もありません」とあり、ルカ福音書1章78~79節には「(神の)憐れみによって、高い所からあけぼのの光が我らを訪れ、暗闇と死の陰に坐している者たちを照らし、我らの歩みを平和の道に導く」とある。
神様はヤコブに、自己紹介として「わたしは、あなたが兄エサウの顔を避けて逃げたとき、あなたに現われた神」だと言われた。それを聞いて、ヤコブは家族に「苦難のとき私に答え、(苦しい)旅の間わたしと共にいて下さった神を礼拝しよう」と言った。ヤコブが神様とはじめて出会い、その光に照らされたのは、彼が兄を避け逃げるしかなかった苦難のときの最中だった。おじラバンのもとでの苦節20年、この世の光が遮断され、彼が暗闇のなかに置かれたときであった。このように、神様からの光は、逃げても避けても、苦難のなかにあっても遮られないのである。影ができないのである。暗闇にはならないのである。
列王記(下)のエリシャという預言者の物語に登場する人々はみな、苦難のなかに置かれた人々である。ある婦人は、神様を敬虔に信じてきた夫に先立たれ、その後に借金だけが残り、二人の子供がその借金のかたに取られて奴隷として売られそうになってしまった。また、ある裕福な婦人は、子供が授かった幸せも束の間、その子を病気で失ってしまった。エリシャの仲間の預言者たちは飢饉で苦しんでいた。しかし、列王記が記しているのは、そうした状況にも、必ず神様からの光が射し込むということなのである。
そういうことが語られているのが、33節の御言葉であると理解して良いと思う。この御言葉も、様々な受け取り方ができる。マタイは、この言葉を有名な「あなたがたは世の光」という言葉の直後に置いた。それは、マタイの理解であろう。彼は、まず私たちが世の光であり、光としての私たちは隠れてはならないという意味に、イエス様のお言葉を捉えた。しかし、ルカはそうではなかった。ルカは、まず神様の光、すなわち私たちに注がれている天からの光が、隠れることはないと、覆われることはないと、遮断されることがないという意味に受け取っていたのである。「私たちにその光は必ず見える」「光は必ず私たちのもとに到達している」「私たちにとっては、その光とは、人となり十字架にかかり、復活して下さったイエス様である」「その光をあなたがたは取り込むことができるのだ」とルカは語りかけている。
5.では、どうやってその光を取り込むことができるのか。それが窓なのである。「そのためには、あなたがたにはちゃんと明かり取りのための窓があるではないか。それを用いよ。」とイエス様は言われるのである。私が何よりも励まされるのは、この点である。神様は光を取り込むための窓をちゃんと、私たちに付けてくださった。濁っているかもしれないし、汚れているかもしれない。しかし、ちゃんと、とにかく窓が備えられているのである。だから、それを用いて光を取り込むことができるのである。
先述のエリシャ物語においては、共通する要素がある。苦難のなかにある人々の下に、神様の光が射し込むことにおいて、エリシャは必ず、人々に色々なことを「しなさい」と言ったということである。黙って坐していて、上よりの光が射し込むということはない。「神様の光は遮断されない。天からの光は、どんな障害物があっても届くということと矛盾しているではないか」と言われるかも知れない。しかし、遮断はされないけれども、取り込むためには、私たちの側で窓を開ける必要がある。窓を用いるということが不可欠なのである。これが神様の為さり方なのである。子供が借金のかたに取られそうになった婦人に対しては、近所中から空の器を借りてきて、それに残っている油を注げと言われた。子を亡くした婦人は、エリシャからの命令ではないがが、自分からエリシャの許に出かけ、彼を死んだ子供のもとにぐいぐいと引っ張って行った。重い皮膚病に苦しんでいたナアマンという将軍に対しては、ヨルダン川に7回も身を浸せと言った。これを行うことが、窓を開けて光を取り込むということなのである。神様は、そうやって、私たち自身が、神様からの光を求め、取り込むことを望んでおられるのである。
筑波学園教会牧師 福島 純雄
2014年 7月20日 聖霊降節第7主日礼拝
35:01神はヤコブに言われた。「さあ、ベテルに上り、そこに住みなさい。そしてその地に、あなたが兄エサウを避けて逃げて行ったとき、あなたに現れた神のための祭壇を造りなさい。」 35:02ヤコブは、家族の者や一緒にいるすべての人々に言った。「お前たちが身に着けている外国の神々を取り去り、身を清めて衣服を着替えなさい。 35:03さあ、これからベテルに上ろう。わたしはその地に、苦難の時わたしに答え、旅の間わたしと共にいてくださった神のために祭壇を造る。」 35:04人々は、持っていた外国のすべての神々と、着けていた耳飾りをヤコブに渡したので、ヤコブはそれらをシケムの近くにある樫の木の下に埋めた。 35:05こうして一同は出発したが、神が周囲の町々を恐れさせたので、ヤコブの息子たちを追跡する者はなかった。 35:06ヤコブはやがて、一族の者すべてと共に、カナン地方のルズ、すなわちベテルに着き、 35:07そこに祭壇を築いて、その場所をエル・ベテルと名付けた。兄を避けて逃げて行ったとき、神がそこでヤコブに現れたからである。
1.「神はヤコブに言われた。『さあ、ベテルに上り、そこに住みなさい。そしてその地に、あなたが兄エサウを避けて逃げて行ったとき、あなたに現れた神のための祭壇を造りなさい。』」と1節にある。これは、大変な状況下にあったヤコブとその一家を、そこから救い出すために、神様が差し向けて下さった助け舟と言っても良いお言葉である。
ヤコブ一家がこのとき、どのような状況に置かれていたかというと・・・妹のディナが、シケムという町の首長の息子と懇ろなった。そのことを激しく怒ったシメオンとレビが中心になって、シケムの人々にテロを仕掛けたのであった。そのため、シケム近隣に住む同族の人々がヤコブ一家に復讐をしてくるかも知れないという状況であった。
何故このようなことが起きたかというと、そもそもの発端は、ヤコブが、20年ぶりに故郷に帰って来て双子の兄エサウと無事再会を果たした後、本当は、ベテルを、家族皆で目指すべきであったのに、ヤコブはそうしないで、シケムの首長から土地を買い、そこに定住しようとしたからなのであった。34章30節に、ヤコブがテロを起こした息子たちに語った言葉が書かれている。「憎まれ者」「除け者」「少人数なのだから」という言葉は、ヤコブがこれとは正反対の存在になりたかったことを示している。このヤコブの気持ちは良く解る。20年前に家を出ざるを得なくなって、叔父ラバンのもとで、タダ働き同然の仕打ちを受け続けたヤコブであった。やっと、故郷に帰ってきたのであった。「もう肩身の狭い思いをするのは嫌だ。大家族が落ちついて生活できる基盤が欲しい。そのためには土地を買い家を建て、現地の有力者と懇ろになっていきたい」と思ったのであろう。また「そのための資金もあるではないか」と思ったであろう。娘ディナは、そんな父の心を察知したはずである。子は親の鏡である。
しかし、ヤコブのこの振舞いは、決して失ってはならない何かを喪失することでもあったのである。ヤコブの息子たちは、シケムの人々に、妹を嫁がせる条件として、シケムの人々が割礼を受けることを要求した。それを聞いたシケムの人々は34章21節以下に記されているような相談をした。23節には「そうすれば彼らの家畜の群れも・・我々のものになる」とある。ヤコブ一家がシケムに住み、土地の首長と姻戚になることで、奪われることになるのは、ただ家畜や目に見える財産だけではなかったであろう。目に見えない大切な何かが失われた。シメオンやレビが為した、そのテロ行為そのものは、決して容認することはできないが、その心は、父ヤコブが奪われてはならないものを失おうとしていることへの必死の抵抗だったのだと思う。34章の最後で、彼らは父に言っている。「わたしたちの妹が・・・扱われてもかまわないのか」と。土地を手に入れ、有力者と親戚になる代わりに、踏みにじられようとするものがあった。それを彼らは守ろうとしたのである。
この息子たちの姿もまた、父ヤコブの鏡なのだと思う。ヤコブ自身のなかに、ディナを表している部分と、息子たちを表している部分の両方があった。ヤコブ自身が分裂していたと言ってもよいだろう。こうして、一家の要である者が、失ってはならないものを喪失しようとし、一家を危機に陥れたのであった。要である者の分裂と混乱は、その家族だけではなく、周囲の人々にも災いを及ぼすのである。
2.だから、神様はヤコブに助け船を出されたのである。第一の語りかけは「ベテルに上りそこに住みなさい」だった。ベテルとは、創世記28章19節にあるように、「ベース(家)エル(神)」が縮まった言葉で「神の家」という意味である。「ベテルに上りそこに住め」の「住め」とは、文字通りのことではないだろうと思う。16節には、ヤコブはベテルで礼拝した後すぐさま「エフラタ」という所へ向かったとある。おそらく、ベテルは石だらけの場所で、到底大家族が住むには適さない場所だったのであろう。「住め」ということの意味は、ベテルに上ることを第一にして、「それを決して忘れない住み方、生き方をせよ」ということではないだろうか。ベテルに上るという在り方が失われずに、それが第一にあれば、後は何処に住んでいても良いということである。
だから大事なのは、ベテルに上るということなのである。ここで改めて気づかされたのは、33章の最後20節で、ヤコブはシケムで買い取った土地に祭壇を建てて、ちゃんと神様を礼拝したということである。ここでヤコブが礼拝を捧げた神様は、ベテルで出会う神様と全く別の神様ではないのだけれども、かなり変異していると言わざるを得ないのである。それはともかくとして、そのときヤコブは、ちゃんと礼拝してたけれども、問題なのは「上る」ということが欠けていたという点である。ヤコブのシケムでの礼拝態度は、買った土地の「そこに」祭壇を立てて礼拝するという姿であった。そこには「上る」という姿がなかった。
3.では、「上る」とは、どう言うことなのか。詩編122篇の御言葉には「都に上る歌」とのタイトルが付けられている。イスラエルの人々は、年に何回かエルサレムに向かって巡礼の旅をしたと言われている。普段の生活からきっぱりと離れて、2節最後の言葉から言えば、「身を清めて衣服を着替えて」神様のおられると言われる「神の家」を目指して上って行ったのであった。
「神の家」に上る喜び、またその特殊性を、山に登ることにたとえても良いかも知れない。私は、残念ながら、山登りの楽しみを解らない者ある。登山の好きな人に、山登りの何処が楽しいのかを尋ねたところ、下界にはない空気、また景色、その達成感などと答えてくれた。確かに「そうだろう」と思う。同じように、「神の家」に上って来た時だけに感じられる何かが、そこにある。
私たちにとっての「神の家」とは教会である。教会を「人の作った家に過ぎないではないか」と言われるかもしれない。人の家たる教会に失望し、「そんなところにわざわざ時間を作って行かなくても、自分の家でも礼拝ができるし、祈っている」と言われる方も多い。しかし、それでは「上る」ということがないと思う。上って行って初めて、人が作ったに過ぎない教会に行って初めて、味わうことのできる空気や景色がある。
わたしは、父に連れられて、生まれたときから教会に通い続けた。牧師になってからは、信徒として教会に上る喜びをなかなか味わえなくなってしまった。夏休みをいただいた時などは、今もどこか浮き浮きした気持ちで礼拝に向かう。何が喜びなのかと問われれば、それはやはり、牧師を通して、聖書の御言葉を説き明かしていただく喜びである。そして、自分と同じように上って来た人々と一緒に讃美歌を歌い、祈り、顔を合わせる嬉しさがある。そこで語られ歌われ目にするものは、すべて人間の言葉であり歌であり有り様である。しかし、月が太陽の光を受けて輝くように、一人ひとりが神様の発せられるものを精一杯受取り、神様の存在を映し出すことによって醸し出される雰囲気や香りや空気が、そこにはある。教会に上ることによってしか、それは味わうことができないのである。
「まず上ることを取り戻せ」これが、神様がヤコブに第一に語りかけて下さったことだった。
4.つぎに神様がヤコブに語りかけて下さったのは、1節の「そしてその地に・・造りなさい」とのお言葉だった。ここで神様は、「ベテルでの礼拝は、如何なる神への礼拝か」と問いかけたのであった。神様ご自身がご自分のお言葉で、言わば、ご自分のことを自己紹介されたと言っても良いだろう。それは「あなたが兄エサウを・・あなたに現われた神」ということである。
何と驚くべき自己紹介かと感じる。避けて逃げたとき、それは恥ずべき時であり、ネガティブな時であり、破たんしたときである。ヤコブの人生にとって、出来れば忘れ去ってしまいたい汚点の時であった。しかし、他のどんな時にでなく、このような時にこそ、神様はヤコブに現れて梯子をかけてくださった。「神である私は、そのような存在だ」と、神様ご自身が言われたのであった。
この、神様の自己紹介とも言うべき、お言葉を聞いて、ヤコブは家族にはっきりと2節の言葉を語ることがでたのである。「お前たちが身に付けている外国の神々を取り去り・・衣服を着替えなさい」と。また、3節でヤコブは、自身の言葉で、ベテルで礼拝しようとした神は、苦難のときに私に答え、旅の間、私と共にいて下さった神であったと語っている。ヤコブは、1節の神様の言葉を聞いたときに初めて悟ったのだと思う。それは、創世記28章で、自分に現れ、以来その日まで自分を導き、今また、その出会いの原点であったベテルへと自分を誘う神様が、どれほど外国の人々の信じる神々と違うお方であるかということであった。別の言い方をすれば、自分たちがシケムに土地を買って、そこで祭壇を築いて礼拝しようとした神は外国の神々が入り混じったものでしかなかったということを知ったのだと思う。
どのように違っていたのか。ヤコブがシケムで礼拝しようとしたのは、こうして自分に土地を買わせて大家族のために相応しい生活の基盤を与えて下さった神様なのだと思う。それは、ヤコブが「幸いだ」と実感できた境遇のなかで出会い、礼拝できた神様に他ならない。そういう神様であったからこそ、ヤコブの側から難なく祭壇を築き、礼拝を捧げることができたのであろう。そのような状況に神様が居られたということも、たやすく信じることができたのである。
神々を象徴的に示す耳飾りを、ヤコブの家族はつけていたようである。4節にあるように、神々を取り去ることは、すなわち、耳飾りを取ることであった。ヤコブたちがシケムで礼拝しようとしたのは、あたかもアクセサリーを取ったり付けたりするように、たやすくその存在を信じたり、また反対に、見失ったりする神々であった。それは、私たちが「幸いだ」と思える境遇のなかでは、たやすく出会い、礼拝することのできる神ということである。しかし「幸いだ」と思える境遇を失ってしまえば、たちまち信じることができなくなる神ということである。
5.しかし、ベテルで礼拝するということの意味は、そのような外国の神々、すなわちアクセサリーのような存在ではない。それは、避けて逃げて苦難のただ中で、つまり、ヤコブが決して幸いだとは思えない境遇のなかで、ヤコブの側からは神様の存在を決して見出し得ないような状況のなかで、神様の方からヤコブに現れ、応えてくださったということなのである。アクセサリーのように、もはや、たやすく取り去って土のなかに埋めておくことなど出来ない存在となったのである。それほど深く、私たちの人格に入り込んで下さっているのである。どうしてたやすく取り去ることができようか。地面に埋めておくことができようか。取れと言われても取り去ることはできないのである。
私たちが、教会という「神の家」に上り、神様に礼拝を捧げるからこそ、そこにしか生じ得ない空気や景色や独特の空間が生まれるのである。「避けて逃げていったとき現れた神」「苦難のときに答えてくださった神」「旅の間、共にいてくださる神」を礼拝するが故に、私たちは避け逃げることを善しとすることができるのであろう。苦難の時を善しと出来るのであろう。定住することができず、旅するしかない歩みを受け入れることができるのであろう。震災のため、放射能汚染のために、今なお沢山の方々が逃げ避難することを余儀なくされている現実を思う。しかし、そのような現実は、イスラエルの人々にとっては常であった。どこに逃れていても、彼らはそれぞれの場所に、住居とは別に築いたベテルに上り、いま示されたような神様を礼拝し続けて来た。それが、彼らを守ってきたのであった。
こうしてヤコブの家族は再び一つとなり、大枚をはたいて手に入れたシケムの土地を後に旅立ったのであった。5節には「神が周囲の町々を恐れさせたので、ヤコブの息子たちを追跡する者はなかった」と書かれている。
筑波学園教会牧師 福島 純雄
2014年 7月13日 聖霊降節第6主日礼拝
06:01兄弟たち、万一だれかが不注意にも何かの罪に陥ったなら、“霊”に導かれて生きているあなたがたは、そういう人を柔和な心で正しい道に立ち帰らせなさい。あなた自身も誘惑されないように、自分に気をつけなさい。 06:02互いに重荷を担いなさい。そのようにしてこそ、キリストの律法を全うすることになるのです。 06:03実際には何者でもないのに、自分をひとかどの者だと思う人がいるなら、その人は自分自身を欺いています。 06:04各自で、自分の行いを吟味してみなさい。そうすれば、自分に対してだけは誇れるとしても、他人に対しては誇ることができないでしょう。 06:05めいめいが、自分の重荷を担うべきです。 06:06御言葉を教えてもらう人は、教えてくれる人と持ち物をすべて分かち合いなさい。 06:07思い違いをしてはいけません。神は、人から侮られることはありません。人は、自分の蒔いたものを、また刈り取ることになるのです。 06:08自分の肉に蒔く者は、肉から滅びを刈り取り、霊に蒔く者は、霊から永遠の命を刈り取ります。 06:09たゆまず善を行いましょう。飽きずに励んでいれば、時が来て、実を刈り取ることになります。 06:10ですから、今、時のある間に、すべての人に対して、特に信仰によって家族になった人々に対して、善を行いましょう。
1.ガラテヤ書の学びも、いよいよ最後の章に入った。次々と訓戒や勧めが列記されていて、一読しただけでは、何が焦点なのか、よく解らない箇所だと感じる。また、7節後半から8節にかけて「人は自分の蒔いたものをまた刈り取ることになる。」とある。「刈り取ります」という御言葉は、因果応報といってもよいことが語られている。私たち牧師が、神学校で学んだ竹森満佐一先生は、この御言葉について「これは恐ろしい言葉ではないでしょうか。ひたすら恵みを語ったパウロが、『自分の蒔いたものは自分で刈り取るべきである』というのであります。神の恵みをどう考えたらいいのでしょう。救いの力は何処にあるのでしょう。この手紙の最後に、この言葉があるということは、『恵みについて深く考えよ』ということであります。」と語っておられた(『講解ガラテヤ人への手紙』213-214頁)。神学的にも、大きな疑問が生じてくる箇所である。
パウロが何故このような言葉をガラテヤ教会に送ったのかを、また、ここで言わんとしている焦点は何かを理解するためには、やはり背景にあるガラテヤ教会の事情や問題をよく知る必要がある。ガラテヤ教会のなかには、5章19節以下に列記されている『肉の業』にふけっている人々がいたようだった。それをしていた人々というのは、パウロと敵対している人々ではなく、残念ながら、パウロの仲間内の者たちであったようである。彼らは、神様によって義とされる(神様との絆・同盟関係を結んでいただく)ということについて、もはや律法の行いや割礼は要らず、ただイエス様を信じイエス様と信仰において結びつけていただくのが、神様との堅い絆なのだ、と信じていた人々だった。そうした人々のなかに「神様との決して反故にされない絆ができたのだから、もう何をしてもよい。自由なのだ。」と考えて、肉の業に引っ張られてしまう者たちが出てきたらしいのである。
さらに言えば、言っていた肉の業に過ぎなかったのに「自分たちのやっていることは聖霊に導かれての行いだ。善いことをしているのだ」と、自慢さえしていたのではないかとも想像できるのである(6章3~4節に書かれているのは、そういう事情ではないだろうか)。だからパウロは、はっきりとその区別について教えたのだった。5章19節以下では、肉の業を列挙し、また22節では、聖霊に導かれて行う結果としての霊の結ぶ実についても列挙した。パウロは、彼らのやっていることが、決して聖霊による行いではないことを教えようとしたのである。
イエス様を信じ神様によって義とされている者が、よりにもよって、肉の業を聖霊に導かれての行いだと豪語してしまうというのは、信仰者が陥ってしまう病としては、非常に深刻な重い症状と言わねばならない。前回、イエス様が悪霊を追い出して、口のきけない人を癒されたことに対し、律法学者やファリサイ派の人々が - 彼らは当時の社会で最も信仰深いと自他ともに認められていた人々だった - それを「悪霊の頭の力を借りてのことだ」と非難した御言葉に触れた。聖霊による行いを悪霊による仕業だと言ったのだった。それは、言わば、白を黒と言いくるめることだが、ここでは、その反対に、黒が白だと言われている。どちらにせよ、信仰深い者たちこそが、聖霊に導かれての行いと、そうでないものをごちゃ混ぜにしてしまうのである。聖なるものへの感覚を失ってしまうということが、信仰者のなかで起きるのである。これは、信仰者として、陥ってしまっては真に危険な重い病気である。今日のパウロの言葉は、そうした重い病気に陥ってしまった人々を、何とかして治療しようとする処方箋と言ってよいだろう。
2.このように背景がわかってくると、前出の竹森先生が「これは恐ろしい言葉ではないか」と語られたと紹介した7~8節の御言葉の言わんとするところが、よく理解できる。いま言った者たちは、7節の言葉で言うと、神様を侮っているのである。肉の業なのに、それを聖霊に導かれての行いだと自慢しているわけである。黒を白と言っているのである。人間はそのような「言いくるめ」や「ごちゃ混ぜ」に騙されてしまうかも知れないが、神様をごまかすことはできないのである。肉の欲望に引きずられた行い - それをここでは「肉に蒔く」とパウロは言っている - からは、しっかりとそれ相応の結果が生じる。神様は、その行いをした者に、その実を刈り取らせ給うのである。反対に、聖霊に導かれ、霊に蒔いた行いからは、しっかりとそれに応じた、よい収穫が刈り取られる。ここには、確かに因果応報的なことが言われているが、これは私たちが、ただイエス様を信じて神様の恵みによって救われるという、信仰の大原理とは別の次元の事柄なのだと思う。これは、神様に義とされた者が、その後の歩みにおいて、どのように義とされた者としてふさわしく相応の結果を結実して行くかという問題なのである。救われた者がその後の歩みにおいて、もしも黒を白と言いくるめ、聖霊による行いと肉の業をごちゃ混ぜにし、神様を侮るような歩みをするのならば、それは自ら大変な結果を招かざるを得ないであろう。ただ「滅びを刈り取り」とあるが、イエス様を信じて救いは約束されているのだから、この「滅び」とは、決して(肉の業をしてしまうことによって)救いそのものが取り上げられてしまうという意味ではないのであろう。しかし、何らかの重大な結果を招くことは確かなのである。
このように、肉の業が生じさせる重大な結果に思いを馳せて、ここから警告を聞くことも大切だが、私はそれ以上に、この御言葉から、聖霊に導かれてれ霊に蒔いた私たちが刈り取ることのできる収穫の素晴らしさを感じとりたいと思う。5章17節に「肉と霊とが対立しあっている」とパウロが書いているように、イエス様を信じた私たちから肉の思いが払拭されるわけではない。どうしても、肉の業をしてしまう者なのである。それによる災いの収穫を刈り取らざるを得ないこともあるであろう。しかし、肉の業をしてしまうことを憂い、それを聖霊による行いだなどと言わず、聖霊によって歩むことを望み求めるならば、神様はそれこそ恵みによって、私たちに聖霊を注いで霊の行いをさせて下さり、その収穫は、肉に蒔いた悪しき収穫の、何倍・何十倍になるのである。霊に蒔いたことによる収穫は、肉に蒔いた収穫を圧倒する。ここに、因果応報を越えた、神様の恵みがある。
3.だからパウロは、9~10節で、「弛まず善をおこなおう」と勧めているのである。善を行うことに、どれほどの力があるかを語っているのである。これが、信仰者として重い病気に陥っていた人々への、具体的な処方箋であった。
善き行いの力ということ改めて思う。私たち日本人は、とくに「偽善」ということを、必要以上に嫌い、軽蔑するように感じる。内面に少しでも悪い思い、すなわち肉の欲というものがあるならば、どんなに外面に現われた善い行いをしても、オール・オア・ナッシングで「そんなものは何の価値もない偽善だ」と吐き捨ててしまう傾向があるように思う。これに、プロテスタント教会の「行いによってではなく、ただ信仰によって、恵みによって」という大原則が加わり、ますます善き行いをすることへの後押しが少なくなってしまうのである。どこまで行っても、私たちの内側には、肉の悪しき思いがある。もし、オール・オア・ナッシングであれば、こんな私たちには善き行いなど出来ないし、それは偽善に過ぎないということになる。しかしパウロは、そういうことを言っているのではない。そういう私たちでも、霊に蒔くことができると励ましてくれているのである。神様から聖霊を注いでいただいて、善を行うことができるし、それを、ゆるまず飽きずに励んで行けば、必ず時が来ると素晴らしい実りを刈り取ることができると勧めてくれているのである。
さて、日本独特の心理療法の一つに、森田療法というものあある。これは、森田正馬(しょうま、1874-1938年)という精神科の医師が考え出した療法だという。私は、何処かこれに惹かれるところがあって、何冊か、ごくごく簡単な解説書を持っている。私なりに、この療法の特徴を説明すると、人間の内面、とくにいろいろと揺れ動く感情というものは、ひとまず放っておいて、とにかく「動く、行動する、働く」ことを重視するという療法と言える。私たちの内面、すなわち心とか感情とかいうものほど当てにならず、一定しないものはないのである。だから、それにあまいかかわらないで、とにかく何か作業をし、あるいは労作をして行くことを重視するのである。『出家とその弟子』という小説を書いた作家、倉田百三が、森田医師のところに「まったく書けない」と訴えてやってきたそうである。これに対して森田医師は、書けないとか書けるとか、そんなことはどうでも良いから、とにかく机の前に座って、へのへのもへじでも何でもよいから書けと言われたそうである。このアドバイスは、毎日、説教準備に労苦している私には、本当に良くわかる。何も示されるものがない、机の前に座って半日近くもぼんやりしていることもしばしばである。しかし、やっと書き始めると、御言葉を読んで感じたことを書き始めると、不思議と書き進めることができることもあるのです。動くことの力、行いの力なのだと思う。
4.それでは、一体なにが善き行いなのだろうか。パウロはちゃんとそれが何かについて、具体的な処方箋を出してくれている。
2節に「互いに重荷を負いなさい」とあり、5節には「めいめいが自分の重荷を担うべきです」とある。そして、担うべき重荷の具体的な教えとして、1節では何かの罪に陥った人を、正しい道に立ち返らせてやること、6節では(これはよく牧師就任式のときに、教会員の皆さんへの勧告の言葉として語られる言葉であるが)「御言葉を教えて・・分かち合いなさい」とあり、最後の10節には「特に信仰によって家族になった・・善を行え」と勧めている。ここで教えられているのは、教会員であることによって与えられた重荷を背負うということである。「自分の重荷を担う」とは言っても、それは決して自分自身や自分の延長上にある家族や近しい人ではなく、あくまで信仰によって家族になった他者である教会員の重荷を担うことである。或いは、牧師の生活を支え、また教会を支えるという重荷を負うことである。「それが善い行いなのか」と、がっかりされるかも知れない。「自分や家族の重荷を負うことで、もう一杯いっぱいであって、他の教会員や教会の重荷を背負うことなど出来ない」と言われるかも知れない。しかし、皆さんが何と言われようと、今日の御言葉で、パウロは、それが霊に蒔くことであり、善い行いなのだ、と勧めているのである。
先週の説教で私は、牧師として教会員の方について祈るしかないことが、牧師としての私に聖霊を注ぎ、その背筋を正させて下さるのだと語った。ある方が、その礼拝説教を聞いて、水曜日の聖書研究祈祷会で祈って下さった。まるで今日の説教の内容を予めご存知であったかのように、はっきりと「重荷」という言葉を口にされて、それを背負うことの喜びというものを祈って下さった。私たちは、重荷を背負わせたくない、負担をかけたくないからと、教会の仲間にあまり内々のことを語らないということがあるかも知れない。しかし、それは逆に、私たちが相互に重荷を担い合う機会を奪っていることになる。霊に蒔いて、すばらしい収穫を刈り取る機会を失わせていることなのである。会員同士が重荷を担うことが、どれほど素晴らしい霊の収穫を与えてくださるかを、心に刻みたいと思う。
筑波学園教会牧師 福島 純雄
2014年 7月6日 聖霊降節第5主日礼拝
11:24「汚れた霊は、人から出て行くと、砂漠をうろつき、休む場所を探すが、見つからない。それで、『出て来たわが家に戻ろう』と言う。 11:25そして、戻ってみると、家は掃除をして、整えられていた。 11:26そこで、出かけて行き、自分よりも悪いほかの七つの霊を連れて来て、中に入り込んで、住み着く。そうなると、その人の後の状態は前よりも悪くなる。」
1.まず、二人の先生の注解を紹介したいと思う。偶然、お二人とも『無教会』と呼ばれる教派に属している。説教の準備のなかで、とても参考にさせていただいた。
最初に紹介するのは、矢内原忠雄先生の「ルカ伝講義下」からの文章である。「空き家になっているというのは、サタンが追い出された後、神の霊が迎え入れられていないことを意味する。神の霊が人のなかに宿り、人の体が聖霊の宮となっているならば、サタンは外から伺おうても、その中に入って住む隙を見出すことはできない。これに反し、聖霊がその人に常住していないことを見れば、サタンは喜んで再びその人の中に帰って来るのである。我々は遺憾ながら、時にそういう人の実例を見ることがある。・・・罪についての感受性を失い、従って、罪の赦しの福音に対しても新鮮な感謝の心を失った者。そういう人の心の中をサタンがのぞいて見れば、そこに罪の赦しの福音で正常された空き家に、“神の愛”という額だけが装飾としてかかっていて、神の霊は住んでいない。そこには信仰的偽善と傲慢だけがあるだけに、それだけ以前にまさる悪しき悪鬼の住みかとなるに値するのである。(『ルカ伝講義下』 372ページ)」と、かなり厳しいことが書かれていた。
次にご紹介するのは、関根正雄先生の文章で、これはルカ福音書ではなく、ほぼ同じ言葉が記されたマタイ福音書12章43節―45節の注解である。関根先生独特の飛躍した表現があるが、言わんとしていることを感じとっていただけたらと思う。「イエスが来られると大なり小なり彼に触れる。それで、何と言っても清くなる。掃き清められる。すると、かえって非常に危険なことがおこる。そこに空虚な所ができて、悪魔が入って来るというのである。高く昇れば低く落ちるということ、清い世界にふれれば汚いものが見えてくるということである。具体的には信仰に触れているのは危険なことである。一番よいものに触れているから、それにしっかり固着しなければ、聖なるもの、よきものを軽蔑するようになる。感覚が無くなるといってもよい。信仰生活を続けるほど、良く考えるべきである。(『マタイ福音書講義』225ページ)」といったことが、書かれていた。
二人の文章から「汚れた霊が戻ってくる」という難しい御言葉において、イエス様が言われようとされていることが、大体解ってくるだろうと思う。
2.さて、こうして御言葉のおよそのポイントがわかっくると、どうしてルカが、この言葉を、聖書のこの箇所に置いたのか、前からのつながりの意味もわかってくる。そしてそれは、14節の前の「求めよ、さらば与えられん」という御言葉から、さらには、その前の主の祈りについてのお教えからずっとつながているものでもある。
イエス様は、一連のお言葉のなかで、求めざるを得ない私たちの姿をお教えになったと思う。以前に、思想家の加島祥造先生が「そんなに求めなくても良いではないか。現代の私たちは余りにもあれもこれも足りないと言って、もっともっとと、求め過ぎているのではないか。」と書いておられたことを紹介した。しかし、誰に何と言われても、私たちは、天の神様に対して求めるしかない者なのである。それは、天の神様によってしか、癒され得ない病を抱え、空腹を抱え、悪しき者からの攻撃にさらされているからなのである。だから、祈り求めざるを得ないのである。そして、そのことが、私たちに聖霊を注いでくださることになるのである。13節に「天の父は求める者に聖霊を与えてくださる」とある。
矢内原先生の「聖霊がその人に常住しないならば」とは、何故そうなるか(空き家に『神の愛』と書かれた額だけが飾ってある状態であるか)というと、私たちが、病や飢えや悪しき者の誘惑を感じることなく、天の神様に祈り求めることをしないからに他ならないのである。関根先生の「信仰生活を続けるほど」とは、信仰生活を長く続けた人ほど、このような必要を感じなくなるということである。自分がもはや「家は掃除してあり(きれいに)整えられている」だから、「神様の、また、聖霊の助けなど必要ない」と、決してそうではないのだが、思いこんでしまうのである。厳しい言葉だが、それが矢内原先生の言われる「信仰的偽善と傲慢」をもたらすのである。
3.そういう状態になってしまった人々が、14節からの御言葉において、イエス様を「悪霊の頭ベルゼブルの力を借りて事を為した」と批判した者たちなのである。イエス様は、悪霊にとりつかれて口がきけなくなった人をお癒しになられた。それを見た多くの群衆は、真に素直に驚嘆した。ところが、或る人々は、こうした非難をした。同じ場面を記したマタイ福音書には、そのように非難した者たちとは「ファリサイ派の人々」だったとあり(マタイ12章22節以下)、マルコ福音書には「律法学者たち」とかかれている(マルコ3章20節以下)。彼らこそ、当時の社会では誰よりも信仰熱心だと尊敬されていた人々だった。まさに、25節の御言葉どおり「家は掃除がしてあり整えられている」と自認し、また周りからもそう見られていた人たちであった。しかし、そうであればこそ、イエス様が為さったことを、悪霊の頭の力を借りて行ったこととしか見ることができなかったのである。現れた出来事を、聖なる神様からの力によって生じたのだと素直に受け止める感覚を失ってしまっていたのである。まさしく、関根先生が言われた「聖なるものへの感覚をなくする」ことが生じていたのである。
どうして彼らは、こうなってしまったのであろうか。自分たちの判断や感覚が絶対であるとの傲慢さが、そこにあったのだと思う。彼らは「何が聖なるものの現れなのかは、自分たちが決める。自分たちが判断できる」と思っていた。信仰生活を長く続けている者ほど、そのような傲慢さを抱いていしまう。しかし、何よりも、彼らをこうさせてしまったのは、彼らが自分自身の内面が決して「掃除がされていて整えられている」ような者などではなく、散らかり放題で病んでおり、だからこそ聖なる力によって整理整頓していただくしかない存在であることを認め、聖なるものの注ぎを祈り求めていなかったからなのである。それを祈り求めていたならば、ここで起きた出来事が、ただ聖なる力によって悪しきものが追い出されることによってしか生じ得ないものであることが分かったはずである。私は、自分自身のこととして、良く解るのである。自分のただ中にある混乱、悪しき者による狂い、病い、それを追い出し癒してくださるのは、聖なる力によるしかないことを日々実感していれば、自ずから、我が事として、このことが解るはずなのである。
長く信仰の歩みを続けている私たちが、悲しいかな、このような状態い陥ってしまったなら、これこそが今日の御言葉の26節で言われているところの「そうなると、その人の後の状態は前よりも悪くなる」と言わざるを得なくなる。聖なるものがそこに現れているのに、それを批判し軽蔑してしまう。悪霊の現れだと揶揄してしまう。だとしたら、一体どうやってその人は、聖なるものと出会うのか。その人を救おうとする聖なる力を受け入れ得るのか。どうやって救われ得るのだろうか。
ベルゼブル論争の場面を記した、先ほどのマタイ福音書やマルコ福音書の箇所を読むと、イエス様のお言葉のなかでも、最も難解なものと言われる「聖霊を冒涜するものは永遠に赦されず、永遠に罪の攻めを負う(例えば、マルコでは3章30節)」との言葉が、論争の直後に記されている。文字通り、永遠に赦されないのかどうかは分からないが、聖霊の働きとして聖なるものがそこに現れているのに、そのことに心を動かされず、それを悪霊の仕業と言ってしまうのなら、その人の救いは極めて難しいということになるであろう。もしも、肉体を失い、この世での頑なな心から解き放たれた後、かの世においても、聖霊に対してそうであるならば、どうやって、その人は、彼を救わんとする神様の御業を受け入れることができるだろうか。それが「永遠に赦されず」との言葉に表されていることなのである。
4.こうして、祈り求めることができるということが、私たちをどれほど健やかにしているだろうか。祈ることこそが私たちに聖霊を注いで、私たちを神様の宮とし、汚れた霊が戻ってくることから私たちを守っているかを、私はひしひしと感じるのである。
このように祈ることができるようになるためには、自分自身が25節に書かれているような家の状態とは、まるで正反対の状態にあることを自覚していなければならない。それは、とても辛いことでもある。情けないことでもある。「いつまで、こんな混乱してしまった状態にあるのか。お前は牧師ではないか。もう何十年も信仰生活を続けてきた者ではないか」といった情けない状態を自認するしかないのである。しかし、だからこそ、祈るしかないのである。すると、そこに聖霊が注がれるのである。それが、私たちを汚れた霊や、その他の7つもの悪しき霊が入り込んでくることから、私たちをガードしてくださるのである。
もう一ヶ月近く前に、ある教会員から電話があった。お子さんが思い病であると医師から告げられ、これから病院に向かうところだという。以後、に私のほうから、その後如何なる状況であるかを尋ねるために連絡をすることは遠慮しているのだが、いまの私にできるのは、本当にただ祈るだけなのである。祈るのを止めることは出来ないのである。しかし、ここで感じさせられたことがあった。それは、信徒の方々のために祈ること、それを我がこととして祈ること、これが牧師の務めなのだと、しみじみ思ったのである。勿論、こうして説教をする務めはあるが、これ以外に大切な務めは、祈る以上の務めはないのである。その務めを行うと、そこに聖霊が注がれるのである。そのことこそが、いろいろな悩みのなかに置かれた私を守ってくれるのである。悩みというのは、ある意味、幾つもの悪霊が住みつくようなことに他ならない。放っておけば、その為すがままにされてしまう。しかし、祈ることが、その虜になることから私たちを守ることになるのである。
だから、皆さんも、どうか不断に祈るものであっていただきたい。自分自身の内面が、神様から、整理整頓し清めていただかなくてはならないものであることを知って、また教会員の仲間が大変な苦境にあることを知って、祈っていただきたい。どうして祈らない者でありえようか。「自分はその必要はない。私の家は整理整頓され、掃き清められている」などと、思いあがることができようか。祈ることこそが、私たちを守るのである。私たちを健やかにして、聖霊の宮として下さるのである。
筑波学園教会牧師 福島 純雄
2014年 6月29日 聖霊降節第4主日礼拝
33:18ヤコブはこうして、パダン・アラムから無事にカナン地方にあるシケムの町に着き、町のそばに宿営した。 33:19ヤコブは、天幕を張った土地の一部を、シケムの父ハモルの息子たちから百ケシタで買い取り、 33:20そこに祭壇を建てて、それをエル・エロヘ・イスラエルと呼んだ。 34:01あるとき、レアとヤコブとの間に生まれた娘のディナが土地の娘たちに会いに出かけたが、 34:02その土地の首長であるヒビ人ハモルの息子シケムが彼女を見かけて捕らえ、共に寝て辱めた。 34:03シケムはヤコブの娘ディナに心を奪われ、この若い娘を愛し、言い寄った。 34:04更にシケムは、父ハモルに言った。「どうか、この娘と結婚させてください。」 34:05ヤコブは、娘のディナが汚されたことを聞いたが、息子たちは家畜を連れて野に出ていたので、彼らが帰るまで黙っていた。 34:06シケムの父ハモルがヤコブと話し合うためにやって来たとき、 34:07ヤコブの息子たちが野から帰って来てこの事を聞き、皆、互いに嘆き、また激しく憤った。シケムがヤコブの娘と寝て、イスラエルに対して恥ずべきことを行ったからである。それはしてはならないことであった。 34:08ハモルは彼らと話した。「息子のシケムは、あなたがたの娘さんを恋い慕っています。どうか、娘さんを息子の嫁にしてください。 34:09お互いに姻戚関係を結び、あなたがたの娘さんたちをわたしどもにくださり、わたしどもの娘を嫁にしてくださいませんか。 34:10そして、わたしどもと一緒に住んでください。あなたがたのための土地も十分あります。どうか、ここに移り住んで、自由に使ってください。」 34:11シケムも、ディナの父や兄弟たちに言った。「ぜひとも、よろしくお願いします。お申し出があれば何でも差し上げます。 34:12どんなに高い結納金でも贈り物でも、お望みどおりに差し上げます。ですから、ぜひあの方をわたしの妻にください。」 34:13しかし、シケムが妹のディナを汚したので、ヤコブの息子たちは、シケムとその父ハモルをだましてこう答えた。 34:14「割礼を受けていない男に、妹を妻として与えることはできません。そのようなことは我々の恥とするところです。 34:15ただ、次の条件がかなえられれば、あなたたちに同意しましょう。それは、あなたたちの男性が皆、割礼を受けて我々と同じようになることです。 34:16そうすれば、我々の娘たちをあなたたちに与え、あなたたちの娘を我々がめとります。そして我々は、あなたたちと一緒に住んで一つの民となります。 34:17しかし、もし割礼を受けることに同意しないなら、我々は娘を連れてここを立ち去ることにします。」 34:18ハモルとその息子シケムは、この条件なら受け入れてもよいと思った。 34:19とくにシケムは、ヤコブの娘を愛していたので、ためらわず実行することにした。彼は、ハモル家の中では最も尊敬されていた。 34:20ハモルと息子シケムは、町の門のところへ行き町の人々に提案した。 34:21「あの人たちは、我々と仲良くやっていける人たちだ。彼らをここに住まわせ、この土地を自由に使ってもらうことにしようではないか。土地は御覧のとおり十分広いから、彼らが来ても大丈夫だ。そして、彼らの娘たちを我々の嫁として迎え、我々の娘たちを彼らに与えようではないか。 34:22ただ、次の条件がかなえられれば、あの人たちは我々と一緒に住み、一つの民となることに同意するというのだ。それは、彼らが割礼を受けているように、我々も男性は皆、割礼を受けることだ。 34:23そうすれば、彼らの家畜の群れも財産も動物もみな、我々のものになるではないか。それには、ただ彼らの条件に同意さえすれば、彼らは我々と一緒に住むことができるのだ。」 34:24町の門のところに集まっていた人々は皆、ハモルと息子シケムの提案を受け入れた。町の門のところに集まっていた男性はこうして、すべて割礼を受けた。 34:25三日目になって、男たちがまだ傷の痛みに苦しんでいたとき、ヤコブの二人の息子、つまりディナの兄のシメオンとレビは、めいめい剣を取って難なく町に入り、男たちをことごとく殺した。 34:26ハモルと息子シケムも剣にかけて殺し、シケムの家からディナを連れ出した。 34:27ヤコブの息子たちは、倒れている者たちに襲いかかり、更に町中を略奪した。自分たちの妹を汚したからである。 34:28そして、羊や牛やろばなど、町の中のものも野にあるものも奪い取り、 34:29家の中にあるものもみな奪い、女も子供もすべて捕虜にした。 34:30「困ったことをしてくれたものだ。わたしはこの土地に住むカナン人やペリジ人の憎まれ者になり、のけ者になってしまった。こちらは少人数なのだから、彼らが集まって攻撃してきたら、わたしも家族も滅ぼされてしまうではないか」とヤコブがシメオンとレビに言うと、 34:31二人はこう言い返した。「わたしたちの妹が娼婦のように扱われてもかまわないのですか。」
1.とてもショッキングな内容が書かれている。このような出来事は、神様のどんな御心を教え示しているのか。なかなか難しい。まずは、短い注を加えながら、物語全体をなぞって行きたいと思う。
ヤコブは、伯父ラバンのもとで苦節の20年を過ごし、大変な葛藤や恐怖があった。しかし、神様に強く背中を押されて、やっとのことで双子の兄エサウとの20年ぶりの再会を果たすことができた。33章12節の「さあ、一緒にでかけよう」との誘いを断って、ヤコブはまず、スコトというところに、文字通り小屋のような家を建てた(17節)。ところが、すぐさまシケムという地に移り、土地の一部を100ケシタ(どれ位の貨幣価値なのかは不明)を払って買い取った。このことこそが、すべての発端だったのだと思う。
このように、ヤコブがシケムに定住しようとしたので、当然、ヤコブの子供たちもシケムの人々との交流が生じた。とくに女性たちは、そうだったであろう。あるとき、娘ダイナは、土地の娘たちに会いにでかけた。すると、土地の長であるハモルの息子シケルが「彼女を見かけて捕らえ・・辱しめた」という。、注解者の多くは、これを文字通りのレイプとは受け取らず、むしろ結婚を前提にした両者合意のうえでの関係と理解する人の方が多いように感じる。私も同じ理解である。昔の日本でも、あくまでも両者の合意の上になされた「略奪婚」のような慣行があったと聞く。シケムにもそうした習慣があったのかもしれない。だから、このことを知ったヤコブも、5節にあるように平然としていたのだと思う。もっと言えば、娘が土地の首長の息子と、こうした仲になったことを喜んでいたとさえ感じられる。
しかし、ヤコブの息子たちは、とくにダイナと母を同じくする兄弟だったであろうシメオンとレビは、許し難い辱めと受け取った。どんなに両者が合意のうえであろうとも、まず親や兄弟や家同士がはっきりと認めていない段階でのそうした関係は、辱めであり、恥だと考えたのだろう。ましてや、割礼を受けていない、つまり宗教を同じくしない者に妹を嫁がせることを受け入れ難かったのであろう。
ハモルやシケムから提示された結婚の条件は、まことに至当なものであった。しかし、ヤコブの息子たちは、恐ろしい企てを考えた。ハモルや町の人々に割礼を受けてくれと申し出た。それを受けてくれれば、ダイナを嫁がせても良いと言ったのである。この企てというのは、最初からシケムの人々を殺そうとするものだったかもしれない。或いは、彼らを試そうとしたとも考えられる。この時代に割礼がどれほど重要なものだったのかは分からないが、後のイスラエルの人々にとっては、無くてはならぬ神様との絆を示すものであった。これほど、自分たちにとって大事なものを、シケムの人々は、どのように受け止めるか、信仰がないのに、ただダイナを嫁としたいばかりに受けるとすれば、そんな冒涜を許すことはできないということだったかもしれない。もしも、シケムの人々がそんなことはできないと言ってきたなら、17節でヤコブの息子たちが言っていたとおりに、何事もなく、彼らはシケムを立ち去ったかも知れない。
けれども、そうではなかった。割礼を受け入れるシケムの人々にも、下心があったのである。「割礼などたいしたことはない。それを受ければ、いずれヤコブの財産が自分たちのものになる」と彼らは相談した(23節)。このような下心は、ヤコブの息子たちに伝わったのかも知れない。そして、とうとう凶行が行われた。割礼の痛みに苦しんでいたシケムの男たちを、シメオンとレビが中心になって襲い、虐殺してしまったのである。略奪をし、女性や子供たちを捕虜にしたという。これに対するヤコブの言葉はまことに呆れたものであった。彼の頭には、現地の人々から憎まれ、除け者とされ、少数者となって危うくなるという考えしか浮かばなかったのである。シケムに土地を買って住もうとした彼の本心が滲み出た言葉だと思う。これに対し息子たちも、何ら凶行に及んだことを悔いることもなく「私たちの妹が・・・」と言うのであった。父ヤコブと息子たちの間には、大きな溝ができてしまっていた。これから、この家族はどうなってしまうのだろうかと思わざるを得ない。
2.こうした物語から、先ず示されるのは、凶行の発端には、シケムに土地を買い、首長の息子と娘が姻戚関係になることを喜び、そうして、この地においての小数者から抜け出ることを望んでいたヤコブの姿があるのではないかということである。
そもそもヤコブが伯父ラバンと別れて故郷に帰って来て、兄と再会をした後、神様が行けと言われた場所は何処だったのか。35章の最初、神様がヤコブに言われたのは「ベテルに上りそこに住め」であった。伯父ラバンのもとを立ち去ろうと悩んでいた最中に、彼に神様が言われたお言葉にも、またベテルがあった。創世記31章13節「わたしはベテルの神である・・・故郷に帰りなさい」とある。ヤコブは故郷に帰ったら、まずベテルを目指すべきだった。それが神様の御心であった。ところが、彼は、ベテルではなく、シケムに住んだ。ただ寄留しただけではなく、どれ位のお金を払ったかは分からないが、土地を買って住んだのであった。そして、心の何処かで、娘たちに土地の首長の息子とねんごろになってくれればと望んでいたに違いないのである。それが、凶行を引き起こさせた根本的原因なのであった。
ベテルを目指すとは、どのような意味を持っていたのか。それは、創世記28章に記された出来事を忘れないということである。原点に立つということを意味している。20年前、少なくとも40歳になっていたヤコブは、その人生に破綻を来していた。ずるがしこく、他人のものを常に奪おうとする人生を形づくってきた。目の見えなくなった父さえ騙し、兄からは殺されそうになるほど憎まれ、一筋、伯父さんを頼るというよすがだけはあったが、糸の切れた凧のように、彼は彷徨うしかなかった。たった独り、無一物で、石を枕に、荒野に横たわっていた。そこに、突如として、今まで彼自身は一度も礼拝したことなどない、祈ったこともない神様が、しかしながら祖父アブラハムと父イサクが、すっと信じてきた神様が現れて下さった。糸のない凧のように、彷徨うしかなかったヤコブに、天から梯子をかけ、彼にしっかりと糸を結んで、これから先は、どんなことがあっても、あなたを見捨てないと約束して下さったのだった。以来、ラバンのもとでの苦節の20年を、ヤコブは神様との絆によって支えられたのだった。そのよすがが、彼を、多くの家族と多く財産を持つ者にしたのだった。
ベテルを目指すとは、何よりも、20年前に与えられた、この神様との絆を思い起こせということであった。この絆がこの家族をつくったのだと一族に話して聞かせることであった。天の神との絆があれば、後のものはすべて添えて与えられるということを、一族で確認することであった。
3.しかし、ヤコブはベテルを目指すことをしなかった。シケムに土地を買い、そこに定住しようとした。それが、どれ程アブラハム以来の在り様から外れたものだったか。20年前のベテルを忘れ去る生き方であったか。私たちは、アブラハムがその生涯のなかで、やっと手に入れることのできた土地が、妻のサラを葬る墓地であったことを知っている。その息子イサク(ヤコブの父)は、生涯を通して土地を買い求めることはなかった。しかし、だからこそ、土地の人々からの度重なるいやがらせ(イサクが掘った井戸を横取りした)に対しても、そこを離れ、別の場所に井戸を掘り続けることによって、対処できたのであった。そして、そのような有り様において、祭壇を築き、礼拝を捧げた。祖父も父も寄留者であり旅人であり続けたのである。30節の言葉でいえば、この地において小数者であり、除け者であり、憎まれ者であり続けたのである。しかし、神様との絆があれば良し、としたのであった。
それに対してヤコブはどうであったか。確かに祭壇を築き、神様を礼拝してはいた。しかし、最初にしたことは、土地を買うことだった。先ず、土地を買って、そこで礼拝をしたのである。さらに、娘たちが土地の有力者と親戚になって、もっと豊かなものを手に入れることを望み見ていたのである。娘のダイナは、そういう父の思いに無意識のうちに応えようとしていたのだった。
皆さんに「この世で土地を買ってはいけない、家を建ててはいけない」と言っているのではない。そうではなく、私たち一人ひとりに、目指すべき、忘れてはならない原点のようなものがあるのだと示されるのである。それを忘れたとき、私たちに災いが降りかかる。不祥事が起こる。しかし、それは神様からの問いかけなのである。「何故、このような不祥事が起きたのか、良く考えてみなさい。あなたの目指すべき、立つべきベテルは何処ですか。今のあなたは、そこから離れてはいませんか」という問いかけなのである。改めて、自分にとっての原点、ベテルとは何処かを、考えさせられるのである。それは、ヤコブがはっきりと夢のなかで神様と出会ったというような、直接的な神様との出会いという場面ではないかもしれない。しかし、私たちが、その人となりを形成する上で、無くてはならない部分となっているものでもある。それを失ってしまったら、もうその人ではないといえるような、そういう部分なのである。それもまた、突き詰めれば、神様がその人に働きかけ、形づくって下さったものではないだろうか。
私の名前を付けてくれたのは、秋田県の横手で牧師をしておられた瀬谷重治先生である。私や姉の誕生日には、必ず、自宅を訪問して下さり、お祝いをしてくださった。ある時私は、誕生日のプレゼントにシュバイツァーの伝記をいただいた。以来、無医村で医者をするのがずっと夢であった。医者になる夢は、理系の科目の成績が余り振るわなかったという現実の壁ゆえに潰えてしまった。しかし、弁護士になろうとしたのも、養護施設や障害者施設に指導員となろうとしたことも、また、こうして牧師になったことも、突き詰めれば、同じ原点にあることだと思う。郡山では、ずっと脳性まひの人たちのためのボランティアの会長をさせていただいた。また、ホームレスの人たちに食事を差し上げる働きも出来たのだと思う。表立っての不祥事というのではないが、心のなかでは不祥事が起きている。それは、原点に立つこと、ベテルに向かうという大切な目的地を忘れて、シケムに留まり、土地を買い求め、御心でないところのものに心惹かれているからなのである。
20年前に、神様との絆が与えられ、20年間それに支えられてラバンのもとでの苦節を耐え、そしてヤボクの渡しでは神様と格闘した。神様との特別な出会いを重ねたヤコブであっても、なお、こうした欲というものは無くなることはなかったのである。
4.だからこそ、息子たちの凶行が起こったのだと示される。無論、決して、シメオンやレビがした凶行そのものを良しとするのではない。しかし、それが起きなければ、息子たちの凶行がなかったならば、ヤコブはこのままシケムに留まり、土地の長と姻戚関係を結び、もう二度とベテルを目指すことはなかったのではないだろうか。大切な原点を忘れてしまったのではないだろうか。
23節、シケムの人々は「彼らの家畜の群れも・・・我々のものになる」と言った。もしシケムの人々と親戚になったなら、ヤコブが失うこととなったのは、ただ、目に見える財産ばかりではなかったと思う。もっともっと大事なものは、シケムの人々の生き方とは決定的に違う、ヤコブ=イスラエルに固有な生き方ではなかったか。
ハモルや息子のシケムの言葉に繰り返し出てくるのは、「土地」に関する言葉である。「土地も十分あります(10節)」「土地を自由に使ってもらおう」「土地は十分に広い(21節)」。それを魅力にヤコブたちをこの地に取り込み、シケム達と同じ行き方をさせて、埋没させようということであった。シケムの人々にとって、生きることは、目に見える土地の上で営まれるものであった。広くじゅうぶんな土地さえあれば、生きていけるということであった。そのうえで財産が大事であった。だから、財産をヤコブたちから奪うことができるなら、割礼を受けることなど、何ほどのこともなかったのである。シケムの人々の在り方とは、徹底的に俗なる在り方であった。神様という存在とのつながりとか、そのよすがとしての割礼とか、そんなものは全く意味を為さない生き方なのであった。このまま行けば、父ヤコブは彼らに取り込まれてしまったであろう。息子たちが取った手段は許されないことだったが、31節の最後で、息子たちが父に言った「わたしたちの妹が娼婦のように・・・」との言葉は大切なものである。
アブラハム、イサク、ヤコブ、そして、それを引き継ぐであろう自分たちにとって、侵されてはならない何かがある。侵されてはならず、失ってはならないものが侵されようとしたゆえに、息子たちは必死に抵抗したのであった。彼らの取った手段は、決して許されるものではない。しかし、彼らの思いの根底にあるものについては、共感できるのではないだろうか。
筑波学園教会牧師 福島 純雄
2014年 6月22日 聖霊降節第3主日礼拝
05:16わたしが言いたいのは、こういうことです。霊の導きに従って歩みなさい。そうすれば、決して肉の欲望を満足させるようなことはありません。 05:17肉の望むところは、霊に反し、霊の望むところは、肉に反するからです。肉と霊とが対立し合っているので、あなたがたは、自分のしたいと思うことができないのです。 05:18しかし、霊に導かれているなら、あなたがたは、律法の下にはいません。 05:19肉の業は明らかです。それは、姦淫、わいせつ、好色、 05:20偶像礼拝、魔術、敵意、争い、そねみ、怒り、利己心、不和、仲間争い、 05:21ねたみ、泥酔、酒宴、その他このたぐいのものです。以前言っておいたように、ここでも前もって言いますが、このようなことを行う者は、神の国を受け継ぐことはできません。 05:22これに対して、霊の結ぶ実は愛であり、喜び、平和、寛容、親切、善意、誠実、 05:23柔和、節制です。これらを禁じる掟はありません。 05:24キリスト・イエスのものとなった人たちは、肉を欲情や欲望もろとも十字架につけてしまったのです。 05:25わたしたちは、霊の導きに従って生きているなら、霊の導きに従ってまた前進しましょう。 05:26うぬぼれて、互いに挑み合ったり、ねたみ合ったりするのはやめましょう。
1.15節には「だが、互いにかみ合い、共食いしているのなら、互いに滅ぼされないように注意しなさい。」とあり、26節には「うぬぼれて、互いに挑みあったり、ねたみあったりするのはやめましょう。」と書かれている。昔から問題とされ、今でもなお解決がついていないのは、ここで書かれている「互いにかみ合っている人々」とは、いったい誰を指しているのかということである。どうしても触れなければならないことなので、先ずこの点から話を始めたい。
一つの考え方としては、これは、この手紙で、ずっと中心的な問題として取り上げられてきた「神様によって義とされる」ということについて、ただイエス様を信じるだけで良いとする人々(これはパウロの仲間であるわけだが)と、いや、それだけでは足りず、割礼を受けることや、律法の行いも不可欠だと主張する人々との咬み合いであり、対立を指しているとする理解がある。しかし、そうだとすると、15節の直前の12節でパウロが、割礼が必要だと主張する人々に対して「いっそのことみずから去勢してしまえばよい」と、かなりひどい言葉を浴びせて、まさに「かみついて」いるわけであるから、それをしているパウロ自身が、その舌の根も乾かないうちに、自分自身に対して「そういうことはやめなさい」と語るというのは、どうしても考えにくいのではないかと私は感じている。
そこで、もう一つの理解としては、神様によって義とされることについて、ただイエス様を信じるだけで良いとしているパウロの仲間内で起きていた対立を指しているとも考えることができるのである。「共食い」という言葉は、まさにそれにぴったりではないかと私は感じる。「イエス様によって神様に義とされたのだ。すなわち、神様との壊れることのない絆を結ばれ、固い同盟関係の下に置いていただいた。」ということで、「もう何をしても大丈夫だ。自由なのだ。」と言って、「肉に罪を犯させ(13節)」、19節に列記されているような「肉の業」を行ってしまう人々が出ていたらしい。そういう状態は、ガラテヤ教会だけではなく、たとえば、コリント教会にも見られたことであった。そうした人々の存在は、「だから律法の行いが不可欠なのだ。律法のしばりだが、希望がなくてはならない。」との主張を勢いづかせることにもなったかも知れない。
このように考えると、互いにかみ合うという対立は、イエス様を信じ、神様によって義とされていた人々の間で起きていたことだったとわかる。そういう人々の中に、肉の業にふける人々が出てきたための対立だったということがわかってくる。
2.このことは、私たちにさまざまな問いかけをしてくれる。それは、先ず何より、「肉の思い」、「欲望」というものが、それほど根強いものなのだということへの気づきである。24節に「キリスト・イエスのものとなった人たちは、肉の欲情や欲望もろとも十字架につけてしまったのです。」と書かれているが、そのようにイエス様を信じ、イエス様のものとされた私たちの中にも、「もう肉の思いや欲望などとは無縁で、肉の業にふけることはない存在なのだ」と思いこんでいる者がいる。そうした思いをなお抱き、行いをするのは、信仰が弱いからだと言う人もいる。また、教会の中に、かみ合いや共食いが起こる現実を見て、「こんな有り様は教会に起こってはいけないことだ」と思って、その教会から、ひいては教会生活そのものに躓いてしまう者もいる。イエス様を信じ、洗礼を受け、固く神様との絆を結んでいただいた以降も、なお、こうして肉の思いに引っ張られて歩んでしまう私たちの実情があり、また、それゆえの教会の対立があるのならば、「いったい、洗礼を受けてクリスチャンとして歩むことの意義はどこにあるのか」と思う人々もいるであろう。
しかし、もちろんパウロも、決してこのような状況を良しとしていたわけではなく、「注意しなさい」「やめましょう」と勧めていたわけであるが、そうした現実が、自分の仲間たちのなかにあるということも直視していたのである。「肉と霊とが対立し合っているので、あなたがたは、自分のしたいと思うことができないのです(17節)」という現実は、決して未信者や律法の行いが不可欠と主張する人々にあるものではなくて、イエス様を信じ神様との絆を結んでいただいた自分たちの仲間に生じている実情であることを、正直に認めているのである。これを、クリスチャンにはあり得ない事実として語ってはいないのである。むしろ、そういう悲しい実情があることを認めたうえで、それを認めればこそ、「だから肉の思いではなく、聖霊の導きによって生きようではないか」と勧めているのである。
私たちは、なお、肉の欲に引っ張られてしまう存在なのであるが、だからこそ、そのことに気づき、その問題を自覚し、「肉の思いではなく、聖霊の導きによって歩みたい」と願うものなのだと思う。私たちは、病気から完全に癒された者ではなく、自分が病んでいることに気づき、その治療を求める患者なのである。反対に、クリスチャンではない人々とは、そもそも自らの病に全く気がつかない人のことだと思う。肉の欲をもち、その業にふけっている自らの深い問題に気づいていない人々のことなのである。
3.では、そもそも、私たちに深く絡みついている肉の思いとは、如何なるものなのであろうか。どうして、そのように、たとえクリスチャンとなった私たちでさえ、切除することができないのであろうか。
聖書の最初の章である創世記1章においては、神様は私たち人間だけを、他の動植物とは違って、ご自分に似せて、かたどってお造りになったと書かれている。神様が、私たちだけに刻んだ似姿とは何かについては、いろいろな考え方があるが、創世記1章1節で「はじめに神は天地を創造された」とあることから、私は、創造性だと思っている。創造性は目の前にあるものに対して、主体的・支配的にかかわってくる。だから、神様は人を創造された直後に、人を祝福して「従わせよ、支配せよ」と言われたのである。すぐに私たちは「従わせる」とか「支配する」という言葉を、あまり良くない言葉と考えてしまうが、神様は、人間を祝福してそう言われたのである。私たちが、目の前のものを支配し、従わせるように係わるのは、創造性を発揮する上で不可欠な行為なのである。神様から祝福されている有り様なのである。
先日、私は、以前に読んだことのある本を、何気なく手に取った。著者は、日本理化学工業の社長であった大山泰弘さんである。日本理化学工業は、黒板に書くときに使うチョークを製造している会社であるが、社員の7割以上が知的障がい者なのだそうである。この本の題名は「利他のすすめ」という。1960年に、養護学校の先生から是非にと頼まれ、「試しに」ということで、しぶしぶ採用したことがきっかけだったという。あるとき、結婚式に招かれた大山さんは、その披露宴で、たまたま隣の席だった僧侶に、「うちの工場には、知的障がいを持つ二人の少女が働いています。施設にいれば楽ができるのに、なぜ私の工場で働こうとするのかわかりません。」と話しかけたという。するとその僧侶は、「人間の幸せは、ものやお金ではありません。人間の究極の幸せは4つです。人に愛されること、人に褒められること、人の役に立つこと、そして人から必要とされることです。愛されること以外の3つの幸せは、働くことによって得られます。障がいを持つ人たちが働こうとするのは、本当は幸せを求める人間の証しなのです。」と答えてくれたそうである。
大山さんは、「働く」と言う言葉を、その漢字のつくりにしたがって、「人が動く」と理解したが、「人が動く」ということこそ、創世記にあるように、人が自らその意思によって自分を動かし、従わせるという支配性の現れではないだろうか。神様から祝福としていただいていた「支配し従わせる賜物」を用いて、私たち人間は、自らが置かれた環境に創造的に係わって幸せを作り出すようにされたのである。22節に列記されている「霊の結ぶ実」を味わって、幸いを得るようにされたのである。
ところが、この神様から人間だけが授かった支配性、すなわち従わせる力が、良い実を結ぶのではなく、19節に書かれているような悪い実を結ぶように用いられてしまうのである。ここには、16の事柄が列記されているが、その約半分は支配欲・権勢欲であるのに気づかされる。人が自ら動き、自らを動かすことで、良い意味で、自らを支配し従わせて幸いを得る筈が、他の人を支配し従わせることを幸いと感じてしまうのである。「姦淫・わいせつ・好色」といったことも、考えようによっては、自らの肉体やこうした行為をする相手の肉体を使って、それを悪しき意味で支配して、歪んだ喜びを得ようとすることであろう。偶像礼拝や魔術も、突き詰めれば、人生を思い通りに支配したいとの欲望からのことなのである。
肝腎なことは、こうした肉の思い・肉の業が、突き詰めれば、神様が私たち人間だけに刻んで下さった神様の似姿に由来するということなのである。そうであればこそ、これを私たちから切除することは不可能なのである。癌細胞が、根源的には、私たちの身体の細胞が分化し再生して行こうとする生命の根源に根差しているがゆえに、癌細胞を切除することが極めて難しいように、私たちの肉の思い・業もまた、神様が私たちに刻み、祝福して下さった賜物に根差しているので、容易には切除できないのである。
4.私たちは、創造の初めから、このような霊と肉の対立のなかに置かれているのである。だから、私たちをこのような存在として造られた神様の苦悩もまた、ここにあり、何とかして私たちをここから救い出そうとされる神様の熱情がある。それは、私たちを、このように創造された神様の、言わば、「製造者責任」といえる。それでは、如何にして神様は、私たちを肉の思い・業から救い出そうとされるのか。それは、神様の似姿を、また支配性や従わせる力を、私たちから奪い取ることによってではないのである。そうすることは、神様ご自身が創世記1章を否定なさることになってしまう。では、どのようにしてなのか。
それは、イエス様によってであり、また、聖霊の導きによってなのだと示される。24節にあるように、私たちがイエス様を信じ、とくに洗礼を授けられたということは、ここに言う「キリスト・イエスのものとなった」ということである。私は、それは結婚に譬えられると思う。パウロも第一コリント7章4節で言っているが、結婚によって、私たちの身体は伴侶のものとされたのである。伴侶は配偶者の身体を意のままにする権利を持っているとパウロは言っていた。もちろん、それは文字通りではないが、様々な事柄において、そうなのである。いただく給料も伴侶が自由にする権利を持っている。たとえば、私たち夫婦の場合は、そうしている。しかし、だからといって、それは完全に自分の思いや意思ががくなるわけではなく、人格の自由はあるのである。それががくなれば、結婚とは言えない。ただの奴隷的な状態に過ぎなくなってしまう。
私たちがイエス様のものとなるというのも、同じような間柄なのである。そこにあるのは、何よりも人格的な自由な関係である。復活し、昇天されたイエス様が、ペテロに現れて、3度、「あなたは私を愛するか」と尋ねられた。天におられるイエス様にとって、ご自分とペテロ、また私たちとの関係の根幹には、ただ愛するという人格的な自由な関係しかないということである。だから、私たちがイエス様を信じ、愛し、そのものとなったとはいっても、私たちの肉が、私たちに肉の業を犯させてしまうのである。私たちの根源的な部分までが、なくなってしまうわけではないのである。いや、もし、そこがなくなってしまったら、イエス様を愛し、信じて、人格的な関係を結ぶということも不可能になるのではないだろうか。しかし、イエス様のものとされ、イエス様と人格的に結びつけられた者として、決定的な影響を、そこから受けて生きることには間違いないのである。
そこには、「人が動く」という文字から教えられたように、私たちが自ら動いて、心や身体に働きかけ支配し従わせて、イエス様のものとされた者としてふさわしく生きようとする主体性がある。肉の欲によって動かされる者ではなく、イエス様のものとされたゆえに、それに相応しく聖霊に導かれて生きたいとの願い求めが起きるのである。放っておけば、たとえクリスチャンとなったといえども、私たちは、肉の業へと向かってしまう。だから、その問題に気づいて、聖霊の導きを祈り求めるのである。
「求めよ、さらば与えられん」との教えである。イエス様は、求めることを、とても重要なこととして、教えられた。はっきり言えば、求めることが与えられる前提条件でさえある。求めなければ与えられることはない。しかし、求めるなら、とくに、聖霊を求めるなら、神様は必ず与えてくださる。求めるということこそ、自ら動くことである。自らの歩みに、支配的に係わり、その心を従わせることなのである。その求めに応えて、必ずや、神様は聖霊の実りを結実させてくださる。
筑波学園教会牧師 福島 純雄
2014年 6月15日 聖霊降節第2主日礼拝
11:05また、弟子たちに言われた。「あなたがたのうちのだれかに友達がいて、真夜中にその人のところに行き、次のように言ったとしよう。『友よ、パンを三つ貸してください。 11:06旅行中の友達がわたしのところに立ち寄ったが、何も出すものがないのです。』 11:07すると、その人は家の中から答えるにちがいない。『面倒をかけないでください。もう戸は閉めたし、子供たちはわたしのそばで寝ています。起きてあなたに何かをあげるわけにはいきません。』 11:08しかし、言っておく。その人は、友達だからということでは起きて何か与えるようなことはなくても、しつように頼めば、起きて来て必要なものは何でも与えるであろう。 11:09そこで、わたしは言っておく。求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。門をたたきなさい。そうすれば、開かれる。 11:10だれでも、求める者は受け、探す者は見つけ、門をたたく者には開かれる。 11:11あなたがたの中に、魚を欲しがる子供に、魚の代わりに蛇を与える父親がいるだろうか。 11:12また、卵を欲しがるのに、さそりを与える父親がいるだろうか。 11:13このように、あなたがたは悪い者でありながらも、自分の子供には良い物を与えることを知っている。まして天の父は求める者に聖霊を与えてくださる。」
1.本日の聖書箇所は、4節までの『主の祈り』に引き続き、イエス様が私たちに、祈り求めることを勧め励まして下さったものである。この「求めよ、さらば与えられん」というイエス様のお言葉は、クリスチャンでない人でも、聖書を一度も読んだことのない人でも、何処かで耳にしたことのある言葉であろうと思う。
さて「求めよ」とのイエス様のお言葉を聞くと、私のなかに、どうしてもかき消すことのできない強さをもって、ある言葉が響いてくる。それは2007年に出版された、ある本のタイトルである。その本は、既に90歳を超えられた加嶋祥造という哲学者による詩集のようなもので、そのタイトルは『求めない』という。加嶋さんは、この本の後書きの中に、つぎのようなことを書いておられた。「一昨年の夏、突然、私の胸中に『求めない』で始まる語群が次々と湧きだした・・・4ヶ月の間に、こういう短句が150ほどと、短詩13編がノートに記された。これは私のなかに小爆発が起きたのであり、長い年月の文筆生活でもごく稀なことである。・・・現在の私たちの生活は、自分の好むと好まざるとにかかわらず、求め過ぎている。いや、求めるように促されている! そこをポイントにして出てきた言葉なのである。」と。さらには『求めない』という思想を発した人たちのなかには、イエス・キリストもいるというのである。
本の中の言葉を少し紹介したい。
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求めない - すると 簡素な暮らしになる
求めない - すると いま十分に持っていると気づく
求めない - すると いま持っている者が 活き活きとしてくる
求めない - すると 心が静かになる
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加嶋さんは「求めない」という思想はイエス様も教えられたものだと仰る。だとすると『求めない』ということと『求めよ』とのイエス様のお言葉とは、一体どのように矛盾なく受けとめることができるのだろうか。
2.もう一つ、祈り求めるということを考えるとき、どうしても忘れることのできない思い出がある。もしかすると、既に説教のなかで紹介したことがあるかも知れないが・・・。
郡山にいた頃、児童向けの小さな書店をやっておられたTさんと、不思議な縁で知り合うこととなった。知り合ったきっかけは、Tさんの母親が、死期の迫っったご主人を車椅子に乗せて郡山教会を訪ねて来られたことからだった。いろいろと話をしていくと、何とそのご主人は、私が高校生のときに、仙台の教会から私の郷里の教会に赴任してこられたT牧師の叔父にあたる人だとわかった。したがって、本屋をしているTさんは、その牧師の従兄弟にあたる。そんなことでTさんとは早速、教会の付属施設に定期的に本を届けていただくような間柄になった。さらに、Tさんが私と同じ大学の同じ学部の少し先輩であることもわかった。
あるとき、そのTさんの帰り際に「お祈りをしましょう」と私が言うと、彼は真顔になって「私は決して祈らない、金輪際、お祈りはしないと心に決めている」と言われた。そのときに、どういう会話をしかは覚えてはいないが、なぜ彼がこのようなことを言うようになったかについては - 彼の母上の話に、私の勝手な想像が入っているかも知れないが - 記憶している。彼の祖父、つまり車椅子で連れて来られた方の父上は、東北ではかなり名の知れた牧師であった。苦労をして、ある教会を開拓なさった。その苦労のなかで、当然、祈りに祈った。ところが、祈り求めれば求めるほど、それによって家族が重圧を受け、教会員もまた、分断されていったという。とくに、牧師の家に嫁いだ(牧師の息子と結婚した)信仰のなかったTさんの母上の辛さは、並大抵ではなかったようである。
たとえば皆さんも、もし信仰を持たない伴侶がおられたら、いつか信仰を持つようにと、また、いつか教会に来てくれるようにと祈られるだろうと思う。しかし、これをその伴侶の前でやると、祈る者には決してそのつもりはなくとも、信仰のない人にとっては、どうしても神様の名によって非難されているというように感じてしまう。それが、信仰を持たない人にとっては、重圧になるのである。そして、夫婦の絆を分断することにさえなってしまうのである。そういうあり様を幼いときからずっと見て来て、彼は祈り求めることをすまいと、心に決めたのだと想像できる。車椅子に乗って来られた彼の母親のご主人も、教会から離れ、信仰というものに強い抵抗を覚えて生きてこられたという。
3.以上のように「求める」ことへの深い問いかけというものがあり、私もそれに強く共感する。だからと言って、では私は祈り求めることをしないかと言われると、決してそんなことはないのである。むしろ、どんなに禁じられたとしても、祈ることをやめるわけにはいかない。加嶋さんは「求めない - すると、いま十分に持っていると気づく いま持っているものが活き活きとしてくる」といわれた。しかし、なぜ祈り求めざるを得ないかというと、どうしたって、「自分のなかには絶対に無いものがある」という思いがあるからである。それは、人間が自分自身では絶対に作り出すことができないビタミンやミネラルのように、天の神様から与えていただくしかないものなのである。なぜ私は神様を信じるか、なぜ祈るのかといえば、根本的には、ここに突き当るからである。じゅうぶんに持っているとは到底言い得ない飢えや欠乏や不健全さというものが、私たちにはあると思う。それは、天の神様に解決していただくしかない欠乏であり、病いなのである。イエス様が主の祈りのなかで教えられた幾つかのものは、まさにそのようなものだったのである。そして、今日の御言葉の最後で、イエス様が聖霊について言及されたのは、聖霊こそが私たちのこうした「欠け」を埋める最もふさわしい存在だということであろう。
イエス様が「求めよ、さらば与えられん」と仰って下さるものとは、このように、天におられる神様だけが私たちに与えて下さるものである。言い方をかえれば、求めることを神様が大いに喜び、「あぁ、良くそれを私に求めてくれた。その欠けに良く気がついてくれた。」と仰って下さるものが、求めよ、と言われている事柄なのである。だから、そうでないものは求めてはならないのであり、求めることは却って重圧や分断を引き起こすことになると教えられているのではないだろうか。
4.このことから、5節から8節にかけて、イエス様が弟子たちにお話しになったたとえ話も、正しく理解できるように思う。うわべだけを読んでしまうと、イエス様が教えておられるのは「執拗に頼むこと」であるかのように理解してしまう。「どんなことでも叶えられるだろう」ということになってしまうのではなかろうか。しかし、これでは、まさに加嶋さんが語っていたような「求め」になってしまうのではないだろうか。主の祈りの最初で、イエス様は「御名が崇められますように」と祈るように教えられた。それは「天におられる父である神様をおとしめることのないように」ということである。だから、私たちの祈り求めも、天におられる神様が私たちに与えて下さるのにふさわしい事柄を祈り求めなければならない。それを求めることを神様が喜ばれ「良くあなたはその欠けにきづき、それを私に求めてくれたね」と言って下さるようなものを願わなければならない。そういう祈り求めであることによって初めて、執拗にしつこく求めることが良しとされるのである。しつこさに、言わば大義名分が授かるのである。祈りについて教えられた御言葉には、しばしば「神の御心にかなうこと」との注意書きが付けられている。たとえば第1ヨハネ5章14節でも「何事でも、神の御心に適うことを私たちが願うなら、神は聞き入れてくださる」とある。
ここで、たとえとして教えられているのは、まさにそのような願いなのだと思う。ある人のところに突然、旅の途中の友が訪ねてきた。しかし、何も出すものがなかった。自分自身においては、空腹の友に出してやる食べ物は一片もなかった。だから、どんなことをしてでも、友人を叩き起こしてでも食べ物を貰う大義名分があった。それは、自分自身の利益のためではなかった。ひたすら、空腹の友のためだったのである。
5.そうだったから、甚だ重要なことは、いったい私たちが求め願うもののうち、どのようなものが天の神様の喜びたもうものなのか、イエス様が「求めよ」といわれるところの、神様の御心に適うものなのかを吟味することなのである。しかし、そうなると私たちは、すぐに、祈りを事前に検閲するようなことをしてしまって、そもそも祈ることができないという状況に陥ることもしばしばである。そこで、示されるのが次のようなことなのである。
「祈りなさい」と訳された言葉の、そもそもの意味には「ゆるまず祈り続ける」というニュアンスが込められているそうである。直前のたとえ話でも言われていることである。だから、その祈り求めというものが、果たして、神様の喜びたもうものかどうかを知るためには、その祈り求めを私たちが粘り強く、不断に続けることができるかどうか、このたとえ話にあるように、恥も外聞もなく、大胆に求めることができるかどうか、もしそれが出来るならば、それは客観的に神様の御心に適った求めとして考えても良いのではないかと示される。
粘り強くということのなかには、一人で粘り強くということだけではなく、むしろ教会全体の祈りとして、皆が心から「アーメン」と、確信をもって祈れるということが含まれていると思う。だからこそ皆によって不断に祈られる祈りとなるのである。たとえば、さきほど紹介した信仰のない配偶者のために祈ることは、その信仰のない方と共に、ずっと絶えることなく祈れるものであろうか。相手に重圧や批判を感じさせるような祈りとして、遅かれ早かれ続けることが出来なくなる祈りではないだろうか。独り密室の祈りとしてはできるけれども、到底「公同の祈り-教会全体で祈ることのできる祈り-」ではない祈りというものがある。全世界の人々が、共々にアーメンと言えない祈りがある。それは、神様の御心に適う祈り求めとはいえないのである。
6.もう一年ほどになるが、聖書研究祈祷会の前に必ず、病を得た一人の若い兄弟のために、絶えることなく、粘り強く祈って来た。この祈りは、御心に適う祈りであり「さらば与えられん」との確かなお約束が伴なった祈り求めなのだと示される。病気そのものの癒しということについては、私自身、それを祈り求めることに確信がない部分があるのは正直なところである。というのも、パウロが肉体のとげについて3度(何度も)神様イエス様に祈ったとき、その病気は癒されなかったけれども「私の力は弱いあなたにこそじゅうぶんだ」とのイエス様の御言葉を授かり、パウロが弱さをこそ誇れるようになったという出来事が、第2コリント書の12章に書かれているからである。この粘り強い祈りは、ただ独りの祈りではなく、教会全体の祈りとしての粘り強さということから考えると、確かに、パウロ独りの粘り強さはあった。しかし、教会全体でアーメンと言えるかという点ではどうだろうか。そのパウロの祈りを、ある教会の人々が知ったならば、「先生、あなたが十字架のイエス様の弱さを福音として私たちに伝えられたのは、先生の肉体のトゲゆえでしょう。ですから、それを取り除いて欲しいなどと祈らないで下さい」と言われるかも知れないのである。沢山の取り除くことのできない弱さを抱えた人々は、その祈りにアーメンとは言えないのではないだろうか。しかし、病いそのものの癒しは求めることはできなくとも、そこにおいて神様だけが与えてくださる天からの糧があり、罪からの解放があり、誘惑する者からの守りがあることは確かなのである。それは、イエス様が祈りなさいと、主の祈りのなかで教えて下さった求めであり、それを求めることは神様の大きな喜びであり、それは必ず与えられるものなのである。
筑波学園教会牧師 福島 純雄
2014年 6月8日 聖霊降臨日主日礼拝
33:01ヤコブが目を上げると、エサウが四百人の者を引き連れて来るのが見えた。ヤコブは子供たちをそれぞれ、レアとラケルと二人の側女とに分け、 33:02側女とその子供たちを前に、レアとその子供たちをその後に、ラケルとヨセフを最後に置いた。 33:03ヤコブはそれから、先頭に進み出て、兄のもとに着くまでに七度地にひれ伏した。 33:04エサウは走って来てヤコブを迎え、抱き締め、首を抱えて口づけし、共に泣いた。 33:05やがて、エサウは顔を上げ、女たちや子供たちを見回して尋ねた。「一緒にいるこの人々は誰なのか。」「あなたの僕であるわたしに、神が恵んでくださった子供たちです。」ヤコブが答えると、 33:06側女たちが子供たちと共に進み出てひれ伏し、 33:07次に、レアが子供たちと共に進み出てひれ伏し、最後に、ヨセフとラケルが進み出てひれ伏した。 33:08エサウは尋ねた。「今、わたしが出会ったあの多くの家畜は何のつもりか。」ヤコブが、「御主人様の好意を得るためです」と答えると、 33:09エサウは言った。「弟よ、わたしのところには何でも十分ある。お前のものはお前が持っていなさい。」 33:10ヤコブは言った。「いいえ。もし御好意をいただけるのであれば、どうぞ贈り物をお受け取りください。兄上のお顔は、わたしには神の御顔のように見えます。このわたしを温かく迎えてくださったのですから。 33:11どうか、持参しました贈り物をお納めください。神がわたしに恵みをお与えになったので、わたしは何でも持っていますから。」ヤコブがしきりに勧めたので、エサウは受け取った。 33:12それからエサウは言った。「さあ、一緒に出かけよう。わたしが先導するから。」 33:13「御主人様。ご存じのように、子供たちはか弱く、わたしも羊や牛の子に乳を飲ませる世話をしなければなりません。群れは、一日でも無理に追い立てるとみな死んでしまいます。 33:14どうか御主人様、僕におかまいなく先にお進みください。わたしは、ここにいる家畜や子供たちの歩みに合わせてゆっくり進み、セイルの御主人様のもとへ参りましょう。」ヤコブがこう答えたので、 33:15エサウは言った。「では、わたしが連れている者を何人か、お前のところに残しておくことにしよう。」「いいえ。それには及びません。御好意だけで十分です」と答えたので、 33:16エサウは、その日セイルへの道を帰って行った。 33:17ヤコブはスコトへ行き、自分の家を建て、家畜の小屋を作った。そこで、その場所の名はスコト(小屋)と呼ばれている。 33:18ヤコブはこうして、パダン・アラムから無事にカナン地方にあるシケムの町に着き、町のそばに宿営した。 33:19ヤコブは、天幕を張った土地の一部を、シケムの父ハモルの息子たちから百ケシタで買い取り、 33:20そこに祭壇を建てて、それをエル・エロヘ・イスラエルと呼んだ。
1.本日は聖霊降臨日(ペンテコステ)の日であるが、特にそれに因んだ聖書箇所を読むことはしない。
さて、今日の御言葉は、ヤコブが20年ぶりに、かつて自分を殺そうとするほどに憎んだ双子の兄、エサウと再会をする場面が描かれたところである。ヤコブは、この再会を悩み、できるなら避けたいと思っていたようである。故郷のパレスチナと、その北東側を分ける自然の境界線としてヤボク川という川があり、そこにヤボクの渡しがあった(32章24節)。家族をすべて渡らせた後、ヤコブ1人がそこに留まっていた様子が書かれている。ラバンのもとを去ろうとしていたとき、神様はヤコブに「故郷に帰れ」とは言われたが「エサウと再会をせよ」とは明言されてはいなかった。だからヤコブは、わざわざ危険を冒して兄と再会をしようとは思ってはいなかったようである。故郷に帰ったとしても、兄に頼らずとも自活できるだけの財産がヤコブにはあった。現に、今日の御言葉の12節以降には、「一緒に行こう(住もう)」との兄の誘いを巧みに断って、そそくさと別の場所に住まいを定めたヤコブの姿が書かれている。だから、兄との再会は、ヤコブ自身の思いとしては、必要欠くべからざることではなかったのである。むしろ、避けたいことだったのである。
しかし、それは神様の御心ではなかった。だから、神様は32章2節で「これは神の陣営だ」とヤコブが叫ぶようなお姿で彼に現れ、またヤボクの渡しにおいても、不思議な姿の者として彼と格闘し、彼の腿の関節を外し、足に障碍を与えたのだった。その出会いによって、神様はヤコブに勇気を与え、エサウとの再会へと向かわせて下さったのであった。
2.それでは神様は、なぜヤコブにエサウとの再会をさせようとなさったのか。それは、双子の兄弟が20年も仲違いしたままで、このまま音信不通になってしまうのは良くないから仲直りさせよう、和解させようといった御心ではなかったと思うのである。もし、仲直りや和解というのなら、心にもない嘘を13節以下で語って、そそくさと兄と別れていくヤコブの姿は、それにはふさわしくないように感じられる。
そもそも、何故ヤコブとエサウがこうなってしまったかというと、それは誰が悪かったからというのではなく、突き詰めれば神様の、人間には量り知ることのできない深い御心からのこと、ご計画からのことだったと思うのである。彼らの両親イサクとリベカには、長く子供が授からなかった。祈りに祈ったイサクの願いを神様が聞きいれ、双子を授けた。しかし双子は、リベカの胎内にいるときから争っていた。不吉を感じたリベカが神様に問うと、「兄が弟に仕えるようになる(創世記25章23節)」と神様は言われた。そこからが、この家族の葛藤の始まりであった。双子の兄エサウは、たくましい狩人となって、肉の好きな父の愛情を得た。兄の踵をつかんで、やっとこさ生まれてきた弟のヤコブ(踵=アーケーブから、ヤコブと名前が付けられた)は、父の愛情を得られず、母からは溺愛され、埋め合わせるために、まことにずる賢く常に兄のものを奪い取ることばかりを考える人間に成長した。そして、母と共謀して、目が見えなくなった父を騙して、兄が貰うべきものを奪い取り、その兄に殺そうとされるほどに憎まれ、家を出ざるを得なくなったのであった。
こうして見ると、誰が悪いとも言えないのである。神様のご計画が根底にあったのである。だから、ヤコブが20年前に家を出て、そのまま兄と会わないということは、この神様のご計画を受け入れず、これを自らの人生から排除し、目を背けてしまうということになるのではないか。だから、神様は、何としてでもヤコブをエサウと再会させ、単に仲直りや和解ではなく、エサウという存在、またエサウとの間がこうなってしまった家族の現実を、在りのままのものとして受け入れ、それを含み込んだものとして、これからの人生を生きていくようにされたのである。それが、神様の奥深い計画をも受容することになったのである。エサウとの間柄は、つかず離れずでも良かった。別に無理をして一緒に生活をする必要はなかった。それは無理なのであった。何故ならば、兄が弟に仕えるという神様の約束はどこまでも生きていたからである。そのご計画の前には、どうしても兄と弟の間には溝が横たわっていたからである。これを人間が乗り越えたり解消したりすることはできないのである。しかし、エサウの存在を現実として受け入れ、微妙な間隔をとりながら共に生きていくことは、神様のご計画を受容することなのである。その上で、これからの人生を築いて行くのである。
3.私たちの人生においても、このように、出会うことを望まないとか、再会したくないとか、できることなら人生から排除してしまいたいとか、そういうふうに思うことがある。復活し昇天されたイエス様は、ペテロに現れて「年をとると、両手を伸ばして、他の人に帯を締められ、行きたくないところへ連れて行かれる」と言われた。しかし、その姿こそが、死によって神の栄光を現す有り様だとイエス様が言われたのだと、著者のヨハネは注釈した(ヨハネによる福音書21章18節後半~19節)。他の人に帯を締められて、行きたくないところへ連れて行かれるとは、まさしく私たちにとっては、出会いたくないし、排除してしまいたくなるような場面である。けれども、そのような在り方が、私たちをして神様の栄光を現させるというのが、神様のご計画なのである。私たちはこれを受容するしかない。これを排除し、目を背けては、神様からの良いものを受け取ることができないのである。「これと出会って行きなさい」「直面して行きなさい」と、神様は励まして下さる。そのために神様が与えて下さったのが、32章23節以下に書かれたヤボクの渡しでの神様との格闘だったのである。
そこにこそ、聖霊を注がれることの不可欠さがあるのだと思う。私たちだけの思いや考えでは、エサウと再会することはできない。33章1節と2節に、ヤコブが家族を幾つかの組みに分けた様子が書かれているが、それは、万が一の時に備えたためであった。もしかすると、密かに武器も備えていたかもしれない。人間の考えだけでは、400人を連れてやってくるエサウを見て、恐れに駆られて、先制攻撃をかけてしまったかもしれない。
先週木曜日の聖書日課の一つに「肉に従って歩む者は、肉に属することを考え、霊に従って歩む者は、霊に属することを考えます。肉の思いは死であり、霊の思いは命と平和であります(ローマの信徒への手紙8章5節と6節)。」と書かれていたのを思い出した。肉の思いとは、エサウとの再会を避け、それを恐れる気持ちである。それは、戦いと死を生じさせてしまったかもしれない。しかし、そのようなヤコブを、神様は導いて、霊の思いを与えて、彼にエサウとの再会を無事に果たさせ、これを乗り越えさえて下さったのである。これが、聖霊の御業である。ヨハネによる福音書では、聖霊はパラクレートスと呼ばれている。それは、助け手とか弁護者と訳されている。弁護士は法律や真実に則って、私たちに進むべき方向をアドバイスして下さる。時には法の強制力を行使して、当事者を進むべき道へ誘ってくれるのが弁護士である。聖霊は、私たちに神様の御心に沿うような導きを与え、時には強制力をもってしても、私たちを相応しい方向へ進ませて下さるのである。そのような弁護者が私たちには不可欠なのである。こうして、霊の思いをいただいて、命と平和へと導かれていくのである。
4.さて、32章23節以下に書かれている出来事から、ヤコブはどのような導きや勇気をいただいたのであろうか。肉の思いが全く無くなったのではなかった。それは尚あったのである。だから、家族を幾つかに分けたのである。しかし、そのようにしつつも、彼は「先頭に進み出て、兄のもとに着くまでに七度地にひれ伏した」のであった。このようなヤコブの姿が先ずあったので、エサウは4節の態度をとるようになった。そして、ヤコブをこのような姿にさせたのは、神様からの導きだったのである。聖霊の強い促しだったのである。
私が、何よりも聖霊の導きと感じるのは、ヤコブが神様の使いとの格闘のなかで腿の関節を外され、足を引きずる者にされたことである(32章24節)。神様との格闘は、ヤコブを障碍を担う者にしてしまった。エサウは、このヤコブの姿を先ず見たであろう。20年の間に、どれほどの苦労をしたか、その現れを端的に見た。それは、嘘偽りではなかった。そこに同情したのであろう。或いは、20年前の憎しみが、そのヤコブの姿を見たことで、溜飲を下げ解消し、歩みよらせることになったのではなかったか。聖霊による強い導きとは、私たちに火のような聖霊が注がれるということは、しばしば、私たちにこのようなハンディを背負わせ、弱さを担わせ、私たちを外形として客観的に低くならざるを得ない者とされることに於いて、現れるのではないだろうか。私自身、まだまだ、そのような有り様が足りないし、私たちの教会もまた「足を引きずる」者とされることが足りないとしみじみ思う。いずれ会堂改修の進捗状況をお話しする機会が近々あるだろうと思うが、なかなか進まない現状がある。けれども、それこそが、聖霊の導きではなかろうか。「大いに、もっともっと足を引きずって、このことに当りなさい」との御心であると示される。
こうして、32章31節で、ヤコブは「わたしは顔と顔とを合わせて神を見たのに、なお生きている」と言い、そして33章10節では「兄上のお顔は、神のお顔のように見えます。これは」と言ったのである。この言葉を読むと、ヤコブが、ヤボクの渡しで神様と顔と顔とを合わせるようにして格闘したことが、兄と顔を合わせることにつながっていると受け取っていたことが感じとれる。神様と顔を合わせて格闘し、足を不自由にされたけれども、こうして、なお生きている。この体験が、ヤコブに深いところからの自信のようなものを与えたのを感じる。「神様と格闘して障碍を負ったけれども、こうして、なお生きているなら、兄と再会することも乗り越えて行けるだろう」とヤコブは感じたのである。このように感じさせていただくことが、聖霊の導きではないかと思う。
5.さて、4節まで、無事にエサウとの最初の対面をしたヤコブであったが、困難は、その後だったと思う。その後で二人は何を語ったのか。どんなことに言及したのか。注目させられたのは、二人が20年前のことを語っていなかった点である。それを口にしては、必ず過去の遺恨やトラウマが噴出してきたことだろう。折角、共に泣いたことが台無しになってしまったことであろう。だから、二人は注意深く、過去には一切触れないようにした。そして、口にしたのは、読みようによっては、お互いの持ち物自慢のように感じられるかもしれないが、ヤコブは「神が恵んで下さった子供たち(5節)」、「神がわたしに恵みをお与えになったので、わたしは何でも持っています(11節)」と言い、エサウも「わたしのところには何でも十分にある(9節)」と言ったのである。過去の経緯によって与えられた傷やマイナスに言及したのではなく、ひたすらこの20年間に神様が与えて下さった恵み、すなわちプラスを口にしたのである。そして、ヤコブは、エサウに対し与え贈る者となったのである。その後で、一緒に暮らすのではなく、適度な距離を保って歩んでいく者となっていったのである。
うまく言葉に表現できないが、この二人の有り様は、困難に直面したときに、私たちの取るべき姿を示唆してくれているように感じるのである。当教会の私の前任牧師が、急な病に倒れられたことを、先週お知らせした。私たちすべてに、いつか、困難な相手との『出会い』というものがあると覚悟しなければならない。そのような相手と、私たちはどのようにつき合って行けばよいのか。切り捨てることや逃げることはできないのである。困難に直面し、それを自分の人生の現実として、神様のご計画として受け入れていかなければならないのである。その対処の仕方は、マイナスを口にすることではなく、神様が与えて下さった恵みを、また、与えて下さるであろう恵みを口にすることではないかと思う。そして、変な言い方ではあるが、そのような相手には、与えること、贈る者となることで対処せよと教えられるのである。
筑波学園教会牧師 福島 純雄
2014年 6月1日 復活節第7主日礼拝
21:15食事が終わると、イエスはシモン・ペトロに、「ヨハネの子シモン、この人たち以上にわたしを愛しているか」と言われた。ペトロが、「はい、主よ、わたしがあなたを愛していることは、あなたがご存じです」と言うと、イエスは、「わたしの小羊を飼いなさい」と言われた。 21:16二度目にイエスは言われた。「ヨハネの子シモン、わたしを愛しているか。」ペトロが、「はい、主よ、わたしがあなたを愛していることは、あなたがご存じです」と言うと、イエスは、「わたしの羊の世話をしなさい」と言われた。 21:17三度目にイエスは言われた。「ヨハネの子シモン、わたしを愛しているか。」ペトロは、イエスが三度目も、「わたしを愛しているか」と言われたので、悲しくなった。そして言った。「主よ、あなたは何もかもご存じです。わたしがあなたを愛していることを、あなたはよく知っておられます。」イエスは言われた。「わたしの羊を飼いなさい。 21:18はっきり言っておく。あなたは、若いときは、自分で帯を締めて、行きたいところへ行っていた。しかし、年をとると、両手を伸ばして、他の人に帯を締められ、行きたくないところへ連れて行かれる。」 21:19ペトロがどのような死に方で、神の栄光を現すようになるかを示そうとして、イエスはこう言われたのである。このように話してから、ペトロに、「わたしに従いなさい」と言われた。
1.今日は教会学校の子供たちとの合同礼拝なので、教会学校の先生方が使っておられるテキストに従った聖書の御言葉が与えられている。
ヨハネ福音書は、もともとは20章で終わっていたであろうと考えられている。しかし、何らかの理由があって、21章が付加されたと言われている。その理由の一つは、この箇所の登場人物の一人であるペトロについて語るためであろうと考えられる。ペトロがイエス様を3度も拒んだということは、当時の誰もが知っていたことであった。そのペトロがなぜ再びイエス様の使徒となり、しかもそのリーダーとなったのか、また、18節の後半や19節に書かれているように、辛い歩みであったにもかかわらず、最後までその務めを全うできた理由が何だったのか、それを明らかにすることが大きな目的であったように思われる。この部分が書かれたときには、もう既に19節に書かれているペトロの死は、読者にとっては周知の事実であった。イエス様を3度も拒んだような人が、どうして殉教の死をとげることができたのであろうか、そうさせたものは何だったのであろうか、その謎に対する解答を与えようとするのが、今日の御言葉なのである。
なぜ今の時期に、この御言葉が教会学校の聖書箇所として選ばれたのかが、よく解らない。次週は聖霊降臨日、つまりペンテコステである。「日ごとの糧」にあるように、先週の木曜日は復活されたイエス様が天に昇られた「昇天日」であった。ルカ福音書を書いたルカは、使徒言行録も書いたが、その記述(使徒言行録1章)には、復活されたイエス様は40日にわたって弟子たちや女性たちに姿を現されたとある。そして、40日後に昇天され、それから10日目、すなわち復活から50日目に聖霊が注がれたと書かれている。そのことからその日が、ギリシャ語の50という言葉により「ペンテコステ」と呼ばれるようになったのである。
しかし、このような区分、つまり「復活-昇天-聖霊の注ぎ」という流れは、実はルカだけが記しているものであり、ヨハネには、こうした区別は全くなかった。ヨハネ福音書では、復活と昇天と聖霊の注ぎは混然一体のものとして書かれている。そういうことから言えば、今日の御言葉におけるイエス様は、この時、もう既に天に昇られている存在なのであった。天にお帰りになった方として、しかし、特にペトロのためには必要であるということで、彼に現われて問答を為さっておられたのである。この問答において、イエス様がペトロに教え示して下さった事柄というのは、言わば、天からのアドバイスであり、天にお帰りになったイエス様からの贈り物のようなものであったと思う。私は、これまでは、ただ復活されたイエス様との出会いの物語だと思い読んでいたが、それだけではなく、天にお帰りになったイエス様からの、天におられるが故の、天来の示唆であり問いかけでありアドバイスであったのだと改めて教えらた。それだからこそ、ペトロを深く励まし、殉教の死に至るまで彼を支えることができたのであろう。私たちも、今日の御言葉を呼んで、- 私たちは残念ながら復活し、天に帰られたイエス様と直接お会いして、そのお言葉を聞くことはできないが - 天におられるイエス様からの深い励ましをいただいて、信仰の歩みにおける支えを与えられたように思う。
2.さてイエス様は、3度もペトロに「あなたは私を愛するか」とお尋ねになった。とくに最初の問いかけでは「この人達以上に」というお言葉まで言われたと記されている。イエス様が3度もこの質問をされたのは、ペトロが3度もイエス様を拒んだことと呼応していることは言うまでもない。では、そのイエス様の心は「この問いに3度答えさせて、ペトロに3度の否定を改めて思い出させ、それを責め後悔させて、埋め合わせや償いのようなものをさせようとされておられたのだ」などと理解される方は、おられないだろう。そんなことで償いや埋め合わせをさせようとするのは、地上の人間同士のすることであり、天に帰られたイエス様がペトロにお求めになるようなことではない。ましてや、わざわざ天からイエス様が地に現れて、これから使徒として歩もうとするペトロに授けようとする贈り物である筈がない。「以上に」というお言葉も、決して文字通りの意味ではなかったのである。
では、イエス様はどんな意図で、このような問いかけをなさったのであろうか。20章でペトロは、最初に復活のイエス様に出会ったときに「わたしもあなたがたを遣わす。聖霊を受けなさい」(20章21・22節)とイエス様から言われたが、その後の彼の気持ちを想像してみると、使わされることへの自信の無さ、また、「イエス様を否定してしまったらどうしよう」という思い、また、だからこそ、「今度こそ、否定などしないように歯を食いしばって遣わされよう」、「他の使徒と較べて決して遜色のない強い信仰をもって歩んで行かなければならない」というような、勇ましさと自信の無さが交錯していたであろうと思う。しかし、そこには、はっきりとしたペトロの思い違いがあったのである。到底、そんな気持ちでは使徒としての歩みはできないことを、天からイエス様はご覧になっていたのである。だから、再びペトロに現れて問いかけをなさったのである。
イエス様が「愛するか」とお尋ねになったのは、言わば、ペトロへのイエス様からのプロポーズなのであった。3度の求愛だったのである。「私は今でもあなたを変わることなく愛しているんだよ、あなたが私を3度拒んだことなど、何ら、私のあなたへの愛を損なうことはできなかったのだ。だから、あなたも私を愛してほしいのだ」とイエス様は言われたのである。さらに、今回、新たに感じさせられたことがある。イエス様がこのように「愛するか」と問われたということは、これからのご自分とペトロとの関係というものが、或いは、使徒としてのペトロの歩みが、ただひたすら「愛」によってのみ築かれていくということを気づかせようとなさったのだと思うのである。ペトロの気持ちのなかに、愛というものはあったであろうか。なかっただろうと思う。あったのは、歯を食いしばって頑張って、もう否定などしないようにしようとの決意のみであったろう。さらには、他の使徒と較べて負けないように、といった強さへの志向であったろう。
だからこそ、イエス様はペトロに語ったのである。「ペトロよ、私があなたに求めるのは愛なのだ。そのような意思や頑張りや決意ではない。人と較べてどうかという強さでもない。ただ愛することだけだ。愛することだけがあなたをして私に最後まで従わせ、私があなたに託する務めを全うさせることができる。その愛も、人と較べてどうこうというようなものではなく、ただあなただけが - そう3度も私を拒んだあなただからこそ、そのあなたが、なおも私によって愛されている喜びを知るからこそ、- 私に注いでくれる愛でいいのだ。」と語りかけ、気づかせて下さったのである。この問いかけが天におられるイエス様からのお言葉であったことに、本当に私は深い慰めをいただくのである。イエス様は天にお帰りになって、より一層、愛するということが大切だとの真理を深く悟られたのだと思う。それをペトロに伝えなければならないと、イエス様はお思いになられた。愛以外のいかなる動機も、その使徒としての働きを動かすものであってはならないことを伝えようとされたのである。地と天を共通して貫く価値、また、私たちを支え励ますものが愛であることを深く教えられる。
3.ペトロは、まだ、このイエス様の心の深さを、じゅうぶんに悟り得てはいなかったのである。17節に、3度も同じ質問をされたので「悲しくなった」とある。けれどもペトロは、知らず知らずのうちに、3度の問いかけすべてに「わたしがあなたを愛していることをあなたは良くご存じです」と答えることが出来ていたのである。この答えは、とても大切な答えであったと思う。ペトロは、自分の意志や力で何とか、自分の3度の否定を乗り越えねばと思っていた。そういうことから言えば、イエス様を愛するということも、意思や強さが入り混じったものになりがちであったであろう。「私は誰にも負けずに、あなたを強く愛しています。それには自信があります。わたしはそれを良く知っているのです。」このように、ペトロは自分の愛に胸を張ろうとしたのかもしれない。「悲しくなった」のは、それゆえであったのだろう。
しかし、ペトロは「あなたがご存じです」と言うことができた。「私があなたを愛していることは、あなたがご存じのことなのだ」と言えたのである。他の人は勿論、ペトロ自身でさえ、そのことは分からなかったのである。人は、そういう状況に置かれることもある。「私は、果たしてイエス様を、神様を愛しているのだろうか」と、分からなくなることがある。たとえば認知症にでもなってしまって、自分が信仰者であることさえ分からなくなってしまうこともあるのではないか。しかし、たとえ、そうなったときにも、私が神様を、イエス様を愛しているということは、「あなたが」ご存じであって下さる事柄なのである。誰が分からずとも、神様はそれを分かっていて下さるのである。
4.以上のような「愛する」という間柄において、イエス様はペトロに「わたしの羊を飼いなさい」と言われたのであった。私たち牧師は、どれほどこの御言葉によって支えられてきたことでか。
今日、牧師たちは、次々と疲れ果てて、そのつとめから離れて行ってしまっている。疲れ果ててしまう大きな理由のなかに、「この人たち以上に」という思いを抱いてしまうことがある。他の牧師たちや、他の教会と較べて、様々な意味で「以上」であることを求めてしまい、以下であることを悲しんでしまう。また、神様に向かって「あなたがご存じです」と言うかわりに、教会員の方々に「分かってほしい」と期待を抱いてしまう。そのような牧師たちに、天のイエス様は語りかけて下さる。「わたしがあなたに大切な務めを託すのは、あなたが人と較べて勝っているからではないのだ。そうではなく、ただ、あなたがあなたなりの在り方で私を愛しているからだ。また、教会を愛すればよいのだ。信徒を愛すればよいのだ。御言葉を語ることを愛し、信仰生活を愛すればよいのだ。あなたが遣わされた地域を、そこで出会う人々を愛しなさい。誰が分かってくれなくても良いではないか。評価などされなくとも良いではないか。それは、そもそも、ただ、わたしだけが分かっていることなのだから」と。
しかし、これは、ただ私たち牧師だけではなく、あなたがたにも語りかけられたお言葉だと思う。あなたがた一人ひとりには、誰かを養う使命が託されている。あなたがたでなければ、養ってあげることのできない存在がある。しかし、そのことに倦み疲れることもあろう。誰かにそれを評価してほしいという思いもあるだろう。でも、その使命は、あなたがたが人と較べてどうだからということで、与えられるものではないのである。誰かに分かってもらうといったものでもないのである。それは、ただただ愛するということによって、なのである。神様を愛し、また、その誰かを愛することによってまっとうすることのできる使命なのである。
5.最後に、イエス様がペトロに言われた18節のお言葉に耳を傾けたい。これもまた、天におられるイエス様がペトロに残して下さったお言葉であったことに、深く心を動かされる。ヨハネは、このイエス様の言葉は「ペトロがどのような最期で、神の栄光を現すようになるかを示そうとして言い残されたものだ」と注釈している。天におられるイエス様には、その高い所から、ペトロの行く末がご覧になれたのである。それは、「他の人に帯を締められ、行きたくないところへ連れて行かれる」歩みであった。しかし、天におられるイエス様には、その先がしっかりと天につながっていることも見えていたのである。天におられるイエス様からのお言葉は、決して災いを予告するようなものである筈がない。天におられるイエス様のお言葉は、ただただ祝福に満ちたものである。だからこそ、ヨハネは「神の栄光を現す」と注釈したのである。その最期の姿、死にいく姿、他の人に帯を締められ、行きたくないところへと引っ張って行かれる姿こそが、神の栄光を現すものであった。天へと帰る者の幸いに満ちた姿なのであった。天におられるイエス様には、私たちの死の姿がそのような幸いに満ちたものとして映っているのである。そのことをしっかりと天にあって見て下さる方がおられるのである。大丈夫だと語りかけて下さっているのである。このようなイエス様の約束をいただいて、ペトロは歩んで行ったのであろう。私たちも、そのようにありたいと願う。
筑波学園教会牧師 福島 純雄
2014年 5月25日 復活節第6主日礼拝
05:02ここで、わたしパウロはあなたがたに断言します。もし割礼を受けるなら、あなたがたにとってキリストは何の役にも立たない方になります。 05:03割礼を受ける人すべてに、もう一度はっきり言います。そういう人は律法全体を行う義務があるのです。 05:04律法によって義とされようとするなら、あなたがたはだれであろうと、キリストとは縁もゆかりもない者とされ、いただいた恵みも失います。 05:05わたしたちは、義とされた者の希望が実現することを、“霊”により、信仰に基づいて切に待ち望んでいるのです。 05:06キリスト・イエスに結ばれていれば、割礼の有無は問題ではなく、愛の実践を伴う信仰こそ大切です。 05:07あなたがたは、よく走っていました。それなのに、いったいだれが邪魔をして真理に従わないようにさせたのですか。 05:08このような誘いは、あなたがたを召し出しておられる方からのものではありません。 05:09わずかなパン種が練り粉全体を膨らませるのです。 05:10あなたがたが決して別な考えを持つことはないと、わたしは主をよりどころとしてあなたがたを信頼しています。あなたがたを惑わす者は、だれであろうと、裁きを受けます。 05:11兄弟たち、このわたしが、今なお割礼を宣べ伝えているとするならば、今なお迫害を受けているのは、なぜですか。そのようなことを宣べ伝えれば、十字架のつまずきもなくなっていたことでしょう。 05:12あなたがたをかき乱す者たちは、いっそのこと自ら去勢してしまえばよい。 05:13兄弟たち、あなたがたは、自由を得るために召し出されたのです。
1.1節のはじめに「この自由を得させるために、キリストは私たちを自由の身にしてくださった」とあり、13節前半には「あなたがたは、自由を得るために召しだされた」とある。イエス様のキリストとしての働きが、何よりも私たちを自由にするためのものだったと、これほどにはっきりと記している聖書の言葉は、ここ以外にはない。だから、このガラテヤ書は、しばしば「自由の手紙」と呼ばれてきた。私たちプロテスタント教会の源流となった宗教改革者のルターは、このガラテヤ書をもとに、『キリスト者の自由』という本を書いたのだった。
御言葉を少しなぞっていくことから始めたい。2節では「もし割礼を受けるなら・・・になります」とあり、3節でも重ねて割礼のことが言及されている。割礼とは、ユダヤ人として生まれた男の子が、生後何日目かに受ける性器の包皮の一部を切り取る手術のことである。ユダヤ人ではない成人男子も、正式にユダヤ人と認められるためには、この手術を受けたという。もともとユダヤ人だった人が、クリスチャンになった場合には、この割礼を受けねばならないかという問題は生じなかったわけだが、ギリシャ人やローマの人々、いわゆる異邦人と呼ばれていた人々がクリスチャンになった場合には、果たして割礼が必要かが大きな問題となった。パウロは、勿論受けなくとも良いという立場だったが、受けなくてはならないと考える人々が、ガラテヤ教会のなかで段々と勢力を増していった。もしそう考えるなら「キリストは何の役にも立たない方になる」とパウロは反論したのである。
また、4節では、「律法によって義とされようとするなら・・縁もゆかりもない者とされる」ともある。割礼を受けることも広い意味では律法の行いの一部なのだと思うが、割礼も含めた律法の行いをしなければ「義とされない」との主張が強くなって行ったのだった。このような主張をする人々へのパウロの憤りは非常に強く「それほど割礼を受けたいなら、いっそのことすべて性器を切り取ってしまったらいいじゃないか」とまで言及している(12節の「去勢」云々)。
2.カギとなるのは、4節にある「義とされる」ということであると思う。パウロは、「ただイエス様によって義とされるのだ。それによって自由が与えられるのだ」と信じていたのだが、パウロが憤った相手方の人々は、ただイエス様によって義とされるだけでは足りず、「割礼を受けることや律法の行いをすることも不可欠である」と主張したのだった。
さて、この「義とされる」ということについては、私なりにいろんな比喩によって話をしてきたが、私たちが神様と同盟関係の下に置かれているということを指している。この、私たちと神様との関係の根源というのは、私たち人間だけが他の動植物とは違って、神様の似姿を刻まれたというところに遡ると私は捉えている。この間柄は、神様が私たちに刻んで下さったものなので、どんなことがあっても損なわれたり奪われたりするものではないと私は信じている。これが、究極的には「義」ということなのではないかと思う。しかし、それだけでは足りないのだと、今回、改めて教えられた。
神様は私たちをご自分の似姿に造り、その6日目に何と仰ったかと言うと、創世記1章31節に「神はお造りになったすべてのものをご覧になった。見よ、それは極めて良かった」とある。これまでの天地自然の創造では、単に「良しとされた」だったのに、人間の創造を終えられた後だけ「極めて」と言われたとある。このことから言うと、私たちが神様と「義なる関係にある」とは、私たちが神様の似姿として人間だけに授かった能力や賜物や宝を用いて、「極めて良かった」と言われる世界を保持し、益々その良さを益し加えていくということだとわかる。単に神様の似姿を刻まれた者として「義」であるだけではなく「良かった」と言われた世界のその良さを増進して行くことが、義とされる状態なのである。
これが義とされている状態だとするならば、私たちの現実は不義なる状態だと言わざるを得ない。「極めて良かった」と神様から言われる状態を、自分自身のこととして「失ってしまっているなぁ」と感じずにいられない。、私たち人間だけが他の生き物と違って激しく病み、狂い、不健全であり、悪なる行いに染まっているという現実がある。いつも傍にいる犬を見ていると、何と安らかで満ち足りているものだと思う。しかし、それと較べて、自分は何と安らかさがないと思うのである。イエス様がマルタに「あなたは多くのことに思い悩み、心を乱している」と言われたのは、私に当てはまることである。1節後半にあるように、様々な「奴隷のくびきにつながれて」しまっている自分やこの世界を思わないわけにはいかない。
3.だから、このような不義なる私たちが、どうやって神様との義なる間柄を取り戻すことができるかということが、切なる問題になって来るのである。それを取り戻すことによってのみ、自由になれるのである。平安になり、思い煩いから解放されるのである。
イスラエルの人々にとっては、それが割礼を受けることであり、律法の行いであったということなのである。彼らが、いつの頃から、こうしたことを行ってきたか定かではない。創世記の17章には、既にアブラハムが神様から命じられて割礼を受けたとあるが、私はこれは恐らく事実ではないだろうと思っている。ずっとのちの時代、割礼がイスラエルの人々にとって不可欠なものとなっていた時代の人々が、すでに父祖アブラハムのときから神様の命令によって行われていたと理由づけるための記述ではないかと私は思っている。
では、割礼や律法の行いが彼らにとって無くてはならぬものとなった時代とはいつだったのか。それはバビロン捕囚と呼ばれる時代だったのである。紀元前の580年代ですが、バビロニアによって祖国が激しく攻撃され、2年以上にわたって激しい戦闘が起こり、エルサレムの城壁に建て籠った人々は、最後にはお互いの肉まで食べざるを得なかった戦争であったと言われている。その挙句、生き残った人々は、バビロニアへと捕虜として連行され、50年以上にわたって抑留されたのだった。これこそは、イスラエルの人々にとって、自分たちが神様との間に「義とされていない」という現実をひしひしと感じざるを得なかった時代だったろうと思う。創世記1章最後に、神様が言われた「極めて良かった」との状態を完全に喪失している状態である。なぜ、こうなってしまったのかと言うと、神様との間の義が失われたからだと受け止めるざるを得ない。
そこで、彼らは問い求めた。どうしたら、失われた神様との義なる状態をとりもどすことができるだろうかと。捕虜として奴隷のくびきにつながれた状態から、現実に解放されるのは無理だとしても、内的な自由を取り戻すことができるだろうかと。それが、割礼や律法の行いだったのである。自分たちの発案とか思いつきとかではなくて、あくまで神様から与えられた梯子、同盟関係を回復するよすがとして、彼らはこれらを守ることを見出したのである。
4.しかし、そうであるならば、なぜパウロは割礼を受け律法の行いが必要だとする人々を、これほどに攻撃したのだろうか。それは、律法の行いや割礼が、時代が降るにつれ、そしてイエス様の時代には大きく変ってしまっていたからなのである。どのようなものに変ってしまっていたかと言うと、その有り様は福音書の様々なエピソードを思い起こしていただきけば分かる。神様によって義とされる喜び、その祝福、強制や義務の無い自由さをもたらすことが出来ていたかというと、全くそうではなかったのである。その姿は、突き詰めれば、人々は神様を恐れるようになっていたと言うことではないだろうか。いつの間にか、神様と同盟関係を結んでいただくためには、人間の側が何かをしなければならないということになっていったのである。それをしなければ、いつ何時、同盟関係を引き上げられてしまうか分からないという思いに囚われていったのである。神様からの祝福、「極めて良かった」という言葉を聞くのではなく、「こうしなければ取り上げるぞ」「罰を与えるぞ」との脅かしを聞いてしまうようになっていったのである。そういう信仰になってしまったのである。
これが、割礼や律法の行いをしようとするガラテヤ教会の姿でもあったと思うし、そうした行いを文字通りするわけではないが、いつの時代でも、私たち教会が陥ってしまうあり様でもあると思う。なぜ、ガラテヤ教会の人々が、割礼を受けることや律法の行いをすることへ、短時間で誘われてしまっていったのかは、いろいろな要因が考えられる。11節に「今なお迫害を」とか、「十字架のつまづき」といった言葉があるが、この手紙が書かれた頃(おおよそ紀元後50年代ですが)は、未だキリスト教会はユダヤ教の一派だと思われていた時代であった。ユダヤ教の一派であると認められることで、迫害を逃れたり、いろんなメリットを受けていたのである。ユダヤ教徒だけが与えられていた特典があったのだろう。そうであるならば、「ユダヤ教徒として割礼を受けるのは当たり前ではないか」「ローマ帝国からの恩恵を受けるならば帝国の死刑囚や犯罪人として処刑された人をキリストとして信じて、それで義とされるというのはおかしいではないか」との教えでもあったと想像する。
しかし、またこういう理由も考えられる。こうした行いをすることが、神様との目に見える保証書のようなものになる。また、神様と同盟関係を結んでいただくのだから、私たちの側でもそれ相応の代償を払い、血を流すことは不可欠ではないかと、真面目な人ほど思うのではないか。そうやって、ますます神様に喜んでいただこうとする。とても真面目で礼賛するべき志なのである。しかし、その称賛すべき「わずかなパン種」が、信仰そのものという「練り粉全体」を膨らませ、危険に陥らせてしまうのである(9節)。なぜ危険に陥るかというと、そうして行くうちに、神様との間柄において、私たちの側の行為や大小や功績の血を流すことが大きなファクターとなって行くのである。それをしなければ、それが出来なければ、いつ何時、神様との同盟関係が取り去られるかも知れない。神様を恐れるようになるのである。神様からの祝福を失うのである。私たちは神様から祝福されている存在だとの大切な思いを失い、それが奴隷のくびきへと、私たちを至らせ、自由を奪うのである。
5.だからこそ、イエス様は、こうした奴隷のくびきから私たちを自由にしようとしてくださったのである。神様との関係について、イエス様が主の祈りで教えられたことは何だったか。それは、私たちが神様と「天の父(アッバ)-その幼子」という間柄にあることだった。それが、イエス様がお語りになったことの根幹であり、福音のエッセンスなのであった。天の父である神様に対して、その幼子である私たちは、果たして、何ができるであろうか。どんな代償を払うことを求められるのであろうか。子供は親に平気で悪態をつくが、それでも親は子を憎いと思うことはないではないか。肉の親である私たちでさえそうであるならば、ましてや、天の父なる神様は・・・なのである。「そのように神様と私たちの間柄を捉えることは甘えだ」と言われる人もいるかもしれない。しかし、イエス様が神様と私たちの関係を『アッバ(父)-幼子』と教えられたのは、まさにこの甘えをこそをお赦しになったからなのである。だからこそ、イエス様は、当時のユダヤ教の指導者たちの怒りを買って、十字架に付けられたのである。
イエス様はなぜ人となられたのか。また、特にその生涯の最期は、なぜ十字架の死だったのか。それは、私たちが人として生きることそのものが祝福なのだとの語りかけだと思う。それぞれの十字架として、苦しみ背負うこともある。「こんな状態に置かれるのは、神など居ないからだ。神が私を罰しているのだ」と思うこともある。しかし、イエス様が十字架にかかって苦しまれた事は、私たちが十字架を背負うことに意味があり、神様の愛が注がれているからだ、と語りかけてくれる。苦難のなかで、恐れや心配や思い煩いという奴隷のくびきにつながれてしまう私たちを、イエス様はご自分の十字架によって自由にして下さろうとするのである。
また、イエス様は復活なさってから、ご自分を裏切り、逃げ去った弟子たちや、また信者を迫害したパウロに、お姿を現してくださった。これはどんなことから私たちを自由にして下さるのだろうか。それは、私たちが、神様との間柄において、自分に力点を置くこと、「自分は赦され得ないことをしてしまったから駄目なのだ」と思ってしまう事から、私たちを自由にするのである。
こうして、イエス様によって、私たちは神様と義とされるのである。神様からの全面的な祝福をいただいている幼子として、生き得る者とされるのである。割礼や律法の行い、また、自分自身を重点とすることは必要ないのである。
筑波学園教会牧師 福島 純雄
2014年 5月18日 復活節第5主日礼拝
11:01イエスはある所で祈っておられた。祈りが終わると、弟子の一人がイエスに、「主よ、ヨハネが弟子たちに教えたように、わたしたちにも祈りを教えてください」と言った。 11:02そこで、イエスは言われた。「祈るときには、こう言いなさい。『父よ、御名が崇められますように。御国が来ますように。 11:03わたしたちに必要な糧を毎日与えてください。 11:04わたしたちの罪を赦してください、わたしたちも自分に負い目のある人を皆赦しますから。わたしたちを誘惑に遭わせないでください。』」
1.もともと、主の祈りの最後の言葉が、このように「誘惑」について言及するもので終わっていたかどうかは、定かではない。私たちが普段祈っている祈りの言葉では、「国と力と栄とは限りなく汝のものなればなり」という言葉で終わっている。それは、主の祈りが誘惑について言及する形で終わっていることへの違和感から、後の人々が付加したものなのかも知れない。エレミアスによる『新約聖書の中心的使信』には、「パレスチナにおいては、一つの祈りが『試み』という語で終わるということなど、全く考えられないことであった」(同書72頁)と書かれていた。ところが、ルカもマタイも(なお、マタイでは「悪い者から救ってください」で終わっている)、誘惑に関する言葉や「悪い者」についての言及で、主の祈りが閉じられている。わざわざ、このような閉じ方をするということは、それがそもそもイエス様ご自身から由来するものであったことを指し示しているのであろう。そうでなければ、エレミアスが言ったように、当時のイスラエルの人々にとって考えられなかったような祈りの終わり方に、敢えてすることの説明がつかないわけなのである。それでは、イエス様は、何故このような言葉によって主の祈りを閉じるように、弟子たちに教えられたのか。そこに込められた思いとは、どのようなものだったのか。
2.さて、「遭わせないでください」と訳されているが、これはギリシャ語の原文のニュアンスとはかなり違うものであり、また、イエス様が本来お教えになろうとした思いとも随分隔たったものだろうと思う。使われているギリシャ語のもともとの意味は、誰かを何処かへ連れて行く、引っ張って行くという意味とのことである。同じ言葉が、これもまた「誘惑」と訳された言葉と一緒に使われている有名な場面がある。それは、最後の晩餐が終わってイエス様がオリーブ山で祈られる箇所で(ルカ福音書では22勝46節)、「誘惑に陥らぬよう」と訳されている。これが本来のニュアンスなのである。
「遭わせないで」という訳だと、普通の意味では、誘惑がまったくない状態、まったく誘惑になど遭遇しない状態が願い求められているとのことになるが、イエス様がお教えになっているのは、決してそういう状態ではなかった。「誘惑に遭うことは避けられないけれども、それに遭っても引っ張って行かれないように、屈服させられないようにして下さい」ということなのであった。とにかく、大切なことはイエス様が、誘惑を不可避な事柄として考えられておられたということである。だからこそ、このような言葉でもって、主の祈りを閉じられたのである。
私たちは「主の祈り」を祈るとき、それによって、もう誘惑などという心配を全くしなくともよい、あたかも無菌状態のような部屋で、がっちりとガードされるような状態が与えられるような感覚を抱いているのではないかと思う。それなのに、祈りの終わりでは、誘惑について言及するのである。主の祈りをどんなに唱えても、それが呪文のような働きをして誘惑そのものをなくしてしまうことは、決してないのである。ここには、主の祈りを祈ることについて、私たちが抱いてしまう甘い幻想のようなものを打ち砕こうとするイエス様のお心が、まず込められているのかも知れない。他方、こういうことも言える。「私たちが誘惑に出会うのは、私たちの信仰が弱いからである。信仰が弱いから、誘惑する存在などに遭遇するのである。」と思ってしまう。しかし、もし誘惑が避けられないものであるとすれば、何もそのように思うことはないのである。信仰が弱いから誘惑に遭うのではなく、誘惑は、信仰生活につきもの、不可避のものなのである。
3.それでは一体、何故、誘惑は信仰生活において、避けられないのか。11章直前の、10章の御言葉で、イエス様はマルタという女性に、つぎのように言われた。「マルタ、マルタ、あなたは多くの・・・それを取り上げてはならない」と。イエス様がこのように仰ってから主の祈りをお教えになるというつながりになっている。私はここに、とても深い意味を読み取ってきた。私たちは多くのことに思い悩み、心を乱している。そういう私たちが、人生という旅を進めるうえで無くてはならぬ必要なものを選び、決して取り上げられたり、見失ったりしないようにと、イエス様は主の祈りをお教えになって下さったのだとルカは伝えようとしたのである。「それを取り上げてはならない」とあるように、私たちがせっかく選び取ったこの大切なものを取り上げようとする存在があるということが、既にここでほのめかされている。
その大切なものとは何か。それが、まず神様を「天の父」としてお呼びし、私たちがその「幼子」であるという関係に生きるということなのであった。主の祈りで教えられていることの全体は、その根源はすべて、この点にかかっていると言っても過言ではない。多くの人が、神様を「アッバ(父ちゃん)」とお呼びすること、そして私たちが神様と「父-幼子」という関係にあることこそが、イエス様が伝えて下さった福音そのものであると言ってきた。
だから、ここにこそ、誘惑というものが不可避に入り込んでくるのである。「天の父-地にある幼子」という関係を選び取るということは、言わば、神様との間に同盟関係を結んで生き始めるということを示しているのだと思う。それまでは、誰かとはっきりとした同盟を結ぶというようなことはなかった。どっちつかずの状態であった。あるいは、意識しないままに、誘惑する側についていた。それが、神様を「父よ」と呼び始めることによって、はっきりと天の神様と同盟を結ぶ状態になったのである。これまで同盟を結んでいた者から離反したのである。それゆえに、誘惑する者たちは、しゃかりきになって、裏切者である私たちを攻撃してくるのである。何とかして、もう一度、自分たちの陣営に引っ張り込もうとするのである。あの手この手で籠絡しようとするのである。「天の神様と同盟を結んでも何のメリットもないぞ」と誘惑してくるのである。
4.主の祈りを祈り始め、信仰生活を歩み始めると、そこに誘惑が不可避に入り込んでくる。誘惑者の攻撃が始まるということであれば、求道生活を始めた人々の中には「それなら今まで通り、どっちつかずの状態の方がいいかも」と思う人がいるかも知れない。「何も、誘惑するものからの攻撃にさらされるようなことをせずとも良いかな」と思われるかも知れない。
この疑問に関しては、次のようなことを申し上げたいと思う。誘惑する者の本質というのは、私たちが天の神様と「父-幼子」という同盟関係を結んだことによって誘惑者が攻撃してくるということから解るように、突き詰めれば、「天を嫌う」、「天を憎む」ということではないかと思うのである。誘惑者の由来については、聖書も詳細には語ってはいない。誘惑者の仲間が「悪霊」と呼ばれるものであるわけだが、ルカ福音書で誘惑者は、弟子たちの誰もが未だイエス様の本当の姿を知らなかった段階で、「正体は分かっている、神の聖者だ」(ルカ4:34)と何故か言っていたのである。そう言いながら、イエス様を遠ざけるのであった。イエス様によって自分たちが滅ぼされると叫んでいたのである。このことが示しているのは、誘惑者は何らか天とつながりを持っている存在であるということである。だから、イエス様の正体を分かっていたのである。分かっていたけれども、近づくことはできなかったのである。それは誘惑者が、自分たちの由来である「天を憎むもの」だったからである。天に由来を持ちながら、天を憎む存在。ここに、誘惑者の本質がある。
そうであるが故に誘惑者は、私たちをも、天と切り離し、天から遠ざけようとするのである。私たちが、誘惑者からの攻撃を避けようとして、どっちつかずの状態であろうとしたり(どっちつかずの状態は、遅かれ早かれ、誘惑者に取り入れられることを意味しているであろう)、私たちが誘惑者と同盟を結ぶということは何を意味するのか。私たちは、そのことを良く知らなければならない。それは、私たちがその誘惑にしたがって、天を憎む者となるということなのである。地に縛り付けられ、天を忘れてしまうということなのである。私たち人間が、いつまでも何処までも地にあり続ける存在なら、それでも良い。そうであるならば、言わば、地上の王である誘惑者と最後まで同盟を結んだほうが賢明であろう。しかし、私たち人間は、天からきて、天へ帰るべき存在なのである。「われらが国籍は天にあり」なのである(ピリピ3:20)。私たちの帰るべき故郷は天にある。私たちは、いずれ、この地上の器を離れて天に帰り、また、そこで然るべき永遠の歩みを続けて行くものなのである。そういう私たちが、いつまでも地上に縛られているのは、何と不幸なことではないか。70年とか80年といった地上における歩みのみが幸いであり、誘惑する者からの攻撃にさらされないからと天を忘れてしまうことが、幸いをもたらすのであろうか。天の父なる神様との同盟関係を結ばずして、地にある旅を続けることは、私たちから決定的に大切なものを「取り上げる」ことになるのではないか。
5.マタイ、マルコ、ルカ福音書に記されている。イエス様が洗礼者ヨハネから受洗され、「あなたはわたしの愛する子」(たとえば、ルカでは3:22)とのお声が天から聞こえた直後に、40日40夜、荒野で悪魔から受けられたものとして書かれている。まさに「あなたはわたしの愛する子」との神様の声を聞いた直後、神様との同盟関係に、はっきり生きようと始められたからこそ、そこに誘惑者からの攻撃が始まったことが、イエス様ご自身の実体験として記されている。このようなイエス様の体験があった故に、主の祈りの最後は、誘惑について言及することによって閉じられているのである。その点を最も大切なアドバイスとして語り残しているのである。
悪魔から、3つの誘惑があった。悪魔は「もし自分にひれ伏し仕えるならば、全世界の権勢と繁栄があなたの手に入る」と誘惑した。もし私たち人間が、いつまでも何処までも、この世の権勢と繁栄を、無くてはならぬものとし必要とする存在ならば、悪魔にひれ伏してそれを手にするのも良いかもしれない。しかし、天を故郷とする私たちには、それは絶対に必要な無くてはならないものではないのである。どんな権勢や繁栄も手放して、天に行く時がやって来る。天においては、この世の権勢や繁栄は、何の役にも立たない。いや、むしろ邪魔なものでさえあるだろう。悪魔と同盟を結ぶと、私たちはいつまでも、何処までも権勢や繁栄に縛られるのである。もう、そんなものなど必要もなくなっているのに、それに囚われる存在となってしまう。幽霊とか亡霊と言われるものは、まさにそのような存在ではないだろうか。地上をさまようしかないのである。天に行くことができないのである。悪魔に魂を売ってしまったと言われる状態が、これなのである。
残りの二つの誘惑には、「私に仕えよ」との言葉はないが、そのかわりに「もし、神の子なら」とある。「もし、お前が神の子なら、石がパンに変わるように命じてみよ」「高いところから飛び降りてみよ」と誘惑する。「本当に神の子ならば、神と同盟関係にあるのなら、食べ物に困らないし、あらゆる災難から守られるだろう」と言うのである。「しかし、どうなのか。それが与えられているのか。なぜ今、お前は空腹のなかにあるのか。なぜ災難を逃れることができないのか。お前は神の子などではない。神の子供であることに何のメリットもない。だから、この世の王である私の子供になれ。私と同盟を結べ。そうすれば食べ物に困らず、あらゆる災難から守られる。」と誘惑するのである。
ここでも、悪魔が私たちを、何処までも地上に縛り付けようとしていることに気付かされる。私たちに必要な食べ物は、地上のパンだけではない。天から来て、天に帰る存在であればこそ、地にあるときには幼子ではあるが、しかし、天からのパンこそが私たちに無くてはならない食べ物なのである。「人はパンだけで・・」とは、そういう意味なのである。また、私たちの地上の器は、確かに高いところから飛び降りることではない。しかし、私たちは天に帰る存在なのである。地上の器が滅んでも、破壊されても、天に帰ることのできる器がある。そこだけは、損なわれない。悪魔と同盟を結ぶと、そのことを忘れさせられてしまう。地上の器が損なわれないことだけが幸いだと思い込まされるのである。
悪魔の誘惑が、そもそも、私たちをどういう存在として在らしめようとしているかが伝わってくる。それは、この世において権勢を持ち、繁栄を誇り、食べ物に困らず、災難に遭わない存在を幸いだとしているのである。しかし、イエス様は、それを幸いとはされない。幸いなのは、幼子であることなのである。天の父なる神様の幼子であることに、私たちの幸いがある。
筑波学園教会牧師 福島 純雄
2014年 5月11日 復活節第4主日礼拝
11:01イエスはある所で祈っておられた。祈りが終わると、弟子の一人がイエスに、「主よ、ヨハネが弟子たちに教えたように、わたしたちにも祈りを教えてください」と言った。 11:02そこで、イエスは言われた。「祈るときには、こう言いなさい。『父よ、御名が崇められますように。御国が来ますように。 11:03わたしたちに必要な糧を毎日与えてください。 11:04わたしたちの罪を赦してください、わたしたちも自分に負い目のある人を皆赦しますから。わたしたちを誘惑に遭わせないでください。』」
1.今日の御言葉は、主の祈りのなかで、ある特徴を備えた箇所である。どういう特徴かというと、これまでの主の祈りにおいて「主語」というのは、ずっと天の父なる神様であった。神様が私たちにその御手の支配を及ぼして下さることと、日々食べ物を与えて下さることと、罪を赦して下さることが、無くてはならないこととして祈られてきた。最後の「誘惑に遭わせないで下さい」もまた、神様が主語である事柄である。ところが、今日の御言葉だけは、主語が私たちになっている。私たちが、私たちに負い目のある人々を赦すことが言われている。これが、まず第一の特徴である。
第二の特徴は、この私たちが主語である負い目の赦しが、4節の最初に記された天の神様による罪の赦しと密接不可分の関係を持つ事柄として、つなぎ合わせられていることである。そして、神様による私たちの罪の赦しと、私たちによる負い目の赦しとが、どういう関係にあるかということが、古くからの大きな問題であった。
私たちの訳には、3行目最後は「赦しますから」とあるから、日本語の素直な意味としては、私たちが誰かの負い目を赦してやることが、言わば先行する前提条件のようなものとなって、神様が私たちの罪を赦して下さるのだとの理解になる。参考までに、讃美歌21の148ページには、主の祈りの3つのバージョンが掲載されているが、Bの日本キリスト教協議会訳は「わたしたちに罪を犯したものをゆるしましたから、わたしたちの犯した罪をおゆるし下さい。」となっていて、よりはっきりと、私たちが誰かの罪を赦してやることが、神様によるそれの条件となっていることを表現している。他方、普段祈っている主の祈りでは、「我らに罪を犯す者を我らが赦すごとく」となっており、「ごとく」とは、なかなか微妙なニュアンスであるが、少なくとも、はっきりと条件という意味ではない。私たちの行為と神様による罪の赦しとが、平行関係・即応関係にある、そのような不可分な間柄にあるということを言いあらわしている。
2.今日、大多数の人々には、私たちの罪のゆるしが神様によるそれの前提条件となっていると考える人はいないだろうと思う。神様による罪の赦しとは、私なりの受け止め方では、私たちが根源的に抱えている内的な病・狂い・不全状態からの解き放ちということである。最も端的には、医者が病人を癒すということがそれに当ると思う。この、医者と患者という比喩から言うと、医者は目の前に倒れている患者を治療するのに、何かの前提条件を課すということはあり得ない。誰かの借金を帳消しにしてやらなければ治してやらないということはあり得ないし、極悪非道の犯罪者がたとえその罪の一片たりとも償っていなくても、病気になれば医者は治療するのである。
それでは、イエス様はこの二つの事柄を、一体どのようなつながりを持つこととして教えられたのか。「アッバ(父よ)」の言葉の意味を私たちに教えて下さったエレミアスの『新約聖書の中心的使信』という薄い本の一読をお勧めしたが、この本のなかでエレミアスは、この4節の部分が元々どういう言葉だったのか、イエス様が本来お教えになろうとしたのはどういうことだったかを明らかにしようとしている。それによれば、おそらくこの部分は『私たちの負債を赦して下さい。我らに負債のある者をこのことによって赦しますように』というものだったろうと推測されている。「このことによって」とは、言うまでもなく、その前半にあるところの、神様が私たちの負債を赦して下さったことが言われているわけである。
エレミアスが書いていることを私なりに敷延して申し上げると、以下のようなことになる。もし、先行ということを言うならば、先立つのは明らかに、神様による私たちの罪の赦しである。そして、先行して神様によって赦されたことが、私たちの人と人との関係において、とくに負債や負い目という間柄において、それを赦し・帳消しにするという、普通は全く考えられないような劇的な新しい関係をそこに生じさせずにはおかないということが、ここでは言われているのである。病に対する神様からの介入があり、関与があった。完全ではないにしても、病が癒されつつある。それが、どうして人と人との間柄において何らかの善い変化・新たなものをもたらさずにいられるだろうか。言い方を換えると、人と人との関係において何ら新しい間柄を生じさせないならば、それはそもそも神様との関係において罪が癒されているのかも怪しいのである。病気が良くなっているということも怪しい。であるから、次のように祈り求めなさいと、イエス様は教えている。「神様によって病を癒されつつある者として、そのことにおいて、人と人との間柄において、とくに私に負い目を背負っている者との間柄において、その負い目を帳消しにしてあげられるようにさせて下さい。天の父なる神様によって罪赦されていることが、人との間柄においてこのような効果を生じさせるようにさせて下さい。どうか、あなたによって病癒されていることが、私たちをして無駄にならないようにさせて下さい」と。
3.神様によって罪を赦されていることが、人と人との間柄において何らかの効果を表すということでは、何故その領域がとくに負い目の赦し・帳消しなのか。人間関係ということならば、もっと他のものもあるのではないか。
負い目というものは、最も典型的なのは借金だが、それに限らず、おおよそ人間関係において明らかにそれについて私が相手に当然に支払わせることででき、仕返しをすることも当然の権利であり、時には裁判に訴えてまで当然に相手に負い目を支払わせ、その責任を問い、償いをさせることができるものを言うのだと思う。だから、それは借金だけではなく、「目には目を、歯には歯を」と古くから言われていたように、私たちが何かの被害者になったり、言われのない暴力や不当な扱いを受けたときに、相手を憎んだり復習をしたりすることなども指している。とにかく、普通の社会では、当然に私たちは相手に対して仕返しをし、当然の賠償や報いを求める権利を持ち、それを行使できるとされているのである。
しかし、問題は、私たちは当然の権利としてこれを行使したときに、それが、しばしば相手にだけではなく、それを行使した自分の側にも非常に悲惨な結果を招くということである。もう随分前の忘れられない経験だが、東北教区において、或る公の会議で発題をしたことがあったが、その席で或る牧師から全く言われの無い非難を受けたことがあった。実は、その牧師は同じ市内の、お隣の教会の牧師で、いろんな経緯から深い溝を抱えてしまっていた間柄であった。私は強い怒りにかられ、その怒りがめらめらと燃え盛って、結局どうなってしまったかと言うと、ひどい膀胱炎になってしまい血尿まで出るようになってしまった。その時、怒りが相手よりも、むしろ自分自身を破壊するということを深く知った。
先週も紹介したが、いま聖書研究祈祷会では、ずっと列王記を学んでいるが、エリヤという預言者が干ばつのなか、朝な夕な、からすによって養われ、また、一人の未亡人によって支えられたが、その後に、こういうことが起きた。
神様がエリヤに、アハブ王の前に姿を現して雨を降らせよと告げた。エリヤが、からすや未亡人によって養われている間に、どういうことが国内で起きていたのかと言うと、アハブ王の妻イゼベルはエリヤの仲間の預言者たちを虐殺していたのであった。エリヤは、神様からこのように言われて、アハブ王の前に姿を現した。しかし、彼がその後に為したことは、先ほど神様が彼に命じられなかったことであった。カルメル山で有名なバアルの預言者たちとエリヤと対決がなされた。結果的にエリヤが勝った。勝ったエリヤは何をしたかと言うと、バアルの預言者たちを虐殺してしまったのであった。なぜ、このような事をしたのか。それは、仲間を殺された怒りにかられて、その復讐をアハブやイゼベルや彼らが信奉していたバアルの預言者たちにするという心に突き動かされたからだと思う。それは、或る意味はで、当然の仕返しであり復讐だったであろう。
けれども、このことが更にどんなことを生じさせたかと言うと、イゼベルがエリヤを必ず殺してやると脅し、これを聞いたエリヤはカルメル山で対決した姿とは全く別人のようになって、一人荒野に行き「自分の命が絶えるのを願って『主よ、もう十分です。わたしの命を取ってください』」と神様にうめいた、とある(列王記19:4)。所謂、燃え尽き症候群のようになっているエリヤを、私はそこに見た。そのように彼を陥らせたのは、単にイゼベルからの脅迫ではなくて、むしろ、それよりも、怒りにかられ神様が命じることのなかった虐殺に手を染め、本来手に入れるべきではなかった勝利を手にしてしまったことが、このような状態を生じさせたと私は思う。当然の復讐であったが、それに手を染めるということは、相手は勿論だが、私たち自身を破壊してしまうのである。
だから、イエス様はこのことから解き放たれなさいと教えられたのである。そして、私たちにはこれができる。なぜならば、相手が私に対して追っている負い目や借金を、帳消しにし、仕返しを放棄するのは、私たちの当然の権利だからである。権利であるものは放棄することもできる。自分の権限なのだから、それを用いず放棄することが出来るのである。
4.ここにこそ、最初に申し上げた、今日の御言葉だけ主語が私たちになっているという特徴の深い意味があるのだと示される。それは、神様が私たち人間だけに刻まれたイマゴ・デイが創造性であり、主体性だということともつながって来る。それ故にこそ、私たち人間だけが病むのだ、罪を抱えるのだと教えられてきた。それを神様は癒して下さる。解き放って下さるのである。だから、神様によって罪を癒されることは、おのずと創造性や主体性の回復として現れるであろう。私たちが自らの人生を自分固有のものとして、様々な不如意の状況があるが、それと格闘しつつも、自らの人生を創意工夫して作り上げていくことができることとして、現れてくるであろう。その典型的な有り様が、負い目を赦してやることなのだとイエス様は教えて下さるのである。それこそが、私たちが主人公となって人生を自分固有のものとして創造することなのである。
私たちが聖書で目にする、私たちの心に残る人物は、皆そのような人々である。イサクは折角掘った幾つもの井戸を、嫌がらせで奪われ埋められた。しかし、決してそれに復讐せず、次から次へと井戸を掘り続けた。そのように彼をさせたのは神様だったことが、御言葉から読みとれる。最初に掘った井戸に彼が付けた呼び名は「エセク(争い)」であった。次の井戸の名は「シトナ(敵意)」であった。そして、最後の井戸の名は「レホボト(広い場所)」であった。そして、「主は我々の繁栄のために広い場所をお与えになった」ということが出来たのであった(創世記26章15節以下参照)。数々の争いや敵意、そして当然にそれに反抗しても良い、戦っても良いのに、そうさせずに、もっと広い場所があるからと、神様はイサクを導かれた。こういう神様からの関与が、彼をしてこのように為さしめた。
イサクの息子ヤコブも然りであった。伯父ラバンのもとに滞在した20年間、彼は騙され続けた。無報酬であった。伯父を憎み仕返ししても当然であった。しかし、そこにも神様からの関与があったので、ヤコブは伯父と争うことなく袂を分かつことができたのである。ヤコブの息子ヨセフも、また然りであった。兄たちは彼を殺そうとし、結果的に命は助かったものの、彼はエジプトに奴隷として売られ、大変な苦労をした。飢饉にあっては、そうとも知らず、エジプトで大臣になっているヨセフのもとにやって来た兄たちに、ヨセフは危うく仕返しをする思いに駆られた。しかし、そこにも、神様の関与があった。それがヨセフをして兄たちを赦させた源であった。イスラエルという民族を、また私たちクリスチャンを今日まで生かさせたもの、様々な苦難のなかにあっても創造的に以下占めたものは、赦しにこそあったと思う。
筑波学園教会牧師 福島 純雄
2014年 5月4日 復活節第3主日礼拝
11:01イエスはある所で祈っておられた。祈りが終わると、弟子の一人がイエスに、「主よ、ヨハネが弟子たちに教えたように、わたしたちにも祈りを教えてください」と言った。 11:02そこで、イエスは言われた。「祈るときには、こう言いなさい。『父よ、御名が崇められますように。御国が来ますように。 11:03わたしたちに必要な糧を毎日与えてください。 11:04わたしたちの罪を赦してください、わたしたちも自分に負い目のある人を皆赦しますから。わたしたちを誘惑に遭わせないでください。』」
1.私たちが普段祈っている主の祈りの「我らに罪を犯す者を我らが許す如く、我らの罪をも赦したまえ」の部分について。主の祈りを、どのような視点から理解するかという点は、10章25節から書かれていた「善きサマリア人のたとえ」に登場する追い剥ぎにあって身ぐるみはがれた旅人のように、私たちも人生という旅を歩むうえで、無くてはならぬものを剥ぎ取られた者なのではないか、或いは、追い剥ぎに虎視眈々と狙われている者ではないか。だから奪われたものを神様によって取り返していただき、また、剥ぎ取られないように守っていただく、そのためのSOSや、守りの武具が主の祈りではないか、ということだった。
そこで、イエス様が最初に「父よ」と祈れと教えられた理由は、私たちが何よりも神様と「天の父 - 地にある幼子」という関係にあることを奪われてはならない・見失ってはならないとのお心からであった。続いて、先週耳を傾けた「日用の糧」についての祈りは、天の父なる神様は地にある幼子である私たちをひもじさの中に放置されるはずはなく、必ずや私たちに必要な糧を日々与えて下さることを見失ってはならない、とのお教えであった。
この食べ物に続いての祈りのあと、イエス様がお教えになったのが「罪の赦し」である。なぜ、食べ物のつぎに祈ることが「罪の赦し」なのか。私たちが地にある幼子としてその歩みを勧めるうえで無くてならないものは、日々の糧のつぎに、もっと他にあるのではないか。しかし、イエス様は食べ物の後に祈るべきものは、奪われてはならないものは「罪の赦し」なのだと言われる。
2.イエス様のこのお心を理解するうえで、つぎのようなアナロジー(類推)というか、実例を考えると、少しや解りやすくなるのではないかと思う。
食べ物というのは、外から私たちの体に取り入れられ、栄養として摂取されるものである。しかし、どんなに外側に食べ物が十分に備えられており、また、それを体の中に取り込んだとしても、肝腎の体の中が病んでいたり、内的なメカニズムが狂っていたりしたら、外に十分備えられた食べ物に手を伸ばす気力がなかったり、また、食べたとしても栄養として取り込まれないという状況になる。内的な健やかさや、病んでいない状態が、外からの食べ物の摂取とあいまって、車の両輪のような大事なものなのであ。
もう随分前のことだが、妻の父が召される1週間前に、お世話になっていた施設から、義父は意識不明の状態になって病院に緊急搬送された。最初、原因がわからなかったが、検査により低血糖によるこん睡だと分かった。医者は、付き添ってきた施設の担当者を叱っていた。「こんな低血糖になるまで何故放っておいたのかと。食事をさせていなかったのではないかと疑ったのである。しかし、実際には、認知症だった義父は、食べ過ぎるほど食事を摂っていたし、施設の担当者も、低血糖ぎみであったことを分かっていて、糖の点滴をしてくれていた。それでも、何故か、重い糖尿病のような症状が起こり、昏睡状態となり、亡くなってしまった。このように、内的な狂いや健やかさの欠如や病によって、どんなに外から食べ物を摂取しても命が維持されないことがある。
イエス様が、もともとこの状態を「罪」と呼ばれたかどうかは分からないが、とにかく、こうした内的な病い、健やかさが失われてしまった状態を、この聖書箇所では「罪」としている。罪というと、私たちはどうしても法律的なこととして、或いは、倫理的道徳的な事柄として、それを受けとめてしまう。普通に生活している私たちには、自分がそういう罪の中にあるという自覚はない。だから、何故それを「赦し」ていただくことが無くてならないことなのかがピンとこない。しかし、ここで言われている「罪」とは、- そして、聖書の中で罪と言われていることも、根源的には - 法律的には勿論、倫理的道徳的にも、私たちが何か規範を犯していることを意味してはいないのである。そんなことにもかかわらず、とにかく私たちが内的にどこかおかしい、不全である、健やかさを失っている状態を指しているのである。法律的・倫理的・道徳的に何ら罪を犯していなくとも、病気になることがあるだろう。どんなに外から食べ物を摂っても、栄養になって行かない状態になることがあるのであろう。そして、「赦し」とは、言葉どおりの意味は「解放」である。解き放ちということなのである。最も本来の意味に近いのが、病気からの癒しや治癒である。
私たち人間は、根源的にこのような状態に陥ってしまう者なので、神様によってそれを癒していただくことが不可欠なのだ、食べ物を与えて下さいと祈ることと並んで、無くてはならないものなのだ、とイエス様は教えられたのである。
3.では、私たちのこのように病んでいる状態とは、如何なる有り様を指しているのか。また、なぜ私たちはそのような病に陥るのか。
私たちが神様と『父-子』という関係にあることは、創世記1章の御言葉から言うと、私たち人間だけが神様の似姿(イマゴ・デイ)を刻まれた存在であるのと同じではないか。創世記の中でも、私たち人間の病いや内的な狂いというものは、根源的に、神様が私たち人間だけに刻んだ、このイマゴ・デイに由来するのではないかと私はとらえる。同じように、神様からその命を与えられて生かされている生物の中で、人間だけが病んでいて、狂っていて、健やかさを失っていることは、皆さん、納得されると思う。ずっと犬を飼ってきたから、本当にそうだと思う。
神様が私たち人間だけに刻まれた、このイマゴ・デイとは何を意味するか、いろいろな考えがある。私は、創世記1章1節に「はじめに神は天地を創造された」とあることから、創造する力というものをお与えになったのだと思う。創造とは、目の前のものに、主体的に支配的に関わらざるを得ない。だから、神様は人をご自分にかたどって造られたあとで、人間を祝福して「従わせよ、支配せよ」と言われたのである。従わせるとか支配するとは傲慢だ、だからキリスト教は自然を平気で破壊するのだと批判されるが、神様は祝福として、こう言われている。人間がそのような力を発揮することは、本来、自然にとっても祝福であるはずであろう。決して破壊ではない筈なのである。とにかく、私たち人間は創造的に主体的に、自らの人生を自らの創意工夫によって形づくる者として、生かされている。そこに生きる喜びを見いだすように造られている。だから、それが出来なくなるとき、内的に病まざるを得ない。不全状態に陥らざるを得ない。
しかし、私たち人間は、何とたやすく、創造的に主体的に生き得ない境遇に追い込まれることだろうか。創世記1章につづく2章では、何と、神様は私たちを土の器から創造されたと記されている。聖書の初めの創世記1章と2章に、人間創造に関する二つの御言葉が記されているのは、意味深いことである。なぜ神様は、ご自分の似姿に造った私たちを、もっとそれに相応しい永遠の器 - つまり、神様の似姿だから、それは永遠のものであるわけである。だとすれば、それが刻まれる器もまた、永遠の素材であることがふさわしいのだが - 、たやすくは壊れない器を用いて造られなかったのだろうか。イマゴ・デイと土の器、これは矛盾以外の何物でもないだろう。裂け目以外の何物でもないだろう。これゆえに、創造的主体的にかかわる人間が、土の器として環境や己の脆(もろ)さによって逆に支配される者となる。「こんな状態で、どうして創造的に主体的になど生きられようか」と呻(うめ)かざるを得ない。「こんな境遇に置かれるなら、自ら命を立った方がましだ」となってしまう。このようにして、私たちは病むのである。内的におかしくなるのである。それは、法律的に、いわんや道徳的どうとか倫理的にどうこうではなく、私たちが神様によってこのように創造された故の、避けることのできない十字架だと思う。これは、神様が私たちに授けた、神様が私たちに背負わせたものだから、ここからの解放や癒しは、どうしても神様にしていただくしかないのである。神様という医者に薬を出していただき、カウンセリングをしていただき、この病から介抱していただくしかないのである。
ここにこそ、イエス様という存在の意味がある。未だ生まれたばかりの教会が、この聖書の言葉こそがイエス様を預言したものだと早い時期から見出したものとして、イザヤ書52章13節から53章最後までの「苦難のしもべの歌」と呼ばれる御言葉がある。その4節には、「彼が担ったのは私たちの病」とあり、5節後半から6節には「彼の受けた傷によって私たちはいやされた。私たちは羊の群れ、道をあやまりそれぞれの方角に向かって行った。そのわたしたちの罪をすべて、主は彼に負わせられた」とある。ここにも、私たちに道を誤らせる罪とは、何よりも病としてとらえられている。そして、イエス様の苦難がそれを癒すと人々は感じた。なぜ、どういうメカニズムで、イエス様の苦しみが私たちの病や傷を癒すのかということは解らない。しかし、メカニズムがわからなくとも薬を飲むように、初代教会の人々はイエス様の、とくにその苦難が自分たちが抱えている内的な病としての罪を癒してくださると感じたのだった。
このことについて、私なりの説明をすれば、このようなことになる。私たち人間の病の根源は、イマゴ・デイを刻まれたにもかかわらず、土の器の中に置かれたことにこそあった。環境や様々な事柄に左右され支配されてしまうことにあった。ここにこそ、イマゴ・デイでありつつ土の器として生まれ、十字架の上で殺されるなかで、誰よりも創造的に主体的に生きられたイエス様が、『生きた』薬として投与されているのだと私は思う。宗教改革者のルターは、これを『偉大な交換だ』と語ったそうである。つまり、イマゴ・デイを刻まれたイエス様の健やかさと私たちの病とが交換されているということである。私も、しばしばイエス様のお働きを「臓器移植」にたとえてきた。或いは、人工透析になぞらえてきた。
十字架の上に殺されるそのご生涯は、創造的ではなかっただろうか。主体的ではなかっただろうか。ご自分を殺してしまう環境や社会の奴隷だっただろうか。そうではなかったのである。十字架を背負うなかに、イエス様固有の人生があったのである。十字架によらずば果たされ得ないお働きがあったのである。このお方によってこそ、私たちは土の器という十字架を背負って生きるのだと教えられる。その苦難の中にこそ創造性があり主体性があるのだと教えられる。そのためにこそ神様は、敢えて私たちを土の器の中に刻んだのだと語りかけられる。ダイヤや金の器ではなく、土の器だからこそ、苦悩し血を流すことの中にこそ、創造性があるのだと教えられる。互いに助け合い、支え合って生きる喜びを味わうのだと。イエス様という存在、とりわけてもその十字架のお姿が、私たちの『薬』なのである。これをのむことが神様から治療をしていただくことなのである。
筑波学園教会牧師 福島 純雄
2014年 4月27日 復活節第2主日礼拝
11:01イエスはある所で祈っておられた。祈りが終わると、弟子の一人がイエスに、「主よ、ヨハネが弟子たちに教えたように、わたしたちにも祈りを教えてください」と言った。 11:02そこで、イエスは言われた。「祈るときには、こう言いなさい。『父よ、御名が崇められますように。御国が来ますように。 11:03わたしたちに必要な糧を毎日与えてください。
1.とくに3節の「わたしたちに必要な糧を毎日与えてください」という御言葉に耳を傾けたい。私たちが普段祈っている言葉では「我らの日用の糧を今日も与えたまえ」に相当する。牧師となって27年間のなかで、主の祈りの御言葉をこのように連続して礼拝で取りあげるのは(ルカとマタイ福音書の両方に記されているので)もう4回目か5度目になる。今回は、主の祈り全体を理解する上での鍵となる視点のようなものを、新たに授かったような思いがしている。その鍵となる視点とは、ルカが直前の10章のなかで語っていた「善きサマリア人のたとえ話」に登場した追い剥ぎにあって身ぐるみはがれ半殺しにされて道端に放置されていた旅人である。私たちは、人生という旅をしていくうえで、大切な何かを剥ぎ取られてしまった旅人のような者ではないかと示される。だから、それを神様によって介抱していただき、包んでいただかなくてはならない。そのために無くてはならないのが、主の祈りなのである。あるいはまた、剥ぎ取ろうと虎視眈々、私たちを狙っている追い剥ぎに対する戦いの武器として、主の祈りが不可欠なものとして与えられているとも言えるかもしれない。
2.こんなふうに鍵となる視点が与えられると、なぜイエス様が、まず「父よ」と祈れと教えられたかが、良く解ってくる。ただ「父」ではなく、私たちが祈っている祈りの言葉から、「天の」という言葉を付け加えて考えていただいても良いだろう。イエス様はまず、私たちと神様とが「天の父 - 地にある幼子」という根源的な間柄にあることを決して忘れてはいけないと、どんなことがあっても見失ってはいけないと言われたのである。
ところで、少し厄介だが、「剥ぎ取られた」とか「奪われた」ということから言うと、果たして神様と私たちとの根源的な関係が、何かによって剥ぎ取られ得るものであるか、奪われてしまうものであるかということは、非常に難しい問題となる。ある人々は、それは私たちが犯す罪によって奪われてしまうと考える。しかし、またある人々は、どんなことがあっても奪われ得ないもの、損なわれ得ないものと考える。私は後者の立場である。私たちが神様の子供であることは、創世記最初の御言葉で言えば、私たちが神様の似姿として創造されたことにあたると思う。それは、神様が私たちに刻んでくださった像なのだから、他のどんなものも、これを破壊したり損なったりすることはできないと私は受けとめている。この似姿こそが、私たちが天の神様とその幼子である間柄を指していると理解する。だから、何人(なんぴと)も、これを剥ぎ取ることは出来ないのである。
しかし、間柄そのものは奪い取ることができないが、それを見えなくさせる何者かがいる。ちゃんと天に父(母のような存在でもあると私は思う)がいらっしゃるのに「そんな方などいないのだ」と私たちに思わせる。だから、すべてを自分の力でやらなくてはいけないと思いこませる。それこそが、キリスト教で言うところの罪なのであり、そう思わせ吹き込むのが悪魔とかサタンと呼ばれる存在なのである。
もし、父母がちゃんと存在しているのに、「いない」と思いこまされたら、どうなるか。いま、子供たちの貧困が日本でも大きな問題になっている。一日1食しか摂ることができない。義務教育も満足に受けることができない子供たちが増えているという。そうして、厳しい社会に放りこまれていくわけである。木曜日の夜に教育テレビで放映されていた番組では、1年間で少年院を出た子供たちが何千人かいるなかで、その何割かの子供は帰る家がなく、頼るべき親がいない子供なのだそうだ。そういう境遇のなかで非行を繰り返さざるを得ない。大変なときに、誰も頼る人がいないとは、本当に辛く厳しいことである。
親がいないとは、そういうことである。親がいるのに、いないと思わせられるのは、もっと辛いかも知れない。天に父また母である神様がいることが分からないということは、このような災いを私たちにもたらすのである。道を誤らせるのである。人生という旅を歩むうえで、決定的に不可欠なものを奪われてしまうことになるのである。だから、イエス様は、これを見失ってはいけないと、まず教えられたのである。
3.こうしたことから、「日用の糧を」という言葉も、良く理解できるようになる。まず、天の父なる神様は、地にある幼子である私たちが、ほんの一時でもひもじかったり、糧がない状態に放置されることはないのである。養育放棄は決してない。私たち、肉の親でさえ、普通であれば、そうなのだから、ましてや天の父なる神様は、そんなことをなさらないのである。だとすれば、なぜこのように祈るのか。祈る必要はないのではないか。それも、わざわざ「毎日与えて下さい」と祈るとは、天の父を信頼していないのではないか。
なぜ祈るのかと言うと、私たちの目を覆い、大切な事柄を見えなくしてしまう者がいるからなのである。天の父なる神様は、日々、片時も絶えることなく、私たちの糧をちゃんと備えて下さるお方である。しかし、それが見えなくなる時がある。隠されてしまう時がある。「ほら、お前たちに天の神は食べ物など用意してくれてなどいない。お前たちは飢え死にしようとしている。自分で食べ物を探さねばならない」と囁く者がいるのである。だから、それに対抗し戦って、天の父なる神様がちゃんと糧を毎日与えて下さっているのだと、気づかなくてはならないのである。そのための主の祈りなのである。
そこで大切なのは、神様はどのような方法で私たちに日々の糧をお与えになるかを、知らなくてはならないということである。神様は天の父なるお方である。だから、そういうお方としてとる独特の手段や方法があると思う。また、天の父なる方からの糧だから、それは私たちをいつまでも地上での幼子として留まらせるための糧ではなく、成長させ自立させ、いつかは天の父と似た者となるための、神様の似姿として完成するための糧である。そういう糧なのだから、お与えになる方法や手段、また、その糧の特色というものが当然あるだろう。それを知らなければならないのである。
4.いま聖書研究祈祷会で、ちょうど学び終えた列王記(上)の17章で、このことを教えられたように思う。時はダビデが建てた王国が、その息子ソロモンの死後、南と北に分裂してしまい、北王国に悪名高きアハブという王様が登場した時代だった。アハブ王は、これまた悪女として有名な妻イゼべルと共に、「バアル」という名前の神を信仰した。バアルという名前の意味は「所有」とのことである。つまり、王をはじめ、王国の人々は、豊かに所有することを神様として、頼りとして生きていた時代だったのである。今日の日本や世界を彷彿とさせる。このようなアハブ王の治世下に、有名なエリヤという預言者が登場した。彼がアハブ王に告げた第一声は「わたしの仕えているイスラエルの神・主は生きておられる。わたしが告げるまで、数年の間、露も降りず雨も降らないであろう」というものだった。これは、バアルやそれを信じている人々への、まことの神様からの宣戦布告であった。豊かに持つことを頼りにしているあなたがたに、それを不可能にするところの干ばつを、まことの神様はお与えになるとエリヤは告げた。そして、これを告げたエリヤ自身も、干ばつのなかで、所有に一切頼ることができない環境のなかで、神様がどうやって天からの糧を与えられるかを実体験して行かねばならなかった。
ここで先ず、教えられることがある。それは、天の父なる神様は、私たちの天からの糧をお与えになろうとするとき、豊かさではなく、それとは正反対の干ばつを環境として用意されることもあるのだという点である。干ばつとは、私たちそれぞれにとって、なかなか願った収穫や豊かさが手に入らない状況を意味している。そういう状況が起きたとき、私たちに囁く者が現れる。「ほら、糧が与えられていない。神はお前を飢え死にさせようとしている」と。しかし、そうではない。この囁きに、主の祈りを以って戦わねばならない。天の父なる神様は、私たちに天からの糧を授けるためにこそ、このような干ばつを与えたもうのだと知らねばならない。
神様がエリヤに与えたのは、第一に朝に夕に烏(からす)がパンと肉片を運び、また、川の水を飲むことによっての糧だった。その川の水が涸れてしまうと、次には、シドンのサレブタに行かせて、一人の未亡人によって彼を養わせたのであった。その未亡人は、決して裕福な女性ではなかった。むしろ、一人息子を抱え、わずかに残っている粉と油で最後の食事をしてしまえば、後は餓死するのを待つばかりの、極貧の未亡人であった。突然にそのような未亡人の前に現れた、これまた貧しい旅人であったエリヤは、何とも厚かましいことに「あなたと息子が食べるのは後にして、まず自分に食べさせよ」と言った。彼女は不承不承、これに応えた。すると「壺の粉は尽きず、瓶の油は無くならなかった」という。
この物語が、どれほどイスラエルの人々を支え続けたか、まさに天の神様が彼らに糧を与える独特の在り方を教え示して、困難な状況を生き抜くための糧を見出させたか、想像に難くない。神様はこのような手段によって、私たちに糧を与えられることがある。それは、本当にささやかで、かすかで、いつ涸れてしまうかも知れない手段である。また、貧しい者同士が出会い、助け合い、求められた必要や訴えに応えていくことによってである。多くを所有するという在り方や糧とは、まるで対照的なものである。しかし、神様はこのように、私たちを養いたまう。このことに思いを向けたい。ここに、神様からの糧がちゃんと備えられていると気づきたいのである。
5.最後に「日々」ということに触れたい。これは、天の父なる神様が私たちに糧を与えたもう、その為さり方は「日々」なのだ、一日一日なのだということを教えておられるものと思う。紹介したエリヤ物語でも、朝な夕な、一日一日、からすが食べ物を運んで来たのであった。また、「ヤコブの子孫、つまりイスラエルの民族が、奴隷として苦しめられていたエジプトを、モーセに導かれて脱出し、荒野を40年間さまよっていたときも、不思議な食べ物だったマナは、次の日が安息の日である日を除いて、日々集めなければならなかった。次の日の分を心配し、また欲張って集めても、腐ってしまうだけなのであった。
イエス様が「日々」と教えられた背景に、この出エジプトの出来事がきっとあったと想像する。なぜ日々なのか。それはマナが腐ってしまったことに良く現れている。明日のことを思い煩ってはいけないのである。明日のことを心配して集め蓄える糧は、腐ってしまう。神様からの糧にはならない。「一日一日を行きなさい、そのための糧を私は与えるのだから」と。明日の分は、また明日与えられる。「だから、明日のことまで思い悩むな。明日のことは明日自らが思い悩む。その日の苦労はその日だけで十分である」(マタイ6章34節)との御言葉も聞こえてくる。
こうして一日一日を重ねていくとき、それが明日へ、未来へとつながっていくのである。「必要な糧」の「必要」と訳された言葉は、実はその時代のギリシャ語のあらゆる文献のなかにも見当たらない。聖書のなかでも、ここだけで使われる「エプウーシオス」という言葉だそうである。おそらく、本来の意味は「未来の」「明日の」という意味ではないかと言われている。明日の糧を日々とは、どういう意味か、ずっと解決されていないそうである。私なりの理解もあり得るのかと感じている。日々与えられる糧を見出し、一日一日を重ねていくことが、明日へとつながっている。明日を生きていく希望や勇気という糧をいただく源となっていく。今日一日を誠実に精一杯いきることは、おのずから明日の糧にもなるのである。
筑波学園教会牧師 福島 純雄
2014年 4月20日 復活節第1主日礼拝
16:01安息日が終わると、マグダラのマリア、ヤコブの母マリア、サロメは、イエスに油を塗りに行くために香料を買った。 16:02そして、週の初めの日の朝ごく早く、日が出るとすぐ墓に行った。 16:03彼女たちは、「だれが墓の入り口からあの石を転がしてくれるでしょうか」と話し合っていた。 16:04ところが、目を上げて見ると、石は既にわきへ転がしてあった。石は非常に大きかったのである。 16:05墓の中に入ると、白い長い衣を着た若者が右手に座っているのが見えたので、婦人たちはひどく驚いた。 16:06若者は言った。「驚くことはない。あなたがたは十字架につけられたナザレのイエスを捜しているが、あの方は復活なさって、ここにはおられない。御覧なさい。お納めした場所である。 16:07さあ、行って、弟子たちとペトロに告げなさい。『あの方は、あなたがたより先にガリラヤへ行かれる。かねて言われたとおり、そこでお目にかかれる』と。」 16:08婦人たちは墓を出て逃げ去った。震え上がり、正気を失っていた。そして、だれにも何も言わなかった。恐ろしかったからである。
1.復活の知らせを聞いた女性たちの応答について、また、復活のイエス様とのその後の出会いについて、そしてこのエピソードのまとめ方について、マルコ福音書と他の福音書との記述の違いに改めて気づかされた。そして、そのことから大きな慰めのようなものをいただいた。
どのような違いかというと、まず復活の知らせを受けた女性たちの応答については、マタイは「女性たちは恐れながらも大いに喜び急いで墓を立ち去り、弟子たちに知らせるために走って行った」と(28章8節)、ルカは「そして墓から帰って、11人とほかの人皆に一部始終を知らせた」と(24章9節)、ヨハネは、特にマグダラのマリヤについて「弟子たちのところへ行って、『私は主を見ました』と告げ、また、主から言われたことを伝えた」(20章18節)とある。はっきりと「喜び」と書いているのはマタイだけだが、3つの福音書のすべてが、すぐに墓からきびすを返して弟子たちに復活の知らせを告げたように書かれている。これに対してマルコ福音書には、そういう場面は全く描かれていない。最後まで「恐ろしかったから」であり、弟子たちに復活の知らせを告げることができないまま終わっている。また、復活のイエス様との出会いの場面について読み較べると、他の3つの福音書では、すべてそのシーンが書かれているのに対し、マルコ福音書では、全く書かれないまま終わっている。
「いや、マルコ福音書でも、9節以下の記述があるではないか」と言われるだろうか。9節以下を読んでいただくと分かるが、そこには、先ず不思議なカギカッコが付けられている。これは何の印かというと(なお論争はあるようだが、大方の定説としては)、もともとのマルコ福音書には、この部分はなく、後から書き足された部分ではないかということを示している。「女性たちが復活の知らせを聞いたのに恐れたままでいたというのは、おかしいではないか。復活のイエス様との出会いの場面がないまま『恐ろしかったからである』と福音書が閉じられるのはおかしいではないか。福音書の終わり方としてふさわしいハッピーエンドがないではないか」そう感じた読者たちが、他の福音書をまとめてダイジェストしたような形で書き足したと考えられる。
けれどもマルコは、そもそもそういうことを感じなかった。むしろ、福音書がこういう形で終わることにこそ、意義を感じていたのであった。その心について思いを馳せたとき、大きな励ましや慰めのようなものを感じたのである。
2.ではマルコは、どんな思いから、わざわざこのような書き方をしたのだろうか。まずマルコは、復活の知らせを受けた女性たちが、なおもこのように恐れていたことを、否定的には捉えていなかった。むしろ、肯定的に受け止めていたからこそ、このような書き方をした。彼女たちがそうした状態にあったのを、変な言い方だが、大丈夫だと思っていた。というのもマルコは、この女性たちが、後に復活されたイエス様とお会いし、復活を信じ、復活の証人となってそれを人々に語り伝え、初代教会のなかで大切な働きを為すリーダーとなったことを知っていたのである。マルコだけでなく、この福音書を読む読者たちは皆、それを知っていたはずである。だから、敢えてそれを書く必要がなかった。むしろそれを書かずに、このような文章に留めて「安心しなさい。この女性たちは変ることができたのですよ。イエス様が復活されたのは、まぎれもない事実であり、そのイエス様との出会いによって彼女たちは変ることができました。ですから、あなたがたも大丈夫なのです」と福音書を読む読者たちに語りかけているのだと私は思う。
それによって、どれほど多くの人達が励まされたことか。この女性たちは、実際に墓の入り口を塞いでいた大きな石が動かされていたのを見たのである。ちなにみ、この「石」とは、とても象徴的なものであって、私たちそれぞれを「塞いでしまう」悲しみや苦難を表しているものであると、私はいつも感じる。また、墓の中に入って、不思議な若者(天使?)から直接、イエス様の復活の知らせを聞いた。イエス様の亡骸が無くなっているのも見た。復活されたイエス様にお会いしなかった点だけが私たちと同じだが、それ以外では、私たち福音書の読者の誰よりも「有利」な立場にあった。しかし、そんな彼女たちでさえ、恐れたのである。「そうであるならば、私たちは尚更ではないか」ということなのである。マルコが、わざわざ復活のイエス様と彼女たちとの再会の場面を記さなかったのは、そうしたことを期待できない私たちへの深い配慮だったのであろう。そして、たとえ、復活のイエス様とお会いすることができなくとも、復活は否定することのできない確かな真実であり、その真実はいつかあなたがたを変えるだろう、あなたがたが抱えている大きな石を転がしてくれるだろう、だから今は未だ恐れの中にあっても、「だれがあの石を転がしてくれるだろう」と心配しているとしても、「大丈夫だよ」と語りかけてくれているのである。私たちは安心して、石を抱えている状態のなかに留まることができるように思う。
なぜ、こんなことを励ましとして感じるのかというと、T姉のことである。まだT姉を突然に天にお送りして1ヶ月も経っていない。私はT姉と礼拝を共にしたのは3年だが、20年30年と、ずっと共に信仰生活を歩んでこられた方々にとっては、どれほどお寂しいことかと思う。先ごろ、20年近く共に歩み、一緒にホームレスの方々へのご飯作りをしてきた郡山教会の姉妹が天に召された。心を鬼にして葬儀には行くまいと思っていたが、本音では、存分にお別れをしたいと思ったし、ご遺族といろんなことを語り合いたかったという思いで一杯であった。また、ある方のことも気にかけている。それこそ、重い石を抱えて、いま穴の中に閉じ込められているような状況だと思う。誰がどうやってその石をころがしてくれるだろうかと、ひしひしと感じる。私たちは、なおも、このように恐れているのである。悲嘆にくれ、重い石のことを心配している存在でしかない。それは不信仰なのだろうか。そうかも知れない。しかしマルコは、そういう女性たちの姿を描くことによって、この福音書を閉じた。それは、そういう私たちに「大丈夫だ、安心しなさい」と語りかけてくれている。
3.さらに、このようなマルコの記述から考えさせられたことがある。初めに他の福音書の記述を概観したように、その記述は、十字架の上でイエス様を殺されて悲嘆にくれる女性たちや弟子たちを描くことから、少しずつだが、喜ぶことのできる者を描くことへと変化し、イエス様によって福音を宣べ伝えるべく派遣される弟子たちの姿を描く記述へと変っていく。ところがマルコは、こうした記述をしなかった。もっと言えば、マルコは、そのように書くことをはっきりと拒んだとも思えるのである。
4つの福音書の中で、マルコ福音書が一番早く書かれたということは定説になっている。彼がこの福音書を書いたとき、まだ他の3つの福音書は流布していなかったかも知れないが、そのもととなった伝承や資料は、当然あったはずである。それはマタイ福音書やルカ福音書の原型をなし、その記述は福音書の最後の部分を、そのような形でしめくくった。マルコはこれらを伝え聞いて、敢えて、そうした書き方に反抗していたのではなかったか。プロテストしていたのではなかったか。もちろん、復活を否定しているのではない。復活されたイエス様と女性たちや弟子たちとの再会を無視しているのでもない。そこには、はっきりとした意図が感じられる。
イエス様が十字架の上で殺されて、悲嘆にくれている女性たちが、一度や二度、復活の知らせを聞いただけで、どうしてすぐさま喜ぶことができようかという思いが、私には読みとれる。復活されたイエス様と出会うことによって、すぐさま彼女たちの悲嘆や恐れが払しょくされてしまうかのように描くことへのプロテストを感じる。それは、突き詰めれば、彼女たちにそのような悲嘆を与えることになった十字架の出来事が、そこにおけるイエス様の苦しみや痛みが、復活の出来事によってあっという間に払しょくされ、喜びにとって代わられてしまうことへの抵抗があるのではないか。十字架の出来事とは、それだけのものなのか。復活によって、十字架の苦しみなど無かったもののように、もはやどうでも良い過去の傷のように扱われることへの「否!」ではあるまいか。
実は、教会の歴史において、十字架の出来事がそのように扱われる流れというものがある。境界の3つの大きなお祭りであり記念日がクリスマスとペンテコステとイースターになっていることにも、それが現れている。確かに、イースターと十字架の出来事は一体となっている。イースターを祝うということは、同時に、十字架を覚えることでもある。しかし、イースターだけが祝祭の主日となり、十字架の受難日は(もちろん今日の曜日では日曜ではないので仕方がないのかも知れないが)そうではない。十字架の出来事は、復活の出来事へと至る通過点に過ぎないのか。言わば、刺身の添え物として扱われているのではないか。三日目に起きたイースターの喜びによって、一日でも早く払しょくされ忘れ去られてしまうべき忌まわしい出来事として、十字架の出来事は見なされているのではないか。そういう見方に、マルコは抵抗したのだと思う。それゆえに、敢えてマルコは復活の出来事を書かなかったのではないか。十字架によって引き起こされた女性たちの悲しみや恐れを記すことで、福音書を閉じたのではないか。それは、十字架の悲しみに留まり続けたいとの思いではなかったか。すぐさま、復活の喜びへと移るのではなく、十字架の悲嘆に留まりたいという叫びなのではなかったか。十字架の苦難が、マルコにとっては、それほど大切だったということである。だから、十字架によって引き起こされた悲しみや恐れを大切に扱いたい、それはとっても大事なものなのだとの思いが、滲み出ている。
4.では、マルコは、十字架の苦難にどんな意義を見い出していたのだろうか。
15章39節に、つぎのように書かれている。「イエスがこのように息を引き取られたのを見て、『本当にこの人は神の子だった』」と、ローマの兵隊のひとりが言ったという。このように息を引き取ったということの中には、その前の34節で、イエス様が「エロイ、エロイ・・・(わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか)」と叫ばれたことも含まれているであろう。誰が見ても「神の子」とは言い難い最後であった。むしろ、神様から見捨てられたというべき者の最期であった。しかしマルコは、「その姿にこそ、神の子を見た」と異邦人の隊長に語らせている。
どうしてイエス様は、このような神の子としてのお姿を取らなければならなかったのか。なぜ十字架の苦難を味わわなければならなかったのか。神様はどうして独り子のイエス様に十字架を背負わせたのか。それは、私たちのためだったのである。第一コリント15章3節以下に、パウロが先輩より受け継いだもっとも初期の福音のエッセンスを伝える言葉が書かれている。「キリストが、聖書に書いてあるとおり私たちの罪のために死んだこと・・」と。十字架の苦難は、私たちの罪のためだった。私たちを罪とよばれる状態から救い出すためだった。私たちを塞いでいる罪という『大きな石』から、私たちを介抱するためであった。
「神の子」と聞くと、すぐに主の祈りを思い出す。イエス様は私たちに「父よ」と祈るようにと教えられた。神様を「アッバ(父さん)」と呼んでよい、だから、あなたがたはその幼子だと信じなさいと教えられた。この神様と私たちとの根源的な間柄が見えなくなり、塞がれてしまい、分からなくなってしまうことが罪なのである。分からなくなる時とは、何よりも苦難の時であろう。私たち一人ひとりが、それぞれに与えられた十字架を背負わなければならなくなった時であろう。その罪から私たちを救うために、イエス様ご自身が文字通りの十字架の苦難に身をおかなければならなかったのである。「わが神、わが神」と叫ばなければならなかったのである。しかし、「それが神の子なのだ」「父から愛されている神の子の姿なのだ」「この姿にこそ神が注がれているのだ」と、身をもってお示しになり、苦難に打ちひしがれている私たちを励まそうとされたのである。そこに父なる神様の配慮をお示しになるためなのであった。
イエス様の十字架はこのためであった。貴い聖なる意義を持ったものであった。三日目の復活によって、あっという間に払しょくされてしまう、復活へと至る単なる通過駅ではなかった。大切な、無くてはならぬ意義を持った苦しみであった。だから、それによって引き起こされた女性たちの悲嘆をも、マルコは大切なものとして扱ったのである。私たちの苦しみも、そのように扱われている。石は転がされてはいないかも知れない。なお、私たちは重い石を抱えて喘いでる。しかし、それも大切なことなのである。そして、いつの時にか、その石が転がされる時がくることをも、教えてくれているのだと思う。
筑波学園教会牧師 福島 純雄
2014年 4月13日 受難節第5主日礼拝
11:01イエスはある所で祈っておられた。祈りが終わると、弟子の一人がイエスに、「主よ、ヨハネが弟子たちに教えたように、わたしたちにも祈りを教えてください」と言った。 11:02そこで、イエスは言われた。「祈るときには、こう言いなさい。『父よ、御名が崇められますように。御国が来ますように。 11:03わたしたちに必要な糧を毎日与えてください。
1.受難週と呼ばれる1週間が始まる。イエス様は金曜日に十字架にかけられて殺され、日曜日の朝早くに復活された。受難週の始まりの日を、とくに「棕櫚の主日」と言う。しかし、特別に受難週にちなんだ聖書箇所ではなく、前回に続いてイエス様が教えて下さった「主の祈り」の言葉を読んでみたい。
この福音書を書いたルカは、祈りについてのイエス様の言葉、また主の祈りの言葉をわざわざマルタとマリヤのエピソードのすぐ後ろに置いた。10章の最後に、イエス様はマルタに「必要なことはただ一つだけである。それを取り上げてはならない」と言われたと書かれている。この言葉のすぐ後に、主の祈りが書かれているということが、「主の祈りが私たちにとってなくてはならないもの、取り上げてはならないもの」という著者ルカの思いを現わしている。
なぜ祈りがなくてはならないものかというと、10章に記されていた内容から言えば、善きサマリア人のたとえ話にあったように、私たちは、大切なものを奪われ剥ぎ取られてしまった旅人のような者であり、そのことを神様によって介抱していただかなくてはならない者だからである。そういう状態に置かれたとき、私たちは110番や119番をする。そのように私たちは神様にSOSを出すのである。SOSを出すことは、私たちにとって、なくてはならぬ必要なことである。祈りとは、そういうものなのである。
では、私たちは何を奪われ剥ぎ取られているのか。神様によって介抱していただかなくてはならない「剥ぎ取られ」とは、どういうものなのか。それは、神様とは、そもそもどのようなお方であり、私たちはその神様との間柄において、どういう存在として造られ、生かしめられているかということと深くかかわっている。だから、イエス様はまず、主の祈りを、神様がいかなるお方かをお教えになることから始められた。その神様との間柄において、私たちがいかなる存在であるかがわかったとき、私たちには、何が奪われているのか、失われているのか、神様に向かってSOSを出すべきことは何なのかが解って来る。
2.イエス様は、まず「父よ」と祈るようにお教えになられた。この「父よ」の「父」は、イエス様の当時の祈りの言葉では「アッバ」であったとのことである。エレミアスという学者は、その研究の中で、この「アッバ」というのは、言葉を話し始めたくらいの幼子が父親を「トータン」とか「パパ」と呼ぶような言葉であり、イスラエルの人々が、そのように神様を呼ぶことは、本当に有り得ないものだったと明らかにしてくれた。しかしイエス様は、神様をそのように呼んでもよいと、神様はこれをこそ喜んで下さるのだと言って下さったのである。だから、神様が「アッバ(父)」であるということは、私たちが神様をそのようにお呼びする幼子であるとの根源的な関係を示しているのである。
私たちと神様とが、このような間柄にあるということは、一体何を意味しているのだろうか。もしあなたが、幼い子の父であり母であったことがあるなら、その当時、自分の子供に対して、どのような気持ちを抱いていたかを思い起こして欲しい。平気で養育放棄をしてしまう親がいる昨今だが、普通は父母は、片時も幼いわが子から目を離さないものであろう。ましてや、幼子がひもじい思いをしたり、危険な状態に陥ったりすることを、決して放置しないに違いない。肉の親でさえそうなのだから「いわんや神様は・・・」なのである。他方、親による幼子への看護や養育は、時には、だだをこねる子供に対して断固として、その願い求めをはねつけるということも必要である。それは、親として、また大人として、それを幼子の願いどおり与え叶えることが明らかに子供のためにならず、かえって毒や危険になるということを知っているからである。私たちでさえそうなのだから「ましてや神様は・・・」ということである。
3.ここで、どうしてもマタイ福音書に記されている主の祈りの言葉に触れなければならない。ルカ福音書では、単に「父よ」とされているが、マタイ福音書では、私たちがいつも祈っているように、「天におられるわたしたちの」という言葉が付加されている。果たして、イエス様が教えられたもとの言葉は、マタイ福音書のものなのか、ルカ福音書のものなのかは定かではないが、仮にマタイが「天におられるわたしたちの」という言葉を付加していたとしても、それはイエス様のお心に適わなかったものではなかったであろう。イエス様は、折に触れて父である神様が「天におられる」「天の父」であると言われていた。それでは、神様がただ「アッバ(父)」ではなく、「天におられる父」であるということは、その幼子である私たちとの間柄に何を付加するものであろうか。
それは、父から幼子である私たちへの見守り・養育・監護が、天からのものだということを付加しているのである。アッバ(父)である神様が、地にある幼子である私たちに与えて下さる糧にしても、支えにしても、導きにしても、それはすべて天からのものだということである。何のために天の父なる神様は、地にある幼子である私たちに天からの糧をお与えになるのか。それは、いつの時にか、私たちが天の父のごとくに成長するためにほかならない。そのための糧であり、導きなのだという点が、とても重要なのである。神様は、私たちをいつまでも地上の幼子に留めるような養育はなさらない。仮に私たちがそれを求めても、それは幼子がだだをこねることでしかないのである。天の神様であるがゆえに、それを断固として拒まれる。それは私たちのためにならないことだからである。
もちろん、天の父なる神様は、地にある幼子である私たちが、地において、幼子として生きるうえで無くてはならない食べ物や糧はお与えになるであろう。しかし、それはいつまでも、というわけにはいかないのである。時が来れば、この地上の幼子であることから去って、- あたかも宇宙に飛び立つロケットが一段目、二段目・・・を切り離して衛星となって行くように -、切り離して行かざるを得ないものがある。ロケットは、それを切り離さなければ宇宙空間へ飛び出すことはできない。神様が、地上の幼子である私たちに、地上の糧を与えて下さるのは、定められた期間内だけなのだということを知らなければならないと思う。
4.以上のことから、私たちが一体何を奪われ、失われ、剥ぎ取られているかがわかってくるであろう。神様が私たちの天の父であり、私たちがその幼子であるというこの関係は、剥ぎ取られたり損なわれたりするものではないのであるが、私たちの側で、その関係が見えなくなることがある。解らなくなることがある。「私たちのSOSに、神様は何も答えてくださらないではないか」「私たちは、あたかも親の無い子供のように放り出されているのではないか」と思ってしまう時がある。これこそが、大切なものを失い奪われてしまっている状況ではないかと思う。様々なものが「親」であるかのような顔をし、私たちにささやく。「お前には、これが足りない、あれも足りない」と。そうして、私たちは、まさにマルタが、多くのことに思い悩み、心を乱していたようになってしまう。だから、私たちが何よりも祈り求めることは、私たちが神様の幼子として守られていることなのである。「足りないものなど何もない。天の父は、天に向かって成長すべく幼子である私たちに、必要なものを必ず備えて下さっている。これを解らせて下さい。信頼に立って生きることができるようにしてください。」と祈るのである。
こういう事から「御名が崇められますように」との祈りの意味もわかって来るであろう。「御名」とは、言うまでもなく、神様が「天の父」であることを指している。私たちが神様に向かって祈るとき、神様の名をお呼びするとき、神様が天の父であることを貶めたり、汚したり、何処かに置き忘れてしまうような祈りではいけないということである。残念ながら、私たちはしばしば、そのような祈りをしてしまう。いつまでも、どこまでも地に留まるべきものと思い、あれも足りない、これも欲しい、とだだをこねるてしまう。そんな私たちに、神様は言われるであろう。「あなたがたは、天にある私と、いつかは似たものになるべき存在ではないか。私があなたがたに注ぐ養育とは、そのためのものではないか。それなのに、なぜお前たちは私の心を悟らないのか。なぜ何時までも、何処までも、地上の幼子であり続けようとするのか。それは、天の父であるゆえに、私が決してあなたがたに与えることができないものだ。それを求める祈りは『天の父である私、あなたがたはその幼子』という関係を否定してしまうものだ。」と。
5.最後に、「御国が来ますように」という御言葉に耳を傾けたい。前出のエレミアスという学者は『新訳聖書の中心的使信』の中で「御名が崇められますように、御国が来ますように」との祈りは、当時のイスラエルの人々が安息日に守る礼拝の最後に唱えた「カデシュ」という聖なる祈りと呼応するものだと言っている。エレミアスが紹介しているカデシュの祈りは『彼の大いなる御名が、御心のままに創造された世界において讃えられ、崇められますように。彼の御国が、汝らの生涯と汝らの時代に、また全イスラエルの生涯において、一日も早く支配しますように。これに対してアーメンを唱えなさい』というものである。確かに、主の祈りの言葉と呼応していることが分かる。しかし興味深いのは、確かに言葉としては似たようなものであるが、イエス様は、主の祈りを決定的に違う内容をもった祈りとして教えたのではないかとエレミアスが言っていることである。それは、「御国が来ますように」とのカデシュの祈りは、まだ来ていない未来の神様の支配を求めるものである。私たちも、主の祈りのこの部分を祈るときには、多分、同じような思いで祈っているのではないかと感じている。しかし、当時のイスラエルの人々が、ひたすら未来的なものとして、未だ身近にはやってきていないものとして祈っていたこの祈りを、イエス様は、既に到来している御国への祈り、現在すでにその支配の中に身を置くことができているゆえの祈りへと、変えられたのではないかということである。今の私たちは、決して身を置くことができていない、全くその恩恵になどあずかっていない御国ではなく、既にその支配の中に置かれているのだと、神様の支配は既に始まっているのだと、天の父なる神様は、地にある幼子であるあなたがたをしっかりと支配して下さっているのだと、そのことに気づきなさいと、それ故の祈りを捧げなさいとのお教えなのである。イエス様の福音宣教の第一声が「神の国は近づいた」であったことを、改めて思い起こす。
筑波学園教会牧師 福島 純雄
2014年 4月6日 受難節第5主日礼拝
11:01イエスはある所で祈っておられた。祈りが終わると、弟子の一人がイエスに、「主よ、ヨハネが弟子たちに教えたように、わたしたちにも祈りを教えてください」と言った。 11:02そこで、イエスは言われた。「祈るときには、こう言いなさい。『父よ、御名が崇められますように。御国が来ますように。
1.この祈りは、マタイ福音書にも記されている。マタイでは、かなり言葉が長い(ちなみに、私たちが普段祈っている主の祈りの言葉は、マタイ福音書のものによる)。置かれている前後の文脈も全く違う。マタイでは、いわゆる山上の説教と呼ばれるまとまりの中に置かれている。このルカ福音書では、10章の直ぐ後に置かれている。この10章はとても特色をもった箇所で、そのほとんどが、ルカだけが記している物語である。最後の38節から42節では、有名なマルタとマリアのエピソードが記され、イエス様はマルタに「必要なことはただ一つだけである」との言葉をかけた。そのすぐ後に、この祈りが記されている。もともと、イエス様がどのようなときに、この祈りを教えたのかはわからないが、少なくともルカは、祈りをどのように捉えていたかが伝わってくる。それは、イエス様がマルタに言ったように「無くてはならぬ」ものである。私たちクリスチャンから決して取り上げられてはならない必要なものである。
2.なぜ、祈りは私たちにとって、無くてはならない必要なものなのか。小さい頃からの私にとって、祈りはまさにそのようなものであった。今年97歳になる父と88歳になる母は、私が幼かった頃、夫婦喧嘩の絶えない両親だった。子供の頃、よく真夜中に両親の怒鳴り合う声で目が覚めた。怖くて悲しいことだった。私の家の裏には、農業用のため池が幾つもあって、毎年そこに入水する人が絶えなかった。母が家を出て、そうなるのではないかと恐れていた。そこで、毎晩床に入ると10分も15分も涙ながらに、喧嘩をしないようにと祈っていた。祈りだけではなく、これをしたら神様は喜んで下さって願いを聞いてくれるのではないかと思い、寝る前に家中をきれいに掃除をしていた。けれども、しばしば、その願いはかなえられず、いつの頃からか、私の祈りの習慣は途絶えてしまった。その後も、教会に行くことはずっと途絶えずに続いたが、あの頃のように熱心に祈ったことは、暫くなかった。
そんな私が牧師になり、もうかれこれ30年が経とうとしている。この頃、ますます祈らざるを得ない思いが深くされている。何よりもの祈りは、説教の準備をするうえで、その言葉が神様によって与えられるということである。牧師としての私が語る言葉が、神様ご自身を伝えるものであってほしいと祈っている。また、教会員が突然召されてしまったとき、残されたご遺族や教会員の皆さんに、どうか慰めを語ることができますようにと祈らざるを得ない。
なぜ祈りは欠かすことができないのか。10章30節以下に「善きサマリア人」のたとえ話が記されている。そこに出てくる追い剥ぎにあって身ぐるみはがされ半殺しにあって道端に捨てられている一人の旅人こそが自分自身だと感じるからなのだと思う。私たちは、人生という旅を歩む旅人として、何かとても大切なものを誰かによって剥ぎ取られ奪われ、放置されている存在なのだと感じる。だから、神様に向かって、イエス様に向かって、聖霊に向かって、助けて下さいとさけびSOSを発信するしかない。この世の人間や手段によっては埋め合わせができない「剥ぎ取られ」に、私たちは遭遇している。それは、神様によってしか助けていただけない、介抱していただけない困窮である。そういうものを抱えている。そう自分を意識していない人々は、祈りの必要性など露ほども感じていないだろう。或いは、様々な困窮を抱えていても、それがこの世の人間や手段によって満たされてしまうものであれば、やはり神様に祈る必要はない。泥棒にあったとき、私たちは恥も外聞もなく助けを呼ぶ。祈りとは、言わば、神様への110番119番通報のようなものだとしみじみ思う。
3.それでは、一体、私たちは神様に対して、どのような「剥ぎ取られ」を抱えている者なのか。この問いは、そもそも神様がどのような方であり、その神様との関係において私たち人間とは如何なる存在であるかといことと密接に関わっているのではないかと思う。神様がどのような方であり、それゆえに、私たち人間をこの世の旅人としてどのように歩ましめようとされるのか、旅の途上において何を糧とし靴とし杖として授けて下さっているのか。そのことが解かってきて初めて、「神様、私はこれが奪われているのです。何とかしてください」と訴えることができるようになるのではないかと思う。
そういうことから、1節後半に記されている「ヨハネが弟子たちに教えたように・・・」という御言葉を理解することができます。ここで書かれているのは、イエス様の弟子たちがイエス様から主の祈りを教えていただいた直接のきっかけが、洗礼者ヨハネという人が彼の弟子たちに祈りを教えたことだったという、とても興味深い事実です。一体、洗礼者ヨハネがその弟子たちに祈りを教えたことの何が、イエス様の弟子たちの心をひきつけたのでしょうか。彼らをして、「自分たちも祈りたい・祈ることが必要だ」と思わせたのでしょうか。
イエス様の時代において、一般の人々がどのような祈りを捧げていたかということは良く分からない。これは、あくまで私の勝手な想像だが、それは非常に形式的な儀式的な祈りではなかったかと思う。祈りとは、もっぱら神殿に仕える祭司やレビ人が、決められた言葉によって、誤りなく捧げるものとされていたのではなかったか。そんな当時の祈りを、先ほどの比喩から言えば、神様に対する切実な110番・119番へと変えたのが、洗礼者ヨハネではなかったかと、私は想像する。
どのようにしてヨハネは祈りをそのようなものに変えたのかというと、何よりも神様が如何なる方か、それを伝えることによってだった。そして、その神様との関係において、人間は何を失い剥ぎ取られているか。そのことを気づかせて、祈らざるを得ない必要を人々に抱かせたのだと思う。
この福音書の3章に、ヨハネが語った内容が書かれている。「差し迫った神の怒り」「実を結ばない木をオノのごとく切り倒す」。これが、突き詰めて、彼が語った神様の姿だった。神様はそもそも私たち人間を、実を結ぶはずのものとして在らしめたということだろう。しかし、それが妨げられているのである。実を結ばない木に対しては、神様は容赦なく斧をふるい火に投げ込んでしまわれる。だから、そうされないように、実を結ばせていただくように、また、結実を妨げているものを取り除いていただくよう祈るしかない。ヨハネが、結実を妨げているものが何であると教えたかは、何も書かれていない。しかし、それはヨハネが「洗礼者」ヨハネとよばれていたことと大いに関係があるにちがいない。結実を妨げているものが、洗礼によって洗い流され、清められるという教えだったと思う。神様によって、そうしていただくしかなかった。「私たちはどうしたら良いですか」という問いに対し、ヨハネは、一般民衆へは「下着2枚持っている者は1枚も持たない者に分けてやれ」とアドバイスし、徴税人に対しては「規定以上のものをとりたてるな」、兵士には「金をゆすりとるな」といましめた。結実を妨げているもの、神様によって洗い流していただくものとは、突き詰めれば、貪欲なのだとヨハネは捉えていたに違いない。
イエス様の弟子たちは、ヨハネの弟子たちがこのように神様とは如何なるお方であるかをはっきりと知り、そこから切実な祈りへと導かれていった姿に、心を引き寄せられたのだと思う。そして、自分たちも、そのように祈りたいと祈る必要にかられた。それが、1節に書かれた、イエス様への願いとなって現れたのである。
4.だから、まずイエス様の教えた『主の祈り』は、ヨハネが教えたのと同じように、まず神様とは如何なるお方かをはっきりと教えることから始まっていた。それは「父」である、ということだった。
「父」とは、イエス様がお話になっていた当時の言葉で「アッパ」という(これは余談だが、私が生まれ育った秋田の方言では、母のことを「アッパ」と言う)。高名な新約聖書の学者であったエレミアスは、「新約聖書の中心的使信」という優れた本の中で、この「アッパ」という言葉が当時の社会においてどういう言葉だったのか(それは幼子が父親に対して、オトウタンとかパパとか片言の幼児語で呼びかける言葉であった)、そして、そのような言葉を以って神を呼び祈ることが、どれほど当時の人々にとって異質であり、意外であり、神様を冒涜さえするようなことだったかを、明らかにしている。だから、これも新約学者たちが明らかにしていることであるが、神様を「アッパ・父よ」と呼んで始まる主の祈りとは、最初の教会ではごく限られた人々に許された祈りだったという。誰もが知り、口にできる祈りではなく、洗礼を受けたものだけが受けることのできる聖餐式と密接不可分に結び付いたものだったことが分かっている。それほどに、神様を「アッパ」と呼んで祈ることは、驚くべきことなのであった。誤解さえ受けることなのであった。
イエス様は、弟子たちに、神様を「アッパ」と呼んで良いと教えたのだった。そのように私たちが呼ぶことこそ、お喜びになるお方であると教えたのだった。そして、神様がそのような父なるお方であるということから、私たちがその子供であり幼子のような存在なのだという、最も根源的な事柄が生じてくるのである。神様は私たちを、この世の旅路において如何なる旅人として歩ましめるのか、何が旅人である私たちの糧であり、杖であり、履物なのかが明らかになる。それは、逆説的に、幼子であるということなのである。旅をするうえでの糧や支えや力とは、まるで正反対のもののように思える。幼子であることが、何の助けになるのかと思う。しかし、そう思わせられることにこそ、旅人として歩むうえでの大切な何かを「剥ぎ取られた」私たちの姿があるのである。神様が父であり、私たちがその幼子であるなど、この世の旅路を歩むうえで一体、どんなちからになるのかと私たちは囁かれているのである。天におられるまことの父からではなく、この世の父母、また私たちに対して影響力をもった様々な存在から、そのように囁かれている。そして、幼子として在ることを奪われてしまっている。幼子として在ることからの祈りではなく、それと正反対であろうとすることからの祈り求めをしているのである。
元は英文学者であり、現在は信州の伊奈谷に住んで、もっぱら老子の思想を語っておられる加嶋祥造は、青山の短大でも教鞭をとられたこともあったようである。クリスチャンではなかったが、折に触れて、私はこの人の本を読むことがある。「求めない」という題の詩歌を集めた本がある。祈り求めを無くてはならないものとする私たちへの、深い問いかけを感じる言葉である。彼は、この本のあとがきに「人間とは、何かを求めずにはいられない存在です。この前提は否定しないのですが、・・・現在の私たちの生活は、自分の好むと好まざるとに関わらず、求めすぎている。いや、求めるように促されている!足るを知ることは富なりという老子の思想・・」と書いている。私たちが必要欠くべからざると思って捧げる祈りが、周囲から求めるように促された故のものではないようにと願う。神様がアッパすなわち父であり、私たちがその幼子としてこの世に生かしめられているということの十分さ、足りていることを忘れないようにしたい。その十分さを、より深く知ることこそ願いたい。
それが、父という神様の御名が崇められ高められることに他ならない。
筑波学園教会牧師 福島 純雄
2014年 3月30日 受難節第4主日礼拝
32:07使いの者はヤコブのところに帰って来て、「兄上のエサウさまのところへ行って参りました。兄上様の方でも、あなたを迎えるため、四百人のお供を連れてこちらへおいでになる途中でございます」と報告した。 32:08ヤコブは非常に恐れ、思い悩んだ末、連れている人々を、羊、牛、らくだなどと共に二組に分けた。 32:09エサウがやって来て、一方の組に攻撃を仕掛けても、残りの組は助かると思ったのである。 32:10ヤコブは祈った。「わたしの父アブラハムの神、わたしの父イサクの神、主よ、あなたはわたしにこう言われました。『あなたは生まれ故郷に帰りなさい。わたしはあなたに幸いを与える』と。 32:11わたしは、あなたが僕に示してくださったすべての慈しみとまことを受けるに足りない者です。かつてわたしは、一本の杖を頼りにこのヨルダン川を渡りましたが、今は二組の陣営を持つまでになりました。 32:12どうか、兄エサウの手から救ってください。わたしは兄が恐ろしいのです。兄は攻めて来て、わたしをはじめ母も子供も殺すかもしれません。 32:13あなたは、かつてこう言われました。『わたしは必ずあなたに幸いを与え、あなたの子孫を海辺の砂のように数えきれないほど多くする』と。」 32:14その夜、ヤコブはそこに野宿して、自分の持ち物の中から兄エサウへの贈り物を選んだ。 32:15それは、雌山羊二百匹、雄山羊二十匹、雌羊二百匹、雄羊二十匹、 32:16乳らくだ三十頭とその子供、雌牛四十頭、雄牛十頭、雌ろば二十頭、雄ろば十頭であった。 32:17それを群れごとに分け、召し使いたちの手に渡して言った。「群れと群れとの間に距離を置き、わたしの先に立って行きなさい。」 32:18また、先頭を行く者には次のように命じた。「兄のエサウがお前に出会って、『お前の主人は誰だ。どこへ行くのか。ここにいる家畜は誰のものだ』と尋ねたら、 32:19こう言いなさい。『これは、あなたさまの僕ヤコブのもので、御主人のエサウさまに差し上げる贈り物でございます。ヤコブも後から参ります』と。」 32:20ヤコブは、二番目の者にも、三番目の者にも、群れの後について行くすべての者に命じて言った。「エサウに出会ったら、これと同じことを述べ、 32:21『あなたさまの僕ヤコブも後から参ります』と言いなさい。」ヤコブは、贈り物を先に行かせて兄をなだめ、その後で顔を合わせれば、恐らく快く迎えてくれるだろうと思ったのである。 32:22こうして、贈り物を先に行かせ、ヤコブ自身は、その夜、野営地にとどまった。 32:23その夜、ヤコブは起きて、二人の妻と二人の側女、それに十一人の子供を連れてヤボクの渡しを渡った。 32:24皆を導いて川を渡らせ、持ち物も渡してしまうと、 32:25ヤコブは独り後に残った。そのとき、何者かが夜明けまでヤコブと格闘した。 32:26ところが、その人はヤコブに勝てないとみて、ヤコブの腿の関節を打ったので、格闘をしているうちに腿の関節がはずれた。 32:27「もう去らせてくれ。夜が明けてしまうから」とその人は言ったが、ヤコブは答えた。「いいえ、祝福してくださるまでは離しません。」 32:28「お前の名は何というのか」とその人が尋ね、「ヤコブです」と答えると、 32:29その人は言った。「お前の名はもうヤコブではなく、これからはイスラエルと呼ばれる。お前は神と人と闘って勝ったからだ。」 32:30「どうか、あなたのお名前を教えてください」とヤコブが尋ねると、「どうして、わたしの名を尋ねるのか」と言って、ヤコブをその場で祝福した。 32:31ヤコブは、「わたしは顔と顔とを合わせて神を見たのに、なお生きている」と言って、その場所をペヌエル(神の顔)と名付けた。 32:32ヤコブがペヌエルを過ぎたとき、太陽は彼の上に昇った。ヤコブは腿を痛めて足を引きずっていた。 32:33こういうわけで、イスラエルの人々は今でも腿の関節の上にある腰の筋を食べない。かの人がヤコブの腿の関節、つまり腰の筋のところを打ったからである。
1.ヤコブは、叔父ラバンのもとでの苦労の絶えなかった20年間を終えて、故郷へと向かおうとしていた。しかし故郷では、20年前、彼を殺そうとするほどに憎んだ双子の兄エサウが待ち受けていた。
2節と3節には「ヤコブが旅を続けていると・・・名付けた。」とある。なぜ神様の使いが突然にヤコブに現われたのか、その神様の使いを、何故ヤコブが「神の陣営」、「マハナイム(二組の陣営)」と呼んだのかについては、何も書かれてはいない。ちなみに、後の8節と9節や11節では、二組の陣営というのは、ヤコブがエサウからの万が一の攻撃に備えて、家族や財産を二組に分けたことや、それほどの財産をもつほどになったことの意味とされているが、この2節と3節には、そういうことは何も書かれていない。
大切な示唆を受けるのは、2節書き始めの言葉である。注解書によれば、原文では「ヤコブは彼の道に行った」と書かれているとのことである。そこで、ヘブライ語の原文に当たってみたが、確かにそう書かれていた。わざわざ「彼の道」と書かれていた。その心は何かと考えると、ヤコブが、いま進もうとしていた故郷への道は、あくまで「彼の道」だったということである。彼が考え、進もうとしていた道だったのである。つまり、神様が彼に行かせようとした道とは違っていたということであろう。確かに、彼は故郷への道を進もうとしていた。しかし、それは兄エサウとの再会の道ではなかったのである。神様の御言葉・ご指示も、故郷へ帰れとは言っていたが、はっきりとエサウと再開せよとは言ってはいなかった。だからヤコブは、故郷へは帰っても、兄との再会を考えてはいなかったと私は想像する。彼には、二組に分けることができるほどの沢山の家族や財産があったのだから、故郷へ帰って兄の世話にならずとも、生活することはできたはずなのである。
ヤコブがこのように、彼の考えた道に進もうとしていたので、神様は「陣営」と直感的にヤコブが感じるような強い迫り方・促しをもって、ヤコブに立ちはだかったのではないかと私は思う。彼は自分の陣営・考えと、神様の陣営・御心がいま対峙していると感じた。自分は二つの陣営のどちらに組みするか、その岐路に立たされていた。ヤボクの渡しとは、丁度パレスチナとその東側の境界線にあった場所だったそうだが、まさにそのように、ヤコブは、この二つの陣営の境目に立たされていたのである。
2.では、神様の御心とは何かと言えば、勿論、ヤコブをして兄エサウと再開させようとなさることなのである。なぜ、神様はそうさせようとなさったのか。それは、単なるエサウとの再会や仲直りではないと思う。むしろ、20年前までのヤコブ自身との再会であり、その後の叔父ラバンのもとでの20年間で培ってきたものをもって、過去の自分と向かい合っていく機会なのだと示される。
20年前までのヤコブは、どのような人間だったか。彼は、自分の意志によってではなく、神様から背負わせたものとして、双子の兄弟の弟として生まれさせられた。それは運命とか宿命とか言われるものであった。彼の名前がヤコブと付けられたのは、兄エサウのかかと(アケブ)を掴んで、やっと母の胎を出ることができたからだった。先に生まれた兄がたくましい狩人として成長して、肉が好きだった父に愛されたのと対照的に、ヤコブは家の周りにいるのを好む人間になった -これはわたしの勝手な想像だが、生来の虚弱さのようなものを背負っていたのではないかと思う- 。故に、父からは愛されず、母からは溺愛され、絶えず兄と自分を比べ、兄のものを騙し奪い取ろうとする人間になってしまった。目が見えなくなった父を、母と共謀して騙し、兄からの憎しみを買って家を出ざるを得なくなったのが、20年前のことであった。その時の彼の正確な年齢はわからないが、少なくとも40歳にはなっていたことは確かである。40年間、要は、生まれつきの運命とか宿命と言われるものに翻弄され支配されてしまった人生の帰結だったのである。その揚句に、そういう人生から逃げ出してしまった20年前だったのである。
「それを放置したまま逃げ出してはいけない」というのが神様の御心だと思う。神様は「その20年前の自分に向き合い、その後の20年間で新しく培ったものをもって、少しは成長させられたものをもって、向き合いなさい。それを避けて通ることはできないのだよ。」とおっしゃっていたのだと思う。もし、放置したままであったならば、ヤコブの人生というのは、生まれつきの運命とか宿命と言われるものに支配され翻弄されるだけのものだったということになる。所詮、人間とは自分では如何ともし難いものの奴隷でしかないということになる。そうなのか、それで良いのかという神様からの問いかけ・チャレンジ・挑みかかりなのである。
3.そこで、ヤコブは叔父ラバンのもとでの20年間で培ったものをもって、エサウに再会しようとした。それはどんなものだったか。4節以下を読むと、まず彼がエサウに向かって押し出そうとしたものが、20年間に手に入れた財産であったということが読みとれる。あらかじめエサウに遣わした使いの者に、まず言わせようとしたのが、6節にあるような「牛・ろば・・・奴隷を所有するようになりました」との言葉だった。使いの者から、エサウが400人の供を連れてこちらに向かっていると聞くと、非常に恐れて、万が一のためにと講じた手段は、やはり20年間で得た人や財産を二手に分けることであったと書かれている。
では、ヤコブが叔父ラバンのもとでの20年間で得たものとは、ただ家族や財産であったかというと、そうではなかったのである。10節以下に書かれているのは、祈るヤコブの姿である。20年前、家を出て石を枕に横たわっていたヤコブに、祈る姿は何処にもなかった。しかし、20年経って、確かにまず財産や所有物に頼る彼ではあったが、ただそれだけではなく、祈ることのできる者に変えられていたのである。ラバンのもとでの20年は、ヤコブをこのように成長させていたのである。
ヤコブの祈りの中心は何だったか。それは10節と13節に繰り返されているように、「わたしはあなたに幸いを与える」との神様の約束の言葉なのであった。この20年間で、何よりも彼がわかったこと、体験したことは、この神様の言葉が真実であったということだった。叔父ラバンがどんなに自分に悪意を働こうとも、神様が私に味方してくださるのを妨げることはできないということだった。この20年間ヤコブは、騙すラバンという如何ともし難い支配者のもとに置かれていた。しかし、彼はその奴隷ではなかった。神様が味方であって下さった。それによって得たのが、目に見える財産や家族だったのである。
4.こうして、20年間で培ったものを携えて、エサウと会おうとしたヤコブであったが、なお、再会するには、依り頼むものが足りなかったので、神様ご自身が不思議な存在において彼に現われ格闘した問う出来事が、23節以下に書かれているのだと思う。
いよいよ故郷へ入るその境界線となっているヤボク川の渡しのところにやってきて、家族や持ち物をすべて渡してしまったが、どうしてもヤコブは渡ることができなかった。すると、何ものかが彼のもとに現れて彼と格闘をしたという。注解書によれば、これは、そもそもはいわゆる川の精、川の番人のような存在であったろうとのことである。だから、「夜が明けるから去らせてくれ」というわけであった。けれども31節で、ヤコブが「私は・・・神を見た」と言っているのだから、いつの間にか、彼にはそれが神様ご自身であると感じていたのであろう。だから、神様が彼に現われて格闘をしたと受け取っても良いのである。
神様は何故ヤコブと格闘されたのか。なぜ特別に、このような現れ方をされたのかと疑問に思う。20年前、石を枕に横たわっていたときには、夢の中で、天から梯子をかけ、御言葉を下さった。ラバンのもとを出るように促すときにも、ただ、お言葉をかけられただけであった。なぜ今度は、相撲やレスリングのような格闘であったのだろうか。やはり、それはヤコブにとってエサウと再会すること、このヤボクの渡しを渡って行くといことは、自分の思いとは真っ向から反する神様の御心との戦いであり、格闘だったことの現れだと思う。ただハイハイと言って、易々と受け入れられるようなものではなかったのである。
そして、この戦いにヤコブは勝ったのである。結果的には、彼は腿の関節を外されて歩くのが不自由になったとあるわけだから、明らかに敗北をしたことになる。私の長男が先天性の股関節脱臼だったので、股関節脱臼を、とても身近に感じた。負けたヤコブであったが、神様は「お前は神と人と戦って勝った」とも言われたのである。これは、私の勝手な想像であるが、ヤコブは丸裸で神様と戦ったのだと思う。そして、神様に股関節を外すという手段をとらせるほどに、粘り強く力強く戦って『勝つ』ことができたのであろう。それは、彼の自信となったであろう。「お前はそうやって神と戦うことができたのだ。だとすれば、お前はエサウとも戦って勝つことができるだろう。丸裸でも大丈夫だ。自信をもって再会しなさい。」と勇気づけられたのである。そのために格闘という場面が不可欠だったのではないだろうか。
5.さらに、ヤコブが神様に勝ったといことの意味として、まことに理不尽な生来の運命や宿命のようなものとして、ヤコブは神様から双子の弟として生きざるを得ない重荷を背負わされた。ラバンのもとでの苦節20年、そして、意に反してエサウと再開させようとする神様であった。何故なのか、どうしてなのか、とヤコブは格闘した。結果は負けなのであった。あえなく股関節を外され、足を不自由にされてしまった。究極的に神様に勝つことはできない。けれども、神様が与えたこのような理不尽な環境の奴隷になるのではなく、彼はそれと戦い、また、恐れを乗り越えてエサウと再会しようとしていたのである。神様が与えた生来の制約と格闘し、それを乗り越えて生きようとする人間の姿がそこにあった。
こうして、ヤコブはイスラエルという新しい名前を授かった。それが彼に与えられた祝福だった。イスラエルとは、まことに不思議な名前である。訳としては、「神様が争った」「神様が勝った」と訳すこともできるし、また、「神様と争って神様に勝った」と訳せるとも、注解書には書かれている。二つのまるで正反対の意味が、両方込められているのが、このイスラエルという名前である。そして、それが祝福なのである。
私たちもまた、このイスラエルという名前を授かっている。そこには、敗北と勝利が合わさっている。一方で、私たちは神様から戦いを挑まれ敗北せざるを得ないものなのである。そのような神様に、顔と顔を合わせてお会いしなければならない。それによって、私たちは股関節を外されるであろう。それは苦しみであり試練であろう。けれども、その敗北がなければ、私たちは人と神様に勝つことができないのである。「私は顔と顔を合わせて神を見たのに、なお生きている」とヤコブは言ったと31節にある。敗北したが、そこに新しく生きるスタートがあった。太陽が昇っていた。
筑波学園教会牧師 福島 純雄
2014年 3月23日 受難節第3主日礼拝
04:08ところで、あなたがたはかつて、神を知らずに、もともと神でない神々に奴隷として仕えていました。 04:09しかし、今は神を知っている、いや、むしろ神から知られているのに、なぜ、あの無力で頼りにならない支配する諸霊の下に逆戻りし、もう一度改めて奴隷として仕えようとしているのですか。 04:10あなたがたは、いろいろな日、月、時節、年などを守っています。 04:11あなたがたのために苦労したのは、無駄になったのではなかったかと、あなたがたのことが心配です。 04:12わたしもあなたがたのようになったのですから、あなたがたもわたしのようになってください。兄弟たち、お願いします。あなたがたは、わたしに何一つ不当な仕打ちをしませんでした。 04:13知ってのとおり、この前わたしは、体が弱くなったことがきっかけで、あなたがたに福音を告げ知らせました。 04:14そして、わたしの身には、あなたがたにとって試練ともなるようなことがあったのに、さげすんだり、忌み嫌ったりせず、かえって、わたしを神の使いであるかのように、また、キリスト・イエスででもあるかのように、受け入れてくれました。 04:15あなたがたが味わっていた幸福は、いったいどこへ行ってしまったのか。あなたがたのために証言しますが、あなたがたは、できることなら、自分の目をえぐり出してもわたしに与えようとしたのです。 04:16すると、わたしは、真理を語ったために、あなたがたの敵となったのですか。 04:17あの者たちがあなたがたに対して熱心になるのは、善意からではありません。かえって、自分たちに対して熱心にならせようとして、あなたがたを引き離したいのです。 04:18わたしがあなたがたのもとにいる場合だけに限らず、いつでも、善意から熱心に慕われるのは、よいことです。 04:19わたしの子供たち、キリストがあなたがたの内に形づくられるまで、わたしは、もう一度あなたがたを産もうと苦しんでいます。 04:20できることなら、わたしは今あなたがたのもとに居合わせ、語調を変えて話したい。あなたがたのことで途方に暮れているからです。
1.8節に、パウロが「あなたがたはかつて、神を知らずに、もともと神でない神々に奴隷として仕えていました」と言ったとある。その神々とは、9節では「あの無力で頼りにならない支配する諸霊」だともパウロは言っている。これは、ガラテヤの人々がクリスチャンになる前に、どのような神々を信じ、それゆえに彼らがどのような状態にあったかを物語っている。具体的には何も書かれてはいないが、彼らがどんな神々を信じていたかは想像に難くない。ガラテヤという地域は、いまのトルコの一部にあたる。当時、そこはローマ帝国の一つの州だった。だから、基本的には、ギリシャ・ローマの神々を信じていたのではないかと思う。その信仰とは、一言で言えば、日本の古い諺にある「触らぬ神に祟(たた)りなし」というものではなかったか。つまり、彼らにとって神様は、祟られる存在なのであった。だから、祟られないように、怒りを買うことのないように、常にいろいろな貢物をして、御機嫌を取らねばならない存在であった。何か悪いことが起きると、すぐに神々の祟りからそうなったと受け取ってしまうしかなかったのである。
使徒言行録17章23節以下に、パウロがギリシャのアテネに行ったときに、アレオバゴスの真中に立って次のように語ったことが書かれている。「道を歩きながらあなたがたが拝むいろいろなものを見ていると、『知られざる神に』と刻まれている祭壇をさえ見つけたからです」と。
パウロはこの言葉を、アテネの人々が実に信仰に篤い人々であると誉めた(しかし、皮肉も入っていると思うが・・・)ために言っているのだが、アテネの人々がなぜ「知られざる神に」と刻まれている祭壇を作って貢物を捧げていたかと言えば、名前を知らない神々からも祟られないようにと願っていたからだと思う。彼らのあつい信仰心とは、実はそのような恐れや不安にとらわれたものだったのである。ガラテヤの人々が、クリスチャンになる前の信仰心も同じようなものだったに違いない。それは、8節や9節でパウロが言っているように、信じる者を恐れや不安で支配して、奴隷のような状態に置いてしまうものだったのである。
2.このことは、決して2000年前の様子であるばかりでなく、今日にも当てはまることではないかと思う。今でもなお、祟りを恐れるといことが、よくあるように思う。何か悪いことが起きると、祈祷師とか、まじない師とかいうものが、たよりにされると聞く。得体の知れない動物や、死んだ誰それの霊が祟っているのだと言われて、その言葉のままに法外なお金を要求されることもあるという。「いや、自分たちはそんな迷信めいたことになど左右されない」と多くの方は、いわれるかもしれない。しかし、私たちを恐れさせ不安のなかに閉じ込めてしまう存在があれば、それが「支配する諸霊」や私たちを奴隷的な状態に置くところの「神々」にほかならない。そのような神々に、私たちは翻弄されている。一々あげて行けばきりがない。仕事のこと、将来のこと、身体のこと、経済的なこと、家族のこと、そして老いや死のこと・・・等々。それらは、まさしく、私たちを不安のなかに閉じ込め支配する力をもっている存在なのである。2000年前の社会よりも、ずっと自分自身や周囲の環境を思い通りにできる技術を手に入れた今だからこそ、余計に思い通りにならないことを、私たちは心配でたまらないのである。ますます「支配する諸霊」たちが跳梁跋扈(ちょうりょうばっこ)しているのが、今日ではないだろうか。そうであればこそ、私たちを恐れや不安のかなに閉じ込めてしまう神々に対抗して、そこから私たちを自由にして下さるまことの神様を知り、信じるということが大切なのである。
3.ガラテヤの人々は、このようなほんとうの神様に出会うことができたのであった。その時の様子が、12節以下のところで、まことに切々としたパウロの文章によって振り返られている。「知ってのとおり、この前わたしは、体が弱くなったことがきっかけで、あなたがたに福音を告げ知らせました。あなたがたが味わっていた幸福は、いったいどこへ行ってしまったの」と。
この文書を読んで私が何よりも感じたのは、パウロが伝えた福音とは、彼がこのとき「体が弱くなっていた」ということと密接につながっていたのではなかったかということである。体が弱いということは、当時の人々にとっては、試練となり、さげすまれだり、忌み嫌われたりするようなものであった。それは、おそらく信仰心とつながっていたのだろう。パウロの体の弱さが、どういうものだったのかは解らないが(重たい眼病だったとかマラリアとか、癲癇とか、様々な説があるが)そうした弱さとは、神々からの不興を買い、祟られ呪われた故のものだと見做されていたに違いない。しかし、パウロは、これを逆手にとって、自らの体の弱さをきっかけとして、生きた教材として、福音を語ったのだろうと私は感じるのである。
それはどういう福音かというと、「まことの神様は決して私たちを呪ったり祟ったりするお方ではない。この私の体の弱さも、決してそういうものとして与えられたのではなく、良いものとして私に神様が授けてくださったものなのだ」というものである。もしかすれば、そのときに、第2コリント12章7節以下で語っている体験をもパウロは語ったのかも知れない。
パウロには、「肉体のトゲ」があった。「体の弱さ」である。パウロ自身、それを「サタンから送られた使い」と呼んで、離れ去らせてくださるように、取り除いてくださるようにと、三度も(何度もという意味)主に願った。この肉体のトゲが、彼を支配し奴隷のような状態に置くサタン的なもの、まさしく「支配する諸霊」であったことがうかがわれる。ところが、この願いに対する神様(イエス様)の答えは、「わたしの恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ」というものであった。この言葉によって、パウロは「キリストの力がわたしの内に宿るように、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう・・・私は弱いときにこそ強いからです」と言うことができるようになったのである。
これこそが、パウロがイエス様を通して聞いた福音であり、そこで出会った神様なのだと思う。まことの神は、私たちに恵みの器として弱さをお与えになる。弱さというものがなければ、神様の恵みは盛られることができない。神様の力は弱さのなかにこそ現れる。もっと言えば、弱さのなかにこそ神様はおられる。これが福音なのである。
この福音の実証こそが、イエス様にほかならなかった。私たちの目には、呪われ祟られたとしか言いようのない十字架の悲惨な死があった。イエス様ご自身も、十字架の上で「わが神、わが神・・・」と叫ばれた。しかし、そのイエス様の十字架の上での弱さと、呪われ祟られたとしか言いようのないお姿は、どうしても神様のお力や恵みというものが現れてくるために不可欠なものなのであった。神様ご自身、避けることができたなら、イエス様の苦しみを回避されたかったにちがいないと思う。しかし、それは、どうしても不可欠なものであった。それは、弱さというものを忌み嫌ったりさげすむことしかできない私たちの現実があるからなのである。罪という言葉を使うなら、それこそが罪なのである。弱さというものを用いて、私たちを不安に押し込め支配しようとする諸霊や神々がいるからなのである。そうした神々と戦い、彼らの支配から私たちを救い出すために、神様はイエス様を十字架という弱さの極みに、どうしても置かざるを得なかったのである。どれほどの辛さが、神様にもおありになったことか。イエス様の叫びは、また神様ご自身の叫びでもあったのである。しかし、それでも十字架の弱さのなかに置くしかなかった。それは、弱さというものを聖なるものとするためであった。弱さを忌み嫌う私たちの罪のためであった。弱さを用いて私たちを支配しようとする神々を打ち破るためであった。そして、この弱さのただ中から復活が、永遠の命が、永遠に損なわれないものが生じてきたのである。弱さこそが、復活にとって、無くてはならぬ器だったのである。
4.このようにして、十字架のイエス様を通して、まことの神様に出会うことができたガラテヤの人々であったが、ガラテヤ教会の人々は、このイエス様を信じるだけでは足りず、ユダヤ人と同じように、律法の行いが必要だとの教えに引きずられてしまったのであった。パウロは、それを9節10節で「なぜ・・逆戻りし・・奴隷として仕えようとしているのですか。・・・いろいろな日や・・を守っています」と問いかけている。私は、これは言い過ぎなのではないか、と感る。パウロからの福音を聞いて、まことの神様を知ったことは決してむだにはならなかったと思う。確かに、様々な掟を守り、律法の行いをするようになったが、それは、決してクリスチャンになる以前の、神々を信じて恐れに支配されたいた頃と同じ状態であるとは言えない。
どうして律法の行いへと引き寄せられたかというと、「目に見えるよすが」ということが大きいのではないかと感じる。どうしても、現実生活の中で支配する諸霊の力が大きい。だから、それに対抗して神様との結び付き、その恵みの力というものを得たいとなると、それを実感できる「よすが」が必要となる。「これをしているから大丈夫なんだ」と実感させてくれるものを求める。それが、律法の行いだった。無教会の矢内原忠雄さんのガラテヤ書講義を読むと、私たちプロテスタント教会の二つの聖礼典である洗礼と聖餐式でさえ、そうした不必要なよすがであるとされている。しかし、目に見える信徒の集まりである教会にやってくることも、そうしたよすがでもある。神様はソロモンに神殿を主の家として建てることをお許しになったように、私たちにも、その時々に於いて、まことの神様とのよすがを実感させて、支配する諸霊と対抗できるすべを与えてくださるのではなだろうか。そのよすがを、すべて否定してしまうことはできない。
だた、その根幹には、十字架の上で弱さをにない、その弱さのなかから復活されたイエス様がある。これに反し、否定するようなよすががあってはならない。パウロは、ガラテヤ教会の人々が律法の行いへと引っ張られていくことに、十字架のイエス様を否定するようなものを見たのではないだろうか。十字架のイエス様とは、私たちにとって忌み嫌いさげすまれるようなよすがなのである。これが、神様とのつながりのよすがなのか、良いものを授けられるよすがなのか、と躓いてしまうようなものなのである。しかし、「それをよすがと受け入れなさい」と神様は言われる。ガラテヤの人々は、そして常に私たちもそうであるが、ここを受け入れることができないのである。これをしているからと、自分にとって価値があり素晴らしいと思えるようなよすがを求めたのである。それが律法の行いだったと思う。何の疑いもなく、これをしているから神様とつながっていると思えるものだった。これは、突き詰めると、十字架のイエス様というよすがを否定するものである。
そうしたガラテヤの人々に対し、パウロは途方に暮れるしかなかった。私は、ここにもパウロの弱さを見る。福音というものの弱さを見る。福音とは、元来、そういうものではないだろうか。ガラテヤ教会の人々が、そこから離れてしまうのを、どうすることもできなかった。無力だった。途方にくれるしかなかった。しかし、十字架のイエス様にこそ、私たちはまことの神様をみることができるのである。この神様を知り、信じることだけが、私たちを自由にしてくださるのである。
筑波学園教会牧師 福島 純雄
2014年 3月16日 受難節第2主日礼拝
122:01【都に上る歌。ダビデの詩。】
主の家に行こう、と人々が言ったとき
わたしはうれしかった。
122:02エルサレムよ、あなたの城門の中に
わたしたちの足は立っている。
122:03エルサレム、都として建てられた町。
そこに、すべては結び合い
122:04そこに、すべての部族、主の部族は上って来る。
主の御名に感謝をささげるのはイスラエルの定め。
122:05そこにこそ、裁きの王座が
ダビデの家の王座が据えられている。
1.筑波学園教会は1978年3月21日の創立なので、今週の金曜日で創立36周年を迎えることとなる。創立記念礼拝では、その年度の聖句として掲げた御言葉に耳を傾けることにしている。今年度は、昨年同様、詩編122編の御言葉に耳を傾けることとしたい。
まず1節はじめの小さな注書きに「都に上る歌。ダビデの詩」とある。詩編120編から134編までは、同じように「都に上る歌」と但し書きがあった。都すなわちエルサレムの神殿への巡礼の旅にある人々が、その道すがら、或いは、宿にあって、共に歌い交わした詩歌であろうと言われている。ダビデの詩とあるが、実際に彼が作った詩であると考える学者はいないようだ。
「主の家」というのは神殿のことである。「主の家に行こうと人々が言ったとき、わたしはうれしかった」と作者は非常に素直に自分の気持ちを吐露している。どうしてそのように思ったかを想像すると、たとえば、長い間、家族や友人を神殿への巡礼の旅に誘っていたけれど、なかなか首を縦に振ってくれなかった。それが、やっと、一緒に行こうと言ってくれたというような場面が思い浮かぶ。主の家に行くことの意味、大切さというものを、家族や友人がやっと解ってくれて、とてもうれしいということだろうか。昨年の礼拝では、そんな詩編作者の喜びを、家族への信仰の継承を長く望んでいる私たちの思いに重ね合わせた。今年は、次のようなことが、私自身の思いとして浮かんできた。先週の火曜日3月11日は、東日本大震災から丁度3周年の日であった。9日(日)の夕方には、この教会を会場にして、教区主催の記念礼拝が守られた。今年はとくに、被災者の方々のことを強く思った。被災者の方々が、一人でも多く主の家、つまり教会に出かけて下さるようになれば、そうして神様が主であるということを思って下さるようになれば嬉しいと言うのが、この御言葉から私が抱いたなによりもの感想だった。
2.どうして私は、そのようなことを思ったのだろうか。主の家に行くとは、神様が主であるところの家に行くということである。それによって、神様が主人公であり、司っておられることに思いが向けられる。都に上り、主の家に行くのだから、自分の家を離れ、自分が普段置かれている場所を離れて、神様が主である場所、また、状態へと向かう訳である。自分の家を離れ、自分が普段置かれている場所を離れるとは、何を意味しているのだろうか。それは、自分が主であり、また、この世界の様々な事柄が主人公であり司っているという状況から離れるということを意味している。私たち信仰者は、毎週毎週、こうして主の家である教会にやって来て礼拝を捧げることによって、そのようなことができている。自分やこの世界の様々な出来事が、自分が主人公であり支配者である「家」から離れて、神様が主人公である「家」に身を置くことができているということである。2節には、その状況を「あなたの城門の中にわたしたちの足は立っている」とある。主の家に私たちが身を置けるということは、城門・城壁(7節)・砦のなかに守られているということなのである。神様が主であって下さる家に身を置けることは、あたかも堅固なお城のなかで守られているということなのである。
地震、津波、原発事故に襲われ、被災者となって3年、ますますその爪痕は深く大きくなっている。11日の総理大臣の会見では、保険師やカウンセラーの派遣が、被災者の心のケアにとって大事だとのことだった。しかし、そうした専門家を派遣することで、果たして被災者の心はケアされるのだろうか。今なお震災や津波の記憶が被災者の方々の心を深くえぐり続けているということは、何かもっともっと深い理由というものがあるように思える。
3.この詩編を歌ったイスラエルの人々は、幾度も震災や津波に匹敵するような災難に遭遇し続けてきたといって良いと思う。国家の滅亡や奴隷とされること、迫害とホロコーストというのは、彼らを支配し彼らをその状況に閉じ込めてしまった「主」なのであった。しかし、イスラエル人は、都に上り、主の家に向かって巡礼をし、しばしのとき、主の家に憩うことを通して、そうした悲惨な現実の主人公であることから離れることができたのだった。神様が主人公であるが故の平安というものを得たのであった。私たちがこの詩編からいただく慰めは、そういうものだと思う。
翻って、私たちはどうなのか。「不思議なキリスト教」という本の中に書かれていたか、或いは、同じ著者たちの対談を記した本であったろうか、うろ覚えだが、日本人というのは、他のどんな民族よりも自分が中心なのだそうだ。だから、唯一の神様が中心であり主人であるという信仰を受け入れることができないという。そのようなことが書かれていた。日本人は、島国から出たことがなく、幸か不幸か、侵略されて国を奪われたこともなく、先祖代々ずっと同じ場所を家として住み続け、耕し続けることができてきた。それはまさに、自分が、或いは、そういう生活や歴史が、主人公であるという在り方なのである。そういう生活が存続している限りは平安であろう。しかし、一旦、それが崩れてしまうと、支えとなって来た主が、中心が、軸となる部分が崩れてしまう。逆に、崩れてしまった生活・状況のみが支配者になってしまう。そこから離れる術を知らない。厳しい言葉かもしれないが、― 私自身も被災者の端くれであることに免じてお許しいただきたいのだが ― 被災者の方々に、そうしたものを、私は見る。
前任地の郡山教会に、福島県の浪江町に在住しているご婦人が会員としておられた。震災後、あちこちを転々として、いまは息子さんご一家と沖縄の石垣島に住んでおられる。もう、お歳は90歳を越えられたのではないか。半年に一度、週報をお送りしている。そこに掲載された私の説教の要約を読んで学んでおられるという。石垣島の教会の礼拝に忠実に出席し「少しでも支えになれば」とおっしゃっておられる。私に対してだけかも知れないが、電話でお話をしても、決して繰りごとや恨み節が口から出ることはない。浪江には素晴らしいお宅があり、ご主人のお墓もある。どうしてそうなのかと思う。それは、やはり、主の家に行くことができる生活があるからなのだと思う。神様が主であると知ることができる生活があるからと思う。それがお城となって平和(6節以降に繰り返し出てくる安心のことである)が与えられている。
4.さて、神様が主であると知り、主である神様にお会いすることのできる場所として、人が立てた建物にすぎない神殿が「主の家」であるとは、まことに不思議なことである。同じように、人間の作る組織に過ぎない教会が「主の家」であることも、本来は有り得ないことである。しかし「何故か」そうなのである。それは、もちろん神様ご自身がそれを良しとして下さっているからなのである。私たちにそれが必要だから ― そうでなければ、私たちは一体何処に行って、主なる神様におあいすることができるのか。― 神様はそれを許して下さっている。そこで、人が建てた建物や組織が「主の家」になる上で決定的に不可欠なものは何であろうか。神殿は、また教会は、何をもって「主の家」とされるのであろうか。
このことを、丁度いま聖書研究祈祷会で学んでいる列王記から教えられた。折しも、ソロモン王が神殿を完成させ、その献堂式を行っている場面をいま読んでいる。神殿は、建て坪としては、私たちの住宅とそれほど違わない規模であった。しかし、ソロモンは、それを完成させるのに7年もかけた。建材としては、当時最上級だったレバノン杉をふんだんに使い、内装には金が用いられた。けれども、そうした壮麗なものが、この神殿を主の家たらしめたものではなかった。最後に、神殿を完成させるために入れられたのは何かというと、それは『契約の箱』であった。それは、十戒の書かれた2枚の石の板が納められた箱のことである。列王記(上)の8章9節の言葉は、とても心に残るものである。「箱の中には石の板2枚のほか、何もなかった・・・」と書かれている。この板には何が書かれていたかというと、ここに言われているように、それは「契約」であった。契約の言葉であった。神様が荒野をさまようイスラエル人への懸け橋として、今日の御言葉でいえば、彼らを守る「城塞」として、砦として与えて下さった神様からの約束の言葉が刻まれていた。この契約の言葉のほかには何もないのである。石の板のみである。ただの石の板さえあれば、しかし、そこに刻まれた神様からの約束の言葉というものが伴なっていれば、それが人の建てた建物を「主の家」とさせるわけである。私はこのことに、本当に深い意味を見出す。
被災者の方が教会へとやってくるとする。そこで、どんな主にお会いできるのか。主というお方は、津波や地震の被害にあって家も土地も失くしてしまった私たちに、一体何をくれるのか。神様という存在に長く御利益を求めてきたこの国の人々にとっては、まことに、肩すかしを喰うようなことである。主の家にやって来て、そこで見るのは、言わば「石の板」に過ぎないわけである。石の板に書かれた言葉に過ぎないわけである。私たちの教会は、ソロモンが建てた壮麗な神殿ではない。日本の神社仏閣のようなものではない。石の板に書かれた契約の言葉、それはイエス様そのものであり、また、聖書に記されている「契約」の言葉、神様からの言葉というものを聞くしかない。けれども、イスラエルの人々以来、連綿として、私たちは石の板に書かれた契約の言葉、神様からのお言葉を聞くことにおいて、そこに主のお姿を見てきた。その言葉に、主の支配を感じてきた。その言葉に応答して、それに従って生きることにおいて、様々なこの世界にある支配者・主たちに立ち向かい、城壁というものを構築してきた。石の板のほかには何もない。「これだけで十分だ」と神様は言われる。契約の言葉が、主の家を在らしめる。そこに私たちを守る城壁が建てられるのだと言われているのである。
5.それでは、主の家にやって来て、そこで主の言葉を聞くことにおいて、どんな城壁が建てられるのだろう。どんな安心が私たちに与えられるのだろう。私は、3節後半の「すべては結び合い」という御言葉と、4節後半の「主の御名に感謝をささげるのはイスラエルの定め」という御言葉に着目したい。主なる神様というお方は、すべてのことを結び合わせて、最終的に、私たちが感謝をささげることができるようにして下さる。そのことが、ここで言われていることだと示される。「感謝を捧げるのは定め」とは、それが義務であるという意味ではないと思う。定めとは、必ず神様がそうさせて下さるという意味だと思う。私たちには、到底感謝などできないことが沢山起こっている。5節にあるように、私たちはそれを自らが王となって、自分の生活の只中に王座を築いて、私たちの尺度をもって裁くのである。それらを、これは幸いであり、これは不幸だと裁く。そこからこそ、いま報じられているように、家族の間でさえ、様々な分裂・分断が起こっているのである。私たちには、これを乗り越えることはできない。これを乗り越えて結びあわせてくださるお方が主であり、いつの時にか、すべてを感謝できる時へと向かっていると知らされる。主の家にいられるのは、しばしの時でしかない。けれども、主の家にあって、神様からの言葉を聞くことができるときは、決してむだにはならず、私たちの中に城壁を築いて下さるのである。
筑波学園教会牧師 福島 純雄
2014年 3月9日 受難節第1主日礼拝
10:38一行が歩いて行くうち、イエスはある村にお入りになった。すると、マルタという女が、イエスを家に迎え入れた。 10:39彼女にはマリアという姉妹がいた。マリアは主の足もとに座って、その話に聞き入っていた。 10:40マルタは、いろいろのもてなしのためせわしく立ち働いていたが、そばに近寄って言った。「主よ、わたしの姉妹はわたしだけにもてなしをさせていますが、何ともお思いになりませんか。手伝ってくれるようにおっしゃってください。」 10:41主はお答えになった。「マルタ、マルタ、あなたは多くのことに思い悩み、心を乱している。 10:42しかし、必要なことはただ一つだけである。マリアは良い方を選んだ。それを取り上げてはならない。」
1.ルカ福音書には、他の福音書にはない、ルカだけが記しているエピソードや文脈の流れが続いている。72人の弟子たちの派遣からはじまり、その帰還とイエス様の祈り(この祈りはマタイ福音書にも記されているが、前後の文脈は全く違う)、一人の律法の専門家との対話、そして善きサマリア人のたとえ、さらにこの有名なマルタとマリアのエピソードも、すべてルカだけが記している。このような書き方をしている点に、ルカの伝えようとする何かが込められているのは確かだろうと思う。このマルタとマリアの物語は、一連の物語のまとめのような部分なのかも知れない。
さて、72人が「こんなことがありました」と喜び勇んでイエス様のもとに帰って来たとき、「これらのことを知恵ある者や賢いものには・・・お示しになりました」とイエス様は祈られた。「これらのこと」とは、72人が神様を信じ、イエス様から派遣される者として生きる嬉しさを味わう喜びを味わうということではないかと改めて思う。私たち信仰者としてであれば、生きる嬉しさなのだと思う。その喜びが、なぜか知恵ある者や賢い者には隠され、失われてしまうのか。そういう実例として、律法の専門家があげられ、またマルタという人があげられている。
では、なぜ信仰者としての喜びを失ってしまうのか、取りあげられてしまうのかというと、その原因は、イエス様のマルタへの言葉で、はっきりと示されていると思う。41節「あなたは多くのことに思い悩み、心を乱している」からである。信仰者としての喜びを失わないためには「必要なことはただ一つである。それを取り上げてはならない」ということである。必要なものは多くはない。核となるただ一つのポイントがあれば良い。それを失ってしまっては、他にどんな事が多くあっても、喜びは失われてしう。こういうことから、改めて72人の派遣からのイエス様の言葉を振り返ってみると、それぞれに失ってはならない核となる必要なことがあったのだと気づかされる。
2.町々村々に派遣された72人にとって、それが何であったかと言うと、「収穫は多い」とのイエス様の約束に立ち続けるといことだったと思う。その収穫とは、決して世間的な多さではなかった。彼らを招いてくれたたった一軒の家に、出来るだけ長く留まり、出されたものを共に食べ、問題を分かち合った。これが収穫の多さだとイエス様は言われた。これが収穫であって良いのだと、いつも励まされる。これが、派遣されたものとしての喜びを失わないための「必要なただ一つの点」ではないか。これ以外の収穫の「多さ」や世間的な尺度での多さを求めはじめたとき、派遣された物の喜びを喪失してしまう。
どれほど多くの牧師たちが、世間的な収穫の多さを求めてしまうが故に、遣わされた者としての喜びを取り上げられてしまっているかを、改めて思う。3月2日付の『関東教区通信』が届けられた。今号の巻頭メッセージは、私たちの大先輩である山の下恭二牧師(東大宮教会)の文章だった。山の下先生は「最近、私が知っている数名の若い牧師が休職していることを知りました。」と言われる。心身ともに疲弊してせざるを得ない牧師が増えているとのこと。そこに、少し前の『信徒の友』に掲載されていた賀来周一先生(牧師であり、カウンセラーでもある)の文章を紹介し「牧師にOKサインを信徒の方々から投げかけて欲しい」と書かれている。信徒からの牧師に対する期待度が、とても高いとも言っておられる。その期待とは、必ずしも世間的な尺度での「収穫の多さ」を牧師に求めるものではないかも知れない。しかし、それはマルタがマリアに「手伝ってくれるよう」求めたように、信徒が牧師に備えて欲しいことを求め、また教会にあって欲しいことを求め、結果的に、ある意味での「多さ」を牧師に押しつけてしまうことになる。もちろん、その逆に、牧師が信徒の方々にそうしてしまうこともあり、また、信徒同士がそうしてしまうこともある。そのことが、結果的に、信仰者としての喜びを持ち続けるために必要な、ただ一つのものを見失わせてしまうことになる。
3.法律の専門家はどうか。彼にも、決して失ってはならない喜びの原点のようなものがあったと思う。彼がなぜ律法の専門家になろうとしたかと言うと、律法の戒めを生きることに喜びを見いだしたからだと思う。
詩編19編8節以下に「主の律法は完全で魂を生き返らせ、・・・金にまさり、多くの純金にまさってのぞましく」と記されている。私たち門外漢は、とかく律法というものを戒律とか強要のように捉えがちである。しかし、とくにガラテヤ書から学んでいるように、神様は決して強制や強要として律法をイスラエル人に与えたのではなかったと私は確信している。律法は、荒野をさまようイスラエルの人々への、神様から伸ばされている守りと約束との目に見えるよすがだった。「たとえ、荒野のなかを歩んでいても、この生き方をしている限り、あなたがたは私とのつながりの中にあり、守りと導きの中にある」と信じさせて下さる砦だった。
先週図書館から何気なく借りて読んだ本に、神学校でも少しだけ講義を受けたことがあった秦剛平(はたごうへい)という旧約の先生の講演集を本にしたものがあった。『あまのじゃく聖書学講義』というタイトルの本で、なかなかキリスト教や教会への批判に富んだ内容だった。そのなかに、秦先生がイスラエルに旅行して印象的であったことを紹介したい。
『話は現代にぶっ飛びますが、イスラエルに旅行して印象的なのは、安息日が多くのユダヤ人により、依然としてよく守られていることです。彼らが出エジプト記の理由からそれを守るのか、それとも申命記の理由からそれを守るのか、そのあたりのことを詮索したことはありませんが、
安息日は金曜日の日没からはじまりますから、多くの市民は金曜日の午後には帰宅して、安息日を守る準備をはじめます。太陽が没する時刻になりますと、町の中は静まり返ります。この静けさは、日本で言えば、元旦の朝の静けさと較べられるのではないでしょうか。日本はこの静寂を一年に一度だけ元旦に取り戻しますが、イスラエルでは、あるいはユダヤ人の共同体のある所では、毎週一度はそれを取り戻し、自分たちの生活のリズムの中に組み込んでいるのです。わたしはイスラエルがとくに好きだという人間ではありませんが、もしイスラエル文化の中の特色をあげよと言われれば、わたしは躊躇なくこの安息日の遵守とそれに由来する静寂をあげるでしょう。このような静けさを毎週一回取り戻し、土曜日の日没までその静けさの中に浸れるのは至福であり、大袈裟にいえば、日々の多忙の中で粉々にされた自分自身を、身体的にもまた精神的にも、もう一度本来の在るべき姿に作り直すことが可能とされるのです。ご承知のように、ユダヤ人の歴史は迫害と流浪の歴史ですが、彼らがそれに耐えることができたのは、この安息日があることで、自分を取り戻すことができたからではないでしょうか?』
そこに吊り降ろされた救助ロープに、すぐさま捉まるだろう。しかし、この専門家はそうではない。そうできない賢さや強さのようなものが、この人にはある。私たちも、いつの間にかそうなる。神様によって助けていただくしかない自分なのである。追い剥ぎにあって倒れている旅人のごとき、わたしたちなのである。その一点を失わなければ、私たちは信仰者としての喜びを取り上げられることはないのだ。
4.マルタとマリアの物語へ戻る。この二人の姉妹は、それぞれその在り方が全く対照的である。しかし、信仰者として喜ぶために決定的に必要なものを選び取ることができている。まずマルタは「イエスを家に迎え入れ(38節)」イエス様のために精一杯のもてなしをしようとした。マリアは、イエス様の足もとに座り、じっとその話に聞き入ることを喜びとして選んだ。
よく誤解されるが、マルタとマリアを比較して、マリアの選んだほう、すなわちイエス様の足もとに座りその話に聞き入ることが善いことであり、必要なただ一つのことだという理解がある。マルタが選んだもてなし、接待、食事の世話などは、多くのことの一つであり信仰者の私たちを思い悩ませることに過ぎない、との誤解がある。しかし、決して、そんなことをイエス様は言ってはおられないと私は思う。イエス様を迎え入れ、そのイエス様のために精一杯のもてなしをしようとすることが、どうして不必要な多くのことであろうか。マルタも確かに、自分の喜びとしてイエス様を迎え、接待することを選んだ。
ところがその彼女から、それを喜ぶうえで絶対に失ってはならないものを奪わせたものがあった。彼女をして「多くのことに思い悩ませた」ことがあった。それは何かと言うと、マリアの在り方、自分とは全く対照的な彼女の姿に目を向け、― 私の勝手な想像だが、マルタは多分姉だったように思う ―、妹に対して、姉の力を行使しようとする思いもあったのではないか。また、イエス様のそばに座って、イエス様を独占しているようなマリアへの嫉妬もあったのではないか。
マルタをしてイエス様を迎え入れ、イエス様のために接待をしようとの喜びを失わせたものは、ひたすらイエス様に目を向け、その関係の中に生きるという、必要なただ一つのことから目を逸らして、自分とは対照的な在り方をしているマリアに目を向けたということだったのではないか。これに対して、マリアは、いわゆる『自己中』であり、いわゆる『KY』であった。彼女はひたすら、イエス様にのみ目を向けていたのである。
前に紹介した山の下牧師は「牧師にOKサインを」と言われた。しかし私は、牧師は信徒の方々からOKサインをなど貰う必要はないのだと思う。もちろん、それを貰えば嬉しいが、それを貰おうとすることは、目を神様やイエス様に向けているのではなく、信徒のほうに向けているということになる。マルタがマリアに向けているようなものである。マルタが、マリアでなく、ひたすらイエス様に向けていれば、懸命に接待の準備をしている自分に、イエス様が暖かな視線を向けて下さっていることがわかった筈なのだ。信徒の方からのOKサインなどなくとも、イエス様の約束された収穫の多さがわかり、神様が与えて下さる救助ロープの有難さがわかり、それぞれの人生の中にお迎えしたイエス様に対して、誰がどのように思うとも、誰がどのように評価しようとも、誰がどのように悪し様に言おうとも、理解されなくとも、それぞれの在り方で接待することが喜びとなるのである。
筑波学園教会牧師 福島 純雄
2014年 3月2日 降誕節第10主日礼拝
31:22ヤコブが逃げたことがラバンに知れたのは、三日目であった。 31:23ラバンは一族を率いて、七日の道のりを追いかけて行き、ギレアドの山地でヤコブに追いついたが、 31:24その夜夢の中で神は、アラム人ラバンのもとに来て言われた。「ヤコブを一切非難せぬよう、よく心に留めておきなさい。」 31:25ラバンがヤコブに追いついたとき、ヤコブは山の上に天幕を張っていたので、ラバンも一族と共にギレアドの山に天幕を張った。 31:26ラバンはヤコブに言った。「一体何ということをしたのか。わたしを欺き、しかも娘たちを戦争の捕虜のように駆り立てて行くとは。 31:27なぜ、こっそり逃げ出したりして、わたしをだましたのか。ひとこと言ってくれさえすれば、わたしは太鼓や竪琴で喜び歌って、送り出してやったものを。 31:28孫や娘たちに別れの口づけもさせないとは愚かなことをしたものだ。 31:29わたしはお前たちをひどい目に遭わせることもできるが、夕べ、お前たちの父の神が、『ヤコブを一切非難せぬよう、よく心に留めておきなさい』とわたしにお告げになった。 31:30父の家が恋しくて去るのなら、去ってもよい。しかし、なぜわたしの守り神を盗んだのか。」 31:31ヤコブはラバンに答えた。「わたしは、あなたが娘たちをわたしから奪い取るのではないかと思って恐れただけです。 31:32もし、あなたの守り神がだれかのところで見つかれば、その者を生かしてはおきません。我々一同の前で、わたしのところにあなたのものがあるかどうか調べて、取り戻してください。」ヤコブは、ラケルがそれを盗んでいたことを知らなかったのである。 31:33そこで、ラバンはヤコブの天幕に入り、更にレアの天幕や二人の召し使いの天幕にも入って捜してみたが、見つからなかった。ラバンがレアの天幕を出てラケルの天幕に入ると、 31:34ラケルは既に守り神の像を取って、らくだの鞍の下に入れ、その上に座っていたので、ラバンは天幕の中をくまなく調べたが見つけることはできなかった。 31:35ラケルは父に言った。「お父さん、どうか悪く思わないでください。わたしは今、月のものがあるので立てません。」ラバンはなおも捜したが、守り神の像を見つけることはできなかった。 31:36ヤコブは怒ってラバンを責め、言い返した。「わたしに何の背反、何の罪があって、わたしの後を追って来られたのですか。 31:37あなたはわたしの物を一つ残らず調べられましたが、あなたの家の物が一つでも見つかりましたか。それをここに出して、わたしの一族とあなたの一族の前に置き、わたしたち二人の間を、皆に裁いてもらおうではありませんか。 31:38この二十年間というもの、わたしはあなたのもとにいましたが、あなたの雌羊や雌山羊が子を産み損ねたことはありません。わたしは、あなたの群れの雄羊を食べたこともありません。 31:39野獣にかみ裂かれたものがあっても、あなたのところへ持って行かないで自分で償いました。昼であろうと夜であろうと、盗まれたものはみな弁償するようにあなたは要求しました。 31:40しかも、わたしはしばしば、昼は猛暑に夜は極寒に悩まされ、眠ることもできませんでした。 31:41この二十年間というもの、わたしはあなたの家で過ごしましたが、そのうち十四年はあなたの二人の娘のため、六年はあなたの家畜の群れのために働きました。しかも、あなたはわたしの報酬を十回も変えました。 31:42もし、わたしの父の神、アブラハムの神、イサクの畏れ敬う方がわたしの味方でなかったなら、あなたはきっと何も持たせずにわたしを追い出したことでしょう。神は、わたしの労苦と悩みを目に留められ、昨夜、あなたを諭されたのです。」
1.御言葉は、ヤコブが20年間過ごした叔父ラバンのもとを去るにあたって、ヤコブを追いかけてきたラバンに言った言葉が記されている箇所の一部である。自分の思いではなく、はっきりと神様の御心に従って故郷へ向かおうとするのだから、夜逃げのような形をとらなくてもよかったのだが、31章17節以下にあるように、ヤコブは家族と財産を伴なって出奔してしまった。そのとき、何故かヤコブの妻でありラバンの娘でもあったラケルが「父の家の守り神の像」を盗む(19節)という事件が起こった。ヤコブたちが突然にいなくなり、また、この守り神が無くなったことを知ったラバンは、直ちに追跡し、妻がそんなことをしたとは全く知らなかったヤコブは、持ち物検査を受け入れた。ラケルが盗んだ守り神は、ちょうど生理中だった彼女のおしりの下に隠されており、事なきを得た。
さて、私が何よりも心を向けさせられるのは、42節中ほどにある「(もし神様が)わたしの味方でなかったなら」という言葉である(そこから説教題をつけさせていただいた)。ヤコブはそこで「もし神が私の味方でなかったなら、あなたはきっと・・・私を追い出したことでしょう」と言った。ラバンへの一連の言葉からは、彼は、神様が味方であって下さることを、もっぱら報酬を得るという点から捉えていたことが感じられる。そして、その報酬というものを、できれば無一文で追い出したかった叔父ラバンに打ち勝って、家族や家畜といった目に見えるものを神様が与えて下さった点に見出していたのである。大事なことは、ヤコブが、苦労の多かった20年を振り返って、神様が味方であったとはっきりと口にできたことだと思う。ヤコブは、神様が味方であって下さったことがわかったのだった。これが、私たちにとっても大きな励ましであり、慰めだと思う。
本日、一人の姉妹が洗礼を受ける。この教会に来るようになって、10年近くが経とうとしている。これまでの歩みも、神様が味方であって下さったものではあったが、しかし、洗礼を受けた後のこれからは、イエス様にしっかりと結びつけていただいたゆえに、今までとは全く較べものにならない程、深く神様が味方して下さっている者としての歩みになる。この歩みを20年、30年、40年と続けて行ったとき、彼女もまた、必ず「神様が味方であって下さったから」と語ることができるようになるのだと思う。
神様が味方であって下さるということは、困難や難儀が何もない歩みが保証されるものではないことが、良く分かる。ヤコブの20年間は、40節にあるように「昼は猛暑に夜は極寒に悩まされ、眠ることもできませんでした」という20年だった。しかし、そういう20年間があったけれども、神様が味方であって下さったということがわかるというのだ。それゆえの報酬・報いが与えられたのだということも解る。そして、このことが解るためには短い期間では駄目なのだという点も示される。20年間という歳月が必要なのである。長い間の信仰生活があってはじめて「神様が味方であって下さったから」と言えるようになるのである。
2.さて、それでは神様が味方であって下さるとは、どういうことなのか。そのことによって与えられる報酬とは、どのようなものなのか。ヤコブは「味方でなかったら、あなたはきっと何も持たずに私を追い出したことでしょう」と言った(42節)。
ヤコブの前には、何度も何度も報酬を変え、できるならば彼を無一文で追い出したいと思っていた叔父ラバンが立ちはだかっていた。こういう叔父のもとで、ヤコブは20年間を歩んでこざるを得なかった。もし神様が彼の味方でなかったなら、どうだっただろうか。きっと、報酬を巡っての争いに引きずり込まれ、望む報酬を与えようとしないラバンに対する憎しみに翻弄され、もしかすれば、刃傷沙汰も起こり、それでも結果的には何も持たずに追い出されるということになったのではないか。「この20年の歩みは空しかった、徒労だった」と言って追い立てられていく姿を想像することができる。
私たちも同じではないかと感じる。私たちは若かりし頃、自分の人生はきっとこうなるだろうと思い描いていた。愛する人が与えられ、結婚して子供が授かり、仕事の上でも成功して、満ち足りた生涯を送るであろうことを、収穫として期待していた。しかし、そういう収穫をいま、望みどおりに刈り取ることができている方は、ここにどれほどおいでになるだろうか。願っていたものなど何も持たずに、何十年からの歩みから追い立てられてしまう私たちである。この20年・30年・40年は何だったのか。空しかったと言うしかない私たちがある。誰を憎むと言うのではないが、望む報酬を与えてくれなかった人生そのものを憎み・嘆いて、何十年かの生涯を退場して行かざるを得ない、そんな私たちがある。
神様が味方であられるとは、まさに、この点にこそ神様が関わり、しっかりと報酬があるのだと示して下さることではないかと思う。ヤコブは、目に見える家族や財産を手中にできた点に、神様が味方であってくださることを見出していた。
しかし、それは何とも浅はかな見方だと思うだとすれば、もしも無一文で追い出されたならば、神様は味方ではなかったということになる。それゆえの報酬は何もなかったということになってしまう。私たちの人生も、望みのものが得られなければ、「神様が味方ではなかった」ということになる。しかし、決してそうではない。たとえ、目に見える報酬がなくとも、また、若かりし頃に望み見ていた報いが何もなかったとしても、神様が味方であって下さることの現れがある。それゆえの報酬がある。神様は、私にこれを授けて下さったのだから、何十年と生きてきたことは決して無駄ではなかったと言えるようになる。これが、神様が私の味方であって下さるということなのである。
3.そこで、ヤコブ自身は気づいてはいなかったかも知れないが、神様が彼の味方であるゆえに、彼に与えて下さった守りや報酬は、何であったであろうか。まず、注目させられるのは、41節「この20年間・・そのうち14年はあなたの二人の娘のため、6年はあなたの家畜の群れのために働きました」とのヤコブの言葉である。大事な点は、彼が一言も、この20年間を、労苦の多い歳月を、10回も報酬を変えるラバンのもとでの生活を、ひたすら「自分のため」には働かず、自分のための報酬を求めず、ただ二人の妻と叔父の家畜のために働いたと言っている点である。ヤコブはそれを無駄だと思っていたのだろう。何も持たずに追い出されようとした歩みだと思っていた。しかし、決してそうではないのだと私は思う。彼の味方であった神様は、彼をそのように生かしめて下さったのである。神様は、自分のために生きず、他者のために働くように生かしめることによって、報酬を巡る争いや叔父さんへの憎しみから、彼を守って下さったのである。何よりも、そこに彼の人格の成長があった。かつて、兄や父を騙し、母に溺愛された育った彼の人格の変化があったのである。
先週月曜日の朝日新聞の、求人広告のページに掲載されていた「あの人とこんな話」というコラムに - 時折、はっとさせられる文章に出会うことがあるので、必ずこの欄には目を通すようにしている - 水野和敏という方が紹介されていた。この方は、日産自動車にお勤めになられていて、有名なGT-Rというスポーツ車の開発をされた方だという。「人に尽くす、と決めると働く軸が見えてくる」というタイトルで、こんなことが書かれていた。『自動車をつくりたくて高専を出てすぐに入社。ところが実際は、組織が大きく部品の設計ばかり。「夢とのギャップがあまりに大きく、落胆し、生活も荒れて、挙句の果て上司から嫌われ、名古屋の販売店に営業職で出向になりました。」だか、そこで人生が変わることになった。「車がなければ生活も仕事もできないお客様たちと出会い、自分の浅はかさに気づいた。僕の夢なんてどうでもいい、お客様を幸せにするために働こうと、その時決めました。」
エンジニアに戻っても、その姿勢は貫いた。「会社員である前に社会人であろうと思い、どんな状況に直面しても、社会の未来のためには何をすればいいのかという視点で考えた。また、お客様が感動し、ときめいてくれる商品の創造こそが、自分の社会的使命と考え、行動しました。」期待していたものが与えられないことからの、すさんだ心を守ったのは、お客様のために尽くす、そのために働くということへの気づきであった。
6年ほど前、未だ郡山教会に仕えていたときのこと、母校の神学大学で教鞭をとっている友人から依頼されて、神学校へ入学する方々への「献身のすすめ」という文章を書いたことがあった。確な内容は覚えていないが、私が若い頃に流行語だった「三無主義」という言葉をもじって、「無駄や無報酬や無利益こそが牧師の歩みだ」というようなことを書いたように記憶している。牧師の生涯には、目に見える報酬などほとんどない。郡山教会に24年間仕え、3つの付属事業を閉じた。教会に集う方々は漸減していった。大切に、大切に手入れをして、次の牧師さんにお委ねしようとした牧師館は、震災で駄目になってしまった。十年近く求道して震災の直前のXマスに受洗し、私のつてで、長年の希望だった職種の社員になれるとの辞令を貰ったその直後に震災があり、近くのダムが決壊し、彼の家は土砂に埋まり、一家は全国を彷徨うはめになった。唯一の目に見える報い・成果と言えば、新しい会堂を建てることができたということだっただろうか。
しかし、このような歩みの中に、神様が味方である現れがあり、確かな報酬がある。それは、出会った人々、また私を必要としてくれる人々に応えるということであり、無駄や無利益と見えることにこそ、実は報いがあるのだという気づきである。それが私を守り、支えるのである。目に見える報酬を巡る争い・葛藤の中に私たちを引っ張り込み、結果的に「私の人生は空しい」と思わせる存在から、私たちを守って味方してくださる神様の力が、そこにある。出会う人や教会に尽くして、無駄と思われることに誠実に向かう。それが喜びと思えることこそが、神様からいただく報酬そのものなのである。
4.もう一点、神様が味方であって下さることの現れについて触れたい。42節の最後に「神は、わたしの労苦と悩みを目に留められ、昨夜あなたを諭されたのです」とのヤコブの言葉がある。ヤコブは、神様がどのようなお方かを体験していたのである。彼の労苦と悩みとに目を留め、ゆえに不思議な形で、自分と叔父との間に介入し、関与して下さったことを解っていた。そのように神様を知ることができたということ以上の報いはないではないか。神様だけが、私たちに注いで下さる視線というものがある。そして、私たちへの関与がある。人間の視線や関与とは全く違う、ただ神様だけのそれがある。20年の苦節を通して、ヤコブはそれを知ったのである。
一つだけ、このような神様だけが持っておられる視線と、それゆえの関与というものを示す出来事を思い起こしてみたい。29章31節以下に書かれていた事柄である。ヤコブは叔父ラバンによって騙されて、あてがわれたレアを疎んじ、妹のラケルを愛した。しかし「主は、レアが疎んじられているのを見て彼女の胎を開かれたが、ラケルには子供ができなかった」とある。ここに、ヤコブや私たちの視線とは決定的に違う神様の眼差しがあり、関与の仕方がある。ヤコブが、もし彼の好き嫌いの感情だけで生きていたのなら、彼には一人の子供も与えられなかったであろう。しかし、そういうヤコブの眼差しとは全く違う神様の眼差しがあった。それが、レアとラケルに注がれた。まず、後のイスラエル民族の中核を為していくようなレビやユダが、レアから産まれた。このような、神様の視線と関与を知ることこそが、神様が味方であることなのである。そのこと自体が最大の収穫なのである。報酬なのである。
本日洗礼を受け、これからの長い信仰生活のなかで、どうか、このような神様だけが私たちに注いでくださる眼差しと関与を、一つひとつ体験して行ってほしい。その生活が何十年か続いたとき、必ずや、私たちは言うことができるであろう。「もし神様が私の味方でなかったなら」と。
筑波学園教会牧師 福島 純雄
2014年 2月23日 降誕節第9主日礼拝
32:06さて、エレミヤは言った。「主の言葉がわたしに臨んだ。 32:07見よ、お前の伯父シャルムの子ハナムエルが、お前のところに来て、『アナトトにあるわたしの畑を買い取ってください。あなたが、親族として買い取り、所有する権利があるのです』と言うであろう。」 32:08主の言葉どおり、いとこのハナムエルが獄舎にいるわたしのところに来て言った。「ベニヤミン族の所領に属する、アナトトの畑を買い取ってください。あなたに親族として相続し所有する権利があるのですから、どうか買い取ってください。」わたしは、これが主の言葉によることを知っていた。 32:09そこで、わたしはいとこのハナムエルからアナトトにある畑を買い取り、銀十七シェケルを量って支払った。 32:10わたしは、証書を作成して、封印し、証人を立て、銀を秤で量った。 32:11そしてわたしは、定められた慣習どおり、封印した購入証書と、封印されていない写しを取って、 32:12マフセヤの孫であり、ネリヤの子であるバルクにそれを手渡した。いとこのハナムエルと、購入証書に署名した証人たちと、獄舎にいたユダの人々全員がそれを見ていた。 32:13そして、彼らの見ている前でバルクに命じた。 32:14「イスラエルの神、万軍の主はこう言われる。これらの証書、すなわち、封印した購入証書と、その写しを取り、素焼きの器に納めて長く保存せよ。 32:15イスラエルの神、万軍の主が、『この国で家、畑、ぶどう園を再び買い取る時が来る』と言われるからだ。」
04:07万物の終わりが迫っています。だから、思慮深くふるまい、身を慎んで、よく祈りなさい。 04:08何よりもまず、心を込めて愛し合いなさい。愛は多くの罪を覆うからです。 04:09不平を言わずにもてなし合いなさい。 04:10あなたがたはそれぞれ、賜物を授かっているのですから、神のさまざまな恵みの善い管理者として、その賜物を生かして互いに仕えなさい。 04:11語る者は、神の言葉を語るにふさわしく語りなさい。奉仕をする人は、神がお与えになった力に応じて奉仕しなさい。それは、すべてのことにおいて、イエス・キリストを通して、神が栄光をお受けになるためです。栄光と力とが、世々限りなく神にありますように、アーメン。
0(序).廃墟の国
新年の各新聞やテレビの論説を聞いていて、日本も世界も何かがおかしくなってきているような、そしてどう対応してよいか途方に暮れているといったような率直な感想があふれている昨今である。確かに、冷戦終結後の国際環境下で、アジア諸国家の中で持つ日本国家の独自の存在意義が見出されにくい状況になってしまったといえる。また、バブル崩壊が加わった。さらに追い打ちをかけるように、東日本大震災や気候激変など、次々襲ってくる予測のつかない自然災害が決定的打撃となった。また、教育現場などに顕著に現れているように、画一的対応が不可能となるほど、個々の状況が何よりも優先され(悪いとは思わないが)、個の主張が大切にされ、統制ということが嫌われる言葉となった。廉価な労働力とコストを背景に、勤勉の精神で経済の大発展を図るという目標は遠い過去のものとなり、今やほかのアジア諸国が、かつての日本の歩みを追っていると言って過言ではない。今や、日本国家および日本社会は、究極の目標を見失ってしまったかのようだ。そうした中で、偏狭なナショナリズムなど、事大的妄想にすがるかのような国家の対応は、大変危険な事態を招きかねない。しかし、それらを超えて、最も深刻なのは、道行く人々の諦めと苛立ちの姿である。
1.廃墟の土地を買い受ける
神様は旧約聖書で、「崩壊の危機にある『アナトトの土地』を購入せよ」と命じられた。エルサレムをはじめとするユダ王国は、ネブカデレツァル王に率いられるバビロニア軍によって包囲されており、陥落直前だった。その状況下、すなわちエレサレムの占領と蹂躙が目に見えているにもかかわらず、神様はエレミヤに、エルサレム内の廃墟の地アナトトの土地を購入し、世話をせよと命じられた。
やがて占領軍に蹂躙され、略奪されるとすれば、土地購入は「無駄に」なる。しかし神はエレミヤにその土地を購入せよと命じたのだった。
アナトトの土地を購入するとは、その土地に責任を持つということである。世話をし、見捨てないということである。アナトトの土地に種を播くということでもある。あのマルティン・ルターが言ったとされる「あす世の終わりが来ようと、私はきょうリンゴの木を植える」という精神に通じる。「世の終わり」バビロニア軍という死の軍勢が、あす押し寄せようと、私たちはこの傷ついた廃墟の土地を買い受け、世話をし、ここにリンゴの木を植え、育てるのである。
エレミヤは神様の命に従った。しかし従いつつも、神様に祈り、嘆きを訴えた。神様は、お応えになった。「審きの時を経た後、時至り、散らされた民は、この土地に戻される」と。神様ご自身が、この罪にまみれたアナトトの土地、廃墟の土地を忌み嫌わず、見捨てず、大切にされるからこそ、エレミヤに御心と同じ思いでなすべき務めを全うしてほしいと命じられたのだった。アナトトの土地を買い受けるとは、バビロン捕囚の民の故郷への帰還の預言と約束であり、廃墟の土地に等しい私たち人間に、死の軍勢が押し寄せる中で、いかに生きるかの教えであり、そして廃墟の地、罪と死に覆われた人間存在のよみがえりの約束と希望である。
2.万物の終わりが迫っている
それにしても、死と破壊の呪いのもとで、度重なる自然災害のもとで、国家間の軋轢のもとで、私たちはどう生きたらよいのか。ペトロは、よき知らせを告た。
「万物の終わりが迫っている。」ペトロはこのように言った。ここには新約聖書全体を一貫して流れているメッセージがある。「夜はふけ、日が近づいているから、眠りから覚める時である」とパウロは言った(ローマ書13:12)。「主は近い」とも言った(ピリピ書4:5)。「主の来臨が近づいている」とヤコブは言った(ヤコブ書5:8)。「時が近づいている」、「しかりわたしはすぐに来る」と黙示録のヨハネは結んだ(黙示録1:3、22:20)。いずれも、新約聖書の各書の著者が、いかに強烈なまでの終末意識に満たされていたかを示している。しかし、この言葉の意味をいかに捉えるかで、私たちの生き方はまったく異なってくる。
万物の終わりの意識。それは恐ろしいことである以上に、希望に生きることでもある。ある人たちは、「終わりはなかなか来ないではないか」と言うかもしれない。しかし神様の一日は、千年に等しいのである(詩編90:4、ペトロ書第二3:8~9)。むしろ神様は、忍耐して待っておられる。私たちに必要なことは、目が啓かれることである。「あなたがたは時を知っているのだから、特に、この事を励まねばならない。すなわち、あなたがたの眠りからさめるべき時が、すでにきている。なぜなら今は、わたしたちの救が、初め信じた時よりも、もっと近づいているからである」と(ローマ書13:11)。神様の審きが遅れているのではなく、私たちの目覚めがおくれているのであろう。「祈ったことは既にかなえられたと信じなさい」との教えがある(マルコ福音書11:24)。まだ来ていないのではなく、すでに来ていると信じて生きるべきである。万物は永遠ではない。万物は朽ち果て、廃墟となって行く。しかし、廃墟が神様の手の中にあり、エレミヤのような人に買い受けられる時、再建に、よみがえりの光に輝き始めるのである。
3.永遠の陰にある人生において「愛は多くの罪を覆う」
終末の切迫感から、ペトロは四つのすすめをなした。第一は、「思慮深くふるまう」であった。その意味は、安全に保つという語をもとに、永遠の位置から見ることにより、適切な釣り合いと判断のもと、ゆるがない心を持つことである。第二に、「身を慎む」であった。その意味は、酔わずにさめているということである。横道にそれるものに酔う、熱狂しないように気をつけながら。第三に、「よく祈る」であった。祈りにおいて大切なことは、自分の望むことを得るのではなく、私たちに対する神様の御意志を発見しようと熱心に願うことである。そして、互いの愛を熱く保つことであり、一貫して手を差し伸べることである。自分の我を通し、他者を裁くのではなく、一貫して他者への愛のために祈ることである。愛は、多くの罪を覆い隠す。もし私たちが、他者を愛するならば、神様は私たちのうちにある多くの罪を覆われ、浄化される。
万物の終わりに際して、キリストの愛で満たされることが求められる。冒頭に申し上げたアナトトの土地を買うとは、神様が、ご自分で創られた世界をご自分で踏み潰して終わりにされるような方ではないということである。ノアの洪水は、あの虹の契約以降放棄された。
さらに「もてなし合う」ということに、愛の実践がある。また、私たちそれぞれに与えられている賜物は、神様の御旨に従って他者を生かすために用いられるものである。もてなし合うことの本質は、罪を赦し合うことである。互いの罪が神に赦されていることを確信し合うことに、私たちの賜物、タラント(能力)を生かすのである。
4.すべて栄光が、神に帰すために
すべては、「神様のご栄光のために'soli deo gloria'」である。自我を滅却して、神様のご栄光のために私たちは励む、ここに私たちの生きる原点がある。ペトロも、かつて主イエス・キリストを否定した。そのペトロも、神様に栄光と力がますますあらんことを祈り、最後は讃美した。すべてが廃墟となりかねないこの人生で、私たちはどう生きたらよいのか。それは、アナトトの土地を買い受けながら、神様の栄光を求める讃美の生涯を送ることである。
5(結).逆風の中を生きる
廃墟の土地、アナトトの土地を買う。人間の組織や共同体、そして自然がどれほど惨憺たる状態でも、このような時、一番警戒すべきことは、逃げ口上と責任回避である。私たちは、真心こめてアナトトの土地を買い取り、大切にこの「土地」の世話をして行こう。世話をする役割、神様からのミッションに仕えるのにふさわしい神様の御旨に従う戦いを聖霊に導かれてしつつ、この任務に耐えよう。
この地上のすべては終わりを迎え、過ぎ行く。この地上のすべては、私たちの人生に死があるのと同じく、常に逆風があり、終わりがある。どれほど大変な、危険な政策も長続きはしない。万物の終わりが見えてきているからである。そして万物の終わりとは、万物の究極の目的と言い換えることができる。万物は、神様の計画のままに、その本来の目的へ向かって歩んで行く。同時に、その過ぎ行くこの地上をアナトトの土地とし、神様は、そこを買い受けて御子を遣わされ、永遠のいのちをこの地上に約束される。イエス・キリストの十字架と復活の後、誰も神様に捨てられる者はない。アナトトの土地とは、実は私たちのことである。アナトトの土地である私たちが買い受けられているのだから、私たちもアナトトの土地を買い受け、世話をし続けるのである。ということは、実は、その生き方こそが、救いの確かさを確信して行く歩みでもある。
この万物の終わりをしっかり見据えて、これからをさらに歩み出そう。私たちの内に住まわれるキリストとともに歩みつつ、逆風の中で、私たちに託されたアナトトの土地を世話し続けようではないか。
阿久戸 光晴 牧師(日本基督教団 滝野川教会)
2014年 2月16日 降誕節第8主日礼拝
03:21それでは、律法は神の約束に反するものなのでしょうか。決してそうではない。万一、人を生かすことができる律法が与えられたとするなら、確かに人は律法によって義とされたでしょう。 03:22しかし、聖書はすべてのものを罪の支配下に閉じ込めたのです。それは、神の約束が、イエス・キリストへの信仰によって、信じる人々に与えられるようになるためでした。 03:23信仰が現れる前には、わたしたちは律法の下で監視され、この信仰が啓示されるようになるまで閉じ込められていました。 03:24こうして律法は、わたしたちをキリストのもとへ導く養育係となったのです。わたしたちが信仰によって義とされるためです。 03:25しかし、信仰が現れたので、もはや、わたしたちはこのような養育係の下にはいません。 03:26あなたがたは皆、信仰により、キリスト・イエスに結ばれて神の子なのです。 03:27洗礼を受けてキリストに結ばれたあなたがたは皆、キリストを着ているからです。 03:28そこではもはや、ユダヤ人もギリシア人もなく、奴隷も自由な身分の者もなく、男も女もありません。あなたがたは皆、キリスト・イエスにおいて一つだからです。 03:29あなたがたは、もしキリストのものだとするなら、とりもなおさず、アブラハムの子孫であり、約束による相続人です。
1.21節の前半で、パウロは「それでは律法は神の約束に反するものなのでしょうか。断じてそうではない」と言っている。なぜ、このようなことを語ったかと言うと、これまでパウロは、ずっと律法について非常にネガティブなことを言い続けてきたからである。3章1節以下、10節で「律法の実行に頼る者は誰でも呪われている」と言い、11節では「律法によってはだれも神のみまえで義とされない」と言っている。21節後半では「万が一、人を生かすことができる律法が・・・」と言っているが、その意図は、「律法は人を生かすことはできない」という意味だし、23節では「律法はわたしたちを監視し閉じ込めるものだ」と言っている。
そうであれば、なぜ神様は、このように私たちを生かさずに呪いに閉じ込めてしまうような律法をお与えになったのかという疑問が生じてくる。そういう問いを21節書き出しの言葉は扱おうとしている。
そこで、まず、ここで言われている「神の約束」とは何かということに触れてみたい。それについては、前の段落15節以下のところで語られている。16節に「アブラハムとその子孫に対して約束が告げられた」とある。いま私たちは3週に一度の割で創世記を学んでいるが、そこでアブラハムの孫にあたるヤコブに神様がどのような約束をして下さったかを、このところ礼拝で何度も聞いている。
神様は石を枕にして眠っていたヤコブに天から梯子をかけて、「あなたが何処へ行くにもあなたを守る(創世記28章15節)」と約束して下さった。ヤコブには、このとき、神様から梯子をかけていただくにふさわしいようなものは何もなかった。祖父のアブラハムや父のイサクが礼拝したように、彼が神様を礼拝したという記述は、それまで一度もなかった。ずるい人間として成長し、兄がもらうべきものを奪い取ったがために憎まれ、家を出ざるを得なくなった。そうした中で、神様に祈ろうともしなかった。そのような彼に、神様の側から一方的に梯子をかけて下さったのだった。そして、これから伯父ラバンの下でどんなことがあろうとも、彼を守り導くというのが、彼に示された神様からの約束だった。
その後のヤコブの歩みには、やはり神様から懸け橋をかけていただく資格を満たすようなものは何もなかった。伯父ラバンから、騙されたとは言え、その二人の娘を妻とし、さらには妻たちの二人の側女とも子をなした。それゆえの葛藤が起こった。また、ラバンとの間で、報酬を巡っての泥仕合をした。迷信のようなものにも頼った。何よりも、神様の導きのないまま、祈ることもしないで、自分勝手に故郷に帰る時が来たと思ってしまった。そんなヤコブであるにもかかわらず、神様は約束を果たして、彼を導いて下さった。これが、パウロが言っている「神の約束」なのだと思う。
2.では、このような神様の約束・契約と、律法とは、如何なる関係にあるのか。なぜ、如何なるお心をもって神様はイスラエルの人々に律法をお与えになったのか。
前の段落の17節で「神によって・・・430年後にできた律法が・・」とパウロは語っている。彼によれば、律法はアブラハムより430年後にイスラエル人に与えられたものとのこと。それは言うまでもなく、彼らが奴隷であったエジプトを脱出して荒野を40年間彷徨っているさなかだった。十戒がその核にあった。なぜ神様は十戒をイスラエル人に授けられたかは、何度か聞いてきたことである。
やはり、根幹には、神様との梯子・懸け橋ということがあると思う。アブラハムたちに与えられた約束は、私たちの側にその資格などないにもかかわらず、神様の側から懸け橋をかけて私たちを導き守って下さるということだった。しかし、問題は、イスラエル人がその置かれた境遇の中で、如何にして、自分たちに神様との懸け橋がかけられ約束の中に守られていると感じられたか、実感できたかである。彼らが置かれていた苦境は、荒野を彷徨う40年間だけではなかったと思う。それ以前の、長くエジプトで奴隷とされていた時間も含まれるであろうし、すでに先住民がいたパレスチナに定住地を見つけていく難儀もあった。このような境遇の中で、イスラエル人は、自分たちが神様との懸け橋の下に置かれている存在なのだと実感できるためには、何か目に見える『よすが』が必要だった。「あぁ、これがあるから、私たちは神様とのつながりの中にあるのだ」と信じさせてくれる、よすがが不可欠だった。そうしたよすがとして、神様は十戒を与えて下さったのだった。
たった10の行いで、決して特別なものではなかった。たとえ奴隷であっても、荒野に彷徨っていても、実行可能なものだった。それを、日常生活の中でイスラエル人に為さしめることにおいて、神様は彼らに懸け橋の存在を実感させて下さった。「自分たちは確かに奴隷であり、荒野を彷徨っているけれども、ただ、それに支配されている惨めな者ではなくて、神様に支えられ、祝福されている存在なのだ」と信じることができた。だから、律法そのもの、また、その行いは、パウロの言うこととは正反対に、人々を生かすものであった。祝福するものであった。
3.先日書店で、河原理子(みちこ)の「フランクル『夜と霧』への旅」という題名の本を買い求めて読んだ。また改めて、フランクルという人の思想を思い起こした。震災後に、彼の著作が改めて読まれているとのこと。フランクルの思想、その精神療法の核心にあったのは、人はその歩みをその人なりに創造できるということだと思う。フランクル自身が置かれた強制収容所のようなところにあっても、また、今日ずっとお話してきたような、イスラエル人が長く置かれた奴隷や荒野を彷徨うような境遇においても、人は決してその奴隷になるのではなく、その人なりの主体的で自由な歩みができるし、また、その責任があるのだと彼は言う。そういう彼の思想と言うものが、一体何処から発しているかと言うと、それは律法からなのだと、改めて教えらた。フランクルの自伝を読むと、彼はとても誠実なユダヤ教徒であり、その戸口には律法を記した容れ物が置かれていたという。律法とは何か、その行いとは何か。それは、奴隷的な状況、荒野を彷徨う境遇にあっても、イスラエル人を神様とのきずなのなかに神様と応答して生かしめる「とりで」のようなものなのである。その行いをすることが、彼らをして自由に生かしめる。神様とのつながりの中で創意工夫をさせてくれる。神様は決して私たちを奴隷の境遇の中に放置されることはなさらない。それが神様の約束なのである。イスラエルの人々は、律法の行いにおいて、この神様の約束を実感した。フランクルが、精神科の医師として、患者に説いたのは、それぞれが置かれた境遇の中で、『律法』を見出すように、『律法の行い』ができるのだということなのかも知れない。
4.このような律法が、なぜ、人を生かさず閉じ込めるようなものに変ってしまったのか。それは、律法そのものが悪いのではなく、それを行う人間の側の問題なのだと思う。
先週の聖書箇所、律法の専門家とイエス様の問答の様子を思い起こす。律法の専門家はイエス様に問うた。「何をしたら永遠の命を受け継ぐことができるか」と(ルカ福音書10章25節)。永遠の命を受け継ぐとは、突き詰めれば、神様とのつながり、ということである。彼は、神様との懸け橋を掛けるのに、自分の側から何をすればと問うた。それが律法の行いだった。ここに、彼の問いの決定的な間違いがあった。私たちと神様との結び付きは、神様の側から一方的に、何の資格もない条件も備えられない私たちに向かって、梯子がかけられて出来るものなのである。律法の行いは、その懸け橋が、どんな境遇でも私たちに掛けられている、その確かな有り様を私たちに実感させてくれる、目に見えるよすがなのである。
律法の行いが懸け橋を作るのではない。既に、懸け橋はかけられている。神様の側からかけられている。それを、この律法の専門家は見誤った。いつの間にか、律法の行いが、人間の側から懸け橋をかける行為となってしまった。あるいは、神様がそれを私たちに延ばしてくれる条件となった。私たちがその条件を満たさなければ、神様は梯子を引上げておしまいになる。撤去されてしまわれる。神様というお方が、そのような恐ろしいお方に変ってしまったのであった。
5.だからこそ、そういう私たちを神様は、また憐れんで下さって― アブラハムから430年経って、イスラエルの人々が奴隷であったり荒野を彷徨っていたりしたとき、彼らを憐れんで律法を与えて下さったように ―ご自分と私たちとの懸け橋の存在をしっかりと目に見えるものとするよすがとして、イエス様をこの世にお遣わしになり、十字架と復活を歩ませて下さったのだと思う。文字通り、イエス様は神様から私たちのもとに延ばされた、生きた懸け橋なのである。弟子たちの側に、またパウロの側に、それを掛けていただく資格は何処にもなかった。弟子たちはイエス様を見捨てた。「あんな奴は知らない」とペテロは三度も言った。パウロは、イエス様を救い主と宣べ伝えていた人々を迫害して、血を流した。イエス様の十字架は、そのような者たちによって被ったものでもある。しかし、復活したイエス様は、弟子たちやパウロにお姿を現し、彼らを使徒としてお召しになった。人として生まれて、自分たちと起居を共にして下さったイエス様、そのようなお方を見捨て、裏切った自分たちと、なお、つながろうとして下さった方、そこにこそ、彼らは、神様からの梯子を実感したのである。こういう意味から言えば、イエス様は新しい律法、と言うことができるかも知れない。24節の「こうして律法は・・・養育係となった」と言う言葉は、このような点から理解しても良いのではないだろうか。
イエス様という神様からの梯子に加えて、更なるよすがとして私たちに与えられたのが洗礼なのだと示される。27節に、「洗礼を受けてキリストに結ばれたあなたがた」とある。先ず、イエス様という生きた懸け橋を神様は私たちに与えられ、更に、その懸け橋が私たちの内側にしっかりと神様によって設置されたもの、それが洗礼であるのかも知れない。洗礼によって、私たちはイエス様に結ばれる。神様からの懸け橋であるイエス様を、内なる部分にしっかりと設置していただくと、もう、私たちの側の暴風雨や揺れがあっても、びくともしない。そこには安心がある。洗礼を授けていただいたという、目に見える事実に、神様との懸け橋のよすがを、しっかりと見るのである。
筑波学園教会牧師 福島 純雄
2014年 2月9日 降誕節第6主日礼拝
10:25すると、ある律法の専門家が立ち上がり、イエスを試そうとして言った。「先生、何をしたら、永遠の命を受け継ぐことができるでしょうか。」 10:26イエスが、「律法には何と書いてあるか。あなたはそれをどう読んでいるか」と言われると、 10:27彼は答えた。「『心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい、また、隣人を自分のように愛しなさい』とあります。」 10:28イエスは言われた。「正しい答えだ。それを実行しなさい。そうすれば命が得られる。」 10:29しかし、彼は自分を正当化しようとして、「では、わたしの隣人とはだれですか」と言った。 10:30イエスはお答えになった。「ある人がエルサレムからエリコへ下って行く途中、追いはぎに襲われた。追いはぎはその人の服をはぎ取り、殴りつけ、半殺しにしたまま立ち去った。 10:31ある祭司がたまたまその道を下って来たが、その人を見ると、道の向こう側を通って行った。 10:32同じように、レビ人もその場所にやって来たが、その人を見ると、道の向こう側を通って行った。 10:33ところが、旅をしていたあるサマリア人は、そばに来ると、その人を見て憐れに思い、 10:34近寄って傷に油とぶどう酒を注ぎ、包帯をして、自分のろばに乗せ、宿屋に連れて行って介抱した。 10:35そして、翌日になると、デナリオン銀貨二枚を取り出し、宿屋の主人に渡して言った。『この人を介抱してください。費用がもっとかかったら、帰りがけに払います。』 10:36さて、あなたはこの三人の中で、だれが追いはぎに襲われた人の隣人になったと思うか。」 10:37律法の専門家は言った。「その人を助けた人です。」そこで、イエスは言われた。「行って、あなたも同じようにしなさい。」
1.物語は、ある律法の専門家がやってきて「何をしたら永遠の命を受け継ぐことができるか」とイエス様に尋ねることからはじまる。有名な『善きサマリア人のたとえの話』が語られているところである。なお、イエス様に同じ問いかけがなされる場面が、マタイ福音書の19章16節以下とマルコ福音書の10章17節以下に、そしてこのルカ福音書の18章18節以下に記されている。質問をした人が、金持ちの議員であったか、富める青年であったかという小さな違いはあるが、3つはほぼ似通った物語である。賛美歌の歌詞にもなっている。これらを比較すると、ルカによる福音書に書かれた物語は、最初の質問だけは同じでも、それ以外はかなり違っている。ルカによる福音書だけに記された物語なのである。さらに、前後の文脈を見ると、やはりルカだけが記している出来事に、サンドイッチのように挟まれていることが解る。前におかれているのは、72人の派遣とその帰還、そして、それに際してのイエス様の喜びの祈りの場面である。72人の出来事はルカ福音書だけに書かれている。そして、今日の御言葉の直後には、これもまた、ルカだけが書いているマルタとマリアのエピソードが置かれている。こういう前後の文脈の間に、この物語を置いたところに、ルカという人が伝えたかったメッセージが込められていると感じる。
2.直前に置かれた御言葉からのつながりに着目すると、21節に記された祈りのなかで、イエス様は「これらのことを知恵ある者や賢い者には隠して、幼子のような者にお示しになりました」と言われているが、今日の御言葉に登場する律法の専門家こそが、― また、たとえ話のなかで言えば、祭司やレビ人が ― この知恵ある者や賢い者に当るのだと思う。この律法の専門家は、イエス様が「これらのこと」と言われた出来事を目の当りにして、それを彼も求めてイエス様のものにやって来たのであった。しかし、彼には「これらのこと」が隠されていた。手にいれることができなかった。
「これらのこと」とは、律法の専門家でもレビ人でも祭司でもなく、幼子のようでもなく、知恵も力もない、ごく普通の人々であった72人が遣わされ、行く先々で目覚ましい働きをしたことであった。そこに、この律法の専門家は「永遠の命を受け継いでいる」としか表現しようのない何かを見たのだと思う。25節には「イエス様を試そうとして」とあるが、決して彼は、底意地の悪い企てを抱いてイエス様のところにやって来たのではなかったと私は感じる。素直に72人の姿に感動し、そこに「永遠の命を受け継いでいる」としか言いようのないものを見出して、自分もそれを体験したいものだと素朴に思って、やって来たのであろう。ところが、何故か、求めても得られなかった。隠されていたのである。それが、何故なのかということを、今日の御言葉は描こうとしているのだと思う。
3.ここで、「永遠の命を受け継ぐ」ということを考えたいと思う。それは言葉そのものとしては、永遠に死なない者となること、不死という意味に受取れるが、72人が体験した「これらのこと」と言うのは、決してそのようなことではなかったのである。72人が喜び勇んで帰って来てイエス様に報告したように、彼らが招かれた家で、悪霊が屈服したというようなことが起きたようであった。それば多分、なかなか治らなかった病気が治ったとか、長く解決しなかったトラブルが解決して家族に平安が訪れたとか、そういうことだったと思う。なぜ彼らにそのような働きができたかと言うと、イエス様から派遣された者であったということによって、神様につながることができていたからなのであった。神様とは、尽きることのない無尽蔵な善いものが満ちているお方である。それが「永遠の命」と言う言葉で表現されているものなのであろう。たとえて言えば、尽きることのない命の井戸、あるいは清水が湧き出る泉のような存在であろう。72人は、イエス様に派遣された者として、一人ひとりが、言わば、命の井戸や清水の湧き出る泉のような者となって、家々に遣わされたのであった。彼らを通して、そういう井戸が家々に掘られたのであった。尽きることのない命の泉へのパイプが開通したのであった。
どんなに干からびて見える砂漠であっても、その地下には、決して涸れることのない水脈が流れているのだという。それが地表に出たのがオアシスと呼ばれるものなのである。砂漠の上で生活している私たちには、その地下水脈が見えない。だから不安なのである。私たちは渇きに喘いでいる。悪霊とかサタンといった存在は、そこに襲いかかってきて、涸れることのない水脈が、ほんの数メートル下に脈々と流れていることを忘れさせ、ここには水などないのだと思いこませる。そのことが、私たちをして不安に陥らせ、病気にさせるのである。様々なトラブルを生じさせるのである。
そこに72人が派遣された。彼らを通して、尽きることのない命の泉へのパイプが開通した。小さいけれど、井戸が設置され、オアシスができたのであった。そのことが悪霊を屈服させたのであった。病を癒し平安をもたらしたのであった。律法の専門家は、この光景に心を引かれ、自分たちもそうありたいと切に願ったのであろう。
4.だから、この律法の専門家の問いは、私たちの問いでもある。イエス様は、この人が律法の専門家だったので「律法には何と書いてあるか」と問い返した。彼の答えは模範解答だった。律法の専門家だったから、神様を愛することにおいては誰にも引けを取らなかったであろう。また、隣人を愛するということにおいても、少なくとも、仲間うちの者たちを大切にしているという点では、人後に落ちなかったであろう。「それが律法の専門家として、あなたが考える解答であるならば、正しい答えだ。実行しなさい。そうすれば命が得られるはずではないか」とイエス様はお答えになった。
イエス様は見抜いておられたのだと思う。この律法の専門家が、たとえこの正しい答えを実行しても求めるものが得られないと考えていたことを。正しい答えをどんなに実行しても、72人が体験した「これらのこと」が得られないからこそ、彼がご自分のもとに来たのだということを。彼には、何かが欠けていたのである。だから、どんなに求めても隠されていたのである。では彼には、何がかけていたのか。何が原因で、切実に求めている「永遠の命」を受け継ぐことができないでいたのか。
その答えが、善きサマリア人のたとえなのである。私自身、長く、このたとえの中心人物とは、追い剥ぎにあった旅人を介抱してやったサマリア人だと思ってきた。イエス様は、最後の37節で「行ってあなたも同じようにせよ」と言われている。その「同じ」というのは、善きサマリア人と同じように介抱することだと思っていた。しかし、今回の学びに於いて、そうではなかったのだということが解ってきた。このたとえの核となる人物は、実は追い剥ぎにあって半殺しにされ、サマリア人から介抱してもらった旅人ではなかったか。イエス様が、律法の専門家に「あなたも同じようにしなさい」と言われた本当の意図は「あなたも追い剥ぎにあった旅人と同じ者となりなさい。同じ者であると知りなさい。」ということではなかったか。
このことに気づくと、この律法の専門家に欠けているものが何であったかが解ってくる。また私たちが、つきることのない命の泉である神様とつながって清水をいただく上で、妨げとなるものは何なのかが解ってくる。この律法の専門家は「何をしたら」と問うた。何をしたらよいかについての模範解答もわかり、それを実行できてもいた。清水の流れということから言えば、彼は、そもそも「高い」ところにいたのである。水は高いところから低いところに流れる。潤ったところから渇いたところにこそ浸透していく。何をしたら、と問い得た彼は、また、それを実行し得た彼は、確かに「永遠の命」を求めてはいた。渇いてもいたのであろう。けれども彼は『高い』のであった。彼は低いところにはいなかったのである。彼は追い剥ぎにあっておらず、剥ぎ取られてもいなかった。そういう彼の有り様を象徴的に表しているのが、29節の「自分を正当化しようとして」との言葉である。これは原文のギリシャ語では「自分を義として」ということである。自分で自分をくるむことができる者、自分を高いところに置くことができる者、そういう者には、永遠の命という神様からの清水は流れ込んでくることができない。流そうと神様がさされても、それを妨げるものが彼自身のなかにあるからである。
5.これに対して、追い剥ぎにあった旅人はどうであったか。彼はもはや、自分からは何もすることはできなかった。ただ、介抱してもらうだけであった。祭司とレビ人は見捨てて行った。しかし、サマリア人は彼を介抱した。なぜ、サマリア人は、助けたのだろうか。助けるということは、助けられるということと同根なのだと思う。助けられた者だけが、助ける者となり得るのである。祭司やレビ人が助けなかったのは、彼らには助けられる必要がなかったからである。助けられる必要のない者は、また、助けることもしない。この律法の専門家もそうであった。
ただし、彼がイエス様のもとに、疑問を抱いてやってきたことは、助けられることの芽生えであった。しかし、残念ながら、いまだに「何をしたら」と言うのであった。自分が模範解答を実行できる存在であることから離れることができずにいた。そうではなくて、自分が追い剥ぎにあって破れ果てている存在であると認めれば良かった。そうすれば、そこに神様からの清水が流れ込んできたであろう。イエス様がパイプであることがわかり、それによって、彼もまた、助ける者となり、誰かに清水を流し出す者となったであろう。流し出すことによって、ますます神様からの清水が流れ込んでくるようになったであろう。永遠の命を受け継ぐということは、こういうことなのである。文字通りの永遠などというものは、ここには何もない。追い剥ぎにあった旅人が、善きサマリア人から介抱されたという、ひとときの出来事である。束の間の出来事に過ぎない。しかし、この助けられ助けるという一時の出来事において、実は、永遠の命が流れ込んでいるのである。地下の水脈に脈々と流れている神様からの清水に、私たちは浴しているのである。砂漠の中にあるオアシスに、私たちは生きることができているのである。それは、まず助けられる者となり、そこに助けてくれる存在と出会う。その出会いの中に、助けられ助けるという間柄のなかに流れ込んでくる清水をのむことなのである。それが、永遠の命を受け継ぐということではないだろうか。尽きることのない神様からの清水をいただくとは、そういうことではないだろうか。
全く偶然だが、先週の木曜日に、図書館で何気なく手にとって借りた本が、北九州で長くホームレスの支援に関わっておられたバプテスト教会の奥田知志(ともし)牧師と、脳研究者の茂木健一郎さんの『「助けて」といえる国へ』という対談集であった。助けることではなく、まず「助けて」と言えること、助けられることにこそ、力点が置かれていた。また、先週2月8日付の『教団新報』の1面メッセージのなかに、60代で難病にかかった方が「こんなふうに病気が確実に進行して、最後には何も出来なくなって、家族に迷惑だけかけて、わたしが生きていくことに、本当に意味があるんでしょうか」と問われて、その牧師は返す言葉がなかったと書かれていた記事を思い起こした。そういう状態になったとき、誰もが同じ思いを抱くのではないだろうか。ただ、助けられるだけの、迷惑をかけるだけの存在になって、生きる意味はあるのかと。その問いには、突き詰めると、今日の御言葉における律法の専門家と同じ思いが含まれていると感じる。しかし、イエス様は、そうはいわれていない。まず助けられることなのである。そこに、助けるものが現れ、その間柄において、永遠の命が注がれるのだと。
筑波学園教会牧師 福島 純雄
2014年 2月2日 降誕節第6主日礼拝
31:01ヤコブは、ラバンの息子たちが、「ヤコブは我々の父のものを全部奪ってしまった。父のものをごまかして、あの富を築き上げたのだ」と言っているのを耳にした。 31:02また、ラバンの態度を見ると、確かに以前とは変わっていた。 31:03主はヤコブに言われた。「あなたは、あなたの故郷である先祖の土地に帰りなさい。わたしはあなたと共にいる。」 31:04ヤコブは人をやって、ラケルとレアを家畜の群れがいる野原に呼び寄せて、 31:05言った。「最近、気づいたのだが、あなたたちのお父さんは、わたしに対して以前とは態度が変わった。しかし、わたしの父の神は、ずっとわたしと共にいてくださった。 31:06あなたたちも知っているように、わたしは全力を尽くしてあなたたちのお父さんのもとで働いてきたのに、 31:07わたしをだまして、わたしの報酬を十回も変えた。しかし、神はわたしに害を加えることをお許しにならなかった。 31:08お父さんが、『ぶちのものがお前の報酬だ』と言えば、群れはみなぶちのものを産むし、『縞のものがお前の報酬だ』と言えば、群れはみな縞のものを産んだ。 31:09神はあなたたちのお父さんの家畜を取り上げて、わたしにお与えになったのだ。 31:10群れの発情期のころのことだが、夢の中でわたしが目を上げて見ると、雌山羊の群れとつがっている雄山羊は縞とぶちとまだらのものばかりだった。 31:11そのとき、夢の中で神の御使いが、『ヤコブよ』と言われたので、『はい』と答えると、 31:12こう言われた。『目を上げて見なさい。雌山羊の群れとつがっている雄山羊はみな、縞とぶちとまだらのものだけだ。ラバンのあなたに対する仕打ちは、すべてわたしには分かっている。 31:13わたしはベテルの神である。かつてあなたは、そこに記念碑を立てて油を注ぎ、わたしに誓願を立てたではないか。さあ、今すぐこの土地を出て、あなたの故郷に帰りなさい。』」 31:14ラケルとレアはヤコブに答えた。「父の家に、わたしたちへの嗣業の割り当て分がまだあるでしょうか。 31:15わたしたちはもう、父にとって他人と同じではありませんか。父はわたしたちを売って、しかもそのお金を使い果たしてしまったのです。 31:16神様が父から取り上げられた財産は、確かに全部わたしたちと子供たちのものです。ですから、どうか今すぐ、神様があなたに告げられたとおりになさってください。」 31:17ヤコブは直ちに、子供たちと妻たちをらくだに乗せ、 31:18パダン・アラムで得たすべての財産である家畜を駆り立てて、父イサクのいるカナン地方へ向かって出発した。 31:19そのとき、ラバンは羊の毛を刈りに出かけていたので、ラケルは父の家の守り神の像を盗んだ。 31:20ヤコブもアラム人ラバンを欺いて、自分が逃げ去ることを悟られないようにした。 31:21ヤコブはこうして、すべての財産を持って逃げ出し、川を渡りギレアドの山地へ向かった。
1.創世記28章10節以下において、神様はヤコブに天から梯子をかけ「あなたが何処へ行っても、わたしはあなたを守り」と約束された。したがって、以後に記されているヤコブの姿とは、神様によって懸け橋をかけられ、この約束のもとに置かれている者の有り様として受け取って良い。
ヤコブの姿が、果たして神様から懸け橋を掛けられた者の姿だろうかと、疑問を抱かざるを得ないこともあった。神様の約束の下に置かれているとは言っても、ヤコブには自由意思があったし、また、彼を何度も騙す伯父ラバンのような存在との人間関係・社会関係の下にも置かれる者なのだったから、その一挙手一投足すべてが神様の導きの下にあるものとはならない。けれども、そのようなヤコブを、神様は決して見放すことはなさらず、神様との懸け橋の下に置かれている者であるがゆえの生き方が、輝き出ざるを得なかった。このことに、わたしたちは大きな励ましと慰めを見出す。今日の御言葉も、このようなヤコブの姿を描き出したものである。
2.本当ならば30章25節から読むべき物語である。タイトルに「ラバンとの駆け引き」「ヤコブの工夫」と付けられている。30章25節から43節までのところと、今日の御言葉の3節以下、すなわち神様がヤコブにお言葉を掛けられる後の箇所とを読み較べると、すぐに気がつく事がある。それは、30章25節から31章2節までは、神様との懸け橋のなかに置かれているヤコブが、その関係によって歩むことができず、ひたすら彼を騙そうとする伯父ラバンとの駆け引きに引きずり込まれ、だからこそ、必死になって自らが考え出した工夫によって、ラバンに応じようとするヤコブの姿が描き出されているということである。そのことが、彼をどのようなところへと至らせたがが、ここに書かれている。
これに対して31章3節以下では、神様がヤコブとの懸け橋をはっきりとお示しになり、この神様とのつながりを明示されたことによって、ヤコブにどのような変化が生じたかが、書かれている。31章3節の神様のお言葉が、ヤコブの歩みに一線を画して、言わば、くっきりとビフォー・アフターのような違いを作り出している。そこでまず、ビフォーの部分について耳を傾けてみよう。
30章25節には、ヤコブが伯父ラバンに向かって「わたしを独り立ちさせて、生まれ故郷に帰らせてください」と言ったことが、書かれてる。ここには、ヤコブがどうしてこのような思いを抱いたかということは、何も書かれてはいない。最も大事な点は、その思いは、31章3節や31章13節と読み較べれば自ずとわかるように、神様から「さあ故郷へ帰りなさい」と明示されて授かった決断ではなかったか、ということなのである。何よりも、30章最後まで書かれていることから良く分かるように、それまでの20年間、何の報酬もラバンから貰えなかったゆえの憤りからであり、このままでは家さえ持つことができないとの焦燥感からだった。
曲がりなりにも、20年を過ごした所から離れるということは、決して小さな決断ではなかった。ヤコブを騙した伯父ではあったが、家を出て、だれ一人迎えてくれる者もなかったヤコブを喜んで迎え、二人の娘を妻としてくれたのも、ラバンなのだった。そこを出るということは、単に憤りや焦りからのものであって良い筈がなかった。28章15節で、神様は彼に言われた。「あなたがどこへ行っても、わたしはあなたを守り、必ずこの土地に連れ帰る」と。そうであるならば、神様がはっきりと故郷へ帰る時をお示しになる筈である。神がそのことのイニシアティブをとられる筈である。しかし、ヤコブはそれなくして、故郷へ変えることを口にだしてしまった。
3.それ故に、以後の彼の歩みは、伯父ラバンとの報酬を巡る駆け引きのただなかに引きずり込まれていくことになった。故郷に帰ろうという彼の決心は、31節にあるように、報酬への条件がラバンによって受け入れられると、あっさりと覆されてしまった。故郷に帰るという思いは、これくらいのものでしかなかったのだろうか。要は、それなりの報酬が得られれば、消えてしまうようなものでしかなかったのである。これ以後の彼の歩みは、もはや故郷へと帰るという、はっきりとした目的に根差したものではなく、ただひたすら報酬を巡っての泥仕合となった。
物語としては、なかなか面白いものではある。ヤコブがラバンに申し出た報酬は、決して法外なものではなかった。注解書によれば、この時代・当時の羊は普通は白であり、ヤギは黒いものだったそうだ。ところが、ヤコブが申し出た報酬は、まだらや黒みがかった羊と、まだらやぶちのヤギだった。普通ではなかった。数が多くないものを控えめに申し出た。この申し出をラバンは承認したが、数の少ないこの羊や山羊を息子たちに預け、ヤコブの前から隠してしまった。
これに対して、ヤコブも工夫をして応じた。それは、当時の世界に広く信じられていた迷信に頼るものだった。何故か、それは巧くいった。なぜ巧くいったかの秘密は、今日の御言葉の中で、神様の為して下さったこととして明らかになっている。しかし、そのときのヤコブは、自分の考え出した工夫によって巧く成功していると思ってしまった。迷信に頼って成功していると思ってしまった。
結果として、何が待ち受けていたか。それが、1節・2節に書かれていることなのである。駆け引きに勝ち、何故か豊かになって行ったヤコブに対する、ラバンやその息子たちの怒りだった。今にもぶつかり合いが起こりそうな、険悪な雰囲気なのであった。
4.この時にこそ、それまで隠されてしまっていたヤコブとの懸け橋の存在を、神様ははっきりとお示しくださった。3節にあるように「あなたは・・」と言われ、これと同じ時に与えられた言葉かどうかはっきりしないが、11節から13節に記されているお言葉を、夢の中で語りかけて下さった。
まず、ヤコブが神様に言われたのは、故郷に帰るべきときが来ているということだった。どんなことがあっても、たとえ報酬があっても無くても、後ろ髪を引かれるようなことがあっても、「今すぐにこの土地を出て、あなたの故郷に帰りなさい」と神様の御心を明示して下さった。
このことが、ヤコブの歩みにとのような変化をもたらしたのか。もし、神様の語りかけがなかったら、どうであったろうか。争いが起きたかも知れない。或いは、それが起きる前に、ヤコブは家族を連れ財産を持って逃げて行ったかも知れない。そのほうが、ありそうなことではないか。結果的に、31章17節以下に書かれているのと同じことを、ヤコブはしたかも知れない。
神様からの語りかけがあったのに、結果的には同じことをしたのではないか。伯父ラバンと円満に別れることはできなかったではないか、それなら、神様のお言葉は何の役にたったのか、と言う方もあるかも知れない。しかし、大切なのは、結果は同じでも、その心なのである。ラバンのもとを、どのような心で出て行ったのか。その気持ちなのである。
もし、神様からの語りかけがなければ、ヤコブがここを離れるのは、伯父ラバン一家との報酬を巡る争いがあったから、ということになる。故郷に帰る、それが天の神様からの御心だと示され、神様から示される聖なる・大いなる道筋を歩むという大義名分があって、光の方向に向かって進むのではなく、どろどろした争いから逃れて、何の当てもなく、仕方なく故郷に逃げて行くしかなかった。
実は20年前がそうだった。突き詰めれば、双子の兄エサウとの報酬を巡る争いから、ヤコブは家を出ざるをえなくなった。何処にも行く当てがなくて、伯父ラバンを頼った。20年経って、今また、同じような歩みをするだろうか。またまた、報酬を巡る泥仕合のせいで、今度は故郷に帰ってくるだろうか。そんなことで、ヤコブを殺すほどに憎んだ兄エサウとの再会・和解という難題に、どうして向かうことが出来ようか。
しかし、そうではなかった。故郷に帰ることは、天の神様から懸け橋を掛けられている故の歩みである。このことは、たとえ結果としてはラバンのもとから逃亡するような形であったとしても、ヤコブに確かな平安を与えるものだった。
5.こうしたヤコブの姿に、私は24年過ごした郡山を離れて、この筑波学園教会への赴任を神様からの導きと信じてやってきたときのことを、思い起こす。
郡山教会に導かれたことには、深い神様の導きがあった。仙台で知り合って結婚した妻が、幼稚園から郡山で育った人だった。郡山教会が、私の受洗を受けた母教会となった。当時の郡山教会の牧師に神学校入学を相談したとき「卒業したら郡山教会に赴任して欲しい」と言われた。それが4年間の学びを支てくれた。
何よりも驚いたことは、生まれた時から父に連れられて通っていた秋田県の湯沢市にある湯沢教会が、伝道所から教会になったとき、初めて招聘をした深谷修牧師が、何と郡山教会で青年時代を送り、そこから神学校へと入学した方だったことだった。
このような神様の導きによって24年間仕えた教会を、私は自分の勝手な意思で去ることは出来なかった。しかし、これ以上留まれば、教会が『福島先生の教会』のようなものになってしまう。そういう思いが私にも妻にもあった。だから、誰に新しい任地の相談をすることもなく、もし異動が神様の御心であるならば、必ずや客観的な神様のご意思の明示があるもの、と信じていた。
震災があった前の年の2月に、礼拝に来ようとする途中で、父が迷子になるという事件が起こり、一時は父の死も覚悟した。私が郡山に赴任をして、雪深い秋田から呼び寄せた両親なので、責任を感じていた。だから、5月に神学校の学長からお電話があったときには、お断りをした。普通は、それで人事の話は終わるのだが、さらにお手紙が届き、これまで一度も転任の話に首を縦に振らなかった妻が、移るべきだと言ったのだった。その次の日の朝に、聖書日課で与えられたヨハネ黙示録の御言葉が決め手になった。
このようなことを通して、私はつくばへの転任を神様から示されたものの受けとめることが出来た。それがなかったら、どうだっただろうか。大きいのは震災だった。おそらく、ある人々はこう言ったかも知れない。「福島は被災した郡山の人々を置いて、両親も捨てて、都会に行ったのだ」と。報酬に釣られていったのだと言う人もいたかも知れない。私のなかにも、そういう思いが生じたことだろう。
しかし、これはわたしの思いではなく、神様の御心から出たことなのである。それを、誰もが知ってくれている。だから、何のやましい思いもなく、正々堂々と郡山を離れてつくばへと来ることが出来たのだった。ヤコブも同じだと思う。ラバンのもとからの逃亡という結果は同じであったかも知れない。しかし、内的な心が全く違う。それを、自分の思いやラバンとの争いによって為したと思うのと、神様の導きによって為したと確信できるのとでは、平安が違う。この道を進んで行って良いのだ、と思える。
ヤコブが神様から聞いたのは、ただ故郷へ帰れということだけではなかった。これまでの報酬を巡っての伯父ラバンとの醜い駆け引き・泥仕合のただなかにも、神様の導きがあったということを、ヤコブは知らされた。なぜ、家畜が増えたのか、それは自分が頼った迷信によるのではなく、神様がそうして下さったからだと言うことを知らされた。どろどろした駆け引きの歩みが、聖なる歩みであったことを知ったのである。これもまた、大きな励ましであった。
筑波学園教会牧師 福島 純雄
2014年 1月26日 降誕節第5主日礼拝
03:13キリストは、わたしたちのために呪いとなって、わたしたちを律法の呪いから贖い出してくださいました。「木にかけられた者は皆呪われている」と書いてあるからです。 03:14それは、アブラハムに与えられた祝福が、キリスト・イエスにおいて異邦人に及ぶためであり、また、わたしたちが、約束された“霊”を信仰によって受けるためでした。
1.パウロがガラテヤ教会の人々にこの手紙を書いた直接の理由は、次のようなものだった。3章1節に「ああ、物分かりの悪いガラテヤの人たち、だれがあなたがたを惑わしたのか。目の前に、イエス・キリストが十字架につけられた姿ではっきり示されたではないか。」と書かれている。それでガラテヤの人々は、十字架につけられたイエスという方がキリスト(救い主)であると信じた。このところの説教では、繰り返し「懸け橋、梯子」を取り上げている。人々は十字架につけられたイエス様こそが、神様から私たちへと伸ばされた懸け橋であり梯子だと信じた。ところが、あっと言う間に、律法を行うことが懸け橋だとの教えに引きずられてしまった。それで、パウロは憤りと嘆きに満ちたこの手紙を書かざるを得なかったのである。
さて、私たちには律法の行いには全く縁がないので、パウロがこの手紙で問題にしていることが、ピンと来ない。けれども、3章1節以下の御言葉を読んで、これが今の私たちに重なると示された点があった。私たちは、律法の行いへと引っ張られていくことはないけれども、十字架のイエス様が救い主であり、懸け橋であると信じ、その信仰にずっと留まることから、いつの間にか離れてしまうということがあるのではないか。
欧米でも、キリスト教離れが顕著であると言われている。過日のTVでも、昔からの教会堂が本屋になっていたり、サーカス一座の練習場になっていたりと、教会堂がどんどん売却されてしまっている様子が報じられていた。日本の教会では、せっかく洗礼を受けても、すぐに教会を離れ、礼拝から遠のき、ついには、十字架のイエス様を神様からの懸け橋として信じる信仰から遠ざかる人が多い。どうしてそうなってしまうのかということを、今日の御言葉を読んで考えさせられる。
2.これも、3章1節以下の御言葉を読んで改めて考えさせられたことだが、十字架のイエス様を神様からの懸け橋として信じ、その信仰に留まり続けるためには、私たちの側に前提となるある事柄が不可欠であるように思う。それは、イエス様という神様からの懸け橋を必要不可欠なものと受け取るための、私たちの側の条件である。
たとえて言うなら、十字架につけられたイエス様は、谷底に転がり落ちてしまって自分では這い上がれなくなった私たちのところに、イエス様御自身が谷底に転がり落ちる者として来て下さったということである。谷底に落ちた者を救うためには、レスキュー隊員自らか、或いは、ロープか縄梯子のようなものかはともかく、実際に谷底まで何かが吊り降ろされ、誰かが助けに来てくれることが不可欠である。イエス様は、ご自分自身を十字架にかけて、谷底に落ちた私たちを、上へ天へと、救い出して下さった。このイエス様を、神様からのレスキュー隊だと受け止めるためには、私たちが自分自身を谷底に転げ落ちた存在であると自覚していることが不可欠なのだと思う。そのように自覚していて、初めて、谷底へと降りて来て下さったイエス様を受入れ、その救いに手を伸ばし、身を委ねることができるのだと思う。
ガラテヤの人々は、この自覚に留まり続けることができなかったのではないか。そして、この信仰から離れてしまう人々も、自分が谷底に落ちているものだとの思いから、いつの間にか離れてしまっているのだと思う。ガラテヤの人々は、十字架のイエス様をキリストとして信じたとき、何か特別な聖霊の体験があったようだ。奇跡を味わうようなことがあったようだ。それで、彼らは谷底から一挙に高いところにあげられた。いつの間にか、もう自分たちは、十字架にかかって死んだ - ローマ帝国の犯罪人として十字架の上で処刑されたような - 人間のレスキューなど、もう必要とはしていないという思いになった。それよりも、高いところに既に上った存在として、もっともっと高みへと進むためには、律法の行いに励むことが大切だと考えたのではないか。
私たちも同じだと思う。律法の行いへと引かれるということはないが、クリスチャンとなり教会生活が長くなると、いつの間にかイエス様の十字架を救いとして受け入れたその原点を忘れてしまう。社会人としても、家庭においても、もはや谷底になど転げ落ちた者ではなく、独りで十分にやっていける存在なのだという思いが、どんどん強くなって行く。もはや、十字架のイエス様のかけ橋など、私には不要だと思ってしまう。
3.どうやったら、谷底へ落ちている者としての自覚に留まることができるのか。無理やり自分にそう思わせようとしても、それは出来ないことだろう。突き詰めれば、それもまた、神様の御業でしかないということかも知れない。
大学時代に、私は仙台の広瀬河畔教会という教会に通っていた。2年続けて受洗のための準備会を受けて、2年続けてそれが途中でストップし、洗礼を受けたのはそれから暫く経った、仙台YMCAに勤め始める直前の時だった。なぜ受洗準備会がストップしたかというと、最初の年は、山本尚忠牧師から「福島くん、君には罪の意識が足りないね」と指摘されたことがきっかけだった。山本牧師とは、牧師になってから同じ東北教区で、たいへんお世話になった。昨年は、名古屋でのご葬儀にも出席してきた。会うと、いつもこの受洗準備会の話になる。「先生はいつも準備会のとき、ああいうことを指摘されるのですか」と伺うと、「いや君だけだよ」と、とぼけた返事を為された。いま思うと、そのときの先生の問いかけは、真に的を射ていると思う。
もちろん、受洗なさる方が皆、自分の罪の意識 - 罪の意識ということが、先程からお話をしてきたことで言えば、谷底へ落ちている者としての自覚ということだが - をはっきりと持って洗礼を受けるかといえば、そうではないだろう。ただ、受洗するということの根源には、はっきりした思いではなくとも、谷底に落ちている私のためにイエス様が懸け橋となって下さったという、直感というか、淡い信仰がある筈である。そして、それは徐々に深まって行くべきものである。深まって行くゆえに、その信仰に留まり続けることができる。
受洗したのは、その後、暫くしてからだった。そこには、この準備会以後の歩みのなかで、谷底に落ちている者としての感覚が少しずつ芽生えて行ったからなのだと思う。大学を卒業し、教育学部の聴講生などをした後、私は障碍をもった方々の施設指導員になろうと、所沢にあった養成施設に1年間学んんだ。ところが、そこで大きな挫折を味わったのである。自分には、到底そのような仕事はできないと知った。自分が到底それに相応しい人間ではないことを知った。それが、浅いけれども、谷底へ落ちている者としての感覚だった。それが受洗へと、私を導いたものであったに違いない。
牧師になり、幸いにも、その感覚は深くされていった。郡山教会を離れてこちらに来るときの送別会の席で、佐川久光兄が私に一枚の色紙を贈ってくれた。その色紙には、第一コリント書1章23節の「わたしたちは十字架につけられたキリストを宣べ伝えています」と佐川兄の筆でかかれていた。佐川兄は「先生が常にこのことを語っておられたのだということが、やっとわかりました」と言われた。今、その色紙は牧師館の一室に大切にかけられている。24年間の郡山教会での牧会が間違っていなかったとの証しだと思っている。私の牧会を通して、十字架につけられたキリストが伝わったということは、即ち、私という一人のキリスト者が十字架に付けられたイエス様が懸け橋であるという信仰から離れず、それを深めることができていたことの証しである。そのためには、神様が与えて下さった出来事だが、谷底に自分が置かれているのだと私に自覚をさせる幾つかの体験が不可欠だった。
4.さて、パウロという人もまた、終生、この谷底へ落ちている者としての自覚に留まり、深めて行った人だと思う。パウロは自分のことを、「わたしたちを律法の呪いから贖い出して下さいました」と言って、「呪い」という谷底に落ちている者だとの自覚を述べているのだと思う。そして、呪いの谷底に落ちている私を救い出し、贖い(贖いとは、現在はほとんど使われない言葉だが、借金のかたに、奴隷として売られてしまった人を、第三者が代わって、その借金を払ってやって、自由の身にしてやることである)出すために、イエス様御自身が十字架の上で呪われる身となって下さったと言った。
自分が呪いのなかに置かれた者だとは、とても特殊な表現だと思う。谷底に落ちているとの自覚、弱さや脆さの自覚、死の谷に置かれている自覚、そういったものとはかなり違う感覚である。どういうことが言われているのか思いを巡らしていた。ふと思い起こしたのは、いま聖書研究祈祷会で、すっとサムエル記を読んでいるが、息子アブサロムによって反乱を起こされて都落ちをしたダビデを、シムイという人が執拗に石を投げつつ、激しく呪う場面である。それはサムエル(下)16章5節以下にある。「出て行け、流血の罪を犯した者。お前は災難を受けている。お前が流血の罪を犯した男だからだ」とシムイはダビデに言った。
ダビデが犯した流血の罪とは、他でもない、彼が部下ウリヤの妻を奪って我がものとし、それがばれそうになると、将軍ヨアブに命じてわざとウリヤを最前線に送って置き去りにして戦死させたことである。どんなに隠そうとしても、シムイの呪いを通して、ダビデの犯した流血の罪は告発され続けた。呪われるとは、こういうことなのだと思う。それは、病や弱さという谷底に置かれるのとは、決定的に違う。私たちが流血の罪を犯しているということなのである。
パウロは、自分自身をこのような者として受けとめていたのだと思う。使徒言行録7章58節に、ステファノという人が石を投げられて殉教していくとき、パウロがステファノの着物の番をしていたことが書かれている。8章1節では、彼がステファノの殺害に賛成していたとある。つまり、パウロの手は、彼によって迫害されたクリスチャンが流した流血に染まっていたのである。生涯、彼はこの負い目に留まり続けたであろう。そして、イエス様の弟子たちも、その代表であったペテロも、イエス様を見捨て、逃亡し、少なからず、その血が流されてしまうことに加担をしたという負い目に立ち続けていたのだろうと思う。しかし、そのことこそが、彼らをして、十字架のイエス様を、神様からの懸け橋として信じ続け、語り続ける根幹となったのである。
筑波学園教会牧師 福島 純雄
2014年 1月19日 降誕節第4主日礼拝
10:17七十二人は喜んで帰って来て、こう言った。「主よ、お名前を使うと、悪霊さえもわたしたちに屈服します。」 10:18イエスは言われた。「わたしは、サタンが稲妻のように天から落ちるのを見ていた。 10:19蛇やさそりを踏みつけ、敵のあらゆる力に打ち勝つ権威を、わたしはあなたがたに授けた。だから、あなたがたに害を加えるものは何一つない。 10:20しかし、悪霊があなたがたに服従するからといって、喜んではならない。むしろ、あなたがたの名が天に書き記されていることを喜びなさい。」 10:21そのとき、イエスは聖霊によって喜びにあふれて言われた。「天地の主である父よ、あなたをほめたたえます。これらのことを知恵ある者や賢い者には隠して、幼子のような者にお示しになりました。そうです、父よ、これは御心に適うことでした。 10:22すべてのことは、父からわたしに任せられています。父のほかに、子がどういう者であるかを知る者はなく、父がどういう方であるかを知る者は、子と、子が示そうと思う者のほかには、だれもいません。」 10:23それから、イエスは弟子たちの方を振り向いて、彼らだけに言われた。「あなたがたの見ているものを見る目は幸いだ。 10:24言っておくが、多くの預言者や王たちは、あなたがたが見ているものを見たかったが、見ることができず、あなたがたが聞いているものを聞きたかったが、聞けなかったのである。」
昨年の最後の主日礼拝で、イエス様が72人の人々を派遣されたときの様子が記された10章1節以下の御言葉に耳を傾けた。伝統的にイスラエルの人々にとって「72」という数字は、全世界にその人々の数を示す数字だった。私たちのそれぞれ置かれている場所こそが、全世界へと私たちが遣わされている場所であると教えられた。イエス様が72人を遣わすにあたって、真っ先に与えた約束の言葉は「収穫が多い」だった。私たちはこの事に大きな慰めをいただいた。そして、その収穫の多さとは、世間的な数や量の多さではないということも、教えられた。イエス様は「町や村に行ったら、私たちを迎えてくれる一軒の家にできるだけ長く留まりなさい。家から家へと渡り歩かなくともよい。出されたものを一緒に食べなさい。その町に病人がいたら癒してやりなさい(つまり、招かれた所に困ったことがあれば、一緒に係わってやりなさいとのこと)。そういう働きを通して神様の支配が現れていることを語り、神様の支配のもとにあるゆえの安心・平安を実感しなさい。」と言われた。このことが、収穫の多さの意味であった。招いてくれた一軒の家、それは私たちが共に生きるようにされている伴侶や家族や友人・知人、そして教会のことである。数少ない、そうした人々と共に生き、困ったことがあれば一緒に悩み・関わり、そこに神様の守りや導きがあること・神様の下さる平安があることを、共に感じ合うのである。それが、私たちの人生の糧となる収穫の多さなのである。たとえば、家族が次々と洗礼を受けるとか、牧師の遣わされた教会の教勢がどんどん拡大するとかいうようなことではない。「そのようなことを求める必要はないのだよ」とイエス様は言っているのである。
さて、こうして派遣された72人が、今日の御言葉では、イエス様のもとに喜び勇んで帰って来て、ある報告をした。それは、「お名前を使うと・・屈服します」というものだった。彼らはイエス様に、「こういうすごい収穫がありました」と喜んで報告しているわけだが、それは果たして、いま振り返った、前回の御言葉でイエス様が言われたことに適っているものなのだろうか。私としては、イエス様が彼らに約束された収穫の多さと、彼らが喜んでいる収穫との間には、ギャップがあるという感想を抱く。
悪霊が屈服するとは、具体的にどういう出来事だったかは、何も書かれていないが、これまで何度か、この福音書に書かれていた悪霊の追い出しと、その結果としての、病気の癒しという出来事から言うと、それは、人が72人を称賛し、ものすごい奇跡が起きたと誉めそやすようなことであったろうと思う。それを、彼らは喜んでいるのだろう。しかし、それは、イエス様が、「求めることはない」とおっしゃった世間的な意味での収穫の多さではないだろうか。
イエス様は72人を派遣されるにあたって、「狼の群れのなかに子羊を送り込むようなものだ」とも言われた。狼は、外見は、とうてい私たちを食べてしまうような危険な存在には見えずに、むしろ好ましい見方であるような存在に見えるという。72人に、このような喜びを味わわせた存在こそが狼ではなかったか。それが、悪霊やサタンと言われるものたちの企みではなかったか。一旦は屈服したように見せかけて、このような称賛を得させるのである。そんなことは彼らには容易なことだろう。そして、派遣された者に与えられる収穫とは、このような劇的なものだと思わせる。それは、しかし、麻薬のようなものである。ひとたび味わうと、もう止めることができない。招かれた一軒の家に留まって共に食事をし、なかなか解決することのできない問題にかかわることには、何ら奇跡はない。すぐさまイエス様に「こんなすごい事がありました」などと報告できるようなものは、何もない。私たちの歩みも、また、そのようなものではないだろうか。私たちも、この72人のように、こんな目覚ましい報告ができたら、どんなに嬉しいだろうか。どれほど誇らしいだろうか。しかし、「それは悪霊やサタンの試みだ」とイエス様は言われる。
だからイエス様は、20節で、はっきりと「しかし、悪霊が服従することを喜んではならない」と言われた。確かに、19節以下にあるように、遣わされた私たちが、蛇やサソリを踏みつけるように、彼らに打ち勝つ権威をイエス様は私たちに授けて下さった。しかし、その権威の行使が、必ずしも彼らが目に見える形で服従し、結果として奇跡が起こり、人々が私たちを褒め称え、私たちがそれを喜びとするといった結果を伴なうものではない。むしろ、そのようなことは起こらない。反対に、それはじっくりと一軒の家に留まり、奇跡などとは全く無縁と思われるような歩みのなかでこそ、行使されている。たとえ、奇跡のような出来事など起きなくとも、悪霊やサタンに打ち勝つ権威の行使がされているのだとイエス様は私たちを励まして下さる。
そこで思うのは、私たちには、本当にそのような権威が授かっているのかということである。果たして、遣わされている私たちは、本当にその権威を行使できているのだろうか。そもそも悪霊やサタンとは、どういう存在かということを、改めて考えさせられる。18節で、イエス様は「わたしは、サタンが稲妻のように点から落ちるのを見た」と、不思議なお言葉を言われているが、どういう意味なのか、様々な捉え方があるようだ。ここで示されるのは、サタンとは、突き詰めれば、天から落ちた存在なのだという点である。サタンは天に由来する、そもそも天にいたものなのである。しかし、何故か、天から落ちてしまった。そして、天の由来を持ちながらも天とのつながりが断ち切られ、ゆえに天を憎み、したがって私たちを天と離反させ、天を忘れさせて生きさせようとする存在なのだろう。悪霊とは、その手下・子分といってよいだろう。
イエス様が最初にご自分の受難のことを告げたとき、ペトロは「そんなことがあってはなりません」とイエス様を諌めたので、イエス様は彼に「サタンよ引き下がれ、あなたは神のことを思わず、人のことを思っている」と言われた(たとえば、マルコでは8章33節)。ペトロはイエス様のご受難・十字架の出来事を、ただ人の観点から見た。天の観点からではなく、ただ人の観点から、ある出来事を、とくに苦しみは悲しみを見せようとするのがサタンや悪霊のやり方である。そして、そんな事があってはならない、あろう筈がない、そんなことが起きるならば、私は神様の守りのなかにはない、天とのつながりがないから、こういうことが起きるのだと思わせる。そこに不安を生じさせる。体の障害も生じてくる。
そんな私たちに、どんなことがあろうとも、神様とのつながりが、天とのつながりがあるのだと身をもって教え示し、生きた懸け橋となって下さるのがイエス様なのである。イエス様が人として生まれてくださり、十字架へと至る生涯を生きて下さったことが、私たちへの懸け橋なのである。十字架の死という苦しみの極みのなかに身を置き、そこをご復活の場所として下さったことも、私たちへの天からの懸け橋である。十字架の死を目の当りにした女性たちも弟子たちも、この出来事を人間の観点からしか見ることができなかった。悲しみのなかに、また恐れのなかに閉じ籠るしかなかった。サタンや悪霊は喜んで、「ほら見た事か、十字架の上で殺されるような奴は、神から見放された者なのだ」と言った。しかし、イエス様は復活された。十字架の死に、どれほど深い意味があったかを弟子たちに知らせた。女性たちや弟子たちに、十字架と復活のイエス様を通して、神様からの懸け橋がのばされ、かけられた。このように、イエス様を通しての天からの懸け橋は、私たちの側の状況によって、消失してしまったり、流されてしまったり、壊されたり崩れたりすることがない。
20節後半で「あなたがたの名が天に書き記されている」とは、私たちがこのようにイエス様を信じ、イエス様と結びつけていただくことによって、天との切り離され得ないつながりをいただいている者との意味である。どんなことも、イエス様を通して存在している私たちと神様とのつながりをかき消すことはできない。そこにこそ、私たちのすべての喜び・収穫の根っこがある。また、そのような者として使わされていくならば、天を憎み、私たちをして天から切り離そうとする悪霊やサタンと戦い、打ち勝つことができる。目覚ましい奇跡のようなことは伴なわないかもしれないが、じっくりと派遣されたところに留まって生きるなかで、神様と結び付くことによる平安・安心というものは、じわじわと生じていくものなのである。
21節以下、ルカはこのイエス様の喜びの祈りを、72人の帰還の後という箇所に記したが、マタイ福音書では全く別の文脈の中に置かれている。ヨハネ福音書では、同じ言葉ではないが、似たような内容のイエス様の祈りが、最後の晩餐が終わって逮捕されようとする直前のイエス様の告別のお言葉のなかに置かれている(17章)。このイエス様の喜びの祈りというのは、72人の帰還に際してなされたものというよりは、イエス様がご自分のお遣わしになった12弟子や72人たち、ひいては今日の私たちの働きをご覧になっての、無上のお喜びを記したものと理解することができる。イエス様のこのような喜びを率直に現した言葉は、福音書の何処にも書かれていない。ここで、イエス様は、どんなことを喜んでおられたのだろう。そのことを以って、サタンや悪霊に立ち向かい、打ち勝つことができる。そして、遣わされた所で、神様の下さる平安を見ることができる。幼子のような私たち、力無い弱い私たちが、そのような働きができる者とされる。それが、イエス様の、無上のお喜びなのである。
先週の水曜日に、当教会客員会員の夫の男性が、突然に召天された。木曜・金曜と、ご自宅で、お通夜・葬儀を行った。2012年の4月に初めてお会いしたとき、彼は一言も言葉を発することなく、まるで棒のように極度の緊張状態にあったことを思い出す。彼の妻は、ある日の水曜聖書研究祈祷会に出席されて、涙ながらに、夫が希望を持てるようにと、妻である自分が夫の光となり支えとなれるようにと祈られた。その彼が、何とご自分から言葉を発せられるようになり、昨年の11月には施設から退所して、ご自宅で、妻の介護を受けられるようになった。ゆっくりゆっくりではあったが、その願いは叶えられて行ったのであった。彼女にも、私にも、奇跡といってもよいように思えた。それは彼女が祈りを以って、夫のもとに神様から遣わされた者として生きようとされたからだと思う。彼女が天とのつながりを知る者として夫の介護をされたからだと思う。幼子のように力弱い彼女が、自分の夫を固くこわばらせていた悪しき者を打ち破り、平安を生み出す働きができたのである。
筑波学園教会牧師 福島 純雄
2014年 1月12日 降誕節第3主日礼拝
29:31主は、レアが疎んじられているのを見て彼女の胎を開かれたが、ラケルには子供ができなかった。 29:32レアは身ごもって男の子を産み、ルベンと名付けた。それは、彼女が、「主はわたしの苦しみを顧みて(ラア)くださった。これからは夫もわたしを愛してくれるにちがいない」と言ったからである。 29:33レアはまた身ごもって男の子を産み、「主はわたしが疎んじられていることを耳にされ(シャマ)、またこの子をも授けてくださった」と言って、シメオンと名付けた。 29:34レアはまた身ごもって男の子を産み、「これからはきっと、夫はわたしに結び付いて(ラベ)くれるだろう。夫のために三人も男の子を産んだのだから」と言った。そこで、その子をレビと名付けた。 29:35レアはまた身ごもって男の子を産み、「今度こそ主をほめたたえ(ヤダ)よう」と言った。そこで、その子をユダと名付けた。しばらく、彼女は子を産まなくなった。 30:01ラケルは、ヤコブとの間に子供ができないことが分かると、姉をねたむようになり、ヤコブに向かって、「わたしにもぜひ子供を与えてください。与えてくださらなければ、わたしは死にます」と言った。 30:02ヤコブは激しく怒って、言った。「わたしが神に代われると言うのか。お前の胎に子供を宿らせないのは神御自身なのだ。」 30:03ラケルは、「わたしの召し使いのビルハがいます。彼女のところに入ってください。彼女が子供を産み、わたしがその子を膝の上に迎えれば、彼女によってわたしも子供を持つことができます」と言った。 30:04ラケルはヤコブに召し使いビルハを側女として与えたので、ヤコブは彼女のところに入った。 30:05やがて、ビルハは身ごもってヤコブとの間に男の子を産んだ。 30:06そのときラケルは、「わたしの訴えを神は正しくお裁き(ディン)になり、わたしの願いを聞き入れ男の子を与えてくださった」と言った。そこで、彼女はその子をダンと名付けた。 30:07ラケルの召し使いビルハはまた身ごもって、ヤコブとの間に二人目の男の子を産んだ。 30:08そのときラケルは、「姉と死に物狂いの争いをして(ニフタル)、ついに勝った」と言って、その名をナフタリと名付けた。 30:09レアも自分に子供ができなくなったのを知ると、自分の召し使いジルパをヤコブに側女として与えたので、 30:10レアの召し使いジルパはヤコブとの間に男の子を産んだ。 30:11そのときレアは、「なんと幸運な(ガド)」と言って、その子をガドと名付けた。 30:12レアの召し使いジルパはヤコブとの間に二人目の男の子を産んだ。 30:13そのときレアは、「なんと幸せなこと(アシェル)か。娘たちはわたしを幸せ者と言うにちがいない」と言って、その子をアシェルと名付けた。 30:14小麦の刈り入れのころ、ルベンは野原で恋なすびを見つけ、母レアのところへ持って来た。ラケルがレアに、「あなたの子供が取って来た恋なすびをわたしに分けてください」と言うと、 30:15レアは言った。「あなたは、わたしの夫を取っただけでは気が済まず、わたしの息子の恋なすびまで取ろうとするのですか。」「それでは、あなたの子供の恋なすびの代わりに、今夜あの人があなたと床を共にするようにしましょう」とラケルは答えた。 30:16夕方になり、ヤコブが野原から帰って来ると、レアは出迎えて言った。「あなたはわたしのところに来なければなりません。わたしは、息子の恋なすびであなたを雇ったのですから。」その夜、ヤコブはレアと寝た。 30:17神がレアの願いを聞き入れられたので、レアは身ごもってヤコブとの間に五人目の男の子を産んだ。 30:18そのときレアは、「わたしが召し使いを夫に与えたので、神はその報酬(サカル)をくださった」と言って、その子をイサカルと名付けた。 30:19レアはまた身ごもって、ヤコブとの間に六人目の男の子を産んだ。 30:20そのときレアは、「神がすばらしい贈り物をわたしにくださった。今度こそ、夫はわたしを尊敬してくれる(ザバル)でしょう。夫のために六人も男の子を産んだのだから」と言って、その子をゼブルンと名付けた。 30:21その後、レアは女の子を産み、その子をディナと名付けた。 30:22しかし、神はラケルも御心に留め、彼女の願いを聞き入れその胎を開かれたので、 30:23ラケルは身ごもって男の子を産んだ。そのときラケルは、「神がわたしの恥をすすいでくださった」と言った。 30:24彼女は、「主がわたしにもう一人男の子を加えてくださいますように(ヨセフ)」と願っていたので、その子をヨセフと名付けた。
1.ここに書かれているのは、ヤコブとその二人の妻たち(その二人は、ヤコブの伯父ラバンの娘姉妹)と、それぞれの側女が子供を授かることをめぐっての葛藤や鍔迫り合いの様子である。このような物語から私たちがどんなメッセージをいただくことができるのか。当惑される方もあろう。私は幸いにも、非常にはっきりとした示唆をえることができたので、それを取り次ぎたいと思う。
そこで、先ずとっかかりとするのは、29章1節から30節までの御言葉に耳を傾けたとき、29章以下のヤコブの物語を、どういう視点から読んだらよいかを、教えられたことであった。それは、28章後半に書かれていた視点から読むということであった。ヤコブは、夢のなかで神様から梯子をかけていただき、「あなたが何処へいっても、あなたを守り」との素晴らしい約束を授かって、伯父ラバンのもとへと出発して行った。それは、ガラテヤ書の御言葉から言えば「神に義とされた」者の有り様ということであった。神様から懸け橋をかけていただき、神様の守りと導きのもと、神に義とされた者がどのような歩みをして行ったのか、それが29章以下で描かれている。
2.そうだとすれば、また新たな疑問が湧いてくるかも知れない。姉妹である二人の妻と、さらにはその二人の側女と、都合4人もの女性と子をなすような男の姿が、一体どうして神様に義とされた者の歩みであると言えるのか。注解書を読んでいたら、レビ記の18章18節に、つぎのような戒めが記されているとあった。「あなたは妻の存命中に、その姉妹とめとってこれを犯し、妻を苦しめてはならない」と。この御言葉が記されているレビ記の「レビ」とは、言うまでもなく、今日の御言葉においてヤコブがレアとの間に授かる三男の名前である。「してはいけない」とされている当のその行為を、自分たちの祖であるヤコブがしてしまっていたのであった。後代のイスラエルの人々、とくにレビ記を記すような純粋な信仰をもった人々にとって、自分たちの直接の祖先になるヤコブが、このような振舞いをしたということが、どれほどの汚点として感じられたか、想像に難くない。しかし、今日の御言葉は、そのようなヤコブの振舞いもまた、神様との懸け橋のなかにあってなされたものなのだ、神に義とされている者の生き様なのだ、と語りかけている。
そもそも、ヤコブが姉妹である二人の女性を妻とするようになったのは、彼自身の意志から出たことではなかった。ヤコブを一日も長くただ働きさせたいゆえのずるさから、姉妹たちの父であるラバンが仕組んだことであった。もしヤコブが、神様との懸け橋のなかに置かれているのなら、どうしてそのようなラバンの企みからヤコブを守って下さらなかったのか。そういうことがないような歩みをさせて下さることが、神様の守りや導きのなかに置かれるということではないか。私たちは、そのように思う。
3.しかし、これまでアブラハムやイサクの歩みをずっと学んできたが、聖書はそのようには捉えていないし、神様はそのようには考えておられないということを、たびたび聞いてきた。アブラハムやイサクの人生にも、どうして彼らがこんなことをするのかと、私たちを当惑させる出来事が度々起こった。そうした出来事が起きないようになさるのが神様とのつながりではないかと思ってきた。けれども、そうではない。神様との懸け橋のなかに置かれた私たちではあるが、神様の操り人形ではない。私たちには自由が授かっている。また、神様に義とされた私たちをとり囲むラバンのような存在を避けることはできない。神様は、そうした存在を、すべて私たちから遠ざけることはなさらない。アブラハムもイサクもヤコブも、自らの自由な決断によって、或いは、余儀なくされる事情のなかで、ラバンのような、騙し、無理強いする存在との関係のなかに置かれざるを得なかった。祖国を失って、全世界へと流浪の民とされた後のイスラエルの人々は、まさにそのような境遇に置かれた。ヤコブが生き抜いていくためには、やっと自分を受け入れてくれた伯父ラバンを頼るしかなかったように、イスラエル人もそうであった。
そういう状況に置かれることは、決して神様の導きや守りのなかに置かれていないことの現れではない。神様から見捨てられたゆえの境遇ではない。むしろ、そのような中に置かれることに、神様の懸け橋がある。そこに、神様とのつながりがあるゆえの、神に義とされた者だけが実らせる結実である。
私たちにも、そのようなメッセージが与えられているのだと思う。私たちも、不本意な、自分自身、倫理的にも道徳的にも、自分がこんなことをしてしまうなど許せないと思うようなことをしてしまうことがある。過失によって大きな事故と起こすこともある。信仰者である私がこんなことをしでかしてしまったと自責の念にとらわれる境遇に置かれることもある。そんな私たちに、今日の御言葉は語りかけて下さる。そのような境遇に置かれたなかにこそ、神に義とされたゆえの実りが現れるものなのだと。できることなら、ヤコブが置かれたような境遇に身を置かないことがベストであろう。しかし、置かれざるを得ないときもある。そこにさえ、神様の懸け橋はかけられている。そして、神に義とされたゆえの実りが現れる。それほどに、神に義とされることは、神様との懸け橋のなかに置かれて歩むということは、奥深いものであり、誰も破壊することのできない関係なのである。
4.それでは、今日の御言葉に描かれたヤコブにおいて、神様との懸け橋をかけていただいているゆえの実りとは、どのように現れているのか。そのことが、書き出しの29章31節の御言葉、また最後の30章22節の御言葉に、端的に示されていると私は思う。ここには、神様がレアとラケルを顧みて下さったこと、つまりヤコブと彼女たちとの間柄に神様が関与し、懸け橋をかけて下さったがゆえに、そこに生じた事が端的に描かれている。反対から言えば、もし神様の関与・導きというものがなかったなら、ヤコブは二人の妻との関係はどうであったのかが、記されている。それを通して、神様の与えて下さった結実が何であったかが、良く分かってくる。
もしも、神様の関与がなかったらという点で、ヤコブはレアを疎んじていた。それは当然のことであった。レアの父ラバンがヤコブを騙すにあたっては、当然、レアの協力がなかったらできなかったことである。ヤコブが、父と一緒になって自分を騙したレアを疎んじ厭うのは、当たり前であろう。また、29章17節に「レアは優しい目をしていた」とありますが、訳によっては「どんよりとした目をしていた」ともある。病気のためか、そういう濁った眼の方がおられる。女性としては辛いことだったであろう。一方、ラケルは「顔も美しく要旨も優れていた」。そこで、ヤコブは一筋にラケルを愛した。14年間のただ働きも「ほんの数日のよう」だったとある(29章20節)。
では、そのヤコブのラケルへの一途な愛情だけで、すべては足りたのか。そうではなかったと私は思う。ラケルへの愛情だけでは、決して生み出せない決定的なものがあった。それは子供である。30章22節に「神はラケルも・・・開かれたので」とあるから、どんなにヤコブがラケルを愛したとしても、神様の関与がなければ、そこに子が生まれることはなかった。そして、言うまでもなく、ヤコブが疎んじ嫌っていたレアとの間にも、神様がそこに働かれることがなければ、やはり子供が授かることはなかった。
愛がすべてだ、愛があればすべてが成し遂げられる、或いは、私たちの意思があれば思いがあれば、すべてが達成できるかのように言われる。しかし、決してそうではない。30章2節で、ヤコブは痛いほどに、それを知らされている。「お前の胎に・・・神ご自身なのだ」とある。どんなに一途に彼がラケルを愛していても、子を願っても、そこに神様の関与がなければ、生まれ得ない者があることを、ヤコブは知ったのだった。己の愛情の限界を知るということも、神様との懸け橋のなかに置かれたゆえの実りではないか。
5.このように、ヤコブが疎んじたところ、どんなに愛しても生み出し得ないところ、そこに、彼が神に義とされたゆえの実りが生じてくる。29章31節の御言葉は語っている。「主は、レアが疎んじられているのを見て彼女の胎を開かれた」と。素晴らしい御言葉ではないか。私たちが強く心に刻みたい御言葉である。神様の関与は、ヤコブが疎んじたところに働いた。そして、ヤコブが疎んじたところから、思いもかけない良いものが生まれてきた。29章最後の箇所で、4人の子供たちが挙げられている。三男のレビ、彼はモーセやアロンがでて、後に祭司の一族となった。また、四男のユダからはダビデが生まれ、そしてイエス様へとつながっていく家系である。ヤコブが、その自然な好悪の感情からは決して生み出し得なかった子供たち、後のイスラエル、そして今日の私たちへの信仰へとつながっていく、真に良いものが、ヤコブの疎んじたレアから、神様の関与によってうまれてきたのである。
神様に懸け橋をかけていただくこと、神様に義とされることの素晴らしさを、ここに見ることができる。私たちにも、疎んじる関係がある。誰かから無理強いされ、それを決して喜び受け入れることのできない関係や事柄・人々がある。しかし、神様の関与はそこにこそ注がれ、そこが開かれていく。
こうした神様の恵みに浴したレアは、授かった子供に名前をつけるにあたって、どのように語っていたか。「主はわたしの苦しみを顧みて」「主はわたしが疎んじられていることを耳にされて」「今度こそ主をほめたたえよう」と言った。私たちの信仰へとつながるヤコブの子供たちとは、このような母レアの信仰から名前をつけられた者たちなのだ。ヤコブが愛した者からではなく、ヤコブが疎んじた者を、神様が代わって愛し顧み恵んで下さったゆえの子供たち。私たちはその子孫にあたるのである。
筑波学園教会牧師 福島 純雄
2014年 1月5日 降誕節第2主日礼拝
03:01ああ、物分かりの悪いガラテヤの人たち、だれがあなたがたを惑わしたのか。目の前に、イエス・キリストが十字架につけられた姿ではっきり示されたではないか。 03:02あなたがたに一つだけ確かめたい。あなたがたが“霊”を受けたのは、律法を行ったからですか。それとも、福音を聞いて信じたからですか。 03:03あなたがたは、それほど物分かりが悪く、“霊”によって始めたのに、肉によって仕上げようとするのですか。 03:04あれほどのことを体験したのは、無駄だったのですか。無駄であったはずはないでしょうに……。 03:05あなたがたに“霊”を授け、また、あなたがたの間で奇跡を行われる方は、あなたがたが律法を行ったから、そうなさるのでしょうか。それとも、あなたがたが福音を聞いて信じたからですか。 03:06それは、「アブラハムは神を信じた。それは彼の義と認められた」と言われているとおりです。 03:07だから、信仰によって生きる人々こそ、アブラハムの子であるとわきまえなさい。 03:08聖書は、神が異邦人を信仰によって義となさることを見越して、「あなたのゆえに異邦人は皆祝福される」という福音をアブラハムに予告しました。 03:09それで、信仰によって生きる人々は、信仰の人アブラハムと共に祝福されています。 03:10律法の実行に頼る者はだれでも、呪われています。「律法の書に書かれているすべての事を絶えず守らない者は皆、呪われている」と書いてあるからです。 03:11律法によってはだれも神の御前で義とされないことは、明らかです。なぜなら、「正しい者は信仰によって生きる」からです。 03:12律法は、信仰をよりどころとしていません。「律法の定めを果たす者は、その定めによって生きる」のです。 03:13キリストは、わたしたちのために呪いとなって、わたしたちを律法の呪いから贖い出してくださいました。「木にかけられた者は皆呪われている」と書いてあるからです。 03:14それは、アブラハムに与えられた祝福が、キリスト・イエスにおいて異邦人に及ぶためであり、また、わたしたちが、約束された“霊”を信仰によって受けるためでした。
1.まず書かれている事柄を理解するために、全体をざっくりとスケッチしてみたい。1節はじめと3節に「物分かりが悪い」という言葉が二度繰り返されている。これは「愚か者・バカ者」という意味さえ持つ、非常にきつい言葉だそうだ。「目の前に・・・示された」という箇所では、ポスターや絵に描いてそれを人々に掲示するという意味の特殊な言葉が使われていると注解書には書かれていた。パウロは、はじめてガラテヤに行ったときに、十字架につけられたイエスという方がキリストであると、あたかも絵に描いてそれを掲示するかのように語った。ローマ帝国の領域内にある人々にとって、帝国の犯罪人として十字架の上で処刑された者が、よりにもよってキリストつまり救い主であるとの宣べ伝えは、どれほど躓きでありスキャンダラスなものであったろうか。ところが、ガラテヤの人々は、このスキャンダラスな宣べ伝えを「福音」として聞き、信じてくれたと、2節と5節に、繰り返し想起されている。
特筆すべきなのは、ガラテヤの人々がこれを福音として聞き信じたとき、そこに何か特別なことが起きたらしいということである。翻訳が「“霊”を受けた・授けた」(2節、5節)と微妙な表記をしている。パウロが、はっきりと聖霊と言わずに、日本語の聖書が、わざわざこのような微妙な書き方をするところに、何かパウロに含むところがあるように感じる。とにかくも、それは4節では「あれほどの体験をした」と言われるような、5節では「あなたがたの間で奇跡を行われる方は」と言われるような、特別な出来事が伴ったようである。
こうして、ガラテヤの人々は、十字架につけられたイエス様をキリストとして信じることによって、神様に義とされたとパウロは言っている。霊をいただき、あれほどの体験をしたのだから、神様に招かれ結ばれ神様の子供とされたのは明らかだろうということである。そこには、律法を行う余地は一片もなかった。それをパウロはアブラハムの先例になぞらえた。なぜパウロが、ここでことさらにアブラハムに言及するかというと、多分、ガラテヤの人々を惑わした人達が、アブラハムのことを強く語っていたからだと思う。それに対抗して、アブラハムの時代には(割礼を受けたとの記述はあるが)、まだ律法は授けられていなかったことを指摘し、神様は律法の行いなくアブラハムをその信仰によって義とされたではないかと言う。
2.1節後半の「目の前に・・・しめされたではないか」という箇所がある。パウロはポスターを掲示するという意味の特別な言葉をここで使った。その心は・・・ローマ帝国内に生活をする人々にとってはスキャンダラスな事柄でしかなかった十字架の上で処刑された者が救い主・キリストであるとの宣べ伝えを、自分はあたかも絵で描くようにしか、それもとても稚拙な絵でしか皆さんに示すことしかできなかったということだと思う。今日のようには、イエス様の実際の有り様を映像で記録したビデオやDVDを人々に見せることができなかったのである。4章の13節には「この前わたしは、身体が弱くなったことがきっかけで、あなたがたに福音を告げ知らせました」とあった。ガラテヤに最初に行ったとき、パウロは体が弱り、その語る言葉や姿はまことに稚拙なものであった。彼が描くことのできたイエス様の姿は、まことにへたくそなものだった。それでも、ガラテヤの人々は聖霊の導きによって、その方をキリストとして信じてくれた。それを福音として信じてくれたことこそが、他のどんな不思議な“霊”を受けるより、驚くべき体験をすることよりも、聖霊をさずかることだとのパウロの思いを感じる。パウロは果たして、どのように十字架を語ったのか。
直前の2章19節後半からの御言葉を、もう一度思い返してみたい。パウロにとってイエス様の十字架とは、20節後半にあるように「わたしを愛し、わたしのために身をささげられた神の子」という言葉で言い表されるものだったと思う。「わたし」パウロとはいかなる者だったかと言うと、クリスチャンを率先して迫害し殺すことに邁進していた者だった。直接彼がイエス様を十字架に付けたわけではないが、クリスチャンを迫害し、その血を流していたことにおいては、イエス様を十字架に『付け続けていた』者にほかならなかった。そのような「わたし」に対して、イエスという方はどのように接して下さったのか。迫害のために赴こうとしていたダマスコへの途上で、十字架の死から復活されたイエス様が彼に現れ、その名を呼んで「なぜわたしを迫害するのか」と言い、よりにもよって彼を伝道者とされた。そこにこそ、パウロにとっての十字架と、それに分かち難く結びついている復活のイエス様との出会いがある。十字架の死から復活されたイエス様にとって、パウロが敵対者であり迫害者であったという決定的なマイナスは、彼に懸け橋をかけるうえで、何の障害にもならなかった。むしろ、その反対に、彼がマイナスを抱えていたことこそが、イエス様が彼に現われ懸け橋をかけることの理由となった。イエス様によって、彼のマイナスはプラスに変えられていった。
こうしたパウロとイエス様との出会いは、根本的に弟子たちにおいても同様であった。パウロと較べると、弟子たちは、よりイエス様の十字架の死に対して責任があった。彼らは、十字架のイエス様を見捨て、逃亡し引き籠ってしまった。直接的ではないにせよ、弟子たちがイエス様を十字架へと追いやった。このような弟子たちに、十字架から復活されたイエス様は、どのように対されたか。十字架の傷をつけつつ、復活のイエス様は彼らの真中にお立ちになった。それは、彼らと関係を持たれることの現れだった。そして、真っ先に「安かれ」と言われ、彼らのような者を、再び使徒として派遣されたのだった。ここにおいても、弟子たちが抱えていたマイナスは、少しもイエス様からの懸け橋をかけられるうえで、障害になりらなかった。むしろ、弟子たちがイエス様を見捨てて逃亡したことこそが、このようなイエス様を宣べ伝える上でプラスになったのである。イエス様が、自分たちにかけてくれる梯子の深さ・長さ・限界のなさというものを語るに有利であった。このように、マイナスがプラスに変わったのである。わたしたちの抱えるマイナスをプラスに変えられるのは、十字架と復活のイエス様なのである。何よりも十字架という、イエス様のマイナスが、私たちのマイナスにかけられることで、プラスに変わって行く。
このような福音を、神様の深い愛を、パウロは、先ほど触れたようなガラテヤに行ったときの彼自身の体の弱さのなかで、語ったに違いない。弱さというマイナスを、不思議にプラスに変えて下さるイエス様の十字架の不思議に触れることができたのである。
3.さて、先ほどスケッチしたように、これを福音として聞いて信じることによって、ガラテヤの人々のなかに不思議な“霊”をいただく体験が生じた。今回、改めて感じさせられたのは、このようなガラテヤの人々の「あれほどの体験」こそが、彼らをして、あっと言う間に、律法の行いへと惑わすことになった理由の一つではないかということだった。実は、十字架につけられたイエスという方をキリストとして信じられるようになることこそが、最大の聖霊をいただく現れなのである。ところが、ガラテヤの人々は、そのことよりも、不思議な体験・奇跡を味わうことに、神様によって懸け橋をかけられ義とされることの現れを見てしまうようになったのではないかと思う。福音を信じたときに聖霊をいただいた。不思議な体験もした。しかし、それは何時までも続くものではない。だから、その高揚感を、律法の行いをすることで追い求めるようになった。3節の「霊によってはじめたのに肉によって仕上げる」との表現は、その辺りのことを言わんとしている。福音を聞いて信じることも、十字架のイエス様をキリストとして信じる聖霊を受けることも、私たちの思い通りにならないことである。神様の側にイニシアティブがあるのである。それが“霊”の自由さである。“霊”は風のごとく、思いのままに吹く。私たちの側が自由にはできないのである。しかし、律法の行いは違う。それは、私たちが自由に行えることである。私たちの思い通りにできることこそが、突き詰めれば「肉」なのである。
律法の行いを求める人々が、おそらくアブラハムのことを引き合いに出していたのではないか。文字どおりには、彼は律法の行いをしてはいなかった。しかし、読みようによっては、確かに素晴らしい行いを、彼はしていた。その代表は、息子イサクを犠牲として捧げようとしたことである。何度か紹介をした話だが、神学校で説教の演習の授業があったとき、取りあげられたのは、このアブラハムの行為を描いた聖書の箇所だった。ある同窓生は、説教において「私たちもおなじようにしなければならない」というようなことを書いていた。私は、彼の説教にまことに痛烈な批判を浴びせた。その彼は、後に、ヘブライ大学に留学したあと、そのまま厳格な律法主義のユダヤ人に帰化した。おそらく、律法への行いへと惑わされていくその原点には、このアブラハムの素晴らしい行為があった。そのような素晴らしい行為ができるということ、その高揚感、思い通りに高揚感を手に入れることができることを、惑わす人々は強く語り、それによって、ガラテヤ人は律法の行いへと引かれていったのだろう。
4.もう一点、ガラテヤの人々を律法の行いへと惑わした原因が示されている。十字架のイエス様を信じることに神様からの懸け橋をみる信仰には、どこまでも私たちの側にあるマイナスに立ち続けるという根本的な立脚点があると思う。弟子たちにとっては、それは逃亡者や裏切り者といった立場であり、パウロにとって、それは敵対者や迫害者としての立場であった。そのマイナスに対して、十字架というマイナスに身を置いて下さったイエス様が、ご自身を以って懸け橋をかけ、ご自身のマイナスによって私たちのマイナスをプラスに変えて下さった。イエス様の十字架を信じるには、いつまででも、私たちのマイナスな、ネガティブな部分を抱き続けることが不可欠である。これは、私たちがイエス様を信じる信仰においてもあてはまることではないだろうか。
ガラテヤの人々は、このマイナスやネガを抱えた者であるとの自分に留まることを厭うたのではないかと私は思う。アブラハムのように、素晴らしい行いができることや“霊”を注がれて、不思議な体験ができることは、つまり、プラスの自分、ポジである自分を誇ったり喜んだりするという在り方だと思う。「もう、いつまでもマイナスではないだろう、ネガの部分に立ち続ける必要はないだろう」それは、今風に言えば『自虐史観』という言葉があるが、いつまでも自分を貶めるような見方である。そうではなく、もはや、自分たちは“霊”をいただいて、素晴らしい体験もしてポジな者となったのだ、変えられたのだ、もう十字架のイエス様は必要がない、素晴らしい行いができる者であることが大切だ、ということである。
私たちには、律法の行いへの惑わしというものは無いかもしれないが、ある種の高揚感を追い求め、自分の思い通りになる肉を追い求め、ネガやマイナスの自分を厭うということはあるのかもしれない。
筑波学園教会牧師 福島 純雄
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