2013年 12月29日 降誕節第1主日礼拝
10:01その後、主はほかに七十二人を任命し、御自分が行くつもりのすべての町や村に二人ずつ先に遣わされた。 10:02そして、彼らに言われた。「収穫は多いが、働き手が少ない。 だから、収穫のために働き手を送ってくださるように、収穫の主に願いなさい。 10:03行きなさい。わたしはあなたがたを遣わす。それは、狼の群れに小羊を送り込むようなものだ。 10:04財布も袋も履物も持って行くな。 途中でだれにも挨拶をするな。 10:05どこかの家に入ったら、まず、『この家に平和があるように』と言いなさい。 10:06平和の子がそこにいるなら、あなたがたの願う平和はその人にとどまる。 もし、いなければ、その平和はあなたがたに戻ってくる。 10:07その家に泊まって、そこで出される物を食べ、また飲みなさい。 働く者が報酬を受けるのは当然だからである。 家から家へと渡り歩くな。 10:08どこかの町に入り、迎え入れられたら、出される物を食べ、 10:09その町の病人をいやし、また、『神の国はあなたがたに近づいた』と言いなさい。 10:10しかし、町に入っても、迎え入れられなければ、広場に出てこう言いなさい。 10:11『足についたこの町の埃さえも払い落として、あなたがたに返す。 しかし、神の国が近づいたことを知れ』と。 10:12言っておくが、かの日には、その町よりまだソドムの方が軽い罰で済む。」
福島 純雄 牧師
1.クリスマス礼拝が終わって、私たちは新しい歩み出しを始めている。世の暦のうえでは、今日が2013年最後の礼拝となる。今日与えられた御言葉は、このような時にまことに相応しいものだと感じる。
今日の御言葉は、イエス様が72(写本のなかには70とするものもある)人を遣わされた出来事が記されている箇所である。この出来事を記しているのは、4つの福音書のなかでこのルカだけである。彼は、すでに9章のはじめのところで、12弟子の派遣の出来事を記している。その御言葉と今日の箇所を読み較べてみると、違う部分もあるのはあるが、かなりの言葉が重複している。それで、果たしてこの72人の派遣というのは事実だったのかと疑ってしまう。いずれにせよ、ルカは何らかの意図をもって、今日の出来事を記した。それはどんな思いだったのか。
9章はじめに記された12弟子の派遣の御言葉を、私たちも、12弟子の1人として派遣された者であるとの視点から学んだ。この福音書を読む人々にとっては、自分たちを12弟子の1人になぞらえるというのは、かなり畏れ多いものだったのではなかったか。まだ、12弟子のなかで存命中の人もいたかも知れない。そんなイエス様の直弟子に自分たちを重ねるのは、ためらいがあったのではないか。それに較べると、72人の一人というのは、ワンクッションが置かれる感じがある。12弟子が、それぞれ6人ずつの孫弟子をとると、ちょうど全部で72人になる。イエス様の直弟子ではないけれども、弟子たちによって、さらには、またその孫弟子たちから派遣された者の1人としてであれば、自分たちを受け止めやすくなる。72という数字は、伝統的にイスラエルにおいては、全世界の人々を象徴的に表すものだったという。私たちは、12弟子から数えれば、この72人の1人であるということだ。今日の御言葉には、あなたがたもイエス様によって派遣されている者としての意識をもって歩みなさいとの語りかけが込められている。
2.さて、私たち牧師は、はっきりと遣わされたものとしての自覚をもって歩んでいる。信徒の皆さんは、そういう意識を明確には持っていないという違いがあるかも知れない。しかし、信徒の皆さんも、イエス様から遣わされたものとしての意識を些かでも抱いて歩むということは、大きな影響をもたらすものだと思う。そういう意識をもって生きるのと、そうでないのとでは、生き方に大きな違いが出来るのではないか。
イエス様は遣わされる者たちに、第一の約束として「収穫は多い」と言われた。遣わされる者であるが故に、財布も袋も持つ必要はなく、7節では「働く者が報酬を受けるのは当然」と言って下さっている。もちろん、遣わされる者ゆえの困難もある。しかし、総じて、イエス様が言われるのは、その歩みが真に祝福されている様子であることだ。イエス様によって遣わされている者だとの認識をもって生きるとは、このような安心を抱いて歩めるということである。
これに反して、神様によって遣わされているとの認識がなければ、そこに入り込んでくるのは、自分の願望によって自分を遣わす、或いは、親や伴侶や家族、また会社や国家社会の意図によって遣わされるということである。そうであるが故に『期待』される収穫がある。イエス様は「あなたがたに与えられる収穫は多い」と真っ先に言って下さった。それに対し、自分自身や周囲が私たちに語りかける言葉は「おまえの働きによる収穫は少ない。もっともっと」と言うものではないか。「もっと大きな財布を・袋を。早く長い距離を歩くことのできる履物を」と要求してくる。その声が私たちをどれほど疲れさせるものであるか。だから、イエス様によって遣わされた者であるとの意識を少しでも抱いて歩みなさいとの語りかけなのである。
3.さて、遣わすにあたって、まずイエス様がなさったことは、72人を2人ずつになさることだった。私はテレビの『相棒』という刑事ドラマが好きで、再放送も良く見るほどである。この番組だけではないが、どこの国の刑事さんも、聞き込みや逮捕に行くときなど、決して1人で行動することは許されていない。必ずペアになる。それは、言うまでもなく、万が一の時の安全のためでもあり、また、トラブルを避ける(1人だけの証言ではなく、2人の証言が得られる)ためでもある。
3節で「それは狼の群れに子羊を送り込むようなもの」と、イエス様は言われた。私たちがイエス様によって遣わされるとは、たやすい歩みではなく - 確かに先ほど教えられたように、多くの収穫が約束されているものではあるが、だからこそ - 私たちを虎視眈々と狙っている狼がうじゃうじゃいるような歩みなのだ。ゆえに、私たちの歩みは必ず2人でなければならない。四国巡礼の方々の格好には、何処かに確か『同行二人』という言葉が身に付けられていたように記憶している。目に見える同行者はいないのだ。見えない存在が同行者だということだろう。私たちの歩みも、三位一体の神様が同行者であります。けれども、イエス様は、必ず目に見える同行者を得なさいと言っておられた。そうでなければ、遣わされる者としての私たちの歩みは、狼から守られることはないと。
狼とは何かというと、自分では、それが狼だとは、なかなか分からない。直ぐにぱっと見て狼だ、私を食べようとしていると分かれば、身を守ることができる。ところが、一見すると狼には見えない。むしろ、私たちにとって好ましい存在であるかのように、収穫をもたらし、報酬を与える良い者であるかのように見える。あたかも、刑事に賄賂をもって近づく悪者のような存在だろうか。そうした時にこそ、同行者が不可欠なのである。今、あなたに狼が近づいていると警告し、諭し、時には、強く叱ってくれるよう存在である。
皆さんには、そのような同行者を持っているだろうか。それは、決して甘い言葉を語りかけてくれる存在ではない。むしろ、厳しい言葉、きつい言葉、いやな言葉をもって危険を気付かせてくれる存在である。牧師も勿論そういう働きをする。時に、牧師の語るそういう言葉は信徒の方々にとっては躓きになってしまう。だから、やはり同じ信徒の同行者が必要なのである。
4.では、狼とはどういう存在なのか。それは、先に申し上げた「収穫は多い」との言葉と深くつながっている。繰り返しますように、イエス様は遣わすにあたって真っ先に、「収穫は多い」と言われた。財布も袋もいらない、遣わされるあなたの生活は保障されていると言われた。それ以外のささやき声に惑わされてはいけないとのお言葉であった。狼とは、ここにこそ出現してくる。彼らは、私たちの内から外から、ささやいてくる。「遣わされる者としてのおまえの収穫は少ないのではないか。おまえの働きは空しいのではないか。もっと多くの収穫を得るように努力しなければならないのではないか。そのために、もっと大きな財布や袋が必要なのではあるまいか。このままであれば、あなたを支える糧は与えられないのではないか」と。私自身これまでの30年近い牧会生活のかなで、このような狼とどれほど向かい合ってきたことか。どれほど多くの牧師たちが、この狼の餌食とされてきたか。今もって、この狼と日々向かい合わねばならないのだ。
ピーターソンの『牧会者の神学』という本の序文の一節を、そのまま紹介したい。『アメリカの牧師たちは、「企業経営者」の一群に変容してしまった。彼らが経営するのは「教会」という名の店である。牧師は経営者感覚、すなわち、どうしたら顧客を喜ばすことができるか、どうしたら顧客を道路沿いにある競争相手の店から自分の店へ引き寄せることができるか、どうしたら顧客がより多くの金を落としてくれるような商品をパッケージすることができるか・・・そうした経営者的な感覚に満ちている。ある者たちは極めて優秀な「経営者」である。彼らは大勢の顧客を魅惑し、人々から莫大な額の金を引き出して、輝かしい評判をとる。しかし、それはあくまでも「商店経営」にすぎない。それは「宗教という商店経営」であって、「商店経営」という点においては他の商売となんら変わることはない。目覚めている時、これらの企業家たちの心を占めていることはファーストフード店の経営戦略と同じような関心である。眠っている時、彼らが夢見ていることはジャーナリストの注目集めるようなたぐいの成功である。マーティン・ソーントンは言った。「途方もなく大勢の会衆の存在はすばらしいことである。よろこばしいことである。しかし、ほとんどの信仰共同体がほんとうに必要としているのは若干の聖人の存在なのである。悲惨なことは、人々が(そうした聖人によって)見出されることを待望し、正しい訓練を受けることを待望し、つまらないカルトから解放されることを待望していながら、なお人々が未成熟なまま置き去りにされているという事実なのである。」』
クリスマスの時期は、多くの牧師たちにとって戦々恐々とするときである。決して自慢するようなつもりではなく、同窓の牧師からのクリスマスカードに『今年は・・人の受洗者が与えられた』と書かれているのを読むたびに、胸が突き刺されるような思いになる。毎年の教会総会での教勢報告のときも同様である。
ヘンリー・ナウエンの『イエスの御名で』という本の一節もご紹介したい。『主のミニストリーに携わる者が経験するおもな悩みの一つは、自己評価の低さに苦しむということ。今日、多くの司祭や牧師が、人々に殆ど感化を与えることのできない自分に気づき、悩んでいる。かれらは非常に忙しく働いているが、きわだった変化を人々のなかに見出すことができない。そこで、自分の努力が身を結んでいないと思ってしまう。教会出席者はますます減少し、心理学者、精神療法士、結婚カウンセラー、医師のほうが、自分よりも信頼されているように思える。クリスチャン指導者の多くが、もっとも痛みに感じていることの一つは、自分たちの歩みに従うことに魅力を覚える若者が、ますます少なくなっていることである。このごろでは、司祭や牧師になることは、もはや生涯を捧げるに値しないかのようだ。一方、今日の教会では、称賛の言葉がほとんど語られず、非難の言葉の方が多く語られている。そのような雰囲気のなかで、人はある種の憂鬱に陥ることなく、どうやって生きていけるというのだろうか』
先日、客員として礼拝に出席しておられたある方の、母教会の牧師とお話をする機会があった。その教団でも、働き盛りといって良い、50代、60代の牧師たちが心や体を病んで、牧会からリタイアしてしまっていることを聞きいた。
しかし、このような狼にさらされているのは牧師だけではないだろう。だから、同行者の支えをいただき、お互いに「収穫は多いのだ」と励まし合い、諭し合うことが不可欠なのである。その励ましや諭しとは、そもそも遣わされた私たちにとっての「収穫」とは何か、という点に気づくことである。イエス様が約束されている「収穫の多さ」とは、何かにきづくことなのだ。それについての洞察を得て、狼からお互いを守らなければならない。
5.収穫とは何か。イエス様は何を言われておられるのか。5節以下の御言葉において、イエス様は家から家へと渡り歩くことなく、迎えてくれる家があればずっとそこに留まって、まず「平和があるように」と言い、それから出された食べ物を食べ、その町に病人がいたらそれを癒し、そうした交わりや働きにおいて「神の国(神様のご支配、神様の御業の現れ)は、あなたがたに近づいた(現れた)」と宣べ伝えよ、と言われた。このイエス様のお言葉のなかには、私たちが普通「収穫の多さ」として考えるようなものが語られているだろうか。
家から家へと渡り歩くということこそが、いわゆる「収穫の多さ」を求める歩みなのだ。しかし、イエス様はたった一軒の家にずっと留まれと言われた。それは、私にとっては、教会員一人ひとりの人生にじっくりと関われとのご命令である。1年に何人もの受洗者が与えられたら、牧師はどうやってその方々に関わることができるか。一人の牧師がじっくりと関わることができるには、限りがある。そんなイエス様のお言葉によって励まされたことが、24年間、郡山教会に私を留まらせた。
そして、そこでの収穫とは、まず出された物を一緒に食べるという交わりである。もし病む人があれば、また、困ったことがあれば、一緒にそれに関わる。そして、神様の下さる御業とご支配と平安を味わうのである。それは、招かれた教会の人々とじっくりと一緒に生きて行くということなのである。他のことは何もない。喜怒哀楽を共にし、神様の下さる食べ物を一緒に食べる歩みなのである。牧師とは、こういう歩みで良いのだと思う。
信徒の皆さんも、これがイエス様によって遣わされた者の歩みであると知って下さればと思う。皆さんが遣わされた家は、文字通り一軒の家である。そこで出会った人々とじっくりと共に生きれば良いのだ。また、遣わされた家とは、この教会でもある。世に言う収穫の多さを、イエス様はお求めにはならない。
2013年 12月22日 クリスマス礼拝
02:01三日目に、ガリラヤのカナで婚礼があって、イエスの母がそこにいた。 02:02イエスも、その弟子たちも婚礼に招かれた。 02:03ぶどう酒が足りなくなったので、母がイエスに、 「ぶどう酒がなくなりました」と言った。 02:04イエスは母に言われた。 「婦人よ、わたしとどんなかかわりがあるのです。わたしの時はまだ来ていません。」 02:05しかし、母は召し使いたちに、「この人が何か言いつけたら、そのとおりにしてください」と言った。 02:06そこには、ユダヤ人が清めに用いる石の水がめが六つ置いてあった。 いずれも二ないし三メトレテス入りのものである。 02:07イエスが、「水がめに水をいっぱい入れなさい」と言われると、召し使いたちは、かめの縁まで水を満たした。 02:08イエスは、「さあ、それをくんで宴会の世話役のところへ持って行きなさい」と言われた。召し使いたちは運んで行った。 02:09世話役はぶどう酒に変わった水の味見をした。 このぶどう酒がどこから来たのか、水をくんだ召し使いたちは知っていたが、世話役は知らなかったので、花婿を呼んで、 02:10言った。 「だれでも初めに良いぶどう酒を出し、酔いがまわったころに劣ったものを出すものですが、あなたは良いぶどう酒を今まで取って置かれました。」 02:11イエスは、この最初のしるしをガリラヤのカナで行って、その栄光を現された。それで、弟子たちはイエスを信じた。
福島 純雄 牧師
1.毎年アドベントの頃になると、クリスマス礼拝説教の聖書箇所を何処にするかで悩む。カナの婚礼におけるまことに不思議な出来事が記された箇所に耳を傾けるようにと導かれた。今年の聖書箇所は、クリスマス礼拝らしい御言葉ではないかもしれない。しかし、ここを読むと、この福音書を書いたヨハネという人や、その仲間の人々にとって、イエス様という方が、どういう存在だったのか、また何をもたらすお方として信じられていたかということが、とても生き生きと伝わって来るように思う。
11節に「イエスは、この最初のしるしをガリラヤのカナで行って、その栄光を現された。それで、弟子たちはイエスを信じた。」とある。著者のヨハネは、イエス様が数多くなさった不思議なみわざ(それをヨハネは「しるし」と言っている)のなかで、この奇跡をもっとも「最初の」ものとして書いている。そこにイエス様の栄光が現れ、それで弟子たちはイエス様を信じたと言う。「最初の」という言葉には、時間的に「はじめ」という意味だけではなく、第一義的にとか、本質的にとか、根源的というような意味もあると思う。ヨハネが「最初の」と記したこの出来事には、イエス様が私たちに見せて下さる栄光、イエス様が私たちにもたらして下さることの、根源的で本質的な部分が現れている。ヨハネたちがイエス様を思い起こすとき、またイエス様への信仰のはじまりには、必ずこの出来事がある。
2.さて、イエス様はそもそも、どのようなお方だったか。何を私たちにもたらすために、この世に到来して下さったのか。それは、今日の御言葉が告げるところによれば、カナで結婚式があり、その喜びになくてはならぬブドウ酒が足りなくなり、喜びが中断され奪われようとしたその場面にイエス様がやってきて下さったということが、まず何よりも語られている。イエス様は、私たちの生きる喜びが中断され奪われようとする事態のなかに到来してくださり、その喜びを回復させるお方として来て下さった。
結婚式の晴れの日の喜びが、ブドウ酒の不足で台無しにされてしまうように - 新郎新婦の家族には、じゅうぶんなブドウ酒を用意するだけのお金がなかったということでしょうか -私たちの人生にも、些細なことであっという間に生きる喜びを奪われてしまうような出来事がある。そういう貧しさや不足を、私たちは常に抱えている。そこにこそイエス様は来て下さったのだとしみじみ思う。喜びがじゅうぶんにあるところにではなく、何の足りなさも抱えていないところにではなく、喜びを妨げる足りなさを抱えた私たちのところに、イエス様はやってきて下さる。
ところで何故、私たちの生きる喜びは、そのような出来事によって奪われてしまおうとするのだろう。その場面が結婚式であったという点に、私は今回、これまで気がつくことのなかった深い意味を示されたように思う。結婚とは、文字どおりには、これまで他人だった二人が一体となり、そこから子供をはじめとして新しい何ものかが生まれてくるという秘儀性が満ちている事柄である。イエス様も、しばしば福音書のなかで、結婚について触れておられる。たとえば、マルコ10章7節以下では、創世記の御言葉を引用され「神が結び合わせて下さったものを人は離してはならない」と言われた。パウロも、エフェソの信徒への手紙5章31-32で、同じように創世記の御言葉を引用し「(二人は一体となる。)この秘儀は偉大です」と言っている。
今回、新たに示されたのは、結婚とはただ二人の男女が一体となるとうこだでけではなく、本来は全く別々であった二つのものが私たちの人生のなかで一体となっていくこと、本来は別々であったものを神様が一つに結合させて下さるという、本当に神秘に満ちたことがらであり、だからこそ喜びに満ちた出来事なのだということである。
どのような二つのものが一つになるのか。それは、当たり前に、私たちがおめでたいと思えるような二つのものの結合ではない。そうではなく、たとえば、それはそれまで健康そのものであった私たちのなかに、突如として病が入り込んでくるようなことである。幸いばかりであった家族に、突如として不幸が入り込んでくる。そして、生きることのなかに死が入り込んでくるような結合なのである。私たちにとっては、これは、喜びが妨げられる時としてしか感じられない。喜びが奪われようとしている時としてしか感じられない。ブドウ酒が足りなくなる時、無くなる時としてしか捉えられない。しかし、そういう出来事こそが、本当に深い意味での「結婚」のときではないかということなのである。創世記2章後半に書かれているように、神様は「人が一人でいるのはよくない。彼のためにふさわしい助け手を造ろう」と仰って、アダム自身の中からイブをつくり、二人を一体とされた。そのように、神様は私たちのただ中から、悲しみや病むことや死ぬこともお造りになり、それを幸いや健やかさや生命と一体とさせられるのではないだろうか。私たちの人生の歩みは、そのような結婚を、結合を、統合を、避けることができません。
伝道の書(コヘレトの言葉)3章に、有名な神様の時についての御言葉がある。「何事にも時があり・・生まれる時・・・死ぬ時・・・」と続く。すべては、まるで相反する時である。片方には私たちにとっておめでたい時が書かれ、もう一方には、私たちに決して起こって欲しくない時が書かれている。しかし、その両方が神様の時なのである。この相反する時を、神様は私たちの人生において結婚させ賜う。片方だけの時があるのは良くないからである。両方の時が合わさることで、はじめて新しいものは生まれていくからである。
にもかかわらず、私たちは、この『結婚』を喜ぶことができない。その『結婚』を、ブドウ酒が足りなくなった時、喜びが奪われる時としか、見ることができない。罪という言葉で言うならば、これこそが私たちの罪なのである。そこにこそ、イエス様は到来して下さるのである。その罪に立ち向かうために、罪によって喜びを掻き消されようとしている私たちを救うために、イエス様は私たちのもとに来て下さるのである。
3.それでは、イエス様はどうやって、私たちに喜びを取り戻させて下さるのか。今日の御言葉でヨハネがドラマチックに記すのは、イエス様は、先ず私たちに水を汲ませることを以って、それを為そうとされたということである。これが、ヨハネの心に忘れ難く刻まれた事柄であった。ブドウ酒が足りなくなったのだから、当たり前に、何処からかブドウ酒を調達されたということであるなら、この出来事が最初に書かれることはなかっただろう。しかし、イエス様は足りなくなっているブドウ酒とは一見何の関係もないただの水を汲ませることによって、喜びを回復させて下さった。そのことが、ヨハネたちをして、イエス様を信じさせた根幹にあるものなのである。
さて、イエス様の母マリヤは「ブドウ酒がなくなりました」とイエス様に言った。これに対してイエス様は「婦人よ・・・私の時は未だきていません」と、一読しただけでは何のことか良くわからないお答えをされた。イエス様が何故、「婦人よ」などと、まことによそよそしく感じる答えをされたかは、「わたしの時」ということと深くかかわっている。
ヨハネにとって、イエス様の「わたしの時」とは、一貫して十字架と復活の時なのである。どちらか一方の時ではなく、その二つの時が合わさっている時なのである。『結婚』ということを、ここで感じとって頂きたい。十字架の死と永遠の命が結合している神秘に満ちた『結婚』の時が「わたしの時」に他ならない。まるで正反対の時が不思議にも結合している時こそが、この時なのである。イエス様は、この「わたしの時」が人々に何を与えるかをお教えになるために「水」をくませたのだと思う。イエス様は、ブドウ酒を求めるマリヤたちに、一見するとブドウ酒とは何の関係もない「水」を汲み上げさせた。そして、この水をブドウ酒に変えられたのである。
こうしたことを通して、イエス様の言わんとされているのは明らかである。「あなたがたは喜びを維持するためにブドウ酒ばかりが必要だと言って、それを願い求めている。しかし、それは本当にあなたがたにとって不可欠なものだろうか。それがあれば、あなたがたの人生の喜びは奪われることがないのだろうか。神様が、二つの時の結合を必ずや、あなたがたの人生の上に与えられるとするならば、あなたがたに必要なものは、あなたがたをしてその神様の御業を受入れ、受容することのできる何ものかである。それを、わたしは「わたしの時」を通して、あなたがたに与える。それは「水」である。私という存在を井戸や泉として、あなたがたがそこからくみ上げる水が、それなのだ。」と。
4.十字架と復活のイエス様を井戸とするなら、私たちはそこから、どんな水をくみ上げるのだろう。その水を飲むことで、神様が私たちになさせたもう神秘に満ちた、しかし、苦難にも溢れた『結婚』のときを、どのように受け入れることができるのだろう。
イエス様のおっしゃる「わたしの時」には、相反する二つの時が結合している。苦しみのなかに喜びが、弱さのなかに強さが、死のなかに永遠の命が存在している。ここから水を飲むといことは、何よりも私たちが自分の苦しみや弱さや死を、ただそれだけではない神秘なものとして受けとめることを意味してはいないだろうか。
先日、ある人と、とても深い話をすることができた。その方は伴侶の突然の死をどのようにうけとめたらよいかを、ずっと苦しんでおられるという。それがまさに、今日の御言葉の学びの主題である。その人は、その出来事を、ご自分たち夫婦の喜びを奪うものとしてしか受け取ることがでない。それは当然である。亡くなられた伴侶のために、ご自分が何もできなかったことに対し、自分を責め続けておられる。しかし、私たちが今日語りかけられていることは、その出来事は突き詰めれば神様が与えて下さった『結婚』なのだということである。喜びが秘められた出来事なのである。私たちの人生のもっとも大きな課題は、喜びを奪おうとする出来事、すなわちブドウ酒が無くなってしまうとう事態に、どう対処するかなのだ。それを、イエス様の「わたしの時」が教えてくれる。「その水をくみ上げて飲みなさい。何時までも、何処までもブドウ酒を求めるのではなく、本当に必要な水を飲みなさい。」と。
私たちのうえに、それまで健康だったのに、突如として病が入り込んでくる。面倒な事やよくない事が次々と起こる。そんなとき、まことにささやかな「水の汲み上げ」ではあるが、この弱さを、思い通りにいかないことを、大切なこととして受け入れることができるとしたら、これこそがイエス様から水を汲み上げることではないだろうか。
5.最後に、イエス様が人々自身に水を汲みあげさせることによって喜びを回復させたという点に触れてみたいと思う。人々が汲み上げた水が、自分たちの喜びを回復させることにつながった。勿論、そこには不思議なイエス様の奇跡が加わっている。それがなければ、喜びは回復されなかっただろう。しかし、ヨハネの心にずっと刻まれている大切なことは、イエス様が自分たちに水を汲み上げさせたことである。そしてそれが結果的に、奪われようとしていた喜びを回復することにつながって行った点なのである。
その水は、丁度そこにあった大きな6つの水瓶に・・・とある。その大きな瓶は、ユダヤ人が清めに用いるものだったとある。これほど大量の水が清めのために使われていた。しかし、その水は、少しもそこに居合わせた人々が喜びを奪われることに、何の効果も及ぼすことができなかった。空っぽの水瓶だった。そこにおそらく、ヨハネは、当時のユダヤ教の信仰の空しさというものを描いたのだろう。それは、今日の私たちの信仰生活や教会生活の姿かも知れない。本当に必要な水を汲むことになっているのか。空っぽではないか、という思いもある。しかし、それ以外に、水を汲む器はないのである。もし水を汲むとすれば、それがブドウ酒に変わるとすれば、その器は空っぽの器の他はありません。だから、「信仰生活において水を汲みなさい」と言われる。そうすれば、そこにイエス様の奇跡が必ず加わって、喜びをもたらすものとなる。水を汲むことは、必ずや、私たちに喜びをもたらす。
2013年 12月15日 待降節第3主日礼拝
29:01ヤコブは旅を続けて、東方の人々の土地へ行った。 29:02ふと見ると、野原に井戸があり、そのそばに羊が三つの群れになって伏していた。 その井戸から羊の群れに、水を飲ませることになっていたからである。 ところが、井戸の口の上には大きな石が載せてあった。 29:03まず羊の群れを全部そこに集め、石を井戸の口から転がして羊の群れに水を飲ませ、また石を元の所に戻しておくことになっていた。 29:04ヤコブはそこにいた人たちに尋ねた。 「皆さんはどちらの方ですか。」 「わたしたちはハランの者です」と答えたので、 29:05ヤコブは尋ねた。 「では、ナホルの息子のラバンを知っていますか。」 「ええ、知っています」と彼らが答えたので、 29:06ヤコブは更に尋ねた。 「元気でしょうか。」 「元気です。もうすぐ、娘のラケルも羊の群れを連れてやって来ます」と彼らは答えた。 29:07ヤコブは言った。 「まだこんなに日は高いし、家畜を集める時でもない。 羊に水を飲ませて、もう一度草を食べさせに行ったらどうですか。」 29:08すると、彼らは答えた。 「そうはできないのです。 羊の群れを全部ここに集め、あの石を井戸の口から転がして羊に水を飲ませるのですから。」 29:09ヤコブが彼らと話しているうちに、ラケルが父の羊の群れを連れてやって来た。 彼女も羊を飼っていたからである。 29:10ヤコブは、伯父ラバンの娘ラケルと伯父ラバンの羊の群れを見るとすぐに、井戸の口へ近寄り石を転がして、伯父ラバンの羊に水を飲ませた。 29:11ヤコブはラケルに口づけし、声をあげて泣いた。 29:12ヤコブはやがて、ラケルに、自分が彼女の父の甥に当たり、リベカの息子であることを打ち明けた。 ラケルは走って行って、父に知らせた。 29:13ラバンは、妹の息子ヤコブの事を聞くと、走って迎えに行き、ヤコブを抱き締め口づけした。 それから、ヤコブを自分の家に案内した。 ヤコブがラバンに事の次第をすべて話すと、 29:14ラバンは彼に言った。 「お前は、本当にわたしの骨肉の者だ。」 ヤコブがラバンのもとにひと月ほど滞在したある日、 29:15ラバンはヤコブに言った。 「お前は身内の者だからといって、ただで働くことはない。 どんな報酬が欲しいか言ってみなさい。」 29:16ところで、ラバンには二人の娘があり、姉の方はレア、妹の方はラケルといった。 29:17レアは優しい目をしていたが、ラケルは顔も美しく、容姿も優れていた。 29:18ヤコブはラケルを愛していたので、「下の娘のラケルをくださるなら、わたしは七年間あなたの所で働きます」と言った。 29:19ラバンは答えた。 「あの娘をほかの人に嫁がせるより、お前に嫁がせる方が良い。わたしの所にいなさい。」 29:20ヤコブはラケルのために七年間働いたが、彼女を愛していたので、それはほんの数日のように思われた。 29:21ヤコブはラバンに言った。 「約束の年月が満ちましたから、わたしのいいなずけと一緒にならせてください。」 29:22ラバンは土地の人たちを皆集め祝宴を開き、 29:23夜になると、娘のレアをヤコブのもとに連れて行ったので、ヤコブは彼女のところに入った。 29:24ラバンはまた、女奴隷ジルパを娘レアに召し使いとして付けてやった。 29:25ところが、朝になってみると、それはレアであった。 ヤコブがラバンに、「どうしてこんなことをなさったのですか。 わたしがあなたのもとで働いたのは、ラケルのためではありませんか。 なぜ、わたしをだましたのですか」と言うと、 29:26ラバンは答えた。 「我々の所では、妹を姉より先に嫁がせることはしないのだ。 29:27とにかく、この一週間の婚礼の祝いを済ませなさい。 そうすれば、妹の方もお前に嫁がせよう。 だがもう七年間、うちで働いてもらわねばならない。」 29:28ヤコブが、言われたとおり一週間の婚礼の祝いを済ませると、ラバンは下の娘のラケルもヤコブに妻として与えた。 29:29ラバンはまた、女奴隷ビルハを娘ラケルに召し使いとして付けてやった。 29:30こうして、ヤコブはラケルをめとった。 ヤコブはレアよりもラケルを愛した。 そして、更にもう七年ラバンのもとで働いた。
福島 純雄 牧師
1.家を出たヤコブが、まことに不思議な導きで、妻となるラケルや、その父であり、また伯父でもあるラバンとの出会い、その家に首尾よく受け入れられ、ラバンに騙されながらもそれに耐えて21年間の歩みを重ねていった様子が記されている。
この御言葉を - また、この29章に限らず、ここからずっと描かれていくヤコブの姿を - どのような視点から理解していったらよいのだろう。それは、一言で言えば、神様によって懸け橋をかけていただいた者の歩みとして、という視点である。28章10節以下には、石を枕にして横たわらざるを得なかったヤコブに、神様が梯子をかけて下さり、「あなたがどこへ行ってもあなたを守り」との素晴らしい約束のなかに彼を置いて下さったことが描かれていた。それはガラテヤ書で言うところの「神様によって義とされる」有り様であった。それで、この物語に書かれているのは、神様によって義とされたヤコブが、それによってどのような歩みができたのかということなのである。日本基督教団信仰告白の一文に「聖霊は我らをきよめて義の実を結ばしめ」とある。ここに書かれているのは、神様に結びつけていただき義とされたヤコブが、どのように「義の実を結んで行けたか」ということである。
勿論、神様に懸け橋をかけていただき、神様に結ばれて生きるとは言うものの、私たちの一挙手一投足がすべて神様に支配されているというわけではない。私たちは、神様の操り人形ではないので、当然、私たちの自由意思で事を為し進んで行くという部分がある。神様に義とされた私たちの歩みとは、この自由意思で為す部分と、神様につなげられている部分との統合的な歩みであるといっても良いかも知れない。私は、それを数学のベクトルの世界にたとえることがある。
神様との結び付きが無く、ただ自分自身や周囲の人間や社会とのつながりによってしか生きていない人々は、ただ一方の座標軸(たとえばX軸)を持つのみなのである。しかし、神様との結び付きを与えられている私たちは、もう一方の座標軸(たとえばY軸、或いは、3次元方向のZ軸と言っても良い)を持っているのである。私たち信仰者の歩みは、その二つまたは三つの座標が合わさった方向を持つ、つまりベクトルと呼ばれる方向性を持つものとなる。それは、明らかに、自分自身や周囲の人間や社会との座標軸しか持たない人々とは、方向性が違ってくる。もしも、そういう違いが生じて来なければ、それは神様とのつながりのなかに置かれていない現れであろう。
いま、聖書研究祈祷会で、ずっとダビデのことを学んでいる。ダビデは神様と結びつけられて生きている人間だった。しかし、そういう彼が部下の妻を我がものとし、その部下を死に至らしめ、近親相姦や兄弟殺しを犯した息子たちを正しく処断できない愚かさと罪深さに迷っている姿を読んでいる。それが、どうして神様に結び付けられ義とされている者の姿なのかと私たちは深い疑問を抱く。けれども、そういう彼がまた、例えば自分が息子アブサロムによって反逆され、都を追われていくという試練を、神様との関係という座標軸のなかでとらえることができる。普通の人であれば、反逆する息子に怒って、すぐさま戦いを起こしただろう。ところが、ダビデはそうはしなかった。ただ黙って都を追われていったのである。そこに、その試練を自分への神様の御業として、裁きとして受け入れようとするダビデの信仰がある。神様との結び付きという信仰の座標軸を持つ私たちには、他の人にはない生き方の方向性が与えられている。神様が、私たちとのつながりのなかで与えて下さる不思議な何かがある。そういう不思議な何かを授かって義の身を結んでいったヤコブの有り様が、今日の御言葉に書かれている。
2.まず、1節・2節には、神様がヤコブに与えて下さった不思議な何かが描かれていることに気づかされる。1節に「ヤコブは旅をつづけて、東方の人々の土地へ行った。」とあるのは、彼が自分の意志で目標としている場所に向かっている歩みが書かれているのだと思う。家を出て、母リベカの兄である伯父ラバンを頼るというのが、唯一そのときの彼にとって目当てとする所だった。しかし、どれほど、その歩みには、不安や心配が一杯だったことだろうか。今であれば、電話もメールもあるが、今から何千年も昔のことである。ヤコブは一度も伯父ラバンに会ったことがなかった。「どうやってその家に迎え入れてもらうことができるだろうか。どうしたらよいであろうか」と、ヤコブはずっと悩み抜いていたに違いない。
こうしたヤコブに、神様はある光景をふと見せて下さった。それが井戸であったというのは、創世記24章で、彼の祖父であるアブラハムが父イサクの妻を捜しに、同じようにこのハランへと召し使いを遣わしたとき、彼がまず、井戸にやって来たことを彷彿とさせる。しかし、ここでは、明らかに、ヤコブ自身の意図でここにやってきたのではない。神様が不思議にも彼に見させてくださったものである。井戸のそばには水を飲もうとしている羊の群れもおり、飲ませるためには井戸の口を覆っている大きな石をどかさなければならなかった。そういう様子がわかってきた。そのために、そこにやって来た人々は、まだ日の高いうちから羊を連れてやってきていたということも知らされた。折しも、ラケルがやってきた。彼女は女手のみで羊に水をやらねばならかったようだ。そこでヤコブは男気を発揮して、大きな石を動かして水を飲ませてやったのであった。ヤコブの喜びようは尋常ではなかった(11節)。事情を聞いたラケルは、すぐさま父ラバンのもとに向かった。ラバンは走って来て、ヤコブを迎え入れたのだった。
道すがらヤコブが抱いていた心配は、ものの見事に氷解したのである。思いもかけない形で、ラバンやラケルと出会うことができ、自らを信頼に足る男だと示すことができて、歓待をされていったのである。これが、神様によって義とされた者に与えられる幸運であり、座標軸なのである。
3.このことは、私たちにも、実に深いメッセージを語りかけて下さる。まず、神様がご自分に結びつけられた私たちに与えて下さる幸運というものは、万事がすべて整えられた形で、すぐさま神様の与えて下さる幸運とわかるというものではないという点である。神様がヤコブに見せて下さったのは「ふと見ると」という程のものだった。見過ごしても良いような光景だった。伯父ラバンとの困難な出会いを前にして、井戸を見ることが一体何の意味があるのかと思っても、当然のことだった。しかし、ヤコブはここに留まった。そうさせた一端には、母リベカが祖父アブラハムの送った召し使いに出会ったのが、井戸端だったという思い出があったかも知れない。その井戸端に留まり、そこにやってきたラケルが抱えている難儀に彼は関わり、水を飲ませてやるという、大切な働きを担うことができた。こうしたことが、結果的に、彼がすっと心配してきた伯父ラバンに歓待されるという実を結ばせたのであった。
神様は、このように私たちにも、直面している困難を乗り越えさせる何か、幸運なものをお与えくださるのではないだろうか。井戸とは何を意味しているのだろうか。なぜ、井戸だったのか。それは、つまり、古今東西、生きる上で不可欠な水を得る場所なのだった。ところが、その井戸の口には、動かすのに困難の大きな石が横たわっていた。水を得るのには大きな障害があった。神様は、私たちにそういう井戸を見せて下さる。井戸に行け、と言われる。そこは、人々が生きるのに不可欠な水を得る場所である。それは、教会でもあり、また教会だけではなく、肉体的、経済的、社会的な糧を得る場所でもあるのだと思う。その水を得る場所においても、しかしながら、それを得るのに難儀を抱えている人々がいる。「その難儀に関わりなさい」と神様は言われるのであろう。そのことが、私たちをして、直面している問題を、いつの間にか乗り越えさせて下さることとなる、というメッセージなのである。
信仰は私たちに、こういう視点を与えてくれるものである。他の人々が見過ごしてしまう井戸を、私たちに目を留めさせる。そこで存在している難儀を悟らせ、それに関わらせて下さる。そのことが、私たちに義の実を結ばせるのだと思いう。
4.つぎに、14節後半以下に耳を傾けたい。ラバンの家に首尾よく迎え入れられたヤコブのことである。しかし、大きな試練や難儀が、また襲いかかってくる。それは伯父ラバンが、本当にずるく、計算高く、平気で騙す人間だったということである。ヤコブは、この伯父に21年の歳月向かい合っていかねばならなかった。対峙しなければならなかった。どうやって向かい合えば良かったのか。その支えとなるのは何だったのか。
15節で、ラバンはヤコブに言った。「お前は身内のものだからといって、ただで働くことはない。どんな報酬が欲しいか言ってみなさい。」これはヤコブに対する大きなチャレンジだと感じる。お前のこれからの人生の糧、支えとなるものは何か。お前がこれからの人生で求めたいと望む者は何か。それは報酬だろう、金だろう、財産だろう、とラバンは問いかけたのである。そういう価値観へヤコブを誘っていたのである。もし、神様からの懸け橋というものがなければ、ヤコブはこういう誘いにまんまとはまっていただろうと思う。そして、先ず伯父に対し憎しみを募らせ、もしかすれば刃傷沙汰までいっていたかも知れない。お金や財産という報酬を求めていきることによってしか、ラバンに対抗することができなかっただろうと思う。
しかし、そこにこそ、神様に義とされた者ゆえの支えや守りがあった。神様がヤコブに、これからの人生の、また、伯父ラバンと対峙するための「武器」として与えて下さったのは、ひとえに、ラケルへの愛情だったのである。20節に「ヤコブはラケルのために七年間働いたが、彼女を愛していたので、それはほんの数日のように思われた。」とある。
なぜ、レアをラケルと偽って、まず結婚させられる必要があったのか。騙されることにおける神様の御心は何だったのかと思う。17節に「レアは優しい目をしていたが、ラケルは顔も美しく、容姿も優れていた。」とある。愛情という報いや糧を求めて、21年間を忍耐したヤコブであったが、その愛情にも学ぶべき点があったのではないか。そうであればこそ、神様は、ラバンの「騙す」という行為を用いて、ヤコブがまず、第一に結ぶべき絆は誰との絆なのかを学ばせておられるのだと思う。それは、目に見える美しさを備えたラケルではなく、優しい目をしたレアなのではないか。その現れとして、31節以下で「疎んじられている」レアにまず、子供が授かり、その子供たちこそが、後のイスラエル人にとって核となっていったことがわかる。
神様によって義とされている私たちに、神様から与えられる守りの手段というものも、報酬を求めて生きるということではなく、周囲にいる人々を大切にして生きるということなのである。
2013年 12月8日 待降節第2主日礼拝
02:15わたしたちは生まれながらのユダヤ人であって、異邦人のような罪人ではありません。 02:16けれども、人は律法の実行ではなく、ただイエス・キリストへの信仰によって義とされると知って、わたしたちもキリスト・イエスを信じました。 これは、律法の実行ではなく、キリストへの信仰によって義としていただくためでした。 なぜなら、律法の実行によっては、だれ一人として義とされないからです。 02:17もしわたしたちが、キリストによって義とされるように努めながら、自分自身も罪人であるなら、キリストは罪に仕える者ということになるのでしょうか。 決してそうではない。 02:18もし自分で打ち壊したものを再び建てるとすれば、わたしは自分が違犯者であると証明することになります。 02:19わたしは神に対して生きるために、律法に対しては律法によって死んだのです。 わたしは、キリストと共に十字架につけられています。 02:20生きているのは、もはやわたしではありません。 キリストがわたしの内に生きておられるのです。 わたしが今、肉において生きているのは、わたしを愛し、わたしのために身を献げられた神の子に対する信仰によるものです。 02:21わたしは、神の恵みを無にはしません。 もし、人が律法のお陰で義とされるとすれば、それこそ、キリストの死は無意味になってしまいます。
福島 純雄 牧師
1.ガラテヤ書の中心を為す箇所と言われている。とても難解であり、また「生きているのはもはや・・キリストが私のうちに生きておられる」という言葉は、非常に奥深いものでもある。いまの私には語り得ないことを、強く感じさせられる。
16節には「人は律法の実行ではなく・・・だれ一人として義とされない」とある。ここがまさに、ガラテヤ書の中心主題である。まず「義とされる」という点について触れたい。この事柄にだけでも、これまで数限りのない神学書や論文が書かれてき。しかし、私なりの理解でこれを説明するならば、これまで繰り返し「福音とは何か」ということから教えられてきたように、神様とのつながりを与えられて生きるものとされる。そのことが「義とされる」ということだと言って良いと思う。具体的なイメージとしては、ヤコブの姿である。ヤコブが神様から梯子をかけていただき、何処へ行くにも守り導き見捨てないとの約束を授かって、新たな思いをもって旅立つことができた。それが「義とされる」ことの、とても具体的な有り様だと思う。
彼にとって、神様との間に梯子をかけていただき「義とされる」ことが、どれほど不可欠なことだったか、私たちは繰り返し教えらた。彼はこれまで、血のつながった人間との絆によって翻弄され、そのために今までの人生に破綻をきたしてしまった。人間との絆、とくに家族とのつながりは、私たちにとって本当に大切なものである。しかし、そうであればこそ、そのつながりにおける歪み、また愛憎が私たちをとんでもない方向へ進ませてしまう。だからこそ、天におられる神様とのつながりというものが不可欠になってくる。義とされるということで言われている神様の性質は、義なるお方だということである。義とは、分かりやすく言えば、正しいということである。天の神様とのつながりは、私たちを正しい道に導いて下さる。人を騙し、ずるい人間として成長してしまったヤコブを、その懸け橋のなかで正しい道へと導いて下さる。ここに、私たちはまず、「義とされる」ということがどれ程大事なものかがわかってくるだろう。
2.そこで、何によって義とされるのか、それが問題になって来る。それについてパウロは、「律法の実行によっては義とされない、ただイエス・キリストへの信仰によって義とされるのだ」と言った。律法の実行によっては、だれ一人義とされないとパウロは言いきった。たとえば、イスラエルの人々の信仰の歩みというものを考えると、果たして、このように言いきることができるのか、言いきって良いのだろうかと、私は素直に疑問を抱く。
また、いま全世界で何十億人にもなるイスラム教信者のことを考える。彼らは「律法の実行」とは言わないかも知れないが、「5行」と呼ばれる行いを懸命に実行することによって神様によって義とされると、信じておられるのだと思う。折角、オリンピックの代表選手に選ばれたというのに、彼らは丁度開催時期に重なってしまったラマダンと呼ばれる辛い断食月を守った。私たちからすれば、戒律にがんじがらめにされている強制された姿として映るかも知れない。しかし、決してそうではないのだろう。強制であれば、何千年も長続きはしない。あの方々にとっては、それが神様に義とされ、懸け橋をかけていただいている有り様なのだ。喜びなのだ。律法の実行によっては義とされないなどと、イスラム教の人々の面と向かって言うことは決してできないと私は思う。
このことは、イスラエルの人々にとっても同じである。彼らがいつ頃から律法の行いをするようになったかは定かではない。聖書には、エジプトを脱出して荒野を40年さまよっていた時に、十戒を核とする律法を授かったと記されている。歴史的には、はっきりしない。だた、確かなことは、彼らが祖国をバビロニアによって滅ぼされ、捕虜としてバビロニアに連れて行かれたときにこそ、律法を守ることが俄かに掛け替えのないものとなったということが分かっている。捕虜と言っても、比較的自由が許されていたとも言われる。しかし、基本的には、捕虜であり奴隷である。王をはじめ支配者との関係、そういう支配・被支配というつながりのなかに生きざるを得ない。だからこそ、先程のヤコブのように、天の神様との絆のなかに生きることが不可欠になる。天の神様に導かれ支えられ守られることが不可欠になる。それを信じさせて下さるのが律法の実行だった。不自由な生活のなかで、密かに律法の行いをし、生まれた子供に割礼を受けさせ、それこそ隠れキリシタンのように、安息日を守る。それを、神様に義とされることとして信じた。そのようなイスラエル人の歴史を知ると、決して、パウロが言うようなことは言えない。神様は、確かに、その時には、イスラエルの人々をご自分と結びつけるよすが、すなわち梯子として、律法の実行を与えてくださった。そのように理解しなければ、私たちは到底、旧約聖書を聖書として読むことができなくなる。律法をまもったイスラエルの人々の歩みを、信仰の歩みとして受け取ることができなくなる。
3.パウロ自身がかつてはファリサイ人として、誰よりも律法の実行に喜びを感じていた人だった。いま言ったようなことは、十分に、誰よりもわかっていたはずだった。それなのに何故、律法の行いを否定するようなことを、これほど強く言いきるのだろうか。
直前の2章15節に「強要」という言葉がある。律法の実行など、どうしても出来る筈もなかった。しかし、イエス様を信じる信仰によって神様とのつながりが与えられたと信じている異邦人の人々に、律法の実行を強要する人々がいたからだ。イエス様をキリストとして信じる信仰だけでは義とされない、律法の実行をしなければ駄目だと強要してきたからなのだ。神様がお求めにならないものを、人間が強要することがパウロには許せなかったのだ。これは、言わば、売られた喧嘩である。イエス・キリストを信じる信仰だけでは駄目だと言われたから、パウロは自ずと「いや、信仰だけで義とされる」と言わざるを得なかった。返す刀で「では本当に律法の実行で義とされるのか。その義とはどういう義か」と問わざるを得なかった。そのような強要などされず、「私たちはなお律法の行いをも神様との絆として大切にする。しかし、あなたがた異邦人はそんなことを考える必要はなく、ただイエス様を信じる信仰によって神様との絆を生きて下さい。それで良いのです」と言われたならば、パウロは決してこんな断言はしなかったのではないか。
同じように、もしユダヤ教やイスラム教の人々が私たちに対して、いま言ったような強要をしてきたら、どうだろう。「ただイエス様を信じるだけで良いなどとは、余りにも虫が良すぎる、律法の行いをしなさい。しなければ駄目だ。」そう言われたら、私たちも「イエス様を信じる信仰によってのみ義とされるのだ」と応答せざるを得ないではないか。ただ、その場合も、私ならば律法の行いによっては義とされないとは言わないかも知れない。「あなたがたがそのように信じることを、私は認めます。しかし、私はイエス様を信じる信仰によって義とされるのです」と答えるだろう。何によって義とされるのかという大きな違いが、確かにある。また、律法の行いによって義とされることと、イエス様を信じて義とされることとの間には、大きな違いがあるとも思う。しかし、神様によって義とされることを切実に求めるという点では同じなのだ。人間のつながりによっては義とされないと認めることにおいては、違いが無いのだ。お互いを否定するのではなく、根幹にある同じものを認めて行くことが、宗教の対立が大きな問題になっている今の時代においては、大切なことだと、私は思う。
4.同じ部分があると言った、そのすぐ後で、このような点に触れるのは矛盾すると言われるかも知れない。しかし、イスラエルの人々が律法の行いによって義とされてきたことと、私たちがイエス様を信じる信仰によって義とされることとの間には、ある決定的な違いというものがあるのではないか。
その決定的な違いというものを表しているのが、19節後半から20節にかけての御言葉ではないかと思う。パウロは、自分と神様とを繋げている懸け橋の根本のところに、「わたしの内に生きているキリストがおられる」と言っている。そして、このキリストとは「私を愛し、私のために身を捧げられた方だ」と言っている。彼が、「キリストが私を愛し・・・」ということで、どんな事を言おうとしているのか定かではないが、次のようなこととして、私は理解する
イエス様を十字架につけて殺したのは、もちろん、直接的にはパウロではない。しかし、彼がクリスチャンを迫害し、殺害にも率先して関わっていたことは、間接的には、彼もまた、イエス様を十字架の上に追いやった者たちの仲間でもあることを示してる。そのように、パウロによって間接的に殺されたイエス様が、迫害のために彼がダマスコに行く道の途中で、「サウロ、サウロ、何故わたしを迫害するのか」と言って、現れて下さったのだった。これは、ヤコブへの懸け橋と根本的には同じものだろう。自分を間接的にでも殺した相手、迫害している相手に声をかけ、懸け橋をかけて下さったイエス様とは、たとえ殺されても、憎まれても、その相手に懸け橋をかけようとするお方なのである。そこに、愛があり、パウロのために身を捧げられたお姿がある。この方において、神様は、自分に梯子を下ろして下さるのだ、この方への人格的なつながり・応答をもって生きることが神様によって義とされることだとパウロは知った。
それは、パウロが熱心に律法の実行をもって義とされてきたこととは、決定的に違うものだった。突き詰めて言うなら、律法には、パウロのために身を捧げるというような愛はない。自分を殺し、迫害するものに対しても呼びかけ、懸け橋をかけようとする愛は、律法にはない。確かに、律法の根源には、私たちをご自分につなげようとの神の愛があると信じる。しかし、律法そのものには、愛はない。長い間のなかで、人々はどんどん律法の根源にあるはずの神様の愛を見失ってゆく。守らなければならないとの強制、守らなければ神様は私たちを呪われるとの恐怖。過日開催された地区の社会部の集会で、エチオピアのアメヤ村の人々は、イスラム教徒として、このような信仰に陥っていたことを教えられた。
律法の行いにおいて義とされるとの信仰は、残念ながら、いつの間にか、このようなものになってしまうのではないだろうか。しかし、福音書に書かれているような、ご自分を裏切り、見捨ててしまった弟子たちに「安かれ」といって、懸け橋をかけて下さるイエス様は、私たちの中に生きておられ、私たちはこの方の愛に、決して強制ではなく、無理強いではなく、自由に応答して生きれば良いのである。そこには、迷いもあり、時には離れてしまおうという思いもある。けれども、弟子たちに、また、パウロに懸け橋をかけて下さったように、イエス様はご自分の身をかけて、つながりを持ち続けようとして下さる。その懸け橋には、かけることのできない溝も隔てもない。この方の愛に答えて生きることが、神様に義とされる歩みであるとは、とても素晴らしいことなのである。
2013年 12月1日 待降節第1主日礼拝
09:49そこで、ヨハネが言った。 「先生、お名前を使って悪霊を追い出している者を見ましたが、わたしたちと一緒にあなたに従わないので、やめさせようとしました。」 09:50イエスは言われた。 「やめさせてはならない。あなたがたに逆らわない者は、あなたがたの味方なのである。」 09:51イエスは、天に上げられる時期が近づくと、エルサレムに向かう決意を固められた。 09:52そして、先に使いの者を出された。彼らは行って、イエスのために準備しようと、サマリア人の村に入った。 09:53しかし、村人はイエスを歓迎しなかった。 イエスがエルサレムを目指して進んでおられたからである。 09:54弟子のヤコブとヨハネはそれを見て、「主よ、お望みなら、天から火を降らせて、彼らを焼き滅ぼしましょうか」と言った。 09:55イエスは振り向いて二人を戒められた。 09:56そして、一行は別の村に行った。 09:57一行が道を進んで行くと、イエスに対して、「あなたがおいでになる所なら、どこへでも従って参ります」と言う人がいた。 09:58イエスは言われた。 「狐には穴があり、空の鳥には巣がある。 だが、人の子には枕する所もない。」 09:59そして別の人に、「わたしに従いなさい」と言われたが、その人は、「主よ、まず、父を葬りに行かせてください」と言った。 09:60イエスは言われた。 「死んでいる者たちに、自分たちの死者を葬らせなさい。 あなたは行って、神の国を言い広めなさい。」 09:61また、別の人も言った。 「主よ、あなたに従います。 しかし、まず家族にいとまごいに行かせてください。」 09:62イエスはその人に、「鋤に手をかけてから後ろを顧みる者は、神の国にふさわしくない」と言われた。
福島 純雄 牧師
1.今日の御言葉のタイトルには「弟子の覚悟」とあった。イエス様に従って行くこと、信仰者として歩んで行くということは、かなり厳しい覚悟のいるものであり、二者択一を迫られることだ。そういう印象を抱かれるのではないか。
今日の御言葉では、イエス様と3人の人々が会話をしている。最初の人がイエス様に「あなたが・・参ります」と言ったのに対し、イエス様は、「私に従って来ることは枕する場所もないような辛い歩みをすることだ」と言われたように受け取れる。第二の人が、イエス様から「私に従いなさい」と言われて、「まず父を葬りに」と答えたのに対し、イエス様は、「そんなことは放っておいて神の国を広めよ」と仰ったように読める。第三の人が、「従いますが、まず・・」とイエス様に言ったことに対しても、イエス様は、「神の国にはふさわしくない」とお叱りになったように読める。
第二の人と第三の人の言葉の根底には、父を葬ることや、家族に別れを告げること - この二つを突き詰めれば、愛する家族とのきずなを大切にしようとする姿だろう - と、イエス様に従うことは、二者択一の事柄なのであり、両者を両立させることはできないものだという理解が横たわっているように感じる。そのうえで、まず、家族の絆を優先させて欲しいと願っている。これに対して、イエス様は、ご自分に従うことや、神の国に相応しく生きること優先させ、あたかも家族との絆を捨て去ることを求めておられるように読める。イエス様もまた、「家族との絆を大事にする生活と信仰生活とは両立し得ないものだ」と言っておられるように受け取れる。説教の準備のために、説教や注解を参考にさせていただいたすべての先生方も、そのような理解をされておられるようだった。これが、伝統的な読み方かも知れない。
2.しかし、私としては、そのような読み方や受け止め方に対しては、どうしてもアーメンと言い得ないものを感じてしまう。若い時に、アンドレ・ジイドの「狭き門」という本を何度も読んだ。愛する人との絆と信仰とを、やはり二者択一のものとしてとらえて、前者を捨てることが、イエス様の言っておられる「狭き門」だとのジイドの考えに、どうしても納得できず、強い怒りさえ感じたことを思い出した。或いは、それは、そういう伝統的な理解への反抗だったのかも知れないが・・・。
確かに、信仰の道を歩むうえで、どうしても捨てざるを得ないものがあるとは思う。イエス様は、はっきりと「富と神に仕えることはできない」と言われた(マタイ6:24)。神様に仕え、結果として、神様からの賜物として豊かさや成功が授かることはある。それは良い。しかし、最初から富を求めつつ、神様に仕えることはできない。富を求めることと神様に従うことは決して両立できない。けれども、愛する人との絆を大事にすることと、富を求めることとは、はっきり違うのではなかろうか。
愛する人との絆は、神様ご自身の御心に適うものだというメッセージは、聖書全体に行き渡っている。創世記には、私たちが神様の姿に似たものとして生きることと、「男と女に作られた」こととは、根源的につながっているものとして記されている(創世記1章)。男女の絆は、私たちが神様に似たものとして生きるうえで、不可欠なことである。また、「人が独りでいるのはよくない」のであり、「これこそ骨の骨」と呼ぶほどの絆を結ぶ伴侶こそが「ふさわしい助け手だ」とも記されている(創世記2章後半)。夫婦だけでなく、十戒では「父と母を敬え」とあり(たとえば出エジプト20:12)、十戒の前半部分に記されている神様との絆と親子の絆が、決して二者択一のものなどではないことが、はっきりと教えられている。むしろ、両立し得るものなのである。両立して生きることこそが、十戒の心なのである。
3.それでは、今日の御言葉をどのように読んだらよいのだろうか。
イエス様は、確かに、神の国に相応しくあることを、その具体的な在り方としてイエス様に従うことを、第一のこととして求めておられるのだと思う。イエス様ご自身のはっきりとした言葉として、「まず神の国と神の義を求めよ」という言葉が山上の説教のなかにある(マタイ6:33)。神の国を求めそれに相応しく生きることは、家族の絆よりも、確かに「まず」優先するべきものであり、第一に求められるものでなのである。しかし、私が声を大にして言いたいのは、それを第一にすることは、決して家族との絆を排除するものではないし、両立し得ないものでもないという点である。むしろ、神の国を第一にすることが、家族との絆をより深くし豊かにし新たなものに変えて行くのということである。だからこそ、初めに「神の国を求めよ」と言われるのである。そのことが、死者を葬ることについても、家族とのつながりについても、全く違った視点を与えてくれるからなのである。
では、神の国を求め、神の国に相応しいとは、どういうことだろうか。神の国とは、「神の支配」のことである。だから、「神の国に相応しい在り方」も、第二の人との対話のなかにある「神の国を言い広める」ということも、その根本には、私たちが神様の御手の支配のなかで、神様とのつながりのなかに生きることを言っているのだと思う。
創世記28章の「ヤコブの梯子」の有名な物語から言えば、神様との懸け橋をかけて頂いている者として生きることなのである。
ヤコブという人は、特別な夢を見ることで、生まれて初めて、自分が、それも父や兄を騙し、ずる賢く生きてきたために家を出ざるを得なくなったような自分に、神様からのハシゴをかけていただいていると知らされたのだった。ヤコブが特別な夢を見て初めて知ったことを、私たちは、人としてイエス様が生まれて下さったクリスマスの出来事に見る。そこに、神様からの私たちへの懸け橋を見る。もちろん、イエス様の誕生をそのように見て受け止めることができるためには、信じることが不可欠である。イエス様をこのようなお方として信じることが、イエス様に従うということであろう。イエス様を神様からの懸け橋と信じ、そういう意味でイエス様に従うことで、私たちは、自分たちが、神様とのつながりのなかに置かれつつ、生かされていることがわかるのである。
4.神様とつながり、神様の支配のなかに置かれている者だと知って生きることは、私たちにどのような変化を生じさせるのだろうか。それは、ヤコブには大きな変化を生じさせた。ヤコブは、それまでは、家族との絆にある歪みのようなものに悩まされ、翻弄されてきた。父からは愛されず、反対に母からは溺愛され、いつも兄と較べられ、その兄からは殺されるほどに憎まれたのだった。そのためにヤコブは、石を枕に横たわるしかなかった。そういうヤコブが、神様から懸け橋をかけていただいていると知ったのだった。神の国のなかにあると知ったのだった。神様が、こんな自分に目をかけて、確かな将来を約束し、そこに行き着くまで決して見捨てず、共にいて下さると分かったのだった。それは、これまでヤコブを歪めてきた家族のつながりから一旦解き放たれて、天の神様とのつながりのなかに置かれたということではないだろうか。ここにこそ、神の国に生きるということが、家族とのつながりに優先するということが起きている。疎んじられたり憎まれたり、逆に溺愛されたり・・・という家族のつながりに優先して、神様は、醜いヤコブに対して、それにもかかわらず、懸け橋をかけ、約束のゴールへと導いてくださった。このような神様とのつながりが、これまでの家族の絆に優先することによって、ヤコブは新たな歩みをすることができたのである。神様との絆は、決して家族との絆を排除するものではなかった。むしろ、ヤコブをそこへと向かわせてゆくのだった。これを起点に、ヤコブは、そこから20年続く伯父ラバンや妻とのつながりへと押し出されてゆくのだった。
第三の人への「まず家族とのいとまごいを」というイエス様の語りかけには、以上のような事柄が込められているのではないかと思わされる。「鋤に手をかける」という有り様が何を言わんとしているか定かではないが、想像するに、「相応しい時が来たのに、そこまで準備万端整い、種をまけば豊かな収穫が約束されているというのに、後ろを振り返ってしまった。何故かこの人は、何かを心配したのか、種蒔きの作業を止めてしまった。」ということかも知れない。
イエス様を信じ、それによって神様とのつながりが分かる者として生きて行こうとすることは、鋤に手をかけて種を蒔こうとしている姿なのだろう。そのような歩みが始まって行くことで、きっと家族との絆についても、新たな視点が授かる筈なのだ。それが収穫なのである。どんな収穫だろうか。すべての人が、神様とのつながりのなかに置かれていることが分かってくる。すると、ただ血のつながりをもった家族だけではなく、血のつながりのない人々のことも視野に入って来る。それは、きっと血のつながりをもった家族の絆にも良い影響を及ぼすだろう。家族を広い視野の中に置くだろう。それが収穫ということだろう。こうした収穫への歩みを始めようとしているのに、信仰と家族との絆は両立しないとの浅はかな固定観念に縛られて、信仰の歩みを止めてしまことは、本当に残念なことだとイエス様は言われている。
5.第二の人との対話も似たような点から理解することが出来るだろう。イエス様を信じることから、神様とのつながりというものが分かるようになると、とくにイエス様の十字架の死と復活の出来事を通して、死んだ人にも神様の懸け橋は及ぶものなのだということが分かって来る。それにより、死や死人を見る目が全く違うものになってくる。死者は、死者であればこそ、もしかすれば、この世に生きている私たち以上に、深い神様との懸け橋のなかに置かれているのかも知れない。死んだ人々だけがもつ神様との絆というものがあるのかも知れない。だからこその「死んでいった者たちに・・・葬らせなさい」とのお言葉である。すでに死んでいたモーセとエリヤが、イエス様のもとに現れて、イエス様の最期、つまり死を語り合っていた。死んでいる者だけが、彼らに与えられている神様との絆をもって、最期を語り合い、死んだ者を相応しく扱うことができるのだろう。死んだ者だけが、死んだ者を相応しく取り扱うことができるのではないか。正しく葬りを行うことができるのではないだろうか。
生きている者は、残念ながら、生きている者としての視点や立場をもってしか、死を取り扱うことができない。この世に生きていることだけが良いことであり、幸いだとの視点しかない。生きている者が死者を葬るとき、それはただ悲しみや苦しみという見かただけからのものである。そういう見方を変えてさせて下さるものが、神様とのつながりの視点なのである。すると、たとえば、死んだ父親が、それまでとは全く違った存在として見えてくるのではないだろうか。死と言う出来事を、全く違うものとしてとらえることができるようになるのではないだろうか。イエス様のお言葉は、そういう意味だと思う。
確かに、イエス様に従う歩みは、枕する所もないお方を信じるものである。けれども、枕するところもないお方を信じる歩みが、どれほど素晴らしい歩みかが改めて、いま分かってくる。それは、今日の御言葉のタイトルにあった「覚悟」といったようなものとは、随分違ったものであるように、私は思う。
2013年 11月24日 降臨前第5主日礼拝
27:21人々は長い間、食事をとっていなかった。そのとき、パウロは彼らの中に立って言った。 「皆さん、わたしの言ったとおりに、クレタ島から船出していなければ、こんな危険や損失を避けられたにちがいありません。 27:22しかし今、あなたがたに勧めます。 元気を出しなさい。 船は失うが、皆さんのうちだれ一人として命を失う者はないのです。 27:23わたしが仕え、礼拝している神からの天使が昨夜わたしのそばに立って、 27:24こう言われました。 『パウロ、恐れるな。 あなたは皇帝の前に出頭しなければならない。 神は、一緒に航海しているすべての者を、あなたに任せてくださったのだ。』 27:25ですから、皆さん、元気を出しなさい。わたしは神を信じています。 わたしに告げられたことは、そのとおりになります。 27:26わたしたちは、必ずどこかの島に打ち上げられるはずです。」
福島 純雄 牧師
1.今日は収穫感謝日の合同礼拝である。合同礼拝のときには教会学校の先生が使っておられる教材に従った聖書箇所、使徒言行録の御言葉が与えられた。説教題を『276分の1の励まし』とした。この数字は何処から来たのか。27章37節に「船にいたわたしたちは全部で276人であった」とある。そこからとった。パウロは276人の乗船者の一人だった。と、言っても、パウロは、のんびりと船旅を楽しんでいたわけではなく、また、いつものような伝道旅行の途中だったわけでもなかった。彼は、未決囚としてローマへと護送される途中であった。
なぜ、彼が未決囚となっていたかについて、かいつまんでお話をする。パウロは、仲間の反対を押し切ってエルサレムに行った。案の定、彼を憎むユダヤ人の企みによって、ローマ帝国の安寧秩序を乱したかどで捕らえられた。パウロは、ローマ総督府の在ったカイザリヤで、2年にわたって拘留されていた。ローマの市民権をもっていたパウロは、皇帝直々の裁判を望んだため、こうしてカイザリヤからローマへと護送されていたのだった。
276人の1人としてのパウロの立場は、18節から20節に書かれている。嵐が起きるまでは、何ら大切な立場など無い、むしろ、厄介者の一人に過ぎなかった。確かに出航前には21節に書かれているような意見を護送隊長に述べたことが9節に記されてる。一囚人に過ぎないパウロの言葉など聞きいれられる由はなかった。また、この船は、囚人護送専用ではなく、商売用の荷物を、あちこちに運ぶ商船のようだった。その船に、何人かの囚人と、その護送をする兵士とが、無理やり、当局から押し付けられ乗せられていたのだろう。パウロは、そのような何の重要さもない、むしろ邪魔な存在として、276人の一人として船倉深くに押し込められ、鎖につながれていたのだと思う。
ところが、このようなパウロが、にわかに重要な存在となる時がやってきた。嵐にあって、パウロの乗った船が遭難してしまった。21節にあるように、パウロは彼らのなかに立って元気づける言葉を語った。その言葉の核心には、パウロが前日の夜に神様から告げられた御言葉があった。パウロは他の275人が救われることにとって、無くてはならない役割を果たし、結果的に、276人全員が助かっることとなった。今日の御言葉のポイントは、最初は何の重要さも持たない276人のうちの1人に過ぎなかったパウロが、嵐をきっかけにして、最も大切で、無くてはならない1人となった、という点である。
2.このことは、私たちと重ねて、どのように受け止めることが出来るだろう。いろんな感じ方があるだろう。家族のなかのたった1人のクリスチャンとして、むしろ、厄介な者と思われているという状況も、パウロが置かれた立場と重なるかも知れない。また、日本の社会のなかで、私たちクリスチャンが1/276くらいのパーセンテージである存在として、同じように邪魔な者として思われている状況も考えることができそうである。それにもして、私が何よりもこのパウロの立場に重なるものとして感じるのは、私たち1人ひとりにとっての信仰生活の割合というか、それが私たちの日々の歩みのなかで占めている位置である。それが1/276という数字が象徴的に示しているものではないかと感じる。23節に「わたしが仕え礼拝している神が」とあるように、276分の1としてのパウロが表されているのは、神様を礼拝している在り方である。私たちのなかの、神様を礼拝する部分が1/276の部分であるように思う。
その部分というのは、船が嵐にあっていない時には、つまり私たちが順風満帆で進んでいる時には、どちらかと言うと、私たちの生活にとって大切な役割を果たさない、むしろ船倉に押し込められ鎖に繋がれてしまっているような、そういう部分であることが、しばしばなのではないか。本当に数字的なことだけで言うと、1週間に1度、およそ2時間の礼拝に出席する信仰生活(もちろん信仰生活を、ただ教会に来て礼拝する時間だけで計ることはできないが、あくまで時間だけで言えば)は、2/168となる。だから、ほぼ1ヶ月に1度、礼拝に出席するとすれば、1/276に近い。
このような、私たちのなかの信仰の歩みという部分が嵐に遭うと、にわかに重要なものに転化してくる。21節にあるように、それまでは船倉深く押し込まれていたパウロは、人々の只中に立って何事かを語るような存在になった。神様を礼拝することで与えられたことが、私たちを元気づけるものとなってくる。嵐を生き延びるのに不可欠な1/276となってくる。それは何故かと言うと、18節から20節にあるように、船が嵐にあって、まず船具が投げ捨てられてしまった。幾日もの間、太陽も星も見えなかったのだから、もはや船を操る手段は何もなかった。それまで頼りになったものが全て失われてしまった。「困った時の神頼み」という言葉があるが、これまで頼りにしていた手段では助かる望みが全く消えてしまったとき、初めて私たちのなかの信仰という部分が「立って」何かを語り始めるということがある。
3.さて、それでは、パウロは、人々に何を語ったのだろうか。その核心には、24節に記されたところの、パウロが、前の晩に天使から語られた神様の言葉があった。まず神様が、パウロに告げたのは、「パウロ、恐れるな。あなたは皇帝の前に出頭しなければならない」という言葉だった。だから、それは「決してあなたは死なない、大丈夫だ」という語りかけであった。この神様の語りかけが、目当てを失い、漂流しているパウロにとって、先ず灯台となり、目当てとなった。この神様のパウロへの語りかけの何よりもの特徴は、単に「あなたはいついつ島に漂着するから大丈夫だ」とか、「明日には天気が回復して目標とするものが見えてくる」とか、そういう励ましではない点である。何よりの特徴は、パウロに、果たすべき使命を語る点にあったのである。果たさなければならない使命を明示されたことが、パウロにとっての明確な目当てとなったのだ。
このことは、私たちにとても大切なことを語ってくれるものだと思う。嵐にあった私たちは、真剣に神様を礼拝するようになる。そして、パウロが神様からの御言葉をいただいたように、私たちも、私たちを元気づけ希望を与えて下さる語りかけを、切実に願い求める。そのとき、私たちが求める言葉は何であろうか。「大丈夫、あなたはこの病気では死なない。あなたは治る。」「あなたはこの危機を無事脱出できる。」といった、安心な将来を約束してくださるような御言葉を望むものである。しかし、神様はそのようなお言葉をくださることは為さらない。そうではなく、果たすべき使命をお示しになる。いついつまでは健康だとか、病気にはならないとか、そういう保証ではなく、「使命を果たしなさい」という語りかけなのだ。「使命を果たすことが、あなたを嵐から守るのだ」という語りかけなのである。
パウロにとって、皇帝の前に出頭しなければならないということは、真に大変な使命だったろう。当時まだ、国家的なレベルでのクリスチャンへの迫害は始まっていなかったが、ローマ帝国とは、基本的には皇帝が神であり、主とされていた国であった。神であり主であるとされていた存在の前に立って、イエス様が、自らが神であり主であることを語るというのは、まことに困難な使命であったろう。鎖に繋がれた状態で、それを果たさなければならなかった。同じように、神様が私たちに示される使命も、容易なものではないであろう。それぞれに、の立つべき前には、「皇帝」という存在があるのではないかと思う。それを果たすのが私たちにとって「辛い」と思われるような、そういうことが神様が私たちに与えて下さる使命である。それを果たそうとすることが、嵐の中に置かれた私たちへの神様からの守りなのである。灯台であり、羅針盤であり、帆なのである。
私たちには、このように不思議な形で天使がパウロに語りかけて下さったようには、神様からの直接的な語りかけが聞こえてくるということはない。「こんな風に、神様の言葉が聞こえてきたら元気づけられるのに」と言われるかもしれない。しかし、神様の語りかけは、こうして礼拝をする中で聞こえてくるのである。今日、こうして語りかけられていることが、私たちに対する天使の語りかけであると思う。
4.さらに、神様がパウロに語りかけられたのは「神は、一緒に航海している・・・あなたに任せて下さる」ということだった。ローマ皇帝の前に出頭する使命を果たそうとしている276の1のパウロに、彼の後にいる275人の命運が、握られているということであった。この御言葉も、私たちに大切な示唆を与えて下さる。
それは、私たちの信仰の部分が、神様から与えられた使命を果たすことに、他の部分の命運がかかっているという示唆である。他の部分というのは、たとえば肉体の健康であったり、また仕事や社会的な関係なども意味するだろう。また、家族のなかで、たった1人の信仰者である者が、神様から授かった使命を果たそうとすることに、信仰者でない家族の命運もかかっているということである。牧師である私が、その使命を果たすことに、教会員の皆さんの命運もかかっているとも言えるかもしれない。
これは、わざわざ紹介するまでもないような事柄だが、先日、大宮教会での教区社会部の委員会に行く途中の電車のなかで「神は妄想か」というタイトルの本を読んでいた。アメリカでの科学的な研究の成果として、礼拝に出席する人とそうでない人の間には、健康の度合いの違いに(何倍もの差が)あると書かれていた。その違いは、礼拝に出席することで生活が規則正しくなったり、また、一人暮らしであれば、教会に来ることが励みとなり、また他人と話をすることが健康に好影響を及ぼすということもあるかもしれない。しかし、何よりも、神様を礼拝することにより、使命を発見するという点が大きいのではないかと思う。1/276の部分が立つことによって、他の275が元気になり励まされるのである。
5.最期に、22節に書かれていることに触れたい。ここで注目させられるのは「船は失うが」との語りかけである。23節の、神様からのパウロへの御言葉のなかには、船は失うという部分はなかった。この洞察を、パウロは何処から得たのだろうか。23節には書かれていないが、やはり天使からの教えとして与えられたものではないだろうか。ローマ皇帝の前に立つために、また、一同が助かるためには、いつか船は失わなければならないことを、パウロは知らされた。命を失わないためには、船を諦めるべき時が来る。27節以下を読むと、パウロが、実に慎重に、この時期を見極めようとしているのがわかる。27節から32節までに書かれているように、早い段階では、船員が船を見捨てようとすることを止めていた。しかし、41節にあるように、船が浅瀬に乗り上げてしまったときに船を捨てた。
皇帝の前に立つという使命を果たすために、その時々で『器』とすべき船があったのだと思う。その時々に於いて、捨ててはならない船、捨てなければならない船があるのである。捨てずに、いつまでもその船にしがみついていたのでは、肝腎の命が失われ、使命を果たすことが出来なくなる船もある。こうした洞察を、礼拝をささげるなかで与えられたらと願う。
2013年 11月17日 降臨前第6主日礼拝
28:10ヤコブはベエル・シェバを立ってハランへ向かった。 28:11とある場所に来たとき、日が沈んだので、そこで一夜を過ごすことにした。 ヤコブはその場所にあった石を一つ取って枕にして、その場所に横たわった。 28:12すると、彼は夢を見た。先端が天まで達する階段が地に向かって伸びており、しかも、神の御使いたちがそれを上ったり下ったりしていた。 28:13見よ、主が傍らに立って言われた。 「わたしは、あなたの父祖アブラハムの神、イサクの神、主である。 あなたが今横たわっているこの土地を、あなたとあなたの子孫に与える。 28:14あなたの子孫は大地の砂粒のように多くなり、西へ、東へ、北へ、南へと広がっていくであろう。 地上の氏族はすべて、あなたとあなたの子孫によって祝福に入る。 28:15見よ、わたしはあなたと共にいる。 あなたがどこへ行っても、わたしはあなたを守り、必ずこの土地に連れ帰る。 わたしは、あなたに約束したことを果たすまで決して見捨てない。」 28:16ヤコブは眠りから覚めて言った。 「まことに主がこの場所におられるのに、わたしは知らなかった。」 28:17そして、恐れおののいて言った。 「ここは、なんと畏れ多い場所だろう。これはまさしく神の家である。そうだ、ここは天の門だ。」 28:18ヤコブは次の朝早く起きて、枕にしていた石を取り、それを記念碑として立て、先端に油を注いで、 28:19その場所をベテル(神の家)と名付けた。 ちなみに、その町の名はかつてルズと呼ばれていた。 28:20ヤコブはまた、誓願を立てて言った。 「神がわたしと共におられ、わたしが歩むこの旅路を守り、食べ物、着る物を与え、 28:21無事に父の家に帰らせてくださり、主がわたしの神となられるなら、 28:22わたしが記念碑として立てたこの石を神の家とし、すべて、あなたがわたしに与えられるものの十分の一をささげます。」
福島 純雄 牧師
1.私たちはいま、3週に一度の割で、ガラテヤへ信徒への手紙の御言葉に耳を傾けている。そこで繰り返し教えられるのは、福音とは何か、ということである。福音とは、イエス様をキリストとして信じる信仰という懸け橋によって、不思議にも私たちが神様とつなげていただけているということである。今日の物語を読むと、まさにヤコブという人は、夢のなかの出来事ではあるけれど、神様と懸け橋をもって繋げていただいている様子が描かれている。「福音とはこういうことなんだ。神様と結びつけていただけることは、こんな風に素晴らしいことなんだ。」と今日の御言葉を通して私たちは具体的に教えられるのではないだろうか。
さて、第一に示されるのは、神様との懸け橋をかけていただいたとき、ヤコブという人はどういう状況にあったのかという点である。10節から11節を読むと、次のように書かれている。彼は双子の弟として誕生した。生まれてくるとき、先に母親のおなかを出てきた兄エサウのかかと(ヘブル語でアケブという)を掴んで、やっとこさ生まれてきたので、そこからヤコブという名前が付けられた。多分、未熟児のような状態で誕生したのではなかったか。兄のエサウが巧みな狩人で、肉が大好物の父イサクからとても可愛がられたのに対し、ヤコブは色白で「天幕の周りで働くのを常とした(創世記25章27節)」とある。ヤコブは、母リベカの溺愛を受けて育った。ヤコブが青年の時、腹をすかしている兄に、一杯の煮物と交換に長男の権利を奪ったという出来事のことも、その25章は記している。父イサクが、目がかすんで、アブラハムから受け継いだ「祝福」という財産をエサウに譲ろうとしたとき、それを知った母リベカとヤコブは、エサウになりすまして、目の見えなくなったイサクを騙した。エサウはヤコブを殺そうとする程に憎み、とうとうヤコブは、母の兄ラバンを頼って家を出ざるを得なくなった。
石を枕に横たわるヤコブ。この枕にしている「石」は、そのときの彼を象徴的に表しているように感じる。小さく固まり、冷え冷えとして、もはや自分からは何物をも生み出すことが出来なくなっている無機物としての石。それが今のヤコブそのものではなかったか。
ところが、こんなヤコブにこそ、神様は懸け橋をかけて、つながりを持とうとされた。これまで、ヤコブが神様を礼拝したとか、祈ったとか、神様の御言葉を聞いた、というようなことは何処にも書かれていなかった。姑息な悪知恵と母の溺愛を以って、生きることができてきたので、神様の側から懸け橋をかける余地も必要もなかった。しかし、この小さな固く冷たい石のような状態になったときを、神様は懸け橋をかける絶好の機会としてとらえてくださった。ヤコブの側からは、神様に対して何一つ、つながりを求める資格もふさわしさもなかった。ただ、神様の側から、いまがその時であると思し召して下さって、懸け橋をかけて下さった。
私たちも、この石のような境遇に置かれることがあるのではないかと思う。そういう境遇に置かれることを嫌がり、恐れて、私たちは必死になって様々な努力をする。けれども、今日の御言葉は語りかける。石を枕に地面によこたわることを嫌がってはならないと。石のような状態になることこそが、福音との出会いの機会となるのだと。懸け橋をかけて下さる神様との出会いの時となるのだと。
2.さて次に、神様が懸け橋をかけて下さる有り様を、ヤコブに見せて下さったのが夢の中であった。その点に思いを向けたい。神様はしばしば夢や幻を、このような機会として用いられる。先週のガラテヤ書の学びでも、ペトロが異邦人と食事をすることについてのタブーを打破されていったのは、神様から幻を何度も見せられることによってだった。なぜ神様は、夢や幻を用いられるのだろう。それは、私たちの肉体の目、覚醒している時の目は、その目で見える現実しか見ることができないからである。ヤコブもしかり。彼が肉体の目で見ているのは、石のようになってしまった自分の人生の現実のみだった。伯父を頼るといっても、全くどうなるか知れない未来しか見えなかった。だから、そういう現実の背後に隠されている神様が用意された世界を見させるために夢が必要だったのだ。
いったい夢や幻が何になるかと仰る方もあろう。確かに、夢を見ても、大抵は目が覚めると直ぐに忘れ去られてしまうような、現実の生活には何の効力も持たない夢が殆どであろう。しかし時には、神様ご自身が見せて下さる夢というものがある。神様の御心として、真実に計画され用意されている未来を見せられる夢がある。そういう夢は、夢から覚めても消えることなく、現実の生活にはっきりとした効力を発揮する。
私たちは、このような夢や幻を何処で見せていただくのだろうか。それは、礼拝のなかで、聖書を読むことを通してではなかろうか。それは文字通り礼拝のなかで夢を見るということではない。文字通りの夢や幻ではないが、聖書の言葉を読み、礼拝のなかでそれを聞いて、現実の世界ではないが、現実の背後に隠されている、肉体の目には見えないが、しっかりと存在している神様の世界、神様のご計画というものを、私たちは垣間見る。私たちが神様とつながりを持たせていただいているその懸け橋は、何処にも現実には見えないが、それを知り得る。聖書を通し、礼拝を通して、それを繰り返しくりかえし垣間見させていただく歩みを重ねることで、私たちの現実の歩みははっきりと違うものとなっていくのである。それが福音の力というものである。
3.では、夢の内容はどのようなものであったか。まず12節、「先端が天まで達する階段が地に向かって伸びており・・」とある。ここは、しばしば洗礼準備会において触れる点でもある。階段は、天から地に向かって伸びている。地から、つまり人間から神様に向かって伸ばされているものではない。そして、その階段を昇り降りしているのも、人間ではなく神の使いである。神様が昇り降りして下さる。私たち人間ではないのである。
この様子は、私たちにいろいろなメッセージを、その時々に語りかけてくれる。私が今回、改めて感じさせられたのは、この梯子や階段とは天からのものだということを通してのメッセージだということである。それは、私たち人間が、これが天への懸け橋だ、これが私と神様とのつながりだ、と思って天に伸ばそうとするものではない。神様が天から伸ばして下さる梯子は、もしかすれば、地上の私たちには懸け橋とは思えないものかも知れない。反対に、ああ神様が私との懸け橋を引上げてしまわれた、と思うようなことかも知れない。もう何処にも絆がないと思ってしまうことかも知れない。しかし、そこには懸け橋が歴然としてある。それは天からの思いがけない懸け橋であって、私たちの予想とはかけ離れているものかも知れない。イエス様という懸け橋は、まさにそのようなお方ではないだろうか。そこを神様が、神の使いが、ご聖霊が、行き来している。
4.この様子に続いて、神様からの語りかけが聞こえてくる。このお言葉の根本は、何よりも、そこで語りかけられていることは何かと言うと、それぞれの感じ方があって良いのだが、私が感じるのは、まずは、ヤコブへの善意である。悪意というものが何処にもない。そして、その善意の根底にあるのは、彼の将来に対する、しっかりとした見守りと導きと約束である。「あなたの将来は大丈夫なんだ。だからこれからいろんな辛いことがあっても生きる価値があるのだ。生きてゆけば必ず良いことがある。報いがある。」そういう語りかけである。
ヤコブとつながりを持って下さった神様とは、このようなお方である。神様とつながりを持つと言っても、極めて重要なのは、その神様というお方がどのような存在かということだ。つながりを持つのが恐ろしいような「触らぬ神に祟りなし」といわれるような、そういう神ではない。
さて、11月4日に、茨城地区の社会部の集会があった。私が責任者をしていることから、私の希望で、講師には、私が役員をしている団体のスタッフ3人にお願いをした。この方々は、日本国際飢餓対策機構という団体で、長く総主事をしておられた。今はそこを離れて「声なき者の友の輪」という団体を立ち上げ、3年が経つ。郡山にいたときに、国連が定めた世界食料デーの集会を、ずっと日本国際飢餓対策機構におられた彼らに、お世話になっていた。それ以来の付き合いである。毎回、お話を聞くたびに、福音とはこういうものだと、思いを新たにさせられる。今の団体の主宰者であり、また、日本国際飢餓対策機構の総主事でもあった神田英輔氏(牧師でもある)が、エチオピアのアメヤ村に行かれたときのこと。その村は、村全体がイスラム教の信者だった。干ばつで苦しむ村人に、神田先生はいろんな働きかけをしたが、「無駄だ」といわれた。それはなぜかとたずねると彼らは「自分たちは神様に呪われているのだから」と答えるのだそうだ。「だから、干ばつが起こり、雨は降らないのだ。何をしても無駄だ。」というのだそうだ。なぜ神様が呪うのかということはわからないが、恐らくはイスラムの神様が求め望むようなことをしていないから、ということであろう。そういう村人に、神田先生はゆっくりと「そうじゃないんだよ。神様は私たちを愛し、良いものを下さろうとするお方なんだ」と語りかけ、灌漑用水を引いたり、種を植えたりすることを助けた。そうやって今や、この村全体がクリスチャンの村になり、その数は驚くべきものだったという。
スタッフの一人の柳沢氏は、イスラム教徒からキリスト教徒の牧師になったというある方に、いつも発破をかけられていたとのことだ。「クリスチャンは、自分たちの信じている神様を、そして福音の素晴らしさを、もっと宣伝しなければいけないよ」と。「イスラム教の信仰では、神様と人間の間には、恐れと恐怖と威嚇がある。しかし、キリスト教に於いてはそうではない。そこが一番の大切なところだ」と。
5.最後に、ヤコブが夢のなかで神様と出会い、福音を聞いたということが、どのような効力を彼の現実生活に及ぼしたかという点を見よう。まず、彼は「主がこの場所におられるのに、私は知らなかった。ここは神の家だ。天の門だ」と言ったとある。福音を聞いたことが彼の実生活に生じさせた変化は、まず、彼の『場所』への認識を激変させることとして現れた。自分のいた場所が、自分が石を枕にして横たわっていた場所が、生き方に破綻をきたして固い石のようになってしまっている場所だということに、ひいてはこの自分の人生が実は神様と繋げられ、神様がそのお姿を現して下さる所だ、ということに気付いた。何ら価値のない、まさに固い石ころのような者であるとの認識から、神様が懸け橋をかけて下さるところの、神秘に満ちた畏れ多い自分であり人生だと気付いた。福音が実生活に生じさせる変化とは、自分が何者であるかの認識の変化であり、また自分が生かされているところの神秘性と奥深さに、目を開かれることなのだ。
先程ご紹介した団体のスタッフからも、こういうことを聞かされた。「たとえば、インドのヒンズー教を信じている人たちの、自分や生かされている場所への認識は、真にひどいものです。前世に犯した罪によって人間以下の存在として生まれさせられているのです。もちろん、人間として生まれているのですが、彼らは『実は人間ではない』と教えられているのです。だから、動物としての扱いです。食器もまったく別々、そういう扱いを当然のように受けるわけです。そういう人々に、福音が伝えられると、まず変わるのは、人間観です。そして、生かされている『場所』への認識です。私たちに対して限りのない善意を持っておられるお方が、懸け橋をかけて私たちを導き、良いものを下さろうとする人生なのです。そのための人生という場所なのです。」
こういう認識をもって、ヤコブは、これからの人生を歩んで行こうとした。20節からの彼の言葉に、その思いが現れている。神様の導きと約束を信じて、力強く歩み出そうとする彼の姿が描かれている。これが福音のもたらした変化なのである。
2013年 11月10日 降臨前第7主日礼拝
02:11さて、ケファがアンティオキアに来たとき、非難すべきところがあったので、わたしは面と向かって反対しました。 02:12なぜなら、ケファは、ヤコブのもとからある人々が来るまでは、異邦人と一緒に食事をしていたのに、彼らがやって来ると、割礼を受けている者たちを恐れてしり込みし、身を引こうとしだしたからです。 02:13そして、ほかのユダヤ人も、ケファと一緒にこのような心にもないことを行い、バルナバさえも彼らの見せかけの行いに引きずり込まれてしまいました。 02:14しかし、わたしは、彼らが福音の真理にのっとってまっすぐ歩いていないのを見たとき、皆の前でケファに向かってこう言いました。 「あなたはユダヤ人でありながら、ユダヤ人らしい生き方をしないで、異邦人のように生活しているのに、どうして異邦人にユダヤ人のように生活することを強要するのですか。」
福島 純雄 牧師
1.もともとはユダヤ人であったクリスチャン(その中心はエルサレム教会だった)と、ユダヤ人ではない異邦人と呼ばれたクリスチャン(その本拠地が今日の御言葉の11節にでてくるアンティオキアの教会)との間には、ある深刻な溝が横たわっていた。イエス様をキリスト(救い主)として信じることにおいては何の違いもないが、イスラエルの人々が先祖伝来、とても大切なものとして守り行ってきた律法の行いや割礼を受けることや安息日を守ることの重要性や意義をどう考えるかという点が大きな溝だった。これを話し合うために、アンティオキア教会の牧師だったパウロとバルナバは、エルサレム教会に行った。激論が戦わされたようだが、結果的には、様々な違いがあったけれども、イエス様をキリストとして信じる教会であることにおいて一致して、お互いの在り方や信仰を強制することのないように、実際上、礼拝や信仰生活を全く一緒にするのは軋轢を生むことになるから、ということで、これは私の言葉ですが「棲み分け」というような懸命な解決をして、2章7・8節に書かれているように、もっぱらユダヤ人への伝道はペトロが、異邦人への伝道はパウロやバルナバが担うという協定を結んだ。
ところが、どういう経緯があったのかはか分からないが、もっぱらユダヤ人への伝道をするべきはずのペトロが、何故か異邦人教会の拠点であったアンティオキアの教会にやってきた。ペトロんは、エルサレム教会にいづらくなったということがあったのかもしれない。とにもかくにも、ペトロがアンティオキア教会にやってきた。そして、エルサレム教会の指導者だったヤコブ(イエス様の兄弟)のもとから、ある人々が来るまでは、何の問題もなく異邦人の人々と食事を共にしていたという。
2.私たちは、ペトロがこのように異邦人の人々と食事を共にしていたという記述を、何気なく読み過ごしてしまうかもしれない。しかし、そもそもユダヤ人であった彼が、異邦人と食事を共にするということは、実は大変なことだった。注解書を読んでも、はっきりとユダヤ人が異邦人と食事そのものを共にしてはいけないという規定はないのではないかと思うが、問題なのは(今日のイスラムの人々は、厳格にそれを守っているわけだが)、食べてはいけないものがあることと、食事をするときの清めの儀式である。そういうことがあって、現実的には、ユダヤ人が異邦人と食事を共にするというのは大きなタブーがあったわけである。
では、何故ペトロはこれを乗り越えることが出来たのか。たとえば、郷に入っては郷にしたがえという思いから食事を共にしたとか、或いは、自分から、わざわざアンティオキア教会にやって来て迎え入れてもらった側なのだからという思いも勿論あったのではないか。しかし、ユダヤ人が長く守って来たタブーというのは、今日イスラムの人々に見るように、そんな簡単なことで乗り越えられるようなものではないわけである。
では、何によったのかというと、神様からのはっきりとした強いお示しがあったからなのである。そのことが、使徒言行録の10章に書かれている。あるときペトロは、幻を見た。それは、ユダヤ人が決して食べてはいけないとされていた食材が入ったカゴが天から吊り降ろされてきて、それを食べなさいとの天の声が聞こえたというものだった。ペトロは固くこれを拒むが、「神が清めたものを、清くないなどとあなたは言ってはならない」との声が聞こえた。こういうやり取りが3度繰り返され、ペトロは、一体これはどういうことなのかと、途方に暮れていた。丁度その時に、異邦人のコルネリウス(彼もまた、ペトロのもとに使いを送れとの幻を見せられていた)から、自分の家に来てほしいとの招きを受けた。ペトロは自分の見た幻の意味に、ここで初めて合点がいって、ためらうことなく異邦人コルネリウスの家に招かれ、食事を共にし、福音を語ってコルネリウスは洗礼を授けた。このことは、エルサレム教会に報告された。ペトロが、エルサレム教会にいづらくなったという事情は、このあたりにあるのかと想像する。このことが契機になって、ペトロはその伝道の対象を異邦人へと向けるようになったのではないだろうか。
私は、この御言葉を読むたびに神様が、清いもの善いもの、私たちにとってそれを食べることが必要なものとして、天から与えて下さっているものを、しばしば私たちは「清くない、私たちの食べ物としてふさわしくない」と言って、拒んでしまっているということがあるのではないかと強く思わされる。ここで天から吊り下げられたガゴというのは、イエス様という存在を象徴的に表していると感る。イエス様というカゴのなかに置かれるとき、私たちにとっては、通常は悪いものであっても、善くないものであっても、善いもの、食べるにふさわしいものへと変えられる。イエス様という存在のなかに含まれることで、私たちは清いものとされる。
は受け取ることができるようになった。エルサレム教会の指導者の一人、ユダヤ人クリスチャンの代表とも言うべき人が、確信を以って異邦人と交わることができるようになった。
3.ところが、エルサレム教会やヤコブのもとから、ある人々がやってくると、異邦人と食事を共にしていたペトロやバルナバが、これはあくまでパウロの語ることだが、ペトロたちは「割礼を受けている者どもを恐れてしり込みし、身を引こうとした」と言った。「心にもないことを行い、見せかけの行いに引きずり込まれた」と。まことに厳しい批判である。これを見て、異邦人信者は、きっと感じたことだろう。やはり、自分たちとユダヤ人クリスチャンとの間には溝があるのだと。一緒に食事をできないタブーがあるのだと。コルネリオのことは、皆が知っているわけだから、そこで神様が示されたことはどうなってしまったのかとの不振も生じたことだろう。
注解書を読むと、ペトロに同情すべき事情もあったのではないかと考える人もいるようだ。ペトロはイエス様の直弟子中の直弟子であった。ヤコブに中心的な立場が移りつつあるとは言っても、なお彼の言動の影響力は大きかった。そういうペトロが、何のタブーもなく、異邦人と食事と共にし、洗礼を授けているということは、エルサレム教会のなかの、律法を大事にしたいと考えている人々に大きなショックを与えたことだろう。2章1~10節までに書かれていた、やっと作り上げられた微妙なバランスが崩れて、エルサレム教会のなかに再び大きな議論を巻き起こしたとも考えられる。ヤコブは、こうしたことを考えて欲しいと、配慮して欲しいと、ペトロやバルナバに願ったのかもしれない。彼らは、これ以上エルサレム教会の争いが大きくなることを配慮して、異邦人との食事を自粛しようとしたのかもしれない。ただ誰かを恐れてしり込みしたからではなく、彼らなりの牧会的配慮から、そうした行動になったかもしれないのである。
しかし、パウロには、それは許すことのできないことだった。何よりもそれは「福音の真理にのっとって、まっすぐに歩いていない」ということだった。それゆえに、彼らのしたことは異邦人の人々に、ユダヤ人のように生活することを「強要」する結果となった。異邦人に強要しただけではなく、ペトロやバルナバ自身が、自分に対して心にもないこと、見せかけのこと(原文の意味では、仮面をかぶる、偽善をするとの言葉)を強要することにもなったのである。2章4節にあったように、パウロが何よりも大切にしていたのは、「キリスト・イエスによって得ている自由」だった。ペトロたちのしたことは、これを異邦人からも自分たちからも奪う結果となった。これが、パウロのこれほどまでに強い批判の理由なのであった。
4.「福音の真理」とは何かということを改めて考えさせられる。福音とは、私たちが神様と天と地ほどにかけ離れているにもかかわらず、神様からお招きを受け、結びつけていただき、その善きものをいただく立場とされることである。15節以下の御言葉で「義とされる」ということがそれに当たる。そして、神様は私たちを招き、ご自分と結びつけ、善いものを私たちに下さることについて、私たちに、イエス様をキリストとして信じることを求められ、もっと突き詰めれば、イエスというお方に私たちが出会い、この方と深い人格的なつながりを結ぶこと以外の何物をも、お求めにはならない。これが「福音の真理」である。
神様は、私たちがイエス様と人格的につながることさえ、決して強要なさらない。イエス様を人としてこの世に生まれさせ、十字架の上で殺されるようなお姿を取らせた。十字架の上で殺されるようなお方がキリストであるとは、私たちにとっては躓きであり、愚かしいことである。しかし、神様は敢えて、このような愚かさを、躓きを、私たちを御許にお招きになる手段としてお選びになった。そこには、私たちがその愚かさや躓きを乗り越えて、にもかかわらずイエス様と人格的に出会うことを、ひたすら待とうとされる、私たちの自由で自発的なイエス様との関わりをひたすらじっと待たれようとする、神様のお姿がある。
私たちのイエス様とのつながりには、あやふやで、脆いものが沢山含まれている。ペトロが3度もイエス様を否み、疑い、ガリラヤに帰ってしまったように、私たちのイエス様への関わりのなかにも、そのようなものがある。しかし、神様は、それを含んだ私たちのイエス様への人格的な結びつきを、善しとしてくださる。これこそが、律法の行いや割礼と決定的に違う部分なのだと私は思う。律法の行いや割礼を受けることは、私たちを「行うか行わないか、するかしないか」の外に現われる私たちをそこに於いて強制する白か黒かの強要のなかに置く。しかし、イエス様と人格的につながっているのかどうか、それは外には見えない。誰の目にも見えない。私たち自身にも、時にあやふやで脆いものである。けれども、イエス様が私たちをしっかりと捉えていて下さるのである。ペトロたちを、復活のイエス様があのように捉えていて下さったように。
神様が私たちとつながろうとして、このようにイエス様との結び付き以外の何物もお求めにならないということが、私たちに限りのない自由をもたらす。それは律法の行いや割礼を受けることのように、外に現れるものではない。誰の目にも見えない、深いところでの人格的なイエス様とのつながりである。そのつながりについて、神様が私たちを招いて下さることについて、私たちは、もはや誰からもとやかく言われる筋合いはないのである。何ものも、他人から強要されることはない。心にもない見せかけの仮面を自分にかぶらせる必要もない。神様がお求めにならないのだから、どうして他人が強要することができようか。また、自分自身に強要する必要があろうか。
パウロがこれほどまでに、ペトロをなじり批判したのは、たとえそこに牧会的な配慮があったとしても、それが福音の真理、それに基づく自由を侵害する故であった。牧会的な配慮からであったとしても、ペトロやバルナバのしたことは、結果的に、異邦人や自分たちに、神様のお求めにならなかったものを強要することになった。ペトロというイエス様の直弟子と食事を共にするためには、ユダヤ人のようになることがやはり必要なのかという思いを抱かせた。復活したイエス様が、3度も、ご自分を否み、逃げてしまったペトロに現れ、食事を共にして下さったということは、何処に行ってしまったのだろうか。イエス様がそのようなペトロと食事をすることにおいて、どんなタブーがあり得たのだろうか。
教会という交わりのなかでは、福音の真理にのっとって生きることが、何よりも重要視される。福音の真理から生じる自由こそが大切なものである。これを損なうような強制を、たとえ誰であっても課することはできない。それがなされたときには、たとえ教会の指導者であるペトロでも(今日、ローマ・カトリック教会の指導者であるローマ法王は、このペトロの後継者とされている)皆の面前でなじられ、非難され得る。悲しいことに、教会の歴史においては、全く逆のことが多々行われてきた。福音の真理にのっとってという以外の強制がまかり通り、神様がお求めにはならない強要が課されてきた。けれども、教会の根源にはこうした原理原則が、神様・イエス様からのルールとして存在していることを、今日の御言葉から教えられる。
2013年 11月3日 降臨前第8主日礼拝
34:01モーセはモアブの平野からネボ山、すなわちエリコの向かいにあるピスガの山頂に登った。 主はモーセに、すべての土地が見渡せるようにされた。 ギレアドからダンまで、 34:02ナフタリの全土、エフライムとマナセの領土、西の海に至るユダの全土、 34:03ネゲブおよびなつめやしの茂る町エリコの谷からツォアルまでである。 34:04主はモーセに言われた。 「これがあなたの子孫に与えるとわたしがアブラハム、イサク、ヤコブに誓った土地である。 わたしはあなたがそれを自分の目で見るようにした。 あなたはしかし、そこに渡って行くことはできない。」 34:05主の僕モーセは、主の命令によってモアブの地で死んだ。 34:06主は、モーセをベト・ペオルの近くのモアブの地にある谷に葬られたが、今日に至るまで、だれも彼が葬られた場所を知らない。 34:07モーセは死んだとき百二十歳であったが、目はかすまず、活力もうせてはいなかった。 34:08イスラエルの人々はモアブの平野で三十日の間、モーセを悼んで泣き、モーセのために喪に服して、その期間は終わった。 34:09ヌンの子ヨシュアは知恵の霊に満ちていた。 モーセが彼の上に手を置いたからである。 イスラエルの人々は彼に聞き従い、主がモーセに命じられたとおり行った。
福島 純雄 牧師
1.今日の召天者記念礼拝に、モーセという人の最期の様子を記した御言葉を読もうと思ったのには、きっかけがある。3週に一度の割合で耳を傾けているルカ福音書の9章に、このモーセという人が登場したからである。イエス様が祈るために山に登られた場面があった。そこに、不思議なことであるが、すでに何千年も前に死んでいるモーセが ― もう一人、同じくすでに遥か昔に故人となっているエリヤという人も ― 現れて、イエス様の遂げようとする『最期』について語り合っていたという。語り合っていたのは、ただイエス様の最期だけではなく、モーセやエリヤの最期のことでもあったであろうと私は思う。そのときに、モーセの最期を記した申命記の御言葉を取り上げたのだが、ごくあっさりと触れただけであったので、今日は、召天者のご遺族の皆さんと共に、この聖書箇所を深く味わおうと思う。
ルカ福音書のその場面を読んで、強く心に残ることがあった。それは、最期を語り合っていた3人が、不思議に輝いていたという点である。神様が与えて下さった輝きに包まれていた。『最期』を語るということは、私たちにとっては、縁起が悪いことであり、忌みはばかられることである。ましてや『最期』を迎えることは、ただただ辛く悲しいことでしかない。皆さんのご記憶の中にある召天者の方々の最期も、輝きなどとは正反対のものであったろう。ところが、最期を語ることこそが3人を輝かせていたという。語ることが、そのように輝かせることだとすれば、ましてや最期を生きるということは、どれほど私たちを輝かせることだろうか。私たちの目には見えないが、そういう時なのではないだろうか。
モーセは、イエス様に現れて、いま言ったようなことを語り伝えたのではないかと思う。今日の御言葉を通して、モーセは、また私たちにも現れて、『最期』のもつ深い意義について教えてくれるのではないだろうか。
2.さて、この申命記の御言葉を、書かれている言葉のうわべだけから理解すると、モーセの死は、ただ辛い非業の最期のようにしか思えないのではないか。神様は、あたかも意地悪をされるかのように、そこに入れないことの辛さを彼に強く味わわせる為であるかのように、彼がこれまで40年間ひたすらそこに入ることを目指して苦心惨憺してきたところの約束の地を、わざわざ見渡せるような場所に彼を立たせたかのように読める。彼はイスラエルの人々がその葬られた場所もわからないような形で、人知れず天に召され、そのとき彼はまだ目もかすまず、活力も失せていなかったとある。文字だけを読むと、ただただ非業の死であり、突然の死のように感じる。志半ばにしての、いや半ばどころか目的の地を目の前にしての、あと少しでゴールというところでの死であったように読めるのである。
しかし、この死から何千年か経って、モーセがイエス様のもとに現れて語った自らの死とは、このような性格のものだったのだろうか。モーセがイエス様に語った死の意義とは、ただただ非業の死であり、突然の別れであったのだろうか。モーセの死には、そのような意味しかなかったのだろうか。何の輝きもないものだったろうか。今日の御言葉を読めば読むほど、そうではなかったと私は感じさせられるのである。
3.神様は果たしてどのような意図をもって、モーセに約束の地全体を見渡すようにされたのだろうか。まず、そもそも、これは現実のことであったのか、彼が肉体の目をもって普通にネボ山・ピスガの山頂に登ってみたということなのだろうか。私はそうではなく、最期に臨んだ彼が、言わば、臨死体験のように、ある幻のようなものをもって、神様が与えようとされる約束の地の全貌を見せられたのだと思う。だから、その約束の土地とは、決して文字通りの「土地」ではないのだと強く感じる。
これまでも、創世記の学びのなかで、しばしば、神様がアブラハムやイサクやヤコブに与えると誓った土地というのは、― 今日、イスラエルの人々は文字通りの土地であると理解しているけれども、 ― それを取得し支配し、そこに住むことによって人々を争わせたり、戦わせたり、いがみ合わせたりするような土地ではなくて ― どうして天におられる神様が、私たちにそのような土地を約束のものとして与えられることがあろうか ― それとは正反対の状態を、私たちに与えるものだと思うのである。それはまさしく、私たちが主の祈りのなかで「御国がきますように」と祈っている「土地」なのである。それは物質的なものではなく、私たちと神様とが深い深いつながりのなかに置かれていることから来る、全き平安や信頼に満ちた状態である。モーセは、最期の時にあたって、幻のなかでこのような意味での約束の地を、はじめて見せていただいたのではあるまいか。
それまで彼は40年の間、ひたすら目に見える土地ばかりを目指してきた。ゆえに、時には既にそこに住んでいた人々を皆殺しにせよというような残酷な言葉を、「神の言葉」として人々に語って来てしまった。今や、それがどれほどの間違いであったか、どれほど間違った「約束の地」を目指したが故の誤りであったのかも知らされたと思う。私たちは、最期の時にあたってはじめて、それまで目指し求めてきた事柄の過ち、狭さ、小ささを知らされるのではあるまいか。
だからこその「あなたはそこに渡って行くことができない」との御言葉なのだと思う。これまでと同じ歩みで、これまでと同じ「足」を持って、モーセは、この新しい約束の地に入っていくことはできなかったのである。そのためには、新しい足を与えて頂かなければならなかった。モーセと神様との初めての出会い、そのときに最初に神様が彼に言われた言葉は「ここに近づいてはならない。足から履物を脱げ」との御言葉であった(出エジプト3章5節)。彼は、履物を脱ぐばかりではなく、足そのものを新しくしなければならなかった。新しい足を頂いて、新しい聖なる場所に向かって行かねばならなかった。そういう意味を持つのが、この死の出来事なのである。『最期』とはやはり始まりである。新しい目標を目指しての、新たな足を与えられての旅立ちである。そのような輝きをもっている時なのである。
4.モーセは、このように、たとえ肉体としては死ぬのであるが、約束の地を目指す者として、今や新しいスタートを切った者として、決して死んではいなかったのである。そういうことから、6節にある「今日に至るまでだれも彼の葬られた場所を知らない」との御言葉を理解したいと思う。
注解書には「ベト・ベオルの近くのモアブの地にある谷に葬られた」とまで書かれているのだから、実際にその埋葬の場所が分からなかったはずはないだろうと言う。遺体が死者崇拝になることを避けるために、わざわざこのようなことが書かれたのだと理解する。定かなことはわからない。今日の説教題には「葬られた場所を知らない」と掲げさせていただいたが、本当に意味深く象徴的な言葉だと思う。
この言葉が告げようとしているのは、モーセの葬りの場所を知る必要はないし、むしろ、それは残された人々には有害でもあるのだというメッセージだと示される。葬りの場所を知ることは、残された人々がモーセという人の存在を「葬られたもの」、つまり、そこに埋められ死んでしまった存在としてのみ理解することを意味している。その死は非業の死であり、突然のものであった。そういう死を遂げた者のみとして、残された人々はモーセを墓のなかに閉じ込めてしまう。しかし、モーセは、そのような存在ではないのである。新しい目的地に向かって新たな歩みを始めた者として生きているのである。進んでいるのである。もはや葬られた場所や、時点の一点にはいないのである。
これは、イエス様の復活の出来事で、女性たちや、天使たちや、復活のイエス様が言われていることと同じである。マグダラのマリヤは「私にしがみつくのはやめなさい」との言葉をかけられた。天使たちは、墓のなかで泣いている女性たちに「なぜ生きておられる方を墓のなかに捜すのか。あの方はもうここにはいない」と言われた。モーセもまた、新たに生きて、墓の中にはいないのである。歩み始めているのである。
このようなことを、皆さんも、今日語りかけられているのである。皆さんは、もちろん召天者の葬られた場所を知る者である。しかし、そうであるがゆえに、皆さんの死者への思いは、まさにこのようなものではあるまいか。けれども、本当に深い意味で、私たち地上に残された者たちは、「その葬られた場所を知らない」者なのである。どこに葬られたのか、その死がどのようなものであったのか、その根源的な有り様を、私たちは知らないのである。そのことをよくよく味わいたいのである。
5.最後に、9節の御言葉に触れたい。モーセはその死によってこそ、後継者であるヨシュアに「知恵の霊」を授けたという。直接的に彼がその手(肉体の)を置くことによって授けることのできた知恵の霊というのは、彼の様々な限界をも含んだものであったろう。しかし、その知恵の霊は、その後のモーセの新しい歩みとともに、言わば、更新されていく。どんどん新しい知恵に置き換えられていく。そのような更新された知恵の霊をもって、彼は何千年後かにイエス様のところにも現れて、『最期』について深く教えることができるのである。
皆さんにとっても、召天された方々とは、そのような存在なのである。召天者を天に持つとは、そういうことなのである。召天者は皆さんに知恵の霊を注いでくれている筈である。どのような知恵であるかということは、とくに4節までの御言葉を通して教えられた。目に見える地上の土地、それを獲得しようとして私たちを争わせる、そのような目標をのみ目指してはいけないという知恵である。また、私たちは、たとえ地上の生涯を終えても、神様の見せて下さる約束の地を目指して生き続け、歩み続ける存在なのだという知恵である。
『最期』とは、以上のような深い意味を持っている出来事であることを教えられる。
2013年 10月27日 聖霊降臨節第24主日礼拝
弟子たちの間で、自分たちのうちだれがいちばん偉いかという議論が起きた。 09:47イエスは彼らの心の内を見抜き、一人の子供の手を取り、御自分のそばに立たせて、 09:48言われた。 「わたしの名のためにこの子供を受け入れる者は、わたしを受け入れるのである。 わたしを受け入れる者は、わたしをお遣わしになった方を受け入れるのである。 あなたがた皆の中で最も小さい者こそ、最も偉い者である。」
福島 純雄 牧師
1.今日の御言葉は、44節でイエス様が二度目の受難予告をさることから始まっているが、山上の出来事は、最初の受難予告をイエス様がされてから、8日ほど後のものであった。弟子たちは、イエス様から初めて受難の予告を聞いて - ルカ福音書には何も記されていないが、同じ場面を記した他の福音書から言うと - 弟子たちに大きなショックや失望が生じたのである。イエス様は、それをご覧になって、イエス様にも何らかの躊躇いや葛藤が全くなかったとは言えないと思う。だから、8日目に山に登り祈る必要にかられたのだろう。山とは、つまり神様の御許での世界を意味している。神様の懐で、さらに深くご自分の受難の意味を知りたいとイエス様は切に願われた。これに神様が答えて下さったのが、山上の変貌の出来事である。
山上の変貌の出来事が私たちに告げるメッセージの核心は、山の上、つまり神様の懐における世界と、山の下、つまり私たち人間の世界との間には、何か重大な逆転のようなものがあるということなのだと思う。そういうこととして、今日の48節で言われている「あなたがたのなかで最も小さい者こそ最も大きい」というイエス様のお言葉を理解することができる。この世のなかで最も小さくされた状態、それが、しかし、山の上では最も大きいという。神様の懐で大きいことは、逆に人間の世界では小さく価値のないこととして扱われる。「偉い」と訳されている言葉は、もともとは「大きい」という意味である。神様の世界と人間の世界とでは、何が大きいか何が大事かということについて逆転がある。それをイエス様は、山上の変貌のなかで神様から教えられ、それを弟子たちにお語りになった。
その逆転が具体的に語られているのは、不思議にも、イエス様に現れたモーセとエリヤとが、他のどんなことでもなく「イエス様の最期について」つまりご受難について語り合っていたということと、それを語り合うことが、彼らをして不思議にも輝かせていたということである。彼らが語り合っていたのは、ただイエス様の最期だけではなく、モーセやエリヤの最期でもあったろう。その最期が、彼らがそういう最期を遂げることだけが果たせた使命があった。その最期によってこそ、残る者に残せたものがあった。そういうことを、二人はイエスに教えた。これを聞くことで、イエス様は、ご自分の受難に深い意義があることをさらに悟られたであろう。最期を語るということこそが、山の上では大きなことなのであった。それを語ること、ひいては最期を生きることが不思議に輝かすことなのである。地上ではどうか。最期を語るのは忌み憚られることである。最期には何の輝きも栄光もない。人生で最も小さくされた時である。しかし、山上ではそうではない。全く正反対なのである。イエス様が山上で教えられたことは、このようなことであり、これを弟子たちに教えられたに違いない。
2.興味深いのは、山上の変貌の出来事の後半のところである。この3人の不思議な輝きを見て、ペテロは「私たちがここにいるのは素晴らしいことです」と叫んで、小屋を三つ建てようと言った。ところがこう言うや否や、雲が現れて3人を覆い隠した。後に残ったのは「これに聞け」との声と、もはや何の輝きもないお姿で、ポツンと一人たっておられるイエス様だけなのであった。こうして、37節にあるように、一同は山を下りてきた。以下に記されているのは、山の下の世界のことである。山上とは対照的な人間の世界の有り様である。
ペテロが望んでいたのは、山の上に小屋を建てて、自分の垣間見た素晴らしい輝きを、この世の世界のなかで何時までも見られるようなものにしたいということであった。けれども、それはできないというのが、雲に覆われたとの在り様の意味するところであった。ペテロにしても私たちにしても、生きているのは山の下の世界である。その世界の中で、山上の世界の素晴らしさを、いつでも見られるようなものにすることはできない。私たちは、山の下の世界において、山上の素晴らしさを見ることのできない者として、それは隠されている者として生きざるを得ない。そうであるが故に、山の下の人間の世界のなかで、山の上とは逆転してしまっている「大きさ」を求めざるを得ない者なのである。そこに、私達の苦悩があり悩みがある。そういう在り様の象徴が、37節以下に書かれている一同が山を下りて最初に直面する悪霊に取り憑かれた子供なのである。
その子供は、本来、46節以下にあるように、山の上の「大きさ」を実現している存在である筈である。ところが、この子は悪霊に憑かれていたのである。そうさせていたのは、多分この一人息子の親であったであろうし、周りの大人たちなのであっただろう。彼らが、この世で求め、また一人息子に課しているところの、この世のなかでの大きさを求める思いが、この子供をして悪霊に取る憑かせた。それは、46節で描かれている弟子たちにしても同じである。誰が一番偉いのかの争いとして描かれているが、根本は偉さではなく「大きさ」を巡っての争いである。「自分たちのうちで」、つまりは人の世界、人間同士の競い合いのなかでの数的・量的な大きさを求めることを幸いの尺度とすることは、いや、偉さだけではない。私たちが求めるのは、もはや偉さなどではなく、「最期」つまり死の時と出来るだけ遠く離れているところの、人生の日々の多さ、長さなのであり、死と遠いところにあるものとしての生命の大きさ・強さである。この世のなかで小さくされること、弱くされること、価値のないものとされることとは正反対の「大きさ」なのである。
しかし、それを求めれば求めるほど、それは神様が私たちに与えようとする、山上の「大きさ」とは乖離することとなる。神様が私たちに与えようとする大きさとは、「最期」を語り最期を生きるところにある。私たち一人ひとりが、否が応でも、山に向かわざるを得ない。そうして、私たちが求める「大きさ」は少なくなっていく。必然的に、私たちはこの世のなかで「小さな者」とされる。その歩みのなかに、神様は大きさを与えようとされておられるのである。そこにこそ、輝きがあると言っておられるのである。それなのに、いつまでも何処までも、私たちが山の下で「最期」から遠ざかろうとする大きさを求めるのでは、そこに悪霊が取り憑くだろう。魂の病が生じるだろう。
3.それゆえにこそ、イエス様は再度「人の子は人々の手に引き渡されようとしている」と受難の予告をされたのである。何のための受難なのか、それは山の下で、山の上の輝きを隠されてしまっている者として生きざるを得なくなっている私たちに、言わば、山上と平地の『懸け橋』をかけるべく、イエス様はそもそも人となられたのだし、こうして受難されたのである。イエス様は山上と平地とを行き来するお方であった。地上に生きる私たちに、神が与える大きさとは何かを、身を以って教え示してくださるお方なのである。神様の独り子が、ただの「人の子」となって、私たちが最も忌み嫌う状態である「人々の手に渡される」ところを生きて下さったのである。そこを「山」として下さる。そこを輝きに満ちた場所として下さる。このお方を通して、私たちには隠されてしまっているところの山上の世界を垣間見るのである。
残念ながら、45節にあるように、このイエス様の言葉は、弟子たちにはわからないのであった。理解できないように隠されていると御言葉は言う。そうして、46節に、地上的な大きさを求めて争う弟子たちの姿が書かれている。こうした弟子たちの姿を見ると、イエス様が受難の予告をされたのは全く以って無駄だったのか、空しいことだったのか、と感じる人がいるかも知れない。しかし、イエス様は、こうした弟子たちの姿に少しもがっかりされておられなかった。聖書の書き方も、あたかもそれは当然の如き書き方である。いま彼らに、このイエス様の言葉が分からないのは当然なのではないか。なぜかと言うと、彼らは少しも、このイエス様のお言葉を、またお姿を、切実に必要なものとはしていないから。けれども、イエス様のお姿を、このお言葉を、無くてならぬ懸け橋として、自分たちを山上に招く懸け橋として不可欠に思う時がやってくる。それは、弟子たちが、また私たちが、山の下の世界で「最も小さくされた」ときである。最期の時を迎えつつある時である。その時には、もう私たちにはいままで求めてきた「大きさ」は何の意味もなくなる。山上に用意されている輝きを求めはじめる。そのような時がいつか必ずやってくるのだから、それまでは、わからずとも良い。わからないけれども、不思議にも、弟子たちはイエス様に従って行くことができるのである。わからないけれども、本当にぼんやりとではあるけれども、イエス様を通して山上の世界を垣間見て歩みなさい、それで良いのだ、と語りかけられる。
4.最後に、イエス様が弟子たちのために見せて下さった励ましの徴として「幼子」があるということをお話したい。幼子とは、突き詰めてどういう存在か。それは、「最も小さい者」なのではないか。言わば、山の上に置かれている存在なのである。「最期」のなかに置かれている者としての象徴なのである。もちろん生きてはいる。この世の存在ではある。しかし、その生命というのは、まことに脆弱であり、あっと言う間に最期を迎え、この世にはあるが、しかし、同時に山の上にも居場所がある。山の上と平地とを行き来している、そういう存在なのではあるまいか。幼子の輝きとは、そのような輝きなのかもしれない。
私たちは、だれしもがそういう幼子の時を通ってきたのだ。そのときを生きることを何故か悩むこともなく、無邪気に喜んで生きて来ることができたのだ。神様は特別に私たち人間を、他のどんな行き物よりも、そういう幼子を長く生きる者としてお造りになった。そうであるならば、あなたがたは、また本当の意味での、最後の時も、そうやって生きることができるだろう。ただし、そこで絶対的に不可欠な存在がある。私たちが幼子のときを生きることができたのは、そういう私たちを庇護してくれた両親の存在である。そうであるならば、文字通りの最期を生きるときにも、あなたを庇護してくれる存在が不可欠だ。そういう存在としてのイエス様がおられ、神様がおられるのである。
2013年 10月20日 聖霊降臨節第23主日礼拝
27:41エサウは、父がヤコブを祝福したことを根に持って、ヤコブを憎むようになった。 そして、心の中で言った。 「父の喪の日も遠くない。そのときがきたら、必ず弟のヤコブを殺してやる。」 27:42ところが、上の息子エサウのこの言葉が母リベカの耳に入った。 彼女は人をやって、下の息子のヤコブを呼び寄せて言った。 「大変です。エサウ兄さんがお前を殺して恨みを晴らそうとしています。 27:43わたしの子よ。今、わたしの言うことをよく聞き、急いでハランに、わたしの兄ラバンの所へ逃げて行きなさい。 27:44そして、お兄さんの怒りが治まるまで、しばらく伯父さんの所に置いてもらいなさい。 27:45そのうちに、お兄さんの憤りも治まり、お前のしたことを忘れてくれるだろうから、そのときには人をやってお前を呼び戻します。 一日のうちにお前たち二人を失うことなど、どうしてできましょう。」 27:46リベカはイサクに言った。 「わたしは、ヘト人の娘たちのことで、生きているのが嫌になりました。 もしヤコブまでも、この土地の娘の中からあんなヘト人の娘をめとったら、わたしは生きているかいがありません。」 28:01イサクはヤコブを呼び寄せて祝福して、命じた。 「お前はカナンの娘の中から妻を迎えてはいけない。 28:02ここをたって、パダン・アラムのベトエルおじいさんの家に行き、そこでラバン伯父さんの娘の中から結婚相手を見つけなさい。 28:03どうか、全能の神がお前を祝福して繁栄させ、お前を増やして多くの民の群れとしてくださるように。 28:04どうか、アブラハムの祝福がお前とその子孫に及び、神がアブラハムに与えられた土地、お前が寄留しているこの土地を受け継ぐことができるように。」 28:05ヤコブはイサクに送り出されて、パダン・アラムのラバンの所へ旅立った。 ラバンはアラム人ベトエルの息子で、ヤコブとエサウの母リベカの兄であった。
福島 純雄 牧師
1.創世記の説教においては、ブルックマンの注解書を必ず参考にさせていただく。ブルックマン先生は、つぎのように語っておられる。「ヤコブについての物語は、創世記において、最も俗悪で、最も嫌悪感をもよおす・・・もし人が、通俗的な宗教的、道徳的感覚をもって、この物語に接するとすれば、この物語は不快なものでしかない(W.ブルックマン著「創世記」(現代聖書注解)教団出版 350頁)」。27章の御言葉に引き続き、この箇所も、まさしくそのような思いを私たちに抱かせる。
27章は、妻リベカの姿であった。彼女の夫イサクは、このずっと後に死を迎えるのではあるが、描かれている様子から言えば、死期が近いことをうかがわせる時を迎えていた。イサクは、目がかすみ、見えなくなってしまっていた。リベカは、そのイサクを騙し、息子ヤコブをそそのかして、ヤコブの双子の長男エサウに跡を継がせようとしていた。リベカの夫イサクは『祝福』を奪い取らせてしまった。イサクは、父から受け継いだ大切な『祝福』を、好物の肉料理を作ってくれることとの交換条件に、息子に受け継がせようとした。いとも容易く妻の企みに騙されてしまう愚かな夫として描かれていた。
さらに深刻で、やりきれない有り様が描かれている。エサウはヤコブを憎むようになり、その憎しみは「父の喪の日も遠くない。そのときがきたら、必ず弟のヤコブを殺してやる」と言わしめる所までに至った。これを聞いた母リベカは、何とかして、この最悪の事態を避けようと、ヤコブを自分の故郷であるハランに逃れさせ、兄ラバンのもとに避難させようとした。彼女の企てでは、それは「しばらく、伯父さんのところに置いてもらいなさい」という程度の滞在で済む筈だった。ところが、この別れは、母リベカとヤコブとの今生の別れとなった。創世記では、リベカの最後の様子は、何処にも書かれていないのだが、彼女はヤコブと再び会うことはなかった。
46節は不思議な箇所だが(注解書によると、ここから28章9節までは、それ以前の45節までとは、書かれた年代や著者が大きく異なるとされている)、ここもまた、リベカの企てとして、ヤコブを兄ラバンに託する理由づけを作り出そうとしている箇所として理解することができる。エサウがめとった妻たちについて、これ見よがしにリベカは嘆くのだった(その具体的な理由は分からないが)。それを聞いて、イサクは、ヤコブを妻の兄に託して、そこからヤコブの妻を迎えさせようと考えた。それは、かつてイサクの父アブラハムが息子イサクの妻を故郷から迎えようとしたのと同じである。45節までの物語が、あまりにもやりきれないものであったがゆえに、後代の読者たちが、このような受け止め方をして、それを46節以下に付加したのかもしれない。45節までのところで書かれているのは、ヤコブが、母の兄ラバンのもとに行ったのは、兄の憎しみを避けるための家出であり、逃亡なのだということである。こうして、家族はばらばらになり、母と息子は生き別れとなった。しかし、これを46節以下では、家出や逃亡ではなく、両親がヤコブに相応しい妻を見つけさせるための祝福された旅立ち(28章5節)として描かれている。
こんなところにも、最初に紹介したように、この物語が読者にとって嫌悪感を抱かせるものであったことが、滲み出ているのではあるまいか。私たちは、この物語から、どのような神様からの語りかけを聞くことができるのであろうか。
2.聖書が、このような嫌悪感を抱かせるような物語を、包み隠すことなく、それも、アブラハムの息子・孫たちの家族の有り様として、- 41節に「父がヤコブを祝福したことに根を持って」とあるが - アブラハムからの「祝福」を受け継いだ家族の有り様として、神様によって特別に選ばれ祝されている家族の姿として描いているところに、わたしは大きな慰めを与えられるのである。もし、私たち信仰者である家族に、このような事態が生じたら、私たちはこれを隠してしまうのではないだろうか。信仰者である家庭にはこんなことは起きてはならないものとして、恥ずかしさや罪を感じてしまうのではないだろうか。ところが、聖書は包み隠すことをせず、登場人物の誰をも非難しないのである。何故なのだろうか。
改めて、このイサクとリベカという夫婦が、どのように誕生したかを振り返ってみたい。父アブラハムが、その切なる願いとして抱いていたのが、息子イサクに、何よりも神様を信じる信仰を受け継いで欲しいということであった。それを叶えていただくため、アブラハムは、信頼するしもべを故郷に送って(それはおそらく信仰を同じくするということであろう)、同族の中から、イサクの妻を捜してくるように厳命した。しもべは、どのようにして主人の願いを叶えたらいいか、一計を案じ、神に祈った。それは、まず、故郷の町の井戸に行き、そこで見知らぬよそ者の自分に、さらに自分だけではなく、連れているラクダにも喜んで水を汲んで飲ませてくれる娘がいたら、その娘をイサクの妻となるべき女性であるとさせて下さいとの祈りだった。神様は、この祈りに応え、まさしく願ったとおりの出会いをさせて下さったのである。こうして、イサクはリベカと結婚した。だから、この夫婦は、神様の導きによって生み出された夫婦なのであった。奇跡によって誕生した家族なのであった。しかし、このように誕生した夫婦に、次から次へと試練が襲いかかって来るのであった。夫婦には、20年間、子供が与えられなかった。イサクは妻のために祈り続けた。この祈りが聞きいれられて、リベカに子が宿った。しかし、胎内で、何か善からぬことが起きていることを感じたリベカが神様に尋ね求めると、生まれる子供は双子で、兄が弟に仕えるとのお告げを受けたのである。
この家族に起きた一連の出来事は、すべてこの神様のご計画によって生じさせられていたのである。兄が弟に仕えるという受け入れることのできない逆転が、この家族のうえに起こりつつあったが故に、父イサクは(あたかも、神様の御心に逆らうかのように、神様になり代わって)兄エサウを愛してしまうのであった。母リベカもまた、それに動かされて、父に疎んじられるヤコブを溺愛してしまうのであった。イサクは、自らの思いに反してヤコブを祝福せざるを得ず、これによって兄エサウは、弟ヤコブを殺してやるという程に、憎まざるを得なかった。
根源にあるのは、神様の御心である。そして、その神様のご計画の奥底には、この家族に憎しみや離別を引き起こしてやろうという意地悪な神様の思いではなくして、「祝福」を与えようとしたことがあった。神様は、この家族に祝福を与えようとされて、何故か双子の兄が弟に仕えるという御業を実現されようとした。それは簡単には受け入れ難い事柄であればこそ、この家族に葛藤や裂け目や憎しみや別離をもたらすことになった。しかし、それが、この家族を特別な家族として祝そうとされた神様のご計画ゆえのものであった。だから、この物語は、一言も、登場する人物を非難していない。それは、この家族がこうなったのは、突き詰めれば、神様のご計画ゆえだからである。神様の祝福が、この家族に現れるゆえの、避けることのできない有り様なのであった。こういうことが、私たちにもあるのではないだろうか。
3.どのような神様のご計画が、この家族に現れようとしていたのだろうか。こうした憎しみや悲しい別離を通して、どんな祝福が与えられようとしていたのだろうか。
もしかすると、後の時代の人々による付加部分であるかもしれない46節以下の箇所は、彼らが示されたところの、神様のご計画の一端を記すのかもしれない。兄の憎しみに余儀なくされた母リベカが考え出した精一杯の企ては、一方では家出であり逃亡であった。しかし、神様の御心の現れとしては、ヤコブをして、イサクがそうやって妻リベカと目合わせていただいたように、故郷から信仰を同じくする妻を迎えさせるための無くてはならない機会なのではなかったろうか。それは、決して気休めでも、事実の隠ぺいでもなく、確かにイサクによって祝福されるところの(28章1節)晴れがましい旅立ちでもあったのではないだろうか。
既に、26章の最後に書かれていたように、エサウは40歳のときに現地のヘト人のなかから、どういうわけか同じ年に二人の娘を妻として迎えていたのである。一方、ヤコブは依然として独身であった。これは、あくまで私の勝手な想像であるが、結婚できない理由には、彼を溺愛する母リベカとの関係が深くあったのではないかと思うのである。兄のようには、現地の女性を妻とすることができなかった(46節に書かれた母の嘆きがあるから)。かと言って、母のもとを離れて、自分から妻をさがしに行く踏ん切りもつかなかった。言わば、そこには、典型的に子離れができない母がいて、母離れができない息子がいたのである。そこに、神様が、クサビを打ち込んで下さったのではあるまいか。兄からの強い憎しみを前にしては、さすがの母も、ヤコブを手放さざるを得なかったし、ヤコブもまた、家を出るしかなかった。伯父ラバンのもとでの滞在は、母やヤコブの思いとは反して、20年以上の長きにわたり、まことに労苦の多いものとなった。けれども、そこにこそ、ヤコブへの祝福があったのである。母のもとにいたのでは、決して授かることのなかった祝福が、神様から与えられることとなった。
月並みのことわざで言えば「禍副はあざなえる縄のごとし」ということがあるが、私たちに起こる出来事には、このような両面が、つまり一方では家出であり逃亡であるが、しかし他方では、祝福された旅立ちということがあるのではないか。目に見える悲惨さや辛さの奥深くに、それによってのみ私たちに神様が授けられる祝福が秘められているということがある。
4.もう一つ、神様の御心として示された点に触れておきたい。それは、兄が弟に仕えるということに関してである。何故、エサウはヤコブに仕えねばならなかったのか。なぜ、神様はエサウという人物に象徴的に示されている在り方をおとしめ、ヤコブという存在に現れているものを優位に立たされたのか。
46節以下をわざわざ読んでいただいたのは、如何にもエサウ的な生き方がそこに描かれていると感じたからである。彼は現地の娘をめとったことが父母の気に入らないことを知ると、すぐに父イサクの異母兄弟にあたるイシュマエルの娘を3人目の妻としてめとった。3人もの妻をめとることができたところに、いかにもエサウのゆとりと言うか、豊かさを感じさせるのである。彼は自分の思い通りの妻を即座に手に入れることのできるような人間であった。創世記25章27節に記されていた「エサウは巧みな狩人で」との記述どおり、それゆえに狩りの獲物が好きだった父イサクの愛を勝ち取ることができた「狩人」であり、のぞみの妻をいかようにも手に入れることの出来た狩人なのであった。おのれの人生を自分の巧みさによって意のままのものを勝ち取ることのできる人間が、そこにいたのである。それがエサウという『兄』が示している在り方なのであった。
これに対して、ヤコブはどうか。いま以って結婚することもできず、何ものも手に入れることができないまま、唯一「祝福」という、未だ何も形を為していないものだけを与えられて、憎しみに追い立てられて、行き先も見えないまま伯父ラバンのもとに、家出をし、逃亡し、これまでの生活から引き抜かれて、たった一人旅立っていかねばならなかったのである。エサウのように、生まれ故郷に留まったまま、お望みの妻を手に入れることができた者ではなく、己の巧みさによって何ものをも手に入れることができずに、ただ不確かな未来から授かるものだけをより頼むしかなかった。それが、ヤコブという『弟』が示されていた在り方なのであった。
私たちのなかでは、いつでも、エサウ的な在り方と、ヤコブ的なそれとが争っている。争いを引き起こし、葛藤を生ぜざるを得ない。しかし、兄が弟に仕える、弟が兄に勝るということのなかにこそ、神様からの祝福があるのだ。
2013年 10月13日 聖霊降臨節第22主日礼拝
02:01その後十四年たってから、わたしはバルナバと一緒にエルサレムに再び上りました。 その際、テトスも連れて行きました。 02:02エルサレムに上ったのは、啓示によるものでした。 わたしは、自分が異邦人に宣べ伝えている福音について、人々に、とりわけ、おもだった人たちには個人的に話して、自分は無駄に走っているのではないか、あるいは走ったのではないかと意見を求めました。 02:03しかし、わたしと同行したテトスでさえ、ギリシア人であったのに、割礼を受けることを強制されませんでした。 02:04潜り込んで来た偽の兄弟たちがいたのに、強制されなかったのです。 彼らは、わたしたちを奴隷にしようとして、わたしたちがキリスト・イエスによって得ている自由を付けねらい、こっそり入り込んで来たのでした。 02:05福音の真理が、あなたがたのもとにいつもとどまっているように、わたしたちは、片ときもそのような者たちに屈服して譲歩するようなことはしませんでした。 02:06おもだった人たちからも強制されませんでした。 ――この人たちがそもそもどんな人であったにせよ、それは、わたしにはどうでもよいことです。神は人を分け隔てなさいません。 ――実際、そのおもだった人たちは、わたしにどんな義務も負わせませんでした。 02:07それどころか、彼らは、ペトロには割礼を受けた人々に対する福音が任されたように、わたしには割礼を受けていない人々に対する福音が任されていることを知りました。 02:08割礼を受けた人々に対する使徒としての任務のためにペトロに働きかけた方は、異邦人に対する使徒としての任務のためにわたしにも働きかけられたのです。 02:09また、彼らはわたしに与えられた恵みを認め、ヤコブとケファとヨハネ、つまり柱と目されるおもだった人たちは、わたしとバルナバに一致のしるしとして右手を差し出しました。 それで、わたしたちは異邦人へ、彼らは割礼を受けた人々のところに行くことになったのです。 02:10ただ、わたしたちが貧しい人たちのことを忘れないようにとのことでしたが、これは、ちょうどわたしも心がけてきた点です。
※説教要旨の掲載をお休みいたします。
2013年 10月6日 聖霊降臨節第21主日礼拝
09:28この話をしてから八日ほどたったとき、イエスは、ペトロ、ヨハネ、およびヤコブを連れて、祈るために山に登られた。 09:29祈っておられるうちに、イエスの顔の様子が変わり、服は真っ白に輝いた。 09:30見ると、二人の人がイエスと語り合っていた。モーセとエリヤである。 09:31二人は栄光に包まれて現れ、イエスがエルサレムで遂げようとしておられる最期について話していた。 09:32ペトロと仲間は、ひどく眠かったが、じっとこらえていると、栄光に輝くイエスと、そばに立っている二人の人が見えた。 09:33その二人がイエスから離れようとしたとき、ペトロがイエスに言った。 「先生、わたしたちがここにいるのは、すばらしいことです。 仮小屋を三つ建てましょう。一つはあなたのため、一つはモーセのため、もう一つはエリヤのためです。」 ペトロは、自分でも何を言っているのか、分からなかったのである。 09:34ペトロがこう言っていると、雲が現れて彼らを覆った。 彼らが雲の中に包まれていくので、弟子たちは恐れた。 09:35すると、「これはわたしの子、選ばれた者。これに聞け」と言う声が雲の中から聞こえた。 09:36その声がしたとき、そこにはイエスだけがおられた。弟子たちは沈黙を守り、見たことを当時だれにも話さなかった。
福島 純雄 牧師
1.『山上の変貌』と昔から呼ばれてきた出来事が記された箇所である。まず、28節はじめに「この話をしてから八日ほどたった」とあるが、「この話」というのは、前回耳を傾けた9章18節から27節までのところを指している。わざわざこのようにルカが記しているのは、今日の出来事が、直前におかれた8日ほど前の事と深くつながっていることを言わんとしているのである。
そこで、少し17節以下の箇所に書かれていたことを振り返ってみよう。わずか5つのパンと2匹の魚で、男性だけでも5000人もいた人々を満腹させたという奇跡をイエス様がなさった。これを機に、イエス様を救い主(メシア、キリスト)として期待する思いが一気に高まっただろうと思う。この方こそが自分たちを空腹や様々な苦境から救い出してくださる救い主だと人々は大いに期待しはじめた。そうであればこそ、イエス様もまた、人々のなかにそのような期待が高まった今こそ、ご自分がどのような救い主なのか、どんなことをもって人々を救おうとするのかということを、はっきりと告げるべきチャンスが訪れたと悟られた。そこで、21節以下に記されているように、はじめて弟子たちにご自分の受難と復活のことを予告された。そして、もし自分の命を救いたいのなら、この受難する私についてきなさい、あなたがたも自分を捨て、自分の十字架を負って私に従いなさい、と言われたのであった。
2.イエス様がこのように告白されてから、今日の出来事が起きるまでの8日ほどの間に、どんな事が起きたのかについては、ルカは何も書いていない。同じ場面を記したマタイとマルコ福音書には、ペテロがこれを聞いて「主よ、とんでもないことです。そんなことがあってはなりません」と諌め、これに対してイエス様は「サタン引き下がれ。あなたは神のことを思わず人のことをおもっている」と厳しく叱られた様子が記されている(たとえばマタイ16章22節以下)。このような弟子たちの反応は、もっともなものだとよく分かる。自分たちを苦難から解き放って下さる救い主だと期待している人が、それとは正反対に偉い人々から苦しめられて殺されてしまうとイエス様は告げられたのである。それこそが、ご自分がメシアであることの現れだ、と言われたのである。そして、「あなたがたも苦しみつつ私について来なさい。それがあなたがたの救われる道だ。」と言うのである。「どうしてそんなことがあるか。」「どうして自分たちにそんなことができるか。」「それは救いとはまるで正反対のことではないか。」これが、弟子たちだけではなく、多くの人々の抱いた思いだったのである。
このような、弟子たちをはじめ人々の反応をご覧になったので、イエス様はペテロ、ヨハネ、ヤコブという3人の弟子たちを連れて山に登り、祈る必要にかられたのだと私は思う。イエス様がしばしば祈られたことが福音書に書かれているが、山に登って祈られたというお姿は、そうは無いのではないか。これは、イエス様にとっても余程の時であったのであろう。少しでも神様のおられるところに近い「山」に登り、神様の御心を探り求められ、8日前に弟子たちにお告げになった事への確信というものを、神様から授けていただきたいと願われたのではないか。イエス様にとってさえも、ご自分の救い主としての働きが受難することによって成し遂げられるということは、本当に深い神秘であり、極め難い事柄だったのだろうと思う。神様の独り子なのだから何もかも良く分かっておられるということはなかったのである。葛藤があり、懊悩があった。それに対する神様からの励ましや答えと言うものを求めて、イエス様は山に登られた。3人の弟子たちをお連れになったのは、彼らにも神様からのお答えというものを垣間見させて、弟子たちにとっても、それが必ず何らかの励ましになるだろうとの思いを抱かれたからに違いない。
3.では、山の上でイエス様の祈りに答えて、神様はどのようなお励ましをイエス様に与えて下さったのか。どのように、受難する救い主ということについて、後押しと言うか、背中を押して、これを確信させて下さったのか。
それが、29節以下に書かれていることである。祈っておられるうちに、イエス様の顔の様子が変わり、服が真っ白に輝きはじめたとある。そこに、モーセとエリヤという二人の人物が現れ、彼らもまた、栄光に包まれていた。そこにいる3人が皆、不思議に輝き栄光に包まれる光景を、弟子たちは目撃した。弟子たちが「ひどく眠かった」とあるのは、決して文字どおりの意味ではないのだと思う。どうして、このような不思議な場面の目撃者となっているのに、眠いということがあるだろうか。眠さというのは、このような場面に遭遇しながらも、一体これはどういうことなのか。それが掴みきれない、把握できないとの、もどかしさの表現なのだと思う。33節最後に「自分でも何を言っているのかわからない」とあるのが、その趣旨である。このような理解し難さを抱えながらも、弟子たちは、イエス様とモーセ・エリヤが不思議に輝き、そして、あることを語り合っているのを、しっかりと耳にした。何を語り合っていたのか。ここがとても大切なポイントなのだ。他のどんなことでもなく、この事柄を語り合っていた。それを語ることが、イエス様たちを輝かせる源となっていた。それを語るためにこそ、モーセとエリヤは、神様からイエス様のもとに遣わされた。いわば、イエス様へのカウンセラーのような存在として。神様の御心を教える導き手として。
何を語り合っていたのか。それは31節最後にあるように「イエスがエルサレムで遂げようとしておられる最後(最期)について話していた」のであった。モーセとエリヤは、それぞれの「最期」の在り方をイエス様に語ることを通して、イエス様の「最期」 - エルサレムで遂げようとされる、8日前に弟子たちに告げられた受難する「最期」 - の意義というものを教えたのだと思う。
イエス様がそのような「最期」を遂げること、私たちの救いにとって無くてはならぬ働きをするものであること、その「最期」によってでなければ、私たちに残すことのできない果実があるということを、二人の体験を通して語ろうとしていたのだ、と思う。
この二人も、自分たちが「最期」を迎えたその時には、未だまだその神秘を悟ることはできなかったかもしれない。しかし、神様の御許に召されて(この世の時間としては、随分時が経ち)あの「最期」がどのような意味があるかを深く悟ることができるようになった。そういうことを、イエス様に伝えていたのだ、と私は思う。
4.それでは、どのようなことを、二人はイエス様に教えたのだろうか。実は、旧約聖書に登場する多くの人物のなかで、とても不思議な「最期」を迎えた人として、このモーセとエリヤは、語り伝えられているのである。実は、私の知る限りでは、もう一人そういう「最期」を遂げた人物としてエノクという人がいる。創世記の5章23節に、つぎのような文章がある。「エノクは365年生きた。エノクは神と共に歩み、神が取られたのでいなくなった」と。もし今、イエス様のところに現れてきてくださるとすれば、このエノクもまた、それにふさわしい人であったかもしれないのである。
大事なところなので、まずモーセの「最期」について、実際にその様子が書かれている申命記34章を読んでみよう。旧約聖書の338ページである。「モーセはピスガの山頂に登った・・主はモーセに言われた。『・・あなたは、しかし、そこに渡って行くことはできない。』モーセは死んだ時120歳であったが、目はかすまず、活力も失せてはいなかった。」
40年、苦心惨憺して人々を導き、やっとこさ目指す約束の地を見渡せるところまでやってきた。神様は、わざとこの場所全体を見渡せる山にモーセを登らせ、まるで嫌がらせでもするかのように、「お前はここに入ることはできない」と告げて、突如として彼を天に召してしまわれた。「主はモーセを・・谷に葬られたが今日に至るまで誰もその葬られた場所を知らない。」彼の最期はこのようなものなのであった。
なぜ、彼が約束の地に入ることが許されなかったのか。様々な節があるけれども、最もその理由として考えられるのは、同じ申命記の32章48節以下に記された御言葉である。モーセは人々の罪を背負って行かなければならないということなのである。彼が、人々の罪を背負って、約束の地を目前にして召されていくことによって、イスラエルの人々は約束の地に入ることができるのだ、ということである。モーセの「最期」には、このような深い意義が、働きが込められていたのだと私は思う。
次にエリヤの最期を読んでみよう。これは、旧約聖書の578ページ、列王記(下)2章に書かれている。9節から読んでみる。エリヤの弟子であったエリシャは、強く先生との別れを拒んでいた。しかし、エリヤは告げた。「わたしがあなたのもとから取り去られるのをあなたがみれば、願いはかなえられる。もしみなければ・・」と。エリヤが最期を迎え、それをエリシャがしっかりと見届けることこそが、エリヤから大切な「霊の二つの分」(どういう意味かは不明であるが)を受け継ぐこととなのであった。エリヤは、嵐のなかを天に召されていった。その悲しみに耐えかねてエリシャは、自分の衣を二つに引き裂いたと12節にある。その時、エリヤの着ていた外套が空から落ちてきたのである。エリシャはそれを拾って、それで水を打った。水が左右に分かれ、彼は川を渡って行った。何と象徴的な物語であろうか。そう改めて感じるのである。愛する師が天に召されていく悲しみのなかで、エリシャがそれまで着ていた服を引き裂いたその時、エリヤの外套が空から落ちて来たのである。それを拾うことが、要は、エリシャが願っていたことがかなえられたことに他ならない。
ここにも、エリヤの最期だけが、また残された者がその最期を見届け、その悲しみを担うことだけが、成し遂げさせ、また受け継ぐことを可能にした有り様が記されているのである。
5.イエス様はモーセとエリヤから、それぞれの「最期」が持っていた深いふかい意義と働きを教えていただいた。そのことを通して、ご自分の「最期」が与えられたのだと思う。無くてはならぬ意義と働きについて確信を得られたのだと思う。モーセとエリヤの「最期」が、どのようにイエス様の十字架の「最期」と重なって来るか、ダブるものがあるかについては、皆さん、お一人おひとりの思いに委ねよう。
さて、ペテロが小屋と建てようとしたこと、雲がモーセたちを包み込み、後には栄光も輝きも何もないイエス様だけがポツンと残されていたこと、しかし、雲のなかから「これはわたしの子、これに聞け」との神様の声が聞こえたことなど、まだまだ触れたいことはあるが、それらはまたあとに譲る。
ただ、最後にどうしても申し上げたいことは、この出来事を通して、私たちにも大きな慰めや励ましというものが語りかけられている、という点である。私たちにとっても「最期」というのは、口にしたくはないこと、出来れば忘れてしまいたいことなのである。それは、私たちの目から見て、輝きとか栄光とか、ペテロが「私たちがここにいるのはすばらしい」と感嘆した、そういう時とはまるで正反対の時だと思われているのである。ところが、今日の出来事は、この「最期」を語ることが、それを語っていた3人の人々を輝かせていたと教えてくれている。「最期」こそがなくてはならぬ働きをし、残された者たちに大切な何かを残す栄光に輝いている時だと教えてくれているのである。そうであるならば、私たちに「最期」が与えられているということは、何と深い意味のあることだろうか。
また、私たちにも、山上があるのではないかと思う。私たちはただ地上にあって、自分にこのような山上があることなど、全く意識しないかもしれない。私たちの目に見えるのは、地上にイエス様がもはや何の輝きなど無いお姿で、ポツンとお一人で居られたように、何の輝きもない自分たちの姿のみである。しかし、忘れてはいけないのである。このようなイエス様が山上で輝いておられたことを。「最期」と語ることがそうさせた、ということを。私たちにも、そのような山上の変貌が、実は用意されているのである。それは、私たちが「最期」と生きるときである。その最期において、私たちがなくてはならぬ役割を果たす時である。私たちはその山上に向かっている。山上の輝きを何処かに秘めたものとして、そのような神秘を秘めた存在として、地上の生涯を生かされているのである。
2013年 9月29日 聖霊降臨節第20主日礼拝
27:01イサクは年をとり、目がかすんで見えなくなってきた。 そこで上の息子のエサウを呼び寄せて、「息子よ」と言った。エサウが、「はい」と答えると、 27:02イサクは言った。 「こんなに年をとったので、わたしはいつ死ぬか分からない。 27:03今すぐに、弓と矢筒など、狩りの道具を持って野に行き、獲物を取って来て、 27:04わたしの好きなおいしい料理を作り、ここへ持って来てほしい。 死ぬ前にそれを食べて、わたし自身の祝福をお前に与えたい。」 27:05リベカは、イサクが息子のエサウに話しているのを聞いていた。 エサウが獲物を取りに野に行くと、 27:06リベカは息子のヤコブに言った。 「今、お父さんが兄さんのエサウにこう言っているのを耳にしました。 27:07『獲物を取って来て、あのおいしい料理を作ってほしい。 わたしは死ぬ前にそれを食べて、主の御前でお前を祝福したい』と。 27:08わたしの子よ。 今、わたしが言うことをよく聞いてそのとおりにしなさい。 27:09家畜の群れのところへ行って、よく肥えた子山羊を二匹取って来なさい。 わたしが、それでお父さんの好きなおいしい料理を作りますから、 27:10それをお父さんのところへ持って行きなさい。 お父さんは召し上がって、亡くなる前にお前を祝福してくださるでしょう。」 27:11しかし、ヤコブは母リベカに言った。 「でも、エサウ兄さんはとても毛深いのに、わたしの肌は滑らかです。 27:12お父さんがわたしに触れば、だましているのが分かります。 そうしたら、わたしは祝福どころか、反対に呪いを受けてしまいます。」 27:13母は言った。 「わたしの子よ。そのときにはお母さんがその呪いを引き受けます。 ただ、わたしの言うとおりに、行って取って来なさい。」
福島 純雄 牧師
1.読む私たちに驚きや失望を抱かせずにはおかない箇所である。私たちは、創世記26章を読み、まことに信仰者のお手本とも言ってよいようなイサクの姿を心に刻んだ。私は、とても深く感動した。
イサクは、執拗なペリシテ人からの嫌がらせに一言も言い返すこともなく、忍耐強く井戸を掘り続けた。最後には「レホボト(広い場所の意:主は我々の繁栄のために広い場所をお与えになったということ)」という名前の井戸を掘ることができ、これについては、さしものペリシテ人もクレームの付けようがなかった。
ところが、イサクは折角与えられたこの井戸を放棄してまでベエル・シェバに行き、神様を礼拝せずにはいられなかった。そこは、父と深く結びついている記念の場所だった。そこにイサクは行き、祭壇を築きテントを張り、再び井戸を掘った。神様を礼拝することを第一とし、そこに井戸を求め生活を営もうとするイサクの姿が、沸々と伝わってくる。何と私たちのこころを揺さぶる姿であろうか。
その後に、ペリシテ人の王アビメレクも動かされる。かつては、イサクに嫌がらせをした彼は、イサクのもとにやってきてこう言った。「あなたは確かに主に祝福された方だから、わたしたちと仲良くしてほしい」と。かつて嫌がらせを受けた相手から、このように言われるということ。「主」なる神を信じてもいない人々から、「あなたは主の祝福を受けている」と言われるということ。この主の祝福ということこそが、今日の御言葉の主題となっている。とにかく、信仰者のお手本、私たちもかくありたしと願うようなイサクが、26章には描かれていたのである。
2.ところが27章では、先の26章でのイサクを知っていればいるほど、そのギャップにショックをうけてしまうような、まるで正反対の別人になってしまったかのようなイサクを見出して、私たちは落胆させられてしまうのである。
何気なく読み過ごしてしまう箇所であるが、26章の最後にはこんな事も書かれている。「エサウは・・悩みの種になった。」と。イサクの双子の息子の兄エサウが、どういうわけか、40歳のときに、その同じ年に、二人のヘテ人の娘を妻にしたと書かれているのである。そうせざるを得ない事情があったのか具体的なことは分からない。この二人の嫁たちについて、27章の46節では、次のようなイサクの妻リベカの悲鳴が記されている。「わたしは、へと人の娘たちのことで・・」と。信仰や生活習慣の違い故の悩みがあったのだろうか。
そういうことがあったにもかかわらず、27章の出来事が始まっていくのである。26章からどれ程の歳月が経ったのかはわからない。「イサクは年をとり・・」とある。ぱっと読むと、あたかも彼が臨終の時を迎えて、遺言を残そうとしているかのような雰囲気である。
しかし、イサクの死が記されるのは、はるか後の35章最後のことなので、未だこの時は臨終の場面ではない。けれども、そうしたことを考えざるを得ない衰えを、イサクは感じている。そうであればこそ、父アブラハムから受けた「祝福」を、次の者に受け渡そうとする。それは、人生にとって、最も厳粛な時である。誰もが、それまでのどんな時よりも、まじめになり、真剣にそれに向き合う時である。
そうした時にイサクはどのように向き合っているのか。この祝福を、誰に、何を以って与えようとしているのか。「今すぐに・・死ぬ前にそれを食べて」とある。
よりにもよって、この大切な祝福を、自分の好物の料理を食べさせてくれることを以って、あたかも、それへの御褒美・報いでもあるかのように考え、長い間、悩みの種を作り出しているエサウに与えようとしているのである。
なぜ、これまで労苦を共にしてきた妻リベカに相談しないのか。エサウの嫁たちについて、先程のように悲鳴を上げている妻をなぜ無視するのか。いや、もっと問題なのは、はるか昔ではあるが、双子の誕生を神様が告げたとき、既に神様がリベカに告げた事「兄が弟に仕えるようになる」(創世記25章23節)を、イサクは忘れてはいなかった筈なのである。
26章で、あれほど誠実に神様に仕えてきた彼が、今この大事な時にさしかかって、なぜ神様の御心を忘れ、軽んじ、自分の好物を与えてくれる息子を偏愛するのか。25章28節に「イサクはエサウを愛した。狩の獲物が好物だったからである」とあった。この愚かしい在り様が何ら変わっていなかった、ということか。
26章の体験は、この愚かなイサクに何の変化も成長も与えていなかったのか。それとも、歳をとり、目がかすむという肉体の衰えが、再びこのような愚かさを生じさせてしまったということなのか。
3.このように、26歳のイサクとは、まるで別人のごとき姿に、私たちは驚きを覚えてしまう。しかし、ここに、ただ驚きや落胆を感じるのではなく、励ましや慰めというものをも抱くことができるのではないか、と私には示されるのである。
この物語を記した人々は、26章のイサクだけを描くこともできた筈である。しかし、そうはしなかった。このような愚かな俗物になり下がってしまったイサクを、また目の見えなくなった夫・父を平気で騙す妻やヤコブの姿を、包み隠すことなく、在りのままを記した。その意図は何だろうか。
それは、これもまた、イサクの姿であり、この一家のありのままの姿なのだという語りかけなのである。26章のイサクだけがイサクではない。もっと遡れば、モリヤの山に父アブラハムによってただ黙って引かれて行く彼だけが、イサクではない。幾つになっても、いや、歳をとり、目がかすめばかすむほど、ますます好物の肉に目がなくなり、悩みの種であることは分かっていても、エサウを偏愛してしまう愚かな俗物たるイサクも、また彼なのであった。
一人のなかに、様々な人物がいるのである。信仰ある者だから年齢を重ねるとともに、ただ成長だけがあり、ただ信仰が深まって行く、などとは言えない。そうである部分もあり、しかし、そうではない部分もある。ますます、愚かしさが増し加わっていく。そういう部分さえも、私たちにはある。それが、信仰者の在りのままの姿である。
それを、聖書は切り捨てていない。何の批判もなく、淡々と記している。私はそこに、励ましや慰めを感じる。旧約聖書のなかで、とくに一人の人の生涯を長く読む益・喜びがここにある。
先週、ある方がこんなことをポロリと言われた。このごろ、イエス様を信じる喜びが感じられない。聖書を読んでも、心ここにあらずという感じで、一体自分はどうなってしまったのかと、愕然とすると言われた。きっと、その方は、今のそういう状況とは正反対の、生き生きとした喜びを感じる信仰生活をずっと送られてきたのであろう。しかし、今は、そうなのである。そういう方に、今日の御言葉が語りかけてくれるのではないだろうか。
何度も言うが、26章のイサクも27章のイサクも、同じイサクなのである。これが、私たち信仰者の在りのままの姿なのである。歳をとり、目がかすむ。そのような変化が、また信仰にも何らかの影響を及ぼすこともあるのである。
4.さらに、この御言葉が、私たちに励ましを語りかけてくれている事がある。このような愚かなイサクである。また赦しがたいリベカやヤコブである。
けれども、彼らは、一体何を巡って争っていたか。そのことに注意を払って頂きたいのである。それは「祝福」を巡ってなのであった。他のどんな事でもない。目に見える財産やお金や土地を巡ってではなかったのである。目には見えない、言葉だけからは全くどんなものとも分からない「祝福」を巡ってであった。
彼らは、その内容について、甚だしく曲解をし、誤解をしていた。イサクは、それを自分の好物を食べさせてくれることへの褒美として与える「わたし自身の祝福」と言っていた。それは、どういう意味だろうか。自分自身のもの、自分が勝手に自由に与えることのできる、自分の財産。そんな意味だろうか。
とんでもない思い違いである。祝福とは、アビメレク王が言っていたように、「主の祝福」である。主なる神様に由来する、神様が与えて下さるものである。たとえ、イサクがこうやってエサウに与えようとしても、神様がそれを良しとされなければ、授けられることのないものである。思い違いをしたのは妻のリベカもヤコブも同じであった。騙して奪い取れるようなものではない。形だけを奪い取ったとしても、その中身を神様が入れて下さることがなければ、何の働きもしない。
しかし、どんなにひどい誤解を抱いていたとしても、彼らは皆、この祝福がなくてはならないものであることが分かっていたのである。目に見える財産や土地がどんなにあっても、この祝福なければ、それらは何の価値もないことを知っていた。祝福がどれほどの大きな働きをするものであるか、それを父アブラハムの生涯を通して、また、これまでの自分たちの来し方を通して、知っていた。どんなに歳をとり目がかすんでも、それを忘れることはなかった。愚かな者であった。俗物でもあった。しかし、この時に至ってなお、祝福という事柄の大事さを忘れてはいないということ、これをこそ求め、奪い、相続させようとしているということ。私たちはこの点に、大いなる励ましをいただくのである。
私の大正6年生まれの父は、9月で96歳になった。認知症が進み、世話をする母も姉も大変であるが、今もって、食事の前の祈りをすることを止めてはいない。先日、改めてこのことに気づき、本当に誇らしく思った。ぼそぼそと祈る祈りの言葉が聞こえてきたが、食事への感謝とその時々の願いであった。突き詰めれば、神様からの祝福を願い求める、ということであろう。神様からの祝福が私たちにとって、どれほど不可欠かを知る故の祈りであろう。
5.イサクは、27節以下で、ヤコブ(イサクの思いのなかではエサウであるが)を、「どうか、神が・・・祝福されるように」と祝福した。彼が、先ほど言ったように、それを誤解しつつも、祝福を如何なるものととらえていたかが、よく言い表されている。それは神様が、天の露と地の生み出す豊かなものを与えて下さるものなのである。神様だけが与えて下さる豊かさがある。
その最初には「天の露」がくる。まず、最初に天から注がれても、そこに天からの良いものが添えられなければ、却って、地上の財産は悪しきものを生み出す。それは、9月15日の敬老祝福日礼拝で与えられたイザヤ書55章8節以下の御言葉が語っていた通りである。天からの雨や雪こそが、私たちに喜び祝うことや、平和や、茨から糸杉が生じることを生み出す。
29節でイサクが語る祝福の内容は、当時の人々の限界というものを感じさせる。彼らにとって神様からの祝福とは、ひれ伏させることや仕えさせることを、また、呪いを生じさせるようなものであった。
しかし、イザヤが告げていた、天からの善いものが生まれさせるものは、そういう文壇や対立ではなかった。そうではなく、すべてのものが喜び祝い、平和で在り、悪しきものから善いものが生じることであった。私たちがどのように悪しきものを抱えていても、神様は祝福によって、そこから善いものを生じさせて下さる。
6.このような祝福を、神様はイサクやリベカやイサクやエサウという、愚かで騙し合う醜悪な人間達の行いのなかで、与えようとされた。そのような愚かしい人間の業のなかに委ね給うのである。
神様は「このように祝福というものを誤解し、また、醜いやり取りの中で取り扱おうとしていたのだから、もうお前達には祝福など与えない、取りあげてしまおう。」そう言われても良かったのである。「お前達にはもう祝福を扱う資格などない。」と言われても当然だったのである。
しかし、神様はそうはされなかった。愚かで俗物になり下がっているイサクをして、祝福を(しかし、彼の思い通りではなく)ヤコブに与えさせ、その際に用いられた手段は、何とリベカとヤコブの醜い、言語道断な欺きという方法なのであった。
このように、神様は、私たちが祝福というものを求めることを喜び給うお方なのである。私たちがそれを伝えようとするなら、奪うほどに求めるなら、神はそれに応えて下さる。何と幸いなことであろうか。
2013年 9月22日 聖霊降臨節第19主日礼拝
01:11兄弟たち、あなたがたにはっきり言います。 わたしが告げ知らせた福音は、人によるものではありません。 01:12わたしはこの福音を人から受けたのでも教えられたのでもなく、イエス・キリストの啓示によって知らされたのです。 01:13あなたがたは、わたしがかつてユダヤ教徒としてどのようにふるまっていたかを聞いています。 わたしは、徹底的に神の教会を迫害し、滅ぼそうとしていました。 01:14また、先祖からの伝承を守るのに人一倍熱心で、同胞の間では同じ年ごろの多くの者よりもユダヤ教に徹しようとしていました。 01:15しかし、わたしを母の胎内にあるときから選び分け、恵みによって召し出してくださった神が、御心のままに、 01:16御子をわたしに示して、その福音を異邦人に告げ知らせるようにされたとき、わたしは、すぐ血肉に相談するようなことはせず、 01:17また、エルサレムに上って、わたしより先に使徒として召された人たちのもとに行くこともせず、アラビアに退いて、そこから再びダマスコに戻ったのでした。 01:18それから三年後、ケファと知り合いになろうとしてエルサレムに上り、十五日間彼のもとに滞在しましたが、 01:19ほかの使徒にはだれにも会わず、ただ主の兄弟ヤコブにだけ会いました。 01:20わたしがこのように書いていることは、神の御前で断言しますが、うそをついているのではありません。 01:21その後、わたしはシリアおよびキリキアの地方へ行きました。 01:22キリストに結ばれているユダヤの諸教会の人々とは、顔見知りではありませんでした。 01:23ただ彼らは、「かつて我々を迫害した者が、あの当時滅ぼそうとしていた信仰を、今は福音として告げ知らせている」と聞いて、 01:24わたしのことで神をほめたたえておりました。
福島 純雄 牧師
1.今日の聖書箇所の11節から12節を読むと、次のように書かれている。「兄弟たち・・イエス・キリストの啓示によって知らされたのです。」パウロがここで言っているのは、彼が告げ知らせた福音が、人からのものではなく、神様からのものだということである。「啓示」とある。これは何かによって覆われているものが、覆いを取り除かれてはっきりと現れてくるという意味である。パウロが宣べ伝えている福音は、彼や他の人間が考え出したようなものではなく、それまでは、はっきりとは現れていなかったが、イエス・キリストによって明らかになったところの、そもそも神様ご自身が既に与えて下さっていた福音であるということである。
パウロがこのように語る背景には、言うまでもなく、彼の宣べ伝えている福音が、神様からのものではなく、人からのもの、言わば、パウロが捏造したようのものだとの批判が、ガラテヤ教会だけでなく、当時のキリスト教会にあったという事情がある。もし、その批判の通りだとすれば、それはまことにいまいましき事態である。もし、人間が考え出したものを、神様からの「福音」と言って宣べ伝えていたのなら、パウロは大嘘つきだということになる。だからこそ、パウロは、今日の御言葉で、彼の告げ知らせている福音が、人とからのものではなく、神様からのものであることを、懸命に論証しようとしていたのである。それは、私たちにとっても、まことに重大な死活問題なのである。今日のメッセージは神学的な要素が多く、かなり難しいものであるかもしれない。けれども、私たちにとって死活問題である重要な事柄なので、忍耐を以って、お聞きいただきたいと思う。
2.さて、それでは先ず、パウロが告げ知らせた福音とはどのようなものだったのか。1章6節初めの御言葉から、その内容を教えられた。「キリストへの恵みへ招いて下さった方」とある。その方とは、神様のことであるのは言うまでもないが、パウロが宣べ伝えた福音とは、神様が私たちを招いて下さるということが、先ず根幹にあると示される。では、神様が私たちを招いて下さるとはどういうことか。なぜ、福音なのか。喜ばしい知らせなのか。
先週の敬老祝福日の礼拝で与えられたイザヤ書55章8節以下の御言葉のなかに、神様の思い、またお考えになっている道と、私たちの思いや道は、天と地ほどに異なっているとあった。では、神様は、このようにかけ離れている私たちを、どのようになさるのだろうか。お前たちは勝手に自分の思う道を進むがよい、と神様は言われるのだろうか。私たちをかけ離れたところにそのまま放置されるお方であろうか。そうではない、とイザヤは語ってくれたのである。天から雨や雪が降ってそれが大地を潤し、最後には私たちの糧となるように、神様は天と地ほどに離れている私たちに、ご自分から良いものを与えて下さると告げる。その良いものとは、このイザヤ書の御言葉によれば、55章11節に「そのようにわたしの口から出る言葉も」とあるように、何よりも神様からの語りかけなのであった。神様は、離れている私たちに語りかけて下さって、私たちが神様の思いや道を知って、それに添って生きることができるようにして下さる。ここに、遠く離れている私たちと神様とがつながり、関係づけられ、結びつけられるという事態が生じる。
これこそが、ガラテヤ書の1章6節にいう「神の招き」ということなのだ、と私は思う。神様は遠くに離れている私たちを、にもかかわらず、様々な手段によってご自分と関係づけ、結びつけて、その御心に従って生きることのできるものとして下さる。旧約聖書・新約聖書の『約』とは、『契約』の『約』であると教えられてきた。契約という言葉で言うならば、遠く離れている私たち、本来は到底、神様との契約関係になどはいることなどできない私たちが、にもかかわらず、これを結んでいただける。これが神の招きなのであり、それこそが福音なのである。
3.そこで問題は、神様がこの招きを何において、いかなる形において為して下さるか、ということになる。パウロが告げ知らせた福音とは、まさにその点に関わっている。神様は、私たちの招きを、契約の成立というものを、神様と私たちとが関係づけられ結びついて生きることができるようになることのスタートを、イエス・キリストというお方において為されようとする、ということなのである。
それが1章6節の「キリストの恵みへ招いて下さった方」という言葉に表現されている事柄なのである。「キリストの恵み」と訳されている。前回も言ったように、ここは「キリストの恵みにおいて」と訳すのが良いと私は思う。神様は今まで触れてきたご自分の招きというものを、キリストの恵みにおいて為したもう。私たちがイエス・キリストというお方と出会って、この方と結びつけられることにおいて、神様はそのつながりをもって、私たちを招いて下さる。私たちのイエス様とのつながりがイコール、神様とのつながりとなる。そのように神様はお認め下さる。
本当は、それは到底、神様とのつながりとは言い得ないものかもしれない。到底、神様との『契約成立』とは言い得ないものかもしれない。すぐ後に述べるように、イスラエルの人々からは、そのように見える。イエス様との結び付きがイコール、神様とのつながりだ、などどは、とんでもない思い上がりだ。インチキだ、と言われる。確かにそうであるかも知れない。しかし、神様はそのように見て下さる。だから、恵みである。私たちが、他のどんなお方ではなく、イエス・キリストという方と結びついているということを以って、神様は、それをご自分との結び付きとして認めて下さる。何故、このようなことを啓示されたか、知ったかについては、繰り返しになるかも知れないが、また15節以下のところで触れよう。
4.こうして、パウロはこの福音を、神からのものとして宣べ伝え始めたわけであるが、これは到底、イスラエルの人々には受け入れがたいものであった。その理由は、パウロ自身が良く分かっていることなのだが、13節・14節に書かれている。
パウロ自身が、かつてユダヤ教徒として、誰よりも率先して、この福音を攻撃していた人であった。それは14節にあるように、「先祖からの伝承を守るのに人一倍熱心手・・ユダヤ教に徹しようとして」いたからに他ならなかった。重ねて言うが、要は、如何にして人間は神様の招きを受けられるのか、如何にして神様との契約関係に入らせていただけるのか、という点なのである。先祖からの伝承は、これについてどのように教えられていたか。それは、神様の与えた、神様ご自身が下さった律法を守ることによってである、と教えた。神様のお招きを受けるのだから、神様が望まれる人間になってと考えるのは、至極当然のことである。律法を守りなさい。そうして、私と結びつく者になりなさい。これが、イスラエルの人々にとって、イザヤ書55章に言う、天からの言葉であった。パウロは心から喜んで、そうした。決して、いやいやながらそれをしたのではなかった。イスラエルの多くの人々が喜んで、そうした。そこに、イスラエルの人々は、確かに福音というべきものを見ていた。今日でもそうである。おそらく、イスラム教という信仰も、基本的にはユダヤ教と同じであろう、と思う。
だから、かつてのパウロには、キリストの恵みにおいて神の招きを受けるなどという福音が許せなかった。神様との関係というのは、神様とその人との一対一のものであろう。その一対一の関係のなかで、人間の側が誠実に懸命に神様の示された事柄を守り、果たすことによってのみ、契約は成立するものであろう。ところが、この福音はその間柄に、キリストという赤の他人が入って来て、神との契約が成立するという。律法の行いも何もなく、ただ、このキリストという存在との関係、彼と結びつくことが神と結びつくことだ、と言う。とんでもない福音だ。とんでもない邪教だ、とパウロは思ったのだ。このパウロの思いは、今でも、ユダヤ教やイスラム教の人々が、私たちキリスト教徒に対して抱く思いではないだろうか。
5.この当然の思い・確信が、どうやって覆されたのか。それは、神ご自身の啓示による。それが、15節以下に書かれていることである。
ここに書かれているのは、まずは、前回も触れた使徒言行録で繰り返し語られているところの、いわゆるダマスコ途上の出来事であるだろうが、しかし、それだけではない、と思う。この啓示を受けた後の、パウロの不思議な行動が、16節後半から19節まで書かれている。彼は、この福音の啓示を受けた後、誰にも相談することなく、先ず、アラビアに退き、そこから再びダマスコに行き、3年後に初めて、当時の教会のリーダーになっていたケファ(ペテロ)やイエス様の兄弟のヤコブにあった、という。パウロがここで記している啓示は、こうした何年かの年月、その間の真摯な問い求めのなかで、示された内容に違いない。
さて、15節で、先ずパウロが語るのは、「私を母の胎内に・・神が」ということである。彼がここで何よりも言いたいのは、この福音をイエス・キリストにおいて啓示して下さったのは、神様である、ということ。それも「母の胎内に・・」と言って、その神様が自分をして、先祖からの伝承を守らせた、律法の行いを熱心に行わせた神様と同じ方であることを、強く言わんとしているのではないだろうか。この福音が、イエス・キリストとの出会いによる啓示によるものであることは確かだとしても、それはイエス様が神様とは関係なく、それこそ、イエスという方が、勝手に「福音」として、パウロに示したとも言えるのである。しかし、パウロが啓示されたのは、そうではなかった。神様が、イエス様において示されたことなのである。それも、パウロをして、またイスラエルの先祖や同胞をして、律法の行いを為させしめた、その同じ神様が示された啓示であり、福音であるのだ、とパウロは言いたいのである。
神様が、何よりも示されたことは何か。それは、16節初めにある『御子』という言葉に込められているのではないだろうか。イエスという方は、神様の御子なのである。たった独りの神様の御子なのである。そうであればこそ、その方が神様と私たちとの契約関係のなかに入り込んでくる必然性がある。御子としてイエス様は、神様の代理者であり得る。御子との関係がイコール、神様との関係になり得る。神の独り子が、人となり、目に見える姿を以って、私たちと共に生きて下さった。弟子たちは、この方に躓きもし、疑いもし、裏切りもした。
しかし、彼らのイエス様への思い・思慕の情は変わることがなかった。そして、何よりも、イエス様の方から、彼らを見捨てることはなかった。ここに、キリストの恵みがある。このキリストとの間柄において、神は私たちとの間柄をご覧になるし、契約をお立てになって下さる。
さらに啓示されたこととして、16節後半には「その福音を異邦人に告げ知らせるように」とある。パウロは、この福音の啓示が、誰よりも異邦人のためのものだ、と悟った。先祖伝来の教えのように、律法の行いを以って神様との結び付きを信じることのできる者は良いのである。そういう人は、異邦人ではない。しかし、たとえば、イエス様を裏切ってしまったペテロはどうか。ヤコブはどうか。(彼は、イエス様が地上の生涯を生きておられたときは、イエス様をキリストとして信じることができなかった、と言われる。)そして、律法の行いなど到底できず、神様との契約締結者として全く相応しくない私たちはどうか。私たちこそが、異邦人なのである。そういう私たちのためにこそ、神様は、独り子であるキリストの恵みにおいて、私たちをお招きになるとの福音を、はっきりとお示し下さったのである。キリストに躓いたとしても裏切ってしまったとしても、神様との契約など到底結ぶ資格のない私たちであっても、イエス様を慕い、イエス様を愛し、またイエス様によって愛されている間柄であることにおいて、神様は私たちをお招きになる。神の独り子であるイエス様にお与えになったものをすべて、キリストにつながっている私たちにも授けて下さる。
ここに、先程からずっと掲げてきた問いへの答えがあるのだ、と思う。旧約聖書に記されている律法の行いにおいて私たちと契約を結ぼうとされる神様と、キリストの恵みにおいて私たちを招かれる神様とは、どういう関係にあるのだろうか。それは、別の神様なのだろうか。別の福音が啓示されたのであろうか。そうではない、のである。根源的には、神が私たちを招かれるとの福音だけがある。そして、人間の側の行い・私たちの側の相応しさ、そういうものによって神様の招きを受けられると信じる人々には、その信仰に相応しい福音が啓示される。そういう方々は、律法の行いをすれば良いのである。幾つかの行いを日々すれば良い。それは、それで良い、のである。今日のユダヤ教やイスラム教の人々の信仰を否定する必要はないのである。それも、また確かに、神様からの福音なのである。
しかし、私たちには、それは福音とはなり得ない。私たちは異邦人なのである。文字通りの意味での民族や血筋においての異邦人ということではなく、私たちの側の行いによって、神様との契約を結び得ない者として、異邦人である。そういう私たちのために、神は、キリストの恵みにおける招きという福音を啓示して下さったのだ。正々堂々と、ユダヤ教やイスラム教の人々に対して、私たちは、このことを認めれば良い。私たちは、あなたがたのように律法の行いや幾つかの行いを為すことで、神様との関係を結んでいただいているような者ではないのだ、と。そうであればこそ、キリストの恵みにおいて、私たちを招いて下さる福音こそが福音となる。
18節以下にあるように、パウロは、ペテロやヤコブと会って、彼が啓示されたこの福音を語って、彼らもまた、同じ福音を信じていることを確かめることができたに違いない。イエス様を裏切ったペテロが、なぜ神様の招きを受けることができるのか。迫害者であったパウロが、なぜ伝道者となれるのか。・そこにこそ、キリストの恵みによる神の招きがあるのである。
2013年 9月15日 聖霊降臨節第18主日礼拝
55:08わたしの思いは、あなたたちの思いと異なり |
55:11そのように、わたしの口から出るわたしの言葉も |
福島 純雄 牧師
1.今日は75歳以上の皆さんが敬老の祝福をお受けになる礼拝ということで、聖書のいつもの順番とは違った箇所から選ばせていただいた。ここを愛唱聖句として心に銘じておられるか方もあるかも知れない。
まず、8~9節を読むと、「わたしの思い・・わたしの道は・・・異なっている」とある。神様の思い、また考えておられる道と、私たちの思い、また私たちが考えている道とは異なっており、天と地がはるかに離れているように違っているというのである。この語りかけから、まず私たちはとても有意義な戒めというものをいただけると感じる。
先週のI姉の葬儀の式辞で紹介したが、彼女の2008年最後の頃の日記に『今日を生きる者として主の御心にかないますようにお祈りいたします』とあった。90歳になられた方の言葉である。彼女はこのように、切実に神様の御心に沿って生きることを祈っておられたのであろう。それは私たち皆の思いでもある。そして『このわたしの思いは神様の御心なのだ、今のわたしの歩みは神様の考えておられる道にかなったものだ』と確信することができることは、私たちの大きな支えとなる。
しかしである。おうおうにして私たちは、『自分の考えこそが神様の御心に合致したものだ。私の考え以外はそうではない』と傲慢不遜に思い上がることがしばしばではあるまいか。
だからこそ、一体何が神様の御心なのか、それにかなって生きることなのかを知ることが、本当に大切になるのである。牧師の牧会が重要になるし、私たち一人ひとりの知恵・賢さというものが不可欠になる。とにかく、今日の御言葉がまず、私たちにはっきりと告げ、戒めるのは、神様の御心と私たちの思いとは、天と地のごとくはっきりと異なっており、隔たっているということなのである。そうであるならば、どうして軽々しく、「これが神の御心だ。これがわたしやあなたに備えられた神の道だ」などと口にすることができるだろうか。そう思ったとしても、それはいつも留保されたものであり、疑問のなかにあるのであり、I姉が日記に書き遺されたように、祈りのなかに置かれるものでなければならないのである。
2.今日の御言葉の11節後半から読んで行くと、私たちが神様の御心に添って、その望むことを成し遂げ、神様が与えられた使命を本当に果たしていくとき、どういう有り様が私たちに現れてくるのか、ということが語られている。これはまず、生じてきた結果というものからの判断であるが、私たちの思いや歩みが、はたして神様の思い神様の道に添ったものであったかを判断するときの決定的な基準になるものだと教えられる。
もし私たちが神様の望むことを為し、神様が与えられた使命を果たすならば、「あなたたちは喜び祝いながら・・・おどろに代わってミルトスが生える」とある。勿論、短期的にはそのことによって騒動や対立が起きるか知れない。しかし、いばらに代わって糸杉が生え成長するというのは、少なくとも何十年の単位のことではあるまいか。そういう年月の間に喜び祝うこと、平和が生じ成長することこそが、この事の判断基準なのである。何年も勤しんでいるのに、どんどん不和が拡大しているというのは、神様の御心に添うたものとは言えない。
結果からだけではなく、その途中において、これは神様の御心に語った歩みかを判断することもできる。それは12節後半の御言葉からである。「山と丘はあなたたちを迎え歓声をあげて喜び歌い、野の木々も手をたたく」とある。例えば今日の私たちの科学技術の進歩を考えてみればよい。あるいは、私たち一人ひとりの生き方を、この基準に照らして考えることができる。今の私たち人間のあり方を、また私の生き方を、山や木々は手をたたいて喜んでくれるであろうか。彼らを傷つけない歩みであろうか。彼らを慈しむようなものであるだろうか。野の木々や山々に向かって胸を張れるようなものであるだろうか。こういったところからの考察が、何が神様の御心だろうかということを尋ね求めるときの大切な基準にもなっていくのである。
3.さて、さらに、何が神様の御心かを知ることにおいて、「異なっている」ということから、もう一つ大事な示唆を与えられるように思うのである。はじめに申し上げたこととは正反対に - はじめにお話をしたのは「これが神様の御心だ。私は御心にかなった道を歩んでいるのだ」と私たちが不遜にも思う、そういうことであったが - 「これは私の思い願っていた道ではない。これは不本意だ。これはつらい。不幸だ」と思うときがあるのである。
しかし、このような時にこそ、「異なっている」との御言葉が大いに励ましとなるのではないか。つまり「異なっている」のであれば、まさに今その人が置かれている状況こそが異なっているわけである。ご自分の思い願っている状況とは違っている。だからこそ、それが神様の御心があなたに備えて下さった道なのかも知れない。勿論、必ずそうだとは言えない。私たちが望んでいない状況に置かれることが、すべて神様の御心の現れとは言えない。
けれども、そういう可能性はあるのである。異なっていればこそ、その私の置かれた立場こそが、神の望まれた道である可能性が強い。11節後半に「それは私の望むことを成し遂げ」とある。あくまで、神様の望まれたことなのであって、それはしばしば私たちの望むことと相反することが多いのである。
「自分を捨て、自分の十字架を負って私に従いなさい。そうすれば、命を救う」とイエス様はおっしゃった。私たちが望むことというのは、突き詰めれば「自分」を守り、増やし、富ませることなのである。十字架を背負うこととは正反対のことである。しかし、神様が私たちに望まれるのは、自分を捨て、十字架を背負うことである。
それは、決して私たちを苦しめたりいじめるためではない。そうではなく、私たちの命を救うためなのである。今日の御言葉で言えば、12節と13節に記された光景を実現させるためである。だから、私たちに神様が備えたもう道は、自分を捨てさせる道であり、十字架を背負わせる道である。けれども、それを歩んで、その目的地は12節と13節に書かれている有り様なのである。
先日、説教の準備をしていてふと思い起こした言葉があった。それは、全くあやふやなものであるが、「歳をとってから与えられる苦労と言うものは良いもの、幸いなもの」というような意味の言葉であった。第一線を退いた方々は、いろんな意味で、余裕のようなものが出てくる。時間的にも経済的にもであるし、精神的にも、若い時とは違って、苦労を背負う余裕が与えられているのである。そうやって背負う苦労は、必ずその人自身のためになるし、また周りにいる人のために良い働きをするのではないだろうか。まさに12節と13節に描かれているようなものを生み出す。苦労はない方がいいと誰しもが望む。けれども、神様の御心は私たちの思いとは異なっているのである。
4.具体的に、置かれた状況において、何が神様の御心なのかを知るということは、このようになかなか難しいことである。けれども、それを知ろうとすること、そして、ほんのわずかでもそれに気づいて歩めることは、大いに私たちの慰めとなる。それを、10節の御言葉から語りかけられる。
天と地ほどにかけ離れている私たちと神様とではあるのだが、神様はこれまで聞いてきたように、様々な形で、御心を私たちに示そうとされている。決して「異なっているのだ。お前達に私の思うところなど知ることなどできない。知らせようともしない」と突き放されるのではなしに、「異なっているけれども、知ろうとしなさい。私の思いに添って生きるものとなりなさい。そうすれば、喜び祝って生きることができるのだ」と言って下さる。
そこで、10節では、天から雨や雪が降って、それが決して空しくならず、必ず地上を潤すありさまが描かれる。天と地とは隔たっているのだけれども、神様は雨や雪を降らせてくださって、その天の恵みと言うものを、地に必ず降り注いで下さる。そうなのである。天からの雨や雪でなければ、このように地上のものを成長させることはできない。種や糧にはならない。地上からのもの、地上から生じたものは、どうやっても、そういう力はない。ただ天からのものだけが、そういう力を持つ。だからこそ、私たちは、天からのもの、天からの雨や雪、すなわち私たちに神様の御心を知らせ、それに添って生きることができるようになることが不可欠なのである。
では、その雪や雨とは何か。それが11節はじめにある「わたしの口から出るわたしの言葉」なのである。それは何よりも、聖書の言葉であるし、こうして礼拝で語られる言葉である。「空しく」とあるように、聖書を読むことが、また礼拝で人の語る説教を聞くことが、時には空しいと感じられることもあるかも知れない。けれども「空しくは」ならないのである。必ずや聞かれた神様の言葉は、天からのものを私たちに降り注ぎ、私たちを成長させる。私たちの糧となる。喜びと平安を与えるのである。
2013年 9月 8日 聖霊降臨節第17主日礼拝
09:18イエスがひとりで祈っておられたとき、弟子たちは共にいた。 そこでイエスは、「群衆は、わたしのことを何者だと言っているか」とお尋ねになった。 09:19弟子たちは答えた。 「『洗礼者ヨハネだ』と言っています。 ほかに、『エリヤだ』と言う人も、『だれか昔の預言者が生き返ったのだ』と言う人もいます。」 09:20イエスが言われた。 「それでは、あなたがたはわたしを何者だと言うのか。」 ペトロが答えた。 「神からのメシアです。」 09:21イエスは弟子たちを戒め、このことをだれにも話さないように命じて、 09:22次のように言われた。 「人の子は必ず多くの苦しみを受け、長老、祭司長、律法学者たちから排斥されて殺され、三日目に復活することになっている。」 09:23それから、イエスは皆に言われた。 「わたしについて来たい者は、自分を捨て、日々、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。 09:24自分の命を救いたいと思う者は、それを失うが、わたしのために命を失う者は、それを救うのである。 09:25人は、たとえ全世界を手に入れても、自分の身を滅ぼしたり、失ったりしては、何の得があろうか。 09:26わたしとわたしの言葉を恥じる者は、人の子も、自分と父と聖なる天使たちとの栄光に輝いて来るときに、その者を恥じる。 09:27確かに言っておく。 ここに一緒にいる人々の中には、神の国を見るまでは決して死なない者がいる。」
福島 純雄 牧師
1.今日の御言葉は、前回耳を傾けた9章10-17節の『5000人への供食』と呼ばれる出来事のすぐ後に書かれた箇所である。まず、注解書に書かれているようなことを、少しお話する。17節までの5000人への供食の出来事は、イエス様が数多くなされた奇跡のなかで、唯一4つの福音書すべてに記されているものである。ところが、4つの福音書のなかで、その奇跡の直ぐ後に、この物語を記しているのは、ルカ福音書のみである。他のマタイ・マルコ・ヨハネ福音書では、弟子たちがガリラヤ湖上で嵐に難儀している時、イエス様が不思議にも湖の上を歩いて弟子たちのところに行かれたという出来事が記されている。ルカだけが、このような書き方をしているというところに、今日の御言葉を記した彼の思い、この出来事をルカがどのようにとらえていたかが、滲み出ていると思う。実際の事実はどうだったのかは、わからない。しかし、それを伝え聞いたルカという人の受け止め方は、今日の彼独自の書き方によく現れているのである。
まず、18節以下を読むと、イエス様は、弟子たちに「群衆は、わたしのことを何者だと言っているか」とお尋ねになった、とある。イエス様がなぜこのような質問をなされたか。それがルカというひとにとっては、その直前に記した5000人への奇跡と深くつながっているということなのである。この辺りの様子については、記述の仕方は全く違っているが、ヨハネ福音書の6章に記されたことが背景にある事柄を浮かび上がらせているかも知れない。そこを読むと、5000人への奇跡を目のあたりにした人々は、イエス様を執拗に追いかけ、その人々にイエス様は「あなたがたが私を捜しているのはパンを食べてまんぷくしたらかだ」と言われ、多くの問答の後に「私の肉はまことの食べ物、私の血はまことの飲み物」(ヨハネ6章55節)と言われて、これを聞いた人々は憤慨し、実にひどい話だと言って、弟子たちの多くが離れ去って行った(6章66節)と書かれている。
5000人への奇跡の後、ヨハネ福音書に書かれているようなことがあったのではあるまいか。そういう騒動からイエス様は退かれ「一人で祈っておられた」(今日の18節はじめ)。その祈りのなかで、イエス様は改めて、人々や弟子たちが御自分に何を期待しているかを尋ねるべき時が来たことを、また、それを聞いたうえで、御自分がどのような者なのかを、はっきりと弟子たちに告げるべきときが来たことをも悟られたのではないだろうか。それを聞き、また、この事を告げるということは、ヨハネ福音書にあるように、人々や弟子たちが期待していることと、御自分がいかなる者であるかということとのかい離・ギャップがはっきりと現れてしまうことになるかも知れない。弟子たちが自分を離れ去ってしまうことになるかも知れない。しかし、5000人への供食の後の今こそが、その時であるとイエス様は悟られたのではあるまいか。
2.イエス様は、この問いに対し、弟子たちは、群衆が様々にイエス様のことを言っていることを告げ、「では、あなたがたは・・」との問いに、ペトロは「神からのメシアだ」と答えたのである。群衆が、イエス様に何を期待しているかは、この評判からは明らかではないが、ペトロの答えからは、彼や、また弟子たちの、イエス様への期待は想像することができる。それは、5000人への奇跡が示しているように、イエス様がメシア・救い主として、自分たちを飢餓やあらゆる苦しみから解き放ってくれることであった。それが、当時の人々皆が抱いていた「メシア観」というものだった。ルカ福音書の9章43節後半以下で、イエス様が2回目のご受難予告をされたとき、弟子たちは怖くて、その言葉について尋ねられなかったとあり、また、46節以下では、誰が一番偉いかとの論争が起こったことが記されているが、ここにも、彼らが「メシア」という存在に何を期待していたかが滲み出ている。それは、突き詰めれば、『受難』とは正反対の存在である。自分たちに偉さをあたえてくれるような存在である。苦しみとは無縁の存在であるがゆえに、苦しむ自分たちをそこから解き放ってくれるメシアなのである。
そういうメシア期待だったからこそ、これはルカ福音書には記されていないのだが、マタイ・マルコでは、まことによく知られた出来事として、最初の受難予告を聞いたペトロは「主よ、とんでもないことです」と言って、イエス様を諌めたとあり、これに対して主は「サタンよ引き下がれ」と叱りつけられた(マタイ16章22.23節)。後にもふれることだが、ルカはこのマタイとマルコの記事を十分に知っていたうえで、このことを敢えて省いたのだが、兎に角、こうした記述から浮かび上がってくるのは、ペトロをはじめ弟子たち、また、多くの人々が抱いていたメシアへの期待、イエス様をメシアだと信じる信仰が、イエス様の思いとはかけ離れたものであった、と言うことである。
3.ここで、私が疑問として抱くのは、では、イエス様は、ただそのような御自分への信仰を『駄目だ』と言って否定されておられるか。こういうメシア信仰にだめを出し、それを否定するために、21節以下で、最初の受難の予告をされておられるのか。まことのメシアとはこのような者だと言い、この私に従って来いと命じられるのか。マタイやマルコのニュアンスはそうなのかも知れない。だから、ペトロを「サタンよ引き下がれ」と叱りつけられる。けれども、敢えてそれを記さなかったルカのニュアンスは微妙に違っているのを、今回新たに示される。
そもそも、弟子たちや人々が、いま言ったようなイエス様へのメシア期待・信仰を抱くことを頭ごなしに駄目だといわれるのならば、いっそのこと5000人への奇跡やその他のあらゆる奇跡をなさらなければ良かったのだ。しかし、イエス様はそれをなさった。人々がそういう期待を抱いてしまうのを百も承知で、沢山の奇跡を為さったのだ。それは、人々や弟子たちが、ご自分に対してそのような期待・信仰を抱いてしまうことも、良しとして受容されるお姿ではないだろうか。私たちがイエス様を救い主と信じる、その信仰から、このようなメシア期待を締めだすことはできない。それもまた、私たちがイエス様を救い主として信じ求める信仰のなかに含まれている。それを排除してしまうことはできないことを了解しておられたのではあるまいか。ルカという人は医者だったといわれているから、医者として、病苦からのいやし・解放を求める患者達の思いを、当然のものとして受け入れる。この世の医者に期待できなくなった人々が、神からのメシアにそれを期待する。それは当然の信仰ではないだろうか。との思いが、とくにルカには強い。
それは、イエス様が期待しておられた、いわば『正解』ともいうべきメシア信仰からは程遠いものであるかも知れない。しかし、たとえ『不正解』といわれるべきものであっても、ペトロはイエス様を「メシア」だと告白することができたのだ。マタイ福音書を読むと、その告白内容が如何なるものかは十分に分かっておられたにも関わらず、イエス様は本当にそれを喜んでおられる(マタイ16章17節以下)。群衆がまったく的外れなことを言っているのに対し、ペトロは「メシア」と言うことができる。それはまことに尊い。
ルカだけが記している出来事ではないが、たとえば12年間も不正出血に苦しんだ女性が、まったくの御利益信仰としか言えない信仰を以って、群衆に紛れてイエス様の後ろの方から近づき、ただイエス様の衣服の裾にさわった。彼女に対し、イエス様は「あなたの信仰があなたを救った」と仰られたことを、また思い起こす。このような信仰でも「あなたを救う信仰」なのである。何度も言うが、それは正解とは言えない信仰であるかも知れない。けれども信仰である。イエス様を救い主として求める信仰である。イエス様はそれを喜んで下さるということを覚えようではないか。
4.けれども、また、私たちの信仰は、このようなものだけで占められてはいけない。5000人への奇跡のみを求め、それを与えて下さるイエス様のみをメシアとして信じる信仰に留まってはいけない。私たちの信仰は奇跡を与えて下さるイエス様をメシアとして信じる信仰から始まる。しかし、21節でイエス様が予告された「多くの苦しみを受け・・排斥されて殺され、三日目に復活する」お方が、メシアなのだという信仰へと徐々に成長して行く。このメシアは、もはや私たちを病苦から解放して下さることはおできにならない、ご自分自身が苦しみから解放されることはなかった。けれども、このようなお方だからこそ、苦難のなかにある私たちを慰め、力づけ、支えることがおできになる。
一体、そんなことを私たちが信じることができるようになるのだろうか。このようなイエス様を、メシアとして信じることができるようになるのだろうか。そのことを考えるとき、先程申し上げたマタイとマルコが記すところの、ペトロが「主よ、とんでもないことです」と言ったということが、本当に励ましだなぁ、と感じるのである。ペトロをはじめとして、弟子たちは、この最初の受難予告を聞いたとき、到底それを信じることなど出来なかった。しかし、そういう彼らが、最後には、この受難するイエス様がメシアだと信じることができたのである。それを人々に語り伝えることができた。さきほど示されたようなメシア信仰しか無かった彼らが、まったく正反対のメシア信仰をも受け入れることができるようになった。これが信仰の成長なのである。信仰とは、それ自身で成長して行くものなのである。いまの信仰がそのままではない。いまの信仰に留まっているのではない。
5.受難する私に従ってきなさい、とイエス様は言われた。自分を捨て、自分の十字架を背負って、受難する私に従えと言われた。これを、もし文字通りの命令として、私たちがこうしなければならない事柄として受け取るならば、到底、私たちにはそんなことは不可能である。学生時代にキルケゴールという人がこのイエス様の言葉について書いた文章を読んで、その余りの厳しさに、あぁ、これは自分は到底クリスチャンになれないと思ったものだった。彼の本意は、俺はクリスチャンだ、誰よりもクリスチャンらしいものだと誇っている人々に、お前は、このイエス様の言葉を実現できているのかと厳しい問いを突き付けるところにある。だが、しばしば、このイエス様のお言葉は、そのまま文字通り、私たちへの途方もない努力、自分を捨てるための努力のようなものを課してきてしまったのではあるまいか。
しかし、ここでイエス様が言われていることは、決して私たちが自分自身の努力で、そうしようと思って、でき得ることではないのである。ペトロが、「主よ、とんでもないことです」と言った彼が、奇跡を求める信仰しか無かった彼が、最後には、この受難するイエス様をメシアと信じ、殉教の死まで遂げることができるようになった、つまりは、イエス様が言われるように、自分を捨て十字架を負って従うことができるようになったのは、彼自身の努力によるのか。そうではなく、自ずとそうなっていったのである。
自分を捨てることなど、自分の思いでできるものではない。しかし、できなくとも、決してしたいと思わなくとも、そうせざるを得ない時がやってくる。神様の御心として、そうなるときがやってくる。その時になって、もし私たちが何処までも、昨日の自分、先程までの健康であった自分、捨てたくない自分にしがみつき守り通そうとするならば、「自分を失う」「自分の身を滅ぼす」。もう、そこに生きる瀬はないのである。昨日までの、先程までのうよすがであった様々な「自分」を手放すしかなくなっているのに、手放さなければそれ以後の歩みを進んでいくことはできないと言うのに、それを出来ないというのであれば、もう生きるすべはない。
その時にこそ、受難されたイエス様が、「私に従えば良いではないか」と言って現れて下さるのである。そのときにこそ、受難されたお方が救い主であっことがわかってくるのである。どうして、いまの私たち、本当の意味で自分を捨てることなど到底でき得ない私たちに、受難されたイエス様が救い主であることなどわかるだろうか。わかることのできない私たち、「主よ、とんでもないことです」と言うしかなかったペトロに、にもかかわらず、真正面から、受難されるご自身がメシアだと言われた。そのイエス様に、私たちの心はとらえられる。
2013年 9月 1日 聖霊降臨節第16主日礼拝
18:01その後、パウロはアテネを去ってコリントへ行った。 18:02ここで、ポントス州出身のアキラというユダヤ人とその妻プリスキラに出会った。 クラウディウス帝が全ユダヤ人をローマから退去させるようにと命令したので、最近イタリアから来たのである。 パウロはこの二人を訪ね、 18:03職業が同じであったので、彼らの家に住み込んで、一緒に仕事をした。 その職業はテント造りであった。 18:04パウロは安息日ごとに会堂で論じ、ユダヤ人やギリシア人の説得に努めていた。 18:05シラスとテモテがマケドニア州からやって来ると、パウロは御言葉を語ることに専念し、ユダヤ人に対してメシアはイエスであると力強く証しした。 18:06しかし、彼らが反抗し、口汚くののしったので、パウロは服の塵を振り払って言った。 「あなたたちの血は、あなたたちの頭に降りかかれ。わたしには責任がない。今後、わたしは異邦人の方へ行く。」 18:07パウロはそこを去り、神をあがめるティティオ・ユストという人の家に移った。 彼の家は会堂の隣にあった。 18:08会堂長のクリスポは、一家をあげて主を信じるようになった。 また、コリントの多くの人々も、パウロの言葉を聞いて信じ、洗礼を受けた。 18:09ある夜のこと、主は幻の中でパウロにこう言われた。「恐れるな。語り続けよ。黙っているな。 18:10わたしがあなたと共にいる。 だから、あなたを襲って危害を加える者はない。 この町には、わたしの民が大勢いるからだ。」 18:11パウロは一年六か月の間ここにとどまって、人々に神の言葉を教えた。
福島 純雄 牧師
1.今日は教会学校の暦で「振起日(しんきび)」とのことで、合同礼拝とさせていただいた。合同礼拝の時には、教会学校の先生方が使って居られる教材に従って聖書箇所を選んでいる。今日与えられた使徒言行録は、格別この「振起日」のために備えられたものではないのだが、しかし、読む私達をして、この言葉通り、わたしたちの心を「振り起こし」てくれるものではあるまいか。
なぜ今日の御言葉が私達のこころを振り起こすのかと言うと、ここに登場するアキラ・プリスキラという一組の夫婦とパウロの3人が、まず、その意気消沈した心を振り起こしていただいたという事実があるからであると思う。この3人が、どのように落ち込んでいる心を元気にしていただいたのか、そのことを今日は主題として御言葉に耳を傾けて行く。
まず、この人々が意気消沈していたということであるが、そういうことは今日の御言葉を読む限り、表立っては何もかかれてはいない。ただ、9節の、幻の中でパウロに語られた神様・イエス様のお言葉に「恐れるな」とあるから、彼は何らかの恐れを感じ、即ち意気消沈するような状態にあったことがほのめかされているのみである。しかし、このことは十分に想像することができるし、また、パウロ自身の言葉からもわかることである。
まず、1節に「その後、パウロはアテネを去って・・・」とあるが、この時のパウロの様子について、彼自身がコリントの信徒への手紙第一の2章3節で、次のように語っているのである。「そちらにいったとき・・・ひどく不安でした。」と。どうしてこのような状態になっていたかは、詳しくは何も書かれてはいないのだが、多くの人は、コリントに来るまでに滞在していたアテネでの「伝道の失敗」ということがあるのではないか、と言う。これも、今日の使徒言行録18章の直前の17章に、アテネでの伝道の様子が書かれているところを読む限り、はたして「失敗」といわなくてはならないものか、と感じる。確かに、17章32節以下には、「死者の復活と言うことを聞くと・・・あざ笑い・・それでパウロはその場を立ち去った」とあるが、34節には「しかし・・・」とあって、何人かの者は信仰には言ったことが語られている。
ただ、このような結果は、パウロの意図していた成果とはほど遠いものであったのだろう。後のこととも関連するが、パウロはこのアテネでの伝道で、「死者の復活」ということは口にするのだが、一言もその「死者」であるイエス様が十字架にかけられて死んだことを語ってはいない。コリントの信徒への手紙一の1章23節に「(十字架につけられたキリストは)ユダヤ人にはつまずかせるもの、異邦人には愚かなもの」とあり、パウロは十字架の上で殺されたイエス様がキリスト・救い主であるということが、アテネの人々に愚かだと言われるのをはばかって、大きな成果を求めるが故に、敢えてそれを封じたのだ、と思う。ところが、その結果は、あざ笑われ、ごくわずかな成果しか与えられなかった。アテネでの伝道を閉ざされ、失意の思いでコリントに行かざるを得なかったのである。果たして、コリントに行って、自分の語る福音を受け入れてくれる人々があるだろうか。実りが与えられるであろうか。それが、彼自身の語っている「衰弱し・・・ひどく不安でした」の理由なのではないだろうか。
次に、アキラとプリスキラという夫婦についてであるが、これは2節に、「クラウディウス帝が・・・イタリアから来た」という記述から、彼らもまた、意気消沈していただろうことは容易に想像できることではないか。このローマからの追放という史実については、注解書には次のように記されている。スエトニウスという古代の歴史家が書いた『クラウディウス伝』の25章4節のなかに、次のように書かれているそうである。「ユダヤ人たちがクレストスの扇動の下に、しきりに人心を撹乱したので、彼はこの人々をローマから追放した」と。このクレストスという人物が果たしてイエス様のことなのかどうかは定かではない。年代としては、紀元後の50年前後のことだろうとされる。とにもかくにも、この夫婦は、それまでローマで築いていたものをすべて捨てて、コリントへとやって来なければならなくなった。それが彼らを意気消沈させなかった筈はないだろう。
2.このような3人が、如何にしてその落ち込んだ心を「振り起こされて」いったのか。それは、まず、2節後半から4節に滲み出ているのである。「パウロはこの二人を訪ね・・・説得に務めていた」とある。ここには、パウロの変化しか描かれていないのであるが、落ち込んでいた筈のパウロが、今や元気に伝道できる者になっているのである。5節以下では、シラスとテモテがやってきたことにも助けられて、ますます元気になって、「ユダヤ人に対して、メシア(救い主)はイエスであると力強く証しした」とある。このユダヤ人への証し・伝道は、言うまでもなく、彼らにとってのつまずき以外の何物でもないところの「十字架の上で殺されたイエス様が救い主なのだ」というメッセージである。それを、ののしられても、ユダヤ人の会堂から追放をくらっても、落ち込まずに語り続けることのできるパウロがここにはいる。このように彼を変えたものこそ、2節後半から書かれているアキラとプリスキラという夫婦との出会いであったに違いない。その出会いの何がパウロを振り起こしたのか。
まずは、本当に単純に、同じように意気消沈していた者同士が、その失意の中で出会い、とくにパウロはこの夫婦の家に泊めてもらい、一緒に仕事までさせてもらって、そこに大いなる励ましをいただいたということがあるだろう。しかし、パウロを振り起こしたのは、ただ、この点に留まらなかったと、私は思う。先程も触れたように、パウロがコリントに来たとき落ち込んでいた最大の理由は、どうやって十字架に付けられたイエス様が救い主であるということをギリシャの人々に語ることができるのか、その福音を語る自身を喪失しているという点にあったのである。それを、この夫婦との出会いから、回復し強められたのではあるまいか。
先程引用した第一コリント2章の3節のすぐ前に「わたしはあなたがたの間で、イエス・キリスト、それも十字架につけられたキリスト以外、何も知るまいと心に決めていた」とある(2章2節)。その直後に、先に引用した部分「そちらに行ったとき」が続く。このように、パウロの心を決めさせたもの、それによってこそ彼の心が振り起こされたものは、― これは私の勝手な想像に過ぎないが ― アキラとプリスキラ夫婦との出会いではなかったのか。ローマから追放されたこの負うつが、その試練にめげないで、ますます神様への信仰を堅くしている。その信仰の核心には、十字架に付けられたイエスさまが救い主なのだとの信仰があったのではあるまいか。私達の生涯には、このように苦難が絶えない。だからこそ、この私達の苦難多き生涯を支え励まし慰めるためにこそ、イエスというお方は十字架に至る生涯を生きて下さったのだ。この方が十字架に付いてくださったことにこそ、私達の救いがある。このことを、パウロはこの夫婦から教えられたのではあるまいか。
3.さらに言えば、伝道の成果・実りとは何か。と言う点についての、パウロの味方の変化ということも、この出会いから与えられたものだった、と思う。それは、9節の「わたしの民が大勢いる」との神様からのお言葉の「大勢」ということの意味・理解に深く関わっている。
時間がなくなるかも知れないので、今ここで触れてしまうが、書かれている文章に沿っての時間の流れから言えば、この9節の語りかけは、当然8節までの出来事があっての後でのものだと理解すべきであろう。しかし、直前には「コリントの多くの人々も・・・」とあるのだし、そういうことがあった後、なおパウロが恐れを抱き、語ることができずにいる、意気消沈したままでいたというのは理解できない。先程来、触れてきたアキラとプリスキラとの出会いによって励まされたこともあるのである。だから、9節の幻・神様・イエス様からの語りかけというのは、パウロがこのコリントにやって来た当座のこと、アキラとプリスキラ夫婦との出会いのさなかで与えられたものではなかっただろうか。その出会いのなかでこそ、神様の言われる「大勢いる」との意味がわかったのである。伝道の成果として与えられる「大勢」とは何なのかがわかるのである。それがわかることによってこそ、パウロは振り起こされていくのである。
では、何が解ったのか。繰り返しになるが、アテネでは、彼は文字通りの「大勢」を伝道の成果として求めていた。それがゆえに、意気消沈した。しかし、コリントで、この一組の夫婦と出会う。たった一組の夫婦である。わずか二人の人間である。パウロを加えればわずか3人の者が、十字架に付けられたイエス様が救い主であると信じているに過ぎない。しかし、パウロは、その二人に出会ったことによって、励まされた。わずか3人のものが同じ信仰を抱いて生きていることの深い喜びというものを知った。そうであるならば、伝道の成果というものは文字通り「大勢」にあるのではないのではないか。そうではなく、それは突き詰めれば、多くに人々にとっては愚かであり、また、つまずきでしかない、十字架に付けられたイエス様が救い主だと信じる人が、たった一人でも起こされること。わずか3人のものがそれを信じて、こうして共に生きることができている。そこに「わたしの民が大勢いる」という出来事が起きているのである。イエス様を救い主と信じることのできる者が、たった一人でも起こされる。それが、神の目から見ての「大勢」なのである。
だから、私達も、私達がこれを ― その信仰は未だ未だ浅はかなものではあるのだけれども ― 信じることができたということが、どれほど大きなことか、私達の人生にとって大きな成果であり実りであったかということを、改めてかみしめたいのである。このことが、これほど大きいことであればこそ、この信仰は私達の思いを越えて、私達の生涯の中で大きな働きをしていくのではあるまいか。神様が「大勢」と言ってくださる実りであるからこそ、私達の心を振り起こす力を持っているものなのではないだろうか。
こういうことに気づいたが故の、5節以下のパウロの姿なのである。会堂を追い出され、大切な伝道の根拠を失ってしまうことにも動ぜず、きっぱりと「今後、私は異邦人の方へ行く」と言うことができる。たった一人ではあるが、テテオ・ユストという人が初穂となる。それをパウロは大いに喜ぶことができる。そこから会堂長のクリスポや多くのコリントの人々が洗礼を受けるということがおきていく。
4.さて、これまでは、専らパウロがアキラとプリスキラ夫婦との出会いから、心振り起こされた様子を見てきたのであるが、今度は、この夫婦がパウロとの出会いによって振り起こされた点を考えていきたい。
彼らはローマで築いたものをすべて手放し、このコリントへやってきた。しかし、この町でパウロという伝道者に出会って、彼らが心を振り起こされたものは何だったのか。それは、パウロという失意のなかにある電動車を励まし、彼を家に迎え入れ、その生計を支えて、4節以下にあるように、彼を力強く伝道への道へと押し出す。そういうところにあったのだ、と思う。彼らの職業が「テント造り」であったと3節にあるのは、とても象徴的だと思う。この夫婦がパウロを招いて共に造ろうとしたのは、単にテントだけではなく、「教会」というテント、イエス様を救い主と信じる者が二人または三人集まる神の家というテントを建てることに勤しんだのだ。「ユストという人の家に移った」以後は、コリント教会はこちらに移ることになったのかも知れない。しかし、場所はどうあれ、この夫婦は教会と言うテントを建て上げることに勤しむ。そこに、心を振り起こすものを見出すことができた。だから、この夫婦はパウロの手紙のあちこちで名前が出てくる。第一コリント16章19節では「アキラとプリスキラが、その家に集まる教会の人々と共に・・・」とある。この夫婦の家が、その土地の教会となっているのである。彼らはそのことに生きる喜びを感じている。
教会を維持して建て上げて行く。その労苦は大きいと思う。何故そんなことをするのか。そのことの何処が心を振り起こさせるものであるのか。それは教会が神の家であるからなのである。人間の造る器であり、様々な問題が起こる共同体ではあるが、しかし、そこで礼拝が守られ、イエス様が救い主であるとの信じる者が集まる。そのことにおいて神の家なのであり、それを建て上げる業はまことに喜びの大きいものではないか。
アキラとプリスキラはローマ皇帝によってローマを追われ、コリントにやってきた。しかし、ローマ肯定でさえも、彼らから奪い得ない喜びというものがあった。それは、教会というテントを造る営みに勤しみ、それによって心を振り起こして生きるということである。パウロと言う伝道者・同信の友と出会い、信仰共同体を建てるという喜びである。私達も、この世にある限り、この世の力ある者によって追い出され、苦難を与えられるであろう。しかし、同信の友と共に生き、教会を建て上げていくという喜びを奪われることはない。そのことが私達を振り起こすことを、心に刻もうではないか。
2013年 8月25日 聖霊降臨節第15主日礼拝
08:04あなたの天を、あなたの指の業を
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08:07御手によって造られたものをすべて治めるように
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12:41そこでペトロが、「主よ、このたとえはわたしたちのために話しておられるのですか。 それとも、みんなのためですか」と言うと、 12:42主は言われた。 「主人が召し使いたちの上に立てて、時間どおりに食べ物を分配させることにした忠実で賢い管理人は、いったいだれであろうか。
1970年4月13日、昼食をとったばかりのアポロ13号の宇宙飛行士3人は、地球から20万マイル(約32万キロメートル)離れた宇宙で、酸素タンクが破裂するという突発事故に見まわれました。彼らは、深刻な事態のなかで冷静に判断し、軌道を月の裏側をまわるように変更し、着陸せず帰還することにしました。そこで思いがけず彼らは、月の地平線から地球が昇ってくるのを見たのです。白い雲に包まれた明るい青い色をした球体でした。真っ暗な宇宙で、太陽の光りを浴びた美しい宇宙船地球号でした。彼らが撮った写真は、後世に引き継ぐべき財産となりました。それ以来、人々は、地球がかけがえのない脆い存在であることを敏感に感じるようになりました。これを私たちは「エコロジカル・センシティヴィティー(生態学的感性)」と呼ぶようになっています。
いまの時代は、この「エコロジカル・センシティヴィティー」が求められる時代です。私たちは、かけがいのない宇宙船地球号に乗って、限られた環境のなかで、限られた水の循環と、地球の表面を覆っている限られた空気のなかで生きています。私たちは、以前の世代が気づかなかった地球の資源に限界があることを知っています。もし、私たちが炭酸ガスやフロンガスをコントロールし、エネルギー、水、オゾン、ミネラル、緑地などを保護しなければ、もはや生命は維持できなくなります。
分子生物学者であり英国の牧師でもあるピーコック博士は、宇宙で起ってきたことが、人間の科学という冒険のまえで明らかになってきたのはわずか300年の科学革命のさらにわずか最近の30年だといっています。銀河系宇宙の地球という惑星でタンパク質の合成が起こり、生命が誕生し、20億年かけて知的生命体になりました。しかし、その途端、その知性が宇宙エネルギーの「核」を握り、その破壊力によって自滅するかもしれないのです。地球をかけがえのないものとして知ったときに、人間という知的生命体は地球を全滅する程の力を持ちました。これは、逆説です。いっとき科学万能の時代に、宗教はいらないといいました。しかし、いまは科学が万能のように発達してきたからこそ、命の質を考える宗教の責任あるいは価値観が必要なのです。
私は今日の説教題に「地球の世話係」という言葉を使わせていただきました。聖書には、創世記2章15節に「人を連れてきてエデンの園に住まわせ、人がそこを耕し、守るようにされた。」とあります。詩篇8篇の6節~7節には「神の僅かに劣るものとして人と造り、栄光と威光を冠としていただかせみ手によって作られたものをすべて治めるように、その足元におかれました。」とあります。英語で言えば、「託されて管理する」ということは、「スチュワードシップ」という言葉を用います。それは、「受託精神」です。命を始めすべての存在を預かっているという感覚です。英語のスチュワードは、庭や広間を見張る番人あるいは庭師や執事のことです。女性形のスチュワーデスは、飛行機の機内を管理しサーヴィスする人です。スチュワードは、ある程度任された人物です。任されるというのは、そこに主体性も予想されます。創意工夫が求められます。イエス・キリストは、たとえで「忠実な思慮深い家令は、いったいだれか」といっています。思慮深いというのは、主体的に責任的な行動ができることです。
スチュワード、スチュワーデスというのは、聖書の人間観です。古代ギリシャの哲学者の多くは、地上の事、物質生活を軽蔑しました。しかし聖書は、この地上を託された大切な「預かりもの」また「賜物」と見ています。詩篇第8篇の詩人は、驚きから歌い始めています。「主よ、私たちの主よ、あなたのみ名は、いかに力強く、全地に満ちています」と。おそらくテントから外に出て、夜空の満天の星を見上げて、驚きの中にも感謝を歌ったのだと思われます。ギリシャ哲学も驚きから始まったと言われますが、へブルの詩人も驚きから感謝の信仰を歌い上げて責任に触れています。私たちは、まず生かされていることを謙虚に考えなければなりません。そして命を素晴らしい賜物として感謝し、同時に責任をもつのです。
「すべての人間は、生れながらにして自由であり、かつ、尊厳と権利とについて平等である。」という第一条をもつ世界人権宣言が1948年12月10日に国連総会で採択されました。それは、わりと知られていますが、その50年後の1998年に、50周年を記念して、世界の政治家のОBサミットが「人間の責任についての世界宣言」を準備したことはあまり知られていません。アメリカのカーター元大統領、ドイツのシュミット元首相など世界の元政治家の集まりは、1983年に日本の福田赳夫元首相が提案して始まりましたが、会議を重ね、この責任宣言には、シンガポールのリー・クワン・ユー元首相や宮澤喜一、土井たか子、加藤寛といった日本の政治において責任をもったことのある人たちの名前も記されています。次のように責任を記しています。
第1条は、「すべての人々は、性、人種、社会的地位、政治的見解、言語、年齢、国籍または宗教に関わらず、すべての人々を人道的に遇する責任を負っている。」。「第2条。何人も、いかなる形にせよ非人間的な行為に支持を与えてはならず、すべての人は他のすべての人々の尊厳と自尊のために努力する責任を負っている。」。この環境問題と宗教観対話をふまえた「人間の責任についての世界宣言」には繰り返し責任という言葉が出てきます。第七条には、「すべての人々は限りなく尊く無条件に保護されなければならない。動物、自然環境も保護を求めている。すべての人々は、現在生きている人々および将来世代の人々のために、空気、水および土壌を保護する責任を負っている。」とあります。
私たちは、なぜ聖書を学び祈る必要があるでしょう。
聖書の人間観で言えば、それは、このかけがえのない命の惑星を正しく管理するためです。私たちは、恵みの賜物によって自分を育てられ、支えられ、生かされていると理解できます。現代人の感覚で言えば、進化してきた生命のカーペットの最先端でと自覚できます。さらに大切なのは、私たちは生命の頂点にたたせられただけでなく、知性を与えられ、精神を与えられ、責任的に生きる存在となったことです。イエス・キリストは、本気で仕える生活を示すために命を捧げられました。それに答えて私たちは、イエス・キリストの友として、また造り主のパートナーとしてスチュワードシップに生きる意欲を与えられます。
神は、パートナーとして人間という新しい存在をうみだし、生命の頂点に立たせ、生かされている意味を感謝したり、どのような社会を作ったら良いかを考えたりする自由を与えたのです。私たち人間は、この新しい存在であり、命を感謝できる唯一の被造物です。この意味で、私たちは、進化と歴史の「最先端」に生きて責任を持っているのです。私たちは、過去から考えるのでなく、ビジョンをもつことを許されています。目の前に、希望を持つ存在です。それは、マルチン・ルサー・キングが皮膚の色を越えた共同体を希望したようなビジョンです。預言者イザヤの「狼が子羊とともにいる」という弱い者も強い者も和解して生きる弱肉強食をこえた、この平和のビジョン、シャローム・モデルは、主イエスが私たちにもたらしてくださった神の国のビジョンでもあります。
ところが、私たちは、最近になって、生命のカーペットをよごし、引き裂き、それを支えている自然環境を汚染してきました。敢えて言えば、私たちは、スチュワードシップから人間の独裁主義「ディクテイタシップ」になって生命の尊厳にさからって生活し行動してきました。そして、人間のもたらす生態系のダメージはひろがり、ついに人間とその他の生物を破壊するかもしれないのです。たとえば、私たちが地球上にもたらすかもしれない核戦争は、ひとりひとりを破壊すると同時に全人類に破滅をもたらし、地球を月のような命のない砂漠ばかりの星にしてしまう危険があります。その上、ついには人間がやっと明らかにしはじめた愛とか真理とか自由といった価値の次元をも破壊してしまうのです。これは、私たちの世代において責任をとらなければならない巨大な逆説であります。私たちは、これをしっかりと目を見開いて知らなければならないのです。
各福音書の受難物語の直前には、主イエスと弟子たちの対話が記されています。そこには、弟子たちが望んでいたディクテイタシップが出ています。私たちを右左に座らせて下さいというのは、イエス・キリストを誤解しているのですが、独裁者の地位につきたいという願望です。私たちは、明らかに、生きていく発想を変えなければなりません。悔い改めと方向転換が求められます。弟子たちの願望に対して、イエス・キリストは、仕える生き方を示されました。リーダーシップをとってもよいが、仕える生き方をしなさいといわれました。今日、このような聖なるものとの新しい出会いが必要です。そして今日、すべての生命がお互いに支え合っているという自覚に結びついた神への感謝とこの地球への責任が必要です。自己愛より、むしろ生命全体に対する愛が必要なのです。私たちは本当に、愛を教えられる必要があるのです。究極において、イエス・キリストを信じて愛を知ることは、宇宙的次元をもっていると思うのです。Self-interestよりEarth-interestが大切です。
最後に、このイエス・キリストの愛を考えてみましょう。日本人としてイエス・キリストについて真剣に考えた作家の一人である遠藤周作氏が、彼の代表作『沈黙』という作品でイエス・キリストを描きました。この小説の主人公は、実在の人物をモデルにしていますが、セバスチァン・ロドリゴというポルトガルの宣教師は、神がどうして迫害や拷問に対して答えないのか理解できませんでした。セバスチァンは、ついに恐るべき拷問にかけられるときが来ました。しかし、まだ神は沈黙しており、彼の叫びや祈りに応答しないのです。そして、彼は棄教します。彼は、踏み絵を目の前に置かれ、信じていたキリストを踏むように命じられます。そのとき彼は神の声を聞くのです。それを遠藤はつぎのように言っています。
・・・司祭は両手で踏み絵をもちあげ、顔に近づけた。人々の多くの足に踏まれたその顔に自分の顔を押しあてたかった。踏み絵のなかのあの人は多くの人間にふまれたために摩滅し、凹んだまま司祭を悲しげな眼差しで見つめている。その目からはまさにひとしずく涙がこぼれそうだった。・・・
「ほんの形だけのことだ。形などどうでもいいことではないか」・・・「形だけ踏めばよいことだ」
司祭は足をあげた。足に鈍い重い痛みを感じた。それは形だけのことではなかった。自分は今、自分の生涯のなかで最も美しいと思ってきたもの、最も聖らかと信じてきたもの、最も人間の理想と夢にみたされたものを踏む。この足の痛み。そのとき、「踏むがいい」と銅版のあの人は司祭にむかって言った。踏むがいい。お前の足の痛さをこの私が一番よく知っている。踏むがいい。私はお前たちに踏まれるため、この世に生れ、おまえたちの痛さを分かつために十字架を背負ったのだ。
キリスト教信仰は、最も高貴なもの、最も美しいものが踏みつけられる出来事から始まったのであります。敢えて言えば、神は、上ではなく、下に、私たちの足の下にいるということなのです。まさに、キリスト教の救い主は、上ではなくて下にいるのであります。それが主イエスの愛であります。これが私たちの下にいる救い主であるなら、私たちは電車のなかで他人の足を踏んでしまったときのように、その足を急いでどけなければなりません。そして互いに仕えあう生き方に変わっていくのです。パウロは、ロマ書16章20節で「平和のみなもとである神」と言っています。キリストにおいて神ご自身が罪人である私たちと和解してくださったからです。この和解の出来事が「平和の源」を提供するのです。
キリスト教は、科学が万能のように発達したからこそ、この時代に必要なのです。これはある種の逆説ですが真理です。最もふさわしい解決を与えます。なぜなら、生命のカーペットをあらしめた「有ってあるもの」である作り主の父なる神の秘密を明らかにしたあのイエス・キリストが、私たちの足を洗って下さり、最も低い十字架条の死を経験されたとキリス者は考えるからです。本気で、自分のためではなく、愛に生きる生活が喜びであることを知らせてくれたからです。これが本当のエコロジカル・センシティヴィティーや神の和解を主イエスの十字架に見る「シャローム・モデル」だからです。スチュワードシップは、生命と環境の責任を意味しますが、さらに私たちがシャロームのモデルとして仕え合って生きることを促しています。
2013年 8月18日 聖霊降臨節第14主日礼拝
21:01その後、イエスはティベリアス湖畔で、また弟子たちに御自身を現された。その次第はこうである。 21:02シモン・ペトロ、ディディモと呼ばれるトマス、ガリラヤのカナ出身のナタナエル、ゼベダイの子たち、それに、ほかの二人の弟子が一緒にいた。 21:03シモン・ペトロが、「わたしは漁に行く」と言うと、彼らは、「わたしたちも一緒に行こう」と言った。 彼らは出て行って、舟に乗り込んだ。 しかし、その夜は何もとれなかった。 21:04既に夜が明けたころ、イエスが岸に立っておられた。 だが、弟子たちは、それがイエスだとは分からなかった。 21:05イエスが、「子たちよ、何か食べる物があるか」と言われると、彼らは、「ありません」と答えた。 21:06イエスは言われた。「舟の右側に網を打ちなさい。 そうすればとれるはずだ。」そこで、網を打ってみると、魚があまり多くて、もはや網を引き上げることができなかった。 21:07イエスの愛しておられたあの弟子がペトロに、「主だ」と言った。 シモン・ペトロは「主だ」と聞くと、裸同然だったので、上着をまとって湖に飛び込んだ。 21:08ほかの弟子たちは魚のかかった網を引いて、舟で戻って来た。 陸から二百ペキスばかりしか離れていなかったのである。 21:09さて、陸に上がってみると、炭火がおこしてあった。 その上に魚がのせてあり、パンもあった。 21:10イエスが、「今とった魚を何匹か持って来なさい」と言われた。 21:11シモン・ペトロが舟に乗り込んで網を陸に引き上げると、百五十三匹もの大きな魚でいっぱいであった。 それほど多くとれたのに、網は破れていなかった。 21:12イエスは、「さあ、来て、朝の食事をしなさい」と言われた。 弟子たちはだれも、「あなたはどなたですか」と問いただそうとはしなかった。 主であることを知っていたからである。 21:13イエスは来て、パンを取って弟子たちに与えられた。 魚も同じようにされた。 21:14イエスが死者の中から復活した後、弟子たちに現れたのは、これでもう三度目である。
日本キリスト教団 中村町教会 小友 絹代 牧師
ヨハネによる福音書の21章を読んで、少し戸惑いを覚える方がおられるかも知れません。というのも、すぐ前の20章の終わりを読むと、そこでヨハネ伝は、締めくくられているからです。明らかに、本来のヨハネ伝は、20章で終わっていたと考えられます。21章は、ヨハネ伝ができあがった後から付け加えられた章だということは、ほぼ疑問の余地のないことだと言えます。ただこの21章が、後から付加されたとしても、これを書いた人が、20章までを書いたのと同じ人であったのかどうかということ、更にどういう目的で、またどういう理由で21章が書かれたのかということ、書かれねばならなかったのかということは、とても大切な問題だと思います。しかし、その問題自体について考えるより、与えられた聖書の言葉に即して、その意味も含めて読みたいと思います。
まず、1節には「その後、イエスはティベリアス湖畔で、また弟子たちに御自身を現わされた。」とあります。21章の舞台は、いきなりティベリアス湖畔ということです。ティベリアス湖は、ガリラヤ湖の別名です。ガリラヤ湖が、ティベリアス湖と呼ばれたのは、ガリラヤの領主ヘロデ・アンティパスが、ローマ皇帝ティベリアスの名にちなんで、ガリラヤ湖の西岸に建てた町ティベリアスからきたものです。ティベリアスは、ガリラヤの首都で、湖もこの名で呼ばれるようになったのです。20章までの舞台は、主にエルサレムが中心でした。とくに主イエスが、エルサレムに入城され、十字架で処刑され埋葬されたこと、そして復活されたこと、そして復活された主イエスが、弟子たちに現れたことは、全てエルサレムで起こりました。ところが、21章になると、舞台は急にガリラヤ湖畔に移っているわけです。ガリラヤは、12弟子すべての故郷です。そのガリラヤに舞台が移っているのです。弟子たちが、復活された主にお会いした後で、どうして故郷のガリラヤに帰ってきたのでしょうか。それについて聖書には、何も書かれていません。2節によると、この時一緒にいた弟子たちは7人とのことです。ペトロ、トマス、ナタナエル、ゼベダイの子たちとはヤコブとヨハネ(他の福音書によると)、そして名の記されていない他の二人の弟子の7名です。この中で、元々の漁師はペテロ、ヤコブ、ヨハネの3名です。その弟子たちのリーダー格のペトロが、3節で「わたしは漁に行く」と言うと、他の弟子たちも同調して、皆で舟に乗り、漁に出かけました。
ここで、ふと私たちが不思議に思うのは、20章21~23節で、弟子たちは復活の主から、皆この世への派遣命令を聞いた者たちだということです。その彼らが、ガリラヤに帰って何をしているかと言えば、元の仕事である漁師に戻っているのです。復活の主の、あの派遣命令のことを、このとき彼らはどう思っていたのでしょうか。どのような心持ちで、再びガリラヤに帰り、漁師として生活しようとしていたのでしょうか。そういうことは、聖書には、彼らの心の中のことは、何も書いてないので、私たちにはわかりません。
ただ、ここに記された彼らの外面的な生活についてだけ言えば、すでに復活の主に出会い、その主との出会いを喜び、そして主の、あの派遣命令を受けたにも関われず、まるで何事も無かったかのように、あるいはそれを忘れてしまったかのように、日々の生活に戻っている彼らの姿がここにあるということです。つまり彼らは、旧態依然たる生活に戻っているのです。ペトロが「わたしは漁に行く」と言ったのは、はりきって出かけて行ったのではないと思うのです。主イエスとお会いする以前の自分の生業である漁師に、仕方なく戻ったという響きがあります。何かの理由で、主イエスと離れ、主イエスと関わりなく生きる生活に戻ってしまった弟子たちの姿がここにあります。しかも3節に「しかし、その夜は何もとれなかった」とあるように、彼らは、徒労に終わることの多い日々の生活を送っていました。虚しく時を過ごしている人の姿が、象徴的にあらわされているように思うのです。
ここに、このように記された弟子たちの姿は、私たち自身の姿でもあると言えます。もちろん私たちは、この弟子たちのように、直接復活の主に接した者ではありませんが、教会で御言葉を通して、主の復活の福音を聞いた者です。取るに足りない小さな者ながらも、主の復活に対する信仰を与えられた者です。しかしそれにも関わらず、私たちの日々の生活は、ここに記された故郷ガリラヤにおける弟子たちの生活と少しも違っていないのではないでしょうか。彼らと同様、私たちも、主の復活が無かったかのような生活にあり、主の復活を忘れてしまったかのような生活を送っているということなのです。人生の無意味感や、信仰生活の空しさを抱えて生きています。
信仰に入った時は、高揚感があったとしても、次第に、何も変わっていないような虚無感を覚える時があります。そんな思いが、私たちの心を蝕んでいく恐れがあるのです。何十年も生きてきて、信仰生活をしてきたとしても、「何も取れなかった」という思いに襲われることがあるのです。
この7人の弟子の、7という数字は、他の数字で割り切れないので、よく完全数と呼ばれます。ですから聖書の中では、象徴的な意味を持たされているのです。それで、この7人の弟子たちは、教会のことを意味しているとも言われています。主イエス復活後の教会の中に、伝道の徒労感を覚える時がしばしばあったということかも知れません。
伝道が振るわないと思えるとき、怠けている訳ではありませんが、ちっとも伝道が進んでいないように思えて、徒労感ばかりが募る時があります。結局「何も取れなかった」との思いになるのです。ところが、そういう弟子たちの徒労感に襲われた生活の中に、突然、復活の主がご自身を現わして下さると聖書は告げているのです。
4節には「既に夜が明けたころ、イエスが岸に立っておられた。だが、弟子たちは、それがイエスだとは分からなかった」とあります。前にも弟子たちは復活の主に会っているのに、主イエスのことが分からなかったのです。弟子たちが徒労感に襲われたのは、復活の主の臨在を見失ったからではないかと思うのです。
私たちが人生に徒労感を覚える時とは、それは復活の主の臨在を忘れてしまうときではないでしょうか。また、教会が伝道に徒労感を感じるのも、復活の主を見失い、主イエスが生きておられることが分からなくなる時ではないかと思うのです。
主イエスはその夜、どこで何をしておられたのでしょうか。ある人は、主イエスはその夜、弟子たちが空しく悪戦苦闘しているのを、じっと目に留めておられ、闇の中で見守っておられたのではないかと言っています。
何もとれずに帰ってきた弟子たちを、主イエスは、岸で待っておられました。その疲れ切った弟子たちに向かって、主イエスは「子たちよ」と声をかけました。不思議な呼びかけです。ヨハネ伝1章から20章までには一度も出てこなかった言葉であり、呼びかけです。まるで、親が自分の子供に向かって語りかけているかのようです。心からの愛情と、いたわりを込めた言葉です。この呼びかけが、復活の主と弟子たちの交わりを新たにするのです。主の方から弟子たちに呼びかけて下さいました。
この時の弟子たちと同じ状況にある私たちも同じです。私たちが空しい生活に明け暮れている時、失意の中にあり、目標を失っている時、主は私たちをご覧になって「子たちよ」と呼びかけて下さるのです。今朝もそうです。復活の信仰とは、この主の呼びかけを聞くことです。今朝、私たちが礼拝に集まったのは、この主の呼びかけを聞くためです。この箇所には、主イエスがご自身を現わされるときの様子が克明に伝えられています。まず主は、弟子たちのこと、そして私たちのことを、すべてご存だということです。弟子たちは、そして私たちは、まだ主のことが分かりません。ただ日々の生活の中で主を忘れ、空しさや徒労感を抱えている私たちには、主のことが分からないのです。しかし、その時に主は、既に弟子たちに(そして私たちに)目を留め、すべてを御存知で、岸に立って、何も持たずに戻ってくる私たちを待っていて下さるのです。そして「子たちよ」と呼びかけて下さり、そして問われます。「何か食べ物があるか」と。それはすぐ後でわかるように、命の交わりである主との食卓に私たちを招くための問いかけです。そして愛に充ちた指示をなさいます。「舟の右側に網を打ちなさい。そうすればとれるはずだ(6節)」。その主イエスの指示通りにすると、思いもしなかった程の大量の魚が網にかかりました。主イエスなしでうまくいかなかったことが、主イエスのお言葉によってやり遂げることができたということです。それが、これから弟子たちが主を信じて生きるための経験となったと思います。そして同時に、主は弟子たちを、そして私たちを失意のままで人生を終わらせることはなさらないということだと思うのです。何の収穫もなく帰ることがあったとしても、そこに主イエスは立って、私たちの帰りを待っていて下さるのです。私たちの労苦をすべて知っていて、肩を落として帰ってくる私たちを迎えるために待っておられるのです。その主イエスの立っておられる岸が教会であり、この礼拝であると思うのです。
そしてその時、イエスの愛しておられた弟子が、ペトロに「主だ」と叫びました。ペトロはそれを聞いて、あわてて湖に飛び込み、泳いで主イエスの元に急ぎました。恐らくペトロには、これまでの疲労も吹き飛ぶ程の喜びがあったのではないかと思います。それは、主にお会いできる喜びです。陸に上がってみると、炭火がおこしてあり、その上には魚がのせてあり、パンもありました。朝の食事の準備がされていたのです。これだけでも、復活の主が弟子たちを待っていたこたが分かります。主イエスは、弟子たちに語りました。「今とった魚を何匹か持って来なさい(10節)」。「さあ、来て、朝の食事をしなさい(12節)」。主イエスの心のこもった配慮が示され、食事への招きがありました。そして更に、「イエスは来て、パンを取って弟子たちに与えられた。魚も同じようにされた(13節)」。ここで復活の主は、自ら食卓の主となって、パンと魚を弟子たちに分け与えて下さいました。朝の湖畔の、静かな空気の中で食事が始まりました。弟子たちは、もうこの時には、自分たちと食事を共にしている人が誰であるかを皆知っていました。恐らく、彼らの心の中には、かつて主イエスと共にした数々の食事の思い出が甦ったことでしょう。とりわけ、主イエスが十字架につけられる直前に、共にした最後の晩餐の思い出が甦ったと思うのです。あの時と違うことは、主イエスは十字架に死なれ、墓に葬られたけれど、復活されて今、自分たちと一緒におられるということでした。
主は復活され、生きておられるということでした。
主は生きておられるのです。私たちが主を忘れ、空しく帰ろうとしているその岸に立って、私たちを迎えるために待っておられるのです。私たちは皆、そのような岸を持っています。徒労感だけを抱えて帰る岸、すべてを失って帰る岸、先の見えない不安をかかえて帰る岸、自分の愛の貧しさに打ちひしがれて帰る岸、夢破れて帰る岸があるのです。その岸に立って主は、私たちを迎えるために待っていて下さいます。なんという慰めでしょう。復活の信仰とは、このように主が待っていて下さることを信じることです。そこで復活の主との愛と命の交わりを与えられることによって、私たちは再び信仰の道を歩みだすことができるのです。
2013年 8月 11日 聖霊降臨節第13主日礼拝
26:26アビメレクが参謀のアフザトと軍隊の長のピコルと共に、ゲラルからイサクのところに来た。 26:27イサクは彼らに尋ねた。「あなたたちは、わたしを憎んで追い出したのに、なぜここに来たのですか。」 26:28彼らは答えた。 「主があなたと共におられることがよく分かったからです。 そこで考えたのですが、我々はお互いに、つまり、我々とあなたとの間で誓約を交わし、あなたと契約を結びたいのです。 26:29以前、我々はあなたに何ら危害を加えず、むしろあなたのためになるよう計り、あなたを無事に送り出しました。 そのようにあなたも、我々にいかなる害も与えないでください。 あなたは確かに、主に祝福された方です。」 26:30そこで、イサクは彼らのために祝宴を催し、共に飲み食いした。 26:31次の朝早く、互いに誓いを交わした後、イサクは彼らを送り出し、彼らは安らかに去って行った。 26:32その日に、井戸を掘っていたイサクの僕たちが帰って来て、「水が出ました」と報告した。 26:33そこで、イサクはその井戸をシブア(誓い)と名付けた。 そこで、その町の名は、今日に至るまで、ベエル・シェバ(誓いの井戸)といわれている。
福島 純雄 牧師
1.アビメレクという人が部下と共に、イサクのもとにやってきたことが26節と27節に書かれている。そして、イサクは彼らに「あなたたちは、わたしを憎んで追い出したのに、なぜここに来たのですか。」と問うた。なぜ、イサクがこのようなことを言ったのか。その経過について、簡単に振り返ってみよう。
イサクがいたパレスチナの地域に飢饉があったので、彼はエジプトに避難しようとしていた。エジプトにはナイル川があって、飢饉を避けるにはふさわしい場所だったのだろう。ところが、このとき初めて神様が彼に現れて、言葉をかけられた。「エジプトに行くな、私の示すこの地に、寄留者として留まれ」と。イサクは、この神様の言葉に従い、ペリシテ人が住むゲラルの地に寄留した。そのゲラルの王様がアビメレクであった。その後、寄留者である者には、本来起こり得ない幸が起きた。そのために、ペリシテ人の嫉みを買い、厭がらせを受けることになった。生活の拠り所であった井戸を埋められてしまったのである。とうとうアビメレクからも「ここから出て行ってほしい」と言われてしまった。追い出されたイサクは、執拗なペリシテ人からの厭がらせにもかかわらず、ベエル・シェバという所に井戸を見つけた。そこに、かのアビメレクたちがやってきたのである。だから、イサクは「私を憎んで追い出したのに」と言ったのであった。
彼らが来た理由は「主があなたと共に居られることがわかったから」そして「あなたは主に祝福された方だということが解ったから」だという。
「主」という存在が共にあり、味方し、祝福しているイサクを、ぞんざいに扱うことはできなかった。それは「主」を敵に回すことであり、自分たちに災いをもたらすことだとわかったのであろう。だから、イサクと契約を結び、平和な関係であろうとした。
このように、かつて自分たちを憎み迫害した者が、それも土地の王である者が、いまやこのように彼らの方から膝をかがめて、和睦を申し出て来るようになった。
それは一言で言えば、イサクの側の「勝利」ということである。憎み迫害した者に対して、同じ憎しみや暴力によってではなく、打ち勝つことができた有り様である。このことが、この物語を読むイスラエルの人々に、どれほど大きな励ましを与え、また、示唆を与えたか、想像に難くない。
実は、イサクの父アブラハムにも同じような場面があったことが、創世記の21章に書かれている。それは、繰り返し繰り返し、イスラエルの人々がペリシテ人の支配する地域に寄留せざるを得なくなり、その度に、肩身の狭い思いをし、憎まれ追い出されたことを物語っていた。
そして、それはまた、この創世記を読んだ、後のイスラエル人のおかれた境遇でもあったのである。彼らはこの物語を読んで、いつのときにか、自分たちを憎み追い出した者たちが、膝を屈して自分たちのもとにやってくる時がくることを望み見ていた。憎しみの中におかれている自分たちが、どのように振舞うべきかを教えられたのである。
2.それでは、アビメレクをして「主があなたと共に」「あなたは主に祝福された方」と言わしめた、そのイサクの有り様はどのようなものであったのか。
とにかく、それは寄留者として非常に肩身の狭い、立場の苦しい状況におかれた筈のイサクが、それにもかかわらず、なぜかそれを生き抜き、却って祝され栄えていくという、不思議な有り様なのであった。普通の難民であれば、どんどん生きる余地を狭められ、そうであるが故に、ペリシテ人やアビメレクから加えられた憎しみや迫害に対して、必要以上に怒り、憎しみを返して、闘いさえ起こるような状況ではなかったか。それ故に、闘いによって自らを死地に追い込んでしまったかもしれないのに、イサクはそうしなかった。じっと、それに耐えて、却って、― 22節に「広い場所」という言葉がいみじくもでてくるが、― どんどん生きるにふさわしい「広い場所」を得て行った。
そういう有り様なのであった。
そもそものスタートは、飢饉を避けてエジプトに向かう筈なのに、 ― 多分、多くの避難民はエジプトに向かっていったであろう ― イサクは、何故かそうしなかったことであった。わざわざ、アビメレクという王が支配していた、文化的にも経済的にも軍事的にも遥かに強大なペリシテ人の住むゲラルに留まったということが、不思議なのである。だからこそ、妻リベカが妹だと嘘をつかざるを得ない破目に陥った。これも、普通ならば、そこから様々な破たんが起きてもおかしくない(イサクの父アブラハムは2度にわたって同じような嘘をついたことを思い起こす)。ところが、どういう訳か、アビメレク王が11節にあるように「この人、またはその妻に危害を加える者は、必ず死刑に処せられる。」という命令を出すことになった。一介の難民に過ぎない夫婦のために、王がこのような命令をなぜしたのか。聖書には、何もその理由が書かれていない。恐らくは、アブラハムにあったような、神様からの強い促しがあったのであろう。嘘をつかざるを得ない状況にあっても、何故か守られたのである。
次には、試しに種を蒔いてみたら100倍もの収穫があったこと、難民であるにも関わらず、ますます豊かになり、富み栄えたということが起きた。イサクが住んでも良いとされた土地は、恐らくは、ペリシテの人々が住まない、耕作などもできない荒地であったに違いない。そこに、イサクは種を蒔いた。すると、豊かな収穫があった。ますます富み栄えた。難民であったのに、何故か。これが、ペリシテ人からの嫉みを買った理由であった。
そして、15節以下、「出て行け」と言われたイサクは、どうしたのか。普通ならば、100倍もの収穫があり、富と栄を与えてくれる地を、易々と手放しはしないだろう。そこにしがみつき守り、出て行けと言われても、それに対して闘おうとするであろう。ところが、イサクは一切争わず、しがみつかず、易々と「そこを去り」、かつ、また、エジプトに向かうでもなく、 ― もうゲラルからエジプトまでは、ほんの2日か3日の道である、目と鼻の先にエジプトがあった ―、わざわざゲラルの谷に住んだという。そこは、一旦雨が降ると激流が押し寄せてくるような、現地の人であれば決して住まない危険な土地であった。そこにイサクは住まわざるを得なくなった。しかし、却って、そこに住んだことが、それまで知らなかった井戸を ― それは父アブラハムがかつて掘った井戸であった ― 発見させることになった。一つ目と二つ目の井戸は、ペリシテ人の厭がらせを受け、取られてしまったが、争わなかった。三番目の井戸には、もう難癖をつけられなかった。「広い場所」と名付けられた。ところが、何故か、折角のこの井戸を、イサクは手放して、ベエル・シェバに向かってしまった。そこに祭壇を築き、主の名を呼んで、礼拝を捧げた。そこにテントを張り、井戸を再び掘りはじめた。
こうしたことの一部始終を、アビメレクは見ていたのである。イサクをこのように在らしめた根源にあったものは何か。それは、この25節に記されている、礼拝を捧げ、そこでテントを張り、井戸を掘ったイサクの姿からわかるのである。「主」という存在によって、イサクの行動は導かれていったのである。主によって導かれている者を、神様は祝福されたのである。あらゆる逆境や困難をはねのけさせて、「広い場所」へといざなった。この主に礼拝を捧げ、そこにテントを築き、井戸を掘る者の生活を、いかなるこの世の王も壊すことができなかった。
3.ここで、今回改めて大切なこととして示された点がある。アビメレクは、イサクに「主があなたと共に居られる」と言った。「主があなたと共にあり祝福していることが、あなたをこのように在らしめている」と言った。確かにその通りである。しかし、では、イサクがこのように歩んでこられたのは、すべて100%「主が共にあり」「祝福」された故なのか。神様がすべて、イサクの在り方を生じさせたのか。そうではない、と私は思う。第一の原因、第一の源は、エジプトに行こうとしていたイサクを止めた神様にあった。嘘をついた彼は、聖書には何も記されてはいないが、悩み葛藤したことであろう。そういう彼に現れ、御言葉をかけ、共に居つづけて下さった神様が、確かに根源に居られたのであろう。しかし、その神様を信じ、その御言葉に従おうと決断し、アビメレク王やペリシテ人の度重なる厭がらせや憎しみに対して、じっと忍耐をして井戸を掘りつづけたのは、イサク自身なのであった。そこには、イサク自身の行為があった。主体的な決断と選択があった。
神様が共に居て下さり、また、祝福して下さるということは、オートマチックなことではないのである。直ぐにそれとわかり、私たちが何もしなくとも、ただ黙っていても、自ずと富み栄えるということではない。12節、イサクは荒れ地に種を蒔いた。しかし100倍もの収穫を与えた土地を手放した。そして、誰も住まない枯れ川の谷に住むことを受け入れた。そして、何度も何度も井戸を掘り続けた。そのようにして、神様が共にあり、祝福して下さることが、現実の生活の中に徐々に現れてきたのである。信仰生活とは、このようなものなのである。だからこそ、難しさもあり、しかし、私たちの側の自由があり、決断があり、創意工夫が大いに絡んでいるものなのである。すべてを神様がやって下さるわけではないのである。
4.聖書研究祈祷会が学んでいる事柄が、また、いま示されたことと重なってくるので、御紹介をしたい。サウルとダビデが、同じように神様に油を注がれた者であったにも関わらず、また、同じように過ちを犯したにもかかわらず、どうして、あれほどに右と左にどんどんと離れて行ったのか考えさせられるのである。神様に油を注がれたとは、今日の御言葉で言えば、神様が共にあり、祝福を受けている存在だということである。大事なことは、そのことを信じ、それに応答し、自分が置かれた困難な状況の中でも、それを信じて生きるか否かではあるまいか。28章では、サウルはペリシテの大軍を前にして、恐れまどい、神様に御言葉を求めたが、何も与えられなかったので、霊媒師のもとに行って、死人のサムエルを呼びだしてアドヴァイスを得るというところまで追い込まれた。かたや、そのサウルによってずっと命を狙われ、いまは何と敵のペリシテ人の将軍のもとに身を寄ることとなったダビデは、その将軍のボディガードを任されていた。サウルが恐れ慄くペリシテの大軍の真っただ中にいたダビデは、何故か威風堂々としていた。この対照的な有り様は、何処からくるのか。神様への信頼を失い、かっとして、自分の思いで行動を起こそうとしたダビデであった。その点では、サウルと何の違いもない。しかし、ダビデは、些細な事柄の中に、また、普通の人であれば見逃してしまうような出会いのなかに、神様の御心を感じとれたのである。サウルの命を取る2度ものチャンスがありながら、「主が油を注いだものに手をかけてはいけない」と言って、サウルを助けた。アビガイルという女性の言葉を受入れ、その言葉に神様の言葉を聞くことができた。実は、サウルにも、神様の言葉を聞くチャンスは何度でもあったのである。それは、ダビデから助けられたことである。ダビデが彼を「油注がれた者」として扱って下さったということは、すなわち、神様の御業であった。そこに、神様の声を聞くことが出来たなら、彼のその後の歩みは、決定的に異なった。神様の祝福が具体的に目に見るものとなった筈である。
神様は私たちと共にいてくださり、祝福して下さるお方なのである。しかし、それは自動的には現れない。イサクが、このような状況におかれたように、サウルやダビデがおかれた如くである。けれども、そこに神様が共に居てくださると信じる、そこにも祝福があると信じ、種を蒔き、ゲラルの谷に住み、井戸を掘り続けることが肝要なのである。すると、具体的に祝福の有り様が目に見えて現れてくる。アビメレクという敵対する王にも否定できず、無視できない現実として、出現してくる。敵対するものと、かつては考えられてないような形で、共に食事をし、和やかに安らかに和解ができる。そして、そこに掘っていた井戸から水がでたとの報せがもたらされる。これが信仰生活の喜びなのである。
2013年 8月 4日 聖霊降臨節第12主日礼拝
01:04キリストは、わたしたちの神であり父である方の御心に従い、この悪の世からわたしたちを救い出そうとして、御自身をわたしたちの罪のために献げてくださったのです。 01:05わたしたちの神であり父である方に世々限りなく栄光がありますように、アーメン。 01:06キリストの恵みへ招いてくださった方から、あなたがたがこんなにも早く離れて、ほかの福音に乗り換えようとしていることに、わたしはあきれ果てています。 01:07ほかの福音といっても、もう一つ別の福音があるわけではなく、ある人々があなたがたを惑わし、キリストの福音を覆そうとしているにすぎないのです。 01:08しかし、たとえわたしたち自身であれ、天使であれ、わたしたちがあなたがたに告げ知らせたものに反する福音を告げ知らせようとするならば、呪われるがよい。 01:09わたしたちが前にも言っておいたように、今また、わたしは繰り返して言います。 あなたがたが受けたものに反する福音を告げ知らせる者がいれば、呪われるがよい。 01:10こんなことを言って、今わたしは人に取り入ろうとしているのでしょうか。 それとも、神に取り入ろうとしているのでしょうか。 あるいは、何とかして人の気に入ろうとあくせくしているのでしょうか。 もし、今なお人の気に入ろうとしているなら、わたしはキリストの僕ではありません。
福島 純雄 牧師
1.エフェソ書の学びが終わったので、今日から3週に一度のわりで、ガラテヤ書の御言葉に耳を傾ける。私たちプロテスタント教会の基を作った宗教改革者のルターは、この書をこよなく愛したという。10月31日は宗教改革記念日であるが、1517年のこの日に彼が、かの『95ヶ条』の問いを掲げたのは、ヴュッテンベルグ大学でガラテヤ書の第一回目の講義を終えた直後のことであったという。そのように、この書は、私たちプロテスタント教会の信者にとって、とても大切な書である。
さて、ガラテヤという地域が何処を指すかは未だにはっきりとは定まっていない。聖書地図を開いていただくと、今日のトルコの真中あたりを指すことは間違いがない。これもいつの頃かは定かではないが、パウロはこの地に福音を宣べ伝えた。その福音とは、6節はじめの言葉で言えば「キリストの恵みへと招いて下さった方」という表現に込められているものである。ところが、パウロがここを離れた後、7節に記されている「ある人々」がこの教会にやって来て、「ほかの福音」というものを宣べ伝えた。それは、これも後に詳しく触れるが、この手紙の中で繰り返し語られているところの、律法の行いを不可欠とする教えに出会った。ガラテヤの人々は、パウロが「あきれ果てる」というほどに「こんなにも早く」、この他の福音に心を奪われてしまった。
パウロは、これは「他の福音」などといえるものではなく、ただキリストの福音を覆そうとしている、福音とは似て非なるものと言っているのだが、現実は決してそんなに簡単なものではなかったと思う。ガラテヤ書に限らず、以前、礼拝で耳を傾けたピリピ書を読んでも、律法の行いを不可欠なものとして教える「福音」は、新約聖書のいたるところに顔を出してくる。むしろ、その「福音」のほうが、生まれたばかりの初代の教会にとっては、メジャーでありメインなものではなかったのか。パウロの宣べ伝えた福音の方こそが、むしろ「他の福音」 ― 福音とは似て非なるもの ― との非難を受けていたのではあるまいか。
それは良く分かることなのである。イスラエルの人々は、もう何百年も律法の行いを大切に、大切に守ってきた。そういう歴史の中からキリスト教が生まれた。今日は「神様の招き」ということが主題であるが、神様からのお招きを私たちが受けるうえで、私たちの側が ― 神様からのご昌愛を受けるのだから ― それなりのふさわしさを身につけなければならないとするのは、至極当然な教えなのである。その相応しさこそが、律法を守ることであった。だから、こちらの教えの方が「福音」として人々にすんなりと介入れられた。パウロのいっていることは、とんでもないことだと、神様を冒涜することだとされた。
このように、至極当然でわかりやすいという点から言えば、いまの時代においても「ほかの福音」のほうが、私たちの心をとらえやすいということが言えるのではないか。初代の教会ばかりではなく、ルターが95ヶ条の問いを当時のカトリック教会に突き付けたのも、教会が、この「ほかの福音」に毒されていたからだった。
その後のプロテスタント教会も、しばしばこの「ほかの福音」に毒された。
2.さて、それでは、先ずパウロが宣べ伝えた福音とはいかなるものなのか。それは6節はじめの御言葉に言い現されていると思う。「キリストの恵みへと招いて下さった方」とある。この「方」とは、言うまでもなく神様のことである。神様が私たちをキリストの恵みへと招いて下さった。これが福音である。私はここを「キリストの恵みへと」ではなく「キリストの恵みによって」と訳したい。ギリシャ語の本文から言っても、多分このように訳することはできると思う。すると、神様が私たちをキリストの恵みによって招いて下さる、これが福音であるということになる。
招くという言葉があるから、たとえとして招待状のことを考えてみても良いだろう。神様は私たちを御自分の素晴らしい世界へと、お部屋へと招いて下さるのである。これが福音の根幹である。パウロが宣べ伝えた福音においては、私たちがこのお招きを受ける条件というか資格は、ただキリストの恵みである。それ以外の一切の条件や資格はない。これに対して「ほかの福音」の教えとは、先程も言ったように、律法を守るということを付加するのである。付加どころが、必須の条件として加えるのである。キリストの恵みだけでは足りない。神様の素晴らしい場所に招かれるのだから、渡したちもそれ相応のふさわしさを身につけよ、神様にふさわしいものとなれ、このように教えるのである。
ここでとても大切なことは、いずれの福音においても、少なくとも神様に招かれるということを是非とも必要なことと考えている点では、一致しているのである。
決定的な違いは、神様の招きを受ける上での資格や条件にある。けれども、神様のお招きを受けることが私たちにとって不可欠なことだという点では、何の違いもない。神様のお招きを受けることが私たちにとって絶対に必要なことだからこそ、これほどまでに、如何にして招かれ得るかが重大な問題になる。それが、福音の分かれ目になる。パウロが「呪われよ」とさえ、相手に言ってしまうポイントとなる。神様のお招きを受けることが私たちにとって不可欠だということに対して、私たちは「アーメン」と言えるであろうか。そこがあやふやになってはいないだろうか。このことの必要性・不可欠性については、別に政界のようなものはない。神様が、その素晴らしい世界・お部屋に私たちを招いてくださるということについて、各人がそれぞれで、その素晴らしさを思い描いて良いのである。
息子さんが困難な病気を抱えているお父さんお母さんと、水曜日の朝・夜に祈りを共にするようになって、私はお二人の捧げる祈りに心を打たれることがしばしばである。先日の夜、お父さんは、このように祈られた。「私にとって神様は命の希望だ」と。私たち人間にはどうしようもできないゆえに、神様が命の希望だ、と。お父さんにとって、神様の素晴らしい世界とは、何よりも息子さんの病気が癒される世界なのであろう。病気の息子さんのご両親が、神様が招き入れて下さる素晴らしい「部屋」とはこのようなものであると求め願うことを、誰も御利益信仰だなどと言って批判することはできない。それが、いま、御両親にとって神様の世界を必要とする切実な思いなのである。私はその切実さに打たれる。私にはその切実さがあるだろうか、と思う。
3.旧約聖書を3週に一度のわりで、礼拝で読み、また、聖書研究祈祷会で、いまはずっと旧約聖書のサムエル記を読んでいるが、そこに登場する人々の姿は、まさしく神様の招きを不可欠とするものであると、しみじみ思う。神様の招き、それは神様と繋げられ、神様に導かれて生きるということである。彼らはそれを必要とした人々であった。神様の招きがなかったら、どう歩んでいたかわからないような人々であった。アブラハムはどうだったか。ダビデはどうだったか。
いちいち思い起こすことはしないが、総じて、彼らの姿が示しているのは、今日の御言葉の4節にいうところの「この世の悪」というもの、と思う。その悪を生み出しているのが4節後半に記されている「私たちの罪」なのだと思う。アブラハムは二度にもわたって、妻サラが自分の妹だと嘘を言って、自分独りの保身をはかった。イサクもまた、同じ嘘をついた。跡継ぎを得るためだけに、妻付きのどれであったハガルを借りバラとして利用し、邪魔になると追い出してしまった。ダビデは欲望にかられて部下の妻ベテシバを我がものとし、彼女の妊娠がばれそうになると、その夫ウリヤを最前線にわざと送って戦死させた。サウルから命を狙われ、自分の行く末を心配し、かっとなって流血に手を染めようとした。嘘に嘘を重ねて生きてしまった。
私たち人間だけがもつ罪がある。そして、その罪から生じる悪がある。他の生き物にはない、ただ人間だけが神様の姿に似せられたゆえにもつ「罪」があり「悪」があるのである。それは、私たち人間の持つ病である。そうであればこそ、私たちにはこの病気を治療して下さるお方が不可欠である。4節に言う「この世の悪から私たちを救い出す」とは、このことである。その救い出し、治療が、神様の招きにあたる。私たちは神様の招きを不可欠とする。それがなければ、私たちは自分たちの生み出した悪の中で溺れてしまう。罪や悪のない神様につなげていただき、神様によって導かれ生かされ、その素晴らしい世界にかすかではあるが身を置かせていただいて歩むことが不可欠なのではあるまいか。
4.だからこそ、問題は、如何にして私たちはこの神様のお招きを受けることができるのかという点にかかってくる。お招きを受けることができなければ、それこそ死活問題なのだから、このことが本当に大事なことになってくる。
イスラエルの人々は、それを真剣にたずね求めた。神様のお招きを受けるためには、自分たちもそれにふさわしい何かを身につけねばと、心底から思った。それが律法を守ることであった。そういう信仰の歴史から、キリスト教が生まれた。当然のごとく、多くの伝道者たちは律法を守ることを、神様のお招きを受ける上で不可欠と教えた。それこそが「他の福音」であったわけである。初代の指導者たちだけではなく、いつの時代の指導者たちも、律法の行いそのものではないが、繰り返し繰り返し、私たち人間の側が神様に招かれるためのふさわしさ・条件のようなものを備えねば、と教え続けた。イスラム教も、大きく言えば、神の招きを受けるための行いを根幹に据えた、そういう信仰なのである。
かつて、ファリサイ人であったパウロもまた、このように信じて疑わなかった。そして、そのパウロがイエス様の弟子たちが宣べ伝えている福音を聞いたのである。これは私の想像であるが、イエス様の弟子たちは、未だ自分たちの宣べ伝えている福音に自覚的ではなかったのではないかと思う。あくまで、ユダヤ人として安息日を守り、律法をまもっていた。そのうえで、イエス様の恵みを宣べ伝えていた。いわば、弟子たちが宣べ伝えていた福音は本来の福音と「他の福音」が、ごちゃ混ぜになっている状態、未だはっきりとは峻別されていなかった状態にあったと言って良いと思う。しかし、核心は、イエス様の恵みにあった。イエス様を見捨て裏切り、恐れて閉じ籠るしかなかった自分たちに、十字架にかかり復活したイエス様が現れ、自分たちを赦し、再び使徒として派遣して下さった。自分たちには、神様に招かれるふさわしさは何処にもなかった。それなのに、神様はキリストにおいて、私たちを招き入れて下さった。そこに、キリストの恵みによる神様の招きを見た。これを聞いたときパウロは、この教えは、律法を守って神の名ね木を受けるというイスラエルの伝統的な信仰と決定的に対立するものだということを直感したのだと思う。だからパウロは、これを迫害した。ステパノの死に加担した。ダマスコの町に、この福音を宣べ伝える者たちを亡きものにすべく出掛けようとしていた。
5.そのダマスコ途上において、復活されたイエス様が彼に現れたのである。この手紙の1章11節以下で語られている事は、ダマスコ途上云々という表現はないが、明らかにこの時の事である。相手は迫害者であるパウロである。弟子たちが体験したキリストの出来事の根本にある事柄に敵対しているパウロである。しかし、イエス様は、このパウロに声を掛けた。出会った彼こそを、福音を宣べ伝える伝道者に召そうとされた。ここにこそ、パウロは神の招きを体験したのである。規律その恵みにおける神の招きを体験したのである。もちろん、可能性としては、こんなキリストとの出会いなど、彼の厳格だ、或いは、悪魔の企みだということは、幾らでもできる。それは、神様の招きでも何でもなく、確かにキリストとの出会いであるとはしても、神様ご自身とは何のつながりもない、ということもできる。しかし、パウロにとっては、それは間違いもなく神御自身との出会いなのであった。キリストの招きは神の招きなのであった。これを福音として、彼は宣べ伝えるようになったのである。
しかし、長い間のイスラエルの信仰の伝統があった。私たちの側で何ら神様のお招きを受ける相応しさを備えないというのは、余りにも虫が良く、都合がよすぎるのではあるまいか。また、私たちの側の行いによって神様に招いていただけるふさわしアを作る、この福音の方がわかりやすい、ということも言える。こうすれば招いていただけると明確なHowToがある。だから、「こんなにも早く」とあきれるほど、人々の心をとらえてしまったのである。これに対して、キリストとの出会いにおける恵みによる招きというのは、根本に、イエス様との出会いというものがなければ、解らない。こうすれば招いていただけるという、解りやすさがない。私たちの側でどうかできる部分がない。すべてが、イエス様との出会い次第である。
なぜ、神様がご自分の招きをこのようなものとされたのかは、私たちには究め難い。しかし、神様は、キリストに出会い、キリストにとらえられた者を招こうとされたのである。もし、私たちの側で神様に招かれるのにふさわしい何かを具備しなければならないとすれば、どんな事を積み重ねても、それは不可能であると、私は思う。
私たちは、根源的に神様にふさわしい者となれない。そのような私たちだからこそ、イエス様は「この世の悪から私たちを救い出そうとし」、人となり、私たちに出会って下さったのである。パウロがダマスコ途上で出会ったように、弟子たちがその閉じ籠りの中で出会ったように、私たちに出会って下さるのである。私たちは、このキリストにとらえられる。神様のことなど何もわからない。神様がどういうお方かもわからない。しかし、キリストにとらえられ、この方からもう離れることはできなくなる。それが私たちへの神様のお招きなのである。キリストに出会い、とらえられること以外には、何もない。十字架の上で、ご自分を無にする、聖なるお姿が私たちを包み、また、復活において人間の悪に打ち勝つ永遠の生命の力が私たちを包む。もはや、私が神様の前でどうであるかということは、雲散霧消している。このように、私たちは神様に招かれているのである。
2013年 7月28日 聖霊降臨節第11主日礼拝
09:10使徒たちは帰って来て、自分たちの行ったことをみなイエスに告げた。 イエスは彼らを連れ、自分たちだけでベトサイダという町に退かれた。 09:11群衆はそのことを知ってイエスの後を追った。 イエスはこの人々を迎え、神の国について語り、治療の必要な人々をいやしておられた。 09:12日が傾きかけたので、十二人はそばに来てイエスに言った。 「群衆を解散させてください。そうすれば、周りの村や里へ行って宿をとり、食べ物を見つけるでしょう。 わたしたちはこんな人里離れた所にいるのです。」 09:13しかし、イエスは言われた。 「あなたがたが彼らに食べ物を与えなさい。」 彼らは言った。 「わたしたちにはパン五つと魚二匹しかありません、このすべての人々のために、わたしたちが食べ物を買いに行かないかぎり。」 09:14というのは、男が五千人ほどいたからである。 イエスは弟子たちに、「人々を五十人ぐらいずつ組にして座らせなさい」と言われた。 09:15弟子たちは、そのようにして皆を座らせた。 09:16すると、イエスは五つのパンと二匹の魚を取り、天を仰いで、それらのために賛美の祈りを唱え、裂いて弟子たちに渡しては群衆に配らせた。 09:17すべての人が食べて満腹した。 そして、残ったパンの屑を集めると、十二籠もあった。
福島 純雄 牧師
1.今日の御言葉は、私たちが大変よく知っているイエス様のなさった奇跡が記された箇所である。この説教壇に置かれた聖書台に刻まれた図柄は、今日の御言葉からとられたものである。ただ、しばしば不思議だと思うのは、この図柄には、どうも4つのパンしかないように見えることである。もう一つのパンは何処にあるのだろうか。恐らくは、昔からの図柄なのであって、これを刻んだ作者が間違って作ったということではないだろう。もう一つのパンは、イエス様ご自身であり、また、食べ物を与える私たち自身ということかも知れない。
それはともかくとして、この出来事は、私たちがよく知っているだけではなく、この御言葉を記した人々にとっても、忘れることのできないものだったようである。
と言うのも、この出来事は4つの福音書すべてに記されたただ一つの奇跡物語なのである。何故この出来事が、これほど人々の心に残ったのか。きわめて単純素朴に、自分たちにも同じ奇跡が起こって欲しいという願いを抱いたので、繰り返し聞いて、それを福音書として記したということも言えるかも知れない。しかし、この出来事だけでなく、すべての奇跡物語がそうであるが、聞く者たちに文字通り同じ事が起きるわけはないのだから、その願いは遅かれ早かれ失望に終わる。失望だけを与える物語であれば、いつの間にか、人々に見向きもされなくなるだろう。だから、この物語が人々の心を捉えたのには、違う理由があるに違いない。たとえ、文字通りの形で同じ奇跡が起こらないとしても、聞く者や読む者たちに何らかの励ましや慰めや諭しを与えてくれたのである。それが何であったのかが、今日の核心である。
2.まず考えさせられるのは、今日の御言葉において、群衆や弟子たちが置かれた状況が、これが福音書として書かれた当時、教会や信者たちが置かれていた境遇と重なりあう部分がかなりあったであろうという点である。そして、同じことは、今の私たちにも当てはまるのではないか。
11節には、男性だけで5000人もいたというこの群衆は、イエス様のもとに来てイエス様から神の国のことを聞き、必要があれば病気の癒しをして貰っていた人々であったと書かれている。そういう人々が夕暮れになって空腹を抱えるようになっていた。弟子たちは、それを何とかしたいと思ったが、到底、自分たちにはお手上げだと思った。だから「群衆を解散させてください。そうすれば、周りの村や里へ行って宿をとり、食べ物を見つけるでしょう。 ・・・」とイエス様にお願いしたのである。同じ場面を記したマタイ福音書14章15節には「解散させて下さい。そうすれば自分で村へ食べ物を買いに行くでしょう」とある。
この人々というのは、福音書が書かれるようになった時代状況から言えば、礼拝にやってきた人々を指しているのだと私は思う。その後、彼らは空腹を抱えていた。それは何故かというと、散発的ではあるが、ユダヤ人からのいじめに遭い、また、ローマ帝国による迫害によって、 ― 後には、紀元4世紀まで続く帝国全体に広がる迫害になった ― 食べ物ばかりでなく、衣や住さらには仕事において、信者たちは生活の困難に大々的に直面していたのである。教会は、それにどうやって対処することができるのか。それは余りにも大きな困難であり、とうてい自分たちには、どのようにか出来るようなものではない。解散をさせて自分で食べ物を手に入れさせるしかない。つまり、教会がそれに関わることはしないで、教会や礼拝を離れたところで、イエス様・神様とは全くかけ離れたところで「自分で」対処させるしかない。教会が、また、信仰が、イエス様のもとで神の国のことを聞くという礼拝の歩みが、こうした衣食住の大々的な困難に対しては何の力もないというギブアップ状態にほかならなかったのであると思う。
このような初代の教会の状況は、今日の私たちにとってはそのまま当てはまるものではない。しかし、私たち一人ひとりがそれぞれ対処するには、余りにも大きな問題を抱えているということがある。そして、その問題に対して、イエス様のもとに来て神の国のことを聞き、つまり礼拝を捧げ信仰生活を営んでいるということが、果たして何ほどかの力になるものなのだろうかと、私たちは無力感を感じている。弟子たちがイエス様に言ったように、むしろ解散をして、即ち信仰から離れて、たとえば、これは医療の扱う問題として、或いは、お金や社会福祉の扱う問題として「食べ物を自分で得るしかない」と思う。信仰や教会生活は、この大きな問題に対して出来ることは何もないと思ってしまう。こうやって、私たちの信仰生活は、1週間のうちただ日曜日のわずか数時間だけのものになり下がってしまうのである。
3.このような在り方に対して、イエス様は、言わば、がつんと活を入れて下さったのではあるまいか。「あなたがたが彼らに食べ物を与えなさい」と、イエス様は言われた。これに対して弟子たちは「私たちにはパン5つと魚2匹しかありません」と言うしかなかった。「しか」という言葉ほど、私たちがしばしば口にする言葉はない。弟子たちと同じように、私たちは直面する問題を数量的に物理的に把握するのである。そして、それに対して、私たちが信仰において持っているもの、それに関わることができるものが如何に小さいか、無力かと思う。この問題に対して、1週間のうちの数時間を教会で過ごすこと礼拝を捧げることが何になるのか。「食べ物」になどならないどころか、かえって時間を使いマイナスにさえなるのではないか、と思う。
しかしイエス様は、はっきりと言われた。約束をされた。保証して下さった。大丈夫、あなたがたには食べ物があるのだと。この問題に対して何かをなしていく、関わっていく、食べ物、資源、力、賜物、そういうものがあるのだ。それは、今こうして私のもとにいて、神様のことを聞いているただ中にある。どうして、私のもとに居り神様のことを聞いているあなたがたに、その食べ物が、力が授かっていないことがあろうか。神様があなたがたをそのように無力なままで放置されることがあろうか。
まず、礼拝を捧げること、祈ること、そして教会の交わりの中で、出来るならばお互いに具体的な支え合いを開始してみること。まずは関わること、まずは5つのパンと2匹の魚によって対処を始めてみるということ。「しか」というのではなく、これを神様が与えて下さっているのだから、それを感謝して用いてみること。
イエス様は「あなたがたが食べ物を与えよ」と先ず言われたとき、弟子たちの与える食べ物が全面的にこの群衆の抱えている空腹の問題をすべて解決する、とは言われていないのである。とにかく、食べ物をあなたがたが与えてみよ、関わり始めてみよ、と言われておられるのである。そのことが呼び水になって、何かが起こって行くかも知れない。最初からギブアップするのではなく、信仰をあなたがたの問題に対する有効な食べ物として用いてみよ。
4.そして、イエス様がここで一つのアドバイスを下さっていることの大切さを、今回、新しく教えられる。男性だけで5000人いた群衆を、イエス様は50人ほどの組に分けて座らせたという。空腹を抱えた、男性だけで5000人もいるというこの困難な問題に、弟子たちが一挙に全面的に関わることをイエス様はさせようとはなさならい。5000人を50人ずつ、つまり100分の1に区分けをして、問題を小分けにし、個別にあたらせることで対処させようとなさった。
この事は、私たちにも大切なアドバイスだと思う。私たちが抱えている問題、それは、しばしば、5年先や10年先の事を考えるがゆえに「莫大な問題」になってしまうのではないだろうか。或いは、全世界の問題、国家社会の深刻な問題として考えるゆえに、到底、私たちには如何ともし難い問題としてとらえられてしまうのではないか。文字通り100分の1という単位ではないが、何年も先のことまで考えた対処ではなく、とにかく今日一日を考える。或いは、今週1週間に対処する。国家社会全体の問題でなく、目の前の一人、教会に来ておられるこの方お一人の事柄として、個別にとらえる。そうすると、自分や教会の持っているわずか5つのパンと2匹の魚であっても、有効な関わり方の手段として思えてくる。1日の始まりを、祈りを以って始め、また、1週間の始まりを礼拝を以って始め、この一日を、また一週間を、神様が生かして下さる食べ物が、私には与えられているのだと信じて歩んでみる。そうした一日一日の、一人ひとりとの関わりの積み重ねが、5年10年となっていくし、もしかすれば、大きな社会の流れになっていくかも知れない。
振り返ってみると、私も郡山で、そうやって多くの人々の困難と関わることができたのだと思う。一挙に全面的に解決しようなどと思えば、やはり「しか」というしかなかったであろう。しかし、一人ひとりにかかわるのである。出会った目の前の人の問題に関わるのである。昨年洗礼を受けたと聞いた郡山教会のある方であるが、彼が礼拝に来られたきっかけは、自殺をしようとさまよい行方不明になったときに懸命に探しだした息子さんに付き添われて、礼拝に集われたのがそれであった。私はすぐに、憲法9条の会の関係で知り合っていた方々のネットワークを駆使した。生活保護の需給が開始され、彼は保護を受けながら、以前のお仕事に復帰することができた。そして昨年、洗礼をお受けになったとのことである。生活保護の受給ができたことは確かに大きいことであったが、しかし、お金が全てを解決したのかというと、決してそうではないと思う。彼がこれまでになしてきてしまったことへの赦し、また、そのことがこれから生きて行く上で必ず意味を持ってくることを礼拝に出席してお気づきになり、以前なさっていた福祉関係のお仕事に戻るお気持ちが復活してきた。礼拝に出席し、神様のことを聞いて生きることは、決して「しか」ではない。抱えている問題を一挙に解決するものではないかも知れないが、少しずつ乗り越えて行く食べ物には必ずなるのである。
5.16節に「すると、イエスは五つのパンと二匹の魚を取り、天を仰いで、それらのために賛美の祈りを唱え、裂いて弟子たちに渡しては群衆に配らせた。」とある。
イエス様は、このささやかな食べ物が、神様から授かり、天の大いなる恵みをたたえたものとして感謝し、ご自分自身の思いを込めて配られたのである。昔から、この「裂く」という言葉には、最後の晩餐でイエス様がパンを裂かれたときの姿がオーバーラップしていると言われてきた。「裂く」ということのなかには、イエス様ご自身を裂いて与えるとの意味が込められているのかも知れない。私たちに与えられているわずかなものには、天の神様の尽きせぬ恵みが込められているのである。どうしてそれが、私たちの抱えている問題に有効でない筈があろうか。神様の込めているものに加えて与える、私たちの「裂く」ことも有効に働くのである。
2013年 7月21日 聖霊降臨節第10主日礼拝
26:12イサクがその土地に穀物の種を蒔くと、その年のうちに百倍もの収穫があった。 イサクが主の祝福を受けて、 26:13豊かになり、ますます富み栄えて、 26:14多くの羊や牛の群れ、それに多くの召し使いを持つようになると、ペリシテ人はイサクをねたむようになった。 26:15ペリシテ人は、昔、イサクの父アブラハムが僕たちに掘らせた井戸をことごとくふさぎ、土で埋めた。 26:16アビメレクはイサクに言った。 「あなたは我々と比べてあまりに強くなった。 どうか、ここから出て行っていただきたい。」 26:17イサクはそこを去って、ゲラルの谷に天幕を張って住んだ。 26:18そこにも、父アブラハムの時代に掘った井戸が幾つかあったが、アブラハムの死後、ペリシテ人がそれらをふさいでしまっていた。 イサクはそれらの井戸を掘り直し、父が付けたとおりの名前を付けた。 26:19イサクの僕たちが谷で井戸を掘り、水が豊かに湧き出る井戸を見つけると、 26:20ゲラルの羊飼いは、「この水は我々のものだ」とイサクの羊飼いと争った。 そこで、イサクはその井戸をエセク(争い)と名付けた。 彼らがイサクと争ったからである。 26:21イサクの僕たちがもう一つの井戸を掘り当てると、それについても争いが生じた。 そこで、イサクはその井戸をシトナ(敵意)と名付けた。 26:22イサクはそこから移って、更にもう一つの井戸を掘り当てた。 それについては、もはや争いは起こらなかった。 イサクは、その井戸をレホボト(広い場所)と名付け、「今や、主は我々の繁栄のために広い場所をお与えになった」と言った。 26:23イサクは更に、そこからベエル・シェバに上った。 26:24その夜、主が現れて言われた。 「わたしは、あなたの父アブラハムの神である。 恐れてはならない。 わたしはあなたと共にいる。 わたしはあなたを祝福し、子孫を増やすわが僕アブラハムのゆえに。」 26:25イサクは、そこに祭壇を築き、主の御名を呼んで礼拝した。 彼はそこに天幕を張り、イサクの僕たちは井戸を掘った。
福島 純雄 牧師
1.この26章は、イサクという人について、その父アブラハムや双子の息子エサウとヤコブとほとんど無関係に、イサクという人固有のエピソードが記されたただ一つの章である。
1節には次のように記されている。「アブラハムの時代にあった飢饉とは別に、この地方にまた飢饉があったので、イサクはゲラルにいるペリシテ人の王アビメレクのところに言った」と。アビメレクは、この創世記の20章や21章に登場した人物であり、パレスチナからエジプトに向かう地中海沿いに続く街道にあるゲラルとう地域の王であった。20章、イサクの父アブラハムがこの土地に行ったのは、飢饉のためではなく、ソドムとゴモラが火山活動によって壊滅した。おそらくはその難を逃れてきた人々に押し出される形で、アブラハムは西へ日へと流されてやってきたのであった。その際、アブラハムはアビメレクに対して、妻サラが妹であると嘘をついたのだが、何と26章7節以下では、息子イサクもまた父と全く同じ嘘をついているのは実に不思議である。
さてイサクは、飢饉があったのでアビメレクのもとにきたのだが、彼が向かおうとしていたのは、ゲラルではなく、その向うにあるエジプトであったことが2節に記されている神様の言葉から推察することができる。神様の言葉として「イサクに現れて言われた。エジプトへ下ってはならない。・・・滞在しなさい。あなたがこの土地に寄留するならば・・」とある。神様が - どういう形でかは解らないが ― このように言われたということは、彼がエジプトに行こうとしていたことを示していのるのである。それを止めるために、神様は彼に現れたのであった。
実は、イサクが神様に、このように「現れ、言われた」というのは、ここが初めてなのである。父アブラハムについてもそうであるが、神様はそう何度も現れて下さるのではない。神様が現れ、言葉をかけて下さるときは、しばしば彼らが決定的な分かれ道にさしかかっている時である。イサクは飢饉を逃れてエジプトに行こうとしていた。父アブラハムは、およそ100年間暮らした地を離れていこうとしていた。それが、どのような別れ道であったのか。なぜ、神様はそれを止めようとなさったのか。
2.かつて、アブラハムが自分の跡継ぎと定めて、ずっと行動を共にしてきた甥のロトと袂を分かった時のことが13章に書かれている。そこでは、エジプトについて「ロトが目をあげて見ると・・主の園のように、エジプトの国のように、見渡す限りよく潤っていた(創世記13章10節)」と記されている。エジプトに行くということは、主の園のように潤っている、飢饉とは正反対の場所に行くということを意味している。目で見て好ましいと思われる場所に行くことであり、それは常識的な判断や尺度からいって当然の選択なのだろうと思う。
他方、この地に留まるということは何を意味しているだろうか。確かに、12節から14節初めに書かれているように、思いのほかの収穫が与えられ、富み栄えるということもある。しかし、その結果として、ペリシテ人からのねたみと執拗な嫌がらせにさらされ、また、先程すこし触れた7節以下にあるように、土地の王を恐れて妻を妹と偽ることを余儀なくされもするのである。飢饉の地に留まるとは、このような苦難が直ぐにも予想される。このような土地に、神様は、留まれと言われるのである。留まった結果として、すぐさま起きたことは、案の定、7節以下の状況なのであった。
右に行くか左に行くかという岐路にさしかかった時、神様が私たちに示される道というのは、主の園と思われる『エジプト』に行くことではないのである。
神様が私たちに示される道というのは、私たちのめには好ましいと思われるところへ行くことではないのである。艱難が予想される道なのである。
少し寄り道になるが、今日の御言葉と重なり合っていると思われるので、先週の聖書研究祈祷会の学びで教えられたことをご紹介したい。サムエル記(上)をずっと学んでいるが、いまはサウル王に追われ、命を狙われているダビデの姿に目を向けている。先週学んだ箇所では、ダビデは死海のほとりになる洞窟に隠れていると、何とそこにダビデを追ってきたサウルが用便をしに入ってきたというのである。自分の命をつけ狙う敵を殺す千載一遇のチャンスが巡ってきた。部下の兵は次のようにダビデに進言した。「主があなたに、『わたしはあなたの敵をあなたの手に渡す。思い通りにするがよい』と約束されたのはこの時のことです。」と。ダビデは言葉に促されて、一旦は剣をかざしてサウルの上着の裾を切り取った。しかし、すぐに自らの日を悟って「主が油を注がれた方に手をかけることを、主は決して許されない」と言った。ダビデは、こうしてみすみす自分の命を狙う敵から解放される機会を逃し、以後長く続く苦難を背負う破目になったのである。
ダビデもまた、決定的な岐路に立っていたのだと思う。敵を殺して『エジプト』に行くか、それとも敵を生かして、なお苦難を背負うか。私たちの目に好ましいと映る選択は、また、世間的な判断から言って当然の選択は、部下の兵の言うところであったろう。敵であるのだから、それを殺すのは正当防衛と言ってもよい。そうすることが、サウルを思い通りにするだけではなく、自分自身の人生を思い通りに手に入れることでもあったのである。しかし、それは神様の思い通りではなかったのである。神様の思いは、いま自分の敵であり、自分の命を執拗に狙うこのサウルという人物を、なぜか油を注いで追うとしたという、まことに不可解なものであった。敵である者が、神様の選びを受けているという事実であった。私たちの目には敵と映り、剣を振るって切り落としてしまいたいと思う相手が、私たちの思いを越えたところで、神様から油を注がれた存在や出来事として用いられているということがあるのではないか。私たちの思い通りにはならないことこそが、神様の思いではないか。私たちの目に好ましく映り、思い通りになることが、実は神の御心に反することではないのか。思い通りにはいかない現実に、私たちがどのように対処するのか。その苦難に私たちをして向かわしめるところにこそ、神様が私たちに進ませようとされる道があるように感じる。
3.イサクをねたんだペリシテ人は、13・14節にあるように、昔、アブラハムが掘った井戸をことごとく塞ぎ、土で埋めてしまった。生活に不可欠な水を取り上げて、その上で「ここから出て行っていただきたい」とアビメレクは言ったとある。力を持っている土地の王が、私たちの拠り所とするものを取り上げ塞ぎ、そして「出て行け」という状況は、私たちにとっていろいろな事を象徴的に感じさせる場面かも知れない。
この局面に対して、イサクはどのように振舞うことができたであろうか。17節「イサクはそこを去って、ゲラルの谷に天幕を張って住んだ」というのである。以下には、三度、イサクが井戸を掘り、その度にいやがらせがあり、最初の井戸と二番目の井戸には「争い」と「敵意」という名前が付けられ、やっと三度めに掘った井戸について争いが起きず、「広い場所」となづけることができたことが記されている。度重なる争いや敵意に対して、イサクはまことに忍耐強く振舞うことができた。
争いや敵意を回避することができた。
このようにイサクを在らしめたものが、3節はじめの「寄留」という神様の語りかけだったと思うのである。神様は「わたしが示す地に滞在しなさい」と言われた。しかし、この「滞在」の仕方は、あくまで「寄留」なのである。
12節で、イサクはこの地に種を蒔き、百倍もの収穫を得たとあった。思いとしては、このような祝福された土地にいつまでも留まりたい、手放したくない。土地の王と争ってまでも自分の所有としたいとの願いがあったであろう。しかし、それは「寄留」という在り方に反しているのである。寄留とは、まさに17節にある通り、いつでも「去る」ことができる在り方なのである。いつでも手放すことができる在り方なのである。
「ゲラルの谷に」とあるが、注解書によれば、これは砂漠における「枯れ川」のことであり、一旦雨が降れば、ものすごい濁流の川となる場所だという。
そこは現地の人は誰も住まない土地であった。もちろん、イサクだって、こんなことくらいは気付いていたであろう。しかし、寄留者であるが故に、そこにしか住むことができなかった。誰も住まない所しか余地がなかったということでもあろう。そこにいつでも移動できるようにテントを張って生活していた。
4.しかし、ゲラルの谷に住んだことによって、ある大切なものをイサクは発見できたことが、19節にかかれているのではないだろうか。「そこにも・・塞いでしまっていた」とある。15節にあったように、父アブラハムの掘った井戸は、みなペリシテ人に塞がれてしまっていたと思っていた。もう仕える井戸は無いのかと思った。ところが、谷にテントを張ったところ、また、父が掘った井戸を見つけたのである。それらも、ペリシテ人が塞いでしまっていたけれども、掘ってみたところ、19節にあるように「水が豊かに湧き出る井戸」なのであった。一つだけでなく、二つ目も三つ目もそのような井戸であったに違いない。寄留者として生きる、寄留者生を失わないといことは、このような在り方を私たちに可能にさせるものなのだと思う。神様がイサクに、この土地に留まれ、寄留せよと言われたのは、こうしたことを彼に感じさせる、発見させるためであったに違いない。
旧約聖書に登場する人々以来、私たちが連綿として受け継いでいるもの、失ってはいけないと言われているものが、この寄留者生なのではないだろうか。
皆さん方は、このつくばの地に家を建て、仕事を得、文字通りそう簡単には「去る」ことができない境遇にあることは言うまでもない。そんな皆さん方に、今日の御言葉はきつい語りかけであるかも知れない。私たちは、いま居る場所から去ることはできないと思い込んでいる。いままで自分を生かしてくれた井戸や土地を手放すことなどできないと思っている。しかし、そう思えば思うほど「出て行け」との攻撃が強くなったり、周りの人々や自分の置かれた境遇との争いや葛藤が増し加わるということがあるのではないか。
なぜ、私たちに争いや敵意が絶えないか。それは、私たちが「去る」ことをしない故なのである。どこまでも、いまの井戸や土地を手放そうとしな故なのではあるまいか。
そして、どんなに去りたくない、手放したくないと思っても、いつかは出て行くしかない時がやってくる。出て行けという者の力に屈せざるを得ない時がやってくるのである。その時、私たちには、この御言葉が励ましになる。バビロンに捕虜とされ、また、ローマ帝国によって全世界をさまよう流浪の民とされたイスラエルの人々にとっては、まさにそうであったに違いない。寄留者として滞在せよ。去り、ゲラルの谷にテントを張って住むがよい。まさにそうであったに違いない。それが、結果的には、予想もしなかった井戸を見つけることへと導く。争いや敵意を乗り越えて、「広い場所」へと神が導いて下さったと言えるようになる。
5.イサクをして、このような態度を取らしめたこととして、神様の御言葉とあいまって、父アブラハムの足跡の力というものもあると思うのである。先程示されたような経緯から、埋められていた父アブラハムが掘った井戸を見出した。それは、かつて父が100年間この地を寄留者として生きる中 - 様々な困難があったのである - しかし、すっと、その父を生かしてきた井戸なのであった。ペリシテ人によって塞がれてしまった、或いは、時間の流れの中で土砂に埋もれたということもあったに違いない。けれども、掘ってみたところ、井戸は生きていた。豊かに水を湧きださせることができる井戸であった。これらの井戸によって、父はこの地に百年間も寄留者として生き抜くことができたのだ。だとすれば、自分も大丈夫なのだ。安心して良いのだ。イサクは、初めて、父の姿を生きる支えとしてひしひしと感じることができたのではあるまいか。
そんな彼の思いが23節以下に現れているのだろう。ベエル・シェバとは、長く父アブラハムが住んでいた所である。とくに、イサクがあやうくモリヤの山でいけにえとして父に殺されそうになったできごとの後、父と共に住んだ場所である(創世記22章19節)。そうした場所であるベエル・シェバに上ったということは、イサクが改めて父を思い起こし、父の足跡や信仰を支えとして生きようとしたことの現れである。そのことを神様は祝福なさった。良しとされた。
ここで、彼にまた現れて下さった神様は「私はあなたの父アブラハムの神である。・・わが僕アブラハムのゆえに」と言われたとある。いま、イサクにとっては、神様の言葉を聞き、神様と出会い、神様の励ましを受けることは、父アブラハムと深くつながっていることが示されている。そして、25節で、彼は生まれて初めて(聖書の中で、イサクのこうした姿が記されているのは、ここが最初で最後)、自ら祭壇を築き、神を礼拝し、そして、その場所でテントを張り、井戸を掘ったのである。
私たちも、この世に寄留者として留まる中で、信仰の先輩たちが掘った「井戸」を見出すであろう。突き詰めれば、それはイエス様が掘って下さった井戸なのであり、或いは、イエス様ご自身が井戸なのである。それは、埋められてしまっている。もう見捨てられてしまっている井戸かも知れない。そんな井戸を、私たちは掘るのである。
2013年 7月14日 聖霊降臨節第9主日礼拝
29:10主はこう言われる。バビロンに七十年の時が満ちたなら、わたしはあなたたちを顧みる。 わたしは恵みの約束を果たし、あなたたちをこの地に連れ戻す。 29:11わたしは、あなたたちのために立てた計画をよく心に留めている、と主は言われる。 それは平和の計画であって、災いの計画ではない。 将来と希望を与えるものである。 29:12そのとき、あなたたちがわたしを呼び、来てわたしに祈り求めるなら、わたしは聞く。 29:13わたしを尋ね求めるならば見いだし、心を尽くしてわたしを求めるなら、 29:14わたしに出会うであろう、と主は言われる。 わたしは捕囚の民を帰らせる。 わたしはあなたたちをあらゆる国々の間に、またあらゆる地域に追いやったが、そこから呼び集め、かつてそこから捕囚として追い出した元の場所へ連れ戻す、と主は言われる。
武 公子 牧師(日本キリスト教団 勿来教会)
「わたしはあなたたちのために立てた計画をよく心に留めている、と主は言われる。それは平和の計画であって、災いの計画ではない。将来と希望を与えるものである。(エレミヤ書 29章11節)」
1986年チェルノブイリ原発事故が起きてまもなく、矯風会で高木仁三郎先生の講演をお聴きしました。核科学者であった高木先生は、人間は核の火を消すことができないことや、原発が人間の誤りを許さないことを懇々と話されました。そして人間が絡んでいるところには、必ず原発事故は起こる事を予告されました。
2011年3月11日を境に、原発事故は現実のものとなりました。当時わたしは、そこから45キロ地点の、浜通りにある常磐教会と付属保育園の園長の責任を担っておりました。53名の園児は全員保護者の手に渡すことができましたが、翌日一人の女性職員を失いました。勤務中に倒れ、寝かせておきましたが、あまり苦しむので病院に車で運びました。その途中、静かになりましたが、病院に着いたときは心肺停止の状態でした。病院は、患者が次々搬送されてごった返していました。彼女の診断書には、自然死と書かれただけでした。
13日の日曜日は、会堂には入れず、庭で立ったまま8名で短い礼拝を守り散会しました。14日は、屋内退避をするようにと、市の広報車が回り、原発で爆発が起こったことを知り愕然としました。その日から、保育園を閉鎖して自宅に戻り、屋内退避を決行しました。自主避難する人びとは、市外、県外へと脱出していきました。夜はひっそりと静まりかえり、自分一人が取り残されたような気持ちでした。バイパスをひっきりなしに、消防車だけが何台も次々とけたたましくサイレンを鳴らして相馬方面に飛んで行きました。
自主避難する人、しない人、したくても行く場所のない人、行けない人、教会員、保育園の子どもたち、職員はみなバラバラに分断されました。牧師といえども、正直逃げたい気持ちで一杯したが、自分が逃げたらどうなるのかを考えるとそれはできませんでした。「逃げることは絶対にゆるされない。でも逃げたい。いっそ避難命令が出てほしい・・・。」それは苦しいジレンマでした。
原発で次々に爆発が起こっていく中で、30キロ圏内の避難命令が出されました。この次爆発したら、ここに居る自分は死ぬかもしれないと、恐怖で背筋が凍りつきました。
イスラエルのバビロン捕囚の時代に、預言者エレミヤが現れましたが、原発事故の危機を叫んできた高木先生の姿が重なりました。高木先生は、核を作ってきた側の人間として責任を感じ、反原発運動に生涯をささげて来られました。61歳でガンで亡くなりましたが、自ら中央に出て行き、一市民科学者となって反原発の指導をして来られました。
社会が混迷して、先の見えない不安な時代に、預言者たちは現れます。しかし全く違うことを言う預言者たちに、民の心は激しくゆれうごきます。その預言が成就したとき、真実がわかりますが、預言をした時点では、外面的にはどちらが正しいかわかりません。なぜなら、預言者ハナンヤとエレミヤは民に向かって語りましたが、両者とも「イスラエルの神、万軍の主はこう言われる」ではじまりました。その間の事情について、エレミヤ書28章-29章を通して明らかにしてみたいと思います。
紀元前597年、バビロン王ネブカドネツァルによってエルサレムは包囲され、ユダの王や指導者階級の人たちはバビロンへ連行されました。これが第一回のバビロン捕囚ですが、この時、エルサレム神殿は破壊されず、バビロン王によって立てられた王だが、ゼデキヤという王を立てることもゆるされ、一応ユダ王国は存続しました。
預言者ハナンヤは「主は2年のうちにバビロン王の軛(隷属状態)を打ち砕く」と語りました。一方、エレミヤは「主はバビロンに70年の時が満ちたら、主は民を顧みる」と言いました。2年と70年では随分開きがあります。その時点では、どちらが正しい預言者か見分けがつきませんでした。その言葉が成就したとき、初めてそれが明らかになるのです。
「奪われた神殿の祭具を持ち帰り、バビロンへ連行された王や指導者たちは2年のうちに帰ってくる。主がバビロンの王の軛を打ち砕くからである。」と語った、威勢のよい、人々の耳に聞きよい、ハナンヤの言葉が歓迎されました。エレミヤは「アーメン、どうか主がそのとおりにしてくださるように。どうか主があなたの預言の言葉を実現してくださるように」と、言いました。皮肉がこめられているのでないなら、エレミヤとて一人のイスラエルの民として、悲劇や災いがないことを願ったでしょう。
しかし預言者が現れるのは、民が神から遠く離れている時ですから、預言者の言葉は、民の耳に聞きづらい災い、すなわち戦争や災害や疫病について語らざるをえないのです。
ひるがえって、東日本大震災後「がんばろう!日本、がんばろう!東北」が、プロパガンダのように日本列島に繰り広げられました。「何をがんばれと言うのだろうか。」あの事故の出来事から自宅に戻れず、いわきに借り住まいをさせられている人たちは、今も大勢います。2年5か月過ぎた現在も、まき散らされた放射性物質は手つかずで、土地は汚染されたままです。なのに、もうすっかり忘れたように、今度は「とりかえそう日本、とりかえそう経済」が声高く叫ばれています。わたしたちは、高度経済成長の幕開けとともに、もっと快適な生活を、もっと旨いものを、もっと大量にと、肉の欲、目の欲、生活のおごりがエスカレートしてきたように思います。
日本をとりかえして、経済をとりかえして、一体どうするというのでしょうか。再び人間の飽くなき欲望を満たしてくれる偶像の神を慕い求める生活に戻ろうというのでしょうか。あの原発事故は、一体何だったのでしょうか。「まだ懲りないのか日本、まだ目覚めないのか日本」と言いたいくらいです。
さてエレミヤは、イスラエルが清められるためには、70年の時を要すると考えました。はたして捕囚の民が故国エルサレムへ帰還したのは、エレミヤの預言通り70年が満ちた時でした。ハナンヤの言った2年どころか、その後の587年にゼデキヤは愛国者たちに促され、バビロンに反旗をひるがえし、第二回捕囚が起こりました。エルサレム神殿は破壊され、ゼデキヤ王は殺され、残りの民は連行されユダ王国は完全に滅び去りました。
エレミヤはバビロンに連行されたイスラエルの民に(29章5節~7節)主の言葉を告げました。「家を建てて住み、園に果樹を植えてその実を食べなさい。妻をめとり、息子、娘をもうけ、息子には嫁をとり、娘は嫁がせて、息子、娘をうませるように。そちらで人口を増やし、減らしてはならない。わたしがあなたたちを捕囚として送った町の平安を求め、その町のために主に祈りなさい。その町の平安があってこそ、あなたたちにも平安があるのだから。」と。
エレミヤが捕囚地にあてた手紙によれば、そちらでの生活は、三代にわたってしまうだろうが、落ち着いて生活をきちんと送りなさいということでした。
そして70年の時が満ちたら、神はあなた方をエルサレムに帰還させ、そこでもう一度新しい生活ができるように神は顧みてくださるとのことでした。バビロン捕囚の悲劇は、神様の災いの計画ではなく、平和の計画となりました。それは将来と希望を与えるものでした。
時が満ちて見なければ、預言者の語った言葉というのは、どちらが正しいか外面的にはわかりません。預言が実現して初めて本物がわかります。そしてエレミヤの預言の通りになりました。
では、ハナンヤとエレミヤではどこが違っていたのでしょう。ハナンヤは自分たちの行動に関して、厳しい目を向けることはしませんでした。「これは歴史によくある出来事だ。わたしたちはそんなに悪いことはしていない。神様が、たまたま起こった出来事を、長引かせるはずがない。わたしたちは再び神の下に生活を楽しむことができるのだ。」
そのように考えました。
一方エレミヤは、「われわれの行ないは神から遠く離れている。これほど背いているのだから悲劇が起こらざるを得ない。それは単なる罰ではない。われわれが清められるためには、必要な70年なのだ。今は清めのための時なのだ。70年が過ぎたら神はわれわれを顧みてくださり、再びエルサレムへ帰り、新たなイスラエルとして出発することができるのだ。」
そのように考えました。
わたしたちが偽の預言者の言を聞かないで、真の預言者に耳を開くためには、わたしたちもまた自分たちの行ないに対して厳しい目で見なければならないでしょう。
もしそれを欠くならば、ハナンヤの勢いのよい言葉に騙されてつき従うことになるでしょう。
真の預言者は、安易に平和を語る人ではありません。わたしたちは「がんばろう日本、取り戻そう日本」と叫ぶ前に「生き方を変えよう、生き方を転換しよう」と言うべきではないでしょうか。
「わたしは恵みの約束を果たし、あなたたちをこの地に連れ戻す。わたしはあなたたちのために立てた計画をよく心に留めている。それは平和の計画であって、災いの計画ではない。将来と希望を与えるものである。エレミヤ 29:10b-11)」
神の平和の計画は、奔流となってさらに新約聖書へと及びます。御子イエス・キリストを救い主としてこの世にお遣わしになるという出来事をとおして成就いたしました。独り子をさえ惜しむことなく世に与え、世を愛される神が、人間が苦しむのを見て喜ばれるわけがありません。そうではなく、神様から遠く離れて生きようとするわたしたちが方向転換して、神様を呼び求め真の平和に生きることを望んでおられます。
「そのとき、あなたたちがわたしを呼び、来てわたしに祈り求めるなら、わたしは聞く。わたしを尋ねもとめるならば見いだし、心を尽くしてわたしを求めるなら、わたしに出会うであろうと主は言われる。(エレミヤ 29:12-14a)」
「神はわたしたちを怒りに定められたのでなく、わたしたちの主イエス・キリストによる救いに与からせるように定められたのです。(テサロニケ一 5:9)」
「希望の源である神が、信仰によって得られるあらゆる喜びと平和とであなた方を満たし、聖霊の力によって希望に満ちあふれさせてくださるように(ローマ 15:13)」
アーメン
2013年 7月 7日 聖霊降臨節第8主日礼拝
06:18どのような時にも、“霊”に助けられて祈り、願い求め、すべての聖なる者たちのために、絶えず目を覚まして根気よく祈り続けなさい。 06:19また、わたしが適切な言葉を用いて話し、福音の神秘を大胆に示すことができるように、わたしのためにも祈ってください。 06:20わたしはこの福音の使者として鎖につながれていますが、それでも、語るべきことは大胆に話せるように、祈ってください。 06:21わたしがどういう様子でいるか、また、何をしているか、あなたがたにも知ってもらうために、ティキコがすべて話すことでしょう。 彼は主に結ばれた、愛する兄弟であり、忠実に仕える者です。 06:22彼をそちらに送るのは、あなたがたがわたしたちの様子を知り、彼から心に励ましを得るためなのです。 06:23平和と、信仰を伴う愛が、父である神と主イエス・キリストから、兄弟たちにあるように。 06:24恵みが、変わらぬ愛をもってわたしたちの主イエス・キリストを愛する、すべての人と共にあるように。
福島 純雄 牧師
1.10節でパウロは「主に依り頼みその偉大な力によって強くなれ」とエフェソの人々に語りかけた。そのために神の武具を取れと勧め、14節以下で6つの神の武具を列記していた。18節から20節には、祈りのことが語られている。祈りこそが、私たちのとるべき7番目の武具であるということであろう。祈りが最も有効な最後の武具であるとの語りかけなのである。
しかし、そのことについては、疑問を抱いてしまう人もいるのではないか。かく言うわたし自身が、牧師であるにもかかわらず、そのような疑問を抱いてしまう一人である。祈りが、10節にあるように「主に依り頼む」手段であることは言うまでもない。けれども、祈りが私たちをして「(主の)偉大な力によって強く」ならしめるものなのかどうか。むしろ、祈りにおける神様への依り頼みや願いが少しも聞き届けられない ― 祈りは聞かれないのではないかと思う。いわば、祈りの敗北というか、祈りの空しさの体験を積み重ねる ― そのことが、私たちを弱くしてしまう。そういうことがあるのではないかと思うのである。祈りの敗北や空しさというものを味わったことのない人は、まことに幸いなひとである。しかし、それはむしろ、祈ったことがないからだと私は思う。切実に祈ったことのある人であるならば、必ずや何処かで、祈りの敗北ということを味わっているはずである。これこそが、11節にある「悪魔の策略」であるのかも知れない。祈りなど何ら有効な武具とはなりえないと悪魔はささやく。何度かお話ししたことのある私自身のエピソードであるが、私にとってはっきりと記憶のある祈りの体験とは、夫婦喧嘩の激しかった父母ゆえに、どうか今日の夜、父母が喧嘩をしないようにと、毎夜、寝付く前に10分以上も祈った記憶である。祈りだけにとどまらず幼心に、これをすれば神様が見ていてこの願いを聞き届けてくれるのではないかと家中の整理整頓をしたこともあった。ところが、この祈りはしばしば聞き入れられなかったのである。もっとも、96歳と87歳になる父母が金婚式を遥かに越えて、いま以って夫婦でいるのは、祈りが聞かれたということなのかと思ったりもする。しかし、その当時は、祈りなど聞かれないと思うしかなかった。それでも、教会に通うことを止めることなく、今日こうして牧師の歩みを続けてきたが、その間に、どれほどの人々のために祈り、それがその願いどおりには叶えられないという祈りの敗北体験を重ねてきただろうか。
2.にもかかわらず、である。なぜ私は今もなお、祈るのであろうか。皆さんの多くも、そのように祈りの空しさを度々お感じになってきたにもかかわらず、なぜ祈ることを止めないのであろうか。それは、たとえ願いどおり叶えられないということがあるとしても、祈りによってしか与えられない何かがあるからなのである。10節にあるとおり「その偉大な力によって強くなる」ということが、確かに起こっているからである。
祈りにおいて生じているのはどのような事柄なのか。ふと思い起こすのは、私の説教で何度もご紹介している、V・フランクルの「夜と霧」に記されている出来事である。
一日の強制労働が終わり、バラックで横たわっている時、あるものを見るようにと仲間が駆け込んできた。何を見ろというのかと言うと、それはたかだか夕陽の光景でしかなかった。その光景が何分か続いた後で、その者がこうつぶやいた。「世界は、どうしてこんなに美しいのだろう」と。また、発疹チフスであったか、死の淵にあった一人の女性が、その病棟での看護師役をしていたフランクルに、こんなことを語ったという。病棟の窓から一本の木が見えていた。その木と、彼女は対話をしているのだという。木は何を語りかけるのかというと「私はここにいる。私は、ここに、いる。私は存在しています。わたしは永遠の生命です」と。
夕陽を見たからといって、また、一本の木と対話をしたからといって、彼らが強制収容所から解放されるわけではないし、また、死の床から自由になるわけでもないのである。そういう意味では、この体験は何の力にもなっていないし、意味もない、と言わざるを得ない。しかし、フランクルは、このことがこの女性にとって、とても大切な体験であったと語っているのである。その根源にあるのは、直接的には神様との出会いではないのであるが、しかし、神様が作られた自然に込められている神的ななにか、神様だけが持っておられる何か、神様に由来する美しさや調和や永遠のもの、そういうものに触れ、また、包みこまれ一体となる体験なのである。いま自分たちは、ヒトラーをはじめとする人間たちが作り出した醜悪なもの、醜いもの、悪、暴力、無秩序といったものに取り囲まれ支配されている。神様の世界の美しさや調和や平和が、決して人間のこうしたものによって破壊などされることなく、厳然として自分たちの前に存在している。神様の作りだした世界と、彼らは今つながっているのである。
私たちが祈りにおいて体験するのは、まさにこのようなことなのだと思う。祈りは、確かにその願い求めどおりに聞かれないことがしばしばである。祈りは、私たちを取り囲む現実の困難や辛さを払しょくすることはないかも知れない。けれども、祈りにおいて、私たちは神様だけが持っておられるところの何かに触れるのである。
これも、またふと思い起こした話であるが、― ラジオ深夜便で一度だけ聞いた話なので不正確なところがあるかも知れない ― 指揮者として有名なコバケンこと小林研一郎さんのことである。彼の音楽との出会いは、戦中であったか、戦後の混乱期であったか、ふとラジオから聞こえてきたべ―トーメンの交響曲(たしか第9であったと思う)を聞いたことにあると言う。以来、小林少年は、ラジオのダイヤルをあわせ、また、お父さんのレコードに針を落として、音楽を聞き続けたという。
祈りとは、このように、私たちが神様に向かって周波数を合わせること、あるい針を落とすこと、神様だけから聞こえてくる音楽に、その波動に耳を傾ける行為に他ならない。礼拝は、大きく言えば、祈りの行為ではるのだが、祈りは、もっとはっきりと神様から流れてくる波動に同調しようとし、私たちの内奥の部分をそれに調和させ、共鳴をさせようとする行為なのである。
3.祈りにおけるこのような体験を、18節で、パウロは「どのような時にも、コW霊コWに助けられて祈り」という言葉で語っているのかもしれない。これは私の勝手な読み替えであるが、ここを私は次のように読み替えたい。「どのような時にも祈るとき、私たちはその祈りにおいて聖霊の助けをいただく」と。祈りにおいて、私たちは聖霊の助けをいただくのである。それは、目に見えない聖霊の助けである。だから、その助けは、私たちの願い ― それはほとんど血肉における願い求めである ― を直接叶えてくれるようには思えないし、感じられない。しかし、聖霊は必ず私たちを助けていて下さる。そして、聖霊による助けは、何よりも私たちの霊的な部分に対する助けなのである。霊的な部分への助けは、必ずや心や血肉にも良い影響を及ぼさずにはおかない。聖書においては、私たち人間は、霊と心と体の3つからなっている存在としてとらえられている。そして、何よりも、私たちを生かす根源は霊にある。創世記の2章7節に「主なる神は、土の塵で人を形づくり、その鼻にいのちの息(これが、言葉そのものから言っても霊である)を吹き入れられた。人はこうして生きる者(原文どおりには肉と言う意味である)となった」とある。土の塵である肉体と、また、心を持っている「肉」である私たちを生かす根源は霊である。そもそも、神様の聖霊に由来する霊的な部分こそが私たちを生かしている。私たちの霊的な部分とは、そもそも聖霊から分け与えられた「分身」のような部分といってよいかも知れない。祈りにおいて、聖霊は自らの分身と言ってもよい私たちの霊的な部分を助けるのである。そこを活性化し、共鳴させ、波動を高め、それが、ひいては、私たちの血肉をも活性化させるのである。
4.さて、さらに、祈りが私たちを強くする有り様が18節後半から20節にかけて語られていると思う。18節後半には「すべての聖なる者たちのために、絶えず・・」とあり、19~20節では「わたしのために」祈ってくださいとパウロは言っている。ここで注目させられるのは、祈りが「聖なる者たちのため」「わたし(パウロ)のため」捧げられるものだ、ということである。つまり、祈りはエフェソの人々自身のために願い事をささげるものであるだけではなく、他者を覚える機会となったのである。そのことが、不思議にも、エフェソの人々をして目を覚まさせ、根気強くさせた。
これは、私たちも体験することではあるまいか。私は、牧師として、信徒から「私のために祈ってください」「誰々さんのためにいのってください」と頼まれる。すると、恥ずかしい話であるが、牧師であるにもかかわらず祈りに怠惰な私でさえ、姿勢を正すようになって祈りに向かうようになる。根気強く、粘り強く祈れるようになる。その願いは、そのとおりには叶えられないことのほうが多い。しかし、他者のために祈ることは、祈るものを不思議にも強くする。自分自身や(自分とイコールである)家族のためにだけを思い祈るとき、なぜか私たちは弱くなる。余計に祈りの空しさを感じさせられる。それは、自分の願うところを手に入れようとする思いが強いからではないだろうか。
先週のルカの福音書におけるイエス様の語りかけを思い起こす。遣わされた者として生きよ、神様に支配されている喜びを証しし、病人を癒せ、とお語りになった。遣わされたものとは、他者のもとに遣わされた、ということなのである。そのような在り方を、まず、第一に現すのが、他者のために祈ることではないだろうか。そして、そのように祈ることは、ただ祈りだけには終わらない。祈ることは、必ず行動へとつながる。祈った方のために何かをなすことへとつながっていく。そのような遣わされた生き方は、私たちを強くする。私たちの人生を力強くする。
5.だからこそ、21節以下の言葉が語られているように思う。ここに書かれているのは、信徒の交わりということである。パウロはテキコという弟子をエフェソに遣わして、自分の様子を彼らに知らせようとしている。それを知ることが、エフェソの人々の励ましとなる。父である神とイエス・キリストからの「平和と信仰を伴う愛」は、兄弟たちに於いて在る。兄弟姉妹というつながりにおいてこそ、神様からの愛が与えられる。なぜなら、その間柄に於いて、私たちはお互いに遣わされた者となれるからである。自分だけのことを祈り願うものから、他者のことを祈り、遣わされるものとなれるからである。そこにこそ、最も聖霊の助けが注がれるのであろう。
2013年 6月30日 聖霊降臨節第7主日礼拝
09:01イエスは十二人を呼び集め、あらゆる悪霊に打ち勝ち、病気をいやす力と権能をお授けになった。 09:02そして、神の国を宣べ伝え、病人をいやすために遣わすにあたり、 09:03次のように言われた。「旅には何も持って行ってはならない。 杖も袋もパンも金も持ってはならない。 下着も二枚は持ってはならない。 09:04どこかの家に入ったら、そこにとどまって、その家から旅立ちなさい。 09:05だれもあなたがたを迎え入れないなら、その町を出ていくとき、彼らへの証しとして足についた埃を払い落としなさい。」 09:06十二人は出かけて行き、村から村へと巡り歩きながら、至るところで福音を告げ知らせ、病気をいやした。 09:07ところで、領主ヘロデは、これらの出来事をすべて聞いて戸惑った。 というのは、イエスについて、「ヨハネが死者の中から生き返ったのだ」と言う人もいれば、 09:08「エリヤが現れたのだ」と言う人もいて、更に、「だれか昔の預言者が生き返ったのだ」と言う人もいたからである。
福島 純雄 牧師
1.イエス様が12人の弟子たちを「神の国を宣べ伝え、病人を癒す」ために遣わそうとされた時の様子が記された箇所である。私たち牧師は、まさしくこのように遣わされている者なので、とても身近に感じる。信徒の皆さんにとっては、どんな語りかけを聞くことができる箇所だろうか。皆さんは、福音を宣べ伝えることによって生活が支えられているわけではないし、弟子たちが「村から村へと巡り歩きながら」生きているのではなく、一ヶ所に留まりそこで生活されている。そんな皆さんにとっては、今日の御言葉は身近なものとは感じられないかも知れない。
私の手元に、昔銀行マンだった作家の江上剛が書いた『聖書に学ぶビジネスの極意』という本がある。彼は、この箇所のイエス様の言葉を、関連する会社の再建をするために派遣されたサラリーマンへのアドバイスとして語っておられる。たとえ信仰が無くとも、イエス様の言葉や聖書の言葉を、そのように読むことができたわけである。信仰者の私たちは、このイエス様のお言葉を、もっと有意義なものとして読むことができるだろう。それは、信徒の皆さんも、この弟子たちのように、派遣された者としての意識を「少しでも抱く」ということなのである。そういう意識を持つのと持たないのとでは、生活の在り方が大きく変わってくるのではないかということである。
礼拝最後の祝祷を「派遣」のための祈りとして位置付ける教会は少なくはない。信徒の皆さんの6日間の生活を、派遣されたものとしてとらえるようにせよということである。とても大切な視点ではないだろうか。
2.さてイエス様は、12人を派遣するにあたって、まず彼らを呼び集めて「あらゆる・・権能をお授けになった」とある。それは2節の始めにある「神の国を宣べ伝え、病人を癒すために」ということと、同じ内容なのであろう。弟子たちはこのような働きをする力をイエス様から授かって、この目的のために派遣された。
私たちも派遣された者としての意識を持つならば、自分も同じような力を授かり、同じ働きをすることのできる者として派遣され、生かされていることがわかってくるのではないだろうか。このことを知ることは、私たちの歩みにとって大きな示唆を与えると思う。
先週の聖書研究祈祷会で、サウルがダビデに対するねたみから来る敵意を募らせ、心病む有り様を学んだ。ダビデはサウルの後継者として王になるべき者として選ばれた。そうとは知らずに、サウルは彼を側近として取り立て、ダビデは巨人ゴリアテを倒して、その後も連戦連勝であった。女性たちが「サウルには千、ダビデには万」と唱えるのを聞いて、サウルはダビデをねたみ始める。ねたむという思いこそが、最も私たちを悩まし、対処するのが難しい感情であることを考えさせられた。
私たちは如何にして人をうらやみ、ねたむという感情に対処することができるのか。それを、今日のイエス様のお言葉が教えて下さっていると思う。私たち一人々々が、神様から力や賜物を授かって派遣されている者なのである。それは、他人と比べて『自分は千、あの人は万』というようなものではないのである。イエス様は、12人に、何人の人に宣べ伝えよ、何人の人を癒したか競争せよとは言われなかった。私たち自身の思いとしては『果たして私にそんな力があるのだろうか』と疑う心があるかも知れない。周りの人からも、そのようにみられるかも知れない。周囲の人々が自分に対して抱いている期待に応えられているだろうかと心配する。人々の期待という尺度から自分自身を測るのである。
牧師である私もまた、これしか力がないのか、これほどの働きしかできないのかと悩むことがしばしばある。教会からの様々な期待に応えることができないと心病み、牧師をやめてしまう者がどれほど多いことか。それを乗り越えるのは、今日のイエス様のお言葉が指し示すことによってなのである。たとえ人々の期待に、また自分の予想した期待に応えることができなくとも、確かにこの私を、イエス様そして神様は「力と権能を授けて」遣わして下さったのである。選んだのは私ではなく、また人々でもなく、イエス様であり神様なのである。期待に応えることができるから、派遣して下さったのである。ここに、しっかりと立つことによって、私たちは自分自身の能力を疑い、人と自分を較べ、ねたみそねむことから解き放たれる。私に、神様が与えて下さった賜物を信じて、進んでいくことができるようになる。
3.しかし、皆さんはお思いになるだろう。「では私には、本当に、ここに書かれているような力を授かっているだろうか」と。「私は、本当にそのような働きが出来る者として遣わされているのだろうか」と。文字どおりには「悪霊を追い出し、病人を癒す」ことなどは、出来ていないのは勿論である。また、信徒のみなさんは、直接的に伝道者として「神の国を宣べ伝え」ることはしてはいないのである。
そこで考えてみたいのは、そもそも「神の国を宣べ伝える」とは、どういうことかという点である。神の国とは、原語どおりには「神様の支配」ということである。それは、私たちが神様によって支配される、神様に繋げられ、導かれていることを知り、体験し、それを ― たとえ直接的な言葉によってでなくとも、 ― 証しができることを意味しているのだと思う。私たちは神様と直接、顔をあわせてお会いしたわけではない。私たちが神様について知ることができるのは、おぼろげであり、かすかであり、間違った解釈の部分も多い。礼拝や聖書研究会で学ぶアブラハムやモーセやサムエルといった人々の信仰も、クエスチョンマークを付ける部分が多い。けれども、彼らの姿を通して、彼らにとって神様に支配され、導かれていることが、本当に必要であり、不可欠であり、喜びであったことは、ひしひしと伝わってくる。それが「神の国を宣べ伝える」ということなのではないか。私たちを通して、神様に支配され、導かれていることの喜びや安心が証しされれば良い。
信徒の皆さんにとってのその証しとは、何よりも、こうして日曜日に教会の礼拝に集まってくることなのではないだろうか。時間とお金をかけて、わざわざ仕事のお休みの日に、こうして教会に集う。それは何故なのか。何を証ししているのか。この1週間が、神様に導かれるものであって欲しいからである。神様に支配される1週間でありたいと願うからである。
私たちは、こうして礼拝に集う有り様を通して、神の国を宣べ伝えていることに、先ず心をとめよう。
4.このような『宣べ伝え』の姿が、皆さん方の家族や友人たちの中で「悪霊に打ち勝ち、病気を癒す」何らかの働きを生み出すのではないだろうか。
それは文字どおりの癒しではないかも知れない。しかし、こうした私たちの姿を通して、病気や悪霊が私たちを支配している存在ではないということが伝わる。神様という聖なる、善なる、愛にあふれたお方が私たちを支配して下さっているのだということが伝わる。そうすれば、彼らは安心するであろう。あるいは、私たちは病人や心病む方たちに関わろうとするのである。それによって治ることはないかも知れない。しかし、関わる。病人であり心病む私たちに、関わってくれる人がいるんだということによって、癒されるということもあるだろう。
けれども、私たちの現実としては、私たちがクリスチャンとして礼拝を守り、信仰生活を営んでいることが、どうしても、そのような働きを生じさせていないと思われることも多いかも知れない。それに対して注目させられるのは、5節以下で、イエス様が、遣わされた弟子たちの働きを「迎え入れない」人々がいることを、しっかり告げておられる点である。遣わされた私たちを、すべての人々が歓迎してくれるわけではない。むしろ、敵対し拒む人もいる。どうやっても解ってくれない人々もいる。では、それは遣わされた私たちの、その言葉が、信仰が、力が足りないからなのか。そうではないと、イエス様は言って下さる。「自分を責めてはいけない。受入れらないのは、あなたがたのせいではなく、相手の故なのだ。そういう場合には、とことんまで関わろうとしてはいけない。自分が勝つか、相手が勝つか、そういう状況までこんをつめてはいけない。そうではなく、足の埃を払って立ち去りなさい。必ずや、あなたがたを迎え入れてくれる人々がいるのだから、そちらへ向かいなさい」と。
私はこのイエス様のお言葉に、どれほど励まされてきたか。そして、これはまた、伝道者ではないが、ご家族の中でたった一人のクリスチャンである信徒の方にとっても、大切なアドバイスを与えて下さる御言葉なのである。長い間の証しが、どうしても伝わらないことがある。それは、自分の証しが至らないからだとお思いになるかも知れない。しかし、そうではないのである。どうしたって、受け入れられない場合がある。もちろん、そのときにも、家庭を離れるということはできない。文字通り出て行くということは不可能である。その場合には、とことんまで関わることは止めて、一旦は『出ていく』ということ。それは、伝道や信仰をつたえるという事柄において、それをあからさまに期待するという点については、一旦は保留するという態度である。弟子たちが、その町のことは、また別の人に委ね、また、最終的には神様に委ねて、立ち去って行くように、受け入れてくれない家族のことは神様に委ねるのである。
5.最後に、遣わされる者として、こうした働きをする生き方をすれば、私たちの人生は必ずや神様からのお支えと、生きる糧をいただけるということが、3節の有名なイエス様のお言葉の言わんとすることである。
そもそも、私たちは、どんな目的のために生かされているのだろうか。私たち自身また家族や周囲の人々は、様々なことを期待し、目的を課してくるのである。自分はそれに応えることが出来ていないと悩む。それを実現できている人をうらやみねたむ。サウルが言ったように「あいつには万か。私にはたった千か」とねたむ。しかし、神様が私に期待し、またそれができるように確実に力を授けて下さっているのは、他人と較べてどうかではなく、私たちが神様のことを証しし、傍にいる病人と関わるという、本当に些細な小さな事柄なのである。そして、それを果たしていくことにおいて、私たちの人生は多くを持たずとも、不思議と支えられていく。それを、イエス様は教えて下さっている。
2013年 6月23日 聖霊降臨節第6主日礼拝
25:19アブラハムの息子イサクの系図は次のとおりである。 アブラハムにはイサクが生まれた。 25:20イサクは、リベカと結婚したとき四十歳であった。 リベカは、パダン・アラムのアラム人ベトエルの娘で、アラム人ラバンの妹であった。 25:21イサクは、妻に子供ができなかったので、妻のために主に祈った。その祈りは主に聞き入れられ、妻リベカは身ごもった。 25:22ところが、胎内で子供たちが押し合うので、リベカは、 「これでは、わたしはどうなるのでしょう」と言って、主の御心を尋ねるために出かけた。 25:23主は彼女に言われた。 「二つの国民があなたの胎内に宿っており二つの民があなたの腹の内で分かれ争っている。 一つの民が他の民より強くなり兄が弟に仕えるようになる。」 25:24月が満ちて出産の時が来ると、胎内にはまさしく双子がいた。 25:25先に出てきた子は赤くて、全身が毛皮の衣のようであったので、エサウと名付けた。 25:26その後で弟が出てきたが、その手がエサウのかかと(アケブ)をつかんでいたので、ヤコブと名付けた。 リベカが二人を産んだとき、イサクは六十歳であった。
福島 純雄 牧師
1.アブラハムとサラが召され、物語の主人公はその子イサクや孫ヤコブへと移っていく。今日の御言葉には、イサクとリベカに双子の息子が生まれたいきさつと、その誕生によって生じた不吉な将来を暗示するような波紋が描かれている。
心に留めるべき点として示されたことがある。それは25章11節に「アブラハムが死んだ後、神は息子のイサクを祝福された」との言葉である。アブラハムの死後すぐに、どのような祝福が与えられたかについては、前回教えられた。随分前に家を追い出された腹違いの兄イシュマエルと父の埋葬を一緒にすることで、和解ができたのではないかということだった。そうしたことに留まらず、長くアブラハムに与えられていた神様からの祝福は、今度はイサクに引き継がれていく。次の26章に描かれたイサクの姿にも、神様からの祝福を受けている者の姿が描かれている。そのように読みなさいとの語りかけを聞く。
けれども、そこで私たちは驚きを禁じ得ない。と言うのも、今日の御言葉に記されているイサクや妻リベカの姿、また、その発端が書かれているにすぎない双子の兄弟の有り様は、祝福されたもののそれとは、到底言えないものだからである。
まず、40歳で結婚したこの夫婦は、不妊だったことが語られている。26節で、40歳でリベカをめとったイサクに子供が与えられたのは、彼が60歳の時だったとある。だから20年間も、この夫婦は不妊に苦しんでいた。
私たちは既に、どのようにしてリベカが捜し出され、イサクのもとにやってきたかを24章の物語で知っている。もしかしたら、臨終のときにアブラハムはしもべに、イサクの妻となるべき女性について絶対的な条件を課していたのかもしれない。それはひとえに、自分と同じ信仰をイサクが受け継いで欲しいとの願いからであった。イサクの妻となるべき女性にも、それを求めた。このアブラハムの願いがどのようにして実現したか。それは、まことに不思議な神様のはからいによってであった。このしもべが願った通りの出会いが授けられ、リベカはイサクのもとにやってきた。このように、神様ご自身のおはからいによって実現した結婚なのであった。そして、さらに、神様の祝福が与えられた夫婦なのであった。さぞかし恵まれた、悩みなど何もない、理想的な過程が築かれると思われたのではあるまいか。神様の祝福を受けているとは、そういうことではあるまいか。
ところが、そうではなかったのである。長きの不妊、やっと授かった双子は胎内で争い、兄弟として生まれた後には父母それぞれが愛する対象が異なってしまうのであった。やがて、だましだまされる兄弟の相克が始まっていくのである。これが神様の祝福を受けている家族の姿なのか。そうである。ここに記されている夫婦の有り様こそ、私たちの思いを越えて、神様の祝福を受けている者の姿なのだと知りなさいとの御言葉なのである。それは、私たちにとって大いなる慰めであり、励ましである。
2.では具体的に、いかなる神様の祝福が与えられていたのであろうか。
まず描かれているのは、21節「イサクは妻に子供ができなかったので、妻のために主に祈った」に示されている点である。イサクの誕生から今日まで、これまでには何処にもイサクの信仰の現れを伺わせる記述というものが記されていなかったように思う。主に祈ったとか、神様を信じたといった記述は、これが初めてなのである。つまりイサクは、妻の不妊という出来事を前にして、初めて「主」なる神様を信じ ― いや、それははっきりと「信じた」とは言い得ないのかも知れないが ―、その主なるお方に向かって祈るということを体験した。不妊ということがなければ、主に祈るという行為は現れることがなかった。20年間のこの辛い時間こそが、彼を祈らせるために神様が与えて下さった祝福の時であった。祈る20年間を授かったことが祝福だった。
これは、あくまで私の勝手な想像であるが、イサクが神様に祈るようになるために、それまで余りにも大きな障壁が立ちはだかっていたのだと思う。忘れることができないのは、少年になっていたイサクを、父アブラハムがその「信仰」によって ― しかし、果たしてその信仰はふさわしいものだったのかと、神様の真意を受けとめることのできたものだったのかという深い疑念が残る。信仰とは、常にこうした側面がつきまとう ― あやうくいけにえの犠牲にされるところだった。
信仰の恐ろしさというものを、身に染みてイサクは感じた。あるいは、また自分が生まれることによって、腹違いの兄と、その母親とが追い出されてしまう有り様も、目の当たりにした。迷う父に「追い出せ」と告げたのも、また神様だったと父は言うのであった。こうした父の信仰者としての姿が、イサクにとって神様を信じることへの障壁ではなかったのか。それは、信仰の継承という問題で悩む私たち皆が抱えている事柄と同じなのである。だからこそイサクは、40歳になるまで、神様に祈るということができなかった。
しかしついにイサクは、その障壁を乗り越えた。乗り越えるしかなかった。神様を主として祈り、願わざるを得ない時がやってきたのである。はっきりと信じたとは言い得ないのかも知れない。御利益信仰だったかも知れない。しかし、祈るしかなかったのである。そうせずにはいられなかった。その祈りが20年続いた。
3.こうして、この祈りは「主に聞き入れられ、妻リベカは身ごもった」とある(21節後半)。願いどおり聞き入れられるためには、20年間、忍耐強く祈り続けなければならなかったのか。20年間祈り続けたから、かなえられたのか。そうではないのである。この二人に子供が授かることが、神様のご計画において必要だったからである。どんなに粘り強く願ったとしても、それが願いどおりかなえられるとは限らない。私たちの願いが、神様の御心にかなわないものであるときは、「金や銀は私にはない」と告げて下さる。「私にあるものをあげよう」といって下さる(使徒言行録3章で示された御言葉)。
さて、もう一つの見落としてはならない祝福があると思う。それは22節で、リベカが「主の御心を尋ねるためにでかけた」とあることから示される点である。この言葉は、リベカもまた、神様を信じる信仰があったことを現している。もともと、彼女はアブラハムの故郷である一族のもとにいたときから、既に神様を信じていたかどうかは、わからない。その彼女がこのような姿をはっきりと取ることができる者となったのは、ひとえに20年間、夫イサクが彼女のために祈り続けてくれたことが大きかったのではあるまいか。夫婦揃って主なる神様を信じることができるようになった。伴侶の一人が、はっきりと神様からの言葉を授かるほどの者とされた。夫婦や家族にとって、これほどの祝福は、ないのではあるまいか。願いどおりのものは与えられないかも知れない。しかし、20年間祈り続けることは、必ずや伴侶にもその信仰が伝わる。祈る喜び、神様を主と頼る喜び。このかけがいのなさは、いつか伝わるものなのである。
4.さて、最後の祝福についてである。
身籠った結果、素朴な妊娠の喜びも束の間、胎内で子供たちが押し合い、母として直感的に不吉な思いを抱くものであった。リベカは「これでは、わしはどうなるのでしょう」と神様に問うのだった。その答えは23節のようなものだった。案の定、生まれた双子はまるで対照的な息子たちであり、ゆえに父イサクはエサウを、母リベカはヤコブを愛するようになってしまった。共に主なる神様を信じてきた20年間の歩みを粉々に打ち砕くような、夫婦や家族の和にくさびを打ち込むようなものであった。この事柄の、一体何処が祝福なのだろうか。
20年間の不妊の末に、祈りが聞き届けられた結果として与えられたこの出産や家族のありようは、神様が関与してのものだったのである。イサクやリベカが生み出したものではなかった。エサウやヤコブが生み出したものでもなかった。ただ神様の関与の結果なのであった。神様の関与の結果として、こういうことが生じるのだということが語られている。それは私たちをして「これでは、わたしはどうなるのでしょう」と不安を抱かざるを得ないものである。しかし、そのように私たちに言わしめるのが神様の関与なのである。神様が私たちにはらませ、生み出させるものなのである。それは、私たちにコントロールできるものではない。私たちの手のひらの範囲を越えている。けれども、神様は私たちに、ご自分の計画をはらませ、私たちの肉体を用いて、それを出現させたもう。
確かに、それをはらみ、生んだ父母や家族はとまどう。右往左往させられる。私たちは、そこに秘められた神様の遠大な計画を見通すことは出来ない。だから、とまどう。「どうなるのでしょう」と言うしかない。けれども、兄弟がこのように争った結果はどうなるのか。この家族とその将来に何が生じるのか。家を出ざるを得なくなったヤコブは、母リベカの兄ラバンのもとで20数年苦労を重ねることになる。人間として成長させられ、また、その苦労のなかに神様とも出会うことになる。神様を信じる信仰を深くされるのであった。多くの子供たちを授かり、イスラエルの祖として立てられることになるのだった。「わたしはどうなるのでしょう」との不安の只中に、私たちがはらみ、生んだ者たちが、争いや対立の果てに、それを越えて、そのような神様の計画に用いられていく。
まことに小さな私たちが、また、私たちの肉体が、そのようなご計画に用いられていく。それが祝福ではあるまいか。
5.最後に一言、神様の関与によって生み出せた双子の兄弟と、それに対する父母の接し方の対立というものが、根源的に神様の関わりによって私たちのなかに生じてくる葛藤や対立を象徴的に現している。「一つの民が他の民よりも強くなり・・」とある。これが、神様の関与として生じた現れである。一つの民とは、「たった一つの」と言う意味を、私は感じる。その、たった一つの民、弱い者、哀れなもの、そういうものが「他の民」 ― それは多くの、沢山の、という意味を持っていると感じる ― よりも強くなるのである。兄が弟に仕えるようになる。父イサクは、狩りの獲物が好物で、巧みな狩人となったエサウを愛するのである。かたや、ヤコブは、先に生まれた兄のかかと(アケブ - これがヤコブの名前の由来)を持って、やっと生まれてきたような弱さを持っていた。だから、強さを愛する父からは遠ざけられるのであった。これが、私たちを貫く価値観であり、人間関係を貫くものなのである。しかし、神様の関与によって、そこに全く正反対の価値観や倫理が入り込んでくる。神様の関与によって、人間の価値観とは全く違うものが生じてくる。そこにも、また、祝福があるのではないか。
2013年 6月16日 聖霊降臨節第5主日礼拝
06:10最後に言う。主に依り頼み、その偉大な力によって強くなりなさい。 06:11悪魔の策略に対抗して立つことができるように、神の武具を身に着けなさい。 06:12わたしたちの戦いは、血肉を相手にするものではなく、支配と権威、暗闇の世界の支配者、天にいる悪の諸霊を相手にするものなのです。 06:13だから、邪悪な日によく抵抗し、すべてを成し遂げて、しっかりと立つことができるように、神の武具を身に着けなさい。 06:14立って、真理を帯として腰に締め、正義を胸当てとして着け、 06:15平和の福音を告げる準備を履物としなさい。 06:16なおその上に、信仰を盾として取りなさい。それによって、悪い者の放つ火の矢をことごとく消すことができるのです。 06:17また、救いを兜としてかぶり、霊の剣、すなわち神の言葉を取りなさい。 06:18どのような時にも、“霊”に助けられて祈り、願い求め、すべての聖なる者たちのために、絶えず目を覚まして根気よく祈り続けなさい。 06:19また、わたしが適切な言葉を用いて話し、福音の神秘を大胆に示すことができるように、わたしのためにも祈ってください。 06:20わたしはこの福音の使者として鎖につながれていますが、それでも、語るべきことは大胆に話せるように、祈ってください。
福島 純雄 牧師
1.何よりも心を寄せられるのは、12節前半の「私達の戦いは、血肉を相手にするものではなく」という御言葉である。血肉とは、その文字通り血や肉によって成っている肉体を指していると考えられる。また肉体だけではなく、血肉において営まれそうであるがゆえに傷ついたり病んだりすることが避けられず、そして最後には血肉における死に至るところの、心や精神をも含んだ土の器といわれる人間の在り方を言うものでもあるだろう。
ただ、文脈から言うとパウロは、この血肉ということで、5章21節以下からずっと語ってきた夫婦や親子や主従関係のことを念頭に置いていたのかも知れない。
まさしく、その間柄は当時の人々が苦闘し戦うしかない事柄であった。もっぱら血肉ということを私たち人間の存在を示す言葉としてとらえて「私たちの戦いは血肉を相手にするものではない」との御言葉を中心に耳を傾けよう。
さて、いま私たちにとって最も馴染み深い戦いというのは、この血肉における、私たちが血肉であることによって引き起こされるゆえのものではあるまいか。
「闘病」という言葉がいみじくも示しているとおりである。ある教会員の女性は、木曜日の日に、ガンを治療してから丸5年が無事過ぎて、一応の「治癒」が告げられたそうである。彼女が5年間にわたって長い闘病をやり抜き、勝ち抜いた結果であるだろう。Y兄が、医者からそんなにたやすい病状ではないと告げられながらも、こんなに早く退院ができたのも闘病の成果である。その他にも、多くの教会員やそのご家族が、病気を抱えている血肉に対する戦いのなかにあるだろう。戦いをしなければ病気に打ち勝つことはできない。
戦って勝利することが、私たちにとって絶対に不可欠なことではないかと私たちはだれもがそう思うのである。
ところが、今日の御言葉において、パウロは驚くべきことを語りかけるのである。私たちの戦いは、血肉を相手にするものではないと。言い方を換えれば、私たちは血肉を相手に戦ってはいけないということである。血肉というのは、決して戦うべき相手ではないということである。ではパウロは、私たちが病気になったとき、闘病などすべきではないと言うのであろうか。何もせずに、ただ病気のなすがままに放っておけと言うのであろうか。先程のべた教会員の方々における闘病の成果は、どのように受け取ったら良いのだろうか。
2.パウロがこのように語るのは、私たちが血肉を相手に「戦おう」とするとき、そこにどうしても11節に言われているところの「悪魔の策略」というものが入り込んでくるからなのである。今日の御言葉で、パウロは繰り返し「神の武具を取れ」と言っている。パウロが繰り返し言わざるを得ないのは、私たちがこの血肉との戦いにおいて、それを戦いとしてとらえてしまうことによって、神の武具ではなく、悪魔の武具をとってしまうからである。その悪魔の武具が何であろうか。12節後半に「私たちの戦いは・・・支配と権威、暗闇の世界の支配者、天にいる悪の諸霊を相手にするもの」とある。悪魔の策略とは、私たちが今言ったような「戦いを」なそうとするとき、支配とか権威とか、支配者になろうとすることを、武具として私たちに取らせようとすることである。
私たちが血肉に対して戦おうとするとき、私たちは悪魔の策略によって「自分の血肉は自分のもの」と思わせられるのである。自分の血肉に対する支配や権威というものを、がっちりと握ろうとするのである。それを犯そうとするのが病気なのだから、これに対して権威を武器として振りかざして、戦おうとするのである。お医者さんたちも、そうした思いから治療をする。治療というものが、まさに闘病になる。闘いになる。その根源には、血肉は自分のものとの思いがある。しかし、パウロによれば、この思いは悪魔の策略なのである。
先週水曜日、朝日新聞のオピニオンというコーナーに、あるインタビュー記事が掲載されていた。それは、作家の柳原和子さんの傍で、その闘病と死をみつめ続けてきた工藤玲子さんとの対談記事であった。柳原和子さんは47歳で母親と同じガンになった。柳原和子さんは「治れば勝ち、治らなければ負け」という現代医療における価値観からの脱却を目指していたという。1996年に出版されて、今もなお様々なところで論争を引き起こしている『患者よ、がんとたたかうな』という本(今は、それが出版された当時より随分この本を巡る環境は変わったが)の著者、近藤誠医師とも知り合いで、何度も対談をされたそうである。治るということが絶対である医療依存を戒めガンに対して何もしない闘わないという立場では、実際に患者になった者は救われない堪えられないと彼女は思っていた。たとえ治らなくとも、自分が自分に対して勝利者になる生き方を模索しようとしていた。最後には、為し得る治療が何もない状況になったとき、柳原和子さんは「すべての治療から撤退し、家に閉じ籠ってしまった」という。インタビュアーは、工藤さんへの最後の質問で「柳原和子さんは『治らなければ負け』を完全には乗り越えることはできなかったのですか」と尋ねた。その質問に対し工藤さんは、無くなる数日前、和子さんが彼女の姉に『こんなもんかな』とつぶやいたことを紹介している。
私がこの記事で注目させられたのは「治れば勝ち」という価値観からの脱却を目指しつつも、ガンを発症した血肉に対する柳原和子さんの態度は、根本的に、戦うという在り方であったということである。そして、その闘いの基本姿勢は「自分が自分の勝利者になる」ということにあった。それは、パウロが言っていた言葉からすれば、自分の血肉に対する「支配や権威」の行使ではないだろうか。勝利者という言葉が、何よりもそれを示している。「治れば勝ち、治らなければ負け」という価値観から抜け出ることができない。勝利者となるために武器を取ろうとする。柳原和子さんだけではなく、おおよそ今日の私たちの『闘病』という営みを貫いているのは、こういうことではないだろうか。
しかしそれは、神様の武器ではないのだ。悪魔がその策略によって取らせようとする武器でしかないのだ。その武器を取ることによっては、決して血肉を抱えている私たちに平安はない。それは何故かというと、言うまでもなく「勝利」ということでは ― 私たち自身が自分の勝利者となるということでの「勝利」ならば ― 私たちは必ず敗北せざるを得ないからである。
3.そうであるがゆえに、パウロが語るのは「神の武具を身につけよ」ということなのである。では「神の武具を身につける」とは、いかなることか。それは、血肉に対する自分の支配権や権力を放棄せよということである。血肉は、神様のものであることを受入れ、信頼することである。10節の「主に依り頼み」とはそういうことである。神様が主なのであり、私が主なのではない。
このことは、血肉に対して具体的にはどのような態度を私たちに取らせるものとなるか。いかなる具体的な武具を身につけさせて下さるのか。まず、血肉は、そもそも神様のものであって、ある期間にある目的のもとに、神様から私たちに貸し与えられたものである。だから、私たちは ― 法律用語に「善良なる管理者」という言葉があるが ― 血肉に対して、善良なる管理者としての態度をもって、無理を強いず、不養生をせず、大切にこれを扱うのである。しばしば私たちの病は、これをせずして長い間、血肉をわがものとして扱い、そのために生じたものであることが多いのではないか。こうして生じた病を、本来の健やかさ ― 神様が貸し与えて下さった当座の健やかさ ― に戻すお手伝いをして下さるのが医療であろう。そういう医療であるならば、私たちは大いに喜んで医者のお世話になるのである。しかし、それは私自身や医師の闘いではなく、神様の為して下さる闘いである。
私自身は血肉に対して、これまで善良なる管理者としての態度で接してくることができたと思う。タバコは吸わないし、普段はほとんどお酒を飲むこともなく、なるべく体を動かすようにしている。だから、もしこれで大きな病が血肉に生じるならば、これも血肉の主である神様の御心であると思う。あれこれと心配して、終始健診を受けることはしない。もし病気の症状が現れたときには、医師のお世話にはなるだろう。それで治るならば、それも御心であろうし、治らなければ、またそれも御心なのである。治らないということは、肉体という血肉に代わって新しい血肉を私に与えて下さろうとする神様の御業の現れであると私は信じる。
血肉に対して、私たちはそもそも一片の支配権も持たない。だから、勝利者となることなど、最初から考えない。そういう考えからの武器を取って、血肉に生じた病に対して闘うこともない。主なる神様に依り頼むなら、本当に私たちは心安らかである。自分が勝利者になる必要がないのだから、安んじて負けを認めることもできる。しかし、その負けの中にこそ、神様の勝利というものがある。
4.血肉は如何なる意義を持つものとして、神様が私たちに貸し与えて下さったのかを教え示して下さるのが、血肉を取られたイエス様に他ならない。なぜ、クリスマスがあるのか。イエス様がなぜ、神様の右にあって何の不自由もない所から、わざわざ血肉をとって人間としてお生まれになったのか。それは、血肉をとるとこによってしか実現できない何かがあったからである。イエス様にとって、血肉は決して戦う相手ではなかった。ご自分の支配権を行使して、御自分が勝利者となるための器ではなかった。そうではなく、それを喜び楽しみ、また周りの人々を助け、支えるためのものであった。イエス様は、多くの人々の血肉を癒された。決して、何の治療もせずに放っておけとは言われなかった。それは、その血肉が神様のものであることを現すためだった。そして、癒された血肉をもって、その人が喜び、その血肉を以って何かの働きをするためだった。そこには自分が血肉の支配者となるとの思いは少しもない。自分が勝利者となるということは少しもない。
そして、十字架の上で、その血肉を弟子たちにお与えになった。それこそが、血肉でなければ果たすことのできない使命だったのだ。痛みと苦しみをもって血肉を与えることであった。そのように、私たちがこの血肉をもって、ほんの少しでも、何かを与えることができることである。
イエス様が、その血肉におけるお姿をもって、私たちにとらせようとなさる神様の武具がここにある。血肉を私たちの勝利のための、勝利を得るための闘いの道具や場にしてはいけない。そういう武器を取らせる悪魔の策略を打ち砕く。「血肉を、その人生を喜ぶための、また、その痛みや苦しみをもって人の助けとなる器としなさい」これが、神様が下さる武具である。
2013年 6月 9日 聖霊降臨節第4主日礼拝
03:01ペトロとヨハネが、午後三時の祈りの時に神殿に上って行った。 03:02すると、生まれながら足の不自由な男が運ばれて来た。 神殿の境内に入る人に施しを乞うため、毎日「美しい門」という神殿の門のそばに置いてもらっていたのである。 03:03彼はペトロとヨハネが境内に入ろうとするのを見て、施しをこうた。 03:04ペトロはヨハネと一緒に彼をじっと見て、「わたしたちを見なさい」と言った。 03:05その男が、何かもらえると思って二人を見つめていると、 03:06ペトロは言った。 「わたしには金や銀はないが、持っているものをあげよう。ナザレの人イエス・キリストの名によって立ち上がり、歩きなさい。」 03:07そして、右手を取って彼を立ち上がらせた。 すると、たちまち、その男は足やくるぶしがしっかりして、 03:08躍り上がって立ち、歩きだした。 そして、歩き回ったり躍ったりして神を賛美し、二人と一緒に境内に入って行った。 03:09民衆は皆、彼が歩き回り、神を賛美しているのを見た。 03:10彼らは、それが神殿の「美しい門」のそばに座って施しをこうていた者だと気づき、その身に起こったことに我を忘れるほど驚いた。
福島 純雄 牧師
1.今日は教会学校(CS)との合同礼拝である。いつものようにCSの先生方が使っておられるテキストに従って、聖書箇所を選ばせていただいた。今日の御言葉を何度も読んで、中心として教え示されたことは「持たない」ということのなかに、不思議な、逆説的と言ってもよい「豊かさ」があるという点である。
まず、最初に目を留めるのは、生まれながら足が不自由であった男性についてである。彼について、ある先生がこのように語っておられた。「(彼が)二人に目を注いだのは、何かもらえると期待したに過ぎませんでした。・・・このようにして、施しをもらって生きて行く毎日のなかに、おそらく生きる喜びも生き甲斐もなく、ただ来るも来る日も、そうしたマンネリ化した物乞いの繰り返しに、希望も何もない灰色の生活をしていたのではないかと思います」と。大抵の先生方は、彼をこのように描いている。確かに、そのとおりであるかも知れない。
私がとくに注目させられるのは、彼が神殿のなか・境内のなかには入らずに、毎日「美しい門」のそばに身を置いてもらっていたという点である。ペトロとヨハネ、また神殿にやって来た人々は皆、普通に神殿の中に入っていく。神様に出会おうとし祈るために、聖なる領域に、人々は入っていく。しかし、この男性は、神殿の入り口に身を置くだけである。入りたいと願っていたのに、入るのを拒まれていたのかも知れない。お前のような思い生涯を生まれつき持っている人間は、神様からの罰を受けている者である。到底、聖なる場所に入ることはできない。そう言われていたのかも知れない。こうして、肉体の健康もなく、一人で自立して生きることもできず、ただ他人に頼るばかりの生涯。信仰という面でも、ただ金や銀を求め、神殿の中に入って礼拝することから遥かに遠ざけられている者。いろんな意味で「持たない」存在、無いない尽くしの存在。それがこの人であったのだと示される。
2.しかし、彼はただの憐れむべき、蔑むべき存在なのか。私は、そんな彼こそが、何とも言えない豊かさを持っていたのではないか。そう感じさせられるのである。彼の姿は、先週、耳を傾けた12年間不正出血に苦しんだ女性と共通するものがある。彼女の信仰も、この男の姿も、スタンダードな信仰という点では、まことに落第のようなものかも知れない。けれども、12年間病気に苦しみ、全財産を失い、誰にも頼ることができなくなった故に、彼女はひたすら一心にイエス様に近づき、触り、癒しを願った。その心を、イエス様は「あなたの信仰が」と言って下さった。今日の男も同じである。彼が物乞いを求めた相手はイエス様ではなかった。残念ながら、イエス様は福音書の時代のように、彼の目の前に、願い求めをする相手として現れて下さることはないからである。彼が求めた相手は、イエス様の弟子でしかなかった。そして、それを為したのは、神殿の外、聖なる場所の外側であった。それは、将に、あの女性がイエス様に出会うのに『群衆に紛れて、服の隅っこから』様々な障壁を介して、極めて間接的にしか触ることができなかったことと重なっている。けれども、彼は一心に求めたのである。物乞いしたものが、たとえ金や銀や物であったとしても、彼は自分になど一切頼ることができず、ただ他の人に、ただペトロとヨハネに求めることが、結果的には、神様イエス様に求めることになった。それを可能にしたのは何か。彼が毎日「美しい門」の入り口に身を置いてもらっていたことではないかと感じる。他のどんな場所でもなく、その場所に身を置いていた。それは、そういう場所の方が、単に実入りが良いとの欲得からの判断からだったかも知れない。しかし、彼はそれでも、他のどんな場所でもなく、神殿の、聖なる領域への入り口の傍に身を置いていた。それは、彼自身は意識していなくても、その姿・態度が、何らか聖なるものと神様からのものを求めていることを示しているのである。それが、ひいては、彼をペトロとヨハネに出会わせ、イエス様・神様からの素晴らしい恵みを彼に与える機会となった。
3.私たちも、このように求め願うことを大いに進められているのだと思う。ルターという人は、私たちクリスチャンは神様に対して乞食なのだと教えたという。貧しき人は幸い、とイエス様も言われた。私たちはもっともっと求め願うべきなのだと思う。大胆に、神様に対して乞食でありたい。
ふと、懐かしく思い起こした人々であるが、前任地の郡山で、私はHさんという生まれつきの脳性麻痺の方のボランティア会の会長を長くしていた。廃油を集めて手作りの石鹸をつくる小さな作業所を手伝っていた。い障がいだったので、彼の日常生活は一日たりとも他の人の助けを借りないでは成り立たなかった。時には、彼の求めて来る要望の多さやしつこさに、居留守を使うこともあった。すると、彼は電動の車椅子を牧師館の土台にどすんとぶつけてくる。また、Fさんと言う知的障がいを抱えた人とも、15年以上お付き合いがあった。生活保護の申請をし、保証人になってアパートを借り、お金の管理も引き受け、引越しの手伝いも何度となくした。やはり、辟易することもあった。Iさんという方とも、長いつながりがあった。彼らは皆、今日の御言葉に出てくる男性のように、神殿の門の入り口で、実入りが多いからという理由で、牧師や教会と関わっていれば利益が多いからという理由で、私や教会とつながりを持っていただけなのかも知れない。しかし、彼らの求める姿、一心に求め、頼る姿を、いま思い起こすのである。こちらへ来て、あの方々とのつながりが無くなってしまったことを、寂しく思うのである。それは何故だろうか。それは彼らの、一心に他者を求め、物乞いを堂々とする姿に心打たれるものがあったからである。そのように求める彼らとのつながりを通して、私自身が、或いは教会が、このペトロとヨハネが自分たちも思いもかけなかった力を引きだして貰ったように、引きださせていただいたということがあったのではあるまいか。
4.この使徒言行録を記したルカと言う人も、この男の人が、誕生したばかりの教会にとって無くてはならぬ決定的な働きをした人として記しているように思うのである。
ペンテコステの後、聖霊を注がれたペトロは、堂々と説教をした。それを聞いて、3000人もの人が洗礼を受けたと2章41節に書かれている。また、43節では、「使徒たちによって不思議な業としるしが行われていた」ともある。しかしこの記述は、ペンテコストのあと、短い期間に起きたことではなく、徐々に時間を掛けて起きていったことなのではなかったか。そして、そのきっかけとなった具体的なでき事が、今日の御言葉に書かれているものではないのか。ペトロとヨハネを始めとする弟子たちは、自分たちの働きがどのように実を結ぶのか全く解らなかった。自分たちにイエス様が、どのような力を下さっているのか解らなかった。それを発見させてくれたのは、この男性なのである。この男性がこのように、ペトロたちに物乞いをしたからなのである。
牧師や信徒、また、教会が、周りの人々からこのように求められ、また、信徒同士でこのように求め合うことは、こうした機会となるのである。お互いに求めていって良いのである。求める相手は、目に見えない神様・イエス様ではなく、具体的に牧師や信徒同士である。教会に対してである。求める内容が金や銀なのではないか、御心にそぐわないもとめではないかと、最初から気遣う必要はない。この男性はどうだったのか。かの女性はどうだったのか。思い起こしてみれば良い。この男性が求めたものは「金銀」であったが、それをペトロたちは与えることはできなかった。残念ながら与えることはできなかった。そうなのである。求めても、教会が与えられないものがある。神様が与えて下さらないものがある。牧師や信徒同士が与えることのできないものがある。それは、自ずと解って来る。だから、最初から「これは求めてはいけない」と言わずに、求めれば良いのである。
いま私たちの教会は、ある一人の若い兄弟のために、聖書研究祈祷会の日に、有志の者が集まって祈っているのである。そこに集うことはできない方々も、それぞれご自宅で祈って下さっていることだろう。ここに、その若い兄弟が居られるが、その祈りがその通りにかなえられるかは解らない。ただ、祈っておられる方々の祈りを聞いていて、牧師として私が感じることは、こうして何人かの者が神様に対して、それこそ乞食のように祈っている。そのこと自体がまことに私たちにとってふさわしく、そして、それが私達の教会において、ペトロとヨハネが思いもかけない力を引き出されたように、初代教会にとっての画期的なでき事であったように、― 大切な契機となっていくことだ、ということである。
私たちが乞い求めているのは、それこそ「私にはない」と神様が言われるところの金銀かも知れない。まことに的外れのものを、私達は勝手に願っているのかも知れない。願いを捧げている場所も、神様の御前ではなく、そこから離れた門の入り口のようなところでの祈りかも知れない。しかし、とにかく、このように乞い願うことを、神様は良しとして下さっているのである。それが、大きな働きを生み出すことを、教えて下さっているのである。
5.もう、何度か触れた点であるが、金や銀を求めて、ペトロとヨハネをじーっと見つめたこの男に対し、ペトロは言った。「私には金や銀はないが・・・」と。これは、ペトロの言葉を通しての神様の言葉なのである。私たちが、たとえ的外れのものを願ったとしても、神様は、こうして「私にはあなたのもとめるものは無い」とはっきり言って下さるのである。だから、安心して、大胆に、私たちは、自らの求めるものを率直に祈って良いのである。
こうして、彼が与えられたものが、彼の求めていた「金や銀」などよりも、遥かに素晴らしく、彼にとって何よりも必要なものだったことに心を留めよう。
「金や銀は無い」それは私のあなたに与えるものではない。神様が拒んで下さらなかったならば、彼は金や銀で満足してしまっていたのである。もっと、もっと自分に必要なものがあることに気づかず、それを与えてくださる神様がおられることにも気付かないままである。「金や銀は無い」と拒まれることを通して「イエス・キリストの名によって立ち上がり、歩く」ということを与えられていくのである。
では、イエス・キリストの名によって立ち上がり歩くことは、私たちにおいて、どのように現れることなのだろうか。私たちが、イエス様のお名前を口にするだけで、不思議な力が私達のなかに現れるというのではないと思う。イエス・キリストという名前そのものが呪文のように力を発揮するというのではない。そうではなく、この力とは「(わたしが)持っているものをあげよう」とペトロが言ったように、あくまでペトロとヨハネという信仰者のなかにあるものなのである。彼らが、イエス様を信じて立ち上がり歩くことができるようになった、その彼らの姿を通してこそ、この男性にも伝達され、現れるものなのではないだろうか。ペトロは「右手を取って立ち上がらせた」と7節にある。そういうペトロの助けが、介添えが、必要なのである。そのようなペトロの助けがあるのならば、教会の助けがあるのならば、彼とこの後も共に歩いてくれる教会のひとびとがいるのであれば、文字通りの奇跡は必要なかったとも言えるのである。
だから、ある人を立ち上がらせ、歩かせる、そのイエス様の力は、あくまで私達に託され、委ねられているということを知ろう。私たちが、私たち自身イエス様を信じで、立ち上がり歩くことができたことを以って、その人の手を取り、一緒に歩んでいく。もしかすれば、よろよろなのかも知れない。一体、何処にイエス様の力はあるのかと、悩みながらかも知れない。何故、求め願う奇跡は与えられないのかと、嘆きつつかも知れない。けれども、共に歩く者が出現したことが、この力の現れではあるまいか。一緒に境内に入り、神様を賛美する者となったということこそが、イエス様の力の現れではあるまいか。
「金や銀はない」とペトロは言った。
そうである。
だから、私たちにとっても、「ない」ということは、とても大切なことではないのか。私たちは「ない」ことを嘆く。しかし、「ない」ことこそ、それでは「ある」ものは何か、与えられているものは何か、目の前の人にあげられるものは何か。私たちに考えさせ、あるものに気づかせる機会となる。
2013年 6月 2日 聖霊降臨節第3主日礼拝
08:43ときに、十二年このかた出血が止まらず、医者に全財産を使い果たしたが、だれからも治してもらえない女がいた。 08:44この女が近寄って来て、後ろからイエスの服の房に触れると、直ちに出血が止まった。 08:45イエスは、「わたしに触れたのはだれか」と言われた。 人々は皆、自分ではないと答えたので、ペトロが、「先生、群衆があなたを取り巻いて、押し合っているのです」と言った。 08:46しかし、イエスは、「だれかがわたしに触れた。わたしから力が出て行ったのを感じたのだ」と言われた。 08:47女は隠しきれないと知って、震えながら進み出てひれ伏し、触れた理由とたちまちいやされた次第とを皆の前で話した。 08:48イエスは言われた。「娘よ、あなたの信仰があなたを救った。安心して行きなさい。」
福島 純雄 牧師
1.最後の48節で、イエス様がこの女性に「あなたの信仰があなたを救った」とおっしゃって下さったことが、とくに印象深い。
イエス様は「あなたの信仰が・・」と言われたが、果たして彼女のイエス様への思いや態度というのは「信仰」と言えるものだろうか。もし、この人が牧師や教会執事会(教会役員会)のもとにやってきて、「洗礼を受けたいのですが・・・」と言われたとすれば、私たちはそれをすぐに認めるであろうか。信仰とは、せめて、イエス様が人となり、十字架にかかり、復活して下さったことを『わが為なり』と信じることができ、アーメンと言えるものであるべきではないだろうか。ところが、そのような信仰はこの女性にはないと言えるのである。彼女は、イエス様がどういうお方かということなど、何もわからず、ただ12年苦しんだ不正出血からの癒しを求めて、群衆に紛れてイエス様の後からこっそりと近づき、その服のうえからイエス様に触っただけなのである。それは、まさしく御利益信仰というべきものであり、魔術的な信仰とも言われるものではないか。けれども、イエス様は、このような彼女の思いや態度を「あなたの信仰」と言って下さったのである。「あなたのその信仰があなたを救った」と言って下さった。そこに私は、大いなる慰めや励ましを見出すのである。
2.もちろんイエス様は、彼女の信仰が、群衆に紛れてイエス様の後ろから近づき、服の上から触って、願うものだけを自分のものとし、それで終わり、さようなら、という信仰であることを、良しとはしておられないのだとも思う。45節以降に書かれているように、イエス様は弟子たちの言葉をさえぎって、自分に触れた女性を捜しだそうとされた。そして彼女に、ご自分に触れようとした次第を話させ、最後の48節の「あなたの信仰があなたを救った」という言葉を彼女にかけられた。つまりは、御利益信仰や魔術的な信仰ともいうべき、群衆に紛れて願うものだけを自分のものとし、それで終わりというような信仰から、イエス様と一対一で出会い、語らい、お言葉をかけていただく、そういう信仰へと促しておられるのであると思う。最初の彼女の信仰は、言わば、そのスタートなのである。そうした信仰から始まり、徐々にイエス様と深く出会うものへと成長させられていく。
けれども、兎にも角にも、信仰とは他のどんな存在にでもなく、イエス様というお方に近寄り、イエス様に触れようとする思いなのである。この世のどんなものも、私たちの出血を癒してくれないことに気づき、だからこそ、イエス様に近づき、イエス様にその病を癒していただこうとする切実な願いなのである。
信仰とは知識ではないのである。スタンダードな信仰の知識を理解することでもない。どんなに教科書で泳ぐことを学び、学んだことをベッドのうえで練習したとしても、実際に水の上で泳いでみなければ、それは分からない。同じように、信仰も、実際に様々な意味での自分の出血に苦しみ、それをイエス様に癒していただきたいとの願いがなければ、イエス様に近づきたい触れたいという思いがなければ、始まることはない。そうした願いから始まって、具体的にイエス様から流れ出てくる不思議な力に出会うことがなければ、生きたものとはならない。成長もして行かない。
3.さらに進んで感じることがある。私自身は、この女性とは違って、少しはイエス様が人となられ、十字架にかかり、復活されたことの意義を『わが為なり』と言うことのできる信仰があるとは思う。
けれども、本質的には、この女性を何ら変わるところはないと感じるのである。彼女はイエス様がどういうお方かもわからず、群衆に紛れて後ろから近づき、服の隅っこからイエス様に触れているだけなのである。私たちもそうではないか、私たちのイエス様への触れ方だって同じではないかと思うのである。彼女とイエス様を深く出会わせるうえでの障壁となるものが幾つもあった。同じように、私たちとイエス様を深く出会わせるうえでの障壁も様々あるのではないか。この女性は兎に角、イエス様と出会うことができた。しかし、私たちには2000年の時間の隔てがある。実際に、イエス様にお会いすることはできない。ただ、聖書の言葉を通して、もちろん、ご聖霊の助けはあるが、また、牧師の語る稚拙な言葉と人間の捧げるこの礼拝を通して出会うしかない。私たちの抱いてしまう狭い考えや頑固な偏見もある。だから、私たちが抱くイエス様への信仰も、まことに小さくささやかで、イエス様の奥深さなど到底わかってなどいないものだと痛感せずにはいられない。
けれども、この女性がイエス様に近づこうとしたように、私たちもこうして近づきたい触れたいと願っているのである。いろいろなものに紛れて、しかし、その障壁を押しのけて、イエス様の後ろからかも知れない、服の上の隅っこからかも知れない。けれども、イエス様に触ろうとしているのである。だからこそ、こうして礼拝に出席しているのである。
それは何故なのか。私たちの側に、そうしたい強い意志があるからなのか。それもそうだろう。けれども、もっと突き詰めれば、2000年の時間の隔てを越えて、イエス様が、私たちをそうさせて下さっているのである。彼女には、スタンダードな信仰などはない。また、私たちも、イエス様の奥深さをまだまだわからない。けれども、イエス様によって引き寄せられている。そこには、私たちを引き寄せて下さるイエス様の実在がある。根源に、イエス様が居られるがゆえに、このことが起こっている。
『信仰』とは、このようなものではあるまいか。巧い表現はないし、また、最初に述べたことと矛盾するようなことを言っているかも知れない。しかし、それは、私たちの側に焦点を置くものではないのである。私たちの側に焦点を置いて、それがスタンダードなのかどうかとか、標準なものなのかどうかとか、及第点なのかどうかが、問題ではないのである。突き詰めれば、実在するイエス様によって、神様によって、引き起こされていることなのかどうかということなのである。この女性の願いや態度は、他の誰によってでもなく、イエス様によって生じた。また、私たちの有り様も、イエス様によって引き起こされている。私たちの側では、どんなに稚拙なものであり、小さなものであっても、それがイエス様によって生じさせられたものであるが故に、「信仰」と言えるものなのである。
4.こうした信仰によって、彼女はイエス様に触れると、直ちに出血が治った。「わたしから力が出て行ったのを感じた」とイエス様は語られた。何と素晴らしい御言葉かと思う。このような女性の信仰でしかないのである。私たちと同じように、まことに稚拙な信仰である。しかし、イエス様は、「そんな信仰で私に近づくな。何かを求め、願うなんてとんでもない。出直してこい。信仰を深めて来い」などとはおっしゃらないのである。それは、そうした信仰であっても、根源はイエス様の存在によって生じ、引き寄せられ、起こされたものだからである。そういうものを、イエス様は、そして神様は、決して軽んじられることはない。貶めることはない。大いに喜ばれる。喜んでご自分の力を授けて下さる。出血を止めてくださる。
そこで思うのは、では、私たちにとって、出血が止まるとは、また、イエス様の力が出てくるとは、どういうことなのかという点である。
いまこの場所にも、ご自身がどんな医者によっても治らないご病気を抱えている方や、ご家族がそうだという方がいらっしゃると思う。切実な思いをもって信じ、礼拝に集っておられる。それなのに、いっこうに出血がとまらないではないか、と言われるのである。それは、信仰が足りないからなのか。決して、そうではないことを、しっかりと心に刻んでいただきたいのである。癒されないと言うと、「それは、あなたの信仰が足りないからだ」と言われることがある。また、そのように、ご自分を責めてしまうことがある。そんなとき、今日の御言葉を思い起こして欲しい。この女性の信仰はどうだったのか。いや、そもそも信仰とは何であるのかということを思い起こして欲しい。
いま、この女性の場合には、神様の目から見て、その肉体の出血を止められることが不可欠だったのである。だから、イエス様の力はそのことに向かった。同じことが起こらない方の場合には、それは神様の目から見て、必要ではないからなのである。もっと、他に止めるべき出血があるのである。私たちには気づかなくとも、確かにイエス様からの力はそがれ、止められている出血があるのである。
第二コリント12章7節以下に書かれている事柄を、改めて思い起こす。パウロには、肉体の刺が与えられていた。パウロは何度もそれを取り除いて下さるように祈った。とうとう、それは取られることはなかった。それどころか次のような御言葉が、イエス様から授かった。「わたしの恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ、十分に発揮される」。こうしてパウロは、弱さをこそ誇ると言えるようになった。弱さのなかにこそ、キリストが宿ると言えるようになった。
この御言葉を読んで、パウロの癒されるべき出血とは何だったのだろうかと思うのである。
それは、弱さを受けとめられないところにこそあったのだ。伝道者としての働きを、強さや元気さの中だけでしようとしていたところにこそあったのだ。それこそが、彼の「出血」であり、病だった。だから、そこにイエス様の力は注がれた。そして、肉体の病を取り除くことではなく、彼が自分の弱さを喜んで受け入れられるところに、イエス様の力は注がれたのだ。
こうして、「安心して行きなさい」との言葉が、最後に与えられる。信仰は、必ずや、私たちを救う。求めている直接的な願いがかなえられなくとも、信仰は私たちを救う。私たちを安心して生かしめて下さる。イエス様に近づき、触れようとすること、癒されたいと願うことは、決して私たちを裏切らない。
2013年 5月26日 聖霊降臨節第2主日礼拝
25:01アブラハムは、再び妻をめとった。その名はケトラといった。 25:02彼女は、アブラハムとの間にジムラン、ヨクシャン、メダン、ミディアン、イシュバク、シュアを産んだ。 25:03ヨクシャンにはシェバとデダンが生まれた。 デダンの子孫は、アシュル人、レトシム人、レウミム人であった。 25:04ミディアンの子孫は、エファ、エフェル、ハノク、アビダ、エルダアであった。 これらは皆、ケトラの子孫であった。 25:05アブラハムは、全財産をイサクに譲った。 25:06側女の子供たちには贈り物を与え、自分が生きている間に、東の方、ケデム地方へ移住させ、息子イサクから遠ざけた。 25:07アブラハムの生涯は百七十五年であった。 25:08アブラハムは長寿を全うして息を引き取り、満ち足りて死に、先祖の列に加えられた。 25:09息子イサクとイシュマエルは、マクペラの洞穴に彼を葬った。 その洞穴はマムレの前の、ヘト人ツォハルの子エフロンの畑の中にあったが、 25:10その畑は、アブラハムがヘトの人々から買い取ったものである。 そこに、アブラハムは妻サラと共に葬られた。 25:11アブラハムが死んだ後、神は息子のイサクを祝福された。 イサクは、ベエル・ラハイ・ロイの近くに住んだ。 25:12サラの女奴隷であったエジプト人ハガルが、アブラハムとの間に産んだ息子イシュマエルの系図は次のとおりである。
福島 純雄 牧師
1.私たちは創世記11章の最後から、ずっとアブラハムという人の生涯に目を向けてきた。そのアブラハムが、175歳の生涯を以って息を引き取ったことが記されている。アブラハムが神様に「あなたは生まれ故郷・父の家を離れて・わたしが示す地に行きなさい。(創世記12章1節)」と言われて、見ず知らずのカナンの地にやって来たのは、彼が75歳のときだった。それからちょうど100年が経ったことになる。この100年という数字は、決して偶然のものではないだろう。その際神様が約束された「わたしはあなたを祝福し・・・」との御言葉が成就しての100年だったことを、ほのめかしているのだろう。7節に「息を引き取り満ち足りて」とある。満ち足りてとは、神様からの祝福が一杯に与えられた生涯であったということである。その死においても満ち足りていたということである。私たちも、そのような生涯でありたいとつくづく思う。
2.さて、アブラハムの死の直前の出来事として書かれているのは、1節から6節にあるように、アブラハムがケトラという女性と再婚をしたということである。
彼がその最晩年において再婚をし、なお6人もの子をなしたということに不快感を覚える人は少なくない。宗教改革者のカルヴァンは、その注解において、長々とアブラハムを非難している。23章からの流れを素直に読めば、彼の再婚は、サラと死別し、息子のイサクが妻をめとった後になされたものと受け止められる。しかし、注解者のなかには、創世記の記述は必ずしも年代順に記されてはいないと理解する人もいる。彼らは、アブラハムはサラの存命中にケトラを妻としたと考えている(5節に「側女」という言葉があることの説明とも取れる)。
しかし、サラ付きの女奴隷であったハガルとの間に、あれほどの葛藤を体験したアブラハムが、サラの生きている間に、また同様の苦難を味わうようなことをするだろうかという疑問が湧く。ここは、書かれている記述を時系列に素直に受け取っても良いのではあるまいか。
だとすれば、サラが死んだときアブラハムは137歳であり、140歳のとき息子イサクが妻をめとり、140歳を超えたアブラハムがケトラと再婚し6人もの子をなしたことになる。私たちは、長く連れ添った妻を亡くした夫というものは、一人静かに、孤独な老人として枯れてゆくような余生を生きて欲しいと暗黙のうちに望んでいるのではあるまいか。そうであるべきだと、カルヴァンでなくても、思っているのではあるまいか。
しかし聖書は、見事に私たちの勝手な期待を、アブラハムが裏切ったように記しているのである。むしろ、アブラハムが長く連れ添った伴侶を失った後にも、なお新たな絆を結び、多くの子を生むバイタリティがあったことを、肉体の命が神様から授かっている限り枯れてなどいなかったことを、それが神様の彼に与えた祝福であったことを、語っているのではあるまいか。
ここに、いまアブラハムと同じような人生のステージにある方々にとっての励ましや慰めがあると思う。それは文字通りに、伴侶を亡くした方々に再婚が勧められているというのではない。そうではなく、与えられた人生を余生として、余りの生涯のごとく受け止め、枯れてゆくだけの何の意義もないものなどと考えてはいけないということである。
文字通りの再婚でなくとも、様々なところで新しいつながりを作り出すことができるのである。文字通り子を生むことではなくとも、何かを生み出す力がなおあるということである。
彼がケトラとの間に生んだ6人の子供たち(彼らはすべて、今日のアラビアの人々の祖先であるとされる)のうち、すぐに私達の目に飛び込んでくるのはミディアンである。あのモーセの妻チッポラの父エテロは、このミディアンの祭司であった。モーセがエジプト人を殺してお尋ね者となり、40年間かくまってもらったのは、彼のもとであった。恐らく、彼からヤハウェなる神様のことを聞いたのであろう。荒野を40年さまようなか、人々のもめごとを裁くのに疲れ果てたとき「長老を立てよ」とアドバイスしてくれたのもエテロであった。このような形で、アブラハムがミディアンに受け継がせたであろう信仰が、花を咲かせたということになる。アブラハムが、サラの亡きあと、ケトラと再婚し、子をなしたのは、決して無駄ではなかった。晩節を汚すようなことではなかった。肉体の生涯が与えられている限り、私たちにはこのような祝福が授かっていることを心に刻もう。
3.こうして、アブラハムは175歳の生涯を終えた。その有り様は「長寿を全うして息を引き取り満ち足りて」と7節にある。私たちは、その最晩年に再婚し子を授かることができ、それほどに長寿を全うしたからこそ「満ち足りて」と言えるのだと思うかも知れない。これが、長寿ではなく、また苦しみに満ちた晩年であれば「満ち足りて」とは言えないと思う。
確かに、若い年代での死、また苦難に満ちた死は、満ち足りてとは、到底言えないかも知れない。1987年に18歳の若さで召天された古内修さんの埋葬式を、今週土曜に茎崎霊園にて行う。ご両親は25年にわたって、御子息のご遺骨を埋葬為さらずに、お手元に置かれていた。その涙は決して渇くことがない。私も、牧師として、幾人もの悲しい死を見つめてきた。私たちの目には、決して「満ち足りた死」とは言い得ないものがたくさんある。
けれども、今日の御言葉は私たちに、死だけが私たちに与えてくれる「満ち足り」があることを語りかけていると私は思う。「満ち足りて死に」という言葉は、「死んで満ち足り」と受け取ることも出来るのではないか。死ぬことと満ち足りることが結び付いている。死という出来事だけが成し遂げられ、生み出す何かがある。神様というお方は、それがおできになる方である。神様は、死によっても、私たちを祝福させ満ちたらせることがお出来になる。そのことを、私たちは見失ってはいけない。
4.では、いかなる「満ち足り」を死によって、神様はアブラハムに、また、その子供たちに、お与えになったのか。まず、それを象徴的に語っているのが9節の「息子イサクとイシュマエルは、マクペラの洞穴に彼を葬った。」との御言葉である。また、11節の「アブラハムが死んだ後、神は息子のイサクを祝福された。」という御言葉も、同じことを物語っている。
イシュマエルは、21章以来、久しぶりにその消息を聞くのである。彼は、サラが自分付きの女奴隷ハガルを夫に無理やりに与えて手に入れた子供であった。ところが、やっと自分と夫との間にイサクが授かると、イサクの乳離れの時期にサラは、夫に強いて、ハガルとイシュマエルを追い出させたのであった。11節の「ベエル・ラハイ・ロイ」という井戸は、身重になったハガルが、サラにいじめられて逃げ出したときに、神様から目を開かれて見出した井戸である(創世記16章14節参照)。追い出されたハガルとイシュマエルは、この井戸の辺りで生き延びていったのではないか。このイシュマエルが、腹違いの弟イサクと共に、父の亡骸を葬る者として21章以来はじめて登場するのである。そして、イサクがこの井戸の近くに住んだというのは、以後、イサクとイシュマエルはそういう間柄をもって歩んだということの現れではないか。
アブラハムにとって生涯最大の汚点または心残りは、ハガルとイシュマエルを追い出してしまったことであったに違いない。自分が生きている間、サラやハガルが生きている間は、この心残りを解決することができなかった。イシュマエルとイサクとを、共に歩むような間柄にすることは出来かった。しかし、自分の死がきっかけになって、それが可能となった。それが、11節に言う「アブラハムが死んだ後、神は息子のイサクを祝福された」との意味ではないだろうか。異母兄弟の兄と共に、また兄がその生存を支えられてきた井戸を、イサクも頼みとすることによって、父亡き後の歩みをなす。父が死んでこその、祝福なのである。死なずしては与えられない祝福なのである。
5.もう一つの祝福、死に際しての祝福とは、アブラハムが亡き妻を葬った墓地に葬られたということから示されるものである。23章にあったように、この墓地はアブラハムがこの地にやってきて数十年経って、やっと手に入れることができた土地なのであった。墓地なので、普通に家を建てて住んだり、田畑にしたり、商売をしたりできる世俗の土地ではなかったのである。普通の形で所有できる不動産ではなかった。神様は、このような土地をアブラハムに与えたという点に意味を持ち続ける大切な事柄を、私たちに示された。アブラハムは、イスラエルの父祖である。その彼が、このような土地を神様から授かった。約束の地において、このような土地を授かった。それは、今に至るまで、また、これからも未来永劫、この地におけるイスラエル、また私たちクリスチャンの在り方の原点なのではあるまいか。イスラエルたるもの、また、キリスト者たるもの、他の人々と同じような土地の所有をしてはいけない。その土地を巡って血で血を洗い、戦いを繰り返すような所有をしてはいけない。この土地というのは、このような意味をもっている。こうした神からの言葉を語り続ける土地である。
さらなる語りかけもある。創世記の12章で、神様はアブラハムに「あなたをおおいなる国民とし」と約束された。豊かな祝福を約束された。その現れが、この墓地なのであった。目に見える祝福としては、 - 私達がそこに祝福を何よりも具体的に見る、財産としての形においては - 一片の墓地でしかなかったのだ。ここに逆説があるのだと思う。しかし、この逆説のなかに神様の祝福を見ることのできる者は幸いなのである。十字架の死が、これにつながっているのを、私たちは、確かに感じる。十字架の出来事が、私たちにとっての墓地である。多くの人々にとって、十字架は悲惨であり、呪いでしかない。しかし、私たちは、そこに祝福を見る。それこそが「大いなる国民となる」との約束の意味である。
このような意味をもった墓地に、アブラハムは葬られた。この墓地に眠る者となった。この土地のなかに一体となる者となった。それこそが、イスラエルなのである。信仰者の根源的な姿なのである。子々孫々にわたって、この地を - アブラハムが葬られたこと特別な血を - イスラエルは忘れることができない。墓地に詣でる度ごとに、子孫はこの語りかけを聞く。神が約束地における最初の土地として、アブラハムにこの墓地を賜ったのは何故なのか。どんな意味があるのか。このような墓地をもつ故の祝福というものがあるのである。
2013年 5月19日 聖霊降臨日(ペンテコステ)礼拝
02:01五旬祭の日が来て、一同が一つになって集まっていると、 02:02突然、激しい風が吹いて来るような音が天から聞こえ、彼らが座っていた家中に響いた。 02:03そして、炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人一人の上にとどまった。 02:04すると、一同は聖霊に満たされ、“霊”が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話しだした。 02:05さて、エルサレムには天下のあらゆる国から帰って来た、信心深いユダヤ人が住んでいたが、 02:06この物音に大勢の人が集まって来た。そして、だれもかれも、自分の故郷の言葉が話されているのを聞いて、あっけにとられてしまった。 02:07人々は驚き怪しんで言った。 「話をしているこの人たちは、皆ガリラヤの人ではないか。 02:08どうしてわたしたちは、めいめいが生まれた故郷の言葉を聞くのだろうか。 02:09わたしたちの中には、パルティア、メディア、エラムからの者がおり、また、メソポタミア、ユダヤ、カパドキア、ポントス、アジア、 02:10フリギア、パンフィリア、エジプト、キレネに接するリビア地方などに住む者もいる。 また、ローマから来て滞在中の者、 02:11ユダヤ人もいれば、ユダヤ教への改宗者もおり、クレタ、アラビアから来た者もいるのに、 彼らがわたしたちの言葉で神の偉大な業を語っているのを聞こうとは。」 02:12人々は皆驚き、とまどい、「いったい、これはどういうことなのか」と互いに言った。 02:13しかし、「あの人たちは、新しいぶどう酒に酔っているのだ」と言って、あざける者もいた。
福島 純雄 牧師
1.今日は聖霊降臨日、またはペンテコステと呼ばれる特別な礼拝の日である。ペンテコステとは、ギリシャ語で50番目という意味の言葉である。2章1節に「五旬」とあるのが、この50にあたる。イスラエルの人々は、小麦の収穫のお祭りとして、過越しの祭り(この祭りの中でイエス様は十字架に付けられた)から数えて50日目に「五旬祭」を祝っていた。イエス様の弟子たちも、これを祝うべく、おそらくは最後の晩餐を守ったエルサレムの家に集まっていた。このとき、今日の御言葉にあるような、不思議な現象が伴って彼らに聖霊が注がれた。これを機に、弟子たちは大胆にイエス様を語りだし、それによって信者が生まれ、各地に教会が立てられていった。そこで、この日を、聖霊降臨日、またペンテコステとして覚えてきたのである。
今日は教会学校の生徒さんと合同の礼拝なので、CSの先生方が使っておられるテキストに従って聖書の御言葉を呼んだ。ペンテコステの礼拝でこの使徒言行録を読むときに、いつも感じる事がある。それは、聖霊が注がれるということを、この使徒言行録の記述だけから理解しようとすると、そこには、ある種の誤解というか、弊害のようなものもうまれてしまうのではないか、という感想である。ここには、弟子たちに聖霊が注がれたとき不思議な現象が伴なったとある。この印象が、どうしても強くなりすぎて、私たちに聖霊がそそがれるときにも、こうした現象が伴なわなければならないと思ってしまう。こういう現象が伴なわないと、聖霊が注がれていないのではないかと受け取る。実際に、キリスト教会には「ペンテコステ派」とよばれる教派があり、彼らは、この使徒言行録に書かれた現象が起きることを、とても重視している。それが起こることが、自分たちに聖霊が注がれていることの判断基準としている向きがある。
しかし、聖書を読むとわかるが、聖霊をいただくことを、この使徒言行録のように描いているのは、この箇所のみである。新約聖書全体の記述は、もっと多様であり、バラエティに富んでいる。使徒言行録を書いたのは、ルカ福音書を書いたルカである。彼は、聖霊が弟子たちに注がれることを、とくに、それによって彼らが福音を宣べ伝えるようになったことに着目して、それを強調しているのだと思う。
だから、その叙述は、風や舌やいろんな国々の言葉で語りだす、というものになる。風を衝立のようなもので妨げることはできない。どんな小さな隙間にも、風は入っていく。そのような弟子たちは、いろんな生涯を乗り越え、小さな隙間にも入り込み、燃えるような心でもって、様々な国の言葉で、イエス様のことを語っていた。
だから、必ずしも、ここに起きた現象だけを、聖霊が注がれたときに起きるものと考える必要はない。
どんな現象が伴なうかが大事な点ではない。とにかく、弟子たちに聖霊が注がれなければ、彼らには、このようなことは不可能だったという点が大事なのである。聖霊が注がれることが、私たちにとっても不可欠なことだということを、ルカは伝えたいのである。
2.聖霊を注がれることが、どうして私たちにとって不可欠なのか。5月5日の礼拝で、悪霊に取り付かれた男性かライエス様が悪霊を追い出されたというできごとに耳を傾けた。その際に、『宗教の深層 -聖なるものへの衝動―』という本の、タイトルだけをご紹介した。(なお、著者を、アマリ・・と御紹介したが、それは間違いで、正確には、あま・としまろ、とおっしゃる)
私はこのサブタイトルの言葉にとても心を引かれるので、いつも手元においているのである。阿満さんが、あとがきで書いている文章を、そのままご紹介しよう(引用)
あとがき 『1987年4月、私は、大学に職を移すことになった。それまでの不特定多数を相手にするマスコミの仕事とはちがって、学生との間には確実な手ごたえがあり、転職をしてよかったと思った。その学生との付き合いのなかで気づいたことの一つに、彼らの、宗教に対する強い警戒心があった。宗教に近づく人は、「弱い人」ではないか、あるいは、一度宗教に入ると自由をまったく失ってしまうのではないかといった疑問や不安である。たしかに、宗教がマスコミをにぎわすときは、いつも、信者の集団自殺や詐欺、ペテン行為、強引な布教といった問題であり、その限りでは、学生たちがいだく疑問や不安はもっともと言えよう。
だが、こうしたマスコミをにぎわせる状況が宗教のすべてではないこともまた、いうまでもない。人間が有限な存在である以上、その有限性を超えたいという願望は、強弱の差は別にして誰にもそなわっている。その願望が、キリスト教や仏教といった創唱宗教によって満たされるか、そこはかとない自然宗教によって満たされるか、あるいは、芸術や美の世界によって満たされるか、またいっそのこと、そうした願望の実現をあきらめて、有限であることにあえて耐えて生きようとするか、それらは、人によってさまざまであろう。だが、いずれにしても、我々の内部にはこうした願望(本書ではそれを「聖なるものへの衝動」とよんでいる)が、一種本能のようにうごめいているのではなかろうか。』
では、そもそも私たちはなぜ聖なるものへの切実な願望・衝動というべきものを抱いているのだろうか。先週の木曜日の朝、こんな問いを反芻しながら起きて来ると、丁度NHKのBS放送が映っており、その日はある女性の漫画家がガーナに旅をするという内容だった。反響が大きかったので、再放送されたものだった。その女性漫画家というのは、何冊も漫画や著書を出版しておられる方で、小さい時からご苦労をされた方だった。3歳のときに、実のお父さんはアルコール依存症のため死別、お母さんが再婚なさった二番目のお父さんは彼女が大学受験をする日の朝に自殺、ご自分が結婚されたお相手もまた、アルコール依存症で10年以上悩み苦しみ、やっと夫が回復して家族のもとに帰って来たとときには、既にがんにおかされ、たった半年で亡くなられた、という。彼女が、しみじみ言うのであるが、これまでのことで沢山の憎しみ・悲しみが積もり積もっている。それは、ますます大きくなって、自分の首の後ろ・背中のあたりに覆い被さっている。だから、そうしたものを振り払い、洗い流してくれる神様を、いま捜し求めているのだと。この言葉を聞いたとき、この方も、また聖なる存在を切実に捜し求めているのだ、と思った。
いま申し上げた5月5日の礼拝で呼んだように、この漫画家は、悪霊なるものにとりつかれるというような事ではないかも知れない。しかし、悪としか言いようのないものが、憎しみや悲しみや恨みだけを増し加えるような、そして、私たちの内面を千々に乱し苦しめるような、そういう存在に、私たちは取り囲まれているのである。そうした悪なる存在から私たちを守り、立ち向かい、心安らかにして下さるのが、文字通り聖なる霊なのである。神様の、イエス様の『聖』を、私たちに送って下さる存在なのである。神様からいただく『聖』だけが、このような悪から、私たちを解き放ってくださることができる。
3.私自身、折々に、こうした神様の、イエス様の聖をいただくことによって守られてきた。また、ふと思い起こしたことがあった。先程の放送で、この女性漫画家がガーナでしたことというのは、棺桶を作る工房に行って、彼女の望む棺桶を作るという作業である。ガーナでは、葬式をだすときに、亡くなった方の人生を象徴するような棺桶を作るのだそうだ。何とも派手な棺桶もある。彼女が作ろうとしたのは、ひよこが海を渡っていくイメージの棺桶である。色は、ブルーに塗られている。そんなように、憎しみや悲しみを、すべて洗い流して、さわやかに颯爽と海を渡って行きたいと願っている。
実は、私も似たような夢を見たことがある。
大学に入って、ある人に一目ぼれをし、結果的には大失恋になった。もう大学に行くこともできなくなり、下宿に引き籠って太宰治や辻邦雄を読みふけり、とうとう50ccのバイクに乗って北海道に渡り、三週間さまよったことがあった。
そんな嵐のただなか、ある夢を見たことによって、私はものすごく慰められたのであった。全体に深い青が彩っている。何処からともなく、小さな舟がやってきて、 - その舟は、自分だということがわかる - すーっと静かな紺碧の水面を湛えた湖に降り立つ。そして、舟は静かに安らかに進んでいくのである。この夢を見て、私は、自分が大丈夫であると確信する。神が、私の進路を導いて下さると確信する。この夢は、その後も、ずっと私の中に残っていて、折々に私を励ます。
こういうことも、また、聖霊を注がれることではないかと感じるのである。神様が下さる聖は、嵐のなかに置かれて迷う私たちを、導いて下さるのである。大丈夫、安心せよ、と語りかけて下さるのである。ヨハネ福音書のなかで、イエス様は繰り返し、御自分が神様のもとにお帰りになったあと、弟子たちを決して孤児のようにはしない、必ず助け主(弁護者)としての聖霊を送って下さる、と約束された。前任地にいたときには、教会員の相談で、随分と弁護士さんにはお世話になった。本当に迷う私たちに、明らかな道を示し、大丈夫と支えて、安心を下さった。お金を浪費して、サラ金苦に陥った方もあった。弁護士さんは、ときに、そうした生活を叱り、強く反省を促すこともあった。しかし、救おうとされる。絶対に相談者の味方なのである。相談者のために戦って下さるのである。聖霊とは、このようなお方なのである。
4.それでは、このように、無くてはならぬご聖霊を、どういう機会に、私たちはいただくのであろうか。そのことに、今日の御言葉は答えてくれていると思う。それは、1節にあるように、「一同が一つになって集まっていると」という御言葉である。
弟子たちが、これまで全く聖霊をいただいていなかったという訳ではない。また、いまも私自身のささやかな体験をご紹介したように、私たちが独りでいるときに聖霊が注がれるということもあるだろう。しかし、どんな機械よりも、聖霊が私たちにはっきりと注がれるのは、私たちが礼拝に集まっているときなのではないか。それは、礼拝に集うということ自体が、何よりも私たちが聖なるものを切実に求め願って集まるときだからである。だから、神様は、この願い求めに応えてくださる。
弟子たちは、今どんな思いで集まっていたのであろうか。これまでは、復活されたイエス様が40日間、そばにいて下さったのである。しかし、何故か、復活されたイエス様は、40日の後、天に昇られてしまう。その様子が、使徒言行録の1章6節以下に書かれている。
10節はじめに「イエスが離れ去って行かれるとき、彼らは点を見つめていた」とある。
弟子たちの寂しさ・不安が伝わって来る。彼らは今、聖なるものに枯渇しているのだと感じる。
イエス様がそばからいなくなって、神様の聖を自分たちに注いで下さる存在を見失ったのである。はじめに、「五旬祭」とは小麦の収穫の祭りであったと言った。いま弟子たちは、無くてはならない命の糧である、神の聖という『小麦』が底を突こうとしている。だから、それを求めて集まっている。彼らの集まりは、はっきりと自分たちがそのような飢えを抱え、それを満たして下さいと訴えている。他のどんなものでもなく、イエス様がそばにおられたときに与えられていた神の聖を欲しい、と訴えている。だから、その飢え渇きに、神様も、召天されたイエス様も、応えて下さるのである。喜んで応えて下さるのである。弟子たちが、他のどんなものではなく、聖なるものを求めているのを喜んで下さる。
このような飢え渇きを感じさせ、聖なるものの必要を切実に感じさせ、それを皆で集まって求めさせるためにこそ、イエス様は天に帰られたのではあるまいか。
復活されたイエス様が、いつまでもそばにいることは、言わば、いつも弟子たちや私たちが満腹の状態にあることを意味している。それは決して、私たちのためにはならない。空腹を感じ、それを満たされる喜びを感じる。
それが大事である。
このようなわけで、私たちが毎週告白している使徒信条は、父なる神、子なるキリストを告白したあと「我は聖霊を信ず」といって、その後に、「聖なる公同の教会」と続けるのである。聖霊が注がれる機会が、他のどんなときよりも、私たちが教会で集まり、礼拝を捧げている時であることを語っている。使徒言行録に書かれているような不思議な現象などは伴なわないかも知れない。しかし、礼拝に出席して、微かな風を感じることができれば、それは聖霊を注がれていることに他ならない。私たちのこころGた、微かにでも燃え上がり、何かを語ろうとする情熱が生じてくるのなら、それは聖霊の御業である。悪なる存在から守られ、平安尚与えられているのを感じることができるなら、聖霊を確かに注がれているのである。
2013年 5月12日 復活節第7主日礼拝
06:01子供たち、主に結ばれている者として両親に従いなさい。それは正しいことです。 06:02「父と母を敬いなさい。」これは約束を伴う最初の掟です。 06:03「そうすれば、あなたは幸福になり、地上で長く生きることができる」という約束です。 06:04父親たち、子供を怒らせてはなりません。主がしつけ諭されるように、育てなさい。 06:05奴隷たち、キリストに従うように、恐れおののき、真心を込めて、肉による主人に従いなさい。 06:06人にへつらおうとして、うわべだけで仕えるのではなく、キリストの奴隷として、心から神の御心を行い、 06:07人にではなく主に仕えるように、喜んで仕えなさい。 06:08あなたがたも知っているとおり、奴隷であっても自由な身分の者であっても、善いことを行えば、だれでも主から報いを受けるのです。 06:09主人たち、同じように奴隷を扱いなさい。彼らを脅すのはやめなさい。 あなたがたも知っているとおり、彼らにもあなたがたにも同じ主人が天におられ、人を分け隔てなさらないのです。
福島 純雄 牧師
1.エフェソ書の学びもいよいよ最後の6章に入った。5章21節以下のところは、「妻の頭は夫」というような御言葉があり、多いに悩まされたものであった。
しかし、今日の5節以下の箇所も、それに劣らず問題をはらんでいるものである。私の手元にある注解書に、山谷省吾という基督教思想史の研究者の言葉が引用されていた。彼はこのパウロの言葉について、次のように批判しているそうである。『(パウロは)余りにも保守的であり無批判である。社会に対する彼の目は全く閉じられていた』と。山谷先生の言うように、パウロは保守的であったか、また当時の社会に対してパウロの目が閉じられていたという批判は(後に述べるように)、むしろ正しくないと私は思う。しかし、奴隷という者の存在や、その制度に対してパウロが無批判であったという点は、その通りではあるまいか。それどころかパウロは、奴隷として主人に従うことをキリストにしたがうことに重ね合わせているのである。どうしてキリストに従うことと、この世の主人に従うことを、そのようになぞらえることができたのか。かりそめにも、奴隷であることを、そのように語って良いのか。
聖書といえども、決して無謬(誤りのないもの)ではなく、それを記した人々の時代や社会の制約の中に置かれていたことが典型的に現れているのである。
また、このような言葉が聖書にあるゆえに、キリスト教の歴史において、奴隷制度があたかも神様によって良しとされているかのように、大手を振って存在できてしまったということもある。
しかし、以上のような問題をはらんでいる箇所であることは素直に認めつつ、パウロが語り伝えようとした真意に、耳を傾けていきたいと思うのである。
2.山谷先生は、先ほど紹介したように、パウロが当時の社会に対して目を閉じていたというのであるが、私はむしろその逆ではなかったかと感じるのである。
当時の社会が抱えていた深い問題性に、また、その問題ある社会の中で逃げることなく生きざるを得なかった人々の辛さに、パウロは目を向けていた。5章21節からの「妻と夫」から始まる語りかけの、そもそもの発端は、繰り返し思い起こしてきたように、5章16節の「今は悪い時代なのです」との言葉から始まっている。
その時代の悪さのただ中に、5章21節以下に取りあげられている夫婦の間柄・親子・主従関係があるのであった。この3つの関係に共通しているのは、夫にとって妻が、親にとって子が、主人にとって奴隷が、その所有物として扱われているという点なのである。多くの場合、当時の女性は夫となる相手を選ぶことはできなかっただろうし、勿論、子は親を選んで生まれてくることなどはできず、奴隷の子として生まれれば余程の幸運がない限り死ぬまで奴隷でしかなかった。どれ程の人々が、こうした社会において理不尽さの中に置かれていたか。パウロはこうした時代の「悪さ」というものを直視していたのだと思う。
この悪い時代の中で多くの人々が、5章15節以下にあるように、愚かにも、無分別なものとなり、酒に酔いしれ身を持ち崩していた。それが、ごく普通の有り様だった。そうやってやり過ごさなければ生きて行けない社会であった。ここでこそ、パウロは語りかけたのである。「しかし、私たちはそのように生きることはないのだ」と。むしろ、このような悪い時代のさなかにあっても、なお、賢く「時を良く用いて生きることができるのだ」と。時をよく用いるとは、時間を我がものとして買い戻すという意味である。夫や親や主人によって、生きる時間を支配され、そういう間柄に置かれていることからは逃れることはできない。強制や理不尽さのないところで生きることはできないのである。けれども、私たち信仰者は、そういうさなかでも、強制されている時間を我がものとして取り戻して、自分の時間を生きることができるのだとパウロは語りかけるのである。それは、主の御心を悟ることによってである。感謝して生きることによってである。そのようにパウロは語る。
ここに、現代にも多いに通じる励ましや慰めを聞くのである。
いつの時代にも、私たちは逃げることのできない、様々な意味で強制された、理不尽な境遇に置かれるものなのである。なぜ、奴隷制度の理不尽さを抗議しなかったのか、そこから逃げることをすすめなかったのかと、今日の私たちはパウロを批判する。しかし、どんなにそこから逃げたとしても、次から次と強制される境遇というものは、私たちに襲いかかって来るのである。パウロが見つめていたのは、逃げることのできない悪い時代や境遇に置かれざるを得ない私たちの姿なのである。逃げることなどできない。選ぶことなどできない。そういうなかで私たちが、いかに愚かにならず、賢く生きることができるかを、勧めているのである。
3.では、そこにおける「主の御心」とは何か。1節に、先ず「主に結ばれているものとして、両親に従いなさい。」とある。また、5・6節にある「キリストに従うように・・キリストの奴隷として、肉による主人に従い、喜んで仕えよ」ということである。パウロがここで何よりも語ろうとしているのは、親に従うことが、また、肉による主人に従うことが、主に結ばれた者(これは、おそらく文字どおりには、主にロープでつながれている者・縛られている者というニュアンスだと思う)として、キリストに従うものとして、ふさわしい在り方なのだ、適った在り方なのだ、ということだと示される。言うまでもなく、キリストに従うこと、結ばれていることと、親や主人に従うこととは全くことなっている。決してイコールではない。そんなことは、パウロだって重々承知のことであった。けれども、主に従うことと親や主人に従うこととは、何処かで重なって来るものがある。在り方として、何処かで相通じるものがある。キリストに従うということは、具体的に目には見えない。キリストは目に見えないお方だから。だから、その有り様が具現化されるのは、決してイコールではないけれども、親や主人に仕え従うその有り様にあるのだとパウロは言っているのではないか。
ルカ福音書において、イエス様によって悪霊を追い出された男性が、イエス様のお伴をしたいと言った。そのとき、イエス様は「自分の家に帰りなさい」と言われたことを、ふと思い起こした。また、ヨハネ福音書の21章18節で、復活したイエス様がペテロに「あなたは、若い時には・・・しかし、歳をとると・・・」と言われていたのも思い起こしたのである。
イエス様に仕えるとは、自分の家に帰って、自分が生かされた場所で実現することなのである。そこで具体的に与えられるところの「使える」「従う」という機会が、とても貴いものなのだということを示される。私たちは、ペテロが若い時にそうだったと言われているような、自分で帯をしめ、行きたいところへ行くことが幸いだと思っている。そうしつつ、口では「イエス様に仕える」というのである。けれども、イエス様が言われるのは、具体的に、他の人に繋がれて、行きたくないところに連れて行かれる有り様こそが、イエス様につながっている者の有り様なのだ、ということである。無理強いされ強制される境遇のなかに、イエス様に従うものとしてのふさわしさを見出しなさい、それを神様の御心として受け止めなさい、ということである。
4.ここで、私の中に浮かんでくる問いは「だとしても、何処まで仕えれば良いのか」ということである。ご両親の介護をたった一人で背負っておられるような方もあるだろう。長時間労働を強いている雇用主、あるいは反社会的な犯罪行為に加担させるような雇用主に、何処まで仕えるのか。さらには、ヒトラーのような支配者に何処まで仕え従うか、という問題も生じてくる。どんな親にも、どんな主人にも仕えねばならないのか。それがキリスト者としてふさわしいのは、どのような「仕え方」であり、「服従」なのか。これは、今日の御言葉からすぐに導き出されるものではないだろうし、また、この事を考え始めると時間がなくなってしまう。ただ一つ、示唆されるのは、4節において、また、9節において、パウロは、仕えられる側の親と主人に対して命じていることである。「子供を怒らせてはなりません。育てなさい」「同じように(差別なく)奴隷を扱いなさい。脅すのはやめなさい」これは或る意味で、私たちが親や主人に従う時の、留保条件として受け取ってもよいのではないだろうか。仕えることにただ怒りを増し加えることしか見いだせず、存在を脅かされ、育まれることがない、そのような場合には、実際上はまことに困難であるとしても、時には仕え従うことを解かれるのではないか。その状況に抵抗し、撥ね退けて戦って行くことも許されるのではあるまいか。
5.パウロは、従うことによる報い・ご利益というものを、しっかりと教えていたということに、最後に触れたい。仕えていても、この報いが見えてこない場合(勿論すぐに報いがわかるようなものではないだろうが)には、仕えることから解かれるということもあるのではないか。
まず、両親に従うことについては、十戒の一項が引用されて「これは、約束を伴う最初の掟」だと言われる。その約束とは「そうすれば、あなたは・・という約束です(出エジプト記20章12節を、パウロが彼なりに解釈を加えて引用したもの)とされる。
どのような幸福が約束として与えられるというのか。
この十戒が授けられた場面は、言うまでもなく、イスラエルの人々がエジプトを脱出して、荒野を40年間さまよっていた時期のことである。難民として、食糧も飲み水も逼迫していた状態だった。生き延びるためには、それこそ盗み、殺し、老いた親は「うばすて」として放置するのが得策と思われていたに違いない。しかし、主なる神様は、殺すな、盗むな、父母を敬え、と命じたのである。老いたる父母を敬うことによって与えられる幸福とは何か。それは文字通り「地上で長く生きることができる」ということではないのだろうと思う。両親を敬ったからといって、すべての人が長寿を報いとして与えられるということはない。その幸福とは、生きることを「長く」(豊かに、多様的に、深く)とらえることができるようになるということではないか。たとえば、イサクは老いたる父アブラハムの側にあり、敬うことによって「アブラハムは多くの日を重ね老人になり、主な何事においてもアブラハムに祝福をお与えになった(創世記24章1節)」有り様を目の当たりにすることができた。老いること、悲しみを加えること、欠けの多い者となること、しかし、そこにも生きる喜びがあり、祝福が絶えないことを、そうなった両親を敬うことによって初めて知るのである。若さや強さだけではなく、老いることや弱ることにも幸があると学べるのである。だから、人生が「長く」なる、豊かになる、深くなる。
主人に仕えることについては、8節で「奴隷であっても自由なものであっても、善いことを行えば(この場合には、仕えること)だれでも主から報いを受ける」と語っている。仕えることが、この世において具体的に仕え従うという場面をもつことが、どのような報いを与えてくれるだろうか。私は、人一倍仕えることが苦手な者であると思う。そういう私が、前任地の教会には、同窓生のなかで誰よりも長く一つの教会に仕えることができたし、また、24年間のうちその半分の12年も、教区の務めにお仕えすることができた。そのことの報いとは、何よりも忍耐強くされることと、良い意味での「いい加減」(いい塩梅)を学ぶことにあると思う。具体的に仕えるということを知らずして、与えられることのない報いがある。仕える場が与えられていることの幸いに気づこうではないか。
2013年 5月 5日 復活節第6主日礼拝
08:26一行は、ガリラヤの向こう岸にあるゲラサ人の地方に着いた。 08:27イエスが陸に上がられると、この町の者で、悪霊に取りつかれている男がやって来た。 この男は長い間、衣服を身に着けず、家に住まないで墓場を住まいとしていた。 08:28イエスを見ると、わめきながらひれ伏し、大声で言った。 「いと高き神の子イエス、かまわないでくれ。頼むから苦しめないでほしい。」 08:29イエスが、汚れた霊に男から出るように命じられたからである。 この人は何回も汚れた霊に取りつかれたので、鎖でつながれ、足枷をはめられて監視されていたが、それを引きちぎっては、悪霊によって荒れ野へと駆り立てられていた。 08:30イエスが、「名は何というか」とお尋ねになると、「レギオン」と言った。 たくさんの悪霊がこの男に入っていたからである。 08:31そして悪霊どもは、底なしの淵へ行けという命令を自分たちに出さないようにと、イエスに願った。 08:32ところで、その辺りの山で、たくさんの豚の群れがえさをあさっていた。 悪霊どもが豚の中に入る許しを願うと、イエスはお許しになった。 08:33悪霊どもはその人から出て、豚の中に入った。 すると、豚の群れは崖を下って湖になだれ込み、おぼれ死んだ。 08:34この出来事を見た豚飼いたちは逃げ出し、町や村にこのことを知らせた。 08:35そこで、人々はその出来事を見ようとしてやって来た。 彼らはイエスのところに来ると、悪霊どもを追い出してもらった人が、服を着、正気になってイエスの足もとに座っているのを見て、恐ろしくなった。 08:36成り行きを見ていた人たちは、悪霊に取りつかれていた人の救われた次第を人々に知らせた。 08:37そこで、ゲラサ地方の人々は皆、自分たちのところから出て行ってもらいたいと、イエスに願った。 彼らはすっかり恐れに取りつかれていたのである。 そこで、イエスは舟に乗って帰ろうとされた。 08:38悪霊どもを追い出してもらった人が、お供したいとしきりに願ったが、イエスはこう言ってお帰しになった。 08:39「自分の家に帰りなさい。そして、神があなたになさったことをことごとく話して聞かせなさい。」 その人は立ち去り、イエスが自分にしてくださったことをことごとく町中に言い広めた。
福島 純雄 牧師
1.イエス様が、悪霊に取り付かれた男性を癒された出来事が記された箇所である。小説のタイトルや題材にも取り上げられることが多い。ルカによる福音書の4章31節以下にも、汚れた悪霊に憑かれた人をイエス様が癒されたという記事がある。また8章2節には、マグダラのマリヤと言う女性が7つもの悪霊を追い出してもらったと書かれている。一体、悪霊に取り付かれるというような出来事を、私たちはどのように受け止めたらよいだろうか。今の時代を生きる私たちにとって、ここからどんな語りかけを聞くことができるだろうか。
このようなことは2000年前の迷信に過ぎないと一笑にに付す方々もあるだろう。当時は、殆どの病気の原因がわかっておらず、悪霊が取り付いて病を引き起こすと信じられていた。福音書に書かれているおおかたのことは、現代では医学で説明がつくとされている。精神錯乱とか、人格の分裂とか、今日の御言葉の症例などは、多重人格障害とされるのかも知れない。しかし、福音書に書かれているすべてのことが、果たしてそのような説明で解決がつくことだろうか。
19世紀の半ばに、ドイツのメットリンゲンという村の小さな教会で、ブルームハルトという牧師が体験した出来事が良く知られている。その出来事は、後にカール・バルトやトゥルナイゼンという高名な神学者たちに大きな影響を与えた。あの「アクソシスト」という映画に見たような出来事が、実際に起きたということなのである。ブルームハルト牧師は、時の教会から求められた詳細な報告書を提出している。そんな出来事が起きたことを人々に知られるのを随分ためらいつつ、仕方なく提出したものである。それを巡って、様々な論争がなされたが、起きた出来事がすべて医学によって説明できるものではないことは明らかであった。
他方、仮に悪霊という存在があり、それが私たちに取り付くということがあると認めてしまうと、また、そこで危惧することも生じてきてしまうのではないか。
現代の日本でさえも、治らない病気を抱えたり、家族に次々に災いが起きたりしたときに、悪霊が取り付いているといわれて、それをはらうためにと称して何十万円、何百万円といったお金を取られてしまったという話が後を絶たない。キリスト教の世界でも、悪霊との戦いというものを非常に強調する教派があって、何でもかんでも悪霊のせいにされることがある。たとえば、家族がなかなか信仰を受け入れてくれないのも、ある町の伝道がなかなか進まないのも悪霊のせいだとされるのである。悪霊という存在は、目に見えない。それが取り付いて何か悪いことを起こすということになれば、必要以上にこれをおそれてしまう人々も出てくるのではあるまいか。先程のブルームハルト牧師が、自分たちに起きた出来事が公になるのははばかったのも、そのようなことを危惧したためでもあったのである。
2.そこで、今日の御言葉から教えられるのは、悪霊の本質は如何なるものであるかという点である。これは4章31節以下に記されたこととも共通している。28節の言葉は、文脈から明らかに悪霊そのものの言葉だと理解して良い。悪霊はイエス様に対して「いと高き神の子」と言っている。4章34節には「正体はわかっている。神の正邪だ」とある。悪霊は、誰よりもイエス様がどういうお方であるかを解っていたのである。今日の御言葉の直前には、嵐を鎮めたイエス様を見て、弟子たちは「この方はどなただろう」と言った様子が書かれている。4章31節の直前でも、故郷ナザレの会堂でお話をされたイエス様に対し、人々は「この人はヨセフの子ではないか」というのみであった。誰もイエス様の正体をわかっていなかったときに、悪霊はイエス様の正体がわかっていた。それは悪霊に、人間には知り得ない「神の聖」や「神の高さ」というものを感じとる能力があったからこそである。聖なる神様と、また、いと高き神様と、特別な関係の中に置かれていた存在だったからである。
にもかかわらず悪霊は、その神様の聖が満ちている、神様の崇高さが満ちているイエス様に「かまわないでくれ」と言うのであった。「頼むから苦しめないでくれ」とも言ったとある。イエス様によってかまわれること、近づき、関係を持たれることが「苦しみ」でしかないというところに、悪霊の根本的な特徴があると思う。
私の手元に「宗教の深層 ― 聖なるものへの衝動」というタイトルの本がある。この副題の「聖なるものへの衝動」という言葉に、とても心を引かれる。聖なるものへの衝動、あこがれ、聖なるもの、崇高なる存在に近づきたいという思いこそが、私たちの信仰の根源にあるものではないか。私たちは、何処かで自分の小ささ、また、この世の汚れというものを、ひしひしと感じている。だからこそ、聖なるもの・清いもの・気高い存在に触れ、近づいて、その性質に与りたいと乞い願う。そういう私たちに、神様はその独り子を人間として生まれさせて下さり、また、その命を犠牲として与えて下さることを通して、ご自分の聖なるものを分け与えてくださろうとした。これがキリスト教の根本ではないかと思う。
なぜか悪霊なる存在は、そのようなイエス様のご正体を私たち以上にしりながら、イエス様に近づくのを苦しみと思うのである。自分自身の中に聖なるもの、崇高なものを深く持ちながら、何故か悪霊は、それを否定し、それから遠ざかろうとするのである。どうして、そういう存在が生じてきたのかということはわからない。聖書で体系的に説明されることもない。だが、何故かこのような悪霊が存在しているというのが、聖書の語りかけなのである。
3.もう一つ、今日の御言葉から悪霊の特徴として教えられるのは、彼らは人間に取り付くことを必要としているということである。悪霊は、イエス様の命令によって豚に入れられ、その豚は雪崩を打って湖に飛び込み、おぼれ死んでしまったという。ということは、悪霊は自分からは決して豚には取り付かないということを示していると思う。彼らは、人間を住処とする。言わば、人間に取り付くことによって、そこから糧を得るというか、エネルギーを得ていると言えるのではないか。
なぜ、悪霊は人間に取り付くのか。これは、動物や植物とは違って、人間だけにある神様との特別な間柄に由来していることだと思う。悪霊そのものに、神様との深い裂け目というか、矛盾があった。誰よりも神様に近く、神様の聖や崇高さを感じる力がありながら、何故か神様に近づくことをいとうところに悪霊の矛盾がある。だから、同じ矛盾を抱えた人間に取り付くのではあるまいか。同じ矛盾を抱える人間の苦しみを糧とするのではあるまいか。
人間だけが、動物や植物とは違って、神様の「似姿」を刻まれて生まれてきた。このことを記した創世記の箇所には「我々にかたどって」とある。神様の似姿とは、突き詰めれば「我々」、つまり関係性の中に、お互いを助け合う、そういうつながりのなかに喜びを見出して、創造的に生きることだと思う。動植物にも、そのような性質があるのかもしれない。しかし、人間は特別に、より一層、このことのなかに生きる意識を見出す存在ではないか。だからこそ、神様はこの似姿を、敢えて土の器に盛りたもうた。土の器だからこそ、助け合い補い合うようにと。そこに喜びを感じられるようにと。ところが、私たちは、この土の器の弱さのみに心を奪われてしまう。そのことだけに思いが行ってしまう。何のために神様は土の器のなかに、私たちを生きるようにさせて下さったか。そのことを忘れ、ただ器だけが永らえ、強くすることだけに思いを向ける。
このような私たちだからこそ、神様の聖さが不可欠なのである。神様の高さが必要なのである。神様につながって、私たちの生きる目的が、喜びが何であるかを悟ることが不可欠なのである。
けれども、多くの人は神様につながろうとしない。そんなことを必要とも思わない。そこにこそ、私たち人間が根源的に抱えている矛盾がある。神様の似姿を刻まれた私たちが、それにもかかわらず、神様と関わろうともしない。ここに人間だけの持つ深い裂け目がある。これを聖書では罪という。そこにこそ、悪霊は住み着く。喜んで住処にする。神様につながろうとしない人間の有り様が、悪霊の糧である。
悪霊に憑かれた男が、墓場に住み、また、何度も荒れ野に追いやられたとは、本当に象徴的である。これも度々紹介してきた2000年前のギリシャ語の語呂合わせだが、ソーマ・セーマと当時の人々は言ったそうである。肉体(ソーマ)は、墓場(セーマ)だと。神様につながらないで、何故、何の目的で土の器を生きるのかを知らずに、土の器たる肉体を生きる人生とは墓場になってしまうのである。そうとしか見ることができない。荒野でしかない。生きることをそのようにしか見ることのできない私たちの内面は、レギオン(当時のローマの兵隊の単位で三千から6千人程度の部隊)のごとく、千々に乱れる。土の器を壊そうとする様々な力によって、千々に乱れさせられる。そのような分裂や苦しみを、悪霊は糧としているのである。
4.このように教え示されてくると、今日の御言葉に書かれているような異様な事が起きるというのではなく、初めにご紹介したブルームハルト牧師が体験したような事が起きるのではなくとも、悪霊が私たちに取り付くと言うことは、もっともっと日常茶飯事に起きているのではないか、と思うのである。今や悪霊は、私たちに取り付いて、この聖書に書かれているような事態を引き起こすような愚かなことはしないのかも知れない。もっと賢くなって、こっそりと静かに私たちから、糧を吸い取っているのかも知れない。この男性のように、生きることをまるで墓場のように思い、鎖に繋がれたような生活をし、内面が千々に裂かれてしまっている。そういう有り様のなかにある人々がどれほど多いことだろうか。そこまで至らずとも、聖なるもの至高なるものへの衝動など全く感じもせずに、ただただ、この世の事のみにどっぷりと浸かっている。悪霊がイエス様によって追いやられたのが豚であったというのは、これも、また象徴的である。豚には申し訳ないが、福音書にもイエス様のお言葉として「聖なるものを豚にやるな」とあった。悪霊なるものが入るにふさわしいところは、この豚の如き場所なのである。そして、その豚は、自ら湖に飛び込んで死んでしまう。悪霊のなせる業とは、これなのである。
このような悪霊を、イエス様は追い出してくださるのである。私たちを悪霊から守ってくださるのである。イエス様が、なぜ悪霊を追い出すことができるのか、悪霊に勝ることができるのかが、よく分かったのではないだろうか。28節で、悪霊はイエス様のことを「いと高き神の子イエス」と言った。いと高き神の子が人となられたのがイエス様なのである。イエス様は、あえて土の器を取られた。喜んで土の器、それも十字架の上で粉々に砕かれる器の生涯に身を置かれた。それは何のためであるのか。それは、私たち人間と「我々」という間柄の中で生きるためである。私たちを思いやり、助けて下さるためである。私たちに、神様の聖や高さを下さるためである。肉体において、その血をながし、命を犠牲にすることによって、イエス様は、神様から授かった「似姿」の使命を果たされた。イエス様の中に、神様との矛盾はない。土の器のなかに生き、十字架の上に死なれたイエス様と神様とに裂け目がない。悪霊はこのイエス様の中に入り込むことはできない。イエス様によって退散させられるしかない。
私たちは、このようなイエス様によって守られているのである。このようなイエス様によって、神の聖・崇高さをいただくことができるのである。
2013年 4月28日 復活節第5主日礼拝
24:01アブラハムは多くの日を重ね老人になり、主は何事においてもアブラハムに祝福をお与えになっていた。 24:02アブラハムは家の全財産を任せている年寄りの僕に言った。「手をわたしの腿の間に入れ、 24:03天の神、地の神である主にかけて誓いなさい。 あなたはわたしの息子の嫁をわたしが今住んでいるカナンの娘から取るのではなく、 24:04わたしの一族のいる故郷へ行って、嫁を息子イサクのために連れて来るように。」 24:05僕は尋ねた。「もしかすると、その娘がわたしに従ってこの土地へ来たくないと言うかもしれません。 その場合には、御子息をあなたの故郷にお連れしてよいでしょうか。」 24:06アブラハムは答えた。「決して、息子をあちらへ行かせてはならない。 24:07天の神である主は、わたしを父の家、生まれ故郷から連れ出し、 『あなたの子孫にこの土地を与える』と言って、わたしに誓い、約束してくださった。 その方がお前の行く手に御使いを遣わして、そこから息子に嫁を連れて来ることができるようにしてくださる。 24:08もし女がお前に従ってこちらへ来たくないと言うならば、お前は、わたしに対するこの誓いを解かれる。 ただわたしの息子をあちらへ行かせることだけはしてはならない。」 24:09そこで、僕は主人アブラハムの腿の間に手を入れ、このことを彼に誓った。 24:10僕は主人のらくだの中から十頭を選び、主人から預かった高価な贈り物を多く携え、 アラム・ナハライムのナホルの町に向かって出発した。 24:11女たちが水くみに来る夕方、彼は、らくだを町外れの井戸の傍らに休ませて、 24:12祈った。「主人アブラハムの神、主よ。どうか、今日、わたしを顧みて、主人アブラハムに慈しみを示してください。 24:13わたしは今、御覧のように、泉の傍らに立っています。この町に住む人の娘たちが水をくみに来たとき、 24:14その一人に、『どうか、水がめを傾けて、飲ませてください』と頼んでみます。 その娘が、『どうぞ、お飲みください。 らくだにも飲ませてあげましょう』と答えれば、彼女こそ、あなたがあなたの僕イサクの嫁としてお決めになったものとさせてください。 そのことによってわたしは、あなたが主人に慈しみを示されたのを知るでしょう。」 24:15僕がまだ祈り終わらないうちに、見よ、リベカが水がめを肩に載せてやって来た。 彼女は、アブラハムの兄弟ナホルとその妻ミルカの息子ベトエルの娘で、 24:16際立って美しく、男を知らない処女であった。彼女が泉に下りて行き、水がめに水を満たして上がって来ると、 24:17僕は駆け寄り、彼女に向かい合って語りかけた。「水がめの水を少し飲ませてください。」 24:18すると彼女は、「どうぞ、お飲みください」と答え、すぐに水がめを下ろして手に抱え、彼に飲ませた。 24:19彼が飲み終わると、彼女は、「らくだにも水をくんで来て、たっぷり飲ませてあげましょう」と言いながら、 24:20すぐにかめの水を水槽に空け、また水をくみに井戸に走って行った。 こうして、彼女はすべてのらくだに水をくんでやった。 24:21その間、僕は主がこの旅の目的をかなえてくださるかどうかを知ろうとして、黙って彼女を見つめていた。
福島 純雄 牧師
1.アブラハムが、息子イサクの妻捜しをしもべに命じた。そこで課された条件はまことに困難なものであった。しかし、しもべは、主人の故郷に向かって出発し、不思議な導きのもと、リベカという娘に出会った。しもべは、彼女の兄ラバンとの交渉を経て、首尾よくリベカをカナンへと連れ帰り、イサクとめあわせることに成功した。
最初に言及したいのは、この長い物語が、どういう前後関係・文脈の中に置かれているかである。直前の23章では、イサクの母サラの死と埋葬の出来事が書かれていた。25章では、父アブラハムの死であった。2節に「手をわたしのものの間に入れ・・・」とある。これは、同じ創世記の47章29節以下では、ヤコブの臨終の場面で、息子ヨセフに遺言を残す有り様として書かれている。だから、この箇所を、アブラハムの臨終の場面、彼がしもべに遺言を託した有り様として理解することもできよう。ただ、その場合には、アブラハムの年齢に整合性がなくなる難点が生じる。25章20節によれば、イサクがリベカと結婚したのは彼が40歳のときとある。父アブラハムが140歳のときということになる。25章7節によると、アブラハムが死んだのは175歳とあるから、イサクが結婚した後、彼はなお35年ほど生きたことになる。
サラが死に、また自分も死期が近づいていることを知って、アブラハムは息子イサクのために、どうしても不可欠なことを求め、願ったのであろう。アブラハムの全財産を管理し、一人息子のイサクにそれを受け継がせる役目を背負っているしもべに、イサクが目に見える財産だけではなく、もっと重要なものを受け継ぐことができるようにと、アブラハムは重大な遺言を託したのだ。
それは単に、両親が死んだあと、イサクが独身であったら寂しいだろうから、是非とも嫁取りをと願ったというようなことではあるまい。そのような単純な願いならば、わざわざしもべに困難な条件を課す必要はなかったはずだ。カナンの娘をめとればよかったのである。しかし、アブラハムはイサクが単に結婚してくれればよいと願ったのではなく、もっともっと息子にとって不可欠なものを受け継いでくれるようにと願ったのだった。
2.それが何であったかが滲み出ているのが、24章1節の御言葉だと思う。「アブラハムは多くの日を・・・」とある。果たして、この身言葉通り老人となり、もしかすれば臨終の時にさしかかっていた彼が、何事においても主なる神様からの祝福をいただいていたというのは、本当のことだろうか。少なくとも、現実としてあったのは、むしろ、それとは正反対の有り様ではなかったか。その典型が、23章の、妻サラの死なのであった。23章2節に、「アブラハムはサラのために・・・」とあった。多くの日を重ね、老人となるということは、このように大切な人や、大切な事柄との別れを重ねることに他ならない。悲しみを重ねることに他ならない。祝福を見失う出来事が重なって行くことなのである。
しかし、神様を「主」として信じることができた彼は、そこにも「祝福」をみることができたのではなかろうか。そのように神様を主として信じる信仰をこそを、アブラハムはイサクに受け継いで欲しいと願ったのである。自分が人生を終えようとするときだからこそ、何が大切かがわかったのである。目に見える財産を受け継ぐがせることではなく、神様を主と信じられる信仰を受け継いで欲しいと願ったのである。
サラを失うことにおいて、アブラハムは、いかにに神様の祝福を見ることができたのか。23章3節「アブラハムは遺体の傍らから立ち上がり、ヘトの人々に頼んだ」とある。いま愛する妻の遺体の傍らにあることが、今までどうしても叶えることのできなかったヘトの人々から土地を手に入れる機会となったのであった。
大切なものを失うことが、それまでどうしても与えられなかったものを授かる機会となった。主なる神様とは、このような為さり方をされるのである。私たち自身が人生の主人であるならば、失うことを、大切なものの遺体の傍らにあることを、このように受け止めることは決してできない。それは、ただ大切なものを失ったという思いだけである。これに対し、ヨブが「主は与え、主は取りたもう」と言ったように、主に繋げられていることだけが、取られることの只中に、与えられることがあると発見させてくださる。多くの日を重ね、老人となる歩みは、私たちにますますこのような主なる神様の不思議な祝福を体感させるものなのである。
3.さらに、アブラハムがイサクに受け継いで欲しいと願っていた信仰を、6節の言葉に読みとることができるだろう。
主なる神様のことを、彼はしもべに「天の神である主は」と言っている。そして、この方が「わたしを・・・約束して下さった」と語っている。彼にとって、主なる神とは、何よりも「天の神様」なのであった。天にあって、地にある私を導いて下さるお方なのである。地にある私たちは、多いに迷い、過ちを繰り返す。天の神様の私たちへの導きは、強制の形を取らない。あくまで、私たちの自由を尊重する。だから、私たちは迷う。我が道を行かんとする。しかし、それでも、なお、天の神様は、私たちを導く。ふさわしいゴールへと到着させてくださる。イザヤ書の55章8-9節に、「わたしの想いは・・・天が地を高く越えているように、私の道は・・私の思いは・・」とある。天の神様が私たちを導いて下さっている道は、私たちには見えない。私たちは、我が道を進んでしまう。それでも、天の神様は、私たちを導く。導きがあったが故に、いまの私がある。このことが、多くの日を重ね老人となったアブラハムの悟りであった。そして、この祝福を、人生をこのように受け止めることのできる祝福を、イサクに受け継いで欲しいと願ったのである。
4.そのことのために、アブラハムはしもべに、あたかも遺言を託すような有り様で、イサクの妻になるべき娘についての重い条件を課した。それは本当に重い条件であった。託された者が、それを果たす重大な責任を担わされるものであった。遺言とは、すべからく、そういう重さをもっているものだろう。これほどのものとして、アブラハムは自分の願いを実現しようとした。それに応えて、このしもべも、これを果たそうとした。だからこそ、神様もこれに応じて下さったのではあるまいか。
私たちは、このことから学ぶことがある。確かに、イサクが神様を主と信じる信仰を受け継ぐか否かは、どんなに父アブラハムが願ったとしても叶えられることではない。信仰は、目に見える財産のように、子供に受け継がせることができるものではない。それは、神様だけが成し遂げてくださる。けれども、アブラハムはそれを「神様任せ」にはしなかったのである。神様が授けて下さることだから、親として何もしない、というのではなかった。イサクが信仰を受け継ぐべく、アブラハムは精一杯の努力をした。重い条件をしもべに課したのである。私たちには、このような真剣さがあるだろうか。神様を主と信じる信仰を、残された者たち ― それは子供や孫だけでなく、伴侶や友人たちもである ― に何としても受け継いで欲しい。その切なる願いがあるのかどうか。そして、それを精一杯努力して企てる熱心さがあるのかどうか。目に見える財産を相続させるのと同等の、それ以上の配慮を以って、私たちは信仰こそを相続させようとする企てや工夫を放棄してはいけないのである。
5.その企てとして、アブラハムが考えたのは、イサクの妻として、ここに記されているような条件を満たす女性を迎えるということだった。イサクへの信仰の継承の事柄なのに、その妻のことが工夫として考えられていることが非常に興味深く、示唆に富むことに思われる。
私たち夫婦も、長男への信仰の継承を考えるとき、まさに同じことを企てようと思うことがある。夫にとって、妻こそが無くてはならぬ助け手であるから、夫の信仰が成長していくためには、妻の信仰が不可欠な助けとなる。
同じ神様を主と信じる妻を得るために、しもべに、まず課された第一の条件は、アブラハムの故郷に行って、一族の中らか嫁となる女性を捜すことであった。
故郷の一族が、果たして、同じ神様を主と信じる人々であったのか。それははっきりとは書かれていない。後の物語を読むと、ぼんやりとではあるが、例えばリベカの兄ラバンが主なる神を信じているかのように読める記述もある(50・51節など)。けれども、もしそうだったのなら何故、かつてアブラハムが75歳のとき、神はわざわざ信仰を同じくする一族郎党を離れて、見ず知らずの土地に向かって旅立たせたのか、との疑問もわいてくる。
二つ目の条件は、もし、そのような娘がみつかったなら、彼女をことらのカナンの地に連れて来なければならないということである。彼女がこちらに来たくないというなら、無理強いする必要はない。ただ、決して、イサクを故郷の地へ連れて行ってはならない、と明言される。
アブラハムが重視していたのは、7節に記されているように、かつて自分も神様を主と信じて生まれ故郷の父の家から連れ出された体験であった。神様を主と信じる信仰というのは、自分の願いや思いではなく、神様の思いを主の思いとして受け入れ、実際に父や一族郎党と別れてでも、旅立つことを求めるものなのではないか。
アブラハムは、イサクの妻となるべき女性に、自分たちと同じく、このカナンの地で、寄留者として歩むことのできる者を求めた。カナンの娘とは、目に見えない神様を主と信じてその導きに従ってこの世を寄留者として歩む者ではなく、地縁や血縁に従ってこの世に留まろうとする者を意味する。もしかすれば、完全に信仰を同じくする妻を得ることは出来ないかも知れない。しかし、少なくとも、カナンの人々とは一線を画し、一族郎党と別れて、敢えてよそ者、寄留者としてカナンの地で生きることを受け入れることのできる者、それを良しとできる者、そのような者ならば、いずれ神様を主と信じて生きることも可能かも知れないと思ったのではあるまいか。
こうしたアブラハムの切なる願いは、しもべの賢い企てとあいまって、まことに不思議な形で、神様に叶えられていった。彼が、そのような娘に出会うべく、町の井戸を訪ねたことは何を意味しているだろうか。13節「わたしは今・・・泉の傍らに立っています」とは、とても意味深い。神様を主と信じる誰かに受け継いで欲しいと切に願うなら、それを神様は適えて下さるのであろう。泉の傍らに立つことで、叶えられるのである。
2013年 4月21日 復活節第4主日礼拝
05:21キリストに対する畏れをもって、互いに仕え合いなさい。 05:22妻たちよ、主に仕えるように、自分の夫に仕えなさい。 05:23キリストが教会の頭であり、自らその体の救い主であるように、夫は妻の頭だからです。 05:24また、教会がキリストに仕えるように、妻もすべての面で夫に仕えるべきです。 05:25夫たちよ、キリストが教会を愛し、教会のために御自分をお与えになったように、妻を愛しなさい。 05:26キリストがそうなさったのは、言葉を伴う水の洗いによって、教会を清めて聖なるものとし、 05:27しみやしわやそのたぐいのものは何一つない、聖なる、汚れのない、栄光に輝く教会を御自分の前に立たせるためでした。 05:28そのように夫も、自分の体のように妻を愛さなくてはなりません。 妻を愛する人は、自分自身を愛しているのです。 05:29わが身を憎んだ者は一人もおらず、かえって、キリストが教会になさったように、わが身を養い、いたわるものです。 05:30わたしたちは、キリストの体の一部なのです。 05:31「それゆえ、人は父と母を離れてその妻と結ばれ、二人は一体となる。」 05:32この神秘は偉大です。 わたしは、キリストと教会について述べているのです。 05:33いずれにせよ、あなたがたも、それぞれ、妻を自分のように愛しなさい。 妻は夫を敬いなさい。
福島 純雄 牧師
1.皆さんもご承知だと思うが、結婚式の次第のなかに「夫・妻に対する教え」という部分がある。教団所定の式文では、その「妻に対する教え」で真っ先に読むべき聖書箇所として挙げられているのが、このエフェソ5:22-24節の御言葉である。教区議長として教団の常議員会に陪席していたときに、式文のなかからこのエフェソ5:22-24の引用を削除すべきだと議論があったことを思い起こす。わたし自身も沢山の結婚式の司式をしてきたが、一度も式文通りにこの聖書を朗読したことはない。今日これから述べるような丁寧な説明が伴わずに、ただうわべの言葉だけを聞くのでは、どうしても誤解が生じ「腑に落ちる」理解ができないと思う。
21節はじめでは「互いに仕え合いなさい」と勧められる。以下の御言葉では、もっぱら妻だけに、夫に仕えることが求められている。さらには「キリストが教会の頭であり、その体(教会のこと)の救い主であるように、夫は妻の頭」だと言われている。キリストが教会の頭であり、その救い主であることは勿論である。しかし、それと同じように、夫が妻の救い主であるということは決して言えない。したがって、キリストが教会の頭であるように、夫は妻の頭であるとは、到底言いえないことである。では、パウロは一体とういう意味で、このようなことを語っているのか。果たして今日は、とくに女性の皆さんの「腑に落ちる」ように説き明かすことができるかどうか分からないが、示されたところを語りたいと思う。
2.最初にお話したいのは、今日の御言葉は5章15節以下の御言葉と分かち難く、深くつながっているという点である。
16節で、パウロは「今は悪い時代だ」と言った。どういう意味で悪い時代なのか。その直前の「時をよく用いなさい」との表現が、それを物語っている。「良く用いる」と訳された言葉は、非常に特徴的である。これは商売上の用語、すなわちお金を払ってある物を自分の物として買い戻すという意味の言葉だそうだ。誰かに奪われた時を、自分自身のものとして取り戻すということが、ここで言う「時をよく用いる」ということである。だから反対に、私たちから人生の時を奪い、私たちをして他人からあてがわれ、無理強いされたような時間を生かしめるといった時代が、悪い時代だと言っているのである。
今の時代こそが、2000年前の時代と較べても、より一層悪い時代なのではないだろうか。長時間労働が問題になって久しい。非正規雇用の方々が増えてきて、多くの働く人々が長時間の労働を強いられるのを拒むのが難しくなってきた。また、会社の利益にならないと「整理部屋」のような場所に追い込まれ、退職勧奨を受けることも、取りざたされている。どれだけ多くの人々が、力ある者によって時間を奪われ、強制された時間を過ごさざるを得ない境遇におかれているだろうか。また、仕事のうえだけではない。
病いのために、また、自分では如何ともし難い状況によって、病むことや難儀な時間を強制されることもしばしばなのである。
そういう悪い時代の只中にあって、私たちは如何にして「時を良く用いる」ことが可能なのか。その具体的な有り様は何か。それを語るのが今日の御言葉なのだと示されるのである。
17節では「主の御心が何であるかを悟って」とある。今日の御言葉に書かれていることが「主の御心」を悟って、賢く生きる術なのである。それは先ず、第一に「夫婦」の間柄に生きることであり、第二には、6章1-4節に書かれている「親子」の関係に生きることであり、第三には6章5-9節にある「奴隷と主人」の関係に生きることである。
今から2000年前の時代社会のことを考えると、パウロがこのような間柄に生きることが「主の御心」を悟って、賢く、時を自分自身のものとして取り戻す生き方だと勧めているのは本当に驚きである。と言うのは、注解書を読むと、当時の夫婦関係・親子関係・奴隷-主人の関係が、どれほどひどいものだったかが分かるからである。旧約聖書を読んでいても、一夫多妻は当たり前であったことがわかる。創世記にあるような聖書の言葉をずーっと読んできたユダヤ人さえ、夫婦の関係は(アブラハムに見るように)ひどいものだった。不倫も離婚も男性に有利なものであったに違いない。ギリシャやローマでも、妻も子も、ましてや奴隷は、夫・親・主人の所有物にすぎなかった。その生き死には、すべて夫・親・主人が握っていた。ほんとうに理不尽な間柄でしかなかったのである。このような間柄を、― 先程の言葉で言うなら、強制された時を生かされることでしかない「悪い時代」そのものであるような間柄を―パウロは何と「時をよく用いて」賢く」生きることができると、主の御心に沿って生きることができる機会なのだと勧めているのである。
パウロは、何か特別な機会を、ある特定の人だけが置かれる境遇を、時をよく用いる有り様として勧めているのではない。それは、誰しもが置かれる境遇である。ありふれた境遇である。そして、今も言ったように、普通には悪い境遇としか思えない環境である。しかし、その境遇こそが、主の御心を悟って賢いものとして生き得る場所だ、と言うのである。
それは驚きではないだろうか。
3.その第一のものとして、今日の御言葉では、夫婦の間柄が語られている。それが、どれほど素晴らしいものか。パウロは31節で、皆さんよくご存知の創世記2章の最後の御言葉を利用して、― これはイエス様も福音書のなかで口にされた御言葉である―、「この神秘は偉大です」と言っている程のものなのである。どのように偉大な神秘が、そこに秘められているか。神様は、夫婦という間柄に、どのような偉大な神秘を秘めて下さって、それを私たちに与えようとされるのか。残念ながら私たち人間は、その偉大な神秘を頂くこともなく、アブラハム以来ずっと粗末に扱って来てしまっている。しかし、夫婦という間柄は、そのようなものではない。神様が偉大な神秘を秘め、それを私たちが頂くようにして下さっている。それを頂いて、悪い時代の只中を、私たちは賢く生きることができるようにされている。
その神秘の一端は、31節の「それゆえ・・・一体となる」との御言葉に込められている。夫婦となる以前、私たちは父と母、すなわち血のつながりによって支えられ、命を維持して貰う者だった。ところが、夫婦となった以降は、この支えを離れても、夫婦というつながりのなかで、私たちは支えられることになるのである。勿論、親子という血のつながりが無くなるわけではない。しかし、夫婦となって以降は、もはや血のつながりは私たちの生存を維持する主要なものとはならない。あたかも、子宮のなかにいるときには胎児の生存にとって絶対的に不可欠だった臍の緒が、子宮の外に生まれ出ると同時に、もはや何の役にも立たないものに自ずとなっていくようなものである。
私も、結婚して妻と暮らし始めた直後、本当にこの関係は不思議だと思ったものだ。給料を全額妻に渡しても、何ら不満を抱くことがないのである。体にしても、時間にしても多くの部分を共有する。まさに「一体」である。そういう一体性のなかで、創世記2章にあるように、「これこそ私の骨の骨、肉の肉」と呼べるような間柄となる。丸裸の相手を恥ずかしがらせることなく、お互いに受容する。
夫婦となることによって、それまでの血のつながりを離れて生きる支えを与えられるということは、本当に偉大な神秘ではあるまいか。それは、象徴的に血のつながりだけではなく、先ほど述べたような仕事上の束縛や病いや様々な難儀の束縛をも、夫婦の間柄は乗り越え得ることを指し示していると思う。夫婦が一体となり、お互いの丸裸である部分を受け入れ合えることは、私たちが様々なものから受ける強制的なつながりを乗り越えさせてくれるものだと思う。会社での苦労を、或いは、病気の辛さを、夫婦によって乗り越えた方々は多いだろう。夫婦こそが、人生の時を自分のものとして取り戻させて下さるよすがである。これが夫婦という間柄に、神様が秘めて下さった偉大な神秘ではあるまいか。
4.今日の御言葉でパウロは、この夫婦の神秘をキリストが教会に込めて下さった神秘に比している。そのことが、今日の御言葉を分かりにくくしている要因なのではないか。32節で、「この神秘は偉大です」と言った後に、「わたしは、キリストと教会について述べている」と言っている。夫婦の事柄が、いつの間にか、キリストと教会の事柄に重なって行く。
神様は、単に二人の人間の共同体であり、本来ならば、ただの人間の作る組織体でしかない夫婦という間柄に、偉大な神秘を盛って下さった。それと同様に、単なる人間の組織体でしかない教会に、神様はキリストを通して、偉大な神秘を盛ってくださったのである。キリストが教会を偉大な神秘が秘められたところに変えて下さった。
このことが25-27節で言われていることである。「キリストが教会を愛し、教会のためにご自分をお与えになった。・・・キリストがそう為さったのは・・教会を清めて・・立たせるためでした。」とある。教会もまた、人間の作る共同体でしかないのである。だから、しばしば、強盗の巣となり、人間的な思いで対立したり、いがみ合ったりすることが避けられない。(本日は、礼拝の後に総会がある。そこでも、意見の対立や論争があるかも知れない。)しかし、教会はイエス様の名によって二人または三人が集まる、キリストを主と仰ぐ共同体なのである。先週の礼拝の御言葉で言えば、同じ船に乗った者同士、たしかに争いも対立もあるかも知れない。しかし、イエス様を信じ、イエス様の助けを必要とする一蓮托生の共同体なのである。そこにおいて、私たちは争いや対立を乗り越えて一体である。単なる人間の集まりが、聖なる共同体となる。神様からの素晴らしい恵みを頂く教会となる。それが、神様がキリストにおいて、教会に秘めて下さった偉大な神秘である。夫婦という間柄で生きられることと併せて、私たちがこのような教会で生きられることも、また、神の御心に従って賢い者として生きることのできる場所なのである。
5.さて、教会に神様の偉大な神秘を盛るために、イエス様は教会を愛し、御自分を与えて下さった。教会が偉大な神秘を盛るためには、イエス様の愛が不可欠であったのである。そのことをパウロは夫婦の間柄についても考えているのである。勿論、イエス様と教会との事柄がすべて夫婦に当てはまるのではない。しかし、単なる人間の作る共同体が神様の神秘を盛るためには、イエス様の愛が不可欠であったように、夫婦という人間の作る共同体が神様の神秘を実際に盛るために、― 神様がその可能性を授けて下さっているとは言っても―、イエス様が教会にして下さったように、私たちも、結婚に対して、また、お互いに対して、為すべきことがある。与えることがある。それが、夫の側からは妻への愛であり、妻の側からは夫に仕えることだ、と言うのである。
妻が夫に仕えるという点に言及しよう。何度か創世記2章の御言葉に言及しているが、この「仕える」という事柄の根本には、イブがアダムの良い助け手として創造されたということがあると示されるのである。なぜ、妻だけが夫の助け手なのかという疑問もあるだろう。しかし、それほどに、夫というのは、妻の助けを必要としている存在なのだと思う。「人が(男が)独りでいるのはよくない。彼のためにふさわしい助け手をつくろう」と神は言われた。だから、仕えるとは助けることだと私は思う。どちらが頭かと言えば、実質的には妻なのかも知れない。しかし妻は、あたかも夫が頭であるかのように助けるのである。そのようにして、夫を受容してやるのである。
また「頭」というのは、根源的には、神様の創造の御業における順序というか、秩序に行きつくと言われる。男が先に創造され、女が後という、うわべだけの順序ではなく、今も言ったように「独りでいるのはよくない」存在、良き助け手を根源的に不可欠とする存在、そのような者として男は作られたのである。そして、このような夫を助ける者として、妻は造られたのである。このための結婚なのである。この神様の創造の秩序こそが、実は「頭」なのであって、そこに夫も仕えるのであるし、また、妻も仕えるのである。しかし、とりわけて、妻は夫を助けるということにおいて、このことに仕えるのである。それが、パウロの言う、妻の頭が夫という言葉に込められた深い意味ではあるまいか。
大切な助け手となってくれる妻を、どうして夫は大切にしないことがあろうか。28・29節で、妻を愛するように勧めるパウロの言葉は、実に奇妙なものである。妻を愛するのは、自分を愛するのだという。妻のためにではなく、自分のためだと勧めている。何ともおかしな勧めではないか。しかし、本当にそうなのである。良い助け手として与えられた妻を大切にし、いたわることは、他でもなく、夫が自分を大切にすることである。良き助け手である妻をいたわらないのは、すなわち、自分をいたわらないことである。
2013年 4月14日 復活節第3主日礼拝拝
08:22ある日のこと、イエスが弟子たちと一緒に舟に乗り、「湖の向こう岸に渡ろう」と言われたので、船出した。 08:23渡って行くうちに、イエスは眠ってしまわれた。 突風が湖に吹き降ろして来て、彼らは水をかぶり、危なくなった。 08:24弟子たちは近寄ってイエスを起こし、「先生、先生、おぼれそうです」と言った。 イエスが起き上がって、風と荒波とをお叱りになると、静まって凪になった。 08:25イエスは、「あなたがたの信仰はどこにあるのか」と言われた。 弟子たちは恐れ驚いて、「いったい、この方はどなたなのだろう。命じれば風も波も従うではないか」と互いに言った。
福島 純雄 牧師
1.最初に、注解書に書かれているような事柄からお話しをする。福音書のなかには、もう一つ、弟子たちが舟に乗ってガリラヤこの対岸に向かう場面が記されている。なぜか、このルカ福音書にはないが、マタイ・マルコ・ヨハネ福音書には記されているのである。今日の場面では、弟子たちと一緒に、イエス様も舟に同乗される。しかし、いま言ったもう一つの物語では、弟子たちだけが乗って、イエス様はひとり山に留まっておられる。湖上で嵐にあうのは同じであるが、もう一つの物語では、何とイエス様は湖の上を歩いて、弟子たちを助けに向かわれる。ペテロがイエス様に向かって歩き出して溺れそうになるという落ちまで付いている。このように両者の物語は、かなり異なっている部分がある。しかし、ガリラヤ湖を弟子たちが舟で漕ぎだして嵐にあい、恐れ、イエス様からの思いがけない助けを与えられる。そういう点では共通しているのである。
特に強調されているのは、弟子たちが嵐にあって恐れ、パニックになったという点である。最後に触れるが、恐れたことで、イエス様からのお叱りを受けている。今日と同じ場面を記したマルコ福音書が、最もはっきりとイエス様のお叱りの様子を記し、「なぜこわがるのか、まだ信じないのか」と、イエス様は弟子たちに言われている。今日のルカの記述は一番マイルドである。とにかく、弟子たちの有り様というのは、実に情けないものなのである。皆さんもご存知のように、弟子たちの何人かは小さい頃からガリラヤ湖で漁師をしていた者たちである。湖のことは隅々まで良く知っていたし、嵐にもなんどもあっただろう。そんな彼らがどうしてこれほど怖がるのか。何とも情けないではないか。福音書が書かれた時代には、もう弟子たちは初代教会の指導者としての立場が確立していた時期である。普通なら、そんな指導者の情けない姿を描くことは憚られてもよかった。しかし、福音書記者たちはそうはしなかった。描き方に程度の差こそあれ、情けない姿をありのまま描いた。それは、そこに読者である信者たちにとって深い慰めがあるからである。なくてはならぬメッセージが、そこからもたらされるからである。それを、私たちも聞き取ろうではないか。
2.まず、この物語は、イエス様が弟子たちと一緒に舟に乗り「湖の向う岸にわたろう」といざなわれることから始まるのである。もう一つの場面では、さらに踏み込んで「弟子たちを敷いて舟に乗せ」(たとえばマルコ6:45)と記されている。舟に乗り、湖の向う岸にこぎ出すことが、弟子たちにとって、また私たちにとって避けられないものであること、どうしても必要ないざないであることが、ここには記されている。
それがどういう事かは、くどくどとお話しする必要はないであろう。私は、郡山にいた頃、趣味でカヌーに乗っていたことがあった。ダム湖を漕いでいて、今日の場面と同じように、突然突風にあおられて転覆しそうになったこともあった。だから、ライフジャケットを着用するのは必須である。しかし、陸上ではそうではないわけである。普段の生活を陸上でしていて、常時ライフジャケットを付ける人はいない。それだけ、湖や海上で小さな舟に乗るということは危険が大きい。そういう歩みを、私たちは避けることができないのである。向こう岸とは、突き詰めれば「彼岸」である。言うまでもなく、「かの世」を指している。私たちは、陸上での、足が地に着いた住み慣れた安住の場所を離れて、危険が大きい湖上での歩みを経て、かの地へと進んでいかなければならない。私たちの毎日毎日は、昨日、先程までの安住の環境を離れて、未知の対岸へと、常にこぎ出していく歩みなのである。それを避けることはできない。
そこには、イエス様が同行される。イエス様のいざないを断って、私は舟には乗らないと、陸地に留まると言うことも可能である。しかし、そうすれば、イエス様と一緒ではないことになるのである。イエス様が一緒であるとは、すなわち、対岸を目指して湖上を漕ぎだすということを、受け入れることなのである。どうしたって、それは起こる。だとすれば、それを、イエス様と共なる歩みとして受け入れることである。危険が伴うものではあるが、しかし、大丈夫なものなのだ、と受け入れる。そのことを、今日の物語は先ず語ってくれているのだろう。
3.舟を漕ぎだしたら、案の定、嵐が起きた。そして、弟子たちはパニックに陥った。情けない姿が露呈された。しかし、この物語が語るのは、それこそが、とても大切な契機だったということである。彼らがそのようにパニックに陥ることがなければ、決して体験できない、与えられない何かが、そこにはあったということなのだ。
先程も述べたように、弟子たちの何人かは漁師だった。だから、意気揚々として、何の不安などもなく、イエス様に、かつて漁師だった自分たちの腕前を披露してやろうと思った。それくらいの気持ちで、舟をこぎ出したのだ。自分たちの経験と技量、そうしたものに頼っていた。嵐がなければ、それはつまり、自分自身を頼っていたということなのだ。
しかし、嵐にあって、もはやそんなものは何の頼りにもならなくなった。彼らは弟子になって本当にはじめて、イエス様に近寄り、イエス様を起こし、恥も外聞もなく、かつて漁師で会ったことのプライドなどかなぐり捨てて「先生、おぼれそうです」と、SOSを出したのだ。これまでは、イエス様に押し寄せてくる人々がそのようにイエス様を頼る姿を見るばかりだった。自分たちはそんな必要はない、自分たちはパニックに陥ることなどない、堅い信仰を持っている、と自信満々だったのだ。しかし、今や、そんな信仰など粉々になった。もはや、自分を頼ることなく、イエス様を頼った。後にも触れるが、これこそ、信仰と言うべきものではないか。
私たちは、信仰と恐れやパニックを、相反するものと思っている。信仰とは恐れがない状態、神様イエス様を全面的に頼って安心している状態だと思っている。しかし、そうではないのではないか。信仰とは、こうしたパニックの只中からこそ生じてくる。イエス様だけを頼りにせざるを得ない、そうした状況から生まれてくる。
4.そうして、この信仰が、イエス様の驚くべきお力を引きだす。命じれば、嵐も波も従わせることがお出来になる。これまで、そんなイエス様のお力を体験したことなどなかった。SOSを出したことがなかったから、体験することもなかったのだ。
イエス様は25節で、弟子たちに「あなたがたの信仰はどこにあるのか」と言われたとある。明らかに、弟子たちの恐れてしまう信仰を叱られた言葉である。福音書を記した著者たちにとっては、そうとしか受け取れない言葉だったのだろう。しかし、今回、私が改めて教えられたのは、果たしてイエス様が言われたのは、ただ弟子たちの情けない新子を叱られるだけのことだったのかという点である。
もし、そうだとすれば、イエス様が望んでおられた信仰とは、嵐にあってもパニックにならない信仰、そういう状況でも安んじている信仰だったということになる。
しかし、そうだとすれば、先ほど言ったように、弟子たちはイエス様に近寄ることも起こすことも、SOSを出すこともなかったのだ。イエス様の驚くべきお力を体験することもなかったのだ。突き詰めれば、相も変わらず、自分たちの技量や体験を頼っていたのだ。それが、イエス様の望んでおられる「信仰」だろうか。それは、単に、私たちが思っている、そう在りたいと思っている「信仰」ではないか。
「あなたの信仰はどこにあるのか。」実に、意味深い言葉だと示されるのである。「信仰とは、実にふしぎなものではないか」とのイエス様の語りかけを聞くように思う。あなたがたが信仰だと思っているもの、ここに私たちの信仰があると思っているところ、実は、そこには信仰はないのだ。その信仰とは、今も言ったように、パニックになることもない、どんなときにも安んじている、けれども、それは自分を信じているに過ぎない。では、信仰とはどこにあるのか。それは、思いもかけないところに秘められている。あなたがたが「私は信仰を失ってしまった」と思うところに、どっこい、信仰は秘められている。にわかに失ったかと思う信仰が、姿を現して、私たちをイエス様に近寄らせ、SOSをださせる。そうして、イエス様からの驚くべきお力を引きだす。
だから安心せよ、とイエス様は言っておられるのである。とにかく、私たちは、イエス様と一緒に舟にのっているのだから。こうして、礼拝を捧げているのだから。洗礼を授けられた者なのだから。嵐にあった時、どうしようかと心配するだろう。勿論、パニックに陥るだろう。情けない有り様を露呈するだろう。でも、何度も言うが、その時にこそ、「信仰」が姿を現す。信仰は生きている。信仰は神様からの、イエス様からの、聖霊からの贈り物である。私たちのものではない。だから、「ああ、私の信仰は何処かに行ってしまった」と思ったその時、信仰はがぜん、その存在を現すのである。
2013年 4月 7日 復活節第2主日礼拝
23:01サラの生涯は百二十七年であった。 これがサラの生きた年数である。 23:02サラは、カナン地方のキルヤト・アルバ、すなわちヘブロンで死んだ。 アブラハムは、サラのために胸を打ち、嘆き悲しんだ。 23:03アブラハムは遺体の傍らから立ち上がり、ヘトの人々に頼んだ。 23:04「わたしは、あなたがたのところに一時滞在する寄留者ですが、あなたがたが所有する墓地を譲ってくださいませんか。亡くなった妻を葬ってやりたいのです。」 23:05ヘトの人々はアブラハムに答えた。「どうか、 23:06御主人、お聞きください。 あなたは、わたしどもの中で神に選ばれた方です。 どうぞ、わたしどもの最も良い墓地を選んで、亡くなられた方を葬ってください。 わたしどもの中には墓地の提供を拒んで、亡くなられた方を葬らせない者など、一人もいません。」 23:07アブラハムは改めて国の民であるヘトの人々に挨拶をし、 23:08頼んだ。「もし、亡くなった妻を葬ることをお許しいただけるなら、ぜひ、わたしの願いを聞いてください。 ツォハルの子、エフロンにお願いして、 23:09あの方の畑の端にあるマクペラの洞穴を譲っていただきたいのです。 十分な銀をお支払いしますから、皆様方の間に墓地を所有させてください。」 23:10エフロンはそのとき、ヘトの人々の間に座っていた。 ヘトの人エフロンは、町の門の広場に集まって来たすべてのヘトの人々が聞いているところで、アブラハムに答えた。 23:11「どうか、御主人、お聞きください。 あの畑は差し上げます。 あそこにある洞穴も差し上げます。 わたしの一族が立ち会っているところで、あなたに差し上げますから、早速、亡くなられた方を葬ってください。」 23:12アブラハムは国の民の前で挨拶をし、 23:13国の民の聞いているところで、エフロンに頼んだ。 「わたしの願いを聞き入れてくださるなら、どうか、畑の代金を払わせてください。 どうぞ、受け取ってください。 そうすれば、亡くなった妻をあそこに葬ってやれます。」 23:14エフロンはアブラハムに答えた。「どうか、 23:15御主人、お聞きください。 あの土地は銀四百シェケルのものです。 それがあなたとわたしの間で、どれほどのことでしょう。 早速、亡くなられた方を葬ってください。」 23:16アブラハムはこのエフロンの言葉を聞き入れ、エフロンがヘトの人々が聞いているところで言った値段、銀四百シェケルを商人の通用銀の重さで量り、エフロンに渡した。 23:17こうして、マムレの前のマクペラにあるエフロンの畑は、土地とそこの洞穴と、その周囲の境界内に生えている木を含め、 23:18町の門の広場に来ていたすべてのヘトの人々の立ち会いのもとに、アブラハムの所有となった。 23:19その後アブラハムは、カナン地方のヘブロンにあるマムレの前のマクペラの畑の洞穴に妻のサラを葬った。 23:20その畑とそこの洞穴は、こうして、ヘトの人々からアブラハムが買い取り、墓地として所有することになった。
福島 純雄 牧師
1.今日の聖書箇所は、アブラハムの妻サラが127歳で死んだこと、そして、その亡骸を葬るために墓地を購入したいきさつが記された箇所である。アブラハムが約束の地でその生涯において手に入れることができたのは、この墓地が最初で最後のものだった。
まず、サラの127歳の生涯からどんなことが浮き彫りになるかという点である。彼女の葬儀の式辞を作るとすれば、或いは、皆さんが彼女についての思い出を葬儀の場で語るとすれば、どんな内容になるだろうか。聖書に登場する女性のなかで、その召された年齢がはっきりと記されているのは、サラだけだそうである。死亡した年齢だけでなく、こんなにもその生涯に起きたエピソードが書かれているのは、彼女だけではないだろうか。そのエピソードのなかで、やはり私たちの記憶に大きく残っているのは、彼女が90歳になって初めてイサクを授かったことではないか。
ヘブライ人への手紙の著者にとってもそうであったようだ。いわゆる信仰者列伝と呼ばれる箇所において、彼はサラについて、このように語っている。「信仰によって・・・子を設ける力を得ました。・・・信じていたからです」と(ヘブライ11章11節)。この書き方を読むと、あたかもサラがその信仰によって90歳になっても子を設ける力を獲得したかのように感じられる。そして、その信仰はとても強いものであったかのように読める。しかし、創世記を読んできた私たちは、決して実態はそんなものではなかったことを、良く知っているのである。アブラハムもサラも、神の使いから自分たちに子供が授かると聞いて、それを信じることはできなかった。その最大の証拠は、生まれた子供の名前がイサク(笑うという意味がある)と付けられたことだった。嘲笑った彼らであったが、神様は真実な方だったので、彼らへの約束を果たされた。イサクを授かったのは、決してサラ自身の信仰によってではない。彼女の信仰が素晴らしかったからではない。事実はその反対だった。けれどもそれは、神様がそうして下さったからであった。
サラの生涯から浮き彫りになってくるのは、そういうことなのである。神様の素晴らしさがなかったら、神様が彼女を守り支えて下さらなかったら、彼女の生涯はどんなに悲惨なものになっていたか。二度にわたって、サラは夫の嘘の犠牲になった。彼女はエジプト王とアビメレクの後宮に、人質のような立場として召し入れられたことがあった。そこから神様が解き放って下さった。またサラは、夫との間に子が授かるのを待てずに、奴隷であるハガルを自分の夫に与えて、無理やりにイシマエルという子を得た。妊娠したハガルが自分を軽んじるような態度を取ったので、サラはハガルをいじめ、彼女が出てゆかざるを得ない状態に追い込んだ。そのときにも、ハガルに現れて慰めたのは神様であった。夫との間に、念願のイサクが授かると、サラはハガルとイシマエルを追い出せと、夫に迫った。この理不尽な要求を、どのように解決したら良いかを教えたのも、追い出されたハガル親子に生きる道を示したのも神様だった。
私たちの信仰者としての生涯も、私たち自身はこうであったけれども、いや、こうであったからこそ、神様が導き支えて下さらなければ、とんでもないものになっていたことが浮き彫りになるものであれば、それで良い。自分の力でやってこれたとか、私の信仰がすばらしかったからだなどという自慢の声が響くような生涯であってはならない。神様の守り導きを本当に必要とした生涯であったことが無言で伝わるものであれば、それで良いのである。
2.22章に書かれていたのは、聖書全体を通して読む私たちを最も躓かせる出来事である。それは、イサク奉献とよばれるものだった。やっと授かったイサクを、捧げ物として献げよと、神様はアブラハムに言われたのである。一体、それはどういう意味だったのか。文字通り、アブラハムが受け取ったように、剣を振り上げ、薪のうえでイサクを殺せ、ということだったのか。
それがどういう意味であったかを具体的に教えて下さるのが、サラの死という出来事だったと、改めて思うのである。「捧げよ」とは、サラの死のように、私たちがどんなに愛している存在であっても、時が来れば神様にお返しをしなければならない。また、どんなに辛いことであっても、それは私たちに対する神様の愛から、神様はそのことを為さる。決して、私たちを憎んで、私たちを苦しめ、悲しめるために、私たちの愛する存在を召されるのではない。
捧げる、ということは、このように私たちにとって本当につらいことである。だから、私たち自身の力では、到底なし得ないことである。もし、それを自分の力でやろうとしたら、それは愛する存在への無理やりの暴力となる。自分で、愛するものを殺すことになる。そんなことを、神様は私たちにお求めにはならない。サラが127年の生涯の末に、アブラハムのもとから召されていったように、長い時間の経過の末に、神様ご自身の為さる御業として、それは起きる。それでも、2節の最後にあるように、アブラハムにとってサラとの別れは、愛するものを神様に捧げることは、嘆き悲しむことなのであった。この姿と、22章でイサクをモリヤの山に連れていくときの、また剣を振り上げようとするときの、アブラハムの姿を較べてみて欲しい。22章には、涙の一粒もなかった。嘆き悲しみが入りこむ余地がなかった。しかし23章は、そうではない。神様に愛するものを捧げるとは、嘆き悲しむことの中で為されることなのである。イエス様も十字架の上で「わが神、わが神・・・」と嘆かれたではないか。
妻サラとの死別を通してアブラハムは、初めて愛するものを神様に捧げるとはどういうことかを知ったのだと思う。イサクを、あのような形で神様に捧げようとしたことが、どんなに間違いであり、浅はかな行為であったかを、改めて教えられたのではないだろうか。
3.アブラハムは、サラの遺体の傍らで胸を打ち、嘆き悲しんでいた。しかし、その彼が3節にあるように、「遺体の傍らから立ち上がり」何かをはじめた。それが、サラの亡骸を葬るための墓地をヘト人から買い取ることであったのだ。先週のイースター礼拝でも、墓に行った女性たちが - 恐れて逃げ帰るという「立ち上がり」でしかなかったけれども -、神様の使いからの報せを聞いて、墓から立ち去って行く場面に耳を傾けた。彼女たちを墓から立ち上がらせたものは、神様の使いにイエス様の復活を知らされたことであった。そのように、私たちを墓から立ち上がらせる契機となるのは、ただ遺体の傍らにあって嘆き悲しむ存在から新しい歩みを始めさせる契機となるのは、神様からの報せなのだと思う。アブラハムもそうではなかったか。サラの死が、彼女の遺体を前にしていることが、全く新しい歩みを、あとに残されたアブラハムにさせる契機となるのだ、と。非常に大切なものをアブラハムに手に入れさせる時なのだ、と。そのことをアブラハムは、神様から告げられたのではないだろうか。
4節はじめに、彼は言っている。「わたしは、あなたがたのところに一時滞在する寄留者です」と。そういう立場にある者であるがゆえに、お金があったにもかかわらず、彼は今までどんなに願っても、現地の人々から一片の土地さえも手に入れることができなかったのである。それが、サラの死をきっかけに、その亡骸を葬るとの理由で可能になっていった。大切なものを失い、神様に捧げることの辛い悲しみの中で、はじめて手に入れる何かがあった。
そんなことが、私たちにもあるのではないだろうか。文字通りの痛みだけではなく、私たちにとって大切な何かを失うこと、奪われることがある。それが、遺体を前にしているということの象徴的な意味である。しかし、そのことだけが、私たちに大切な何かを、念願の何かを得させる機会になるのである。
アブラハムの得た土地が墓地であったことも、とても意味深いのではあるまいか。墓地というのは、普通の土地ではないのである。普通の土地のように、そこに家を建てて住んだり、店を建てて商売をすることはできない。アブラハムが、この約束の地で最初で最後に得ることができたのは、そういう特別な土地でしかなかった。通常の利用ができる土地ではなかった。私はそこに、イスラエル人に対する、また、その信仰上の子孫である私たちキリスト者に対する神様からの深いメッセージが込められていると思う。
そういう墓地を持つことが、私たちがこの地上で手に入れることのできる最も大切な財産であり、足場なのではあるまいか。墓地とは、失うことと与えられること、捧げることと所有すること、本来は一つになり得ない正反対のことが、不思議に結び合わされている場所なのである。そういう不思議な場所をもつことが、私たちの寄留者としてのこの世での歩みにおいて、決定的に大切な足場、拠り所となるのである。普通の土地を所有するように、あるいはイスラエル人がパレスチナを所有するように、その土地をめぐって争いがおきてしまうような所有をすることは、拠り所とはならないのである。
私たちにとっての、このような「墓地」とは、何を意味しているのか。失うことと与えられることが不思議と結び合わさっている場所とは何処なのか。それが十字架のイエス様なのだと思う。
2013年 3月31日 イースター礼拝
16:01安息日が終わると、マグダラのマリア、ヤコブの母マリア、サロメは、イエスに油を塗りに行くために香料を買った。 16:02そして、週の初めの日の朝ごく早く、日が出るとすぐ墓に行った。 16:03彼女たちは、「だれが墓の入り口からあの石を転がしてくれるでしょうか」と話し合っていた。 16:04ところが、目を上げて見ると、石は既にわきへ転がしてあった。石は非常に大きかったのである。 16:05墓の中に入ると、白い長い衣を着た若者が右手に座っているのが見えたので、婦人たちはひどく驚いた。 16:06若者は言った。 「驚くことはない。あなたがたは十字架につけられたナザレのイエスを捜しているが、あの方は復活なさって、ここにはおられない。 御覧なさい。お納めした場所である。 16:07さあ、行って、弟子たちとペトロに告げなさい。 『あの方は、あなたがたより先にガリラヤへ行かれる。かねて言われたとおり、そこでお目にかかれる』と。」 16:08婦人たちは墓を出て逃げ去った。震え上がり、正気を失っていた。そして、だれにも何も言わなかった。恐ろしかったからである。
福島 純雄 牧師
1.1節と2節には「安息日が終わると、マグダラのマリア、ヤコブの母マリア、サロメは、イエスに油を塗りに行くために香料を買った。そして、週の初めの日の朝ごく早く、日が出るとすぐ墓に行った。」とある。男性の使徒たちがこのとき何をしていたかははっきりとは書かれていないが、7節からすれば、彼らはガリラヤに逃げ帰っていたのではないかと思われる。そういう使徒たちとは対照的に、マグダラのマリアをはじめとする3人の女性たちは、最後までイエス様の死を見届け、そのなきがらに塗るための高価な香料を買い、処刑された犯罪者の仲間だと言われることをものともせずに、イエス様を葬った墓へとやってきた。そこには、イエス様に対する彼女たちの情愛の深さが滲み出ている。残されたものたちの死んだイエス様への溢れんばかりの思慕の情が溢れている。
だからこそなのであるが、その情愛が深ければ深いほど、うまい言葉が見つからないが、その情愛の限界というか、悲しさもまた深いということを感じさせられるのである。これは勿論、当たり前のことなのだが、彼女たちは、すでにこの時イエス様に起こっていた復活という出来事に気づくことができなかったのである。愛してやまなかった人に既に起こっていた決定的な事実を、彼女たちのこの方に対する愛だけでは知ることができなかったのである。もう必要のなくなった、亡骸に塗る香料を買い求めた。そんなことは心配する必要もないのに。3節では「だれが墓の入り口からあの石を転がしてくれるか」と道すがら相談していた。生き残った者は死んでいった者に対して本当に深い思慕の情を抱いているのではあるが、その情は死んだ者について起こっているかもしれない決定的に重要な事を知ることができず、情愛の思いが強ければ強いほど、必要のない心配を抱いてしまう。これが私の言う「限界」である。
3節の「石」についての叙述は、この象徴のような気がする。もう既にこの時には、この石は転がされていたのである。転がされていなくとも、なお、イエス様をおさめた墓穴の入り口をふさいでいたままであったとしても、もはや何らイエス様と彼女たちのつながりを妨げるものとはなり得なかった。イエス様の側からすれば、もはや何の石もなかった。ところが、その石のことを云々しているのは、もっぱら生き残った女性たちの側なのであった。そのような石を、すなわち隔てを作り出すのは、実は生き残った側なのではあるまいか。そこにも、その情愛の深さのゆえの限界、かなしさのようなものを見ることができる。これが、この世に残された者たちの、死んでいった者たちへの愛の限界なのである。重く大きな石が常にのしかかっている。そういう情愛でしかあり得ない。
ふと、2年前の大震災で2万人近い人々を失ってしまい、残されたご遺族の方々のことを思い起こすのである。思慕の情いよいよ深く、日々墓におもむき手を合わせておられる。私は決してその方々のそうしたふるまいをおとしめたり、無駄だと言っているのではない。しかし、そこにもまた、これまで述べたような、かなしい限界があることを思う。ご遺族の方々は死んでいった人々に起こっているかも知れない、ある決定的な出来事を知ることができないのだ。どんなにその情愛が深くても、いや深ければ深いほど、重く大きな石を抱えることになるのだ。
2.では、この女性たちはどのようにして、イエス様に起こっていた復活という出来事を知ることになったのか。墓に行って、5節以下にあるように、不思議な若者から - これは言うまでもなく、神様の使いであるが - イエス様が復活されたことを聞くことによってであった。
まず心にとめさせられるのは、あくまで墓に行くことから始まっているという事なのである。限界がある情愛かも知れないが、しかし生き残った者たちが死んだ者をおさめた墓に行くこと、悲しみを最も深く感じる場所に行くことは、決して無駄にはならない。
むしろ、そこに、死んだ者に起こっている決定的な出来事を知らされる機会が与えられるのである。復活の報せを最初にもたらされた有り様を記す4つの福音書すべてに共通しているのは、それを与えられたのが、イエス様の墓に詣でた誰よりも悲しみの深かった女性たちであるという点である。墓でこそ、墓のなかでこそ、悲しみの深い場所でこそ、思いがけない報せはもたらされ、そしてそこから全世界へともたらされたのだ。
もう一つ大切なことは、その報せをもたらしてくれるのは、決して人間ではないということである。生き残った者自身の中から、その報せは聞こえてはこない。人間を越えた存在から、悲しみを抱えたものの外側から、神様が用いられる何らかの器を通してのみ、その報せはもたらされる。
神の使いは、まずこのように告げる。「驚くことはない。あなたがたは十字架につけられたナザレのイエスを捜しているが、あの方は復活なさって、ここにはおられない」と。「あなたがたは十字架につけられたナザレのイエスを捜している」とは、彼女たちのイエス様への思いが、もっぱら「十字架につけられて(殺された)」という点にのみ向けられていることを言っている。残されたものとしては、当たり前であるが、彼女たちは、愛してやまなかった人が、悪しき者たちの暴虐により無残な殺され方で死んでいったということしか、思うことができなかった。いつまでも、何処までも、その悔しさ辛さ痛さばかりが残っていたのである。残された者が死んだ者のためにできるのは、いつまでもその悔しさ辛さを忘れずにいることしかないと思っている。残されたものにとっては、死んだ者はいつまでも「十字架に付けられて殺された者」、大切な命を人によって、また、この世の不条理によって奪われたものであり続けるのである。
しかし、神の使いは、それが間違っていると告げているのである。あなたがたのそのような思いは全くもって間違っている。確かにイエス様は十字架に付けられた。しかし、あの方は復活して、ここにはいない。いつまでも、人間によって、その悪によって、命を奪われた者としては、居続けていない。そうではなく、神様によって復活させられた。神様によって新しい体、新しい存在の形を与えられた者として、永遠に生きる者となられた。だから、もう墓にはいない。奪い取られ剥ぎ取られ、悪や病気や事故や死の犠牲となって、骨となり腐っていくしかない、そのような墓のなかにはもうおられない。
ここには、これまで述べてきたような、限界ある人間の情愛とはうって変わった神様の愛というものが、力強く示されているのである。神様の愛は人によって殺され奪われたイエス様を、そのままには放置されないのである。残された者たちの愛は、どんなに深くてもイエス様を、あるいは死んでいった人々を復活させることはできない。しかし神様は、それがおできになるのである。だから、残された者たちは、死んでいった人々を神様にお任せするしかない。それが最もふさわしいことなのである。
3.このような聖書の記述は、先ほど述べた大震災でご遺族となられた人々には、何を知らせるものであり得るだろうか。死んでいった人々について起こっているかも知れない大事なことを、告げ報らせるものになり得るだろうか。ここに書かれているのは、2000年前に、ただイエスという人と3人の女性のみに起きた出来事でしかないと言われるかも知れない。2000年後の、イエス様とは何のつながりもない、クリスチャンではない自分たちには何のつながりもないことでしかない、と言われるかも知れない。
神様の使いからこの報せを聞いた女性たちは、8節にもあるように、ただ恐れて逃げ出すしかなかった。すぐさま喜びに満ちてというような、おめでたいものではなかった。神様からの死んだ人についての報せとは、直接神様の使いから、イエスという方についてもたらされたものであっても、こうなのである。だとすれば、私たちへの報せとは、もっともっと間接的で受け入れ難い形で、もたらされるものではあるまいか。聖書の記述という形を通しての、荒唐無稽とも思われる、はるか昔の一物語という形を通して。しかし、墓の傍らで、その悲しみの最も深いところで、死んでいった人々について知るべき、大切な報せを求めている人々の幾人かにとっては、このイエスという方におきた出来事の報せは、何事かをもたらすものともなるのである。これまで多くのご遺族の方々が、この聖書の言葉から、そのような報せをもたらされてきたのである。
クリスチャンではない、生前に一度もイエス様のことをきかれたことのない人々が、どのようにして、復活されたイエス様と同じような境遇にあずかり得るのか、その過程は私にはわからない。しかし、十字架につけられたイエス様を神様が復活させられたということは、以下のことを、私たちに告げられているのではないだろうか。死んでいった人々は、それぞれが、いろんな意味での「小さな十字架」というべき苦難を背負い、大切なものを奪われ剥ぎ取られ、 - その中には、墓にさえ葬られることなくジャングルや海のなかにそのなきがらは埋まり漂っておられる方もある - 死んで行かれた。そのような方々を、神様は決してそのままには放置されないということ。人間の悪やこの世の不条理や病の引き起こした苦難に勝って、神は永遠の命を、幸いを、私たちに与えずにはおられないお方であること。イエス様の復活とは、その神様の深いご愛を示している。その愛が、必ずやすべての死者のうえに注がれることを示している。その愛によって、死んでいった人々に何か決定的に重要なことが起こっていることを報せている。
4.さて、神の使いがもう一つ、女性たちに知らせたことがある。それが7節である。イエス様の逮捕、処刑をきっかけに、ペテロをはじめとする弟子たちは、ガリラヤに逃げ帰ってしまったようだ。そのペテロたちに「告げよ」と言われた。復活されたイエス様が、彼らよりも先にガリラヤに行くので、そこで逃げていた弟子たちもイエス様にお会いできると告げよというのである。なぜ、このようなことを、わざわざ女性たちに告げさせようとするのだろうか。直接神様の使いがペテロたちに現れて、このことを告げれば良いことではあるまいか。ふと想像するのは、処刑されるイエス様を最後まで見届け、その墓にまで行った女性たちは、逃げ帰ってしまった弟子たち - それ以前に、ペテロは、裁判の場面で、イエス様を3度、知らないと言ってしまった - を、どこかで憎み恨んでいたのではないだろうか。それもまた、彼女たちがイエス様を深く愛するがゆえに生じた感情なのであったろう。そういう感情を、逃げていった弟子たちに抱いている女性たちに、神様の使いはこのように告げた。それは、一言で言えば、「逃げていった者たちを許してやりなさい。和解しなさい。あなたがたが彼らを励ましてやりなさい。」との誘いなのではないだろうか。復活のイエス様が、逃げていった弟子たちと会われるのである。復活されたイエス様は、彼らの逃亡を何とも思ってはおられない。それもまた、イエス様を十字架につけた人間の悪が、暴虐がもたらしたのである。神様はこれをも放置なさらない。復活の出来事が、神の愛が、この逃亡を包み込み癒す。神様がそうなさるのであるから、あなたがたも彼らと新しいつながりを築いて行きなさい。このような神様からの報せをもたらす者となって、彼らを励ましてやりなさい。このような語りかけなのだと思う。
5.最後に、一言だけ触れておきたい点がある。神の使いからの報せを聞いた女性たちの反応の様子が8節に書かれている。このマルコ福音書の記述が、同じ場面を記した4つの福音書のなかで、もっともネガティブというか、とても正直で現実的な有り様を描いている。マタイは「恐れながらも大いに喜び」(マタイ28,8)と書き、ルカは「墓から却って・・一部始終を知らせた」(ルカ24、9)と記している。しかしマルコは、そういうことを何も記していない。このような女性たちが、その後、復活の報せを弟子たちにもたらすことになっていったことを、いつかの礼拝でマグダラのマリアの福音書と呼ばれる文書の一節をご紹介したように、彼女たちが、時には男性の使徒たちを励ます役割を果たす者となったということをマルコはよく知っていたのである。彼女たちは、そのように変わっていくのである。たった一度の復活の報せを聞いただけでは、そうはならない。その後、繰り返し、繰り返し、皆でこの体験を分かち合うことも必要であった。弟子たちから、復活のイエス様と出会った体験を聞くことも必要であった。愛するものを失った者たちの、その悲しみのつながりや交わりのなかで、神様からもたらされた報せを共有し、反芻する時間が不可欠なのであった。そのようなつながりのなかで、神様からもたらされた驚くべき報せは、残されたものたちを変えていくことができたのである。
2013年 3月24日 棕櫚の主日礼拝
11:15それから、一行はエルサレムに来た。
イエスは神殿の境内に入り、そこで売り買いしていた人々を追い出し始め、両替人の台や鳩を売る者の腰掛けをひっくり返された。
11:16また、境内を通って物を運ぶこともお許しにならなかった。
11:17そして、人々に教えて言われた。
「こう書いてあるではないか。
『わたしの家は、すべての国の人の
祈りの家と呼ばれるべきである。』
ところが、あなたたちは
それを強盗の巣にしてしまった。」
11:18祭司長たちや律法学者たちはこれを聞いて、イエスをどのようにして殺そうかと謀った。
群衆が皆その教えに打たれていたので、彼らはイエスを恐れたからである。
11:19夕方になると、イエスは弟子たちと都の外に出て行かれた。
福島 純雄 牧師
1.今日は「棕櫚の主日」と呼ばれる礼拝の日である。時は、イスラエルの人々のお正月にあたる「過越しの祭り」が始まろうとする頃であった。全世界からの巡礼客で、エルサレムの人口は数百万人にもふくれあがったという。そのようなエルサレムにイエス様は、子どものロバの背中にまたがって入城されたという。そのイエス様を人々は、なつめやしの枝や葉を振り、また道に敷いて(なお、マルコ福音書11章8節には、単に「野原から葉のついた枝を切って」とある)歓呼して出迎えたと言う。このなつめやしが、棕櫚である。人々の歓呼の声が、わずか数日後には「十字架につけよ」との声に変わってしまい、私たちの曜日で言えば金曜日に、イエス様は十字架に付けられて殺されてしまうこととなる。そこで、今日から始まる一週間を受難週と呼ぶのである。
この宮清めの出来事は、十字架と復活を除けば、4つの福音書すべてに記されている数少ない場面の一つである。ただし、ヨハネ福音書と他の3つのそれでは、置かれている箇所も内容もかなり違っている。ヨハネでは、商売人や両替人を蹴散らされた後「この神殿を壊してみよ。三日で建てなおして見せる」とイエス様が言われたとある(ヨハネ2、19)。しかし、その言葉はマタイ・マルコ・ルカのこの場面にはない。例えば、マルコ14章58節を見ると、イエス様が最高法院で裁判を受けたとき、訴えの内容として「わたしは人間の手で作ったこの神殿を・・」と、イエス様が言ったとの証言が記されている。イエス様が宮清めをなさったことが、決定的にイエス様を十字架に追いやった要因だったということなのである(18節)。それほどにイエス様は、このことに命をかけられたのだということである。
直接的な宮清めの理由は、当時のエルサレム神殿が、15節から16節に描かれているような有り様になっていたからである。何故そこに様々な商売人や両替商がいたかについて、少しだけ触れると、イスラエルの人々は一年に必ず犠牲の動物をささげたり神殿に税金を納めたりせねばならなかったからである。犠牲の動物は自宅から、或いは、途中の店で用意しても良かったのだが、大抵は神殿の窓口で難癖をつけられて、結果的には法外な値段で神殿側が用意したものを買わされるはめになった。神殿税はこの世の王や領主の像が刻まれた貨幣では納めることが出来ず、特定の貨幣に両替することを要求された。その手数料も法外なものだった。しかし、そうした手数料の多くは、神殿を維持し、そこに仕えるレビ人や祭司の生計を立てるためのものだった。イエス様は、そうした営みのすべてを「強盗の巣」だと否定されておられるのではないだろう。宮清めの本質は、そういうところにあるのではないと思う。
2.イエス様は宮清めを、先ずイザヤ書56節6節の御言葉56:7を引くところからお始めになった。イエス様の「わたしの家」という言葉にはじめる点に、まず心を寄せられる。これは、預言者イザヤを通しての神様のお言葉なのであるが、ここで神様は「わたしの家」と言っておられるわけである。そして、イエス様もまた、神様がこのように言われたことを引用されたわけである。その意味は、神様が、またイエス様が、「わたしの家」というものが何らかの形で、この世にあり建てられることを容認し、お認めになって下さったということの現れではないか。このことは先週の礼拝説教で教えられたことと重なってくる。先週のテーマは「主の家」という事柄だった。主の家と言い、また同じ意味で、神の家、わたしの家と、何の問題も感ぜず私たちは口にするのであるが、そこで言われている事柄は、実は奥深く、根源的に緊張関係をはらんだ矛盾に満ちた表現であることが先週示された。神様は天におられるお方であって、遍く何処にでも存在しておられるお方なのである。そのようなお方が、そもそも「家」というものをお持ちになり、そこにおられるということが言い得るのだろうか。
それは神様を冒涜することではないだろうか。このような信仰が確かにイスラエルの人々には脈々と流れている。とくに預言者を中心にして。たとえば、同じイザヤの66章1節につぎのように記されている。「主はこう言われる。天はわたしの王座、地はわが足台。あなたたちはどこにわたしの為に神殿を建てうるか」と。
先週はサムエル記のなかで、ダビデが神殿を建てようとしたときに、預言者ナタンを通して神がそれを止めたことを紹介した。ところが他方、その流れと相い矛盾するかのような流れ、神様ご自身が今日の御言葉にあるように、「わたしの家」を認められる私たちがそれを何らかの形で建てることを良しとする信仰もまた、強く太くあるのである。先週の詩編の御言葉がそのような信仰を現しているし、またダビデに神殿建築を止めさせられた神様が、その子ソロモンにはそれを許されるのであるし、同じイザヤ書のなかに今日の御言葉と先ほどの66章の御言葉がある。
その神様の心は、一言でいえば、私たちへの配慮なのだと思う。私たちのための妥協だといってもよい。この世で生きる私たちが、地にある私たちが、天におられる目に見えない神様とのつながりというものを信じることができる拠り所として、「わたしの家」を建てることを、神様はお許しになられる。それは神様ご自身のためではなく、あくまで私たちのためなのである。このような家がなければ、地にある私たちは天におられる神様とのつながりを信じることが出来ない。祈りをささげることができない。
3.しかし、そうであればこそ、「わたしの家」は常に問題をはらむ。どうしても「強盗の巣」になってしまう危険をはらむ。根源的にその危険から脱することができない。だからこそ、イエス様がいのちをかけて宮清めをなさる必然的な理由がそこにある。
どのような意味での強盗の巣か。
天に遍くおられる神様を、私たちは地上の家に限定する。イスラエルの人々であれば、エルサレムという場所に建てられた神殿という場に限定する。言わば、その家に、人間のつくったもののなかに閉じ込める。さらに、その上に、閉じ込めた神様に対して、私たちが望むものを強要する。強奪しようとする。
過日の聖書研究祈祷会で学んだサムエル記(上)4章・5章の物語は、まさしくそのようなイスラエル人の姿が描かれていた。イスラエルの人々がエジプトを脱出し荒野をさまよい、パレスチナの地に入ろうとするとき、神様が彼らと共にいて下さるよすが「わたしの家」として、十戒を書いた石の板を入れた「契約の箱」が授かっていた。人々はこの箱の存在をしばらく忘れていたのだが、この箱が置かれていた神殿で神様と出会ったサムエルの出現を機に、人々は再び神様への信仰を呼び起こされ、言わば、信仰のリバイバルがそこに起きた。そこで彼らは、自分たちをしいたげていたペリシテ人に向かって蜂起した。しかし、たとえ信仰によってスタートし立ち上がった行為であっても、必ずしも私たちが臨む結果を与えてくれるとは限らない。むしろ、私たちの望みとは正反対の結果をもたらすこともある。イスラエルの人々の信仰には、勝利だけがあった。敗北はなかった。そこで、彼らは契約の箱を担ごうとする。それによって自分たちの望む勝利を手に入れようとする。その結果は、惨憺たる敗北だった。契約の箱は奪われ、祭司エリは死亡する。
このように私たちも、天におられる神様を、私たちにとって都合のよい場所に閉じ込めるのである。教会は、後にも触れるし、いつも教えられているが、私たちの手による家ではなく、神様ご自身がその独り子イエス様を遣わして、神様ご自身が私たちのためのよすがとして在らしめて下さった「わたしの家」である。しかし、教会もまた、私たちの集まりがつくる家であり、この世にある家であるとの性格を逃れることはできない。だから、私たちもまた、教会のなかに神様を封じ込め、私たちの望むものを強奪しようとするのである。そうした歴史を繰り返してきたのである。だからこその宮清めなのである。
4.私たちのために神様が建てることをお許しになった「わたしの家」を、「すべての国の人の祈りの家」とせよと神様は言われ、イエス様もそのために宮清めをされた。「わたしの家」は、何のために私たちに与えられているのか。何のためにイエス様が来てくださったのか。教会を建てさせ、そこで私たちに何をせよと言うのか。
それは祈りである。わたしの家は、なによりも祈りのための家である。しかし、祈りこそが、私たちをして神様に向かって自分勝手な願い求めを突き付けさせる元凶ではないかと言われる方もいるのである。
いつぞやも触れた、忘れることのできない思い出がある。前任地で、ある牧師の孫にあたる人と知り合った。偶然にも、私の大学・学部の先輩であり、高校生の時にとてもお世話になった湯沢教会の牧師のいとこにあたる人だった。彼は、祖父にあたる牧師と、その一家の困難な歩みを見てきた。熱心な祈りを捧げ、捧げれば捧げるほど教会や牧師家庭が惨憺たる状況になる有り様を見てきた。だから、自分は決して祈らないと言うのだった。
祈りは人間の側の自分勝手は要求でしかない、祈れば祈るほど、人間が分裂するし、欲と欲とがぶつかりあう結果となると言うのだ。
確かに、そうであるかも知れない。しかし、にもかかわらず、私たちは祈らざるを得ないものなのである。地にあって苦しみ悩む私たちは、地においては、もういかなる解決も救いもない私たちは、天に向かって目を上げて祈るしかない。
先日この教会で、中学生になる少年が難病になったことを聞いた。それを聞いた私たちには、祈りしかないのである。止められても、止められても祈るしかない私たちである。ただ、願わくは、その祈りが本当に天におられる神様に向かい、その神様ご自身が与えて下さる天来のものによって満たされるようにと願うのである。私たちが神様に強要したものが与えられるのではなく、神様が御心に適って与えて下さる天与のものが授けられるように、切に願うのである。
「すべての国の人」と、イエス様が言われているのはとても意味深い。祈りが聞き届けられた結果として与えられたものが、本当に天の神様からのものであるならば、それは国家や民族を越えて、すべての人々を利するものであるに違いない。私たちがどんなに自分勝手な祈りをしても、神様が聞き届けて下さるのは、天の神様にとって必要と認められる、天の神様が良しとされるものだけなのだろう。
このような祈りの家をこの地上に建てるために、イエス様は人として生まれて下さった。十字架のイエス様が私たちの祈りの家を清めて下さる。そうである限り、私たちの祈りに応えて神が与えて下さる賜物は、十字架のイエス様にふさわしいものである筈である。
2013年 3月17日 35周年創立記念礼拝
122:01【都に上る歌。ダビデの詩。】
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福島 純雄 牧師
1.筑波学園教会は1978年3月21日に創立した。
今週の木曜日にちょうど創立35周年を迎える。私がこの礼拝を守るのは2回目である。創立記念礼拝では、その年の年間主題聖句として掲げてきた御言葉に耳を傾けることにしている。今年度は、詩編122編1節の御言葉を掲げてきた。「主の家に行こう、と人々が言ったとき わたしはうれしかった」とある。わたしはうれしかったとは、旧約聖書には珍しい、とても素朴でまっすぐな表現である。どれほど喜びが大きかったかが伝わってくる。この詩編はイスラエルの人々が、主の家すなわち具体的には、エルサレムにある神殿に向かって巡礼の旅すがらに、皆で歌った歌であると言われる。どんな事情のなかで作られた歌であるかは分からないが、想像してみれば、こんなことが思い浮かぶ。
うれしかったと言った人は、家族か友人かは分からないが、主の家に行こうと言った人に対して、何度も何度も一緒にエルサレム神殿に巡礼に行こうと誘っていたのではないか。しかし、その人は首を縦に振ってはくれなかった。ところが、突然に、思いがけず「私もあなたと一緒に主の家に行きたい。連れて行ってくれ」と言いだした。長年の願いがやっと叶い、一緒に神殿に詣でる喜びが心を満たす。そんな状況を想像するのである。
同じような願いを抱いている方々が沢山いらっしゃることを思うのである。しかし、それはこの詩編を歌った人がそうであったように、短い間に叶えられるものではないのであろう。私たちがしつこく誘ったからと言って、実現するものでもないのだろう。それは、ただ神様だけが成し遂げて下さることなのだろう。私たちとしては、主の家に行くことの素晴らしさを、身を以って証しし続けるしかない。
2.さて、主の家に行くということは、先ず何よりも、神様というお方を「主」として信じ - 「主」とは、主人ということを意味しているのである。従って、私たちはその僕であり、召し使いとなることを意味している - そういう間柄に入ることを良しとして受け入れることを意味しているのである。
このことが、どうして嬉しいのか、喜びであるのか。多くの方々にとっては、はなはだ疑問であることかも知れない。
いつぞやもお話をしたエピソードだが、大学時代に2年間、同じ下宿で過ごした友人が柏に住んでいて、昨年、自宅に招かれて夕食をご馳走になったことがあった。お酒の勢いもあり、友人は私が牧師であることを百も承知でのうえでからんできた。「自分には信仰心も少しはあり、この年齢になって、もっとそれを増し加えたいと思うが、しかし、君たちのように、ただ一つの神を信じて、その結果としてテロを起こしたり、人を殺したりする信仰や宗教というのはぜったいに嫌だ」というのである。彼と私は、似たもの同士のところがあり、とても自由を愛する男なのである。誰かから命令されたり無理強いされるのをとても嫌う。彼は、いわゆる一神教という宗教にそうした命令や強制というものを感じているのである。ひとりの神様を主人として、それに命令されたりする関係が、どうして嬉しいと言えるのか。
似たもの同士の人間なので、彼の言うところは良く分かるのである。私だって、もしも神様を「主」とする信仰が、ただ私から自由を奪い、主からの命令に盲目的に従うことを要求されるだけのものならば、決して、それを喜びとすることはできないのである。しかし、神様を主とする、私がその僕となるという関係は、決してそういうものではないと思う。
3.先週のエフェソ書の御言葉を思い起こす。パウロは私たちに「賢く」生きよと語りかけていた。賢くとは如何なる生き方かというと、彼は当時の商人たちが商売のうえで使っていた用語をわざわざ使って、「時を買い戻す」ことだと教えたのであった。それは、生きる時間を自分自身のものとして取り戻すことなのである。自分が自分の時間の主人公となって行くことなのである。いろんな存在や出来事が私たちから時間を奪っていくなかにあって、私たちの賢さとは、それを自分のものとして取り戻すことである。
しかし、肝腎なのは、このことが本当に難しいという点であった。私から人生の時を奪い取ってしまう大きな力というか、主人というか、支配者がいるのである。最も端的には、病むことであり死ぬことがそれである。そのことへの心配は多くの人をして、こころを千々に惑わせ、平和を奪う。残されている時間を、その人のものとして生きることを駄目にする。折角の時間が病気や死に支配されたものとなる。
私自身のものではなくなってしまう。
今日の御言葉の3節に「すべては結び合い」とある。また、6節以下の御言葉でずーっと歌われているテーマは「平和」である。病や死によって私たちの時間が奪われたとき、ばらばらにされるのは、先ず何よりも、私たち自身の心や体なのではあるまいか。その平和・平安が失われるのである。だから、生きる時間がそうしたものによって、ばらばらにされず、尚も平和であることを、私たちは必要とする。それを可能にするのは何なのか。それは、自分によってではないのである。私という主人公には、残念ながら、その力がない。病むことによって死に直面することによって、動揺している私自身には、病や死に奪われた時間を取り戻す力がない。すると、その力を持っているのは誰なのか。それが神様という「主」なのである。神様という主が、病や死という主人・支配者たちに勝って、私を司って下さる。だからこそ、私たちはこの方の支配のもとに置かれることを受け入れる。喜んでその僕となる。
神様という方を主とし、私たちがその僕となるという関係の根源には、このような喜びがある。私たちを、それこそ「奴隷」として支配し、その時間を奪ってしまう様々なこの世の支配者たちからの解放が、根源にある。イスラエルの人々と主なる神様との間柄の最も根幹にあるのは「十戒」である。一般的には、それはまさしく「主従」の、命令され、ただそれに従うところの関係でしかないと思われているかも知れない。しかし、たとえば、出エジプト記の20章を見てみると、その1節はこのように始まるのである。「わたしは主、あなたの神、あなたをエジプトの国、奴隷の家から導き出した神である」と。主である神様こそが、私たちを奴隷にしようとする諸々の勢力に勝って、私たちを解きはなって下さるお方なのである。
4.つぎに、主の家に行くということは、このような主なる神様の「家」があると認めて、そこに行こうとすることなのである。この詩編の場合には、その主の家とは、具体的にエルサレムに建てられた神殿であった。
これは当たり前のようであるが、しかし、実は奥深い事柄なのである。「主の家」とは、そもそも非常に矛盾した、根源的に亀裂を孕んだ言葉なのだと、つくづく思う。これまで述べたような主なる神様が、あらゆるこの世の支配者に勝るお方が、そもそも「家」などにおられるのだろうか。しかし、もし、そのような「家」がなければ、一体、私たちはどうやってこの神様との関係を結びつけることが出来るのか。そういう家があればこそ、私たちはその家の僕となり、「家子」というか「家令」になれるのではないか。具体的にそのような場がなければ、それは不可能だ。けれども、また、凡そ人間が建てた神殿が、この世の材料をもって作った神殿が、そのような家で有り得るのか。
イスラエルの人々の信仰を振り返ると、この奥深い事柄をめぐる葛藤や問いかけの積み重ねであったように思う。この事柄をめぐる両極端の立場がある。一つは、神様は決して人の建てた家になど住まないという立場。他方は、神様を人の建てた住まいに閉じ込めようとする立場である。イスラエルの人々は、この両極端の間を揺れ動き続けている。そして、神様ご自身さえも、この立場を左右に動いておられるとさえ思われるのである。
いま、聖書研究祈祷会で、サムエル記を学んでいるので、いつか丁寧に触れることがあるだろうが、サムエル(下)の7章に、つぎのような場面がある。
ダビデが自分の王宮を作ったあと、契約の箱(十戒を記した2枚の石の板をおさめた箱のこと)を安置する神殿を造ろうとしたのであった。その心は、自分たちをエジプトから導いてくれた主なる神様を、人間の造った神殿に「安置」し、留め置こうとの目論みだったと思う。これに対し、神様は言われたのである。「あなたがわたしのために住むべき家を建てようというのか。・・・」(サムエル下7、5-7)。ところが、このようにダビデを止められた神様が、その子ソロモンに対しては、神殿建築をお許しになったのである。
預言者たちは、総じて、人の建てた神殿に神様がお住まいになる、それが神様の家であるとの信仰に、批判的である。しかし、イスラエルの人々の信仰において、エルサレム神殿が主の家であるとの確信は脈々と受け継がれている。また、神様ご自身もそれを、決して、否定しては居られない。それは、この詩編でも現れているのではあるまいか。人々はエルサレム神殿に詣でることを、すなわち主の家に行くことだと信じている。そして、神様もそれを否定してはおられない。ひとりでも多く人が神殿を神様の家と信じてそこに行くことを、心から嬉しいというこの詩人の言葉を、神様は肯定しておられると思う。
2節に「あなたの城門の中に私たちの足は立っている」とある。先ほども言ったように、この世の中で、私たちは様々な支配者に左右されて生きざるを得ないのである。この世のなかで、私たちは具体的に「足」をもって、足によって歩まざるを得ない立場にある。そういう私たちが、神様を主として歩んでいくためには、具体的にこの足を置き、立つところの、この世における主の家が必要なのではないか。
この世の家の中に、私たちが足を置くことが不可欠なのではあるまいか。その必要を、神様もお認め下さるのではないだろうか。しかし、その家が、常に人間の建てた家としての制約や限界をもつ存在であることも忘れてはならない。
5.神様がイエス様を私たちのところに生まれさせて下さったのは、まさに、ここに理由がある。イエス様は、人が建てた、この世の材料で建てた、人間がその中に神様を閉じ込めることが出来るような主の家ではないのである。神様ご自身が建てた、人の手によらない、生きた主の家なのである。私たちがこの主の家に足を置くのは、この方を愛し、この方と共に歩もうとすることで成し遂げられるのである。神様を主とする関係に生きるということは、この方を愛し、この方と一緒に生きていきたいと願うことにおいて成り立つのである。それは、決して主従関係の、命じられ無理強いされるような間柄ではない。そうではなく、この方を慕い、この方に魅力を感じて生きる、本当に自然で素直で喜びにあふれたものなのだ。
教会は、確かに人の作った組織であり、礼拝堂はこの世の材料で作られた建物である。しかし、それはイエス様を主と信じる者が、二人または三人と集まった組織である。何よりもイエス様を主と仰ぐことによって生じた組織である。そのことにおいて、教会は人の作った組織ではあるが、主の家なのである。
2013年 3月10日 受難節第4主日礼拝
05:15愚かな者としてではなく、賢い者として、細かく気を配って歩みなさい。 05:16時をよく用いなさい。 今は悪い時代なのです。 05:17だから、無分別な者とならず、主の御心が何であるかを悟りなさい。 05:18酒に酔いしれてはなりません。 それは身を持ち崩すもとです。 むしろ、霊に満たされ、 05:19詩編と賛歌と霊的な歌によって語り合い、主に向かって心からほめ歌いなさい。 05:20そして、いつも、あらゆることについて、わたしたちの主イエス・キリストの名により、父である神に感謝しなさい。
福島 純雄 牧師
1. 今日の御言葉で、まず耳を傾けたいのは、16節後半の「今は悪い時代なのです」との言葉である。この御言葉は、私たちにとって何を語りかけるものだろうか。
今から2000年前のエフェソの町が、また、それを取り巻くローマ帝国の時代が悪いものであったことは想像がつく。エフェソはアジア州の州都であり、古くから海運で栄えた港町であった。18節に「酒に酔いしれてはならない」とあるが、そのような町の常として、飲酒の悪弊は避けて通れぬものだったろう。また、これは何度も触れた使徒言行録19章に書かれた事柄であるが、はじめてパウロがエフェソに伝道に行った時、彼の語ることを聞いた人々がいっせいに捨てた魔術の本が、何と当時の金額で銀貨5万枚にもなったとある。それはおそらく今日の貨幣価値にすると数億円にもあたる莫大なものだろう。それほどに魔術の本が広まっていたということは、人々が魔術にしか頼ることが出来なかったことを意味している。
また、注解書によれば、時のローマ皇帝は悪名高きネロであり、自分の気まぐれから起きたローマ大火をクリスチャンのせいにして、虐殺をしたとある。
大々的な迫害はなお後のことではあるが、イエス様の兄弟でありエルサレム教会の指導者だったヤコブが、そして、ペテロやパウロも、何年か後には殉教の死を遂げていくことになる。
そんな時代であった。悪い時代であったと言わざるを得ない。
ひるがえって、今日の時代はどうなのだろうか、と思うのである。それは、2000年後の今には全く当てはまらないことなのだろうか。確かに、当時と較べれば、とくに私たちの日本は、今述べたようなことは全くない、良い時代社会なのではある。こんな時代を悪いなどというのは、いたずらに自分たちが置かれた時代社会に対してネガティブになり、厭世感を増し加えてしまうことであって、何の意味もないのではあるまいか。
パウロが今は悪い時代なのだと私たちに語りかけるのは、決して置かれた時代に対していたずらに否定的にさせるためではなく、その時代の根本的な性質というのか、本質的な特徴というものを「悪い」ものとして悟って、周囲の人々 - この時代をただただ良い時代であり幸せな時だと歩んでいる方々 - を一線を画して、「賢い者」として生かしめるためではないか。
2. では、今の時代も、また「悪い時代」であるというのは、如何なる点においてなのか。注目させられたのは16節前半の「時をよく用いる」との言葉である。ここで「良く用いる」と訳された原文のギリシャ語は、注解書によると、特別の意味をもった言葉が使われているという。それは、「贖う」「買い戻す」という意味の言葉で、当時の商業上の用語だったらしい。私は、ここに、今日の時代の悪さというものを象徴的に語る言葉を感じるのである。
パウロは「賢い者として生きる」有り様として、悪い時代の特徴が、人々に、また、私たちに、時を良く用いさせないという点にあるのではないか。
悪い時代は、私たちから時を奪う。人生という時を私たち自身のものとさせず、私たち以外の誰かの者として管理し奪ってしまうという得失を持っているのである。それこそ、極めて現代に特徴的な時代社会の悪さではないだろうか。
ある方から妻が一冊の本を借りたので、私も非常に興味深く何回か読んだ。それは、精神科の医療実態を内側から非常に厳しく告発した、土浦で精神科を開業しておられる医師の本である。全体を通してそのなかで繰り返し指摘されていることは、心の病がしばしば過労・長時間労働をきっかけに引き起こされるという点であった。これは、過労自殺という言葉が示しているように、素人の私たちにも良く分かることである。先生は、安易に精神科医師や薬に頼る前に、まず自分で出来ることがあるだろうということを、力説される。何ヶ条の方針が掲げられていたが、そのほとんどが患者自身でできること、自分の力で容易に改善できる事柄であった。
過労や長時間の労働がなぜ病を生じさせるのか。それは、今日の御言葉から言えば、時をよく用いさせないからである。私たちの生きる時間の多くを奪い、それを私たちのものとさせないのである。時を私たちのものではなく、使用者や管理者のものとして奪うのである。私たちは、ただ彼らから宛がわれた他者の時間を生きるしかなくなる。このことが、根源的に私たちを病ませてしまうのではあるまいか。
上記の精神科医師が、まず患者自身でできることがあるだろうと気づかせ、実践させようとするのは、まさしく、「時を良く用いる」ことなのだと思う。
ごくごく日常的な患者さんでも出来ることを通して、少しずつ時間を自分のものとして取り戻す。生きることを自分の手のなかに取り戻す。それこそが「時を買い戻す」ということの意味なのである。買い戻すという行為は、他でもない、自分が主人公となって、或るものを自分のものとして取り戻すことである。
3. ここで思い起こしたのは、同じく精神科の医師で、彼自身がヒトラーの強制収容所を生き延びて、長く精神科医師として素晴らしい働きをされたフランクルのことである。このところ、彼の著書が再び読まれているという。フランクルが生涯を通して取り上げたテーマは、人間が強制収容所のような状況 - それは徹底的に時が他者のものとして管理されている場面である - のなかでも、自由であり得るのか、という事柄である。自由とは、今日の御言葉で言う「時をよく用いる」ことである。賢い者として生きることである。時を、なお自分自身のものとして生きるということである。
フランクルが終生、精神科の医師としてこれをテーマとしたのは、強制収容所を出てからも、彼を取り巻くその時代社会が、同じ問題、同じ状況を呈していたからなのだと思う。そして、今日また彼の書いたものが人々に読まれるのも、今の時代が根源的に強制収容所と同じような状況にあるからだろう。フランクルは、彼自身が強制収容所を生き延びた体験をもって、如何にして人はそのような状況下でも自由であり得るか、を語りかける。時を良く用い得る存在である、と励ます。それは、何度も言うが、時を自分のものとして生きることなのである。自分のものとして買い戻すことなのである。
4. では、それは如何にして可能であるのか。社会全体が、このような経済状況のなかで過労・長時間労働を致し方の無いことと受け入れている。そうしなければ失職するしかないなかで、時を自分自身のものとして取り戻すことは、並大抵のことではない。本当に困難な課題であるとつくづく思う。
今日の御言葉でパウロが語るのは、「主の御心が何であるかを悟る」とことである。神様の御心が何であるかを知って、それを実践し行うことだというのである。
不思議だと思われるかも知れない。
時を自分自身のものとして買い戻す、自分自身が時の主人公となるというのに、「主の御心を知る」というのはおかしいではないかと。それは、時が神のものとして管理されることではないか、神からの宛がいものとなることではないか。
確かに、フランクルも、その著書のなかで、ひとことも神という存在に言及しない。評伝によると、彼は非常に敬虔なユダヤ教信者であり、妻はキリスト教徒だったという。彼は、1日のなかで長く祈り、また、夫婦は良く神様のことを語り合っていたという。ただ、医師としては、ある特定の信仰・宗教を想定させるようなことは極力自制したのであろう。
フランクルは神という言葉は口にはしないが、人間を超えた或る大きな存在を常に想定している。それは、しばしば「人生」と言われる。人生があなたに、この困難な状況を通して、何らかの使命を果たさせようとしている。それこそ、今日の御言葉で言う「主の御心」であるのではないか。それは、今のあなたには見えないことかも知れない。気づいていない事かも知れない。しかし、よくよく考えてみよ。今のあなたに求められていることがあるのではないか。あなたが必要とされていることがあるのではないか。あなた自身はそれを、たいして必要だとも思っていないかも知れないが、あなたの人生は、それをあなたに大切なこととして与えている。それを果たして行きなさいと勧める。
改めて思うのだが、私たちが時を自分自身のものとして買い戻そうとするとき、私たちはしばしば、自分のその時の願いや価値観などから、そうするのではあるまいか。そうやって買い戻して見ると、その時は確かに自分のものにはなっているかも知れないが、まことに陳腐なものであり、ひたすら己の欲得に支配されたものでしかなくなっているのではあるまいか。それこそ、今日の御言葉で言うところの「愚かなもの」の在り方であり、「酒に酔いしれ」「身を持ち崩させる」ものではないか。それは文字通りの酒ではなく、私たちを自己陶酔させ、自己満足させるようなものである。そういう自分ではなく、主の御心に沿った「自分」による買い戻しでなければならない。そして、その主の御心とは、自分の必要ではないが、傍にいる誰かのそれに応えることが深い喜びになるような、そういう求めに応じていくことなのかも知れない。
5. 最後になるが、具体的にここでパウロが考えていた「主の御心」とは如何なるものなのか。どういう事を、パウロは、時をよく用いる賢い生き方として勧めているだろうか。酒に酔いしれるのではなく「例に満たされる在り方」として、「詩編と賛歌と霊的な歌によって語り合い、主に向かって誉め歌を歌う」ことが勧められているのである。
これは、要は、礼拝を捧げている姿なのだろう。三つの歌の区別がどういうものかは、良く分からない。既に、旧約聖書の詩編のあるものには古くからメロディーが付けられており、それを歌うことや、また、未だ新約聖書は編纂されていなかったが、口伝でつたえられていたイエス様のお言葉、また、イエス様への信仰告白が定式化されて、メロディーが付けられて歌われていたのかも知れない。聖書を言葉で覚えるよりは、歌で覚えた方が記憶に留まったのだろう。そんな歌を礼拝で歌って、そこに語られた御言葉を語り合い賛美を捧げる。それが、聖霊に満たされ、時を買い戻す、具体的な有り様として勧められている。
世俗の生活の場面での有り様は、つぎの21節からのところで勧められていて、今日のところで言われているのは、何よりも教会での礼拝を捧げる場面である。
礼拝を捧げることが何になるのか。それが、悪い時代社会のなかに置かれた私たちをして、賢く時を買い戻して生きることにおいて、何ほどかの役割を果たしているのかと思うかも知れない。しかし、パウロは、そのささやかな時間がそうだ、と勧めているのである。私たちにはそうは思えないかも知れない。礼拝を捧げる時間の無力さを感じているかも知れない。しかし、そうではない。それが、主の御心に何よりも適っていることなのである。
共に賛美を捧げることの大切さを、改めて教えられる。先週、水曜日の朝日新聞で、指揮者の小沢征二さんの書かれた記事を読んだ。小沢さんは若い時から、合奏や合唱の魅力に魅せられた方のようであるが、若い時から、共にハーモニーをつくりだし、その中に身を浸す喜びを一度でも味わうと、もうその虜になるのだと書かれていた。私自身も、小学校の頃に、学校の合唱部に属し、それだけでなく地域の少年合唱団に入っていた者である。今は機会がないけれども、ずーっと合唱をしたいと願い続けている。讃美歌を、ハーモニーをつけて歌う、何とも言えない喜びがある。賛美を通して神様に感謝をささげ「歌いつつ歩まん」。
2013年 3月 3日 受難節第3主日礼拝
08:16「ともし火をともして、それを器で覆い隠したり、寝台の下に置いたりする人はいない。 入って来る人に光が見えるように、燭台の上に置く。 08:17隠れているもので、あらわにならないものはなく、秘められたもので、人に知られず、公にならないものはない。 08:18だから、どう聞くべきかに注意しなさい。 持っている人は更に与えられ、持っていない人は持っていると思うものまでも取り上げられる。」 08:19さて、イエスのところに母と兄弟たちが来たが、群衆のために近づくことができなかった。 08:20そこでイエスに、「母上と御兄弟たちが、お会いしたいと外に立っておられます」との知らせがあった。 08:21するとイエスは、「わたしの母、わたしの兄弟とは、神の言葉を聞いて行う人たちのことである」とお答えになった。
福島 純雄 牧師
1. 最初に、聖書の注解書的なことからお話をする。
前回は、8章4節以下の「種をまく人のたとえ話」に耳を傾けた。そこで教えられたのは(これは、あくまで私の理解ではあるが)、このイエス様のお言葉を伝え記した初代教会の人々は、もともとイエス様が伝えようとしたメッセージがよくわからないまま記したのではなかったか、ということだった。そのために、イエス様がこのたとえに込めようとした慰めや励ましから隔たった受け止め方をしてしまっていたのではないか、と私は示された。
このたとえは、「種をまく人が・・・」と始まっているように、本来は種をまく人であるところの神様に力点が置かれている筈の御言葉なのである。しかし、11節以下の説明(それこそが、初代教会の人々の受け止め方である)には、一言も種蒔く人である神様のことが言及されていない。専ら種をまかれた私たちの側の問題に力点が置かれている。どうも重点がシフトし、ずれてしまった感じなのである。
同じことが、今日の御言葉の理解にも生じていたのではないか、と感じるのである。それは、次のような事柄に滲み出ていると思う。マタイ、マルコそしてルカの3つの福音書は、その内容がよく似ているので「共観福音書」と呼ばれている。だが、似ている筈の3つの福音書で、今日の箇所の取り扱いが非常に違っているのである。一読しただけでは、どのようにつながっているのか良く分からない。しかし、このような書き方をしているのはルカだけである。種蒔く人のたとえのすぐ後に、灯し火の喩えを置くのは、ルカとマルコに共通している。マタイではどうかというと、灯し火のたとえの言葉そのものは出てくるのだが、全くバラバラにされて、全然、文脈の違うところに置かれているのである。このような共観福音書における書き方の違い、文脈がばらばらであるという点に、初代教会の人々が、本来イエス様の言わんとされたことを、よく分かっていなかったのではないかという点が、滲み出ているように考えられる。
ちなみに、マタイでは、例えば16節の御言葉はどのような文脈で書かれているだろうか。有名な山上の説教のなかの「あなたがたは地の塩、世の光である」との御言葉のすぐ後、次のように記されている。「あなたがたは世の光である。山の上にある町は隠れることが出来ない。また、灯し火を灯して升の下に・・・。そのように、あなたがたの光を人々の前に輝かしなさい。人々があなたがたの・・・」(マタイ5:14-16)。
このマタイの言わんとすることこそが、灯し火のたとえの伝統的・典型的な理解ではないだろうか。ここでは、灯し火を灯してそれを隠されないようにするのは、私たちの務めなのである。私たちに、輝かす使命が与えられているのである。山上の説教という、全体がイエス様からの「命令集」とでも言うべきものなのだから、それは当然のことなのであった。しかし、灯し火を灯し続け、隠そうとするもの、覆おうとするものを排除して、光を輝かすのは、私たちに科された義務なのである。そのような受け止め方には、イエス様が本来私たちに語ろうとされた力点、重点の「シフト、ずれ」というものを感じる。神様にではなく、私たちの側に力点がずれてしまっているのではないか。イエス様が本来言わんとされた励ましや慰めではなく、福音ではなく、おまえたちはどうなのか、お前たちにこそかかっているのだとのプレシャーを感じさせられる。
2. では、この灯し火の譬えで、イエス様がそもそも語ろうとされたことは何であったのか。それを私たちは、この譬えが、マルコとルカ福音書で、種をまく人のたとえのすぐ後に置かれている点から理解することができると思う。種をまく人のたとえ話の力点は、何度も言うように、神様にあった。神様が倦まず弛まず諦めずに、私たち人間にご自分に由来する何らかの良いものを、すなわち種をまき続けられる、というところに力点があった。私たち人間は、神様の蒔かれる種を幾重にも無駄にする。駄目にする。しかし、神は、もう種をまくことなど止めたとは言われない。無駄だからとは言われない。どこまでも、結実を信じて、つまり、あくまで私たち人間を信じ期待して、良いものを与え続けたまうのである。すると結実する。
私は、ここにこそ、灯し火が何であるかが、生き生きと記されていると感じる。それは、神様がこのように私たちに、ご自身の善きものを与え続けて下さっていること、そのものなのである。私たちがこのようなものであるにも関わらず、神様から信頼されている。それが、私たちのただなかに灯されている光である。私たちはどうしようもない代物ではあるが、しかし、そのなかに神が蒔いてくださった何らかの良い種がある。それは、良い土や環境が整えば必ず発芽し結実する力を持っている。これは神様ご自身のなされた事柄である。神様が私たちの灯された灯し火である。灯した神様が、この譬えにあるように、隠されないように、覆われないように、どんな妨害も排して山の上に置いて下さろうとする。そうなさるのは神様なのである。私たちの側ではない。
先ほどのマタイ福音書から私たちが受けてしまう感じが、どれほど本来イエス様が語ろうされた事柄からシフトしてしまっているかが、分かるのではあるまいか。
3. さらに続けて、では、神様が私たちに蒔き続けられる良いものとは何であろうか。そのことによって、私たちにどのような灯し火が灯されているのであろうか。
そのことが、一見すると何のつながりもないと感じられる。しかし、ルカだけが灯し火のたとえの直後に置いた。19-21節の「私の母、・兄弟とは」との御言葉に教えられていることではないか、と示された。イエス様がここで言われているのは、私たち人間は、血のつながりを超えて、したがって民族や国家の枠を超えて、神様を信じる点に於いて家族となれる存在だ、ということに尽きる。このことから、神様が、まず私たち人間だけに授けて下さった良いもの、すなわち種とは、神様を信じることなのだ、と示される。これは、確かに、動物や植物にはあり得ない、私たち人間だけに授かったものだ。私たちは、折角授かったこの種を、無駄にする。一方では、「神は死んだ」と言い、他方、神の名のもとに悪行の限りを尽くす。先週の聖書研究祈祷会で学んだサムエル記でも、神殿の祭司たちが「ならず者で、神を知ろうとしなかった」とあった(サムエル上2:13)。
それでも、神様は私たちに、神様に向かい神様を必要とし、神様につながろうとする心を絶やそうとはなされない。その種は、私たちのなかで発芽し結実し、私たちに灯し火を灯す。
先日(金曜日)、三神直美姉のウェスレアン・ホーリネス神学院での修了式があり、出席してきた。三神姉は私たちの教会から旅立ち、牧師になる志を実現するため、新年度からはそちらの信徒になられる。
改めて三神姉の証しを聞くことが出来た。10年前にご夫君を突如として召されて、姉はうつろになられた。光明を捜し求めてある集会に出席し、そこでウェスレアン・ホーリネス教団の牧師に遭われた。与えられた聖書の御言葉がエレミヤ29:11であった。「私は、あなたたちのために立てた計画を良く知っている。それは、平和の計画であって、災いの計画ではない。将来と希望を与えるものである。」このことが今、本当によく分かった、と三神姉は言われた。それによって、ご主人の死が、もう決して悲しみではなくなったと、はっきり明言された。これが、神様を知ることが、姉のなかに灯した灯し火なのである。このように、愛する者を失った者に希望を授けて下さった神様を、また、神を信じるということを、どうして人間が作り出した幻影などということができるだろうか。
もう一点、「私の母・兄弟」とのイエス様のお言葉から、神様が私たち人間に与えて下さる良い種として示されるのは、神様を信じることにおいて、私たちが家族となれるという点である。それは、本当の神様を信じることにおいて、私たちは血のつながりを超えて助け合うことができるとうことであると思う。助け合うことが出来るという点に、私たち人間という存在は、光を見出す。それが私たちの光明となる。
しばしば、私たちは、神様を信じていると言いながら、その神の名によって、その信仰によって、血のつながりや民族や、ある特定の「宗教」だけを信じている者同士だけが結び付き、そうでない者たちを、敵対させてきた。却って、神を信じることが、私たちをして、溝を深めさせてきたことがあった。こういうことは、真の「神の言葉を聞いて行う人」の業とは言えないのである。神そのものが偽りなのではなく、神を信じる人間の限界であり、歪みである。逆に、明確に、神を信じてその言葉を聞いて行っているとは思えない人々のなかに、血のつながりを超え、民族も宗教の垣根も越えて、人を助けることを喜んでなさっている方がいるのである。このような人こそ、実は、自覚的に神を信じての行いではないのだが、しかし、何処かで神様に促され神様から良いものをさずかっての行いと言えるのではないか。
先日、テレビを見ていた。結婚をなさらずに、ずっと母親と一緒に生活をされてきた女性が、母親を亡くされた。彼女は、ご自分も母親と一緒に死んでいきたいと思われた。しかし、近所の保育園の手伝いをされるようになって、毎日、楽しいと言われるようになった。
二週間前の土曜日に、近くにある市民大学講座に行って、ボランティアをやっている人々の熱い思いに触れてきた。そこに集う人々にも、退職をした後の寂しさや、子育てを終えたうつろな思いなど、何処にもなかった。
4. 神様は、こうして私たちに灯し火を与えて下さっているのである。それは、神様が灯して下さっているものであるが故に、吹き消されることがない。隠されることがない。覆われることがない。
ただし、「灯し火」であるという点が大切なのである。なぜ、イエス様は、わざわざ灯し火であると言われたのか。それは、神様が灯してくださる光の特徴だからである。強い光ではない。大きな光ではない。誰もが光と感じられるものではない。そういう光に較べれば、全然、光とは感じられない。けれども、たとえば、三神さんのように、また、いま触れた御婦人のように、世間一般的にひかりだと思われている光が失われ、闇のなかに置かれたとき、この光ははじめて感じられるのである。光があることがわかる。自分にこそ射し込んでいるのがわかるのである。そして、それまでの光ゆえに隠されていたもの、見えなかったもの、秘められていたものが、初めてあらわになり、大事なものだ、と分かってくる。無くてはならないものだということが解ってくる。それが分からなければ、失った人はますます失って行くしかないだろう。どんどん奪われていくだろう。18節の御言葉は、そういう意味なのである。
2013年 2月24日 受難節第2主日礼拝
22:01これらのことの後で、神はアブラハムを試された。 神が、「アブラハムよ」と呼びかけ、彼が、「はい」と答えると、 22:02神は命じられた。 「あなたの息子、あなたの愛する独り子イサクを連れて、モリヤの地に行きなさい。 わたしが命じる山の一つに登り、彼を焼き尽くす献げ物としてささげなさい。」 22:03次の朝早く、アブラハムはろばに鞍を置き、献げ物に用いる薪を割り、二人の若者と息子イサクを連れ、神の命じられた所に向かって行った。 22:04三日目になって、アブラハムが目を凝らすと、遠くにその場所が見えたので、 22:05アブラハムは若者に言った。 「お前たちは、ろばと一緒にここで待っていなさい。 わたしと息子はあそこへ行って、礼拝をして、また戻ってくる。」 22:06アブラハムは、焼き尽くす献げ物に用いる薪を取って、息子イサクに背負わせ、自分は火と刃物を手に持った。 二人は一緒に歩いて行った。 22:07イサクは父アブラハムに、「わたしのお父さん」と呼びかけた。 彼が、「ここにいる。わたしの子よ」と答えると、イサクは言った。 「火と薪はここにありますが、焼き尽くす献げ物にする小羊はどこにいるのですか。」 22:08アブラハムは答えた。 「わたしの子よ、焼き尽くす献げ物の小羊はきっと神が備えてくださる。」 二人は一緒に歩いて行った。 22:09神が命じられた場所に着くと、アブラハムはそこに祭壇を築き、薪を並べ、息子イサクを縛って祭壇の薪の上に載せた。 22:10そしてアブラハムは、手を伸ばして刃物を取り、息子を屠ろうとした。 22:11そのとき、天から主の御使いが、「アブラハム、アブラハム」と呼びかけた。 彼が、「はい」と答えると、 22:12御使いは言った。 「その子に手を下すな。何もしてはならない。 あなたが神を畏れる者であることが、今、分かったからだ。 あなたは、自分の独り子である息子すら、わたしにささげることを惜しまなかった。」 22:13アブラハムは目を凝らして見回した。 すると、後ろの木の茂みに一匹の雄羊が角をとられていた。 アブラハムは行ってその雄羊を捕まえ、息子の代わりに焼き尽くす献げ物としてささげた。 22:14アブラハムはその場所をヤーウェ・イルエ(主は備えてくださる)と名付けた。 そこで、人々は今日でも「主の山に、備えあり(イエラエ)」と言っている。
福島 純雄 牧師
1. この聖書箇所は、旧約聖書だけではなく、新約聖書を含めた聖書全体を通して最も難解なものの代表のような箇所である。
100歳のアブラハムと90歳のサラに、神様は奇跡によって、待望の跡継ぎイサクを誕生させた。ところが神様は、このイサクを献げよと言われた。アブラハムはそれを、文字通り屠ることと受け取り、あわや殺す寸前までに至った。すると、神様はそれを止められた。神様の真意は何だったのか、どこにあったのだろうか。
わたしの手許にあるブルックマンによる注解には「宗教改革者のルターやカルバンは、この神の矛盾とも見える事柄に対して、とても素直だ」と書かれている。
カルバンは「神の命令と約束とは矛盾する」と言い、ルターは「これは、神ご自身が自己矛盾を起こされるような矛盾である」と言っている。ブルックマンは「解釈者は説明しないように配慮しなければならない。説明のしようがないからである」とも言っている。では私は、どのように説教することが可能だろうか。
神学大学の最終学年の説教演習の授業のことが思い出される。ちょうど、この聖書箇所が与えられ、私たち学生は、実際に説教の原稿をつくった。皆の原稿が回ってきて、コメントを求められた。H君の説教を読んだとき、わたしは驚き、怒りさえも込み上げてきた。彼のメッセージは、私たちもアブラハムのようにすべし、それが信仰の在るべき姿だ、というものだった。そのH君は、教団の牧師を何年かした後、ヘブライ大学に留学し、そのままイスラエルに留まって、今はユダヤ教の最も保守的な教派のラビになっている。
ある牧師は、アブラハムだけではなく、夫が息子を連れて行くことを黙って許したサラや、父に黙って従ったイサクを見習うべし、と言っていた。信仰はかくあるべし、と言うのである。
この御言葉は、これをどう受け取るかによって、受け取る者の信仰を炙り出すような作用をするように思う。神様というお方が私たちに、愛するものを手に掛ける、殺す、危害を加える、というようなことをお命じになるとは、信じることはできない。神様は、そのような行為をするか否かによって、私たちの信仰をテストするようなことを為さらないお方だと信じる。信仰という名のもとに、誰かを傷つけさせ、剣を振るわせるようなことをなさしめるとすれば、それは神様の声ではなく、悪魔の声である。
2. では、私たちは、この物語を、どのように読むことができるのか。1節はじめに「これらのことの後で・・・試された」とある。神様がアブラハムを試されたことは確かだと信じる。その真意は何か。鍵となるのは、2節はじめの「あなたの息子、あなたの愛する独り子イサクを連れて」である。神様は、ここで二度にわたって、イサクがアブラハムの息子であり、愛する独り子であると、畳みかけられている。そのことこそが、試みの対象なのである。試みが必要な部分であったということである。
言い方によっては、アブラハムのイサクへの愛が、神様へのそれを凌いでいたということもできる。しかし、神様への愛と、伴侶や子供への愛を較べて、どちらが強いか、大きいかを云々するのは、詮無きこと(無意味なこと)ではないか。そこで、先週の「光」についてのメッセージを思い起こすのである。
パウロは、そのときに光と信じるものに照らされて、ダマスコという町に向かっていた。その光とは、太陽の光(自然的な光)であり、また時の支配者から信任され、権限を委任されることからの光であった。この自然的な光に、私たちは注目させられた。それは、ただ太陽の光だけをいうのではなかった。その光は、私たちがとても満ち足りた状態の中で、あたかも縁側で日向ぼっこをしている時のような、何の心配もなく幸いな状態にいるとき、そういう時に私たちに自ずから差し込んでくるような光なのである。アブラハムは、まさに、そういう光の中にあったのではないか。21章には、長くトラブルの原因だったハガルとイシマエルを追い出したことが書かれていた。その後では、寄留していた地域の王様とのトラブルが解決できたことが記されていた。「これらのことの後」とは、このような事を指している。いろんなトラブルが解決された後、家族は待望の跡継ぎが授かって、満ち足りた状態のなかに、それを光として生きていたのだ。
しかし、そのような状況は、決して長続きはしないのである。自然的な光は、必ず雲に覆われ嵐にさえぎられる時がやってくる。夜の闇が訪れる。次の23章でサラの死が取り上げられているのは、決して偶然ではなかったのである。そういう時が起ころうとしていた。進行しつつあった。そうなった時には、もし今のままでは、光を持つことが出来ない。だからこその試みなのである。神様は「アブラハムよ」と呼びかけられた。それは、つまり天からの光なのである。天からの光を、彼や家族に照らそうとなさった時なのであった。
3. 「モリヤの地に・・私が命じる山の一つに登り、彼を・・ささげよ」と神様は言われた。アブラハムはこれを「焼き尽くす捧げ物としてささげよ」と受け取った。文字通りの、その通りの事柄として、受け取ってしまった。
そこにこそ、アブラハムの信仰の問題があったのである。
しかし、このアブラハムの受け止めは、決して神様の真意ではなかった。モリヤの地、神様が示した山とは、つまり、先ほど言ったような自然的な光を失わざるを得ない、それはサラを失い、またイサクを手放すしかない時のことであった。
その地に行き、山に登るとは、そういう時が神様の御業としてやってくることを受け入れるということなのだと思う。生きるとは、そういうことである。モリヤの地に向かうこと、神様の示す山に登ることは、生きているが故に逃れることはできないことなのだ。その山において、私たちは愛してやまない自分自身や家族と別れざるを得ないのである。それらを神様に委ねるしかないのである。苦しみつつ、悩みつつ、私たちは、この時を受け入れるしかない。
ここで大切なことは、私たちの愛する存在 - それは、先ず私たち自身であり、伴侶であり、子供たちであるが - その愛する存在を、神様に捧げるということは、私たち自身には、でき得ることではないという点である。それは、あくまで、神様がなさることなのである。神様の御業として、私たちに老いが臨み、死がやってくる。愛するものとの別れが来て、愛するものを神様に委ねるしかなくなる。私たちは、どうして自分の愛する者を自ら手に掛けて、殺して、文字通り焼き尽くす捧げ物として、ささげることができようか。それは、私たちには絶対にでき得ない事柄なのである。神様は、そんなことを私たちに科されることは為さらない。
4. アブラハムの間違いは、自分ではしてはならない事を、自分の手でなそうとしたことなのである。飛躍してしまうかも知れないが、この物語を読んできたユダヤ教も、イスラム教も、私たちのキリスト教も、このような間違いを重ねてきたのではなかったのか。
自分で自分を苦しめ、自虐し滅ぼす信仰、あるいは神の名によって誰かを手に掛けることをよしとする信仰ではなかったのか。しかし、それは神様のみが、神様の為さる御業のなかで、 - それは本当に、人為的なことではなく、自然のなかで、無理なく行われる出来事なのであるが - 成就し、最後には私たちに受容されていく事柄なのだ。
先週の聖書研究祈祷会では、サムエル記の、ハンナという女性がやっと授かったサムエルという息子を神様に委ね捧げた箇所を読んだ。ハンナは、サムエルを殺そうとなどしなかった。反対に、乳離れをするまで、自分のもとに留まらせ、十二分に乳を与え、愛情を注いだ様子が記されていた。そして、時が満ちると、神殿に詣でて、家族皆で礼拝をささげた。そのあとで、祭司エリに、息子を任せた。神様にささげるとは、先ずは十分に乳を与え、愛情を注いでやることなのである。そして、礼拝をささげつつ歩み、必ず手放さざるを得ない時がやってくるから、それを受け入れるのである。愛情と捧げることと神様に捧げ委ねることととは、決して矛盾しない。神様に捧げ委ねるとは、決して、私たちが愛する者を傷つけたり、苦しめたりすることを意味しない。
5. さて、あわや、剣を振りおろそうとしたアブラハムを、神の使いは押し止めた。ふと見るとそこに雄羊がいたということだ。アブラハムは、イサクの代わりにこの雄羊を捧げた。アブラハムは、「ヤーウェ・イルエ(主は備えて下さる)」と呼び、イスラエルの人々は今日に至るまで「主の山に備えあり」と言っているとある。
苦しみつつ、悩みつつではあるが、主の山に行った時、そこで私たちに射し込んでくる天の光がどのようなものであるかが教えられていると思う。
神様が主の山で、イサクの代わりに雄羊を備えて下さったのは、どういう意味だったか。確かに、主の山において私たちの肉体の人生は焼き尽くされてしまう。愛する人々との、肉体における目に見える交わりはなくなってしまう。しかし、消えてなくなるものは、焼き尽くされるのは、雄羊に過ぎないのではないか。イサクそのものは残るのだ。根源的なものは残るのだ。燃やされた以上の何かを、私たちは主の山でいただけるのだ。このように、主の山には備えがあるのだ。
主の山に必ず備えがあることの証拠は、十字架の死から復活されたイエス様である。主の山で、十字架の死という出来事のなかで、確かに焼き尽くされたものがあった。消えてなくなってしまったものがあった。しかし、イエス様そのものは、なくならなかった。むしろ、それまでの弟子たちとのつながりを遥かに超えるものが授けられたのだ。
2013年 2月17日 復活前第6主日礼拝
05:05すべてみだらな者、汚れた者、また貪欲な者、つまり、偶像礼拝者は、キリストと神との国を受け継ぐことはできません。
このことをよくわきまえなさい。
05:06むなしい言葉に惑わされてはなりません。
これらの行いのゆえに、神の怒りは不従順な者たちに下るのです。
05:07だから、彼らの仲間に引き入れられないようにしなさい。
05:08あなたがたは、以前には暗闇でしたが、今は主に結ばれて、光となっています。
光の子として歩みなさい。
05:09――光から、あらゆる善意と正義と真実とが生じるのです。――
05:10何が主に喜ばれるかを吟味しなさい。
05:11実を結ばない暗闇の業に加わらないで、むしろ、それを明るみに出しなさい。
05:12彼らがひそかに行っているのは、口にするのも恥ずかしいことなのです。
05:13しかし、すべてのものは光にさらされて、明らかにされます。
05:14明らかにされるものはみな、光となるのです。
それで、こう言われています。
「眠りについている者、起きよ。
死者の中から立ち上がれ。
そうすれば、キリストはあなたを照らされる。」
福島 純雄 牧師
1. 8節後半のところは、新共同訳以前に礼拝で用いていた聖書には、「光の子らしく歩きなさい」と書かれていた。教会幼稚園や教会学校で最初に心に刻んだ御言葉の一つであろう。
さて8節には「あなたがたは、以前には暗闇でした」とある。文章の直接的な意味としては、エフェソ教会の人々はクリスチャンになる以前は闇同然のものであったということであるが、彼らが暗闇の中を歩んでいたという意味に理解してもよいのではないだろうか。そうとは言うものの、クリスチャンになる以前であっても、その時なりの光というものを持って生きてはいたはずである。誰だって全く光がない真っ暗闇の中を、歩いたり車を運転したりすることはできない。だからみな「これが光だ」というものを持って生きているのである。パウロがここで言うのは、その時には光であると思って歩んでいたものが、実は光でも何でもなく、むしろ、あなたがたを余計に闇の中に留まらせるようなものであったということであろう。
このパウロの言葉には、彼自身の体験があるのではないだろうか。参照付きの聖書では、この8節は使徒言行録の26章18節が参照されている。「彼らの目を開いて、闇から光に・・・」とある箇所である。少し前の26章12節から読んでみたい。「こうして、わたしは祭司長たちから・・・周りを照らしました。・・奉仕者・承認とするためである(16節まで)。」ここには、クリスチャンになる以前の、イエス様に出会う前のパウロが、何を光として生きていたか、そしてそのことが彼にどういう生き方をさせていたかが、如実に描かれていると思う。13節には、まず「真昼のことです」とある。当り前であるが、この時のパウロを照らしていた光とは、まず自然の光、太陽の光であった。つぎに彼を照らしていた光とは、12節はじめに「祭司長たちから権限を委任されて」とあるように、当時のユダヤ社会をつかさどっていた人々から信頼され、権限を委ねられていたことであった。パウロとにとっては、このような光の中を歩むことが、イコール神からの光、天からの光の中を歩むことに他ならなかった。
しかし、これがパウロをしてどのような生き方をさせていたのかと言うと、それは迫害者としてであった。クリスチャンを迫害し、ひいてはイエス様を迫害し、神様に敵対する生き方であった。使徒言行録には何度か彼の回心体験の記事がでてくるが、14節にある「とげのついた棒をけるとひどい目に遭う」とのイエス様の言葉は、ここだけに記されたものである。おそらく本当にこの時に、イエス様がパウロに言われたものなのだろう。自然からの光、何よりも人からの権限を委ねられることによる光、そのようなものを光として生きるとき、私たちの生き方は愚かなものになってしまう。
このようなパウロを迫害者から転じさせたのが「天からの光」であったのだ。「それは太陽よりも明るく輝いて」彼を照らしたのであった。これがパウロ自身の体験であった。
2. 私たちにも同じことが語りかけられている。私たちが通常、光としているものは、先ずは自然的な光であり、また社会の中で人々から認められ権限を委ねられていることにおける光なのだと思う。
ここで言う自然的な光というのは、ただ太陽からの光だけではない。おのずからの光とでも言ったらよいだろうか。私たちや私たちの家族が何の不安もなく心配もなく窮乏もない、満ち足りた状態にあるときに、自然に私たちの内側から放射されるような光とでも言うか、満ち足りていると感じられるような、「ああ幸せだなあ」と思えるような、そのような時に私たちに降り注いでいる光のことである。
そのような光のもとに、私たちは自分や家族の生涯というものの価値や意味を計るのである。その色や性質というものを判断する。光には、そういう働きがある。
9節には「光から、あらゆる善意と・・・生じる」とある。言葉の本来の意味とは違った解釈になってしまうが、このような光のもとに、私たちは何が善であり、善いものであり、正しく、真実かを図るのではあるまいか。
明るい太陽の光のもと、満ち足りた状態にあり、また社会の中で人々から信頼され、権限を与えられて生きている、このような人生こそが善いものなのであると、正しいものなのだと判断する。また、そうでない人生は善いものではないのだと判別するのである。
順調な時は、それで良いのである。
しかし、私たちの生涯は、最後は、必ずこうした状態とは正反対の有り様になる。それが、私たちの肉体の生涯のゴール、完成の時である。しかし、ゴールであり、完成の時だというのに、私たちは、先に述べたような光しか持たなければ、それを悪いものであり、正しくなく、光の中にない、暗闇でしかない、と断じなければならない。この世の歩みの完成の時を、最も大事な時を、ただ暗闇の中にあるときと見るしかない私たちとは、何と不幸なものか。
ある新卒看護師が勤めている病棟は、一日に必ず何人かの患者が亡くなられるという。とくに末期のガン患者が多い病棟だそうである。その苦しみは、スピリチュアルなものだと言っていた。彼女はあまり宗教的な話はしたがらないが、珍しくそんなことを言った。死への恐怖、死ぬことの意味、その真実・・・それがわからないことからの苦しみなのだという。わずかな期間の勤務からさえも、彼女にわかったことは、安らかに死ねる人は信仰を持っている人だということであった。
死を別の光から見る。或いは、苦しむこと、痛むことを、別の光に照らして見る。そのような光というものがなければ、私たちは闇に生きているのと同じなのではあるまいか。
パウロはダマスコ途上で、そのような天からの光に出会った。太陽より明るく輝く、自然的な光や権限を与えられることにおける光などを遥かに越える、全く違う光に出会った。イエス様との出会いにおいて、その光に照らされた。そういう光が私たちには不可欠なのである。天からの光に照らされてこそ、私たちは人生の善さ・正しさ・真実を知る。私たちの信仰生活とは、ひとえにこの光に照らされることにあると言ってもよい。
3. 天からの光の決定的な特色について、パウロは14節で語っている。「明らかにされるものはみな、光になるのである」とある。これは本当にすばらしい希有な御言葉である。私たちがいただいている光が、照らされていると思っている光が、本当に天からの、神様からの、イエス様からのものであるかどうかは、この特色があるか否かで判断して良い。
天からの光が私たちの中にある闇を照らす。すると、照らされた闇が何と光となり、光を放つ光源となるというのである。自然的な光、この世からの光は決してそうではないのである。それは闇を照らしたとき、ただ闇を一掃する。闇を切除しまた抑圧する。闇を排除するだけである。
もう一度、使徒言行録を読んでみよう。このような天からの光の特色が本当によく描かれている。それは、迫害者であるパウロの闇を照らした。「なぜ私を迫害するのか」と繰り返し、その闇を明らかにした。しかし、この光はそれを明らかにしつつ、その闇を排除してはいない。外科医がガンを切除するようには、迫害者であるその部分を要らないもののように切除してはいない。そうではなく、迫害者であるパウロこそが奉仕者として証人としてふさわしいとしている。なぜ、イエス様はわざわざパウロのようなものを奉仕者として証人として選ばれたのか。それは、迫害者になるほど律法の行いに熱心であった彼であればこそ、自分からの行いや意思によってではなく、ただ神様の恵みによって、イエス様を信じることによって、神様とつなげていただき、良い間柄にしていただける無上の喜びというものが、誰よりもわかるからなのである。
聖書に登場する人々は、皆そのような暗闇を抱えた人々である。創世記において学んでいるアブラハムもそうである。モーセは殺人者であった。ダビデもまた然りである。弟子たちも闇を抱え、福音書に登場する多くの女性たちも然り。しかし、彼らに神様が、またイエス様があてて下さった光は、暗闇をさばき切除する光ではなかった。その反対に、その闇から光が発するようになる光、闇ゆえにこそ神の赦しや恵みが輝き出でるようにして下さる光であった。
4. こうした天からの光、イエス様からの光の典型的な姿を、パウロは14節後半に引用された言葉で、また語ろうとしている。この引用は正確に何処からの引用なのかわかっていない。また、3行目に「そうすれば」とあるが、これを省く訳もある。私としては、それが正しい本来の意味だと思う。眠りについていた人々や死者が起き、立ちあがるのは、ひとえにキリストが彼らを照らして下さるが故である。起き、立ちあがった後に「そうすれば」キリストが彼らを照らすというのは、順序が逆転してしまっている。
眠りについた人々や死者を、天からの光・キリストの光が照らし出す。起きよ、立ち上がれ、と語りかける。何故そのように語りかけるのか。それは眠っている場合ではないから。彼らにこそ与えられる使命というものがあるから。死者となった故に、そのような闇をくぐり抜けてきた人々であるからこそ、そこに光をあてていただいて生きている私たちに、ただ自然的な光は社会的な光、この世の光だけを光として生きている私たちに、何かを語ってくれなければならない。この光のもとでは、死者となるということが本当に貴いものとされているのが感じられる。死者となることは決して悲しいことだけ、災いだけのことなどではないのである。死者であればこそ与えられる光がある。そして、その光を地上で生きている私たちに投げかけてくれる。「そうすれば」という言葉は、そこからのものなのかも知れない。死者たちが天からの光をいただき、それを私たちにも照らしてくれる。その死人からの光において、私たちはキリストからの光をいただく。
2013年 2月10日 降誕節第7主日礼拝
08:04大勢の群衆が集まり、方々の町から人々がそばに来たので、イエスはたとえを用いてお話しになった。
08:05「種を蒔く人が種蒔きに出て行った。
蒔いている間に、ある種は道端に落ち、人に踏みつけられ、空の鳥が食べてしまった。
08:06ほかの種は石地に落ち、芽は出たが、水気がないので枯れてしまった。
08:07ほかの種は茨の中に落ち、茨も一緒に伸びて、押しかぶさってしまった。
08:08また、ほかの種は良い土地に落ち、生え出て、百倍の実を結んだ。」
イエスはこのように話して、「聞く耳のある者は聞きなさい」と大声で言われた。
08:09弟子たちは、このたとえはどんな意味かと尋ねた。
08:10イエスは言われた。
「あなたがたには神の国の秘密を悟ることが許されているが、他の人々にはたとえを用いて話すのだ。
それは、
『彼らが見ても見えず、
聞いても理解できない』
ようになるためである。」
08:11「このたとえの意味はこうである。
種は神の言葉である。
08:12道端のものとは、御言葉を聞くが、信じて救われることのないように、後から悪魔が来て、その心から御言葉を奪い去る人たちである。
08:13石地のものとは、御言葉を聞くと喜んで受け入れるが、根がないので、しばらくは信じても、試練に遭うと身を引いてしまう人たちのことである。
08:14そして、茨の中に落ちたのは、御言葉を聞くが、途中で人生の思い煩いや富や快楽に覆いふさがれて、実が熟するまでに至らない人たちである。
08:15良い土地に落ちたのは、立派な善い心で御言葉を聞き、よく守り、忍耐して実を結ぶ人たちである。」
福島 純雄 牧師
1. この物語は、イエス様が語られた多くのたとえ話のなかでも、とても良く知られているものである。しかし、その語らんとする意味が正しく受け取られてきたかというと「?」マークがついてしまうように感じる。
4節の欄外タイトルには『種を蒔く人のたとえ』とある。もちろんこれは、新共同訳の編者がつけたものである。イエス様が語ったたとえのはじまりも「種を蒔く人が・・」となっている。このたとえ話のポイントが「種を蒔く人」、すなわち神様にあるということが現れている。ところが、11節以下の説明のなかには、ひとことも種を蒔く人については言及されていない。種を蒔かれた土地、すなわち私たち人間の側の信仰の在り方を吟味し、区分けするためのたとえ話として説明されている。
この説明は、イエス様ご自身がなされたものというよりは、初代教会の人々が考えた説明に他ならないであろう。様々な迫害がはじまりつつあり、そのために、折角クリスチャンとなった仲間たちが、次々と信仰から脱落する有り様を嘆き、何故なのかと、彼らは問わざるを得なかったのだろう。その問いに対して与えられた答えが、この説明に滲み出ている。
しかし私たちは、このような説明に大きく影響されて、このたとえ話を「あなたがたの信仰はどうなのか、御言葉という蒔かれた種を成長させ結実され得る信仰になっているのか」と、常にチェックを受けるようなものとして読むようになってしまった。本来、このたとえ話がもっていたであろう励ましや希望に満ちた慰めを受け取ることが出来なくなってしまったのではあるまいか。
2. もう一点、少し面倒な話であるが、このたとえ話がイエス様のもともとの思いから離れて理解された様子が、9-10節のところにも滲み出ているように感じる。
ここには、イエス様がたとえ話を用いる理由として「あなたがた(弟子たちやクリスチャン)は、神の国の秘密を悟らせるが、他の人々は『見ても見えず、聞いても理解できない』ようにするためだ」とある。イエス様がたとえをお用いになるのは、ことさら弟子たちやクリスチャンと、そうでない他の人々を区分けするためなのだということが言われている。信者となった自分たちと、そうではない人々を線引きしようとする態度が見受けられる。
しかし、これは、そもそもイエス様が言われたこととまるで正反対のことのように思う。ここで引用されている「見ても見えず・・」という御言葉は、有名なイザヤ書の言葉である。神様がイザヤを預言者として選び遣わそうとされたとき、何と、そのはなむけの言葉としてイザヤに与えた言葉なのである。「これがはなむけの言葉なのだろうか」と誰もがそう思うのだが、そうなのである。何故、それがはなむけの言葉なのか。イスラエルの人々にも、ずっと理解できなかった。そういう言葉を、イエス様はわざわざ、たとえ話を用いる理由としてお語りになったのではあるまいか。しかし、案の定、それを聞いた弟子たちには、その意味は理解できなかった。そして、先ほど言ったような、自分たちに都合のいいように曲解してしまった。
イエス様の真意はこうであったろうと私は理解する。「神の国のこと、つまり神様とは如何なるお方であり、その神様がどのような御業をされるか。それは本来、人間には神秘であり、ミステリーなのである。それは、誰にとっても、たとえ弟子たちであっても、信者にとっても、何処までも神秘であり続ける。すべての者にとって、見ても見えず・・・という性格を持ち続ける。だからこそ、それが伝えられる手段は、たとえによってでしかないのだ。」と。
たとえとは、本当に間接的な、まどろっこしいものである。単なる種蒔きの話、農作業の話にしか聞こえない。しかし、ある人々にとっては、神様についての慰め深い話になる。希望をもたらしてくれるメッセージになる。8節に「聞く耳のあるものは聞きなさい。」とある。このたとえを通して、神の国の神秘を聞くことのできる者は、さいわいなのである。
3. そこで、このたとえ話は、先ず第一に、このように種を蒔き続ける神様について語っているのである。種というものは、11節以下の説明では、限定的に「御言葉」として受け取られている。しかし、最初からそれに限る必要はないと思う。とにかく、神様がご自分の懐から、ご自分の御手から、私たちに授けて下さるあらゆる良いもの全てを指しているのである。それは、私たち人間には生み出すことのできない、ただ神様だけに由来する、神様だけが私たちのうえに蒔いて下さるものを意味している。しかし私たちは、それを幾重にも駄目にし、無駄にし、茨で覆ってしまうと言うのである。神様はそれを良くわかっておられる。けれども神様は、倦まず弛まず(飽きたり気をゆるめたりせず)、種を蒔き続けるのをおやめにならない。諦めてしまわれない。神様は「もう、こんな人間に私からの良いものを授けるのをやめよう」とは言われない。無駄になるのを承知で、蒔き続けられる。すると、蒔かれた種は、いつか必ず良い地に落ちて百倍もの実を結ぶ。そうこうやって、農夫たちも営々として種を蒔き続けてきたのではあるまいか。干ばつに何度もあい、それでも、種蒔く人には、種として蒔く種もみが絶えることもなく、食糧が必ず与えられてきたのである。神様は、こうやって私たちに良いものをお授けになるのをおやめにならない。ここにこそ、このたとえ話の第一のポイントがある。希望がある。
4. 私が抱く一つの疑問は、なぜ神様というお方は、私たちに良いものを授け、それを結実させようとなさるとき、わざわざ種を蒔くと言う手段をおとりになるのかということである。種の形で蒔くからこそ、駄目になり、無駄になり、茨に覆われてしまうということが起きる。最初から、それこそ大木のような形で、絶対に人間によって駄目にされたり、無駄にされたりということがないような有り様で、良いものを授けることもお出来になったのだと思う。しかし、もし、そのような授け方をされたとすれば、それは、人間の側には何の関与も出来ないのである。駄目にもできないかわりに、成長させることもできない。神様が授けて下さったものについて、人間は何もできない。
神様がわざわざ種を蒔くという形をとられるのは、人間の側の応答ということに、神様は委ねようとされておられるのだと思う。人間の側に、わずかではあるが必ず良い土地があることを、神様は知っておられる。そこに期待されている。神様は、種が蒔かれた良い土地との相互作用のなかで芽吹き、結実することを期待しておられる。
そして、その良いと知恵を作り出すことができるのは人間なのである。このたとえの第二のポイントは、ここにあるのだと示される。
11節以下にある土地の話は、そもそもは、そういうことではなかったのか。蒔かれた側の私たちが、どういう土地なのかを吟味し、区分けさせようとすることに、本来の趣旨はなかったのだ。そうではなく、大抵は石ころだらけの悪い土地であり、茨が深く根を張っている土地であっても、蒔かれた種を受け取り、発芽させ、大きく結実させえる良い土地があり、その良い土地を作り出すことができるのは、私たち人間なのである。あなたがたは、そういう土地を作り出すことができる。石ころだらけの、茨が根を張る土地であっても、肥料を入れ、良く耕し、良い土地を作り出せるのは、あなたがたである。
注解書のなかで、当時の実際の農作業の有り様に言及しているものもあった。ほとんどの農夫は、石ころだらけの土地に、茨をそのままにして、また種を蒔いた。しかし、ある農夫は、肥料を入れて、良く耕して、種を蒔いたのだそうだ。イエス様は、その様子を見ておられたのであろう。「あなたがたもそのようにすることが出来る。そして、神はそれを待っておられる。あなたがたが作り出したわずかの良い土地のなかで、神様が蒔いた種は必ず結実する。
だから、あなたがたも諦めるな。」
5. たとえ話の最後のポイントは、このようにして神様に蒔かれていく「種」そのものにあるのではないか。第一のポイントのところでは、それを神様が私たちに与えて下さる全ての良いものと考えた。しかし、ここでは、その種というものは、まず何よりも、イエス様ご自身のことではないかと示されるのである。蒔いている間に道端に落ち、人に踏みつけられ、空の鳥に食べられ、茨に覆われとは、まさに十字架に付けられていくイエス様のことではあるまいか。神の国の神秘、神様が為さることのミステリーとは、このようなイエス様を、神様が私たちへの一番良いものとして与え、最上の結実をする種として蒔かれた、と言うことなのである。神様は、私たちがこの種を踏みつけ、無駄にしてしまうことを、良くご存知である。神様は、このイエス様を私たちが見たときに、聞いて、良いものだ、宝物だ、宝石だ、金だ、ダイヤだと、最初からわかるようなことはなさらない。それが神様のなさりようなのである。見ても見えず、聞いても理解できない。それでも、神様は諦めない。イエス様というお方を示し続ける。蒔き続ける。聖書を通して、礼拝を通して。それは目で見てわかり、聞いてすぐ理解できるような土地によってではなく、信仰という良い土地だけが、宝物、金、ダイヤなどとは決して見えないこのイエス様を、良い種として受け入れるからである。この土地、信仰という良い土地は、もちろん、根本的には神様がその始まりを築いて下さるものだろう。しかし、第二のポイントで教えられたように、そのわずかな始まりを、地味豊かな土地にしていけるのは私たちなのである。そういう人のなかに一度蒔かれると、この種は、種自身のなかに秘めている力によって発芽し、成長し、結実していく。
私は前任地以来のつながりで「声なき者の友(FVI)」の輪という団体の理事をしている。活動は大きく二つの領域にわかれる。一つは、アフリカやアジアの貧困地域で、主として現地の人々が展開する活動を支援するもの。二つ目は、日本のなかで、いま重点を置いているのは、福島での傾聴の働きや、教会に放射能を除去できる浄水器を設置する運動であり、そのような働きを支援してくれる人々を起こす、啓蒙の働きである。小さなからし種のようなエージェントを起こす運動である。啓蒙のために上映するビデオがある。その中に、砂漠の砂のなかに埋もれていた種が、一年のうちのたった一日の雨が降った直後に一斉に芽吹き、花を咲かせ、種を落とすシーンがある。土そのものに何の栄養があるわけではない。しかし、ごくわずかな水を感じて、種には発芽する能力がある。成長し結実する力が、種そのものに秘められている。イエス様を受け入れるなら、この種はこのように結実する。100倍にも実る。
諦めずに、イエス様という良い種を身き続けて下さる神様に励まされて、石ころだらけ、茨だらけの土地であるが、そのなかに良い信仰の地を耕していきたい。
イエス様が大きく結実して下さる、収穫の時を目指して進もう。
2013年 2月 3日 降誕節第6主日礼拝
21:22そのころ、アビメレクとその軍隊の長ピコルはアブラハムに言った。 「神は、あなたが何をなさっても、あなたと共におられます。 21:23どうか、今ここでわたしとわたしの子、わたしの孫を欺かないと、神にかけて誓って(シャバ)ください。 わたしがあなたに友好的な態度をとってきたように、あなたも、寄留しているこの国とわたしに友好的な態度をとってください。」 21:24アブラハムは答えた。 「よろしい、誓いましょう。」 21:25アブラハムはアビメレクの部下たちが井戸を奪ったことについて、アビメレクを責めた。 21:26アビメレクは言った。 「そんなことをした者がいたとは知りませんでした。 あなたも告げなかったし、わたしも今日まで聞いていなかったのです。」 21:27アブラハムは、羊と牛の群れを連れて来て、アビメレクに贈り、二人は契約を結んだ。 21:28アブラハムは更に、羊の群れの中から七匹(シェバ)の雌の小羊を別にしたので、 21:29アビメレクがアブラハムに尋ねた。 「この七匹の雌の小羊を別にしたのは、何のためですか。」 21:30アブラハムは答えた。 「わたしの手からこの七匹の雌の小羊を受け取って、わたしがこの井戸(ベエル)を掘ったことの証拠としてください。」 21:31それで、この場所をベエル・シェバと呼ぶようになった。 二人がそこで誓いを交わしたからである。 21:32二人はベエル・シェバで契約を結び、アビメレクと、その軍隊の長ピコルはペリシテの国に帰って行った。 21:33アブラハムは、ベエル・シェバに一本のぎょりゅうの木を植え、永遠の神、主の御名を呼んだ。 21:34アブラハムは、長い間、ペリシテの国に寄留した。
福島 純雄 牧師
1. 22節欄外に「アビメレクとの契約」というタイトルが付けられている。アビメレクという人は、20章に登場するゲラルという地域の王であった。ゲラルは広く、ペリシテの地に属していた。ちなみに、このペリシテという地名が、今日のパレスチナの語源である。
一読しただけでは、ここから何が語りかけられているのか、よくわからない。とっかかりを探るには、いつものように、前からのつながりを考えてみるとよい。
21章初めに、アブラハムとサラに待望の跡継ぎイサクが授かった出来事が書かれていた。その次の段落には、何とも理不尽なことに、アブラハムとサラが、既に17才くらいになっていたアブラハムの子イシマエルとその母ハガルを追い出してしまった出来事が記されている。しかし、この理不尽な振舞いは、深い所で神様の御心に適っていた。100才と90才の夫婦に、神様の大きな奇跡が関与してこそ授かった子供イサクを、神様はアブラハムの子孫となさろうとされた。神様は、この神様によって授かった子供こそが、綿々と続いて行くと約束し、保証された。
こうして子孫を与えられ、綿々と続いて行くこの家族が、またイスラエルという民族が、この世にあって如何なる在り方をすべきであったのか。如何なる在り方が不可避であったのか。それを示そうとしているのだと思う。おそらく、この出来事の発端は、25節に書かれている井戸をめぐるトラブルなのだと思う。アブラハムが掘った井戸をアビメレクの部下たちが横取りしてしまった。綿々と続くであろう家であり民族ではあるが、この世に生きる限り、周囲の人々とのこのようなトラブルは避けることができなかったのだ。では、何によって、こうしたトラブルを乗り越えることができたのだろうか。そこにおいて大事な原理・原則は何だったのか。どういう生き様をすることが、こうしたトラブルを無事に乗り越えさせるものだったのか。
2. まず何よりも大切な原理・原則として示されているのは、34節のところにある。跡継ぎが授かったアブラハムは、ペリシテの国で長い間、寄留者であった。跡継ぎが生まれ、そこから綿々と民族が繁栄して行くというならば、そのような家族には何よりも確固とした生活の基盤である土地・財産が与えられてしかるべきではないのかと私たちは考えてしまう。神様がイサクを授けてこの家の繁栄を保証されたのならば、そこで最も必要なのは定住すべき土地ではないかと感じる。しかし神様は、この家族にそうした土地を与えられることはなさらなかった。23章に書かれているように、この夫婦が生涯にわたってやっと手に入れることができた土地は、妻のサラの亡きがらを葬るための墓だけであった。神様が、彼らに相応しい在り方として与えられたのは、長い間、ペリシテの国に寄留者として留まる事であった。寄留者として生きることこそが不可避であった。そのこと故の労苦もあった。しかし、また同時に、寄留者として生きたからこそ、様々なトラブルを首尾よく乗り越えていくこともできたのである。寄留者として生きることが原理・原則であった。
このことを、今日のイスラエルの人々はどのように受け取るかを聞いてみたいものだと思う。34節の御言葉は、神様がただ一時、或いは、アブラハムのみに暫定的に取らせた在り方なのであって、それが未来永劫、アブラハムの末であるイスラエル民族に与えられた原理・原則的な在り方などではないと答えるかも知れない。
モーセがエジプトを脱出し、パレスチナの人々から土地を奪い(聖書によれば、それも、また神様ご自身がよしとされたことだったではないか)、サウル以後、王国を築いたということは、この34節の在り方が決して未来永劫イスラエル民族に課された理想の在り方などではないとも言える。今のイスラエルの在り方こそが、出エジプト以後の在り方に適っているということかも知れない。
しかし、そうではなく、やはり、アブラハムは民族の祖であり、信仰の祖でもあり、彼の在り方はイスラエルや私たちクリスチャンの在り方の原理・原則を示しているのだと思う。イサクという待望の跡継ぎを与えられた直後の在り方だからこそ、それは神様がこの家に、子々孫々にわたって続いて行くであろう民族に与えて下さった在り方なのだと思う。
ペリシテこそが、パレスチナという語の源なのである。アブラハムが、また、その子孫であるイスラエルが、パレスチナの地に寄留者として留まり続けたこと、このことこそが彼らに与えられた不可避の在り方なのではないか。それは、労苦の多いことだっただろう。井戸をめぐるトラブルも尽きなかったであろう。しかし、それこそが、この地に長く留まることができ、また、繁栄して行ける在り方であったということなのだ。
3. なぜ、寄留者としての在り方にならざるを得なかったのか。それはまた、34節の「ペリシテの国に」という言葉に込められていると思う。アビメレクは、この国の王であった。国というものがつくられ、そこに王がおり、王は国権を握っていた。そのような国の中で、寄留者としてではなく、確固とした基盤を持ち、揺らぐことない生活を打ちたてようとすれば、それは、こうした国と対抗する国をアブラハムもまたつくり、王として君臨し、国権を握ることになったはずである。そこに生じてくるものは何だったか。言うまでもなく、戦いであり、領土をめぐる争いであっただろう。しかし、この物語全体が語っているのは、神様がこの家に求めているのは、そのような在り方ではないということである。それは、とてもはっきりしている。アビメレクとアブラハムが、まず最初に確認し誓い合ったのは、友好的な態度であった。平和的に過ごすとういことであった。戦いではなかった。武力によって井戸を奪い合うことではなかった。
国の中で争わない者として生きるためには、寄留者でなければならない。寄留者であることこそが、イスラエルをして綿々と存続させる原理・原則ではあるまいか。バビロニアによって祖国を滅ぼされ、バビロンに捕虜とされたとき、イスラエル民族はまさしく存亡の危機に立たされた。祖国の滅亡と共に、民族も宗教も滅びるのが常であると言われている。しかし、イスラエルが滅びなかったのは何故か。それは、寄留者として生きる在り方を失わなかったからに他ならない。モーセ以降、どんなにパレスチナの中に王国をつくったとしても、それを否とする信仰の伝統(それを力強く語り続けたのが預言者である)を失わなかったからに他ならない。どんな国の中でも、寄留者として生きる在り方を喪失しなかったゆえに、国の滅亡と共に民族としての在り方を失うことはなかったのだ。
4. では、寄留者として生きることの根源にあるものは何か。それは33節に書かれている姿に他ならない。
ぎょりゅうの木とはどのようなものか。聖書辞典で調べてもその写真を見ることはできなかった。成木になれば3~5メートルほどになるそうである。アブラハムが植えたのは、小さな苗木であっただろう。しかし、そのような小さな木であっても、アブラハムには永遠の神様を覚え、礼拝するよすがとして十分であった。
これと、国をつくりその国を治める王が礼拝する姿と較べたら、どうであっただろうか。王にとっては、何よりも国の存続が第一である。王は、国の繁栄こそを神様に求め、そのために礼拝するであろう。だから、そのよすがとなる礼拝施設・礼拝堂は、おのずから大きなものとなるだろう。繁栄に相応しい、繁栄を象徴するような礼拝施設が建てられるだろう。しかし、アブラハムは国の繁栄を求めなかった。彼の心が向かったのは、永遠の神であった。目に見える国家の繁栄を超えていたのである。
アブラハムのように神様を礼拝するものは、おのずからその国の中にあって寄留者たらざるを得ない。それは、よそ者であり、異質者であり、エイリアンである。イスラエルの人々が、またクリスチャンが、ローマ帝国にあって、また、この国にあって、異質者として迫害されたこと故なきことではなかったのである。
本当に根源的な理由があったのである。国は、国の存続を第一にする。宗教も、それが第一の目的である。しかし、私たちが受け継いでいる信仰はそうではない。たった一本の貧しいぎょりゅうの木が指し示すのは、イエス様である。それを目指して進む寄留者である。国の中に生きざるを得ないが、しかし、根源的な在り方は、寄留者なのである。
5. 寄留者としての在り方が、具体的なトラブルを乗り越えさせた。直接のトラブルのきっかけは、おそらく井戸をめぐる争いであっただろう。この井戸をめぐるトラブルは、結論的にどうなったのか。物語を読む限りでは、玉虫色である。30節では、井戸を掘ったのがアブラハムであることだけは認めさせようとしている。そのうえで、その井戸の使用についてはお互いに自由に、というのが決着ではなかったか。何よりも大事なのは、はじめにアビメレクが提案しアブラハムが承認しているように、友好的な態度を取ること、平和的に過ごすことなのである。勿論、アブラハムは、自分の主張はちゃんと言った。相手の非を指摘した。しかし、争うことが目的ではなかった。平和的に過ごすことが目的であった。だから、井戸を掘ったのは自分だという点だけ認めてくれれば、使用についてはOKなのである。そして、アブラハムのほうから贈り物をしたのである。
こうした態度を取ることができたのは、永遠の神様を礼拝する故の、土地や目に見えるものに縛られない、寄留者であるからなのではあるまいか。井戸を、とことんまで自分だけの所有であると主張し、相手に使用させない態度は、この世に縛られている姿である。永遠の神様を目指して、寄留者として歩んでいる者の姿ではないのである。
2013年 1月27日 降誕節第5主日礼拝
04:25だから、偽りを捨て、それぞれ隣人に対して真実を語りなさい。 わたしたちは、互いに体の一部なのです。 04:26怒ることがあっても、罪を犯してはなりません。 日が暮れるまで怒ったままでいてはいけません。 04:27悪魔にすきを与えてはなりません。 04:28盗みを働いていた者は、今からは盗んではいけません。 むしろ、労苦して自分の手で正当な収入を得、困っている人々に分け与えるようにしなさい。 04:29悪い言葉を一切口にしてはなりません。 ただ、聞く人に恵みが与えられるように、その人を造り上げるのに役立つ言葉を、必要に応じて語りなさい。 04:30神の聖霊を悲しませてはいけません。 あなたがたは、聖霊により、贖いの日に対して保証されているのです。 04:31無慈悲、憤り、怒り、わめき、そしりなどすべてを、一切の悪意と一緒に捨てなさい。 04:32互いに親切にし、憐れみの心で接し、神がキリストによってあなたがたを赦してくださったように、赦し合いなさい。 05:01あなたがたは神に愛されている子供ですから、神に倣う者となりなさい。 05:02キリストがわたしたちを愛して、御自分を香りのよい供え物、つまり、いけにえとしてわたしたちのために神に献げてくださったように、あなたがたも愛によって歩みなさい。 05:03あなたがたの間では、聖なる者にふさわしく、みだらなことやいろいろの汚れたこと、あるいは貪欲なことを口にしてはなりません。 05:04卑わいな言葉や愚かな話、下品な冗談もふさわしいものではありません。 それよりも、感謝を表しなさい。 05:05すべてみだらな者、汚れた者、また貪欲な者、つまり、偶像礼拝者は、キリストと神との国を受け継ぐことはできません。 このことをよくわきまえなさい。
福島 純雄 牧師
1. パウロが何度も何度も「・・しなさい」や、「・・してはならない」という禁止や命令を、これでもかこれでもかと、語っている。それは、エフェソ教会に、パウロがこれほどまでに、しつこく言わざるを得ない現状があったことを物語っている。28節には、盗みをはたらくことについて語られており、31節では無慈悲と憤り、怒りとわめきとそしりが、5章3節以下では「みだらなこと・・」について言及されている。要は、エフェソ教会の人々は、クリスチャンになった後も、そうなる以前の生活や振舞いと何ら変わることのない生き方をしていたということであろう。
確かに、クリスチャンになる前となった後で、短い間に、そんなに大きく生き方が変わるということはないかも知れない。受洗準備会の時に、私はよく、そういうお話をする。洗礼を受ける前の日と受けた後では、がらりと人が変わるなどということは、皆無ではないにしても、少なくとも私は見聞きしたことがない。しかし、何十年という長い年月で見たときには、クリスチャンになる以前とそれ以後の在り方には、大きな違いが生ずるのではないだろうか。そうでなければおかしい、と言わざるを得ない。
エフェソ教会の人々は、まだクリスチャンになって間もなかったのかも知れない。だから、残念ながら、何の変化も生じない在り方をしてしまっていたのだろう。
私は、50歳になったとき、郷里で久しぶりの同級会があった。二次会に参加した中には、小学校から高校までずっと同じ学校の者もいた。そのなかのある人が、私に『お前は本当に変わったな』と、温かなまなざしを向けて言ってくれたことを、忘れることができない。傲慢で不遜な人間だった私が、もしクリスチャンにならず、教会から離れて生きていたら、どんな人間になっていたか分からない。今もなお、幾分傲慢で不遜ではあるが、これでも随分とよくなったのである。いくらか他人の役に立てる人間に変えられたのである。それはクリスチャンになり、また牧師として生きてきた故である。
2. それでは、クリスチャンになった私たちを変える『原動力』とは何であろうか。イエス様を信じて洗礼を受け、イエス様に繋げられ聖霊を注がれて・・・と、要は神様が為さって下さることだということは確かである。私たち自身で出来ることではないというのも、その通りである。ただ、4章17節以下でパウロが語っていることに、とくに注目させられた。彼はたびたび「学ぶ」とか「教えられる」とか「考え」や「知性」ということを語っている。4章20節には「キリストをこのように学んだ」とあり、21節では「キリストに結ばれて教えられ、真理がイエスの内にあるとおりに学んだ」とある。クリスチャンになる以前と、その後では、それまでには知らなかった真理を学ぶということが決定的に大きいのである。イエス・キリストにおいて、それまでは知らなかった知恵や知性や認識を得る。そのことを以って、実際に生きていく。
内村鑑三は、もともと科学者であった人で、しばしば信仰の実験ということを言っていた。信仰によって得た真理・真実・法則を、実際の生活に当てはめて実験・実証をしてゆくことが信仰生活であると。
3. 少し脱線になるかも知れないが・・・。信仰によって新しい真理や認識を得ることが、生き方のうえで大きな変化を生じさせるものだ。そのことを教えてくれる実例を、先日TVを観ていて、しみじみ思った。世界の中で、私たちが考えもつかない不思議な生き方をしている人々を紹介する番組であった。
アフリカに、生涯をずっと湖の上で生活する部族があるという。彼らは、もう何百年も、そうした生活を続けている。その発端はどういうことだったのか。彼らの祖先は、奴隷商人に捕まえられ、奴隷として売り飛ばされた。あるとき、目の前に広がる湖に逃げて、そこで生活するようになったという。追う奴隷商人の部族は、どうして湖の上まで追いかけてこなかったのか。番組では、それがどんな宗教かは触れられなかった。しかし、奴隷商人たちは、その宗教上のタブーから、体を水につけることが許されなかったようだ。ところが、逃げた人々は違っていたわけである。こちらも、具体的にどんな宗教であったかは明かされなかった。私は、それはおそらくはキリスト教ではないかと想像した。というのは、番組内で紹介された家族のなかに『クリスチャン』という名前の子供がいた。彼らには、水に関するタブーや戒律がなかったのであろう。おそらくそれまでは、湖の上で生活することなど、考えてもみなかったかも知れない。しかし、自分たちが信じている信仰や、そこで与えられた認識や真理を改めて考え、それを今の状況に当てはめて応用してみたのだろう。すると、追う奴隷商人たちとは違って、自分たちは湖の上で生活することについて何のタブーもないことがわかったのだろう。信仰による真理・認識が、彼らに新しい生き方を可能にしたのだ。湖上での生活を大胆に受容させる力があったのである。
私は、改めて、キリスト教信仰の素晴らしさは、私たちに新しい真理や新式・知性を授けて、それ以前のタブーや戒律・先入観・偏見から私たちを解放し、新しい生き方へと進ませ、まさしく湖上へと進ませる、そういう力を与えてくれるところにあると思った。
4. さて、クリスチャンになることによって、エフェソ教会の人々は、それまで知らなかったどういう真理・認識を得たのだろうか。パウロは、このうち幾つかのことを語っている。それをエフェソ教会の人々に、もう一度、思い起こさせようとしている。先ずは、30節の「あなたがたは、聖霊により・・保証されている」という言葉である。また、これが一番の中心であるが、4章32節から5章のはじめにかけて「神がキリストによってあなたがたを赦して下さった・・あなたがたは神に愛されている子供・・キリストが私たちを愛して、ご自分を神に捧げて下さった」とある。
何よりも核心にあるのは、イエス・キリストにおいて神様は、私たちをその子供として愛して下さっているということである。イエス・キリスト故に、この神様の愛から私たちを引き離し、これを邪魔し、妨げるものはないという真理・認識である。この真理・認識は、クリスチャンではなかったときに、人々が抱いていたそれと、どのように違うのだろうか。
最初、パウロがエフェソに伝道に行ったときの様子を記した使徒言行録19章の御言葉を参照して、エフェソの町がどういう町であったに思いを馳せた。
この町には、アルテミスという女神をまつる神殿があり、人々はこの神殿の模型を作り、それで生活をたてていたという。また、魔術を行っていた多くの者たちが、パウロの教えを聞いて、その魔術本を焼き捨てたところ、何とその総額が銀貨5万枚にもなった、という(使徒言行録19章18節以下)。先日は、私がふと観たギリシャ神話に基づく映画の話をしたが、一言で言えばギリシャの神々にとって、人間とは自分たちに奉仕をさせる奴隷でしかないようである。天上の神々が肥え太り、きらびやかな生活ができるのは、ひとえに地上の人間たちが天上の神々を称え、献げ物をすることにかかっている。神々に良い奉仕をした人間には褒美が与えられ、反対に神々の不興を買った者には天罰が下る。人間はつねに神々のご機嫌を伺い、不安におののき、何か悪いことが起きると神々の不興を買ったのではないかと思い煩う。唯一、人間の側で神々に対抗し得る手段が、魔術であった。あるいは、占いによって、神々のご機嫌を伺った。
今日の私たちは、このように天上の神々に仕え、恐れて生きるなどということは、関係ないかもしれない。しかし、天上の神々に代わって、私たちに奉仕させ、奴隷としてこき使い、不安と恐れによって雁字搦めにする『神々』ならば、本当に数多くいるのである。もはや、3人に1人しか正規職員になれない時代である。正規職員になっても、いつリストラに遭うか、戦々恐々として生きている私たちである。どれほど多くの人々が心を病み、不安に取り付かれ、タブーや戒律や、こうでなければ生きられないと思いこんでいるか。そういう神々のもとでの認識や、誤った真理によって生かされているか。
5. そこに、全く違う認識・真理がもたらされたのである。それが、先ほど触れたことである。確かに、尚、そうした神々はいるであろう。私たちを奴隷として支配し、こき使う力を持っている者たちはいるのである。けれども、彼らは神ではない。彼らの支配は究極のものではない。最も力ある方ではない。唯一の神は、イエス・キリストが示した下さった神である。イエス・キリストにおいて、私たちを子供として愛して下さる神である。この神が私たちに与えて下さる愛を、邪魔し、妨害し、排除することのできるものはいない。この神が、私たちに不断に注いでくださる聖霊を遮断し、その力から私たちを引き離すことのできる神々などいない。
先ほど紹介したアフリカのある部族は、こういう認識の下に、真理の下に、湖の上へと新しい生き方をできるようになったのである。陸の上でしか生きられないのだ。そこでは奴隷商人たちが自分たちを捕え奴隷として売り払おうとしている。それでも、ここにしか生きられない。そう思っていた。そういうなかでクリスチャンになった。或いは、改めて、クリスチャンとして授かった真理をいま一度、捉え直してみたのである。すると、新しい生き方が見えてきた。湖の上でも生きて行って良い、生きていくことができる。そこでも、私たちは神様の子供として生きることに何の妨げもない。むしろ、そこでこそ、奴隷商人の恐れから逃れ、あるいは彼らを憎しみ対立するといった生き方から解放される。
何処に行っても、どんな状況のもとでも、私たちは神様の愛を受けた子供であり、聖霊の守りを受けているという真実の認識は、私たちの生き方を具体的に変える力を持っている。パウロがいろいろと言葉を重ねて命じ、勧めている在り方というのは、要は、神様に愛されている子供、必要にして十分なものをいつでも備えられていることを知っている者としての生き方なのである。
2013年 1月20日 降誕節第4主日礼拝
08:01すぐその後、イエスは神の国を宣べ伝え、その福音を告げ知らせながら、町や村を巡って旅を続けられた。 十二人も一緒だった。 08:02悪霊を追い出して病気をいやしていただいた何人かの婦人たち、 すなわち、七つの悪霊を追い出していただいたマグダラの女と呼ばれるマリア、 08:03ヘロデの家令クザの妻ヨハナ、それにスサンナ、そのほか多くの婦人たちも一緒であった。 彼女たちは、自分の持ち物を出し合って、一行に奉仕していた。
福島 純雄 牧師
1. 7章36節から8章3節までの物語は、ルカだけが記した箇所である。章の区切りは、もともとの文章にはなかった。後代の研究者たちがつけたものである。8章3節までは、7章36節以下7章の終わりまでのところと深くつながっている。ルカは、もともとひとまとまりの部分として記し、この場所に置いた。
彼はこの箇所を、わざわざ35節までの物語の直後に置いたのである。35節までには何がかかれていただろうか。ヨハネがイエス様に、獄中から「来るべき方(つまり救い主のこと)はあなたですか」と問うたという。ヨハネがこのような問いを投げかけたことは、ルカにとっても、またこの福音書の読者にとっても、決して他人事ではなかったのだと思う。そして、その問いかけへのはっきりとした答えを得ていた人々として、ルカは、36節以下に、何人かの女性たちの姿を記したのだ。
2. イエス様と一緒に(12人も一緒に)福音を宣べ伝えたことを1節は記している。それだけでなく、マグダラのマリヤを筆頭に、多くの女性たちも「一緒であった」と2節は記している。それは、イエス様の宣べ伝えにおいて、そして、イエス様が天に帰られたあとの使徒たちの福音宣教において、こうした女性たちの働きが不可欠であったことを示している。
3節には「彼女たちは自分の持ち物を出し合って一行に奉仕していた」と書かれている。女性たちが持ち出したものというのは、決して、ただ単に物やお金や奉仕の働きだけではなかったと思う。むしろ、もっともっと大切であったのは、最も不可欠であったのは、彼女たちの信仰であったに違いない。イエス様が救い主であるという深い信仰の確信であったに違いない。それは、12人の男性使徒たちには到底持ち得ない女性たちの信仰であっただろう。女性たちがイエス様に悪霊を追い出していただき、病気を癒していただいたが故に、抱くことができた信仰の財産であった。現在の私たちには、もう知ることのできない、初代の教会における女性たちが果たした深い役割の一端を指し示しているのではなかろうか。
話は脱線するが、今日の女性たちの筆頭に、マグダラのマリヤが挙げられている。新約聖書の外典・偽典とよばれる文書の中に、彼女の名前がかぶせられた「マリヤの福音書」と呼ばれるものがある。一連の文書の中で、唯一女性の名前が冠されているものである。私は今回、図書館からこれについての研究書を何冊か借りて来て読んでみた。この「マリヤの福音書」の内容についても、初めて目にする機会を与えられた。
(カレン・キング『マグダラのマリヤによる福音書 -イエスと最高の女性使徒- The Gospel of Mary of Magdala: Jesus and the first woman aspostle』河出書房新社)
これが書かれたのは、おそらくは、新約聖書と重なる時代とのことで、コプト語とギリシャ語で書かれた2種類の写本が残っているそうである。最初の数ページは無くなってしまっており、残っている部分の書き出しは、マリヤがペテロたち4人の男性使徒を慰める場面から始まっている。あとの方には、ペテロたちのマリヤへのヤキモチや嫉妬の気持ちが表現されている。初代の教会のマグダラのマリヤをはじめとする女性たちが果たした大きな役割があったことが伺える。ルカのこの記述も、そうした一端を語っているに違いない。
3. それでは、この女性たちが持っていた信仰とは、如何なるものであったのか。それは、悪霊を追い出していただき、それによって病気を癒していただいたことによる信仰であった。それが具体的にどういうものであったかは、この8章1~3節には書かれていない。しかし、ひとまとまりの物語としてルカだけが書いた7章36節以下の箇所にルカは、その有り様を記そうとしたのではあるまいか。そうしたことから、7章36節以下に記されている女性はマグダラのマリヤではないかと、5世紀6世紀頃から喧伝されるようになったという。勿論、同一人物ではなかったであろう。しかし彼女が、またマリヤ以外の女性たちが、悪霊を追い出していただき、病気を癒して貰ったことを彷彿させるものとして、36節以下の女性の姿が描かれているのではあるまいか。
これは、彼女がイエス様から与えられた罪の赦しが「肯定」されたということだからだと思う。罪の赦しとは、犯した罪が帳消しにされるとか、無かったことにされることではない。加害者は加害者であり続けるし、被害者やその遺族は決して加害者を許すことはできない。赦しとは、彼が加害者であればこそ、その負い目や負債や申し訳の無さにおいて、神様の恵みを与えられ、そこにおいて神様からの「肯定」というべきものを授かって、新しい歩みをしてゆけることだと思う。罪を犯した故のマイナスの中にこそ、何らかの使命を果たすべき役割を与えられて、罪を犯した者だけが為しえる歩みを進めて行くことだと思う。決して、罪を犯したこと、そのものの肯定ではない。
罪を犯したこの女性は、そのような「肯定」をイエス様から与えられたのだと思う。そして、そのことへの感謝を、ここに記されているような、全身全霊に現れる態度で、公衆の面前で、惜しげもなく大胆に現したのであろう。その場が、自分のことをどれほど悪しざまに言うかわかっているファリサイ人の家であることなど、いっさい気にかけなかった。当時、人前で、成人した女性が髪を解くという行為は、今日でいうと人前で裸になるのと同じ感覚だったであろう。そして、高価な香油を惜しげもなく注ぎ、イエス様の足に接吻をし続けた。
私がここで感じさせられるのは、イエス様から与えられた「肯定」が、彼女をしてこのような姿をとらせしめるほどのものだったことである。肯定の深さ、その深い体験が、彼女のこうした生き方、振舞いに受肉している、肉体化しているのである。単に感情やうわべだけのものに留まっていないのである。本当に彼女をしてその生き方を激変させる力をもっていたのである。
これこそが、12人の男性の使徒たちにはなく、この女性たちだけが与えられ、差し出すことができた信仰の財産ではなかったか。獄中から「来るべき方はあなたですか」と問うたヨハネにも、このような深い体験は無かったのである。12人の使徒たちには、のちに、復活したイエス様との出会いにおいて、こうした「肯定」が与えられた。しかし、どうも男性の使徒たちには、そのイエス様から与えられた「肯定」が、この女性たちほどにその生き方において受肉する者にはなり得なかった、と感じられる。
そうであればこそ、マリヤの福音書の一節にあったように、男性の使徒たちは、マリヤから慰めを受けねばならなかったのである。ペトロなどは、再三再四、イエス様から、またパウロからも叱責を受けた。こうした「肯定」が、深く彼に受肉しているならば、異邦人の隊長コルネリオから食事に誘われたとき(使徒言行録10章)、何らためらう必要はなかったであろう。
4. マグダラのマリヤをはじめとする女性たちから追い出された悪霊が、如何なる存在であったかは、何もわからない。
しかし、それは神様から与えられた「肯定」を与える霊ではい。「否定」を囁くところの、そうやって私たちから希望や生きる喜びを奪うところの悪しき霊、この世や人間からやってくるところの霊ということなのであろう。アブラハムとサラのことから言えば、神様の使いがイサクの誕生を告げたとき、彼らは嘲笑った。サラは、自分はボロ雑巾のような者で、何の楽しみもないと言った。神の使いが不思議な喜びを告げ、もたらそうとしているときに、私たちをして、このように言わしめるのである。これが悪霊と言うべき存在なのである。マグダラのマリヤには、これが7つも付いていた。私たちには、いったいどれほどの悪霊がついているのだろうか。女性という存在は、悪霊がついたとき、それが肉体に病気として現れやすいのではあるまいか。その逆も然りである。マリヤは、聖霊によってイエス様を宿した。女性の体は男性とは異なり、聖なる霊によるものを肉体に宿しやすいのであろう。聖霊によって何ものかを宿し得るのが女性なのである。だから、また、悪霊によって病を宿しやすい。
この女性たちは、自らの体験において、人間が、とくに自分たち女性という存在が悪霊に取り付かれ易いものであることを深く知った。
悪霊に憑かれることが、肉体の病を引き起こすことも知った。その恐ろしさを知った。だからこそ、聖なる霊をいただく不可欠さを知った。聖霊をいただかなくては如何ともし難い人間を知った。そして、悪霊を追い出し、聖なる霊を下さるのはイエス様であることを知った。その福音を、この女性たちは深く、力強く、宣べ伝えたのであろう。
2013年 1月13日 降誕節第3主日礼拝
21:09サラは、エジプトの女ハガルがアブラハムとの間に産んだ子が、イサクをからかっているのを見て、 21:10アブラハムに訴えた。 「あの女とあの子を追い出してください。 あの女の息子は、わたしの子イサクと同じ跡継ぎとなるべきではありません。」 21:11このことはアブラハムを非常に苦しめた。 その子も自分の子であったからである。 21:12神はアブラハムに言われた。 「あの子供とあの女のことで苦しまなくてもよい。 すべてサラが言うことに聞き従いなさい。 あなたの子孫はイサクによって伝えられる。 21:13しかし、あの女の息子も一つの国民の父とする。 彼もあなたの子であるからだ。」 21:14アブラハムは、次の朝早く起き、パンと水の革袋を取ってハガルに与え、背中に負わせて子供を連れ去らせた。 ハガルは立ち去り、ベエル・シェバの荒れ野をさまよった。 21:15革袋の水が無くなると、彼女は子供を一本の灌木の下に寝かせ、 21:16「わたしは子供が死ぬのを見るのは忍びない」と言って、矢の届くほど離れ、子供の方を向いて座り込んだ。 彼女は子供の方を向いて座ると、声をあげて泣いた。 21:17神は子供の泣き声を聞かれ、天から神の御使いがハガルに呼びかけて言った。 「ハガルよ、どうしたのか。 恐れることはない。神はあそこにいる子供の泣き声を聞かれた。 21:18立って行って、あの子を抱き上げ、お前の腕でしっかり抱き締めてやりなさい。 わたしは、必ずあの子を大きな国民とする。」 21:19神がハガルの目を開かれたので、彼女は水のある井戸を見つけた。 彼女は行って革袋に水を満たし、子供に飲ませた。 21:20神がその子と共におられたので、その子は成長し、荒れ野に住んで弓を射る者となった。 21:21彼がパランの荒れ野に住んでいたとき、母は彼のために妻をエジプトの国から迎えた。
福島 純雄 牧師
1. 今日の物語は、創世記の中でも印象深いものの一つである。とくに14節以下の、息子イシマエルを思う母ハガルの姿は哀せつ極まっている。この御言葉を読んで、私たちは大いに憤慨し憤るのではあるまいか。と言うもの、サラはハガルとイシマエルを追い出せと要求し、悩んだ末にアブラハムに「すべてサラが言うことに聞き従え」と言われたのは、他でもない神様なのである。
そもそもアブラハムに自分の女奴隷ハガルを与えてイシマエルを産ませたのはサラであった。生物学的にはともかく、当時の慣習から言ってもイシマエルはサラ自身の子と見なされる。追い出すというのは、余りに理不尽すぎる。悩んだアブラハムであるが、本来、筋を通してサラを説得するのが、彼のすべきことではなかったのか。どうしても追い出さざるを得ないにしても、当然、イシマエルには子供としての相続権がある(なお、物語の印象では、イシマエルは未だ小さい子供のような感じを受ける。しかし、物語の流れから言えば、彼はアブラハム86歳のときの子供であり、いまアブラハムは100歳を少し過ぎているので、少なくとも17~18歳くらいにはなっている)。
ところが、彼らに渡されたのは、わずかなパンと水だけであった。これもまた、余りにもひどい扱いではないか。
このような物語から、私たちはどのようなメッセージを受け取れるだろうか。うわべだけを読んで「とにかく妻の言うことはどんな理不尽なことでも聞き従うべきだ」とか、「神様の求めることはどんなに理不尽でも従え」とか、そういうようなメッセージと受け取ってしまうかも知れない。しかし、それはとても不幸な読み方である。
2. 確かにサラの要求、そしてそれに聞き従えと言われた神様の御言葉は、理不尽としか言いようがないように取れる。しかし、その理不尽にしか見えないところに、実に奥深い神様の御心があると示されるのである。10節のサラの言葉「あの女の息子は、わたしの子イサクと同じ跡継ぎになるべきではありません」は、神様の御心にかなっている。12節の最後「あなたの子孫はイサクによって伝えられる」との御心に適っているのである。それはどういう御心なのか。
そもそもイシマエルとは何を象徴し、イサクとは何を現しているのか。イシマエルという子供は、神様の約束成就を待つことができなかったゆえに、サラが自分の奴隷ハガルを夫に与えて「手に入れた」子供なのであった。
すべて、子の誕生には、突き詰めて神様の奇跡というものが関与しているとは思う。しかし、イシマエルの誕生において大きな部分を占めていたのは、人為的なものではなかったか。
これに対して、イサクの誕生とは何であったか。それは100歳と90歳の老夫婦からの誕生なのであった。イサクは聖霊によって宿ったのではなく、そこには、この老夫婦の肉体的な営みもあったのではないかと思う。人為もあったのである。しかし、イシマエルの誕生とは対照的に、そこに大きく占めているのは神様の奇跡であった。人為に対して、言わば「天為」というべきものであった。「天与」と言ってもよい。何よりも天為というものが働かなければ、とうてい生まれえなかった子供がイサクであった。
「あなたの子孫はイサクによって伝えられる」との12節の神様の言葉には、こういう深い意味が込められているのだと思う。綿々として存続して行く子孫。その根源にあるのは人為ではなく天為なのだということ、神様の奇跡によって生み出されたものが伝えられていくものなのだということを思う。
3. イサクと言う名前の由来も、改めて思い起こさせられる。最初に、神様の使いよりイサクの誕生を告げられた時に、老夫婦はあざわらったのであった。とくに妻のサラは、自分はボロ雑巾のようなもので、何の楽しみもないと言った。そんな彼らがイサクの誕生によって、心からの喜びの笑いをなすものに変えられたのである。神様のなす奇跡天為というものが私たちに与えられたとき、それは私たちの側の希望の無さや自分で自分を嘲笑するしかない状況を変えて下さる。嘲笑ではなく、喜びの笑いをなすものへと変えてくださる。人為によっての喜びには、そのような力はないのである。天為による喜びというものが、綿々と受け継がれていくのである。
教会がこのように続いているのも、突き詰めればその根幹に、天為によっての喜びというものがあったからだと改めて思う。十字架の上で殺されたイエス様を復活させた天為があった。イエス様を十字架の上で殺してしまうような社会のただ中に、ご自分の独り子を誕生させた天為があった。教会が伝えているものの根源には、これがある。そのことが教会を、歴史の中で多くの過ちを犯してきた教会を、今日なおも存続させている。復活のイエス様と出会うことによって、自分たちを嘲笑するしかなかった弟子たちは、心からの喜びの笑いをなすものに変えられた。迫害者であったパウロは伝道者へと変えられた。教会を綿々と存続させるものは、この喜びなのである。天為によって生じた喜びの笑いなのである。
4. 詳しいことは何も書かれてはいないが、アブラハムはこのような神様の御心を教えられて決断を為したに違いない。その決断と言うのは、要するに、イシマエルとイサクの違いというものを見極めるということなのである。自分の跡継ぎとして大事にすべきはどちらなのか。そのことに気づくことなのである。その見極めがつかず、イサクもイシマエルもどちらも自分の子供として、跡継ぎとして、大切にしようとしたところに、11節の「非常に苦しめた」理由があるのではないか。確かに「その子も自分の子であった」のは間違いない。しかし、自分の子であるが、跡継ぎになるべき子ではなかったのである。綿々と存続して行く者ではなかったのである。非情ではあり、理不尽ではあるかも知れない。しかし、別れて行くべき者としての自分の子もいるのであった。
私たちは生涯の中で、様々な意味での「自分の子」というべきものを産み落としていく。それは仕事であったり、業績を残すことであったり、家を建てることであったりする。しかし、今日の御言葉から教えられるのは、そのすべてがイサクではないということである。むしろ、その多くは、決別すべきイシマエルでしかないのである。決別すべきイシマエルをも、何処までも「自分の子」として守り育てようとするところに、私たちの悩み苦しみが生じるのではあるまいか。
私のごく近しい家族に、その一家のご主人がとても悩んでおられる家庭がある。具体的な名前は出せないが、彼には心の病があって、自殺の危機があるのではないかと心配している。確かに彼にとっては、自分がこれまで通り仕事をし、給料をもらい、建てた家を守って行くことが大事なのである。そうしたものを、ある意味で「自分の子」とし、無くてならぬものとして守ろうとしている。それは、今日の御言葉から言えば、イシマエルをどこまでも自分の子として守り育てようとして苦しんでいるアブラハムの姿と重なる。本当に大切な、この家庭に心からの喜びの笑いをもたらすイサクとは、何だろうか。この家族にとっての天為天与とは何だろうか。それは、結婚し思いもかけず子供も授かったことなのだと思う。それを、イサクとして大事にし、それ以外のイシマエルとは訣別して行かねばならない。
5. これを見極めることができれば、後はうまく運んで行くのである。なるようになるものなのである。追い出されたハガルとイシマエルはどうなってしまうのか。それは、アブラハムに代わって、神様が養育して下さる。13節の御言葉はそれを示したものである。12節のことがわかったとき、おのずと13節のことも見えてくる。苦しんでいた、解決不可能と思われていた難題が、するすると解けて行く。それは、イサクとイシマエルの見極めがついたからなのだ。自分が本当に大切にすべきものがわかったとき、これまで悩み苦しんでいたことに解決が見えてくる。
ハガルもまた、19節にあるように「目を開かれ」なければならない。なぜ、こんな理不尽な仕打ちをされるのか。何故なのか、と嘆いてばかりでは、決して子供と共に生きる道は見出すことはできない。神様がハガルの目を開かれたというのは、ただ井戸を見つけさせたということではなく、神様の深い御心がわかったということなのである。自分や息子にとっては本当に理不尽としか言いようのないことではあるが、そこに神様の御心があるとわかったのである。もはや、アブラハムの支えを受けることはできず、決別すべき時がきたことを悟ったのである。
それがわかると、水のある井戸も見えてくるのである。母としてなすべき事も見えてくるのである。
2013年 1月 6日 降誕節第2主日礼拝
04:17そこで、わたしは主によって強く勧めます。もはや、異邦人と同じように歩んではなりません。 彼らは愚かな考えに従って歩み、 04:18知性は暗くなり、彼らの中にある無知とその心のかたくなさのために、神の命から遠く離れています。 04:19そして、無感覚になって放縦な生活をし、あらゆるふしだらな行いにふけってとどまるところを知りません。 04:20しかし、あなたがたは、キリストをこのように学んだのではありません。 04:21キリストについて聞き、キリストに結ばれて教えられ、真理がイエスの内にあるとおりに学んだはずです。 04:22だから、以前のような生き方をして情欲に迷わされ、滅びに向かっている古い人を脱ぎ捨て、 04:23心の底から新たにされて、 04:24神にかたどって造られた新しい人を身に着け、真理に基づいた正しく清い生活を送るようにしなければなりません。
福島 純雄 牧師
1. 今日の御言葉を読んで先ず心を寄せさせられたのは、18節最後の「神の命から遠く離れている」との言葉である。言うまでもなく、神や命という言葉は、聖書の中に数えきれないほど沢山出てくるが、この二つが一緒になって「神の命」という表現は非常に珍しく、おそらくはここだけに出てくるものではないかと思われる。神の命とはどういう意味か、また、それから遠く離れているとはどういうことか。ある英訳の聖書ではstrangers from the life God givesと訳されている。神の命とは神様が与えて下さるところの命である。別の言い方をすれば、私たちの命とは、神様がご自分の命を与えて下さっているものということではないか。
それから離れている、この英訳ではstrangerであると言うのである。
パウロはこのような有り様の人について、17節以下では、異邦人と呼ばれる人々がそうなのだ、と語っている。異邦人とは普通はユダヤ人以外の人々をいう言葉であるが、ここではクリスチャンではない人々のことを指している。彼らは「愚かな考えに従って・・・知性は・・無知と心のかたくなさのために」こういう有り様になっている、とパウロは語る。彼の表現からすれば、神の命から離れているというのは、愚かな考えや知性の無さや無知によって、神の命について - 私なりの表現をすれば、私たちの命は、神様からいただいている神様に由来する命なのだということについて - 知らないということを指している。
私がここで改めて大切な点として示されるのは、パウロが神の命ということについて、私たちが知性をもっているか否か、無知であるか否かを強調しているところである。
それは、信じるか否かという次元というよりは、知っているか否かという、極めて理性的な理知的な領域の事柄なのである。もちろん、後にも述べるように、イエス様をキリストとして信じることと、神の命についての知性と、信仰と知性との両方があることが望ましい。しかし、クリスマスシーズン中、ずっと聞いてきたように、イエス様をキリストとして信じるということは、そんなにたやすいことではない。この礼拝に出席しながらも、イエス様をキリストとして信じるのはなかなか難しいと思っておられる方もいるだろう。昨年最後の聖書研究祈祷会が終わった後で、ある方が「自分のような者がここにいるのは場違いではないか、申し訳ないと思う」と言っておられた。その方は、信じることは難しいのかも知れないが、しかし、学ぶために聖書研究会に来ておられるのである。知ろうとされておられることは、とても大切なことではないか。
後にまた触れるが、19節では、神の命について無知であることが、具体的にどのような生き方を招くかが語られている。知るか知らないかは、生き方にこれほどの大きな違いを招くものなのである。神の命について知るということは、決定的に有意義なものであるということを、先ず語りかけられるのである。
2. それでは、私たちは神の命ということについて、別の言い方をすれば、私たちの命がそもそも神様からいただいたところの神様ご自身に由来する命であるということについて、知るとは、どういうことであろうか。それを知ることは、私たちに何をもたらすのであろうか。
まず、この私たちの命が神様に由来する、そもそも神様の命であるならば、それは永遠のものであり、決して失われることのないものだということ知ることになるのである。神の命とは、とりもなおさず(しばしば出てくる聖書の表現で言えば)永遠の命である。これを知らないゆえに、多くの人々はどれほど命について思い違いをしていることであろうか。命は、ただ肉体の中にあるときの数十年ほどのものでしかない、と思っている。肉体の命が終わったら、それで命そのものが終わりだ、と思っている。だから、ひたすら肉体の命をのみ永らえ、壮健にすることだけを考える。肉体の命における何十年かのつながりが途絶えてしまったら、もうそれで愛する人とのつながりは終わりだと悲しんでしまう。突き詰めれば、私たちの命は、ただこの世の肉体の中に制限され、閉じ込められてしまっていると考えているのである。このような考え方は古くからあった。何度か学んだことであるが、古く、もう紀元前の昔から、ギリシャ語のことわざでは「ソーマ セーマ」と言われていた。ソーマとは肉体のこと、セーマとは墓場のことである。肉体というものを、命を墓場へと引きずって行くマイナスのもの、忌むべきもの、ネガティブなものとしか考えることができなかった。
こういう考えこそが、19節で描かれているような「放縦な生活」や「ふしだらな行い」をもたらすものなのである。生きることが肉体に縛られているゆえに、肉体からの声に翻弄される。そんな有り様は、私たちには無関係だと言われるかも知れない。今日、多くの人々は、放縦とかふしだらな生活をせよとの声に翻弄されてはいないかも知れない。しかし、病気になったどうしよう、今ある健康を失ってしまうかも知れないとの肉体からの声に、私たちは不安を掻き立てられている。
3. このような私たちに対して、神の命を知ることは、本当に大切な知性を与えてくれる。私たちの命は、神様からの預かりものなのである。とすれば、神様はある目的や使命をもって、私たちにこの肉体の命というものを授けて下さったのであろう。わずか数十年の、また、肉体の中に盛られた命であるがゆえに、確かに痛みもあり、苦しみも味わわざるを得ない命である。けれども、だからこその使命であり、目的ではあるまいか。肉体があるからこそ、痛みや苦しみがあるからこそ、「産みの苦しみ」という言葉があるように、私たちは何かを産むのである。産む喜び、また、育てる喜びを味わう。肉体があればこその喜びがある。肉体の別離があるからこそ、肉体をもって共に過ごすその何十年かが貴い。
そして、肉体における何十年かの命の営みが終われば、そこでの使命を果たし終えて、今度は、また新しい器へと、神の命の営みは移行していくのだろう。
肉体の消滅によって、神からの命も消滅するのではなく、また、新しい器のなかで私たちに託された使命を果たすべく、次の段階へと移って行くのであろう。
私たちがどんなに肉体の命にしがみつき、永らえようと努力をしても、この神の命の新しい器への移行を、私たちには止めることはできない。
4. 以上のような神の命についての大切な知識を、具体的に教え示して下さったのが、人として生まれて下さったイエス様に他ならない。そのことを、パウロは20節から21節で語っている。「あなたがたはキリストをこのように学んだ・・キリストについて聞き、キリストに結ばれて教えられ・・学んだ筈です」とある。ここでも、パウロは繰り返し学んだと言い、教えられたと言っていることに注目するのである。勿論、イエス様をキリストとして信じて、そして洗礼を受けて「キリストに結ばれ」た上での学びや教えであることが望ましい。信じて結びつけられなければ与えられない知識もあるだろう。しかし、初めにも言ったように、たとえ未だ信じるに至らずとも、イエス様の誕生や人としてのご生涯の有り様、その事実を通して、そこから何らかの真理を学び教わることはできるのではあるまいか。学ぶことが私たちの具体的な生き方に生じさせる変化があるのではないか。それが、先ほど学んだような、神の命についての真理なのである。
福音書に記された肉体におけるイエス様のご生涯は、決して満たされたものではない。それは、クリスマスの出来事から始まった。ローマ皇帝の命令により旅を強いられた両親が、宿屋には泊まる部屋が無かったので、汚い馬小屋で出産し、生まれたてのイエス様が飼い葉桶の中に寝かされることで始まったのである。
そして、その終わりは、 - あくまで肉体の命であるが - 十字架の上で痛みと苦しみのさなかであった。しかし、福音書から伝わってくるのは、その苦しみ多い生涯が、喜びに満ちたものだったと言うことである。その喜びとは、その肉体の生涯に神様が与えて下さった使命を果たすとの喜びである。その使命を果たすための肉体の命である。肉体に於いて苦しみ血を流すことが使命であった。
礼拝の後に聖餐をいただく。世々の教会がこの式に於いて聞き続けてきた、最後の晩餐におけるイエス様の言葉は「これはあなたがたのための私の体、あなたがたのために流す私の血」という言葉である。イエス様は、私たちのためにその肉体に於いて体から血を流すことが、神からの使命であると信じておられた。肉体に於いての命でなけければ血を流すことはできない。十字架の上でこの使命をはたすことができるからこその喜びなのだ。私たちの肉体における生涯の喜び・命の喜びは肉体における使命を果たすことと分かち難く結びついていることを、私たちはイエス様から学ぶ。真理として学ぶ。
そして、この使命を果たし終えたなら、神様から与えられた命は、また別の使命を果たすべく、復活の体という新しい器を備えられていく。これも、また復活という事実から学ぶ真理である。
5. このように「学んだはず」なので、古い人を脱ぎ捨て、心の底から新たにされて新しい人を着なさい、とパウロは語る。何度も言うが、ここでもまた、彼は学ぶことの意義を言うのである。学ぶことは、私たちの古い人を脱がせ、心の底から私たちを新しくして、新しい人を身につけさせることができる。
学ぶことは、それほどの実効性をもっている。
先週の礼拝で、11月末にみた私の夢のお話をした。
これまで積み重ねてきたすべてのものを手放して、一人の殺人犯として生きて行くという有り様に、何かすがすがしいものを感じたとお話をした。その夢から、今回また感じさせられることがあるのだが、私たちはそのように、いつかはそれまで積み重ねてきたものをすべて失って、手放して、進んでいかねばならないのであろう。この夢が語りかけてくれるのは、そういう時が必ずやってくるということであり、また、それが殺人犯となるという、まことに辛い人生であっても、私たちはそれを新しい人生として、案外、心安らかに担っていけるのだとの励ましを感じる。
パウロの言葉は、新しい人を身につけよと言うのであるが、神様は私たちに、おのずから新しい人を身につけさせて下さろうとしているように思う。
自分で無理やりそうする必要は無い。むしろ、神様の側から、私たちがそれを避けることはできないものとして、着せてくださろうとしているのである。肉体の命は必ずや新しい器としての着物を付けなければならない。肉体の生涯に於いて身につけてきたいろいろな古い衣服を脱ぎ棄てて、私たちは必ずや新しい衣服を着せられつつある。だから、大切なことは、神の命についての真理を知って、この神様の為さろうとしていることを受け入れる心を持つ。そのような知性をいただく。心を新しくすることなのである。
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